内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 HAPPY HALLOWEEN!
2011-10-31 Mon 23:07

 今日はハロウィン。というわけで、そのものズバリの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

        フランス・ハロウィン(2004)

 これは、2004年にフランスで発行されたハロウィンの切手です。

 ハロウィンは、キリスト教の諸聖人の日(万聖節:11月1日)の前の晩(10月31日)に行われる伝統行事で、もともとは、11月1日を新年とするケルト人の収穫感謝祭がキリスト教世界に取り込まれたものといわれています。

 フランスでは万聖節は、日本のお盆にあたるお墓参りの日だそうで、その前日を祝うという習慣はもともとはありませんでした。しかし、1990年代に入り、我々がイメージするアメリカ風の習慣がフランスでも広がり、切手まで発行されるようになったというわけです。

 2001年に発行された同国最初のハロウィン切手は、単純にハロウィンかぼちゃことジャック・オ・ランタンを大きく描いたデザインでしたが、今回ご紹介の2004年の切手はポップな感じがかわいいですね。

 デザインを担当したマーク・スズキ=ツジはカナダのトロントを拠点に活動しているアーティストで、第一言語はブラジル・ポルトガル語ということなので、名前からするとブラジルに渡った日系人の子孫だと思うのですが、詳しいことは調べきれませんでした。どなたか、ご存知の方はご教示いただけると幸いです。

 オマケ
       ハロウィンかぼちゃ(明)     ハロウィンカボチャ(夜)

 現在、わが家に飾られているジャック・オ・ランタンです。作ってみると、案外簡単にできるので、来年は、どこかの国の切手に描かれたものを実物で再現してみようかと思っています。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月5日(土)、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、以下のトークを行います。

・11:00 ハバロフスク…日本人の足跡を訪ねて
 切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』の刊行を記念してのトークです。同書の中から、シベリア抑留の痕跡を中心に、ハバロフスクに残る日本人の活動の跡をたどります。なお、1フレーム作品として出品の「シベリア抑留日本人用往復葉書」についても、あわせて、簡単な解説を行います。

・16:00 年賀状の戦後史
 角川 one テーマ21(新書)『年賀状の戦後史』の刊行を記念してのトークです。同書の内容をご紹介しつつ、10日の一般発売に先駆け、会場内でのみの先行発売(限定30部)も行います。

 今回は、2冊の刊行時期が接近しているため、トークイベントもダブル・ヘッダーとなりました。ぜひ、遊びに来てください。


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        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
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 米北東部で大雪
2011-10-30 Sun 23:56
 アメリカ北東部一帯で現地時間の29日、例年より大幅に早い大雪が降り、200万世帯以上が停電し、倒木の下敷きになるなどして3人が死亡。ニュージャージー、コネティカット、マサチューセッツ、ニューヨークの4州で非常事態宣言が出されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アメリカ・クリスマス切手(1982)

 これは、1982年10月28日にアメリカで発行された1982年用のクリスマス切手で、ティングルの「冬の子どもたち」のなかから4点が田型連刷の形式で取り上げられています。雪遊びをする子どもたちという図案は、いかにもアメリカのクリスマス・シーズンを思わせる切手ですが、こうした状況が見られるのは、例年なら1月以上先の話です。ちなみに、AP通信によれば、ニューヨークでは10月の積雪は記録の残る135年間で3日間だけだそうですから、クリスマス切手が発行される時期に、まさかクリスマス切手と同じ風景を目にすることになるとは、想像だにしていなかったアメリカ人がほとんどではなかったかと思います。

 それにしても、今年はニュージーランド大地震にはじまり、東日本大震災トルコ大地震タイの洪水など、世界各地で自然の猛威をまざまざと見せつけられるような出来事が続きましたね。もうじき10月も終わり、2011年もほぼ残り2ヶ月となりましたが、どうかこれ以上、妙なことが起きずに平穏に過ぎて行ってほしいものだと願わずにはいられません。


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 ハバロフスクの“ボリショイ劇場”
2011-10-29 Sat 23:17
 2005年以来、6年がかりの修復工事が行われていたモスクワのロシア国立ボリショイ劇場で、現地時間の昨夜(日本時間29日未明)、工事完成を記念して“こけら落とし”の記念コンサートが行われました。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハバロフスク・音楽コメディ劇場     ハバロフスク・音楽コメディ劇場(実物)

 左は、1975年にソ連で発行された切手つき封筒で、ハバロフスクの音楽コメディ劇場が取り上げられています。右側には、その実際の建物の写真を張っておきました。

 一般に“ボリショイ劇場”というと、モスクワにある国立アカデミーの劇場のことを指すことが多いのですが、ロシア語の“ボリショイ”は“大きい”の意味ですから、言葉の本来の意味でいうとボリショイ劇場というのは“大劇場”という意味になります。このため、ロシアの各都市で最も大きい劇場は、それぞれの都市の“ボリショイ劇場”となるわけで、ハバロフスクの場合だと、今回ご紹介の音楽コメディ劇場がそれにあたります。

 もともと、ハバロフスクの音楽コメディ劇場は、現在の極東美術館に連結したコンサート・ホールがそのように呼ばれていました。このホールは、第2次大戦後の1947年、歌手の三波春夫ら日本人抑留者を動員して大規模な改修工事が行われ、音楽コメディ劇場の名で、ハバロフスク一の劇場として用いられてきました。

 しかし、1970年代にカール・マルクス通りのディナモ公園内に新しく劇場が建てられると、この新劇場があらたに“音楽コメディー劇場”と名付けられることになり、旧劇場は極東フィルハーモニーの本拠地として使われるようになり、現在にいたっています。

 さて、現在、音楽コメディ劇場があるディナモ公園の周辺には、かつての日本人抑留者たちにまつわる場所が救いなからずあります。拙著『ハバロフスク』では、心ならずも苦難の生活を強いられた抑留者の方々をしのびながら、その痕跡をいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 F1インドGP開幕
2011-10-28 Fri 23:59
 インドで初のF1世界選手権大会となるインドグランプリが、きょう(28日)、デリーから50kmのノイーダ大都市圏にあるブッダ・インターナショナル・サーキットで開幕しました。というわけで、きょうはインドの自動車切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        インド・トラック

 これは、1937年12月15日に発行された8アンナ切手で、郵便トラックが描かれています。インドの自動車切手としてはこれが最初の1枚です。

 さて、インドの郵便トラックといえば、今年2月にデリーで開催された世界切手展<INDIPEX>の最終日にこんな体験をしました。

 作品のピックアップは22:00ということで、僕は日本コミッショナーの山崎好是さんと21:30にはビンルームに行ったのですが、現場はインド的な混沌が支配していて、タイやアメリカのコミッショナーは18:00から待っているにもかかわらず、まだ作品が出てこないとのこと。はっきりいって、すべてがぐちゃぐちゃの状態で、僕たちは早々に、日付変更線をまたぐ前に解放されることはなさそうだと覚悟を決めざるをえませんでした。(下の画像は、いらだつコミッショナーたちをよそに、のんびりと荷車で作品を運んでいるスタッフです)

        インド展ビンルーム・荷車

 インド的な混沌を象徴するかのように、作品返却が滞っている中、ビンルームにはチャイ売りが出現。この男、どう見ても、実行委員スタッフや出品者、コミッショナーではなく、切手とは縁のなさそうなただのチャイ売りにしか見えなかったのですが、日付変更線も近くなると、インド人スタッフ以外はみんなぐったりしてしまい、もはや、セキュリティ・チェックはどうなっているんだなどと訊く者はもはや誰もいません。(画像は問題のチャイ売りです)

        インド展・ビンルームのチャイ売り

 はたして、実際に日本からの全作品が戻ってきて、通関関係の書類も整ったのは26:00過ぎ。そこから、オフィシャル・ホテルのラリットまでは、インド郵政が車を出すというのですが、これがフツーの乗用車やバスではなく郵便車(下の画像。ちなみに、英領時代の切手では車体に“ROYAL MAIL”と入っていますが、現在の郵便車は、当然、“India Post”と表示されています)で、我々は作品ともども荷台部分に乗る羽目になりました。

        インド郵政の郵便車

 もっとも、ここまでくると、各国のコミッショナーや出品者も、インドのぐちゃぐちゃぶりを面白がる余裕が出てきて、囚人の護送者を体験できるなんて、やっぱり“Incredible India”(インド観光局のスローガン)だとはしゃいで、車内の鉄格子をバックに写真を撮ったり(下の画像)していました。ちなみに、インドのナショナル・コミッショナーは、ご自身の高級車(ベンツだったかBMWだったかは忘れましたが)で、ホテルまでゆうゆうと戻ってきました。

        インドの郵便車の内部

 結局、“護送車”がオフィシャル・ホテルに着いたのは27:00ちょっと前。そこからタクシーで、僕が自分の安宿にたどりついたのは27:15。まぁ、普段、我々が集めている郵便物が、どんなふうに運ばれているのか、身をもって知ることができたのは、なかなか得難い体験であることには違いありませんが、さすがに疲れましたね。

 まぁ、今になってみれば良い思い出なのですが、今回のインドGPでも、参加チームのスタッフのヴィザが一部間に合わなかったり、大会開始後もコースに犬が出てきてセッションが中止になるなど、いかにもインド的な光景が随所で見られるようです。

 僕自身も、インド的な混沌に満ち溢れた国際イベントの記憶が生々しいだけに、関係者の皆様には、心より「お疲れ様です」と申し上げたいですな。


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 ソウル市長選は野党系が勝利
2011-10-27 Thu 23:11
 きのう(26日)、投票が行われた韓国の首都、ソウル特別市の市長選挙は、左派系の野党統一候補で無所属の弁護士、朴元淳が、与党ハンナラ党候補の羅卿瑗を破って当選を果たしました。というわけで、朴に関連した切手を探していたら、こんな切手が出てきました。(画像はクリックで拡大されます)

        李承晩81歳誕生日

 これは、1956年3月26日に韓国で発行された「李承晩大統領閣下第81回誕辰(=誕生日)記念」の切手で、李承晩を称える“頌壽塔”が描かれています。実は、この切手の発行日の1956年3月26日は、新しくソウル市長となる朴元淳の誕生日です。

 さて、朝鮮戦争中の1952年、1948年憲法を強引に改正(これにより、大統領は国会議員による間接選挙ではなく、国民による直接選挙によって選ばれることになりました)して大統領に再選された李承晩は、終身大統領を目指すようになります。

 1953年7月、休戦協定が成立すると、彼は、戦後復興に向けてアメリカとの関係を強化するとともに、3選のための準備を着々と進めていきました。

 当時の韓国の憲法では、大統領の任期は2期までとされており、3選は禁止されていましたから、李が終身大統領を目指すためには、まず、憲法改正を実現しなければなりません。

 憲法を改正するためには国会議員の3分の2以上の賛成票が必要で、当時の国会の定員は203議席でしたから、単純に計算すれば、その3分の2は135.3333…人ということになります。こういう場合、通常の感覚では、136人をもって3分の2以上ということになるはずです。

 このため、1954年秋の韓国国会では、136票をめぐって与野党の激しい攻防が繰り広げられ、11月29日の採決では、李承晩派の提出した憲法改正案は、賛成135、反対60となり、改正案はいったん否決されました。

 ところが、これに対して、李政権は、定員数203の3分の2は135.3333…人であるから、これを四捨五入すれば135票となると強弁。いったんは否決宣言まで出された改憲案を、強引に可決されたと主張して公布してしまいます。これが悪名高い“四捨五入改憲”です。

 こうした李の独善的な姿勢は、当然のことながら、内外の強い批判を招いたが、李政権は強権を持って反対派を押さえ込み、3選へ向けての活動を開始。その一環として、韓国政府は1955年と1956年の李の誕生日(3月26日)に記念切手を発行し、国民に対して“偉大なる指導者・李承晩”というイメージを浸透させることに躍起になっていました。

 結局、1956年の大統領選挙では、野党統一候補の申翼熙が「もうだめだ。代えてみよう」をスローガンに現職の李承晩を猛追。彼の演説会には、30万人もの支持者が集まり、李承晩政権の命運は尽きたかに思われたのですが、投票日10日前の5月5日、申が脳溢血で急死してしまいます。このため、急遽、中道左派の曹奉岩が野党候補として立候補したものの、李が三選を果たすことになりました。

 ちなみに、今回ソウル市長に当選した朴元淳は、2000年の総選挙に際して落選運動を主導して名をあげた人物ですが、申翼熙の「もうだめだ。代えてみよう」は、ある種、その原型とみなすことができるかもしれません。

 なお、このあたりの事情は拙著『韓国現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ヴェトナムのジャワサイ絶滅
2011-10-26 Wed 22:44
 世界自然保護基金(WWF)は、きのう(25日)、ヴェトナムに生存していた最後のジャワサイが密猟で殺され、ベトナムに生息するジャワサイは絶滅したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャワサイ(ヴェトナム)

 これは、1988年にヴェトナムで発行されたジャワサイを描く小型シートです。

 ジャワサイは、かつては、インド北東部、インドネシア、カンボジア、タイ、バングラデシュ、マレーシア(マレー半島)、ミャンマー、ラオス、ヴェトナムなどに広く分布していたサイで、体長300-320センチ、体重1500-2000キロほどの大きさです。主に低地の熱帯雨林に生息し、河川や沼を好み、餌は木の枝や樹皮、木の葉、芽、果実などです。

 古くから、角が装飾品とされたり、薬用になると信じられていたことから乱獲され、今回ご紹介の小型シートが発行された1988年にヴェトナム国内で個体群が発見されるまでは、ジャワ島西部のウジュン・クロン国立公園内を除いて絶滅したと考えられていました。

 ヴェトナム政府は、ジャワサイの絶滅を防ぐため、1992年に保護区を設定。さらにこの保護区をカティエン国立公園に併合するなどの対策を講じ、WWFもヴェトナム政府に協力して保護活動が進められてきましたが、密猟は後を絶たず、2004年の調査ではヴェトナムのジャワサイは2頭の生存が確認されただけになっていました。

 その後、今年4月にカティエン国立公園内でジャワサイ1頭の死体が見つかり、遺伝子調査の結果、2010年4月までに確認されていたジャワサイの糞22点すべてが、このジャワサイのものであることが判明。今回の絶滅の発表となりました。

 なお、ヴェトナムのジャワサイが絶滅したことにより、アジア大陸からジャワサイは姿を消すことになりましたが、インドネシア・ジャワ島の西部には、まだ50頭ほどのジャワサイが生き残っているのだそうです。こちらのジャワサイには、何としても、絶滅せずにいてほしいものですね。


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 世界漫郵記:ハバロフスク⑪
2011-10-25 Tue 23:03
 『キュリオマガジン』2011年11月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の11回目。今回は、ハバロフスクの“へそ”ともいうべきレーニン広場を取り上げましたが、その中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      レーニン広場(切手つき封筒)     レーニン広場(2011年夏)

 左は、1961年にソ連で発行された切手つき封筒で、ハバロフスクのレーニン広場が描かれています。右側は、今年(2011年)8月に訪れた際のレーニン広場のようすです。

 ハバロフスクのレーニン広場は、ムラヴィヨフ=アムールスキー通りの東端に位置しており、帝政時代には観兵式の会場として、ソ連時代には革命記念日の軍事パレードやメーデーの行進が行われていました。現在でも、毎年5月にはハバロフスク創立記念日の祝賀パレードや対独戦勝記念軍事パレードが行われるほか、ロシア暦の新年と旧暦のクリスマスを祝うヨールカ祭の会場として氷の彫刻も展示されます。

 広場中央の大きな噴水は、冬には水が止まるものの、夏にはかなり勢いよく水を吹きだしており、そのミストは公園内の噴水からかなり離れた場所でも感じられるほどです。

 レーニン広場の噴水は、今回ご紹介のものを含め、ソ連時代の切手つき封筒にも何度か取り上げられていますが、現在のものとは若干、かたちが違っています。おそらく、2008年にハバロフスク150周年記念事業の一環として広場の改修が行われた際に、現在の姿になったのでしょう。

 広場の周囲は、極東国立公務員大学、極東国立医科大学、ハバロフスク州政府、第3市立病院などが取り囲んでおり、“本尊”のレーニン像は病院を背にして、広場の一番奥に鎮座しています。

 さて、奥付上の刊行日は11月5日ですが、本日から発売となった拙著『ハバロフスク』は、雑誌『キュリオマガジン』の連載をもとに、大幅に加筆を施してまとめた歴史紀行です。今回ご紹介のレーニン広場についても、日本人抑留者ゆかりの公務員大学や広場の本尊ともいうべきレーニン像についてもいろいろと解説を加えました。

 一部の書店では、すでに店頭にも並んでいるようですので、実物をお見かけになりましたら、ぜひお手にとってパラパラっと眺めていただけると幸いです。


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 トルコ東部で大地震
2011-10-24 Mon 22:07
 きのう(23日)、トルコ東部、イランとの国境に近いワン(ヴァン)県でマグニチュード7.2の大地震が発生。県都ワンやワン湖北岸のエルジシュなどで多数の死者が発生しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ワン

 これは、今年(2011年)、トルコで発行されたワンの風景を取り上げた小型シートです。

 トルコ共和国で最大の湖であるワン湖の東岸に位置するワンは、もとは古代アルメニア王国の都市で、ビザンツやアラブ系ムスリム、セルジューク・トルコ、モンゴル、サファビー朝ペルシャなどの支配を経て、1548年にオスマン帝国の支配下に置かれました。

 こうした経緯もあって、かつてのワンには多数のアルメニア人が居住しており、1915年には、オスマン帝国によるアルメニア人の東部アナトリアからシリア、イラク方面への強制移住政策に抗議して、この地でアルメニア人による反乱が勃発。その鎮圧に際して、いわゆるアルメニア人大虐殺が起こったとされています。

 その後、ワンにおけるアルメニア人の人口は激減し、代わりに、クルド人が流入したとのことで、今回の地震でもクルド系の被害が大きいのではないかと見られているようです。

 切手はワン湖を背景に遺跡やモスクなどを組み合わせたデザインで、これを見る限り、風光明媚な古都として観光客の人気を集めているというのもうなずけます。右から2枚目の切手に描かれている魚は、ワン湖の名物とされるインジケファリ(ニシンの一種)でしょう。また、右端の切手の猫は、左右で眼の色が違う“ワン猫“だろうと思うのですが、切手では小さくてよくわかりませんな。

 今回の地震では、ワン湖に由来する水害の被害はなかったようですが、現在も瓦礫の下に生き埋めになっている人が大勢いて救助を待っている状況だとか。1人でも多くの方が救助され、1日も早い復旧・復興が達せられるよう、お祈りしております。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月5日(土)、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、以下のトークを行います。

・11:00 ハバロフスク…日本人の足跡を訪ねて
 切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』の刊行を記念してのトークです。同書の中から、シベリア抑留の痕跡を中心に、ハバロフスクに残る日本人の活動の跡をたどります。なお、1フレーム作品として出品の「シベリア抑留日本人用往復葉書」についても、あわせて、簡単な解説を行います。

・16:00 年賀状の戦後史
 角川 one テーマ21(新書)『年賀状の戦後史』の刊行を記念してのトークです。同書の内容をご紹介しつつ、10日の一般発売に先駆け、会場内でのみの先行発売(限定30部)も行います。

 今回は、2冊の刊行時期が接近しているため、トークイベントもダブル・ヘッダーとなりました。ぜひ、遊びに来てください。


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 泰国郵便学(16)
2011-10-23 Sun 22:10
 タイの洪水は、いよいよバンコク中心部にまで被害が拡大し、首相府や王宮にも危機が迫っているほか、国王(ラーマ9世)陛下が入院されている病院にも大量の水が押し寄せているのだとか。一日も早く、洪水被害が収まることをお祈りしております。さて、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第45巻第5号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、現国王が即位された時期の話を書きました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ・1947年シリーズ

 これは、ラーマ9世最初の普通切手となった1947年シリーズの20バーツ切手です。

 第2次大戦後、タイはプレーク・ピブーンソンクラーム(ピブーン)政権時代の親日政策は日本に強制されて心ならずも行ったことであるとのロジックを掲げ、その過去を否定することで国際社会への復帰を果たそうとしました。

 その一環として、1945年9月、ピブーン時代に採用された英文国号の“タイランド”が旧称の“サヤーム(SIAM)”に戻され、ピブーン時代との決別も宣言されました。

 タイないしはタイランドという国号は、戦前のピブーン政権下で発動されたラッタニヨム政策の一環として、“サヤーム(シャム)”は外国人による蔑称だとの理由で、1939年10月6日の憲法改正により、新たに採用されたものでした。それゆえ、国号の変更は、ラッタニヨム・ナショナリズムやその提唱者であったピブーンに対する強烈なアンチテーゼとなりましたが、かつての国号変更の理由が外国人の蔑称を排するという理由で行われた以上、そのまま旧に復すのは、そうした“蔑称”を無批判に受け入れてもよいのかという反論を招きかねません。

 このため、国号は対外向けの英文表記に限ってSIAMに復し、タイ語では従前どおり、“タイ”の名称が維持されるという微温的な解決策がとられています。

 時あたかも、1945年12月5日、国王、アーナンタマヒドン(ラーマ8世)がスイスから帰国。1946年1月1日には英国との間で“大東亜戦争”の講和条約も結ばれ、新生タイを内外にアピールするためにも、成年に達した国王の肖像を描き、新たな国名表示(英文)の入った切手を発行することは、国家の情報宣伝政策として緊急の課題となっていました。

 ところが、1946年6月、帰国後わずか半年のアーナンタマヒドン国王が寝室で額を打ち抜かれて死亡するという国王怪死事件が発生。プーミポンアドゥンラヤデート(ラーマ9世、現国王)が新国王として即位しました。

 国王怪死事件はタイ国内に大きな衝撃を与え、大戦後のタイ政界を牛耳っていたプリーディー・パノムヨン内閣が責任をとって退陣に追い込まれた後の1946年8月の総選挙では野党勢力が伸長。後継のルアン・タムロンナーワーサワット内閣は、同年12月に国連加盟を実現させたものの、国内の政情は不安定化し、新国王の肖像を描く切手もなかなか発行されませんでした。

 結局、1947年11月8日、陸軍は国王怪死事件の解明を大義名分としてクーデターを起こし、タムロンナーワーサワット内閣は崩壊。同月10日には、クアン・アパイウォンが3度目の内閣(クアンは、過去、ピブーン失脚後の1944年8月1日-1945年8月31日、1946年1月31日-同年3月24日の2度にわたり首相に就任しています)を組織しました。なお、このクーデターの結果、ピブーン(1945年10月に戦争犯罪人法により逮捕されたものの、翌1946年4月、同法が無効とされて釈放されました)が国軍司令官として復権を果たしています。

 こうした状況の下、新国王の肖像を描く新たな切手は、タムロンナーワーサワット内閣の時代から準備が進められ、クーデター直後の11月15日になってようやく発行された。

 切手は国王の肖像を大きく描いたシンプルなデザインのもので、5サタン、10サタン、20サタン、50サタンの低額切手が単色、1バーツ、2バーツ、3バーツ、5バーツ、10バーツ、20バーツの高額切手は定額切手と同じデザインですが、肖像部分と周囲の刷色を変えた2色刷りです。現国王の肖像絵を描く切手としては、もちろん、この1947年シリーズが最初でした。また、切手の製造は英国のウォータールー・アンド・サン社で、同社がタイ切手の製造を担当したのは、大東亜戦争以前の1941年4月に発行の普通切手以来、6年半ぶりのことで、英国との関係改善を象徴するものとなりました。

 1941年シリーズの普通切手では、国王の肖像のほか、水牛の農耕アユッタヤー・バーンパイン離宮のアイサワン亭など、肖像以外の図案の切手も発行されていましたが、1947年の切手は、プラチャーティポック(ラーマ7世)時代の1928年シリーズと同様、普通切手に取り上げられたのは国王の肖像のみです。

 ただし、アーナンタマヒドン以前の普通切手に国王の肖像が取り上げられる場合は、肖像の周囲に飾りの枠がデザインされていましたが、1947年シリーズにはそうした装飾はなく、デザインとしては簡略化されています。おそらく、“SIAM”表示の切手を一刻も早く発行することを優先させた結果でしょう。

 ところで、この切手のタイ語での国名表示は、“サヤーム”ではなく“タイ”となっています。

 すでに述べたように、国号として“サヤーム”と“タイ”のどちらを選択するかということが、一種の思想の選択である以上、こうした混在は従来では考えられない現象でした。実際、ピブーン政権時代の1940年に、切手の国名表示が、タイ語で“タイ”、英文で“THAI”ないしは“THAILAND”と改められる以前は、タイ語・英文ともに切手の国名表示は“サヤーム”です。こうしたところにも、大東亜戦争終結直後のタイの不安定な状況が反映されているとみてよいでしょう。

 ちなみに、クアン政権は1948年1月の総選挙でもまずまずの成果を収めるなど、その政権運営は順調でしたが、そのことがかえって陸軍の警戒を招き、同年4月、クーデターが発生。内閣は総辞職に追い込まれ、4月8日にはピブーンが首相の座に返り咲くことになります。

 復活を果たしたピブーンは、冷戦下での東西対立がアジアでも急速に深化していくなかで、共産主義の防波堤としての役割を果たすことで、民主主義を国是とする西側諸国の信頼を獲得することに成功。英文の国号として一時的に復活していた“SIAM”はふたたび放棄されて“THAILAND”に戻りますが、そのことをもって、米英が親日時代への復帰をとがめることもありませんでした。

 これに伴い、1950年5月5日に発行された国王戴冠式の記念切手では、国名表示が、タイ語で“パテート・タイ”、英文で“TAHILAND”に変更になっています。タイ語の国名表記が単なる“タイ”ではなく“パテート・タイ”となったのは、これが最初でした。ちなみに、1950年の「国王戴冠式」以降現在にいたるまで、タイ切手の国名表示は、“パテート・タイ”と“THAILAND”の両者を併記するのが一般的となっているが、デザイン上の都合などにより、“パテート・タイ”ではなく“タイ”だけの短縮された表示がなされるケースもないわけではありません。

 こうして、1枚の切手に“タイ”と“SIAM”という異質の国名表記が併存するという、一種の異常事態は解消されました。同時にこのことは、復活したピブーン政権の下で、タイが終戦直後の混乱期を脱し、東西冷戦という新たな国際秩序の中で、西側陣営の一員として反共の防波堤の役割を担い、域内大国としての道を歩み始める出発点を象徴するものとに考えることも可能かもしれません。


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 きっかけは年賀状
2011-10-22 Sat 17:43
 人気デュオ・ゆずの北川悠仁と20日に電撃挙式した元フジテレビアナウンサーの高島彩の交際のきっかけは、2005年にゆずと番組の打ち上げを行った高島が、年賀状の住所交換したのがきっかけだったそうです。普段は、芸能ネタとはほとんど無縁のこのブログですが、そういうことであれば、やはりこの切手を持ってくるしかありますまい。(画像はクリックで拡大されます)

         秋田犬(年賀)

 これは、2005年11月15日に発行された2006年=平成18年用の年賀切手のうち、秋田犬を取り上げた50円切手です。

 昭和の時代、年賀切手は葉書料金用の1種が発行されるのみでしたが、平成2(1990)年用には書状基本料金用のくじ付き切手とあわせて計2種が発行されるようになり、平成3(1991)年用にくじ付きの葉書用・書状料金用をあわせて計3種となったのを経て、平成4(1992)年用以降は、くじなし・くじ付きともに、葉書用・書状料金用が発行されるようになりました。なお、平成19(2007)年用から平成21(2009)年用までの3回は、オリジナル年賀切手の写真付き・くじ付き2種も発行されていますので、年賀切手だけで6種類が発行された勘定になります。

 北川・高島夫妻の交際のきっかけになった年の年賀切手は4種類ですが、これに官製年賀はがきのメインナンバー3種(寄附なし、同写真用、寄附金つき)を加えると、2人がやり取りした年賀状の切手・はがきは7種類のどれかということになるのでしょうが、高島が担当していた情報番組「目ざましテレビ」には「きょうのわんこ」というコーナーもありますので、今回はこの切手を持ってきました。

 なお、年賀切手といえば、干支にちなんだ各地の郷土玩具を取り上げるのが定番となっており、平成18年用のように、実際の動物を取り上げたケースは、ほかには、昭和26(1951)年用の「少女とウサギ」があるくらいです。もちろん、想像上の動物である龍の“リアルな姿”を取り上げるのは無理ですし、蛇なんかはリアルな姿を取り上げるのは年賀切手向きではないとも思うのですが、そのほかの動物に関しては、たまには、郷土玩具一辺倒から外れてみるのも面白いんじゃないかと個人的には思います。もっとも、年賀状というのは“型どおり”が大事であって、その意味では、偉大なるマンネリの郷土玩具こそが良いという人も多いのかもしれませんがね。

 なお、現在でこそ、年賀切手のデザインは干支の動物が当然ということになっていますが、かつては必ずしもそうではありませんでした。というよりも、知識人の間などでは、十干十二支と動物を結びつけることを邪道とする考え方すらあったくらいです。

 このあたりの事情については、角川 one テーマ21(新書)の1冊として11月10日に刊行予定の拙著『年賀状の戦後史』でも、2008年刊行の拙著『年賀切手』よりも詳しく取り上げています。すでに、同書は僕の手を離れ、印刷・製本作業に入っており、11月初めには見本ができあがってくる予定ですので、近々、書店などで見かけることがありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 日本で最も有名なバスク人
2011-10-21 Fri 23:57
 スペイン北部バスク地方の分離独立を求める非合法武装組織“バスク祖国と自由(ETA)”が、きのう(20日)、40年以上に及ぶ武装闘争の終結を宣言しました。というわけで、日本でバスク人といえばやっぱりこの人ということで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ザビエル・2アヴォス

 これは、1951年にマカオで発行された偉人シリーズのうち、フランシスコ・ザビエルを描く2アヴォス切手です。

 ザビエルは、1506年頃、バスクの中心都市パンプローナ近郊のザビエル城で地方貴族の家に生まれました。

 1525年、19歳でパリ大学に留学。聖バルバラ学院に入り、哲学を学んでいるときに、イグナチオ・デ・ロヨラらと知り合い、1534年8月、仲間とともにモンマルトルの聖堂で神に生涯を捧げるという誓いを立てました。これがイエズス会の始まりとされています。

 その後、1537年6月、ザビエルはヴェネツィアの教会でイグナチオらと共に司祭に叙階され、エルサレム巡礼を試みましたが、国際情勢の悪化で果たせませんでした。このため、ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインド西海岸のゴアに布教の旅に出ることになり、1541年4月にリスボンを出発。アフリカのモザンビークを経て、1542年5月、ゴアに到着しました。そして、ゴアを拠点にインド各地で宣教した後、マラッカ等での布教経験を経て、1549年4月、日本を目指してゴアを出発。同年8月、現在の鹿児島市祇園之洲町にたどり着きました。

 日本では、平戸、山口で布教活動を行った後、京都に到着しましたが、天皇と足利将軍への拝謁はかなわず、失意のうちに京を去っています。その後は、山口、豊後で布教活動を行い、1551年11月、日本を去り、ゴアへ戻りました。ゴアへ戻ったザビエルは、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、1552年9月、中国の上川島に渡りましたが、この地で病没。遺体はゴアで埋葬されました。

 その後、遺体は分割されて各地で祀られ、そのうちの右腕は、当初、日本に運ばれる予定でした。しかし、1619年に右腕が日本に持ち込まれた時には、すでに、徳川幕府の下でキリシタンの弾圧が本格化していたため、マカオに戻され、以後約200年間は聖ポール天主堂に保管されます。そして、1835年に聖ポール天主堂が焼失した際にはからくも持ち出されて難を逃れ、聖アントニオ教会に移されます。1928年、南のコロアネに聖フランシスコ・ザビエル教会が建立されるとそこに移されましたが、その後、現在の聖ヨゼフ聖堂に収められています。

 なお、拙著『マカオ紀行』では、マカオに残るザビエルゆかりの地をいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 カダフィ大佐死亡
2011-10-20 Thu 23:52
 ロイターなどの報道によると、リビアの独裁者だったカダフィ大佐が、きょう(20日)、同国中部シルト付近の潜伏先で拘束された際の負傷が原因で死亡したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         リビア革命41周年

 これは、昨年(2010年)、リビアで発行された9月革命41周年の記念切手で、軍服姿で敬礼するカダフィの肖像が大きく取り上げられています。カダフィ単独の肖像切手としては、おそらく、これが最後のものになるのではないかと思いますが、確認しきれていません。

 9月革命というのは、エジプト革命に感化されたリビア陸軍のカダフィ大尉ひきいる自由将校団が、1969年9月1日に起こしたクーデターのことで、この結果、トルコに滞在中だった国王イドリース1世が退位し、カダフィを事実上の元首とする革命政府が誕生しました。以来41年以上にわたって、独裁者としてリビアに君臨したカダフィですが、ことし2月に反カダフィ派の蜂起が起こり、欧米諸国が反カダフィ派を支援するなかで、8月には首都トリポリからの撤退を余儀なくされ、独裁政権は崩壊。徹底抗戦を唱えつつも、ついに亡くなったというわけです。

 余談ですが、失脚する前のカダフィは、王族・皇族を除く現役の国家元首として最長の在職期間を誇っていましたが、カダフィの前に最長の在職期間を誇っていたガボンのボンゴ元大統領も2009年6月に病死し、1968年以来の超長期政権は41年で幕を閉じています。さらに、ボンゴ大統領の前のレコード・ホルダーだったキューバのカストロも、キューバ革命後の1959年2月から2008年2月に引退するまで国家評議会議長の座にあったのは41年間でした。こうしてみると、どんな独裁政権であっても、41年というのが限界なのかなと思ってしまいます。

 なお、カダフィ死亡が事実だとすると、現在、事実上の暫定政府として機能している国民評議会は、今後、リビアの全土制圧を宣言し、ついで、暫定政権の樹立や議会選挙の実施など民主化プロセスを実行に移すことになります。ただし、新生リビア国家の体制がきちんと固まるまでには、フセイン政権崩壊後のイラク同様、まだしばらく時間がかかることでしょう。

 いずれにせよ、現在のリビアの混乱は切手や郵便にも何らかの影を落としていることは間違いないでしょうから、関連するマテリアルが入手できれば、このブログでも機会を見つけてご紹介したいと思っています。

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 洪水退散祈願
2011-10-19 Wed 23:57
 深刻な被害をもたらしているタイの洪水で、首都バンコクのスクムバン知事は、今夜(19日)、防水堤が決壊する恐れがあるとして、バンコク・サイマイ地区の約2000世帯に避難勧告を出しました。洪水が首都に迫った先週以降、バンコク市民に避難勧告が出たのは初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ・曜日仏(月曜)

 これは、2001年にタイで発行された月曜日の曜日仏の切手です。

 タイやラオスなどでは曜日ごとの色と守護仏像が決められており、人々は自分の生まれた曜日の仏を拝んでいます。たとえば、タイの国王陛下は月曜日のお生まれでシンボルカラーは黄色です。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられている月曜日の守護仏は、釈迦がネーランチャラー川のほとりで1000人の弟子を従えたゾロアスター教徒の迦葉3兄弟を訪れた際、河川の洪水を両手でせき止める奇跡を起こしたとの伝説を表現したものです。

 中部アユタヤ県などに大規模な被害をもたらした大量の水は、あす(20日)夜にもバンコクに到達する可能性があるのだとか。敬虔な仏教徒の多いタイに、今一度、釈迦があらわれて、洪水をせき止める奇跡を起こしてくれないものかと思い、今日は水曜日ですが、あえて、月曜日の守護仏の切手を持ってきました。

 なお、タイで信仰されている曜日毎の守護仏とその意味については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * きょうの午後、カウンターが92万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 セリーグは中日が連覇
2011-10-18 Tue 23:55
 プロ野球のセリーグは、中日ドラゴンズが連覇を達成しました。というわけで、きょうは龍の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        張子の龍

 これは、昭和63(1988)年用の年賀切手で岡山県の郷土玩具“倉敷はりこ”の辰が取り上げられています。辰(龍)を描く年賀切手のうち、中日がリーグ優勝を果たした年のものということで持ってきました。

 岡山県地方で張子人形が作られるようになったのは、幕末に江戸から“昇り猿”とよばれた張子を作る木の型が伝わってからのことといわれています。

 1869年、農業の傍ら、ひな人形や武者人形を作っていた生水多十郎は、男児の誕生を祝い虎の張子を作りました。この虎が地域で評判となり、男児の節句の飾り物として使われるようになったのが、いわゆる“倉敷はりこ”の起源とされています。

 以来、生水家では一子相伝で張子の生産を続け、1981年には岡山県の伝統的工芸品に指定されました。切手に取り上げられた“辰”は四代目の幹一による“はりこ十二支”のひとつです。

 さて、以前にも少し書きましたが、現在、角川書店の新書、角川 one テーマ21の1冊として『年賀状の戦後史』(仮題)を11月10日付で刊行すべく、最後の追い込み作業に入っています。以前、<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として上梓した『年賀切手』は切手収集家向けの本でしたが、今回は一般向けの新書ですので、社会的背景の記述なども大幅に増やしており、かなり読みやすくなったのではないかと思っております。

 最終的な値段などが確定しましたら、また、このブログでもご案内いたします。また、11月5日(土)16:00からは、東京・池袋で開催の全国切手展<JAPEX>内の特設スペースにて、刊行記念のトークトークイベントを行います。こちらにつきましても、詳細が固まり次第、このブログでもご案内いたしますので、あわせて、よろしくお願いいたします。


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 切手が語る宇宙開発史(16)
2011-10-17 Mon 15:50
 御報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2011年11月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルナ1号

 これは、1959年4月、ソ連が発行したルナ1号打ち上げの記念切手です。

 1958年の時点で人工衛星の地球周回軌道投入に成功していた米ソ両国にとって、次なる課題となったのが無人の月探査でした。

 1958年9月以降、アメリカはパイオニア月探査機の打ち上げを繰り返していましたが、成果を上げることができませんでした。一方、ソ連もルナ探査機を3回にわたって打ち上げたものの、1958年中はすべて失敗に終わっています。

 しかし、1959年1月1日、ソ連首相のフルシチョフが新年の辞で社会主義の優位をうたいあげ、その翌日の2日、バイコヌール宇宙基地から探査機を載せて打ち上げられたボストーク・ロケットは、ついに月へと向かう軌道に探査機を投入することに成功しました。これがルナ1号です。

 ルナ1号の目的は月面への着陸ないしは衝突でしたが、結果的に、同機は1月4日に月から5995キロの地点を通過し、初期の目的を達成できずに終わっています。

 もちろん、米国はU-2偵察機により、ルナ1号の打ち上げを察知しており、ソ連の“失敗”も把握していましたが、世界の世論は、米国のパイオニア1号が達成していた高度記録をソ連があっさりと破ったことに加え、衛星からナトリウムを放出して“人工彗星”をつくる実験に成功したこと、さらに、第2宇宙速度達成を達成したことに目を奪われ、スプートニク・ショック以来のソ連優位のイメージはますます強固になりました。ソ連科学アカデミーのブラゴヌラボフが「月ロケットのスピードは非常に大きく月の重力圏に入るには早すぎた。ロケットは月の衛星にはならず月を飛びこして太陽系内の宇宙を飛び続けるだろう」と“弁明”ことも、かえって、宇宙開発競争におけるソ連の優位を世界に印象づけ、多くの人々に月一番乗りもソ連が達成するのではないかと思わせる効果をもたらしたといってよいでしょう。

 はたして、ソ連は早速、ルナ1号の打ち上げを1月27日からの党大会を記念してのものと主張。これに先立つ1月4日から、副首相のミコヤンはルナ1号の成功を手土産に意気揚々と訪米しました。

 前回の本連載でご紹介した“ソヴィエト人民による宇宙征服”の切手は、こうした文脈の下で党大会に合わせて発行されたもので、切手はスプートニク1-3号の人工衛星とルナ1号を打ち上げたロケットを描くと説明されています。しかし、切手の製作準備が進められていた1958年中、ソ連がルナ探査機の打ち上げにことごとく失敗していたことを考えると、ルナ1号そのものが描かれていないことと併せて、これは後付けの説明のように思われます。

 ちなみに、ルナ1号打ち上げ成功をストレートに記念して、今回ご紹介の切手が発行されたのは、打ち上げから3ヶ月以上がたった4月13日のことでした。おそらく、それまでの経緯からして、打ち上げの成功を確認してからでないと、切手の制作作業に取り掛かれなかったためでしょう。ちなみに、今回ご紹介の切手は、あえて月を飛び越したロケットを描いており、ブラゴヌラボフ発言と同様のプロパガンダ効果を狙った内容となっている点も見逃せません。


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 オキュパイ・トウキョウ
2011-10-16 Sun 21:23
 ニューヨークで始まった格差是正などを訴える“反ウォール街デモ”に呼応するとして、きのう(15日)、世界各地で一斉にデモが行われ、東京でも“オキュパイ・トウキョウ”の呼び掛けに応じた数百人が日比谷公園周辺などを練り歩いたそうです。というわけで、東京とオキュパイを組み合わせたこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        OCCUPATION 記念印

 これは、第二次大戦終結直後の1945年8月30日、占領軍の一員として日本に進駐した米輸送艦グライムスで用いられた記念印が押された葉書で、TOKYO-JAPANの表示の下に富士山のイラストが描かれているほか、かすれていて見づらいのですが“OCCUPATION”の文字も入っています。葉書と切手は日本のものを接収して使っていますが、検閲印の類は押されておらず、実際に郵便として差し出されたというよりは、単なる記念押印ではないかと思います。

 さて、世界的に広がる気配を見せているとされる“反ウォール街デモ”ですが、その拡大が本当に自然発生的なものなのか、背後に何らかの組織や勢力があるのか、現時点では、よくわからないのですが、どうも不自然な現象に思えてなりません。

 この種の世界的な市民デモの拡大の先例としては、いわゆる“反核”運動を僕は思いだします。

 東西冷戦下において、核戦争の脅威が語られるようになると、さまざまな反核運動が展開されましたが、その多くは、アメリカや西側の核を非難するものの、中ソの核に対しては「自衛のために最小限必要なもの」などと称してほとんど批判をしないという奇妙なものでした。それもそのはずで、そうした反核運動には、東側諸国が国際世論を誘導するために背後で操っていたプロパガンダ工作という側面が少なからずありました。

 日本でも、1970年代後半から80年代にかけて、“反核”という言葉が左派系市民運動の世界でクローズアップされていくことになりますが、その仕掛け役として重要な役割を果たしたのは、いわゆる“よど号”グループのメンバーとその支援者たちであり、その背後には北朝鮮の朝鮮労働党がいました。“ダイ・イン”と称して地面に寝転び“死んだふり”をする奇怪なパフォーマンスが流行ったことをご記憶の読者もあるかもしれませんが、あのパフォーマンスも、実は、ウィーンを工作の拠点としていた“よど号”グループの関係者(彼らは、1970年に北朝鮮入りしてからずっと北朝鮮にいたわけではなく、しばしば、ヨーロッパなどに出張し、日本人拉致などのさまざまな工作活動に従事してきました)が、日本に持ち込んだものといわれています。

 もちろん、現在、わが国を含めて多くの国で貧富の格差が拡大しつつあることは事実ですから、そのことに異議を唱え、事態の改善を求めるデモが起こることじたいは不思議でもなんでもないのですが、そうした動きが、突如、世界各国で同時多発的に発生するとなると、なんらかの仕掛け人がいるのではないかと疑いたくなるのが自然ではないでしょうか。

 また、格差是正を訴えるためのデモというのであれば、本家(?)アメリカではウォールストリートでデモが行われたように、わが国の場合なら、現在の経済状況に直接の責任を負っている大蔵省や日銀の前だとか、雇用政策に責任を負っている厚生労働省の前、さらには、総理官邸や国会議事堂前で、関係者が仕事をしている平日のビジネスアワーに(=関係者に訴えが届くように)行うのが筋だろうと思うのですが、彼らが土曜日に行ったデモのルートは、日比谷公園→東京電力本社前→経済産業省→日比谷公園だったそうです。実際、ニュース映像等を見ると、デモの参加者の中には“脱原発”のプラカードを掲げていた人も少なくなかったようで、ルートの設定とあわせて、これじゃ、格差是正を偽装した反原発派のデモじゃないかと思ってしまいますな。

 そもそも、“脱原発”という用語から連想されるイメージというのは、「現状では原発はやむを得ないが、将来的には新たなエネルギー源を開発して原発依存から脱却しよう」ということのはずなのですが、現在、“脱原発”を標榜する人たちの多くは、原発など即刻やめてしまえというスタンスであるように見受けられます。そうした姿勢であるなら、いさぎよく“反原発”といえば良いものを、“脱原発”といっているのは、限りなく詐称に近いのではないでしょうか。いわゆる反核運動の歴史的経緯を考えれば、彼らを信用するということは、僕にはできません。

 いずれにせよ、格差是正が現在の日本社会が抱える重要な課題であることは間違いありませんが、そこに名を借りた怪しげな連中が跋扈しているのではないかという点は、注意していく必要があるでしょう。

 ちなみに、今回のオキュパイ・トウキョウの主催者(?)には、ブラジル国籍の外国人も含まれていたのだとか。外国人が堂々と日本の首都・東京を「占領せよ!」と煽動し、それが放置されているというのは、どうなんでしょうかねぇ。たとえば、同じ趣旨で、占領を意味する occupy ではなく、“東京を埋め尽くせ”という表現を使うことだってできたはずですが、そうしなかったというのは、なにか底意があったのかなぁ。言論の自由云々ということは別の次元で、まともな主権国家なら、問題視されるような気がします。

 まぁ、占領体制から脱却できていないという点では、現状でも既に“オキュパイ・トウキョウ”ならぬ“オキュパイド・トウキョウ”じゃないかと言われてしまえば、それまでなんですがね。


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 さらばミシシッピー
2011-10-15 Sat 01:23
 柳ジョージさんが今月10日、末期腎不全で亡くなっていたことがわかったとの報道がありました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

        トランスミシシッピ博2ドル

 画像は、1898年6月17日にアメリカで発行された“トランスミシシッピ博覧会”の記念切手のうち、ミシシッピ川に架かる橋を取り上げた2ドル切手です。柳さんの代表作のひとつ、「さらばミシシッピー」にちなんでもってきました。

 昨晩(14日)遅くに帰宅して訃報を知り、大好きなミュージシャンだっただけに、ショックを受けています。細かい理屈は抜きで、きょうは、この画像だけでご勘弁ください。
        

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 ブリュヘルの特別車両
2011-10-14 Fri 16:26
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、10月25日発売の拙著『ハバロフスク』のなかから、こんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブリュヘルの客車     ブリュヘル

 左は、ハバロフスクの赤軍博物館の屋外展示のうち“悲劇の英雄”ブリュヘルの専用鉄道車両で、右は、ブリュヘルを取り上げた1962年のソ連切手です。

 ブリュヘルは、1889年、モスクワ北東のヤロスラヴリ県バルシチンカ村の農奴の家に生まれました。ブリュヘルという姓は、ワーテルローの戦いでナポレオンを破ったプロイセンの将軍、ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘルにちなみ、地主がつけたもので、本人はドイツ系ではありません。

 第一次大戦が始まると、1914年に帝政ロシア軍に召集されて下士官となりましたが、1915年に負傷して予備役に編入。その後、1916年にボリシェヴィキに加わり、ロシア革命に参加しました。

 1918年に赤軍が創設されると参加し、南ウラルのパルチザン兵をひきいて、白軍を攻撃しながら40日間に渡り1500キロを進軍して赤軍本体と合流したことで一躍有名になり、赤旗勲章の最初の受賞者となりました。また、狙撃師団長に就任しシベリアでコルチャーク軍と戦ったほか、極東共和国では人民革命軍総司令官に就任。1924年から1927年にかけては中国の軍事顧問を務め、蒋介石による統一戦争の国民革命(北伐)の立案にかかわったほか、林彪などの多くの軍人を育てています。

 帰国後はウクライナ軍管区司令官、特別赤旗極東軍司令官を歴任し、1930年には赤旗勲章ならびにレーニン勲章を受章。1935年には元帥に列せられました。ハバロフスクを拠点とした極東の軍司令官として、1929年の中国との国境紛争では中国側を撃退しましたが、1938年に朝鮮との国境で起きた張鼓峰事件では大きな打撃を被っています。

 この頃、ソ連国内ではスターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れており、逮捕を恐れた極東内務人民委員部部長ゲンリフ・リュシコフが1938年6月に日本に逃亡。これに加えて、張鼓峰事件での作戦失敗を理由として、軍内における彼の声望を妬んだスターリンは、ブリュヘルをモスクワに召喚し逮捕します。その後、ブリュヘルは拷問による自白を拒否し、正式な裁判も受けられぬまま、1938年11月、獄死しました。なお、名誉回復はスターリン死後の1957年のことです。

 ハバロフスクの赤軍博物館では、車両は展示してあるだけで中には入れませんでしたが、元帥用の特別車両だったことを考えると、内装も相当に豪華だったのではないかと思います。日本だったら、この車両の内部を改装してカフェにしたり、あるいは土産物屋にしたりして有効活用を考えるのでしょうが、ロシアだと、そのあたりの商売っ気はまだまだ薄いということなんでしょうな。

 10月25日発売の拙著『ハバロフスク』では、このほかにも、赤軍博物館の興味深い展示についてもいろいろとご紹介しております。書店などで実物を目にする機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 祝・ブータン国王ご成婚
2011-10-13 Thu 23:13
 ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が、きょう(13日)、一般家庭出身のジェツン・ペマさんと結婚式を挙げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブータン国王即位CD

 これは、2008年に現国王の戴冠式を記念してブータンが発行したCD切手です。

 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王は、ジグミ・シンゲ・ワンチュクと第3王妃との間の長男として、1980年2月21日に生まれました。

 ブータンで基礎的な教育を受けた後、米・英・印に留学。オックスフォード大学のモードリン・カレッジで政治学修士号を取得しています。

 2006年6月、ブータンの皇太子としてタイのバンコクを訪問し、ラーマ9世の在位60周年式典に出席。端正な容姿でタイの女性の人気を集め、“イケメン王子”として世界的にも知られるようになりました。ちなみに、今回ご紹介の切手は、他のCD切手と一緒にタイ語の解説がつけられたフォルダーに収められていました。このフォルダーがブータン郵政によるオフィシャルなモノかどうかはわかりませんが、こうしたものが作られて販売されていることじたい、現在なおタイ国民の間でブータン国王の人気が高いことをうかがわせると言ってよいでしょう。

 当初、先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、2008年にブータン初の総選挙が行われるのに合わせて譲位をする意向を示していましたが、実際には、早目に経験を積ませるためとして、譲位は2006年12月14日に行われ、2008年11月6日に戴冠式が行われています。

 今回の御成婚は、即位5周年という節目の年の出来事でもあるだけに、ブータン国内はお祭りムード一色とのことですが、報道によると、国王の結婚を祝い、夫妻にささげる歌は日本人が作詞・作曲したのだとか。国王ご成婚記念の切手がブータンお得意のCD切手として発行され、その中に件の曲が収められることになったら、隠れたジャポニカ切手としてチェックしておかないといけませんな。
 

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 イラン特殊工作部隊の名前
2011-10-12 Wed 23:53
 アメリカ司法省はきのう(11日)、イラン革命防衛隊の特殊工作部隊の支持を受けて、駐米サウジアラビア大使の暗殺計画に関与したとして、イラン人の男など2人を訴追したと発表しました。で、この特殊工作部隊の名前が、日本の報道ではいろいろと表記が揺れているようなので、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        世界エルサレムの日

 これは、1982年にイランが発行した“世界エルサレムの日”の切手で、エルサレムにおけるイスラムの聖地、岩のドームが描かれています。

 1948年の第一次中東戦争の結果、イスラエルは西エルサレムを領土として確保しましたが、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの三宗教の聖地であるエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸地区はトランスヨルダンが領土として併合し、トランスヨルダンは現在のヨルダン・ハシミテ王国となりました。

 その後、1967年の第3次中東戦争の結果、イスラエルは東エルサレムとヨルダン川西岸地区を占領しましたが、この戦争がイスラエル側の先制奇襲攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども懐疑的で、1967年11月の国連安保理では、占領地域からのイスラエル軍の撤退を要求する決議が採択されました。

 これに対して、エルサレム全域を支配下に置いたイスラエルは、テルアビブからエルサレムへの“遷都”を宣言しましたが、上記のような理由で、国際社会は、イスラエルによる東エルサレムの占領を認めておらず、必然的に、エルサレムを“首都”とするイスラエル側の主張も認めていません。このため、在イスラエルの外国大使館は、従来どおり、テルアビブにおかれるのが慣例となっています。

 今回ご紹介の切手は、こうした背景の下で、イスラム原理主義国家のイランが、イスラエルによるエルサレム占領に抗議する国際世論を喚起するために発行したものですが、“世界エルサレムの日”の英文表記が“THE UNIVERSAL DAY OF GHODS”となっている点にご注目いただきたいと思います。

 ここに出てくる“GHODS”はエルサレムのことですが、エルサレムはアラビア語ではクドゥス(コドゥスと訛ることもあります)と呼ばれています。そのスペルをローナ字表記に直すと“Quds”となるのですが、アラビア文字のqに相当する音は、イランの言語であるペルシャ語では、しばしば、ガ行の音として発音されます。イランで近代郵便制度を導入し、最初の切手を発行した王朝が、日本語表記で、カージャール朝ともガージャール庁とも呼ばれるのは、単語の最初のqの音をどう表記するかという違いによるものです。

 したがって、エルサレムの呼び方は、ペルシャ語でもアラビア語に由来する“Quds”ですが、それを日本語表記にしようとすると、クドゥス、コドゥス、ゴドゥスなどの可能性が出てきます。さらに、“Quds”を英語読みするとクッズとなりますが、そこに上記のコドゥス、ゴドゥスが混じってくると、コッズやゴッズといった表記も出てくることになります。今回の報道での表記がいろいろと揺れていたのは、このためです。

 ちなみに、問題のクドゥス部隊は、もともとはイラン=イラク戦争の最中に編成された特殊部隊として出発し、その後、秘密工作担当となりました。レバノンのシーア派組織、ヒズボラの国際テロ部門を事実上指揮しているとされるほか、アフガニスタンではマスウードのタジク人部隊を支援し(アフガニスタンにおけるイランの影響力拡大を嫌ったサウジやパキスタンが、当初、ターリバーンを支援したのはこのためです)、イラクのクルド民兵やボスニア紛争時のイスラム教徒軍なども支援しており、世界の紛争・テロにおいて重要な役割を果たしているとも言われています。

 当然のことながら、アメリカをはじめ西側世界にとっては厄介な存在ですから、今後も、なにかと問題を起こしてニュースに登場することになると思います。それだけに、この組織の名前を日本語で表記どうするのかということも、どこかできちんと基準を作った方がよいでしょうね。
 

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 五輪募金から半世紀
2011-10-11 Tue 23:46
 1961年10月11日に東京オリンピック募金切手の第1集が発行されてから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        東京五輪募金・やり投げ

 これは、1961年10月11日、東京オリンピック募金切手第1集の1枚として発行された“やり投げ”です。

 1959年、ミュンヘンで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、1964年のオリンピック夏季大会を東京で開催することが正式に決定されました。この決定は、大多数の日本国民にとっては寝耳に水の出来事で、女優の高峰秀子が『朝日新聞』紙上で「十年早い」と返上を訴えるなど、当初、国民の間にはオリンピック開催の実現を疑問視する声も少なくありませんでした。

 5年後の東京オリンピック開催に懐疑的な国民の多くが、その理由として挙げていたのが、資金の問題でした。すなわち、当時の日本の経済力では、オリンピックの開催に必要な経費をまかなうことは相当に難しいのではないか、との懸念が強かったのです。

 はたして、政府はこの大会を成功させるために担当大臣のポストをつくって準備を進め、国立競技場、武道館、駒沢競技場、国立室内競技場などを建設しましたが、その総工費だけで160億円が必要で、施設の整備や運営資金については、民間から資金を調達する必要があるのは明らかでした。

 このため、(財)東京オリンピック資金財団(以下、資金財団)が設立され、資金調達のための各種の活動が本格的に行われることになりました。

 当初、資金財団の計画では、記念切手、記念葉書、電話番号簿(電話帳)広告、タバコ、国鉄(現JR)の広告などが資金調達のための手段として考えられていました。

 このうち、記念切手に関しては、1961年2月27日、資金財団会長の石坂泰三名で郵政大臣・小金義照宛に寄附金つき記念切手と特別葉書の発行申請書が提出されたところから、具体的な話がはじまります。

 当時、郵政省の内部では、大会開催時に発行する記念切手とは別に、事前に、大会の周知・宣伝のための切手を発行することを検討していました。このため、資金財団からの申請を受け、さっそく、3月8日、郵務局の管理課ならびに業務課の関係者が集まり、募金の方法や現行法との関係などの問題点が協議されました。

 その際、オリンピックの寄附金を調達するために独自の切手・葉書を発行するのか、あるいは、年賀葉書の寄附金をオリンピック資金に充てるのか、という点が主な論点となりました。しかし、当時の法律では、年賀葉書の寄附金をオリンピックの資金に充てることは不可能だったため、郵政部内では、いわゆる郵政族議員を動かして、議員立法の臨時特例法を制定することも検討されていたようです。

 一方、オリンピック東京大会組織委員会(以下、組織委員会)の側では、3月16日、寄附金つき切手発行に関する立法措置を講じるよう郵政省に要望する決議を採択し、同20日付、その趣旨の依頼文書を組織委員会会長の津島寿一(元大蔵大臣)名で郵政大臣宛に提出しています。

 これを受けて、3月25日、郵務局長室で関係者の会議が行われ、一応の結論として、①オリンピック寄附金つき葉書は発行しない、②額面5円+5円のオリンピック寄附金つき国民体育大会(国体)記念切手を発行する、③寄附金つきの国体切手は毎年4種各500万枚ずつ3年にわたって発行し、3億円の寄附金を集める、ということが決定されました。

 ところで、資金財団の計画を実行に移すためには、電電公社(現・NTT)、専売公社(現・日本たばこ)、国鉄などに関しても、郵政省における年賀葉書のケースと同様に、法律上の制約がありました。このため、それらを別々に処理しようとすると法律上も煩瑣になるため、一括してオリンピック開催のための資金調達に関する立法措置が講じるのがよいということになりました。そして、その結果、文部省体育局が中心となって「オリンピック東京大会の準備等に必要な特別措置に関する法律(以下、五輪準備特措法)」の法案がまとめられ、5月26日、国会に提出され、6月15日、公布・施行されました。そのうちの切手に関する部分は以下のとおりです。

 第一条
 この法律は、昭和39年に開催されるオリンピック東京大会(以下、「大会」という。)の円滑な準備及び運営並び大会に備えての選手の競技技術の向上(以下、「大会の準備等」という。)に資するため必要な特別措置について定めるものとする。
 第四条 (寄附金つき郵便葉書等の発行の特例)
 お年玉つき郵便葉書及び寄附金つき郵便葉書等の発売並びに寄附金の処理に関する法律(昭和二十四年法律第二二四号)第五条第一項に規定する寄附金つき郵便葉書等は、同条第二項に規定するもののほか、財団法人東京オリンピック資金財団(以下、「資金財団」という。)が調達する大会の準備等に必要な資金(以下、「大会準備資金」という。)に充てることを寄附目的として発行することができる。この場合においては、資金財団を同項の団体と見なして同法の規定を適用する。

 さて、五輪準備特措法案の国会提出を受け、5月30日、郵政省では、寄附金つき切手の発行計画を全面的に見直し、3つの案を中心に部内で協議し、国体切手に寄附金をつける従来の案と、あらたにオリンピックの寄附金を集めることを主目的とした切手を発行する案とが検討され、後者の案が採用されることになりました。また、このときの会議では、あわせて、毎年の発行枚数と寄附金の金額についても討議が行われ、1961年には3種各500万枚を1回、1962年と1963年には3種各300万枚を各2回、1964年には3種各300万枚を1回、それぞれ発行し、総額3億円の寄附金を集めることが基本方針として決定されています。

 切手制作の実務的な作業に関しては、6月7日、郵政省の部内で版式の問題(凹版1色にするプランとグラビアまたはオフセット4色にするプランがありました)などが協議されましたが、このときは結論が出せませんでした。このため、発行日をとりあえず10月15日と設定した上で、印刷局との日程調整を行った結果、印刷局の作業能力としては、凹版一色でバックにグラビアもしくはオフセットの一色模様をかけるのが限界であることがわかりました。さらに、当時の高額紙幣の印刷に用いられていたドライオフセットのシムルタン印刷機(表3色裏2色が同時印刷できる)に関しては、当時の段階では、切手印刷への転用は困難であることが印刷局から報告されました。結局、翌15日に13枚の下図ができあがったところで、版式を凹版1色とすることが正式に決定されています。また、切手中に入れる名称や年号、五輪マークなどもについても、このとき、基本的な方針が決定されました。

 一方、正式な原画の作成に関しては、6月14日、郵政省のスタッフが講道館と日本体育協会(以下、日体協)を訪ねて資料を収集したうえで、翌十五日、組織委員会に競技種目についての見通しを尋ねています。

 このとき、特に問題となったのは、柔道の取り扱いでした。

 最終的に、柔道は東京オリンピックから正式種目に採用されたものの、このことは、1961年6月19日からアテネで開かれたIOC総会で決定されたものでした。これに対して、最初の寄附金つき切手を10月中旬に発行するためには、6月20日までに原画を印刷局へ渡さねばなりません。このため、正式種目としての採否が不透明な柔道については、とりあえず、1961年10月発行の寄附金つき切手には取り上げないこととなり、やり投げ(木村勝の作品)、ランナー(久野実の作品)、水泳(渡辺三郎の作品)、レスリング(長谷部日出男の作品)、女子飛び込み(大塚均の作品)の5点の中から、最終的に、やり投げ、レスリング、飛び込みの3点が採用されました。

 一方、切手周囲の文字部分については、全体の統一感を出すため、渡辺三郎が文字だけの原画を作り、これを写真に撮ったものを統一のフォーマットとして原画に貼り付ける手法が採られることになります。

 こうして世に出た東京オリンピックの寄附金つき切手については、一部に、国民全体が協力すべきオリンピックに対して切手収集家にのみ過重な負担を強いるものだとか、額面5円に対して寄附金の5円は高すぎるなどと批判する収集家もいないわけではありませんでしたが、全体としては、オリンピックそのものに対する国民の関心が高まってきたことや、1961年1月発行の花切手を機に切手ブームが再燃の兆しを見せつつあったこともあって、好調な売れ行きを示しました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む東京オリンピック募金切手については、拙著『切手百撰 昭和戦後』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 間にあわなかった切手
2011-10-10 Mon 21:59
 1911年10月10日の辛亥革命からきょうでちょうど100年です。というわけで、ちょっと地味ですが、この切手を持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

        清朝・不発行欠資

 これは、辛亥革命によって清朝が崩壊したために不発行に終わった不足料切手です。

 近代郵便が料金の前納制を原則としている以上、料金の未納・不足というのは一定の割合で必ず発生します。そうした場合、郵便サービスを提供する側としては、不足分+ペナルティを受取人から徴収しようとするわけですが、そうしたペナルティ込みの料金を徴収するための切手、すなわち不足料切手を発行している国というのは少なからずあります。(日本では発行されたことがありません)

 中国大陸でも、20世紀初頭、郵便物の増加に伴い、料金不足・未納の郵便物も増加したため、清朝は欧米諸国に倣った不足料切手の発行を計画しました。なお、その背景には、当時の清朝国家郵政が自立した独立国の郵政機関とはみなされておらず、UPUに加盟できていなかったため、諸外国と同様の制度を降り入れることで、早く“一人前”と認めてもらおうという意識があったともいわれています。

 不足料切手の発行を決定した清朝は、さっそく、ロンドンのウォータールー・アンド・サン社に切手の製造を発注しましたが、現物が届くまで暫定的な措置として、1904年4月1日、取りあえず、当時の普通切手である蟠龍切手に“POSTAGE DUE/ 欠資”と加刷したモノを発行し、ロンドンから現物が届くと、同年11月10日、今回ご紹介の切手と同図案で青色の不足料切手を発行しました。

 その後、青色の不足料切手の在庫がわずかになると、1910年、清朝は再びウォータールー・アンド・サン社に切手の製造を発注します。ただし、2回目に発注した切手は青色ではなく茶色で、1分と2分の切手が先に到着したので、とりあえず、この2種のみを1911年2月22日に発行しました。

 ところが、残りの半分、4分、5分、2角(20分)の切手は到着が遅れ、中国大陸に届いたときには、すでに辛亥革命で清朝が倒れていました。このため、遅れてきた茶色の不足料切手は、1912年3月以降、“中華民国”の文字を加刷したうえで発行・使用されました。

 さて、昨日、新刊の拙著『ハバロフスク』のご案内をしたばかりなのですが、実は、現在、“年賀状(年賀はがき・切手)”を題材とした新書を制作しております。フツーの新書でしたら、諸般の事情で刊行が予定より1-2ヶ月遅れてもなんとか大目に見てくれるケースが多いのですが、今回は“季節商品”だけに、作業が遅れてタイミングを逃してしまうと、今回ご紹介の切手のように日の目を見ずに終わってしまいかねないので、現在、追い込み作業に必死の毎日です。

 今後、正式なタイトルや定価、ページ数などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いいたします。 

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 ハバロフスク
2011-10-09 Sun 10:47
 以前からこのブログでもご案内しておりました拙著『ハバロフスク』(彩流社・切手紀行シリーズ④:出版元の特設HPはこちらです)が出来上がりました。奥付上の刊行日は11月5日で、発売予定日は10月25日ですが、昨日の夕方、拙宅にも実物が届き、一部の書店・インターネット書店では予約受付販売も開始されましたので、あらためて刊行のご挨拶を申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』

 切手紀行シリーズは、僕自身が実際に各地を旅しながら、切手や絵葉書とその現在の実物を見比べつつ、その国や地域の過去と現在についてまとめた歴史紀行の書籍で、これまでに、タイルーマニアマカオを扱った3冊を上梓しております。

 今回の拙著は、雑誌『キュリオマガジン』の連載「郵便学者の世界漫遊記:極東ロシア・ハバロフスク篇」に加筆・修正してまとめたもので、極東ロシアの大都市で、夏と冬で全く異なるハバロフスクの歴史散歩の面白さを、豊富な図版とともにオールカラーでご紹介しております。

 具体的には、以下のような内容が含まれています。

 ・大河アムール:完全に凍結する冬と陽光の下を滔々と流れる夏の対比
 ・チェーホフ、黒澤明、三波春夫が交錯する博物館街
 ・19世紀を思わせる瀟洒な街並みのムラヴィヨフ=アムールスキー通り
 ・シベリア鉄道ユダヤ自治州へ日帰り旅行
 ・市内随所に残る“シベリア抑留”の痕跡を訪ねた慰霊の行脚

 また、本書では、これまであまり一般書籍では語られることのなかった第二次大戦後の日本人抑留者(捕虜)の通信についての概要をまとめているほか、“付録”として、北朝鮮の“将軍様”こと金正日の実際の生誕の地といわれるヴャツコエ(北朝鮮当局は、金正日が北朝鮮内の白頭山中で生まれたと主張していますが、これは事実と異なることが確認されています)の訪問記についても1章を設けています。

 このように、本書では、ハバロフスクとその歴史をさまざまな角度からご紹介できるよう、精いっぱいに頑張ってみました。書店などで実物をご覧になりましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 また、本書の刊行を記念して、奥付上の刊行日となる11月5日(土)11:00より、東京・池袋で開催の全国切手展<JAPEX>内の特設スペースにてトークイベントを行います。こちらにつきましても、詳細が固まり次第、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

 なお、この日記をご覧の方で、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または取り上げることを検討したいという方がおられましたら、本ブログのメール送信機能(右のずーっと下の方にあります)ご連絡いただけると幸いです。

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 リベリアといえば…
2011-10-08 Sat 17:23
 今年のノーベル平和賞は、西アフリカ・リベリアのエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領、同じくリベリアのレイマ・ゴーウィ氏、イエメンのタワックル・カルマン氏の女性3人に決定しました。というわけで、きょうはリベリア切手のうち、日本人にとって定番のこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        リベリア・三波春夫

 これは、1970年の大阪万博に際してリベリアが発行した記念切手で、万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の歌詞の一部と歌手の三波春夫が取り上げられています。切手は、某切手商(あえて名を秘す)が日本の収集家をターゲットとして販売するために企画したもので、いわゆる“いかがわしい切手”の代表格とも言われていますが、大阪万博やジャポニカ切手の歴史を語る上では避けて通ることのできない1枚です。このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも書いたことがありますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 昭和の国民的歌手として知られる三波春夫(本名:北詰文司)は、1923年、新潟県長岡市塚野山(旧・三島郡越路町)で生まれました。1936年、13歳で上京し、米穀商や製麺所を経て築地市場に住み込みで働きながら、1939年、16歳で日本浪曲学校に入学し、南篠文若の芸名で少年浪曲師としてデビューします。

 1944年、20歳で陸軍に入隊し渡満。入隊後も部隊をまわって浪曲の口演を行い、“浪曲上等兵”とあだ名されていました。1945年8月9日、ソ連軍の侵攻時には北満のフウキンでソ連軍との戦闘に入り、9月9日、投降。同月11日に武装解除され、10月24日、ハバロフスクの収容所へ抑留されました。

 収容所では強制労働に動員されましたが、このうち極東美術館裏側のコンサートホールは、彼が改修工事にかかわった建物が現在でも残っています。

 こうした作業の傍ら、三波は他の抑留者の求めに応じて浪曲を講演するとともに、芝居を制作、上演していました。抑留者に対する思想教育を重視していたソ連当局は、三波の浪曲や芝居をその手段として活用することとし、上演内容にもことごとく干渉しました。

 その後、ナホトカの収容所へ移された三波は、1949年9月20日、26歳の時に4年間の抑留生活を終えて帰還船「明優丸」で舞鶴に帰国しました。当初、シベリア時代に収容所で演じていた“思想浪曲”を演じていたものの、すぐにオーソドックスな浪曲に戻ります。しかし、ほどなくして、戦後復興の時流の中で歌手への転身を決意。1957年、芸名を三波春夫と改めて「チャンチキおけさ」「船方さんよ」でデビュー。この曲の大ヒットで歌手としての地位を確立し、以後、昭和を代表する歌手となったことはあらためて言うまでもないでしょう。

 ハバロフスクの抑留所での上演経験を通じて、三波は、浪曲よりも短時間で人の心をとらえる“歌”の力を意識するようになったのだとか。当時、彼は「日本へ帰ったら必ずオーケストラをバックに歌うんだ」と仲間に語っていたそうですが、コンサート・ホールの改修工事に動員された経験もまた、その背景にあったにちがいありません。

 さて、10月下旬に切手紀行シリーズ④として発売予定の拙著『ハバロフスク』では、三波春夫と彼が改修工事にかかわったコンサートホールについてもご紹介しております。すでに、見本はできあがっているとのことで、ひょっとしたらきょう・あすにも拙宅に何冊か届くかもしれません。現物が到着次第、このブログでもご案内しますので、よろしくお願いいたします。 

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 アップルの切手
2011-10-07 Fri 09:59
 米アップル社のスティーブ・ジョブズ会長が、日本時間のきのう(現地時間5日)、亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、きょうは“アップル”の切手です。

        りんご100年

 これは、1975年9月に発行された“りんご100年”の記念切手です。(記事タイトルにつられて、アップル社関連の切手だと思ってアクセスしていただいた方、ごめんなさい)

 旧約聖書にも登場するリンゴは中央アジアのコーカサス地方が原産といわれています。コーカサスから中国へ伝えられたリンキンと呼ばれる果物は、鎌倉時代以前にはわが国にももたらされ、これが和リンゴの元になりました。

 これに対して、西洋リンゴに関しては、幕末の文久年間(1861-63)に越前藩主の松平春嶽が欧米から渡来したリンゴの苗木を越前と江戸の屋敷に植えたのが最初と考えられており、1866年には開成所(洋書調所)に勤めていた田中芳男がその枝を拝領して接木を行ったという記録もあります。

 明治維新後は、北海道開拓使次官の黒田清隆や民部権少丞の細川潤次郎が渡米した際にリンゴの苗木を持ち帰り、東京・芝の増上寺境内や北海道の函館郊外の七重勧業試験場に植えています。また、岩手県では独自のルートでリンゴの苗木を入手し、1871年以降、岩手リンゴの栽培を開始しました。

 その後、士族授産政策の一環として、大蔵省勧業寮はリンゴを含むさまざまな果物の苗木を輸入し、殖産試験場や三田育種場でこれを繁殖させて、1874年11月から全国各府県への本格的な配布を開始します。このうち、寒冷地域には1875年3月に第1回目の苗木の配布が行われ、青森県にもリンゴの苗木3本がもたらされました。

 これと時を同じくして、1874年に弘前市の東奥義塾が英語教師として招いたアメリカ人宣教師のジョン・イングが、翌1875年のクリスマスに際して教え子や信徒にリンゴの実を振舞っています。これが、青森県人がリンゴの実を食した最初で、教え子の1人である佐藤敬三郎がリンゴの実を持ち帰り、自宅の裏庭に植えていますが、これを台木として、穂木を接木したものが、現在の主要な品種の元になりました。

 さて、政府から青森県に配布されたリンゴの苗木は、1877年8月15日、弘前市の山野茂樹園で最初の実が採取され、以後、県内での栽培が急速に普及します。特に、1891年に東北線が開通すると、青森県産のリンゴは東京、横浜方面に出荷されるようになり、その後の同県のリンゴ産業発展の基礎が築かれました。

 以上のような経緯から、青森県では1974-75年の2年間にわたり、“りんご100年”を記念する各種行事を開催しました。このうち、メインの記念式典は1974年9月3日に行われましたが、1975年9月17日には、弘前市内にりんご資料館が開館するとともに、県庁構内のリンゴ園に建立されたりんご100年の記念碑の除幕式が行われています。

 この機会をとらえて、青森県では、県の特産品であるリンゴを宣伝するための手段として記念切手の発行を郵政省に要請することとし、1974年7月2日、翌1975年に「りんご100年」の記念切手発行を郵政省と農林省に申請しました。

 当初、郵政省は「一県の記念行事のために切手の発行はできない」として記念切手の発行に難色を示していたと伝えられていますが、最終的には、農林省からの強い働きかけもあって、昭和50年度の記念切手発行計画が審議された1975年2月の郵政審議会では、1975年の記念行事が行われる9月17日にあわせて記念切手が発行されることが決定されました。

 さて、発行された切手は、リンゴとリンゴの木を描くストレートなデザインで、一度見たら忘れられないインパクトのある1枚だと思います。拙著『切手百撰 昭和戦後』にも取り上げてみましたので、機会がありましたら、ぜひ、同書をお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 日豪戦争⑮
2011-10-06 Thu 14:58
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第442号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回は終戦直後のオーストラリア軍のボルネオ島進駐の話を書きましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        サラワク・豪野戦局カバー

 これは、終戦直後の1945年9月、サラワクに進駐したオーストラリア軍の野戦局から差し出されたカバーです。

 さて、1945年9月2日の降伏文書調印に続き、連合国軍最高司令官(ダグラス・マッカーサー)の名前で「一般命令第一号」が発せられると、オーストラリア軍は、ボルネオ、チモール、セラム、ブル、アムボン、ケイ、アル、タニムバル、アラフラ海諸島、英領ニューギニア、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビル、ソロモン群島、オーシャン、ナウル及ビスマルク諸島での日本軍の武装解除を担当することになりました。

 このうちのボルネオ島は、第二次大戦以前、北部のおよそ3分の1がイギリスの支配下に置かれ、南部の3分の2がオランダの支配下に置かれていました。英領地域のうち、現マレーシア・サラワク州の地域は、1839年にこの地を訪れた英国人探検家、ジェイムズ・ブルックが英国海峡植民地の後ろ盾を得て征服し、彼とその一族が“白人王”として君臨するサラワク王国が統治していました。

 1941年12月に日英戦争が勃発すると、日本軍は12月16日にサラワクに上陸し、月末までに英領全域の占領を完了。これに、戦前は英領マライの海峡植民地に属していたブルネイ湾入口のラブアン島(日本の占領下では、ボルネオ守備軍司令官だった前田利為・陸軍中将にちなんで“前田島”と呼ばれていた)を加えた4地域を一括し、“北ボルネオ”として陸軍が占領行政を行いました。この結果、戦前にはサラワク、ノースボルネオ、ブルネイ、ラブアンの地域でそれぞれ別個の切手が使われていましたが、日本軍占領下では接収された戦前の切手に“大日本帝国政府”などの文字を加刷した切手が戦前の行政区分の垣根を越えてランダムに使われるようになり、たとえば、占領下のサラワクから差し出された郵便物に、ノースボルネオに加刷した切手と加刷のないブルネイ切手が同時に貼られているということもありました。

 なお、日本軍の占領を前に、サラワク王のヴァイナー・ブルックはオーストラリアに亡命。戦後はサラワクが英国の直轄植民地となったため、王位を回復することはありませんでした。

 今回ご紹介のカバーは、1945年9月、サラワクに進駐したオーストラリア軍の野戦郵便局(消印に地名の表示はないが、038の番号により、在サラワクの局とわかる)から北アイルランド宛に差し出された郵便物です。038野戦局のカバーのうち、オーストラリアのコアラ4ペンス切手が貼られた使用例は現在までのところ、この1点しか確認されていないということなのですが、ちょっとマニアック過ぎて、そのことがマテリアルの市場価格を高めるということにはならなさそうですな。

 なお、今回の記事では、このカバーのほか、オーストラリア軍が進駐したラブアンやクチン(サラワク)、蘭印ボルネオのバリックパパンのカバーなどもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ルドルフ1世
2011-10-05 Wed 16:58
 史上初めて無敗でクラシック3冠を制するなどG1で7勝を挙げ、“皇帝”の愛称でファンに親しまれたシンボリルドルフが、きのう(3日)、余生を送っていた千葉県成田市のシンボリ牧場で30歳の高齢で死亡しました。で、馬名“シンボリ”は馬主の冠名、“ルドルフ”は神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられたということなので、きょうはルドルフ1世の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        北朝鮮・ルドルフ1世

 これは、1984年に北朝鮮が発行した「西洋名画」の切手のうち、ルドルフ1世を取り上げた1枚です。

 ルドルフ1世は、1218年、当時はスイスを基盤としていたハプスブルク伯爵家に生まれました。当時のハプスブルク家はドイツでは有力な存在ではなく、なおかつ、ルドルフの母がホーエンシュタウフェン家傍系の出身であったことから、強力な皇帝の出現を嫌うドイツ諸侯の思惑により、1273年、事実上の神聖ローマ帝国君主である“ドイツ王”に選出されました。「神輿は軽くてバカがいい」というわけですな。

 ところが、ルドルフ1世として即位した彼はドイツ諸侯の目論見とは違って“バカ”ではなく、政略結婚を通じて皇帝権力の強化と地盤固めに専念。帝国内で最も有力だった選帝侯のボヘミア王オタカル2世マルヒフェルトの戦いで破り、オーストリアその他の所領を奪取し、皇帝権力の強化とハプスブルク家発展の基礎を確立することに成功しました。なるほど、その名にあやかったシンボリルドルフも、自らが活躍しただけでなく、引退後はトーカイテイオーなどの名馬を生んで、シンボリ牧場を一層発展させましたから、その名にふさわしい名馬に違いありません。

 ところで、1984年に北朝鮮が発行した「西洋名画」の切手は、ことごとく、ヨーロッパの国王や皇帝を題材としており、発行当時は、社会主義国である北朝鮮も外貨稼ぎのためには国王や皇帝の切手を発行するのか、と眉をひそめる人も少なくなかったようです。

 もちろん、北朝鮮の切手には、海外の収集家に売りつけて外貨を獲得したいという意図があるのは事実ですが、それでも、北朝鮮国家の名において発行する切手の題材を選択するにあたっては、彼らなりの基準が存在しており、いわゆる“いかがわしい切手”の定番であるディズニーやハリウッド・スターなどは一切登場しません。

 代わりに、1980年代前半の北朝鮮が好んで取り上げた題材がイギリスのダイアナ妃(当時は“元”ではありませんでした)であり、西洋の王室を取り上げた名画でした。そこには、金日成から金正日への権力の世襲が着々と進められていく過程で、王朝、すなわち権力の世襲は悪ではないという彼らのロジックが色濃く反映されていたと見るのが自然でしょう。

 金正日の後継者として息子の金正恩が表に出てきてから1年以上が過ぎましたが、2代目から3代目への権力の世襲は、かの国の切手にどのように影響を及ぼしているのか、いつか拙著『北朝鮮事典』の審判を出すことがあったら、きちんと分析してみたいところです。


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 ソマリア政府庁舎前で自爆テロ
2011-10-04 Tue 23:57
 ソマリアの首都モガディシオ中心部にある政府庁舎前で、きょう(4日)、イスラム過激組織アッシャバーブによる自爆テロでトラックが爆発。約70人が死亡、50人前後が負傷しました。負傷された方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ソマリア総督府

 これは、イタリア植民地時代のソマリアで1932年に発行された35サンチームの普通切手で、モガディシオの総督府の建物が描かれています。

 インド洋に面したソマリアの中心都市・モガディシュは、1871年にザンジバルのスルターンに征服されますが、1890年にザンジバルがイギリスの保護領となると、1892年にイタリアの租借地となり、イタリア語風にモガディシオと改称されました。その後、イタリアは1905年にモガディシオを買収。1908年に現在のソマリアの南部に相当するイタリア領ソマリランドを植民地化し(北部は英領ソマリランドとなりました)、モガディシオをその首都としました。今回ご紹介の切手に取り上げられている総督府の建物は、これに伴い建設されたものです。

 1960年にソマリアが独立すると、旧総督府の建物はそのまま新生ソマリア政府の庁舎となりましたが、1991年以降の内戦下では、政府庁舎の主もモハメド・シアド・バーレ(社会主義国家ソマリア民主共和国の独裁者)→モハメッド・ファッラ・アイディード(反政府勢力の統一ソマリア会議・議長)→イスラム法廷会議(いわゆるイスラム原理主義勢力)→ソマリア暫定政権(法廷会議以外の諸派連合)と目まぐるしく変転しています。

 おそらく、建物自体も長期にわたる内戦で大きく損傷しているものと思われますが、今回の自爆テロでもさらなるダメージを受けているのかもしれません。

 事実上の無政府状態に陥っているソマリアでは、現在、ソマリア正統政府としての正規の切手発行もストップしている状況です。正規のソマリア切手が復活し、そこに再び政府庁舎が取り上げられる日が来るのはいつのことになるのか、現状では全く見当もつきませんな。


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 立山連峰で初冠雪
2011-10-03 Mon 23:53
 富山県の北アルプス・立山連峰で、きょう(3日)、初冠雪が観測されました。富山地方気象台によると、立山の初冠雪は平年より5日早く、昨年よりも24日早いそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        立山航空80円(銭位)

 これは、1952年2月11日に発行された立山航空(銭位)のうちの80円切手です。

 第二次大戦後の占領下で日本の航空郵便は中断されていましたが、1947年8月27日、ノースウェストとパンナムによる外国宛の航空郵便が再開されました。その後、国内宛の航空郵便に関しては、1950年6月に民間航空活動の停止措置が解禁されたのに伴い、1951年10月11日にノースウエスト航空との委託運航契約が結ばれ(占領当局は日本側が航空機運航の実務を担当することを許しませんでした)、10月24日からサービスが開始されています。

 その後、昭和26年12月1日に航空郵便の料金が改定されたことに伴い、新料金(郵便の基本料金+航空便の料金)に対応すべく、立山連峰を背景に飛ぶダグラスDC-4型機を描く切手が発行されました。

 切手に描かれているDC-4型機は、第二次世界大戦中の1942年2月14日に完成・初飛行し、当初は米軍の輸送機(C-54スカイマスターもしくはR5D)として、1946年までに1134機が製作されています。戦後、そのうちの約500機が民間に払い下げられたほか、1947年8月9日に生産が終了するまでの間に74機が民間向けに製作されました。

 わが国では、第二次大戦後の民間航空再開にあわせて、日本航空がマーチン2-0-2型機5機とともに、DC-4型機1機をチャーターし使用しています。ちなみに、このときチャーターされたDC-4型機は「てんおう星」号と名づけられ、1951年11月2日から東京=札幌(千歳空港)線に就航しました。切手に取り上げられたのも、この「てんおう星」号だと思われます。

 なお、この切手のデザインは、実際の飛行場面の写真をもとに作られたのではなく、背景の立山連峰とDC-4型機を合成したもので、実際に飛行機が立山連峰に対してこの方向を向いて飛ぶことはないそうです。

 立山航空(銭位)は刷色違いの6額面があり、カタログ評価としては、最低額面の55円が最も高いのですが、僕の個人的な好みでいえば、茜色の空を飛ぶイメージの80円が好きですな。

 というわけで、拙著『切手百撰 昭和戦後』では、55円ではなく80円をピックアップしました。機会がありましたら、ぜひ、同書をお手にとってご覧いただけると幸いです。


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    5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載
  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
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        切手百撰・昭和戦後
         切手百撰 昭和戦後
       平凡社(本体2000円+税)    

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 1週間で2度の台風上陸
2011-10-02 Sun 23:15
 先月27日(先週火曜日)に台風17号に襲われ、少なくとも52人が死亡する被害を出していたフィリピンで、きのう(1日)、台風19号が1日、ルソン島イサベラ州ディナピクに上陸。台風2件での被災者数は約300万人にも達したそうです。被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。というわけで、フィリピンと台風といえば、やはり、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        フィリピン水害加刷カバー

 フィリピンが日本占領下にあった1943年12月に発行された“水害救済慈善”の加刷切手です。

 1943年11月、ルソン島を襲った台風は大きな被害をもたらしたため、日本の占領当局は同年12月8日の開戦2周年にあわせて、普通切手に“洪水”を意味する“BAHA”の文字と1943の年号、それに付加金の金額を加刷した3種の事前切手を発行しました。加刷に使われた台切手は日本の内閣印刷局製造ですが、加刷はマニラで行われています。

 なお、寄付金付き切手の常として、この切手も売れ行きがイマイチだったため、12月22日にこの切手の記念印を作り、2度目の売り出しを行いました。今回ご紹介のカバーはその際に作られたもので、いわゆる“初日カバー”ではありません。
 
 そういえば、今年6月に発行された東日本大震災寄附金付切手って、売れ行きの方はどうなんでしょうか?先日、わが家に書留を届けに来た郵便配達員氏は「よかったら1シート買ってくれませんか」と営業をかけてきましたので、あまり芳しくないんでしょう。フィリピンの先例を応用して、毎月11日にカッコいいデザインの記念印を作り、寄附金付切手に限って押印するというようなことをやるくらいのことをしないと、なかなか、完売は難しいかもしれませんな。


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  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
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