内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ベルギーでゼネスト
2012-01-31 Tue 22:56
 昨日(30日)、ベルギーで、政府による緊縮財政案に反対するゼネストが行われました。ベルギーでのゼネストは、1993年以来、およそ20年ぶりのことだそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        英国スト郵便(ベルギー宛)

 これは、1971年2月に差し出されたベルギー宛の英国スト郵便のカバーです。

 1971年1月20日から3月7日まで、郵便職員の大規模なストライキが行われました。ストの理由は、労働側が物価高騰に対応して15-20%の賃上げを要求したのに対して、政府側がこれを下回る回答しかしなかったというものです。スト期間中、政府は郵便の官営独占を停止したため、英国内で数百にも及ぶ民間の“郵便”業者が現れ、中には、独自の私製切手を発行してサービスを行うケースもありました。

 こうした私製切手の大半は、実際にプライベート郵便の料金を支払うためというより、収集家を意識して制作されたもので、単片やカバーが作られて販売されました。今回ご紹介のものもその一例で、“切手”を作った業者による消印が押された後、ベルギー国内に持ち込まれ、そこから先はベルギー切手を貼って郵送されています。

 ちなみに、今回のゼネストは24時間の時限ストですし、現在では郵便以外の通信手段も発達していますから、1971年の英国の場合のように、私製切手が登場する余地はないでしょうな。

 なお、ベルギーとその切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手に描かれたソウル:青磁飛龍形注子
2012-01-30 Mon 23:31
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』1月27日号が刊行されました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、遅ればせながら、2012年最初の記事ということで、ソウルの国立中央博物館に展示されている青磁飛龍形注子の切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        青磁飛龍形注子

 これは、1962年12月31日に発行された青磁飛龍形注子を描く5ウォン切手です。

 切手に取り上げられた注子(水差し)は、高麗王朝時代の西暦12世紀、王都の開城(現在は北朝鮮領内にある)で作られたもので、人物や動植物を象った象形青磁の傑作として、韓国の国宝第61号に指定されています。国宝としての登録名は飛龍となっていますが、正確には、魚龍(頭が龍で体が魚という想像上の動物)が跳ね上がる姿を表現したものと考えられています。

 魚龍については、黄海に棲む鯱がもとになっているという説もありますが、注子を見る限り、水族館で芸をしている実在の動物というより、名古屋城の屋根に乗っている金鯱の鯱のイメージに近いようです。ちなみに、金鯱の鯱は、魚の胴に虎の頭を持ち、背には棘が生え、尾は常に空を向いているという想像上の動物ですが、龍の頭は、ラクダの頭をベースに鹿の角と幽鬼の眼を組み合わせたものとされているので、正確に作ろうとすれば、金鯱の鯱とは顔つきも異なってくることになります。

 ところで、今回ご紹介の5ウォン切手は、1962年6月に行われた通貨改革に対応して発行されました。

 日本統治時代の朝鮮では、日本銀行券と等価の朝鮮銀行券が流通していました。両者の通貨単位は、漢字で書けばいずれも円(圓)ですが、その読み方は日本語ではエン、韓国語ではウォンとなります。

 1945の解放と南北分割占領に伴い、日本時代の朝鮮銀行は解体されて米ソそれぞれの軍政府に接収されました。このうち、米軍政下の南朝鮮の朝鮮銀行は、1950年6月に現在の韓国銀行が発足するまで、南朝鮮ウォンないしは韓国ウォン(旧ウォン)を発行しています。

 解放後の南朝鮮ならびに韓国では猛烈なインフレが進行していましたが、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、インフレはさらに昂進。この結果、1945年10月に1米ドル=15ウォンでスタートした旧ウォンは、1951年4月には1米ドル=6000ウォンにまで下落。その後も、戦時インフレは一向に収まらず、朝鮮戦争末期の1953年2月15日、100ウォンを1ファンとし、1米ドル=60ファンとするデノミが断行されました。

 その後、1953年7月に朝鮮戦争が休戦となり、米国の経済支援を受けて韓国経済の復興もそれなりに進むとファンの対ドル為替相場も安定しましたが、1960年4月に学生革命で李承晩政権が倒れ、新たに発足した第2共和国の尹潽善・張勉体制の下で政治的・社会的混乱が深刻化すると、インフレの進行に伴いファンの通貨価値も一挙に下落。19611年元日には1米ドル=1000ファン、さらに2月には1米ドル=1250ファンにまで暴落しました。

 こうした中で、第2共和国の混乱を収拾すべく、1961年5月16日のクーデターで政権を掌握した朴正熙は、翌1962年以降、第一次五カ年計画を実行に移すなど、経済再建に本格的に乗り出し、その一環として、1962年6月9日、10ファンを1ウォンとする通貨改革を断行しました。この時導入された新ウォンが、現在の韓国ウォンで、当初の為替レートは1米ドル=125ウォンの固定相場でした。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、1962年の通貨改革に伴い発行された普通切手は、その後、用紙が変更されたり、ローマ字での国名表示が入ったりするなどのマイナー・チェンジはありましたが、その基本的なデザインは、1969年にグラビア印刷の普通切手が登場するまで継承され、“漢江の奇跡”と呼ばれた高度経済成長が軌道に乗るまでの朴正熙時代前半の郵便物に日常的に使われることになります。


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 中国製のAU本部ビル完成
2012-01-29 Sun 17:52
 エチオピアの首都アディスアベバで、きのう(28日)、中国丸抱えで建設されたアフリカ連合(AU)の本部ビルが完成しました。中国がはビルの建設費2億ドルを全て負担したほか、内装を含めたすべての工事を請け負い、備品も全て中国製品だとか。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        鄭和600年(マカオ)

 これは、2005年、中国マカオで発行された鄭和の西洋航海600年の記念切手です。

 鄭和は1371年、雲南でムスリムの家に生まれました。宦官として燕王だった朱棣に献上されましたが、朱棣が1399-1402年の靖難の変で帝位を奪って永楽帝として即位すると、その際の功績を評価され、永楽帝より鄭の姓を下賜され、宦官の最高職である太監となりました。

 1405年7月、永楽帝の命を受けた鄭和は62隻・2万7800名の大船団を率いて蘇州を出発。以後、チャンパ、スマトラ、パレンバン、マラッカ、セイロンを経て、1407年初にカリカットへ到達。明と東南アジアとの交易の端緒を開いています。その後も、計7回の大航海を行い、その船団はカリカットを超えて、ペルシャ湾のホルムズやアラビア半島のアデン、アフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達。7回目の航海から帰国後の1433年7月に亡くなりました。

 海の英雄としての鄭和は、近年、急速に海上進出を進めている中国のプロパガンダに盛んに利用されていますが、それと同時に、彼は中国によるアフリカ進出の先駆者としても位置づけられていることを見逃してはなりません。

 1990年代後半以降、中国は、かつての帝国主義列強と同様、資源と市場を求めてアフリカ諸国への進出を急加速させています。特に、地下資源の利権を確保するため、人権侵害などを理由に西側諸国から経済制裁を受けている独裁国家に対して、中国が“内政不干渉”を掲げて莫大な経済援助を行い、国際的な批判を浴びているのは周知のとおりです。

 たとえば、スーダン北西部のダルフールで、スーダン政府ならびにアラブ系民兵組織のジャンジャウィードが非アラブ系に対する大規模な“民族浄化”を行ってきた問題で、中国はスーダン政府とジャンジャウィードを積極的に支援し(彼らの兵器のほとんどは中国製です)、スーダン産の石油を独占的に確保するとともに、多数の労働者を派遣しています。

 国際的に孤立する独裁国家にとっては、同じく、共産党の一党独裁体制にある中国が、国連安保理の常任理事国という立場で後ろ盾となってくれるのは非常に心強いことであり、両者の関係はますます緊密化していくことになります。2006年11月に北京で開かれた“中国・アフリカ協力フォーラム”は、そうした中国の対アフリカ政策の成果を示す“祝典”であり、今回完成したAU本部ビルは、中国のアフリカ諸国に対する影響力を示すモニュメントといってよいでしょう。

 今回ご紹介の切手は、3種連刷の中央に、鄭和がアフリカから連れて帰ったキリンが大きく取り上げられています。彼が訪れた各地の風俗をバラスよく取り上げるのではなく、アフリカを強調して取り上げているのは、それだけ、北京の意を汲んだマカオの中国当局にとっては、対アフリカ関係が重要であったからだと考えてよいでしょう。彼らの歴史認識では、中国とアフリカとの歴史的な関係は、スペイン・ポルトガルによる大航海時代以前、すなわち、西欧列強によるアフリカ進出以前にまで遡れるものであり、それゆえ、中国のアフリカ進出には文句を言うなということなのかもしれません。

 なお、鄭和はマカオに寄港したことはないのですが、マカオの海事博物館には鄭和に関する大規模な展示コーナーが設置されています。このあたりの事情については、拙著『マカオ紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 伊東大貴がW杯初優勝
2012-01-28 Sat 22:05
 スキージャンプのワールドカップ(W杯)札幌大会個人第16戦が、きょう(28日)、札幌市の大倉山ジャンプ競技場で行われ、伊東大貴がW杯初優勝を飾りました。日本人のW杯優勝は2009年3月、フィンランド・クオピオでの岡部孝信以来だそうです。というわけで、きょうはスキージャンプの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        札幌五輪募金(ジャンプ)

 1971年2月6日に発行された札幌オリンピックの寄附金つき切手のうち、スキージャンプを描く1枚です。

 1966年4月、ローマで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会で、1972年のオリンピック冬季大会を北海道・札幌で開催することが決定されました。

 これを受けて、翌1967年7月、「札幌オリンピック冬季大会の準備等のために必要な特別措置に関する法律」(札幌五輪特措法)が公布され、政府として札幌五輪に向けた準備が始まります。その一環として、1964年の東京オリンピックならびに1970年の大阪万博の先例に倣い 、寄付金つき切手が発行されることになりました。切手の発行日は、オリンピックの1年前にリハーサルを兼ねて開催された札幌国際冬季スポーツ大会(プレ・オリンピック)の開会式が行われる1971年2月6日とされました。

 ところで、1970年は大阪万博の年で、札幌オリンピックの関連イベントは北海道内で細々と行われていただけで、国内の他の地域の話題は万博一色というのが実情でした。

 ところが、年が明けて1971年になり、寄付金つき切手のデザインが発表されると、にわかに、札幌オリンピックに対する国民の関心が高まり始め、プレ・オリンピックの開催で一挙にも札幌オリンピックへの注目が高まることになります。その意味では、切手がオリンピックへの関心を盛り上げるきっかけになったといえるかもしれません。

 個人的な思い出話を書くと、幼稚園の時に、自宅に届いた郵便物にこの切手が貼られていたのを見て「カッコいい」と思い、封筒から切り取ってしまっていたことを今でも覚えています。ピンセットはおろか、ストックブックというものが世の中にあることさえ知らない子供のことゆえ、おそらく、ビニール袋か何かに入れて、素手でいじくりまわした末に、皺くちゃになった切手はどこかへ行ってしまったわけですが、僕自身にとっては、生まれて初めて“切手”というものを意識した1枚として忘れがたいものがあります。

 なお、この切手と同時に発行されたアイスホッケーの切手をあわせた札幌五輪の寄付金つき切手2種については、拙著『切手百撰 昭和戦後』でもカラーでご紹介しておりますので、機会がりましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 インドネシアが原油輸出停止も
2012-01-27 Fri 15:23
 きのう(26日)、インドネシアの副エネルギー相がロイターの取材に対して「インドネシアは基本的に輸出より国内需要を優先する。需要が増大し、生産が減少していることから、原油輸出の停止を検討している」と述べたそうです。というわけで、インドネシアがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャワ宛返戻便(払い戻し)

 これは、1942年2月、イギリスからオランダ領東インド(蘭印、現インドネシア)のスラバヤ宛に差し出されたものの、いわゆる太平洋戦争の開戦により配達不能となったため、“NO SERVICE/RETURN TO SENDER”(業務停止・差出人戻し)との表示が入った紫色の角印を押して、差出人戻しとされたカバーです。それだけなら、よくある返戻便のひとつなのですが、今回ご紹介のものに関しては、差出人戻しとなった後、料金の払い戻しを受け、そのことを示す“POSTAGE REFUNDED”(郵便料金払い戻し済み)の印が切手上に押されているのがミソです。

 さて、現在、インドネシア産原油は主としてオーストラリア、中国、日本、韓国に輸出されており、昨年10月の輸出量は1日あたり約47万7000バレル。ちなみに、わが国の1日当たりの石油の消費量は、ちょっと古い統計ですが、2009年のデータでは、約440万バレルで、原油輸入の3%がインドネシアからとなっています。まぁ、この数字を見る限り、インドネシアからの原油輸入がストップしても、一見、日本への影響は大したことがなさそうにも見えます。しかし、インドネシアが原油輸出を停止すれば、ただでさえ、値上がり傾向が続く原油価格がさらに上昇することは避けれられないわけで、イランからの原油輸入を削減し、その代替分を手当てしなければならない状況の中では、なんとも頭の痛い話です。

 こういうときこそ、とりあえず安全性に細心の注意を払いながら運転停止中の原発の稼働再開を急ぐべきだと思うのですが、昨日のダボス会議には野田首相の代理として前首相の菅直人が出席して“反原発”の与太話を飛ばし、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)に「日本の前首相、反核活動家に転身」と揶揄される始末です。「バカは死ななきゃ治らない」という以外の言葉が見つかりませんな。


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 スーチーさんにブットー賞
2012-01-26 Thu 22:58
 ビルマ(ミャンマー)を訪問していたパキスタンのザルダリ大統領が、きのう(25日)、ラングーン(ヤンゴン)で民主化運動指導者のアウンサン・スーチーさんに、2007年に暗殺されたベーナズィール・ブットー元パキスタン首相(大統領の妻)を記念して創設した“ブット賞”を贈ったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブットー父娘

 これは、2008年4月4日にパキスタンで発行された“ズルフィカール・ブットー殉職29周年”の記念切手で、支援者を背景に、左側に切手の主題となった元首相のズルーフィカール・ブットーが、右側に、ズルーフィカールの娘で元首相のベーナズィールが取り上げられています。

 ズルフィカール・アリー・ブットーは、1928年、ラールカーナー(現在シンド州)近郊の生まれで、米国留学を経て、若くしてエネルギー相、外相を歴任して頭角を現し、1967年にパキスタン人民党(PPP)を結成。1971年の第3次印パ戦争(バングラデシュの独立をめぐって戦われた戦争)での敗北の責任を取ってヤヒヤー・カーン政権が退陣した後、大統領に就任しました。1973年には自ら起草を支持した新憲法の公布に伴い、首相に就任。国有化政策と経済開発を進めたものの、1977年、ムハンマド・ズィヤー・ウル・ハック将軍(後に大統領)のクーデターにより逮捕され、1979年に処刑されました。

 オクスフォードで修士号を得て帰国したベーナズィールは、ズィヤー・ウル・ハック政権下で自宅軟禁の状態におかれていましたが、1984年に英国に亡命し、彼の地で、父親の創設したパキスタン人民党の党首に就任します。

 アフガニスタンの反ソ闘争を支援したことでアメリカから巨額の援助を獲得したものの、その強権的な政治手法ゆえに国民の不満も高まっていたズィヤー・ウル・ハックは、1988年8月に飛行機事故で死亡。同年11月、十数年ぶりに行われた公開選挙では、無実の罪でズィヤー・ウル・ハック処刑されたズルフィカールの娘、ベーナズィールが国民の圧倒的な人気を集め、彼女の率いるPPPは圧勝。同年12月、彼女は35歳の若さ(当時のイスラム諸国の政府代表として最年少)で首相に就任しました。

 偉大なる父の娘として軍事政権と戦ったというベーナズィールのイメージは、ある意味で、ビルマ建国の父・アウンサン将軍の娘で民主化運動の指導者であるスーチーさんとも重なる部分があるともいえましょう。ザルダリによる彼女へのブットー賞の授与も、そうしたことを意識したものであることは明白です。

 ところで、ベーナズィールの首相就任後、ブットー家の個人商店ともいうべきPPPを維持するためには巨額の資金が必要であったからか、逆に、政権与党が個人商店であるがゆえにオーナーであるブットー家に資金が集まってきたのか、そのあたりは“鶏と卵”の関係なのですが、ベーナズィール政権には、発足当初から、金銭スキャンダルの噂が絶えませんでした。はたして、1990年8月、大統領のグラーム・イスハーク・ハーンは汚職を理由に彼女を解任しました。

 野に下ったベーナズィールとPPPは、1993年10月の選挙でふたたび勝利を収め、彼女も首相に返り咲くのですが、1996年11月には再び汚職を告発されて退陣に追い込まれています。特に、ベーナズィール内閣で閣僚となった夫のアースィフ・アリー・ザルダーリー(現パキスタン大統領です)は、関連予算の10%を常に着服しているとされた(それゆえ、“ミスター10%”とあだ名されていました)ことほど、金銭面ではダーティーな人物で、汚職容疑により2004年11月までの8年間、有罪判決を受けて獄中生活を送っていたほどです。ちなみに、2006年には、ベーナズィール夫妻はともに不正蓄財の容疑で国際指名手配を受けています。

 こうした状況の下で、1999年にクーデターで政権を掌握したパルヴェーズ・ムシャラフは、ベーナズィールに代表される金権腐敗やイスラム原理主義勢力の跋扈を排し、パキスタンの構造改革に取り組もうとした政治家でした。2001年の911同時多発テロ事件の後、アメリカによる“テロとの戦い”に協力したのも、現実的な国際感覚に基づき、誠実に国益を追求しようとした結果にほかなりません。

 しかし、ムシャラフの対米協調路線は、一般のパキスタン国民の目には、アフガニスタンのムスリム(イスラム教徒)に対する、“国際社会”の理不尽な攻撃に無批判に追従しているようにしか映らず、このため、2002年、クーデター後の民政移管のために行われた選挙では、ムシャラフの最も忌み嫌うベーナズィールのPPPが第一党として躍進。このため、彼は憲法を改正し、首相が通算2期以上在任することを禁じ、ベーナズィールの首相返り咲きの芽を摘もうとしました。

 これに対して、ベーナズィールは、ドバイを拠点に世界各地を飛び回って“反軍事政権・民主化運動の女性闘士”というイメージを振りまき、2007年11月に予定されていた選挙(実際の実施は2008年1月)でのPPPの勝利と自身の首相返り咲きを目指していました。

 ところが、選挙期間中の2007年12月、ベーナズィールは、首都イスラマバード郊外のラーワルピンディーで開催された選挙集会で、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロにより暗殺されてしまいます。

 この結果、選挙戦は、一挙に、ベーナズィールの弔い合戦という様相を呈することになり、2008年1月の投票では、彼女の長男で当時19歳のビラーワルを新総裁に、その父親(つまり、ベーナズィールの夫)のザルダーリーを総裁代行に据えたPPPが第一党を獲得し、同年7月、ザルダーリーが大統領に就任しました。

 政治的にはほとんど実績がないどころか、汚職で収監された過去を持つ“ミスター10%”が曲がりなりにも大統領のイスにふんぞり返って座られるのも“ベーナズィールの夫”という金看板があってこそのことで、今回のスーチーさんへの授賞もまた、そうしたイメージ戦略に沿ったものといってよいでしょう。

 なお、パキスタンにおける“ブットー王朝”と切手の関係については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * きょう(26日)のお昼過ぎ、カウンターが97万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 初天神
2012-01-25 Wed 14:45
 きょう(25日)は初天神の日です。というわけで、2月になっても拙著『年賀状の戦後史』を一人でも多くの方に読んでいただけるようにとの願掛けの意味を込めて、天神様の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        寝牛乗り天神

 これは、2008年11月4日に発行された平成21年用の年賀切手の1枚で、広島県三次市の“三次人形”の寝牛乗り天神が取り上げられています。

 三次人形は江戸時代の寛永年間に、三次藩主・浅野長治が江戸浅草の人形師、森喜三郎を連れ帰リ歴史上の勇者や伝説上の人物の土人形を作らせたことが起源とされています。このうち、菅原道真を題材とする天神像には座像・立像・牛乗り・松負・梅持など数種類ありますが、切手には寝そべった牛に乗っている“寝牛乗り”の人形が取り上げられました。なお、生梅のたねには毒があるから食べてはいけないという趣旨のことわざとして、「梅は食うとも核食うな 中に天神寝てござる」という俗謡がありますので、寝牛と天神という組み合わせも、それを意識したものなのかもしれません。

 ちなみに、今回ご紹介の切手と同時に、利用者が好みの写真やイラストなどをタブに印刷する“オリジナル年賀切手”が発行されていますが、オリジナル年賀切手は、このときの平成21年用のものを最後に発行されていません。そうしたオリジナル年賀切手についての概要は『年賀状の戦後史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 世界漫郵記:カリカット①
2012-01-24 Tue 22:54
 『キュリオマガジン』2012年2月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、インド西海岸篇の2回目として、今回はカリカットを取り上げましたが、その記事の中から、こんな切手をもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ガマとザモリン     ザモリン宮殿跡

 左の切手は、1998年にポルトガルが発行した“ヴァスコ・ダ・ガマ(以下、ガマと略)のインド到達500年”の記念切手の1枚で、カリカットのザモリン(地方君主)の前でポルトガル国王の親書を読み上げるガマの姿が描かれています。右側には、かつてのザモリンの宮殿跡であるマナンチラ広場の現在の写真を貼っておきました。

 1498年5月20日、カッパドの沖に投錨したガマ一行は、5月28日、いよいよカリカットに上陸します。時間がかかったのは、ザモリンが首都のカリカットに不在だったため、戻ってくるのを待っていたためです。ちなみに、カリカットに上陸した最初の晩、ガマは地元の貴族の邸宅で「バターを使ったコメ料理と素晴らしい煮魚の料理」を供されたものの、緊張と興奮で食事がのどを通らなかったのだとか。

 さて、ガマとザモリンの最初の会見では、ガマはザモリンに対して、自分はポルトガル王の使節であり、キリスト教の王を探して外交関係を築きに来たという趣旨のことを述べたにとどまり、翌々日の5月30日になって、ようやく、ポルトガル国王の親書をザモリンに手交しました。親書はポルトガル語とアラビア語のバイリンガルで、ザモリン側近のムスリム(イスラム教徒)4人がアラビア語で内容をチェックしたうえで、ガマがポルトガル語で読み上げたそうです。

 今回ご紹介の切手では、ザモリンの前でポルトガル国王の親書を読み上げるガマの姿が描かれていますから、5月30日の親書奉呈の場面を取り上げているということになります。

 なお、今回の記事では、ガマとザモリンの会見の場となったマナンチラ広場周辺を中心に、ヒンドゥーのターリー寺院やイスラムのモスクなど、ケララ様式の建築の写真などもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 新年快樂 萬事如意
2012-01-23 Mon 11:57
 きょう(1月23日)は春節です。というわけで、辰年の正式なスタートですから、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        年賀小型シート(2012年)

 これは、きょうから引換が始まった今年(2012年)の年賀小型シートです。かつて成人の日が1月15日に固定されていた時代には、年賀はがきの抽選が成人式と並ぶ1月15日の風物詩となっていたわけですが、いわゆるハッピーマンデーの導入により、成人の日が1月の第2月曜日となったことで、その前提が大きく変わってしまい、抽選日も近年は1月下旬の日曜日ということで毎年変わっています。その結果、今年に関しては、小型シートの引換日が新しい干支の始まる春節と重なったわけで、偶然とはいえ、タイミングがいいですな。
 
 さて、今年の年賀切手の題材ですが、葉書用の50円切手が相模土鈴の“頭龍”、書状用の80円切手が土佐和紙雁皮張子の“龍”です。

 相模土鈴は、神奈川県藤沢市白旗に在住の陶芸家、相沢伊寛が1955年から制作している土鈴で、その題材は動植物、乗り物、文化財など多岐に及んでいます。今回の“頭龍”は、地元に古くから伝わる「天女と五頭龍伝説」をもとにしたものと言われており、その姿については、民俗学者の南方熊楠や柳田国男の文献を参考にしたそうです。頭や口に縁起物の玉が置かれているのが特徴で、運気の上昇を願う意味が込められています。

 一方、 土佐和紙雁皮張子は、越前和紙・美濃紙と並んで日本三大和紙のひとつとされる土佐和紙の中でも最高級の雁皮紙が使われており、張り子の中には、おめでたいといわれる無患子の実が入っています。

 今回の切手に取り上げられた“龍”は、高知出身の女流画家で郷土玩具も制作していた山本香泉(初代)が制作していた香泉人形の流れをくむ土人形です。初代香泉は1963年に72歳で亡くなり、長女が2代目を襲名。弟とともに香泉人形の制作をつづけましたが、彼女も亡くなり、1993年を最後に制作が途絶えていました。その後、土佐民芸社に譲られた型を用いて、2002年以降、草流舎の田村多美が雁皮紙の張子として再現した作品の一つが、今回の切手に取り上げられた“龍”ということになります。

 なお、お年玉の小型シートの歴史や、年賀切手と切手に取り上げられた郷土玩具については、拙著『年賀状の戦後史』でも詳しくご説明しておりますので、この機会に、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 僕宛の今年の賀状の中では、青山光一さん、井上卓三さん、井部秀俊さん、小嶋泰史さん、村尾新一さん、それにセキスイハイム不動産株式会社東京営業所、(株)長谷工ハーベストの皆さんから頂戴した分がアタリでした。この場をお借りして、お礼申し上げます。


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 45歳になりました
2012-01-22 Sun 11:15
 私事ながら、本日(22日)をもって45歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかくの機会ですから、昨年刊行の拙著の中から“誕生日”にまつわる切手はないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

        スターリン70歳誕生日(旅大)

 これは、1949年12月21日、中国共産党支配下の旅大(=旅順・大連)解放区で発行されたスターリン70歳誕生日の記念切手です。スターリンの誕生日は、現在、歴史的な事実として1878年12月18日(ユリウス暦:12月6日)であることが確認されていますが、1922年にソ連共産党の書記長に就任した彼は、自らの誕生日を1879年12月21日(ユリウス暦:12月9日)に変更。後に、この日が、彼の誕生日としてソ連の祝日となりました。

 第二次大戦直後、社会主義世界の“首領”としてのスターリンの権威は絶大で(余談ですが、1950年代までは社会主義者たちの間で“偉大なる首領”といえば、金日成のことではなくスターリンのことでした)、1949年の彼の70歳の誕生日(とされた日)には、社会主義諸国がこぞって記念切手を発行しています。今回ご紹介の切手もそのうちの1枚で、同図案で色違いの20円切手の2種セットで発行されたものの1枚です。

 さて、今回ご紹介の切手では、スターリンに対して「偉大的世界革命導師 中国人民最親摯的朋友」との賛辞がつけられていますが、これは、シベリアに抑留された日本人捕虜が1949年に作成した“感謝決議”の賛辞ともよく似ています。

 日本人抑留者による“感謝決議”は、1949年5月14日から8日間にわたってハバロフスクで開催された第2回ハバロフスク地方反ファシスト大会で、抑留4年目にして日本人の帰国が進んだことを受けてスターリンに贈ることが結滞されたもので、幅1メートル、長さ20メートルの絹布にシベリア民主化運動の経緯を描き、あわせて、“モスクワ・クレムリン ソヴェート諸民族の偉大なる指導者、全世界労働者の師父にして日本人民最良の友 スターリン大元帥”宛の感謝文が金糸で刺繍されています。

 その文言の一部を引用してみると、「無権利の旧日本軍将兵たりし私たちは、社会主義の国、ソヴェートの国で解放され、初めて自由を得、民主主義を学び知ったのであります」「厳粛に、私たちは宣誓します。私たちはアメリカ帝国主義、日本軍国主義のやからどもが、私たちを再び犯罪的奴隷兵士と化すことをもはや断じて許さぬであろうことを」「帝国主義者どもが歴史の教訓にこりることなく、諸民族の意志に抗し、再び犯罪的冒険をあえて犯すならば、そしてわが日本を世界労働者の祖国ソヴェート同盟にたいする犯罪的戦争の舞台に、植民地奴隷化の兵站基地に化さんとするならば、私たちは必ずや死をもおそれず決然とけつ起し、憎むべき帝国主義者どもの醜悪なる頭がいを打ち砕くべく起ちあがるであろうことを」といった具合です。

 自分たちを不法に抑留し、強制労働に従事させた最高責任者・スターリンに対して感謝し、あろうことか、彼の国のため、場合によっては祖国に対して刃を向けることさえ誓うという“感謝文”に署名した日本人は6万6434人います。その中には、完全に洗脳されてスターリン信者になった者もいたでしょうが、署名をしなければ“反動”“ファシスト”のレッテルを貼られて帰国できないと信じ込まされていた人の方が多かったと思われます。恐ろしい話です。

 ただし、もっとも、この感謝文が最終的にスターリンの元へと届けられることはなかったそうです。

 他人を蹴落としてまで独裁者に対する忠誠心を競い合わなければならない社会にあって、“人権”の埒外に置かれていた日本人抑留者がスターリンに対して感謝と忠誠を誓うということにでもなれば、ソ連の一般国民に対しては従来以上の忠誠心が要求されるはずです。そんなことは勘弁してくれ…というのが、この感謝文を受け取ったソ連側の当局者の本音だったのかもしれません。

 なお、シベリア抑留と関連の郵便物については、拙著『ハバロフスク』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 大相撲は把瑠都が優勝
2012-01-21 Sat 22:05
 大相撲初場所は、きのう(20日)、千秋楽を待たずにエストニア出身の大関・把瑠都が優勝を決めました。というわけで、きょうはエストニア切手の中から“勝利”がらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        エストニア・勝利の日

 これは、2006年6月23日に発行された“勝利の日”の観艦式の記念切手です。

 現在のエストニア国家の領域はロシア革命以前、帝政ロシアの支配下に置かれていましたが、革命後のボリシェヴィキ政権はドイツと単独講和を締結。ロシアはエストニアから撤退し、代わりにドイツ軍が進駐しました。これに対して、エストニアは1918年2月24日、独立を宣言。これを認めないドイツ占領軍と対立します。

 さらに、1918年11月18日、ドイツの敗北で第一次大戦が終結。これに伴い、12月7日、ドイツはエストニア側に主権を移譲しました。しかし、エストニア駐留のドイツ軍政部のフォン・デア・ゴルツ将軍はドイツ本国の命令には従わずに占領を継続します。こうした混乱に乗じて11月28日、ボリシェヴィキ政権がエストニアに侵攻。エストニア独立戦争が勃発します。

 その後、1919年6月23日、エストニア軍がヴェンデンの戦いでドイツ系のバルト連合公国軍に勝利。これにより、エストニアは独立を確保し、翌1920年2月2日のタルト平和条約でボリシェヴィキ政権に対しても独立を無条件で承認させ、独立国家としての地位を確保しました。

 切手の題材となった観兵式は、ヴェンデンの戦いでの勝利を記念して設けられた“戦勝記念日”に実施されたモノで、切手にも“6月23日”の日付が入っています。

 それにしても、久しぶりにモンゴル以外の国籍の力士が優勝したとはいえ、やはり今回も外国人ですからねぇ。そろそろ、日本人力士にも頑張ってもらって、日本人力士優勝にちなんだ切手をご紹介したいものです。


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 切手で訪ねるふるさとの旅:静岡県
2012-01-20 Fri 15:37
 ご報告が遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第13号(2012年1月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は、歌川広重の「東海道五十三次」の浮世絵を取り上げた切手のうち、静岡県に関するものをピックアップしてご紹介しました。そのなかから、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        広重・奥津

 これは、2009年10月9日に発行された国際文通週間のうち、“奥津”を取り上げた1枚です。

 興津宿(清水市)は東海道五十三次17番目の宿場で、浮世絵の奥津のほか、息津、沖津 などとも記されます。昭和史の舞台となった元老・西園寺公望の別荘、坐漁荘の所在地で、切手の浮世絵で力士が籠と馬で渡っている興津川は、東日本で最も早くアユ漁が解禁される場所としても有名です。

 さて、今回の『散歩人』の記事では、地図をバックに、このほか、三島、原、蒲原、由比、岡部、舞阪、荒井の切手をご紹介しています。このうち、由比は「東海道電化完成」の記念切手で浮世絵と電気機関車との組み合わせですが、そのほかは国際文通週間の切手で、広重の浮世絵がメインの図案です。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 PS 今月号の『散歩人』では、1月28日消印有効で拙著のプレゼントもやっておりますので、ぜひ、ご覧ください。

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 イーストマン・コダックが破産
2012-01-19 Thu 22:26
 経営危機に陥っていたアメリカの写真用品大手イーストマン・コダック社(以下、コダック)が、きょう(19日)、日本の民事再生法に相当する連邦破産法11条の適用をニューヨークの裁判所に申請しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        イーストマン

 これは、1954年にアメリカで発行されたコダックの創業者、ジョージ・イーストマンの切手です。

 ジョージ・イーストマンは、1854年、ニューヨーク州ウォーターヴィルで生まれました。1877年、それまでのガラス板に感光乳剤を塗って撮影する方式に代わって、乾式の写真板(乾板)を開発し、イギリスとアメリカでの特許を取得。1880年に写真乾板製造会社として創業しました。これが、コダック社のルーツとなります。

 その後、1884年に写真の基材をガラスから乳剤を塗った紙に換える特許を取得。さらに、1888年にロールフィルム・カメラの特許を取得し、“コダック”の商標を取得しました。そして、世界最初のロールフィルムカメラ「No.1コダック」を発売。「あなたはシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります」とのコピーで、利用者がはカメラを送り返して10ドルを払えば、フィルムを現像し100枚の写真と新しいフィルムを装填する商法で市場を拡大します。

 また、1900年に1台1ドルで発売したブローニー・シリーズはカメラを一挙に普及させることになり、コダック社が世界的な写真用品メーカーとして成長する基礎を築きました。なお、イーストマン本人は1925年に会社の経営から退き、慈善家として活動しましたが、1932年、病気を苦に自殺しています。

 さて、今回のコダックの破産に関しては、「写真フィルムやカメラで業界をリードした米国を代表する名門企業だったが、デジタル化など時代の変化に対応できず、ライバルの日本メーカーに出遅れた。」との解説記事が各種メディアに掲載されていますが、実は、コダックは世界で初めてデジタルカメラを開発したメーカーです。まぁ、その後の競争を勝ち残れなかったことが今回の事態を招いたということなのでしょうが、残念な話ですな。

 ちなみに、ちなみに、僕が現在メインで使っているデジカメは、去年、インド・ゴアの​取材中にそれまで使っていたエプソン製品が壊れてしまったため、急遽、現地で手配したコダック製品です。安物の割に画像がきれいで、使い勝手も良いので、夏のハバロフスク取材でも使いました。昨年刊行した拙著『ハバロフスク』のうち、昨年夏に現地で撮影した写真は、基本的にはコダックのカメラで撮影したものですので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 愛国歌を歌う非愛国者?
2012-01-18 Wed 12:23
 きのう(17日)、日本への観光を呼びかけるべくソウルで記者会見を行った溝畑宏観光庁長官(わが国の長官です。念のため)が、韓国語で韓国国歌(「愛国歌」)を熱唱し、そのことが韓国メディアで大々的に報じられているそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        愛国歌

 これは、2001年4月2日に韓国が発行したミレニアム・シリーズ第10集の1枚で、「愛国歌」の楽譜と作曲者の安益泰が取り上げられています。
 
 韓国の国歌とされている「愛国歌」の由来については諸説があり、歌詞については、尹致昊がつくった大韓帝国の国歌をアレンジしたものとも、白頭山を歌った愛国詩(作者不詳)とも言われています。また、楽曲としては、「蛍の光」のメロディーで歌うバージョンと、今回ご紹介の切手の安益泰が1935年に作曲した「韓国幻想曲」の終曲のメロディーで歌うバージョンがありますが、1948年8月15日の大韓民国政府樹立式典では、安益泰作曲の方がうたわれ、以後、大統領令で安の曲が国歌として定められました。

 ちなみに、「蛍の光」バージョンの方は、1896年に清朝の宗主権からの独立を記念して独立門を建立するにあたって(余談ですが、この門を日本からの独立を記念した門と思い込んでいる韓国人が多いのは困ったものです)、その定礎式で愛国詩を「蛍の光」のメロディーに乗せたものがうたわれたのが由来とされています。また、2003年の韓国映画「シルミド」では、兵士たちが「蛍の光」バージョンの「愛国歌」を歌っている場面が登場しますので(「シルミド」の時代考証が正しいかどうかは別として)、こちらのバージョンが完全に否定されているというわけでもなさそうです。

 さて、今回、溝畑長官がソウルで熱唱したという「愛国歌」の歌詞ですが、その冒頭の「동해물과 백두산이 마르고 닳도록」は、直訳すると「東海の水と白頭山が乾いて磨り減るように」となります。これは、永遠にありえないことのたとえであるわけですが、ここで“東海”の語が出てくることは見逃せません。

 周知のとおり、韓国は現在、日本海は“東海”と呼ぶべきであると主張して、国際社会に働きかけています。日本海を指して“東海”という呼称は、もともとは韓国語(朝鮮語)として韓国・北朝鮮の国内でのみつかわれていた用語で、かつては(少なくとも1986年までは)韓国側も国際社会の慣例に従って“日本海”の呼称を認めていただけでなく、韓国政府発行の海図でも“日本海”と記されていました。ところが、いわゆる歴史認識問題が日韓間で政治問題化するにつれ、“日本海”の呼称が一般化したのは日本による植民地支配が原因だとして、“東海”の表記問題は、日本の植民地支配の名残を清算する作業の一環であるとの言説が韓国国内でも力を得るようになります。その結果、1992年の第6回国連地名標準化会議以降、韓国は日本海の名称変更を国際的にも要求するようになったというわけです。

 ちなみに、1992年には、任期終了間近の盧泰愚政権下で、尹奉吉李奉昌といった“抗日義士”の切手が相次いで発行された年でもあります。まぁ、先日の慰安婦像問題にみられるように、政権の基盤が揺らいでくると対日強硬姿勢を示して支持率を回復しようとする、かの国の悪弊と言ってしまえばそれまでなのですが、それが一時的なものとしておさまらないことが多いのはなんとも頭の痛いところです。

 いずれにせよ、わが国は“日本海”の呼称は地理学的・歴史的に広く定着し、国際的に確立された唯一の名称であるとの立場をとっており、日本海の単一呼称を確保する(=“東海”への変更はもとより、日本海と東海を併記することも認めない)ためにも、今後も世界各国の地図の調査などを実施して韓国側の主張に反論し、国際社会に対して日本の立場に対する理解と支持を求めるのが国策となっています。

 このような状況下で、日本の観光庁長官という立場にある人物が、ソウルでわざわざ「東海~」と熱唱すれば、おそらく、日本も“東海”の呼称を認めたとの誤解を韓国側に与えかねません。というよりも、韓国側が今回の一件を根拠にそのように主張することは十分に予想されます。

 他国の国歌はその歌詞の内容がどのようなものであれ敬意をもって扱うべきですし、その内容にクレームをつけるのは慎むべきであるのは当然のことです。とはいえ、今回のケースのように、それを外国人、しかも公的な立場の人間が実際に声に出して歌うことで自国の国益を損ないかねないケースもあるのですから、その点については十分な注意が必要であることを忘れてはなりません。

 韓国語で熱唱したという溝畑長官が、ご本人が歌詞の内容を理解したうえで自ら「愛国歌」をソウルで歌うことを主張したということであれば、長官としての根本的な資質が問われる問題ですし、長官本人は歌詞の意味を知らずに担当職員が“日韓友好”のためにカタカナの歌詞カードを渡して歌うよう提案したということであれば、その職員はしかるべき処分を受けて当然でしょう。いずれにせよ、このまま看過していい話ではないことは明白です。

 もっとも、卒業式や入学式で、自国の国歌斉唱に際して起立しないという教員を処分することにさえ及び腰というのがわが国の現状ですからねぇ。国歌というものへの鈍感さゆえに、今回の一件も不問に付されて終わってしまうんだろうなぁ。そんな調子じゃ、“竹島”も“慰安婦”も、それこそ、「東海日本海の水と白頭山が乾いて磨り減るほどに」未来永劫、解決しないんですけどね。


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 イランでバービー禁止強化
2012-01-17 Tue 22:08
 16日付でロイターが報じたところによると、アメリカの玩具メーカー、マテルの製造するバービー人形について、イラン当局が「イスラム教の価値を脅かす有害な西洋文化」として、販売を取り締まっているそうです。というわけで、まずはバービー人形の切手です。

        バービー人形

 これは、1999年9月17日、アメリカが発行した“20世紀シリーズ・1960年代”のうち、バービー人形を取り上げた1枚です。

 バービー人形は、アメリカのマテル社が製造・販売する着せ替え人形で、1959年3月9日に販売が開始されました。その元になったのは、同社の創業者、ルース・ハンドラーがスイスで娘バーバラへの土産として購入したセクシードールのリリで、リリを真似るところからスタートしたため、胸の大きさとくびれた腰を強調したデザインとなりました。また、初期の人形は人件費が安い日本で製造されています。

 それまでのいかにも子供向けの人形に比べて、バービーは精巧かつファッショナブルであったため、瞬く間に子供たちの人気を集め、現在にいたるまで、全世界で累計10億本ともいわれる人形が販売されました。ただし、1960年代に人形を作っていた日本では、顔つきなどが日本人の子供の好みには合わなかったためか、売り上げは芳しいものではありませんでした。

 さて、イスラム革命後のイランでは、1996年にバービー人形は「文化や社会に対して破壊的影響がある」として、公式には販売が禁止されたといわれています。ただし、この時の禁止令(おそらく、立法措置ではなく、高位のイスラム法学者が発したファトワーの類だと思われますが)は現実にはザル法だったようで、テヘランなどでは半ば公然と“闇バービー”が売られていました。

 まぁ、イスラムでは偶像崇拝を禁じていますので、“イスラム原理主義国家”としてのイランが偶像崇拝につながりかねない人形遊びを禁止するのは、教義の面からは理にかなった判断といえないこともありません。ただし、現実の問題として、子供たち(特に女児)が人形で遊びたいと考えるのは自然なことで、2002年には、当局によるお墨付きの人形として、イスラムの伝統衣装をまとったサラとダラという男女の人形が発売されています。

 もっとも、当局お墨付きというのは、どこの国でもえてしてつまらないもので、サラとダラも子供たちの間では不評で、“闇バービー”の人気が衰えることはありませんでした。

 16日にテヘランの玩具商がロイターの取材に対して語ったところによると、当局によるバービー取締りは3週間ほど前から強化されたとのことですが、イラン政府は、今回の措置について、核開発問題をめぐる欧米の経済制裁などに対する抵抗の一環としているそうです。

 そういうことであれば、この際、いっそ、日本からイランに対して「バービーの代わりにリカちゃん人形を輸入したらどうか」と持ちかけてみてはどうでしょうかねぇ。そして、先方がリカちゃんを輸入するというのであれば、「ついては、イランからの原油の輸入がストップすれば、日本としてもリカちゃん人形を製造できなくなり、輸出できなくなるから、イランも子供たちのために自重してくれないか」と言うだけ言ってみても、悪くはないような気がします。


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 ジリオ島
2012-01-16 Mon 15:57
 先週13日、イタリア中部ジリオ島の沖合で大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号が座礁した事故で、13日の事故発生直後、船長が乗客の救助義務を放棄し、船から先に逃げ出していたことがわかり多くの人々の憤激を買っていますが、これに対して、地元ジリオ島の島民が家やホテルを開放するなどして救助活動に尽力し、称賛を浴びているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジリオ島

 これは、2009年にイタリアで発行された観光宣伝の切手で、ジリオ島が取り上げられています。

 ジリオ島はイタリア・トスカーナ州グロッセート県のティレニア海に浮かぶ人口900人ほどの小島で、古来、地中海の海上交通の要衝で、カエサルやプリニウスの著作にも記述が見られます。16世紀にはバルバロッサの名で知られるハイル・ディーンら海賊の攻撃を受け、戦った歴史もありました。

 現在では、風光明媚なビーチに加え、古くからの教会やローマ時代の遺跡などが残るリゾート地として知られており、夏の観光シーズンには多くの観光客が訪れています。今回ご紹介の切手も、島の主要産業である観光をアピールするために発行されたものですが、切手のデザインでは、いまいち、その魅力は伝わってこないように思います。

 なお、島民の多くは、例年なら「(観光客の来る)5月から9月までしか働かない」のだそうですが、今回、彼らの活躍が世界中に報道されたことで、今年の夏は例年以上に忙しくなるかもしれません。ちなみに、逃げ出した船長が務めていた船会社、コスタ・クロシエレ社の船に乗るというのは二の足を踏んでしまいますが、ジリオ島行きのフェリーを運航するのはナヴィガツィイオーネ・マレジリオ社とトレマール社の2社だそうですから、その点では、安心して良さそうですな。


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 台湾総統選挙は現職が勝利
2012-01-15 Sun 19:27
 きのう(14日)、投開票が行われた台湾の総統選挙は、(多くの日本国民の期待むなしく)現職の馬英九が再選を果たしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        台湾単位票カバー

 これは、中国国民政府(国府)が台湾に撤退(彼らの用語でいう“遷移”)した直後の1949年12月に台湾の麻豆から差し出されたカバーで、“限臺灣省貼用”加刷の単位票が貼られています。

 1945年10月、国府は台湾を接収しましたが、この時点では、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が通貨として流通していました。このため国府は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ばれます)を発行・流通させます。ただし、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用していた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情があります。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。

 そして、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施。当初の建前では、新台幣はあくまでも、国家の正式通貨ではなく、台湾に限定した地域通貨という位置づけでしたから、国府としても大陸とは別に新台幣に対応する額面の切手を発行する必要がありました。

 しかし、新切手を企画し、準備している間にもインフレは昂進を重ね、新額面の切手を用意することもままならないというのが実情であったため、1949年10月16日に発行された新台幣対応の新切手には、額面の表示はなされず、国内普通郵便用、速達用など用途のみが記され、その都度、利用者には窓口で対応する料金で販売されています。今回ご紹介のカバーの切手は、こうした状況に対応して発行された“単位票”の1種で、“国内信函費 毎重二十公分”(20グラムごとの国内書状料金)と表示されています。

 ところで、1949年4月23日の首都・南京の陥落以来、国府は広州、重慶、成都を転々としていましたが、11月4日、台北を臨時首都とすることを決議。7日に中央政府の台北移転を正式に決定し、11日までに政府ならびに国民党中央の移転が完了しました。今回ご紹介のカバーは、こうした国府の遷移直後に上述の単位票の使用例です。

 この間、10月17日には人民解放軍が厦門島を占領し、対岸の金門島にも攻撃を仕掛けましたが、国府側はこれを撃退。福建省沿岸の金門島・馬祖島ならびに浙江省沿岸の大陳列島を確保することによって、かろうじて台湾省に限定されない“中国政府”としての体面を保ち、台湾を拠点に“大陸反攻”を呼号していくことになります。

 とはいえ、大局的に見れば、中共が台湾を“解放”することは時間の問題と考えられており、米国も台湾の共産化やむなしと覚悟していました。

 ところが、1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると事態は一変。トルーマン政権は共産軍による台湾解放を阻止するため第七艦隊を台湾に派遣するとともに、国府に対しても“大陸反攻”の停止を要求しました。いわゆる台湾海峡中立化宣言です。

 米国が台湾海峡の中立化を志向したのは、国際法上の台湾の地位が未確定であり、それゆえ、台湾の帰属に関しては「太平洋における安全保障の回復、対日講和条約の締結、ないしは国連による検討を待つべき」であるとの判断によるものです。

 あらためていうまでもないことですが、領土の割譲・移転は当事国間による正式の条約締結がなければ、国際法上は無効です。この点において、第二次大戦中、連合国によって発せられたカイロ宣言やポツダム宣言は、敗戦後の日本に台湾を中国に返還させるという戦後処理の方針を示したものでしかなく、道義的・政治的な責任はともかくとして、国際法上の拘束力は一ありません。よって、日本の敗戦後、国府が台湾に進駐し、日本軍を武装解除したのも、あくまでも便宜的ないしは暫定的な措置でしかないのです。

 さらに、1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効した講和条約では「日本は台湾、澎湖諸島に対するすべての権利、権限および請求権を放棄すべし」との規定(第二条B項)はありましたが、その後の台湾の帰属については何ら規定がなく、未確定のまま放置されています。また、講和条約の発効を待って日本と国府の間で結ばれた日華平和条約でも、すでに台湾の領有権を放棄した日本は台湾の帰属について言及しないとの立場をとっており、以後現在にいたるまで、これが日本政府の公式見解となっています。

 これに対して、大陸の中国共産党政権は倦むことなく“一つの中国論”を持ち出していますが、大半の国では台湾の帰属については法的に未定という姿勢をとっており、現在にいたるまで「台湾は中国の領土の不可分の一部である」との主張をそのまま承認しているのは全体としてごく少数でしかありません。

 さて、今回、総統選挙で再選された馬英九は、選挙期間中、「“一つの中国”を“中台双方が独自解釈する”という条件付きで認める」との姿勢を示していましたが、今まで縷々述べてきたように、そもそも“一つの中国”論は、勝手な思い込みでしかありません。

 もちろん、台湾の将来については台湾の人々の意思によって決められるべきで、彼らがそうした“一つの中国”論を信奉しているというのであれば、もはや僕がとやかく言うべき筋合いはないのですが、彼らの意に沿わない形での“中国”への併呑という事態が生じることになれば、話は全く別です。そうしたことも踏まえ、われわれ日本はもっとも身近な友好国を今後ともサポートしていくべきではないかと思います。


 * 第3回テーマティク出品者の会ミニペックスは、本日夕方、無事終了いたしました。ご参観いただきました皆様並びに関係者の方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 尖閣諸島開拓の日
2012-01-14 Sat 10:53
 きょう(14日)は、1895年1月14日に日本政府が尖閣諸島の日本領編入を閣議決定したことにちなみ、尖閣諸島開拓の日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        海鳥

 これは、1972年4月14日、復帰直前の沖縄で発行された海洋シリーズ第3集の“海鳥”の切手です。切手上には尖閣諸島を意味する文字は一切ありませんが、尖閣諸島のアホウドリが羽根を休める南小島の風景が描かれています。

 第二次大戦後の1946年1月29日、GHQは「外郭地域分離覚書」を発し、北緯30度以南の南西諸島の行政権は日本から分離されました。これに伴い、尖閣諸島は沖縄の一部としてアメリカの施政権下に置かれることになりました。

 ところが、1969年、国連アジア極東経済委員会の海洋調査で、尖閣周辺にイラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告されると、1971年4月、台湾の国民政府が尖閣諸島の領有権を主張しはじめます。さらに、同年12月には、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めました。この間、1971年6月に沖縄返還協定が調印され、1972年5月に沖縄が祖国に復帰すると、尖閣諸島もそれに伴い、日本国沖縄県の一部となりました。

 こうした状況の下で、1971年、琉球政府は、魚釣島の地図切手の発行を計画し、大蔵省印刷局に印刷を依頼したといわれています。ところが、この計画を察知した日本の外務省は「中国や台湾などを刺激する」として発行の中止を強く要求したため、琉球政府は切手の発行を断念せざるを得ませんでした。

 ところで、ほぼ時を同じくして、1971年には琉球大学調査団が尖閣諸島の南小島で絶滅危惧種のアホウ鳥が棲息しているのを発見しました。そこで、琉球政府郵政庁は、アホウドリを描く切手を発行することで間接的に尖閣諸島が沖縄に属していることを表現することとし、日米当局の圧力をかわそうと考えました。今回ご紹介の切手はこうした背景の下に制作・発行されたもので、南小島の写真とアホウドリの剥製をもとに、琉球大学教授の安次富長昭が原画を作成しています。

 さて、きょう(14日)は台湾で総統選挙の投開票が行われる日です。現職の馬英九と野党・民進党の蔡英文の両候補の支持の差はごくわずかで、どちらが勝ってもおかしくない状況と伝えられています。馬といえば、“中華民国”による尖閣諸島の領有権を主張した国民党のトップにして、尖閣への侵略の意図を隠そうとしない中国共産政府が内政干渉まがいの露骨な選挙支援を行っている人物です。これに対して、「台湾も沖縄の人も心配しているが、尖閣列島は日本の領土。戦前は沖縄の漁民が漁場として魚を捕り、台湾に荷揚げし売っていた」と強調し、日台間の領土問題は「農水省や台湾の農業委員会との話し合いで解決していた」と語った李登輝元総統は、蔡への支持を呼び掛ける新聞広告を掲載しています。

 まぁ、台湾の将来は台湾の人々自身が決めるべきとはいえ、どちらの候補が勝つことが我々にとって望ましい話であるかは明々白々ですな。
 

  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 第3回テーマティク出品者の会、開催中です(明日・15日まで)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。会場では、小型印と同図案のフレーム切手等も販売します。会期は15日までで、本日(14日)午後3時頃からは、展示作品の解説も行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『歴史読本』2月号で紹介されました。

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 きょうからJTPC展です
2012-01-13 Fri 09:48
 きょう(13日)から、東京・目白の切手の博物館で第3回テーマティク出品者の会(JTPC:Japan Thematic Philatelists Club)の切手展がスタートします。今回は、潜水(ダイヴィング)を題材とした作品を御出品の小林有さんの御尽力で、会期中の13-14日は下のデザインのような小型印が使用されます。(画像はクリックで拡大されます)

       第3回JTPC展小型印原図

 というわけで、きょうは、小林さんの御尽力に敬意を表するとともに、開催のご挨拶を兼ねて、潜水関連のこんな切手を持ってきました。

       バハレーン・真珠取り(児童画)

 これは、ペルシャ湾岸に面したバハレーンが1992年に発行した児童画の切手で、この地域の伝統的な素潜りの真珠取り風景が描かれています。

 ペルシャ湾岸というと、現在は、世界有数の油田地帯というイメージが定着していますが、この地域最初の油田がバハレーンで発見されたのは1925年のことで、油田開発が本格化したのは第二次大戦後のことです。

 20世紀前半まで、ペルシャ湾岸では、ナツメヤシの栽培や漁業、真珠採取、帆船の製造といった伝統的な産業が経済の中心でしたが、このうちの真珠採取については1930年代に養殖真珠が世界的に普及すると、壊滅的な打撃を受けました。ただし、産業としては成り立たなくなった真珠採取ですが、現在でも“文化”として保存・継承されています。

 さて、JTPCは、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き3回目の開催で、会場では、小型印と同図案のフレーム切手等も販売します。会期は15日までで、あす(14日)の午後3時頃からは、展示作品の解説も行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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 お題は“岸”
2012-01-12 Thu 09:40
 きょう(12日)は歌会始の日です。今年のお題は“岸”ということなので、昨年刊行の拙著の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ハバロフの探検

 これは、1990年にソ連が発行した切手つき封筒で、ハバロフスクの名前の由来となったエロフェイ・ハバロフの極東探検が取り上げられています。元の額面5コペイカに対して5コペイカの切手を加貼して、ハバロフスクから記念印を押した書留便として差し出されているのがミソです。

 ハバロフは、1649年にヤクーツクからレナ川を遡り、オリョークマ川、トゥングル川を経て、アムール川上流のシルカ川に入り、1650年にはダウリヤに到達。ヤクーツクに帰着しました。この間、一行はトゥングル川の上流でいったん上陸し、船を担いで丘を越えてシルカ川岸にいたり、再び船を下ろしたといわれています。

 ハバロフの報告を受け、ヤクーツクの総督フランツベコフは探検隊を組織し、大規模な部隊とともにハバロフを派遣。シルカ川に至ったところで先住民の攻撃を受けた一行は、アムール川が最も北に達している地点でアルバジに率いられたソロン部(索倫部)のダウール族・オロチョン族らを破り、ソロン部の中心であったヤクサ(雅克薩)にアルバジン要塞を築いて越冬。翌1651年6月にはアムール川をさらに下り、9月にはアムール川とスンガリ川(松花江)の合流点に到達し、9月29日、アムール川とウスリー川との合流地点、現在のハバロフスク近郊にあるアチャンスクに要塞を築きました。ちなみに、印面部分の年号の1653年というのは一行がモスクワに帰着した年です。

 今回ご紹介の切手つき封筒では、印面部分にハバロフ一行が岸からボートを下ろす場面が、カシェの部分にはボートを岸に着ける場面が描かれているので、“岸”というお題にピッタリかなと思って持ってきました。

 なお、ハバロフの探検と彼の名を冠した極東の大都市ハバロフスクの物語については、拙著『(切手紀行シリーズ④)ハバロフスク』でいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 蔵開き
2012-01-11 Wed 12:43
 きょう(11日)は鏡開き・蔵開きの日です。鏡開きについては、以前の記事でも取り上げたことがあるので、今回は蔵開きにちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        米倉ねずみ

 これは、1995年11月15日に発行された平成8年用の年賀切手で、薩摩首人形の“米倉ねずみ”が取り上げられています。

 薩摩首人形は、紙粘土を素材とした紙塑人形の一種で、和紙を水で溶かし、のりで練り合わせて粘土状にしたものを、割り竹の先に固め、指先でそれぞれの人形の表情を手捻りしたものです。天日で自然乾燥の後、絵の具で彩色するので、仕上げまでに10日から2週間かかるそうで、鹿児島神宮にちなんだ鈴懸馬など40種類ほどがつくられています。ちなみに、切手に取り上げられたのは、姶良郡隼人町の鹿島たかしの作品です。

 切手の人形では、米倉の下の方が、いわゆるナマコ壁になっています。
 
 ナマコ壁は、防火・防水などのために、壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地に漆喰を盛り付けて塗る壁塗りの方式で、江戸時代後期から明治初年にかけて、土蔵建築などに盛んに用いられました。建築費が高額になるため、裕福な商家や地主などが好んで用いましたが、幕府や藩が政策的に建築させた例もあります。たとえば、伊豆下田では、安政の大津波で全壊した街の復旧に際し、諸外国の印象を良くするため幕府が各戸に資金を貸し付けてナマコ壁の家を造らせたことなどは、その一例です。

 なお、この年賀切手が発行された1995年は阪神大震災とオウム事件の年ですが、年末にウィンドウズ95が発売され、以後、一般家庭にもパソコンが急速に普及するようになったことも見逃せない出来事です。パソコンの普及により、年賀状その他の手紙をめぐる環境は大きく変化することになりますが、そのあたりのいきさつについては、拙著『年賀状の戦後史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 奇跡のバンジーの舞台
2012-01-10 Tue 14:29
 AP通信などがきのう(9日)報じたところによると、アフリカ南部ザンビア・ジンバブエ国境にある世界三大瀑布のひとつ、ヴィクトリアの瀧の近くのヴィクトリア・フォールズ橋から、先月31日、オーストラリア人女性がバンジージャンプをしたところ、足に結びつけられたロープが切れて、ワニが生息するザンベジ川にそのまま落下したものの、女性は両足をロープで縛られたまま自力でジンバブエ側の川岸に泳ぎ着き、奇跡的に助かったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        南ローデシア・KGVI戴冠式

 これは、1937年に南ローデシアで発行された英国王ジョージ6世戴冠式の記念切手の1枚で、国王夫妻の肖像に挟まれる格好で、ヴィクトリアの瀧を背景に、前方にヴィクトリア・フォールズ橋を通る機関車が描かれています。

 現在のジンバブエとザンビアにあたる地域は、かつてローデシアと呼ばれていました。これは、1850年代にデイヴィッド・リヴィングストンが探検した地域を、ケープ植民地の首相であったセシル・ローズのイギリス南アフリカ会社が開拓したことから、ローズの名前にちなんでつけられた呼称です。
 
 イギリス南アフリカ会社はこの地域での鉱山開発を目指していましたが、思うように収益が上がらなかったため、農場中心の開拓と植民地経営にシフトしますが、業績は好転しませんでした。このため、1923年、白人の入植が進んでいた南ローデシア(現在のジンバブエに相当する地域)で白人のみの住民投票が行われて南ローデシア自治政府が発足。これを受けて、翌1924年には、現在のザンビアに相当する北ローデシアもイギリスの直轄植民地となりました。今回ご紹介の切手を発行したのは、このうちの南ローデシア自治政府です。

 切手に描かれているヴィクトリア・フォールズ橋は瀧のすぐ下流にあり、現在ではジンバブエとザンビアの国境になっています。切手には蒸気機関車が描かれていますが、もともと、この橋はセシル・ローズが立案したケープ=カイロ鉄道の一部として建設されたもので、イギリス人技師ラルフ・フリーマンの設計により1905年に完成しました。長さは250メートルで、水面からの高さは最大で128メートルあり、鉄道線路のほか、道路・歩行車道があります。

 今回の“奇跡”が起こったバンジージャンプは、この橋の上から111メートル下に飛び降りるというものですが、日本で刊行されている旅行ガイドにもしっかりと紹介されています。ちなみに、そのガイドブックには「もちろん、両足はロープでしっかりくくられているので、安心して跳べばいい」と書いてあるのですが…

* きょう(10日)のお昼過ぎ、カウンターが96万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 くにまるジャパン 白熱教室
2012-01-09 Mon 11:06
 本日(9日)午前10時より、文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の「ラジオ・白熱教室」のコーナーに『年賀状の戦後史』の著者として出演してきました。おかげさまで、放送はさきほど無事に終了しました。で、番組では、アナウンサーの石川真紀さんが秋田ご出身ということで、この葉書についても話題になりました。(画像はクリックで拡大されます)

        なまはげ(年賀はがき)

 これは、昭和55年用の年賀はがきで、印面にはなまはげが描かれています。

 なまはげというと、出刃包丁を持っているのが一般的なイメージだと思うのですが、この葉書の印面では、鍬を持つ姿で描かれています。このため、発行当時、その是非をめぐって議論が起こってりました。

 原画作成のモデルとなったのは、秋田市の人形制作会社・樋渡カツコ(個人名ではなく社名)の制作した“首ふりなまはげ”ですが、オリジナルの人形では出刃包丁を手にしています。同社の佐藤政義によると、切手図案への採用の打診があった時点で、郵政省からは「手に持つものは適当なものを使わせてくれ」との要望が出されたそうです。

 この点について、郵政省郵務局切手室長の安藤博之は、「包丁持参が一般的なことは十分承知しております。ただ、おめでたい正月早々に出刃包丁でもあるまいというわけで縁起を担いでクワにしたしだいです。地元のみなさまはご不満もおありでしょうが、ここは全国的な視野でご理解をいただき…」と説明しています。かつて、1956年の切手趣味週間の“写楽”が発行された際には、刀が描かれていない(当時の郵政省の判断では、たとえ歌舞伎絵であっても、刀は“物騒”であるとして切手の題材として不適切とされていました)ということが題材選択の重要なポイントでしたが、そうした考え方がこの葉書の制作時点でも踏襲されていたということなのでしょう。

 ちなみに、地元の男鹿市役所商工観光課の坂本金善は「主流は出刃や御幣、おけなどですがクワでもよいんです。昔は船越、若美、脇本など農村部では、クワでドンドンたたいてなまはげが訪れた。漁村部は包丁が多かった。だから決してまちがいじゃない」と郵政省の判断を擁護しています。

 ところで、はがきの下部には、くじの抽選日として“55年1月15日”と記されています。かつては、成人の日が1月15日に固定されていた時代には、年賀はがきの抽選が成人式と並ぶ1月15日の風物詩となっていたわけですが、いわゆるハッピーマンデーの導入により、成人の日が1月の第2月曜日となったことで、その前提が大きく変わってしまい、抽選日も近年は1月下旬の日曜日ということで毎年変わっています。たしかに、今年のように9日が成人の日ということになると、10日過ぎてからもわずかとはいえ年賀はがきが届くことを考えると、成人の日に抽選というパターンを維持するのは難しいですな。

 ちなみに、今年の抽選日は、僕の誕生日の1月22日だそうです。例年同様、切手シートは何枚か確実にあたるでしょうから、それを自分宛の誕生日プレゼントだと思うことにしましょうか。


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 ANC100年
2012-01-08 Sun 21:24
 南アフリカの与党で、かつてアパルトヘイト(人種隔離)政策と闘ったアフリカ民族会議(ANC)が1912年1月8日に同国中部のブルームフォンテーンの教会で設立されてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはANCがらみの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ANC75年(東独)

 これは、1987年6月16日、ANC創立75周年に合わせて東ドイツが発行した「反アパルトヘイトのための国際的連帯」の切手です。切手の発行日の6月16日は、1976年にいわゆるソウェト蜂起が1976年に起きた日です。ソウェト蜂起をきっかけに国連安保理が南アフリカを非難する決議案を全会一致で可決し、南アフリカのアパルトヘイト体制は国際的に孤立していくことになりましたから、“国際的連帯”というテーマとしてはふさわしい日取りといえるかもしれません。

 なお、切手にはANCの文字はありませんが、切手発行に合わせて使われた記念印にはしっかりとANC17周年を記念する表示が入っているほか、この切手の初日カバーにはANC75周年の記念封筒が使われたケースが多いようです。

 アパルトヘイトの時代、ANCは獄中のネルソン・マンデラをシンボルとして白人政権と戦い、その実績のゆえに、1994年、黒人の参加による民主的な全人種参加選挙で圧勝し、政権を獲得しました。以来、現在にいたるまで、17年以上にわたり、政権を維持しています。この間、マンデラ、タボ・ムベキ、ジェイコブ・ズマの3人が大統領に就任しています。

 ちなみに、ANCの党名は、インドの政権与党の一つで、かつてガンディーが率いたインド国民会議(1885年設立)に範をとったものだそうです。ガンディーはそもそも南アフリカでのインド系移民の差別に対する権利回復運動で名を挙げましたが、その活動期間は1913年から1915年ですから、彼の活動がANCに影響を及ぼしたということはありません。

 なお、ANCは社会主義・社会民主主義を掲げ、社会主義インターナショナルにも加盟していますが、南アフリカ共産党もその傘下に収めるという変則的な形態となっています。まぁ、どちらにしても左派政党というわけで、アパルトヘイトの時代に東側諸国が反アパルトヘイトの切手を盛んに発行していた背景には、そうした事情もあったことは記憶しておいてよいでしょうな。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・1月9日(月・祝)10:00~ ラジオ・白熱教室
 文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の同コーナーに『年賀状の戦後史』の著者として、内藤が出演する予定です。なお、放送番組の常として、事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
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 憤怒龍
2012-01-07 Sat 11:39
 5日付の英BBC放送の中国語版ウェブサイトによると、同日付で発行された中国の年賀切手(ちなみに、今年の春節は1月23日です)に描かれた龍が「怒っているようだ」「凶悪で怖すぎる」と不評を買っているのだとか。というわけで、きょうはその切手の画像(クリックで拡大されます)を持ってきました。

        中国年賀(2012)

 今回の中国の年賀切手の図案については、郵政当局が「歴史と現代の見事な結合」と主張しているほか、原画作者の陳紹華も「龍は災厄を打消し、幸福と平和をもたらすので、強く威厳のあるデザインにした」と説明しています。当局の説明する歴史との融合というのは、中国歴代皇帝を象徴する5つの爪の龍に、同じく皇帝を象徴する黄色を組み合わせたという点を指しているのかもしれません。ただし、BBCも指摘しているように、この切手と同じような構図の龍を描いた清代・海関郵政が発行した大龍切手の龍の表情は今回の切手とは違って、どこかとぼけた感じの穏やかな表情ですし、以前の記事でもご紹介した台湾龍馬票の龍もずっと穏やかな表情です。(参考までに、下に海関・大龍と龍馬票の画像を貼っておきます)

      大龍     台湾龍馬票

 ちなみに、BBCのサイトでは、作家・章詒和の中国版ツイッター・新浪微博での批判に加えて、中国共産党機関紙『人民日報』元高級編集で中国新聞攝影学会学術部副主任の許林の批判も紹介しています。このうち、許の批判の趣旨は「対外的に強さをアピールするのは道理があるとはいえ、この切手はほとんど国内で使用されるのだから、こういう“兇神惡煞”のデザインはいかがなものか」となっています。なるほど、対外的には威圧的に出るのが中国外交の基本というのは、尖閣や靖国の問題を持ち出すまでもなく、実感としてよくわかりますな。もっとも、現在の中国政府は国内の人民に対しても十分強圧的だと僕なんかは理解していますから、その意味では、この切手もかの国の現状を反映したものといえそうです。

 いずれにせよ、年賀切手は日本のみならず世界各国でも発行されているわけですが、そこにそれぞれ国の事情が反映されているのは言うまでもありません。いずれ、昨年末に刊行の拙著『年賀状の戦後史』の続編にして、2010年の『事情のある国の切手ほど面白い』の姉妹編として、世界の年賀切手から見えるお国事情についても、書籍としてまとめられたら…と思っております。

 【参考】中國民眾熱議「憤怒龍」郵票(BBCサイトの元記事)

 這套備受爭議的郵票仍能吸引龐大的購買人潮。
 中國郵政發行的春節特種郵票引發廣泛爭議。不少評論認為,星期四(1月5日)發行的這枚郵票,其巨龍圖樣「兇神惡煞」。
 中國郵政則堅稱郵票是歷史與現代的完美結合。郵票的設計者則強調,設計成這個強烈形像是有必要的。
 英文《中國日報》引述設計者陳紹華說,對於普羅大眾而言,龍可以替人消災避邪,帶來幸福和平,因此要設計成這威武形像。
 但是社交網站上有關這枚郵票的批評卻此起彼落。
 作家章詒和按鍵 在其新浪微博上說:「打開報紙就看到這個壬辰龍票。嚇死了!」 官方《人民日報》的一名高級編輯,中國新聞攝影學會學術部副主任許林按鍵 則說:「如果是對外剛猛有力倒是在理,但這郵票偏偏大多數是在國內使用,對內兇神惡煞是否合適?」
 一些網民也把這枚郵票與中國第一枚郵票——清朝的「大龍票」——進行比較,認為「大龍票」上的龍是「威而不怒」。
 儘管如此,中國各地到郵局排隊購買這套郵票的人依然隨處可見,不少郵局報稱郵票在短時間內售罄。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・1月9日(月・祝)10:00~ ラジオ・白熱教室
 文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の同コーナーに『年賀状の戦後史』の著者として、内藤が出演する予定です。なお、放送番組の常として、事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号で紹介されました。

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 出初式
2012-01-06 Fri 16:19
 今日(6日)は消防出初式の日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        自治体消防50年

 これは、1998年に発行された自治体消防50年の記念切手で、図案は、豊原国周の消防装束の役者絵と、救急車および消防車を組み合わせています。

 明治以前の江戸は大規模な家事が頻発する都市だったため、いろは四十八組に代表される町火消しが活躍したことで知られています。ただし、江戸の町火消は、鳶職など、通常の仕事の合間に、火災が発生すると消火活動に駆けつけるという非常備組織でした。これに対して、1880年に発足した近代消防制度は専従・専門職員からなる常設組織です。

 しかし、そうした制度面の相違以上に、江戸の町火消と近代消防では、消火に対する根本的な考え方が異なっています。今回ご紹介の切手は、現在の消防と江戸の町火消を対比させているので、両者の本質的な差異を理解するうえで役に立つものといえましょう。

 すなわち、役者絵から切り抜いて取り上げられているのは纏持と鳶人足ですが、このうちの纏は、町日消が自分たちの組を示すために用いたもので、木の棒の先に組の名を示す頭と馬簾(房飾り)がつけられています。火災が発生すると、現場に駆け付けた纏持は風下の建物の屋根にあがり、消火すべき地域の目標を示しました。これに従い、延焼を防ぐため、鳶人足は鳶口などで纏よりも風上にある建物を一斉に破壊しました。もちろん、龍吐水や水鉄砲などで散水し、鎮火させることも行われたのですが、長時間にわたり継続的に散水し続けることが技術的に不可能であったため、町火消の消火活動は、あくまでも延焼を防ぐための破壊消火が中心であり、火災現場からの人命の救助も二次的な仕事でした。

 これに対して、現在の消防は放水や消火剤の散布によって鎮火させることを最優先にしており、延焼を防ぐための破壊活動は最小限にとどめられています。もちろん、火災現場での最優先課題は人命救助です。

 こうした町火消との相違点を明らかにするため、切手では、鳶口を持った町火消の背後に現在の消防自動車が、纏持の背後に救急車を取り上げた構図になったものと思われます。

 なお、切手の発行名目となった“自治体消防”というのは、戦前の消防が警察の一部門だったのに対して、第2次大戦後の制度改革の一環として、1948年に消防法・消防組織法等が制定され、消防と警察は分離されたことに伴い、それまで国が行ってきた消防業務を市町村が行うようになったことを反映したものです。


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 日豪戦争⑱
2012-01-05 Thu 23:37
  ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第451号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回はオーストラリア軍の日本進駐の話を書きましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        BCOF半ペニー

 これは、1946年10月11日に発売されたカンガルーを描く2分の1ペニー切手です。

 1946年7月18日、オーストラリア連邦議会上院(元老院)において、チャールズ・ブランド議員は在日オーストラリア軍の差し出す郵便に“日本”の表示が入った消印を使わないのかと質問。そうした消印は、オーストラリア軍が敗戦した敵国に占領軍として初めて進駐したことの歴史的な記録になるのではないかというのが、その理由です。ブランドは、さらに、世界的に見れば占領地において加刷切手を発行した例もあると付言しました。

 これに対して、上院議員で郵政長官のドン(ドナルド)・キャメロンの答弁のポイントは以下の通りです。

 1.現時点では日豪間の民間人の郵便は再開されていないが、現在、関係機関で再開に向けて検討中である。(筆者注:敗戦により中止されていた日本から外国あての郵便物の取り扱いが再開されたのは1946年9月10日であった)
 2.日本に進駐したオーストラリア軍部隊発信の郵便物は軍事郵便として取り扱っている。
 3.過去の先例に倣い、オーストラリア軍の野戦郵便局では識別番号の入った郵便印を用いているが、差出地の地名表示入れていない。
 4.日本以外の地域からのオーストラリア軍の撤退が進めば、関係省庁も駐日オーストラリア軍の野戦局において“JAPAN”の表示が入った郵便印を使用することに反対しないと思う。
 
 キャメロン郵政長官の答弁には、“JAPAN”の表示が入った郵便印については言及がありますが、加刷切手についての言及はありません。

 それにもかかわらず、1946年10月11日、突如、カンガルーを描く2分の1ペニー切手、皇后エリザベスを描く1ペニー切手、国王ジョージ6世を描く3ペニー切手の3種のBCOF加刷切手が発行されたのです。ただし、この時登場したBCOF加刷切手は、本国郵政当局の許可を得ていなかったため、2日後の13日に販売停止となりました。

 本国当局の許可も得ずに現場の判断でBCOF加刷切手が登場した理由として、1946年12月12日付の豪紙『オーストラリアン・ポスト』は、切手を利用した不正送金を防ぐためと説明しています。

 すなわち、同紙によれば、占領下の日本では進駐軍物資の横流しによる闇商売が横行しており、その中でも、最も成功したものが、大量の切手を日本で購入して本国へ送り、郵便局で換金することだったそうです。日本の郵便局では、郵便局で切手を現金で買い取ることは行われていませんが、オーストラリアでは、5%引きで利用者が持ち込んだ切手を買い取っていました。金融機関を通じた正規の海外送金の割高な手数料に比べると、特に少額の送金の場合、5%の割引はかなり割安といえましょう。

 “JAPAN”の文字が入った切手は、こうした不正な送金を防止するため、オーストラリアの在日郵便局で売られた切手であることを特定し、そうした切手を本国に持ち込んで換金することを防止しようとしたものでした。

 もっとも、BCOF加刷切手は発売からわずか2日後で販売停止となったことで、コレクターズ・アイテムとして人気を集め、切手商や収集家の間で額面以上の金額で取引されるようになりました。この結果、BCOF切手の売買は、無加刷の切手を額面の5%引きで換金するよりも“割の良い商売”となります。

 こうしたこともあって、部内の手続きを経て、1947年4月1日、オーストラリア当局は5月8日から、先に発行された3種の切手に、カワセミを描く6ペンス切手、コトドリを描く1シリング切手、カンガルーと地図を描く2シリング切手、皇后エリザベスを描く5シリング切手の4種を加えて、計7種のBCOF加刷切手を発売すると発表。当初、在日野戦局で販売されたBCOF加刷切手は、あくまでもBCOF関係者が郵便に使うという建前で、原則として、BCOF関係者とその家族に限り、1日に買えるのは額面合計10シリングまでとされました。

 BCOF加刷切手は1949年2月12日まで販売され、同年3月28日をもって使用が停止されました。その後、売れ残ったBCOF加刷切手は焼却処分とされましたが、その中には、500ポンドの5シリング切手と2000ポンド相当の6ペンス切手が含まれていたといわれています。

 なお、日本を占領した連合国の主力を占めていた米軍は、野戦郵便局を設置して将兵の郵便物を取り扱ったものの、BCOF加刷切手のような加刷切手は使用しませんでした。このため、BCOF加刷切手は、そもそもの登場の経緯はともかく、結果としてチャールズ・ブランドが主張したように、連合国による日本占領を記録する切手として歴史にその名をとどめることになったのです。


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 年賀状の切手
2012-01-04 Wed 10:03
 例年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、というふたつの基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、年賀状の切手について簡単に解説いたします。(画像はクリックで拡大されます)

        ポルトガル領インド・龍の紋章

 これは、ポルトガル領インドが1958年に発行した切手、ポルトガル領インド総督を務めたロポ・ソレアス・デ・アルベリガリアの龍の紋章が取り上げられています。

 ロポ・ソアレスは、正確な生没年は不詳ですが、1460年頃に生まれたと考えられています。若い頃から船乗りとして活躍し、1495‐99年には大西洋奴隷貿易の拠点で、現在はガーナ領となっているエルミナの砦の指揮官に任じられています。その後、1504年に第6次インド遠征艦隊を率いてカリカットへ赴き、翌1505年、リスボンへに無事帰国。その功績もあって、1515‐18年には国王からポルトガル領インド総督に任じられました。

 さて、昨年は雑誌『キュリオマガジン』に「郵便学者の世界漫遊記:極東ロシア・ハバロフスク篇」を連載し、それをもとに<切手紀行シリーズ>の第4巻として『ハバロフスク』を上梓いたしましたが、今年も、このパターンを踏襲して、同誌にインド西海岸についての連載を執筆し、<切手紀行シリーズ>第5巻の書籍を刊行する予定です。
 
 『キュリオマガジン』の連載では、昨年2月に訪れたカリカット、コーチン、ゴアの3ヵ所を取り上げる予定ですが、いずれも、ポルトガルにゆかりの深い場所ということで、年賀状の題材として、ポルトガル領インドの切手を持ってきたという次第です。また、切手に描かれた紋章の主であるロポ・ソアレスは、無事にインド遠征の任務を果たしたことでその後の出世の糸口をつかんでいますので、僕も、無事に切手紀行シリーズの第5巻を出すという目標を達することで、その後のステップ・アップにつなげていければ…という思いもあります。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。


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 臨時中立の龍
2012-01-03 Tue 20:44
 辛亥革命の結果、1912年1月3日に中華民国臨時政府が正式に発足して、きょう(3日)でちょうど100年です。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        臨時中立

 これは、辛亥革命期のいわゆる“臨時中立”加刷の切手です。

 辛亥革命と中華民国の建国に関しては、しばしば、「1912年1月1日、中華民国が成立した」という表現が見受けられます。しかし、1912年1月1日は、あくまでも孫文一派が南京で勝手に中華民国の成立を宣言し、孫文がその臨時大総統に就任するための専制を行ったというだけで、中華民国(臨時)政府にはまだ実態はありませんでした。臨時政府が曲りなりにも組織としての形式を整えるのは、1月3日に各省代表が黎元洪を臨時副総統に選出し、孫文が提出した臨時政府の閣僚名簿(大臣に相当する各部総長と次官に相当する次長名簿)を承認してからということになります。なお、この間、1月2日には、孫文の名義で各省に対して、従来の陰暦を廃止し、1912年を元年とする太陽暦を“中華民国暦”として採用するとの通達が発せられています。

 ただし、この段階では、清朝政府は依然として北京に存続していましたし、宣統帝も退位していません。また、諸外国による国家承認もまだ行われていませんでした。

 このため、郵政当局は、とりあえず、清朝側にも革命側にも与することなく、郵政事業を継続するための措置として中立を宣言。そうした立場の表明として、清朝の切手(蟠龍票)に“臨時中立”の文字を加刷した切手を発行すべく準備を進めました。加刷は上海の海関造冊處で行われ、1月30日に福州で3分、1円、2円、5円の4種類の額面が発売されましたが、2月12日に清朝が完全に滅亡したため、福州以外では発売されることなく、また残りの額面の加刷切手も発売されることなく終わりました。今回ご紹介の切手は、このうち、龍を描く3分切手(残りの3額面のデザインは飛雁です)に加刷したもので、辰年の新年に合わせてのご紹介です。

 なお、“臨時中立”加刷の切手のうち、1分、3分、7分、1角6分、5角、1円、2円、5円の8種に関しては、3月22日に“中華民国”と加刷して漢口で発売されたほか、このうちの1分、3分、1角6分、1円、2円、5円は南京でも、さらに、1分に関しては長沙でも発売されました。

 いずれにせよ、1949年10月1日に毛沢東が北京で中華人民共和国の成立を宣言した時点では、国府は依然として重慶に残っており、国共内戦も継続されていたのと同様に、1912年1月1日の時点では、中華民国は必ずしも清朝を打倒して完全に中国大陸を掌握していたわけではないということは、記憶の片隅にとどめておいても損はないような気がします。 
 

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 東郷元帥の絵馬
2012-01-02 Mon 18:58
 昨日(1日)は、初詣に行ってきました。今年は娘が受験なので、彼女の受験科目の日本史にも関係の深い場所で、なおかつ、勝利を祈願するのに相応しいところがよいと思い、東京・原宿の東郷神社にお参りしました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      東郷神社本殿

 この画像は、昨日の東郷神社本殿の画像で、左側にZ旗も掲げられているのが良いですね。日本海海戦の際に連合艦隊が使用していたZ旗に割り当てられた文言「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」にちなんで、お賽銭は千円札を1枚入れてこようかとも思ったのですが、調べてみたら、これは秋山真之の草案によるものということなので、結局、「(彼女の志望校に)ご縁がありますように」とのことで5円玉にしました。別にケチったわけではありません。

 さて、境内では祭神・東郷平八郎の肖像を描く絵馬が売られていました。絵馬の肖像は、1905年2月11日に逓信省が発行した「明治三十七・八年戦役紀念郵便絵葉書 天長節ノ部」の写真をもとにしているのかと思ったのですが、家に帰って比べてみたら、肩から掛かっている大綬(サッシュ)の向きが逆になっていることに気が付きました。(左が絵馬、右が絵葉書です)

      東郷絵馬     日露凱旋絵葉書(東郷・三笠)

 どういうことかと思って調べてみたら、通常の勲章では、大綬は右肩から左腰に掛けるのですが、わが国の場合だと、功一級金鵄勲章は例外的に左肩から右腰に掛けるのだそうです。東郷が功一級金鵄勲章および菊花大綬章を授与されたのは、日露戦争の終結翌年の1906年4月のことでしたから、1905年に発行の絵葉書の写真では、大綬が右肩から掛かっているのが当然で、絵馬の肖像は、功一級金鵄勲章を受けた1906年4月以降の肖像をもとに作られたと考えることができます。

 なお、切手の世界では、東郷平八郎というと、昭和切手の4銭5銭7銭の肖像を思い浮かべる人が多いと思うのですが、この肖像のもとになった写真は、東郷晩年の1930年の海軍記念日(5月27日)、自宅を訪れた小学生たちに囲まれて撮影されたものです。生前の東郷の人となりを最もよくあらわすものとして、遺族の強い希望で切手に採用されましたが、昭和切手の図案を討議した改正切手圖案審査委員会の席上では、「勇気が欠けている様に思ふ」、「憂鬱である」などの反対意見も出されました。

 また、切手の肖像では、東郷は晩年まで頭髪がしっかりと残っていますが、絵馬の肖像では頭がほとんど禿げあがっているように見えます。製版上の問題で、絵馬では短く刈り込んだ髪が再現できなかったということなのでしょう。もっとも、禿頭の“毛がない”は“怪我ない”と同音で縁起が良いとする人もあるようですから、これはこれでいいのかもしれません。 


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