内藤陽介 Yosuke NAITO
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 2月29日の中継印
2012-02-29 Wed 16:46
 きょうは4年に1度の2月29日です。というわけで、2月29日の印が押されたカバーの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シリア・アラブ王国加刷カバー     シリアアラブ王国加刷カバー(裏面)

 これは、1920年2月、アレッポからエルサレム宛に差し出されたカバーで、裏面に同年2月29日のハイファの中継印(右側にその部分の画像を貼っておきました)が押されています。アレッポの消印は日附がはっきりしないのですが、どうやら26日もしくは28日のようです。貼られている切手は、ファイサルのアラブ政府時代の加刷切手です。

 第1次大戦以前、“シリア”といえば、現在のシリア・アラブ共和国の領域のみならず、現在の国名でいうレバノン・ヨルダン・イスラエル(パレスチナ)の領域をも含む広範な地域の呼称でした。

 第1次大戦中、英仏間の密約として結ばれたサイクス・ピコ協定により、現在のシリア・レバノンにあたる地域がフランスの勢力圏と規定されましたが、大戦の終結時、フランスはベイルートやアレキサンドレッタ、ラタキア対岸のルアド島などを占領していたにすぎませんでした。じっさい、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーのイギリス軍でしたし、内陸部の広大な地域はイギリスの占領下に置かれていました。

 このため、ダマスカスの陥落とともに、シリアではファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていたこともあり、1919年のベルサイユ会議では、アカバからアレッポにいたる内陸部は東部OETAとしてアラブ支配地域に指定され、フランス支配地域の西部OETAはティールからキリキアにいたる海岸地域に限定されています。

 しかし、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。1919年11月、イギリス支配地域の南部OETA以外のシリア・パレスチナ全域からイギリスの占領軍を撤退させることに成功します。なお、これに伴い、フランスは西部OETAの郵便業務を引き継ぐことになり、自国の切手に「敵国領土占領(区域)」を示すフランス語(Territoiers Ennemies Occupes)の頭文字にあたるT.E.O.の文字を加刷した切手を発行しました。

 一方、イギリス軍の撤退により軍事的保護者を失い、フランスの軍事的脅威に直接さらされることになったアラブ支配地域では、首長のファイサルが、フランスとの交渉により、シリア内陸部におけるアラブ政府の存在を認めさせるべく、レバノンにおける委任統治の承認やベカー高原における中立地帯の設置などの妥協案を提示していました。その一方で、ファイサル政権は、オスマン朝時代の切手を接収して“アラブ政府”と加刷した切手を発行するなど、アラブ政府の存在を既成事実化するための措置も取っていました。今回ご紹介の切手とカバーはこの時期のモノです。

 しかし、シリア地域のアラブの間では、フランスとの妥協を図ろうとするファイサルの弱腰を非難する声が強く、それに押し切られるかたちで、1920年3月に招集されたシリア国民大会において、ファイサルはシリア・パレスチナ地域全域を領土とする立憲君主国「アラブ王国」の国王となり、独立を宣言しました。

 これに対して、フランスは、1920年4月のサンレモ会議において、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、イギリスに対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始。全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。
 
 さて、第一次大戦から現在のシリア国家が独立するまでの期間のシリアは、切手や郵便の面で非常の面白い材料が多いので、いずれはまとめてみたいと思っています。書籍化を目指すということであれば、良くも悪くも、シリア情勢が人々の耳目を集めている現在は千載一遇のチャンスなんですが…。

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 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話 

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 世界漫郵記:カリカット②
2012-02-28 Tue 12:29
 『キュリオマガジン』2012年3月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、インド西海岸篇の3回目。今回は前回に続きカリカットの後篇で、その記事の中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        カリカット現行消印     

 左は、昨年2月、カリカット局から僕が実際に差し出した郵便物の一部です。右側には、その局舎に掲げられていた看板の写真を貼っておきます。

 英語でカリカットと呼ばれている都市の名前を、現地の発音に近いカタカナでで表記するのは、ちょっと頭の痛い問題です。

 インド連邦政府の公的共通語は英語とヒンディー語ですが、インド憲法ではこのほかに州の公用語などとして使用しうる22の言語を指定しています。このうち、カリカットを含むケーララ州で使われているマラヤーラム語もその一つで、丸みを帯びた文字は、ヒンディー語で使われるデーヴァナーガリー文字とは全く違います。

 そのマラヤーラム文字では、カリカットはകോഴിക്കോട്と書くのですが、これを対照表を見ながら、これをラテン文字のアルファベットに転記するとkōḻikōṭ となるようです。細かい発音はわからないのですが、おそらく、“コーリコート”と発音するのでしょう。これだと、僕たちが馴染んでいるカリカットとも似たような発音です。

 ところが、英語などでカリカットの現地語アルファベット表記を見てみると、ことごとくKozhikodeとなっています。これをそのまま読むと、“コジコデ”とか“コージコード”になりそうなものなのですが、これでコーリコードと読ませるのだそうです。おそらく、メザシのようなデーヴァナーガリー文字でマラヤーラム語を転記したときの、スペルのズレが理由なのでしょうが、“zhi”の部分を“リ”と読めといわれても、面食らう人が多いのではないでしょうか。

 そういうわけで、カリカット局の消印はどんな表示になっているのか、実際に葉書でも出して確かめてみようと前々から考えてたわけです。

 ちなみに、郵便局の前には、自治体当局の立てた広告掲示板があって、その地名表記は英語のみで“KOZHIKODE”となっていました(下の画像左)が、郵便局の局舎に掲げられている看板は、英語表記が“CALICUT”でマラヤーラム語が併記されたバイリンガルとなっています。(下の画像右)

      カリカット局前     カリカット局看板

 きょうの記事の冒頭でご紹介のオンピースの消印の表示は、そのいずれとも異なり、英語が“CALICUT”で、デーヴァナーガリー文字の入ったバイリンガル表示でした。円形のはずの消印の周囲がゆがんでいるのが、なんとなく味わいがあって良い雰囲気です。

 ちなみに、デリーの中央政府は、インドの全公用語をヒンディー語に統一する方針を打ち出していますが、これには、ケーララ州を含む南部のドラヴィダ語族エリアが猛反発しており、実現のめどは立っていません。そこで、とりあえず、中央から支給する消印の印顆はヒンディー語・英語のバイリンガルとしつつも、地元の局舎の看板はマラヤーラム語・英語のバイリンガル表示を追認せざるを得ないということなのかもしれませんね。

 ところで、今回ご紹介したオンピースの切手に描かれているのは、1930年にノーベル物理学賞を受賞したチャンドラセカール・ヴェンカタ・ラマンです。ラマンの受賞理由は、1928年2月28日にラマン効果(物質に光を入射したとき、散乱された光の中に入射された光の波長と異なる波長の光が含まれる現象)を発見したことによるものですが、これを記念して、インドでは、きょう(2月28日)が“科学の日”に指定されているのだそうです。

 なお、今回の記事では、このほか、カリカット市内の南インド教会や駅周辺の様子などについてもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 
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 シリアで国民投票
2012-02-27 Mon 12:25
 反体制派への武力弾圧が続くシリアで、きのう(26日)、新憲法案の是非を問う国民投票が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        バアス党55年

 これは、2002年にシリアで発行されたバアス党創立55周年の記念切手で、ダマスカスのバアス党本部の建物が描かれています。

 バアス党は、アラブ民族主義・アラブ社会主義・汎アラブ主義を掲げる政党で、究極の目標として、西洋列強によって分断された現在のアラブ諸国を再統合し、アラブの統一国家を建国することを掲げています。なお、彼らの主張する統一アラブ国家の範囲は、東西はイランのフーゼスターン州(イラクのサダム・フセイン政権が、かつて、アラベスタンとして領有権を主張し、対イラン戦争を発動した地域ですな)からモーリタニアまで、南北はシリアからソマリアまでという実に広範なもので、規模の大小や合法・非合法の別はともかく、アラブ諸国にバアス党が存在するのはこのためです。

 このうち、シリアのバアス党は、フランス委任統治時代の1940年にダマスカスで秘密結社として結成されたのが源流で、独立後の1947年、ミシェル・アフラクとサラーフッディーン・ビータールらが中心となって結党大会を開き、政党として正式に発足しました。現在のアラブ社会主義バアス党となったのは、1953年にアラブ社会党と合併してからのことで、1963年3月8日にクーデター(バアス革命)で政権を掌握。さらに、1970年に現在の大統領であるバッシャール・アサドの父親であるハーフェズが政権を掌握しました。

 今回、改正案が出されたシリアの憲法は、ハーフェズ政権下の1973年3月13日に制定されたもので、シリア国家の政体を、社会主義、人民民主主義国家と規定するとともに、バアス党を「国家を指導する政党」と定めています。

 現在の政権与党は、このバアス党を中心に、アラブ社会主義連合党やシリア共産党などが与党連合「国民進歩戦線」を結成しているという体裁をとっていますが、合法的な野党は存在しません。また、国家元首である大統領は、バアス党の提案を受け人民議会が1名を大統領候補とし、国民投票で承認するという選任方法で、大統領の任期は7年。再選は無制限となっています。

 今回の新憲法案では、バース党を「国家を指導する政党」と規定した現行憲法第8条を削除し、複数政党制に基づく政治制度を導入するなどとした点が目玉とされていますが、宗教政党の結成は依然として禁じられています。また、新憲法案第88条では大統領の任期は7年間で2期までと定めていますが、同時に、同第155条で、これらの条件は2014年に予定されている次の大統領選後に発効するとされているため、アサド大統領がさらに16年間権力の座にあることが可能な内容になっています。

 このため、反アサド派勢力は、国民投票は政府が批判をかわすためのポーズのひとつにすぎないと批判。離反兵士で組織する自由シリア軍(FSA)は、政府が市民らに圧力をかけて賛成票を投じさせていると主張し、投票へのボイコットを呼びかけましたが、結果的に、シャール内相は「投票はほとんどの地域で“正常”に行われ、“一部を除いて非常に高い投票率”を記録した」と発表する状況となりました。

 なお、CNNの報道によれば、今回の投票期間中もシリア各地では暴力が続いており、55人の死亡が報告されています。少なくとも、政権側が“民主改革の成果”と自称する新憲法の制定によって、事態が沈静化することはないのは間違いなさそうですな。  

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 切手に描かれたソウル:KBS
2012-02-26 Sun 22:11
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2月17日号が刊行されました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、KBS(韓国放送公社)の切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        KBS

 これは、1977年に韓国で発行された「韓国放送50年」の記念切手で、完成後間もないKBS放送センターが取り上げられています。

 世界最初のラジオの正式放送は、1920年11月、米ピッツバーグのKDKA局による大統領選挙の結果放送とされています。これに対して、日本では、1925年、社団法人東京放送局(現在の日本放送協会の前身)の仮スタジオ(東京・芝浦)からの放送が最初です。

 日本統治下の朝鮮では、総督府逓信局が1924年2月にラジオ放送に関する調査・研究を開始し、同年11月には実験放送を行っています。逓信局の実験放送は日本語だでしたが、翌12月の朝鮮日報社による実験放送は韓国語で行われました。その後、逓信局による韓国語の実験放送などを経て、1926年2月、社団法人として京城放送局創立準備委員会が設立され、同委員会が母体となって、1927年1月、京城放送局が試験放送を開始。同年2月16日に本放送開始となったというわけです。

 当初、放送内容は日本語と韓国語の混成で、聴取料も高額であったことから、受信契約は伸び悩んでいましたが、1931年4月、日本語の第1放送と韓国語の第2放送に分離したことから在韓日本人世帯を中心に受信契約が増加しました。ただし、このことは韓国人リスナーが少なかったということではなく、彼らの多くは、食堂や喫茶店、集会所などでラジオを聴いていたそうです。また、現在の韓国語には日本語経由の語彙が相当数含まれていますが、ラジオ放送がその普及に果たした役割は無視できないといわれています。

 1945年の解放後、京城中央放送局を経営していた朝鮮放送協会も南北に分割され、米軍政下の南側の組織は1948年の大韓民国成立に伴い、大韓放送協会(国営)へと改組されました。一方、ソ連占領下の北側では京城中央放送局からの中継放送が廃止され、現在の朝鮮中央放送が設立されています。

 発足当初の京城放送局の所在地は京城府西大門区貞洞町1-10。これは、現在の地番表示ではソウル特別市中区貞洞にあたり、もとは徳寿宮の懿孝殿があった場所ですが、懿孝殿は日本統治時代の1921年頃、昌徳宮に移転されたことが最近になって確認されました。なお、昌徳宮では、懿孝殿ではなく、懿老殿と呼ばれていますが、これは、「孝」と「老」を誤読ためと考えられています。

 中央放送局は韓国戦争中に一時、、大田、釜山へ避難しましたが、1953年6月にソウルに復帰。その後、ソウル市内の南山に移転し、跡地には徳寿初等学校が建てられました。現在、初等学校の敷地内には、ここに京城放送局があったことを示す石碑があります。ちなみに、初等学校隣にあるのが、韓国の救世軍本部です。

 その後、1970年代に汝矣島・軍用飛行場跡地の再開発計画(1975年には現在の国会議事堂が建設されました)に応じるかたちで、1976年11月、現在の場所(地番表示でいうと、ソウル特別市永登浦区汝矣島洞18)に新社屋が建設されました。これに先立つ1973年3月、国営放送局から現行の公社体制に改組されています。

 今回ご紹介の切手には、完成後間もない放送センターが取り上げられていますが、周囲にはほかに高い建物などがなく、汝矣島の開発が始まったばかりの時代であることがよくわかりますな。

 なお、KBSに続き、韓国3大ネットワークのSBS、MBCもかつては汝矣島に本社を置いていましたが、2004年、SBSが本社・放送センターを陽川区木洞へ移転。さらに、MBCも麻浦区上岩洞への本社移転を計画しており、これが実現すると汝矣島にはKBSのみが残ることになるそうです。


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 イエメン新大統領が就任宣誓
2012-02-25 Sat 22:26
 今月21日に大統領選挙の投票が行われたイエメンで、当選者のハディ新大統領がきょう(25日)、国会で就任宣誓を行い、33年余り続いたサレハ大統領の政権が正式に退陣しました。いわゆる“アラブの春”で長期独裁政権が幕を下ろすのはチュニジアエジプトリビアに続き4例目です。というわけで、きょうはこの切手です。

        イエメンアラブ共和国加刷

 これは、1962年のイエメン革命直後、旧王制時代の切手を接収して“イエメンアラブ共和国”並びにその略称であるYARの文字と1962年9月27日の日付を加刷したものです。

 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。

 1962年9月、イエメンでは、イマーム・アフマドの死に伴う政権交代の隙をつくかたちでクーデタが発生。伝統的なザイド派(シーア派の一派)イスラムに基づく王朝が倒れ、革命政権が樹立されたものの、王党派はサウジアラビアとの国境を越えた山岳地帯に逃れて抵抗を続けました。いわゆるイエメン内戦の勃発です。

 イエメン内戦は、そのまま放置しておけば、いずれ王党派が投降して終わりという雰囲気が強かったのですが、革命政権がエジプトに支援を要請したことから事態は一転。保守派君主国の雄サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じ、王党派を支援したからです。こうして、イエメン内戦はエジプトとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈するようになり、1970年まで続きました。

 一方、イギリスの支配下に置かれていたイエメン南部では、1967年、ソ連の支援の下、南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国に改称)が独立。イエメン社会党の一党独裁体制によるアラブ世界初の社会主義国として、中東やインド洋におけるソビエト連邦の拠点となっていましたが、ソ連崩壊で経済的に行き詰まり、1990年5月22日、北のイエメン・アラブ共和国に吸収される形で南北統一が実現し、現在のイエメン共和国が誕生しました。

 1962年の革命から半世紀のうち33年間、南北統一からの22年間だとその全期間、権力の座にあったサレハ大統領の退陣は、イエメンの現代史にとってはきわめて重要な事件であることはいうまでもないのですが、それが、どういう形で切手や郵便に痕跡を残しているのかは、残念ながら、現時点では把握できていません。ただし、昨年来、サレハ大統領の退陣と、その後継者として当時のハディ副大統領が唯一の候補者として大統領選挙に出馬し、新憲法制定を行うための任期2年の暫定大統領に就任するということは既定の路線になっていましたから、今回の新政権発足に際しては、50年前の革命のときのような暫定加刷切手が登場するということは、おそらくないでしょうね。


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 張大千、ピカソを抜く
2012-02-24 Fri 17:28
 美術品情報大手アートプライス(本社パリ)によると、2011年に全世界で行われた美術品競売で、制作者別の落札額合計で前年まで首位だったピカソに代わり、台湾の画家、張大千が初めてトップとなったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        撥墨荷花図

 これは、1984年に台湾で発行された「張大千の絵画」のうち、彼の代表作である「撥墨荷花」を取り上げた1枚です。

 張大千は、1899年、中国四川省内江の生まれ。伝統的な中国画の修行を積んだ後、1917年、日本に留学し、京都芸術専門学校で染色を学びました。帰国後、1920~30年代には上海などで個展を開催して画家としての地位を確立。1942年から取り組んだ敦煌・莫高窟の壁画の模写は、敦煌の壁画を世界に知らしめるきっかけになりました。

 国共内戦が始まると、共産党の支配を嫌って1948年に香港に脱出。その後、南北アメリカでの活動を経て、1978年、台湾に移住。1983年に亡くなりました。今回ご紹介の切手を含む「張大千の絵画」は、彼の没後1周年にあわせて発行されたものです。

 中華人民共和国の建国後も大陸に残って共産党から厚遇された斉白石に対して、中華民国籍のまま海外で活動し、最終的には台湾で亡くなった張大千は、中国の画家というよりも台湾の画家と紹介するのが妥当だと思うのですが、今回の一件を報じたメディアなどでは、“中国の画家”として紹介されていることが多いようです。本来はチベットの動物であるパンダが“中国の動物”として紹介されるのと同様のケースといえましょう。

 ところで、欧米の美術館には中国の古典絵画を収蔵しているところも多いのですが、その中には、張大千による贋作も少なからず含まれているのだとか。もっとも、加熱する中国の美術品市場では、張大千の贋作もかなり出回っているものと思われます。中には、“張大千の作った贋作”と称して、現在の画家が作った商品もありそうです。いずれにせよ、あと何十年かすると、現在、張大千の贋作を作って世に出た人物が、張大千並みのスターになっているということもあるかも知れません。

 いずれにせよ、ホンモノの張大千だと最低でも数百万は覚悟しないと入手できませんが、切手ならせいぜい数百円で入手できるのがうれしいです。このクラスの切手なら、偽物の心配というのもまずありませんしね。


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 泰国郵便学(18)
2012-02-23 Thu 23:55
 財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第46巻第1号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は1950年代のタイのナショナリズムと切手とのかかわりを書きました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        泰・憲法20年

 これは、1952年12月にタイで発行された「憲法20年」の記念切手です。

 1947年11月8日のクーデターで復権を果たしたピブーンソンクラーム(以下、ピブーン)は、1948年4月8日に第3次内閣を組織しましたが、当初は王宮反乱(1949年6月)、カチ中将の乱(1950年1月)、海軍将校によるクーデター未遂事件のマンハッタン号事件(1951年6月)などが相次いで発生し、政権は安定しませんでした。

 この間、1950年6月には朝鮮戦争が勃発し、タイは国連軍の一員として朝鮮に派兵したが、タイ国内では左翼勢力が主導する“タイ国平和委員会”が派兵反対の運動を展開していました。

 これに対して、1951年11月28日、ピブーンは陸軍司令官補佐のサリット・タナラットならびに警察長官のパオ・シーヤーノンの協力を得てクーデター(いわゆる“静かなクーデター”)を敢行。共産主義の脅威を理由に、仏暦2492年(西暦1949年)憲法を停止して国会を解散するとともに、全政党に解党を命じて、政権基盤の建て直しを図ります。

 ちなみに、仏暦2492年憲法の廃止に伴い、ピブーンらが主導した1932年6月の立憲革命によって同年12月10日に公布された仏暦2475年(西暦1932年)憲法が復活。その後、1952年3月に公布された新憲法は、仏暦2475年憲法の仏暦2495年(西暦1952年)改正版という位置づけです。

 また、1952年10月、北京で開催されたアジア太平洋地域平和会議に平和委員会が9人のメンバーを派遣しタイ軍の撤退などを訴えると、同委員会による東北タイの義捐活動(東北タイは3年連続の旱魃で大きな被害を受けていた)に共産党の宣伝活動という側面があったこととあわせて、同委員会を反乱容疑で一斉摘発し、左派勢力を抑え込むことに成功しました。

 かくして、政権基盤を盤石なものとし、“永年宰相”と呼ばれるようになったピブーン政権は、1952年12月8日、今回ご紹介の「憲法20周年」の記念切手を発行します。

 切手の主題となった“憲法”は、いうまでもなく仏暦2475年憲法のことでした。ただし、静かなクーデターで権力基盤を確立したピブーン政権が実質的に同憲法を復活させたことを考えると、クーデター後のピブーン政権の正統性を誇示する意図をもって発行されたとみなしてよいでしょう。

 また、切手は、立憲革命時、すなわち、仏暦2475年憲法公布時の国王、プラチャーティポック(ラーマ7世)を描く80サタン切手(立憲革命以前の1928年に発行され、在庫として残っていたもの)に、憲法典の原典を収めている民主記念塔の絵柄が加刷されています。

 以前の記事でもご紹介したように、1939年、ピブーン政権はラッタニヨム政策の一環として、1932年の立憲革命の記念日である6月24日を“民族の日”と定めましたが、その理念を可視化するための装置として、1940年の“民族の日”に落成したのが民主記念塔でした。

 このように、憲法20周年の切手には、それ自体、戦前のピブーン政権の業績を華々しく謳いあげる意図が込められています。同時に、そのことは、陸海軍のクーデターや左派勢力による政府批判を抑え込んだピブーン政権による一種の勝利宣言であったとみなすことも可能といえましょう。

 今回の記事では、そうした戦後のピブーン政権とタイ・ナショナリズムについて、さまざまな角度から切手を通じて分析しています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 竹島の日
2012-02-22 Wed 10:38
 きょう(22日)は竹島の日です。というわけで、竹島と直接関係はないのですが、最近気になった韓国切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        韓国メキシコ修好50年

 これは、ことし(2012年)1月26日に発行された韓国・メキシコ修好50年の記念切手で、コククジラが取り上げられています。同図案の切手が両国で発行されていますが、今回ご紹介しているのは韓国側の切手です。

 切手に取り上げられたコククジラは、体長12-14mの比較的小型のクジラで、外洋に出ることなく、沿岸部を南北に往復し、2万キロを回遊します。北太平洋のアジア側の沿岸を回遊する西の系統と、北米側の沿岸を回遊する東の系統があり、西の系統は、夏はオホーツク海で過ごし、朝鮮近海から日本の太平洋沿岸を通過して冬に中国広東地方の沖で繁殖し、オホーツク海に戻るというパターンをたどります。一方、東の系統はカリフォルニア州とメキシコの沿岸が繁殖場です。かつては北半球全域に生息していましたが、乱獲や環境の悪化により、個体数が激減しており、太平洋を挟んで遠く離れた両国の沿岸に共通の保護動物として今回の切手にも取り上げられたということなのでしょう。

 ところで、今回の切手の発行に先立ち、韓国側が発表したプレスリリースには、ちょっと気になる箇所があります。すなわち、コククジラの棲息地として“the West Pacific population that migrates between the Sea of Okhotsk and Korea’s East Sea and the East Pacific population that journey between Alaska and Mexico.(西の個体群はオホーツク海と韓国・東海を回遊し、東の個体群はアラスカとメキシコの間を回遊する)”との記述があるのです。なお、原文では“Korea’s East Sea”の部分は赤字ではありませんが、わかりやすくするために、ここでは赤字としました。

 このブログでも何度も繰り返して申し上げていることですが、領土問題や地名の呼称問題などは、その主張の是非はともかくとして、ありとあらゆる機会をとらえて国家は自らの主張を展開し、それを内外にアピールするのが当たり前です。したがって、日本海の呼称を“東海”と変更するよう国際社会に向けて主張している韓国が、プレス・リリースにそうした記述を使うこと自体は当然予想されることで、賛否は別にして、驚くには値しません。

 しかし、メキシコとの修好50年という、一見、日本海とは無関係に見える題材においてさえ、“東海”をアピールする場として利用している彼らのガッツ?には正直驚かされますし、この事実は我々としても把握しておく必要があるのではないかと思います。

 両国の修好50年とクジラという組み合わせは、圧倒的多数の人にとっては意表を突く組み合わせです。それゆえ、この切手が諸外国のニュースなどで取り上げられる場合には、なぜ、コククジラが題材に選ばれたのか、ほぼ確実に解説がつきます。その場合、日本以外の国では、日本海の呼称をめぐって韓国が理不尽な要求をしているということなど意識のうちにないでしょうから、おそらく、韓国側のプレスリリースがそのまま引用され、結果的に“Korea’s East Sea”の呼称が国際社会に浸透する一助となることでしょう。

 国際社会に対するプロパガンダというのは、こうした地味な作業の積み重ねがボディブローのようにじわじわと効いてくるわけで、それが我々の国益を損なうというのであれば、面倒ではあっても、逐一、これに反論し、これをつぶしていく必要があります。

 日本海呼称問題に関しては、先月(2012年1月)末、アメリカのヴァージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を“東海”と併記することを求める州法案の採決が行われ、結果的に否決されたものの、票差わずか1票というところまで追いつめられるという出来事がありました。わが国の報道では、「歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた」との説明がなされていましたが、それでは、彼らの攻勢に対して、わが国はどのような対策を講じていたのでしょうか?また、寡聞にして、今回ご紹介の切手が問題になったという話も聞いたことがありません。

 竹島・日本海・従軍慰安婦などをめぐる韓国側の主張は、彼らが自分たちの国益として主張するのは彼らの勝手ですが、我々としては到底承服しがたいことばかりです。しかし、そうした理不尽な主張を許してきた最大の原因は、我々自身の無為無策にあるのだということを、日本人としてもっと自覚すべきだと僕は思います。


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 チベット正月
2012-02-21 Tue 15:38
 明日(22日)は、チベット暦の新年に相当するロサルの日です。というわけで、チベットの年越しにちなんで、きょうはチベットの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        1タムカ(ラサ)

 これは、1912年にチベットで発行された1タムカ切手です。以前の記事では、色違いの1/3タムカ切手2/3タムカ切手をご紹介しましたが、今回はロサルにあわせて朱色の1タムカ切手のオンピース(消印はラサ)を持ってきました。ちなみに、伝統的なチベットのお正月では、窓に赤い紙を貼ったり、新年用の蒸しパンには赤い飾りをつけるのだそうです。

 さて、かつての清朝の体制は、満洲族の皇帝が漢族を含む他の諸民族を中央集権的に支配するというのではなく、どちらかというと、域内諸民族の緩やかな連合国家という性質の強いものでした。これに対して、孫文らの革命活動は、“駆除韃虜 恢復中華”のスローガンの下、満州族の支配を打倒して漢民族の政治的・文化的支配を復活させることを建前としていました。

 したがって、“韃虜”に分類される満洲・チベット・モンゴルウィグルの各民族からすれば、自分たちを駆除するということを公言してきた革命政権に服属しなければならない理由はまったくないわけで、清朝の滅亡後、チベットは中華民国に対して分離・独立を宣言します。

 これに対して、中華民国側は自分たちが清朝の継承者であるとの建前から、チベットの独立を認めず、中国領チベットの支配を継続しようと目論見ます。しかし、革命後の混乱により、中国中央政府の統制はチベットには及ばず、チベットは実質的に中国とは別の国になりました。

 こうした状況の下で、今回ご紹介しているようなライオンのデザインのチベット独自の切手が発行され、チベット域内の郵便に使用されることになりました。現在のチベット亡命政府は、かつてのチベットが独立国であったことの根拠の一つとして、独自の通貨・切手を発行していたことを挙げていますが、この切手は、まさにその証拠ともいうべきものです。

 もっとも、独自の切手を発行したとは行っても、中国側がチベットの独立を承認しなかったこともあって、チベットは万国郵便連合には加盟できず、それゆえ、チベット切手は外国郵便に使うことはできませんでした。ただし、かつての清朝も万国郵便連合には加盟できなかったわけですから、このことをもって直ちにチベットの“独立”が否定されることにはならないでしょう。

 1951年、中国人民解放軍が“平和解放”の名の下にチベットに武力進駐し、以後、半世紀近くにわたって中国共産党政権はこの地域を支配し続けています。この間、漢族の急激な流入により、チベットの伝統的な社会構造が破壊され続けていることもあって、強圧的な共産党の支配と強引な中国化・社会主義化への抵抗運動が続けられています。また、中国政府は、チベットの独立運動家やその支援者(とみなされた人々)に対しては容赦のない人権抑圧を日常的に行っており、そのことが国際社会から厳しく指弾されているのは周知のとおりです。

 さて、チベット(四川省のエリアを含む)では、昨年から20人以上のチベット人が中国政府に対して抗議の焼身自殺を行っています。今からおよそ半世紀前の1963年6月11日、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権の仏教徒に対する高圧的な政策に対して抗議するため、ベトナム人僧侶のティック・クアン・ドックがサイゴンのアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺したのを機に、ゴ政権と同政権の保護者であったアメリカに対する世界的な非難の声が上がりました。かつて、ベトナム戦争の時代に反戦・平和を叫んでいた人たちやその流れを汲むリベラル派の諸氏は、なぜ、現在、抗議の焼身自殺を行うチベット人の苦しみに思いをいたし、中国政府の人権弾圧を非難しないのでしょうか。

 まぁ、彼らが行ってきた“反核運動”は、アメリカの核は侵略目的の“悪い核”だが中国やソ連の核は自衛のために認められる“良い核”だという詭弁の上に成り立っていましたから、その延長線上で考えれば、中国の人権弾圧は“良い弾圧”ということなんでしょうな。きっと。


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 自衛隊、南スーダンへ
2012-02-20 Mon 21:35
 PKO(=国連平和維持活動)の一環としてアフリカ・南スーダンでインフラ整備にあたる陸上自衛隊の第1陣が、昨日(19日)、日本を出発。現地時間の20日午後、首都ジュバの空港に到着しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        南スーダン国旗

 これは、昨年7月に独立した南スーダンの切手で、同国の国旗が描かれています。

 現在の南スーダン国家の国旗は、旧スーダンの反政府組織としてハルトゥーム政権と戦っていたスーダン人民解放軍が2005年に制定したものを継承しており、黒は南部スーダンの民(黒人)、白は平和、赤は自由のために流された血、緑は国土、青はナイル川の水、金色(黄色)の星はベツレヘムの星で南部スーダンの団結を象徴しているそうです。なお、国旗の星は、正式には、短い辺と星の腕が平行になるようなデザインなのですが、実際には、長い辺と星の腕が平行になるデザインとして描かれることが多いようです。まぁ、このあたりは、おいおい定着していくことになるのでしょう。

 さて、日中はテントの中でも気温が45℃を超えることがある過酷な環境の下で、疫病や武装勢力などとも戦いながら任務に精励される自衛隊員の方々には、日本人として頭が下がるばかりです。

 ただ、現時点でも、自衛隊はハイチやソマリア沖にもPKO部隊を派遣しており、中国の脅威がかつてないほど増大している中で、南スーダンにかつてない規模での要員を派遣するとなると、自衛隊の本来の任務である国防は果たして大丈夫なのだろうかと一抹の不安を感じずにはいられません。

 本来、PKO活動に参加するのであれば、従来の防衛予算に加えて、PKO活動に必要な分を上乗せした予算と人員を確保しなければならないはずですが、防衛予算を維持するどころか削減し続けている現状で、その一部をさらにPKOに割くということになれば、本来の国防にしわ寄せが来るのは避けられないでしょう。

 昨年3月の東日本大震災に際しての自衛隊の活躍は記憶に新しいところですが、その功に報いるためにも、防衛予算は現在の2倍にしても罰は当たらないんじゃないでしょうか。この10年間、ロシアが5.8倍、中国が3.7倍など、周辺国は大幅に国防費を伸ばしているという現実を考えるのなら、倍増でも少なすぎるくらいだと考えるのは僕だけではないはずです。


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 イラン軍艦、スエズ運河を通過
2012-02-19 Sun 23:22
 イランならびにシリアをめぐる状況が緊迫する中、イラン海軍の駆逐艦と補給艦の計2隻がスエズ運河を通過し、イスラエル沖の地中海を抜けてシリア西部タルトゥースに入港しました。というわけで、きょうはイランの軍艦切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャマラン

 これは、昨年(2010年)イランで発行された駆逐艦ジャマラン就役の記念切手で、ペルシャ湾の地図を背景に、ジャマランと国旗を背にした最高指導者ハメネイの肖像がデザインされています。

 ジャマランは、昨年2月に竣工したイラン初の国産駆逐艦で、全長は94m、満載排水量1500トン超排水量約1400トン。後部デッキはヘリコプターが発着できる飛行甲板になっています。昨年の就役後、アデン湾の海賊出没海域周辺で海賊対処任務、付近海域を航行するイラン船舶に対する護衛任務を行っていますが、今回のスエズ運河通過には参加していません。

 今回、スエズ運河を通過したのは、駆逐艦のシャヒード・カンディと補給艦のハルグの2隻で、航海の表向きの目的は、カスピ海沿岸のイマーム・ホメイニ海軍大学の学生の訓練ということになっていますが、海軍司令官のハビーブッラー・サイヤーリーがメディアの取材に「イランの国力を示し、地域に平和と友好のメッセージを伝えるのが目的だ」と応じているように、軍事的な示威行為にして、友好国であるシリア・アサド政権への支持表明であることはだれの目にも明らかです。

 なお、イラン軍艦のスエズ運河通過は、昨年2月以来、1979年の革命後は2度目のことですが核開発問題をめぐってイランと激しく対立しているイスラエルは、昨年の軍艦通過の際委は、イランの“挑発行為”に対して激しく反発しています。今回の一件もイスラエルを刺激することは確実でしょうな。

 ちなみに、1967年6月に第3次中東戦争が勃発する直前、エジプトはシナイ半島の国境地帯に兵力を進駐させ、第2次中東戦争の終結以来駐留を続けていた国連緊急軍に撤兵を要求するとともに、イスラエルにとって紅海への出口となるチラン海峡を封鎖。さらに、エジプトとシリア、ヨルダンの間では軍事同盟が結成され、イラク、クウェート、スーダン、アルジェリアの各国も有事の際の派兵を約束していたことは見逃してはなりません。結局、イスラエルは、これら一連の状況を“挑発行為”と判断し、アラブ諸国に対して先制攻撃に打って出ることになります。

 まぁ、外交というのは「なめられたら負け」ですので、ある程度の示威・挑発が必要なことは十分に理解できるのですが、こと相手がイスラエルの場合は、ほどほどにしておいた方がいいんじゃないのかなぁ。


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 御快癒をお祈り申し上げます
2012-02-18 Sat 01:42
 今上陛下は「狭心症」と診断された心臓の冠動脈のバイパス手術を受けるため、きょう(18日)、手術を受けられます。というわけで、手術の成功と陛下の御快癒をお祈りして、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        薬師寺・薬師如来像

 これは、2002年7月23日に発行された第2次世界遺産シリーズ第8集「古都奈良の文化財2」のうち、薬師寺・薬師如来像を取り上げた1枚です。

 薬師如来は東方浄瑠璃浄土の教主で、もともとは薬師瑠璃光如来(サンスクリットのバイシャジャ・グル・ブアイドーリャ・プラバの意訳)といいました。大医王仏と呼ばれることもあります。

 650年に玄奘がサンスクリットから漢訳した『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)や707年に義浄が漢訳した『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)によると、薬師如来は、悟りを開いて如来になる以前、菩薩として修業していた時代に、あらゆる病気や障害を除くことなど12の誓願を立て、それらを成就したことで仏となったとされています。このことから、病気平癒を願って多く像が作られるようになりました。

 今回ご紹介の切手の薬師如来像は、680年、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立した薬師寺の本尊ですから、陛下の御快癒をお祈りする日の切手としては、最もふさわしい1枚ではないかと思います。

 ちなみに、仏像としての薬師如来像は、印相は右手を施無畏印、左手を与願印とし、左手に薬壺を持つのが一般的ですが、今回ご紹介の薬師寺の像や法隆寺、唐招提寺の像など、わが国の古い時代の薬師如来像には薬壷を持たないものも少なくありません。

 なお、薬師如来像とその切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。


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 切手サイズのカメレオン
2012-02-17 Fri 19:12
 アフリカ東岸の島国マダガスカルで、爬虫類として世界最小の部類に入る新種のカメレオンが発見されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カメレオン(マダガスカル)     世界最小カメレオン

 これは、1973年にマダガスカルで発行されたカンパニー・カメレオンの切手です。右側には、ナショナル・ジオグラフィックのサイトに掲載の今回発見されたカメレオン、ブロケシア・ミクラの写真を貼っておきます。

 19世紀後半、英仏によるアフリカ分割が進行する過程で、イギリスのザンジバル領有を認める代わりにフランスはマダガスカルを領有することとなりました。仏領となったマダガスカルは、1943年以降、自由フランスの支配下で対独戦争に協力しましたが、大戦後のフランス支配下では、マダガスカル人からなる州議会が設置されたものの、その権限は制限されていたため、住民の不満が募り、1947年には大規模な反乱が発生します。

 このため、反乱鎮圧後、フランスはマダガスカルの自治を拡大する政策を採用。一方、1951年、1952年、1957年の選挙を経て、1958年9月28日の住民投票では、マダガスカルの有権者の78%がフランスの第5共和政憲法を承認。続いて全州議会のメンバーで構成された議会で、マダガスカルはフランス共同体内の自治共和国となることを宣言し、これは同年10月14日に承認されました。

 これに伴い、自治共和国はその国号を現地語のマラガシー共和国と改称。その後、1960年の正式独立を経て、1975年まで、マラガシー共和国の国号が用いられました。今回ご紹介の切手もその時期に発行されたものであるため、国名表示はマラガシーになっています。

 独立後のマダガスカルは、1972年に軍事クーデターで陸軍少将のガブリエル・ラマナンツォアが政権を掌握しましたが、同政権は安定せず、1975年に海軍中将で元外相のディディエ・ラツィラカが大統領に就任。ラツィラカ政権は人心一新の意味も込めて、国号をマダガスカル民主共和国と変更し、仏領時代以来のマダガスカルの名が復活することになりました。

 さて、今回発見されたカメレオンは、成体の平均体長は鼻先から尾まで2.9センチということですから、まさに、切手サイズといえましょう。そういうことなら、これを機会に、マダガスカルの普通切手は実物大のカメレオンの図案にして、額面ごとに色を変えるというスタイルにしてみたらどうでしょうかねぇ。下手くそな絵で芸能人の顔を描いた“いかがわしい切手”よりも、よっぽど、外国のコレクターに売れると思うんだけどなぁ。


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 太陽像
2012-02-16 Thu 14:47
 きょう(16日)は、昨年(2011年)末に亡くなった北朝鮮の独裁者、金正日が1942年2月16日に生まれてから70周年ということで、息子で後継者の正恩をアピールするためにも、この機会を利用したプロパガンダ工作が活発に行われているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        太陽像

 これは、金正日が亡くなった直後の昨年12月30日に北朝鮮で発行された(とされる)金正日の肖像切手です。このときは、今回ご紹介のモノとあわせて金正日・正恩が並んだ写真の切手を収めた小型シートも発行され、金正恩の肖像を描く最初の切手として話題になりました。いずれも、額面は70ウォンとなっていますので、当初の計画では、金正日生誕70年の記念切手として準備されたものの、本人の急死を受けて、急遽、“主体100年(2011年)”の年号と追悼の文言を入れて発行したのではないかと考えられます。

 さて、今回の切手の肖像ですが、北朝鮮当局は「太陽像」と名付けており、1月12日以降(この日付にはおそらく身意味はなく、準備が整った時点で、ということでしょう)、党政治局によって全国各地に掲げることが決定されました。今後は、おそらく、この「太陽像」が金正日の公式の肖像として使われることになるんでしょうな。

 北朝鮮当局者の説明によれば、「太陽像」はプロパガンダ絵画の制作を担当する万寿台創作社のスタッフに対して、正恩が細かな指示を出し、CGで共同制作したもので、かの国では“記念碑的名画”とされているそうです。北朝鮮のプロパガンダ絵画を(切手や写真を通じてですが)それなりに見てきた僕としては、純粋に絵画として見た場合、もっと良い絵があるように思うんですが、まぁ、そのあたりは、彼らに言わせると僕の審美眼がおかしいということなんでしょう。

 なお、金正日の出生地については、北朝鮮当局は相変わらず中朝国境の白頭山の朝鮮側の密営であると主張していますが、歴史的事実としては、金日成がソ連軍の下で軍事訓練を受けていた時に、ソ連領内で生まれたことが確認されています。その具体的な場所については諸説あるのですが、そのうちの最も有力な場所とされるヴャツコエについては、昨年刊行の拙著『ハバロフスク』でも雪に覆われた現地を訪ねたときのレポートを掲載しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手が語る宇宙開発史(18)
2012-02-15 Wed 21:56
 御報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルナ3号

 これは、1959年10月12日にソ連で発行されたルナ3号打ち上げの記念切手です。

 1959年9月13日に月面に到着したルナ2号(打ち上げは前日の12日)に続き、10月4日には、ルナ3号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。

 ルナ3号は直接月へ向かう軌道に投入され、10月6日、月の南極付近の上空6200キロの地点まで最接近。月の引力で軌道を変えながら飛行を続け、翌7日、月の上空6万3500キロの地点で撮影を開始します。29枚の写真を撮影した後、月を半周して地球へ最接近する軌道に乗って地球へ戻りながら、18日までに17枚の画像データを送信。この時撮影された写真が、人類として月の裏側を撮影した最初の事例となりました。

 ルナ3号の成果により、月の裏側には表側(地球に向いている側)とは違って“月の海”がほとんど存在しないことが明らかになりましたが、ソ連は、ぬかりなく、ルナ3号によって判別できた月の地名に“モスクワの海”と名付けるなど、自分たちが米国に先んじて月を“征服”したことを誇示しています。

 この間の12日にソ連が発行した記念切手は、地上から発射されたルナ3号が月の周囲を回って地球に戻り、さらに月へと向かっていくというプランが描かれました。このプランのゆえに、ソ連はルナ3号を“自動惑星間ステーション”と称しています。ルナ3号の実績からすれば、ここでいう“ステーション”は観測拠点と理解すべきものなのですが、それをあえてステーションと称した背後には、人々の宇宙に対するロマンを掻き立て、あわせてソ連の宇宙技術に対する過大評価と幻想を定着させようという意図が透けて見えるといえましょう。

 ところで、前回のルナ2号の際には、打ち上げ日直後の9月14日にもソ連は宇宙ロケットを描く切手を発行しているものの、月到着というルナ2号の具体的な計画については切手の図案としては表現されていませんでした。以前の記事でご紹介したようなルナ2号の具体的な成果を取り上げた切手が発行されたのは11月1日のことで、こちらは、ルナ2号の成功を確認してから切手の制作が開始されたためとみるのが妥当と思われます。

 これに対して、今回ご紹介の切手には、ルナ3号の具体的な予想航行図とあわせて、打ち上げ日の10月4日という日付も入っています。この切手を10月12日に発行するためには、遅くとも、ルナ2号が打ち上げられた時点では制作準備が進められていたはずで、ルナ3号の打ち上げが失敗に終わっていれば、切手は日の目を見ることなく終わっていたことでしょう。

 そうしたリスクを冒しても、あえて、こうしたデザインの切手が準備されたのは、10月4日というルナ3号の打ち上げの日が、1957年のスプートニク1号打ち上げから2周年の記念日であり、この2年間でソ連の宇宙開発が長足の進歩を遂げたことを誇示しようというソ連当局の強い意志の表れと考えることができます。そして、その結果として、ルナ3号の記念切手がルナ2号に先んじて発行されるという逆転現象が生じることになったのが興味深いところです。


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 ふんどしの日
2012-02-14 Tue 12:23
 ことし(2012年)から、2月14日は、2と14で“ふんどし”と読む語呂合わせから、日本ふんどし協会(2011年12月14日設立)が制定した“ふんどしの日”になりました。というわけで、記念すべき第1回“ふんどしの日”を祝して、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        われは海の子

 これは、1998年7月6日に「わたしの愛唱歌」シリーズ第6集として発行された“われは海の子”の切手で、ふんどし姿で海に潜って魚をとってきた少年が描かれています。

 さて、一口にふんどしといっても、六尺ふんどし、越中ふんどしから相撲のまわしまで、さまざまなバリエーションがありますが、海との組み合わせからすると、この少年が締めているのは六尺ふんどしでしょう。

 六尺ふんどしは、鯨尺の六尺、すなわち、長さ約2.3メートル、幅35センチ前後の晒を締め込むもので、木綿が普及した江戸時代以降、男性の下着として広く用いられるようになりました。浮世絵などを見ればわかるように、江戸時代には、下半身はふんどしのみで街中を歩く人も少なくなかったのですが、明治維新後の1872年12月、当時の東京府知事が違式註違条例を発令し、ふんどし姿での外出は禁止されてしまいました。なお、明治以降の日本軍では、生地が少なくて経済的な越中ふんどしが兵士たちに支給されることになり、六尺ふんどしは、下着ではなく、主として祭事や水着などに用いられるようになりました。

 ちなみに、現在のような水泳パンツが普及するのは、敗戦後、臀部が露出するのは野蛮であるとしてGHQが接収した明治神宮外苑プールでのふんどし着用を禁止してからのことで、古橋広之進をはじめ当時の選手は、米軍関係者の前では六尺ふんどしの上から海水パンツをはいていたそうです。ということは、第3回国体の切手に描かれた水泳選手も、下半身は見えませんが、そういう格好をしていたということなんでしょうね。

 その後、1960年代になると、高度経済成長と生活の洋風化に加え、合成繊維の開発により安価で品質の良い水泳パンツが普及したことで、古式水泳や教育活動などの例外を除くと、水着として六尺ふんどしを用いる人はほとんどいなくなりました。

 さて、相撲のまわしまで含めると、ふんどし姿の男性を描く切手はいろいろとあります。やはり日本男児たるもの、これから毎年2月14日には、そうした切手を毎年1枚ずつご紹介していこうかと思います。

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 マカオで大規模偽カジノ摘発
2012-02-13 Mon 22:11
 マカオ警察は、きょう(13日)、大型カジノホテルの客室で偽カジノを開設していたとして、本土出身の中国人ら男女16人を逮捕するとともに、チップ約1億パタカ(約9億7000万円)分を押収したと発表しました。マカオで、当局の認可を得ていないカジノが摘発されるのは異例のことです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      康公廟     康公廟(実物)

 左は1992年にマカオで発行された康公廟の切手で、右側にその実際の建物の写真です。

 “康公”というのは、中国の諸侯に贈られた諡号のひとつで、歴史上、多くの“康公”が存在しており、マカオの康公廟がそのうちの誰を祀ったものかという点については、漢代の武将の李烈とする説と、南宋の初代皇帝となった趙構(高宗:在位1127-62)とする説があります。いずれにせよ、1860年頃、マカオ半島の西海岸に康公の像が流れ着き、それを本尊として祀るために建てられたのが現在の康公廟とされています。

 マカオの康公廟は、メイン・ストリートの新馬路との交差点を曲がって十月初五街を150メートルほど進んだ場所にありますが、十月初五街を挟んで廟の反対側、現在、康公廟前地と呼ばれている場所は、かつては波止場に面しており、市が立ち並んでいたほか、露店の賭場が開帳されるにぎやかな場所でした。この露店の賭場を管理するため、マカオ政府が賭場開帳の権利を特定の組織に独占的に与えるようになったのが現在のカジノのルーツになっています。それゆえ、康公廟前地こそが世界最大のギャンブル都市マカオの原点といってもいいのかもしれません。

 さて、今回摘発された偽カジノは、2010年3月から、高級ホテルの客室を合法カジノのVIPルームに偽装し、客に違法薬物入りの飲料を飲ませるなどの手口で金を巻き上げていたそうで、犯人グループのうち15人は広東省出身、残りの1人がマカオ人でした。

 マカオのカジノといえば、その巨大な利権をめぐって、かつては血で血を洗うマフィアたちの抗争の舞台となりました。1999年の返還を前に抗争は下火になったものの、今回のように、大陸の連中が乗り込んできて縄張りを荒らしたとなると、はたして、地元の連中が黙っているかどうか。まぁ、最大のマフィアともいうべき中共や解放軍が、今回の一件をどう収めるか、お手並み拝見というところでしょうかね。

 なお、康公廟前地の露店の賭場から1999年の返還までのマカオ・カジノ史については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 

 * きょう(13日)の午前中、カウンターが98万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 ホイットニーのアメリカ国歌
2012-02-12 Sun 23:45
 グラミー賞など数々の賞を受賞したアメリカの人気歌手で女優のホイットニー・ヒューストンさんが亡くなりました。享年48。謹んで、ご冥福をお祈りします。というわけで、きょうは彼女を偲んで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        1991年スーパーボール

 これは、1991年1月27日、フロリダのタンパ・スタジアムで行われた第25回スーパーボールに際して、地元タンパ局で使われた記念印です。記念印が押されている切手つき封筒(部分)は、前年の1990年9月に発行されたホログラム式の印面のもので、アメリカの国技としてのアメリカン・フットボール(以下、アメフト)がデザインされています。

 スーパーボールは、アメフト最大のプロリーグであるNFLの前年のレギュラーシーズンおよびプレーオフを勝ち上がった2チームが戦って、アメフトの世界一を決めるもので、その第25回決勝戦は、ニューヨーク・ジャイアンツが20-19の1点差でバッファロー・ビルズを下し、4年ぶり2度目の優勝を果たしました。

 この時の大会では、開会に先立ち、ホイットニー・ヒューストンがアメリカ国歌を披露しましたが、この時の彼女の歌唱は歴史に残る名演として語り継がれ、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の直後にはチャリティとして再リリースされたほどです。

 歴史に残るアメリカ国歌の名演といえば、1969年のウッドストックでのジミ・ヘンドリックスのギター演奏が有名です。ただし、彼の演奏は、当時のベトナム反戦の世相を反映し、泥沼化したベトナム戦争への批判を込めたものとなっており(空襲や人々が逃げ惑うようすもギターで表現されています)、1991年1月の湾岸戦争でアメリカ国民の愛国心が高揚していた中でのホイットニーの歌唱とは対極にあるといってよいでしょう。もっとも、純粋に音楽として聞いている分には、どちらも鳥肌が立つほどの素晴らしいものであることには変わりないのですがね。

 わが国でも、国際的なスポーツ・イベントに際しては有名なアーティストが『君が代』を歌っていますが、1991年のホイットニーのアメリカ国歌に匹敵するほどの名演というのがあれば、ぜひ、聞いてみたいですな。
  
 まお、ホイットニー・ヒューストンは、グレナダやギニア―ビサウなどの、いわゆる“いかがわしい国”の切手に何回か取り上げられていますが、そうした切手が世に出てくる背景については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 建国記念の日
2012-02-11 Sat 17:37
 きょう(11日)は建国記念の日です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        金鵄

 これは、1940年2月11日に発行された「紀元2600年」の記念切手のうち、金鵄を描く2銭切手です。

 西暦の1940年は、神武天皇の即位を紀元とした暦年の皇紀でちょうど2600年にあたるとされていました。これは、1873)年10月、神武天皇の即位の日として『日本書紀』に記されている“辛酉年春正月庚辰朔”が、西暦では紀元前660年2月11日に相当する、と明治政府が布告したことに基づいています。こうして、2月11日は現在の建国記念の日の前身である紀元節となりました。

 紀元2600年は当時の日本にとって重要な国家イベントとして位置づけられており、この機会をとらえての第12回オリンピック東京大会や日本万国博覧会、国際見本市など、大規模な国際イベントが企画されていました。ところが、1937年にいわゆる日中戦争が勃発し、同年末に日本軍が中国の首都であった南京を陥落させた後も、重慶に遷都した中国国民政府は抵抗を続け、ほどなく膠着状態に陥ります。そして、それに伴い、上記のような国際イベントは軒並み中止に追い込まれたが、かえって、紀元2600年を祝う式典そのものは盛大に行われることになりました。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられた金鵄ですが、『日本書紀』には、即位2年前の戊午年12月丙申の日(12月4日)、東征途上の神武天皇が大和の豪族・長髄彦と戦った際、金色のトビが天皇の弓の先に止まり、その光に目がくらんだ長髄彦の軍を天皇側が討伐したとの記述があります。ここから、金色のトビである金鵄は神武天皇の勝利を象徴する重要なシンボルとなり、それにちなんで、軍人に対する栄誉として金鵄勲章が制定されました。

 まぁ、西暦の紀元前660年に記紀神話の記述どおりに神武天皇が即位したということは、それがそのまま歴史的事実であるとは考えにくいのですが、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述なんかも歴史的事実としては認めがたいわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語としての記紀神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿でしょう。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業で、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだろうと思うのですが、そういうことを言うと、必ずや左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」と主張して反対するんでしょうな。それならそれで、明治維新の1000年以上前、『古事記』と『日本書紀』が編纂された当時から日本はひたすら侵略国家だったとでもいうんでしょうか。そのあたりについては、ぜひとも僕にも理解できるように教えていただきたいものです。

 いずれにせよ、今年は『古事記』1300年ということで、記念切手の発行を含め、さまざまなイベントも予定されてます。これを機に、日本の建国神話についても関心が高まってほしいものです。


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 復興庁
2012-02-10 Fri 22:11
 東日本大震災からの復興施策を統括する復興庁が、きょう(10日)発足し、本格的に業務をスタートさせました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        NRA

 これは、1933年8月15日にアメリカで発行された“全国復興庁”を宣伝するための切手です。全国復興庁の英文名称は“National Recovery Administration:NRA”ですが、きょう発足したわが国の復興庁の英文名称もこれと同じだそうです。

 1933年1月にアメリカ大統領に就任したフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトは、金看板であるニューディール政策を実施するための最も重要な法律として、同年6月、全国産業復興法(National Industrial Recovery Act:NIRA)を制定します。同法の骨子は、企業の生産活動を規制すると同時に、労働者の団結権や団体交渉権を認め、最低賃金を確保して生産力や購買力の向上を目指そうとするものでした。そして、その施行を管轄するための行政組織として設置されたのが、今回ご紹介の切手の主題となったNRAだったというわけです。

 ちなみに、今回ご紹介の切手のデザインは、NRAの宣伝ポスターを元に作られましたが、ポスターでは、左から2番目の人物がルーズベルトになっていました。ところが、昨年まで、アメリカでは存命中の人物は原則として切手に取り上げないという不文律がありましたので、切手収集家でもあったルーズベルトが直々にポスターの自分の顔に髭を加えるなどの修正を施して、この切手が世に出ることになったといわれています。

 なお、ニューディール政策に関しては、左派リベラル色が強すぎるとしてアメリカ国内にも批判が強かったのですが、特に、その中核をなす産業復興法への反発は強く、1935年、合衆国最高裁判所は同法に違憲判決を下しています。この結果、産業復興法は2年足らず廃止され、最低賃金や労働時間などを定めた労働法に関する部分は1935年の全国労働関係法に引き継がれることになりました。

 それにしても、米国のNRAがルーズベルト政権発足から半年後には発足していたのに対して、わが国のNRAは震災から1年が過ぎようとする今日になって、ようやく発足ですか。まぁ、単純な比較はできないにしても、今までの遅れをリカバーすべく、これからはネジを巻いて頑張ってもらうしかありませんな。


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 日豪戦争⑲
2012-02-09 Thu 20:53
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第454号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回は終戦直後の日本の捕鯨再開とオーストラリアの関係を書きましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        マッコーリー島

 これは、これは、1948年3月7日、タスマニア州から1400キロの地点にある南氷洋の無人島、マッコーリー島に郵便局が開設されたことを受けて、同局から記念に差し出されたカバーです。

 第二次大戦後、日本に進駐していた英連邦占領軍(BCOF:British Commonwealth Occupation Forces)は、1947年以降の国際環境の変化により、規模を縮小することになりましたが、オーストラリアは武装解除されたはずの日本に対する警戒感を緩めることはありませんでした。そのことを端的に表したのが、日本による捕鯨再開をめぐるオーストラリアの強硬な反対論です。

 終戦直後の食糧難のなかで、1946年11月には、戦後最初の南氷洋捕鯨船団が出航。1947年3月中旬までに、多くのクジラを捕獲し、日本人にとって貴重なタンパク源をもたらしました。

 ところが、日本による南氷洋出漁に対して、オーストラリアはノルウェーや英本国、ニュージーランドなどとともに、「敗戦国が負けて1年も経たないのに1万トン以上の大型船を建造するのは早すぎる」と強硬に反対します。特に、オーストラリアは、第一次南氷洋捕鯨に出漁した2隻の捕鯨母船を戦時賠償として要求。日本の捕鯨を物理的に妨害しようとするなど、その強硬姿勢が際立っていました。

 言うまでもないことですが、当時の彼らが日本による南氷洋での捕鯨に反対したのは、現在のように「環境保護」が理由ではありません。

 そもそも、当時のオーストラリアは世界有数の捕鯨国の一つでした。また、1948年に発足した国際捕鯨委員会(IWC)も、当初は、鯨油価格維持のための国際カルテルという性格が強いものでした。日本以外の捕鯨国は鯨肉を食用としておらず、彼らにとっては、鯨油価格の動向こそが捕鯨を行う上での最大の関心事だったからです。クジラと環境や動物愛護を結びつける荒唐無稽な言説が一定の影響力を持つようになるのは、1970年代以降、ベトナム戦争の終結により活動の場が狭まったことに危機感を抱いた反戦・反核団体が、新たな寄付金の「市場」を開拓すべく、ビジネスとして自然保護や環境保護、動物愛護などを主張するようになったことが大きいことをわすれてはなりません。

 第二次大戦後まもない時期のオーストラリアが日本による南氷洋捕鯨を何としても阻止したかった最大の理由は、捕鯨にあるのではなく、日本がオーストラリア近海を通過して南氷洋に出漁することへの恐怖感にありました。

 以前の記事でもご紹介したように、オーストラリア連邦の結成以来、オーストラリアは常に日本を恐れ日本の脅威を取り除くことに最大の関心を払ってきました。

 実際に日本が戦争によって壊滅的な打撃を受け、去勢されたといっても過言ではないほどまでに徹底して武装解除された後でさえ、いずれ「優秀な日本人」は復興を果たし、再び自分たちにとって深刻な脅威となるはずだというのが、おそらく、日本との苛烈な戦争を戦った経験を持つオーストラリア人たちの共通認識でした。わずか数年前のダーウィン空襲はオーストラリア北西のティモール海を飛び立った日本軍機によるものでしたが、南氷洋捕鯨に出漁する日本船(しかも、旧海軍の元軍艦)の航路は、オーストラリア大陸により接近したものとなることは確実です。

 戦時賠償として捕鯨母船を没収しようという、どう見ても無理な主張を持ち出してもなんら恥じることがない思考回路の背景には、日本の船が自国の近海を通過することにオーストラリア人たちが抜きがたい恐怖感を覚えたという面があったことを見逃してはならないでしょう。

 結局、この件に関しては、西側世界の盟主にして、日本占領を実質的に仕切っていたアメリカが「(日本の捕鯨再開に)反対する国は日本向けに1000万ドルの食糧援助をしてもらいたい」と一喝したことで決着。オーストラリアも矛を収めざるを得ませんでした。

 もっとも、オーストラリアも自国に接近しつつある「日本の脅威(の幻影)」に対して手をこまねいていたわけではなく、南極の拠点を整備することで対抗しようとします。

 今回ご紹介のカバーにみられるように、オーストラリアがマッコーリー島での調査活動を行い、郵便局を設置したのも、その一環だったわけです。

 マッコーリー島は、1810年7月11日、フレデリック・ハッセルバーグが発見し、当時のニュー・サウス・ウェールズ総督、ラクラン・マッコーリーにちなんで命名されました。ペンギンとアザラシの一大生息地で、1930年ごろまでは各国の狩猟者が訪れて乱獲を行ったため、ペンギンやアザラシの数が激減。1933年に禁猟区に指定され、一般人の立ち入りは厳しく制限されるようになりました。当然のことながら、この時点では、この島に郵便局を設けようという発想はオーストラリア当局にはありません。まぁ、利用者がいないのだから当然といえば当然ですな。

 ところが、1947年、突如としてオーストラリア空軍はマッコーリー島上空から写真撮影による測量を行い、翌1948年3月7日、14名のスタッフを上陸させて同島に研究拠点を設置し、あわせて郵便局も開設されました。事業の収支という点ではマッコーリー島に郵便局を設置しても黒字になることはありえないのですが、郵便局という公共機関を設置し、郵便サービスを提供することで、同島がオーストラリアの支配下にあることを改めて内外に示すためでした。

 ちなみに、オーストラリアは、1933年以降、南極大陸における自国領土の存在を主張してきましたが、1961年6月23日の南極条約批准・発効により、以後、南極大陸における領土主権、請求権は凍結されているというのが建前です。

 しかし、現実には、オーストラリア国家がわが国の調査捕鯨に反対する際、彼らは南極大陸にオーストラリア領土が存在し、その沖合200カイリの周辺海域は「領海」にして排他手的経済水域であるから、該当水域での日本の操業は認められないと主張しています。こうした視点に立つなら、アメリカの「圧力」により、南氷洋での日本の捕鯨再開を阻止できなかったオーストラリアが、次善の策として、自国の領海から日本船を排除することによって、国土を防衛しようと考えるのも、ある意味で自然な発想と言えましょう。マッコーリー島をはじめとする南極周辺の島々は、そうした彼らの「領海」を担保するうえで、きわめて重要な意味を持っているのです。

 いずれにせよ、怪しげな反捕鯨団体が結成されるよりもずっと以前から、捕鯨国・オーストラリアは日本の捕鯨に反対していたという事実を、我々は忘れてはなりません。

 
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 ハワイアンズ全面営業再開
2012-02-08 Wed 12:11
 福島県いわき市常磐藤原町のスパリゾートハワイアンズが、きょう(8日)、全館の営業を再開しました。東日本大震災の影響による約半年間の休館を経て、昨年10月1日から部分営業が行われてきましたが、全面的な営業再開は、震災から約11ヶ月ぶりになります。というわけで、ハワイアンズの皆さんに敬意を表して、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        リリウオカラニ

 これは、1891年にハワイ王国で発行された2セント切手で、同国最後の女王で、ハワイアン音楽の名曲「アロハ・オエ」の作者であるリリウオカラニの肖像が描かれています。

 リリウオカラニは、1838年9月2日、ホノルルでハワイ王族のカラカウア家に生まれ、1860年、米国出身の白人で、後にオアフ島知事となるドミニスと結婚します。

 1873年、カメハメハ5世が崩御し、統一ハワイ王国の創始者・カメハメハ1世の直系が断絶。このため、王位はカメハメハ1世の異母兄弟カライママフの孫であったルナリロが継承しましたが、ルナリロも翌1874年に崩御。このため、リリウオカラニの兄であったカラカウアがハワイ国王として即位し、彼女は女性として初のハワイ王位継承者となりました。

 1887年、リリウオカラニはイギリスのヴィクトリアの在位50周年祝典に招待され、王妃のカピオラニと共に国王の名代として渡英しました。しかし、彼女たちの不在中、いわゆる共和派(プランテーション経営のアメリカ人資本家を中心に、王制を打倒しアメリカへの併合をめざすグループ)のクーデターが発生。国王に新憲法への署名を強要します。この新憲法は、国王の権限を大幅に制限して議会へ委譲するものでしたが、参政権が一部の富裕層にしか与えられていなかったため、実質的に、ハワイ人とアジア系移民の参政権を排除するものとなっていました。

 1891年、失意の中でカラカウアが渡米先のサンフランシスコで客死すると、後継女王として即位したリリウオカラニは共和派との対決姿勢を強め、1893年1月14日、国王の権限強化を盛り込んだ憲法草案を閣議に提出します。これに対して、アメリカ公使のスティーヴンスは社会不安を理由に、1月16日、アメリカ海兵隊の“応援”を要請。海兵隊はイオラニ宮殿を包囲し、翌17日には共和派が政府庁舎を占拠し、王政廃止と“アメリカが正式にハワイを併合するまでの臨時政府(以下、臨時政府)”の樹立を宣言しました。これが、いわゆるハワイ革命です。

 共和派のクーデタによって臨時政府が発足したことに対して、当初、アメリカ政府は現地のアメリカ系財閥の暴走を苦々しく見ており、“革命”を不法なものとして、ハワイ併合を拒否。スティーブンス公使を更迭し、調査団を派遣しました。このため、臨時政府側は、1894年7月4日(アメリカ独立記念日)、ハワイ共和国の独立を宣言しました。

 その後、1895年1月、王制派は反共和制の反乱を起こすものの失敗。リリウオカラニは逮捕され、女王廃位の署名を強制されてハワイ王国は完全に滅亡します。さらに、米西戦争の勃発に伴い、ハワイがフィリピンへの中継基地としての役割を担うようになると、1898年8月、アメリカはハワイの領有を宣言。1900年にはハワイを準州として正式な属領に編入し、米領としてのハワイの歴史が始まることになります。

 さて、今回ご紹介の切手のリリウオカラニが作った「アロハ・オエ」、1878年、若き王女であったリリウオカラニが、オアフ島北部のマウナヴィリで、ある少女と軍人との別れの光景を目にして書いた詞であるとされていますが、歌詞の中に「去っていく前に もう一度あなたを抱きしめよう また会えるその時まで」、「愛する人よ 我が愛しき人よ 真心は決して引き裂くことはできない」とのフレーズがあることから、亡国の悲しみを歌った女王の歌と解釈されることも多いようです。

 いずれにせよ、一概に比定することはできないとはいえ、防衛予算はどんどん削減したうえで、移民をどんどん受け入れて、外国人にも(地方)参政権を与えようと主張する人たちには、ぜひとも、ハワイ王国の先例を学んでいただかないと困りますな。


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 20年、よくもった
2012-02-07 Tue 22:09
 1992年2月7日に欧州連合条約(マーストリヒト条約)が調印されてから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マーストリヒト条約

 これは、1992年10月6日、オランダで発行された“ヨーロッパ単一市場”の切手です。1992年秋、EU加盟各国では同様の趣旨の切手を発行していますが、今回は、マーストリヒトのあるオランダの切手を持ってきました。

 欧州連合条約は、欧州連合(EU)創設のため、1991年にオランダのマーストリヒトで開かれたEC(ヨーロッパ共同体)首脳会議で合意された条約で、1991年12月9日、EC加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日に調印され、各国での批准を経て、1993年11月1日にドロール委員会の下で発効しました。

 その骨子は、①ECを発展的に解消し、EUを創設する、②ヨーロッパ共通通貨としてEURO(ユーロ)を導入する、③外交・安全保障政策の共通化および警察協力・難民対策などにおける各国協調を目的とした司法・内務協力を促進する、の3店となります。

 このうち、1999年に導入されたユーロに関しては、自国通貨を放棄してユーロに参加するためには、ERM2(為替相場変動メカニズム)に参加していることや、財政赤字が国内総生産(GDP)の3%以内であることなどの条件があります。たとえば、慢性的な財政赤字を抱えていたギリシャが、1999年の時点でユーロに参加できなかったのは、この条件を満たしていなかったためです。

 しかし、ドルに対抗しうる強大なユーロの創設を目指していた欧州理事会は、ユーロ圏を拡大させることを優先し、翌2000年6月19日、「ギリシャは高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」として、2001年1月1日からのギリシャでのユーロ導入を承認。かくして、ユーロ圏に加盟したギリシャは、信用力の低い自国通貨ドラクマに代わって信用力の高いユーロ建て国債を発行し、低利で資金を融通して放漫財政を継続します。その結果が、2010年に表面化したギリシャ危機であることは、周知のとおりです。

 まぁ、国家そのものを統合することなく、各国の経済力の格差をそのままにして通貨のみ共通にしてしまえば、さまざまなゆがみが出てくるのは当然、予想できたはずなのですが、やはり、アメリカの一極支配に対抗する大ヨーロッパの理想が優先されたということなんでしょう。じっさい、ギリシャ危機のほかにも、オーストリア・ハンガリー問題(ハンガリーは非ユーロ圏ですが、通貨のフォリントは実質的にユーロとペッグしています)、アイルランド問題、スペイン問題などが相次いで起こっているのをみると、これまでの無理が一挙に噴出したという印象を強くしますな。逆にいえば、よくも20年もったということでしょうか。

 今後、ユーロが生き残るためには、EU域内で圧倒的な経済力を持つドイツが中心となって再建策を進めていくしかないのでしょうが、その結果として、ドイツの前にEU諸国がひれ伏すということになるのであれば、実質的に、ドイツ第4帝国が誕生するという事態になるのかもしれません。両大戦の経験から欧州諸国がドイツの強大化を阻止してしようとしてきた結果としては、なんとも皮肉な話です。

 なお、EUをめぐる諸問題については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 エリザベス女王在位60年
2012-02-06 Mon 23:11
 1952年2月6日、ジョージ6世の崩御に伴いエリザベス2世がイギリス国王として即位してから、ちょうど60年です。というわけで、きょうはエリザベス女王の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        6歳のQEII

 これは、1932年にニューファウンドランドで発行された6セント切手で、当時6歳のエリザベス王女が描かれています。

 現在のカナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州の領域は、かつては、ニューファンドランド自治領としてカナダ本土とは別に独自の切手を発行していました。
 
 ニューファンドランドの地に白人の入植がはじまったのは、1497年にイギリスがこの地を植民地としてからのことで、1854年には自治政府が樹立されます。その後、1907年にはカナダとは別の事実上の独立国となりましたが、第一次大戦に参戦したことで財政が逼迫。さらに、1929年の世界恐慌により財政事情は一層悪化しました。

 このため、1931年にウェストミンスター憲章が成立して自治領の独立が認められた際にも、カナダが独立国となったのに対して、ニューファンドランドは同憲章を受け入れる余裕がなく自治領にとどまらざるをえず、1934年には自治権を返上してイギリスの直轄植民地に戻らざるを得ませんでした。結局、第二次大戦後の1949年3月、ニューファンドランドは住民投票によりカナダ連邦に加わり、現在にいたっています。

 この間、1857年1月から1949年3月末まで、ニューファンドランドでは、カナダ本土とは別に、独自の切手が発行されていました。今回ご紹介の切手もその1枚です。

 この切手が発行された1932年の時点では、イギリス国王はジョージ5世で、皇太子はエドワード(のちのエドワード)でした。この時点では、4年後の1936年12月、エドワード8世がいわゆる“王冠をかけた恋”で突如退位し、弟のジョージ6世が国王として即位するとは予想できなかったでしょうし、ましてや、この切手に描かれた幼女が20年後の1952年にエリザベス2世として即位することになるとは思いもよらなかったことでしょうな。

 ちなみに、今年6月には即位60周年を記念する行事が4日間にわたって行われる予定だそうですが、そういうことなら、このブログでもそれに合わせて、在位60年の間に彼女の肖像がどんなふうに変化していったか、4日連続でたどってみても面白いかもしれません。


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 ローザンヌで日本女性が優勝
2012-02-05 Sun 23:23
 若手バレエダンサーの世界的登竜門であるローザンヌ国際バレエコンクールで、神奈川県出身の高校2年生、菅井円加さんが審査員満場一致で1位に選ばれました。菅井さんは、あわせて現代舞踊賞も受賞したそうです。というわけで、こんなバレーの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        WIPO

 これは、1982年に発行された世界知的所有権機関(WIPO:World Intellectual Property Organization)事務局用の切手で、多種多様な文化・芸術の象徴の一つとして、中央にバレリーナが描かれています。

 国際的な知的財産権の保護に関しては、1883年に制定された「工業所有権の保護に関するパリ条約」と、1886年に制定された「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」を統合する形で、1892年、スイスのベルンに知的所有権保護合同国際事務局(BIRPI:Bureaux Internationaux Réunis pour la Protection de la Propriété Intellectuelle)が設置されました。その後、1967年に BIRPIを発展的に解消すべく「世界知的所有権機関を設立する条約」(WIPO設立条約)が作成され、1970年に同条約が発効したことに伴い、全世界的な知的財産権の保護を促進するための国連の専門機関として、現在のWIPOが発足しました。ちなみに、WIPOの本部はスイスのジュネーヴに置かれていますが、2006年9月1日には、日本事務所が東京に開設されまています。

 今回ご紹介の切手は、ジュネーブのWIPO事務局の郵便物に使用するために発行されたものです。本来なら、今回のローザンヌ国際バレエコンクールに直接的に関係のあるマテリアルをご紹介したかったのですが、あいにく探せなかったので、次善の策として“スイスのバレエ切手”として持ってきたという次第です。

 さて、ローザンヌ国際バレエコンクールは、プロを目指す15~18歳の若手ダンサーの発掘と育成が目的で、1973年から毎年開催されています。今回の優勝で、菅井さんには1万6000スイスフラン(1スイスフランは約83円)の奨学金と希望するバレエ学校に1年間留学する権利が贈られることになっていますが、ご本人は、イギリスの名門バレエ学校バーミンガム・ロイヤル・バレエへの留学を希望しているそうです。1年間の留学を終えたら、ぜひとも、日本での凱旋公演をお願いしたいものですな。


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 英王子、フォークランドへ派遣
2012-02-04 Sat 22:41
 イギリスのウィリアム王子が、2日、イギリスとアルゼンチンが領有権を巡って対立する南大西洋のフォークランド諸島に空軍のパイロットとして着任。アルゼンチン政府が挑発的な行為だと強く反発しているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        フォークランド・ウィリアム成婚

 これは、昨年4月のウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃の結婚を記念してフォークランドで発行された切手です。英領フォークランドとしては、これまで、ウィリアム皇太子に関しては18歳の誕生日と21歳の誕生日にもそれぞれ記念切手を発行していますが、今回ご紹介のものが王子の肖像切手としては最新のものとなります。

 さて、今回の王子のフォークランド派遣について、イギリス国防省は、「ウェールズ大尉(ウィリアム王子)は純粋に空軍の任務で派遣されるのであって、ケンブリッジ公爵として儀礼的な役割を務めることはない」と説明しています。ただし、今年は、なんといっても、1982年4月2日にフォークランド紛争が勃発してから30周年という年回りですからねぇ。国防省の説明を真に受ける人はいないでしょうな。

 当然のことながら、アルゼンチン外務省は「王位継承者であるウィリアム王子が、国家間の平和と対話のために働く指導者の英知ではなく、征服者の制服をまとってわが国土を踏んだことを、アルゼンチン国民は遺憾に思っている」と強く反発しています。

 もっとも、領有権をめぐってアルゼンチンと対立しているからこそ、イギリスとしては、フォークランド諸島が自国の領土であることを誇示するためにも、フォークランド名義で王室関係の記念切手を発行したり、王子を派遣したりしているわけで、アルゼンチンがどのように反発しようと相手にするはずがありません。一方、アルゼンチン側も、イギリスが自分たちに“配慮”することなど万に一つもあり得ないことを承知の上で、きっちり抗議しているのはいうまでもありません。

 いずれにせよ、ある地域の領有権を主張するのであれば、(主張の是非や妥当性はともかく)あらゆる機会をとらえて、その地域が自国の領土であることを内外にアピールし、相手がそうした主張を展開したらそれに猛然と抗議するのが、国際社会では当然の対応です。

 先日、日本政府が尖閣諸島周辺を含む離島に名称をつける動きを見せたところ、中国共産党機関紙の『人民日報』が尖閣諸島を“核心的利益”と位置づけて批判するという出来事がありました。中国側が“核心的利益”としている地域はチベットや内モンゴルなどですから、わが国の領土である尖閣諸島をこれらの地域と同等とみなすということは、尖閣に対する侵略の意図を明らかにしたと同義ととらえるべきでしょう。本来であれば、大使を召還して中国側に厳重抗議するとともに、尖閣周辺に海上自衛隊を派遣して中国の侵略を絶対に許さないという姿勢を示すくらいのことをやっても当然だと思いますが、どうも、首相は消費税増税のことしか頭になく、防衛相はあの体たらくですからねぇ。

 イギリスとアルゼンチンの応報は、そういう意味では、実にまともな国同士のやり取りであるわけで、『人民日報』に「尖閣は核心的理利益」と書かれてもへらへらしているだけの政府を戴く国民としては、彼らにある種のすがすがしささえ感じてしまうのが、実に情けない限りです。


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 龍と鬼
2012-02-03 Fri 12:33
 きょう(3日)は節分です。今年は辰年でもありますので。龍と鬼の組み合わせの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        龍燈鬼

 これは、2002年6月21日に発行された世界遺産シリーズ第7集「古都奈良の文化財1」のうち、興福寺の龍燈鬼を取り上げた切手です。

 龍燈鬼は天燈鬼とともに、仏たちの住む天上界を魔障から守る門番をしている一対の善鬼です。 このうち、龍燈鬼は、腹前で手を組み、右手は上半身に巻きついた龍の尻尾をつかみ、頭上の燈籠を上目づかいににらんだ構図となっています。 動的な天灯鬼に対して、静的な姿勢の龍燈鬼のコントラストは金剛力士の阿吽とも対応するもので、鎌倉彫刻の傑作として高く評価され、1954年には国宝にも指定されました。

 興福寺の天燈鬼と龍燈鬼は、鎌倉時代の仏師・康弁(運慶の三男)の作品で、もともとは西金堂の四天王像に踏みつけられる邪鬼として作られたと考えられています。

 その後、江戸時代の1717年、西金堂が焼失した時、堂内から救い出されたものの、パーツごとに分かれてしまい、明治初年には仏像の修理用の古材として職人たちに提供されたそうです。その際、職人の一人である森川杜園が、提供された古材を組み合わせると鬼の彫刻になることに気づき、燈籠を新しく作って付け加えて現在の姿になりました。この時の機転がなければ、僕たちは天燈鬼・龍燈鬼を目にすることができず、この切手が発行されることもなかったかと思うと、まさに、杜園の慧眼には敬服すべきですな。

 なお、今回ご紹介の龍燈鬼をはじめ、仏教彫刻に登場する鬼を取り上げた切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 パプア沖でフェリー沈没
2012-02-02 Thu 22:51
 けさ(2日早朝)、パプアニューギニア東部ニューブリテン島のキンベからニューギニア島のラエへ航行中だったフェリー「MVラバウル・クイーン」が沈没。少なくとも300人以上とされる乗客のうち、これまでに238人が救助されたものの、現在なお行方不明者の捜索・救出作業が続いているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ドイツ領ニューギニア加刷

 これは、1897年に発行されたドイツ領ニューギニア加刷の切手です。

 ニューギニア島は、1511年にポルトガルの航海士ダブロが“発見”し、1526年にはスペインの探検家メネゼスが最初に上陸。1546年になるとスペインが島の領有を主張したのをはじめ、1793年にはイギリス東インド会社が島全体の領有を主張し、さらに、イギリスに対抗してオランダ東インド会社が、1828年に島の西半分を領有するなど、列強の勢力角逐の場となっていました。ただし、各国による領有権の主張とは裏腹に、気候が厳しく天然資源にも恵まれないニューギニアの開発はなかなか進まず、19世紀までは“領有”は名目的なままに放置されていました。

 こうした状況の下で、1873年、ハンブルクの民間会社ゴーデフロイ商会が島に上陸し、マトゥピを拠点に交易を開始。1875年には、ドイツの軍艦“ガゼル”が近海の島々を探検し、1878年には軍艦“アリアネ”がビスマルク諸島ニューブリテン島の一部を原住民から購入しています。その後、ゴーデフロイ商会は経営難に陥ったため、1880年にベルリンの銀行家アドルフ・フォン・ハンゼマンが設立した“南洋商事会社”がゴーデフロイ商会の経営権を継承。1884年11月には軍艦“エリザベート”がマトゥピに寄港し、同地のほか、ビスマルク諸島やアドミラルティ諸島の各地にドイツ国旗を掲揚しました。

 これに対抗して、同年、イギリスもニューギニア本島南東部のポートモレスビーにユニオンジャックを掲揚。かくして、ニューギニア島は、西部がオランダ、東部は英独両国が南北を分け合う格好となり、1901年のオーストラリア連邦の結成を経て、1906年、英領部分はオーストラリアの管轄下に置かれていました。

 この間、ドイツは1888年2月、フィンシュハーフェンに最初の郵便局を開設したのを皮切りに、ビスマルク諸島と北ソロモン諸島に次々と郵便局を開設。本国切手を用いて郵便活動を展開しました。今回ご紹介の加刷切手が発行されるようになったのは1897年のことで、その後、1901年からは、ドイツ植民地共通図案の“カイザーヨット”切手がこの地でも使われました。こうした状況は、第一次大戦でドイツがニューギニアを喪失するまで続きます。

 今回遭難したフェリーが出発したニューブリテン島の最大都市は、いわゆる太平洋戦争の激戦地として知られるラバウルは、同島最大の都市です。そう考えると、僕たち日本人にとっても決して無縁の土地ではないわけで、一人でも多くの方が迅速に救助されるよう、お祈りしております。

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 ウラジミールは埋葬すべきか
2012-02-01 Wed 23:13
 ロシアのシベリア連邦管区クラスノヤルスクのテレビ局のニュースキャスター、マリア・ブクツエワ(愛称マーシャ)が、レーニンの遺体を現在のレーニン廟から移動して埋葬するか否かという問題について、「ウラジミール・レーニンを埋葬すべきでしょうか?」というべきところを「ウラジミール・プーチンを埋葬すべきでしょうか?」と言ってしまい、話題になっているそうです。というわけで、きょうはレーニン廟の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        レーニン没後1周年

 これは、1925年1月にソ連で発行されたレーニン没後1周年の記念切手で、初代のレーニン廟が取り上げられています。

 ソ連のカリスマ指導者であったレーニンが1924年1月21日に亡くなると、その遺体は、全国から訪れる市民の弔問にこたえるためとの理由で保存処理が施され、赤の広場の遺体安置所に置かれました。安置所は木造で、アレクセイ・シューセフの設計により、わずか3日間で作られましたが、その後も撤去されずに残され、今回ご紹介の期手にも取り上げられています。

 その後、1930年に、ジェセル王の階段ピラミッドや大キュロスの墓のような古代の霊廟を参考にしたデザインの石造りの霊廟が完成。これが、現在のレーニン廟となりました。

 さて、レーニンの遺体の維持には年間6000万円もの経費が掛かるほか、ソ連解体後に発足した現在のロシア政府としては、レーニンの神格化が、現体制への批判としてのソ連時代の肯定につながることを懸念しています。このため、ロシア政府は、しばしば、廟の撤去と遺体の墓地への埋葬を提案していますが、そのたびに、国民世論の反対で立ち消えになってきました。

 今年3月のロシア大統領選挙でプーチンの返り咲き当選が実現すれば、レーニン廟の撤去が現実味を帯びてくるといわれていますが、これに対して、野党候補のミハイル・プロホロフは、レーニン廟の撤去問題について国民投票を行うことを公約の一つに掲げています。

 今回のキャスターの言い間違いは、こうした背景の下で飛び出したわけですが、大統領復帰を目指すプーチンに対する国内世論の風当たりが強まる中で、彼女の言い間違いが投稿されたYouTubeの画像は3日間で50万回も再生されたほか、「マーシャの声は国民の声」、「マーシャ、あなたの言うことは全て正しい」などの声がネット上でさかんに書き込まれているとか。

 話が大きくなって当のご本人はさぞや困惑しているところでしょうが、なにせ、体制に批判的なジャーナリストの不審な死が相次いで起こっているお国柄ですからねぇ。プーチン閣下が大統領に返り咲いた後、彼女が埋葬されてしまうようなことだけは、起きてほしくありませんな。
 

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