内藤陽介 Yosuke NAITO
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 被災地に新モアイ像寄贈へ
2012-03-31 Sat 23:05
 きのう(30日)、チリのピニェラ大統領が東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町を訪れて被災状況などを視察し、友好の証しとしてモアイ像を贈ることを約束したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        モアイ像(1965)

 これは、1965年にチリで発行されたモアイ像の切手です。

 チリ領のイースター島のモアイ像は凝灰岩を彫刻して作られた巨大な人面像で、アフと呼ばれる海に面した島の高台にあります。像が建てられた理由については諸説ありますが、近年の調査で、モアイの台座から人骨が多数発見されたことから、墓碑であったとの説が有力だそうです。ちなみに、アフのモアイ像は、19世紀までに部族間抗争や西洋人による持ち出しなどが原因ですべて倒されていましたが、20世紀以降、考古学者や地元の人の手によって起こされ、現在はおよそ40体のモアイが復元されています。

 さて、今回、ピニェラ大統領が訪問した南三陸町は、前身の志津川町時代の1960年に発生したチリ地震津波で大きな被害を受けたことをきっかけにチリとの交流が始まり、チリ地震津波災害30周年を記念し、チリからモアイ像のレプリカを輸入。1991年7月にモアイ像を志津川湾に面した公園“チリプラザ”に設置しました。

 昨年の震災津波で、この像は頭部が流され(流された頭部は地元の志津川高校で保管されています)、現在、高さ10メートル以上のがれきに囲まれた状態にあります。像を視察した大統領は「日本もチリも災害に負けずに勇気と希望を持って前進してきた。友好の証しとして、もっと大きく美しいモアイ像を贈りたい」と話し、「日本がんばれ」と日本語でエールを送るとともに、あらためて、友好の証として、イースター島最大の高さ5.2メートル、重さ14-16トンのモアイ像のレプリカを寄贈することを決めたのだそうです。
 
 像の制作は4月から開始され、10月には完成品が南三陸町に届けられるということですが、チリの厚意を無にしないためにも、日本中が協力して被災地のがれき処理を進めていかねばなりませんな。

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 カナダの1セント
2012-03-30 Fri 17:20
 カナダ政府は、昨日(29日)、製造コストがかかり過ぎる一方、通貨としての価値が低いことを理由として、1セント硬貨の流通を今年限りで中止すると発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        カナダ1セント(1868)

 これは、1868年にカナダ自治領として発行された最初の切手のうちの1セント切手です。

 現在のカナダの原型は、1867年に制定された英領北アメリカ法により、上カナダ(現在のオンタリオ州)、下カナダ(現在のケベック州)、ノヴァスコシア、ニューブラウンズウィックといった英領植民地を統合し、カナダ自治領が発足したことに求められます。ちなみに、2010年の冬季オリンピックが行われたヴァンクーヴァーを含むブリティッシュコロンビア植民地が自治領に参加したのは、やや遅れて1871年のことでした。

 今回ご紹介の切手は、1867年に自治領カナダが成立したことを受けて、1868年4月1日に発行されたものの1枚で、チャールズ・ヘンリー・ジーンズが原版を彫刻したヴィクトリア女王の肖像が取り上げられています。ちなみに、このとき発行された切手の最低額面は2分の1セントで、最高額面は15セント、郵便料金は、旧植民地間相互の基本料金(2分の1オンスまで)は、前納の場合3セント、受取人払いで5セント、英本国宛は原則前納で12.5セント(未納扱いの場合は不足料として6セント上乗せ)となっていました。

 さて、カナダ政府によると、現在の1セント硬貨1枚の製造には1.6セントがかかっており、流通の中止によって年間約1100万カナダドルのコスト削減が期待できるそうです。また、1セント硬貨の購買力は最初の発行当時(ただし、報道では、具体的にどの通貨を指しているのかよくわかりませんが…)に比べて20分の1に縮小しており、政府説明によると、「一部国民の間で1セントは実用的硬貨というより、むしろ厄介者と考えられている。1セント硬貨を瓶にしまったり、噴水に投げ込んだりするが、釣り銭としては断ることも多い」、「金融機関は1セント硬貨の取り扱い、保管、移送のコスト増大に直面しており、1セント硬貨は支払い手段としての価値に比べ、経済への負担が重くなっている」とのこと。

 そういうことなら、いっそ、旧カナダドル10ドルを新カナダドル1ドルとするデノミを行い、新通貨での1セント硬貨(旧10セントに相当)を発行するという手もあったんじゃないかと僕などは思ってしまいますな。ハイパー・インフレに悩む途上国ではなく、先進国のカナダで新旧通貨の切手の混貼カバーが生まれたら…と想像してみると、収集家としては、ちょっと楽しいですがねぇ。


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 14年ぶりのキューバ訪問
2012-03-29 Thu 21:42
 26日からキューバを訪問していたローマ教皇、ベネディクト16世が、現地時間の28日、フィデル・カストロ前国家評議会議長と会談しました。教皇のキューバ訪問は1998年のヨハネ・パウロ2世以来、14年ぶりとのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        教皇キューバ訪問(1998)

 これは、1998年の教皇訪問を記念してキューバが発行した切手の1枚で、教皇の肖像とハバナ大聖堂が描かれています。

 キューバはもとはスペインの植民地だったこともあり、国民の多くはカトリックの信者でした。しかし、革命を主導したフィデルが無神論者だったことに加え、キューバのカトリック教会がバティスタ政権と反革命派を支持していたこともあって、革命政権は司祭や尼僧ら約300人を国外追放した上、教会が所有していた学校を全て国有化するなどの弾圧政策を推進。これに対して、教皇ヨハネ23世はフィデルを破門するなどの対抗措置を講じ、両者の関係は長らく断絶していました。

 しかし、冷戦終結によりソ連などからの経済支援が断たれ、キューバが対外融和政策を展開するようになると、その一環として、1992年、フィデルの政権はキリスト教徒に対する融和制作を導入。はたして、教皇ヨハネ・パウロ2世はアメリカによるキューバへの通商停止に対して「不正で、倫理的に承諾しがたい」と非難を行い、バチカンとキューバの関係は劇的に改善します。そして、1996年11月、フィデルはヴァチカンを訪問して教皇に謁見。キューバの宗教弾圧政策は事実上、放棄されました。さらに、1998年の教皇のキューバ訪問を受けて、キューバ政府はクリスマスを再び休日とするなど、関係改善はさらに進んでいます。

 ちなみに、今回の教皇のキューバ訪問は、1612年にキューバの守護聖人とされる“カリダデルコブレ聖母像”が発見されてから400年になるのを記念してのことだそうですが、フィデル引退後のラウル・カストロ政権としては、教皇の訪問を受け入れることで、現政権が宗教活動に対して寛容で開放的であることを世界に向けて発信しようとする意図があるとみられています。

 なお、フィデル引退後のキューバと切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 世界漫郵記:コーチン①
2012-03-28 Wed 22:19
 『キュリオマガジン』2012年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、インド西海岸篇の4回目。今回から、コーチン(コーチ)の話が始まります。その記事の中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        コーチン地図カシェ

 これは、2000-01年にコーチンに派遣されたフランス海軍の駆逐艦、ジョルジュ・レイグの関係者が現地から差し出したカバーで、左下に、地図とへびつかいを描いたカシェが押されています。コーチンの話を始めるにあたって、コーチンがインドのどのあたりにあるのか示すフィラテリック・マテリアルとして、記事中の図版として使ったという次第です。

 さて、アラビア海に面したマラバル海岸は、肥沃な水郷地帯であるばかりでなく、古代から各国の商人が交易に訪れ、繁栄を誇っていました。古代におけるマラバル海岸最大の港町は、コーチンの北方40キロの地点にあるクランガノール(コドゥンガルール)で、この地には、キリスト教の伝道のため、使徒トマスが上陸したとの伝承もあります。

 1102年、それまで南インド一帯を支配していた古代チェラ王朝のひとつ、クラセカラから、配下のチョーラのラジャラジャが自立。これが、20世紀まで続くコーチンの藩王国のルーツとなりました。

 1341年、ケーララ最大の大河、ペリヤール川がモンスーンにより氾濫し、マラバル海岸の重要都市であったクランガノールが壊滅的な打撃を受けます。このため、水害に強い港町として、南北に細長い入り江をはさんだ地形のコーチンが注目されることになり、貿易港としての開発が進みます。さらに、1405年ごろには、藩王国の宮廷も、それまでの首都であったティヴァンチクラム(マホダヤプラム)からコーチンに移り、コーチンは名実ともにこの地域の中心となりました。

 一方、マラバル海岸の北方では、このころ、カリカットのザモリンが急速に勢力を拡大していました。ヒンドゥーのカースト制度では、コーチンの王の序列はカリカットのザモリンよりも下位に位置づけられていましたから、コーチンの王は外国人と手を組むことによってザモリンを牽制しようとします。

 かくして、1498年5月、ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに上陸すると、これを好機ととらえたコーチンの王は、ガマに続いてポルトガルの第2回インド遠征で1500年9月にカリカットに来訪したペトロ・アルヴァレス・カブラルをコーチンに招き、貿易取引の許可を与えました。ちなみに、1500年3月、リスボンを出発したカブラル一行はインドへ向かおうとしたものの海流に流されて、同年4月、ブラジルに漂着し、ブラジルの“発見者”としてヨーロッパにその名をとどろかせることになりました。

 いずれにせよ、アラブ・ムスリム商人を排除してマラバル海岸の香辛料貿易を独占したかったポルトガル人にとっても、コーチンの王からの申し出は渡りに船でした。そして、ポルトガル船がアラブの商館を砲撃したのを機に、1503年3月、カリカットとコーチンとの間に戦端が開かれると、ポルトガルはコーチンとともに戦い、大いに戦果を挙げることになります。

 この功績に対して、コーチンの王は地峡の北端にポルトガルの砦を建造することを認め、砦の周囲にポルトガル人の居留地が築かれます。これが、現在、多くの観光客を集めるフォート・コーチン地区のルーツとなりました。なお、建設当初の砦は、当時のポルトガル国王、マヌエル1世にちなみ、フォート・マヌエルと呼ばれていました。

 これを機に、コーチンの実質的な支配権はポルトガルに牛耳られるようになりましたが、そのポルトガルも1663年には退場してオランダが新たな支配者として君臨。さらに、1773年には藩王国のマイソールがコーチンを占領し、1814年にはイギリスがコーチンを保護国化します。

 今回の記事では、次回以降のコーチン漫郵記のイントロダクションとして、上記のようなコーチンの歴史的なアウトラインを中心にまとめてみました。水上から眺めたフォート・コーチンの風景や現地の子供たちの写真などもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 *昨日(27日)のトークイベントは、無事、盛況のうち終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 ワシントンの桜100年
2012-03-27 Tue 14:53
 アメリカ・ワシントンDCのポトマック河畔で、1912年3月27日に桜の植樹式が行われてから、きょうでちょうど100年になりました。これを記念して、日米両国で記念切手が発行されたことでもありますし、きょうは、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ワシントンの桜

 これは、1966年10月5日にアメリカで発行された“国土美化運動”の切手で、ポトマック河畔の桜越しのジェファーソン記念堂が描かれています。

 幕末の開国以降、来日経験のあるアメリカ人の中には、桜の美しさに感動し、アメリカにも桜の植樹を行おうと提唱する者が少なくありませんでした。なかでも、著名な女性紀行作家で1894年に初来日したエリザ・シドモアは、1885年以降、ポトマック河畔への桜の植樹を提案し続け、1891年には『日本での人力車旅情』を出版し、日本人や桜の名所の紹介をしています。

 シドモアは、1909年から桜の苗木を買う募金活動を行うとともに、同年4月5日にはタフト大統領夫人ヘレン宛にポトマック河畔への桜の植樹を提案。タフトが陸軍長官時代に夫ともに来日して(タフタ=桂協定を結んだときでしょうかねぇ)桜の美しさを知っていたヘレンは、即座にシドモアの提案を受け入れると返答しました。

 同じ頃、ニューヨークでは現地在住の科学者、高峰譲吉が「ニューヨークに桜の並木をつくろう」との運動を展開していましたが、ポトマック河畔での植樹計画が明らかになったことで、ニューヨーク駐在の水野総領事とともに、東京市による2000本の桜の苗木寄贈を日米双方に伝えます。

 東京市もこの計画を受け入れ、1909年7月、日露戦争終結のために仲介の労を取ってくれたアメリカに感謝し、日米親善を深めるため、桜の寄贈を決定。同年11月、苗木2000本が日本郵船の「加賀丸」に積み込まれて横浜を出港し、12月にシアトルに到着。翌1910年1月には、ワシントンに運び込まれましたが、運び込まれた苗木は病害虫に冒されていたため、焼却処分になってしまいました。

 このため、東京市では約束を果たすため、2度目の寄贈を行うことを決定。荒川堤の五色桜を穂木にして、伊丹市の台木で約6000本の苗木が育てられ、1912年2月、日本郵船「阿波丸」に乗せられて、シアトルに向けて出港しました。到着後、これらの苗木はワシントンへ向けて運ばれ、同年3月26日、ワシントンに到着。翌27日、タフト大統領夫人と珍田駐米日本大使夫人が、ソメイヨシノの苗木2本の植樹を行いました。これが、ポトマック河畔の桜のルーツです。

 なお、切手に描かれているジェファーソン記念館は、第3代大統領のトマス・ジェファーソンを記念して1943年に建てられましたので、100年前の植樹の際には存在していません。

 ワシントンDCの桜を描く切手としては、僕個人としては、日米修好100年に際してアメリカ側が発行した切手のイメージが強いのですが、日本側から桜を贈った返礼として、アメリカからハナミズキが送られたことを考えると、昭和天皇の訪米に際して発行された切手(日章旗とハナミズキ、星条旗を桜の組み合わせ)も悪くないですね。

 なお、日米修好100年や昭和天皇訪米の背景などについては、拙著『皇室切手』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史

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 香港行政長官のオフィス
2012-03-26 Mon 16:06
 きのう(25日)、投開票が行われた香港の行政長官選挙は、中国の支持を受けた前行政会議招集人・梁振英が、やはり親中派で前政務官の唐英年を大差で破り、当選しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        添馬艦

 これは、昨年(201年)、香港で発行された“添馬艦発展工程”の小型シートです。

 香港島・金鐘の添馬艦の名前の由来は、香港に駐留していた英海軍の主力艦テーマー号で、現在の添馬艦発展工程の場所は1897年から1941年までテーマー号の母港となっていました。第二次大戦後、この場所は埋立てられてイギリスの海軍基地がおかれていましたが、返還を前に海軍基地は昂船洲に移転。その跡地に、返還後の香港政府庁舎と立法会ビルを合わせて建設する計画が立案されました。

 しかし、莫大な建設費用の問題などで英中両国は合意に達せず、添馬艦の土地は、1997年6月30日から7月1日にかけて返還記念式典が行われた後、移動遊園地、ハーバーフェスト(SARS後の復興イベントとしてローリングストーンズなどのコンサートが行われた)、香港国際映画祭の会場などに使われてきました。その後、2006年になってようやく“添馬艦発展工程”として、立法総合ビル(立法会綜合大楼)、香港政府庁舎ビル(政府總部大樓)、行政長官オフィスビル(行政長官辦公大樓)と市民公園を建設する法案が可決。2008年から約3年の工事を経て、政府庁舎は2011年8月から、議会(立法会)は同年10月から使用が開始されました。

 政府庁舎ビルは、二つの建物を上部でつないだアーチ形の構造で、公募作品のうち、金門-協興(Gammon-Hip Hing)共同体の設計が採用されました。デザインは、常に開かれたドア、緑あふれる土地、青い空が広がる未来、市民とのつながりという4つのコンセプトを表現しており、自然の風を利用した換気系統などエコロジーで時代にマッチした建築物に仕上がっているとのことです。なお、今回当選した梁振英が7月1日の着任後、オフィスとして用いるのは、切手では政府庁舎の右側手前の建物で、左手前が立法院です。

 ところで、“時代にマッチした建築物”とされている一連のビル群ですが、風水という観点からすると、行政長官オフィスの正面方位が“坐午向子”となっており、行政長官本人のみならずビルで働く全スタッフにかなりの精神的な負担を強いることが予想されているほか、香港のパワーを減じ、大陸への依存度を強めるような配置が随所になされているのだとか。はたして、この年末年始には、政府庁舎、行政長官オフィス、立法会の食堂などのいたるところで退伍軍人病の菌が発見され、衛生局が消毒に大わらわという事態も起きています。

 まぁ、風水など迷信の類だといってしまえばそれまでですが、香港では返還前の中国銀行ビル建設を発端とする“風水戦争”の過去もありますからねぇ。香港の人たちにとっては大いに気になるところだろうと思います。

 なお、今回の選挙では、当初、本命視されていた唐英年に過去の不倫や自宅の違法建築などスキャンダルが相次いで発覚して支持率が低下し、あわてた中国政府が露骨に梁振英への投票を誘導して、“民主派”統一候補の何俊仁を蹴散らすという結果になりました。香港の自治を尊重する一国二制度が骨抜きになっていることがあらためて浮き彫りになったわけですが、中国にしてみれば、風水の効果が出てメデタシメデタシということなんでしょうな。

 なお、香港の政治と風水については、拙著『香港歴史漫郵記』でも少し取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史

 3月27日(火) 19:00-21:00 於・国立市公民館3階講座室
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 ブラウンシュヴァイクの美談
2012-03-25 Sun 14:49
 ドイツ北部ブラウンシュヴァイクで、福祉施設などに匿名の人物から次々に高額の寄付金が届き、話題になっているのだそうです。というわけで、きょうはブラウンシュヴァイクの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブラウンシュヴァイク(1852)

 これは、1852年に発行されたブラウンシュヴァイク最初の切手です。

 ブラウンシュヴァイクはドイツ北部、ニーダーザクセン州の都市のひとつで、州都のハノーファーからは南東55キロほどの地点にあります。第一次大戦後、ワイマール共和国にブラウンシュヴァイク州として編入されるまでは、17世紀以来のブラウンシュヴァイク公国の首都でした。

 さて、統一以前のドイツでは、1849年にバイエルンが最初の切手を発行し、ついで、ザクセン、プロイセン、ホルシュタイン、ハノーファーなどの諸邦(ステイツ)が順次切手を発行しました。

 1851年12月、ドイツ諸邦とオーストリアの郵便連合が発足すると、連合加盟の諸邦はステイツ間の郵便交換に関しては料金前納制を徹底し(それまでは、料金は受取人払いの扱いが主流でした)、そのために切手を発行することとなり、ブラウンシュヴァイク公国も1852年1月1日に最初の切手を発行しています。

 その時発行された切手は、公国の紋章を描くもので、ブラウンシュヴァイク市内のメイヤー兄弟が凸版印刷で製造しました。郵便料金は、重量1ロト(約16.7グラム)の書状の場合、10マイル(当時のドイツ・マイルは1マイル=7.42キロです)まで1シルバーグロッシェン(以下、Sgr)、10マイルから20マイルまで2Sgr、20マイル以上が3Sgrで、印刷物の基本料金は3分の1Sgr、書留料金は2Sgrであったため、これに対応して、1および3Sgr切手が15万枚、2Sgr切手が30万枚発行されました。

 さて、今回話題となったブラウンシュヴァイクで相次ぐ寄付金の動きですが、昨年11月、路上強盗に遭った老女の記事が地元紙で報じられた数日後、犯罪被害者支援団体の郵便受けに、記事の切り抜きと1万ユーロの現金が入った匿名の封筒が届けられたのが発端で、以後、同様のニュースが報じられるたびに、市内の貧困者向けの施設、教会、託児所などにその記事と現金入りの封筒が届けられているそうです。

 そういえば、日本でも一時期、タイガーマスクの伊達直人を名乗る匿名の寄付が相次いだことがありましたが、似たようなことはどこの国でもあるものなんですね。

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 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史

 3月27日(火) 19:00-21:00 於・国立市公民館3階講座室
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 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
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 切手に描かれたソウル:独立門
2012-03-24 Sat 15:32
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』3月16日号が刊行されました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は独立門の切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        韓国・独立門

 これは、1955年8月15日に韓国が発行した“光復10周年”の記念切手で、独立門と太極旗に断ち切られた鎖がデザインされています。

 先月(2月)21日午後8時頃、ソウルの独立門交差点付近の高架道路で、観光バスが対向車の乗用車と正面衝突する事故が発生。バスに乗っていた日本人14 人が軽傷を負ったほか、乗用車の運転手の男性が脚を骨折するなど韓国人3 人が重軽傷を負うという出来事がありました。

 独立門の交差点から義州路をそのまま北上していけば、5つ星、いやムクゲ5つのホテル、グランドヒルトンは車ですぐの距離にあります。事故の時間帯から考えると、観光バスはその日の予定を終えて、グランドヒルトンにでも戻るつもりだったのではないかと思います。

 独立門の周辺の観光スポットとしては、西大門独立公園の独立門・刑務所博物館が有名といえば有名ですが、なにせ“日帝時代”を糾弾するような展示がなされている場所ですから、ツアーの日本人観光客が立ち寄るとは考えにくいですな。

 さて、独立門は、高さ14.28メートル、幅11.48メートルの御影石の門で、フランス・パリの凱旋門を模して作られました。定礎は李王朝末期の1896年11月21日で、大韓帝国となった直後の1897年11月20日に完成しました。

 したがって、独立門は、1910年に始まる日本の植民地支配からの独立を記念して建立されたものではありえません。ここでいう“独立”とは、清朝からの独立という意味です。

 長年にわたって清朝を宗主国とし、事実上の鎖国体制を採ってきた李氏朝鮮は、1876年に日朝修好条規を結んで開国。その後、列強諸国の圧力に対して、清朝の属国としての地位から脱して近代独立国家の建設を目指すべきだという勢力(開化派)と、清朝との関係を維持・強化することで危機を脱すべきと考える勢力(事大派)が対立するようになります。こうした朝鮮国内の対立は、朝鮮半島の権益をめぐる各国の対立ともリンクし、1894年には日清戦争を引き起こすことになりました。

 日清戦争は、朝鮮での農民反乱の鎮圧をめぐる両国の対立が直接の発端となったことにみられるように、朝鮮に対する清朝の総主権を認めるか否かというのが最大の焦点でした。結局、戦争は日本の勝利に終わり、清朝は朝鮮に対する総主権を放棄して朝鮮が独立国であることを承認。朝鮮からの朝貢などは廃止されました。

 さて、清朝の属国ではなくなったことを受け、朝鮮ではいつまでも属国の首長である“国王”を名乗るのはおかしいということになり、国王を皇帝とし、国号を大韓帝国と改めます。

 その一環として、ソウル4大門の一つで、清の使節を迎えるための門として迎恩門とも呼ばれていた西大門と清朝への服属のシンボルであった大伸皇帝功徳碑などを破壊し、その隣に建てられたのが独立門でした。その建設費用は、開化派の団体である独立教会が中心となり民間の浄財を募り、新生大韓帝国の臣民が独立をお祝いしています。

 このように、独立門は日本からの独立を記念して建てられたわけではなく、清朝からの独立を記念して建てられたものであり、間接的には、日清戦争での日本の勝利を記念する門とみなすことさえできるでしょう。

 そう考えると、独立門こそ、日韓友好の記念碑として広く紹介されてもよさそうなものなのですが、実際には、“独立”という単語に引きずられて、現在の韓国では、日本の植民地支配からの解放を記念して建てられた門だと誤解する人が多いのは残念なことです。というよりも、こうした切手を発行することで、当時の李承晩政権が、そうした韓国国民の“誤解”を助長し、それがその後も継承されていったというのが実情なのかもしれません。もちろん、この切手が発行された当時は、独立門が日本統治時代以前から存在してきたことを知っている韓国人も多かったはずなのですが、時代とともに、そうした事情を知らない世代が多数派になっていきますからねぇ。

 ちなみに、切手では、門の手前にある石柱もしっかりと描かれていますが、これは旧迎恩門の残骸です。このことからも、独立門が建てられた真の目的というものが分かろうというものなのですが…。

 * よみうりカルチャー柏での公開講座は無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 マリでクーデター
2012-03-23 Fri 09:22
 西アフリカのマリで、きのう(22日)、クーデターが発生し、反乱軍部隊が首都バマコの大統領府を支配下に置き、憲法を停止。アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領は大統領府を脱出し、陸軍将校のアマドゥ・サノゴを長とする民主主義制定のための全国委員会が権力を掌握しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        仏領スーダン加刷

 これは、現在のマリ共和国の前身、仏領スーダンで1921年に発行された切手で、遊牧民のトゥアレグ族が描かれています。

 現在のマリ共和国に相当する地域には、1880年、“オート・セネガル植民地”としてフランス植民地政府が置かれました。植民地の名称は1890年に仏領スーダンと改称されました。

 第二次大戦後の1958年、フランス植民地の再編がすすめられていく中で、西アフリカでは、フランス共同体内の自治権を持つ国として、仏領スーダン、セネガルオートヴォルタ(現ブルキナファソ)ダオメー(現ベナン)ニジェールトーゴ象牙海岸(現コートディヴォワール)などの自治共和国がつくられましたが、このうち仏領スーダンとセネガル、オートボルタ、ダオメーの4ヵ国は1959年1月、14世紀にニジェール川流域で繁栄した黄金の帝国“マリ”にちなみ、マリ連邦を結成することになりました。

 ところが、各国の主導権争いなどから、1959年4月に実際にマリ連邦が結成された際に、これに参加したのは、仏領スーダンとセネガルだけで、さらに、1960年8月にはセネガルが連邦からの分離独立してしまったため、旧仏領スーダン地域の地域のみがあらためてマリ共和国となり、現在にいたっています。

 一方、今回ご紹介の切手に描かれているトゥアレグ族は、ベルベル系の遊牧民で、アルジェリア、マリ、ニジェールを中心に100万から350万人が生活しているといわれています。

 このうち、ニジェール領内のトゥアレグ族は、同国北部を中心に反政府闘争を展開していましたが、2002年頃までに武装闘争はほぼ鎮圧されました。こうした反政府闘争と前後して、彼らの一部は雇用を求めて産油国のリビアにわたり、カダフィ政権下で傭兵として活動していました。

 ところが、2007年ごろからトゥアレグ族のニジェールないしはマリへの帰国が相次いだことで、この地域の情勢は再び不安定化。カダフィ政権崩壊後の昨年11月には、マリ北部に向けて帰還途上だったトゥアレグ族の元傭兵の進軍を、ニジェール軍が同国北部のアサマカで阻止するという事件も起きています。

 今回クーデターのあったマリに関しては、今年に入ってから、トゥアレグ族反政府勢力の大規模な武装蜂起が発生していましたが、トゥーレ政権の対応は後手後手に回り、軍内では反政府勢力を鎮圧するための武器弾薬が不足していたことに対する不満が高まっていたそうです。

 こうした状況の下で、おととい(21日)、首都バマコ郊外の軍駐屯地を国防大臣が訪問したのをきっかけに、トゥーレ政権では反政府勢力を鎮圧できないとして反乱部隊が蜂起。今回の政変になったというわけです。

 ちなみに、マリでは今年4月29日に大統領選挙が予定されており、トゥーレ大統領は出馬しない予定だったとか。反乱部隊も、あと一月、我慢すればよかったのに…と思うんですがねぇ。


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 高知で桜開花
2012-03-22 Thu 14:31
 高知地方気象台は、きのう(21日)、全国で最も早く高知市でサクラ(ソメイヨシノ)が開花したと発表しました。というわけで、高知市の桜の標準木のある高知城の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        高知城

 これは、2001年3月1日、「ふるさと切手(高知県)」として発行された高知城と日曜市の切手です。

 高知城は、関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が、1601年から大高坂山に築城した城で、1603年に本丸と二ノ丸が完成したのを受けて、一豊の入城となりました。1727年、城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、1753年までに創建当時の姿のまま再建されました。

 今回ご紹介の切手のうち、左側の1枚は、城の正門にあたる追手門から天守を望む景観です。切手に描かれている樹木のほとんどは松のようですが、毎年この時期に話題となるソメイヨシノの標準木は、敷地内の三の丸にあるそうです。

 一方、右側の切手は“日曜市”を取り上げたものです。高知の日曜市では、追手門から続く往復4車線の道路の2車線分に露店が立ち並ぶもので、背景には高知城も見えます。画面手前の日曜市の露店のテーブルに、土佐文旦とその箱が置かれているのは、なかなか芸が細かいですな。

 さて、ことしは冬場の寒さが厳しかったことや、今月の気温も平年より低い日が多いことから、開花の時期は全国的にやや遅くなるといわれていましたが、日本気象協会によれば、各地の開花予想は静岡市が今月25日、鹿児島市と宮崎市が26日、名古屋市が30日、東京都心が31日、大阪市が来月1日、それに仙台市が来月15日だそうです。見ごろはそこから1週間弱といったところでしょうか。楽しみですね。

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 ダットサン復活
2012-03-21 Wed 14:18
 日産自動車は、きのう(20日)、1981年に廃止した“ダットサン”ブランドを、新興国向けの低価格車として2014年からインドネシア、インド、ロシアで生産と販売を再開すると発表しました。というわけで、きょうはこんなマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ベルギー広告葉書(ダットサン)

 これは、ベルギーで発行された“ダットサン”の広告つき葉書です。ベルギーというと、国内の言語対立からフランス語とオランダ語のどちらかに偏るのはまずいというイメージがあるのですが(このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』をご覧いただけると幸いです)、今回ご紹介の葉書の広告文は全文オランダ語です。別にフランス語バージョンのものがあるのかどうかは、残念ながら、チェックできていませんので、ご存知の方はご教示いただけると幸いです。

 さて、日本人による純国産車の開発は、1914年設立の“改進社自動車工場”によって始められました。同社は1924年にダット3/4トントラックを軍用保護自動車として生産していますが、この“ダット”の名称は、同社の創業者に関わった田健治郎のD、青山禄朗のA、竹内明太郎のTの頭文字と、脱兎のごとく早く走ることをかけた命名でした。

 改進社自動車工場は1926年に実用自動車製造株式会社と合併してダット自動車製造となり、1930年に試作車を完成させました。翌1931年、同社の自動車は“ダットの息子”を意味する“DATSON(ダットソン)”と名付けられましたが、のちに、ダットソンのソンが損につながるというゲン担ぎから“DATSUN(ダットサン)”と改名されています。これが、“ダットサン”ブランドの直接のルーツとなりました。

 その後、ダット自動車製造は石川島自動車製作所に吸収合併され、東京自動車工業株式会社に改称されますが、1933年、日本産業株式会社総帥の鮎川義介が経営する戸畑鋳物株式会社が旧ダット大阪工場を買収して自動車製造株式会社を設立。鮎川は、東京自動車工業株式会社からダットサンの製造権を譲り受け、自動車製造株式会社を日産自動車と改名し、アジア、中南米などに向けてダットサンの輸出が開始されました。

 以来、1981年に日産自動車が輸出ブランド名を“NISSAN”に統一するまで、ダットサンは日本車を代表するブランドとして海外で広く認知されてきました。

 ところで、私事で恐縮ですが、現在、僕が自家用車として使っているのは、日産のマーチです。もっとも、海外旅行の際に成田空港まで乗っていく以外には、近所の買い物と家族の送り迎えくらいにしか使いませんので、年間走行距離は3000キロに遠く届きません。消耗品以外の部品が壊れるというトラブルもなく、維持コストの面からも全く不満はありませんし、総走行距離もようやく4万キロといったレベルですから、新しい車に買い替える必要性を全く感じず、結果的に、1995年以来、17年間乗り続けています。

 まぁ、昨年末に18歳になった娘が近々免許を取るでしょうから、彼女の初心者マークが取れるまでは車を買い替えるということもないでしょうな。この調子だと、2014年にダットサンが海外で復活する頃まで、日産車とのお付き合いも続きそうです。


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 上野動物園130年
2012-03-20 Tue 22:47
 1882年3月20日に“上野動物園”が開園してちょうど130年となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        動物園100年

 これは、1982年に発行された“動物園100年”の記念切手です。

 わが国における動物園のルーツは、1873年、ウィーンでの万国博覧会に出品するため、東京・山下町に日本各地の物産を集めた山下町博物館が開設され、その一角に動物飼育展示室が設けられたことに求められます。

 その後、山下町博物館は収蔵品の充実とともに手狭となったため、上野公園への移転が計画されます。

 1882年、第1回勧業博覧会が上野公園で開催された後、その跡地に山下町博物館が移転。その隣に博物館の付属施設として動物園が設けられ、3月20日、明治天皇来臨の下、開園式が行われました。これが、現在の上野動物園の直接のルーツとなりました。

 当初、動物園は農商務省博物局の所管でしたが、1886年、宮内省に移管されます。このころから、諸外国との動物の交換がさかんに行われるようになり、1887年にヒグマとの交換でトラが収容されるようになったのを皮切りに、1888年にはインド象2頭が、1902年にはライオン、ホッキョクグマ、ダチョウ、1907年にはキリン、1911年にはカバが加わっています。なお、開園当初の年間入場者数は20万人ほどでしたが、キリンが加わった1907年には100万人を突破しました。

 1924年、動物園は皇太子(後の昭和天皇)のご成婚を記念して東京市に下賜されます。その後、1931年に日本初のサル山が登場したほか、1932年には園内に日本初の動物病院が設置されるなど、順調な発展を遂げていましたが、第2次世界大戦中の1943年には、戦時下を理由とした猛獣処分が行われるなどの悲劇もありました。

 大戦後は復興が急速に進み、1949年にはアメリカから“平和のシンボル”としてライオンが送られたほか、インドとタイからインド象が贈られています。さらに、1972年には日中国交正常化を記念して中国からジャイアントパンダ2頭が贈られ、国民的なブームを巻き起こしました。

 現在、上野動物園は、2006年4月の指定管理者制度の導入により、多摩動物公園・葛西臨海水族園・井の頭自然文化園とともに財団法人・東京動物園協会が運営を担当していますが、ジャイアントパンダやスマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物を始め、400種を越える動物を飼育し、年間入場者は350万人を数えるなど、日本を代表する動物園としての地位に変わりはありません。

 1982年は、こうした上野動物園の開園100周年にあたっていたことから、開園記念日の3月20日から5月31日まで、“自然へのとびら、動物園:動物と語ろう地球の仲間”をテーマにさまざまな記念事業が行われました。今回ご紹介の切手も、その一環として発行されたものです。

 切手は、左から順に①ゴリラとフラミンゴ、②ライオンとペンギン、③パンダとゾウ、④キリンとシマウマを組み合わせたもので、原画作者は森田基治です。ちなみに、切手に取り上げる動物の選択に関して、森田は「ポピュラーでなおかつ棲息地域がバラエティに富んでいるものを選びました」としか説明していませんが、上野動物園の飼育課長だった小森厚は「ゾウ、キリン、ゴリラは長い間人気ものとして君臨してきた動物であり、フラミンゴは華麗さ、ペンギンは愛らしさ、ライオンは百獣の王の貫禄、パンダはかわいさ、シマウマは模様のきれいなところが選ばれた理由でしょう」と補足しています。

 なお、今回ご紹介の切手を含む1980年代前半の記念切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 おかげさまで100万PV
2012-03-19 Mon 15:06
 本日(19日)早朝、カウンターが100万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、“100万突破”といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        マライ・郵便貯金100万ドル

 これは、1943年9月1日に日本占領下のマライで発行された“馬來郵便貯金百萬弗紀念”の切手です。なお、切手ではスペースの都合からか、“突破”の文字は略されていますが、切手発行に合わせて9月1日から7日まで使用された記念印には、しっかり、“郵便貯金百萬弗突破記念”と“突破”の文字が入っています。なお、ここでいう通貨単位のドルは、戦前の英領マライ、海峡植民地、サラワク、ブルネイ、ノース・ボルネオの各地域で使われていた現地ドルと等価交換を建前とする日本の軍票のものです。

 日本占領下のマライでの郵便貯金の取り扱いは1942年末から始まりましたから、1年弱で貯金残高が100万ドルを越えたということになります。また、翌1994年5月には500万ドル突破、同年10月には1000万ドル突破の記念印が使用されており、後半になるほど貯金残高の伸びが大きくなっています。もっとも、その背景には、戦時インフレが昂進したという事情がありますから、通貨価値という点で、純粋に1年間で5倍、10倍になったと考えるわけにはいかないでしょうな。

 ちなみに、このブログは2005年6月にスタートして以来、100万PVに到達するまでに6年10か月ですから、このままのペースで行くと、500万PVに達するには30年以上、1000万PVにいたっては60年以上かかる計算です。マライの郵便貯金のようなペースでカウンターの数字が上がっていくということはありえないでしょうが、今後とも、毎日更新のペースは維持していくつもりですので、引き続きのご愛顧・ご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします。

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 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史

 3月27日(火) 19:00-21:00 於・国立市公民館3階講座室
 *お問い合わせ・お申し込みは、国立市公民館(電話 042-572-5141)までお願いいたします。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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 アルジェリアのジャミーラ
2012-03-18 Sun 15:58
 アルジェリア独立戦争の休戦協定であるエヴィアン協定が1962年3月18日に調印されてから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ブーヒレド

 これは、1953年3月、東ドイツからフランス大統領ルネ・コティ宛にアルジェリア独立運動の女性闘士、ジャミーラ・ブーヒールドの解放を求めた嘆願の葉書です。

 第二次大戦中の1940年6月、フランス本国がドイツに降伏するとアルジェリアは親独ヴィシー政府の支配下に入りますが、1942年11月に連合国が上陸。1943年6月にはドゴールの自由フランス政府がアルジェに本拠を構えました。

 これに対して、アラブ系およびベルベル系の住民は戦争協力の代償として戦後の自治・独立を要求しましたが、既得権の維持をはかろうとするフランス人入植者は抵抗を続けていました。こうした状況の下で、1954年7月、ジュネーヴ協定で曲がりなりにもインドシナ諸国の独立が認められると、これに刺激を受けたアルジェリアでも同年10月、それまでの独立運動を統合するかたちでアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成され、翌11月、独立戦争が勃発しました。

 独立運動を力ずくで弾圧しようとするフランス側に対して、FLNはアルジェを中心とした都市でのゲリラ戦術で抵抗し、戦争は7年半にも及びましたが、1962年3月18日、FLNとフランス政府との間でエヴィアン協定が結ばれ、同年7月の国民投票を経て、アルジェリアの独立が達成されることになりました。

 今回ご紹介の嘆願葉書に取り上げられたジャミーラ・ブーヒールドは、1935年、アルジェ生まれ。学生時代からFLNに参加し、西洋人風の風貌を生かして、FLNの指導者、ヤセフ・サーディの連絡係としてフランス兵の屯所などにも潜入するなどの活動を行っていました。

 独立戦争中の1957年4月、フランス軍部隊との戦闘で負傷して捕えられ、過酷な拷問を受けた後、死刑判決を受けましたが、フランス人弁護士ジャック・ヴェルジェスらのメディアを通じての運動により、刑の執行を停止されています。なお、アルジェリア独立運動の女性闘士としては、ほかに、カフェに爆弾を仕掛けた容疑で逮捕され、死刑判決を受けたジャミーラ・ブーパシャがいて、しばしば混同されていますが、全くの別人です。

 ちなみに、ウルトラマンの怪獣ジャミラの名前のもとになったのは、ジャミーラ・ブーパシャのほうで、ジャミーラ・ブーヒールドではありません。また、2人のジャミーラはともに、1962年のアルジェリア独立後、釈放され、新生アルジェリア国家の英雄として迎えられています。

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 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史

 3月27日(火) 19:00-21:00 於・国立市公民館3階講座室
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よみうりカルチャー柏
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 切手でたどる昭和史


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 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
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 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

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 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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 3年ぶりの大統領選出
2012-03-17 Sat 16:01
 与野党対立で約3年にわたり大統領を選出できない状況が続いていたモルドヴァ共和国で、きのう(16日)、ようやく大統領選出投票が実施され、裁判官でEU加盟を公約とするティモフティ氏が選出されました。ただし、ロシアとの関係を重視する野党・共産党は結果を認めず、首都キシニョフ(キシナウ)で約1万人の抗議デモを開催するなど、混乱はしばらく続きそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        モルドヴァ・ベンデル

 これは、1993年、モルドヴァ共和国のベンデルから差し出されたカヴァーで、モルドヴァ共和国の切手つき封筒に、旧ソ連切手ならびに旧ソ連切手に加刷した暫定切手、さらに、モルドヴァ共和国としての正刷切手が混貼されています。

 現在のルーマニアの東の国境線となっているプルート川=ドナウ川とドニエストル川にはさまれた地域は、かつてモルダヴィア公国の領土でしたが、1812年、露土戦争の結果結ばれたブカレスト条約でロシアに割譲され、その支配下でベッサラビアと呼ばれるようになります。

 もともと、長年にわたってモルダヴィア公国の支配下に置かれていた地域だけに住民の大半はルーマニア人でルーマニア語を話していましたが、新たな支配者となったロシアのロマノフ王朝は、この地を南下政策の重要拠点と位置付けて、ロシア人やウクライナ人の入植を進め、ロシア化政策を推進。このため、1859年に、現在のルーマニアの直接のルーツとなるモルダヴィア=ワラキア連合公国が成立した時も、ベッサラビアはその埒外に置かれていました。

 第一次大戦中の1917年、ロシア革命が起こって帝政ロシアが倒れると、1918年2月16日、モルドヴァ議会はキシナウでロシアからの独立を宣言。つづいて同年4月9日、同議会はベッサラビアのルーマニアとの統一を圧倒的多数で議決し、これをルーマニア議会が承認するというかたちで、ベッサラビアはルーマニア領に復しました。これに対して、ロシアのボリシェヴィキ政権は、ルーマニア軍がベッサラビアに駐留していたことを理由に、モルドヴァ議会の決定は無効であると主張。以後、ベッサラビアの回復を虎視眈々と狙うようになります。

 1939年8月23日、ソ連は独ソ不可侵条約の付属秘密議定書において、ベッサラビアの割譲をドイツに認めさせ、翌1940年6月26日、議定書に含まれていなかった北ブコヴィナとともにベッサラビアを併合。ソ連に併合されたベッサラビアは、南部のドナウ川とドニエストル川にはさまれた地域(南ベッサラビア)とそれ以外の地域に分けられ、南ベッサラビアは北ブコヴィナとともにウクライナ共和国に、それ以外の地域はモルダヴィア・ソヴィエト社会主義自治共和国とあわせてモルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国とされます。

 その後、1941年6月22日に独ソ戦が勃発ルーマニアはドイツ軍とともに参戦し、一時的にベッサラビアの失地を回復しますが、第二次大戦後、北ブコヴィナおよびベッサラビアは再びソ連に割譲されてしまいます。その後、ソ連はモルドヴァのルーマニア民族主義が分離主義につながることを警戒し、モルドヴァの多数派民族はルーマニア人ではなくモルドヴァ人であり、モルドヴァの言語はルーマニア語ではなくモルドヴァ語であると強調し続けました。

 しかし、1985年以降のペレストロイカの流れの中でモルドヴァ民族主義が高揚。特に、1989年のルーマニア革命の後、モルドヴァ人の間でルーマニアとの統合を求める声が上がるに至って、非モルドヴァ系の少数民族は、モルドヴァ社会主義共和国内に自治共和国を樹立し、自分たちの権益を維持しようとします。すなわち、1990年8月、南ベッサラビアのガガウズ人(トルコ系正教徒)がガガウズ・ソヴィエト社会主義自治共和国の樹立を宣言。ついで、同年9月、ドニエストル川東岸に住むロシア人およびウクライナ人が、ソ連保守派の支援の下、沿ドニエストル・ソヴィエト社会主義自治共和国の樹立を宣言しました。

 こうした中で、1991年8月、ソ連が崩壊し、モルドヴァ共和国が独立を宣言すると、沿ドニエストル共和国がモルドヴァからの分離独立を宣言。モルドヴァ人と非モルドヴァ人(特にロシア人)の対立が先鋭化する中で、1992年にはロシア系武装集団(後にロシア軍が介入して支援)とモルドヴァ軍との間で戦闘が発生し(トランスニストリア戦争)、現在なお沿ドニエストルはモルドヴァ政府の統制が及ばない地域となっています。

 今回ご紹介のカバーが差し出されたベンデルはドニエストル川西岸の都市で、国際的にはモルドヴァ共和国の一部とみなされています。しかし、1992年のトランスニストリア戦争の結果、中立非武装地帯として、ロシア、モルドヴァ、沿ドニエストルからなる平和維持部隊が駐屯しているものの、実際には沿ドニエストル共和国の支配下に置かれています。カバーが差し出された1993年7月は、1991年8月のモルドヴァ独立から2年、1992年7月のトランスニストリア戦争休戦からは1年しか経っていない時期でもあり、旧ソ連とモルドヴァの混貼カバーが生まれたのも、そうした時代背景を反映したものといえます。

 なお、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』では、ルーマニア国内のモルダヴィア(モルドヴァ)地方のみならず、モルドヴァ共和国への訪問記も書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手でたどる昭和史


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 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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 韓米FTA発効
2012-03-16 Fri 23:02
 きのう(15日)、韓米自由貿易協定(FTA)が発効しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        韓国8大輸出産業

 これは、2006年3月に、韓国が発行した“8大輸出産業”の切手で、自動車、半導体、石油化学、電器、機械、造船、鉄鋼、繊維自動車、半導体、石油化学、電器、機械、造船、鉄鋼、繊維の各産業を象徴するデザインの切手の連刷となっています。切手が発行された2006年3月は、韓国が米国とのFTA締結に向けた交渉を開始した時期であり、今回ご紹介の切手は、貿易立国としてFTA交渉の早期妥結にかける韓国側の意気込みをしましたものと理解されています。

 韓米FTA交渉を開始した盧武鉉政権は、いわゆる左派政権として、企業により大きな社会的負担を求める経済政策を採用していましたので、国内総生産(GDP)を基準とした経済成長率は前政権までと比べて大きく落ち込んむことになりました。すなわち、金泳三時代の平均成長率は、前期(1993-95年)7.9%、後期(1996-97年)5.9%、金大中時代は前期(1999-2000年)9.0%、後期(2001-02年)5.4%だったのに対して、盧武鉉時代は初年度の2003年で3.1%、2005年までの政権前半の3年間平均でも3.9%にとどまっており、潜在成長率(4%代後半)さえクリアできませんでした

 このため、政府としては、EU(ヨーロッパ連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)に次ぐ、世界3位の経済規模となる韓米FTAを実現し、①関税・非関税障壁の撤廃により貿易を増大させ、企業の収益を増大させる、②外国人投資家の活動を保証し、韓国への投資環境を向上させて外国新投資を増大させ、国内への投資が増大させる、③競争の促進、新技術の導入、システムの近代化などを通して生産性を向上させ、国民所得を増大させる、というシナリオを構想。早くも2007年4月には協定の調印にこぎつけます。通常のFTA交渉の場合、両国の関係当事者・有識者による共同研究会や個別事案についての政府間交渉などで、少なくとも3年はかかりますから、異例のスピードといえましょう。

 その後、2010年12月初旬に追加交渉が署名され、米国では合意法案が2011年10月に上下両院を通過し可決。韓国では、2011年6月に韓国国会に批准同意案が提出され、野党が激しく反対し、同年10月28日にはデモ隊が国会に乱入したものの、その後11月には可決されました。

 今回のFTA発効により、両国間では直ちに約80%の品目への関税が撤廃され、今後5年以内に95%の品目への関税が撤廃されることになっています。

 きょう(16日)付の『中央日報』紙によると、韓国の自動車部品会社は、輸出関税の4%がなくなったことで、米国の自動車会社から大量の注文が入り、自動車用電気部品を生産する大星電機の担当者は「GMなど米国自動車会社から注文を受けた量は昨年の6倍にのぼる」と話しているそうです。また、大手スーパーなどでは、米国産のオレンジ、牛肉、ワインなどが軒並み値下げされ、活況を呈したのだとか。

 こういうニュースだけ聞くと、韓米FTAは良いことづくめのようにも見えますが、その一方で、以下のような問題点も指摘されています。すなわち、

 1.サービス市場を全面的に開放しなければならず、禁止する品目は例外的に明記しなければならない。リストに明記されていない新たなサービス市場などについては、国内産業を保護することができない。

 2.ラチェット条項:一度規制を緩和するとどんなことがあっても元に戻せない。たとえば、狂牛病が発生しても牛肉の輸入を中断できない。

 3.未来最恵国待遇:今後、韓国が他の国とFTAを締結した場合、その条件が米国に対する条件よりも有利な場合は、米国にも同じ条件を適用する。

 4.スナップ・バック:自動車分野で韓国が協定に違反した場合、または米国製自動車の販売・流通に深刻な影響を及ぼすと米企業が判断した場合、米の自動車輸入関税2.5%撤廃を無効にする。

 5.ISD:韓国に投資した企業が、韓国の政策によって損害を被った場合、(米国が絶大な影響力を行使できる)世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターに提訴できる。韓国で裁判は行わない。また、この条項は韓国にだけ適用される。

 6.非違反申立:米国企業が期待した利益を得られなかった場合、韓国がFTAに違反していなくても、米国政府が米国企業の代わりに、国際機関に対して韓国を提訴できる。例えば米の民間医療保険会社が「韓国の公共制度である国民医療保険のせいで営業がうまくいかない」として、米国政府に対し韓国を提訴するよう求める可能性がある。

 7.韓国政府が規制の必要性を立証できない場合は、市場開放のための追加措置を取る必要が生じる。

 8.米企業・米国人に対しては、韓国の法律より韓米FTAを優先適用する。例えば牛肉の場合、韓国では食用にできない部位を、米国法は加工用食肉として認めており、韓国はそういった部位も輸入しなければならなくなる。また韓国法では、公共企業や放送局などの基幹となる企業において、外国人の持分を制限しているが、韓国の全企業が外国人持分制限を撤廃する必要がある。

 9.知的財産権を米が直接規制:例えば米国企業が、韓国のブログやウェブサイトに対して、米国の基準に基づく著作権侵害を理由として閉鎖を求める訴訟を米国内で起こし、判決によっては当該ウェブサイトを閉鎖させることができる。

 10.公企業の民営化

 これらの10項目から予想されるダメージと、現時点ではほくほく顔の自動車部品会社などの利益とを差し引きしてみた場合、韓国の社会と経済に対してFTAがもたらすプラスとマイナスの収支がどのようなものになるのかは、現時点では神のみぞ知るとしかいえません。もちろん、プラスの面が天文学的に大きければ、ダメージなど吹き飛んでしまうという楽観論も完全には否定できないのでしょうが、僕などは、上記10の問題点を見る限り、わが国が幕末に欧米列強と結ばされた不平等条約を連想してしまいますな。

 いずれにせよ、韓米FTAは、現在、国論を二分する問題となっているTPPの先例ともいうべき事例となるはずですから、わが国も、その成否を見極めたうえで対応するという選択肢があってもいいように思います。少なくとも、「バスに乗り遅れるな」と呼号して、TPPへの参加を急ごうとする人に対しては、なぜ、議会と政党の自殺行為ともいうべき大政翼賛会結成の時のフレーズを繰り返したがるのか、ぜひとも、ご説明を求めたいところです。

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 切手でたどる昭和史


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 切手交換税証紙
2012-03-15 Thu 18:24
 所得税の確定申告は今日(15日)まででしたが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ませたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリの提出で、ようやくホッと一息ついたというところです。というわけで、きょうは“税”ネタの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        切手交換税証紙(1933)

 これは、1933年にソ連で発行された切手交換税証紙(英語では Philatelic Exchange Control Stamps と称されることが多いので、とりあえず、こう訳してみました)です。加刷がずれて、耳紙の部分に空押しの状態になっているので、文字部分が読みやすいかと思います。

 1920年代から30年代のソ連では、海外の収集家・切手商と切手の交換を直接行うことは禁じられており、かならず、ソヴィエト郵趣協会を通さなければならず、海外と交換する切手の評価(フランスのイベール・カタログが用いられたそうです)を申告し、それに応じた税を払うことになっていました。その際、郵便物は開封の状態で協会に持ち込まれ、協会がチェックしたうえで封を閉じ、今回ご紹介のような切手交換税証紙を貼って、差出人から税を徴収するというのが正規の手続きです。

 ソ連に限らず、共産主義諸国における切手収集家の立場には微妙なものがありました。というのも、彼らは、切手を政治宣伝(および資金獲得)の手段としてとらえ、自国の切手の収集を国民に奨励する一方で、切手の売買や交換などにより収集家が海外と接触したり、入手した外国切手を通じて当局が秘匿している情報を得たりすることに対しては強い警戒感を抱いていたからです。

 実際、スターリンの大粛清の時代、海外との文通・交信は秘密警察の監視対象となっていましたし、第二次大戦中、ソ連占領下のバルト三国では海外との交流がある切手収集家・切手商は秘密警察の監視対象になっていました。今回ご紹介の切手交換税証紙のシステムもそうした背景から生まれたもので、収集対象としては面白いのですが、これを実際に使わされるというのは勘弁してほしいですな。

 さて、一昨年昨年、確定申告期間最終日の3月15日には、切手紀行シリーズの前年刊行分にちなんで、ルーマニアとマカオのマテリアルを持ってきましたので、今回も『ハバロフスク』にちなんで、ソ連のマテリアルをご紹介しました。今秋、切手紀行シリーズの第5巻が無事に刊行されれば、来年もまた、3月15日にはその国にちなんだ“tax”ネタをご紹介する予定です。

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 皇室切手のモノ語り

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 数学の日
2012-03-14 Wed 16:40
 きょう(14日)は、円周率(の近似値)3.14にちなんで、数学の日だそうです。というわけで、数学の切手といえば、日本ではこの1枚でしょうかねぇ。(画像はクリックで拡大されます)

        産業教育100年

 これは、1984年11月20日に発行された「産業教育100年」の記念切手で、産業教育のイメージとして、四則計算の記号やグラフ、三平方の定理を表す図などが描かれています。

 産業教育とは生硬な表現ですが、要は商業・工業・農業に関わる実業教育のことです。1872年の学制発布の時点で、すでに明治政府は産業教育についても一定の方策が示していましたが、制度が実際に動き出すには若干の時間がかかりました。

 すなわち、わが国における近代商業教育の端緒は、1874年4月、大蔵省銀行課に設けられた銀行学局で、翌1875年8月には森有礼が商法講習所を創設し、洋式商業教育を始めています。これらは、1885年、文部省に移管されて東京高等商業学校となり、現在の一橋大学の前身となりました。

 一方、工業教育に関しては、1874年に東京開成学校(現・東京大学)に設置された製作学教場がそのルーツとなります。同教場には化学・機械等の科目が置かれ、修業年限を2年として卒業生を2回送り出しました。その後、開成学校が東京大学となり、同大学理学部に化学・機械・土木・採鉱冶金の諸科を設置したことから、同教場は一八七七年(明治十)に廃止されました。しかし、東京大学の諸科は高等教育と学術研究に偏っており、専門技術の素養を備えたすぐれた職工長・工業教員を養成するという目的にかなうものではなかったため、文部省は東京職工学校を創立。これが、わが国における最初の工業教育機関となりました。

 上述の商法講習所、東京職工学校に並ぶ実業教育機関としては、1872年4月、東京・芝において開校した開拓使仮学校があります。同校は、1875年8月、札幌に移転し、翌1876年8月、札幌農学校となりました。

 その後、明治十年代になると、上記の3校のほかにも、兵庫県の神戸市商業講習所や東京の三菱商業学校が開かれて洋式商業教育が行われるようになりましたが、中等教育機関としての実業学校をどのような制度によって運営するかは、学制においても教育令においてもその方策が詳細に示されてはいませんでした。すなわち、改正教育令においては専門学校の次に、農学校・商業学校・職工学校として実業教育機関の名称を列挙し、それぞれの学校の性格については「農学校ハ農耕ノ学業ヲ授クル所トス」、「商業学校ハ商売ノ学業ヲ授クル所トス」、「職工学校ハ百工ノ職芸ヲ授クル所トス」としただけであって、それ以外になんらの規程もなかったため、極論すると、これが中等教育であるかどうかも明らかではありません。

 そこで、1883年4月11日に農学校通則が、翌1884年1月11日に商業学校通則が公布され、教育令に掲げた農学校と商業学校の性質を詳細に示すとともに、中等教育機関としての実業学校が制度化され、わが国の産業教育制度の基盤が整えられることになりました。

 さて、今回ご紹介の切手では、産業教育を象徴するものということで三角関数やグラフが描かれているわけですが、それから30年近くが過ぎた現在の産業教育のイメージを表現するとなると、やはり、パソコンをイメージしたデザインとなるんでしょうな。たとえば、だったら、三平方の定理の代わりに、エクセルで使う関数などのイメージからΣや∫などの記号が入り、グラフも3Dデザインのモノになる、といった具合に。確定申告の書類作成のためにここ数日、エクセルの帳簿と格闘していたら、ふと、そんなことを考えてしまいました。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

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 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
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 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
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 切手でたどる昭和史


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 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
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 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
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 切手で訪ねるふるさとの旅:山口県
2012-03-13 Tue 21:45
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第14号(2012年3月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は山口県に関する切手の特集ですが、そのなかから、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ふぐ提灯

 これは、1989年11月1日に発行された「ふるさと切手(山口県)」で、民芸品の“ふく提灯”が描かれています。なお、下関ではフグのことを福につながるということからフクと呼んでいることから、切手の表記もふぐ提灯ではなく、“ふく提灯”となっています。なかなか芸が細かいですな。

 ふぐ提灯は、フグの背中を十文字に切り開いて身と骨を取り出したうえで、中をよく洗い、おがくずを入れて形を整えて乾燥させ、ニスを塗って背中の黒筒や目玉などをつけて作られます。その歴史については必ずしも明らかになっていないようですが、昭和の初めにはつくられるようになっており、戦後、民芸品としての生産が盛んになりました。

 ちなみに、明治政府はフグ中毒の増加を受けてフグ食を禁じていましたが、1888年、下関の割烹料亭・春帆楼でフグを食べた伊藤博文がその味に感嘆し、山口県知事に働きかけて、県内でのフグ食が解禁されたという事情から、下関はフグの一大集積地となりました。

 さて、今回の『散歩人』の記事では、地図をバックに、今回ご紹介のモノのほか、秋芳洞、カルスト台地、錦帯橋、金子みすゞ、北長門海岸国定公園などの切手をご紹介しています。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 “So Sorry” and “Kicked Out”
2012-03-12 Mon 23:18
 きのう(11日)行われた政府主催の東日本大震災追悼式で、台湾代表に献花の機会を与えないという信じがたい非礼があったそうです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        東條蹴飛ばす

 これは、第二次大戦中のアメリカで作られた“愛国カバー”のひとつです。

 日本人の感覚からすると違和感がありますが、アメリカ人の中には、さまざまな宣伝内容のイラストや文面の入った封筒を私信などに用いる人が少なくありません。ここで、宣伝の対象となっているのは、新商品やイベントの案内などにとどまらず、政治的な主義主張にいたるまで、実に多種多様ですが、特に戦時下において、戦意を高揚させ、愛国心を鼓舞する目的で制作・使用されるものは、愛国カバーと呼ばれることがあります。

 愛国カバーの歴史は古く、既に南北戦争時には本格的に使われており、近年のアフガン戦争やイラク戦争にいたるまで、さまざまな戦争でさまざまな種類のものが作られ、使われています。

 今回ご紹介のモノは、「地位または任務から解任する」または「退去させられる、いなくなる」を意味する“Kicked Out!”の表示の下に、文字通り、蹴飛ばされた格好の東條英機のイラストを描いており、その下に東條のセリフと思しき「本当にごめんなさい」を意味する“So Sorry!”の文言が書かれています。

 昨年の東日本大震災に際して、台湾からの義捐金は官民合わせて約200億円と世界トップクラスであり、一般国民の多くは台湾の人たちの善意に心から感謝しています。しかし、日本の現政権は、そうした一般国民の気持ちを踏みにじるかのように、台湾を粗略に扱い続けているのが現状です。

 その背景には、目先の経済的利益等のため、大陸の共産政権に阿り、彼らの主張する「一つの中国」論なる荒唐無稽なデタラメに追従している人々が日本の指導層に少なからず存在しているという事情があるのは言うまでもありません。
 
 もちろん、震災に際して大陸からの支援がなかったとは言いませんし、そのことに感謝の意を表することには僕もやぶさかではありません。しかし、その規模は台湾とは比べ物にならないほど小さいわけですし、なによりも、彼らがわが国に向けて核兵器の照準を合わせ、わが国の領土である尖閣諸島に対する軍事侵略の意図を隠そうとしない国だという厳然たる事実を考えるなら、彼らの“支援”を無邪気に受け止める気にはなれないというのが正直な気持ちです。
 
 きょう(12日)の衆院予算委員会で、今回の一件を追及された野田総理は、「本当に申し訳ない。行き届いていなかったことを深く反省したい」と陳謝したそうですが、これまでの民主党政権の媚中外交をいやというほど見せつけられてきた一国民としては、今回の一件についても、単なるミスではなく、確信犯的な悪意を感じますな。
 
 そういう意味でも、今回ご紹介のカバーの文言にあるように、台湾の皆さんに対しては“So Sorry!”と申し上げ、野田総理と民主党政権に対しては“Kicked Out!”と言ってやりたいというのが、嘘偽りのない心境です。


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 防災と“きずな”
2012-03-11 Sun 11:29
 東日本大震災から、きょう(11日)でちょうど1年となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        防災(きずな)

 これは、1984年8月23日に発行された「防災」の切手のうち、“きずな”と題された1枚です。

 この切手は、一般からの図案公募により作られたものですが、郵政省では、1980年の“ふみの日”を皮切りに、1981年の“省エネルギー”、1983年の“世界コミュニケーション年”とテーマを変えて切手デザインコンクールを実施しています。なお、今回ご紹介の切手は、デザインコンクールの結果、一般の部で特賞に選ばれた神田昇の作品をもとに、大谷文人が切手としての原画構成を担当しました。

 1984年のデザインコンクールのテーマに“防災“が選ばれた理由は定かではありませんが、国土庁の申請により切手の発行が決まったことから考えると、防災行政を担当する国土庁が1974年6月26日に発足してから10年の節目ということが考慮された結果と見るのが妥当でしょう。なお、国土庁は2001年の省庁再編により建設省、運輸省、北海道開発庁と統合して国土交通省となりましたが、防災行政は国土交通省ではなく内閣府の所管とされています。
   
 今回ご紹介の切手が発行された1984年、僕は高校生でした。当時は、この切手を見て、“きずな”と防災の関連がいまいちわかりにくいうえに、ずいぶん地味な切手でパッとしないなぁという印象を受けたのですが、1995年の阪神淡路および昨年の東日本大震災を経た現在、防災ずきんの子供が母親?に抱かれて微笑んでいるデザインをあらためて見直してみると、非常時には家族・同胞の絆が大事というメッセージが感じられて悪くはないと思うようになりました。

 そういうこともあって、この1年、あらゆるところで使われて、いささか陳腐化したかにも思える“絆”という言葉ではありますが、それをストレートに題材とした切手として、きょうはこの1枚をご紹介したという次第です。
 
 
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 日豪戦争⑳(最終回)
2012-03-10 Sat 20:32
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第457号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」は、今回は駐日オーストラリア軍撤退の話を取り上げましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       豪・朝鮮495    豪・朝鮮495(裏面)

 これは、朝鮮戦争の休戦協定調印から間もない1953年8月19日、釜山に置かれていたオーストラリアの第495野戦局から差し立てられ、東京を経由してオーストラリアに送られた郵便物とその裏面です。

 1950年6月25日、朝鮮人民軍の奇襲攻撃により朝鮮戦争が勃発すると、同月29日、オーストラリア政府は、まず、日本に駐留していたリバー級フリゲート艦「ショールヘイブン」ならびに香港に駐留していたトライバル級駆逐艦「バタアン」を韓国に派遣することを決定します。ちなみに、朝鮮戦争における豪海軍の中核となった空母「シドニー」がオーストラリアを出港したのは、8月31日のことでした。

 一方、空軍に関しては、1950年6月25日の開戦時、第77飛行中隊が岩国に駐留していました。第77飛行中隊はすでに帰国の準備を進めていましたが、開戦により、米第5空軍の指揮下に入り、共産軍と戦うことになります。

 ところで、オーストラリア政府は、日本に駐留していた地上部隊、第3連隊を朝鮮の戦場に派遣することに、当初、難色を示していました。当時の第3連隊は、兵員の訓練・装備ともに、直ちに実戦に投入するには、きわめて不十分な状態にあったためです。このため、まずは第3連隊の中から志願者2000人が日本占領軍から分離され、朝鮮半島に派遣されるとともに、オーストラリア本国でも志願兵の募集が行われました。オーストラリア本国から集められた兵士たちは、広(広島県呉市)および原村(広島県安佐郡:現広島市安佐南区)で訓練を受けた後、朝鮮半島へと派遣されています。

 さて、朝鮮半島の戦局は、1950年9月15日に国連軍が仁川上陸作戦を敢行したことで、攻守が逆転。朝鮮人民軍は北緯38度線以北へと退却を余儀なくされました。

 オーストラリア軍は、その過程で、水原(ソウルの南35キロの都市)周辺で敗走する朝鮮人民軍と戦い約2000人を捕虜としています。さらに、10月22-23日には、開城(北緯38度線のすぐ南側にあり、朝鮮戦争以前は韓国領でしたが、戦後は北朝鮮領となりました)の包囲戦で朝鮮人民軍に大きな打撃を与えました。さらに、中国が人民志願軍を派遣すると、オーストラリア軍は、1951年4月22-25日の加平の戦いと同年10月3-8日の馬良山の戦いで共産軍と死闘を展開。1953年7月に朝鮮戦争が休戦となるまで、オーストラリア軍はのべ2万8000人の兵力を投入。334名が戦死しています。

 ところで、朝鮮戦争勃発後の1951年9月、サンフランシスコで対日講和条約が調印されました。講和条件の策定に際して、オーストラリアは、ニュージーランドとともに、軍備制限条項が盛り込まれなかったことに強い不満を表明します。

 朝鮮戦争の勃発に伴い、在日米軍が朝鮮半島に出動した軍事的な空白を埋めるための措置として、日本では警察予備隊が発足しました。1901年の連邦結成以来、一貫して日本の存在を自国の脅威とみなしてきたオーストラリアは、日本による南氷洋の捕鯨の再開でさえ、強硬に反対していました。彼らにしてみれば、警察予備隊という名で日本が再軍備することなど論外であり、なんのために、多大な犠牲を払って日本と戦い、曲がりなりにも戦勝国の地位を確保したのか、というのが本音でしょう。

 しかし、実際に朝鮮半島で国連軍と共産軍が死闘を展開しているという現実の下に、米国が「我々は中国-日本-ロシアの共産主義支配連合の可能性を阻止しなければならない」と一喝すると、国連軍の一員として朝鮮半島に兵力を送っているオーストラリアも沈黙せざるを得ませんでした。

 かくして、1952年4月28日、対日講和条約が発効すると、日豪間の戦争は正式に終結し、オーストラリア軍を主力とした日本占領・英連邦軍はその存在の根拠を失います。しかし、この時点では朝鮮半島での戦争は継続しており、呉や岩国のオーストラリア軍キャンプは後方支援活動などのためにしばらく活動を継続。このため、オーストラリアの野戦局・基地局なども活動を続けていました。

 今回ご紹介のカバーは、そうした状況の下で、朝鮮戦争休戦直後の1953年8月19日、釜山に置かれていたオーストラリアの第495野戦局から差し立てられたもので、翌20日、東京に置かれていた第8基地局を経由して、同月20日にシドニーに到着しています。

 朝鮮戦争の休戦後も、事務連絡などの必要から、ごく少数のオーストラリア軍関係者が日本国内に駐留を続けていました。その最後の人員が引き揚げ、岩国の英連邦軍基地が閉鎖されたのは、1957年7月のことです。これにあわせて、この郵便物に押されている中継印の第8基地局も閉鎖されますが、逆に言えば、それまで、彼らは日本国内での郵便業務を(細々とではあるが)続けていたことになります。

 さて、2010年7月以来、『本のメルマガ』の月1連載としてスタートした「日豪戦争」ですが、20回を迎えた今回で最終回となりました。今までご愛読いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 なお、今月25日に配信の『本のメルマガ』からは、「日豪戦争」に代わる新連載をスタートさせる予定ですので、引き続き、よろしくお付き合いいただけると幸いです。
 
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 『古事記』1300年
2012-03-09 Fri 18:37
 712年3月9日(和銅5年1月28日)に『古事記』が完成し、元明天皇に献上されてから、きょうでちょうど1300年です。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        高千穂の峰(公園)

 これは、1940年8月21日に発行された「霧島国立公園」の切手のうち、天孫降臨の舞台として知られる高千穂峰を描く4銭切手です。高千穂峰に関しては、同じく1940年発行の紀元2600年の記念切手にも取り上げられているのですが、紀元2600年に関しては、先月、金鵄の2銭切手を建国記念の日の記事で取り上げたばかりですので、今回は、公園切手を持ってきました。

 高千穂峰は宮崎県の北端に位置し、天皇家の祖先(天照大神の孫)である瓊瓊杵尊が天照大神の命を受けて、高天原(天津神々の住む天上界。天香具山で祭祀が行われ、神々は稲田をつくり、機織女たちは織殿に奉仕しているとされています)から地上に降臨したとされる場所として知られています。山頂に立てられている青銅製の天逆鉾は、瓊瓊杵尊が降臨したときに峰に突き立てたとされるもので、山岳信仰の舞台となりました。

 ちなみに、天孫降臨にまつわる観光スポットとしては、現在では、峰そのものよりも、霧島山の中岳と御鉢との間にある谷間の高千穂河原の方がポピュラーかもしれません。高千穂河原にはかつて霧島神宮があり(噴火により焼失したため、のち移転・再建)、その場所は古宮址と呼ばれています。古宮址には、1940年の紀元2600年記念事業の一環として“天孫降臨神籬斎場”がつくられ、1958年には駐車場も整備されました。また、毎年11月10日には、天孫降臨の道標として火を焚いて瓊瓊杵尊を迎えた故事にちなみ、天孫降臨御神火祭も催されています。

 さて、以前の記事にも書きましたが、天孫降臨神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられませんが、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述なんかも歴史的事実としては認めがたいわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語としての記紀神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿でしょう。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業で、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」と主張して反対するんでしょうな。

 いずれにせよ、今年は『古事記』1300年ということで、記念切手の発行を含め、さまざまなイベントも予定されてます。これを機に、日本の建国神話についても関心が高まってほしいものです。
 

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 国際女性デー
2012-03-08 Thu 13:57
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、女性を取り上げたこんな絵葉書のご紹介です。(画像はクリックで拡大されます)

        ナナイ・絵葉書

 これは、1908年にハバロフスクから差し出された帝政ロシア時代の絵葉書で、シベリア先住民族の母子が取り上げられています。絵葉書のキャプションでは、女性は“ゴリド”とされていますが、これは、いわゆるナナイのことです。

 ナナイは、アムール川とウスリー川、スンガリー川(松花江)の合流する地域を中心にロシアと中国にまたがって住むツングース系の民族です。ロシア国内には約1万人が住み、ハバロフスク州内にはトロイツコィエ村を首府とするナナイ自治区もあります。一方、中国国内には赫哲(読み方はホジェンまたはホーチォ)族として約4600人が住んでいます。

 黒澤明の映画『デルス・ウザーラ』の主人公、デルスはナナイの猟師という設定ですが、一般的にナナイは漁撈の民として知られ、河川でのサケ・マス漁などの漁業を主な生計の手段とし、日本の刺身同様、魚の生肉も食べます。また、映画の設定となった20世紀初頭の時代には、魚の皮を材料とした民族衣装を身につけ、川沿いに半地下式の住居を立てて生活する者が主流を占めていました。

 もちろん、現在でも、半地下式の住居が漁の際の一時的な寝泊まりのために使われることもありますし、トロイツコィエ村では、観光客用のパフォーマンスとして、民族衣装を着た女性がシャーマニズムの儀式を行うこともあるのですが、基本的には、ナナイの人たちも我々と同じような洋服を着て、我々と同じような近代住宅で生活し、バスで学校や勤務先へと通う者がほとんどです。

 今回ご紹介の絵葉書の写真は、帝政ロシアのシベリア先住民族を撮影したものの中では有名な一枚で、現在では、ナナイではなく、ニヴフ(かつてはギリヤークと呼ばれていた別の民族)の母子とされています。じっさい、ハバロフスクの郷土誌博物館に展示されているパネルの説明文もニヴフとなっていました。

 なお、シベリアの先住民族については、拙著『ハバロフスク』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 ドーンムアン空港再開
2012-03-07 Wed 17:20
 昨年(2011年)の大洪水で滑走路に水が押し寄せ、10月25日から閉鎖されていたタイ・バンコクのドーンムアン空港(国内線専用)が、きのう(6日)から4か月ぶりに運航が再開されました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ウボン=バンコクFFC

 これは、1925年2月、タイ東北部のウボンラーチャターニーからバンコク宛の初飛行の葉書です。

 タイの航空事業は、1913年、国防省が将来的に航空隊を組織する目的で購入した7機(ブレゲ複葉機3機とニューポールⅡ単葉機4台)に、富裕な商人のチャオプラヤー・アパイ・プベットが購入して寄贈したブレゲ複葉機1台を加えた計8台からスタートしました。

 これと並行して、3人のタイ人飛行士が渡欧。飛行機操縦の訓練を受けた後、フランス人のメカニックとともに、ロシア、日本を経由し、各地で試験飛行を見学しながら1913年11月2日にバンコクに帰着し、同日早朝、ピッサヌローク親王臨席の下、警察学校の校庭からスポーツクラブまでの試験飛行を行いました。これが、タイにおける最初の航空機の飛行となります。

 初の試験飛行の成功を受けて、バンコク中心部から北に23キロの地点にあるドーンムアンに航空隊の拠点が設けられ(1915年にはこの地に正式に軍用空港が開港)、1914年1月13日には国王ワチラーウット(ラーマ6世)臨席の下、最初の公開試験飛行が行われました。なお、現在、タイの空軍記念日とされている3月27日は、1918年のこの日に官制上の陸軍航空科が正式に発足したことにちなむものです。

 その後、1914年に第一次大戦がはじまった後も飛行距離1キロ未満の短距離訓練が行われていましたが、1916年になって、バンコクからバンコク南西のラーチャブリーまでの航空演習が開始されました。

 さらに、1917年、タイは第一次大戦に参戦し、フランスに400人の飛行部隊を派遣します。もっとも、彼らの能力は玉石混合で、全員が即戦力であったというよりも、タイとしては、大戦の機会をとらえて、“国際協力”の名の下に、短期間で多くの飛行士を養成してしまおうというのが本音だったようです。じっさい、100人以上の飛行士が訓練を受け、95人がフランスで軍事パイロットとしての資格を獲得しましたが、彼らは誰一人として実戦を経験しておらず、無傷のまま、1919年5月1日にタイへと帰国を果たしています。

 こうしたフランス帰りのタイ人飛行士たちは、草創期のタイの航空事業を支える中軸的な人材となりましたが、1919年12月、バンコク=チャンタブリー間でタイ最初の航空郵便(エアメール)が行われたのも、そうした彼らの業績のひとつとして記憶されておいてよいでしょう。

 その後、1922年にはサイアム航空(現在のタイ航空の前身)がナコーンラーチャシーマーとウボンラーチャターニーの間に初の国内線定期航路を開設し(同路線での航空郵便の取扱開始は1924年)、これと前後して、タイ国内の各都市を結ぶ航空郵便網も拡充されていくことになります。今回ご紹介の葉書のウボンラーチャターニー=バンコク線もその一つというわけです。

 なお、タイについては、今から5年ほど前に『タイ三都周郵記』と題する本を上梓しましたが、それがきっかけとなって、日本タイ協会とのお付き合いが始まり、同協会の『タイ国情報』に「泰国郵便学」と題する連載をすることになりました。いずれ同誌での連載終了の暁には、加筆修正して書籍化を目指したいものです。


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 対岸の大爆発
2012-03-06 Tue 17:05
 アフリカ中部のコンゴ共和国の首都ブラザヴィルで、現地時間の4日、武器庫の爆発があり、当局の発表で123人が死亡、2000人以上が負傷したそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ブラザヴィル=パリFFC(事故便)

 これは、1930年3月、ブラザヴィルからアルジェ経由でパリ・ブリュッセル宛の航空便で運ばれるはずだったカバーで、貼られている切手は仏領赤道アフリカ時代のモノです。ただし、実際には、この時の航空便は飛ばず、アルジェまでは陸路で運ばれ、アルジェ=マルセイユ間を海路で、マルセイユから先は陸路で運ばれました。

 19世紀のアフリカ分割の過程で、ベルギーは探検家スタンレーをコンゴに派遣し、多数の基地を設けて現地勢力の長たちと様々な取り決めを結んでいました。これに対して、以前から沿岸部の権益拡大を進めていたポルトガルが反発し、1882年にはコンゴ川河口地域における主権を宣言。イギリスはポルトガルを支持しましたが、フランスはベルギーを支持する一方で、自ら探検家ピエール・ド・ブラザをアフリカ内陸部に派遣。ドイツもポルトガル支持を見送りました。このように、各国の思惑が錯綜する中で問題解決のためのベルリン会議が1884年11月15日から1885年2月26日まで開催され、コンゴ盆地はベルギー国家でなくベルギー王の私財となり、フランスが権益を築いたコンゴ盆地北西端は中央コンゴとしてフランス領とされました。

 その後、1910年にフランスは、現在のガボン、コンゴ共和国、ウバンギ・シャリ(現・中央アフリカ)チャドをまとめて仏領赤道アフリカを形成し、コンゴ川に面したブラザヴィルにその植民地政府を置きました。ちなみに、ベルギー領コンゴの首都レオポルドヴィルは、コンゴ川を挟んでブラザヴィルの対岸に建設され、独立後の1966年、現在の地名であるキンシャサと改称されました。

 ちなみに、今回ご紹介のカバーでは、封筒の左上にブラザヴィル=レオポルドヴィル(現キンシャサ)=パリ=ブリュッセルの航空郵便開通を意味する文字が印刷されていますが、現在でも、キンシャサ(ヌジリ国際空港)=ブラザヴィル(マヤマヤ空港)間には、コンゴ民主共和国(旧ザイール)のヘワ・ボラ航空の路線がちゃんと運航しています。まぁ、キンシャサから各地へ行く途中でブラザヴィルにも立ち寄るというのが実態だろうとは思いますが…。

 さて、今回の爆発事故は、ブラザヴィルの武器庫で火災が発生し、保管されていた戦車の砲弾が数度にわたって爆発したものとみられていますが、今回の爆発現場から隣国コンゴ民主共和国(旧ザイール)のキンシャサまではわずか5キロ。大爆発による爆風で窓ガラスが割れるなどの被害が出たこともあって、コンゴ民主共和国(旧ザイール)は、当初、首都に対する攻撃があったと誤解し、戦車や軍部隊を市中および国境を隔てるコンゴ川沿いに展開させたのだとか。対岸の火事ならぬ対岸の大爆発のすさまじさが伝わってくるようなエピソードです。


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 プーチン凱旋
2012-03-05 Mon 12:11
 きのう(4日)、投票が行われたロシアの大統領選挙は、ウラジーミル・プーチン首相が、予想通り、4人の対立候補に大差をつけて1回目で当選を決め、4年ぶりの大統領復帰を決めました。というわけで、プーチン閣下の凱旋にちなみ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ハバロフスク・凱旋門

 これは、ハバロフスクの凱旋門を描いた帝政時代の絵葉書です。

 ハバロフスクの大聖堂広場の西側には、現在、内戦勝利記念碑が建てられていますが、もともと、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世が皇太子時代の1891年にハバロフスクを訪問した際に建てられた凱旋門がありました。

 皇太子時代のニコライは、1890年から91年にかけて、ウラジオストクでのシベリア鉄道起工式に参加するという名目の下、帝王学の一環として、世界各国に対する見聞を広めるため、長期の外遊を行いました。

 すなわち、1890年11月4日にロシアを出発した皇太子は、11月7日にトリエステから欧州を後にし、エジプト(11月22日~12月10日)、インド(12月23日~1891年1月12日)、セイロン(1月12日~2月11日)などを経て、1891年3月19日にタイに到着。同月25日までタイにとどまった後、香港、日本(4月27日~5月19日)を経て、5月23日にウラジオストクに到着。この間、日本滞在中の5月11日には、京都から琵琶湖への日帰り観光の途中、大津で護衛にあたっていたはずの警官、津田三蔵に斬りつけられる暗殺未遂事件(大津事件)が起きたことは広く知られているとおりです。

 その後、皇太子は6月2日までウラジオストクにとどまり、8月16日にサンクトペテルスブルクに帰着しましたが、途中、極東の政治的中心地であったハバロフスクに立ち寄りました。このとき、皇太子を歓迎するために建てられたのが凱旋門で、皇太子はこの門をくぐって大聖堂広場に入城し、集まった群衆の熱烈な歓迎を受けています。

 しかし、ロシア革命でロマノフ王朝が倒れ、社会主義者たちが政権を掌握すると、王家のシンボルである双頭の鷲を誇らしげに掲げた凱旋門のみならず、広場の名前の由来でもあったウスペンスキー大聖堂も取り壊されました。そして、その代わりに、1918年から22年までのロシア内戦期の赤軍とパルチザンの活動を顕彰する記念碑がムラヴィヨフ・アムールスキー通りの起点として建てられ、現在にいたるというわけです。

 なお、かつて凱旋門、現在は内戦勝利記念碑を起点とする、ハバロフスクのムラヴィヨフ・アムールスキー通りの今昔については、拙著『ハバロフスク』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 フンボルトペンギンが脱走
2012-03-04 Sun 22:46
 東京都江戸川区の葛西臨海水族園から、フンボルトペンギンの幼鳥1羽が逃げ出して、隣接する旧江戸川河口を泳いでいたそうです。というわけで、きょうはフンボルトペンギンの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        フンボルトペンギン

 これは、2009年にチリで発行された“保護すべき鳥類”の切手のうち、フンボルトペンギンを取り上げた100チリ・ペソ切手です。切手上の通貨単位の表示は$ですが、これは“ドル”と読むのではなく、1975年に導入された現行のチリ・ペソを示す記号です。

 フンボルトペンギンは、ドイツの地理学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトにちなんで命名されたペンギンの1種で、南米の太平洋沿岸に棲息しています。棲息地は、南緯5度のフォカ島(ペルー)から南緯42度のチロエ島(チリ)にまで及んでいますが、近年は、産卵場の環境破壊や餌となる魚の乱獲、さらにはエルニーニョ現象などにより個体数が減少したため、現在では、絶滅危惧種として、ワシントン条約付属書Iに指定されて売買が禁止されています。なるほど、今回ご紹介の切手をチリが発行したのは、自国の希少動物だったからという立派な理由があるわけですな。

 ところで、ペンギンというと南極のイメージと結び付けられることも多いのですが、上述のように、フンボルトペンギンは南緯5度という熱帯の地域にも棲息しており、極寒の地の動物というわけではなく、むしろ、日本の気候に合っているともいえます。このため、フンボルトペンギンは日本の動物園で最も多く飼育されるペンギンとなっており、その結果として、飼育技術も確立されることになりました。

 それどころか、わが国の動物園では、放置しておくと、フンボルトペンギンならびにケープペンギンとフンボルトペンギンの雑種が増えすぎて問題となるため、産卵された卵の大半を石膏や紙粘土などで作った擬卵とすりかえて繁殖を抑制しているほどだとか。もちろん、全世界的に見ればフンボルトペンギンは飼育の難しいペンギンとされており、種として絶滅の恐れがあることには変わりないので、南米では日本の繁殖・飼育技術を導入して効果を上げることが期待されているそうです。

 いずれにせよ、今回脱走したフンボルトペンギンにとっては、旧江戸川の環境というのも案外快適なものなのかもしれませんな。

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 羅馬尼亜桃花
2012-03-03 Sat 21:50
 きょう(3日)は桃の節句です。というわけで、桃の花に絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルーマニア・桃の花FDC

 これは、昨年(2011年)6月にルーマニア(漢字で書くと羅馬尼亜)で発行された桃の花の切手の初日カバーです。

 この切手の発行に際してルーマニア郵政が発表したプレスリリースでは、桃についての植物学上の説明に加え、桃が中国原産でアレキサンダー大王によってヨーロッパにもたらされ、大航海時代のスペイン人によってアメリカ大陸にもたらされたこと、17世紀には英仏の宮廷でもてはやされたこと、古代中国では不老長寿の象徴としてみなされていたことなどが説明されています。また、プレスリリースには、「この切手と合わせて2011年3月に発行された芍薬の切手もあわせてどうぞ」といった趣旨の文言も見られます。

 このように、今回ご紹介の切手を発行するに際して、ルーマニア郵政は“中国”を強く意識している様子がうかがえますが、その背景には、昨今のルーマニア社会において中国(人)のプレゼンスが急速に高まっているという事情があるとみて間違いないでしょう。

 もともと、共産主義時代のルーマニアは、ソ連と距離を置く独自路線を推し進めていたことに加え、チャウシェスク夫妻は1971年に中国・北朝鮮を訪問し、かの地で毛沢東ないしは金日成に対する異常な個人崇拝やマスゲームなどを目にし、自国でもこれと同じことを行うべく、帰国後の同年7月、“ルーマニア文化大革命”を発動して独裁体制を強化していったという経緯があります。したがって、共産政権時代、ルーマニアと中国・北朝鮮は強い友好関係にあり、チャウシェスク政権の崩壊後、北朝鮮は政権崩壊のプロセスをかなり詳細に分析したレポートを残していたとされています。

 共産政権の崩壊後の1990年代、中国とルーマニアの政治的な関係は以前ほど緊密ではなくなりましたが、中国が急激な経済成長を遂げると、今度は経済という点から中国はルーマニアに注目するようになります。特に、2004年にルーマニアが北大西洋条約機構 (NATO) に参加し、2007年1月に欧州連合(EU)に加盟すると、中国はかつての友誼を持ち出してルーマニアに対するアプローチを加速させていきました。
 
 中国からすれば、NATOの1票を持つルーマニアを取り込んでおくことで、NATOにおける対中批判に対する反撃の拠点を確保することができます。また、EU加盟国であるルーマニアの国内に工場を設けて製品を生産すれば、EU域内の産品としてEU全域へ無関税で持ち出すことができます。さらに、中国とルーマニアの総合的な国力を比較してみれば、中国が圧倒的な優位に立っていることは明白です。こうしたことから、中国にとって、ルーマニアは対EU工作の拠点として格好の存在といえましょう。

 一方、人口2100万人強、経済規模でほぼ広島県並みといわれるルーマニアにしてみれば、中国の経済力は非常に魅力的で、それゆえ、近年、中国への傾斜を急速に強めています。

 たとえば、2011年8月10日から16日にかけて、ルーマニアのエミル・ボック首相以下、外相、公共財務相、運輸・社会基盤相らを含む大代表団が訪中。ドナウ川・ブカレスト間の運河建設、ブカレスト環状道路の整備に水力発電所の建設、さらには原発2期の増設など、ルーマニアのインフラ整備に関して、中国のより一層の関与を要請しています、これ以外にも、ルーマニア政府は、炭鉱経営や地下鉄建設を中国に任せる意向を示しています。

 もちろん、こうした対中依存ともいうべき外交政策に関しては、ルーマニア国内でも国家の基幹インフラを外国にゆだねるのはいかがなものかとの反対意見もあるのですが、訪中団を組織したボック首相は「中国は大事な国だからもっと早く行くべきだった」と応じて、全く意に介するようすはなかったそうです。

 一方、中国資本の進出に伴い、ルーマニア国内で働く中国人労働者の数も急増していますが、昨年8月には、古都ヤシの建設現場で働く中国人約50人が待遇への不平から暴動を起こす事件も発生しています。この暴動に際して、中国から派遣された管理者が説得に失敗したことから、ルーマニア警察が催涙ガスを打ち込んで暴動を鎮圧しましたが、このことは、あらためて、ルーマニアの社会と経済における中国のプレゼンスを見せつける結果となりました。

 いずれにせよ、今回ご紹介の切手が発行された背景には、現在のルーマニアと中国との抜き差しならぬ関係があるということは、留意しておいた方が良さそうです。

 なお、ルーマニアについては、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 「シベリア抑留 家族への便り」
2012-03-02 Fri 17:29
 ご報告が遅くなりましたが、2月24日付の『岐阜新聞』社会面に「シベリア抑留 家族への便り」という記事が掲載されました。記事は、岐阜県内の元抑留者の方がご自身の差し出した葉書を手にインタビューに応じたもので、僕も電話取材に応じて簡単なコメントを寄せています。というわけで、きょうはその記事に掲載の葉書と同形式のモノで、なおかつ、岐阜県宛のモノが手元にありましたので、記事で紹介された葉書の写真と並べてご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

     シベリア抑留タイプ1岐阜宛     岐阜新聞・シベリア抑留葉書

 葉書は、これは、第二次大戦後、ソ連によってシベリアに連行され、強制労働に従事させられていた日本人抑留者の通信用に作られた専用の往復葉書のうち、タイプ1A2と呼ばれるもので、左側が僕の手元にあったもの、右側が新聞で紹介されたものです。

 シベリア抑留日本人用の往復葉書は、大きく4つのタイプに分けられますが、このうち、赤十字・赤新月が入ってたタイプ1と呼ばれるものは、字体がローマン体のAとゴシック体のBの2タイプに分けられ、さらに、表題2行目の“Й”の文字の位置により細分されます。今回ご紹介のものは、表題2行目の“Й”の文字が1行目の“О”の真下にあるため、タイプ1A2という分類になります。なお、『岐阜新聞』の記事では、「黄ばみが濃くなった粗末な紙」との説明がありますが、新聞に掲載された葉書は、写真で見る限り、コンディションこそ悪いものの、黄ばんでいるのではなく、もともと左の葉書と同じ茶紙のモノであったと思われます。

 左の葉書には、赤月の下に薄くウラジオストク局の中継印が押されています。日付がよく見えないのですが、スキャンした画像を拡大してみると、どうやら、1947年1月と読めますので、検閲を経てウラジオストクまで届けられる時間を考えると、葉書が書かれたのは、1946年中だったのではないかと推測されます。シベリアの日本人抑留者に対して本国への通信を認めた「日本人軍事捕虜と日本、満洲、朝鮮に居住するその家族との交信規定についての訓令施行に関するソ連邦内務省指令第00939号」は1946年10月20日付で発せられていますので、比較的、初期の使用例といってよいでしょう。なお、日本に到着した際の占領当局による検閲の金魚鉢印の上には4月17日の書き込みがあります。

 一方、『岐阜新聞』の葉書は消印が不鮮明で分かりづらいのですが、ウラジオストク局の中継印の“月”の部分は12のようです。差出人の後藤政吉さんによると、この葉書がシベリア・モシカ収容所からの第1信だそうですから、中継印の年度は1946年ではないかと思います。そうだとすると、左の葉書とほぼ同時期の使用例といえそうです。

 さて、タイプ1の葉書は2色刷ですが、今回、2枚の葉書を並べてみると、赤十字と赤新月の赤色の部分の形状が酷似しており、同じ版を用いたのかもしれません。タイプ1の赤色の部分にはさまざまなバラエティがあり、明らかに別の版を用いたと思われるケースも多いのですが、今回の2枚のように、黒色・赤色ともに同じ版を用いていると考えられる葉書が確認されたことで、2枚の葉書が同じ時期に同じ印刷所で作られたのではないかとの推測も十分に成り立つと思います。

 シベリア抑留者の葉書の大半は、黒・紺・紫色のインクで文字が書かれていますが、右側の葉書は赤色で書かれています。差出人の後藤さんによると、これは「赤い木の実をつぶした汁で書いた」ことによるものだそうです。他の収容所でも、右側の葉書のように、抑留者が通常の筆記具とインクを使うことができなかったケースがあったのかもしれませんが、僕自身はそうした事例を確認できていません。

 また、後藤さんによると、「発信人の欄は日本人の通訳が書いた」とのことですが、たしかに、日本人抑留者の多くはロシア語の読み書きがほとんどできないわけですから(なまじっかロシア語ができるとスパイ扱いされるという事例も少なくなかったようです)、当然の措置といえましょう。あらためて、今回ご紹介のタイプ1A2の葉書のうち以前の記事でご紹介したモノをチェックしてみると、発信人とは別の筆跡でロシア語の返送先が書かれていました。

 これに対して、左側の葉書は差出人本人が日本語で返送先が書かれているほか、裏面の通信文もカタカナ(ちなみに後藤さんの葉書を含め、抑留者の葉書は全てカタカナ書きの文面のものが少なくありません)ではなく漢字交じりの通常の日本語で書かれています。検閲担当者が日本人(の通訳)であるから、そのまま日本語で書いても構わないと現場で判断されたためでしょう。

 いずれにせよ、シベリア抑留者の通信については、現在なお未解明の部分も多いので、まずは、データを蓄積していくことが必要だろうと思います。その意味でも、今回の『岐阜新聞』のような記事はありがたいですな。

 なお、シベリア抑留者の通信については、拙著『ハバロフスク』でもその概要をご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
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 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話 

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