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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 猫ひろし、五輪出場不可
2012-05-09 Wed 22:08
 カンボジア国籍を取得し、いったんはロンドン五輪男子マラソンの同国代表に選ばれたタレント、猫ひろしについて、国際陸上競技連盟は「参加資格を満たしていない」と判断。猫のロンドン五輪出場の可能性は消滅しました。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        キンナリー小型シート(カンボジア)

 これは、1953年4月に発行されたカンボジアの航空切手の小型シートで、それぞれの切手にはキンナリーが描かれています。

 キンナリーは、もとはヒマラヤに住む精霊の一種で、一般には、上半身が人間、下半身が鳥の姿で表現されることが多いようです。歌と踊りで神々に仕え、古典文学では美人の象徴として女性の姿で登場しますが、単語としては男性形のキンナラもあります。今回ご紹介の切手に描かれているのは中性的な顔つきですが、キンナリーとなっていますので、女性の姿ということなのでしょう。なお、キンナリーを取り上げた各国の切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、ぜひ、見比べていただけると幸いです。

 さて、ついでなので、この切手が発行されるまでのカンボジア近代史についてもおさらいしておきましょう。

 フランスによるインドシナ植民地化の過程で、1863年8月、フランスはカンボジア王と「修好、通商及びフランス国の保護に関する条約」を締結し、カンボジアを保護国化します。1867年7月には、カンボジアの宗主国であったシャム(現タイ)もカンボジアに対するフランスの保護権を承認。1887年には現在のカンボジア領の大半がフランス領インドシナの一部となり、1893年のパークナーム事件を経て、バッタンバン、シェムリアップ、シソポンの各地域もフランスに割譲され、カンボジア全土がフランス領インドシナに編入されました。

 こうした経緯もあって、第2次大戦でフランス本国が敗れた後の1940年11月、タイ・フランス領インドシナ間で、カンボジア、ラオスの領土をめぐり国境紛争が勃発。1941年5月、日本の調停によりタイ・フランス両国間で平和条約(東京条約)が結ばれ、タイはバッタンバンなどカンボジアの失地を回復します。さらに、1945年3月、カンボジア王ノロドム・シハヌークが日本軍の明号作戦に呼応してカンボジアの独立を宣言しましたが、日本の敗戦により、カンボジアは再びフランスの支配下に置かれることになりました。

 これに対して、シハヌークは粘り強く独立運動を続け、1947年には憲法を公布、1949年にフランス連合内での独立を獲得。1953年には警察権・軍事権を回復してカンボジア王国として完全独立を達成し、今回ご紹介の切手が発行されるに至ったというわけです。

 その後のカンボジアは、1970年のロン・ノルによるクーデターで発足したクメール共和国、1976-79年のポルポト時代、1979年に始まるヘン・サムリン政権と1982-91年の内戦を経て、1991年に現在のカンボジア王国が成立するという激動の歴史をたどることになります。

 さて、“カンボジア人”になったばかりの猫ひろしが、カンボジアの近現代史についてどの程度の知識を持っているのか、テレビのインタビューなどを見る限りでは良くわからないのですが、報道によれば、ご本人いわく「カンボジア人として4年後のリオデジャネイロ五輪を目指す」ということだそうです。そういうことなら、その間、近現代史の概説を含めたカンボジア入門の番組なり書籍なりを、ぜひ、作っていただきたいものですな。

 *けさ、カウンターが103万PVを越えました。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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