内藤陽介 Yosuke NAITO
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 無事、帰国しました
2012-06-30 Sat 17:58
 本日(30日)午後、無事にインドネシアから帰国いたしました。というわけで、きょうは、ご挨拶かたがた、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        インドネシア展・記念切手

 これは、今回の世界切手展<INDONESIA 2012>を記念してインドネシアが発行した小型シート(会場内の郵便局で入手しました)で、インドネシアの伝統的な影絵芝居のワヤン・クリが取り上げられています。ちなみに、インドネシア語でワヤンは影、クリは皮革を意味しており、一般には水牛の皮に透かし彫りの細工を施された人形を白い幕に投影し、ラーマーヤナなどの物語が演じられています。1人の人形師が語りながら人形を駆使し、その背後でガムランの楽団が演奏するという形態で、伝統芸能としてユネスコの世界無形遺産に登録されているほか、人形そのものも芸術的に価値の高いものがあります。

 今回のインドネシア滞在中、僕は中部ジャワのジョグジャカルタのソノブドヨ博物館でのパフォーマンスを見学しましたが、その時に撮影した写真を下に貼っておきます。左側が影絵としての画像で、右側が人形を操っている人形師のようすです。小型シートのうち、最高額の2万ルピー切手に取り上げられているワヤン・クリは、いわゆる人形ではありませんが、舞台の展開上、どのように用いられているか、お分かりいただけるかと思います。

      ワヤン・クリ     ワヤン人形師

 なお、今回の記念切手では、メダルと賞状にも下の画像のようにワヤン・クリがデザインされており、請来の収集家は、<INDONESIA 2012>といえば、マスコット・キャラクターのコモドオオトカゲよりも、ワヤン・クリをイメージするということになりそうです。

 インドネシア展・メダル表 インドネシア展・メダル裏 インドネシア展・賞状

 さて、今回のインドネシア滞在中は、切手展コミッショナーの山崎好是さん、審査員の大原敏正さんご夫妻、山崎文雄さんご夫妻、(以下、50音順で)池田健三郎さん、伊藤文久さん、井上和幸さんご夫妻、榎沢祐一さん、玉木淳一さん、土屋理義さん、増山三郎さん、山田廉一さん、和田文明さんほか、大勢の方々にお世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 今夜、ジャカルタを発ちます
2012-06-29 Fri 10:14
 早いもので、今回のインドネシア滞在もきょうが最終日となりました。というわけで、“ジャカルタ発”にちなみ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        バタヴィア=メルボルン航空開始

 これは、1931年4月1日、オランダ領東インド(現インドネシア)で発行されたジャワ=オーストラリア間の航空郵便用の切手です。今年(2012年)の世界展は今回の<INDONESIA 2012>だけで、次回の世界展は来年5月のメルボルンになりますから、切手展に合わせてのインドネシア滞在を締めくくるにあたって、“ジャカルタからメルボルンへ”という1枚としてご紹介します。

 1930年9月25日、当時としては最長区間となるアムステルダム=バタヴィア(現ジャカルタ)間の定期航空郵便路を開設したKLMは、ロンドン=マラヤ線を運航するなど、欧亜間の航空郵便の主軸を担っていました。

 その一環として、1931年、アムステルダム=オーストラリア線に加えて、バタヴィア=メルボルン間の試験飛行を行いました。この時の飛行に使われた飛行機はアベル・タスマン号で、4月30日にアムステルダムを出発し、5月9日にバタヴィアに到着。バタヴィア=メルボルン間の飛行は5月11日から19日にかけて行われました。また、この時の飛行に際しては、ロンドン発の郵便物も受け付けられて4月29日にアムステルダムに持ち込まれています。ちなみに、ロンドンからオーストラリアならびにニュージーランド宛の料金は2シリング6ペンスで、ニュージーランド宛の郵便物については、5月18日にシドニーで飛行機から降ろされ、そこから先は船で運ばれました。なお、復路の日程は、5月22日にメルボルンを発ち、27日にバタヴィアに到着。アムステルダムへの到着は6月6日でした。

 さて、僕の方は、現地時間22時05分の飛行機でジャカルタを発ち、途中、韓国・仁川を経由して明日(30日)午前11時30分に成田に到着の予定です。留守中、ご不便をおかけした皆様には、もうしばらく、ご猶予をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

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 切手に描かれたソウル:Nソウルタワー
2012-06-28 Thu 10:28
 『東洋経済日報』6月22日号が刊行されました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回はソウルタワーの切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ソウルタワー(1981)

 これは、1981年、韓国で発行された“世界観光の日”の切手で、南山のソウル・タワー(現Nソウル・タワー)が取り上げられています。

 ソウル・タワーは、もともとは、ソウル首都圏一帯のTV・ラジオ放送電波を送る総合電波塔として1965年に起工され、1971年に完成しました。KBS、MBC、TBCのテレビ電波の送信を開始したのは、翌1972年のことで、1975年には展望台も完成しています。

 ただし、当初は純然たる電波塔として利用され、展望台が一般に公開されることはありませんでした。タワーの展望台からは、天気が良ければ、仁川はおろか、北朝鮮の開城にある松岳山まで見渡せることを考えると、そうした施設を一般に公開することに国防・治安の面で不安があったためだと思われます。実際、タワー建設途中の1968年には北朝鮮による青瓦台襲撃未遂事件が起きており、完成後の1972年に始まる維新体制下では、民主化運動が厳しく制限されるなど、当時の朴正熙政権は治安の維持に神経をとがらせていました。

 展望台の一般公開が始まったのは、全斗煥政権下の1980年10月のことで、一般には、これをもって“ソウル・タワー”の開館とされています。

 タワーの高さは236.7メートルですが、高さ243メートルの南山の頂上付近に立っているため、海抜からの高さは479.7メートルになります。ちなみに、展望台の海抜は378.7メートルです。かつて、韓国一高い建物として有名になった汝矣島の63ビル(旧大韓生命63ビル)は高さ239.7メートル、現在、韓国一高い北東アジア貿易タワーの高さが305メートルですから、海抜からの高さでは、タワーの展望台から見下ろす格好になります。

 開館と同時に、タワーはソウル市内を一望できる観光地として人気を集め、開館翌年の1981年9月28日には、鬱陵島とともに、今回ご紹介の“世界観光の日”の切手に取り上げられたのを皮切りに、以後、ソウルの風景を取り上げた切手には、しばしば登場しています。

 年間の来場者数は、ほぼ100万人で推移しており、1991年に来場者が1000万人を突破、2001年には来場者が2000万人を突破した。この間、2000年には、所有権がニュース専門テレビ局YTNに移転しています。

 その後、開館から25年となる2005年には、施設の老朽化などから全面改修が行われ、同年12月、現在のNソウル・タワーの名前でリニューアル・オープンとなりました。ちなみに、Nの文字をつけたのは、NEWと南山にちなんでいるのだそうです。

 さて、わが国では、ちょうどひと月前の5月22日、高さ634メートル、世界一の高さを誇る電波塔として、東京スカイツリーが開業しました。

 これに対抗すべく、韓国でも2015年5月の完工を目指して、最上階を展望台とする高さ640メートルのソウルDMCランドマーク・ビルディングを麻浦区上岩洞に建設する計画が進められ、2009年には工事が始まっていました。ところが、事業者のソウルライトタワーが、ソウル市当局との間で事業計画変更や土地使用料金未払いなどのトラブルを起こしたため、ことし6月1日、ソウル市はビル用地の売買契約を解除。計画は暗礁に乗り上げています。

 となると、当分の間、最も高い場所からソウルを見下ろす展望台としては、今回ご紹介のNソウル・タワーの地位が揺らぐこともなさそうですな。 

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 泰国郵便学(20)
2012-06-27 Wed 08:19
  財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第46巻第3号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は1959年にサリット政権が成立した当初の話題を取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ・世界難民年

 これは、1960年4月に発行された世界難民年のキャンペーン切手です。
 
 世界難民年とは、英国の提案により、1958年12月5日の国連総会で採択された国際年(特定の事項に対して特に重点的問題解決を全世界の団体・個人に呼びかけるための期間)で、1959年6月28日から1年間の期間で設定されました。

 英国の認識としては、第2次大戦の終結から15年が過ぎようとしつつある中で、依然として、ナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ系を中心に、大戦によって発生した多くの難民がキャンプでの生活を続けている状況を解決しようというのが、難民年の最大の目的でした。それゆえ、「キャンプを空にしよう」とのスローガンが掲げられて各種の運動が展開され、1960年末までに欧州の難民キャンプはすべて閉鎖されます。

 もっとも、今回ご紹介の切手発行時のタイにとっての難民問題とは、ユダヤ系難民の問題ではなく、北部国境付近につくられた中国・雲南省出身者の難民村でした。

 1949年10月1日、中国大陸では中華人民共和国の成立が宣言されます。これと前後して、国民政府(国府)は南京から広州、重慶へと順次移転し、最終的に、同年12月4日、台北を臨時首都とすることを決議しました。

 ところが、雲南省一帯で人民解放軍と戦っていた国府第27集団軍隷下の“第93軍”は台湾へ逃れることができず、国境を越えてビルマ領内に逃亡し、ここを拠点に中共に対するゲリラ戦を展開することになりました。ちなみに、雲南省の省都・昆明への人民解放軍の入場は1949年12月9日で、彼らは1950年2月24日までに雲南省全域を掌握しています。

 当初、ビルマ政府は“第93軍”の活動を黙認していましたが、彼らが国内の少数民族の反政府勢力と連携していることが判明すると態度を硬化させ、台湾政府による“領土侵犯”を国連に提訴。この結果、国府軍とその関係者のうち、1953年から54年にかけて約6500名が、1961年には約4500名が輸送機で台湾へと引き揚げました。

 しかし、これは“第93軍”のごく一部でしかなく、その多くは、さらに国境を越えてタイ北部の山中に逃げ込み、メーサロンをはじめ大小合わせて64ヵ所の難民村を樹立します。タイ領内に逃れた“難民”の数は6万人にも上ったそうです。

 第93軍は麻薬取引などで資金を得ながら、大陸反抗の機会をうかがいつつ軍事訓練を行っていたため、サリット政権は、建前としては、国府軍をタイに入国させず、タイ領内にいる国民党軍は速やかに出国させるとの方針を掲げていましたが、実際には彼らの活動をほぼ黙認していました。中国との間にシップソーンパンナー問題を抱え、西側陣営の一員として反共の防波堤であることを外交政策の基本に据えていたタイにとって、国府軍ゲリラ部隊の存在は、一定の利用価値があったからです。

 ちなみに、タイ政府が国内に居座っていた第93軍の取扱に対して、台湾政府と具体的な外交交渉を開始したのは1968年のことで、交渉の結果、第93軍はタイ国内の共産ゲリラ討伐のためタイ国軍に協力することでタイ国内にとどまる道を選ぶことになります。

 1958-59年の世界難民年の時期は、まさに、そうした第93軍の“難民”問題が浮上してきた時期と重なっており、切手を手にしたタイ国民も、ユダヤ系難民ではなく、国府軍の残党のことを連想する場合が多かったのではないかと思われる。
 
 そうしたなかで、“難民年”の切手の題材としてワット・アルンが取り上げられた背景には、王室ともゆかりの深い寺院を難民問題と結びつけることで、弱者に対する王室と仏教の仁慈を強調する意図が込められていたと解釈できます。

 今回ご紹介の切手を発行したサリット政権は、タイの民主主義は国王を元首とした民主主義であると規定し、ラーマ6世の唱えた民族・宗教・国王の3原則(ラック・タイ)を国家イデオロギーの中核に据えていました。立憲革命以降、政治の中枢にあったピブーンソンクラーム(ピブーン)が国王の権威を抑え込むことによって自らの権力基盤を確立していった以上、“革命”によってピブーンを追放して権力を掌握したサリットが、国王の威信を回復することに自らの存在意義を求めるのは自然なことでした。

 今回の記事では、民族の繁栄と仏教と王室の繁栄を通じて実現されるとする“ラック・タイ”のロジックを表現しようとするうえで、ワット・アルンが重要なシンボルとなっていたことをいくつかの実例を挙げつつご説明しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 アヘン業者のカバー
2012-06-26 Tue 07:46
 きょう(26日)は、いまから25年前の1987年6月26日に薬物乱用・不正取引防止に関する国際会議で「薬物乱用統制における将来の活動の包括的多面的概要」が採択されたことにちなみ、“国際麻薬乱用・不正取引防止デー”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

      ジャーディン・マセソンカバー(1838)     ジャーディン・マセソン封蝋

 これは、1838年10月25日、当時、アヘンの密輸で大儲けしていたジャーディン・マセソン商会がロンドン宛に差し出した郵便物です。

 ジャーディン・マセソン商会は、清朝からの茶の輸入によって生じた赤字を、インド産のアヘンを密輸することによって解消しようとするイギリスの三角貿易が行われていた時代背景の下で生まれました。

 創立者の一人、ウィリアム・ジャーディンは、1774年、スコットランドの南西部の生まれ。9歳で父親と死別し、兄の援助を受けてエディンバラで医学を学び、1802年にイギリス東インド会社のボンベイ=広州航路の船医として就職しました。

 船医時代のジャーディンは、副業として、アジア各地に駐在している東インド会社のスタッフのために本国商品のブローカーのようなことをやって、15年間にわたって、商売人としてのノウハウを体得するとともに、各地のインド系ならびに中国系の商人とのコネクション作りに精を出していました。

 こうして、1817年、ジャーディンは東インド会社を退職。いったんはロンドンに戻ったものの、1822年には広州に乗り込み、船医時代に培ったボンベイのイラン系商人とのコネクションを活かしてアヘン貿易に手を染めて巨額の利益を得て、当時の一大企業だったマグニアック商会のパートナーになります。

 一方、ほぼ同じ時期にアヘン商人として派手に売り出していたのが、ジェイムズ・マセソンでした。

 マセソンは、ジャーディン同様、スコットランドの出身で、ジャーディンよりも12歳若い1796年の生まれ。エディンバラ大学で学んだ後、1815年に叔父の会計事務所を手伝うためにカルカッタへ渡り、その後、広州で貿易に携わるようになります。1821年には広州駐在のデンマーク領事の肩書きを手に入れ、1823年には、福建沿岸で清朝官憲の監視をかいくぐってアヘンの直接密輸を成功させ、広州のアヘン商人の間ではちょっとした有名人になっていました。

 2人は、1827年頃からビジネス・パートナーとして活動していましたが、1832年、マグニアック商会の破産に伴い、広州にジャーディン・マセソン商会を設立しました。

 今回ご紹介の郵便物は、そのジャーディン・マセソン商会が1838年にロンドン宛に差し出した郵便物で、裏面には同商会のマークの入った封蝋が押されています。郵便物の具体的な差出地を示す表示などはありませんが、カバーには“INDIA”の表示がありますから、アヘンの仕入先であるインドから差し出されたものでしょう。この郵便物の場合は、差出地からボンベイなどの港までは民間の信書便業者であるレミントン商会(その印が封筒の右上に押されています)が取り扱い、そこから先は、イギリスの郵便船でロンドンまで運ばれたものと考えられます。

 さて、ジャーディン・マセソン商会の設立からほどなくして、1833年には東インド会社による対清貿易の独占が撤廃されたため、新たな対清貿易のお目付け役として、イギリス政府はウィリアム・ネーピアを貿易監督官として広州に派遣します。

 極東のことなど何も知らないネーピアが、当時のヨーロッパでは一流の中国通であったジャーディンに取り込まれるのは時間の問題で、自由貿易の実現のためには清朝に対して強硬措置を取るべきだと確信するにいたったネーピアは、清朝とのトラブルを解決するための手段として広州に軍艦を呼び寄せて清朝の役人を威嚇するという砲艦外交を展開。ネーピア本人は広州到着からわずか3ヵ月後に亡くなりますが、ジャーディンらは広州のイギリス商人は「ネーピアの死を無駄にするな」という大義名分を掲げ、清朝に対して武力制裁を発動すべしとの運動を展開しました。

 これが1840年のアヘン戦争にもつながっていくわけですが、そのあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも、当時の郵便物などを紹介しつつご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 スウェーデン国旗・正誤
2012-06-25 Mon 02:06
 今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”がやってきました。昨日(24日)閉幕した世界切手展<INDONESEA 2012>に出品した僕の作品、A History of Hong Kong でも、朝鮮戦争がきっかけで香港の工業化が始まったことを取り上げましたが、そのリーフでつかったマテリアルの中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

     国連軍参戦15年原畫

 左は、1960年に韓国で準備されたものの、最終的には切手として不採用となった“国連軍参戦15年”の記念切手の原画です。

 1950年6月25日に北朝鮮の朝鮮人民軍の奇襲攻撃により朝鮮戦争が始まると、国連安全保障理事会は北朝鮮の南侵を侵略行為と規定し、北朝鮮に対して38度線以北への撤兵を要求します。しかし、朝鮮人民軍はこの安保理決議を無視してさらに南侵を続け、6月28日にはソウルを占領してしまいます。

 このため、アメリカ大統領・トルーマンは、極東海・空軍に対して、38度線以南の朝鮮人民軍への攻撃を指令。国連安保理も、「北朝鮮の侵攻を撃退するため、加盟国は韓国が必要とする軍事援助を与える」との決議を採択して、アメリカの軍事介入を追認しました。

 その後、7月7日になって、国連安保理は北朝鮮の南侵を食い止めるべく、国連軍の創設を決議し、その司令官の任命をトルーマンに委任。これを受けて、翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任しています。

 これら一連の安保理決議は、当時、ソ連が欠席した安保理(ソ連は、中華人民共和国を中国の正統政府として国連への代表権を与えるように主張し、それが否決されたことに抗議して安保理への出席を拒否していました)で採択されたため、後に、いわゆる“進歩的知識人”たちは、国連軍の創設は国際世論を反映したものではないと批判する余地を残すことになったとされています。

 しかし、当時の国連加盟59ヵ国のうち、国連軍の派遣に賛成したのは52ヵ国と圧倒的多数を占めていました。また、アメリカ以外にも、英連邦5ヵ国を含む総計21ヵ国が兵員を派遣していたことを考えると、国連軍の派遣は、やはり、当時の国際世論を反映したものとみなすのが自然といえるでしょう。

 朝鮮戦争の勃発から15年後の1965年6月25日、韓国は“国連軍参戦15年”の名目で記念切手を発行します。その際、準備された原画の1枚(今日ご紹介の左の画像)には、左から順に、イタリア、イギリス、コロンビア、タイの国旗が並んでいますが、一番右側の旗を国旗とする国は存在しません。おそらく、スウェーデン国旗のつもりだったのでしょうが、スウェーデン国旗は青字に金のスカンディナヴィア十字が描かれた“金十字旗”ですから、背景と同じ黄色としなくてはいけません。まぁ、それだけが原因というわけではないのでしょうが、この原画は不採用となり、実際に発行された切手では、右側の画像が示すように、正しい配色のスウェーデン国旗を描くデザインが採用されています。

 さて、世界切手展<INDONASIA 2012>は、昨日閉幕し、無事に作品もピックアップしてきました。コミッショナーの山崎好是さん、審査員の大原敏正さんご夫妻、山崎文雄さんご夫妻をはじめ、日本から参加の池田健三郎さん、伊藤文久さん、井上和幸さんご夫妻、榎沢祐一さん、玉木淳一さん、土屋理義さん、増山三郎さん、山田廉一さん、和田文明さん(以上、50音順)をはじめ、会期中、大勢の方々にお世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 なお、切手展の会期は終了しましたが、引き続き、現地で取材と資料収集を行うため、帰国は30日になる予定です。この間、いろいろとご不便をおかけするかもしれませんが、あしからず、ご了承ください。

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 トバ湖へ行ってきました
2012-06-24 Sun 09:38
 きのう(23日)は、コミッショナーの山崎好是さんのお世話で、日本人の有志でスマトラのトバ湖へ行ってきました。というわけで、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      トバ湖プルーフ     トバ湖(実際)

 これは、1944年8月1日、日本占領下のスマトラで発行された30セント切手の試刷で、トバ湖が描かれています。右側は実際のトバ湖の前で記念撮影した画像です。

 トバ湖は、インドネシアのスマトラ島北部にある世界最大のカルデラ湖で、その面積は1000平方キロにも及んでます。そのカルデラは、84万年前、50万年前、7万4000年前の3回にわたる巨大噴火により、大量のマグマが噴出した結果地盤が沈下して形成されたもので、湖中にあるサモシール島は、カルデラの形成後、マグマの上昇によってできた再生ドームです。
 
 ちなみに、オランダの地球科学者レイナウト・ファン・ベンメレンが、トバ湖が火砕流堆積物の層によって囲まれたカルデラであると報告したのは、第二次大戦後の1949年のことです。ということは、今回ご紹介の南方占領地切手が発行された当時は、トバ湖が世界最大のカルデラ湖ということは意識されていなかったことになりますな。

 また、1949年といえばインドネシア独立戦争の最中です。困難な時期に調査をやり遂げたファン・ベンメレンの苦労は並大抵のことではなかったはずで、純粋に頭が下がります。

 さて、18日から始まった世界切手展<INDONESIA 2012>も、いよいよ最終日となりました。きょうは、展覧会そのものは13時で終了し、午後からは作品の撤収という最後の大仕事が待っていますので、気合を入れて頑張っていかねば。

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 おかげさまで LV 受賞しました
2012-06-23 Sat 04:31
 今月18日からインドネシアで開催中の世界切手展<INDONESIA 2012>ですが、きのう(22日)、授賞式があり、正式な受賞結果が発表となりました。おかげさまで、僕の出品作品“A History of Hong Kong”は86点ギリギリですが、大金銀賞(LV)を獲得することができました。というわけで、きょうはこの切手です。

        香港戦勝記念

 これは、1946年8月に香港で発行された戦勝記念切手です。

 1945年9月16日、イギリス海軍司令官のハートコートが日本軍の降伏を受け入れて、日本軍による香港の占領は完全に終結。その後、イギリス軍政庁による戦後復興政策は、急ピッチで進められ、1945年9月28日には香港中央郵便局に、10月1日には九龍郵便局に、それぞれ、戦前と同じデザインのジョージ6世の肖像の入った切手が配給されました。

 1945年末には、占領中、60万人程度にまで落ち込んでいた香港の人口が100万人規模にまで回復。戦前の香港総督だったヤングも満洲の収容所から解放され、ロンドンを経て、年末までには香港に帰任し、1946年4月末をもって軍政庁は廃止され、5月1日からは戦前同様の総督府による支配が再開されました。

 総督に復職したヤングは、かつての市政局に代わって市議会を組織すると宣言。30名の議員のうち、華人と“洋人”を15名ずつとし、30名のうちの20名(華人・洋人10名ずつ)を民選とするという改革案を発表します。

 もちろん、香港の人口の圧倒的多数を華人が占めているという現実を考えるなら、華人と洋人の議席配分を半々とするのは公平とはいえませんし、選挙権資格についても、洋人は1年以上の香港居住で得られるのに対して、華人は10年以上の香港居住が必要とされるなど、華人に対する差別的な待遇はさまざまな形で改革案にも残っていたことは事実です。

 それでも、戦前の市政局に比べると、市議会における華人議員の議席は飛躍的に増大。また、華人がヴィクトリア・ピーク山頂付近に居住することを実質的に禁じていた規定も撤廃されるなど、総督府は華人社会に対して大幅な譲歩を行っていることは見逃してはならないでしょう。

 こうしたイギリスの変化は、日本軍の占領によってイギリスの香港支配が中断された結果、華人とイギリス人がともに日本軍によって支配され、苦難の体験を共有したことで、ある種の連帯意識が芽生えたという背景によるものと考えられます。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、占領中に赤柱の収容所に抑留されていた中央郵便局長が、解放の日を夢見て1943年に描いたスケッチを元に作られたもので、“鳳凰復興 漢英昇平”のスローガンも入れられています。これは、「(日本軍に占領されて死に瀕していた)鳳凰の復活は、華人とイギリス人にとっての平和回復の象徴だ」という程度の意味ですが、“漢英”というかたちで華人とイギリス人が併置されている点は、やはり、この時代の空気を象徴しているといえましょう。

 ちなみに、この切手は当初、終戦記念日の1946年8月15日に発行される予定でしたが、イギリス本国からの到着が遅れたため、イギリス軍再上陸の記念日にあたる8月29日に発行されています。

 さて、今回の出品は、オープンクラスからテーマティクへの部門変更後最初の作品ということで、まずは、5フレームから8フレームに拡大できる資格としてのLVのメダルを取ることが最大の目標でしたので、目標を達成できて素直に喜んでいます。今後は、8フレームに作品規模を拡大したうえで、金賞を目指したいと思っておりますので、引き続き、皆様のご支援・ご指導をお願いできると幸いです。

 なお、きょうの記事でとりあげた第2次大戦の終戦前後の香港の状況については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ご覧頂けると幸いです。


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 世界漫郵記:コーチン④
2012-06-22 Fri 01:49
 『キュリオマガジン』2012年7月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、コーチン(コーチ)の4回目です。その記事で使ったモノの中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        マハーヴィーラ2600年       コーチン・ジャイナ教寺院

 左の切手は、ジャイナ教の開祖とされるマハーヴィーラの2600年祭を記念して2001年にインドで発行された切手で、法輪のある手と上に3つの点がある卍を組み合わせたジャイナ教のシンボルマークが大きく取り上げられています。右側の写真はコーチンのジャイナ教寺院の入口で、門扉の両脇には、切手と同じシンボルマークが掲げられています。

 ジャイナ教は、釈迦と同時代(紀元前5世紀頃)の思想家、マハーヴィーラが宣教を始めた教えで、バラモンによる祭祀よりも、個人の修行による解脱を重視することや、あらゆる生き物に対する不殺生(アヒンサー)を重視することなどは仏教とも共通です。ただし、ジャイナ教のアヒンサーは仏教に比べてはるかに徹底しており、熱心な信者のなかには、空気中の小さな生物を殺さぬように白い布で口を覆うこともあります。さらに、畑を耕すと虫などを殺すことがあるとして農業を忌避する人もあり、その結果として、在家のジャイナ教徒には商人が多くなっています。

 コーチンのジャイナ教寺院は1904年に建立され、第19代ティールタンカラ(マハーヴィーラに先立つ23人の祖師のひとり)であるマッリに献じられました。

 さて、ジャイナ教のシンボルマークのうち、法輪のある手は、アヒンサーの誓いを示すシンボルで、本来、法輪の中にはアヒンサーの文字が入っているのですが、目の前の門扉の装飾では省略されていました。なお、法輪は徹底的な追求と非暴力を通じて再生の循環を停止しようという決心を表すのだそうです。

 一方、卍(スヴァスティカ)は、インドではジャイナ教に限らず仏教やヒンドゥーでも広く用いられている吉祥の印で、その上の3つの点は、ジャイナ教の宗教的な生活の心得とされる“三宝(①正しい信仰、②正しい知識、③正しい行い)”を意味しています。もっとも、コーチンのジャイナ教寺院の門扉では、点が一つ取れてしまって“二宝”になっていたのは、ご愛嬌ですが…。

 さて、今回の連載記事では、ジャイナ教関係の切手などもご紹介しながら、コーチンのジャイナ教寺院を訪ねた時のことをまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 切手が語る宇宙開発史(20)
2012-06-21 Thu 04:08
 ご報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年7月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        モンゴル・ルナ(1959)

 これは、1959年12月30日にモンゴルが発行した「ルナ3号打ち上げ成功」の記念切手のうち、月とロケットを描く1枚です。

 モンゴル民族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、ゴビ砂漠をはさんで、南側が内蒙古、北側が外蒙古と呼ばれていました。このうち、外蒙古では1924年の革命で社会主義政権が成立。“モンゴルのスターリン”とも呼ばれた独裁者ホルローギーン・チョイバルサンの下、ソ連への併合を免れるため、ソ連の衛星国として徹底した親ソ政策が採用されます。

 1952年、独裁者チョイバルサンが亡くなり、人民革命党(共産党)第一書記のユミジャージン・ツェデンバルが新首相に就任。翌1953年にスターリンが亡くなり、1956年にフルシチョフによるスターリン批判が開始されると、“宗主国”ソ連の動向はモンゴルにも波及し、モンゴルでもスターリンとチョイバルサンに対する個人崇拝への批判が行われました。その急先鋒は、ツェデンバルの後任の党第一書記で、ツェデンバルとライバル関係にあったダシーン・ダンバです。

 ところで、スターリン批判をきっかけに中ソ対立が発生しますが、当初、モンゴルと共産中国の関係は良好でした。1952年に中国と締結した経済文化協力協定により、累計およそ2億ルーブルの借款や1万7000人にもおよぶ中国人労働力がもたらされ、モンゴル経済に多大な恩恵をもたらしていたからです。

 1957年にソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功した際、東欧諸国が“宗主国”ソ連の快挙をたたえる切手を相次いで発行したのに対して、モンゴルが発行しなかったのは、中国と長大な国境を接しているという環境の下で、一方的にソ連に肩入れして中国を刺激したくないという配慮に加え、ツェデンバルとダンバの権力闘争の最中で、そうした微妙な問題を取り上げることを避けたいという意識があったためではないかと思われます。

 しかし、1958年になると状況は微妙に変化しました。

 すなわち、ハンガリーでの反ソ暴動(1956年に発生)鎮圧を受けて、ツェデンバルは人民を“知的な混乱”に追い込んだ責任を追及するとの名目でダンバを追放。さらに、1958-60年、ソ連は中国に対抗すべく、モンゴルの経済3ヵ年計画に2億ルーブルの借款を供与したほか、数多くの合弁企業をモンゴルに委譲しました。また、1959-60年に行った農業支援により、26万ヘクタールが耕地化されてモンゴルの耕地面積は3倍に、小麦の収穫は300%以上に増加しています。

 1959年12月、ソ連の宇宙開発を称える最初のモンゴルの切手として、ルナ3号打ち上げ成功の記念切手が発行されたのは、ツェデンバル政権の安定化に伴い、あらためてソ連への感謝の意を対外的に示す余裕が生じた結果とみいえましょう。

 ちなみに、ツェデンバル政権が自前の憲法として新憲法を採択したのは、切手発行の翌年、1960年7月のことでした。

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 ボロブドゥールに行ってきました
2012-06-20 Wed 11:03
 世界切手展<INDONESIA 2012>もとりあえず開幕しましたので、ジャカルタを抜け出し、きのうボロブドゥールに到着。けさは夜明けの寺院を拝んできました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ボロブドゥールと踊り子(耳紙つき)     ボロブドゥール全景

 これは、第二次大戦中の1943年、日本占領下のジャワ島で発行された40セン切手で、ボロブドゥールを背景に民族衣装の踊り子が描かれています。占領時代のボロブドゥールの切手というと、寺院の一部を取り上げた10セン切手もあるのですが、今回は全景が見えるものということで、こちらを持ってきました。切手本体のセンターがちょっとよくないので、耳紙は付けたままでご紹介します。右側には、けさ撮影したボロブドゥールの遠景の写真を貼っておきます。

 ボロブドゥール寺院は、仏教を奉じるシャイレーンドラ朝が8世紀から9世紀にかけて建造した大寺院ですが、その構造は密教の曼荼羅を立体的に再現したものと言われています。

 曼荼羅とは、大日如来の説く真理や悟りの境地を視覚的に表現したもので、一般的には絵画など平面に表わされますが、ボロブドゥール遺跡のように諸尊の彫像を立体的に配置する羯麿曼荼羅(立体曼陀羅)と呼ばれるものも存在しています。

 ボロブドゥール寺院は、全体が基壇、方壇、円壇の3段の構成となっていますが、これは、それぞれ欲界、色界、無色界の三界を表現しており、人々はボロブドゥールに登る事で、三界を体験することができる構成になっています。そして、72基のストゥーパは三重円を描くように並び、頂上には釈迦の遺骨を納めたとされる巨大なストゥーパがあり、天上をめざしています。この中心塔は空洞になっていますが、これは大乗仏教の真髄である“空”の思想を強調しているのだそうです。
  
 なお、ボロブドゥール寺院はインドネシアはもとより各国の切手に何度も取り上げられていますが、そのうちの代表的なものについては、拙著『切手が伝える仏像』でもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
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 ケープ周郵記③
2012-06-19 Tue 08:56
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第466号が配信となりました。僕の連載、「ケープ周郵記」は、今回は、ケープタウンから喜望峰へと向かう道中のドライヴ・ウェイとして有名なチャップマンズ・ピーク・ドライヴの話題を中心に取り上げました。その記事の中から、きょうはこのマテリアルのご紹介です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      チャップマンズ・ピーク・ドライヴ(1928)    チャップマンズ・ピーク・ドライヴ裏面

 これは、1928年にケープタウンからスイス宛に差し出された絵葉書とその裏面で、絵面は当時のチャップマンズ・ピーク・ドライヴです。ちなみに、2010年に僕が訪れた時の風景はこんな感じでした。

      チャップマンズ・ピーク・ドライブ

 前回の連載でご紹介したキャンプス・ベイを抜け、十二使徒のふもとを越えると、世界的に有名な観光道路、チャップマンズ・ピーク・ドライヴへと突入します。

 高さ600メートルの岩山を通るチャップマンズ・ピーク・ドライヴは、センチネル山の岸壁とハウト湾に挟まれて、ハウト・ベイ地区とノードフックを結ぶ10キロ弱のドライヴ・ウェイで、1915年から1922年までの工事には、多数の囚人が動員されたそうです。

 今回ご紹介の絵葉書には、チャップマンズ・ピーク・ドライヴを走る乗合バスの写真が取り上げられています。写真を見ると、バスというより、トラックの荷台を改造して乗っているという風情ですが、晴天の下、オープン・トップでのドライヴというのは何とも気持ちよさそうですな。

 もっとも、チャップマンズ・ピーク・ドライヴは、険しい岩山を切り開いての道路ゆえ、しばしば落石による死傷事故も発生し、そのたびに、通行が一時閉鎖されるということもありました。じっさい、車窓から見える岸壁には、ところどころ、落石防止のネットなども貼られていましたし…。

 まぁ、実際に事故に遭う確率なんて宝くじに当たるようなものなんでしょうが、不幸にもそういうタイミングにぶつかってしまったら、屋根のない車ではひとたまりもありません。曇天の下、時おり雨粒がぱらついてくる中で、窓もろくに開けられずに車の中で座っていた僕としては、そんな風に考えて納得することにしました。

 さて、今月25日に配信予定の本のメルマガ469号では、喜望峰に無開く途中で見かけたダチョウ農場の話を中心に記事を書きました。本のメルマガは、こちらから登録していただければ、どなたでも無料でお読みいただけますので、よろしかったらぜひ、お読みいただけると幸いです。

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 <INDONESIA 2012>開幕
2012-06-18 Mon 09:16
 きょうからインドネシアのジャカルタで、世界切手展<INDONESIA 2012>がスタートします。僕もこれから朝食を済ませたら、開会式へ出席のため、会場へ向かいます。本来なら、切手展の記念切手をご紹介したかったのですが現時点では入手できていませんので、今回の切手展のマスコット・キャラクターにちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       コモドオオトカゲ     インドネシア展マスコット

 左は、フランス・パリのユネスコ本部用として2001年に発行された“インドネシア・コモド国立公園(世界遺産)”の切手で、コモドオオトカゲが大きく取り上げられています。右は今回の切手展のマスコット・キャラクターで、擬人化されたコモドオオトカゲに民族衣装を着せ、ルーペを手に持たせたデザインとです。

 コモドオオトカゲは、インドネシアのギリダサミ島、ギリモタン島、コモド島、フローレス島南部、リンチャ島に生息する固有種で、世界最大のトカゲとして知られています。1911年に西洋人がコモド島で発見した時には、恐竜の生き残りとも言われました。

 乾燥した落葉樹林やサバンナ、海岸などに生息し、尾を使って泳ぐこともできます。主としてイノシシやシカなどの哺乳類を餌としていますが、鳥類やその卵、爬虫類やその卵、昆虫、動物の死骸なども食べるほか、まれに人間を襲撃することもあります。開発による生息地の破壊、獲物の減少などにより生息数は減少しているため、生息地のコモド国立公園は1991年に世界遺産に登録されました。

 ちなみに、繁殖期は毎年5-8月で、オス同士は“コンバットダンス”と呼ばれる直立しての組み合いで、メスを巡って争うのだそうです。ということは、6月開催の切手展のマスコット・キャラクターは、“コンバットダンス”のコモドオオトカゲを連れてきて、服を着せてルーペを持たせたということになるんでしょうかね。もっとも、今回の切手展で良いメダルを取ったからといって、女性が僕になびいてくるということはないでしょうけれど…。

 【追記】
 
 <INDONESIA 2012>は、昨日(18日)10時から開会式が行われ、テープカットではなく、インドネシア情報通信大臣が銅鑼を打ちならして開会となりました。(下の画像は銅鑼を打ち鳴らす大臣閣下です)

       <INDONESIA 2012>開会式

 ところが、開会宣言の後も展示・設営作業は終わらず、少なくとも午前中いっぱいは、審査員と設営担当者以外は展示スペースに入ることができませんでした。(下の画像は開会宣言後も展示作業に励んでいる人たちです。展示されている場所とそうでない場所があるのがお分かりいただけると思います)

       開会宣言後の展示作業

 普段の切手展ですと、僕は、初日の午前中、自分の作品が無事展示されているのを確認したら、取材のため会場を離れるのですが、今回は確認できないまま、ジャカルタを後にすることになりました。まぁ、旧知の外国人審査員たちは「お前の作品を観たぞ」といってくれましたので、一応、展示はされているのでしょう。これもまた、お国柄と割り切ってお付き合いするしかありませんな。
 
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 ジャカルタに来ています
2012-06-17 Sun 10:51
 きのう(16日)の夜、ジャカルタに無事到着しました。きょうはこれから、作品を搬入しに行きます。というわけで、ジャカルタからの最初の更新ということで、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        バタヴィア海軍用ステーショナリー

 これは、オランダの海軍軍人用のステーショナリーで、インドネシア独立戦争中の1947年11月30日、現地に派遣されていたオランダ海軍の軍人さんが差し出したものです。印刷されている文言の最下段に、しっかりと“バタヴィア(現ジャカルタ)と印刷されているのが良いですな。

 1945年8月15日、日本が降伏すると、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア独立を宣言しました。その後、9月4日にスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。また、独立宣言後の8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため、イギリス軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織しました。

 その後、オランダからの独立を主張するスカルノ政府とこれを阻止しようとするオランダ側との間で、インドネシア独立戦争が勃発することになります。この戦争は、1949年12月27日、ハーグの円卓会議でインドネシアの独立が正式に認められて終結するのですが、今回ご紹介のモノはその戦争中のオランダ側のマテリアルというわけです。

 明日からの<INDONESIA 2012>を前に、どうせなら、勝者となったインドネシア側のマテリアルを持ってきて、景気づけをしたかったのですが、気の利いたものが見つけられなかったので…。まぁ、これから搬入する作品に関しては、負け戦に終わらぬことを祈るばかりです。

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 ジャカルタへ行ってきます!
2012-06-16 Sat 02:05
        韓国海兵隊10年

 私事で恐縮ですが、インドネシア・ジャカルタで開催される世界切手展<INDONESIA 2012>に参加するため、きょう(16日)、ジャカルタに向けて出発します。早朝羽田発の飛行機ですので、現在、羽田でチェックインカウンターが開くのを待ちながら、この記事を書いています。

 展覧会の会期は18日から24日までなのですが、作品を搬入しなければなりませんので、現地時間のきょう20時過ぎにジャカルタ入りする予定です。なお、せっかくインドネシアまで行くのに、展覧会終了と同時に帰ってきてはもったいないので、会期終了後は各地を回って取材し、30日午後に帰国の予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。

 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、1959年に韓国で発行された“海兵隊10周年”の記念切手で、上陸する海兵隊員が描かれています。昨年のインド展横浜展のときも作品搬入の際には、展示作品の中から、“いざ出陣”という雰囲気の切手を持ってきたのですが、今回の出品作品“A Hitory of Hong Kong”に関しては2009年のブカレスト展に出発する日の記事で香港黄泥涌高射砲陣地奪取の絵葉書をご紹介しましたので、香港がらみではネタ切れです。そこで、今回は仁川経由の大韓航空機でジャカルタ入りすることに加え、拙著『韓国現代史』韓国語版も刊行されたばかりですので、韓国切手の中から、似たような雰囲気の切手を持ってきたという次第です。

 ちなみに、韓国の海兵隊は、1949年4月15日、慶尚南道昌原郡鎮海邑(現在の鎮海市)で380人規模の部隊と大日本帝国陸軍の九九式軽機関銃などの武装を用いて創設されました。朝鮮戦争時には北朝鮮の朝鮮人民軍および中国の人民志願軍(実質的に人民解放軍)を相手に一個大隊を一掃するなどの戦功を挙げ、韓国精鋭部隊と謳われました。僕もインドネシアの切手展で戦果を挙げて帰ってきたいものですな。

 では、いざ出陣!

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 우표로 그려낸 한국현대사
2012-06-15 Fri 18:25
 すでにこのブログでもご案内の通り、先月31日付で、拙著『韓国現代史 切手でたどる60年』の韓国語訳『우표로 그려낸 한국현대사 (邦題:切手で描き出した韓国現代史)』がハヌル出版より(出版元の特設HPはこちらです)刊行されました。その実物が、さきほど、ようやく元の本の出版社に到着しましたので、あらためて刊行のご挨拶を申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

        韓国語版・韓国現代史

 2008年に刊行の拙著『韓国現代史 切手でたどる60年』の翻訳を韓国で出版しようという企画は、2009年夏、ソウルで開催のアジア国際切手展<PHILAKOREA 2009>の会場でハヌル出版のリム・ジョンスさんにお会いしたことからスタートしました。

 このブログをはじめ、日頃から僕の文章を読んでいただいている方にはお分かりかと思いますが、僕は韓国とその現代史についてあくまでも是是非非の立場を取っています。このため、韓国側の主張にひたすら阿ることが日韓友好だと思い込んでいる一部の人たちからは、僕の著述や発言は韓国に対してきわめて批判的で厳しい論調であるとか、はなはだしくは“嫌韓派”だといわれることもあります。しかし、僕自身は、自分の興味・関心の対象としての韓国(とその切手)に真摯に向き合っているという自負を持っており、単純に好き・嫌いという感覚で彼らを見ているわけではありません。

 じっさい、本書の制作過程で「韓国人から見れば異論・反論も多い内容かもしれませんが、どうですか?」とお尋ねしましたところ、「もちろん、我々とは意見が違う部分はあります。でも、日本人の書く韓国現代史が、韓国人の書いていることと全く同じ内容だったら、わざわざ翻訳する必要はないじゃないですか」との答えをいただき、大いに勇気づけられたこともありました。

 おかげさまで、本書につきましては、すでにいくつかのメディアでも取り上げられております。そのいずれも、韓国人の“常識”にとらわれず、また、“郵便学”という新しい手法で、日本人が韓国現代史に取り組んだことを好意的に紹介しているものでしたので、まずは安堵しております。

 なお、今月18日には、韓国語版としては2冊目の拙著が刊行される予定です。ただし、明日(16日)から30日まで、ジャカルタで開催の世界切手展<INDONESIA 2012>に出品者として参加するため、インドネシアへ渡航いたしますので、こちらにつきましては、帰国後、あらためてご紹介したいと思います。

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 青いサンゴ礁
2012-06-14 Thu 23:12
 今日のニュースは、歌手・松田聖子がきのう(13日)に電撃的に再々婚していた話題で持ちきりだったようです。というわけで、“青い珊瑚礁”の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        西表国立公園(海中・みほん)

 これは、1974年3月15日に発行された西表国立公園の切手のうち、“海中の光景”を取り上げた切手の“みほん”です。

 “西表国立公園”は、沖縄本島から430キロ離れた西表島を中心に、黒島・竹富島・新城島・小浜島などの島々とそれらを含む海域から構成されていた国立公園で、アメリカ施政権下では琉球政府立公園となっていましたが、1972年5月15日に沖縄が日本に復帰すると、同日付で国立公園に指定されました。

 その後、2007年8月1日に石垣島の一部が編入され、西表石垣国立公園に改称。現在の面積は陸域が2万569ヘクタール、海域が4万6600ヘクタール(うち海域公園地区が約1100ヘクタール)で、海域公園の面積は国内最大です。

 今回ご紹介の切手は“西表国立公園”時代の発行ですが、その図案について、当時の郵政省は「青く透き通った海や海岸線、島々を取り巻くサンゴ礁と海中を泳ぎ回る魚群は、実にみごとな調和を見せています。海中の光景が切手になったのは初めてです」と説明しています。なお、国立公園切手は、前回の小笠原国立公園までは2色刷りでしたが、今回の切手は海中の光景を再現するため4色刷りが採用されました。この切手以降、国立公園切手は発行されていませんので、4色刷りの公園切手は、西表国立公園が最初で最後となっています。

 *昨日(13日)、カウンターが105万PVを越えました。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 最古の“戸籍”発見
2012-06-13 Wed 13:32
 きのう(12日)、福岡県太宰府市の教育委員会は、市内の国分松本遺跡から、701年の大宝律令以前、685-701年の作成と推定される戸籍に関する木簡が出土したと発表しました。これまでは、正倉院に伝わる702年の戸籍が現存最古のものと考えられていましたから、最古の資料ということになりそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        第1回国勢調査

 これは、1920年に発行された第1回国勢調査の記念切手です。

 第1回の国勢調査は、当初、1905年に実施することが予定されていましたが、これは日露戦争のために延期されてしまいます。さらに、その後も内閣の交替その他の事情で延び延びになり、最終的に実施されたのは、1920年のことでした。

 調査に先立ち、9月25日、周知宣伝を兼ねた記念切手が発行されました。

 切手は、645年の大化の改新の際に国司に命じて戸籍を閲覧したという故事に基づくもので、、国司が戸籍を閲覧し、その奥に署名している場面が描かれています。図案の制作に際しては、古代史家の高橋健自の指導の下、当時の服装をモデルに着用させ、当時の椅子に座らせて写生したそうです。
 
 切手の国司は黒絹の冠をかぶり、袴の上に中国風の盤領の衣を着ています。また、椅子に座るのも大陸風のスタイルで、足を組んだ半跏趺坐の座り方(弥勒菩薩なんかの座り方ですな)は、当時の仏教徒としての作法を踏まえたもので、烏皮の履(黒塗りの皮で作った、つま先の高い履物)を履いているのも大陸風です。さらに、切手の小さな印面では見づらいのですが、国司の持っている筆は雀頭筆(雀の頭のような形をした筆先の短い筆)です。

 このように、切手の図案は律令時代の風俗を忠実に再現したため、事情を知らずに「なぜ日本の切手に支那の風俗を描くのか?」と疑問に思う収集家も少なからずいたと伝えられています。

 いずれにせよ、今回発見された木簡も、こんな感じで作られていたんでしょうかね。想像をかきたてられますな。

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 切手に描かれたソウル:亀甲船
2012-06-12 Tue 21:43
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』5月25日号が刊行されました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、開催中の麗水万博にちなんで、亀甲船の切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        亀甲船(1948)     亀甲船復元模型

 左は、アメリカ軍政下の南朝鮮で1948年4月10日に発行された亀甲船の50ウォン切手です。右には、ソウルの戦争記念館に展示されている復元模型の写真を貼っておきました。

 今回の記事で亀甲船を取り上げたのは、万博開催地の麗水といえば、李舜臣が全羅左道水軍節度(全羅南道の水軍司令官)として赴任し、亀甲船を建造した土地で、毎年5月には亀甲船祭りが行われることで知られているからです。

 亀甲船に関する記録は、李氏朝鮮の歴史書である『太宗実録』13年2月5日甲寅条に「上過臨津渡觀龜船倭船相戰之狀」との記述が最初のもので、亀船という名で、首都防衛のために臨津江に浮かべられていたようです。ここでいう太宗13年というのは西暦1413年。いわゆる倭寇の時代ですな。おそらく、日本刀での切込みを得意としていた倭寇に対抗するための工夫を凝らした船だったのでしょうが、この記述だけではその実態はよくわかりません。なお、『太宗実録』には15年7月16日辛亥条として「其六龜船之法衝突衆敵而敵不能害可謂決勝之良策更令堅巧造作以備戰勝之具」との記述もありますが、これは「亀船は敵に衝突し損害を与える。勝利を決める良策として建造された堅い船である」という以上のものではなく、具体的な大きさなどは、やはり不明です。

 ちなみに、1419年、すでに世宗に王位を譲っていた太宗は、倭寇の拠点とされていた対馬の襲撃を命じましたが(応永の外寇)、その際、亀甲船が使われたのかどうかは、やはり定かではありません。

 李舜臣が亀甲船を用いて日本の水軍を破ったとされるのは1592年の出来事で、李舜臣とともに海戦に参加した甥の李芬の「李舜臣行録」によれば、「亀甲船の大きさは、板屋船(当時の主力戦船)とほぼ同じく上を板で覆い、その板の上には十字型の細道が出来ていて、やっと人が通れるようになっていた。そしてそれ以外は、ことごとく刀錐(刀模様のきり)をさして、足を踏み入れる余裕も無かった。前方には龍頭を作り、その口下には砲口が、龍尾にもまた砲口があった。左右にはそれぞれ6個の砲口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだ。戦闘になると、かや草のむしろを刀錐の上にかぶせてカモフラージュしたので、敵兵がそれとも知らず飛び込むとみな刺さって死んだ。また、敵船が亀甲船を包囲するものなら、左右前後からいっせい砲火でやられた。」とのことです。

 この内容が広く人口に膾炙することになって、亀甲船イコール李舜臣というイメージが定着。解放後、韓国のナショナリズムが形成されていく過程で、日本を破った民族の英雄、李舜臣のシンボルとしてもてはやされ、韓国・北朝鮮の切手にも何度か取り上げられているようになりました。ただし、李舜臣の時代の亀甲船の実物は現存しておらず、その姿はあくまでも想像するしかありません。

 今回ご紹介の切手は、亀甲船を描く切手の中で最も有名な1枚ですが、図案の元ネタは、李舜臣の死後およそ200年後の1795年にまとめられた『李忠武公全書』の想像図で、日本の教科書の図版などにも取り上げられているので、ご記憶の方もあるかと思われます。

 ちなみに、この切手が発行された当時、書状の基本料金が2ウォン、書留料金が5ウォンで、50ウォンは最高額面の切手でした。また、大韓民国成立以前の切手であるため、切手上部の表示が「朝鮮郵票」となっている点にも注目したいところです。

 さて、ソウル・龍山洞の戦争記念館には、亀甲船の実物大と思しき復元模型が展示されています。吹き抜けのフロアに鎮座する模型には、角のある龍頭がつけられているほか、甲板にはマストが建てられ帆も掲げられていて、切手の亀甲船とはかなりイメージが違っています。

 まぁ、どちらも想像の産物といってしまえばそれまでなのですが、個人的には、切手の絵柄、すなわち、『李忠武公全書』のほうが、より亀らしくて、僕の好みですな。    

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 ラカイン州で非常事態宣言
2012-06-11 Mon 23:31
 ビルマ(ミャンマー)西部のラカイン州で、ムスリム(イスラム教徒)と仏教徒の衝突が激化し、6月だけで17人が死亡したことを受け、きのう(10日)、テインセイン大統領は州全域に非常事態宣言を発令しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ラカイン女性

 これは、1990年に発行されたビルマの民族衣装シリーズ(普通切手)のうち、ラカイン族の民族衣装姿の女性が描かれています。なお、これと同じ図案の普通切手が1974年に発行されていますが、今回ご紹介のモノは、正式な国号がミャンマーになったことを受けて、切手の国名表記もビルマからミャンマーに変更して発行されました。

 ビルマ西海岸、ベンガル湾に面したラカイン州の地域は、もともと、ラカイン族の王朝であるミャウウー王朝の支配下に置かれていましたが、1785年、ビルマ人のコンバウン王朝に降伏し、その属国となりました。その後、英国が東南アジアに進出していく過程で、1824年、第1次英緬戦争が勃発すると、ラカイン州族の居住地域は“アラカン”として英国へ割譲されます。さらに、アラカンは英領インド帝国の一地方になり、ビルマが英領インド帝国から分離されて別の直轄植民地になると、英領ビルマの一地方に編入されました。

 第2次大戦後の1948年、ビルマが独立すると、アラカンはビルマ連邦の一部となりましたが、早くも1950年代には分離・独立運動が活発化します。このため、1974年、ネ・ウィン政権は、アラカン地区からラカイン州を構成し、地域の多数派のラカイン族に名目上の自治権を与えました。

 一方、この地域は、バングラデシュと隣接していることもあり、少なからぬムスリム系住民の“ロヒンギャ”が居住していますが、彼らもまた、バングラデシュとの国境地域でイスラム国家の樹立を目指す反政府活動を展開しており、ビルマ政府の弾圧により、多くの難民が発生しています。

 こうした背景の下、先月末、仏教徒の少女がムスリムとみられる集団に乱暴・殺害される事件が発生すると、これに対する報復として仏教徒の集団が6月3日にバスを襲撃し、ムスリム10人が殺害されました。すると、反発したムスリムらが8~9日、仏教徒の民家400軒に放火するなど暴動を起こし、仏教徒ら7人が死亡。衝突は州都シットウェにも拡大し、治安部隊が出動し暴徒に向けて発砲する事態となっていました。

 今回の非常事態宣言はこうした状況を受けてのことですが、今後の状況いかんによっては、現政権が進めている“民主化”や“国民統合”が妨げられる可能性も否定できないだけに、今後の動向が注目されるところです。

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 北陸トンネル50年
2012-06-10 Sun 16:41
 1962年6月10日に北陸トンネルが開通して、きょうで50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        北陸トンネル開通

 北陸地方における鉄道建設は、1880年、敦賀=米原間の工事が開始されたのが最初のことです。その後、1884年4月には、金ヶ崎=長浜間(金ヶ崎=敦賀=疋田=刀根=柳ヶ瀬=中之郷=木之本=高月=河毛=大寺=長浜)の区間が開通します。

 1892年年6月、鉄道敷設法(国が建設すべき鉄道路線を定めた法律)が公布されると、官鉄幹線鉄道の一つとして、敦賀=富山間の北陸線は第1期敷設区間として認可を受け、翌1893年4月から工事が開始されました。その結果、1895年までに今庄=敦賀間をのぞく区間の工事がほぼ完了し、翌1896年7月、福井=敦賀間が全線開通となりました。

 もっとも、当時の北陸線は、現在の路線より3キロほど西に敷設されており、敦賀から分岐して葉原=杉津=山中=大桐を経るルートをとっていました。このルートでは、1000分の25という急勾配の区間が7キロ続いているため、機関車1台では車両を牽引することができず、後押し機関車を列車の後ろにつける補機重連というスタイルで運行せざるを得ませんでした。

 しかし、戦後の復興と経済成長が加速していく中で、1950年から1955年にかけて北陸線の輸送量が3倍以上にも増加すると、単線で、長い急勾配区間をもつ従来の路線の輸送能力は限界に達します。このため、まず、戦争により中断していた滋賀県境の深坂トンネル経由の工事が再開され、1957年10月の新線完成により、米原・敦賀間の鉄道が交流電化されることになりました。

 この後を継いで、1957年11月、敦賀=今庄間の13.87キロの区間を結ぶ“北陸トンネル”の工事が開始されました。

 工事には、全面掘削機などの当時最新鋭機が導入され、敦賀口と今庄口、それに中間の3ヶ所を加えた5ヶ所から8方向に掘り進められました。掘削が貫通したのは、1961年7月末のことで、その後、内部の壁面コンクリート巻き立て、レールの敷設、電気設備の工事などを経て、1962年6月10日、トンネル開通の運びとなりました。

 トンネルの長さ13・87キロは、当時としては、日本最長(現在の日本最長は青函トンネルの53.9キロ)のものでしたが、4年半という工期は、丹那トンネル(熱海=函南間の7.8キロ。1934年開通)の16年、清水トンネル(水上=越後中里間の9.7キロ。1931年開通)の10年に比べて、大幅に短縮されており、技術力の飛躍的な向上が印象づけられました。なお、工費は81億円、動員された労働者数は275万人にものぼっています。

 さて、北陸トンネルは、当時としては国家的な土木プロジェクトであったため、地元では、早い段階から、その開通時に記念切手を発行することを要望していました。

 すなわち、1960年9月6日、金沢郵政局郵務部長が本省の郵務局管理課長に、「福井県郵趣界連合提唱北陸トンネル官製記念切手実現期成趣意書案」と福井新聞の関連記事の切り抜きが非公式に提出されたのを皮切りに、同月8日、福井県知事(北栄造)から郵政大臣(鈴木善幸)宛に切手発行の陳情書が届けられます。その後、地元各方面からの激しい陳情攻勢が展開され、1961年1月23日の郵政審議会の専門委員会では、トンネルの開通(この時点では、同年11月頃と想定されていた)にあわせて記念切手を発行することが正式に決まりました。また、この専門委員会の決定を受けて発表された切手発行計画にも、“北陸トンネル開通”もしっかりと記載されています。

 これを受けて、2月に入ると、福井県総合企画室のスタッフが上京して郵政省サイドと具体的な打ち合わせを開始。また、6月5日には、デザイナーの久野実と事務方のスタッフが現地での取材を行いました。

 しかし、工事は予想よりも難航し、11月のトンネル開通は事実上無理であることがわかったため、切手制作の作業も他に急ぐものが優先され、渡辺三郎・久野実・長谷部日出男の3人による原画が作られたのは11月21日のことでした。この3人の作品のうち、原画として採用された長谷部の作品は、翌22日、国鉄提供の写真とともに、印刷局に渡されています。

 それからまもない11月25日、金沢郵政局郵務部長から、本省の郵務局管理課長宛に、トンネルの開通日が翌1962年4月10日に決定したことが報告され、切手制作の実務スケジュールも決まりました。

 郵政省としては、1956年11月発行の東海道電化完成と1958年3月発行の関門トンネル開通の記念切手が、いずれも、グラビア多色刷であったことから、今回の切手に関しては、イメージを変えるためにグラビア単色刷とすることを当初から決めていました。

 このため、印刷局としては、従来のカーボンティッシュ製版ではなく、感光性フィルムによる製版を行うことで新味を出そうとしてようです。しかし、印刷局側から提出された試刷では、郵政省側からトンネル内部の遠近感が感じられない、壁面その他に不鮮明な部分が見られるなどのクレームがつけられ、結局、従来どおり、カーボンティッシュを用いて製版そのものをやり直すこととなりました。

 もっとも、年が明けて1962年1月31日になると、工事の遅れから、開通式は6月になりそうだという連絡が福井県開発局から郵政省に入ります。このため、あわてた郵政省が国鉄本社に問い合わせたところ、国鉄側も、開通は延期になる見込みだが正確なことはわからないという返答です。結局、2月17日までに郵政サイドが把握した情報によると、①労働者が思うように確保できず、また、大雪の影響で工事が送れている、②国鉄中部支社では、開通式は6月1日から15日までの間に行うことを予定しているが、正式な日程は国鉄本社の理事会で決定される、ことが分りました。

 その後、3月19日、国鉄広報部長名で郵務局長宛に正式に発行日変更の要望が文書で提出されました。変更後の日程については、ダイヤ改正の問題もあってなかなか決まらず、4月4日の段階でも、6月10日が一応の開通予定日だが、地元としては6月1日または5日を希望しており、5日が有力ではないか、というのが国鉄側の返答でした。

 結局、開通式典の日程が6月10日に内定したのが4月9日のことで、国鉄広報部長名でそのことが正式に文書で報告されたときには4月16日になっていました。

 こうして、6月10日、小雨の中、米原駅仕立ての祝賀列車が午前9時33分に敦賀駅を発車。敦賀口からトンネルに入り、今庄口を出た後、福井駅まで運転されました。この列車が福井駅に到着した後、11時30分から福井市体育館において国鉄中部支社主催の“北陸ずい道完成ならびに敦賀・福井間電化開通式”が行われ、席上、郵政大臣(迫水久常)の代理として出席した金沢郵政局長から、国鉄総裁宛に、大臣サイン入りのシートが贈られています。

 ところで、切手制作の経緯に関する津留静雄の証言を読む限り、デザインの制作過程で郵政省側が国鉄ないしは鉄道専門家の考証・校閲を受けたという記述は見当たりません。

 そのためでしょうか、今回の記念切手に関しては、発行以前から、報道写真を見た収集家から、図案にさまざまなミスがあることが指摘されていました。これが、切手の発行前後には、いわゆる郵趣メディアだけでなく、一般の新聞紙上などでも取り上げられ、大いに話題となっています。

 全国規模のメディアの中で、最初にこの問題を取り上げたのは、六月七日付の『毎日新聞』で、以下のような記事が掲載されました。

 北陸トンネル開通切手のミス問題化 「白鳥」など実物と違う点を指摘さる
 十日発売の北陸トンネル開通記念切手(発売枚数八百万枚)の図柄が実物と違っていることが六日金沢市内の郵趣家から指摘され、金鉄局は早速国鉄本社を通じ郵政省にただした。図柄はトンネルから特急“白鳥”が姿を現したところを描いたもの。
 問題の個所は切手では架線が十数本も描かれているが実際は二本。トンネル天井にケイ光灯がついているのは誤りで実際は山側のコンクリート壁にある。また特急“白鳥”の車体も運転台のステップが書き落とされている。最近きっては全世界に流布されているので実物と違っては納得できないというのが国鉄側のいいぶん。
 金沢郵政局の説明によると、切手が発行されるまで五ヶ月間の余裕があり、この間に実物を写真撮影して図柄をつくるが、同切手の場合トンネルの完成前の昨年六月郵政省技芸官が現地で撮影して、その後完成予想図で書き込んだのがミスの原因ではないかといっている。
 金鉄局広報係の話 国鉄にとっては画期的な工事だっただけに正確なものにしてほしかった。切手は図柄を専門家が鑑定のうえ発行しているに聞いているが、残念なことだ。

 一方、この問題は、切手発行後の6月17日付『朝日新聞』でも、以下のように取り上げられました。

 記念切手ミスだらけ 気づいた時は手おくれ 
 北陸トンネルが十日開通したので同日から全国に百万枚(ママ)売りだした十円の記念切手が、誤りだらけで問題になっている。
 問題の記念切手が実物と違うところは、①架線に最新式のブラケットを使って三角状になっているのに、切手は普通のもの ②トンネル内部のあかりは横につけたのに、切手は上にならんでいる ③レールはコンクリート道床に固定、線路の間は排水口になっているのに、普通のまくら木 ④通信線もトンネルの横につけたのに上を通っている ⑤特急「白鳥」の乗務員の乗降口がない、など。
 郵政省ではこの切手発行は昨年一月に決定その後図案をかく技芸官が実際にトンネル工事を見に行き、その際うつしてきた写真と、国鉄から借りたトンネル写真(どこのトンネルのものか不明)と「白鳥号」の写真三枚をもとに図案を十一月に書きあげた。同トンネルの開通は今年の四月十日に予定されていたので、直ちに印刷へ回し、完成したのはこの三月。ところが、工事が遅れ、実際の開通式は今月になったわけで、つまり時間に追われてゆっくり実物と比べる暇がなかったというわけ。このミスについて切手収集家として有名な小倉謙東大名誉教授は「北陸トンネル切手は開通当時はこんなものだったということが分かればよいじゃないか。どの切手も一般の人は気づかなくても専門家がみればどこかおかしな点はあるものだ」といい、また三島良績東大助教授は「切手は政府の発行する有価証券なのだから、明らかに誤りと分ったときは刷り直して発行を遅らせるなり、発売停止の処置をとるべきではなかったか」といっている。

 この切手の図案ミスをめぐる問題については、ここで引用した毎日・朝日の両新聞記事でほぼ言い尽くされているといってよいでしょう。

 いずれにせよ、「北陸トンネル開通」は、その後、1枚の切手としては図案ミスの箇所が最多のものとして収集家の間では広く知られることになり、現在でも、切手についてのウンチクが語られる際には、必ずといってよいほど取り上げられています。

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 リトアニアの落選
2012-06-09 Sat 10:00
 国連総会できのう(8日)、今年9月から1年にわたり議長を務める国を決める選挙が行われ、大本命とみられたていたリトアニアが落選し、セルビアが当選しました。投票での決着は異例で1991年以来、21年ぶりのことだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        リトアニア・ソ連加刷

 これは、1940年にソ連占領下のリトアニアで発行された加刷切手です。

 長年にわたり帝政ロシアの支配下に置かれていたリトアニアは、第一次大戦末期の1918年2月16日、ロシア革命による帝政ロシアの崩壊を受けて独立を宣言。当初、独立リトアニアは王国でしたが、大戦後、共和国となりました。

 1939年8月23日、ソ連はドイツと不可侵条約を調印。同条約と合せて締結された秘密議定書において、バルト3国ルーマニア東部のベッサラビアフィンランドがソ連の勢力圏とされ、独ソ両国はカーゾン線におけるポーランドの分割占領に合意します。これを受けて、ドイツは同年9月1日、ソ連は9月17日にポーランドに侵攻、東西から分割占領し、第二次世界大戦が勃発しました。

 リトアニアを含むバルト3国の併合を既定路線としていたソ連は、リトアニアを油断させるため、ポーランド東部への侵攻後、リトアニアとポーランドとの係争地であったヴィリニュス地域をリトアニアに“返還”します。しかし、9ヶ月後の1940年6月、リトアニアそのものを侵攻し、ヴィリニュス地域もろとも併合してしまいました。今回ご紹介の切手は、この時期に発行されたものです。

 翌1941年6月、いわゆる独ソ戦が勃発すると、リトアニアはドイツ軍の占領下に置かれましたが、1944年、ソ連軍が再侵攻し、リトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入されてしまいます。リトアニアが独立を回復するのは、それから約半世紀後の1990年のことでした。

 こうした歴史的背景があるために、リトアニアでは反ソ・反露感情が根強く、欧州終戦65年に当たる2010年には国連の演説で、リトアニアが旧ソ連による併合を批判しています。

 これに対して、ロシアはリトアニアを含むバルト3国に対する反発と警戒感を隠そうとせず、2006年の国連事務総長選でラトビアのビケフレイベルガ大統領(当時)が出馬したときには「“裏庭”から影響力のある人物を出したくない」との思惑から強硬に反対し、同大統領の当選を阻止しました。

 国連総会の議長に関しては、世界の5地域から順番に選ばれ、今回は東欧グループの番だったことから、リトアニアが数年前から立候補を宣言し、選出が確実視されていました。ところが、これを阻止したいロシアの意を汲むかたちで、ロシアの伝統的な友好国であるセルビアがことし1月に名乗りを上げ、今回の投票によりセルビアが当選を果たしたというものです。

 まぁ、隣国が勢力を拡大することを望まないというのは、どこの国でも同じなわけですが、親日国でもあるリトアニアには同情を禁じえませんな。

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 成層圏の日
2012-06-08 Fri 19:44
 きょう(8日)は、1902年6月8日にフランスの気象学者レオン・ティスラン・ド・ボールが成層圏を発見したことにちなみ、“成層圏の日”だそうです。というわけで、成層圏といえば、やはりこの切手でしょうかね。(画像はクリックで拡大されます)

        成層圏気球USSR-1

 これは、1933年にソ連で発行された成層圏気球USSR-1の切手で、上昇していく気球の姿が描かれています。

 USSR-1は、ソ連空軍が開発した成層圏気球で、責任者はゲオルギ・プロコフィエフです。

 当初、初飛行は1933年9月24日に予定されていましたが、当日、出発地のクンツェヴォ飛行場(クンツェヴォはモスクワ郊外で、スターリンの別荘があった地域です)は湿度が高く、気球の表面に水滴が付着するなどのトラブルがあったために数メートル上昇しただけで飛行は中止され、あらためて、同月30日に飛行が行われました。

 30日の飛行では、万全を期して補助気球を取り付け午前8時40分に離陸。12時45分に最大高度、1万9000mに達し、17時ごろ、出発地点から110キロはなれたコロムナの近くに着陸しています。この間、プロコフィエフが無線で読み上げる高度の報告はタス通信などで放送され、世界中に宣伝されました。

 今回ご紹介の切手は、USSR-1の成功を受けて1933年中に航空切手として発行されたもので、1933年9月30日の日付と1万9000mの文字も入っています。

 1930年代前半のソ連といえば、1930年の飛行船ツェッペリン伯号来訪記念の切手を皮切りに、ロシア・アヴァンギャルドを感じさせる秀逸なデザインの航空切手を相次いで発行し、伯号がモスクワへの飛行を行っているが、これにあわせてソ連は、ツェッペリン伯号の来訪を記念するとともに、世界各国の収集家の人気を博していました。今回ご紹介の切手もその1枚で、結果的に、ソ連に貴重な外貨をもたらしています。

 ちなみに、今回ご紹介の切手が発行された当時は世界恐慌の最中でしたが、ソ連は、経済的に西側から孤立していたがゆえに、恐慌の影響を受けず、1928年から始まった第1次5ヵ年計画を超過達成し、世界を瞠目させていました。その背景には、スターリン政権下での苛酷な人権弾圧や囚人・政治犯の強制労働があったわけですが、当時は必ずしもそうした実態は明らかになっていませんでした。ソ連の航空切手が諸外国で人気を集めた背景には、こうした対ソ感情の好転も影響しているとみてよいでしょう。

 なお、このあたりの事情については、外貨獲得のための輸出用切手の歴史の一コマとして、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

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 万里の長城の全長
2012-06-07 Thu 18:27
 6日付『人民日報』によると、これまで8851.8キロと言われていた万里の長城の総延長が、調査の結果、2万1196.8キロに達していることが判明したのだそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        西北解放区(万里の長城)

 これは、国共内戦末期の1949年10月22日、西北解放区の陝甘寧邊区郵政管理総局が発行した万里の長城の100円切手です。原画作者は焦振平で、西安の廣化学印刷廠で製造されました。

 中国の“西北”は、現在の中華人民共和国の陝西省・甘粛省・青海省・寧夏回族自治区・新疆ウイグル自治区に相当する地域ですが、切手が発行された陝甘寧邊区は、そのうちの陝西省北部、甘粛省と寧夏省(当時)東部をカバーしていました。ちなみに、万里の長城の西端は甘粛省・嘉峪関とされていますから、切手の題材としてもピッタリですな。

 さて、万里の長城の全長は、1997年にユネスコの世界遺産に登録された当時は、推定約5000キロと言われていました。これに対して、2007年から中国政府により長城の全長を測るプロジェクトが開始され、2009年の中間報告では、明代に建造された部分だけで8851キロあったと修正されます。それが、今回、明代以前に建造された部分が1万2345キロに達することが判明し、合計2万1196キロになったというのが、中国側の説明です。

 ただし、2万1196キロにわたって壁が続いているわけではなく、明代に建設されたものに限っても、8851キロのうち、完全に残っているのは8.2%にすぎず、そのうちの359キロは残っているのが溝だけで、2232キロは川や切り立った崖などの自然を取り込んでいる(=実際に建造したわけではない)という状態ですから、長城の全長をどう記すかについては、まだまだ議論の余地がありそうです。ちなみに、今回の調査結果が報じられると、韓国では「中国が現在の国境を基準に自国領土内にある城は(高句麗の山城まで含めて)全て万里の長城だと無理な主張を行っている」との批判の声が起こったのだとか。「もっとやれやれ!」と言いたいところですな。

 いずれにせよ、いわゆる南京事件についても、中国側の主張では、だんだん人数が増えて、いつしか、20万人の人口の都市で30万人が虐殺されたということになってしまっていますからねぇ。万里の長城の全長も、遠からず、2万1196.8キロとして教科書に記されるんでしょうけど…。こちらは、嘆息の意味で「やれやれ」ですな。

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 金星の太陽面通過
2012-06-06 Wed 16:32
 今日は西日本を中心に、太陽、金星、地球が完全に1直線に並び、地球からみて金星が太陽の光球を横切るように見える“金星の太陽面通過”が観測されました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        金星の太陽面通過

 これは、1969年にニュージーランドが発行した“ジェームズ・クックのニュージーランド到着200年”の切手のうち、金星の太陽面通過とその観測を取り上げた1枚です。

 1756-63年の七年戦争で、セントローレンス川河口の測量と海図作成を任され、ウルフ将軍の奇襲上陸作戦の成功に大いに貢献したクックは、戦後、ニューファンドランド島海域測量での功績により、英国海軍本部と英国王立協会から注目される存在となっていました。

 こうした実績のゆえに、1766年、王立協会は1769年に予想される金星の日面通過の観測のため、クックを南太平洋へ派遣することを決定。準備期間の後、1768年、クック率いるエンデバー号は英国を出帆し、1769年4月13日、南米大陸南端のホーン岬を東から西に周航して天体観測の目的地であるタヒチに到着しました。ちなみに、日面通過は6月3日でした。

 観測を担当したのは、王室天文官(グリニッジ天文台長)ネヴィル・マスケリンの助手、天文学者チャールズ・グリーンで、観測の目的は、金星の太陽からの距離をより正確に算出するための測定でした。今回ご紹介の切手は、この出来事を表現したものです。

 さて、天体観測が終了すると、クックは海軍本部の追加命令に従って南太平洋を探索。原住民の協力を得て、1769年10月6日、ヨーロッパ人としては1642年のアベル・タスマン以来の2人目のニュージーランド到達を達成し、ニュージーランドの海岸線のほぼ完全な地図を作製するとともに、ニュージーランドの北島と南島を分ける海峡(クック海峡)を発見しました。

 さらに、クックは航海を続け、暴風で北寄りに流された結果、ヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸の東海岸に到達。海岸線を測量しながら北進し、オーストラリアとニューギニアが陸続きでないことを確認すると、1770年8月22日にポゼッション島に上陸し、オーストラリア東岸の英国領有を宣言しました。

 その後、一行はバタヴィ(現ジャカルタ)、ケープタウンを経て、1771年6月12日午後、英国に帰国しました。

 なお、先月の皆既日食のときの記事をアップした際、思い込みで「さすがに“金星の太陽面通過”は発行されていないでしょうから云々」と書いたのですが、今回ご紹介の切手を含め、クックの航海に絡めていくつかの切手が発行されていることを、読者の“桃姫の衛兵”さんからご教示いただきました。この場をお借りして、お礼申し上げます。


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 林秀卿の暴言
2012-06-05 Tue 21:24
 韓国・民主統合党の国会議員・林秀卿が、今月1日、脱北者で韓国の大学に通うペク・ヨセフさんに対して「脱北者は(北朝鮮を裏切った)変節者だ」などと罵倒していたことが明らかになり、問題になっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        林秀卿

 これは、1989年10月1日に北朝鮮が発行した“朝鮮半島の平和と統一のための国際平和大行進”の小型シートで、たすきをかけて「われらの祖国は一つだ」などのスローガンが入った横断幕を掲げて歩いている若い女性が問題の林秀卿です。

 林は1968年生まれ。韓国外国語大学フランス語科に学ぶかたわら、学生運動に参加し、1989年6月、前年のソウル五輪に対抗して平壌で開催された第13回世界青年学生祭典(7月1日開幕)に、韓国の学生組織、全国大学生代表者協議会(全大協)の代表として出席するため、ひそかに北朝鮮に入国しました。

 彼女は世界青年学生祭典に出席して韓国政府を批判。金日成と握手し、北朝鮮の大学生と「米国の奴ら、覚悟しろ」などと気勢を上げています。

 祭典終了後、彼女は、朝鮮の平和と統一のための示威活動として白頭山から出発した“国際平和大行進”に参加し、8月15日、板門店を強行突破して韓国に入ったところを国家保安法違反で逮捕されました。

 一連の行動により、彼女は北朝鮮において「統一の花」、「民族の娘」として象徴化され、今回ご紹介の記念切手(小型シート)も発行されたというわけです。なお、シートの余白部分には、彼女が行進中に掲げていた「共に行こう 白頭から漢拏まで(朝鮮半島最北端の白頭山から韓国最南端の済州島・漢拏山までの意)、漢拏から白頭まで!」とのスローガンを表現して、済州島を含む朝鮮半島全図が描かれています。

 ちなみに、一連の事件は北朝鮮国内でも大々的に報じられましたが、この結果、彼女は、北朝鮮の一般市民が目にする数少ない西側の若者のサンプルとなり、北朝鮮の若い女性の間では、一時期、彼女を真似た髪型が流行したこともあったといわれています。今回、林から暴言を浴びたペク・ヨセフさんも、事件当時5歳で、「北にいた幼い頃から‘統一の花’林秀卿の大ファンだった」と述べています。

 帰国後逮捕された林に対して、ソウル地裁は、懲役10年(求刑15年)の判決を言い渡しましたが、ソウル高裁はこれを懲役5年に減刑。その後、彼女は1992年のクリスマス特赦で仮釈放されます。その後、彼女は新聞記者と結婚して主婦として生活していましたが、今年4月の総選挙では民主統合党(民主党)の比例代表候補者(名簿順位21番)として立候補し、初当選を果たしていました。

 今回の事件は、ソウル市鐘路区のレストランで林を見かけたペクさんが写真撮影を頼んだところ、当初、林はこれに応じたものの、同席していた秘書が写真の画像データを削除。これを不満に思ったペクさんが林に「(首領の指示に反して)画像データを消すようなことがあれば北朝鮮ではすぐに銃殺ですよ」と冗談を言ったところ、突如、林が激高。「何も知らないのにいい気になるな。どこの馬の骨か分からない脱北者のガキが、大韓民国の国会議員に言いがかりをつけるのか」と罵倒したのだそうです。

 さらに、林は、北朝鮮人権問題の活動家で4月の総選挙で当選した与党セヌリ党の河泰慶議員にも言及。「おまえは河泰慶と一緒に北朝鮮の人権だなんだと妙な活動をしているだろう」と詰問し、「あんな変節野郎(河議員が過去には文益煥牧師と共に統一運動を進めていたものの、後に北朝鮮人権運動に方向を転換したことを意味するものと思われます)は私がいつか殺してやる」「身の回りに十分気を付けろ」とまで言い放ったのだとか。

 どうやら、“民族の娘”のメンタリティは、おばさんになった現在でも、あまり変化していないということのようですな。

 なお、林秀卿の事件については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でも項目を設けてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。また、先月末、同書の韓国語訳がハヌル出版から刊行されました。現物はまだ僕の手元に届いていないのですが、すでに、聯合ニュースのインターネット版などでは紹介記事も掲載されています。こちらについては、現物が手元に届き次第、詳細をご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。

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 普天堡事件75年
2012-06-04 Mon 22:51
 抗日ゲリラ時代の金日成の唯一の戦闘実績とされる“普天堡戦闘”が1937年6月4日に起こってから、きょうでちょうど75年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        普天堡銅像

 これは、1959年6月4日に北朝鮮で発行された“普天堡戦闘勝利22周年”の記念切手のうち、戦闘の現場に建てられた金日成の銅像を取り上げた1枚です。北朝鮮では、普天堡戦闘を題材とした切手を数多く発行していますが、今回ご紹介のモノは、その最初のものとなります。なお、この切手と同時に発行された口号木の切手は、以前の記事でもご紹介したことがありますので、よろしければ、こちらをご覧ください。

 後に北朝鮮の“首領様”となる金日成こと金成柱は、1932年頃から、コミンテルンの一国一党原則に従い、中国共産党の指導下で、豆満江沿岸で抗日パルチザンを組織して抗日武装闘争を展開したといわれています。

 このパルチザン時代の最大の“功績”とされているのが、1937年6月4日に起きた普天堡事件です。

 この日、金成柱ひきいるパルチザン部隊は、朝鮮と満洲国の国境地帯、咸鏡南道(現在の北朝鮮の行政区分では両江道)の甲山郡普天面保田里(普天堡)で駐在所を襲撃。当時、駐在所には2人の朝鮮人を含む5人の警察官がいましたが、犠牲になったのは警察官ではなく、彼らのうちの1人の妻と幼子でした。

 金成柱らは駐在所から武器弾薬を奪った後、面事務所(村役場)や郵便局も襲い、書類に火を放ちましたが、その火は近隣の小学校にも延焼しています。さらに、近隣の商店と住宅も襲撃に遭い、現金合計4000円(当時としてはそれなりの大金である)が奪われました。

 襲撃後、金成柱らはいったん満洲方面に引き上げましたが、翌日、日本の警察が追撃したところへ引き返して銃撃戦になり、日本側は7名の警察官が殉職しています。

 当時の普天堡は人口1400人弱の寒村でしたが、鉄道・恵山線の終点、恵山鎮に近いことから、日本側は鉄道に対するテロを警戒し、事件の首謀者である金成柱は2000円(最終的には2万円に増額)の懸賞首となりました。

 普天堡事件は、文献記録で確認できる限り、“金日成”と日本の官憲との唯一の直接の戦闘であり、北朝鮮は、この戦闘を若き“首領様”の最大の業績として喧伝しています。今回ご紹介の切手の銅像も、金日成の権力基盤が確立されていく過程で、1955年8月7日、戦闘の現場に建立されたものです。

 もっとも、事件の概要を冷静に見るかぎり、彼らの行動は単なる強盗・放火・殺人事件にしかみえませんな。しかも、朝鮮解放のための抗日の戦いという美辞麗句とは裏腹に、事件によって、朝鮮人の商店・住宅や地元の小学校も少なからず被害に遭っているわけで、当時の朝鮮人にしてみれば“ありがた迷惑”以外のなにものでもないといえましょう。まぁ、金一族とそれに連なるエリートたちが潤えば、あとは「汝人民飢えて死ね」というのが現在のかの国の基本的な姿勢ですから、人民の被害なんてなんとも思っていないということなんでしょう。

 さて、当然のことながら、事件後、当時の朝鮮の治安に責任を負う立場の日本側は、朝鮮内における非合法独立活動の取締りを強化。1937年10月には、共産ゲリラ勢力の指導者を一網打尽に逮捕する恵山事件が起こり、満洲との国境地帯での抗日武装闘争は事実上、不可能になりました。

 その結果、金日成らはソ連領内に逃れ、祖国へ凱旋する日を夢見つつ、ハバロフスク近郊のヴャツコエで軍事訓練を受けるようになるのですが、そのあたりの事情については、拙著『ハバロフスク』で現在のヴャツコエの写真と共にご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 大山で夏山開き
2012-06-03 Sun 23:36
 中国地方の最高峰、鳥取県の大山が、きょう(3日)、夏山開きとなり、山頂祭が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        大山

 これは、1939年4月20日、「大山・瀬戸内海国立公園」の切手の1枚として発行された“大山”の切手です。

 大山国立公園と瀬戸内国立公園は、もともとは全く別の国立公園ですが、1936年2月1日に指定された大山国立公園は大山を中心に地域が限られたものであったため、単独で4種類のセットとして発行することが難しかったため、近隣の瀬戸内国立公園との組み合わせで4種セット(うち、大山国立公園は1種のみ)になったものと思われます。なお、大山国立公園は、1963年4月10日、蒜山、島根半島、三瓶山、隠岐地域が編入されて“大山隠岐国立公園”となり、さらに、2002年には毛無山や宝仏山まで範囲が拡大されました。

 さて、切手に取り上げられた大山は標高1729m。『出雲国風土記』の国引き神話に登場するほか、古代から山岳信仰や修験道の聖地として信仰の対象となっていました。西側から見る優美な姿のゆえに、伯耆富士ないしは出雲富士とも呼ばれますが、北・南壁を見ると溶岩ドームが崩れた荒々しい景観で、印象が全く異なっています。

 なお、切手に取り上げられた風景は、1938年11月5日の正午、鳥取県西伯郡大高村屋島値阿川原から鈴木登良吉が撮影した大山の遠望です。

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 エリザベス女王即位60年
2012-06-02 Sat 23:37
 英国のエリザベス女王の即位60年を祝う“ダイヤモンド・ジュビリー”の記念行事が、きょう(2日)から5日まで4日間の日程でスタートしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      QEII40年A     QEII40年B

      QEII40年C     QEII40年D

 これは、1993年に香港で発行されたエリザベス女王戴冠40周年の記念切手で、歴代の香港の普通切手に取り上げられた女王の肖像と各時代の香港の風景を組み合わせた4種セットで構成されています。具体的には、80セント切手が1954年から発行の香港ワイルディングの肖像と同年の九龍側から見たヴィクトリア・ハーバーの風景、1ドル80セント切手が1962年から発行のアンニゴーニの肖像と翌1963年のヴィクトリア・ピークからの風景、2ドル30セント切手が1973年から発行のメイチン(マーチン)王冠なしの肖像と1975年の九龍側から見たヴィクトリア・ハーバーの風景、5ドルが1992年から発行のメイチン王冠ありの肖像と同年のヴィクトリア・ピークからの風景、です。
 
 切手が発行された1993年は、香港返還を決めた英中共同宣言から返還までの“過渡期”にあたっており、返還後も香港へに対する影響力をできるだけ維持しておきたい英国と、それを抑えようとする中国との間で激しいせめぎあいが展開されていました。そうした状況を頭に入れて、今回ご紹介の切手を4枚並べてみると、過去40年間における経済成長の実績を強調しようとする英領香港当局の意図がはっきりと読み取れます。

 なお、1950年以降の香港の経済成長の過程や、“過渡期”における英中の駆け引きなどについては、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 おかげさまで7周年
2012-06-01 Fri 08:16
 おかげさまで、2005年6月1日にブログをスタートさせてから、きょうでちょうど7周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは額面7のこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      1次昭和7銭  

 これは、1939年10月16日に発行された金綱山を描く7銭切手です。長年の懸案になっていた韓国での翻訳出版もようやく形になりそうな雰囲気ですし、ことし(2012年)は昭和切手発行75年の年でもありますので、東郷7銭や金魚7円ではなく、こちらを持ってきました。

 中朝国境の白頭山(中国側の呼称は長白山)とともに朝鮮を代表する名山とされる金剛山は、現在の行政区域でいうと、軍事境界線(北緯三八度線)近くの北朝鮮の江原道の東海岸に位置しています。

 一帯は、最高峰の昆盧峰(1639メートル)をはじめ、1万2000もの峰からなるダイナミックな渓谷地帯で、その範囲は東西40キロ、南北60キロにも及んでおり、毘盧峰がある中央連峰の西側が内金剛、東側が外金剛、東端の海岸部が海金剛と呼ばれています。花崗岩が長い年月をかけて風化・浸食された奇岩の数々は、古来より多くの伝説の舞台となるなど、朝鮮民族にとっては単なる景勝地にとどまらず、民族の象徴ともいうべき存在となってきました。旧朝鮮王朝時代は交通の便が悪く、訪れる人も少なかったのですが、日本統治時代に金剛山電気鉄道ならびに朝鮮総督府鉄道・東海北部線が開通し、一大観光地となりました。

 今回ご紹介の切手は、“日本有数の名山”として、外金剛の萬物相と呼ばれる奇岩を取り上げたもの。ほぼ同じ構図の切手が、戦後(解放後)間もない時期に韓国北朝鮮双方から発行されていますが、印刷物としての出来栄えは、日本が発行したものが明らかに群を抜いています。

 さて、冒頭でも少し触れた韓国での翻訳・出版の件ですが、すでに編集作業もあらかた終わっており、現地では6月中の刊行を目指して最終作業を進めていると聞いておりますので、近々、正式なタイトルや表紙のデザインなどもご紹介できる見込みです。詳しい情報が入り次第、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

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