内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 シベリアの十五夜
2012-09-30 Sun 19:13
 きょうは十五夜です。残念ながら、東海から東日本にかけては、台風の影響でお月見どころではないのですが(台風の通過地域にあたる皆様は十分ご注意ください)、年に一度のことですので、こんな関連マテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       シベリア抑留・十五夜
       シベリア抑留・十五夜(裏面)

 これは、第二次大戦後、ソ連によってシベリアに連行され、強制労働に従事させられていた日本人抑留者の通信用に作られた専用の往復葉書のうち、タイプIIA1と呼ばれるものです。

 シベリア抑留日本人用の往復葉書は、大きく4つのタイプに分けられますが、このうち、往信部右下の番号が613で、赤十字・赤新月の入っていないものはタイプIIとされています。タイプIIは、字体がローマン体のAとゴシック体のBの2タイプに分けられ、さらに、表題2行目の“Й”の文字の位置により細分されます。今回ご紹介のモノは、表題2行目の“Й”が1行目の“C”の下にあるタイプIIA1と呼ばれるものです。なお、シベリア抑留の日本人用専用はがきについては、拙著『ハバロフスク』でも概要をまとめておりますので、紀伊會がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、葉書の裏面には「今夜は十五夜で十一時の“サイレン”迄眺めて母さんやお前の事等で頭が一パイです」との記述があります。ウラジオストクの中継印は不鮮明ですが、年号はどうやら1948年のようですので、そうだとすると、はがきに出てくる“今夜”は1948年9月17日ではないかと推測されます。

 阿倍仲麻呂以来、異国の地で月を見ながら祖国・日本を思い望郷の念に駆られるという例は枚挙に暇がありませんが、ソ連による理不尽な抑留の下、シベリアで十五夜の月を見ながら「お別れしてからもう八年に成りますね。どんなにか故里の方も変わっている事でせう」と書いている日本人がいたことを、僕たちは決して忘れてはなりません。


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 日台断交40年
2012-09-29 Sat 22:45
 1972年9月29日、日本が中華人民共和国と国交を樹立した結果、それまでの友好国であった中華民国(以下、台湾)と国交を断絶してから、きょうで40年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       莊敬自強

 これは、1972年5月20日、台湾で発行された普通切手で、"莊敬自強"のスローガンが大きく取り上げられています。

 1971年6月15日、台湾の国際的地位が大きく揺らぎつつある中で、中華民国総統・蔣介石は国家安全会議で「わが国の立場と国民の精神」と題する訓示を発表。「国家民族の前途に対し、われわれは自主独立の既定原則をもっている。大陸光復はわれわれが奮闘堅持する第一目標であり、断じてその他の第二義的問題のためにこの第一目標を中共に利用されてはならない」さらに「われわれは反共の信念を保持し、また反共の勇気を堅持し、自由と正義への奮闘を続けなければならない。国家の運命はわれわれ自身の手中にあり、世界の安危もまたわれわれの手中に握られている」と国民に訴えました。

 さらに、同年10月25日、Chinaとしての国連の代表権が台湾から剥奪されると、同日夜、蔣介石は「全国同胞に告ぐ書」を発表。「国内外同胞は一時的な局政の変化に惑わされることなく、正確な方向をしっかり把握し、誠心を込めて団結しなければならない。そうすれば、険悪な形勢の中でますます奮起することができるし、また、大陸同胞の救出、大陸の収復に奮闘を継続することができる」と激励しました。これが、“莊敬自強 處變不驚(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)”として、台湾の国家スローガンになり、切手にも取り上げられたというわけです。

 1972年9月の中華人民共和国との国交樹立は、台湾が国連の代表権を失ったことを受けて、同年発足した田中角栄内閣が内閣発足直後の勢いに乗って行ったものですが、この結果、日本政府は、それまで、日本と台湾の外交関係の基礎となっていた「日本国と中華民国との間の平和条約(日華条約、または日華平和条約)」を一方的に“終了した”と宣言。両国の国交は断絶しましす。

 日華条約は、1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約発効の7時間30分前に台北で調印されました。同条約では、日中間の戦争状態の終了(第1条)、台湾における日本の領土権の放棄(第2条)などを定め、その条約議定書では、「中華民国は日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する」との文言もありました。国際法上、何ら問題のない正当な条約で、台湾側に何の落ち度がなかったにもかかわらず、これを一方的に破棄してしまったことは、日本の外交史上、痛恨の汚点と言ってよいでしょう。

 ことしは、日中国交正常化40年ということで、さまざまな記念行事が企画されていたものの、中華人民共和国による尖閣侵略と中国大陸での反日テロの横行により、中止が相次いでいます。それなら、中止された行事に代わるものとして、40年前、わが国が一方的に断交するという非礼を働いていながら、現在なお、わが国に対する友好を維持してくれている台湾に対して、40年前の非礼を詫び、彼らの真の友情に感謝するイベントを大々的に行ったらいかがでしょう。少なくとも、歴史的事実としては荒唐無稽なデタラメを持ちだしてきて謝罪と賠償を要求する国々の無理難題に唯々諾々と従うよりも、よっぽど、筋が通っていると考えるのは僕だけでないと思います。


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 日本維新の会、正式発足
2012-09-28 Fri 23:44
 新党“日本維新の会”は、きょう(28日)、大阪府選管を通じて総務相に設立届を提出し、国政政党として正式に発足しました。彼ら自身がつけた英文名称は“Japan Restoration Party”だそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       アンティグア・ネルソンズドック復旧

 これは、1961年、カリブ海の島国アンティグアが発行した“ネルソンズ・ドックヤード復旧”の記念切手で、印面にはそのことを示す“Nelson's Dockyard Restoration”の文字も入っています。

 アンティグア島は、1493年、クリストファー・コロンブスによって発見され、セビリアのサンタ・マリア・ラ・アンティグア教会にちなんで命名されました。当初はスペイン領でしたが、フランス領時代を経て、1667年に英領となります。1958年、カリブ海の英領の島々を統合して、将来の独立を目指すための西インド連邦が結成されると、アンティグアもこれに加盟しました。ところが、連邦は内部対立からわずか4年で崩壊。アンティグアは再び単独で英領植民地に戻り、1967年に自治権を獲得。1981年、近隣のバーブーダ島とともにアンティグア・バーブーダとしてイギリスから独立しました。

 なお、アンティグア島では、ロンドンの郵政局長の管理下で、1841年3月から島内のセント・ジョーンズとイングリッシュ・ハーバーを結ぶ島内郵便が始まり、1858年以降は英本国の切手が持ち込まれて使用されました。これに伴い、セント・ジョーンズではA02、イングリッシュハーバーではA18の記番印が使用されています。その後、1860年に地元当局に郵便の管轄権が移され、1862年にアンティグア名の最初の切手が発行されました。

 さて、今回の切手に取り上げられたネルソンズ・ドックヤードは18世紀のイギリスの海軍基地の跡で、トラファルガーの海戦で英雄となったホレイショ・ネルソン提督にちなんだ命名です。ネルソンは結婚前の1784年、カリブ海のリーワード諸島方面艦隊司令長官リチャード・ヒューズ提督に仕えていたことがあり、その際、アンティグア島の弁務官の若妻メアリ・マウトレイに夢中になっています、結局、メアリには適当にあしらわれ、2人が親密になることはありませんでしたが、ネルソンとメアリならびに夫のマウトレイとは終生、交流がありました。また、ネルソンの盟友として知られるコリングウッドも、やはり、メアリに夢中になったものの相手にされず、共通の相手に失恋したことがネルソンとコリングウッドの友情を深めることになったといわれています。こうしたことから、かつての海軍基地は、いつしか、英雄ネルソンにちなむ名前で呼ばれるようになり、海軍基地として使われなくなった後は、1961年、観光資源として復旧されました。今回ご紹介の切手は、その際に発行されたものです。

 さて、切手には“Restoration”の文字がありますが、本来、この語は上記のネルソンズ・ドックヤード復旧などのように、“もとの状態に戻す”ことの意味で、回復とか復旧の訳語があてられるのが一般的です。そして、そこから、政治用語としての“王政復古”の意味で使われるようになりました。明治維新の場合は、“明治の王政復古”という意味で、“Meiji Restoration”との英訳があてられているわけです。

 これに対して“維新”という語は、『詩経』大雅・文王の「維れ新なり」が出典で、辞書的に言えば「すべてが改まって新しくなること」という意味で、どちらかというと、“革新”と言い換えることが出来ましょう。明治維新の場合は、幕藩体制を止めて王政復古を行ったわけですから、“restoration”が社会改革になるという意味で維新でも問題はないのでしょうが、一般には、“維新”と“Restoration”とは正反対の意味ですから、“維新の会”が“Restoration Party”といわれると、さて、この党はいったい何を目指したいのか、さっぱりわからんということになりかねません。もちろん、“維新の会”が王政復古を目指すことを公約としてきちんと掲げるというのなら、それはそれで筋が通っているわけですが…。

 まぁ、きょう正式に発足した新政党は、明治維新をイメージして、その英訳を持ってきただけということなのかもしれませんが、政治家である以上、言葉に対してはもっと気を使ってほしいと思うのは僕だけではないはずです。このほか、いわゆる“大阪都”問題についても、“都”というのなら、陛下に大阪にお移りいただくか、あるいは、一定の期間ごとに東京と大阪を交互に滞在していただくということにならないとおかしいわけですが、その場合、東京のみならず京都との関係をどうするのかといったことも、重要な問題となるはずです。ところが、大阪都はただ単に、大阪府と大阪市の議会や行政を統合するということだけのようで、それなら、なぜ“都”でないといけないのか、どうも万人が納得できる説明はなされていないようです。

 ちなみに、今回の切手に顔が描かれているネルソン提督は女性関係が派手だったことでも知られていますが、日本維新の会の橋下代表も先ごろ、女性スキャンダルで週刊誌やワイドショーをにぎわせましたな。僕は、「英雄色を好む」ということを否定はしませんが、単に「色を好む」だけでは、やはり困ります。ここは、きっちり、英雄としての実績を残していただかないとね。


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 世界漫郵記:コーチン⑦
2012-09-27 Thu 23:31
 『キュリオマガジン』2012年10月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、コーチン(コーチ)の7回目です。その記事で使ったモノの中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       カターカリ(1975)     カターカリ(実物)

 左の切手は、1975年にインドで発行された古典芸能の切手のうち、カターカリを取り上げた1枚です。右側には、去年、僕がコーチンで実際に見たカターカリの一場面の画像を貼っておきました。

 ケーララの古典舞踊劇として知られるカターカリのルーツは西暦2世紀の寺院の儀式にまでさかのぼるといわれてます。

 すなわち、世界最古の演劇の一つとされる呪術劇のクリヤッタムやクリシュナッタム(ヒンドゥーの神、クリシュナを題材にした舞踏劇)、カラリパヤットという武術の要素が加わり、西暦1500年頃に現在のようなスタイルのものとして確立。藩王をはじめ有力者の庇護を得て発展したものです。

 劇のストーリーはラーマ王子やクリシュナの神話に基づいており、本来は夜通し演じられるものですが、現在では2時間程度に圧縮されたダイジェスト版も演じられています。また、台詞やナレーションなどの言葉に相当する部分は歌で表現されますが、伴奏は打楽器のみというのも特徴のひとつです。

 舞踊劇としてのカターカリでは、ムドラー(指や手の動き)で物語を表現し、顔の筋肉を動かしてナヴァラサ(9種類の感情)を表現。これに、ストーリーとは直接関係なく、純粋にステップや肉体の動きを見せるためのヌリッタ(“純粋舞踊”とも訳される)が組み合わされることで、物語が表現されていきます。

 しかし、カターカリの最大の特徴といえば、なんといっても独特のメイクと衣装でしょう。最も有名なのはパッチャとよばれるもので、顔の色は高貴さを示す緑色で、目と眉毛は黒く、口は赤く塗られており、物語の主人公(高貴な心の英雄)を示すスタイルとなっています。なお、顔の周囲につけられている頬型は、ライス・ペーパーを段々になるように貼りあわせて作られたものです。

 さて、今回の連載記事では、実際のカターカリの演目についてもご紹介しながら、カターカリ関連のマテリアルをいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ雑誌の実物を手にとってご覧いただけると幸いです。

 
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 反日包囲網
2012-09-26 Wed 19:25
 ニューヨークで開催中の国連総会にあわせて、きのう(現地時間24日)、韓国の金星煥外交通商部長官と中国の楊 潔篪外相が国連本部で電撃会合。会談後、韓国の金長官は「(領土問題は)歴史認識に関することで、正しい歴史を国連舞台で少し知らせなければならないという面で(中国と)意見が同じくした」と話し、両国が“(あくまでも彼らの理解による)日本の歴史歪曲”に対して共同歩調を取ることにしたことを日本政府に警告したそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       韓中国交20年

 これは、ことし(2012年)8月24日に韓国で発行された「韓中修好20年」の記念葉書です。ソウル在住の友人、坂崎元彦さんからお送りいただきました。ありがとうございます。

 さて、この記念葉書の発行は、当初の年間発行計画にはなかったといわれていますが、李明博の竹島上陸により対日関係が急激に悪化する中で、同じく、尖閣侵略で対日関係が悪化する中国との連携をアピールすべく、急遽、発行されることになったということなのかもしれません。

 韓国が中国との国交を樹立し、台湾と断交したのは、いまから20年前の1992年8月24日のことでした。

 両国の“国交正常化”は、主として中国側の決断によるものです。すなわち、朝鮮戦争の際、中国は北朝鮮の崩壊を防ぐために人民志願軍を派遣して、韓国軍・国連軍と戦ったことから、中朝関係は“血の盟約”とも呼ばれていました。それゆえ、中国にとっては、朝鮮半島の南北両政府が互いに相手を非合法政府として対立しているのであれば、北朝鮮を支援せざるを得ないという事情がありました。

 しかし、1989年に東欧の社会主義政権が相次いで崩壊し、新政権はこぞって韓国を承認。1990年には韓国とソ連の国交正常化も実現されましたが、1991年にはソ連そのものが消滅してしまいます。

 こうした状況の中で、1991年9月の韓国・北朝鮮の国連同時加盟を受けて、同年末、韓国と北朝鮮が相互の存在を認め合う合意書に調印すると、中国は韓国と水面下の交渉を開始しました。

 ところで、この時期、中国が外交方針を大きく転換した背景には、東欧の新政権を中心に台湾が積極的な外交攻勢を展開していたという事情がある。

 当時の台湾は、中国と国交を結んでいたニジェールとの復交、旧ソ連諸国、ポーランド、ベトナムなどとの代表部設置に動いていました。また、南北朝鮮の国連への同時加盟という実績を踏まえて、将来的には国連復帰をめざす方針も決定しています。こうした台湾側の動きは、“一つの中国”論を掲げる中国政府にとっては容認できないものであり、そのためには、台湾を韓国との断交に追い込み、国際的に孤立させる必要がありました。もちろん、経済発展を遂げた韓国との国交正常化が、発展途上にあった中国経済に好影響を及ぼすということも、考慮されていたことは言うまでもありません。

 一方、韓国側にしてみれば、1992年末の大統領選挙を前に、当時の盧泰愚政権としてはそれまで追求してきた“北方外交(社会主義諸国との関係改善)”の総仕上げとして、当時残っていた唯一の社会主義大国、中国との国交正常化は絶好の花道になるものでした。

 こうして、8月24日、韓国の外相、李相玉が中国を公式訪問し、国交樹立の議定書に調印。この結果、韓国が台湾と断交する代償として、中国は、1961年の中朝友好協力相互援助条約に関して、その効力は否定しないものの、北朝鮮への軍事支援は北朝鮮が武力侵攻を受けた場合に限ることを強調。朝鮮戦争のような北朝鮮による対外侵攻には一切協力しないことを公言しています。

 これに対して、中韓の国交正常化はいずれ避けられないものの、早くても1992年末と考えていた北朝鮮が大きなショックを受けたことは間違いありません。しかし、すでにソ連という支援国を失っていた北朝鮮にとっては、唯一残された支援国である中国と対立・断交するのは自殺行為であり、中韓国交正常化の現実を受け入れる以外の選択肢はなかったというのが実情でした。

 ちなみに、1992年という年は、1月に訪韓した宮沢首相が首脳会談で“慰安婦問題”についての謝罪を繰り返し、この問題が韓国にとって重要な外交カードとなった年であるとともに、中国では“愛国無罪”の反日教育を本格的に推進した江沢民が、10月の第14回党大会で自らを中心とする指導体制を確立し、最高指導者としての地位を確実なものとした年でもあります。両国の国交樹立20年という節目の年に、彼らが揃って対日強硬姿勢で連携を強めようとしているのも、何かの因縁としか思えませんな。

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 ケープ周郵記⑥
2012-09-25 Tue 11:35
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、「本のメルマガ」第475号が配信となりました。僕の連載、「ケープ周郵記」は、今回は、喜望峰を越え、ボルダーズ・ビーチを経てステレンボッシュへ向かう話です。その記事の中から、きょうはこのマテリアルのご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ダッチ・ケープ様式

 これは、1979年に南アで発行されたステレンボッシュ300年の記念切手で、ダッチ・ケープ様式の教会が描かれています。

 ステレンボッシュは、1679年、オランダの第2代ケープ植民地総督となったシモン・ファン・デル・ステルが、内陸進出の拠点として、テーブル・マウンテンの山麓に建設した都市で、歴史的には、ケープタウンに次ぐ第2の都市ということになります。なお、地名はオランダ語で“ステルの森”との意味です。

 開拓地は1682年に地方自治体となり、翌年には学校も開設されるなど、急速に発展。1685年にはファン・デル・ステル本人が近郊にマナー・ハウスと呼ばれる住居を建設するとともに、オランダ改革派教会の教区も設定されました。さらに、1689年、マナー・ハウスの周囲に750ヘクタールのブドウ畑を開拓。これが、現在のコンスタンシア地区のルーツで、マナー・ハウスの建物は、後に南ア最古のワイナリー、グルート・コンスタンシアとなりました。

 ステレンボッシュの市街地は、ブラークと呼ばれる芝生の広場を中心に、歴史的建造物が立ち並ぶ瀟洒な街並みが美しいことで知られています。1710年の大火で街の大半が焼失してしまったため、17世紀の建物こそ残っていませんが、18世紀以降のオランダ植民地時代のダッチ・ケープ様式、英領時代以降のジョージアン(1714年の国王ジョージ1世の即位から1830年のジョージ4世崩御までの時代の建築様式)、ヴィクトリアンなど、さながら建築博物館といった趣です。ちなみに、切手とは別の建物ですが、白い壁と曲線が特徴的なダッチ・ケープ様式の典型的な建物の画像を下に貼っておきましょう。

       ダッチ・ケープ様式

 さて、毎年秋に刊行している彩流社の<切手紀行シリーズ>ですが、シリーズ5冊目の今回は、きょうご紹介のステレンボッシュを含め、『喜望峰』との題名で、10月下旬の刊行をめざして、現在、編集作業中です。詳細につきましては、今後、随時このブログでもご案内していく予定ですので、よろしくお願いいたします。


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 日中国交正常化40年式典中止
2012-09-24 Mon 22:10
 中国政府はきのう(23日)、北京の人民大会堂で27日に開く予定だった日中国交正常化40周年の記念式典を中止すると日本側に通知しました。日本政府が沖縄県・尖閣諸島を国有化したことへの対抗措置だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        日中国交正常化10年

 これは、1982年9月29日に発行された“日中国交正常化10周年”の日本側の記念切手で、梅原龍三郎の「天壇」が取り上げられています。“日中国交正常化”に際して日本側が発行した周年記念切手は、今回ご紹介の切手を皮切りに、1992年の20周年、2002年の30周年、そして今年の40周年と過去4回あり、外交関係の周年記念の題材としては、最多となっています。

 切手に取り上げられた「雲中天壇」は、1940年、梅原龍三郎が日中戦争下の北京に滞在していたときに作られた作品です。画題となっている天壇の祈年殿は、直径32メートル、高さ38メートル。25本の柱に支えられた、現存する中国最大の祭壇で、明・清の時代には、ここで皇帝が正月に五穀豊穣の祈りを捧げました。天安門や紫禁城とともに北京のシンボルというべき存在ですが、現存するものは1906年に再建されたもので、オリジナルの祈年殿は、1889年、落雷により焼失しました。

 切手の発行日となった9月29日は、1972年に日中間の戦争状態の終結ならびに台湾の国民政府との断交(日華平和条約の廃棄)を宣言する日中共同声明が発表され、両国の国交が樹立された日で、一般に、この日が“国交正常化”の記念日とされています。

 さて、わが国では(少なくともかつては)周年記念切手の発行については、原則として、25周年を最低単位とするという内規があり、10周年で記念切手を発行するというのは、例外的なことでした。このため、1982年は1972年の日中国交正常化から10周年にあたっていましたが、当初、昭和57年度の記念特殊切手の発行計画では、そのための記念切手は含まれていませんでした。

 ところが、郵政省は6月1日になって、突如、記念切手の追加発行を発表します。その理由は明らかにされていませんが、中国側が同年4月、9月29日に国交正常化10周年の記念切手を発行することを発表したことことから、外務省から強い働きかけがあったためともいわれています。また、同年5月15日には「沖縄復帰10周年」 の記念切手が発行され、10周年でも記念切手を発行することへの郵政内部の抵抗感が弱まったことなどもあったのかもしれません。

 いずれにせよ、昨今の尖閣侵略の問題が浮上せずとも、通常の二国関係のように国交樹立と呼ばず、わざわざ“国交正常化”と呼び、10年ごとに“国交正常化”の周年記念切手を発行するという異例の対応を取ってきたことからも、かの国との過去40年間の外交関係が決して正常ではなかったことは明らかです。これまでは、誰もがそのように感じていながら、“日中友好”の建前の前には沈黙せざるを得ない雰囲気だったわけですが、今回、かの国がみずからそうした建前をかなぐり捨ててくれたことで、日本人の対中観・対中姿勢も正常化されていくことになるんでしょう。その意味では、「不惑の40周年にちなみに、日本人の対中幻想を払拭してくださる一連の言動、まことにありがとうございます」と感謝しなければなりませんな。


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 シャルジャー展出品作品決定
2012-09-23 Sun 15:48
       シャルジャー浮世絵カバー

 本年11月20日から25日まで、アラブ首長国連邦(UAE)シャルジャーのMega Mallでアジア国際切手展 <Sharjah 2012>が開催されます。僕はその日本コミッショナーを仰せつかっていますが、日本からの出品作品は以下のように決定したとの連絡が主催者側から入りましたので、速報としてお伝えいたします。(以下、リストは出品者名は日本語表記、作品名は英文でリスト記載のとおりです)

・井上和幸 Japan Definitives: KOBAN 1883-1892
・児玉博昭 Japan: General Nogi 2 Sen Issue 1937-1947
・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide Services
・玉木淳一 Postal History of the Japanese Military Mail 1894-1921
・岡本哲 Japanese Postal History of Official Compulsory Delivery for Lawsuit Documents
・和田文明 U.S. Post Office Department/ Official Business Airmail, 1911-1945
・榎沢祐一 Urban Public Transit and its Background from the Industrial Revoulution to the Present Time

(以下、文献)
・井上和幸 Korean Postal History - Japanese Post in Korea and Foreign Postal Activities 1876-1910
・井上和幸 Record of the Rarest Japanese Stamps from Tei-park Communications Museum collection
・(公財)日本郵趣協会 Japanese Classics 1871-1876
・(公財)日本郵趣協会 Military Mail
・正田幸弘 A Guide book to Philatelic Literatures
・(株)鳴美 Opening of the Japan Post
・(株)鳴美 Japanese Postal History of Official Compulsory Delivery for Lawsuit Documents
・吉田敬 Stampedia Philatelic Journal
・(株)鳴美 Japanese Fiscal Stamp Catalogue

 展覧会本番では、皆さんのすばらしい作品を拝見できることを、今から楽しみにしております。

 ちなみに、記事の冒頭に掲げた画像は、UAE発足以前、1966年にシャルジャーが発行した“郵便の日”の記念切手のうち、歌麿と晴信の作品を取り上げた2種計9枚が貼られたスペイン宛の書留実逓便です。

 浮世絵の切手は、日本人はもとより、外国人でも、美術の切手を集めるコレクターのマーケットを充分に期待できるものですが、この切手の場合は、印面の下部をよく見てみると、“GOVT. PRINTING BUREAU TOKYO”との文字が印刷されており、日本の大蔵省印刷局で製造されたことがわかります。シャルジャー側としては、ルーベンスの絵画やケネディのように世界的な需要が確実に見込まれる商品とくらべて、依然として“日本ローカル”というイメージが強かった浮世絵の切手を、より確実に、日本人収集家のマーケットで売りさばくための保険として、“大蔵省印刷局”という保険をかけたものと思われます。

 結果的に、この浮世絵切手は、当時としては物珍しさもあって、それなりの売り上げを記録しました。そして、この成功により、浮世絵は“日本”を表現するための定番の題材として、アラブ土侯国はもとより、世界各国の切手に取り上げられるようになるひとつの重要な契機となります。このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 今後とも、シャルジャー展の情報については、このブログでも随時ご案内していく予定ですが、その際には、今回同様、なんらかの形で無錫に関係するマテリアルをご紹介していければ…と思っております。


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 切手に描かれたソウル:オリンピック公園
2012-09-22 Sat 12:43
 『東洋経済日報』8月31号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、8月はオリンピック月だったことを踏まえ、オリンピック公園の切手を取り上げました。ブログでのご報告が遅れ、すっかり時季外れの内容になってしまいましたが、きょう・あす(22・23日)、オリンピック公園内では“漢城百済文化祭”が行われるということなので、まぁ、大目に見てやってください。(画像はクリックで拡大されます)

      ソウル・オリンピック公園     オリンピック公園・記念塔

 左側は、1988年9月に発行されたソウル五輪の記念切手のうち、オリンピック公園のシンボルタワー(平和の門)を取り上げた切手です。右側には、実際の“平和の門”の写真を貼っておきました。

 蚕室地区のオリンピック公園は、ソウル五輪を記念して造られた公園ですが、実際のこけら落としは、プレ五輪ともいうべき1986年のアジア大会でした。

 1988年のソウル五輪に際しては、敷地内の蚕室競輪場(自転車競技トラックレース)、体操競技場、レスリング競技場、フェンシング競技場、オリンピックテニスセンター、オリンピックホール、夢村土城(近代五種ランニング)が各競技の会場となり、大会終了後、これらを含む総面積43万坪の敷地が公園として整備されました。

 ソウル五輪当時は地下鉄2号線の蚕室駅を降りてオリンピック路を東へ歩き、公園南西の“平和の門”をくぐって競技場へ向かうというのが一般的なアクセスでしたが、現在は、2号線蚕室駅のあたりからオリンピック路の下を通る地下鉄8号線の夢村土城駅で降りると“平和の門”のすぐ目の前に出ます。なお、地下鉄5号線にオリンピック公園という駅がありますが、こちらで降りると敷地の南東、競技場が集めるエリアが近くなります。

 さて、現在、8号線の夢村土城駅を降りると、いたるところにフィギュアスケートの金妍児をはじめウィンター・スポーツの巨大な写真が掲げられ、2018年に平昌で開催予定の冬季五輪のことが大々的に宣伝されいるのが目につきます。(下は地下鉄の夢村土城駅入口に掲げられた金妍児の写真)

      オリンピック公園・地下鉄夢村土城駅入口

 金妍児の写真は国会議事堂内の“韓国の歩み”といったパネル展示にも登場するのですが、次のソチ五輪(2014年)で新たな韓国人金メダリストが誕生したら差し替えになるのかもしれません。

 地下鉄の駅を出てトーテムポール風の柱が並ぶ広場を通って“平和の門”の前に立つと、なるほど、高さは24m、屋根の幅62mというその大きさを実感できます。かまぼこをひっくり返したような屋根の装飾は、遠目にはただ単にカラフルなモザイクにしか見えなかったのですが、真下で見ると、現代風にアレンジされた四神(青龍・白虎・玄武・朱雀)であることがわかります。

 門の真下には、消えることのない“平和の火”がともされており、台座にはソウル平和宣言がフランス語・韓国語・英語の三か国語で刻まれています。

 今回ご紹介している1988年の記念切手では、門の後ろには何も描かれていませんが、実際には、五輪開催を祝うモニュメントが建てられており、その周囲には万国旗が掲げられています。おそらく、五輪の開会後に設営されたもので、切手の制作時期にはまだなかったのでしょう。

 なお、モニュメントは東西の宥和の始まりとオリンピックの平和精神を表現したものということで、足元の碑文には当時の大統領、盧泰愚の名前も刻まれています。

 ロンドン五輪の男子サッカーで日本との3位決定戦に勝利した後、韓国チームの朴鍾佑が「独島は我々の領土」と書かれた紙を掲げてグラウンドを走り回ったことについて、IOCがメダルの取消を検討しているのは、彼の主張の当否以前に、五輪に領土問題という政治を持ち込むことが、そもそもモニュメントにも刻まれた五輪の精神に違反するからに他ならないのですが、どうも彼らはそのことを理解していないようですな。あるいは、金泳三時代の“歴史の清算”を経て、犯罪者となった元大統領の名の下に刻まれた五輪の平和精神もまた、過去のものとして葬り去られてしまったということなのかもしれません。

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 110万PV
2012-09-21 Fri 11:37
 きのう(20日)、カウンターが110万PVを超えました。いつも、閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、額面“110”の切手といえば、やはりこの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       桂離宮

 これは、1966年12月5日に発行された110円の普通切手で、桂離宮が描かれています。

 桂離宮は京都市西京区桂御園にある離宮で、江戸時代初期の1615年頃、八条宮智仁親王によって基礎が築かれました。智仁親王は後陽成天皇の弟で、1586年、今出川晴季の斡旋によって豊臣秀吉の猶子となり、将来の関白職を約束されていましたが、秀吉に実子(鶴丸)が生まれたために解約となり、八条宮家を創設しました。ちなみに、兄の後陽成天皇は後に智仁親王に皇位を譲ろうとしましたが、天下を取った徳川家康は親王が秀吉の猶子であったことを理由に反対。皇位は後陽成天皇の子、政仁親王(後水尾天皇)が継承しました。もっとも、智仁親王は学問文芸の素養が高く、若いころから和歌と連歌に堪能だった文化人で、そういう人物だったからこそ、桂離宮を造営できたともいえます。そう考えると、むしろ皇位に着けなかったことが、彼の才能を開花させ、歴史に名を残すことになったと考えることも可能でしょう。

 さて、桂離宮の書院は古書院、中書院、新御殿に分かれていますが、智仁親王の時代の時代につくられたのは古書院のみで、残りの書院、茶屋、庭園などは、息子の智忠親王の時代、幕府の財政援助をうけ、数十年間をかけて造営され、約7万平米の広大な敷地に「源氏物語」になぞらえた回遊式庭園が完成しました。

 八条宮家は常磐井宮、京極宮、桂宮と名前を変えた後、明治維新後の1881年に断絶したため、離宮は1883年から宮内省の管轄になり、第二次世界大戦後は、宮内庁が管理しています。

 なお、桂離宮に関しては、今回ご紹介の切手のほか、新書院の長押につけられている水仙の釘隠しが昭和50年用の年賀切手に取り上げられています。こちらの切手が発行された当時の社会背景については、拙著『年賀状の戦後史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 人権救済法案を閣議決定
2012-09-20 Thu 00:41
 日本政府は、きのう(19日)、法務省の外局に“人権委員会”の設置を柱とする人権救済機関設置法案(人権救済法案)を「次期国会の提出を前提として法案の内容を確認する」とした閣議決定を行いました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       人権宣言50年(クウェート)

 これは、1998年にクウェートが発行した世界人権宣言50年の記念切手です。

 “基本的人権の尊重”ということに異議を唱える人は、まずいないだろうと思います。しかし、人権の尊重や用語といった場合、その内容についてはさまざまな議論があり、容易に結論が出るものではありません。

 たとえば、イスラム世界における女性の問題などは、その典型的な事例と言えましょう。

 すなわち、コーランでは、女性は保護されるべき存在であるとされています。この“保護”の考え方は、たとえば、戦争などで男女の人口バランスが崩れた場合などに経済的に余裕のある男性が“平等に愛する”との前提で複数の妻をめとることが認められるというロジックや、未婚女性の純潔を守ることが一族の名誉となるという考え方に結びついています。

 ただし、現実には“保護”の名の下に男性が女性を恣意的に扱ったり、女性の権利が著しく制限されていたりすることも珍しくありません。たとえば、未婚女性の純潔を守ることが一族の名誉であるということは、裏を返せば、未婚女性がセックスを体験したことが明らかになると一族の名誉が失墜するという発想につながります。このため、かつてのエジプトの農村では、新婚初夜に花嫁が処女でなかったことが判明すると、翌朝、ナイル川にウェディング・ドレス姿の死体が浮かんでいるという悲劇も少なからずあったようで、そうしたことを防ぐためと称して、未婚女性を男性の目の届かない環境に置く、すなわち、一般社会から隔離して、学校にも行かせなければ、町への買い物にも行かせない、それゆえ、お金もほとんど渡さないというようなことも珍しくありませんでした。かつてアフガニスタンのほぼ全域を支配していたタリバン政権下で、女性の権利や教育、社会進出が極端に制限されていたのは、こうした発想によるものです。

 当然のことながら、こうした女性の“保護”は西側世界の人権感覚からすると非難の対象となるわけですが、それでは、イスラム社会のすべての女性が抑圧の下で苦しんでいるとみなしうるかというと、ことはそう単純ではありません。

 たとえば、イスラム教徒の女性が公衆の面前で髪を隠すのは、髪を男性に見せると男性の劣情を刺激し、貞操の危機につながりかねないとの考えによるものですが、ベールの着用を疎ましくいる女性がいる半面、イスラム教徒であることを強く自覚し、公衆の面前で髪を見せることを“恥ずかしい”と感じているがゆえに、自らの意思でベールを着用したいと考える女性も少なくありません。こうした状況を無視して、一方的にベールの着用イコール女性の人権侵害と短絡的に非難しても、結果的に、いわゆる人権屋さんの自己満足にしかならないということも十分にあり得ます。

 もちろん、世界の多くの国や地域において男女に等しく認められている権利を、“保護”を理由に女性には与えないままにしておいてもよいということにはならないのは当然で、そのあたりをどのように伝統的な価値観と折り合いをつけて行くかはなかなか難しい問題です。

 今回ご紹介のクウェートの切手が、ヒジャブ姿の女性の上に大きくクエスチョン・マークを書き、“我々の人権”と左上に記しているのも、まさに、こうした状況を反映したものと言ってよいでしょう。

 さて、今回、政府が閣議決定した人権救済法案ですが、その内容たるや、今回ご紹介の切手もびっくりの大きな疑問符のつくものとして問題視されています。

 まず、法案は「不当な差別や虐待で人権侵害を受けた被害者の救済」を目的としたものですが、“人権侵害”の定義がきわめて曖昧です。すなわち、法案の第2条では「人権侵害とは、不当な差別、虐待その他人権の侵害をいう」とされていますが、これだけではどのようにでも解釈できてしまいます。極論すれば、人権委員会が認定しさえすれば何でもアリということになりかねません。

 つづいて、法案では人権委員会はいわゆる“3条委員会”として設置することになっています。3条委員会は、政府の管轄下ですが、裁判所や警察とは無関係の組織であるため、その運用は極めて慎重でなければなりません。ところが、法案(第11条第2項)では、委員の要件として「委員長及び委員の任命に当たっては、委員のうちに人権の擁護を目的とする団体若しくは人権の擁護を支持する団体の構成員、または人権侵害による被害を受けたことのあるものが含まれるよう努めなければならない」とされており、“人権侵害の被害者”が優先的に選ばれることになっています。“人権侵害”の定義があいまいなうえに、その被害者と称する人が、彼らによって加害者とされた人を一方的に告発するということは、明らかにフェアではないでしょう。被害者(と称する人)が加害者(とされた人)に対して一方的に復讐するのではなく、専門家が第三者の立場で法に照らし、客観的な証拠に基づき、公正に裁くというのが近代法の大原則であるはずですが、人権委員会は、まさにこうした原則を捻じ曲げたものでしかありません。

 さらに、法案では、人権委員についての国籍条項がありません。このため、外国人が自国の利益に反する日本人を“人権侵害”の名目で告発し、圧力をかけることも可能です。また、一般国民の言論や行動を規制しようとする一方で、マスメディアに対する規制は設けないとしている点も、“法の下の平等”に反する重大な問題点です。

 こうした内容の人権救済法案が通ってしまうと、たとえば、「北朝鮮による日本人拉致事件を糾弾することは在日朝鮮人の名誉を傷つける人権侵害である」とか「中国共産党政府によるチベットやウイグルでの人権侵害を批判することは、中国に対する差別的言動である」などという理由で告発される可能性が出てきます。なにせ、法案では、差別された(と称する)在日朝鮮人や中国人が個人として訴えれば良いわけですから…。当然、僕のブログも閉鎖に追い込まれ、僕自身も身柄の拘束や家宅捜索を受ける可能性は否定できません。まぁ、そうなったらそうなったで、以後、僕はそのことを“勲章”とし、物書きとしての活動を続けて行こうと思いますが…。

 当然のことながら、こうしたトンでも法案については与野党をとわず批判が強く、政権内でも、松原仁国家公安委員長は反対の立場をとっていました。それを、松原委員長が海外出張中で閣議に出席できない隙を突くようなかたちで、今回、閣議決定をしてしまったというのは、それじたい、法案のいかがわしさを裏書きしているようなものです。法案の内容が真実に国民のためになると自信を持っているのなら、法案に反対しているという理由で松原委員長を堂々と罷免し、そのうえで、閣議決定すればよいのですから。

 昨今の中国や韓国のように、国内の不満から目を逸らすために、対外的な強硬手段に訴えるという事例は枚挙に暇がありませんが、対外的な危機で国民の目がそちらに向いている隙に、国民にとって不都合な法案をごり押ししようとするのは実に卑劣なことだといわざるを得ません。そういえば、“社会保障と税の一体改革”と称していながら、結局は消費増税だけしか決まらなかったことや、解散・総選挙を行うための定数是正はほとんど手付かずの状態であることなども、竹島と尖閣の問題で吹っ飛んでしまったかの感がありますな。

 民主党政権による中韓両国への過剰なまでの配慮が今回のような事態を招いたという指摘が盛んに行われていますが、結果的に、昨今の両国の対日攻勢が民主党政権の非道をアシストしているというのが現実でしょう。その意味では、民主党政権は大いなる“外交的成果”をあげているわけで、実に腹立たしいことです。


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 伊藤忠、米ドールの事業買収
2012-09-19 Wed 18:02
 伊藤忠商事は、きのう(18日)、米食品大手ドール・フード・カンパニーの缶詰や飲料などの事業(ドール社が欧米やアジアなど約90ヵ国・地域で展開する缶詰などの加工食品事業と、アジアでバナナやパイナップルを生産・販売する青果物事業)を16億8500万ドル(約1330億円)で買収することを正式に決めた、と発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       サンフォード・ドール

 これは、1894年にハワイ共和国で発行された切手で、当時の同国大統領、サンフォード・ドールの肖像が取り上げられています。

 サンフォード・ドールは、1844年、アメリカ人宣教師の子としてオアフ島ホノルルで生まれました。今回、話題となった食品会社のドールを創業したジョージ・ドールはサンフォードの従妹で、マサチューセッツ州の出身。サンフォード一家を追ってハワイにわたってきたという来歴の持ち主です。

 1820年代以降、ハワイでは白人(その中心はアメリカ人)による捕鯨や白檀貿易などが行われるようになり、1835年からサトウキビのプランテーション栽培も始まりました。白人たちが上陸するようになると、ハワイには外来の疫病が蔓延し、ネイティヴ・ハワイアンの人口は激減。あわせて、アメリカ人によるプランテーション経営の規模は拡大の一途をたどり、ハワイにおけるアメリカのプレゼンスはますます増大していくことになります。

 こうした状況の中で、近代化の推進に伴うハワイ人の民族意識の高まりを背景に、ハワイ人による王制の強化を求める王制派と、ドールらアメリカ人資本家を中心に、王制を打倒しアメリカへの併合をめざす共和派の対立が深刻化。ドールら共和派はハワイ連盟を組織し、1887年、クーデタを敢行。白人市民たちからなる民兵部隊ホノルル・ライフル連隊の後ろ盾を得て、国王カラカウアに新憲法への署名を強要します。この新憲法は、国王の権限を大幅に制限して議会へ委譲するものでしたが、参政権が一部の富裕層にしか与えられていなかったため、実質的に、ハワイ人とアジア系移民の参政権を排除するものとなっていました。

 1891年、失意の中でカラカウアが渡米先のサンフランシスコで客死すると、後継女王として即位した妹のリリウオカラニは共和派との対決姿勢を強め、1893年1月14日、国王の権限強化を盛り込んだ憲法草案を閣議に提出します。これに対して、アメリカ公使のスティーヴンスは社会不安を理由に、1月16日、アメリカ海兵隊の“応援”を要請。海兵隊はイオラニ宮殿を包囲し、翌17日には共和派が政府庁舎を占拠し、王政廃止と“アメリカが正式にハワイを併合するまでの臨時政府(以下、臨時政府)”の樹立を宣言。サンフォード・ドールが大統領に就任しました。これが、いわゆるハワイ革命です。

 共和派のクーデタによって臨時政府が発足したことに対して、当初、アメリカ政府は現地のアメリカ系財閥の暴走を苦々しく見ており、“革命”を不法なものとして、ハワイ併合を拒否。スティーブンス公使を更迭し、調査団を派遣しました。このため、臨時政府側は、1894年7月4日(アメリカ独立記念日)、ハワイ共和国の独立を宣言。サンフォードが引き続き大統領となります。

 その後、1895年1月、王制派は反共和制の反乱を起こすものの失敗。リリウオカラニは逮捕され、女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は完全に滅亡しました。

 さて、今回、ドールの事業を買収した伊藤忠といえば、先ごろ、丹羽宇一郎・前中国大使がかつて社長・会長を務めていた会社ですな。前大使は、かつて、「将来は大中華圏の時代が到来します」、「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」、「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と発言したことがあり、外国人移民の受け入れにも積極的という人物ですから、まぁ、日本もハワイ王国の先例に倣うことが良いと考えているのでしょう。彼が現在なお、そうした主義主張を維持しているのかどうかは定かではありませんが、後輩経営者陣が買収したドール社の歴史をどう思っているのか、ご意見を聞いてみたいものです。


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 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


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 満洲事変時の抗日スローガン
2012-09-18 Tue 23:04
 きょう(18日)は、満洲事変の発端となった柳条湖事件が1931年9月18日に起きたことにちなむ記念日ということで、中国各地ではさらなる反日デモが展開され、中国船による沖縄県の尖閣諸島周辺での領海侵犯が相次ぎました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       撫湖・抗日スローガンカバー

 これは、柳条湖事件から間もない1931年11月に撫湖から上海宛に差し出されたカバーで、裏面下部には、次のようなスローガンの印が押されています。

 對日経済絶交 日本との経済関係を絶交しよう
 永遠不買日貨 日本製品は二度と買わないようにしよう
 全國同胞團結 全国の同胞は団結し、
 一致武装救國 皆で武装して祖国を救おう
 
 満洲事変が起こると、中国では抗日の機運が盛り上がり、各地の郵便局では、通常の消印とは別に、郵便物の上に抗日スローガンの入った印を押すことで、世論を喚起することも行われました。今回ご紹介のスローガンもそうしたものの一種で、日本商品を買わず、売らず、日本人の下で働かずという日貨排斥運動が各地で起こり、東北という失地回復のために、日本と戦うべきだとの世論が沸騰していた当時の状況を髣髴とさせるようなスローガンといえましょう。

 さて、中国によるわが国の領土、尖閣への度重なる侵略に加えて、先週来の反日デモと日系企業に対する乱暴狼藉(もはや、反日デモというより、反日テロというべきレベルですな)に対して、多くの日本人が怒りを感じていることは言うまでもありません。今回ご紹介のカバーのスローガンに登場する“日(本)”を“中(国)”なり“支(那)”に置き換えれば、そのまま、現在の気分だという人も少なくないのではないでしょうか。

 なお、日中戦争下の中国大陸で使われた各種のスローガン印の類については、先日、電子書籍化された拙著『切手と戦争』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 27年間と35年間
2012-09-17 Mon 21:25
 きょう(17日)は敬老の日です。というわけで、今日はご長寿ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

       マンデラ90歳(ブログ用)

 これは、2008年7月に南アフリカ(南ア)で発行されたマンデラ元大統領生誕90年の記念期手のFDCです。

 ネルソン・マンデラは、1918年7月18日、東ケープ州トランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれました。ウィットワーテルスランド大学法学部在学中の1944年、アフリカ民族会議(ANC:African National Congress)に入党し、独立運動家としての道を歩き始めます。

 1948年、南アでは、連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進。政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 当然のことながら、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで、“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されることもありました)に抗議するデモ隊に會艦隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行いました。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の収容所送りとなりました。

 その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となりました。

 釈放後のマンデラは、1991年にANC議長に就任。当時の大統領、フレデリック・デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、デクラークとともに1993年度のノーベル平和賞を受賞しました。さらに、1994年4月に行われた、南ア史上初の全人種参加選挙でANCは勝利を収め、マンデラは大統領に就任。1997年に大統領職を退くまで民族和解・協調を呼びかけ、黒人ととの対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済復興などに尽力したことは、周知のとおりです。

 今回ご紹介の切手は現在のマンデラの姿を取り上げたものですが、封筒の余白には、1963年の逮捕以前の彼の写真が取り上げられています。現在のマンデラの姿は、1990年の解放時とほとんど変わりませんが、さすがに、若いころの写真と比べると時の流れを感じずにはいられません。

 そういえば、きょうは、2001年9月17日に当時の小泉首相が北朝鮮を訪問して金正日と会談し、日本人拉致を認めてから10年の節目でしたな。横田めぐみさんは1977年に拉致されてから現在まで囚われの身となっているわけですが、その期間は、マンデラが監獄にいた27年間をはるかに超える35年間にも及んでいます。中学生だった彼女の写真を見慣れた僕たちが、解放された現在の彼女の姿を見て、その変わりように驚くという日が一日も早く来ることを祈るばかりです。

 さて、毎年秋に刊行している彩流社の<切手紀行シリーズ>ですが、シリーズ5冊目の今回は、喜望峰とケープタウンをテーマに、現在、制作作業中です。詳細につきましては、今後、随時このブログでもご案内していく予定ですので、よろしくお願いいたします。

 
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 安居楽業 首重治安
2012-09-16 Sun 23:32
 日本政府の尖閣諸島国有化に反対するとして、中国各地で抗議デモが続発している問題で、きょう(16日)はこれまでで最多の90都市でデモが行われ、一部の地域では日本料理店や日本車が破壊されるなど暴徒化するなど、事態は深刻化しています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       「安居楽業 首重治安」カバー

 これは、日中戦争下の1942年、天津から青島宛(ともに当時は親日政権の支配地域)に差し出されたカバーで、“安居楽業 首重治安”のスローガンの入った標語印が押されています。貼られている切手は、日本軍の占領下で使用地域を限定するために“河北”と加刷された切手です。

 標語印のスローガンのうち、“安居楽業”は『漢書』貨殖伝に登場する単語で、もともとは「現在の環境や状況に心安らかに満足し、自分の仕事を楽しんですること」ないしは「自分の分をわきまえて不満をもたず、心安らかに自分のなすべき仕事をすること」の意味で、そこから転じて、善政が行われていることを意味しています。したがって、後半の“首重治安”と組み合わせると「善政を行う上で最も重要なのは治安である」ということになりましょうか。

 このカバーの宛先である青島を含む山東半島の一部では、当時、日本軍ないしは親日派政権に対する共匪のゲリラ活動なども行われていましたから、そうした反日勢力に与せず、親日派政権による治安の維持に協力するよう、住民に訴える必要があり、こうした消印が使われたというわけです。

 ちなみに、今回ご紹介のカバーの宛先となった青島では、今日の反日デモで、参加者が数万人に膨れ上がり、ジャスコ黄島店を包囲。同店は、午前10時ごろ営業を休止したものの、11時ごろ、暴徒が投石を始めガラスを割って侵入し、店内はめちゃくちゃに破壊したと報告されています。なお、店内には客はおらず、従業員は避難していて無事だったそうです。

 さらに、ジャスコを出た暴徒はまず2キロ先の日系工場を襲撃した後、午後2時頃、さらに2キロ先のパナソニック工場に到着。工場内の最も大きな建物に乱入し、1階に火を放ち、機械類を破壊しました。その後、暴徒は約300メートル先の日系自動車部品工場を襲撃し、破壊・放火などやりたい放題の乱暴狼藉を繰り返したのち、十数分後には別の工場へ向かったと報告されています。

 こんな治安状況では、とうてい、かの地の日系企業にとっては“安居楽業”など夢のまた夢というところでしょう。まぁ、中国の共産党政権がいまさら“善政”を敷くとは考えにくいことでもありますし、対中ビジネスでこれまでの投資に見合うだけの利益を実際に上げている日本企業はほとんどないとさえ言われているわけですから、この際、損切り覚悟で日本企業は中国からの撤退を真剣に考える時期に来ているといえそうですな。

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 マーライオン40年
2012-09-15 Sat 22:03
 シンガポールを代表する観光スポットのマーライオン像が、1972年9月15日に設置されてから、きょうで40年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マーライオン消印カバー

 これは、1973年8月1日、シンガポールからパキスタンのカラチ宛に差し出されたカバーで、マーライオンのイラストと「シンガポール 東洋が西洋を丁重に歓待する地」のスローガンの入った標語印が押されています。

 『マレー年代記』に記されているシンガポール発見の伝承によれば、かつてスマトラ島南部で栄えたシュリヴィジャヤ王国の王子が、本拠地のパレンバン以外に、新たな町を建設する場所を求めてビンタン島の岩山の上から海上を眺めたところ、現在のシンガポール島を発見。当時、この島一帯は“海”を意味するタマセクと呼ばれていました。この島に上陸した王子は、シンガポール川の河口付近でライオンと思しき動物を見かけたことから、この地を“ライオンの都市”を意味するシンハープーラと名付けました。これが、現在のシンガポールという名前の由来とされています。

 マーライオンは、この故事にちなみ、上半身がライオン、下半身は魚(人魚)という組み合わせで作られた想像上の動物で、もともとは、現在のシンガポール国家が成立する以前、マレーシア連邦の自治州だった1964年に、フレイザー・ブランナーが、シンガポール観光振興局(現シンガポール政府観光局、STB)のエンブレムとしてデザインしました

 1965年8月9日、現在のシンガポール国家がマレーシア連邦から独立すると、新生シンガポールのシンボルとして、マーライオンを立体化し像を作るというプランが浮上。ブランナーのデザインをもとに、彫刻家のリム・ナンセンが、1971年11月から約10ヵ月かけて高さ8.6メートル、重さ70トンの像を制作。1972年9月15日、旧マーライオン公園で除幕式が行われました。なお、このマーライオン像は、現在、2002年5月8日に新設されたマーライオン・ピアに移設されています。

 なお、1987年以降のシンガポール切手に入れられているライオンのマークは、1986年にシンガポール政府が制定したもので、マイケル・リーがデザインを制作しました。


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 切手で訪ねるふるさとの旅:福井県
2012-09-14 Fri 22:12
 ご報告が遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第17号(2012年9月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は福井県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

       呼鳥門

 これは、1969年1月27日に発行された「越前加賀海岸国定公園」の切手で、呼鳥門が取り上げられています。

 福井県丹生郡越前町梨子ヶ平の呼鳥門は礫岩でできた洞穴で、高さ15m、幅30m。1958年の福井県道6号福井四ヶ浦線開通時に、当時の福井県知事・羽根盛一が「渡り鳥を呼ぶ門」として命名しました。その後ながらく天然トンネルとして使われていましたが、崩落の危険があるため、2002年3月23日、現地を山側に迂回する呼鳥門トンネルが開通。これに伴い、道路跡地は遊歩道として整備されましたが、切手に描かれたような自動車の通行は不可能となりました。

 さて、今回の『散歩人』の記事では、地図をバックに、今回ご紹介の切手のほか、気比の松原、青葉山、武生、福井県立恐竜博物館、越前ガニと東尋坊などをご紹介しています。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 乃木希典殉死100年
2012-09-13 Thu 23:19
 1912年9月13日、明治天皇大喪の日に乃木希典大将が殉死して、今日でちょうど100年です。というわけで、きょうは乃木大将がらみのマテリアルということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        乃木2銭(朱色)

 これは、乃木大将の肖像を描く2銭切手のうち、朱色に分類される切手の銘版つきブロックです。

 1935年7月、逓信省は、1936年中をめどに、風景や人物などを題材とする新切手を発行する方針を決定。しかし、そのための実務作業は遅れ、“改正郵便切手圖案審査委員会”の第1回会合が開催されたのは、1937年3月27日のことでした。すでに、4日後の4月1日から、郵便料金が改正され、書状の基本料金が3銭から4銭に、葉書料金が1銭5厘から2銭に、それぞれ値上げされることが決まっていたため、委員会では、まず、2銭・4銭切手ならびに新額面の葉書の印面の図案の審議が行われました。

 会議の席上、郵務局長から、4銭切手の図案は東郷元帥、2銭切手の図案は乃木大将、葉書の印面は楠公銅像とする方針が説明され、討議が行われました。その際、東郷元帥の肖像については、出席した委員からいろいろとクレームが出たものの、乃木大将の肖像については、殉死当日の写真を使用することですんなりと決定しています。

 切手のデザインは、当時のドイツの通常切手(大統領ヒンデンブルクの肖像が描かれていた)にならい白線彫刻で肖像を表現したもので、1945年まで発行・使用が続けられました。初期の切手は紅赤色に白線がくっきりと浮かび上がる美しい切手でしたが、太平洋戦争の開戦後は次第に切手の品質も劣化し、末期には、肖像がほとんど潰れてしまった幽霊のような切手も出回っています。なお、今回ご紹介の朱色の切手は、1944年10月に出現しました。

 このように、乃木2銭の切手は、昭和の戦争の時代を象徴する切手といえますが、それが実際に郵便に使われた事例については、先日、電子書籍化された拙著『切手と戦争』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 カタルーニャで大規模デモ
2012-09-12 Wed 21:43
 スペインのカタルーニャ州の州都バルセロナで、きのう(11日)、経済危機に苦しむ中央政府から富を搾取されているとして、数十万人に上る民衆が自治権拡大を要求してデモを行いました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        カタルーニャ(1979)

 これは、1979年にスペインで発行されたカタルーニャ自治州の切手で、カタルーニャの紋章にちなむ黄色と赤の縦縞(州の旗は横縞)を背景にした手と、バルセロナの州政庁の建物が描かれています。

 スペイン北東部、ピレネー山脈の南に位置するカタルーニャは、中性にはカタルーニャ君主国として自立していましたが、1492年のレコンキスタに伴い、スペイン帝国の一部として自治を認められることになりました。1714年9月11日、スペイン継承戦争でスペイン・ブルボン軍に包囲され降伏すると、1716年に布告された新国家基本法により、自治権を剥奪され単なる州の地位に転落します。

 スペイン第二共和政時代の1932年、カタルーニャでは自治政府(ジャナラリター)が復活しますが、1933年末のスペイン総選挙で右派が勝利すると、翌1934年、これに反発したカタルーニャ自治政府は“カタルーニャ共和国”の成立を宣言しました。

 1936年、バルセロナで人民オリンピックが開催される数時間前にフランコが叛乱を起こし、スペイン内戦が勃発。3年に及ぶ内戦の結果、勝利を収めたフランコ側は、カタルーニャの自治を認めず、政府機関やマスメディアでのカタルーニャ語の使用も禁止され、自治政府は海外への亡命を余儀なくされました。

 1975年にフランコが亡くなると、1977年9月、自治政府がバルセロナに復帰。翌1978年に制定されたスペインの新憲法によって、自治政府の自治権が認められます。これを受けて、カタルーニャにおける国民投票での承認とスペイン国会での可決を得て、1979年にカタルーニャ自治憲章が成立しました。今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行されたものです。なお、カタルーニャ自治憲章は、2006年6月18日に改定され、税、司法、行政の分野で州の自治権が大幅に拡大され、現在にいたっています。

 現在、カタルーニャ州の人口はスペイン全体の15%ですが、経済規模は20%を占めています。スペイン経済が急激に悪化する中で、カタルーニャ州が中央政府に支払っている税金は、学校や病院などを通じて中央政府から受け取っているサービスを少なくとも年間120億ユーロ上回っているとも推計されていることもあり、州内からはマドリードの中央政府に対する不満が広がっていました。

 今回の大規模デモはそうした事情を反映したもので、1714年にカタルーニャ君主国が事実上滅亡した9月11日(カタルーニャ州内では公の休日です)にあわせて行われたのがミソです。ちなみに、自治政府のアルトゥール・マス知事は、州内から徴収する税の使途についての裁量権の拡大を求めており、要求が認められなければ独立を探る可能性もありうるとしているのだとか。2年後の2014年は1714年から300年の節目の年でもありますし、しばらく、カタルーニャの動向には注目しておいた方が良いかもしれません。


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 ソマリアの無政府状態解消
2012-09-11 Tue 21:41
 ソマリアの議会はきのう(10日)、新大統領にハッサン・シェイク・モハムド氏を選出しました。これにより、1991年以来、21年間続いたソマリアの無政府状態が終結することになります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ソマリア解放(1991)

 これは、1991年に発行されたソマリア解放の記念切手です。

 現在のソマリア国家の領域は、かつては英領とイタリア領に分かれていましたが、1960年6月26日、北部の英領がソマリランド共和国として独立。7月1日には南部のイタリア領も独立し、この両者が統合されて現在のソマリア国家が誕生しました。

 独立後しばらくの間、ソマリアの政情は安定していましたが、1969年10月15日、モハメド・シアド・バーレ少将が軍事クーデタを起こして、アブディラシッド・アリー・シェルマルケ大統領を暗殺し、大統領に就任。バーレは、1970年10月に社会主義国家ソマリア民主共和国を宣言し、ソマリ社会主義革命党の一党独裁体制が樹立されました。

 1977年、隣国のエチオピアでソマリ人による反政府暴動が起こるとバーレ政権はこれに介入しましたが、ソ連ならびにキューバの支援を受けたエチオピア政府軍に撃退されます。この敗戦に加え、経済失政によって国内の格差が拡大したこともあって、バーレ独裁に対する国内の不満が噴出。1980年代に入ると、反政府勢力による武装闘争が本格化し、ソマリア全土は内戦状態に突入。バーレ政権の支配はモガディシュやベルベラなどに限られた地域にしか及ばなくなります。

 1991年1月、モハメッド・ファッラ・アイディードひきいる反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都のモガディシュを制圧。バーレは国外に追放され、ソマリア民主共和国は解体されました。今回ご紹介の切手は、これを記念してUSC政権が発行したもので、切手上には1月26日の日付が印刷されていますが、実際の発行日は定かではありません。

 さて、バーレ追放後、USCは内部の権力闘争によって国内をまともに統治することができず、内戦はさらに悪化。以後、国土は分断され、近年にいたるまで事実上の無政府状態が続いていました。この間、“ソマリア・ポスト”を名乗る組織がソマリア名義の切手を発行してきましたが、いずれも、ソマリア国内の郵便に使用することは想定されておらず、ソマリア正統政府としての正規の切手発行もストップしていました。

 内戦下のソマリアでは、2006年6月、いわゆるイスラム原理主義を掲げるイスラム法廷会議が勢力を拡大し、首都モガディシュを征圧。これに対して、法廷会議以外の諸派は、イスラム原理主義の勢力拡大に危機感を抱いたエチオピアの支援を受けて、ケニアのナイロビで暫定政権を樹立。両派の“戦争”の結果、2007年1月にはエチオピア軍と暫定政府軍がソマリアのほぼ全土を制圧しました。しかし、エチオピア軍の駐留に反対する市民のデモが頻発。その隙を突くかたちで、法廷会議に代わる原理主義勢力としてアルシャバブが急速に勢力を伸張することになりました。暫定政府軍は昨年(2011年)8月、アルシャバブを首都モガディシオから一掃したものの、地方では軍閥も割拠しており、完全掃討と全土の治安回復のめどは立っていません。

 いずれにせよ、今回の新大統領就任により、ともかくもソマリアでは新政府が発足することになったわけですが、その新生ソマリア政府が近々発行するであろう切手はどんなものになるんでしょうか。続報が入りましたら、このブログでもご紹介したいと思います。


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 大工大の衛星、印で打ち上げ
2012-09-10 Mon 14:50
 インド南部アンドラプラデシュ州のサティシュダワン宇宙センターで、きのう(9日)、大阪工業大学の学生が中心となって製作した小型衛星などを載せたロケットがインド宇宙研究機構によって打ち上げられ、きょう(10日)、軌道に乗ったことが確認されました。今回の打ち上げは、インドの宇宙ミッションとしては記念の100回目だそうです。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       サラバイ

 これは、1972年にインドで発行されたヴィクラム・サラバイ没後1周年の追悼切手です。

 インドの宇宙開発は、1961年、科学技術の発展を重視していたネルー首相が、原子力省を宇宙研究開発の担当と決め、翌1962年に物理学者ヴィクラム・サラバイを長とするインド国立宇宙研究委員会 (INCOSPAR) を立ち上げたことで本格的にスタートしました。

 インドにおけるロケット開発の歴史は古く、19世紀のマイソール戦争(イギリスとインド南部の藩王国マイソールとの戦争)では、マイソール側はロケット花火を使ってイギリスを攻撃。ここからヒントを得たイギリス陸軍が、原初的な形態のロケット・ランチャー(コングリーブ・ロケット)を開発したという歴史もあります。英領インド帝国時代に、シッキム藩王国でロケット・メールが試験的に行われたのも、そうした背景があったためです。

 しかし、独立後のインドの宇宙開発は、弾道ミサイル技術を発展させて宇宙ロケットの技術を獲得するのではなく、当初から、人工衛星の打ち上げを目標としていました。その背景には、開発責任者のサラバイが、NASAの通信・放送衛星に関する研究に参加した経験から、軍用よりも民生用の衛星ロケットの開発に関心を持っていたという事情があったといわれています。

 サラバイは、研究の最初の目標として、放送衛星とその打上機(SLV)の開発を目指し、ケーララ州に設けられたトゥンバ赤道ロケット打上基地(TERLS)では、観測ロケットの打ち上げを繰り返しました。

 今回ご紹介の切手には、サラバイの肖像の背景に、密林から打ち上げられるロケットの図が描かれていますが、当時のTERLS周辺の風景はこのようなものだったのかもしれません。また、ロケットの脇にはオリーブを加えるハトの絵も描かれており、インドの宇宙開発が、あくまでも平和目的のものであることも強調されています。

 なお、インドが最初の人工衛星打上に成功するのはサラバイの死から4年後の1975年のことでした。ただし、このときの衛星アーリヤバタは、インド自前のSLVによって打ち上げられたものではなく、ソ連のロケットによるものでした。インドが自前のSLVによる衛星の打ち上げに成功したのは1980年のことで、ここにいたり、ようやくインドの宇宙開発は本格的に開幕。きのう、100回目のミッションを達成したというわけです。

 ちなみに、インドの現政権は宇宙開発に積極的で、来年には火星探査機の打ち上げも予定されているのだとか。友好国として、素直に頑張っていただきたいと思いますな。


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 切手が語る宇宙開発史(21)
2012-09-09 Sun 11:23
 ご報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年9月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、1959-60年の北朝鮮とソ連のルナ1-2号の関係を取り上げましたが、その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        北朝鮮ルナ2号(1960)

 これは、1960年に北朝鮮が発行したルナ2号を称える切手で、背景には、ソ連の象徴としてクレムリンも描かれています。

 1956年、フルシチョフによるスターリン批判を契機として、北朝鮮でも金日成個人崇拝に対する批判が発生。また、同年8月には、ソ連国籍を有するなどソ連と関係の深いソ連派の朴昌玉が、中国共産党中央と関係の深い延安派の崔昌益らとともに、党全員会議で公然と金日成批判を行う8月宗派事件が発生しました。

 8月宗派事件を抑え込んだ金日成は、1958年までに、中ソ両国と関係のある“反党分派”勢力を根こそぎ弾圧し、ソ連・中国の影響を排して自主路線を模索するようになります。

 1959年1月にソ連がルナ1号の打ち上げに成功したことを受けて、北朝鮮は4カ月後の同年5月にソ連の宇宙ロケットを称える記念切手を発行したものの、9月のルナ2号打ち上げ、10月のルナ3号打ち上げを称える記念切手はなかなか発行されませんでした。おそらく、1959年末の時点では、自主路線を取りつつあった北朝鮮は、あいつぐソ連の“成果”に逐一つきあって記念切手を発行していたのではキリがないと考えていたものと思われます。

 ところが、1960年に入ると、北朝鮮を取り巻く国際環境に大きな変化が訪れます。

 まず、1960年1月、日米安保条約が改定されて新安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約)が調印され、同年6月に自然成立しました。これに対して、ソ連は安保改定を自国への挑戦と受け止め、日本国内の安保反対闘争に多大な援助を行っていましたが、もともと、東アジアにおけるソ連の藩屏としてソ連によって建国された北朝鮮にとっても、安保改定は脅威と受け止められました。

 さらに、1960年4月には、韓国で選挙不正に対する抗議運動から李承晩政権が退陣に追い込まれ、朝鮮半島情勢が不安定化していました。

 遅ればせながら、1960年7月15日になって北朝鮮が前年9-10月のルナ2・3号の打ち上げ成功を称える記念切手を発行したのは、こうした国際環境の変化に対応すべく、自主路線を掲げながらも、従来通り、ソ連が軍事的な後ろ盾になっていることをアピールしようとしたためと考えらます。

 ちなみに、北朝鮮に限らず、当時、切手を実際に発行するまでの制作準備期間は、一般に3-4ヶ月ほどでした。そこから逆算すると、北朝鮮がルナ2・3号の切手制作を開始したのは、1960年の3-4月頃となります。日本国内で安保闘争と韓国で李承晩退陣を求める抗議運動が高揚しつつあった時期と一致しているのも、決して偶然ではないでしょう。


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 APEC首脳会議ウラジオで開幕
2012-09-08 Sat 10:58
 太平洋を囲む21の国と地域が参加するAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が、きょう・あす(8・9日)の日程で、ロシア・ウラジオストクで開催されます。というわけで、ウラジオストクがらみのマテリアルです。(画像はクリックで拡大されます)

       シベリア抑留葉書(緑)

 これは、第二次大戦後、ソ連によってシベリアに連行され、強制労働に従事させられていた日本人抑留者の通信用に作られた専用の往復葉書のうち、タイプⅠA2と呼ばれるものです。

 シベリア抑留日本人用の往復葉書は、大きく4つのタイプに分けられますが、このうち、赤十字・赤新月が入ってたタイプⅠと呼ばれるものは、字体がローマン体のAとゴシック体のBの2タイプに分けられ、さらに、表題2行目の“Й”の文字の位置により細分されます。表題2行目の“Й”が1行目の“О”の下にあるタイプⅠA2と呼ばれるもので、表面が濃い緑色・裏面が白色の用紙に印刷されています。

 葉書が差し出された時期は特定できませんが、ウラジオストクの中継印は1946年12月3日になっています。また、日本に到着した際の占領当局による検閲の金魚鉢印の上には1月4日の書き込みがあります。赤十字の下に押されているソ連側の長方形の検閲印は、1946-47年の葉書に押された例が多いようで、1948-49年になると、菱形の検閲印が多くなります。

 なお、シベリア抑留者の通信については、拙著『ハバロフスク』でもその概要をご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧ください。


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 ヤルムーク難民キャンプ砲撃
2012-09-07 Fri 13:04
 在英人権団体「シリア人権監視団」によると、きのう(6日)、シリアの首都ダマスカス南部、ヤルムークのパレスチナ難民キャンプが政府軍の砲撃を受け、少なくとも20人が死亡したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         シリア・難民救済

 これは、1968年にシリアで発行されたパレスチナ難民救済の寄附金つき切手です。

 いわゆるパレスチナ難民は、1947年12月の国連でのパレスチナ分割決議採択後、英領パレスチナが内戦状態に陥り、アラブ系住民が大量にパレスチナから脱出したことで発生したもので、翌1948年5月の第一次中東戦争の勃発とイスラエル建国により、彼らの帰還は事実上不可能となりました。

 英領パレスチナで内戦が勃発し、アラブ系の難民が大量に発生すると、アラブ諸国では“同胞”の難民への同情が沸き起こり、アラブが団結することで、イスラエルの建国を阻止し、パレスチナを解放することが“アラブの大義”とされます。この結果、第一次中東戦争の後もイスラエルの存在を認めないというのがアラブ諸国の建前となり、アラブ民族主義としていたシリアでは、今回ご紹介の切手にみられるように、アラブの大義やパレスチナとの連帯を題材とする切手を数多く発行してきました。1967年の第3次中東戦争以降、“アラブの大義”は実現不可能であることが明らかになりましたが、それでも、究極の目標としてのパレスチナ解放という建前が完全に放棄されたわけではなく、アラブ諸国では“パレスチナ”を題材とした切手が発行され続けています。

 今回、政府軍の砲撃を受けたとされるヤルムークの難民キャンプはダマスカスの郊外にあり、第一次中東戦争時の1948年に設置されて以来、60年以上の歴史があります。30万人という人口はシリア国内では最大の規模で、すでにこの地で生まれ育った2世・3世も相当数おり、パレスチナ難民の悲劇を象徴するような場所といってよいでしょう。

 報道によると、最近、難民キャンプ周辺のタダムン地区やハジャルアスワド地区では、反体制派武装勢力の活動が活発化しており、アサド政権側は、キャンプに逃げ込んだ反体制派をパレスチナ難民が保護していることを疑い、砲撃した可能性があるのだとか。ただ、きのう(6日)は、パレスチナ人とシリア人の不法移民を載せたトルコの漁船がイズミル沖で沈没し、60人以上(うち半数は子供)が犠牲になったという事件も起きており、中東諸国では、パレスチナならびに難民というキーワードが改めてクローズアップされることは必至の状況です。

 仮に、難民キャンプへの砲撃事件が事実であるとすると、“アラブの大義”を国是としてきたシリア・バース党政権は深刻な自己矛盾に陥るばかりでなく、周辺アラブ諸国はもとより、広くイスラム諸国もシリアを全く擁護できなくなるわけで、後から振り返ると、今回の内戦の大きな転換点になる可能性は十分にあるのではないかと思われます。


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 ケベック独立派集会で銃撃
2012-09-06 Thu 22:11
 きのう(5日、現地時間4日)、カナダ東部ケベック州モントリオールで行われた州議会選挙で、勝利を収めた同州の分離独立を主張するケベック党の集会会場に反独立派の男が侵入し発砲、1人が死亡し、1人が重傷を負うという事件がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        カルティエ到着

 これは、1908年にカナダで発行されたケベック州300年の記念切手で、ジャン・カルティエのセントローレンス湾到着の場面が描かれています。

 1534年、探険家のジャック・カルティエは、フランス国王フランソワ1世の命を受けて新大陸への航海に出発。翌1535年、現在のケベックの地に到達し、セントローレンス湾周辺を探検して、一帯を“ヌーヴェル・フランス(新フランス)”と命名し、フランスによる領有を宣言しました。

 その後、1604年にサミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベックが建設されます。これが現在のケベック市の直接のルーツで、今回ご紹介の切手は、ここから起算して発行されたものです。このヴィル・ド・ケベックを拠点に、北米におけるフランス人の入植と開拓が進むことになりました。

 18世紀に英仏の覇権争いとして“フレンチ・インディアン戦争”が起こると、ケベックはイギリスに占領され、講和条約により英領に編入されます。ただし、その後もケベックではフランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められたため、ケベックは英領でありながら、フランス的な色彩が強く残り、フランス語のみが公用語という状況が続くことになりました。なお、ケベックは1791年に上カナダと下カナダに分割され、1867年のカナダ自治領の成立を経て、下カナダが現在のケベック州となります。ちなみに、旧上カナダは、オンタリオ州になりました。

 このとき誕生したケベック州では、経済の重要部門は少数派のイギリス系住民が運営し、多数派を占めるフランス系住民の大半は農業に従事し、教育や社会福祉は教会が主に担当するという構造になっていました。このため、産業革命が進展していく過程でイギリス系とフランス系の経済格差が拡大。“二級市民”として劣等意識を持つようになったフランス系が、独立を志向するという傾向が生まれました。

 さて、今回問題となったケベック州議会では、長年にわたり、独立派のケベック党(左派)と自由党(中道左派)との二大政党制となっています。カナダの連邦レベルでは、このほかに保守系の民主行動党や社民主義の新民主党などがあるのですが、新民主党はケベック州議会選挙には候補者を立てないため、連邦議会の選挙では、主張に共通点が多い自由党と新民主党の候補が有権者の票を食い合い、結果的に独立派が優位を占めるというのが基本的な構造です。

 ちなみに、今回の州議会選では、ケベック党が全125議席中54議席を獲得し、50議席の自由党に小差で勝利したものの、過半数には届いておらず、カナダからの分離の是非を問う住民投票の実施は困難と見られています。おそらく、発砲事件を起こした男は、独立派が勝利をしたということで頭に血が上ってしまったのでしょうが、冷静に獲得議席数を見れば、彼が懸念しているようなケベック独立の可能性は(少なくとも住民投票さえ困難な現時点では)限りなくゼロに近いわけで、全く無意味な行動だったとしか言いようがありませんな。


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 泰国郵便学(21)
2012-09-05 Wed 13:58
 財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第46巻第4号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は1960年前後の状況について取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       世界森林会議

 これは、1960年8月29日に発行された第5回世界林業会議の記念切手で、チークの森の象が描かれています。

 現在のタイの国土に相当する地域は、もともと、豊かな森林資源に恵まれており、大型船の甲板材として利用されるチーク材の一大産地でした。このため、1840年以降、この地域のチーク材に目をつけた英国系の業者たちは、タイ北部の地方君主に一定の金額を納めて森林伐採の権利を購入。ビルマ領内のシャン族などを使役して木材を伐採していました。

 1855年、いわゆる不平等条約としてボウリング条約が結ばれ、英国人にさまざまな特権が与えられるようになると、翌1856年に設立された英国ボルネオ会社はバンコクに進出。コメとチーク材を中心にした輸出入業務で巨額の利益を上げます。同社は1889年、特定地域のチーク材の独占伐採権を取得しましたが、これに刺激を受けた多くの企業がタイ北部の各地で独占伐採権を得森林の伐採を進めていきました。

 しかし、こうした企業による伐採は無秩序で濫伐ともいうべきものであったため、事態を憂慮した国王ラーマ5世は、1896年に内務省の管轄の下、チェンマイに森林局を設置。森林行政の制度整備に着手します。これが、タイにおける近代林業の始まりとなり、ビルマの森林行政官から転じた初代のスレイド(在任1896-1901年)、2代目のトテナム(在任1901-04年)、3代目のロイド(在任1905-23年)の3代にわたって英国人が就任し、関連法令の整備や組織の拡充、ロイヤリティやチークリース権の設定などの林業近代化が推進されました。

 その後、1921年に森林局は農業組合省に移管し、事務所はバンコクに移転。1923年以降、森林局長はタイ人が就任することになり、森林行政の主軸は次第にタイ人が担うようになります。さらに、1929年の世界大恐慌により、高級木材としてのチークに対する需要が大幅に減少したことにくわえ、1932年の立憲革命以降の人民党政権は経済ナショナリズムを前面に押し出して、伐採権を持つ外国企業と相対しました。たとえば、1939年11月、タイ北部におけるチーク伐採権の新規リース契約(15年間)が締結された際には、企業側がタイ政府に支払うロイヤリティの基本額は従前どおりでしたが、一部の企業に対しては、1本あたり4-4.5バーツの賦課金が加算されたほか、各社に割り当てられた伐採可能の本数も大幅に縮小されています。

 外国企業との伐採契約は、1950年代後半以降、徐々に満期を迎えますが、タイ政府はこれを更新しないことで森林資源を取り戻す方針を採用。こうした事態に対応すべく、第二次大戦後の1947年になると、新たに営林公社が設立され、1956年には林業機構が発足しました。営林公社は、1960年以降、チークに関する行政権を管轄することになりました。

 今回ご紹介の切手は、こうしたタイミングで米国シアトルで開催された第5回世界林業会議を記念して発行されたもので、タイ当局にしてみれば、自国の重要な輸出資源であるチーク材を自分たちの手で売り出していくための、格好の宣伝の機会だったといえます。

 このほか、今回の記事では、1960年の国王の欧米歴訪についても詳しく取り上げています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 平等院鳳凰堂の大修理
2012-09-04 Tue 12:20
 京都府宇治市の平等院で、きのう(3日)、1950-56年以来となる鳳凰堂(阿弥陀堂)の大修理が始まり、工事の前に本尊・阿弥陀如来坐像と、堂内の壁に52体ある雲中供養菩薩像の魂を抜く“撥遣式”が行われました。というわけで、きょうは鳳凰堂がらみということでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         鳳凰堂・棟飾り(青)

 これは、1971年3月29日に発行された150円の普通切手で、平等院鳳凰堂の屋根に掲げられている鳳凰の棟飾りが描かれています。平等院の本堂は、本来、阿弥陀堂が正式な名称ですが、その外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をしていることや屋根に掲げられている鳳凰の棟飾りによって、近世以降、鳳凰堂と呼ばれるようになりました。

 鳳凰堂の棟飾りは、鳳凰堂中堂の大棟の南北両端に据えられていたもので、銅製で鋳造された土台に鍍金加工されています。東向きに建てられている鳳凰堂の向かって右側に据えられた像を北方像、同じく左側の像を南方像と称し、北方像は像高98.8センチ、総幅34.5センチ、南方像は像高95.0センチ、総幅44.5センチです。なお、現代日本語では“鳳凰”とひとくくりにされることが多いのですが、本来は、鳳が雄、凰が雌という使い分けがありますので、平等院の像に関しては、北方像が雄、南方像が雌ということになります。

 現在、西暦11世紀につくられたオリジナルの像は、錆害などの保存上の見地から取り外されて宝物館に保管されており、鳳凰堂の大棟には、新たに制作されたレプリカが載せられています。切手に取り上げられたのは、鳳凰堂正面からの眺めだとすると、頭の向きから左側の南方像ということになりますな。

 さて、今回の大修理では、約4億円の事業費をかけ、瓦や壁、柱の傷みを修復するとともに、柱を1053年の創建当時の赤によみがえらせ、切手に取り上げられた鳳凰像も金色に復元するのだとか。作業は2014年3月末まで続けられる予定だそうですから、作業終了の暁には、また、このブログでも、鳳凰堂がらみの切手をご紹介することにしましょう。

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 文鮮明死す
2012-09-03 Mon 17:28
 詐欺まがいの霊感商法などで世間を騒がせたカルト教団・世界基督教統一神霊協会(統一教会)の創始者である文鮮明が、きょう(3日)、韓国京畿道加平郡の病院で病気のため死亡しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        統一教会宛    統一教会宛(裏面)      

 これは、1954年12月、釜山からソウル市城東区北鶴洞391の“世界基督教統一神霊協会・ソウル教会”宛に差し出された書留便です。消印の表示は“釜山光復洞”となっていますが、書留の番号印は日本時代の釜山・辨天町のままとなっています。

 統一教会側の主張によると、文鮮明は、第二次大戦後の1946年、朝鮮キリスト教布教の中心地であったソ連占領下の平壌へ行ったものの、1948年4月、社会紊乱罪で重労働5年の実刑判決を受け、興南収容所に収監。朝鮮戦争中の1950年10月、国連軍による爆撃の中で解放され、大韓民国の臨時首都となっていた釜山に避難してきたとされています。その後、1952年5月に自らの教えをまとめた『原理原本』を書き上げ、休戦後の1954年5月1日、今回のカバーの宛先となっているソウル市城東区北鶴洞391において、李昌煥を会長として、統一教会を設立しました。

 ちなみに、これも統一教会側の資料によれば、釜山に逃れてきた文は、市内の凡一洞に住み、隣に住んでいる宋基柱とその子供たち(宋孝淑、宋文奎、宋芳松)と親しく交流していたという記述がありますが、これは、このカバーの差出人・名宛人と名前が一致しています。したがって、今回ご紹介のカバーは、初期の統一教会の活動を物語るような資料といっても良いかもしれません。

 もともと、このカバーは、1953年の通貨改革後の新旧両通貨の切手の混貼り使用例として入手したものです。

 すなわち、解放後の南朝鮮は一貫して猛烈なインフレ下にありましたが、朝鮮戦争が始まると、インフレはさらに昂進。この結果、1945年10月に1米ドル=15ウォンでスタートした旧ウォンは、1951年4月には1米ドル=6000ウォンにまで下落。その後も、戦時インフレは一向に収まらず、朝鮮戦争末期の1953年2月15日、100ウォンを1ファンとし、1米ドル=60ファンとするデノミが断行されました。これに対応して、1953年4月5日、新通貨・ファン建て額面の切手が発行されています。

 今回ご紹介のカバーでは、旧ウォン1500ウォン相当、ファン貨で15ファンの合計30ファン相当の切手がべたべたと貼られていますが、額面2ファンの竹島切手や1950年の国土統一の記念切手など、いかにも統一教会の主張に合致するものと、慶州石窟案の釈迦如来像の200ウォン切手が同居しているのが面白いですな。

 ちなみに、悪名高い霊感商法に関して、統一教会は「訪問販売の際のセールストークは、教団の教義とは似て非なるものであり、家系図や、手相、姓名判断、四柱推命などの易学や因果応報などは仏教的な教えであり、聖書の教えを根本とする教団の教えではない」と主張しているのだとか。もちろん、現在では統一教会が創始者である文の指導の下に、法外な値段でツボなどを売りつける霊感商法を行ってきたことは明らかにされているわけで、そう考えると、彼らの郵便物に“仏教的な”切手が貼られているのも、妙に得心のいく話ともいえそうです。


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 切手と戦争(電子版)
2012-09-02 Sun 08:50
 このたび、拙著『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』が電子書籍として配信開始となりました。つきましては、日頃、このブログを閲覧していただいている皆様に、配信開始のご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

        切手と戦争

 本書は、2001年に東京で開催された世界切手展<PHILANIPPON 2001>に出品し、金賞を受賞した作品 Japan and the 15years' War 1931-1945 をベースに、1931年の満洲事変から1945年の終戦までを各種の切手や郵便物でたどった歴史絵巻です。

 原著は2004年に新潮新書の1冊として刊行したもので、現在から見ると未熟な点も少なからずあるのですが、とりあえず、切手や郵便物を通じて歴史を読み解くという、僕の仕事の基本的なスタイルをご理解いただくには(お求めやすい値段でもありますので)最適な1点ではないかと思います。

 ながらく版元品切れ状態が続きご迷惑をおかけいたしましたが、このたび、電子書籍というかたちで復活することになったのは、ありがたいことです。なお、新書の電子書籍という性格上、誤記などの修正個所は最小限で図版もモノクロのままですが、電子書籍の特性を生かし、拡大してご覧いただけるようになっております。

 拙著の電子書籍化は、2001年刊行の『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』(ダイヤモンド社)、2010年刊行の『事情のある国の切手ほど面白い』(メディアファクトリー新書)に続き3点目ですが、まだまだ、著者・出版社ともに手探りの状態が続いている分野ですので、今後ともよろしくご指導・ご支援いただけると幸いです。

 なお、曜日の関係で、出版元の新潮社のサイトでは本日(2日)現在、ページができておりませんが、電子書籍ストア・デジタルドクショではすでに配信がスタートしております。こちらで立ち読みも可能ですので、お手すきの折にでも、ぜひ、ご覧ください。

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 世界漫郵記:コーチン⑥
2012-09-01 Sat 09:12
 『キュリオマガジン』2012年9月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、コーチン(コーチ)の6回目です。その記事で使ったモノの中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      チャイニーズ・フィッシング・ネット     チャイニーズ・フィッシング・ネット(実物)

 左は、1949年にインド藩王国のコーチンで発行された2アンナ切手で、藩王ヴァルマ4世の肖像とチャイニーズ・フィッシング・ネットが描かれています。右側には、実際のチャイニーズ・フィッシング・ネットの様子の画像を貼っておきました。

 チャイニーズ・フィッシング・ネットは、海中に網を沈めておき、それを太い丸太で引き上がるという魚法で、インドではコーチンとその周辺でしか見られない独特の漁法です。香辛料貿易の拠点であったケーララと中国との交流は古く、その過程で、この漁法も西暦1400年頃、中国から伝えられたといわれています。

 ネットは、一辺が10メートルくらいの四角形で、その四隅にくくりつけられた4本の丸太が頂点で合わさり、その頂点を上げ下げすることで、網を動かす構造です。網を引き揚げるためには、最低でも4人のスタッフが必要となるため、機械化が進んだ現代の漁業では実用性に乏しいのですが、伝統漁法として観光客の目を楽しませています。付近の海岸には、ネットで上がってきた魚を売る店があり、買った魚を近所のレストランに持ち込んで手数料を払えば、その場で料理してくれるのが嬉しいところです。

 さて、今回の連載記事では、このほか、中国・廣州から輸入されたタイルのあるシナゴーグについても詳しくご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ雑誌の実物を手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国現代史・韓国語版
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

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    米国と20世紀を問い直す意欲作

       切手、歴史を送る(正面)
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。


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