内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 HAPPY HALLOWEEN!
2012-10-31 Wed 16:30
 きょう(31日)はハロウィンです。というわけで、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         オーストリア・ハロウィン

 これは、2005年にオーストリアで発行されたハロウィンの切手で、ハロウィンのかぼちゃ(ジャック・オ・ランタン)と箒に乗った魔女が描かれています。

 ハロウィンは、キリスト教の諸聖人の日(万聖節:11月1日)の前の晩(10月31日)に行われる伝統行事で、もともとは、11月1日を新年とするケルト人の収穫感謝祭がキリスト教世界に取り込まれたものといわれています。

 他のヨーロッパ諸国同様、オーストリアの万聖節は、日本のお盆にあたるお墓参りの日だそうで、その前日を祝うという習慣はもともとはありませんでした。しかし、1990年代に入り、我々がイメージするアメリカ風の習慣が広まり、ついには切手が発行されるほどになったというわけです。もっとも、この時期は秋の収穫シーズンでもありますので、ハロウィンとは別に、秋らしい飾りとしてカボチャを家の前に飾るという習慣はオーストリアでも昔からあったそうで、その意味では、アメリカ風のお祭りとしてのハロウィンが受け入れられやすい素地はあったということなのかもしれません。

 さて、本日午後、僕が生出演したTBSラジオ「たまむすび」の放送は無事終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。なお、放送内容は、きょうから1週間、こちらにて無料でお聞きになれます。また、放送中の写真等はこちらでご覧いただけます。よろしかったら、チェックしてやってください。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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 TBSラジオ「たまむすび」
2012-10-30 Tue 22:43
 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

  10月31日 14:00頃~ TBSラジオ「たまむすび」

 同番組内「ピークを探せ!」のコーナーに、『年賀状の戦後史』(角川oneテーマ21)の著者として、内藤がゲスト出演する予定です。あさって11月1日から年賀はがきが発売になるのに合わせて、年賀状・年賀はがきの歴史などをいろいろとお話しいたします。直前の告知で申し訳ございませんが、よろしかったら、ぜひ、聞いてやってください。

 (以上、告知終わり)

 というわけで、きょうは“たま”と年賀の組み合わせで、この切手です。

         玉乗りうさぎ

 これは、1998年11月13日に発行された平成11(1999)年用の年賀切手で、山形張り子の“玉乗りうさぎ”が取り上げられています。

 山形張り子は、幕末の安政年間、京都で嵯峨人形師としても活躍した仏師・渋江長四郎が出羽三山に参詣した際、山形の鈴川・双月地区が和紙の産地であることを知り、山形の下条町に住みつき、嵯峨人形の手法を用いて張子を作ったのが始まりといわれています。長四郎は、張子のみならず練り人形も作り、それらは“渋江人形”として人気を博しました。その後、長四郎の技術は孫で2代目の彦吉が受け継ぎます。彦吉は、東京浅草で修行して習得した技法をも加味して、“渋江人形”を完成させ、その技法は、代々、渋江家に継承されました。しかし、1965年、4代目彦吉が亡くなると、5代目を継承した和夫は人形制作を行わなわず、人形の販売に専念したため、渋江家の制作する人形としての渋江人形は廃絶してしまいました。

 これに対して、1901年頃、長四郎に弟子入りした岩城徳次郎は、1915年に岩城人形店を開いて活動していましたが、渋江家5代目の和夫が人形制作を行わなかったため、渋江人形の伝統を継承する“6代目”として、渋江人形を山形張り子と改称。その後、岩城人形展としては2代目の久太郎が、山形市伝統的工芸産業技術功労者として張り子に専念して人形制作を継承しています。

 切手に取り上げられたのは、久太郎の作品で高さは11センチ。山形張子の傑作として知られている一品です。

 さて、明日の放送は生放送ということなので、いまから、玉乗りに挑戦する気分で緊張していますが、久太郎の人形のように首尾よく乗り切っていけるよう、一生懸命、頑張ってきたいと思います。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

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 寧波
2012-10-29 Mon 15:58
 中国浙江省の寧波市で、毒性の強いパラキシレンを生産する化学工場の建設計画に反対する地元住民ら1000人以上による抗議デモが26日から27日にかけて発生。一部の参加者が暴徒化して警察の車両などを破壊したり、投石するなどして多数の負傷者が出たため、きのう(28日)、市政府は工場の建設を中止すると発表しました。しかし、ネット上では、きょう(29日)もデモの呼びかけがあるほか、市長の辞任を要求する書き込みも見られるなど、緊張した状態が続いているそうです。というわけで、きょうはこの切手です、(画像はクリックで拡大されます)

         寧波消

 これは、寧波のイギリス郵便局で使用された香港切手です。

 寧波は杭州湾南岸から三門湾に至る沿海部を占める都市で、アヘン戦争の結果、1842年に結ばれた南京条約により、広州・厦門・福州・上海とともに開港地となりました。開港に伴い、寧波には各地に設けられた領事館内には郵便取扱所が置かれて郵便業務が行われるようになりました。

 1862年に香港切手が発行されると、寧波の英国局にも香港切手が支給され、N1の抹消印が使用されています。N1の印は1883年まで使われました。この間、1871年からはNINGPOの地名表示が入った円形の印が用いられましたが、当初の地名入り印は地名の表示が直線になっており、今回ご紹介の切手のように印の外周に沿った地名表示となったのは1899年以降のことです。なお、いわゆる9カ国条約に基づき、他の在中国局とともに寧波の英国局も1922年に閉鎖されました。

 ちなみに、香港切手はイギリスが中国各地に設けた他の郵便局でも使用されていますが、それらについては、拙著『香港歴史漫郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★  T-moneyで歩くソウル歴史散歩 ★★★
   
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、ソウルの歴史散歩を楽しんでみようという一般向けの教養講座です。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。


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 キューバ危機から50年
2012-10-28 Sun 21:26
 1962年10月28日にソ連首相ニキータ・フルシチョフがモスクワ放送でキューバからミサイルを撤去すると発表し、いわゆるキューバ危機が終結してから、今日でちょうど50年です。というわけで、きょうは、キューバがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         アフリカのゲバラ

 これは、2005年にキューバが発行した“アフリカのゲバラ”の航空書簡です。

 1959年のキューバ革命でバチスタ政権打倒の立役者として、革命政府の元勲となったゲバラは、当初、米国という共通の敵と対峙するソ連との関係強化を唱えていました。しかし、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連は米国に妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激したゲバラは、ソ連への批判を強め、ソ連への依存を強めていたカストロ政権から離れていくことになります。そして、1965年、国際的な革命闘争に参加するためキューバを離れたゲバラは、アフリカ各地を歴訪し、コンゴ動乱に馳せ参じることになりました。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国(旧仏領の隣国も正式な国名が“コンゴ共和国”だったため、区別するため、コンゴ・レオポルドビル、コンゴ・キンシャサなど呼ばれることもあります)として独立したものの、すぐに内戦が発生します。いわゆる第一次コンゴ動乱です。

 第一次コンゴ動乱は、国連軍の介入もあって、1963年1月にいったんは終結しますが、1964年6月、国連軍が撤退するとピエール・ムレレ率いる共産ゲリラのシンバが中国の支援を得て反乱を起こし、いわゆる第二次コンゴ動乱が勃発しました。

 シンバは、一時、今後の国土の多くを掌握しましたが、米国と旧宗主国のベルギーが介入し、シンバ政権は崩壊します。これを受けて、1964年12月11日に開催された国連安保理で、キューバ代表として登壇したゲバラは、米国のコンゴへの軍事介入を激しく非難。その後、彼はアルジェリアを皮切りにアフリカ8ヶ国を歴訪し、1965年2月11日にはタンザニアに入り、ローラン・カビラをはじめとするコンゴ反政府勢力と会談しました。

 その後、ゲバラは2月24日にアルジェリアで開催されたアジア・アフリカ連帯機構第2回経済会議で第3世界との貿易と援助の問題をめぐってソ連を激しく批判。いったん、キューバに帰国した後、国家建設のためにソ連からの援助を必要とするカストロに別れを告げ、4月2日、新たな革命の地を求め、タンザニアへ向かいました。

 4月23日、ゲバラは14人の部下を連れてキゴマからタンガニーカ湖を渡ってコンゴ領キバンバに上陸。部族ごとに対立し、内部抗争に明け暮れるコンゴの反政府勢力に対して、団結と現政権の打倒を熱心に説き、キューバ人兵士とともに激しい戦闘を展開します。

 しかし、コンゴ反政府勢力の実情は、ゲバラを大いに失望させるものでした。

 すなわち、カビラをはじめとする幹部たちは、タンザニアの首都ダルエスサラームで安穏と暮らすか、カイロやアルジェ、モスクワ、北京を訪問してネットワークを織り上げていたが、闘争の前線には姿を見せませんでした。特に、カビラ本人は決して前線を訪れようとはせず、1965年7月7日、ゲバラのいるキバンバ基地を訪ねた際には、カビラは愛人と思しき女性を含む多くの従者を従え、大量のウイスキーを持ち込み、わずか5日の滞在でタンザニアに引き揚げてしまいます。ゲバラとキューバ人兵士が大いに落胆したのは言うまでもありません。

 こうした状況の下で、1965年9月、南ア出身の傭兵を中心としたマイク・ホアレ率いるワイルド・ギースの攻勢により、反政府勢力の拠点であったバラカが制圧され、キューバ兵への食糧の補給も滞り始めます。さらに、同年10月10日、ホアレと傭兵たちが反政府勢力の残された拠点、フィジを制圧し、政府側による掃討作戦が事実上終了。その後も、キューバ兵とワイルド・ギースの戦いは続いたが、10月24日の砲撃戦でキューバ側は多数の犠牲者を出しました。

 結局、11月20日、ゲバラらキューバ兵は、何ら成果を上げることなく、キバンバからタンザニアへの撤退を開始。ゲバラは、22日にキューバ兵の最後の一人がコンゴから去るまで、タンザニアに潜伏して見届けました。

 さて、今月25日に刊行となりました拙著『喜望峰』では、南アフリカ共和国の中でも、特に保守的でアフリカーンスの文化が色濃く残っているとされるステレンボッシュの地で、ゲバラの視線を感じながら食事をするという不思議な体験を話の枕として、今回ご紹介したゲバラとワイルド・ギースの戦いをはじめ、南アとキューバの対立・抗争の歴史についてもまとめております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * けさ、カウンターが112万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 切手に描かれたソウル:馬術
2012-10-27 Sat 23:24
 『東洋経済日報』10月26日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、“乗馬ダンス”を取り入れた韓国人歌手PSY(サイ)の「江南スタイル」のミュージックビデオが動画投稿サイトYou Tubeで約5億回という驚異的な再生回数を記録したことにちなみ、ソウルでの馬術史を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         ソウル五輪・馬術競技

 これは、ソウル五輪に先立つ1986年3月25日、五輪の資金を集めるために発行された寄付金つき切手のうち、馬術競技が取り上げた1枚です。

 馬術競技の頂点は競馬ですが、韓国における競馬の歴史は1898年5月に行われたロバの競争から始まるといわれています。まぁ、ロバの競争を“競馬”のうちに含めることが妥当かどうかはいろいろと議論もあるのでしょうが、ともかくも、日本統治時代以前から、一応、近代競馬に類するものが行われていたということにしたいということなのでしょう。

 馬券の売買を伴う競馬は、日本統治時代の1920年、ジョセオン競馬場で行われたのが最初で、1922年には社団法人朝鮮競馬倶楽部が設立されています。

 本格的な競馬場としては、1928年に東大門区の新設洞に建設された新設競馬場が最初で、1933年には半島各地の9競馬場を傘下に置く朝鮮競馬協会が設立され、朝鮮競馬令に基づき、全国の非法人競馬団体による競馬は禁止され、いわゆる近代競馬が制度的に整えられました。

 朝鮮競馬協会は、1942年に朝鮮馬事会に改組され、1945年の解放を経て、1948年に大韓民国が発足したことを受けて、1949年、韓国馬事会(KRA)となりました。これが、現在の韓国における競馬主催団体です。

 1950-53年の朝鮮戦争では共産側の攻撃により、各地の競馬施設は破壊され、競走馬のみならず繁殖用も含め、多くの馬が北側に持ち去られるなどしたため、競馬の開催も休止を余儀なくされましたが、1953年に休戦になると、翌1954年から競馬も再開。5月8日の最初のレースでは、出走した馬の大半はポニーだったといわれています。

 競馬の再開にあたり、競馬場は新設洞から漢江北岸のトゥクソムに移転。以後、ここが、いわゆる競馬を含む韓国馬術競技の中心地となりました。

 ちなみに、ソウルメトロ2号線のトゥクソム駅は、1983年9月16日に開業しましたが、当初、駅名は“競馬場前”となる予定でした。しかし、この時点ではすでに、競馬場の移転が計画されていたため、現在の駅名になったそうです。

 トゥクソムから競馬場が移転することになったのは、1988年のソウル五輪に合わせて国際規格の競技施設が必要となったためで、新たな競技場はソウル市の南に隣接する果川市に建設されました。果川の施設は、1986年のアジア大会と1988年の五輪大会の馬術競技が行われた後、1989年9月、周辺一帯を含めてソウル競馬公園(いわゆるソウル競馬場は、その敷地内にある)としてオープンしました。

 ちなみに、ソウル五輪の馬術競技には、今年のロンドン五輪にも最高齢選手として出場し話題となった法華津寛選手が馬場馬術で出場する予定でしたが、ソウルへの出発前、愛馬が名古屋の検疫所で検査を受けたところ、抗体反応が陽性と出たことから、他の馬に感染する恐れのあるウィルスが馬体に潜伏している疑いがもたれ、日本から出国できなくなり、残念ながら出場を断念するという出来事がありました。

 なお、競馬公園の最寄り駅となる、韓国鉄道公社(KORAIL)果川線(4号線)競馬公園駅は、当初の建設計画にはなかった駅だが、KRAの依頼により、KRAが建設費用を全額負担することで建設されました。1994年の開業当時は“競馬場”という駅名でしたが、賭博のイメージが強すぎるとして、2000年、現在の駅名(競馬公園駅)に改称されています。

 果川の競馬場がオープンすると、トゥクソムの競馬場は廃止され、その跡地は、“トゥクソム乗馬訓練院”として、“ソウルの森公園”の一部に組み込まれました。乗馬訓練院は気軽に乗馬体験ができる施設として一般に開放されているのですが、レッスンは韓国語でしか行われていないため(外国語対応のコースはなし)、日本人観光客の場合は経験者ではないと騎乗は受け付けられません。

 今回ご紹介の切手については、原画の制作時期には、まだ、果川のコースは工事中だったでしょうから、切手のデザイナーは、トゥクソムで取材して原画を作成したのではないかと思います。ただし、過去のいきさつを知らない人が見たら、五輪の記憶ともあわせて、現在のソウル競馬場を連想するかもしれません。

 いずれにせよ、PSYのミュージックビデオの“乗馬ダンス”は、江南に住む金持ち(のお坊ちゃま)を“乗馬をする人”というイメージで表現したそうですが、ソウルにおける馬術と競馬の歴史を調べてみると、実は、いわゆる江南エリアは馬術とは縁が薄いことがわかります。まぁ、トゥクソムにしても果川にしても、江南から通えないという場所ではありませんので、江南のお坊ちゃまが馬術のために通っているのだと言われてしまえば、それまでなのですが…。

 さて、かねてご案内の通り、10月30日から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で、“T-moneyで歩くソウル歴史散歩”と題する一般向けの教養講座を行います。30日の授業では、ソウルの紅葉(黄葉)スポットについてのお話が中心となる予定ですが、今回ご紹介した内容を含めて、適宜、タイムリーなネタもいろいろとご紹介したいと思っておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記ご案内ならびにリンク先ページをご覧ください)


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 アンガム・デー
2012-10-26 Fri 21:57
 きょう(26日)は、ナウルの祝日“アンガム・デー”です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ナウル使用例

 これは、第一次大戦中、オーストラリア軍が占領した旧ドイツ領ニューギニアで使用するために発行した“北西太平洋諸島”加刷切手のナウルでの使用例です。

 ナウルが西洋人によって“発見”されたのは1798年のことで、1888年にはドイツ領に編入されます。翌1889年、ナウルでは豊富なリン鉱石が発見され、1906年からリン鉱石の採掘が本格的に始まりましたが、1914年に第一次大戦が勃発すると、オーストラリア軍はドイツ領ニューギニアのラバウルに対する攻撃を開始し、9月11日にはヘルベルトヘーエを、翌12日にはラバウルを占領。グアムを除くカロリン諸島とマリアナ諸島を含む旧ドイツ領ニューギニアは日本とオーストラリアによって分割され、ナウルはオーストラリアの占領下におかれました。

 オーストラリアは、占領した旧ドイツ領地域で、ドイツ時代の切手を接収して“GRI”の文字を加刷した切手やオーストラリア切手に“N.W. PACIFIC ISLANDS.”の文字を加刷した切手を使用しましたが、ナウルでは、1916年にナウル独自の加刷切手が発行されるまで、今回ご紹介の北西太平洋諸島加刷の切手が使われていました。

 さて、第一次大戦後、ナウルはイギリス、オーストラリア、ニュージーランド3国の委任統治下におかれましたが、これに伴い、オーストラリアのグリフィス准将が人口調査を行った結果、ナウルの人口が、民族の存続に必要とされる1500人を下回っていることが判明。このため、グリフィスは現地の族長に対して、将来、人口が1500人に達した日を“アンガム・デー”として祝日とし、1500人目の赤ちゃんを“アンガム・ベビー”として記念品を贈ることを提案します。はたして、いまからちょうど80年前の1932年10月26日、待望の“アンガム・ベビー”が生まれ、この日がナウルの祝日となりました。ちなみに、“アンガム”とは、「歓喜」や「祝賀」、「目標の達成」などを意味するナウル語だそうです。

 さて、昨日発売となったばかりの拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』ですが、こちらも、1500部が売れる“アンガム・デー”が早く来てくれないかなぁと著者としては心待ちにしている次第です。
 

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 喜望峰
2012-10-25 Thu 16:11
 以前からこのブログでもご案内しておりました拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』(彩流社・切手紀行シリーズ⑤:出版元の特設HPはこちらです)が出来上がりました。奥付上の刊行日は11月10日ですが、本日(25日)から書店での発売も開始されましたので、あらためて刊行のご挨拶を申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

        『喜望峰』表紙画像

 切手紀行シリーズは、切手や絵葉書とその現在の実物を見比べながら、世界各地で考えたことをまとめるという切手と歴史と旅を組み合わせた漫遊記ならぬ漫郵記の本です。

 シリーズ5作目の『喜望峰』は、2010年11月、ヨハネスブルグで開催された国際切手展<JOBURG 2010>の終了後、喜望峰を訪れたときの体験を踏まえ、『本のメルマガ』第460号(2012年3月25日配信)から第481号(同10月25日配信)まで、月1回のペースで連載した「ケープ周郵記」をベースに、大幅に加筆して制作しました。

 その中には、こんなエピソードも含まれています。

・喜望峰発見のいきさつ
・懐かしの「クルーガーランド金貨」
・ボーイスカウトと自転車少年兵
ダチョウ成金
・アフリカ南端に立つ
・南ア・ワインの歴史と魅力
・珍品切手ウッドブロック
・世界最初の強制収容所
・マンデラが入ったロベン島の監獄
・マグロ漁師はケープタウンを目指す
・日本の捕鯨はここからから始まった

 オールカラーで、自分でいうのも変ですが、かなり綺麗に仕上がっていると思いますので、今後、書店の店頭などで実物をご覧になりましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。来週以降、資料をお送りいたします。


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・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、ソウルの歴史散歩を楽しんでみようという一般向けの教養講座です。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

         『喜望峰』表紙画像
 
  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

  いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語
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 ヨハネスブルグで護送車爆発
2012-10-24 Wed 11:53
 南アフリカ(以下、南ア)・ヨハネスブルクの刑務所付近で、おととい(22日)、同刑務所に収監されていた刑事被告人36人を乗せた護送車が裁判所から刑務所に戻る途中で爆発。3人が死亡、14人が負傷しました。爆発物を使った脱走未遂事件とみられているそうです。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ロベン監獄

 これは、1983年4月、南ア・ケープタウン沖のロベン島監獄から差し出された書留便です。

 ロベン島はケープタウン沖合およそ12キロの地点にある島で、面積は5.47平方キロ。名前の“ロベン”は、もともとはアザラシを意味するオランダ語です。

 島の周囲は海流が強いことから、脱出困難な監獄やハンセン氏病患者の隔離病棟などとして用いられてきましたが、1959年以降、アパルトヘイト体制に異議を唱える政治犯の収容所として使われました。かのネルソン・マンデラが長年にわたって収容されていた監獄としても知られています。ちなみに、マンデラは1963年に逮捕されてから1990年に釈放されるまで27年間獄中で過ごしましたが、ロベン島の監獄にいたのは、1963年から1982年までで、その後は、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されました。

 さて、アパルトヘイト撤廃後の1996年、ロベン島の監獄はすべて閉鎖され、現在では島全体が博物館として観光名所になっています。さらに、1999年12月、ロベン島はアパルトヘイトの記憶を伝える“負の世界遺産”として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 当初、世界遺産に収録される物件の指定をユネスコと世界遺産委員会に対して答申する国際記念物遺跡会議は、ロベン島の登録に対して否定的な評価を下していたといわれています。アパルトヘイトほど極端ではないにせよ、多少なりとも、有色人種に対する差別の歴史を持つ欧米の委員の中には、出身国に対する批判のとばっちりを恐れる者もいたのかもしれません。

 これに対して、当時、ユネスコの事務局長で世界遺産委員会議長を兼任していた松浦晃一郎が世界遺産への登録を提案。これが受け入れられ、1999年の世界遺産委員会で登録が認められました。

 ところで、第一次大戦後の1919年2月13日、パリ講和会議において、日本全権の牧野伸顕は、新たに設立される国際連盟規の規約に、「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」という人種差別撤廃の条項を入れるように提案しました。国際会議において人種差別撤廃が明確に主張されたのは、これが最初のことです。

 この時の日本の提案は、残念ながら、オーストラリアや米国上院の強硬な反対に遭い、米大統領ウッドロー・ウィルソンの裁定によって葬り去られましたが、それから80年後、ふたたび日本の代表が、人種差別の愚かさを後世に伝えるべく、“負の世界遺産”登録に尽力したということは、もっと日本国内でも知られていていいのではないかと思います。

 さて、あす(25日)発売の拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』では、今回ご紹介のカバー以外にも、マンデラとアパルトヘイトについて、関連の切手や郵便物をご紹介しながらまとめております。書店などで実物を目にする機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 
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 毎秋恒例、切手紀行シリーズの第5巻は、あす10月25日発売です!

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 ケープタウンの巨人
2012-10-23 Tue 12:11
 プロ野球のクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージは、きのう(22日)、セ・リーグの最終戦(第6戦)が行われ、巨人が中日を4-2で降し、対戦成績を4勝3敗(リーグ優勝の1勝のアドバンテージを含む)として3年ぶり33回目の日本シリーズ進出を決めました。というわけで、きょうは“巨人”ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

         ケープタウン・KEVII像絵葉書

 これは、1910年12月に南アフリカ・ケープ州のウィンバーグから差し出された絵葉書で、ケープタウン市庁舎前に建てられている英国王エドワード7世の像が取り上げられています。このエドワード7世像の“巨人”ぶりをご理解いただくため、像の下に人々がたむろしている写真を下に貼っておきます。

         ケープタウン・KEVII像実物

 ちなみに、下の画像は葉書の裏面で、ケープ植民地時代に発行されたエドワード7世の肖像を描く1ペニー切手が貼られています。絵面に貼られていたら、マキシマムカードとなったのですが…。

         ケープタウン・KEVII像絵葉書裏面

 切手の消印は、1910年12月7日ですが、すでに、同年5月31日には南アフリカ連邦が結成され、ケープ植民地はナタールやトランスヴァール、オレンジ・リヴァー・コロニーなどとともに連邦に吸収されました。なお、エドワード7世は、南ア連邦発足直前の5月6日に崩御していますが、後継のジョージ5世の肖像を描く普通切手の発行が始まるのは1913年のことです。ちょっとのんびりしすぎのような気もしますが、連邦発足後、いわゆる三角切手を除く旧ケープ植民地の切手は連邦全域で使用可能となり、旧切手の在庫があるうちは、そちらを消化することを優先したということなのかもしれません。なお、旧ケープ植民地の切手は1937年12月31日限りで使用禁止となりました。(ただし、三角切手はすでに1900年に使用禁止となっています)

 さて、あさって(25日)から発売となる拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』では、今回ご紹介の国王像のあるグランド・パレードをはじめ、ケープタウンの歴史を感じさせる建造物等もいろいろとご紹介しております。書店などで実物を目にする機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 日本初ミス・インターナショナル
2012-10-22 Mon 13:58
 きのう(21日)、世界の女性が美と教養を競う“第52回ミス・インターナショナル世界大会 in 沖縄2012”が那覇市の沖縄県立武道館で開かれ、日本代表で佐賀県鳥栖市出身のモデル吉松育美さんが日本人としては初めてミス・インターナショナルに選ばれました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         沖縄乙女

 これは、1950年1月21日、アメリカ施政権下の沖縄で発行された1円の普通切手で、琉球絣を着た“沖縄乙女”が描かれています。

 さて、アメリカ施政権下の沖縄では、日米両国の本土とは異なる“琉球切手”が発行・使用されていましたが、その最初の正刷切手が発行されたのは1948年7月1日のことです。占領当初の沖縄では、奄美・沖縄・宮古・八重山の各地区に軍政府と民政府が置かれ、郵政機関もそれに対応していましたが、1950年4月、各地区を統合した全琉球規模での郵政機関として郵政琉球郵政庁が設置されます。これに対応して、普通切手もリニューアルされることになり、琉球列島米軍政長官、ウィリアム・イーグルス少将の指導により、1949年2月から琉球軍政本部は新切手の図案を一般から公募。5月に入選作9点が発表され、琉球郵政庁の発足に先駆け、1950年1月、新図案の切手が発行されました。

 今回ご紹介の“沖縄乙女”は、画家・名渡山愛順の原画をもとにしています。

 名渡山は、1906年1月22日、那覇市松下町生まれ。東響美術学校に学び、1928年には第9回帝国美術院美術展覧会に出品した『夏の沖縄風景』が入選を果たしています。東京美術学校卒業後、帰郷し、沖縄県立第二高等女学校で教職に就きましたが、1944年10月の那覇大空襲により全作品を焼失。その後、大分県豊後竹田に疎開し、1946年に帰郷し、沖縄民政府沖縄諮問委員会、文化部芸術課の美術技官に就任しました。

 アメリカ施政権下では、1947年に首里ニシムイにアトリエを構え、1949年に行われた「第1回沖展」では絵画彫刻部門の審査委員を務めるとともに、同年結成の沖縄美術連盟の幹事を務めるなど、沖縄美術会の中軸を担う存在として活躍しました。また、1950年には豊平良顕らとともに琉球紅型研究会を発足させ、沖縄の伝統的工芸である紅型の復興にも力を注いでいます。1970年、没。

 まぁ、この切手の女性が“美女”であるか否かについては異論もありましょうが、いわゆる沖縄切手の中で、若い女性の顔をクローズアップしたものとしては代表的な1枚であることは間違いありませんので、今回の沖縄での吉松さんの快挙をたたえて、ご紹介することにしました。


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 切手が語る宇宙開発史(22)
2012-10-21 Sun 15:20
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『ハッカージャパン』の2012年11月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回からは、何回か、1959-60年の米国の状況を取り上げようかと思いますが、まずは、その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         米・ミサイルメール(1959)

 これは、1959年6月8日、米国でのミサイル・メールの実験で運ばれたカバーです。

 1959年末の時点で、ソ連はルナ2号を月に衝突させ、同3号で月の裏側の写真撮影に成功し、その成果を政治的プロパガンダとして大々的に活用していました。ただし、そうした成果は、必ずしも、すぐに軍事・民生面で実際に応用されたわけではなく、見かけの華やかさに比して、じつは米ソの実際の軍事バランスは米国が圧倒的に優位という状況は変わっていません。

 一方、米国の宇宙開発は実用本位の地道なものであったため、ソ連の後塵を拝しているような印象を与え、西側世界に“ミサイル・ギャップ”の不安を与えていましたが、ソ連に比して遜色のない成果を着実にあげています。すなわち、1958年1月のエクスプローラー1号の打ち上げ成功を皮切りとして、3月のヴァンガード1号(太陽電池パネルを利用した最初の衛星)、12月のプロジェクト・スコア(世界初の通信衛星)、1959年2月のヴァンガード2号(世界初の気象衛星)、ディスカバラー1号(世界初の極軌道周回衛星)、8月のエクスプローラー6号(初の衛星からの地球撮影)などです。

 こうした宇宙開発の成果を実際に応用したものとして、1959年6月、米海軍は郵政省(現・郵便公社)とともにミサイル・メールの実験を行っています。

 すなわち、1959年6月8日正午少し前、フロリダ沖に停泊中の米海軍の潜水艦バルベロから郵便物(郵政長官、アーサー・サマーフィールドの挨拶状が同封されていました)を搭載したミサイルが発射され、22分後、フロリダ州メイポートの海軍補助飛行場の標的に着弾。3000通の郵便物は、バルベロがヴァージニア州ノーフォークを出航する前に、6月8日午前9時30分のバルベロ艦内郵便局の消印を押してミサイルに搭載され、着弾後、大統領アイゼンハワー以下の米政府要人ならびに万国郵便連合加盟各国(当然、ソ連も含まれる)の郵政機関の長宛に届けられました。

 実験に立ち会ったサマーフィールドは、無事に郵便物がメイポートに到着したことを受けて、「郵便物の輸送という重要かつ実用的な目的のために、誘導ミサイルを平和的に利用したことは、今回が世界初の快挙であります」と演説し、ミサイル・メールを「全世界の人々にとっての歴史的偉業」と自賛しました。さらに、サマーフィールドは「人類が月に到着する前に、誘導ミサイルを利用して、ニューヨークからカリフォルニア、英国、インド、オーストラリアまで、数時間以内が郵便が届くようになるでしょう」とも述べています。このくだりは、「ソ連はルナ計画で月ロケットを成功させているというが、それが一般国民の生活にとって何の価値があるのか」と言っているようで、正論ではあろうが、負け惜しみに聞こえなくもありません。

 なお、誘導ミサイルを郵便の輸送に利用するというプランは、結局、実用化されませんでしたが、現在の我々は、瞬時に世界各国に文書を送信できる電子メールを日々利用しているというわけです。

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 ベイルートで自動車爆弾テロ
2012-10-20 Sat 17:25
 きのう(19日)、レバノンの首都ベイルート中心部で自動車爆弾による大きな爆発があり、国内治安機関トップのウィサム・ハッサン氏を含む少なくとも8人が死亡、78人が負傷しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ベイルートOMF

 これは、1920年5月20日、ベイルートからアレッポ宛に差し出されたカバーで、OMF加刷の3ピアストル切手が貼られています。

 第一次大戦中、英仏はサイクス・ピコ秘密協定を結び、戦後、現在のシリア・レバノンならびにイラクの北部にほぼ相当する地域はフランスの勢力圏とすることを規定しました。しかし、大戦が終結した時、フランスはベイルートやアレクサンドレッタラタキア対岸のルアド島などを占領していたものの、その占領地域はごくわずかで、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーのイギリス軍でしたし、内陸部の広大な地域はイギリスの占領下に置かれていました。さらに、フサイン・マクマホン書簡での密約(アラブがイギリスと共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家樹立を認めるというもの)もあって、シリア地域では、ダマスカスの陥落とともに、ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていました。

 そこで、大戦の終結によりフランスとアラブの双方から密約の履行を迫られたイギリスは、ベルサイユ会議で、戦後のシリア・パレスチナ地域を、①イギリス支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration):現在のイスラエル国境とほぼ同じパレスチナ、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETA:ティールからキリキア(シリアとトルコの国境地帯で、現在はトルコ領)にいたるレバノンとシリアの海岸地帯、に分割するという妥協案を通します。

 これに対して、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。このため、フランスとアラブの板ばさみとなったイギリスは、1919年9月、シリア地方からの撤兵を表明。これを受けて、同年11月以降、西部OETAではフランス軍が、東部OETAではアラブ軍が、それぞれ、イギリスに代わって占領行政を担当することになりました。

 なお、イギリス軍の撤退を受けて、ファイサルのアラブ政府は自らの存在を既成事実化して国際社会の認知を受けるべく、1920年3月、ダマスカスでシリア国民大会を開催し、ファイサルを国王とする立憲君主国アラブ王国の独立を宣言します。

 しかし、英仏両国はアラブ王国の存在を無視し、1920年4月に始まったサンレモ会議(同年1月に発足した国際連盟の最高理事会)では、フランスは、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、イギリスに対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、これを無視して、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始。全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。

 さて、フランスはこうして支配下に置いた委任統治地域を、レバノン国・ダマスカス国・アレッポ国・アラウィ自治区に分割。各地域に知事を置き、これを高等弁務官が統括するという古典的な分割統治政策を行います。

 このうち、レバノンに関しては、1920年8月、“大レバノン”が設置され、オスマン帝国時代の1860年に設置された旧レバノン県(キリスト教徒自治区)にトリポリ、ベイルート、シドンなどの海岸地区とベカー高原を加えた区域が、内陸シリアとは別の行政単位となりました。この“大レバノン”は、旧レバノン県に比べて面積は2倍以上になりましたが、キリスト教系住民が人口の過半数を維持することを最優先にして、これ以上は拡大されませんでした。これは、フランスが“大レバノン”を、イスラム教徒が多数を占める内陸シリアから分離して、中東支配の拠点として育成しようとしたためです。

 今回ご紹介のカバーは、そうした大レバノン設置直前の1920年5月にベイルートから差し出されたもので、フランス軍事占領下の“シリア”全域で使用するためのものとして、本国切手に“フランス軍事占領(地域)”を示すフランス語(Occupation Militaire Francais)の頭文字O.M.F.ならびに“シリア”の文字が加刷された切手が貼られています。こうしたO.M.F.加刷切手は、大レバノンの創設後もしばらくは有効とされており、大レバノンで独自の切手が使われるようになるのは、1924年に“大レバノン”加刷の切手が発行されてからのことでした。

 さて、今回のテロ事件に関しては、亡くなったハッサン氏が、シリアの関与が疑われているハリリ元首相暗殺事件(2005年)を追及したレバノンの反シリア派の大物で、今年8月には複数の爆弾テロ容疑でサマハ元情報相(レバノン政界で親シリア派の代表的人物)を逮捕していることもあって、ハリリ元首相の息子で反シリアのスンニ派政党「未来運動」のサード・ハリリ党首は事件の黒幕としてアサド大統領を名指しで非難しています。

 これに対して、シリアのゾウビ情報相は「テロリストによる卑劣な攻撃」と事件を批判。アサド政権の支援を受けるレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラも「(レバノンの)治安を揺るがす陰謀に全政治勢力が団結して立ち向かわなければならない」と訴えるなど、いずれも、事件への関与を否定しています。

 ただし、アサド政権やヒズボラが実際に事件に関与しているかどうかはともかく、シリア内戦の影響がレバノンにも波及してきたことは確実なわけで、状況の推移が注目されるところです。


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 満鉄会、最後の大会
2012-10-19 Fri 22:16
 旧満州国を実質的に支えた戦前の国策会社、南満州鉄道株式会社(満鉄)の元社員や家族でつくる団体「満鉄会」が、高齢化による会員数減少で事実上の解散を決め、きょう(19日)、最後の大会を東京ステーションホテルで開催したそうです。というわけで、きょうは満鉄ネタの中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         葉峯線

 これは、1935年12月1日、満洲国の赤峯で使用された“葉峯鉄路通車紀念”の特印です。

 満鉄国線(満州国国有鉄道委託経営線)の葉峯鉄路は、葉柏寿駅から寧城県、元宝山区を経由して赤峰駅へ至る全長146.9kmの路線で、開通当時は、満洲国の熱河省内を南北に走る路線でしたが、現在の行政上は、葉柏寿は遼寧省、赤峯は内モンゴル自治区となっており、鉄道の路線としては葉赤線と呼ばれています。

 工事のための測量が開始されたのは1933年11月5日のことで、翌1934年3月28日から路盤工事が開始されました。工事の完成は1935年7月25日のことでしたが、この間、石脳トンネルの掘削や大凌河橋梁の架設などは難工事として知られ、トンネル工事では、作業員を督励するため、3000円の懸賞金がかけられました。

 今回ご紹介の特印の日附となっている1935年12月1日は葉峯鉄路としての本営業開始の日ですが、特印の使用局が僻地であったことに加え、使用日数も短かったため、満洲国の特印としては珍印として知られています。

 なお、満洲国の切手や郵便については、拙著『満洲切手』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 イセエビ密猟者のお手柄
2012-10-18 Thu 23:01
 今月13日、南アフリカのケープタウンで観光客の乗った船が転覆して2人が死亡した事故で、イセエビの密漁者たち9人が海に投げ出された乗客を次々と救い出して自分たちの船に救助しただけでなく、遅れてやってきたレスキュー隊に救助が必要な場所を伝えるなど、大活躍したことが話題になっているそうです。というわけで、きょうはイセエビを取り上げた南アの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ロブスターのある風景

 これは、1985年に発行されたフランス・ダヴィト・ウールダーの絵画切手のうち、「ロブスターのある風景」を取り上げた切手のマキシマムカードです。

 ウールダーは、1867年4月7日、オランダのロッテルダム生まれ。父親は市役所の職員で、芸術家で身を立てるなんて馬鹿げたことだと考えていたそうですが、息子が装飾職人になることには反対しませんでした。

 1880年から85年にかけて、ウールダーはロッテルダムのアカデミーで修業し、国王ウィルヘルム3世金メダルを受賞。イタリア、ブリュッセルで修業した後、1890年、兄を追って南アフリカに移住。当初は有力者のお抱え絵師だったが、後にネーデルランド・南アフリカ鉄道会社に就職しました。

 鉄道が開業して工事が一段落し、鉄道施設の装飾の仕事が激減すると、1894年以降、ウールデルはプレトリア女子高校の美術教師のほか、新聞の挿絵などで生計を得ていましたが、1896年には休暇を利用してズールーランドに取材旅行に出かけ、ケープタウンで展覧会を開いています。

 1899年、第2次ボーア戦争が勃発すると、ウールデルはポール・クリューガーによってトランスヴァール政府の公式戦争画家に任命され、戦場の様子を記録する作品を数多く残しました。

 戦後は、再びズールーランドやアフリカ東海岸を取材し、1905年、南アフリカ芸術家協会のメンバーに選ばれ、以後、南ア政府高官の肖像なども手掛けるようになります。しかし、南ア社会全体が疲弊していた中で、彼自身の生活も苦しく、1910年、南アを離れてオランダに帰国。植物画で知られていた閨秀画家のゲルダ・ピトロと結婚し、欧米の画壇を中心に活躍するようになりました。

 しかし、その後も南アへの思いは断ち切れず、1938年、ウールダーは妻とともにプレトリアに帰還。1944年に亡くなるまで、プレトリアを拠点に数多くの作品を残しました。

 さて、切手に取り上げられた作品の題名は「ロブスターのある風景」ですが、ケープタウンのウォーターフロントのレストランで出されているイセエビの多くは“クレイフィッシュ”となっていました。下の画像は、僕が実際に現地で注文したクレイフィッシュのプレートです。

       南ア・クレイフィッシュ

 クレイフィッシュとロブスターの言葉の使い分けについては、英語圏でも地域によって違うようですが、その詳細については、僕個人は良く理解できていません。あるいは、ハサミの形などで区別ができるのかもしれませんが、僕が注文したランチのサービス・メニューのクレイフィッシュにハサミはついていませんでしたので、詳細はわからずじまいです。いずれにせよ、日本語では両者を特に区別することなく、“イセエビ”としているケースが多いようで、今回話題となった密漁者がどちらを取っていたのかは、報道だけではわかりません。

 ちなみに、僕がこのクレイフィッシュを注文した店は、ランチのサービス・メニューということを割り引いても、他の店と比べてやたらと値段が安かった(そうであればこそ、注文したのですが)ことを覚えています。いまにして思えば、今回大活躍の密漁者から安く仕入れてきたモノだったのかもしれません。そういえば、今回の事故の後、密漁者たちが取っていた“イセエビ”は、はたして、その後、どうなったんでしょうか。そのあたりもちょっと気になりますな。

 さて、今月25日(あと1週間後です!)に発売予定の拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』では、現地の食事やワインなどについても、いろいろと解説しております。書店などで実物を目にする機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。
 

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 フランス製の4本腕
2012-10-17 Wed 16:23
 今月12日、サッカー日本代表のGK川島永嗣選手がフランス戦で好セーブを連発したことに対して、フランスの国営テレビ「フランス2」の13日夜に放送された番組で、川島選手の腕が4本ある合成写真を映し、司会者が「福島(第1原発事故)の影響ではないか」と揶揄する発言をしていたことが判明。パリの日本大使館が抗議し、テレビ局側がおわびを表明するとともに、フランス訪問中の玄葉光一郎外相に対して、ファビウス外相が謝罪するという出来事がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ラオス・サラスヴァーティー

 これは、1974年にラオスで発行されたサラスヴァティーの切手です。当時のラオス切手は旧宗主国のフランスで製造されていましたので、フランス製の4本腕の画像ということで持ってきました。

 仏教はインド亜大陸各地に拡大していく過程で、さまざまな土着の要素を取り込んでいきました。

 その典型とされるのが、①天衆(梵天や帝釈天、四天王吉祥天金剛力士など)、②龍衆(龍王や龍神、蛇神など)、③夜叉(古代インドの悪鬼神の類を指すが、仏法に帰依して護法善神となったもの)、④乾闥婆(水精女アプサラスの夫で、帝釈天に仕える半神半獣の奏楽神団)、⑤阿修羅(古代インドの戦闘神)、⑥迦楼羅(金翅鳥、ガルーダ)、⑦緊那羅(音楽の神)、⑧摩睺羅迦(身体は人間で首は大蛇の音楽の神)の八部衆です。これらは、仏教以前の古代インドの神々が仏教に帰依し、仏法を守る護法神となったと位置づけられており、“天部諸尊”と総称されます。

 このうち、わが国では弁財天として知られる神は、古代インドで聖なる川とされていた“サラスヴァティー川”の化身、サラスヴァティーがその原型です。流れる川のイメージから、言葉・弁舌、知識、音楽など“流れるものすべて”の女神となりました。仏教には“弁才天”として取り込まれましたが、日本では同音の“弁財天”とも表記され(弁天と略されることもある)、財宝の神としての性格も持つようになりました。像として表現される際には、今回ご紹介の切手のように、4本の腕を持ち、2本の腕には、数珠とヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持つ姿が一般的です。

 さて、仏教の変化観音や天部諸尊、ヒンドゥーの神々の中には、今回のサラスヴァティーのように、その特殊な能力を示すために、多面多臂の(顔や腕が多数ある)姿で描かれるケースが少なくありません。したがって、今回の合成写真でも、日本人の川島選手を東洋の神仏になぞらえて、ポジティヴなコメントがついたのであれば、今回のような騒動になることもなかったのではないかと思います。もっとも、番組の司会者の問題発言とは別に、件の写真を作った人物は、そういう意図だったのかもしれませんがね。

 ちなみに、この件に関して、当の川島選手は「嫌な思いをする人がたくさんいると分かってくれればいい」と話しており、関係者の謝罪をもってすべてを水に流すつもりのようです。さすがに、「4本の腕を持つサラスヴァティーは、“流れるものすべて”の象徴だから…」というコメントはなかったようですが…。

 なお、多面多臂ののさまざまな仏像を取り上げた切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧頂けると幸いです。


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 ケープ周郵記⑦
2012-10-16 Tue 16:19
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、「本のメルマガ」第478号が配信となりました。僕の連載、「ケープ周郵記」は、今回は、ステレンボッシュのカフェ、ケープ・トゥ・キューバで、ゲバラ・グッズに囲まれながら昼飯を食べながら、いろいろと考えたという話です。その記事の中から、きょうはこのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        南ア国防軍野戦局カバー

 これは、1979年、グルート・コンスタンシアとブドウを描く南アの2.5セント切手を2枚貼り、南ア国防軍の野戦郵便局からプレトリア宛に差し出された封筒です。1979年という時期からして、アンゴラ内戦期のものだ労と思います。

 ポルトガルの植民地だったアンゴラでは、1975年3月、アンゴラ解放人民運動 (MPLA)、アンゴラ民族解放戦線 (FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) の独立運動の主要3組織がポルトガルと休戦協定を調印し、独立が達せられました。当初、MPLAはソ連とキューバの、FNLAはザイールの支援を受けており、最大勢力で首都ルアンダを掌握していたMPLA主体の政権が樹立されるものとみられていました。

 ところが、親ソ政権の発足を嫌った米国がFNLAを支援したことで内戦が勃発。さらに、米国は、ともかくもMPLAを打倒するため、UNITAも支援します。その際、米国とUNITAの窓口になったのが、南アです。

 南アの国民党政権は反アパルトヘイトの国民運動を弾圧し、その結果、アフリカ民族会議(ANC)の一部は周辺の黒人国家に逃れ、東側諸国の支援も受けながら、反政府闘争を展開していました。なかでも、MPLAとANCは密接な関係にあり、南アのアパルトヘイト体制にとって直接の脅威になると国民党政権は考えていたのです。

 さらに、中国も反ソという観点から、ソ連が支援するMPLAに対抗してUNITAを支援するという混沌とした状況ができあがりました。

 南アは実行支配下に置いていたナミビアを拠点にアンゴラ内戦に介入。ナミビアとアンゴラの国境地帯では、南ア国防軍とキューバ軍およびMPLAが対峙することになります。

 その後、FNLAは首都進攻を試みたものの、キューバ軍事顧問団が指揮するMPLAに大敗。戦闘の続く中で、1975年11月11日、MPLAが“アンゴラ人民共和国”の、UNITAとFNLAが“アンゴラ人民民主共和国”の独立を宣言したものの、国際的には、MPLA政権がアンゴラの正統政府とみなされていました。今回ご紹介郵便物も、こうした状況の下で設置された南ア国防軍の野戦局から差し出されたものです。

 今回の記事では、かつてのキューバと南アの歴史的因縁を考えると、南アの中でも、特に保守的でアフリカーンスの文化が色濃く残っているとされるステレンボッシュの地で、ゲバラの視線を感じながら食事をするという不思議な体験を話の枕として、コンゴ動乱やアンゴラ内戦と南アの関係についてまとめてみました。

 さて、切手紀行シリーズの第5巻として刊行予定の拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』ですが、昨日、無事に見本が出来上がってきましたので、予定通り、今月25日から発売できそうです。すでに、アマゾンhmvなどでは予約も受け付けておりますが、無事、刊行日を迎えましたら、あらためて、このブログでもご挨拶申し上げますので、なにとぞよろしくお願いします。

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 シハヌーク前国王崩御
2012-10-15 Mon 11:17
 カンボジアの前国王、ノロドム・シアヌーク陛下(以下、“シハヌーク”と敬称略)が、きょう(15日)未明、療養先の北京で崩御されました。享年89。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       シハヌーク(1964)

 これは、1964年、カンボジアで発行された“社会主義人民共同体(サンクム・リアハ・ニヨム)10周年”の記念切手で、国家元首としてのシハヌークの肖像が大きく取り上げられています。シハヌークの切手は、フランス領インドシナ(仏印)時代にも発行されていますが、今回は、独立後の切手を持ってきました。

 ちなみに、今回ご紹介の切手は、1964年当時、カンボジア政府が国家元首としての正式の肖像として認定していた写真をもとに制作されました。その後、ロン・ノルのクーデターで亡命を余儀なくされ、ポル・ポト政権下で事実上の幽閉状態に置かれ、さらには延々と内戦が続くという状況の中で、1993年に彼が国王として再即位するまで、政府として公認のシハヌークの肖像というのはアップデートされないままになっていましたので、新聞などでこの肖像を目にした記憶のある方も多いのではないかと思います。

 さて、シハヌークは、1922年、カンボジア王族ノロドム・スラマリットとシソワット・コサマック妃の息子としてプノンペン生まれ。同じく腐乱氏の支配下にあったサイゴンに留学中の1941年、祖父のシソワット・モニヴォン国王(コサマック妃の父)の崩御に伴い、請われて帰国し、18歳で即位しました。

 1945年3月、いわゆる明号作戦によって、インドシナ半島に進駐していた日本軍がフランス軍を駆逐すると、日本軍の影響下で、シハヌークは、ヴェトナム(バオ・ダイ)、ラオス(シーサワーンウォン)と相前後してカンボジアの独立を宣言。同年6月には、コーチシナの約半分の領有を主張し、日本へ仲介を依頼しています。

 1945年8月15日の日本の敗戦後、ヴェトナムではホーチミンがヴェトナム民主共和国(ヴェトミン)の独立を宣言しますが、フランス支配以前、歴史的にヴェトナムの圧迫を受け続けてきたカンボジアは、ヴェトミンの侵略を恐れて、一旦フランスの帰還を制限つきで承認。アメリカを始めとする諸外国を歴訪してカンボジアの現状と独立を国際世論に訴えました。

 その後、カンボジアは1949年にフランス連合内での独立を認められますが、フランス側は警察権・軍事権を手放さなかったため、シハヌークは離宮に籠もり「完全に独立が達成されるまで首都・プノンペンには戻らない」と宣言。これを機に、カンボジア国内では反仏デモが盛り上がり、1953年11月9日、カンボジア王国の完全独立が達せられました。

 独立後の1955年3月、立憲君主国の象徴的な元首としての“国王”の地位にあきたらなくなったシハヌークは退位し、父親のノロドム・スラマリットを国王として即位させました。退位後のシハヌークは“殿下”の称号を使いつつ、政治団体“社会主義人民共同体(サンクム・リアハ・ニヨム)”を結成。同年の総選挙で圧勝(全議席を制したそうです!)し、首相兼外相に就任しました。さらに、1960年3月、国王が崩御すると、王位を空位とし、自身は新設の“国家元首”となり、“王制社会主義”を推進しました。

 王制社会主義というのは、一種の語義矛盾ですが、仏教の保護と王室(実質的にはシハヌーク)の指導の下、対外的には中立政策を守り、国内では社会主義的な政策を進めるというもので、要するに、東寄りないしはリベラル色の強い開発独裁体制と言えましょう。じっさい、隣国ヴェトナムでの戦争に関して、シハヌーク政権は、ヴェベトナム解放民族戦線の補給基地や北ベトナムから南ベトナムへの人員物資補給路であるホーチミンルートの存在を黙認し、その結果として、アメリカ軍と南ベトナムの攻撃を受けています。

 こうしたシハヌークの容共姿勢に対して、1970年3月、首相兼国防相ロン・ノル将軍と副首相シリク・マタク(シハヌークの従兄弟)らは、アメリカの支援を受けてクーデターを敢行。北京に外遊中のシハヌークを国家元首から解任し、王制廃止と共和制施行を宣言しました。これに伴い、国名は“クメール共和国”と改められています。

 これに対して、シハヌークはクーデター後も北京に留まって、亡命政権“カンボジア王国民族連合政府”を結成。ロン・ノル政権打倒を掲げて、中国・北朝鮮の仲介でクメール・ルージュ(ポル・ポト派)と提携することになりました。

 1975年、カンボジア全土を制圧したポル・ポト派が、シハヌークを国家元首とする共産主義国家“民主カンプチア”の成立を宣言すると、シハヌークは平壌から帰国しました。1979年までに100万人以上の国民が亡くなったとされる悲惨な状況の下で、シハヌークの“国家元首”は名目的な地位にとどまり、事実上、プノンペンの王宮に幽閉されてしまいます。第6夫人のモニク妃と2人の間に生まれた2人の王子(シハモニ、ナリンドラポン)とわずかな側近・従者以外との同居は許されず、残りの王族は容赦なく虐殺されました。このため、シハヌークは病気療養を理由に海外出国を望んだものの許されず、1976年4月、国家元首の辞任が認められただけでした。結局、1979年にヴェトナム軍がカンボジアに侵攻すると、彼は、国連安保理でヴェトナム軍の不当性を訴えるという名目で、ようやく、国外に脱出しました。

 その後、カンボジア国内では、クメール・ルージュとシハヌーク国王派、ロン・ノル派の流れをくむソン・サン派の三派は連合し、ベトナム軍およびヘン・サムリン軍との内戦が続きましたが、1992年3月、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が平和維持活動を開始。翌1993年4月から6月まで国連の監視下で総選挙が行なわれ、シハヌークの二男ラナリット王子の率いるフンシンペック党が第一党となり、同年9月に制定された新憲法で立憲君主制が復活。シハヌーク国王として再即位しました。

 なお、シハヌークは2004年10月29日に国王を退位し、癌治療のため、定期的に北京を訪れる生活を送っていましたが、きょう、崩御したというわけです。ちなみに、ギネスブックでは「世界の政権で最も多くの経歴を持つ政治家」として、シハヌークが認定されています。


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 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
 そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史

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 鉄道記念日
2012-10-14 Sun 18:19
 きょう(14日)は鉄道記念日です。というわけで、10月30日開講予定の教養講座“T-moneyで歩くソウル歴史散歩”のPRを兼ねて、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       韓国・地下鉄着工

 これは、1971年4月12日に韓国で発行された“地下鉄1号線着工”の記念切手で、地下鉄とその路線のイメージ図が図案化されています。

 ソウル市の地下鉄建設計画は、1969年10月、交通部長官に就任した白善燁の下でスタートしました。

 朝鮮戦争の英雄であった白は、1960年に退役し、台湾・フランス・カナダの大使を歴任した後、ほぼ10年ぶりに帰国して交通部長官に就任しましたが、帰国早々、ソウル市内のバスの殺人的な混雑を体験して、交通事情の改善に本気で取り組む決意をしたそうです。

 さて、白は、日本をモデルにした地下鉄建設を考えたものの、長官就任当初は1965年の日韓国交正常化から日も浅く、日本に技術協力を要請しづらい雰囲気があったようです。

 ところが、1970年3月、いわゆる「よど号」事件が起こり、白も現場で無血解決にむけて尽力したことで、白と日本政府関係者との間で個人的な友情が育まれます。そして、事件処理のために訪韓していた日本の運輸大臣・橋本登美三郎が帰国に際して「お返しと言ってはなんですが、なにかお手伝いできることがあれば申し付けてください」と挨拶したのをとらえて、白は、地下鉄建設への協力を要請。橋本の快諾を得ました。

 1970年7月に日韓経済閣僚会議が開催されると、橋本は白との“約束”どおり、鉄建公団の角本良平を団長とする地下鉄建設のための調査団をソウルに派遣。建設計画の策定に向けて具体的な作業が開始され、1971年4月、工事が開始されていました。ただし、白じしんは、1970年末に済州島からミカンを運んできた船舶が過積載で沈没したことの責任をとって辞職してしまったため、地下鉄工事そのものには関与することはありませんでした。

 さて、ソウルの地下鉄1号線は、当初、ソウル西郊の清涼里駅(国鉄の中央線、京春線などの始発駅)から東大門=鐘路を経てソウル駅にいたる区間で開業しました。

 当時は、現在と比べるとソウル市内の交通量も少なかったため(バスの殺人的な混雑の要因は、本数の少なさにも原因がありました)、工事は道路を地面から掘り下げ、後からフタをする箱型後方で進められています。このため、トンネルを掘り進めるスタイルに比べて、低コストの工事となりました。

 その一方で、総額272億円の地下鉄車両(186両)の導入をめぐっては、1973年、三菱商事・丸紅・三井物産・日商岩井の日本商社連合が、岸信介をはじめ日韓両国の実力者にリベートを支払うため、輸出価格を1両につき3000万円以上も水増しして納入したとのスキャンダルも起きています。もっとも、このスキャンダルは、1977年2月、アメリカに亡命した元KCIA部長の金炯旭の発言によって明るみに出たもので、1号線の開通時には、このことを知るものはごくわずかでした。

 ともあれ、地下鉄工事は順調に進み、1974年8月15日の光復説を期して、鷺梁津(当時は国鉄との相互乗り入れ駅でした)で開通記念式典が行われました。当日は、大統領の朴正煕も、南山の国立劇場で開催された光復説記念式典の後、開通式典に出席する予定でしたが、いわゆる文世光事件が発生し、出席を取りやめています。
 
 こうしてスタートしたソウルの地下鉄は、その後、40年近くの年月を経て、現在では、1号線から9号線までの9路線+盆唐線、電鉄中央線や電鉄京義線、また空港鉄道や仁川地下鉄1号線などと合わせて首都圏をほぼ網羅するまでに成長しました。路線ごとにシンボルカラーや路線番号があり、また各駅には駅番号がついているので、非常に利用しやすいと思います。また、日本のスイカやパスモと同様のカードT-money を使えば切符を買う手間もいらず、なおかつ、現金で切符を買うよりも割安で利用できるのも嬉しいところです。

 よみうりカルチャー荻窪で10月30日より開講予定の僕の講座“T-moneyで歩くソウル歴史散歩”は、T-moneyと地下鉄を使って、ソウルの歴史散歩の面白さをご紹介する企画です。フツーの観光ガイドではあまり触れられないスポットなどもご紹介しながら、他とはちょっと違った視点から、韓国について考えるための材料を提供していくつもりですので、1人でも多くの方のご参加を心よりお待ちしております。   


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 メディア史研究・検閲の諸相
2012-10-13 Sat 21:11
 ご報告が遅くなりましたが、『メディア史研究』第32号ができあがりました。今号は特集が「検閲の諸相」ということで、僕も「シベリア抑留前期の捕虜郵便と検閲」と題する論文を投稿しています。というわけで、きょうは拙稿の中から、この葉書をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       シベリア抑留葉書タイプIIB2

 これは、第二次大戦後、ソ連によってシベリアに連行され、強制労働に従事させられていた日本人抑留者の通信用に作られた専用の往復葉書のうち、タイプIIB2と呼ばれるものです。

 シベリア抑留日本人用の往復葉書は、大きく4つのタイプに分けられますが、このうち、往信部右下の番号が613で、赤十字・赤新月の入っていないものはタイプIIとされています。タイプIIは、字体がローマン体のAとゴシック体のBの2タイプに分けられ、さらに、表題2行目の“Й”の文字の位置により細分されます。今回ご紹介のモノは、表題2行目の“Й”が1行目の“O”の右下にあるタイプIIB2呼ばれるものです。

 さて、ソ連側の検閲基準では、反ソビエト的ないしは親ファシスト的と彼らが判断した内容の記述がある葉書は没収されたほか、①各収容所や特設病院、労働大隊に収容されているその他の軍事捕虜についての記述、②各収容所や特設病院、労働大隊に滞在時に病死したか事故死した軍事捕虜についての情報、③各収容所や特設病院、労働大隊、軍事捕虜が働いている企業の配置場所、④軍事捕虜が遂行している労働の性格、などを日本宛の葉書に書くことは「絶対に禁止」されており、必要に応じて問題個所を検閲担当者が抹消した後、日本宛に送られたといわれていました。

 このため、規則上は、捕虜郵便の差出人住所に“収容所”の語を記載することは禁じられており、ウラジオストクないしはハバロフスクの郵便局私書箱(実際の葉書の記述例としては“郵便函”となっている事例が多い)をリターンアドレスとすることになっています。そして、収容所によっては、日本人の通訳または収容所当局の担当者が一括してロシア語で差出人住所を記入する場合ありました。

 ところが、今回ご紹介の葉書のように、収容所側がロシア語での差出人の住所を記載した場合には、収容所当局みずからが“収容所”を意味するロシア語の“Лагерь”の印を押した事例がしばしばみられます。日本に送る郵便物なので、ロシア語の読めない日本人には意味が分かるまいとの判断だったのでしょう。こうした制度や規則と実際の運用とのズレというのは、文献資料を眺めているだけでは絶対に見えてこないわけで、実際のマテリアルを直接手に取ってみることの重要さを改めて教えてくれます。

 今回の『メディア史研究』に掲載の拙稿では、今回ご紹介の葉書以外にも、いろいろな実例を挙げながら、ソ連側の検閲規定とそれが実際にどのように運用されていたのかという点について、多角的に検証しています。拙著『ハバロフスク』には掲載されていない葉書も少なからず取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 IMF・世銀年次総会が開幕
2012-10-12 Fri 18:04
 国際通貨基金(IMF)・世界銀行の年次総会が、きょう(12日)午前、都内で開幕しました。日本国内での開催は、1964年以来、48年ぶりのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       IMF世銀東京総会(1964)

 これは、1964年9月7日に発行された「国際通貨基金・国際復興開発銀行東京総会」の記念切手です。

 東京オリンピックを前に高度経済成長を続けていたわが国は、1964年4月1日、国際収支の悪化を理由に為替制限のできないIMF(国際通貨基金) 協定の8条国に移行。この結果、日本円は外貨と自由に交換できるハードカレンシーになりました。また、これに先立ち、3月28日、わが国はOECD(経済協力開発機構) に正式加盟し、名実ともに先進国の仲間入りを果たしています。

 これを受けて、1964年9月7日から11日にかけて、ブレトン・ウッズ機構の諸機関の第19回合同年次総会(“世界のお金の祭典”とも呼ばれた)が東京のホテル・オークラで行われました。

 ちなみに、IMFの年次総会は、原則としてワシントンDCで開催されますが、3年に1回はアメリカ以外の国で開催されます。1964年の東京総会は、アメリカ以外での開催としては、1947年のロンドン、1950年のパリ、1952年のメキシコ・シティ、1955年のイスタンブール、1958年のニューデリー、1961年のウィーンについで、7番目の開催でした。

 東京総会への参加者は世界102ヶ国から約1850人。これは、戦前戦後を通じ、それまでわが国で開催された国際会議の中では最も規模が大きなもので、目前に控えた東京オリンピックをはるかにしのぐものでした。

 このように、1964年9月の会議は、わが国にとってきわめて重要な意味を持っていたことから、郵政省は記念切手の発行を早くから計画。“世界のお金の祭典”にちなんで、日本の象徴である富士山と各機関の頭文字の入った硬貨5枚の形をあしらった切手を会議初日の9月7日に発行しました。なお、IMFと富士山以外に切手上に取り上げられているのは、IBRD(国際復興開発銀行、通称:世界銀行) 、IDA(国際開発基金) 、IFC(国際金融公社) です。

 さて、今日の総会では、冒頭、ラガルドIMF専務理事が「成長なしには公的債務は解消できない。長い困難な道のりになる」と指摘。そのうえで「重要なのは行動を起こすことだ。連帯感を持って進んでいこう」と呼びかけました。まぁ、深刻なデフレが続いているにもかかわらず、尖閣と竹島の問題のどさくさに消費税の増税方針だけは早々に決めてしまった民主党政権の面々に、税収減という結果が見え見えの愚策を潔く撤回するという“行動”を望むのは無理でしょうな。そうであるなら、国民こそが、疫病神を退治すべく“行動”を起こさないといけないということなのかもしれません。


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 紅い高梁
2012-10-11 Thu 22:49
 日本人作家・村上春樹の授賞が期待された今年のノーベル文学賞は、中国人作家で中国作家協会副主席の莫言が受賞しました。莫といえば、やはり「紅いコーリャン」でしょうから、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       国都建設4分

 これは、1937年9月16日、満洲国で発行された「国都建設記念」の4分切手です。満洲国の切手には、1932年に発行された最初の普通切手以来、しばしば、満洲を象徴する植物として高粱が取り上げられています。そのうち、紅色で最も大きく高粱が描かれているモノということで、持ってきました。

 1932年3月1日に満洲国の建国が宣言された時、新国家の首都は奉天になるであろうというのが大方の予想でした。当時の奉天は人口50万クラスの大都市であり、満洲在住の日本人経済の中心地であるだけでなく、満洲事変後には関東軍司令部も置かれて政治工作の中心地にもなっていたからです。

 したがって、3月10日、新国家の首都が、奉天に次ぐ第2の都市である哈爾浜でもなければ、“満洲の京都”とも称された吉林でもなく、長春に定められた時、奉天の人々は強い衝撃を受けたといわれています。ちなみに、長春が満洲国の新たな首都として“新京”と改称されたのは3月14日のことでした。

 都市としての長春の歴史は、日本の満鉄支配とほぼ軌を一にしているといえます。

 すなわち、1898年、東清鉄道の南部支線として哈爾浜=旅順間の鉄道敷設権を獲得した帝政ロシアは、この地の行政機関として置かれていた長春城の北西に寛城子駅を設けました。1905年、日露戦争のポーツマス条約でロシアから大連=寛城子間の鉄道(これが南満洲鉄道株式会社、すなわち満鉄のルーツです)を譲り受けた日本は、この寛城子駅と長春城の間に鉄道付属地を設定して長春駅を建設します。以後、長春は東清鉄道と満鉄の接続地として、市街地の建設が本格的に進められることになりました。

 とはいえ、満洲国建国の時点での長春は、人口たかだか13万人のローカル都市に過ぎません。それにもかかわらず、関東軍がこの地を“新京”と改名して満洲国の首都としたのには、それなりの理由がありました。

 まず、奉天や哈爾浜は大都市であるがゆえに、旧東三省政府やロシアないしはソ連などの影響力が抜きがたくしみついていました。さらに、満洲全体のバランスを考えた時、奉天はあまりに南に位置しており、哈爾浜はあまりに北に位置しています。

 さらに、奉天や哈爾浜と比べると長春は地価も安く、用地買収が容易であり、新国家の首都としての都市計画を実施するうえでフリーハンドを確保しやすかったという事情もありました。そうした土地を“新京”と名づけ、新たな都市の建設を通じて、満洲国という新国家の存在を内外にアピールすることは統治の技術論からすればきわめて重要なことですが、既存の大都市である奉天や哈爾浜を舞台としては、そうしたイメージ戦略を発動することは困難です。

 こうして、4月11日、国務院の中に国都建設局を設置して本格的な都市計画に乗り出した満洲国政府は、5年後の1937年中の完成を目指して、国都建設第一期事業としておよそ20平方キロの地域の整備に着手。その総予算は3000万円でした。ちなみに、1932年度の満洲国の国家予算は1億1300万円です。

 新たに建設される都市の軸線になったのは、市街地の南北を貫く大同大街と大同大街の西側を併行に走る順天大街の二本の幹線道路でした。

 このうち、大同大街は満洲国建国当初の年号である“大同”にちなんで名づけられたもので、幅54メートル。満鉄の新京駅から南へまっすぐ伸びており、その途中に設けられた外周約1キロの円形広場(大同広場)から四本の道路が放射状に延びています。満洲国の実質的な支配者である関東軍の司令部は、この大同大街と東西方向の幹線道路であった興仁大街の交差点にありました。

 一方、順天大街は皇帝溥儀のために建てられた新宮殿から南に伸びており、幅は60メートル。その両側は官庁街となっています。順天の名は、満洲国の建国宣言にある「新国家建設の旨は、一に以て順天安民を主と為す」から取られました。

 この区画に、まず1933年5月、満洲国政府の第一庁舎が建てられ、翌6月、第二庁舎が建てられます。その後、官衙建設は1934年から本格的に開始され、1936年には満洲国政府の象徴ともいうべき国務院庁舎が完成しました。

 こうして、国都建設第一期事業は、1937年9月16日、完了が宣言されます。この日取りは、建設事業の主役であった国都建設局が1932年に発足した記念日にちなんだもので、それゆえ、当日、溥儀の臨席の下、大同広場で行われた記念式典は、正式には「国都建設五周年記念式典」と呼ばれました。

 今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行された4種セットのうちの1枚で、切手の発行に際して、交通部は国都建設事業の成果を広く内外に誇示する意図も込めて、「國都建設の威容及び國民慶祝の状を表現せるものにして、高尚平易なるもの」とする切手図案の懸賞公募を行いました。公募は1937年6月15日に締め切られ、その最高賞を得た石川酵佑の作品が若干の修正を経て切手のデザインとして採用されています。

 このうち、今回ご紹介の切手の主題は、国務院庁舎と満洲国国旗です。切手の構図は、1936年のベルリン・オリンピックのポスターをもとにして作られたもので、切手の両脇には、満洲国の象徴としての高粱と勝利と栄誉のシンボルである月桂樹が描かれました。

 なお、この切手を含む満洲国の切手とその背景については、拙著『満洲切手』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 * よみうりカルチャー北千住の講座受付は終了いたしました。

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 切手に描かれたソウル:成均館
2012-10-10 Wed 11:15
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月28号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は掲載日にあわせて、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       成均館

 これは、1998年に発行された成均館600年の記念切手です。掲載日の9月28日は孔子の誕生日を陽暦に直した日に相当しており、成均館大学校の大成殿では釈奠大祭(孔子の誕生祭)が行われることにちなんでのチョイスです。

 孔子の誕生日を祝うイベントは、東アジアの儒教文化圏では幅広く行われているが、中でも、成均館の釈奠大祭は古い時代の形式がよく保存されているのが特徴とされています。

 成均館は、もともと、高麗王朝の最高教育機関であった国子監で、1298年に成均監、1308年に成均館と改称されました。高麗時代の成均館は開城(高麗の首都で、現在は北朝鮮の支配下に置かれている)にあり、その跡地は、北朝鮮の高麗博物館が置かれています。

 さて、1392年、李氏朝鮮が建国され、首都が漢城(ソウル)に移されると、1398年、成均館も首都に移転し、崇教坊(現在の鐘路区明倫洞)に新たな学舎が建設されました。

 敷地内のメインの建物である文廟は、孔子とその直弟子、さらに、中国・朝鮮半島の偉大な儒学者の位牌を奉納した祠堂で、正殿である大成殿と左右の東廡・西廡、三門から構成されています。このほか、敷地内の主な施設としては、明倫堂(講義室)、東斎・西斎(学生寮)、尊経閣(図書館)などがあります。

 1398年の建物は、わずか2年後の1400年に火災で焼失。1407年に再建されたものの、16世紀末の文禄・慶長の役で焼失しました。ちなみに、開城の高麗博物館の前には「壬申祖国戦争(文禄・慶長の役)で日本軍に破壊されたものを再建し……」との北朝鮮当局の説明板が掲げられていますが、ここで問題になっている建物は高麗時代のもので、成均館がソウルに移転した後は、地元の地方教育機関として利用されていたものです。

 文禄・慶長の役の後、成均館の儒者やOBの官僚たちは資金を集め、まず、1601―02年に大成殿を再建。ついで、1603-04年に東廡、西廡、神門、中門を、1606年に明倫堂と東齋、西齋を再建しました。現在の建物は、1869年の大補修の後のモノです。

 今回ご紹介の切手は、1998年9月25日、釈奠大祭の時期に合わせて発行されたものですが、釈奠大祭の会場となる正殿の文廟・大成殿ではなく、講義が行われていた明倫堂が大きく描かれています。やはり、教育機関としての性格を考えると、切手に取り上げるのは、こちらの方がふさわしいと判断されたのでしょう。なお、切手では建物の背景に銀杏の木が描かれていますが、例年、ソウルの紅葉(黄葉)は10月中旬から少しずつ始まり、11月初旬にピークを迎えるので、その頃に現地を訪れれば、切手と同じような景色が拝めると思います。

 さて、かねてご案内の通り、10月後半から、都内2ヵ所のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で、“T-moneyで歩くソウル歴史散歩”と題する一般向けの教養講座を行います。ソウルの紅葉(黄葉)スポットについても、実際の写真をお見せしながらいろいろとご紹介する予定ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記ご案内ならびにリンク先ページをご覧ください)

 * 昨日(9日)、カウンターが111万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 ウガンダ独立50年
2012-10-09 Tue 12:02
 1962年10月9日にウガンダが独立してから、今日でちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ウガンダ宣教師切手

 これは、ウガンダ最初の切手として知られる“ウガンダ宣教師切手(ウガンダ・カウリーとも)”です。

 19世紀後半、列強諸国によるアフリカ分割が進められる過程で、1894年、現在のウガンダ国家に相当するヴィクトリア湖北西の地域は英領ウガンダ植民地となりました。

 これを受けて、1895年3月、英国東アフリカ会社の官僚であったC.ウィルソンの要請を受けた宣教師のE.ミラーがタイプライターで簡単な切手を製造しました。これが、ウガンダ宣教師切手です。

 当初、ミラーは手元にあった黒のインクリボンで切手を製造しましたが、後にインクリボンは紫色に変更されています。額面の通貨単位となっているカウリーは、200カウリーが1英領インドルピー、もしくは、12.5カウリーが1ペニーというレートでした。

 ミラーの作った切手を使ったウガンダの郵便は、1895年3月20日に始まりました。郵便ポストは首都カンパラにあったウィルソンのオフィスに一つだけ設けられ、1日2便、エンテベおよびガヤザ宛の郵便の取り扱いがありました。この両都市宛の料金は10カウリーで、両都市以遠に関しては別途、料金が徴収されることになっていました。また、欧米宛の郵便は月に1便で、到着までには約3ヶ月かかりました。

 その後、英領植民地としての機構整備が進み、ウガンダにも最初の印刷機が持ち込まれると、1896年11月からは、印刷機を用いた現地製の切手が発行され、宣教師切手は姿を消すことになります。そして、1898年からは、ロンドンのトマス・デ・ラ・ルー社製のヴィクトリア女王を描く切手が導入され、ようやく、切手らしい切手がこの地域でも使われるようになりました。


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 体育の日
2012-10-08 Mon 10:52
 きょう(8日)は体育の日です。というわけで、今月下旬に刊行予定の拙著『喜望峰』のなかから、スポーツ関連の切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       キャンプスベイ(1990)

 これは、1990年に発行された観光宣伝切手のうち、キャンプス・ベイを取り上げた1枚で、サーファーが描かれています。ちなみに、下の画像は僕が2010年に現地を訪れた際の写真ですが、この時は海水浴を措定る人はいましたが、サーファーは見かけませんでした。

       キャンプス・ベイ(実際の風景)

 ケープタウン郊外のキャンプス・ベイのエリアは、高級ホテルやセレブ達の別荘などが立ち並ぶリゾート地として知られています。

 現在のケープタウンの基礎は、1652年、南アフリカにオランダ人入植地とオランダ東インド会社のための補給基地の建設を命じられたヤン・ファン・リーベックが上陸して築かれましたが、その時からすでに、ケープタウン郊外のこの地は東インド会社の保養地として利用されていました。

 ケープ半島沿岸の海岸の中でも、キャンプス・ベイ一帯が特に保養地として選ばれたのは、テーブル・マウンテンとそれに続く十二使徒と呼ばれる山々が南東からの季節風をさえぎり、気候が穏やかなためで、オランダ人の入植以前はサン族やコイ族などの先住民が住んでいました。

 18世紀に入ると、一帯の土地はウェルニヒ家に払い下げられましたが、1778年、当主のヨハンが亡くなり、財産を引き継いだ未亡人のアンナ・コーケモールがフレデリック・フォン・カンプスと再婚すると、いつしか、“フォン・カンプスの海岸”を意味するディー・バーイ・フォン・カンプスの地名が定着。現在のキャンプス・ベイというのは、その英語名です。

 イギリスがケープ植民地を獲得した19世紀初頭の時点では、キャンプス・ベイ一帯は未開発の自然が数多く残されていて、1814年から26年にかけてケープ植民地総督を務めたチャールズ・ヘンリー・サマーセットは、海水浴ではなく、狩猟を楽しんだといわれています。

 リゾート地としての本格的な開発が進むのは、1887年にケープタウン市内からの直通道路が開通してからのことです。道の名前は、当初の計画ではクルーフ・ロードとなっていましたが、完成翌年の1888年がたまたまヴィクトリア女王の在位50年の記念の年であったため、完成時にはヴィクトリア・ロードと命名されました。

 19世紀末、キャンプス・ベイ一帯のリゾート地としての開発が進み、多くの観光客が訪れるようになると、さっそく、ビーチと山並みを組み合わせた絵葉書が盛んに作られるようになりました。

 さて、今月下旬、切手紀行シリーズの第5巻として刊行予定の『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』は、ケープタウンと喜望峰を中心に、南アフリカの歴史をさまざまな角度から切手や郵便物、絵葉書などで再構成した歴史紀行で、キャンプス・ベイに関する絵葉書もいろいろとご紹介しています。すでにアマゾンエルパカBOOKSなどでは予約の受け付けも始まりましたが、実物が出来上がってきましたら、このブログでもご案内いたしますので、なにとぞよろしくお願いします。


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 ヴェネズエラ大統領選挙
2012-10-07 Sun 11:47
 南米のヴェネズエラで、きょう(現地時間7日)、任期満了に伴う大統領選挙が行われます。現職で4選を目指すチャベス大統領と主要野党の統一候補カプリレス氏による事実上の一騎打ちの構図で、結果は早ければ深夜にも判明する見込みだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       武器なき新千年紀

 これは、2000年、ヴェネズエラ郵政が発行した“武器なき新千年紀”の切手で、銃口をふさぐ指が描かれています。

 1999年にヴェネズエラの大統領に就任したウゴ・ラファエル・チャヴェス・フリアス(以下、ウゴ・チャヴェス)が社会主義へのシンパシーを抱くようになったのは、中学時代のこととされています。

 高校卒業後、士官学校に進学したチャヴェスは、当時、ペルーの“軍事革命政権”(ユーゴスラヴィアの自主管理社会主義をモデルにした左翼軍事政権)を率いていたフアン・ベラスコ・アルバラードや、米国とパナマ運河返還交渉を行っていたパナマのオマール・トリホスに強い影響を受け、1975年、士官学校を卒業し陸軍少尉として空挺部隊に勤務するようになると、1982年には同志を募って軍内にCOMACATEと称する地下組織を組織しました。

 1989年2月、首都カラカスで貧困層が暴動を起こすと、鎮圧のために陸軍が出動し、多数の死傷者が発生した。このことに衝撃を受けたチャヴェスは、絶望的なまでに広がっていた貧富の格差を是正することを目指して、1992年、同志を募ってクーデターを起こしたものの失敗。ただし、投降の際に彼が行ったテレビ会見は、クーデターの是非はともかく、ヴェネズエラ国民の一定の支持を得たとされています。

 その後、チャヴェスとその同志は武装闘路線を放棄し、遵法闘争に路線を転換。ソ連崩壊後唯一の超大国となっていた米国とその新自由主義に追従するばかりの既成政党を激しく批判し、富裕層や労働組合幹部による医療・福祉の独占を廃して平等な社会の実現を訴え、1999年の大統領選挙で、現状に不満をもつ貧困層の圧倒的な支持を得て、大統領に選出されました。

 政権を掌握したチャヴェスは、ラテン・アメリカ解放の父とされるシモン・ボリバルの名を冠した新憲法、ボリーバル憲法を制定し、国名をベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバル共和国に変更したほか、大統領権限を強化し、二院制だった議会を一院制に変更。キューバから2万人の医師を招いて貧困層のための無料診療制度をととのえるとともに、地主の土地を収用して農民に分配する農地改革や、為替管理や統制価格の導入、石油公団 (PDVSA) への統制強化など、反米・社会主義路線を鮮明にしていきます。

 東西冷戦の終結から10年。社会主義は歴史上の遺物とする見方が一般的となっていた中で、新たな“社会主義”政権が誕生したことに世界は驚愕。その一方で、それまで挫折感を抱いていた全世界の左派リベラル勢力がチャヴェスに大いに期待を抱いたことは間違いありません。

 同時に、チャヴェスの側も、そうしたリベラル勢力との連携により、みずからの国際的な立場を強化しようとしていました。今回ご紹介の“武器なき新千年紀”と題する切手も、“反戦”“平和”を旨とする左派リベラル勢力の心情に寄り添ったものといえましょう。

 もっとも、かつての日本では誤解している人も多かったのですが、西側世界に対して“反戦”や“平和”のプロパガンダ攻勢をかけていた社会主義諸国は決して平和勢力であったわけではありません。アフガニスタン侵攻を行ったソ連、チベットウイグルで人権弾圧を続ける中国、朝鮮戦争を引き起こした北朝鮮の例を持ち出すまでもなく、多くの社会主義国家は国民生活を犠牲にして、客観的に見れば分不相応としかいいようのない軍事支出を続けるケースはめずらしくありません。

 チャヴェス政権の場合、政権発足当初から、極端な貧困層重視の政策と強引な政治手法は既存のエスタブリッシュメントの強い反発を招き、2002年にはCIAが関与するクーデター騒ぎも起こっています。結局、このクーデターは失敗に終わり、チャヴェスは政権を回復するのだが、このときの経験から、チャヴェスはあらためて軍の重要性を痛感したといわれています。

 こうした状況の下で、2004年に入ると、国際市場での原油価格が急上昇し、ヴェネズエラ経済は時ならぬ石油バブルに沸き、潤沢な資金を得たチャヴェス政権は軍拡路線を突き進んでいくことになりました。

 米国をはじめとする西側諸国は武器禁輸措置によって、反米に舵を切ったチャヴェス政権を封じ込めようとしたが、かえって、その穴を埋めるように、ロシア製を中心に、中国製、スウェーデン製の兵器がヴェネズエラで大量に流入します。具体的には、2006年のプーチン=チャヴェス会談の結果、ヴェネズエラはロシアのスホーイ30多用途戦闘機24機の購入契約を結び、陸軍の制式自動小銃をベルギーのFN FALからロシアのAK-103に変更。この結果、スホーイ戦闘機24機とヘリコプター53機も含め、2005-06年の間に両国間で交わされた兵器の売買契約は総額およそ30億ドルにものぼりました。

 ヴェネズエラが急激に軍備を増強させれば、当然のことながら、近隣諸国との軍事バランスは崩れ、地域の不安定化につながります。

 はたして、2008年、隣接する親米国家のコロンビアが国内の反政府左翼ゲリラ“コロンビア革命軍”討伐のため、エクアドルに対して越境攻撃を行い、両国関係が緊張すると、チャヴェス政権はコロンビアを非難し、コロンビア国境に軍を集結させ、アンデス危機と呼ばれる一触即発の状況が到来しました。

 このときは、米州機構の仲介により、コロンビアが謝罪することで事態は一応収拾されましたが、ヴェネズエラはロシア大統領のドミトリー・メドヴェージェフをカラカスに招き、ロシアとの合同軍事演習を行い、コロンビアの背後にいる米国を牽制しています。

 また、2009年7月、コロンビアはコロンビア革命軍に対してヴェネズエラ政府がスウェーデン製の対戦車砲を転売したと公に指摘。これに対して、チャヴェスは即座に否定し、報復措置として、コロンビアとの外交関係凍結を発表しました。

 さらに、コロンビア革命軍は麻薬カルテルとも深いつながりがあるとされていますが、コロンビア政府は、2009年8月、麻薬組織対策のために駐留米軍の増強を計画していることを発表。その背景にはヴェネズエラを牽制する意図があるのは明白でしたから、チャヴェスはこれをヴェネズエラに対する“敵対行為”であるとして激昂。ロシア製の戦車を多数調達すると発表して対抗しています。

 実際に、同年8月14日、米・コロンビアの軍事同盟が発効すると、チャヴェスはこれに対して“宣戦布告”と猛反発し、コロンビアとの断交も辞さないとの姿勢を明らかにします。チャヴェスによれば、「コロンビアと米国はヴェネズエラ攻撃をたくらんでおり、両国政府が一緒になって世界を欺こうとしている」のだそうです。いずれにせよ、“武器なき新世紀”の切手を発行したヴェネズエラという国が斯様な状況にあるという現実を、無邪気な反戦平和主義者の方々にも十分理解しておいていただきたいものですな。

 さて、ヴェネズエラの大統領選挙は直接投票による単純多数で勝者を決め(決選投票はなし)、新大統領は2013年1月10日に就任し、任期は6年となるそうです。事前の世論調査ではチャベス大統領が優位となっているものの、カプリレス候補も急速に支持を伸ばしているのだとか。カプリレス候補は外国企業の投資促進、外交では極端な反米路線の見直しを主張しており、仮に彼が勝利することになれば、良くも悪くも特異な存在として世界の耳目を集めてきたチャベス大統領は退場し、ヴェネズエラもフツーの国への復帰を目指すことになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 シリアからハタイへ着弾
2012-10-06 Sat 14:51
 きのう(5日)、内戦が続くシリアからトルコ南部ハタイ県アルトゥノズに迫撃砲弾が着弾し、トルコ軍がシリア側に直ちに反撃しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ハタイ国旗

 これは、1939年に発行されたハタイ独立共和国の切手で、同国の国旗が描かれています。

 第一次大戦後、フランスは現在のシリア国家の領域を委任統治下に置き、典型的な分割統治を行いました。その一環として、1922年、シリアはダマスカス国、アレッポ国、エッドゥルーズ(ドゥルーズ派国)、アラウィー派国)の緩やかな連邦に再編されます。このうち、アラウィー派国はラタキアを中心とする海岸部に設定され、アラウィー派住民による自治が認められました。

 その後、シリアでフランスからの独立運動を求める民族主義運動が発生すると、1936年、フランスは妥協策としてフランス・シリア友好条約を締結。結果的に第二次大戦により延期されたものの、3年後の完全独立が決められ、アラウィー派国とドゥルーズ派国はシリア本土に合流することになりました。

 ところで、旧ラタキア国ではアラブ系が多数派を占めていましたが、例外的に、アレクサンドレッタ県ではトルコ系住民が多かったため、アラブが圧倒的多数を占めるシリアへの合流に反対が強く、分離運動が展開されていました。このため、1937年、国際連盟は、アレクサンドレッタ県をハタイ自治州とし、トルコ語を公用語として自治を行う一方、財政・外交をシリアが管理する仲裁案を提示します。

 ところが、国際連盟の仲裁案を受けて、1938年にフランスの監視下でこの地域で議会選挙が行われると、トルコ系議員が過半数を獲得。同議会はハタイ独立共和国の独立を宣言しました。今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、ハタイ独立共和国の名義で発行された切手です。切手がトルコ語表示となっていることに加え、国旗のデザインもトルコ国旗と酷似しており、トルコとの一体性をアピールしようという意図がはっきりと見て取れます。

 その後、ハタイはトルコとフランスの軍事的管理下を経て、1939年7月、国民投票に基づいてトルコの県となりました。その結果、この地域のアラブやアルメニア人はハタイから離れ、シリアの他の地域に移住していくことになりましたが、今回の内戦で、シリア領内からトルコ・ハタイ県へと逃れるアラブ系難民も少なくありません。

 さて、トルコとシリアの国境地帯では、今月3日にも、トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレでシリア側からの砲撃で住民5人が死亡する事件があったばかりです。現時点では、両国ともに衝突拡大は回避する姿勢ですが、シリアのアサド政権に対して批判的なトルコ政府はシリア反体制派への武器供与などの支援を強化しており、アサド政権も反体制派への攻撃を緩める気配はありませんので、当面、両国の国境付近では緊張状態が続くことになりそうです。


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 リュウキュウヤマガメの切手
2012-10-05 Fri 18:54
 環境省は、きょう(5日)までに、同省のレッドリストで絶滅危惧種(2類)とされている沖縄県のリュウキュウヤマガメについて、来年3月にタイで開かれるワシントン条約締約国会議で、国際的な商取引を規制するよう提案する方針を固めたそうです。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

       リュウキュウヤマガメ

 これは、1976年3月25日、自然保護シリーズの1枚として発行された“リュウキュウヤマガメ”の切手です。

 リュウキュウヤマガメはカメ目潜頚亜目イシガメ科オナガヤマガメ属に分類されるカメで、日本の固有種。沖縄本島北部、渡嘉敷島、久米島に生息し、淡水棲ですが、ほとんど水の中に入ることがなく、沖縄本島北部の与那覇岳などの水の流れに近い林の中でミミズや地中に棲む虫、植物の芽などを食して生活しています。甲羅の背には三条の狭い縦突起があり、周縁はのこぎり歯状です。色は甲羅の背が褐色、縦突起が暗褐色、腹面は黒、腹甲の縁は黄色です。沖縄ではヤンバルガメとも呼ばれ、1975年に天然記念物にも指定されました。

 現在、リュウキュウヤマガメは天然記念物として捕獲が禁止されていますが、海外やネットオークションでは数十万円で取引されていることもあり、環境省は「国外に密輸されている可能性が高い」として国際的な規制も求めることにしたそうです。

 なお、ワシントン条約に基づいて、日本が野生生物の輸出入規制(国際的な商取引に際しては、輸出国政府が発行する許可書が必要)を提案するのは、今回が初のケースなんだとか。リュウキュウヤマガメ以外にも、わが国から国外に密輸されている絶滅危惧種はあるでしょうから、今回の事例を皮切りとして、きちんと対策を講じていただきたいものですな。


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 小さな世界のお菓子たち:ブラウニーの切手
2012-10-04 Thu 23:10
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第17号(2012年夏秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       グレナダ・ブラウニー

 これは、カリブ海の島国、グレナダが2011年に発行したチョコレートの切手シートで、ブラウニーが取り上げられています。

 カリブ海南部、ベネズエラの対岸にある島国のグレナダは、1498年にコロンブスが“発見”しました。島の名前は、ザクロを意味するスペイン語のグラナダに由来するそうです。

 1650年、この島はフランスの植民地となり、綿花、コーヒーとともに、カカオのプランテーション栽培が始まります。その後、1762年に英領となり、第二次大戦後の1974年に独立しました。

 現在、グレナダで栽培されているカカオは、味覚・色ともに優れたファイン・カカオ(全世界のカカオの上位およそ5%)のうち、最高級品とされるトリニタリオ種です。

 もともと、グレナダの南方にあるトリニダード島ではクリオーロと呼ばれる種類のカカオが栽培されていましたが、カカオ農園がハリケーンのため壊滅。その後、フォラステロと呼ばれる別の種類のカカオが栽培されるようになりました。このフォラステロ種と、ハリケーンで生き残ったクリオーロ種の間で自然交配が起こって生まれたのがトリニタリオ種です。

 トリニタリオ種は、二つの種の長所を受け継ぎ、病気に対する体制も強かったため、カリブ海のカカオ農園で急速に広まっていきましたが、なかでも、清流に恵まれ、山地におおわれたグレナダの気候は、トリニタリオ種の生育条件として最適で、花のような香りとやわらかなスパイス香をあわせもち、力強いコクとわずかな苦みを特徴とする“特級品”とされる理想的なカカオ豆を生み出しました。

 昨年(2011年)、グレナダで発行された「グレナダの輸出品」と題する切手には、同国自慢のトリニタリオ種カカオを使ったプラリネ・チョコレートとブラウニーが取り上げられましたが、この切手にはトリニタリオ種カカオの香りがつけられています。チョコレートお切手は世界各国で発行されており、その中には、香りつきのモノも時々あるのですが、今回ご紹介の切手はその中でも最もゴージャスな香りがするのではないかと思います。

 なお、ブラウニーの切手のシートにつけられたQRコードを読み取ると、ブラウニーのレシピにアクセスできる仕掛けになっています。レシピを見ながら、2次元の切手を自宅で3次元のスイーツとして再現してみるのも楽しそうですね。

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 文楽協会への補助金継続へ
2012-10-03 Wed 23:20
 大阪市の橋下徹市長が文楽協会への補助金凍結を表明した問題で、橋下市長と文楽協会の技芸員(演者)との公開での意見交換会が、きょう(3日)、市役所で行われ、橋下市長は終了後、今年度補正予算に計上した補助金約3900万円の凍結を解除する考えを明らかにしました。まずは一安心というわけで、きょうは文楽の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       文楽・八重垣姫

 これは、1966年11月1日に発行された「国立劇場開場」の記念切手のうち、文楽から題材をとった1枚で、『本朝廿四孝』の八重垣姫が取り上げられています。

 『本朝廿四孝』は、非常に人物が入り組んでいて複雑な物語なのですが、八重垣姫に関する部分だけ抜き出すと、以下のようになります。

 戦国時代の武将、武田信玄と上杉謙信は、天下を狙う美濃の斎藤道三を欺くために宿敵として戦っている風を装いつつ、武田の嫡男・勝頼と上杉の息女・八重垣姫との婚約を整えました。

 将軍・足利義晴が何者かに暗殺され、疑われた武田と上杉は犯人逮捕に3年間の猶予を申し出たものの、犯人は逮捕できず、武田家に現れた武将・村上に嫡男・勝頼は殺されてしまいました。

 しかし、殺されたはずの勝頼は、実は武田の家老・板垣兵部が、実子が生まれた時に武田の嫡男・勝頼と自分の子供とすり替えていた人物で、板垣は実子が殺されるのを防ぐため、勝頼に似た簑作という田舎の若者を連れてくるものの間に合わず、板垣の実子は殺されていました。

 その後、蓑作は上杉に貸し出された武田の秘宝の兜を奪還するため、上杉謙信に家臣として仕え、勝頼の許婚だった八重垣姫に出会います。姫は勝頼とそっくりの簑助に激しい恋心を抱き、簑作にすがりつきます。そして、蓑作のために、父に背いて兜を盗み出しました。

 兜を手に入れた蓑作は上杉のもとを発ちますが、謙信は簑作を討つように追っ手を出します。そのことを知った八重垣姫は、簑作の危機を伝えるために奥庭の神殿に祈願。すると、兜を守護する白狐の霊が姫に乗り移り、姫は白狐に守られて簑作に危機を伝えました。

 なお、『本朝廿四孝』は文楽のみならず歌舞伎でもしばしば上演される演目で、1991年に発行された「歌舞伎シリーズ」の切手には六世中村歌右衛門の演じる八重垣姫が取り上げられています。

 今回ご紹介の切手は、切手趣味週間サイズの大型で、グラビア5色刷の美麗なものであったことから、発行されると収集家のみならず一般の人々の間でも大いに評判を呼び、『スポーツニッポン』紙近畿版に掲載された「昭和41年中に発行の日本の記念、特殊切手ベスト3」では、アンケートの結果、第1位に選ばれています。そういうこともあって、僕も、拙著『切手百撰 昭和戦後』に取り上げてみましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 ファイターズがV
2012-10-02 Tue 22:49
 プロ野球のパ・リーグは、きょう(2日)、北海道日本ハムファイターズが3年ぶり6度目(前身の東映時代含む)の優勝を果たしました。というわけで、“ファイターズのV”にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       南ア・第二次大戦勝利

 これは、1945年12月3日、南アフリカで発行された第二次大戦勝利の記念切手のうち、Vの字を背景に国旗を掲げる戦士を描いた1ペニー切手で、左側が英語表示、右側がアフリカーンス語表示の連刷です。

 1910年に発足した南アフリカ連邦の初代首相には、ボーア戦争後、旧トランスヴァールの首相を務めたルイス・ボータが就任し、1919年にボータが急死した後はボーア戦争の軍事的英雄で第一次大戦の指揮官でもあったヤン・スマッツが政権を継承しました。これに対して、白人至上主義を唱えるジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォークらは、ボータならびにスマッツの南アフリカ党政権が親英的で黒人に対して譲歩しすぎると批判。1914年、国民党を結成します。

 ヘルツォークの国民党は1924年の総選挙で政権を獲得し、新国旗の制定などアフリカーンス民族主義の制作を推進するとともに、白人労働者にのみ労働者の権利を認める(=黒人およびカラードの労働者には権利を認めない)産業調整法を制定するなど、黒人とカラードの犠牲の上に白人の権利を確保する セグレゲーション(隔離)政策を強烈に推進しました。

 1929年、世界大恐慌が起こると、南ア経済も深刻な打撃を受けたため、国難を打開するには超党派の連立政権を樹立すべしとの声が高まり、1933年、国民党と南アフリカ党は合同し、あらたに統一党(連合党とも)が結成されました。首相の地位には、ヘルツォークがそのまま留まります。

 しかし、旧国民党内の強硬派は、対英協調路線を掲げるスマッツら旧南アフリカ党との連立を潔しとせず、1934年、ダニエル・フランソワ・マランを党首として純正国民党を結成しました。

 1939年、ヘルツォークに代わり、再び政権を掌握したスマッツは、英連邦、すなわち連合国の一員として第2次大戦に参戦することを決定。第2次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保します。今回ご紹介の切手は、そのことを記念して発行されたものです。

 その一方で、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大。連合党がこれに譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判し、1948年の総選挙では、マランの率いる国民党が第一党に躍進。政権を獲得してしまいました。

 このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンで、南アは世界最悪の人種差別主義国家への道を歩んでいくことになるのです。

 さて、毎年秋に刊行している彩流社の<切手紀行シリーズ>の第5巻として今月末に刊行予定の拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』は、ケープタウンと喜望峰を中心に、今回ご紹介の第2次大戦やアパルトヘイトの話を含む南アフリカの歴史をさまざまな角度から切手や郵便物、絵葉書などで再構成した歴史紀行です。すでにアマゾンでは予約の受け付けも始まりました。実物が出来上がってきましたら、このブログでもご案内いたしますので、なにとぞよろしくお願いします。


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 * 10月2日のお試し講座は無事終了いたしました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
 
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