内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界漫郵記:ゴア②
2012-11-30 Fri 23:12
 『キュリオマガジン』2012年12月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、ゴアの2回目です。その記事で使ったモノの中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      マンドヴィー川絵葉書(絵面)     マンドヴィー川絵葉書

 これは、ゴア市内を流れるマンドヴィー川を行きかう船を取り上げた1945年の絵葉書です。葉書はポルトガル領モザンビークからポルトガル本国のセトゥーバル宛(7月の着印はありますが、差出時の日附は読めません)で、経由地の南アフリカ共和国(南ア)で検閲を受けたことを示す印が押されています。検閲印の文言は、英語の“PASSED BY CENSOR”とアフリカーンス語(南アのオランダ系白人の言語)の“DEUR DIE SENSOR COEDCRKEUR”というバイリンガルです。

 第二次大戦中、ポルトガルは中立国だったため、ポルトガル領のマカオやゴア、モザンビークは、連合国・枢軸国の双方にとって、物流の重要な拠点となっていました。この葉書の差出人も、ゴアでこの葉書を買ってモザンビークへと移動し、そこから葉書を差し出したのではないかと思われます。
 
 さて、マンドヴィー川では一日に何便か川下りの船が出ていて、僕も、夕暮れ時のクルーズに参加しました。

 18時15分の出発に合わせて、18時ちょうどに船に乗り込むと、白人の老夫婦など、ビデオカメラを構えた観光客の姿がちらほらと見えたのですが、出発の時刻が近づくにつれ、外国人観光客よりも地元の若者と思しきインド人の数が増えて行き、出発時には、満員の船内で、明らかに外国人という風情の人間は圧倒的少数派に転落してしまいます。

 定刻を少し過ぎて船が動き出し、対岸の建物や看板などを見ていたら、突如、ビートの効いた音楽が大音量で鳴りだし、夕陽を背にダンサーたちが踊りだすと、それに合わせて、地元のインド人たちも舞台下のフロアでガンガン踊りだし、船内は一挙にディスコと化し、白人の老夫婦は目をぱちくりさせていたのが印象的でした。

 老夫婦が期待していたのは、遊覧船で川下りをしながら、船から見える建物や景色についての解説を聴き、安手の民族舞踊などを見るという、型通りの“リバー・クルーズ”だったのでしょう。明らかに場違いなスペースに迷い込んでしまった老夫婦には、お気の毒様としか言いようがありませんでしたな。
 
 今回の記事では、インド人のノリノリのダンス空間の様子なども含めて、マンドヴィー川クルーズの様子を取り上げてみました。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 切手で訪ねるふるさとの旅:和歌山県
2012-11-29 Thu 14:11
 ご報告が遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第18号(2012年11月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は和歌山県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

         橋杭岩

 これは、1949年4月10日に発行された「吉野熊野国立公園」の切手のうち、“橋杭岩”の切手です。

 橋杭岩は、東牟婁郡串本町の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列に並ぶ奇石群で、岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることからこの名がつけられました。伝承によれば、一晩のうちに弘法大師が天の邪鬼と沖合の島まで橋をかける競争をした際、まともに戦っては勝てる見込みがないと考えた天の邪鬼が鶏の声を真似、朝が来たと勘違いした弘法大使が橋の杭を作っただけで作業を止めた名残だといわれています。

 さて、『散歩人』の記事では、地図をバックに、今回ご紹介の切手のほか、熊野古道、和歌山城、潮岬灯台、高野山那智瀧、友ヶ島などをご紹介しています。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 切手に描かれたソウル:北岳山
2012-11-28 Wed 08:23
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』11月16日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は大統領官邸・青瓦台の背後にそびえる北岳山を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       北岳山     青瓦台と北岳山

 左は2007年4月5日に発行された“北岳山全面開放”の記念切手で、右は、今年8月、青瓦台前から撮った北嶽山の写真です。

 ソウルの基本的な地形は、四方を山に囲まれ、漢江が東西を流れる構造となっていますが、北岳山は、その名の通り、その北側の主峰で、白岳山とも呼ばれています。花崗岩が基盤で、ソウルを囲んでいる内四山(北岳山、南山、駱山、仁王山)の中では、一番高いのだが、それでも、高さは約342メートルしかありません。

 したがって、物理的に登っていくのは決して難しくはないのですが、青瓦台を近くから見下ろす位置にあることもあって、周辺一帯は特定警備地域に指定されており、3カ所の入口(馬岩・彰義門・粛靖門の各案内所)から先のハイキング・コースへは、身分証がなければ入ることはできません。

 この地域への立入規制が特に厳しくなったのは、1968年1月、朴正煕大統領(当時)の暗殺を企てる北朝鮮の特殊部隊(第124部隊第1中隊第1小隊)が休戦ラインを突破して青瓦台から800メートルの地点にまで侵入した“青瓦台襲撃未遂事件”の影響です。この時、北朝鮮の特殊部隊が侵入したのは北漢山でしたが、青瓦台に近い北岳山も当然のことながら規制の対象となり、事件後、およそ40年間にわたって一般国民は自由に立ち入ることができなくなりました。

 北岳山への一般の立ち入りが一部解放されたのは盧武鉉政権下の2006年のことで、おそらく、その背景には、同政権による対北融和政策があったのでしょう。この時は、まず、粛靖門付近の1.1キロの区間が開放され、ついで翌2007年には馬岩案内所から彰義門までの4.3キロの区間が全面開放されました。

 今回ご紹介の切手は、2007年の北岳山の全面開放に合わせて発行されたもので、山中の粛靖門が描かれています。鉛筆画風のタッチで描かれた門楼と石垣は、山中の静謐な雰囲気が良く表現された1枚です。

 切手に取り上げられた粛靖門は別名・北大門とも呼ばれ、南大門・東大門・西大門とならぶ4大門の一つとされており、おなじく北岳山中にある彰義門は、この北大門と西大門の中間に位置しています。

 北岳山中にある二つの門は、朝鮮王朝時代の1413年、風水を理由として通行が禁じられたそうです。日本統治時代には、朝鮮王朝による禁令は解かれたが、山中ゆえに訪れる人も少なく、さらに、1968年の青瓦台襲撃未遂事件以降、周辺一帯にはほとんど人が立ち入らなくなったため、下界の開発がどんどん進められていくのとは裏腹に、結果として、天然の森の豊かな自然が保存されることになりました。

 粛靖門も長らく石門のみが残る質素なものでしたが、現在では復元され、楼上からは木々の向こうに、高層ビルが立ち並ぶソウルの街並みが一望できます。全面開放に先立ち、チョン・ギヨン文化財委員(当時)は「ここでソウル市を眺めるとソウルを愛する気持ちがわいてくるほど美しい所」だとメディアの取材に答えていたが、たしかに、ソウルを代表する絶景ポイントであることは間違いありません。

 さて、わが国では解散・総選挙一色のきょうこの頃ですが、韓国でも、12月19日投開票の大統領選に向けて、きのう(27日)から公式の選挙戦がスタートしました。これに伴い、テレビなどで青瓦台の映像が流れる機会も増えるでしょうが、それにあわせて、背景の北岳山のメディアへの露出も増えるはずですので、そのときは、このブログ記事のことも思い出していただけると幸いです。


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 無事、帰国しました
2012-11-27 Tue 23:04
         コミッショナー・メダル授与(シャルジャー)

 本日(27日)夕方、無事、アラブ首長国連邦(UAE)から帰国いたしました。アジア国際切手展<SHARJAHA 2012>の会期中、現地では、日本人出品者の和田文明さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。(冒頭の写真は、関係者の慰労を兼ねたエクスカーションの際、FIAPコーディネーターのマイケル・ホー氏から、コミッショナーとしての参加証とメダルを頂戴している場面です。僭越ながら、“日本代表”のポロシャツを着ています。)

 さて、今回の切手展はUAEの郵政丸抱えによる開催ではなかったようで、切手展の記念切手は発行されませんでしたが、代わりに、現地で最新の記念切手として購入してきたのが下の切手です。

         UAEヘビ切手

 これは、今年11月1日に発行された“(UAEの)砂漠の蛇”の小型シート形式の切手で、UAE領内の砂漠地域に生息するヘビを取り上げた5種が取り上げられています。通常のシート切手では、それぞれの切手に額面が入っていますが(上段左から1UAEディルハム、150フィルス=1.5UAEディルハム、3UAEディルハム、下段左から4UAEディルハム、550フィルス=5.5ディルハム)、小型シートでは“切手”部分には額面は入っておらず、シート全体で25UAEディルハムという額面表示になっています。不覚にも、この点については現地では気が付かず、帰国途中の飛行機の中で切手を眺めていてようやく気が付きました。ちなみに、現地から日本宛の郵便料金は、航空便の基本料金が6UAEディルハム、書留が11.5UAEディルハムでした。

 さて、今回の<SHARJAH 2012>で2012年の主要な郵趣イベントは事実上終了したわけですが、その最後の切手展の会場で売られていた最新の切手が、来年の干支のヘビの切手というのも、偶然とはいえ、なかなか面白いですな。

 なお、来年は5月にメルボルン、8月にバンコク、11月にリオデジャネイロで、それぞれ、世界展が予定されています。僕自身は、5月のメルボルン展はお休みを頂戴し、次回は夏のバンコク展への参加を予定しております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。


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 <SHARJAH 2012>終了
2012-11-26 Mon 04:43
 20日(以下、現地時間)に開幕したアジア国際切手展<SHARJAH 2012>は、きのう(25日)、無事閉幕し、作品もピックアップしてきました。きょうは夕方までにドバイに移動し、夜の飛行機でバンコクに向かい、明日の午後、成田へ到着する予定です。というわけで、道中の無事を祈り、シャルジャー発の実逓カバーを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         シャルジャー・米宛書留     シャルジャー・米宛カバー(裏面)

 これは、1964年3月1日、シャルジャーからアメリカ・オハイオ州のオレゴン宛に差し出された書留航空便で、経由地のトルフォックの中継印ならびに到着地のオレゴンの到着印が押されているのが嬉しいところです。なお、裏面の角印は“シャルジャーならびに属領政府”のもので郵政当局によるものではありません。

 貼られている切手は飢餓救済運動の切手に改値加刷したもので、表裏合わせて4枚の額面合計は計3ルピー(300ナイエ・パイサ)です。

 さて、今回のシャルジャー展が終わると、来年は5月にメルボルン、8月にバンコク、11月にリオデジャネイロで、それぞれ、世界展があります。2010年のヨハネスブルク展以来、去年・今年と国際展(世界展+アジア展)には何らかのかたちで欠かさず参加してきましたが、来年のメルボルン展はひさしぶりにお休みを頂戴し、次回は夏のバンコク展に参加できれば…と考えております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。

 なお、最後になりましたが、今回の切手展では、出品者の和田文明さんをはじめ、多くの方々に当地にていろいろとお世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 バンコクで大規模な反政府デモ
2012-11-25 Sun 12:33
 タイの首都バンコク中心部のラーマ5世(チュラーロンコーン)騎馬像前広場で、きのう(24日)、インラック首相の退陣を求める勢力が大規模集会を開催。警官隊の規制線を突破しようとしたデモ隊に対して、国連バンコク事務所前で警察が催涙ガスを発射するなど、一部で衝突が発生し、警察によると双方で計40人以上が負傷(うち警官2人がデモ隊のトラックにひかれるなどして重体)、約130人が警察に拘束されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         ラーマ5世騎馬像(40ティカル)

 これは、1908年11月11日に発行されたラーマ5世在位40年の記念切手で、バンコク・ドゥシット地区の旧国会議事堂前の国王騎馬像(銅像)が取り上げられています。なお、切手の発行日は銅像の除幕式の日です。2年前の2010年10月、僕は南アフリカ・ヨハネスブルグで開催の国際切手展<JOBURG 2010>に参加のため、バンコク経由でヨハネスブルグに向かいましたが、たまたまバンコクに立ち寄った日はラーマ5世の誕生日を祝う記念日の10月23日の翌日にあたっていたため、今回の騒動の場所となった広場一帯と銅像はこんな感じに飾り付けられていました。

         ラーマ5世騎馬像(2010年)


 さて、今回のご紹介の切手に取り上げられた騎馬像は、国王の在位40年を記念すべく、国民から浄財を募って建設されました。なお、国民から集められた浄財は、建設費用を大きく上回ったため、その剰余金を基金として公務員養成学校が作られています。これが現在のチュラーロンコーン大学のルーツです。

 銅像の制作作業は、前年(1907年)、国王が二度目のヨーロッパ歴訪を行った際、パリでフランス人彫刻家のジョルジュ・ソーロが外遊中の国王に直接謁見して開始されました。銅像は、王宮の東北、ドゥシット地区に近代都市を建設するという開発計画の一環としても位置づけられていたため、ヴィクトリア朝後期のロンドンを強く意識した都市のプランに合わせて、騎馬像の形式も、馬が足を上げたフランス式ではなく、4足すべてが地面に着いた英国式が採用されています。なお、銅像の除幕式は1908年11月11日に行われ、国王自らが幕を引いて像の完成を祝いました。

 今回ご紹介の切手の凹版印刷は、ドイツ・ライプツィヒのギーゼッケ・デブリエント社が手がけた見事なもので、タイ切手を代表する1枚です。日本で言う“見返り美人”や“月に雁”のような存在といったらいいでしょうか。

 さて、タイは個人的には大好きな国の一つで、拙著『タイ三都周郵記』を書いただけでなく、現在も雑誌『タイ国情報』で「泰国郵便学」の連載を担当しております。個人的な友人も少なからずおり、先日も、ドバイへ行くための経由地として立ち寄ったばかりです。当然、あすの帰国もバンコク・ドンムアン空港を経由して、ということになります。それだけに、今回の一件も、これ以上の大事にならないよう、切にお祈り申しあげる次第です。

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 <SHARJAH 2012>受賞速報
2012-11-24 Sat 04:03
        シャルジャー展メダル

 今月20日(以下、現地時間)からアラブ首長国連邦(UAE)シャルジャーで開催中のアジア国際切手展<SHARJAH 2012>ですが、正式な受賞結果が発表となりました。日本からの出品に対する賞の結果は、以下の通りです。(以下、リストは出品者名は日本語表記、作品名は英文でリスト記載のとおりです。カッコ内は点数ですが、速報値ゆえ、誤りなどがありましたらご容赦ください)

・井上和幸 Japan Definitives: KOBAN 1883-1892:金(90)
・児玉博昭 Japan: General Nogi 2 Sen Issue 1937-1947:金銀(84)
・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide Services:金銀(81)
・玉木淳一 Postal History of the Japanese Military Mail 1894-1921:大金銀(88)
・岡本哲 Japanese Postal History of Official Compulsory Delivery for Lawsuit Documents:大銀(75)
・和田文明 U.S. Post Office Department/ Official Business Airmail, 1911-1945:大銀(75)
・榎沢祐一 Urban Public Transit and its Background from the Industrial Revoulution to the Present Time:大金銀(85)

(以下、文献)
・井上和幸 Korean Postal History - Japanese Post in Korea and Foreign Postal Activities 1876-1910:金銀(83)
・井上和幸 Record of the Rarest Japanese Stamps from Tei-park Communications Museum collection:審査対象外
・(公財)日本郵趣協会 Japanese Classics 1871-1876:金銀(83)
・(公財)日本郵趣協会 Military Mail:大銀(78)
・正田幸弘 A Guide book to Philatelic Literatures:銀(71)
・(株)鳴美 Opening of the Japan Post :大銀(78)
・(株)鳴美 Japanese Postal History of Official Compulsory Delivery for Lawsuit Documents:金銀(80)
・吉田敬 Stampedia Philatelic Journal:金銀(81)
・(株)鳴美 Japanese Fiscal Stamp Catalogue:大銀(78)

 あらためて、受賞された皆様には、心よりお祝いを申し上げます。なお、審査対象外となった文献は、出品者は井上和幸さんですが、書誌データに記載されている主たる編著者の一人が審査員の内藤であるため、審査の対象外となりました。出品申し込みの時点では、内藤が今回の切手展の審査を担当することが正式に決まっていなかったため出品申し込みが受理されてしまったのが原因で、関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを、コミッショナーとして深くお詫び申し上げます。 

 さて、冒頭に掲げた画像は今回の切手展のメダルで、UAEの象徴としてナツメヤシの木がデザインされています。デザインのイメージとしては、なんとなく、下の切手に似ているように感じるのは僕だけでしょうか。

        休戦協定諸国(75NP)

 これは、1961年1月、UAEの前身にあたる“休戦協定諸国”7ヵ国共通の切手として発行された切手で、7つの首長国にちなみ、7本のナツメヤシを取り上げられています。

 現在のUAEに相当する地域では、当初、ドバイにしか郵便局がありませんでしたが、第二次大戦後の石油開発に伴い、イギリスはこの地に郵便網を拡大することを計画します。そうした背景の下、今回ご紹介の切手は休戦協定諸国で共通に使うための切手として発行されたもので、まず、ドバイの郵便局で使われた後、順次、他の首長国で解説される郵便局でも使われる予定となっていました。

 ところが、長年にわたってドバイとライバル関係にあったアブダビが、「7本のナツメヤシの大きさに大小があるのは、休戦協定諸国間の平等という原則に反している」として切手のデザインにクレームをつけてきました。アブダビにしてみれば、切手のデザインでは一番大きな木がドバイで、自分たちは格下に描かれていると理解したのでしょう。そして、1960年末に開設された油田地帯のダス島の郵便局でこの切手を使うことを拒絶しました。(ちなみに、ダス島の郵便局はアブダビ内に設けられた最初の郵便局です)

 結局、こうした事情から、この切手はドバイでしか使われずに終わり、シャルジャーを含む他の休戦諸国は、順次、独自の切手を発行し始めたというわけです。

 さて、切手展はあす(25日)が最終日で作品の撤去という大仕事が待っています。賞が決まったからと言って気を抜かず、最後まで気合を入れて乗り切っていかねば。

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 勤労感謝の日
2012-11-23 Fri 05:17
 きょう(23日)は勤労感謝の日です。というわけで、拙著『喜望峰』の中から、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         南ア・カルヴァン

 これは、1964年7月10日に南アフリカで発行されたカルヴァン没後400年の記念切手です。

 ジャン・カルヴァンは1509年、フランス・ノワイヨン生まれ。1536年、スイスのバーゼルで『キリスト教綱要』(初版本)を刊行し、プロテスタントのうち、後に改革派と呼ばれることになる宗派の基礎となる“予定節”を確立しました。

 彼の説いた予定説は、人間の魂は自らの意志によって救済されるのではなく、神の意志によって前もって定められており(=魂の救済と教会や教皇の意志は無関係)、神の恩寵は、神が選んだ者にのみに与えられるというものです。そのうえで、救済を得るためには社会生活における実践が重要であり、禁欲主義の下、みずからの職業を神から与えられた天職として勤労に励めば、必ず救済を得ることができるとされました。職業に励めば、結果的に利潤が生まれますから、カルヴァンの思想は新興の勤労市民階級を鼓舞し、その後の資本主義の基礎を築いたというのが教科書的な理解となりましょう。

 その後、カルヴァンの教えはヨーロッパ各地に広がりましたが、そのうちオランダの改革派教会では、1618-19年のドルトレヒト会議により、以下の5点を軸とする“ドルト信仰基準”を決定しました。すなわち、

 ①全的堕落:堕落(アダムとイブの天界追放)後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
 ②無条件的選び:神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる。
 ③制限的贖罪:キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
 ④不可抵抗的恩恵:予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
 ⑤聖徒の堅忍:いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。
 
 というものです。

 現在の南アフリカの地に入植したオランダ改革派の信徒とその子孫たちは、この信仰基準のうち、②―④の極端な解釈に基づき、アフリカーナーを含む白人のみを“選ばれた者”とするアパルトヘイト政策が展開されていくことになりました。ただし、こうした解釈は世界の改革派教会の中でも例外的な現象で、改革派教会が必ずしも人種差別主義を唱えていたということではありません。

 なお、南アフリカ、特にケープタウンとその周辺におけるオランダ改革派については、拙著『喜望峰』でも概説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 イスラエルとハマスの停戦合意
2012-11-22 Thu 11:01
 今月14日から、いわゆるイスラム原理主義組織のハマスが実効支配するガザ地区へイスラエルが空爆を繰り返し、その報復とみられるバスを狙った爆弾テロがテルアビブで発生し、多数の死者が出ていた問題で、イスラエルとハマスがきのう(21日)、停戦合意に達しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ガザ・国連停戦監視

 これは、1960年11月21日、ガザに駐留していた“第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF I)”の広報部門が差し出した帯封です。国連マークの入った印が押されているのがいいですな。

 1956年10月29日、エジプトによるスエズ運河の国有化をめぐって、第二次中東戦争が勃発します。通常なら、この紛争は国連安保理で対応が協議されることになるのですが、この戦争では當事者の英仏が常任理事国となっていたため、緊急総会が開催され、紛争当事国に対して、停戦とスエズ運河通航の再開が求められました。また、その一環として、関係国の同意を得たうえで派遣する国連主導の軍隊として、国際連合緊急軍(UNEF)が設立されることとなり、11月8日の停戦後、同月15日から現地での活動が開始されました。

 UNEFの任務は、停戦の監視および英仏イスラエル3国のエジプト領内からの撤退確認で、最大人員規模は約6000名。1957年3月に最後まで残っていたイスラエルが第一次中東戦争時の休戦ラインまで撤退した後も、エジプト・イスラエル国境のエジプト側に展開し、第三次中東戦争直前の1967年5月16日まで、停戦監視を続けました。

 さて、今回の停戦合意により、イスラエルによるガザへの地上部隊投入はひとまず回避されましたが、合意直後にハマスがイスラエル側にロケット弾を撃ち込むなど緊張は解けておらず、合意が実効性のあるものとなるかどうかは依然、不透明な状況です。このため、停戦を仲介した米国やエジプト、アラブ連盟などは双方に合意順守を促すとともに、停戦を持続させるための監視体制の構築が必要とみられており、それに伴う新たな郵趣マテリアルが現れるということになるかもしれません。


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 <SHARJAH 2012>開幕
2012-11-21 Wed 10:37
 現地時間の20日、アジア国際切手展<SHARJAH 2012>が、アラブ首長国連邦(UAE)・シャルジャーのメガモールで開幕しました。下の画像は、現地時間の20日夜に行われた切手展の開会式に続いて市内のホテル、ホリデイ・インターナショナルで行われたパーティーでの組織委員長兼審査委員長のアブドゥラ・フーリーさんの挨拶の写真です。

         シャルジャー展ウェルカムパーティー

 というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         シャルジャー最初の切手

これは、1963年に発行されたシャルジャー最初の切手で、シャルジャーの地図と当時の首長、サキール・ビン・スルターンの肖像、それにシャルジャー国旗と地図が描かれています。

 現在のUAEに相当する地域には、ながらくドバイにしか郵便局がありませんでした。バハレーンに本拠地を置く東アラビア郵政庁の管轄の下、シャルジャーに郵便局が開設されたのは、1963年7月10日のことで、同日、シャルジャーとしての独自の切手も発行されました。額面はナイエ・パイサです。

 なお、今回ご紹介の切手に描かれているサキールは、1965年、イギリスの介入によって廃位され、彼の従弟で義弟でもあるハーリド・ビン・ムハンマド・カーシミーが後継のシャルジャー首長に就任。このため、今回ご紹介の航空書簡や同図案の航空切手の肖像部分を抹消したものも発行されました。

 その後、ハーリドによるシャルジャーの統治は1972年まで続き、彼がシャルジャーの連邦加盟交渉を進めましたが、1972年1月25日、ハーリドに不満を持つサキールがクーデターを起こしてハーリドを殺害。しかし、サキールのクーデターもほどなく鎮圧され、現在のシャルジャー首長、スルターン・ビン・ムハンマド・カーシミーがその地位に就くことになります。

 さて、<SHARKAH 2012>ですが、初日のきのうは、夕方からの開会式まで、一日みっちり審査をしていました。結果はほぼ確定しましたが、いくつかの作品については他部門からの意見も聞きながら、最後の調整をしている状況です。日本人の受賞結果などが決まり、受賞結果などが公表できるようになりましたら、このブログでも速報としてご案内しますので、しばらくお待ちください。(下の画像は今回のテーマ部門の審査員と実際の審査風景です)

      シャルジャー展・テーマ審査員     シャルジャー展審査風景

 
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 二の酉
2012-11-20 Tue 03:39
 きょう(20日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時同様、拙著『喜望峰』の増刷を祈願して、同書の中から、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         南ア・駝鳥

 これは、2007年に南アフリカで発行されたダチョウの切手です。

 ダチョウは古代エジプトの時代から飼育され、肉と卵は食用に、革は鞄やベルトなどに(いわゆるオーストリッチのバッグは高級品として有名です)、羽根は装飾品として用いられてきました。英国皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の紋章はダチョウの羽根3本を組み合わせた“スリー・フェザー・マークス”ですが、これは、14世紀のエドワード黒太子が使っていた兜の装飾に由来しています。ただし、エドワード黒太子の時代、ダチョウの羽根は南アフリカからではなく、地中海沿岸の北アフリカや西アジアからもたらされました。

 1652年、ヤン・ファン・リーベック率いる艦船で喜望峰に上陸したオランダ人は、当初、他の野生動物同様、野生のダチョウを捕獲していたが、ほどなくしてダチョウの飼育を開始。以後、ダチョウの生産はケープ植民地の主要産業のひとつとなりました。

 かつてのケープ植民地に相当する地域でダチョウの生産が盛んな土地としては、ケープタウン近郊のほか、西ケープ州のオーツホーンが挙げられます。

 オーツホーンはスワートバーグ山脈とウテニカ山脈の間に位置する小カルー平原の田舎町で、1863年に本格的な入植がはじまるとすぐに、ダチョウの生産が始まったといわれています。

 特に、1880年代以降、ダチョウの羽根を使ったファッションがヨーロッパで流行したこともあり、ダチョウの羽根は同じ重さの金と同じ値段で取引されることもありました。当然のごとく、ダチョウで財を成す者も続出し、オーツホーンには豪勢なダチョウ御殿も数多く建てられています。わが国でいうと、北海道のニシン御殿のようなものといってもいいかもしれません。

 なお、拙著『喜望峰』では、今回ご紹介の切手のほか、20世紀前半のケープ植民地ないしは南アフリカのダチョウ農場を取り上げた絵葉書もいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 さて、アジア国際切手展<SHARJAH 2012>は、オープニング・セレモニーはこちらの時間で本日18時(日本時間23時)スタートの予定です。すでに、作品の搬入も無事済ませ、審査も始まりました。日本人の受賞結果などが決まりましたら、このブログでも速報としてご案内しますので、しばらくお待ちください。

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 シャルジャー到着
2012-11-19 Mon 05:10
 さきほど、無事ドバイ空港で入国・通関手続きを済ませてシャルジャーに到着し、ホテルにチェックインしました。というわけで、シャルジャー到着を祝して、きょうはこのカバーです。(画像はクリックで拡大されます)

         シャルジャーFFC

 これは、1932年10月、イギリスからシャルジャー宛の初飛行カバー(FFC)です。

 1929年3月30日に就航した英国インペリアル航空のロンドン=カラチ(現パキスタン)線は、当初、エジプトのアレクサンドリア以東は、ガザ(パレスチナ)=ルトゥバ(イラク)=バグダード(同)=バスラ(同)ブシェール(イラン)=リンゲ(同)=ジャスク(同)=グワダル(現パキスタン)を経由してカラチにいたるというルートを取っていました。ところが、1932年、イラン政府が、ロンドン=カラチ便の航空機が自国の領空を通過することにクレームをつけたため、同路線は、バスラ以東のルートを、同年10月以降、ペルシャ湾対岸のバハレーン=シャルジャー経由に変更して運航されることになりました。

 これに伴い、シャルジャーには簡易空港が開設され、シャルジャー発着の航空便の取り扱いが開始されました。ただし、当時のシャルジャーは人口が極端に少なかったこともあって、航空便の取り扱いが始まった時点でも郵便局は開設されず、シャルジャー空港に到着した郵便物は、18キロ弱の距離にあったドバイ局が取り扱いました。

 今回ご紹介のカバーは、その第1便のもので、1932年10月1日付のロンドンの“HILTON RD. HUDSON'S PLACE”局の消印が押されています。同様のカバーは複数つくられているのですが、いずれも、消印が局名が不鮮明なのが残念なところです。なお、“BY IMERIAL AIRWAYS./FIRST ARABIAN AIR MAIL./ENGLAND TO INDIA VIA THE ARABIAN COAST./OCT. 1 st. 1932(英国インペリアル航空・アラビア航空郵便第一便・英国発アラビア湾岸経由インド宛・1932年10月1日)”の文字が印刷された封筒は、同便の就航に際してインペリアル航空が用意したものです。

 なお、ロンドン宛の復路の郵便物は、1932年10月15日にシャルジャー空港から差し立てられていますが、その際に貼られているのは無加刷の英領インド切手(当時のドバイでは英領インド切手が無加刷で使われていました)で、料金は1アンナ3パイサでした。

 さて、19日(現地時間)は作品の搬入で朝から通りを挟んでホテルと反対側にある会場に向かいます。日本とシャルジャーでは5時間の時差がありますので、こちらに滞在中の記事については、“きょう”ないしは“あす”という単語が日本とはズレてくることもあるかと思いますが(この記事もそうですが…)、あしからずご了承ください。


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 バンコク経由
2012-11-18 Sun 07:39
 きのう(17日)、シャルジャー展へ参加のため成田を発ち、現在、経由地のバンコクにいます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         東京=バンコク=ドバイFFC

 これは、1984年10月29日、ルフトハンザの東京発バンコク経由ドバイ宛の初飛行カバー(FFC)で、桜を描く50円の通常切手と高山植物シリーズ第1集として1984年8月27日に発行されたウルップソウの50円切手が貼られています。ルフトハンザのカシェにしっかりと、TOKYO-BANGKOK-DUBAIの文字が入っているのが嬉しいところです。まぁ、消印が成田ではなく羽田で、当時は経由地バンコクの空港がスワンナプームではなくドンムアンだというのは、ご愛嬌ですが…。

 ちなみに、このFFCと対をなしているのが、前日(10月28日)のドバイ発バンコク経由東京宛ルフトハンザのFFCで、こちらには、上のカバーと同じデザインでDUBAI-BANGKOK-TOKYO の文字が入った朱印が押されています。まぁ、その画像も下に貼っておきましょう。

         ドバイ=バンコク=東京FFC

 さて、きょうは午後の飛行機(ルフトハンザではありませんが:笑)でバンコクからドバイへ飛び、そこから、シャルジャーするという段取りになっています。ドバイへの到着は現地時間の20時30分の予定ですので、ドバイでの入国審査と通関の後、シャルジャーのホテルにたどりつくのは、現地時間の日付変更線前後ということになりましょうか。

 なお、日本とUAEとでは5時間の時差がありますので、すでにドバイ到着の時点で、日本国内では日付変更線をまたいだ19日の午前1時30分になっている勘定ですな。無事に到着したら、まずは寝る前にブログの記事を更新しようかと思っています。

* きのう、カウンターが113万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 シャルジャーに行ってきます!
2012-11-17 Sat 06:10
         南ア・トレッキング

 私事で恐縮ですが、アラブ首長国連邦(UAE)シャルジャーで開催されるアジア国際切手展<SHARJAH 2012>にコミッショナー兼審査員として参加するため、きょう(17日)、現地に向けて出発します。成田発の飛行機は午前中の便ですが、途中、経由地のタイで1泊し、明日(18日)、ドバイからUAEに入国し、シャルジャーに向かうという段取りです。 展覧会の会期は20日から25日(現地時間)なのですが、作品を搬入しなければなりませんので、主催者側指定の18日に入国すべく、今日の出発となりました。帰国は27日午後の予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。

 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、1927年に南アフリカ(以下、南ア)で発行された2シリング6ペンスの通常切手で、ケープタウンから現在の南ア北部への“グレート・トレック”と呼ばれるアフリカーナーの集団移住の様子が描かれています。今年6月のジャカルタ展へ出発する際にも、当時の僕の最新作『韓国現代史(韓国語版)』に絡めて“いざ出陣”という雰囲気の韓国切手を持ってきましたので、今回も現時点での最新作である『喜望峰』に絡めて“旅立ち”のイメージの南ア切手を持ってきたという次第です。

 1815年、ケープ植民地は正式に英領となりましたが、イギリスの統治はアフリカーナーの利害と反することが少なくありませんでした。たとえば、1833年のイギリスによる奴隷解放令は、奴隷労働力に頼っていたアフリカーナーにとって大きな打撃となりました。また、移民が増えるにつれ、新たな開拓地も必要となりました。

 このため、1836年以降、数千名のアフリカーナーがケープ植民地を後にし、内陸に集団移住。1839年にナタール共和国を建設しましたが、1842年、イギリスは軍隊を派遣し、1845年にここを植民地化してしまいます。このため、アフリカーナーはさらに移動し、ヴァール川の北方に拠点を建設。1852年に南アフリカ共和国(通称は“ヴァール側の向こう”を意味するトランスヴァール共和国)を建国したほか、1854年にはオレンジ自由国を建国しています。

 こうしたアフリカーナーたちの苦難に満ちた移住の旅は“グレート・トレック(Great Trek)”と呼ばれますが、この“トレック”には、「移住」のほか「(長い骨の折れる)旅行」という意味もあります。今回のシャルジャー行きは、アフリカーナーのグレート・トレックに比べればたしかに快適な道中ではありましょうが、日本人出品者の皆さんの貴重なコレクションを無事に搬入し、無事に持ち帰るという点では“(長い骨の折れる)旅行”であることには変わりありません。気合を入れて頑張っていきたいと思います。
 
 では、いざ出発!

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 泰国郵便学(22)
2012-11-16 Fri 08:53
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第46巻第5号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は1961-62年の状況について取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ・シアトル万博

 これは、1962年4月21日に発行されたシアトル万博の記念切手です。

 シアトル万博は、1962年4月21日から10月21日まで、「宇宙時代の人類」をテーマに開催されました。

 1959年頃、米国内では、1909年に開催されたアラスカ・ユーコン・太平洋博覧会から50年になるのを機に、再び大規模な万国博覧会を開催する計画が浮上。時あたかも、1957年のソ連によるスプートニク1号の打ち上げ以来の“ミサイル・ギャップ”に対する西側諸国の不安を払拭すべく、米国の科学技術が決してソ連に対して劣るものではないことを内外に示す必要があったため、「宇宙時代の人類」をテーマとする万博が企画されることになりました。

 1960年6月、国際博覧会事務局がシアトル万博の開催を公認すると、企画責任者のユエン・ディンウォールがモスクワを訪問しソ連の参加を要請しましたが、ソ連側はこれを拒否。一方、バルト三国や中華人民共和国、北ベトナム、北朝鮮はそもそも招請されませんでした。

 最終的な参加国は、タイを含む24ヶ国。タイ・パビリオンの展示内容がどのようなものだったかは、残念ながら調べきれなかったのですが、英国が科学技術とテクノロジーに重点を置いた展示だったのに対して、ペルーとメキシコは伝統工芸中心の展示、日本とインドがその両者をミックスした内容で、台湾と韓国は対峙する共産国家に比べて自国の経済発展が著しいことを示す内容でした。

 会場の敷地内には、現在、シアトルのシンボルとなっている回転式展望塔のスペース・ニードル(高さ180メートル)がそびえたち、都心から1.9キロのモノレールがつくられ、入場者予測に電子計算機が利用されたことが、話題となりましたた。会期中の入場者数は961万人です。

 当初の予定では、10月21日の閉会式にはケネディ大統領が出席することになっていましたが、10月14日から28日まで、いわゆるキューバ危機への対応に追われ、欠席しています。ただし、ケネディがテレビ演説でキューバにミサイルが持ち込まれた事実を公表してソ連を非難したのは、閉会式翌日の22日のことで、閉会式当日の時点では、大統領欠席の理由は“重度の風邪”と説明されていました。

 ところで、万博の開幕に先立つ4月17日、米国駐在のタイ大使、ヴィストゥル・アッタユックが万博会場を訪問し、西部劇俳優のジョン・ウェインが彼を出迎えています。ちなみに、会期中、各国の大使や要人の接遇には、エルヴィス・プレスリーをはじめ、ハリウッドのスターたちが動員され、友好親善に一役買ったそうです。

 シアトルを訪問した大使は、米国による軍事援助の一環としてタイに贈与された中型揚陸艦を、シアトルの海軍倉庫で受領しています。実は、これこそが、大使のシアトル訪問の最大の目的であり、タイの万博への出展と大使の万博訪問には、その答礼という意味合いもあったのです。

 こうした事情を踏まえて、切手には王宮の裏手、チャオプラヤー川に面した王室専用の船着場を中心とした風景が描かれました。船着場の隣には海軍厚生施設、対岸には海軍本部と海軍港湾部があって、この一角は王宮を守る海軍地区になっているからです。換言するなら、シアトル万博を機に、シアトルで米国から中型揚陸艦を受領するということであれば、その真の目的に照らして、シアトル万博の記念切手にタイ海軍を連想させる風景を取り上げるのも、理にかなった選択と言ってよいでしょう。


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 南アフリカ・ワイン
2012-11-15 Thu 14:19
 きょう(15日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、先ごろ刊行されたばかりの拙著『喜望峰』にちなんで、南アフリカ切手の中からワインがらみの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         KWV貯蔵庫

 これは、1987年に発行されたパール300年の記念切手のうち、KWVのカセドラル・セラーを取り上げた1枚です。

 南アフリカのケープ・ワインは、17世紀、この地に亡命してきたユグノーによって基礎が築かれましたが、1778年、ドイツ系移民の血を引くヘンドリック・クローテは、ワイナリー、グルート・コンスタンスを率いて、デザート・ワインの傑作とされる“コンスタンシア”を作り出すことに成功。ヘンドリックの死後、コンスタンシアのワイナリーは息子のヘンドリックJrを経て、孫のヤコブ・ピーターが後を継ぎました。このヤコブ・ピーターはフランス語を巧みに操り、パリにコンスタンシアの代理店を開設します。

 時あたかも、ナポレオン戦争の時代。フランスのワイン産業が大きな打撃を受けたことに加え、英仏間の貿易も途絶したことから、コンスタンシアはその空白を埋めるかのように、最上級のデザート・ワインとしてヨーロッパの上流社会を席捲しました。

 コンスタンシアの成功に引きずられるかたちで、他のケープ・ワインもヨーロッパで広く飲まれるようになり、ケープ植民地のワイン産業は急速な発展を遂げていきます。

 ところが、1861年、ナポレオン戦争以来、断絶状態にあった英仏の国交が正常化され、イギリス国内でのフランス製品への輸入関税が大幅に引き下げられると、ケープ・ワインのイギリス向け輸出は激減。さらに、1866年にはブドウに被害をもたらす害虫、フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が蔓延してケープ・ワインの生産は壊滅的な打撃を受けた。そこに追い打ちをかけるように、19世紀末にはボーア戦争が勃発します。

 その後、20世紀に入り、ボーア戦争が終結すると、北米からフィロキセラに対する耐性があるブドウの苗木が持ち込まれ、ようやく、ケープ・ワインも復活しました。しかし、それまでの空白を埋めるかのごとく、ワイナリーが競って生産量を増やしたため、ケープ・ワインは過剰生産で値崩れを起こしてしまいます。

 そこで、南ア政府は、1918年、ワインの生産調整と価格安定を目的に、南アフリカ醸造者協同組合(KWV:Ko?peratieve Wijnbouwers Vereniging van Zuid-Afrika Bpkt)を設立。ケープ・ワインの市場と価格を管理するようになりました。KWVは、アパルトヘイトの時代を経て、1997年、株式会社化され、2002年に完全民営化されました。ただし、現在なお、世界各国に輸出される南アワインの相当部分はKWVの製品で、僕たちが日常的にスーパーやコンビニ、量販店などで目にする南アフリカ・ワインも、たいてい、KWVのものです。もっとも、ケープ・ワインを複数銘柄常備しているワイン売り場が、日本では少ないという事情もあるのですが…。

 なお、KWVの本社は、ステレンボッシュから北東に20キロほど行ったパールにあるため、今回ご紹介のパール300年の記念切手には、KWVのワイン貯蔵庫“カセドラル・セラー”が取り上げられたというわけです。

 ちなみに、拙著『喜望峰』では、ケープ・ワインの歴史とその魅力についても、その要点をまとめて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 太陽の党
2012-11-14 Wed 17:27
 都知事を辞職した石原慎太郎氏の新党が、きのう(13日)、都内で会見し、“たちあがれ日本”を母体にした新党“太陽の党”の結成を発表しました。というわけで、同音異義語で、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         大阪万博(1次・7円)

 これは、1970年3月14日に発行された“日本万国博覧会(大阪万博)”の記念切手のうち、会場風景のイメージを表現した7円切手です。有名な“太陽の塔”のシルエットも左下に見えますが、発行当時の郵政省の説明では、その右側の国際連合(以下、国連)館と鐘楼が描かれていることの意義が強調されています。

 これは、①万博が国際博覧会条約を介して国連と密接なつながりがあり、今回の万博にも国連をはじめ各種の国際機関が参加している、②今回の万博には1954年に日本からニューヨークの国連本部に贈られた“平和の鐘”が里帰り展示される 、③“平和の鐘”は、今回の切手が発行される前日の3月13日に国連郵政が発行する万博の記念切手にも取り上げられている、といった理由によるものと説明されています。

 ただし、“太陽の塔”が当時としてはあまりにも斬新なデザインで、国民の間にも万博のシンボルとすることについて賛否両論があったことから、無用の批判を避けるため、太陽の塔が目立たないデザインにしたという可能性も否定できませんが…。いずれにせよ、日本の切手として、“太陽の塔”を取り上げたのは、これが最初です。

 さて、国の規制により地方(自治体)の活力が殺がれているという現状認識の下、官僚支配を打破するため、再び、国政を目指すという石原前知事の心意気は素直に評価したいと思いますが、現実の問題として、彼の理想を実現するための具体的なプランが、第3極の大同団結という以外に、いまいちわかりにくいのが気になるところです。“太陽の党”という名前は、その昔、の焼き直しを連想させて、どうも良い印象がありませんな。

 もちろん、現在の民主党政権がどうしようもないデタラメな政権(3年前の総選挙の時から民主党が政権を取ることに反対し続けてきた内藤としては、あのとき、民主党に投票した人は全員、頭を丸めるくらいのことをしてほしいと思っています)で、彼らを即刻退場させることが急務であることは誰の目にも明らかなわけですが、その一点で大同団結してみたところで、各派の主義主張がバラバラである以上、目的が達せられた暁には、すぐに内部分裂に陥る危険性も高いでしょう。

 石原前知事は、新党結成の記者会見で「(第3極の結集ができたら、)党は消えたって構わない。ワンポイントだ。」と語ったそうですが、それって、政党としては自己否定にならないんでしょうか。そういえば、その昔、羽田孜元首相らが作ってすぐに霧消した“太陽党”というミニ政党がありましたが、“太陽の党”もそれと同じ運命でかまわないということなのかなぁ。

 どうせなら、前知事の出世作にちなんで政党名は“突き破れ日本”とでもした方が、「“立ちあがれ日本”を継承し、ともかくも現状を打破する(その後の修復は知らんが)」という新党の趣旨によっぽど合致しているような気がするんですけどね。

 なお、今回ご紹介の大阪万博の切手については、拙著『切手百撰 昭和戦後』でもページを設けてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ダライラマが国会内で講演
2012-11-13 Tue 13:29
 来日中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世猊下が、きょう(13日)、国会内の参議院議員会館で文化講演会を行い、140名を超える国会議員が参加しました。というわけで、猊下の求めるチベットの“高度な自治”に関連して、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         チベット加刷

 これは、1911年に発行された“チベット加刷”の切手です。

 チベットと中国中央政府との「国交」は唐代にまでさかのぼることができますが、宗主国と保護国という両者の関係が確立されたのは一七世紀中葉の清朝初期のことです。その後、清朝は、チベットに駐蔵大臣を派遣し、チベットの財政・外交・軍事などに強い影響力を行使するようになりました。もっとも、この段階では、チベット政府の独自性も確保されており、両者は国境の確定もあいまいなまま、共存する状態にあったといえます。まぁ、そもそも、清朝の体制は、満洲族の皇帝が漢族を含む他の諸民族を中央集権的に支配するというのではなく、どちらかというと、域内諸民族の緩やかな連合国家という性質の強いものでしたから、それも当然のことと言えましょう。

 しかし、こうした状況は、1858年にインドを植民地化したイギリスが中印国境地域に侵食していくことで、変容を迫られます。この結果、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、チベットをめぐって、清朝とイギリスとの対立が生じることになりました。

 両者の対立は、1907年のシムラ会議により、チベットにおける清朝の主権が確認されたことで、いちおう決着し、清朝はチベットの近代化改革に着手します。ただし、この間、当事者であるチベットの意向が真剣に考慮されることはありませんでした。

 この近代化改革の一環として、1908年、清朝はラサに郵政総局を設置し、シガツェ、ギャンツェ、ヤートンなどに郵便局を開設。本土と同じ切手を持ち込んで郵政活動を展開し、チベットが自国の領土であることを郵政面でも主張するようになります。

 もっとも、清朝がどれほどチベットは自国領であると主張しようとも、実態としては、必ずしも清朝中央政府の統制がチベットに行き届いていたわけではありませんでした。

 その一例が、通貨問題です。
 
 すでに1792年いらい、チベットでは独自の現地通貨として銀貨が鋳造されており、清末の時点でも流通していました。これに加え、清朝やイギリスがチベットへの影響力を強めるにつれ、清朝の洋銀や英領インドのルピーも流通するようになっていました。この結果、当時のチベットでは3種の通貨が混在しており、清朝がチベット経済を掌握しているとはいいがたいのが実情でした。

 これら3種の通貨は、1910―11年頃のレートで、1タムカ(チベットの基準単位)が洋銀の15分もしくは英領インド・ルピーの6アンナに相当するといった具合で、折合計算が不便でした。当然、清朝政府が本土と同じ切手をそのまま発売し、使用させようとすれば、現実にはさまざまな不都合が生じることになります。

 このため、1911年3月、清朝政府は本土の切手に中国語・英語・チベット語の3ヶ国語で、それぞれに対応する額面を加刷した切手を発行し、チベット発の郵便物に貼付させるようにしました。今回ご紹介しているのは、そうした清朝のチベット加刷切手の1枚です。

 ところで、清朝を打倒した孫文らの革命活動は、“駆除韃虜 恢復中華”のスローガンの下、満州族の支配を打倒して漢民族の政治的・文化的支配を復活させることを建前としていました。したがって、“韃虜”に分類される満洲・チベット・モンゴル・ウィグルの各民族からすれば、自分たちを駆除するということを公言してきた革命政権に服属しなければならない理由はまったくないわけで、清朝の滅亡後、チベットは中華民国に対して分離・独立を宣言します。

 これに対して、中華民国側は自分たちが清朝の継承者であるとの建前から、チベットの独立を認めず、中国領チベットの支配を継続しようと目論見ます。しかし、革命後の混乱により、中国中央政府の統制はチベットには及ばず、チベットは実質的に中国とは別の国になりました。そして、これに伴い、ライオンのデザインのチベット独自の切手が発行され、チベット域内の郵便に使用されました。ちなみに、現在のチベット亡命政府は、かつてのチベットが独立国であったことの根拠の一つとして、独自の通貨・切手を発行していたことを挙げています。

 もっとも、独自の切手を発行したとは行っても、中国側がチベットの独立を承認しなかったこともあって、チベットは万国郵便連合には加盟できず、それゆえ、チベット切手は外国郵便に使うことはできませんでした。ただし、かつての清朝も万国郵便連合には加盟できなかったわけですから、このことをもって直ちにチベットの“独立”が否定されることにはならないでしょう。

 1951年、中国人民解放軍が“平和解放”の名の下にチベットに武力進駐し、以後、半世紀近くにわたって中国共産党政権はこの地域を支配し続けています。この間、漢族の急激な流入により、チベットの伝統的な社会構造が破壊され続けていることもあって、強圧的な共産党の支配と強引な中国化・社会主義化への抵抗運動が続けられています。また、中国政府は、チベットの独立運動家やその支援者(とみなされた人々)に対しては容赦のない人権抑圧を日常的に行っており、絶望したチベット人による抗議の焼身自殺が相次いでいることに対して、国際社会が厳しく指弾しているのは周知のとおりです。

 こうした中で、チベットの高度な自治を求めるダライラマ14世猊下が国会内の施設で講演会を行い、少なからぬ国会議員が参加するとともに、今日(13日)付で、チベット族を支援する超党派の議員連盟が結成されるということは、他国に比べると遅すぎる感は否定できないものの、歓迎すべきことであるのは間違いありません。

 なお、猊下は、今月5日、横浜での記者会見で、尖閣諸島を中国側通称の「釣魚島」ではなく尖閣諸島の名で呼ばれたほか、中国で発生した反日的動きの原因として極端な反日教育と大陸社会の閉鎖性などを挙げておられましたが、こういうご発言は、もっと多くの日本人にも知られて良いのではないかと思います。


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 第4次中東戦争以来の砲撃
2012-11-12 Mon 16:08
 シリア内戦の余波でゴラン高原のイスラエル軍施設に迫撃砲が着弾したことへの報復措置として、きのう(11日)、イスラエル軍が、1973年の第4次中東戦争以降初めて、シリア領内にロケット弾を打ち込んだそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         第4次中東戦争・イスラエル軍事葉書

 これは、第4次中東戦争中の1973年10月22日、イスラエル軍の兵士が差し出した軍事郵便の葉書です。

 1973年10月の第4次中東戦争は、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、1967年の第3次中東戦争で失った領土を回復することを目的として、エジプトのサダト主導の下、シリアもこれに加わって行われました。

 すなわち、1973年10月6日、エジプト・シリアの連合軍はイスラエルに奇襲攻撃を行い、第4次中東戦争が勃発した当時、アメリカのニクソン政権は、軍事面で圧倒的に劣るアラブ諸国がイスラエルに対して全面戦争を仕掛けることはありえないと考えていました。また、イスラエルは、第3次中東戦争で壊滅状態に陥ったエジプトが空軍力を再建するのは早くても1975年以降になると推定し、1973年中の開戦は想定していませんでした。

 こうしたことから、アラブ側の奇襲攻撃はまんまと成功し、開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破。イスラエル=シリア国境のゴラン高原でも、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。

 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きせず、はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同月16日にはスエズ運河の逆渡河に成功し、形勢は逆転します。

 こうした戦局の推移に対して、エジプトとシリアが第3次中東戦争に続いて大敗することを懸念したソ連は米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、アメリカがイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得しました。

 一方、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結ぶことを、本音の部分での戦争目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示しています。これに対して、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものでしたが、アメリカに説得されるかたちで停戦を受諾。10月22日の国連安保理において、関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、第4次中東戦争はようやく終結へと向かうことになりました。

 今回のイスラエルによるシリア領内への砲撃はこの戦争以来というわけで、その背景には、来年1月のイスラエル総選挙を控えて、軟弱派とみられることを恐れたネタニヤフ首相が強硬姿勢に出たという事情があります。まぁ、ネタニヤフ政権は、アメリカから大統領選挙が終わるまでは大人しくしているようにと懇願されており、曲がりなりにもその約束を守っていたことで国内的には軟弱というレッテルを貼られつつありましたからねぇ。イラン情勢も緊張が続いたままですし、しばらくは目が離せない状況が続きそうです。


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 スリランカの“プリズナー”
2012-11-11 Sun 21:31
 スリランカ・コロンボにある刑務所で9日、麻薬や携帯電話などの持ち込みがないかを警察が調べようとしたところ、反発した受刑者が暴動を起こし、刑務所内の武器庫から武器を奪って激しい銃撃戦を繰り広げるという事件が発生。これまでに少なくとも27人の受刑者が死亡、警官ら42人が負傷したそうです。というわけで、きょうはスリランカの“プリズナー”ということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ラガマ・キャンプ

 これは、ボーア戦争中、コロンボ郊外のラガマに置かれていた捕虜収容所からトランスヴァール宛に差し出されたカバーです。

 1899年10月に始まったボーア戦争は、当初、ボーア軍が圧倒的に優位でしたが、1900年2月、英本国からの増援部隊が到着。2月18日から27日にかけてのパールデベルグの戦いでイギリス軍がボーア軍を破ったことで戦況は逆転し、3月13日にはオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンが、6月5日にはトランスヴァール共和国の首都プレトリアが陥落します。さらに、イギリス軍は、6月11日から12日にかけて、プレトリア近郊のダイアモンド・ヒルでボーア軍の残党を掃討し、正規軍同士の戦いは事実上終結しました。

 ボーア戦争の捕虜収容所は、南ア域内はもとより、遠くセイロンやインド、セント・ヘレナにも設置されており、捕虜となった約2万8000人のアフリカーナーのうち、2万5630人が海外の収容所に送られました。今回ご紹介のカバーもそうした捕虜収容所のうち、正論のコロンボ郊外に置かれていたラガマ収容所から差し出された通信の一例です。

 ちなみに、ボーア戦争時の捕虜郵便については、拙著『喜望峰』でもいくつかの実例をご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 表紙の切手
2012-11-10 Sat 17:39
 きょう(10日)は、拙著『喜望峰』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーの下段で取り上げた切手についてご説明しましょう。なお、上段の絵葉書につきましてはこちらをご参照ください。(画像はクリックで拡大されます)

         喜望峰発見500年(ポルトガル)

 これは、1988年にポルトガルで発行された喜望峰発見500年の記念切手で、4種連刷でリスボンからケープまでの航海のイメージが表現されています。

 1486年、バルトロメウ・ディアスは、ポルトガル国王ジョアン2世から、アジアにいたる交易路を確保するとともに、アフリカにあるキリスト教徒の王、プレスター・ジョンの国を探し出し、友好関係を樹立せよとの命を受け、準備期間の後、1487年10月、ポルトガル艦隊を率いてリスボンを出港しました。

 ディアスの船団は、まずコンゴ川の河口に向かい、そこから南下して、ウォルヴィス・ベイ(現ナミビア領)に入港。さらに南下してポート・ノロス(現南ア領)付近に達しましたが、嵐に遭遇し、沖に流されてしまいます。このため、陸地に近づこうと東へ向かったのですが、陸地に到達できなかったため、北上してみると西側に陸地が見えたと伝えられています。彼らは、漂流しているうちに、いつの間にかアフリカの南端を通過していたというわけです。

 その後、彼らは1488年2月3日にモッセル・ベイに上陸。これが、後の歴史書に「ディアスのアフリカ南端到達」として記されることになる出来事となりました。ちなみに、モッセル・ベイという地名は、1601年にこの地に上陸したオランダ人航海士が、ムール貝(=mussel)が大量にとれることから命名したもので、ディアスとは直接の関係はありません。

 さらに、一行は海岸沿いにアガラス岬をまわり、このまま航海を進めればインドに到達できるとの見通しが立ったことで帰路につき、その途中で1488年5月に喜望峰を“発見”。同年末、リスボンに帰還しました。今回ご紹介の切手は、それから500年にあたることを記念して発行されたものです。

 なお、当初、ディアスはリスボンへの帰途で発見した岬を“嵐の岬”と命名して国王ジョアン2世に報告しましたが、国王は、アフリカ南端を廻って東方への航路を拓いたことをいたく喜び、“喜望峰”と改名させました。この改名が結果的に大成功だったことは、実際のアフリカ大陸最南端のアガラス岬よりも、喜望峰=アフリカ南端の地というメージが人々の間に深く浸透していることからも明らかだったといえましょう。

 さて、本日午前中、全国切手展<JAPEX>会場内で行った拙著『喜望峰』の出版記念トークは無事終了いたしました。ご来場いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 出版記念トークやります
2012-11-09 Fri 09:34
 きょう(9日)から、東京・池袋で全国切手展<JAPEX 2012>が始まります。僕も、会期2日目の明日(10日)、会場内で拙著『喜望峰』の刊行記念トークを行いますので、きょうはその予告編としてこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         希望の女神(立ち姿)

 これは、1893年にケープ植民地で発行された1ペニーの切手で、立ち姿の“希望の女神”が描かれています。

 ケープ植民地で発行された“希望の女神”の切手というと、1853年から発行の三角切手が有名です。三角切手の女神は、切手のかたちに合わせて、錨にもたれて寝そべっている姿で描かれていますが、1864年以降の切手では、切手が長方形になり、女神も中腰に変化します。さらに、今回ご紹介の1893年の切手では、完全な立ち姿になりました。寝そべっていた女神が完全に立ち上がるまでに、40年かかったという勘定になりますな。

 ちなみに、ケープタウンの市役所には、ペディメントの部分にケープタウン市の紋章が掲げられているのですが、そこには、こんな感じの女神像が掲げられています。

         ケープタウン市役所・紋章

 この写真は市役所前の広場から撮影したものですが、拡大してみると、女神の顔は厚化粧のオカマみたいでちょっと気色悪いですな。やはり、“夜目・遠目・傘の内”ではありませんが、女神の像も、地上から肉眼で、切手と同じくらいの大きさのモノを見上げている方が良いのかもしれません。

 さて、今回のトークでは、ケープ植民地で発行された“希望の女神”の切手や各種の郵便物等をご紹介しながら、ケープタウンとその歴史の面白さについて、いろいろとご紹介していく予定です。ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。(展覧会の入場料はかかりますが、入場後、トークへはどなたでも無料でご参加いただけます)


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 一の酉
2012-11-08 Thu 13:49
 きょう(8日)は一の酉です。というわけで、拙著『喜望峰』の増刷を祈願して、同書の中から、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         南ア・ペンギン(2004年)

 これは、原油流出の被害に遭ったケープ・ペンギンを救出する試みを紹介した2004年発行の南アフリカ切手です。

 ケープ・ペンギンは、別名アフリカ(ン)・ペンギン。フンボルトペンギン属に属する中型(体長は約70cm)のペンギンで、ナミビア南部から南アフリカ沿岸部を繁殖地としています。額、頭頂部、顔の側面、のどは黒く、白く太い帯がくちばしから、眼の上、頬の後ろを下へ降り、胸上部の白い帯をとつながっており、くちばしの付け根と眼の周りには、ピンク色の皮膚が裸出しているのが特徴で、鳴き声がロバに似ていることから“ジャッカス・ペンギン”とも呼ばれています。

 ところで、ケープタウン沖は世界有数の貨物船の通行地域ですが、それゆえ、原油流出事故も多く、ロベン島では、原油流出事故に遭遇したペンギン達の体を洗浄し、リハビリテーションをほどこして海に返す取り組みも行われています。

 たとえば、2000年6月23日、ギリシャ船籍の鉱石運搬船トレジャー号(14万1000トン)が鉄鉱石13万トンを積載してブラジルから中国へ向かう途中、南大西洋で悪天候に遭い、船体の一部が損傷し浸水、ロベン島の沖合で沈没。燃料用重油1344 トン、ディーゼル燃料56 トン、潤滑油64 トンが流出し、海面を覆い尽くすという事故がありました。これは、史上最悪の沿岸環境災害とされていますが、この時により被害を受けたケープ・ペンギン(4万羽を超えると推計されている)は、国際的なボランティア活動により、3万8506羽が救護され、リハビリを受けた後、89.7%のペンギンが海に戻されたといわれています。

 さて、明日(9日)から11日まで、東京・池袋のサンシャイン文化会館で全国切手展<JAPEX>が開催されますが、会期中10日の11:00からは会場内の特設スペースにて、拙著『喜望峰』の刊行記念のトーク・イベントも行います。よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。(展覧会の入場料はかかりますが、入場後、トークへはどなたでも無料でご参加いただけます)


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 敏腕の元五輪委員長、敗れる
2012-11-07 Wed 18:37
 アメリカの大統領選挙は、現職のバラク・オバマ候補が共和党のミット・ロムニー候補を下して再選を決めました。というわけで、フツーだったらオバマがらみのマテリアルをもってくるべきなんでしょうが、『大統領になりそこなった男たち』の著者としては、ロムニーのほうを取りあげるのが筋でしょうから、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

         ソルトレイクシティ五輪

 これは、2002年のソルトレイクシティ五輪に際してアメリカが発行した記念切手です。

 ユタ州の州都、ソルトレイクシティは、1932年、1972年、1992年、1998年の冬季五輪大会を招致しようとしたものの、いずれも失敗。このため、2002年の大会招致には背水の陣で臨み、1995年に行われたIOC総会で開催を勝ち取りました。

 ところが、開催の決定後、ソルトレイクシティ招致委員会による大規模なIOC委員への買収疑惑が発覚。さらに、予算超過による巨額の運営赤字が見込まれたこともあって、五輪の開催が危ぶまれる事態となりました。

 こうした状況の中で、1999年、五輪組織委員会の会長に就任したのが、今回の共和党大統領候補、ミット・ロムニーでした。

 ロムニーは、1947年、デトロイト生まれ。父親は、後にミシガン州知事となるジョージ・ロムニーです。

 スタンフォード大学に進学後、2年間休学し、フランスで末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の宣教師として活動。帰国後の1971年、ユタ州のブリガムヤング大学を最優等で卒業し、ハーヴァード大学のビジネス・スクール・ロー・スクールでMBA・法務博士(J.D.)号を取得しました。卒業後は、ビジネス・コンサルタントとしての活動を開始。1984年に共同経営者として設立したベインキャピタル社を世界有数のファンドに育て上げています。

 本格的な政治活動は、1994年、共和党からマサチューセッツ州選挙区の上院議員選に立候補したのが最初ですが、このときは、エドワード・ケネディに敗れて落選。その後、企業経営者としての実績とモルモン教徒であることを買われて、1999年にソルトレイクシティ五輪の組織委員会会長に就任し、運営を立て直し、大会を成功に導きました。この結果、経営再建におけるロムニーの手腕に対する評価はゆるぎないものとなり、その知名度も一挙に全米に浸透。五輪終了後の2002年11月に行われたマサチューセッツ州の知事選で当選を果たしました。

 マサチューセッツ州知事としてのロムニーは、州の予算を大幅に削減して財政均衡を実現したほか、法人税を下げることでカリフォルニア州などからのハイテク関連企業の誘致を推進しました。これだけ見ると、単純なコストカッターの財政再建至上主義者のようにも見えますが、州内の全児童に100ドルパソコンを無料配布する法案の提出や、全米で初めて事実上の皆保険制度を州内で導入するなど、彼の政策には、必要な支出は躊躇せずに行うという面があったことは記憶しておいてよいでしょう。

 大統領選挙に関しては、前回(2008年)は、共和党候補の指名をマケインと争って敗れましたが、今回は指名を獲得。現職のオバマに挑みましたが、接戦の末、敗れました。

 なお、現時点では、ロムニーを取り上げたアメリカ切手は発行されていないのですが、いまから何年か後に、ソルトレイクシティ五輪の立役者にしてマサチューセッツ州の名知事として、彼の切手が発行されるようなことがあるかもしれません。そのときには僕も『大統領になりそこなった男たち』の続編を作って、ロムニーについても1章を設けてみたいものです。


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 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
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 ラオスでASEM首脳会議開催
2012-11-06 Tue 14:30
 アジア欧州会議(ASEM)首脳会議が、きのう・きょう(5・6日)の日程で、ラオスの首都・ヴィエンチャンで開催されています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         ラオス・ナショナルデー

 これは、1978年12月2日にラオスで発行されたナショナル・デーの記念切手です。

 現在のラオスの地は、1893年以降、フランス領インドシナの一部としてフランスの保護国下に置かれていました。第二次大戦末期の1945年3月、いわゆる明号作戦が発動されると、同年4月、日本の影響下で名目上の独立を達成しました。

 戦後、インドシナ支配の復活をもくろむフランスが再進駐して第一次インドシナ戦争が勃発すると、国王シーサワーンウォンは独立を撤回しますが、これに不満を持つ民族主義者はラオ・イサラを結成し、タイに亡命政府を樹立して抵抗しました。

 こうした状況の下、1949年、フランス本国が外交・国防の決定権を有するというかたちでフランス連合内にラオス王国が発足すると、ラオ・イサラ亡命政権は親仏派とベトミン共闘派に分裂し、左派のスパーヌウォン王子らは1950年8月、パテート・ラーオ政府を樹立。1951年にはホーチミン率いるヴェトミン等とインドシナ合同民族統一戦線を結成し、抗仏闘争を展開しました。

 その後、1953年10月22日にラオス王国は完全独立を達成し、翌1954年にジュネーヴでインドシナ停戦協定が調停され、全外国軍隊のラオス王国からの撤退、パテート・ラーオ軍の中南部10県からの撤収と北部二県への結集と軍事的中立等が決められました。

 これを受けて、1957年、ラオス王国政府とパテート・ラーオの統一政府が樹立されましたが、1958年に発足した親米右派のサナニコン政権は左派系の政治家を追放・弾圧。このため、パテート・ラーオ派の兵士が王国軍から集団脱走し、1959年にはパテート・ラーオ軍と王国軍の間で内戦が勃発。翌1960年には中立派がクーデターを起こし、3派による内戦に突入しました。

 さらに、ラオスの内戦には、1960年代半ばからアメリカと南北ベトナムが介入。米軍はラオス山間部が北ヴェトナムへの物資輸送を行うホーチミン・ルートになっているという理由で空爆を行います。さらに、1971年2月、米軍がヴェトナム戦争での局面打開をねらい、右派の支援と称してラオスに侵攻すると、ラオス内線はヴェトナム戦争の一部に組み込まれました。

 その後、1972年、インドシナ紛争に関するパリ和平会談を受け、ラオスでも王国政府とパテート・ラーオとの交渉が行われ、翌1973年、ラオス和平協定が成立。翌1974年、三派合同の暫定国民連合政府が成立しました。

 1975年4月30日、サイゴンが陥落し、ヴェトナム戦争が終結すると、翌5月1日、ラオスでも首都ヴィエンチャンで大規模な反右派住民デモが発生し、右派系の政府・軍関係者が国外に脱出した。5月21日にはアメリカ国際開発局ビルがデモ隊に占拠され、アメリカもラオスからの撤収を余儀なくされました。そして、同年12月1日、ルアン・パバーンで開催された全国人民代表者会議で国王の退位が承認され、王制の廃止と共和制への移行が宣言。カイソーン・ポムウィハーンを国家主席とするラオス人民民主共和国が誕生しました。今回ご紹介の切手は、そうした共産政権発足から間もない時期のナショナル・デーの記念切手です。

 ちなみに、カイソーン・ポムウィハーンは1992年に亡くなるまでラオスの最高権力者として君臨しましたが、晩年には、東西冷戦の終結とともに、ラオスでも改革開放路線が採用されることになり、同年7月、ラオスはヴェトナムとともに ASEAN にオブザーバーとして参加。1997年7月に正式加盟を果たしています。

 なお、かつてのラオスでは、フランス製の精巧な凹版仏像切手を多数発行していましたが、その一部については、拙著『切手が伝える仏像』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 万里の長城で邦人遭難
2012-11-05 Mon 12:08
 5日付の『新華網』によると、河北省張家口市の“万里の長城”跡で、3日夜、1960年以来という大雪のなかで日本人を含む一行が遭難。中国人ガイドと59歳の日本人女性の2名が生還、68歳と62歳の日本人女性2名が死亡し、76歳の日本人男性1名が行方不明になっているそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、救助に当たられた地元の関係者の方々には心よりお礼申し上げます。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         万里の長城(雪)

 これは、1979年に発行された“万里の長城”の切手のうち、長城の雪景色を取り上げた1枚です。

 一般に長城のある華北地域の冬は寒さが厳しく、北京市内の気温はマイナス10度以下に下がります。このため、長城一帯も路面が凍結しており、足元が滑りやすくなっているといわれています。もちろん、雪が降ることもありますが、積雪の場合は市街地から頂上へ向かう道路が大渋滞となるため、この切手に描かれているような雪景色の長城を観光客が拝むのは容易ではないでしょう。少なくとも、切手に描かれているような軽装では、かなりしんどいのではないかと思います。

 さて、今回の遭難事件ですが、そもそも、中国北部で3日から4日にかけて強い寒波に覆われ、河北省内には「大暴雪」の警報が発表されていたそうです。そうした中で、日本人観光客らは北京市内の登山口から登山を開始したものの、現地時間3日午後11時14分ごろ、長城内で身動きが取れなくなったため、ガイドが警察に通報。公安・消防から40余名、兵士20余名と村の幹部や村民が救援のために現場へ駆けつけ、消防救援車、救急車、除雪車を各1台、軍の装甲車4台が出動して腰の深さまで積もった雪の中で捜索を実施、一行を発見し、生存が確認された2名は、付近の診療所で救急治療を受けたそうです。

 このブログをお読みいただいている方はご存じかと思いますが、僕は中国共産党とその一党独裁体制に対してはきわめて批判的な人間であり、中国国内における人権蹂躙やチベット、ウイグル、南モンゴルやさらには尖閣を含む周辺海域に対する度重なる侵略行為は絶対に許容できないと思っています。しかし、そうであればこそ、今回の出来事のように、自らの職務に忠実に、誠意をもって日本人遭難者の救助に当たっていただいた関係者の方々には、日本人として素直に感謝しなくてはならないとも思っています。是々非々で付き合うというのはそういうことでしょう。

 同時に、今回遭難した方々にはお気の毒ではありますが、高齢者が“大暴雪”警報の中、日本とはあらゆる意味で環境の異なる外国で登山を行ったという判断に問題はなかったのか、大いに疑問を感じます。ちなみに、今回遭難した日本人は、アミューズトラベル社の企画した「世界遺産 万里の長城 グレートウォール・100キロトレッキング」(8泊9日)というツアーの参加者だそうですが、同社のツアーでは、2009年7月、北海道・大雪山系トムラウシ山で、暴風雨の中、登山客15人とガイド3人が遭難し、客7人とガイド1人が低体温症で死亡する惨事が起きたという先例もあり、今後、ツアー主催者としての同社の責任が追及されることになるのは必至でしょう。

 そういえば、きょうは立冬。これから、雪山での遭難事故のニュースが増えてくる時季ですが、くれぐれも、十分な準備と慎重な判断の下、安全な登山を楽しんでいただきたいものです。
  

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 日本シリーズは巨人が優勝
2012-11-04 Sun 12:42
 プロ野球の日本シリーズは巨人が日本ハムを下して日本一となりました。というわけで、きょうは拙著『喜望峰』に掲載の切手の中から“巨人”ネタということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         南アUPU75年

 これは、1949年10月1日に南アフリカ連邦(当時。以下、南ア)で発行された“万国郵便連合(UPU)75年”の記念切手で、地球に立つマーキュリーが描かれています。

 1949年はUPUの創立75周年にあたっていました。このため、戦後最初の連合の大会議となった1947年のパリ大会議において、加盟各国は1949年に記念切手を発行するよう、申し合わせがなされました。この結果、1924年の創立50周年に際しては、ドイツ(シュテファンの母国)・スイス(連合事務局の所在地)・スウェーデン・エルサルバドルの4ヶ国しか記念切手を発行しなかったのに対して、今回は、5月16日のスイスを皮切りに、100を超える加盟国から続々と記念切手が発行されることになり、かなりにぎやかなラインナップとなりました。

 ちなみに、パリ大会議には、敗戦国の日本とドイツ、それから会議開催時には独立を達成していなかった韓国が参加できなかったため、連合側では、これら各国も連合国の許可を得れば連合に復帰できることを同会議の最終議定書第17号第2項で規定。これを受け、1948年6月、わが国はUPUへの復帰を果たしています。

 さて、今回ご紹介の南アの切手に取り上げられたヘルメスは、ゼウスとマイアの子でオリュンポス12神の1柱。 旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神で、神々の伝令役であることから通信の象徴ともされており、ギリシャの切手でもおなじみです。ギリシャ切手のヘルメスは顔の部分だけですが、神話では、ヘルメス翼のある帽子とサンダルを身につけ、2匹の蛇が巻き付いた杖(カドゥケウス)を持った若者の姿で描かれることが多く、今回の切手でもそれが踏襲されています。

 なお、切手はアフリカーンス語表示と英語表示の2種連刷ですが、右側の英語表示の切手には、印刷に用いられた版に傷があり、アフリカ大陸の部分に川と湖のような白抜けの部分ができているのがミソです。

 さて、今週土曜日(10日)の午前11時より、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。収集家にとって喜望峰のシンボルともいうべき“三角切手”の話をはじめ、切手から見えるケープタウンの面白さをいろいろとお話しする予定ですので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。


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 世界漫郵記:ゴア①
2012-11-03 Sat 20:53
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2012年11月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、今回から数回にわたってゴアを取り上げます。今回は、その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

         ポルトガル領インド

 これは、1871年に発行されたポルトガル領インド最初の切手です。

 15世紀末から16世紀初頭にかけてインド西海岸に来航したポルトガル人は、1510年2月、ポルトガルのインド総督、アフォンソ・デ・アルブケルケの下、現在のオールド・ゴアに相当する地域を占領しました。ゴアのインド総督府とリスボンを結ぶ公文書の通信はその直後から開始されましたが、当時の公文書は航海途中での遭難を考慮して、3通、同じ内容のものが作られていました。また、海路のみならず、ペルシャやオスマン帝国の領土を経由して陸路で文書が運ばれることもありました。

 いわゆる近代郵便としては、1822年7月1日、イギリス東インド会社との間で協定が結ばれ、ポルトガル領インドとインド各都市との郵便交換がスタートいsます。郵便物は、国境のマルヴァン(現マハーラーシュトラ州)とベラガーヴィ(現カルナータカ州)でポルトガル側からイギリス側に引き渡されることになっていました。当時の基本料金は、ゴアからベラガーヴィまでが3アンナ、ベラガーヴィからムンバイまでは11アンナです。

 これに伴い、1823年までに、ダマンにイギリス東インド会社の郵便局が開設されましたが、この時点では、ゴアには郵便局は設置されていませんでした。

 ポルトガル当局がパナジに“ゴア郵便局”を開設したのは1854年のことですが、この時点では、ポルトガル当局の発行した切手は使われず、郵便料金はすべて英領インド切手で納入されていました。

 今回ご紹介のポルトガル領インドとしての最初の切手は1871年10月1日の発行です。切手は楕円形の枠の中に額面数字を示したシンプルなデザインのもので、“SERVIÇO POSTAL”ならびに“INDIA PORT.”の表示が上下に入っています。現地製の素朴な切手で、版や紙などに様々なヴァラエティがあります。

 切手はポルトガル領インドの域内でのみ有効で、域外への通信には、別途、英領インド切手を貼りたす必要がありました。なお、ポルトガル領インド切手が域外宛の郵便物にも有効とされるようになったのは1877年のことです。

 さて、今回の記事では、パナジのクラシックな風情あふれる郵便局の局舎の写真もご紹介しながら、今後の連載のための予備知識として、まずはゴアとその歴史についての概説をまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 本日の切手市場は無事終了いたしました。ご来場いただきました皆様、特に、拙著をお買い上げいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 ケープ周郵記⑧(最終回)
2012-11-02 Fri 11:00
 先月25日、「本のメルマガ」第481号が配信となりました。僕の連載「ケープ周郵記」は、今回が最終回。ケープ半島周遊ツアーの締めくくりとして、ワイナリーに行ったというお話です。その記事の中から、きょうはこのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         南ア・ブドウ畑(切手)

 これは、収穫時期のワイン・ランドの風景を取り上げた1975年の南アフリカの切手です。2010年秋、僕が現地を訪ねた際に実際に見たブドウ畑の風景は、下の画像のような感じでした。

         南ア・ブドウ畑(実物)

 南アフリカにおけるワインの歴史は、ヨーロッパにおける宗教戦争の余波で、1690年頃からユグノー(フランスの改革派/カルヴァン派)がこの地に逃れてきたことから始まります。

 ステレンボッシュとその近郊(ちなみに、“フランス人地区”を意味するフランシュフックという地名もあります)にやってきたユグノーは、この地が気候的にも、土壌の面でもブドウ栽培に適していることを見抜き、フランス仕込みのワイン生産を開始しました。

 すでに、ケープ植民地では、オランダの初代総督、ファン・リーベックが1655年にブドウの苗木を植え、1659年に最初のワインを生産していましたが、ケープ・ワインの生産が本格的にスタートするのは、やはり、ユグノーの移民以降のことです。その後、ステレンボッシュに続き、現在の西ケープ州内のパール、フランシュフック、サマセット・ウェスト、ウェリントンの5つの隣接する地域が南アにおけるワイン生産の中心となり、現在ではそれらを総称してワイン・ランドと呼ばれています。

 さて、僕が参加したツアーでは、ステレンボッシュのエリアにあるワイナリー、ゼーベンバッハを訪ねました。ゼーベンバッハは、広大な敷地の中、湖の傍らに瀟洒なダッチ・ケープ様式の洋館が建ち、背後にはブドウ樹の丘が広がっており、観光客に人気のワイナリーです。その実際の風景はこんな感じでした。

         ゼーベンバッハ

 さて、「本のメルマガ」の連載「ケープ周郵記」は、今回配信号で無事終了いたしました。いままでご愛読いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。「本のメルマガ」に関しては、11月ひと月お休みをいただき、12月から新連載(タイトル未定)をスタートさせる予定となっておりますので、またよろしくお付き合いください。

 なお、「本のメルマガ」の連載「ケープ周郵記」に大幅に加筆してまとめた拙著『喜望峰』ですが、かねてご案内の通り、明日(3日)、東京・池袋で開催の切手市場に担いで行商に行きます。会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来て、実物を手にとってご覧いただけると幸いです。         


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

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 別人の顔?
2012-11-01 Thu 09:15
 尼崎の連続変死・死体遺棄事件で、マスコミがさんざん角田美代子被告として報道していた写真が、まったくの別人のものであったことが判明し、マスコミ各社の謝罪が相次ぎました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         聖徳太子

 これは、2000年6月23日に発行された「20世紀デザイン切手」シリーズ第11集のうち、“1万円札登場”として紙幣に描かれた聖徳太子の肖像部分を取り上げた切手です。

 十七条憲法や冠位十二階の制定、法隆寺などの建立や遣隋使の派遣を行い、日本古代史の英雄とされる聖徳太子の肖像は、1930年1月11日に発行された“乙百圓券”と呼ばれる100円紙幣以来、たびたび高額紙幣に取り上げられてきたため、僕を含め、一定の年代以上の日本人にとっては聖徳太子イコールお札(特に1万円札)の象徴というイメージを持つ人も少なくないと思います。

 さて、紙幣に取り上げられた肖像は、太子を描いた最古のものと伝えられる「唐本御影」から採られたものですが、この「唐本御影」は、描かれている人物の冠や服装などの様式から、太子が亡くなってから1世紀後の8世紀(奈良時代)以降の制作であることが明らかとなっており、じつは、聖徳太子を描いたものなのかどうかさえ確定できていないのだそうです。さらにいえば、そもそも、聖徳太子が実在の人物であるのかどうかさえ、専門家の間では議論が分かれているのだとか。このため、最近の教科書では、「唐本御影」のキャプションは「伝・聖徳太子像」となっています。

 まぁ、伝源頼朝像の例を持ち出すまでもなく、近代以前の人物に関しては、写真があるわけでもなければ、必ずしもその人が生きている間に肖像が作られるわけではないこともあって、別人の肖像が、その人の肖像であるかのように誤認され、流布・定着するケースはしばしばあるようです。僕たちが聖徳太子像として慣れ親しんできた肖像も、太子を描こうとした想像の産物なのか、全くの別人の像なのか定かではありませんが、いまさら、別の太子像をイメージしろと言われても、ちょっと難しいですな。

 さて、今回、全くの別人であることが明らかになった“角田美代子像”ですが、いままでの写真が別人であるのなら、あらためて、本人の写真を入手して公表するのが筋ではないでしょうか。お詫びと訂正であれば、「誤:XX → 正:◎◎」とするのが一般的なスタイルだと思います。

 そもそも、彼女は現実にいま生きている人物であり、逮捕されたときには警察でも写真が撮影されているはずで、それが公開されれば、問題は一挙に解決します。“人権上の配慮”というのであれば、他の逮捕された容疑者の写真は当たり前のように公開されているのですから(オウム事件の菊池直子被告の逮捕時の写真が指名手配の写真とあまりにも違っており、誰もがびっくりしたことは記憶に新しいところです)、なぜ、角田被告の人権だけ特別に配慮されなければならないのか、その理由が僕にはさっぱりわかりませんねぇ。


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