内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 堺のキキサル
2013-09-30 Mon 17:04
 きのう(29日)投開票が行われた大阪・堺市の市長選挙は、無所属現職の竹山修身候補が、大阪維新の会(以下、維新)公認の新人で前市議の西林克敏候補を大差で破り、再選を果たしました。というわけで、堺がらみの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       喜々猿

 これは、昭和55年用の年賀切手として1979年12月1日に発行された、堺の郷土玩具・湊焼“喜々猿”の切手です。
 
 湊焼は、17世紀後半、京都から樂家 第三代の道入の弟、道樂が堺の湊村へ移住し道樂窯を開いたのが最初と考えられています。また、延宝年間には京都御室の陶工・上田吉右衛門も湊村へ移住し、道楽窯の製法と焼法とを学び、上田本湊窯を開いて、堺での焼き物づくりを始めています。

 その後、道樂窯は山本窯へと継がれる一方、文政年間、五代上田吉右衛門は、湊焼としては初めて、交趾風の薄い彩釉を施した器を製作し、これを御室焼と称しました。

 ところが、山本窯、上田本湊窯のいずれも明治期に廃絶。このため、堺の酒造家・大澤鯛六は、その復活を願い、堺市大町東3丁の自邸内に窯を開きました。これが復興本湊焼(鯛六焼)です。しかし、この窯も1961年に廃窯となってしまいました。なお、復興湊焼の陶工・初代新平の息子である第二代新平は、戦後、堺更紗を題材とした堺更紗文の茶碗を製作するなど、地元に密着した題材の作品を多数残しましたが、1976年に亡くなっています。

 切手に取り上げられた喜々猿は、1匹ずつ手びねりでつくられた猿を3匹重ねて焼いたもので、猿は顔の部分のみ彩色され、後は素焼きのままとなっています。“キキ”という猿の叫びは“喜びが重なる”という意味で縁起を祝うものとされ、大阪の住吉神社でも売られていました。喜々猿のほか、猿を7匹組み合わせた“日和見猿”、100匹以上組み合わせた“千疋猿”などもあります。

 さて、今回の市長選挙の最大の争点は、大阪・堺の両政令指定都市を解体し、大阪府と再編・統合する“大阪都構想”の是非だったわけですが、都構想に反対の現職市長が当選したことで、堺市は維新が掲げる都構想には参画せず、そのまま維持されることが固まりました。まぁ、堺市にとっては、喜々猿ならぬ、解体・消滅の“危機去る”といったところでしょうかね。

 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和の年賀切手については、拙著『年賀状の戦後史』でも、いろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | 日本:年賀 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ミス・ワールド、無事終了
2013-09-29 Sun 17:47
 きのう(28日)、インドネシア・バリ島のヌサ・ドゥアでミス・ワールド世界大会の最終選考会が行われ、フィリピン代表のミーガン・ヤングさん(23)が優勝して、無事、終了しました。というわけで、きょうは、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       バリQCC会議

 これは、1991年、バリ島で開催された国際QCサークル大会を記念してインドネシアが発行した記念切手で、バリ島のイメージとして、肩をだし、髪をあらわにした民族衣装姿の女性が左側に大きく描かれています。

 QCサークルは、同じ職場内で品質管理活動を自発的に小グループで行う活動で、1962年4月にわが国でスタートしました。その後、日本の工業技術がアジア諸国にも伝えられていく過程で、1976年には日本・韓国・台湾の3ヵ国で“東アジアQCサークル国際交流会”が発足。さらに、1978年以降、アジア13の国と地域の持ち回りで、国際大会が毎年開催されるようになっています。

 さて、周知のように、イスラム世界の伝統的な価値観によれば、女性が髪や肌を公衆の面前にさらすことは不道徳と考えられています。それゆえ、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアでは、今回のミス・ワールド開催についても、「汚らわしい」「ポルノ」との批判が根強くあり、国内のイスラム保守派による大規模な反対運動が展開されていました。まぁ、そうした人からすれば、今回ご紹介の切手もまた、苦々しい1枚ということになるんでしょうな。

 こうした反対派の批判を受けて、ミス・ワールドの開催地は首都ジャカルタから、反対派の影響が少ないバリ島に変更されたほか、ビーチファッション部門でのビキニ審査も中止されています。当然のことながら、インドネシア当局は反対派による抗議行動が過激化して混乱が生じることを懸念しており、コンテストは厳戒態勢の中で行われました。まぁ、最終的に、反対派による直接的な妨害行動はなく、ジャカルタ郊外のモスクでコンテストに反対する祈りの集会が行われただけで、コンテストそのものは大きな混乱がなく終了。まずは、関係者の皆さんもホッと一息というところでしょう。

 なお、ミス・ワールドに反対する人々は、対抗手段として、18日にジャカルタで“ムスリマ・ワールド”(ムスリマは女性イスラム教徒のこと)を開催。「ムスリマ・ワールドは美人コンテストだが、要求されることはミス・ワールドとは大きく異なっている。信心深く、良い模範になる人物で、近代化された今日の世界の中で上手に精神生活のバランスをとっていることを示さなければならない」として、ムスリマ・ワールドが「髪の毛や肩などの“慎みのない体の部分”を見せなくても美しくなれることを若いイスラム教徒の女性たちに見せる機会」であるとアピールしています。

 ちなみに、僕自身、インドネシアでは、何人も現地の美しきムスリマたちにお会いしましたが、ついでですので、その一部の写真を下に貼っておきましょう。左側はロンボク島アンペナン郵便局の女性スタッフ、右側はスマトラ島バンダ・アチェの銀行員の女性です。

      ロンボク・女性     アチェ・女性

 なるほど、ベールをかぶっていても美しい人は美しいものですな。なお、拙著『蘭印戦跡紀行』では、上記以外にも、現地で撮影した美女たちの写真も少なからず掲載しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インドネシア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 シリア化学兵器廃棄決議採択
2013-09-28 Sat 16:54
 国連安全保障理事会が、シリアに化学兵器の廃棄を義務付ける決議を全会一致で採択しました。安保理での採択に先立ち、化学兵器禁止機関(OPCW)は廃棄計画を策定しており、10月1日からは専門家による現地査察が始まる見通しです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       イラン・化学兵器禁止条約

 これは、2007年にイランが発行した化学兵器禁止条約発効10周年の記念切手で、化学兵器の残骸と被害を受けた子供が描かれています。

 戦時における化学兵器の使用は1925年のジュネーヴ議定書で禁じられていましたが、兵器の開発・生産・貯蔵などは禁じられていなかったため、化学兵器の開発や生産は続けられていました。

 イラン・イラク戦争中の1985年から88年にかけて、イラク東部のサルダシュトやハラブジャなどでは、主としてクルド系住民がイラン側に協力したとして、当時のフセイン政権がマスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用し、多くの住民を殺害しました。イラク政府はこの事実を否定し、イランと戦うフセイン政権を支援していた米国も化学兵器はイラン側が使用したとの見解を発表していましたが、難を逃れたクルド人の証言により、次第に化学兵器使用の実態が明らかになります。

 1988年8月、イラン・イラク戦争が停戦になると、ヨーロッパでは、軍事目的に使用されることを知りながらイラクに化学兵器の原料を売却した当時の関係者の責任を問う声があがり、オランダ人実業家のフランス・ファン・アンラートがイタリアで逮捕されています。その後、ファン・アラートはイタリアから逃亡してイラクに亡命し、2003年のフセイン政権崩壊まで、イラクにかくまわれていましたが、2004年、オランダに帰国したところを逮捕され、禁錮15年・イランとイラクの住民に対する2万5000ユーロの賠償金の支払いを命じられています。

 こうした個別の犯罪追及と並行して、化学兵器の使用だけではなく、開発から生産、貯蔵までをも禁止するべきだとの国際世論が高まり、1992年、化学兵器禁止条約が署名されます。条約は1997年に発効し、これを受けて、実行機関としてオランダのハーグに設置されたのが、シリアでの査察を行う予定の化学兵器禁止機関(OPCW)です。

 さて、一連のシリアで化学兵器が使用されたことは確実ですが、アサド政権と反政府側のどちらが使用したかという点については、現時点では明らかになっていません。というよりも、現在のシリア情勢は、シリアのアサド政権を背後から支えるロシア(タルトゥースには地中海唯一のロシア海軍の補給拠点があります)とイランに対して、中東地域でのイランの勢力拡大を望まないサウジアラビア、トルコ、米国が反政府勢力を支援しているものの、反政府勢力側には統一的な司令部はなく、いわゆるイスラム原理主義過激派を含む諸勢力が入り乱れて、くんずほぐれつの状態というのが実情のようです。ここはひとまず、どの勢力であれ、一般国民に対する化学兵器の使用を止めさせるということを最優先して考えるしかありませんな。

     
 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | イラン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ワシ・タカ・ガルーダ
2013-09-27 Fri 13:54
 プロ野球のパリーグは楽天が初優勝を果たしました。というわけで、イーグルスにちなみ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       インドネシア・速達切手

 これは、1969年にインドネシアで発行された速達切手で、手紙を手に持って飛ぶガルーダが描かれています。

 インド古典文学『マハーバーラタ』に登場するガルーダは、頭・翼・爪・口はワシ、胴・腕・脚は人間の半鳥半人の半神で、仏教・イスラム伝来以前よりヒンドゥー教圏であった東南アジア諸国で、他のヒンドゥー諸神と併せて祀られています。タイの国章や航空切手などには、これを忠実に再現したデザインが用いられています。

 ところが、ジャワやスマトラでは、そうしたオーソドックスな半鳥半人のガルーダとならんで、ジャワクマタカをモデルにした金色の神鳥としてガルーダが表現されることも少なくありません。このような純然たる鳥の姿としてのガルーダの代表例は、インドネシア共和国の国章です。(下の画像は、パレンバンの独立記念館に掲げられている国章のレリーフの写真です)
 
        インドネシア国章レリーフ

 まぁ、タカとワシには明確な区別はなく、慣習として、タカ目タカ科に属する鳥のうち、比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカと呼ぶということですので、ジャワクマタカをモデルにした国章の切手を持ってきても良かったのですが、野球ではホークスとイーグルスは別物ですからねぇ。とりあえず、今回は、ワシと人間を組み合わせた半鳥半人の姿(切手のガルーダは、明らかに人間の手のように見えますな)の切手をご紹介したという次第です。

 なお、こうしたガルーダの地域差については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
     
 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インドネシア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 朝日新聞AJWフォーラム
2013-09-26 Thu 12:33
 ご報告が遅くなりましたが、9月12日、朝日新聞AJWフォーラムに「プロパガンダのメディアとしての北朝鮮の切手 」と題するコラムがアップされました。というわけで、きょうはその記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       金正恩最初の切手

 これは、金正日が亡くなった直後の2011年12月30日に発行された「偉大なる領導者・金正日同志は永遠に我々と共におられる」(以下、「共におられる」)と題するシートで、金正恩の肖像を取り上げた切手としては最初のモノになります。

 この切手は、金正日を追悼する最初の切手として発行されましたが、12月17日の金正日死亡翌日から制作作業を開始したとしても発行日までは約2週間しかありません。デザイナーがゼロから切手の原画をつくり、郵政当局が承認し、裏糊と目打を備えた切手を、少なくとも数十万枚単位で製造し、全国の郵便局に配るまでには、多くの国では普通、1-2ヶ月はかかりますから、いくら朝鮮人民が“革命精神”を発揮しようとも、2週間は短すぎるといえましょう。

 切手をよくみると、額面は“70ウォン”です。ほぼ同時期の北朝鮮の切手の額面は10ウォン、30ウォン、50ウォンのモノが多いことを考えると、この切手の額面があえて70ウォンになっているのは、実際には、翌年2月に予定されていた総書記70歳の誕生日用に準備されていたデザインを、追悼切手として転用したと考えるのが自然なようにも思われるのですが、いかがでしょうか。

 金正恩が朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長となり、父の後継者としての立場を確立したのは2010年9月のことでした。以後、父は後継者としてのお披露目を兼ねて息子を重要行事に同伴させ、雰囲気を盛り上げて、権力の継承を円滑に進めようとします。

 「共におられる」の切手では、父子は同じコートを着ており、ズボンや靴の色やデザインもほぼ同じです。父がサングラスをかけていることもあって、鼻から口元にかけての2人の表情も、血のつながりを感じさせます。こうした演出の背後に、金正恩を金正日の“分身”として位置づけようとの意図があるのは明白でしょう。

 ところが、金正恩が後継者として党や軍の権力基盤を確立する前に、父は亡くなってしまいました。金正日抜きで為政者としての権威を獲得しなければならなくなった金正恩は、父親を飛び越え、北朝鮮においては“唯一絶対神”に等しい存在である金日成の孫であることを強調せざるを得なくなります。

 こうした変化を象徴しているのが、2012年4月11日に発行された「朝鮮労働党第4次代表者会」の小型シート(画像下)です。

       朝鮮労働党第4次大会

 この小型シートでは、父子の切手が1枚ずつ収められていますが、父がトレードマークともいうべきジャンパー姿であるのに対して、金正恩は背広にネクタイ姿です。父の写真にもネクタイ姿のものがないわけではありませんが、人民服もしくは、独特のジャンパー、半袖シャツなどカジュアルな姿が一般的です。むしろ、背広にネクタイをいう服装は祖父・金日成が好んだスタイルでした。なにせ、ソ連から帰国早々、占領ソ連軍の御膳立てで平壌市民の前に初めて姿を見せた時も、“抗日英雄”として軍服を着たらどうかと言うソ連側のアドバイスを無視して、通訳の姜ミハエル少佐からスーツとネクタイを借りてきたという逸話の持ち主ですから…。

 また、「朝鮮労働党第4次代表者会」の金正恩を見ると、服装のみならず、髪型や表情まで、あらゆる面で祖父の金日成を意識していることがうかがえます。たとえば、この切手の金正恩と1962年4月14日に発行された「金日成元帥誕生50周年」の記念切手に取り上げられた金日成の姿と比べてみると、まさに“コピー”という言葉がふさわしいほどです。これは、「共におられる」の頃の路線を放棄し、金正恩は父とは別の人格で、むしろ父を凌駕する金日成の再来というイメージを演出しようとした結果と見て良いでしょう。

 今回の記事では、このほかにも、金正恩以降の北朝鮮の切手をご紹介しつつ、そのプロパガンダ戦略についてご説明しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

     
 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 北朝鮮:金正恩以降 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 バルボア太平洋到達500年
2013-09-25 Wed 10:22
 スペインの探検家、バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(以下、バルボア)が1513年9月25日に西洋人として初めて太平洋に到達してから、ちょうど500年になりました。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       パナマ・バルボア

 これは、いまから100年前の1913年にパナマで発行された「“南の海”発見400周年」の記念切手です。

 バルボアは、1475年、スペイン南部ヘレス・デ・ロス・カバリェロス生まれ。1500年にイスパニョラ島へ開拓者として移住した後、1510年、カリブ海に面したヨーロッパ人最初の植民都市サンタ・マリア・ラ・アンティグア(現コロンビアとパナマの国境付近)に移住しました。現地では新植民都市ダリエンの建設を指揮し、完成後はその総督に任命されています。

 当初、バルボアはダリエン周辺の集落を襲撃し、酋長を捕えて原住民の虐殺を行うなどの征服活動を行っていましたが、次第に、現地の開拓と黄金郷の探索のためには先住民との協力関係を築いた方が得策と考え、「スペインは同盟者には友好的である」として服属してきた部族に対しては穏健な対応を取るようになりました。その成果として、酋長の一人、コマグレと親交を結び、彼の長男から、「山の向こうに“南の海”があり、その付近には黄金が大量にある」との情報を得ます。

 これを受けて、1513年8月末、バルボア率いる190人のスペイン人とコマグレの息子に率いられたインディオ部隊は合流しジャングルに突入。抵抗する部族を武力で制圧しながら行軍を続け、9月25日、広大な湾を見下ろす丘に到達しました。これが“南の海(Mar del Sur)”の発見といわれる出来事で、今回ご紹介の切手は、その場面を描いたもので、足元には彼の愛犬レオンチコも描かれています。

 9月29日、バルボアは湾に降り立ち、そこを“サンミゲル湾”と命名。剣と楯を手に海に入り、スペイン国王の名においてこの地の領有を宣言しました。

 その後、バルボアはサンミゲル湾周辺の部族を服属させていきますが、その際、先に降伏した先住民を使者として「スペイン人を敵として戦えば大きな犠牲を覚悟しなければならないが、同盟を結んで黄金を渡せば、攻撃はせず、鉄の斧を与えてくれる」と説得させ、大量の財宝を獲得。“南の海”発見の快挙とともに、バルボアは、いちやく、国民的英雄となりました。

 ところが、その声望を妬んだ者の讒言により“国家反逆罪”に問われ、1519年1月、かつての部下であったフランシスコ・ピサロに捕らえられて獄につながれ、処刑されてしまいました。享年44。

 なお、 あらためて言うまでもないことですが、現在の太平洋の名前は、1520-21年に探検家のフェルディナンド・マゼランが世界一周航海をしていた際、マゼラン海峡を抜けて太平洋に入った時に、荒れ狂う大西洋と比べたその穏やかさに、この海のことを“El Mare Pacificum(平和な海)”と表現したのが由来になっています。そういえば、そうした由来を知ってか知らずか、日本海を“平和の海”に改称しようとかいっていた輩がおりましたな。いつの間にか立ち消えになった話ではありますが、連中の“東海”問題にも困ったものです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | パナマ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ドイツ自民党、議席喪失
2013-09-24 Tue 20:06
 22日に投開票が行われたドイツの連邦議会(下院)選挙は、メルケル首相ひきいる中道右派のキリスト教民主・社会同盟が大勝したものの、連立を組んでいた自由民主党(自民党)は得票率4.8%の大敗を喫し、小党乱立を防ぐため定められた5%の必要得票率に達せず、1949年の第1回連邦議会以来、守り続けてきた議席を失いました。というわけで、ドイツ自民党といえば、やはりこの人でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       ホイス大統領50ペニヒ

 これは、1954年に西ドイツで発行された50ペニヒの普通切手で、連邦初代大統領にしてドイツ自民党の初代代表だったテオドール・ホイスの肖像が取り上げられています。

 ホイスは、1884年、ブラッケンハイム生まれ。ミュンヘンとベルリンで経済学、政治学、歴史学、哲学、美術史を学び、1905年、ミュンヘン大学で博士号を取得しました。その後はジャーナリストとし、「ネッカー新聞」の編集長、雑誌「ドイツ国民」の発行人などを務めるとともに、1918年、ドイツ民主党の設立に参加。翌1919年にベルリン・シェーネベルク区の区議会議員に当選して政界入りします。

 ワイマール体制下ではドイツ国民議会の議員を務めましたが、ヒトラー政権下の全権委任法によって議席を失いました。議員失職後も、ホイスは左派リベラル系のジャーナリストならびに大学講師として活動していましたが、1942年、すべての言論活動を禁じられ、偽名での活動を余儀なくされています。

 第二次大戦後、米軍占領下で新聞発行許可を与えられるとともに、ヴュルテンベルク・バーデン州(現在のバーデン・ヴュルテンベルク州北部)の文化大臣に任命され、党友ラインホルト・マイアー率いる全党内閣に入閣。1948年にワイマール共和国時代の旧ドイツ人民党と旧ドイツ民主党のメンバーが合流する形でドイツ自民党が結成された際には、ドイツ民主党の全ドイツ地区の共同代表として参加。同年12月の結党大会で西ドイツとベルリンの代表に選出されました。

 1949年の第1回連邦議会選挙では議員として当選しましたが、9月12日に連邦会議による投票で連邦大統領に当選したため、議員を辞職。2期10年の任期を全うし、政党を越えた権威として、敗戦国ドイツの対外的信頼を回復することに尽力しました。ちなみに、切手の発行が開始された1954年は、彼が事実上対抗候補なしで再選された年にあたります。

 今回の選挙でのドイツ自民党の惨敗は、前回の総選挙後、付加価値税の減額の恩恵を受ける企業から多大な献金を受け取っていたことが発覚したことで批判を浴び、有権者の支持を失ったことによるものですが、それにしても獲得議席ゼロとは驚きました。日本でも国会議員の選挙にドイツ同様の5%条項が適用されれば、社民党(2012年総選挙での社民党の得票率は選挙区で0.7%、比例代表で2.3%。2009年総選挙でも選挙区で1.0%、比例代表で4.27%)なんかは雲散霧消していてもおかしくないんですけどねぇ…。連中の支持基盤と思しき左派系の人たちの中には、何かというと「ドイツを見習え」と口にする人が多いようですが、そういうことなら、5%条項もきちんと見習ってもらわないとね。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ドイツ:西ドイツ+ベルリン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ジャカルタの“巨人”
2013-09-23 Mon 09:22
 プロ野球のセリーグは巨人がリーグ優勝しました。というわけで、きょうは“巨人”ネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オンデルオンデル     オンデルオンデル(実物)

 これは、2010年12月にインドネシアで発行された全国切手展記念の小型シートで、シート地にはオンデルオンデルが描かれています。小型シートの右側は、オンデルオンデルのパフォーマンスの写真(ジャカルタのファタヒラ広場で撮影しました)ですが、周囲に移っている人たちと比べると、その“巨人”ぶりがお分かりいただけると思います。

 オンデルオンデルは、巨大な人形を使って行うブタウィ族(ジャカルタの先住民)の伝統舞踊もしくはその人形そのもののことです。オンデルオンデルの人形は小さいもので1m80cm程度、大きなものだと3m程度ありますが、髪の毛は乾燥させた松葉、顔の部分は木製、竹を編んで作られた本体に服を着せているために軽く、中に人が入って動かすことができます。一般に赤い顔の男性と、白い顔の女性のペアで作られます。

 オンデルオンデルには先祖の守護霊が宿るとされ、現在でも、祝祭などの際、パフォーマンスが行われたり、あるいは、魔除けのために人形が飾られたりしています。特に、毎年6月22日のジャカルタの創立記念日前後ないしは8月17日の独立記念日前後のイベントに際しては、ジャカルタの象徴としてオンデルオンデルが登場します。

 さて、拙著『蘭印戦跡紀行』では、ページの都合からジャカルタについては他日を期すということになりましたが、インドネシア各地の伝統文化についてもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インドネシア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 マリ独立記念日
2013-09-22 Sun 10:34
 きょう(22日)は、マリ共和国の独立記念日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領スーダン加刷(1894)

 これは、1894年、“仏領スーダン”で最初に発行された加刷切手で、少し読みづらいですが、当時の首府カイの消印が押されています。

 フランスが西アフリカに進出するようになるのは17世紀以降のことで、1659年、セネガル川河口、サン・ルイの中洲に城砦を築いたのが最初で、さらに、ポルトガルやオランダが奴隷貿易の拠点としていたダカール沖合のゴレ島をイギリスとの争奪戦の末に1677年に占領。西アフリカを拠点とした奴隷貿易が本格的に行われるようになりました。

 1815年、皇帝ナポレオン1世が失脚した後のウィーン会議では、セネガル川河口の沿岸部、サン・ルイとゴレ島の周辺をフランスの植民地“仏領セネガル”とすることでヨーロッパ諸国が合意。その後、フランス国内は1830年の7月革命や1848年の2月革命などの混乱が続きましたが、最終的にナポレオン3世が権力を掌握すると、フランス領セネガルの本格的な植民地経営がスタートしました。

 これと前後して、1854年、仏領セネガル知事となったフェデルブは、それまで沿岸部にとどまっていたフランスの権益を内陸部にまで拡張することに力を注ぎ、1855年にカイに城砦を建設。1857年にはダカールを占領して、1860年にはニジェール河岸にまでフランスの権益を拡大。1865年に総督を退任するまでの間に、広大な地域をフランスの影響下に置くことに成功し、フランスによる西アフリカ支配の基礎を築きました。

 こうした経緯を踏まえて、1880年、現在のマリに相当する地域は“上セネガル”という意味で“オート・セネガル植民地”とされ、カイを首府とするフランス植民地政府が設置されました。
 
 その後、オート・セネガル植民地は、1890年8月18日、“仏領スーダン”と改称されます。ここでいう“スーダン”とは“(サハラ以南の)黒人居住地域”という意味で、ナイル川上流、エジプトの南に位置する英領のスーダンとは直接の関係はありません。

 1890年代に入ると、フランスはカイを拠点にさらに内陸部へ進出し、各地の地方政権を圧倒。1892年にはバマコから235キロ東北のニジェール河岸のセグーを占領します。ついで、1893年12月、フランス軍のオーブ中尉が遊牧民のトゥアレグ人に殺害される事件が起きると、ユージン・ボニエ中佐ひきいるフランス軍はセグーを出発し、翌1894年1月10日、トンブクトゥに入城しました。

 今回ご紹介の加刷切手は、こうした背景の下、仏領スーダンで使用するために発行されたモノで、現在のマリ共和国に相当する地域の切手としては最初の1枚となりました。

 なお、マリ共和国の複雑な近現代史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 仏領スーダン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 岩のドームの郵便学(9)
2013-09-21 Sat 10:35
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』511号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、岩のドームを含むエルサレムがトランスヨルダンの支配下に入った直後について取り上げました。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ヨルダン強制貼付切手・郵便加刷

 これは、1953年6月、1947年に発行されたパレスチナ救援のための強制貼付切手にアラビア語と英語で“郵便”を意味する加刷を施し、普通切手として再発行されたもので、岩のドームが描かれています。

 第一次中東戦争の結果、トランスヨルダンはエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区を併呑し、1949年にヨルダン・ハシミテ王国が誕生しました。しかし、早くも1951年7月20日、国王アブドゥッラーはエルサレムのアクサー・モスク(このドームの北側130メートルの場所にあるのが“岩のドーム”です)で金曜礼拝の最中に暗殺され、息子のタラールが第2代国王として即位します。

 ところが、翌1952年8月11日、タラールは精神分裂病を理由に議会によって廃位されてしまいます。タラールの廃位により、王位は息子のフサインが継承しますが、この間の混乱の影響で、ヨルダンでは深刻な切手不足が生じています。

 英領時代を含むトランスヨルダンの時代、この地域で流通していた通貨は英委任統治下のパレスチナ(英領パレスチナ)と同じくパレスチナ・ポンドでした。ところが、第一次中東戦争が勃発し、英領パレスチナが消滅したことによって、パレスチナ・ポンドも無効となり、新生ヨルダンの発足にあわせて、新たに新通貨としてヨルダン・ディナール(1ディナール=10ディルハム=100ピアストル(カルシュ)=1000フィルス)が導入されます。

 このため、1952年2月、ベイルートのカトリック・プレス社でトランスヨルダン時代の切手に対して、新通貨に対応した額面が加刷され、同月26日から発売されます。また、これと並行して、とりあえず、初代国王アブドゥッラーの肖像を描く従来の通常切手と同じデザインで、額面表示のみをヨルダン・ディナール表示に変更した切手の製造が、ロンドンのブラッドバリー・ウィルキンソン社に発注されました。

 国王アブドゥッラーの図案でヨルダン・ディナール額面の切手、当初、新国王タラールの肖像を描く新切手(額面表示は、当然、ヨルダン・ディナールである)が発行され、流通するまでの暫定的なものと考えられていましたが、タラールの廃位によって、その後も使用されることになります。

 しかし、ヨルダン川西岸地区の併呑によって従来よりも大量の切手が必要になっていたことに加え、ブラッドバリー・ウィルキンソン社に発注された切手の数は、あくまでも当座の需要を満たすためのものでしかなかったため(最も大量に製造された5フィルス切手でさえ、わずか8万4100枚しか印刷されていません)、ヨルダン国内ではすぐに切手の在庫が底をついてしまいました。

 このため、1953年5-6月にかけて、首都のアンマンとエルサレムでは、料金収納済み”の印を郵便物に押すことで対応。これと並行して、1952年4月1日に発行されたものの、比較的在庫が残っていた“ヨルダン統一”の記念切手の記念名を棒線で抹消して、1953年5月18日以降、普通切手として流通させることになりました。

 さらに、これでも切手の不足を解消することが抱きなかったため、1953年6月には、今回ご紹介のように、強制貼付切手に“郵便”を意味する加刷を施した切手も発行されたというわけです。

 このように、過去に発行された切手の売れ残り在庫をかき集め、各種の加刷を施すことで急場をしのぐという状況は、1954年2月9日から、ブラッドバリー・ウィルキンソン社製の新たな普通切手が発行されるまで続きました。

 なお、1954年から発行された新普通切手は1フィルスから1ディナールまでの全13種で、国王の肖像やヨルダン国内の名所旧跡などが取り上げられましたが、このうちの10フィルス、15フィルス、20フィルスの各額面には岩のドームが描かれています。

 このように、トランスヨルダンからヨルダン・ハシミテ王国への体制変革に伴う一連の混乱の時代を通じて、ヨルダンの切手に岩のドームが頻繁に登場している事実は、この国の成立過程を考えるうえで記憶にとどめておいてよいでしょう。エルサレムを含むヨルダン川西岸を版図に加えることによって成立したヨルダン・ハシミテ王国にとって、西岸地区の象徴として、切手という国家のメディアにおいて全世界に発信するための素材としては、やはり、岩のドームに勝るものはなかったのです。

 * 昨日、カウンターが126万PVを越えました。いつもご覧いただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヨルダン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 空の日
2013-09-20 Fri 10:35
 きょう(20日)は“空の日”です。というわけで、飛行機ネタの中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       パレンバン初期航空便

 これは、1929年10月15日、オランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)時代のスマトラ島・パレンバンからジャワ島中部のボヨラリ宛に差し出された葉書で、パレンバンからバンドンまでは航空便で、そこから先は陸路で運ばれています。

 蘭印の航空事業は、1928年7月16日、現地のオランダ人投資家らにより、オランダ領インド航空(KNILM :Koninklijke Nederlandsch-Indische Luchtvaart Maatschappij)が設立されたことで本格的なスタートを切りました。これに伴い、早くも同年9月20日には、当時の普通切手に“航空郵便”を意味するオランダ語の“LUCHTPOST”の文字と飛行機の絵、それに、新額面を加刷した航空切手も発行されています。今回ご紹介の葉書にも、右上にその航空切手のうちの10セント切手が貼られています。

 KNILMは、同年11月1日、バタヴィア(現ジャカルタ)をハブに、バタヴィア=バンドン間、バタヴィア=スマラン間の運航を開始。その後、順次、パレンバン、メダン、スラバヤ、デンパサール、バルクパパン、マカッサル、アンボン、バンジャルマシンなどの国内線に加え、シンガポールやオーストラリアのシドニー、フランス領インドシナのサイゴンなど海外へも路線網を拡大していきました。ただし、KNILMには蘭印とオランダ本国を往復する便を運航する能力がなかったため、シンガポールまで行き、そこから本国のフラッグ・キャリアであるKLMオランダ航空の路線に接続するという方法が取られています。

 その後、いわゆる太平洋戦争が始まり、日本軍が蘭印全域を占領するとKNILMは活動を停止せざるを得なくなりましたが、戦後のオランダ再上陸に伴い、KNILMの活動も再開されます。しかし、インドネシア独立戦争の余波で1947年8月1日には再び運航停止となり、KLMが業務を引き継ぐことになりました。そのKLMもインドネシア独立戦争でのオランダの敗退に伴い、1949年12月27日には完全撤退を余儀なくされ、その後は、インドネシアのフラッグ・キャリアであるガルーダ・インドネシア航空がその路線網を引き継いでいます。

 なお、蘭印初期の航空便については、拙著『蘭印戦跡紀行』でも少しご紹介しておりますので、機会がありましたら、是非ご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | オランダ領東インド | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 満月の夜と黄金の鹿
2013-09-19 Thu 11:23
 今日は旧暦8月15日の中秋節です。というわけで、きょうは、満月の夜を題材にしたこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ラーマーヤナ・フェスティバル

 これは、1971年にインドネシアで発行された国際ラーマーヤナ・フェスティバルの記念切手で、満月の夜、ダンダカの森でラーマ王子とシーター妃の前に黄金の鹿が現れた場面が取り上げられています。

 物語では、主人公のラーマと対立する魔王ラーヴァナがシーターを奪うため、魔術師マーリーチを黄金の鹿に化けさせ、2人の前に出現させます。鹿の姿に魅了されたシーターが鹿を捕えるようラーマに頼むと、ラーマは彼女の願いを聞いて鹿を追って森の中へと入っていきますが、ラーマが彼女の傍を離れた隙をついて、ラーヴァナは彼女をさらって逃走。以後、物語は、シーターを取り戻すためのラーマの戦いを軸に展開していくことになります。

 さて、独立後のインドネシア政府は、伝統文化としての舞踏の保護育成のため、1950年、中部ジャワのスラカルタに初の国立芸術学校として“コンセルバトリ”(現・芸術高校)を開設。宮廷舞踊家クスモケソウォの指導の下、ジャワ舞踏の体系化に着手しました。

 その成果を踏まえ、1961年、クスモケソウォを総合振付家として、中部ジャワ、ボロブドゥール寺院からも近いプランバナン寺院での「ラーマーヤナ・バレエ」の上演を開始。「ラーマーヤナ・バレエ」は、セリフを使わない舞踏劇の形式でラーマーヤナの物語を表現するものですが、スラカルタの宮廷舞踏のみならず、ジョグジャカルタやバリなど他地域の音楽や舞踏の要素も取り入れた“新しい形式”のものであったため、当初は批判も少なくなかったようです。
 
 それでも、「ラーマーヤナ・バレエ」は政府の支援を受けて次第に定着し、1970年9月には全国ラーマーヤナ・フェスティバルが開かれるようになったほか、翌1971年にはアセアン各国を招待して国際ラーマーヤナ・フェスティバル(今回ご紹介の切手は、このイベントを記念して発行されたものです)が開催され、こうしたイベントを通じて、インドネシアを代表する“伝統舞踊”としての地位を確立しました。

 「ラーマーヤナ・バレエ」の特徴の一つとして、ステージの設営場所がプランバナン寺院であることを最大限に活用していることが挙げられます。

 すなわち、従来の伝統舞踊では、ラーマーヤナの物語は、ラーマの誕生から始めることになっていましたが、「ラーマーヤナ・バレエ」では、ラーマの幼少時代やシーターとの結婚、さらには祖国からの追放などの話は全てカットされています。そして、ステージの背景に、ラーマーヤナのレリーフを刻んだ寺院の建築があり、空には満月前後の月が出ているという環境の下、冒頭、「月は煌々と照り映え、満月になろうとして…」という女性の独唱で始まり、そこに、ラーマとシーターが舞台に登場し、森の中で黄金の鹿を見つけるという展開になります。この結果、観客は、この実際の風景と物語、歌詞が一致するスペクタクルな効果を堪能することができるという演出になっているわけです。したがって、単なるラーマーヤナの物語ではなく、インドネシアの「ラーマーヤナ・バレエ」を広く紹介する切手であれば、画面の構成上、やはり満月は欠かせないということになりましょう。

 なお、ラーマーヤナに題材を取ったインドネシアの芸術・芸能については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * この記事の内容は、冨岡三智著「伝統批判による伝統の成立--ジャワ舞踊スラカルタ様式の場合」『都市文化研究 Studies in Urban Cultures』Vol. 12(2010年) 50-64頁に依拠しております。こちらの不手際で、その旨の記載が漏れたため、著者の富岡氏にはご迷惑をおかけしました。この場をお借りして、お詫びいたします。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インドネシア | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 リニア新幹線のルート発表
2013-09-18 Wed 17:03
 JR東海は、きょう(18日)、2027年の開業を目指す東京(品川)=名古屋間のリニア中央新幹線の詳細な走行ルートや中間駅の位置を公表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       リニアモーターカー

 これは、1987年4月1日、JR発足にあわせて発行された“新鉄道事業体制発足”の記念切手のうち、“近未来の乗り物”としてリニアモーターカーを描いた1枚です。

 リニアモーターカーは、車両に電磁石を備え、軌道側にも電磁石や鉄板などの設備を並べることによって、それらの間の反発力と吸引力により進む仕組みになっています。

 1934年にドイツのヘルマン・ケンペルが磁気浮上鉄道の基本特許を取得し、1960年代以降、各国で本格的な研究が始まりました。わが国でも、1963年から鉄道総合技術研究所を中心に研究が始まり、1972年に国鉄が日本の鉄道100年を記念して超伝導リニアであるML100の試験走行を公開しています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、当時、宮崎浮上式鉄道実験センターで製作中だったMLU002型(MLは磁気浮上を意味するmagnetic Levitationの略、Uは線路に相当するガイドウェイの断面がU字型であることを、002は実用型実験車の2号機を意味する)の完成予想図です。この形式の車両は、1987年に1両だけ試作されたもので、両端を流線形状とし、客室スペースも広く取り入れ44人分の座席(実用時には連結して70-80人乗りとなることを想定)を確保していました。国鉄時代最後の実験車として貴重な存在でしたが、1991年10月、実験走行中に補助車輪のゴムタイヤがパンクし車輪がロックしたまま走行し、車輪と軌道との摩擦で発火。焼失してしまったため、現在は残っていません。
 
 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和末期の記念特殊切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 日本:昭和・1985~1989 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 中国切手にヴェトナム猛反発
2013-09-17 Tue 11:15
 きのう(16日)付の『環球時報』によると、ヴェトナムの関総局は全国の税関に対し、“同国の主権を侵害する中国の切手”の検査を強化するよう命じたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       西沙諸島(中国・2013)

 これは、今年(2013年)5月19日に中国が普通切手として発行した「美しい中国」のうち、“三沙七連嶼”としてパラセル諸島(西沙諸島)を取り上げた1枚で、今回、ヴェトナム政府が問題視したものです。西沙諸島は南シナ海に浮かぶサンゴ礁の小島群で、ここでいう“三沙”は、同諸島のウッディー島(永興島)・ツリー島(趙述島)・トリトン島(中建島)を意味しています。

 パラセル諸島に関しては、フランス領インドシナ時代のアンナンが、1926年、領有を前提とした調査活動を行い、1938年以降、仏印部隊が常駐していました。

 第一次インドシナ戦争の結果、1954年にフランスは撤退し、ヴェトナムは北緯17度線で南北に分割されましたが、北緯16度30分の位置にある西沙諸島に関しては、上記のような経緯からすると、ヴェトナム国(南ヴェトナム)が継承するのが自然と見られていました。ところが、1956年、中国は突如、パラセル諸島に侵攻して東半分を占領。西半分を領有する南ヴェトナムと対峙することになります。さらに、ヴェトナム戦争末期の1974年1月には、中国はパラセル諸島西半部にも侵攻し、南ヴェトナム軍を排除して同諸島を完全に占領してしまいました。以後、パラセル諸島は中国の実効支配下に置かれています。

 ヴェトナム戦争の時代、北ヴェトナム(ヴェトナム民主共和国)は、中国からの援助を受けているという建前もあって、中国による南ヴェトナム領への侵攻に対しては事実上黙認せざるを得ませんでしたが、当然のことながら、ヴェトナム戦争が終結し統一ヴェトナムが発足すると、1979年の中越紛争もあって、西沙諸島の領有権問題はヴェトナムにとって中国による侵略の脅威を象徴するもののひとつとなりました。

 さて、今回の切手に関しては、すでにヴェトナム側は中国に対して抗議し、切手の回収を求めているとのことで、ベトナム郵政の担当者も「中国側は直ちに切手を廃棄し、ベトナムの主権を尊重すべきだ」とコメントしています。もっとも、中国側としては、西沙諸島が自国領であるということを内外に広くアピールするため、いわば確信犯的にこの切手を発行しているわけですから、ヴェトナム側の抗議をまともに相手にするとは思えません。

 そうなると、今回ご紹介の切手を貼って中国からヴェトナム宛に差し出された郵便物が、実際にどういう扱いを受けるのか、非常に興味があるところですな。可能性としては、“不適切な切手が貼られているため受け取り拒否”として差出人にそのまま返送問題の切手を黒塗りして宛先に配達切手はそのままで料金未納扱いとして受取人から不足料を徴収、などのパターンが考えられますが、いずれにせよ、その実物はなんとしても入手したいものです。

 なお、切手と領土問題の関係については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろなケースを取り上げてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 中国:習近平以降 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 バレンティン選手の故郷
2013-09-16 Mon 12:06
 プロ野球ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手が、きのう(15日)、神宮球場で行われた阪神戦で今季56・57号の本塁打を打ち、1964年の王貞治、2001年のタフィー・ローズ、2002年のアレックス・カブレラの55本を抜き、シーズン本塁打のプロ野球新記録を樹立しました。というわけで、きょうは彼の故郷、キュラソーの切手からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       キュラソー(1873)

 これは1873年に発行されたキュラソー最初の切手のうちの2セント半切手です。

 キュラソー島は、ベネズエラの北約60km、カリブ海に浮かぶオランダ領で、1499年、スペイン人アロンソ・デ・オヘーダとイタリア人アメリゴ・ヴェスプッチによって“発見”されました。その後、1634年にオランダ艦隊が上陸し、翌1635年にキュラソー島にフォート・アムステルダム要塞を建設。オランダ西インド会社の管轄(事実上のオランダ領)となりました。この時代の郵便は、オランダ本国とカリブ海のオランダ領との間を結ぶ不定期便によって運ばれていました。

 ナポレオン戦争中の1807-15年、キュラソー島を占領した英国は現地に郵便局を開設。戦後の1815年、キュラソー島とアルバ島、ボネール島をあわせたヴェネズエラ沖の蘭領ABC諸島は“キュラソー植民地”として、再びオランダ西インド会社の管轄下に置かれます。これに伴い、キュラソー島の英国局は閉鎖されましたが、オランダが首都のウィレムスタットに郵便局を開設したのは1825年のことでした。

 その後、1828年になると、キュラソー植民地とSSS諸島(シント・マールテン島+シント・ユースタティウス島+サバ島)からなるシント・ユースタティウス植民地、それにギアナ植民地(現スリナム)をあわせた蘭領西インド植民地が設置されますが、1845年には、ギアナ植民地とキュラソー植民地(旧キュラソー植民地+シント・ユースタティウス植民地)に再分割されています。その後、1834年まではウィレムスタット=ヘレフートスライス間の郵便はオランダが取り扱いましたが、採算が合わずにオランダが路線を廃止したため、1842年から1885年までは英国船によって運ばれました。

 今回ご紹介のキュラソー最初の切手が発行されたのは1873年5月23日のことで、切手はキュラソー植民地を構成する6島(ABC諸島+SSS諸島)で使用されています。

 さて、第二次世界大戦中、オランダ本国はドイツの占領下に置かれ、王室と政府はロンドンに亡命。この間の1942年、ウィルヘルミナ女王はオランダの海外領土に自治の拡大を約束するとともに、キュラソー植民地の島々はオランダ政府の同意の下、米英両国によって占領されました。

 戦後の1948年5月、キュラソー植民地は大幅な自治権を認められた“蘭領アンティル”に改められましたが、1970年代のオイルショックが起こると、自らは石油を産出せず、ヴェネズエラ産原油を輸入して精製することを経済的な基盤としていたキュラソー島は経済的に大きな打撃を受けます。その後、1985年にはロイヤル・ダッチ・シェルがキュラソー島の製油所を閉鎖したこともあり、翌1986年、アルバ島がアンティルから離脱。さらに、蘭領アンティルを構成する各島の経済格差などから蘭領アンティルの解体を求める世論が高まり、2004年10月、オランダとアンティルの合同委員会の話し合いにより、蘭領アンティルの解体が宣言されました。

 この結果、2010年10月10日、キュラソー島とシント・マールテンは単独の自治領となり、ボネール島、シント・ユースタティウス島、サバ島の3島は、オランダ本国に編入され、現在のキュラソー自治領が誕生したというわけです。

 今回、偉業を達成したバレンティンは1984年生まれですので、現在のキュラソー自治領ではなく、旧蘭領アンティルの出身というのが正確なのでしょうが、出生地はキュラソー島の首都ウィレムスタットですからねぇ。これまでくどくど述べてきた制度上の変遷はともかく、キュラソー出身と言っておけば十分でしょうな。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | キュラソー | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に描かれたソウル:聖水大橋
2013-09-15 Sun 11:03
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』8月30日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の30日から、旧ソウル市庁舎前のソウル広場を中心に「ソウル文化の夜(ソウルオープンナイト)」が開催されることにちなみ、韓国の夜景を取り上げた切手の中から、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       聖水大橋

 これは、2007年に発行された「韓国の橋シリーズ」のうち、聖水大橋を取り上げた1枚です。ソウルの夜景を題材として切手としては、崇礼門(南大門)汝矣島の国会議事堂の切手などもあるのですが、それらは過去の連載で取り上げてしまいましたので、今回は今まで取り上げていないものということでこの切手を選びました。

 さて、聖水大橋は、城東区の聖水洞と江南の繁華街、狎鴎亭を結ぶ橋で、全長1160メートルのトラス橋。1977年4月、東亜建設により着工し、1979年10月、漢江に架かる11番目の橋として開通しました。

 ところが、設計時には18トンと見込まれていた標準車両荷重が、実際には24トンで利用されていたことに加え、杜撰な手抜き工事(たとえば、中央の吊り桁を鋼製トラスから吊っていたI型断面の吊り部材の溶接が不十分であったことや目視検査でも簡単に分かる手抜き施工の箇所が見逃されていたことなどが指摘されています)も原因となって、利用者からは、走行中に揺れが激しいと苦情が寄せられていました。

 このため、ソウル市当局は応急の補修工事を行ったものの、そのまさに翌日の1994年10月21日午前7時40分ごろ、橋の中央部分が突如崩落し、通行中の乗用車や市内バスが巻き込まれて、舞鶴女子高校の生徒8人を含む32人が亡くなる大惨事となりました。

 この事故に続き、翌1995年には、やはりソウル市内の三豊百貨店が手抜き工事による崩落事故を起こしたこともあって、怒った韓国国民の間には対策を求める声が高まり、災難管理法が制定され、消防防災庁直属の中央119救助隊が組織されています。

 一方、聖水大橋の復旧工事に関しては、国内企業に対する国民の不信感もあって、工事の統括と技術的アドバイスは、英国のコンサルタント、レンデル・パルマ-・アンド・トリトン社が契約を落札。その後、設計を変更したうえで、1995年5月、現代建設が約22億円で受注して再建工事を開始し、1997年7月、聖水大橋は4車線に拡幅されて再開通しました。ただし、現代建設による工事に関しても、2001年の調査で手抜き工事が発覚しており、韓国土木業界の体質があらためて問題視されています。

 その後、聖水大橋は、2004年には8車線への拡幅工事が行われ、橋は現在の姿となったが、とりあえず、深刻なトラブルは報告されていないようです。

 なお、切手に取り上げられたような聖水大橋の夜景は、漢江の遊覧船に乗ると見ることができます。汝矣島から蚕室行きの船か、蚕室から出てひとつ先の東湖大橋まで行って戻ってくる船のどちらを選ぶかは、まぁ、好みの問題でしょうな。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 韓国:盧武鉉時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 マオリのモコ
2013-09-14 Sat 11:41
 今月8日、アイヌ語復興を目指す講習会の講師としてニュージーランドから来日していたマオリ族のエラナ・ブレワートンさんが、石狩地方の温泉施設に立ち寄った際、口や顎の入れ墨を理由に入浴を断られたことについて、昨日(13日)、菅義偉官房長官は「2020年の東京オリンピック開催にあたり、さまざまな国の人がわが国に来ることが予想される。外国の文化に対して敬意を払い、理解をおし進めることが大事だ」と指摘したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マオリ・タトゥー

 これは、1971年1月20日、ニュージーランドが発行したマオリ族の入れ墨のパターンを描く20セント切手です。

 身体に入れ墨を施す文化は世界各国で見られますが、ニュージーランドのマオリ族に関しては、顔面に施す“モコ”が有名です。

 モコは男女ともに行われますが、男性の場合、部族などの紋様を顔の中心部分に彫り、顔の側面、耳の近くに個人を示すためのデザインを施すのことになっており、モコを見れば、その人物がどの集団に属する誰なのかが一目でわかるようになっています。これにより、戦闘などの際には、瞬時に敵味方を見分けることができるわけですが、それゆえ、マオリの文化としてモコが紹介される場合には、今回ご紹介の切手を含め、戦士の顔に刻まれた勇壮なパターンが取り上げられることが多いようです。

 一方、女性の場合、モコは唇と顎に施されますが、顎のものは既婚者を示すもので、やはり、ファッションというよりも社会的な意味合いの強いものです。

 さて、こうしたことを考えると、モコを理由に入浴を断られたことにマオリの女性が憤慨するのはある意味で当然といえるわけですが、その反面、現在のわが国の入浴施設では“入れ墨お断り”なのが一般的であるのは、日本で生活している人間であればだれでも知っていることです。

 したがって、今回のようなケースでは、彼女を招聘した団体が(良し悪しやそのことの賛否は別にして)日本の実情を説明したうえで、それでも、重要なゲストである彼女が温泉への入浴を希望するのであれば、“入れ墨お断り”ではない施設を探すか、あるいは、事情を説明して、たとえば1時間だけ関係者で施設を貸切にするなどの対策を講じるのが、主催者として取るべき当然の対応ではないでしょうか。

 今回、彼女はマオリの原語指導者として、アイヌ語復興を目指す講習会の講師として招かれたそうです。アイヌ語の復興とマオリの言語指導にどういう関係があるのか、門外漢である僕には理解しづらい面があるのですが、アイヌ問題の一部活動家の中には、真の意味でのアイヌ文化の保存や発展よりも、アイヌを口実にした差別利権を貪っている輩もいると伝えられています。

 そうした悪質な団体であれば、事前に何ら準備をしないまま入浴を断られることを見越してモコの女性を温泉に連れて行き、“予定通り”入浴を断られると声高に「差別だ!」と糾弾し始めるというようなこともやりかねません。仮にも、自らの主義主張や利権のために、マオリの女性とその文化を貶めるようなことが行われたとするならば、そのことは断じて許してはなりますまい。

 件の“アイヌ語復興を目指す講習会”の主催者が、そうした悪意ある組織ではないというのなら、まずは自らの不手際について深く反省し、今回の一件について謝罪を表明したうえで、入れ墨の文化を持つ外国人が日本の入浴施設を利用する際のガイドラインを提案するくらいのことをすべきだと思うんですがねぇ。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ニュージーランド | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 私が愛した大統領
2013-09-13 Fri 11:26
 米国大統領フランクリン・ルーズヴェルト(以下、FDR)と従妹のデイジーを取り上げた映画『私が愛した大統領』(映画の公式サイトはこちらです)が、きょう(13日)から、TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほかにて全国公開となります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      FDRカバー(ジャマイカ)     FDRカバー裏面

 これは、1942年にジャマイカの首都キングストンの米国大使館からワシントンの国務省宛に差し出されたカバーで、FDRの旧蔵品だったことを示す印(画像右)が裏面に押されています。

 切手収集は“趣味の王者にして王者の趣味”と呼ばれていた時代がありましたが、このうちの後半部、“王者の趣味”というのは、もともと、熱心な収集家だった英国王ジョージ5世を意識した言葉でしたが、その国王が1936年に崩御すると、代わりに“王者の趣味”を象徴する存在となったのが、FDRでした。

 ジョージ5世が大英帝国の威光を背景に高価な珍品切手を買いあさっていたのに対して、FDRは必ずしも高価な切手には興味はなかったようで、むしろ、手ごろな値段の切手を数多く集めて楽しむ収集スタイルでした。特に、今回ご紹介のモノを含め、在外公館からワシントンの国務省宛に送られたカバーなどはゴッソリと自分のコレクションに加えており、その膨大な旧蔵品は、1945年に彼が亡くなった後、1946年に米国のハーマー商会によって販売されました。その際、ハーマー商会はカバーやオンピースの場合は裏面や余白に、切手の場合には台紙をつけて、“FROM THE FRANKLIN D. ROOSEVELT COLLECTION/ AUTHENTICATED BY H. R. HARMER INC., N. Y.”という印を押し、切手やカバーがFDRの旧蔵品であることを示しています。

 さて、今日から公開の映画『私が愛した大統領』では、FDRの私生活が取り上げられていることもあって、“切手収集”が物語の展開上、重要な役割を果たしています。なかでも、ヴィクトリア・フォールズの切手は、物語の展開上、重要な小道具となっている点などは、収集家として注目したいポイントです。

 なお、映画館で販売されるパンフレットには、僕も「FDRと切手収集」と題するコラムを寄稿しています。拙稿では、全国復興庁の切手などもご紹介しながら、FDRと切手との関係を解説しておりますので、ぜひ、劇場でお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ジャマイカ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 元大関・把瑠都が引退
2013-09-12 Thu 12:34
 エストニア出身の元大関、把瑠都が、きのう(11日)、日本相撲協会に引退届を提出しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       エストニア・相撲世界選手権

 これは、2008年にエストニアで発行された世界相撲選手権大会記念の切手つき封筒です。

 世界相撲選手権大会は、国際相撲連盟が主催する男子の世界大会で1992年から原則として毎年開催されています。ちなみに、女子は2001年から、世界女子相撲選手権大会という別名称で開催されていますが、大会の会場は男子と同じです。

 今回の切手つき封筒の第18回大会は、2008年10月、把瑠都の出身地であるエストニア北東部のラクヴェレで開催されました。2008年の把瑠都は、小結、関脇と順調に番付を上げていた時期で(ちなみに、大関昇進は2010年のことです)、彼の活躍がエストニア開催の大きな要因になっていたことは間違いありません。純然たるスポーツ競技としての相撲は体重別の階級制度を取り入れるなど、大相撲とは異なる面も多々あるのですが、封筒の余白に感じで大きく“大相撲”と書かれているのも、かの地での把瑠都人気を反映したものなのでしょう。

 さて、2012年1月場所に幕内優勝を成し遂げ、綱獲りに挑んだこともあった把瑠都ですが、その後は度重なる故障などに泣き、同年11月場所限りで大関から陥落。最近では十両まで番付を下げ、ついには引退となりました。親方として相撲協会に残るための日本国籍を取得していないこともあって、このまま角界を去り、今後は日本とエストニアをつなぐ懸け橋を目指すとのことです。今までお疲れ様でした。そして、これからのご活躍をお祈りしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | エストニア | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 チリ・911事件から40年
2013-09-11 Wed 11:15
 “911”というと、2001年の米国同時多発テロ事件を思い出す人が多いと思いますが、もともとは、1973年9月11日にアウグスト・ピノチェトが起こした反アジェンデ・クーデターの方が有名でした。というわけで、きょうはその40周年ということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       生命・アジェンデ・死

 これは、2008年にチリが発行したサルバドール・アジェンデ生誕100年の小型シートで、チリ出身の画家、ロベルト・マッタの作品「生命 アジェンデ 死」が取り上げられています。

 マッタは、1911年、サンティアゴ生まれ。1929年から1931年まで、サンティアゴ・カトリック大学で建築を学んでいましたが、中退してヨーロッパ各地を放浪。1933年、パリに渡り、ル・コルビュジエの建築事務所に職を得ました。その後、1937年頃に、ルネ・マグリットやサルバドール・ダリ、アンドレ・ブルトン、ル・コルビュジエなどと出会い、シュルレアリスムのメンバーに加わりましたが、1939年、第2次大戦が勃発すると、マルセル・デュシャンの助言により、イヴ・タンギーと共にニューヨークへ亡命。米国における“抽象表現主義”の祖というべき存在になりましたが、1948年にフランスに戻り、以後、フランス国籍を取得してパリを拠点に活動しました。

 思想的には左派リベラルの立場で、1961年、 スペイン内戦に着想を得た「質問」でマルツォット賞を受賞。さらに、1962-63年には革命後のキューバを訪問し、 1968年にはハバナで開催された文化会議の議長を務めました。

 1970年、祖国チリでアジェンデが大統領に当選し、史上はじめて自由選挙により社会主義政権が発足すると、チリ出身の左派系文化人を代表する存在となっていたマッタは、アジェンデ直々の招待により、大統領就任式に出席のためチリを訪問しています。それだけに、1973年のクーデターでアジェンデが殺害(自殺説もありますが)されたことには大きな衝撃を受け、今回ご紹介の切手に取り上げられた「生命 アジェンデ 死」を発表。ピノチェトによる軍事クーデターに対する抗議の意を示しました。

 さて、クーデターの後、チリは16年の長きにわたり、ピノチェトの軍事独裁下に置かれることになりました。もっとも、いまになってみれば、日本の革新知事たちがそうであったように、アジェンデ政権というのも、実は放っておけば政策的な行き詰まりでそう長くはもたなかったように思うのですが、当時のアメリカとピノチェトはそう考えなかったんでしょうねぇ。逆に、アジェンデにとっては、その悲劇的な幕切れのゆえに“英雄”としてラテンアメリカ史に名を残すことになったのは、政治家としてある意味で幸せなことだったのかもしれないと思えてなりません。

 なお、ピノチェト政権は1990年3月11日に退陣を余儀なくされますが、ピノチェト本人はその後も1998年に病気療養のため渡英するまでチリ政界で隠然たる力を維持し続けます。この間、マッタは1995年に 高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞を受賞していますが、この頃になると、宮様の名前を冠した賞の戦功に際しても、彼の政治的な立場が問題視されることはなかったようです。ちなみに、マッタがローマ近郊の病院で亡くなったのは2002年のことで、ピノチェトが亡くなったのは2006年のことでした。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | チリ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 隠岐諸島が世界ジオパークに
2013-09-10 Tue 10:07
 世界遺産の地質版とされる自然公園・世界ジオパークに、きのう(9日)、島根県の隠岐諸島が認定されました。国内では、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸に続き、6例目です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       大山隠岐国立公園(隠岐・浄土浦)

 これは、1965年1月20日に発行された「大山隠岐国立公園」のうち、隠岐浄土ヶ浦を取り上げた10円切手です。

 大山隠岐国立公園は、もともとは1936年2月1日に指定された大山国立公園に、1963年4月10日、蒜山、島根半島、三瓶山、隠岐地域を編入して現在の名称となったもので、2002年3月26日には大山・蒜山地区に毛無山や宝仏山が編入されています。

 隠岐諸島は、島根半島の北50キロの地点に位置し、島後水道を境に島前(知夫里島・中ノ島・西ノ島など)と島後(島後島、いわゆる“隠岐の島”一島です)に分かれますが、今回ご紹介の浄土ヶ浦は島後の東部、崎山岬に位置する海岸で、一休宗純がこの地を訪れ、さながら極楽浄土のようだと謳ったのが地名の由来だそうです。

 周囲一帯には数多くの小島、岩礁がありますが、赤褐色の流紋岩、安山岩、堆積岩が混在しているため、地肌が赤褐色であるのが特徴で、切手の刷色もそうしたことを踏まえたものと思われます。これは、ぜひ一度、実際の風景を拝みに行かねば。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 日本:公園 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 東京五輪でレスリング存続
2013-09-09 Mon 10:29
 2020年東京五輪実施競技の残り1枠は、野球・ソフトボール、スカッシュ、レスリングの3候補のうち、レスリングに決まりました。というわけで、きょうは“東京五輪”のレスリング切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       トルコ・レスリング(1964)

 これは、1964年の東京五輪に際してトルコが発行したレスリングの切手です。

 トルコがオリンピックに参加したのは、1923年に現行のトルコ共和国が発足した翌年(1924年)のパリ五輪のが最初ですが、オスマン帝国時代に遡ると、1908年のロンドン五輪が最初となります。

 これまで、トルコは五輪で82個のメダルを獲得していますが、金メダルに関しては、1936年のベルリン五輪でレスリング60キロ級のヤサル・エルカンが獲得したのが最初です。また、82個のメダルのうち、レスリングの獲得メダル数は57個(内訳は、金28、銀16、銅13)と他を圧倒しており、 “レスリングはお家芸”というのは、日本以上にトルコに当てはまる言葉といってよいでしょう。

 さて、2020年の五輪開催を巡っては、最終候補地として、トルコの首都イスタンブールが東京と争ったわけですが、東京開催が決まった直後のツイッターのトレンド・ワードには“Tebrikler Tokyo”がランクインしたそうです。これは、トルコ語で「おめでとう東京」を意味する表現で、多くのトルコ人が東京での五輪開催を祝福してくれたことを意味しています。

 人間の素朴な感情として、自分たちが落選した後に他国での開催を祝うということはなかなかできないのが当然で、こうしたツイートが自然と出てくるトルコという国の懐の深さには、本当に敬意を表したいですな。真の意味での友好国ともいうべきトルコの人々の友情に対して、日本人として心からお礼を申し上げるとともに、次にトルコが五輪開催に名乗りを上げた際には、日本が先頭に立ってトルコを応援しなくては…という気分になりました。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | トルコ | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 2020年の東京五輪開催決定
2013-09-08 Sun 09:46
 国際オリンピック委員会(IOC)は、7日(現地時間)、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで総会を開き、2020年夏季五輪・パラリンピックの開催都市に東京を選びました。東京では1964年以来56年ぶり2回目の五輪開催で、1972年札幌、1998年長野の冬季五輪を含めれば、日本で4回目の五輪開催となります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        五輪年賀(1937)     五輪年賀(1937・裏)

 これは、二見浦の夫婦岩を描いた昭和12年用の年賀切手が貼られた年賀状で、裏面には以下のような文面が記されています。

 ベルリンの輝しい憶出 皇紀二六〇〇年
 オリムピツク炬火のまぼろし待望感激の中に昭和十二年は明けました
 平和と協力オリムピツク時代に適はしく熱と意氣更に皆様の御愛顧の中に飛躍の年であるやう一層の御引立御願申上ます

 ここで話題となっているオリンピックは、幻に終わった1940年の東京五輪のことですが、1940年のオリンピックを東京で開催することが正式に決まったのは、1936年7月31日(ベルリンオリンピック開会式の前日)のことです。したがって、昭和12年の年賀状は、五輪開催が決まってから最初の新年を寿ぐものとなりましたが、今回ご紹介の年賀状にはそうした雰囲気がよく表れています。

 さて、1940年のオリンピックは日中戦争の影響で返上せざるを得なくなったわけですが、開催が決まった以上、2020年の東京五輪は何があっても責任をもってやり遂げなければなりません。東日本大震災被災地の復興や福島の原発事故の処理など、解決すべき課題は山積しており、それを理由に一部左派リベラルの連中は五輪開催への反対論を展開してきたわけですが、逆にいえば、2020年の五輪本番までにはそれらを(少なくとも一定程度は)解決しなければならないという明確な〆切が設定されたわけで、これを機に、この国が良い方向に向かっていくことを素直に期待したいですな。

 * 昨日の切手市場での行商は無事終了しました。ご来場いただきました皆様、特に、拙著をお買い上げいただいた皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 日本:年賀 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 IOC総会はじまる
2013-09-07 Sat 07:55
 2020年の五輪開催地を決めるIOC総会が、日本時間のきょう(7日)午前7時(現地時間だと6日19時)から、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスでスタートしました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       テアトロ・コロン(1979)

 これは、1979年にアルゼンチンが発行したテアトロ・コロン(コロン劇場)の切手です。今回のIOC総会は、まず、テアトロ・コロンで開会式を行い、ついで、市内のホテル、ブエノスアイレス・ヒルトンに移って審議が始まるということなのですが、ブエノスアイレス・ヒルトンの切手は発行されていませんので、テアトロ・コロンの切手をご紹介したという次第です。

 テアトロ・コロンはブエノスアイレスの歌劇場で、初代の劇場は1857年にオープンしました。ちなみに、設計を担当したカルロス・エンリケ・ペレグリーニは、1890-92年にアルゼンチンの大統領を務めたカルロス・ペレグリーニの父親です。

 その後、初代の劇場は取り壊され、1889年から1908年にかけて現在の劇場が建設されましたが、老朽化のため、2006年から2010年にかけて大規模な改修工事が行われました。切手ではイマイチわかりづらいのですが、外観のみならず、内装の豪華さゆえに、世界三大歌劇場の一つと称されることもあります。もっとも、この三大歌劇場というのは、テアトロ・コロンのほか、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座、オーストリアのウィーン国立歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の中から、どれを選ぶかは人によって意見が分かれています。

 ちなみに、テアトロ・コロンのこけら落としとして、1908年5月25日に上演されたのはヴェルディの『アイーダ』でした。めでたく五輪の開催地が東京に決まったら、ぜひとも、メディア各社は、劇中の「凱旋行進曲」を流しながらニュースを紹介するくらいのことをしていただきたいものですな。


 ★★★ イベントのご案内・本日開催です! ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手で訪ねるふるさとの旅:兵庫県
2013-09-06 Fri 18:24
 ご報告が遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第23号(2013年9月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は兵庫県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       原不動滝

 これは、1969年8月20日に発行された「氷ノ山・後山・那岐山国定公園」の切手で、原不動滝が描かれています。

 宍粟市波賀町原、竹呂山を源流とする引原川支流の八丈川流域にある原不動滝は、落差88mを3段に分かれて落下する男滝と、男滝の最下段部の滝壺で合流する女滝で構成されています。滝の名前は駐車場から滝までの遊歩道途中にある不動堂が由来です。滝の周囲は原生林で紅葉の名所としても知られているが、今回ご紹介の切手では、夏の青葉の風景が取り上げられています。まぁ、雑誌の刊行時期としては、こちらの方がピッタリなので、助かりましたが…。

 さて、『散歩人』の記事では、地図をバックに、今回ご紹介の切手のほか、明石天文科学館、童謡『赤とんぼ』ゆかりの揖西郡龍野町(現・たつの市)、豊岡市のコウノトリ、富士製鉄広畑製鉄所、宝塚歌劇団、鉄斎美術館をご紹介しています。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 日本:公園 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 サンクトペテルブルクとレニングラード
2013-09-05 Thu 13:49
 きょう・あす(5・6日)、ロシアのサンクトペテルブルクで主要20カ国・地域(G20)首脳会議が開催されます。というわけで、サンクトペテルブルクがらみのこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      サンクトペテルブルクからエネム宛     サンクトペテルブルクからエネム宛(裏面)

 これは、1995年3月10日、サンクトペテルブルクからアディゲ共和国のエネム宛に差し出されたものの、差出人戻しとなったカバーとその裏面(消印部分)です。差出人による差出地の書き込みは“サンクトペテルブルク”になっていますが、押されている消印・到着印の地名はソ連時代の“レニングラード”表示のままで、CCCPの表示も入っています。

 ロシア帝国時代の首都であったサンクトペテルブルクは、帝政末期の1914年にペトログラードと改称され、ソ連成立後まもない1924年にレニングラードと改称されましたが、1991年のソ連崩壊を受けて、住民投票により旧称のサンクトペテルブルクに戻されました。なお、ソ連時代の1927年、レニングラード市を州都とするレニングラード州が設置されましたが、この州名は現在でも変更されていません。ただし、サンクトペテルブルク市はレニングラード州の州都でありながら、ロシア連邦直轄の連邦市として行政上は州から独立しているということで、ちとややこしいですな。

 今回ご紹介のカバーは、都市の名前がサンクトペテルブルクに戻ってから3年以上が過ぎた1995年のモノですが、サンクトペテルブルクほどの大都市の郵便局となると、押印機や印顆もかなりの数が必要となるでしょうから、ソ連時代のモノも排気されずに使われ続けたということなのでしょう。

 宛先のエネムは、アディゲ共和国の首都マイコープから245km東北、クラスノダール=ノヴォロシスク間の幹線道路沿いに位置する都市で、1890年、コサックの駐留地として建設されました。カバー裏面には、マイコープとエネムの印も押されていますが、こちらは、現在のロシア連邦になってから配給されたものです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ロシア連邦 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 丹下健三生誕100年
2013-09-04 Wed 10:22
 1913年9月4日に建築家・丹下健三が生まれてから、今日でちょうど100年です。というわけで、きょうは丹下の“代表作”を取り上げたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        東京五輪・代々木競技場

 これは、1964年10月10日に発行された東京オリンピックの記念切手のうち、丹下の代表作とされる国立屋内総合競技場体育館(国立代々木競技場)の本館と別館を取り上げた40円切手です。

 東京オリンピックの屋内競技場の建設用地には、当初、新宿御苑(旧近衛連隊跡地)も候補にあげられていましたが、最終的に“ワシントン・ハイツ”と呼ばれていた在日米軍の住宅地の返還を受け、選手村と代々木競技場が建設されました。
            
 丹下の代表作として紹介されることの多い代々木競技場ですが、正確に言うと、複数の建築家による合作で、その分担は、“建設・総合意匠”が丹下、“構造”が坪井善勝、“設備”が井上宇市となっていました。着工は1963年3月です。

 屋外のメインスタジアムである国立競技場が、戦後日本の国際スポーツ界への復帰第一歩となった第3回アジア大会開催を記念する建造物であったのに対して、代々木競技場は、はじめから、東京オリンピック開催を記念する建造物として計画されました。

 このため、その構造は、世界に類のない高張力による吊り屋根方式で、明治神宮の森の美しい環境を生かし、高い芸術性を保っており、戦後の日本を代表する建造物のひとつとなっています。また、内部には岡本太郎の原画によるレリーフなどが配されており、芸術性も強く意識されました。

 なお、東京オリンピックに際しては、本館(現・第一体育館)で水泳競技が、別館(現・第二体育館)はバスケットボール競技が行われています。

 さて、2020年のオリンピック開催地が今週末に決定されます。日本人である僕としては、ぜひとも、東京が開催地に選ばれて欲しいと思っていますが、東京でのオリンピック開催が決まったら、その記念建造物はどんなものになるのか想像してみるのも楽しいですな。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 きょう(4日、場合によってはあす5日も)、16:30前後から、昨日に続き、東海ラジオで放送の「夕焼けナビ」にて、僕のインタビュー(録音)が流れます。お題は、先ごろ1等が現金1万円と発表された来年の年賀はがき。聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 日本:昭和・1961~1966 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 米64歳女性が遠泳の最長記録
2013-09-03 Tue 10:57
 まずは直前になりましたが、告知です。

 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 きょう・あす(3・4日)の両日(場合によってはあさって5日も)、16:30前後から、東海ラジオで放送の「夕焼けナビ」にて、僕のインタビュー(録音)が流れます。お題は、先ごろ1等が現金1万円と発表された来年の年賀はがき。聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。


 さて、米国の64歳女性、ダイアナ・ナイアドさんで先月31日、キューバの首都ハバナから米フロリダ州を目指して出発。約53時間後の現地時間の2日午後、フロリダ州キーウェストの海岸に到着しました。サメを防ぐ柵を使わない遠泳としては世界最長記録だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       キーウェスト=ハバナ就航30年

 これは、1957年にキューバが発行したキーウェスト=ハバナ間の航空便就航30年の記念切手で、ハバナとキーウェストの位置を示す地図と初飛行の際の飛行機が描かれています。今回のナイアドさんは、この距離を泳いで渡ったわけで、あらためて、その凄さがわかりますな。

 さて、キーウェスト=ハバナ間の航空路線を開拓したのは、パンアメリカン航空(以下、パンナム)です。

 パンナムは、民間航空が各国で盛んになってきた1927年3月14日、ファン・トリップが、米空軍の父と呼ばれた軍人のヘンリー・アーノルドらの協力を得て、フロリダ州マイアミを拠点に設立されました。トリップの理想は、航空輸送の大衆化でしたが、当面の目的としては、当時、コロンビアを拠点に展開していたドイツ系の航空会社SCADTAに対抗することで、その手始めとして、1927年10月、キーウェスト=ハバナ間90マイル(144.8キロ)の航空郵便の輸送が計画されます。

 当初、10月の初飛行に際しては、フォッカー社のF-7型機が使用される予定でしたが、パンナムが発注した機体の到着は遅れ、納品は同年9月30日になってしまいました。このため、パンナム側は西インド航空のフェアチャイルド機を145.5ドルでチャーターし、10月18日にエアメールを運びました。ちなみに、パンナムがフォッカーF-7を使い、キーウェスト=ハバナ間で最初の旅客輸送を行ったのは、1928年1月16日のことです。

 これを機に、パンナムはカリブ海路線を皮切りに、南米、ヨーロッパ、アジアへと路線網を世界各国へ拡大。米国政府の庇護もあり、名実ともに米国のフラッグ・キャリアとして、1970年代まで世界の航空業界に君臨することになりました。

 パンナムは1991年に破産し、路線はユナイテッドやデルタに譲渡されてしまいましたが、切手の地図を見ていると、世が世なら、今回の偉業を達成したナイアドさんも、スタート地点のハバナへはパンナムで行ったのかなぁと想像してしまいますな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ジャカルタ日本祭り開幕
2013-09-02 Mon 11:50
 第5回ジャカルタ日本祭り(JJM)が、きのう(1日)、開幕しました。今年は日本とインドネシアの国交樹立55周年、日本=ASEAN友好協力40周年を迎えたいうこともあり、オープニング・イベントとして「第18回世界のお巡りさんコンサート in インドネシア」が行われ、インドネシア国家警察士官学校・警視庁・米ニューヨーク市警察・韓国ソウル特別市地方警察庁・ベトナム警察の各音楽隊が独立記念塔があるムルデカ広場周辺の約1.5キロをパレードしました。というわけで、きょうは、ジャカルタの警察にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       アデック刑務所

 これは、1943年11月19日、日本占領下のジャワ島のアデック刑務所からジャカルタ市内宛の葉書です。通常のジャカルタの検閲印に加え、アデック刑務所の検閲印とジャカルタ警察署の検閲印が押されているのがミソです。なお、アデック刑務所は、ジャカルタ東部(現在のジャカルタ特別州東ジャカルタ市)のジャティヌガラ地区にあり、もともとは、1811年に英国の攻撃に備えて築かれたオランダ側の砦だった建物を刑務所に転用したものです。
 
 第2次大戦以前のオランダ領東インド(蘭印)では、警察業務は基本的にオランダ人が掌握しており、非オランダ系の現地住民が警察幹部に登用される道はほぼ閉ざされていました。日本の占領時代、行政機構の幹部職からオランダ人が追放されたことで、警察においても、非オランダ系の人材を育成する必要が生じ、数多くの非オランダ系が拳銃などの武器を持つことになりました。

 1945年8月の日本の敗戦により、現地駐留の旧日本軍と彼らに連なる軍事組織は連合国によって武装解除されることになりましたが、警察は連合国による武装解除の対象外でした。このため、独立を宣言したインドネシア共和国と、それを阻止しようとするオランダとの間でインドネシア独立戦争が勃発すると、共和国側は、1946年、日本の占領下で訓練を受けた警察官によるインドネシア国家警察を正式に発足させ、警察官を事実上の兵士として独立戦争に動員しています。(もちろん、彼らは通常の警察業務も行っていますが)

 このように、インドネシアでは軍と警察の分離が不十分な状態が続いていましたが、いわゆる9・30事件を機にスハルトげ権力を掌握すると、1966年、インドネシア国家警察は正式に国軍の管轄下に置かれるようになりました。ただし、1998年にスハルトが失脚し、民主化がスタートすると、2000年、国家警察は国軍から分離され、独立した組織となりました。

 なお、今回ご紹介の警察組織に限らず、現在のインドネシア国家には、日本時代の“遺産”をもとに出来上がった制度が少なからずあります。その一部については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 蘭印(日本占領時代) | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 逓信総合博物館が閉館
2013-09-01 Sun 15:49
 “ていぱーく”の愛称で親しまれた東京・大手町の逓信総合博物館が、きのう(31日)、閉館しました。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       逓信総合博物館

 これは、1965年3月25日に発行された“逓信総合博物館竣工記念世界切手展”の記念切手で、昨日へ行かんとなった博物館の建物が取り上げられています。

 逓信総合博物館は、1964年12月1日、郵政省・日本電信電話公社・日本放送協会・国際電信電話株式会社の4者の協力により、東京・大手町に情報通信関係の総合博物館として開館しました。

 建物面積は延べ1万3500平方メートル、地上4階・地下2階建てで、総工費は8億円です。展示の特徴としては、①逓信事業の仕事の流れや歴史的変遷が一目でわかるようにしたこと、②パノラマ、模型、押しボタンなどにより、“動く博物館”としての装置を取り入れたこと、③外国の逓信関係の事情も紹介したこと、④過去の資料だけでなく、将来の展望についても展示したこと、などであり、郵便・貯金・保険・電信・電話・電波および放送等の逓信関係事業のPRを行うことで、広く国民一般に事業への理解を求め、あわせて、通信一般についての知識の啓発普及に努め社会教育的な場にすることが目的でした。

 当初、逓博の開館は、1964年10月1日が予定されており、収集家の間では、それにあわせて記念切手が発行されるものとの観測も流れていました。

 しかし、逓博のオープン予定日は東海道新幹線の開通予定日でもあったことにくわえ、同年10月には、国際文通週間と東京オリンピックがあり、記念切手の発行ラッシュとなっていたため、1964年1月末に開かれた郵政審議会専門委員会では、逓博関連の記念切手は、昭和39年度の記念・特殊切手の発行計画から除外されることになりました。

 その後、1964年10月の東京オリンピックにあわせて、のちに逓博となる建物の一階で“切手オリンピック”(オリンピックにあわせて行われた、芸術展示としての切手展)が開催されたものの、逓博そのもののオープンは切手オリンピックには間に合わず、記念切手の発行は宙に浮いてしまいました。

 ところが、郵政省部内には、逓博のオープンを記念するための切手をなんとか発行したいとする意見が根強かったため、急遽、1965年3月25日から4月30日まで“逓信総合博物館竣工記念世界切手展”を開催し、それにあわせて記念切手を発行することが計画されます。

 展覧会の開催が会場の逓博側に伝えられたのは、1965年1月9日のことで、当初、逓博は、同館所蔵の切手・葉書類40万点のうち、1961年から1964年末までに発行された世界の新切手約1万点を博物館の一階ホールに展示する展示プランを立てたものの、所蔵品だけで展示の全てを賄うことはできず、不足分については、都内の切手商から急ぎ購入したり、日本郵趣協会から借り受けたりするなどして急場をしのぎました。それでも、準備期間がわずか2ヶ月半というのはあまりにも短く、オープン前の2日間は、事業課長の山下武夫以下6名のスタッフは徹夜作業だったそうです。

 こうして、3月25日、記念切手発行の名目とするための“逓信総合博物館竣工記念世界切手展”がなんとか開幕。当日は、郵政大臣・徳安実蔵以下、同省幹部が揃ってのテープカットが行われました。

 肝心の展示内容は、山下らの苦心の産物である“世界の切手”にくわえ、全国の著名な収集家40名に依頼した“これが今日の切手だ”のパネル展示、関本篤のオリンピック切手コレクション(ただし、これは1階ホールではなく、3階での展示)などもあり、見応えのある内容として、収集家の評判は上々でした。また入場者も、連日3000人を数え、イベントとしては大成功だったといえます。

 ところで、今回の記念切手は、郵政省の津村記二郎が撮影した写真をもとに久野実が原画を構成しています。

 写真の撮影場所は、逓博のはす向かいにある大手町ビルの1角ですが、中井輝典は、「三菱銀行前の黄色の消火栓とその前の歩道上の緑色の屑入れを結ぶ線」から「広角レンズを使用した小型カメラで撮影」された写真を「焼付けのさい印画紙を斜めにおいたものと思われる」と詳細な分析を発表しています。

 なお、切手上には逓博の右隣の東京郵政局の建物は移っていますが、左隣の電々ビル(当時)はトリミングで消されています。また、交差点を通過する自動車も切手上に描かれており、日本では数少ない自動車切手としても注目を集めました。

 さて、昨日閉館となった逓博ですが、来年3月には展示部門をリニューアルした“郵政資料館”が、東京スカイツリータウンに新装オープンとなる予定です。子供の頃から慣れ親しんだ建物がなくなるのは寂しくないと言えばうそになりますが、半年後、新たな場所での再スタートには大いに期待したいものです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 日本:昭和・1961~1966 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/