内藤陽介 Yosuke NAITO
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 続・琉球のレッド・ソックス
2013-10-31 Thu 14:39
 米大リーグのワールド・シリーズは、日本時間の31日午前(現地時間30日)、レッド・ソックスがカージナルスを4勝2敗で下して、6年ぶり8度目の世界一となりました。レッド・ソックスが本拠地で世界一を決めたのは、ベーブ・ルースが所属していた1918年以来95年ぶりで、最終回を3者凡退で締めた上原浩治投手は、日本人初となるワールド・シリーズ胴上げ投手というオマケつきです。というわけで、きょうは“レッド・ソックス”の切手です。(画像はクリックで拡大されます)
  
       二童敵討

 これは、1970年7月30日、米施政権下の沖縄で発行された組踊シリーズの二童敵討(にどうてきうち/ニドーティチウチ)の切手です。レッド・ソックスがア・リーグ制覇をした時にご紹介した諸屯節の切手は、琉球舞踊独特の赤い足袋の演者が1人でしたが、2度目の今回は演者が2人の切手を持ってきました。

 二童敵討は、1719年、中国からの冊封使をもてなすため、踊奉行の玉城朝薫が重陽の宴にあたって創作・上演した組踊5作品“朝薫の五番”の一つで、物語のあらすじは以下の通りです。

 天下取りの野望に燃える勝連城主の阿麻和利は、首里王府に偽りを言って、中城城主・護佐丸を攻め滅ぼしました。その際、護佐丸の遺児、鶴松と亀千代の兄弟(これがタイトルにある“二童”です)も殺したものと思っていました。しかし、実際には兄弟は生き延びて成長し、父の敵を討つ機会をうかがっていました。

 その後、阿麻和利は首里王府へも攻め入ろうと考え、攻撃の前に、野に出て酒宴を広げて勝ち戦のための願を掛けることを計画します。この計画を聞きつけた兄弟は、踊り子に変装して宴席に潜入。阿麻和利に所望されて踊李を披露し、阿麻和利に大いに気に入られます。油断した阿麻和利は、褒美として2人に自らの大団扇、太刀、羽織などを次々に与えましたが、兄弟は、丸腰になった阿麻和利のすきを見逃さず、父の敵討を果たしました。

 切手は、阿麻和利の前で兄弟が舞っている場面を取り上げていますが、この時点では阿麻和利はまだ大団扇・太刀を持ち、羽織も着ていますので、酒宴が始まったばかりの情景だろうと推測できます。今季のレッド・ソックスの試合になぞらえれば、9回を締める上原投手の前に、8回を抑える田澤純一投手が登場してきたあたりということになりますかね。

 
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 世界漫郵記:ドバイ③
2013-10-30 Wed 11:39
 『キュリオマガジン』2013年11月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第3回目。今回は、ドバイの首長を輩出するマクトゥーム家の旧宅を博物館としたシャイフ・サイイド・アール・マクトゥーム・ハウス(以下、マクトゥームハウス)を取り上げましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      マクトゥーム・ハウス     マクトゥーム・ハウス(実物)

 左は、アラブ首長国連邦(UAE)が発行したマクトゥーム・ハウス100周年の記念切手で、マクトゥーム・ハウスとサイード2世が描かれています。右側は、実際の建物の外観です。

 マクトゥーム家は、もともと、18世紀にアラビア半島南部からペルシャ湾岸、現在のアブダビに相当するに移住した部族連合、バニー・ヤースに属していましたが、1833年に当時の家長であったマクトゥーム・ビン・ブティ(マクトゥーム1世)がアブダビから分離・独立して起こしたのが、現在のドバイのルーツです。

 マクトゥーム・ハウスが建てられたのは、1894年のことでしたが、当初は必ずしも首長専用の住居ということではありませんでした。これに対して、1912年に首長となったサイード2世は、実際にマクトゥーム・ハウスに居住して政務を執りました。

 建物の中央には、塔が立っていますが、これは、アラブの伝統的なウィンド・タワーです。

 エアコンが発達し、どこへ行っても室内は寒いくらいに冷房が効いている現在のドバイでは、ウィンド・タワーは単なる装飾でしかないのですが、かつてのアラビア半島では、家屋に欠かすことのできない設備でした。

 タワーは、空気の流れを作り出し、室温を下げるためのもので、タワーの壁が空気の熱を奪い、涼しい風を家の中に取り込むとともに、風のない時は室内の暖かい空気を夜の間に外に放出する働きがあります。梁が飛び出ているように見えるのは、ここに濡れた布をかけ、気化熱を利用して冷却効果を高めるためです。

 今回の記事では、マクトゥーム・ハウスをご紹介しつつ、マクトゥーム家の歴史と現状についてもまとめていますので、機会がありましたら、ぜひご覧ください。

 
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 日土友好のシンボル
2013-10-29 Tue 10:57
 きょう(29)日は、1923年10月29日にトルコ共和国の建国が宣言されてから90周年の記念日ですが、これにあわせて、日本企業が建設に参加したボスポラス海峡横断地下鉄が開通しました。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       トルコ・第2ボスポラス橋

 これは、1988年7月3日、トルコが発行した“ファーティフ・スルタン・メフメト橋(通称:第2ボスポラス大橋)開通”の記念切手で、橋の全景が取り上げられています。

 第2ボスポラス大橋は、1973年のトルコ共和国50年にあわせて開通した第1大橋に続き、イスタンブールのボスポラス海峡両端に架けられた吊橋で、全長1510メートル、幅39メートル。車両専用(8車線)で、特別な許可がない限り、歩いて渡ることはできません。

 日本のODAを受け、IHI、三菱重工業、日本鋼管、伊藤忠商事と現地の企業の協力により1988年に建設されましたが、日土両国の作業員の連携が非常にスムースであったこともあり、予定よりも半年も早く完成したそうです。こうしたこともあって、地元では日土糧穀の友好のシンボルとして知られています。

 ちなみに、1988年というのは、わが国では瀬戸大橋が開通した年でもあることから、第弐ボスポラス大橋と瀬戸大橋は姉妹橋の関係にあり、今回ご紹介の切手と同時に瀬戸大橋(香川県内の北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋)を取り上げた下のような切手も発行されています。

       トスコ・瀬戸大橋

 さて、今回の地下鉄の開通式典には、現地時間の28日に行われ、日本からは安倍首相が参列し、「ボスポラスを結ぶ横断地下鉄が日本とトルコの友情のシンボルとなり、両国が友好関係を発展させることを期待したい」と祝意を示したそうです。この言葉通りになると良いですな。


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 マラソンはモナスからスタート
2013-10-28 Mon 11:47
 きのう(27日)、ジャカルタで初めての国際マラソン大会が開催されました。高温多湿なジャカルタの気候を配慮して、日の出より約30分早い午前5時、日本を含む世界50カ国1万人の参加者が、ピンクにライトアップされた独立記念塔(モナス)前からスタートしたそうです。というわけで、きょうは、マラソンの出発地点、モナスを描いたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       モナス・寄附金つき切手     モナス(実物)

 これは、モナス建設中の1962年5月20日、建設費用調達のために発行された寄附金つき切手で、モナスの完成予想図が描かれています。右側には、実際のモナスの写真を貼っておきました。塔の下を歩く人々や背後の建物などと比べると、塔の巨大さがお分かりいただけるかと思います。切手の完成予想図と実物の塔の形状が若干違うのは、まぁ、ご愛嬌でしょう。

 ジャカルタの中心部、ムルデカ(独立)広場の中心部にそびえたつモナスは、スカルノ直々の提案により建設されました。設計は、建築家のスダルソノとフレデリッヒ・シラバンがデザインを担当し、ローセノが構造を担当しました。定礎式は1961年8月17日に行われましたが、完成したのは、スカルノ失脚後の1975年のことです。

 塔の外装は白い大理石で、高さは137メートル。頂上部には高さ14メートル、直径6メートル、重さ14.5トン(35キロの純金メッキを含む)の青銅製の炎をかたどったレリーフがあり、独立戦争中のインドネシア国民の闘志を象徴しているそうです。

 モナスを最初に見た時に、僕は、平壌の主体思想塔を思い出したのですが、よくよく考えると、モナスの完成は1975年で、主体思想塔は1982年のことですから、主体思想塔の方がモナスをモデルにしたということはありそうです。ちなみに、北朝鮮の国家イデオロギーとなっている主体思想は、じつは、インドネシアとも浅からぬ因縁があります。

 主体思想は、1950年代末、いわゆる中ソ対立が本格化し、北朝鮮が中ソ両国から等距離を取り、自らの独自路線を採らざるを得なくなったことで生まれてきたわけですが(彼らの言う“主体”とは、“客体”の対義語ではなく、大国におもねる“事大”の対義語です)、1965年4月、バンドン会議10周年記念会議に参加した金日成は、インドネシアのアリ・アルハム社会科学院で講演を行い、「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛――これが、わが党が堅持している立場」であると語り、これが主体思想であると初めて公言しました。金日成が、モスクワや北京ではなく、第三世界のインドネシアで主体思想を公式に宣言したことは、この「思想」の性格を考える上できわめて象徴的であったといえましょう。

 ちなみに、この時の金日成の外遊には、金正日も同行していますので、モナスの建設中に現地を訪問した体験が、後の主体思想塔建設のヒントにつながったという可能性もあるのではないかと僕は考えています。このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』の続編として、ジャカルタについての本を作る機会があれば、ぜひまとめてみたいですね。まぁ、そのためには、まずは『蘭印戦跡紀行』がそれなりの営業成績を残さないといけないので、皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。


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 “平和と正義”の独立記念日
2013-10-27 Sun 21:34
 きょう(27日)は、カリブ海のセントヴィンセントおよびグレナディーン諸島(以下、セントヴィンセント)の独立記念日です。という訳で、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       セントヴィンセント国章

 これは、1881年に英領セントヴィンセントで発行された5シリング切手で、セントヴィンセント植民地の紋章が描かれています。英領セントヴィンセントの紋章は、王冠の下に“平和と正義”のスローガンを配し、平和の象徴としてオリーブの枝を持つ女性と、正義の象徴として金の祭壇に法の天秤を乗せている女性を描くもので、その基本的な構図は、独立後の現在の紋章にも受け継がれています。

 現在のセントヴィンセント国家は、その国名のとおり、火山島のセントビンセント島と珊瑚礁のグレナディーン諸島からなる英連邦の一国ですが、その主島であるセントヴィンセント島にクリストファー・コロンブスが来航したのは1498年のことでした。

 フランス人入植者によるプランテーション経営(コーヒー、タバコ、藍、綿、砂糖)が始まったのは1719年のことで、以後、英仏が交互にセントヴィンセント島を支配する時代が続きましたが、1783年のパリ条約で、最終的に英領となりました。

 1834年、英国はセントヴィンセント島の奴隷制度を廃止しましたが、そのために不足した労働力を補うべく、ポルトガルやインドからの移民が受け入れられています。なお、植民地議会の創設は1776年のことで、英国による直轄植民地政府が設置されたのは1877年のことです。この間、1861年には、英領セントヴィンセントとしての最初の切手が発行されています。

 その後、1世紀に及ぶ英領植民地時代の後、1969年に内政自治権を獲得して英自治領となり、1979年に行われた国民投票の結果、同年10月27日、“セントビンセントおよびグレナディーン諸島”として独立しました。

 セントヴィンセントというと、切手の世界では、収集家目当てに外貨稼ぎの“いかがわしい切手”を濫発する国というイメージが強いのですが、現実政治の世界においては、現在なお、台湾の中華民国政府を中国正統政府として、大陸の共産党政権とは国交を結んでいない気骨ある国として知られています。まさに、“平和と正義”の国家スローガンを忠実に守っているわけですが、そうした国でありながら、鄧小平の肖像切手を発行してチャイナマネーを吸い上げようというのが面白いところです。

 なお、セントヴィンセントをはじめとするカリブ海諸国の“いかがわしい切手”とその背景については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
       
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 五輪聖火、北極点に到達
2013-10-26 Sat 15:14
 2014年2月に開催予定のソチ五輪の聖火を北極点まで運んだ原子力砕氷船「戦勝50年」号が、きのう(25日)、ロシア北部ムルマンスクに帰港したことを受けて、ロシア・ソチ冬季五輪組織委員会は、五輪の聖火が今月19日に北極点に達した際の映像を公開しました。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ソ連・ツェッペリン北極飛行

 これは、1931年にソ連が発行した「飛行船ツェッペリン伯号の北極飛行」の記念切手で、北極上空を飛ぶ飛行船とホッキョクグマ、ソ連の大型砕氷船マリギン号が描かれています。

 ロシア革命後の1922年4月、当時のボリシェヴィキ政権はドイツとラパロ条約を結び、両国の国交が樹立されました。ちなみに、英国がソ連と国交を樹立したのは1924年のことで、以後、イタリア、フランス、日本などが相次いで国交を樹立しましたが、米国は1933年まで国交を結んでいません。

 独ソの国交樹立は、第一次大戦後、ともに広大な領土を喪失し、国際的に孤立していた両国が、反ヴェルサイユ連合を形成するものでした。実際、ヴェルサイユ条約で軍備を厳しく制限されていたドイツは、ラパロ条約の秘密条項により、国際監視の届かないソ連領奥地のカザンやリペツクに独自の軍事施設を設け、国内での保有が禁じられていた戦車ならびに軍用機の訓練を行うとともに、その見返りとして、ソ連赤軍の教育を担当していました。

 このように、1933年にヒトラーが政権を掌握する以前のドイツとソ連とは、きわめて緊密な関係を築いており、そのことを反映するかのように、1930年には飛行船ツェッペリン伯号がモスクワへの親善飛行を行っています。

 1931年の北極飛行は、1931年7月24日、ドイツ南部のフリードリヒスハーフェンを出発してベルリンに寄港。翌25日、ベルリンを出発し、以後、スウェーデン、エストニア、フィンランドを経て、同日夜、レニングラードに到着し、(ソ連側の発表によると)10万人の市民の歓迎を受けました。

 今回ご紹介の切手は、この時、飛行船に搭載の郵便物に貼るために発行されたものです。このときの北極飛行の経費の相当部分は、今回ご紹介の切手を貼ったエアメールによって調達されましたが、その量は重さにして約270ポンド(122.47キロ)、数にして約5万通の郵便物でした。

 飛行船は、26日にレニングラードを発って北極点をめざし、翌27日、北極海フランツ・ヨーゼフ諸島のフッカー島(グケラ島とも)に到着。ここで、レニングラードで積み込まれた郵袋はソ連の砕氷船マリギン号に引き渡され、その後は、通常のルートでそれぞれの宛先地まで運ばれました。

 その後、一行は調査・測量(このときの飛行では、空から北極圏の地形を確認したことで、従来の地図を大きく修正するなどの成果をあげています)などを行いながら、同日深夜、今回の飛行で最北の地となるプリンス・ルドルフ島に到達。7月30日未明にレニングラード、同日夜にベルリンを経て、31日、フリードリヒスハーフェンに帰着しました。
 
 なお、1930年代のソ連切手との飛行船の関係については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 グレナダ侵攻30年
2013-10-25 Fri 23:15
 1983年10月25日、カリブ海の島国グレナダでのクーデターに際して、米軍および東カリブ諸国機構(OECS)参加国軍が侵攻した“グレナダ侵攻”が起こってから、今日でちょうど30年です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       グレナダ・革命1周年(演説)

 これは、1980年、グレナダが発行した“革命1周年”の小型シートで、聴衆を前に演説するモーリス・ビショップ首相が描かれています。

 1974年に英国から独立したグレナダでは、首相のエリック・ゲーリーとその一族が外国資本と癒着して政治を私物化し、貧困と失業が深刻な社会問題となっていました。このため、1979年、国民の不満が爆発してクーデターが発生。ゲーリー政権は崩壊し、マルキストのモーリス・ビショップによる人民革命政府が樹立されました。今回ご紹介の小型シートは、その時の様子を描いたもので、ゲーリー政権に嫌気した国民が熱狂的に彼を支持する様子が描かれています。

 ところが、革命政権は議会を解散し、重要産業の国有化や集団農場制の導入など、グレナダの社会主義化を強行。外交面では、非同盟・中立路線を掲げて東側諸国、特に、キューバとの友好関係を強化しました。このため、米国はビショップ政権を露骨に敵視。西側との経済交流も大幅に低下したこともあって、革命後も経済状況はほとんど改善されない状況が続きました。

 このため、革命政権に対するグレナダ国民の支持も急速に低下し、政治状況も不安定化。1983年10月14日、副首相のバーナード・コードによるクーデターが発生し、ビショップは軍によって軟禁されます。これに対して、ビショップ支持派は各地でデモを起こし、一時はビショップを解放しました。しかし、10月19日、フォートルパート(現フォートジョージ)の軍総司令部でハドソン・オースティン将軍ひきいる軍事クーデターが発生。ビショップは再び逮捕されて処刑され、オースティンを首班とする革命軍事評議会軍が政権を掌握しました。

 この機会をとらえ、10月25日、米国は「グレナダ在住の米国市民が危険にさらされている」という理由で、東カリブ諸国機構(OECS)加盟国6ヶ国(セントクリストファー・ネイビス、アンティグア・バーブーダ、ドミニカ国、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン諸島、バルバドス)で結成されたカリブ平和軍と共同出兵しました。これがいわゆるグレナダ侵攻です。

 侵攻した米軍7300名とカリブ平和軍353名に対して、グレナダ側はグレナダ兵1500名とキューバ人722名、このほか、東側諸国出身の約60名の顧問しかおらず、米軍は12月15日までにグレナダ全島を制圧しました。この結果、革命評議会は崩壊し、コードとオースティンはビショップ殺害の容疑で逮捕され、英国での裁判の結果、1986年、死刑判決を受けています。(のち終身刑に減刑され、オースティンは2008年に、コードは2009年に出所しました)

 ちなみに、ソ連を含む東側諸国は、ソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国が1980年のモスクワ五輪をボイコットしたことへの報復として、1984年のロス五輪をボイコットしていますが、表向きの理由は「米軍によるグレナダ侵攻に抗議して」ということになっています。


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 国連デー
2013-10-24 Thu 20:27
 きょう(24日)は国連デーです。というわけで、国連がらみの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       UNTEA

 これは、1962-63年にニューギニア島西部に展開した国際連合暫定統治機構(UNTEA: United Nations Temporary Executive Authority)が発行した切手です。

 ニューギニア島の東経141度以西の地域は、第二次大戦以前、オランダ領東インド(蘭印)の一部として、オランダの支配下にありました。

 第二次大戦後のインドネシア独立戦争ではインドネシア共和国は、蘭印を一括して継承するとの建前から、ニューギニア西部のインドネシアへの統合を主張。これを拒否するオランダとの対立は、インドネシア独立を認めた1949年のハーグ円卓会議でも解消されず、ニューギニア島西部の帰属は将来の解決に委ねるとしつつ、とりあえずはオランダによる支配が継続されることになりました。

 この結果、ニューギニア西部では、インドネシアとは別のオランダ領ニューギニアとして、独自の切手が発行されることになりました。

 その後、1952年、オランダはニューギニアの先住民であるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、インドネシアとの対立が深刻化。一方、1956年8月17日、インドネシア側はイリアン地方自治省(“イリアン”はニューギニア島の現地語での呼称)を設置したうえで、翌1957年12月、オランダ資産を接収。両者の交渉が難航する中、1960年、インドネシアはオランダとの国交を断絶し、武力解決も辞さない構えを示します。その一方で、インドネシアは西イリアン問題を国連に提訴し、植民地解放が世界的な潮流となっていた中で、国際世論を味方につけて、押し切ろうとしました。

 これに対して、1961年12月1日、オランダは、蘭領ニューギニアを西パプアとして独立させますが、これを認めないインドネシアとの間で翌1962年1月、海戦が勃発。このオランダとの戦争で、1962年7月、インドネシア国軍を率いて“マンダラ作戦”を指揮し、西イリアンを事実上制圧したのが、当時陸軍少将だったスハルトでした。

 結局、西イリアン紛争は翌8月15日にアメリカの調停で“ニューヨーク合意”と呼ばれる両者間の停戦合意が成立。この結果、蘭領ニューギニアの地域は、一時、国連事務総長の監督の下、国連の統治下に移し、1963年5月1日にインドネシア統治に移管することなどが決定されました。

 これを受けて、1962年10月1日、蘭領ニューギニアの統治権はUNTEAに移譲され、インドネシアに移管されるまでの過渡期の郵便に使用するため、今回ご紹介の加刷切手が発行されたというわけです。

 ニューギニア島は、かつては英独蘭の三ヵ国によって分割されていたほか、先の大戦での激戦地でもあるなど、歴史的にもいろいろと興味深い場所で、それゆえ、切手や郵便物も突っ込んで集めてみると面白そうです。いずれ、拙著『蘭印戦跡紀行』の姉妹編として取り組んでみたいテーマではありますな。 

 * 10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 岩のドームの郵便学(10)
2013-10-23 Wed 10:55
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』514号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、今回は、ローマ教皇のエルサレム訪問について取り上げました。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       教皇と総主教の会談

 これは、1964年9月18日、ヨルダンが発行した「ローマ教皇とコンスタンティノープルのエルサレム会談」の記念切手です。
 
 1956年のナセルによるスエズ運河の国有化宣言とそれに続く第2次中東戦争(スエズ動乱)の結果、英仏軍の攻撃をしのぎ切ったエジプトのナセル政権とそのイデオロギーであるアラブ民族主義はピークに達し、ナセル政権を支援してきたソ連に対するアラブ諸国(特に、民族主義政権の)親近感は急速に増大しました。

 こうした事態を憂慮した米国のアイゼンハワー政権は、1957年1月、議会に対して中東基本政策(アイゼンハワー・ドクトリン)を提出します。

 アイゼンハワー・ドクトリンは、「中東の聖地が無神論的唯物主義を讃える支配のもとに屈するのを座視することはできない」としたうえで、①国家の独立を支える経済力を確立させるため、中東のいかなる国にも援助を与える、②希望する国に対しては軍事援助のための計画を立案する、③国際共産主義に支配されている国々からの武力による侵略に対して、支援を求める国に米軍を派遣する、④経済的・軍事的援助供与のための大統領の権限を強化する、ことを主要なポイントとしていました。

 はたして、アイゼンハワー・ドクトリンの発表から間もない1957年4月、まさに聖地エルサレム(旧市街)を支配下に置くヨルダンで、政府軍の一部による反国王の反乱が発生します。

 この反乱の本質は、1954年に反欧米を掲げてシリアで発足したアラブ民族主義連合政権がヨルダンの王制転覆を狙って企画したものでした。アラブ民族主義の究極の目標は、西洋列強によって分断された現在のアラブ諸国を再統合し、イスラエルを解体してアラブの統一国家を建国することにありましたが、そのためには、既存の(アラブ世界の)国際秩序を受け入れている親西側政権を打倒しなければならないというロジックが導き出されます。この文脈においては、英国による中東分割の過程で誕生したヨルダンの親英王制は、まさしく格好の標的でした。

 これに対して、国王フサインは反王制クーデターを国際共産主義による介入として米国に支援を要請。冷戦思考に凝り固まっていた米国は、ヨルダンからの要請に何ら疑念をさしはさむことなく、アイゼンハワー・ドクトリンを発動し、地中海の第6艦隊を派遣。さらに、サウジアラビア(アイゼンハワー・ドクトリンを支持し、米国の軍事援助を受け入れていた)もヨルダンを支援し、反乱はまもなく鎮圧され、ヨルダンは“中東の聖地”の管理者として、西側社会からのお墨付きを得ることに成功します。

 こうした経緯をふまえて、1964年1月4日、ローマ教皇パウロ6世が、エルサレム、ベツレヘム(ヨルダン領)、ナゼレ(イスラエル領)の3聖地を訪問しました。現地滞在時間はわずか11時間でしたが、教皇自身による聖地訪問は、史上初のことであり、さらにいえば、現職の教皇がイタリアを離れたのも、さらには、飛行機に乗ったのも、このときが初めてのことという、歴史的な出来事でした。

 パウロ6世は1897年、北イタリアのサレッツォ生まれ。1920年に司祭となり、第二次大戦中は、バチカン国務長官ルイジ・マリオーネ枢機卿の下、イタリアのファシスト党やナチス・ドイツとの交渉などを担当する一方で、1944年にマリオーネ枢機卿が亡くなると、国務長官の代行としてレジスタンスの保護にも尽力。1953年にミラノの大司教に、1958年に枢機卿に任じられ、1963年、教皇ヨハネ23世の死去により教皇に選出されました。

 前任のヨハネ23世は、1962年からカトリック教会の近代化と刷新のため、第2バチカン公会議を開催。公会議は、第1会期(1962年10月11日-12月8日)、第2会期(1963年9月29日-12月4日)、第3会期(1964年9月14日-11月21日)、第4会期(1965年9月14日-12月8日)に分けて行われましたが、ヨハネ23世は1963年6月に亡くなったため、第2会期以降は、後を継いだパウロ6世が取り仕切っています。

 教皇の聖地訪問は公会議の第2会期が終わった直後の1963年12月、“純然たる個人の巡礼”として電撃的に発表されましたが、実際には、当時はバチカンとの間に正式の国交がなかったヨルダン、イスラエル両国(ちなみに、バチカンとイスラエルの国交樹立は1993年、ヨルダンとの国交樹立は1994年です)との間で、教皇の即位直後から入念に準備が進められ、その結果として、1964年1月4日の教皇の聖地訪問当日にヨルダンでは記念切手も発行されています。

 ところで、教皇がこのタイミングでエルサレムを訪問したのは、もちろん、“純然たる個人の巡礼”ではなく、東方正教会の最大の権威であるコンスタンティノープル総主教(全地総主教)のアシナゴラスと会談することにありました。

 アシナゴラスは、1886年、ギリシャ北西部のイピロス地方のヴァシリコ生まれ。1910年に輔祭(主教・司祭の助手)になり聖職者としてのキャリアをスタートさせ、コルフ主教、南北アメリカ大主教を歴任し、1948年にコンスタンティノープル総主教となりました。

 総主教就任後のアシナゴラスは、キリスト教の宗派を超えた結束を目指すエキュメニズムに積極的に取り組んだことで知られています。
 
 エキュメニズムは、もともとはプロテスタントにおいて始まった運動ですが、1937年、この運動を促進するための組織として、正教会を含む世界教会協議会設立の合意が成立しました。ただし、カトリックは世界教会協議会には参加せず、第2次世界大戦の勃発もあり、協議会の成立は戦後に持ち越されています。

 ところが、1947年末の国連によるパレスチナ分割決議を機に英領パレスチナが内戦状態に陥り、1948年5月にはイスラエルが建国を宣言して第一次中東戦争が勃発。キリスト教にとっての聖地も紛争の直接的な危機にさらされることになったこともあり、1948年8月23日、協議会は急ぎ設立されることになりました。ちなみに、「1948年のイスラエル建国以来、聖地の平和のために努力してきた」というのが、協議会の自己認識です。

 一方、当初、エキュメニズムとは距離を置いてきたカトリックですが、1958年に教皇に就任したヨハネ23世は、エキュメニズムに熱心に取り組んでいます。

 すなわち、ヨハネ23世は、1500年代以来、初めて英国教会大主教をバチカンに迎え、正教会へも公式メッセージを送ったほか、東西冷戦の解決を模索し、1962年のキューバ危機においても米ソ双方の仲介に尽力しています。カトリック教会の近代化をめざして、第2バチカン公会議を開催したのも、こうした流れに沿ったものでした。

 ヨハネ23世の後継教皇となったパウロ2世は、前教皇の遺志を継いでエキュメニズムにも取り組み、1963年、アシナゴラスに親書を送っています。何でもないことのようですが、ローマ教皇がコンスタンティノープル総主教に親書を送ったのは、実に、1584年、教皇グレゴリオ13世がイェレミアス2世に対して、グレゴリオ暦の採用に関しての書簡を送って以来、約380年ぶりのことでした。

 その後、バチカンとコンスタンティノープル総主教庁との水面下での接触は頻繁に行われるようになり、1963年末、パウロ6世の聖地訪問が発表されると、これに呼応するかたちでアシナゴラスがエルサレムを訪問し、旧市街の東に位置するオリーブ山での歴史的な直接会談が実現。パウロ6世とアシナゴラスとの会談では、1054年の相互破門(総主教ミハイル1世と教皇レオ9世が互いに相手を破門したとされる事件)の解消が宣言されました。

 もちろん、教皇と総主教が相互破門の解消を宣言したところで、長年にわたるカトリックと正教会の溝が直ちに埋まることはなく(実際、正教会内の保守派はこの点に関してアシナゴラスを厳しく批判しています)、あくまでも儀礼的なものではありましたが、キリスト教史に残る事件であることには違いないでしょう。

 教皇と総主教の会談を受け、ヨルダン郵政は、急遽、会談の成功を記念する切手の制作を開始し、9月18日、今回ご紹介の切手を発行しました。切手のデザインは、オリーブ山から眺めたエルサレムの旧市街を背景に、左から、パウロ6世、フセイン、アシナゴラスの3人の肖像を配しています。パウロ6世とフセインの間にはアクサー・モスクが、フセインをアシナゴラスの間には岩のドームが描かれているのがミソです。

 イスラム世界では、二大聖地であるメッカ・メディナの管理者として、毎年イスラム歴12月のメッカ大巡礼を無事に取り仕切ることができる者こそが“イスラムの盟主”であるとする考え方があります。かつてのアッバース朝しかり、オスマン帝国しかり、さらに、現在のサウジアラビアしかり、です。

 こうした思考回路に基づくのなら、“巡礼者”としてエルサレムにやってきた教皇を受け入れ、無事に帰還せしめたヨルダン政府は、そのことによって、自分たちが聖地エルサレムの正統な管理者であることを証明したことになります。

 当然のことながら、ヨルダン政府としては、そのことを広く内外にアピールするための手段として、国家のメディアである切手を最大限に活用したわけですが、その際、イスラム教徒が国民の多数を占めるという環境を考えれば、聖地エルサレムのアイコンとして、“岩のドーム”が優先的に選ばれるのは自然な成り行きといえましょう。


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 パラシュートの日
2013-10-22 Tue 17:42
 きょう(22日)は、1797年10月22日にフランスのアンドレ=ジャック・ガルヌランが世界初のパラシュート降下を行ったことにちなみ“パラシュートの日”だそうで、グーグルのロゴもガルヌランがパラシュート降下する様子を表現したものとなっていました。というわけで、パラシュートといえば、やはりこれでしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

     鶴田吾郎・神兵パレンバンに降下す
  
 これは、先の大戦中に陸軍需品本廠の名で発行された軍事郵便用の絵葉書で、鶴田吾郎の『神兵パレンバンに降下す』が取り上げられています。

 パレンバンは東南アジア有数の油田地帯で、その産出量たるや、大東亜戦争開戦時のわが国の年間石油消費量を上回るほどでした。このため、1941年8月以降、米国による石油禁輸措置で経済的に追い詰められ、“石油一滴は血の一滴”という言葉が身に沁みていた大日本帝国にとっては、12月8日の開戦後、最重要攻略目標となります。

 パレンバンの市街地はムシ川の両岸に広がっており、河口からは約100キロの地点にあります。このため、河口から遡上して上陸しようとすると、その間に、オランダ側は油田設備を破壊してしまう可能性がありました。そこで、わが陸軍は空挺部隊を用いて油田とロイヤル・ダッチ・シェルの製油所を奇襲攻撃して電撃的に占領するというプランを立案。

 かくして、1942年2月14日、第1挺団が、陥落直前のシンガポールからたなびく黒煙で視界不良の中、パレンバンの油田・製油所と飛行場に対して落下傘で降下。翌15日午後には、第2悌団がパレンバン市街地南側の湿地に降下し、パレンバン市全域を占領し、肝心の油田と製油所もほぼ無傷で確保することに成功しました。いわゆる“空の神兵”です。

 “空の神兵”は、戦時中、歌謡曲や映画にも取り上げられたほか、いわゆる戦争画にも盛んに取り上げられましたが、今回ご紹介の鶴田吾郎の作品はその中でも最も有名な1点です。

 鶴田は、1890年、東京生まれ。白馬会研究所、太平洋画会研究所で学び、1910年、味の素株式会社広告部に入社。1913-20年には朝鮮と満洲で暮らしました。この間、1915年に川端龍子とスケッチ倶楽部を設立し、1920年、第2回帝展に「盲目のエロシェンコ像」が入選して画家としての地位を確立しました。

 1937年、支那事変(いわゆる日中戦争)が始まると、新聞通信員として従軍。翌1938年、藤島武二、川端龍子、小磯良平らとともに大日本従軍画家協会(後に陸軍美術協会に改組)を設立し、陸軍省嘱託画家として川端龍子らと中国北部およびモンゴルに、また海軍嘱託画家として奥瀬英三らと揚子江沿岸に赴きました。

 代表作の『神兵パレンバンへ降下す』は、現場を取材したものではなく、大東亜戦争勃発後のニュースフィルムや戦場写真などを見ながら、アトリエで描いたもので、1942年の第1回大東亜戦争美術展に出品されました。白い雲の間をそれよりも白い落下傘が沢山降下し、地上に降り立った兵士がただちに交戦体勢に入るようすが迫力ある筆致で活写されており、発表当時、“傑作”として大いに話題となりました。現在は東京国立近代美術館の所蔵品です。

 戦後は、1946年、自宅にアカデミー研究所を設立。さらに、1955年には日本山林美術協会を設立し、文展の審査員なども務めました。1969年没。
 
 さて、拙著『蘭印戦跡紀行』では、“空の神兵”を取り上げた当時の写真や絵葉書と、かつて神兵たちが降り立ったパレンバンの精油所の現在の様子などを対比させてご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 エチオピアで初
2013-10-21 Mon 22:59
 “マラソン王国”として知られるエチオピアで、きのう(20日)、首都アディスアベバの南275キロのハワサで同国初の国際マラソン大会が行われました。というわけで、きょうは、エチオピア切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       エチオピア・1895(紋章)

 これは、1895年に発行されたエチオピア最初の切手の1枚です。エチオピア最初の切手のデザインは、皇帝メネリク2世の肖像を肖像を描くものと、皇帝を象徴するユダヤの獅子の紋章を描くもの2図案がありますが、今回は後者をご紹介しています。
 
 エチオピアにおける最初の近代郵便は、1867-68年に侵攻した英国が、1867年11月、紅海沿岸の港町マサワに郵便局を設置し、インド切手を持ち込んで郵便活動を行ったのが最初です。その後、1875年にはエジプトが東部の都市、ハラールを占領し、エジプト切手を持ち込んで郵便事業を行いました。

 エチオピア独自の郵便制度としては、メネリク2世の宮宰であったスイス人のアルフレッド・イルグが、1892年、近代郵便制度の創設と切手の発行を建議。この建議は、翌1894年3月9日、アディスアベバ=ジブチ鉄道の建設計画とともに皇帝の裁可を受け、フランスの切手印刷局に最初の切手の印刷が発注されました。切手の製造を担当したのは、1896年のギリシャのオリンピック切手や、フランスの“ムーション・タイプ”などの切手のデザイナーとして知られるルイ=ユージン・ムーションで、最初の切手が首都アディス・アベバとハラールの郵便局に配給されたのは1895年になってからのことでした。

 当初、郵便事業の実務はハラール駐在のカトリックの宣教師に委託されていましたが、イタリアの侵攻による第1次エチオピア戦争の余波で郵便物の逓送に遅れが生じるようになると、イルグは祖国スイスからスタッフを雇い入れ、アディスアベバ=ジブチ鉄道を用いて自前の郵便輸送を行いました。その後、ハラール駐在の宣教師による郵便物の仲介は、1904年、ディレ・ダワ(アディスアベバ=ジブチ鉄道は、当初、ハラールを通る予定でしたが、資金の節約のためにルートが変更され、ハラールを通らないことになったため、ハラールに最も近い鉄道上に新都市として、1902年に建設されました)に郵便局が開設されるまで続きました。

 なお、エチオピアは1908年にUPUに加盟申請を行いましたが、エチオピアの植民地化を狙っていたイタリアはこれに強硬に反対したものの、最終的にイタリアの敗退を予想していたフランス・ロシア・スイスはエチオピアを支持し、同年11月1日、UPU加盟を果たしています。
 

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 琉球のレッド・ソックス
2013-10-20 Sun 21:55
 米大リーグのプレーオフは、現地時間の19日、レッドソックスが5-2でタイガースを破って対戦成績を4勝2敗として、6年ぶり13目のリーグ制覇を果たしました。その最優秀選手(MVP)には、シリーズ1勝3セーブの活躍をした上原浩治投手が日本選手として初めて選ばれました。というわけで、きょうは“レッド・ソックス”の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       諸屯節

 これは、1964年1月20日、米施政権下の沖縄で発行された20セントの普通切手で、琉球古典舞踊の諸屯節(しゅどぅんぶし)が取り上げられています。琉球舞踊独特の赤い足袋がしっかり見えるので、“レッド・ソックス”の切手として持ってきました。

 さて、諸屯節は、奄美大島・加計呂麻島の諸屯集落の伝承に題材を取った古典舞踊で、琉球古典舞踊の大成者にして組踊の作者として知られる玉城朝薫が舞踊化し振付けたものと言われています。

 かつて奄美諸島が琉球の支配下にあった時代、琉球の金武王子がこの地に赴任して、地元の娘“ふさまつ”を見初めました。王子は身分を隠して自分の気持ちを恋慕の情を打ち明けたものの、袖にされてしまいます。任期が終わり、首里に帰った王子は、ふさまつのことが忘れられず、当時の身分秩序としては異例の抜擢として、彼女を女官として首里に招きました。金武王子の自らの恋情を、「枕並たる 夢のつれなさよ 月や西下り 恋し夜半(愛する人と手枕をかわしている夢から目が覚めた 何と無情なことよ 月ははや西に傾いてすでに夜半過ぎ 冬の夜の独り寝のわびしさが身にしみる)」との歌にして詠みました。

 琉球舞踊の「諸屯節」は、この歌をモチーフに、主人公を女性に置き換え、女踊りとして構成したもので、満たされぬ恋に悶々ともだえる女心を表現したものとなっています。

 なお、もともと琉球古典舞踊の女踊りは、琉球国王の代替わりのたびに、詔勅と王冠を携えて来訪する中国の冊封使をもてなすための御冠船踊として、勘定所の管轄だったので、踊り手も地謡も男性でありかつ貴士族に限られていましたが、琉球王国の消滅とともに、踊り手の中心も女性になりました。この切手のモデルも、真境名由苗さんという女性です。


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 サウジ、非常任理事国を辞退
2013-10-19 Sat 22:23
 国連安保理の非常任理事国に立候補し、おととい(17日)当選したばかりのサウジアラビア(以下、サウジ)の外務省が、昨日(18日)、二重基準の存在やパレスチナ和平交渉の失敗などを理由に非常任理事国への就任を拒否するとの声明を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       サウジ・国連40年

 これは、1985年にサウジが発行した国連40年の記念切手です。国連の創設は1945年10月24日のことで、サウジの加盟は翌10月25日ですので、“原加盟国”ではありませんが、それに準ずる立場といってよいでしょう。

 さて、サウジ外務省が指摘している国連批判のポイントは

 ①パレスチナ問題解決の見通しが立たない。すなわち、1947年12月のパレスチナ分割決議いらい、65年間にわたって国連はパレスチナ問題を解決できなかった。それどころか、1967年の第3次中東戦争以来、国連決議を無視してヨルダン川西岸とガザ地区の占領地に居座り続けるイスラエルに対して、実効性のある制裁を課していないのは、国連決議に従わないことを理由に制裁を受けている国があるのに対して、著しい不公平である。(いわゆる二重基準問題ですが、かつて、このことを大々的に主張していたイラクのサダム・フセイン政権に対して、サウジはきわめて批判的でした)

 ②中東地域で核兵器を含む大量破壊兵器の拡散を阻止できていない。(名指しこそしていませんが、宿敵イランに対する“弱腰”を非難する内容です)

 ③現在のシリア内戦に関しても、毒ガス攻撃で数百人の民間人が殺害されたにも関わらず、アサド政権を罰していない。(ちなみに、サウジはシリア内戦で反政府勢力を支援しています)

 ということのようです。

 まぁ、賛同するかどうかは別として、サウジの指摘にはそれなりの理があることも事実なのですが、それなら、なぜ、そもそもサウジは国連安保理の非常任理事国に立候補したのか、理解に苦しむところです。

 もっとも、サウジ外務省の声明では「安保理の改革が行われるまでは理事国にならない」との文言もありますので、裏を返せば、安保理“改革”が行われれば理事国になると主張しているとも解釈できます。換言するなら、「パレスチナ問題はともかく、イランやシリアのアサド政権に対する圧力を強める方向に安保理が傾けば、予定通り理事国にも就任するので、なんとかしてほしい」ということですから、一種の条件闘争といってよいでしょう。

 とはいえ、安保理の理事国になりたくて仕方のない国というのは山のようにありますからねぇ。「サウジが辞退するなら、我々が…」という国に対して、国際社会が無碍にノーというとも思えませんので、今後、事態がどのように動いていくのか、注目したいですな。


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 スリナムで60の新種発見
2013-10-18 Fri 13:57
 南米スリナム南東部の熱帯林地帯で、チョコレート色をした木登りが得意なカエルや小さな角を持つフンコロガシなど、60種の新種とみられる生物が発見されたことを、米国の環境保護団体、コンサベーション・インターナショナル(CI)が、きょう(18日)付で明らかにしました。というわけで、きょうはスリナム切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       スリナム・女王在位25年

 これは、1923年、オランダのウィルヘルミナ女王即位25年を記念して発行された5ギルダー切手です。

 ウィルヘルミナ女王の即位25周年に際しては、当時の蘭領各国から記念切手が発行されました。記念切手は、中央の女王の肖像は共通で、周囲の枠に各植民地をイメージしたデザインを盛り込むというスタイルで、今回ご紹介のスリナムについては密林が描かれています。今回の大量の新種発見の舞台は熱帯雨林地帯ですので、そのイメージにあうものとして、持ってきました。

 スリナムは、南米大陸北東部、カリブ海と大西洋に面して、フランス領ギアナとガイアナにはさまれた位置にあり、国土の大半はギアナ高地です。南米大陸の独立国としては面積・人口ともに最小で、1975年にオランダから独立しました。このため、南米大陸ではオランダ語を公用語とする唯一の国でもあります。

 この地域への西洋人の入植は17世紀以降に本格化し、英蘭両国が領有権を争っていましたが、第二次英蘭戦争の講和条約として1677年に結ばれたブレダ条約の結果、オランダがニューアムステルダム(現ニューヨーク市)を含む北米植民地ニューネーデルラント(現ニューヨーク州。毛皮貿易の中心地)を英国に割譲する代わりに、バンダ諸島のラン島(現インドネシア領。香辛料貿易の中心地)とともに、タバコの生産地であった現在のスリナムに相当する地域をオランダ領ギアナとして領有することになりました。

 その後、オランダ人は黒人奴隷を使ってコーヒー、カカオ、サトウキビ、綿を栽培していましたが、劣悪な待遇に耐えかねて逃亡する奴隷が続出。彼らは先住民の協力を得て各地で“ボスネガー”として土着化し、オランダ人の農場を襲撃しました。オランダ側はボスネガーの討伐を試みるも失敗し、19世紀に入り、両者の和平協定が成立。さらに、1863年には奴隷制度が廃止されると、解放された奴隷の多くは首都のパラマリボに流入し、農場の労働力は激減。このため、労働力の不足を補うため、オランダ領東インドやインド、さらには中国、中東諸国からの移民が受け入れられ、スリナムの多様なエスニシティが形成されることになりました。

 さて、1975年の独立後も、スリナムは旧宗主国であるオランダからの経済支援に依存した経済建設が行われていましたが、1980年、陸軍曹長のデシ・ボーターセによる軍事クーデターが発生。ボーターセひきいる国家軍事評議会の下で親ソ・キューバ政策が採られて社会主義化が進められたため、1982年、オランダの経済支援が停止されています。しかし、1983年の米軍のグレナダ侵攻を機に、米軍の介入を恐れて親西側に政策を転換。さらに、1986年にはボスネガーの反乱による内戦が勃発するなど、混乱が続きました。

 その後、1987年11月の総選挙で軍部が敗退。翌1988年には新憲法のもとでジャンカルが大統領に選出されて民政復帰を果たしたため、オランダは経済援助を再開しています。ところが、1990年にはボーターセが再び軍事クーデターを起こしたため、オランダの援助は再び停止。ボーターセらはジャンカルの退陣と引き換えに民政復帰を約束したため、翌1991年に総選挙が行われ、大統領に選出されたフェネティアンの下、米蘭両国との関係も改善されました。

 その後、2001年1月オランダ検察は1982年の反体制派指導者虐殺事件の主犯としてボーターセを拷問・殺人の罪で起訴したほか、麻薬密輸の容疑で国際指名手配していますが、2010年7月の大統領選挙では野党メガ・コンビネーション候補として立候補したボーターセが当選してしまいました。このため、現在、ボーターセは“大統領任期中”として訴追を免除されています。当然のことながら、大統領でなくなれば逮捕・拘束されることになるわけですから、ボーターセは何が何でも大統領の座にしがみつくでしょうな。それがかなわないとなると、あるいは、手兵をひきいて、今回、希少な動植物の宝庫と確認された熱帯雨林地帯にこもって対抗するというようなこともあるかもしれません。

  
 * 昨日(17日)、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて開催の『蘭印戦跡紀行』のトークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。お越しいただいた皆様、特に、会場にて拙著をお買い上げいただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 本日、トークイベントやります!
2013-10-17 Thu 01:42
 かねてご案内の通り、本日(17日)19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークを行います。入場は無料で、拙著をお買い上げいただいた方には、先着20名様限りですが、ささやかながら、こんなプレゼントもご用意しました。(画像はクリックで拡大されます)

       スマトラ・統一加刷

 これは、1944年1月1日、日本占領下のスマトラ島で発行された統一加刷切手(15セント)です。

 スマトラ島を占領した日本軍は、旧オランダ領東インド(蘭印)切手を接収し、そのまま無加刷で使用させたほか、各地で独自のローカル加刷を施した切手を使用させていました。(このほか、無加刷の日本切手や一部の地域ではマライの占領加刷切手も使用されています)

 その後、状況が落ち着いてくると、1943年4月29日以降、スマトラの風物を題材とした正刷切手を発行し、全島で使用させることになります。しかし、島内の各郵便局には旧蘭印切手の在庫も少なからず残っていたことから、それらをメダンに集め、全スマトラで共通に使用するため、“大日本帝國郵便/〒/スマトラ”と加刷した切手を1944年1月1日から発行しました。なお、加刷は手押しのモノと機械押しのモノがあり、作業はメダンのデリ新聞社とファレカンプ印刷所で行われました。

 今回ご紹介しているのはそのうちの機会加刷の切手で、日本軍が旧蘭印のスマトラを占領したことをヴィジュアル的にわかりやすく示している1枚として、プレゼント用にご用意いたという次第です。

 さて、今日のトークでは、現地で撮影した写真なども多数お見せしながら、ヴィジュアル的にも楽しんでいただけるよう、工夫しております。もちろん、本を買わずに話だけ聞きたいという方も大歓迎ですので、是非、遊びに来てください。1人でも多くの方にお目にかかれることを、心より楽しみにしております。

 ★★★ トーク・イベントのご案内・本日です! ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 小さな世界のお菓子たち:チョコレート工場の切手
2013-10-16 Wed 09:53
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第21号(2013年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       カメルーン・チョコレート工場

 これは、カメルーンが1969年に発行した自国の産業を紹介する切手のうち、カカオ豆とココアバター、砂糖などを混ぜて練りこむ工程を描いた15フラン切手です。

 収穫されたカカオ豆がチョコレートになるまでの基本的な工程は、

 ① 原料のカカオ豆をバナナの葉で包んだり、木箱にいれたりして1週間ほど発酵させる。
 ② 発行させた豆を水分が6%以下になるまで乾燥させる。
 ③ 乾燥させた豆を選別したうえで、皮を取り除いて実を取出し、その実を焼いてすりつぶす。
 ④ ③にココアバターや粉乳、砂糖などを混ぜて練り合わせる。
 ⑤ ④を型に流し込んで冷やす

 というプロセスをたどります。
 
 中部アフリカのギニア湾に面した国、カメルーンでは、そうしたチョコレート製造の一端として、工場での③と④(今回ご紹介の切手はこちらです)の場面を取り上げた切手を1969年に発行しました。切手は旧宗主国のフランスで製造されたもので、落ち着いた雰囲気の凹版印刷はフランスの切手とよく雰囲気が似ています。切手に取り上げられている機械も、旧植民地時代にフランスから持ち込まれたものなのかもしれません。

 現在のカメルーンの国名は、1470年にこの地を訪れたポルトガル人がエビの多いことから“カマラウン”(ポルトガル語で小エビの意味)と名付けたことに由来しています。その後、19世紀にドイツの植民地となりましたが、第一次大戦で英仏軍によって占領されました。そして、第二次大戦後の1960年、まず仏領カメルーンが独立を達成し、ついで、翌61年、英領カメルーンの南部が旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国を結成。現在のカメルーン国家となりました。

 独立以来、カカオ豆はカメルーンの主要な輸出品のひとつで、毎年の生産量はおよそ20万トン。これは、全世界のカカオ豆の生産量の4%程度を占めており、コートディヴォワール、ガーナ、インドネシア、ナイジェリアに次ぐ世界第5位の数字です。なお、カメルーン政府は、カカオ豆の増産を国の目標として掲げており、2020年までに年産60万トンを達成することを目指しています。

 現在、カメルーンから日本向けの輸出品としては、コーヒーが中心で、木材と綿花がこれに続いていますが、カメルーン政府の目標が達せられると、わが国でもカメルーン産のカカオを使ったチョコレートを日常的に見かけるようになるかもしれませんね。

 * 本日未明、カウンターが127万PVを越えました。いつもご覧いただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 やなせたかしの切手
2013-10-15 Tue 15:59
 「アンパンマン」などで知られる漫画家のやなせたかしさん(以下、敬称略)が、おととい(13日)、心不全のため亡くなっていたことがわかりました。享年94。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       飛べ手紙

 これは、1993年の“ふみの日”の62円切手で、図案の「飛べ手紙」はやなせが原画を担当しています。この切手には小型シートもあるのですが、シートの余白には永田萌のデザインによる(当時の)郵便イメージキャラクターも入っているので、今回は、純粋に梁瀬の作品ということで単片切手をご紹介しました。

 やなせは、1919年、東京府北豊島郡滝野川町字西ヶ原生まれ。幼少時に新聞社の特派員であった父親がアモイで亡くなったため、母や弟とともに高知市で暮らしました。高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)卒業後、上京して東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン学科)で学び、田辺製薬(現・田辺三菱製薬)宣伝部に就職。1941年に応召して中国で従軍し、中国人向けの伝単制作などを担当しました。

 復員後は、高知新聞記者を経て、1947年に上京。三越宣伝部のグラフィックデザイナーになり、包装紙のレタリング文字を手がけるかたわら、副業で漫画家をしていましたが、1953年、専業漫画家として独立しました。

 その後は、舞台装置の製作や放送作家、作詞家、詩人など幅広く活動し、いずみたく作曲の『手のひらを太陽に』の作詞で有名になりました。代表作のアンパンマンは、1973年に子供向け絵本『あんぱんまん』として発表されたのが最初で(ただし、普通の人間が空腹の人にアンパンを届けるという“アンパンマン”は、雑誌「PHP」1969年10月号に掲載されています)、1988年10月、テレビアニメの放送が開始され、一躍、国民的な人気作品となりました。

 ちなみに、切手が発行された1993年は、長年連れ添った暢夫人が亡くなった年で、虹に乗って飛んでいく手紙というモチーフには、天国の夫人にも自分の気持ちが届いてほしいという意図が込められていたのかもしれませんね。謹んでご冥福をお祈りします。


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 体育の日
2013-10-14 Mon 10:54
 きょう(14日)は“体育の日”です。というわけで、スポーツ関連の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       インドネシア・2011年東南アジア大会

 これは、インドネシアが発行した2011年東南アジア競技大会の記念切手です。

 2011年の東南アジア競技大会は、2011年11月11日から22日まで、ジャカルタとパレンバンで開催されました。インドネシアでの同大会の開催は4回目です。

 当初、2011年の東南アジア競技大会の開催都市としては、インドネシアのうち、ジャカルタ、西ジャワ州(州都はバンドン)、中部ジャワ州(州都はスマラン)、南スマトラ州(州都はパレンバン)が名乗りを上げましたが、最終的に、ジャカルタと南スマトラ州の2ヵ所に絞られました。そこで、ユドヨノ大統領の裁定により、大会は両都市の共催として、各都市の負担を軽減するということで決着しています。

 両都市のうち主会場とされたのはパレンバンで、会期中、開会式・閉会式を含む296の関連行事が行われました。ちなみに、ジャカルタで行われた関連行事の数は266です。ただし、競技施設の都合上、44競技のうちパレンバンで行われたのは21競技のみで、23競技はジャカルタで行われました。

 切手には、コモドオオトカゲをキャラクターとした大会マスコットのジャカルタの独立記念塔を背にしたモド(オス)とパレンバンのアンペラ橋を背にしたモディ(メス)が合掌して各国の選手・観光客を迎える場面や、各種の競技をしている場面が取り上げられています。ちなみに、大会終了後の2012年の時点でも、モドとモディのキャラクターは空港の到着カウンターに置かれていました。

       モド像     モディ像

 まぁ、東南アジア大会に合わせて、パレンバンの空港は大幅に拡張されましたので、その“功労者”としてモドとモディが鎮座ましましているというのもわからなくはないですな。もっとも、下の画像のように、街中に大会の看板が放置されたままになっているのを見ると、ただ単にずぼらで片づけてないだけじゃないのかという気もしないではありませんが(笑)

       パレンバン市内の東南アジア大会看板

 さて、パレンバンというと、“空の神兵”の故地というイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、拙著『蘭印戦跡紀行』では、その現在の姿もいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 自由の女神、閉鎖解除
2013-10-13 Sun 17:28
 米国で新年度暫定予算が期限までに成立しなかったために連邦政府の機関が一部閉鎖されている問題で、ニューヨーク、アリゾナ、コロラド、ユタ、サウスダコタの各州政府が世界的に有名な観光地の当面の運営費を負担することが決まり、自由の女神やグランドキャニオン、ラシュモア山、ロッキーマウンテン国立公園などの閉鎖が解除されることになりました。というわけで、きょうは自由の女神がらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       フランス軍事郵便用はがき(WWI・自由の女神)

 これは、第一次大戦中にフランスで作られた軍事郵便用の葉書で、「自由と正義のための団結」との文字が書かれた地球と自由の女神像のイラストが描かれています。

 米国の象徴ともいえるニューヨークの自由の女神像は、米国の独立100周年を記念してフランスから寄贈され、1886年に完成しました。その返礼として、パリ在住の米国人がフランス革命100周年を記念してニューヨークの像のレプリカを寄贈し、セーヌ川のグルネル橋のたもとに設置しました。こちらの除幕式は1989年に行われました。なお、ニューヨークの女神像の準備作業のために作られた像は、1900年にパリのリュクサンブール博物館に寄贈され、1906年にリュクサンブール公園内に設置されています。

 このように、自由の女神像はフランスと米国の友好を象徴するものとして、両国がドイツを筆頭とする中央同盟諸国を共通の敵として戦った第一次大戦の軍事郵便はがきのデザインに取り上げられました。ちなみに、葉書の周囲には、同盟諸国として、フランス語のアルファベット順に、ベルギー、中国、米国、フランス、英国、イタリア、日本、リベリア、モンテネグロ、ポルトガル、ルーマニア、ロシア、セルビア、シャム(タイ)の国名が列挙されています。

 このうち、米国の参戦は1917年4月6日ですが、それ以降、同年7月22日にはタイが、翌8月4日にはリベリアが、同月14日には中国が参戦し、葉書にあげられた国が出そろいました。ところが、ロシアは、1917年3月に帝政が崩壊した後、11月に発足したボリシェヴィキ政府が翌1918年3月に単独講和に応じて戦線から離脱しています。したがって、この葉書が制作されたのは、1917年秋のことと考えるのが妥当でしょう。

 そういえば、来年(2014年)は第一次世界大戦勃発から100周年ですな。この機会を逃さず、「切手でたどる第一次大戦」といった類の仕事ができないか、いまから準備しておかないといけませんな。


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 切手に描かれたソウル:松餅
2013-10-12 Sat 16:39
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月20日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の20日が秋夕の連休中だったことから、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       松餅

 これは、2002年に発行された「韓国の食」シリーズ第2集のうち、秋夕の代表的なお菓子である松餅を取り上げた1枚です。

 松餅は、米粉で作った皮の中にゴマや豆、小豆、栗、ナツメなどを入れて、松葉を敷いた蒸し器で蒸す餅菓子。松葉を使うのは、もともとは蒸し器の中で並べた餅がくっつかないようにするための知恵でしたが、松葉の香りが餅に移り、上品な味に仕上がるという効果があります。また、松葉は防腐作用があることから仙人食ともいわれており、そうしたことが重なって、秋夕に欠かせないものとなったのでしょう。

 なお、若干補足しておくと、日本の餅は蒸かしたコメをついて作りますが、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。このスタイルの餅をめぐる歴史的なエピソードとしては、たとえば、李王朝の創始者・李成桂を憎んだ旧高麗の遺臣たちが開城で雪だるま型の“李成桂餅(チョレンイ・トック)”を作り、その首にあたる部分をちょん切りながら食べて恨みを晴らしたという事例が有名です。

 さて、松餅は朝鮮半島全域で作られていますが、色や形などにはさまざまなバリエーションがあり、一般には、北に行くほど一つの餅が大きくなり、南に行くほど小さくなる傾向があるそうです。

 このうち、切手に取り上げられているものは、黄色と緑、白の3色セットで、一般的な半月形をしています。これは、米粉に色をつけて、3色または5色の松餅を作るという京畿道(ソウルも含む)のスタイルに合致しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 なお、かつては秋夕の代名詞だった松餅ですが、現在では、ソウル市内のデパートなどで年間を通じて買うことができるほか、地下鉄1・3・5号線の鐘路3街の周辺には、青瓦台御用達の名店、楽園餅店をはじめとして韓国菓子の店が軒を連ねています。おそらく、担当デザイナーのキムヒョン氏もそのうちの一軒で松餅を買ってきて原画を制作したのではないかとみているのですが…。次回のソウル行きの際には、切手のモデルになった餅を探して歩いてみることにしますかね。
  

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 ハイチ住民、国連を提訴
2013-10-11 Fri 13:43
  ハイチに展開した国連平和維持活動(PKO)のネパール軍部隊が深刻なコレラ流行を引き起こしたとして、感染による死者の遺族らが、きのう(9日)、国連に対して、コレラ根絶の費用と患者への補償として22億ドル(約2150億円)をハイチ政府と被害者に支払うよう求め、ニューヨークの米連邦地裁に集団提訴しました。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ネパール・PKO部隊

 これは、1998年にネパールが発行した“ネパール軍のPKO参加40周年”の記念切手です。

 ネパールが国連に加盟したのは1955年のことで、PKOのルーツといわれるスエズ動乱への第一次国際連合緊急軍(UNEF I)派遣は翌1956年のことです。さすがにこの時はネパール軍は派遣されていませんが、早くも1958年のレバノンでの停戦監視にはネパール軍も派遣されています。以後、ネパール軍は現在までに37のPKO活動に累計9万7182人の要員を派遣し、現在までに59人の犠牲を出しました。

 今回、問題になったハイチのPKOは、2004年に創設されたMINUSTAH(国連ハイチ安定化ミッション)と呼ばれるもので、もともとは、ジャン・ベルトラン・アリスティド大統領と反政府勢力が激しく対立していたハイチで、2004年2月、かつてハイチ警察の幹部であったギ・フィリップが反政府武装勢力を率いて蜂起し、ハイチ国内が事実上の無政府状態に陥ったことを受けて創設されたもので、ハイチの治安回復と警察機構の再建支援、選挙などを含む民主的政治プロセスの回復支援、難民帰還をはじめとした人権擁護活動などが主な活動でした。
 
 MINUSTAHの尽力により、2006年には大統領選挙が行なわれ、ルネ・ガルシア・プレヴァルが当選しています。その後、プレヴァル政権下で治安情勢は徐々に安定しつつありましたが、2008年4月には国際的な食糧の高騰の影響で物価が暴騰したことをめぐり、大規模なデモが発生。またもや情勢が不安定しつつある中で、2010年1月に大地震が発生したことで、緊急の復旧・復興とハイチの安定化を支援するため、MINUSTAHの要員が増員されています。

 この時増員された3500人のうちのネパール軍部隊の宿営地が、コレラの発生源とみられており、米疾病対策センターも、ハイチのコレラはネパールから来たPKO部隊が持ち込んだ可能性が高いとの報告を発表していました。

 今回の訴訟に関して、原告側の弁護士は「ハイチは過去100年間、コレラと無縁だったが、国連の部隊が来て以来、世界で最悪のコレラ感染国になってしまった」と主張しています。果たして、過去100年間、本当にハイチでコレラが発生したことがないかどうかは疑問ですが、2010年10月以降のコレラの流行により、ハイチでは65万人以上が感染し、8300人以上が死亡したことは紛れもない事実ですので、“世界で最悪のコレラ感染国”の一つであるのは間違いなさそうです。

 なお、ハイチ大地震をめぐる関係各国の思惑については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 アゼルバイジャン大統領3選
2013-10-10 Thu 10:14
 カスピ海西南の油田地帯に位置する小国・アゼルバイジャンで、昨日(9日)、大統領選挙が行われ、即日開票の結果、前大統領の息子で2期目のイルハム・アリエフ大統領が得票率84.73%で3選を果たしました。というわけで、アゼルバイジャンの切手からこの1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       アゼルバイジャン・20コペイカ再版

 これは、アゼルバイジャン民主共和国(ミュサヴァト政権)が1920年に発行した20コペイカ切手で、国旗を持つアゼルバイジャン兵が描かれています。

 1813年に帝政ロシアに併合されたアゼルバイジャンは、1917年のロシア革命の混乱の最中、オスマン帝国によって占領されましたが、第一次大戦でオスマン帝国が敗れると、イギリス軍に占領されます。アゼルバイジャン人の民族主義政党ミュサヴァト(ムサヴァト、ムサワトとも)党は、これら占領軍の支援を受けて、1918年5月にアゼルバイジャン民主共和国の独立を宣言しました。しかし、1920年4月の赤軍の侵攻により、首都バクーが陥落。アゼルバイジャン民主共和国は約2年でその幕を下ろすことになります。

 この間の1919年10月、ミュサヴァト政権は、同時期のグルジア切手とほぼ同じ白紙に石版で印刷した独自の切手(第1切手)を発行しました。その後、1920年4月にアゼルバイジャンを占領した赤軍は、廃棄されていた第1次切手の石版を再利用して、新聞用紙に印刷した切手(第2次切手)を発行します。今回ご紹介している切手は、そのうちの第2次切手の1枚です。

 アゼルバイジャンのこの時期の切手は、昔のマッチのラベル風の素朴な味わいがなんともいえず、単純に集めていて楽しくなります。ただし、消印データの読める使用済や実逓カバーの入手は滅多にない上、加刷によって値段がべらぼうに跳ね上がるものには偽物がうようよしていますので、あんまり深入りすると火傷しそうなので、いまいち腰が引けているのですが…。


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 世界郵便デー
2013-10-09 Wed 22:25
 きょう(9日)は、万国郵便連合(UPU)の創立記念日にちなんで“世界郵便デー”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       インドネシア・UPU75年

 これは、1949年10月1日に“インドネシア”名義で発行されたUPU創立75周年の記念切手で、地球とUPU本部の所在地であるスイス・ベルン市の紋章を組み合わせたデザインとなっています。

 1947年、第2次大戦後最初のUPU大会議がパリで開催され、加盟各国は1949年のUPU創立75年にあわせて記念切手を発行するよう、申し合わせがなされました。この結果、1949年5月16日のスイスを皮切りに、100を超える加盟国から続々と記念切手が発行されています。

 現在のインドネシア共和国の前身にあたるオランダ領東インド(蘭印)がUPUに加盟したのは1877年5月1日のことで、以後、第二次大戦で蘭印が日本軍によって占領されるまでは蘭印郵政がこの地域の郵政を代表してUPUに加盟していました。

 1945年8月15日、日本が降伏すると、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言。これを認めないオランダとの間に熾烈な独立戦争が勃発します。

 独立戦争の時代、共和国側は自らの独自の切手を発行していましたが、国際的には、依然としてインドネシア共和国ではなく蘭印郵政がインドネシア地域を代表する郵政機関として認知されていました。

 その後、独立戦争の過程で、1948年1月17日、ジャカルタ沖に停泊する米国軍艦レンヴィル艦上で停戦協定が調印されます。この協定は、共和国の領土をジャワ島の中部と西端部、マドゥラ島に限定するもので、蘭印全体の独立を目指す共和国側にとっては承服しがたいものではありましたが、ともかくも、国際的に“インドネシア共和国”の存在が認められる端緒にはなりました。ただし、同年12月11日、オランダは和平会談決裂を宣言し、同19日から共和国領内への全面攻勢を開始し、インドネシア独立戦争は継続されることになります。

 ちなみに、今回ご紹介の“インドネシア”名義の切手が発行される直前の1949年8月23日から、ハーグではインドネシア独立に関する円卓会議が開催され、切手発行後の10月13日に両者の協定が成立。12月6-8日のオランダ議会でインドネシア独立が可決されました。ちなみに、インドネシア側では、戦乱の中で1947年初頭以来、議会が開催されていませんでしたので議員の招集に手間取り、14日になってようやく、オランダとの独立協定が承認されています。

 なお、拙著『蘭印戦跡紀行』では、インドネシア独立戦争と当時の切手や郵便物についてもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 元関脇・阿覧が引退
2013-10-08 Tue 17:47
 大相撲の元関脇でロシア出身の幕内力士、阿覧(本名:アラン・ガバライエフ)が、きょう(8日)、日本相撲協会に引退届を提出しました。三保ケ関親方が11月で定年を迎えるため、秋場所限りで入門時から所属していた三保ケ関部屋が閉鎖となったことで、制度上は春日野部屋に移籍したものの、相撲を続ける気力がなくなったのが最大の原因のようです。というわけで、きょうは阿覧関の出身地ウラジカフカースにちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ウラジカフカース鉄郵印

 これは、ロシア帝国時代の1909年3月、ウラジカフカースから差し出された葉書で、ウラジカフカース駅の鉄郵印が押されています。

 現在、ロシア連邦北オセチア共和国の首都となっているウラジカフカースは、1784年、ロシア帝国のカフカース支配の中心都市としてテレク河畔に建設された都市で、都市名に含まれるウラジは、ウラジオストク同様、「領有する」という意味の動詞の派生語です。

 1801年、ロシア帝国はグルジアを支配していたカルトゥリ・カヘティ王国を併合しますが、これに伴い、グルジアの首都であったトビリシとウラジカフカースを結ぶ全長約210キロの道路の建設が開始されると、ウラジカフカースはその北側の終着点にして、チェチェン、イングーシ、ダゲスタン方面に至る交通の要衝となりました。ちなみに、今回ご紹介の絵葉書の裏面には、20世紀初頭のグルジア軍用道路の写真が印刷されています。

       ウラジカフカース・軍用道路

 その後、ソ連時代の1931年には、帝政時代の痕跡を消し去るべく、革命家セルゴ・オルジョニキーゼの名をとってオルジョニキーゼと改称されました。その後、1944-54年にオセット語で「ザーウガの集落」を意味するジャウジカウと呼ばれていた時期を除き、ソ連時代には基本的にオルジョニキーゼと呼ばれていましたが、ソ連末期の1990年、旧称のウラジカフカースに戻され、現在にいたっています。

 いわゆるカフカース(コーカサス)地方は、行政上の変更が頻繁に行われ、それに伴い、地名もいろいろと変化しているので、収集対象としてはなかなか楽しめそうです。そんなことを考えて、今年の1月に開催されたヨーロッパ切手展には、北カフカースに関するミニ・コレクションを出品してみたのですが、その後はそのまま放置する状態が続いています。この分野で何かまとまった仕事を残すためには、来年開催のソチ五輪が格好のタイミングであることは間違いないので、ロシア国内の聖火リレーが始まったというニュースを聞いて、いまさらながら、気合を入れて企画を売り込まねば…と思っています。


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 パプアの活動家、バリで嘆願
2013-10-07 Mon 11:14
 きょう(7日)からバリ島でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催されますが、そのタイミングに合わせて、きのう(6日)、デンパサールのオーストラリア総領事館にパプア人活動家3人が侵入し、パプア人政治犯の釈放と外国人記者のパプアへの入域を求める嘆願書を手渡したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       蘭領ニューギニア(1950)

 これは、1950年に発行されたオランダ領ニューギニア最初の切手のうち、オランダ女王の肖像を描く5ギルダー切手です。

 ニューギニア島は、第一次大戦以前はドイツ、英国、オランダの3国によって、第一次大戦によるドイツ敗戦後は蘭両国によって分割支配されていました。このうち、オランダ領は、同島の東経141度以西の地域で、隣接したオランダ領東インド(蘭印)と一括して統治されていました。

 第二次大戦後のインドネシア独立戦争ではインドネシア側は蘭領ニューギニアのインドネシアへの統合を主張。これを拒否するオランダとの対立は、インドネシア独立を認めた1949年のハーグ円卓会議でも解消されず、ニューギニア島西部の帰属は将来の解決に委ねるとしつつ、とりあえずはオランダによる支配が継続されることになりました。

 今回ご紹介の切手は、上記のような経緯で蘭印が解体された後、“蘭領ニューギニア”としての独自の切手が必要となったため、発行されたものです。その後、1952年、オランダはニューギニアの先住民であるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、インドネシアとの対立が深刻化。一方、1956年8月17日、インドネシア側はイリアン地方自治省(“イリアン”はニューギニア島の現地語での呼称)を設置したうえで、翌1957年12月、オランダ資産を接収。両者の交渉が難航する中、1960年、インドネシアはオランダとの国交を断絶し、武力解決も辞さない構えを示します。その一方で、インドネシアは西イリアン問題を国連に提訴し、植民地解放が世界的な潮流となっていた中で、国際世論を味方につけて、押し切ろうとしました。

 これに対して、1961年12月1日、オランダは、蘭領ニューギニアを西パプアとして独立させますが、これを認めないインドネシアとの間で翌1962年1月、海戦が勃発。このオランダとの戦争で、1962年7月、インドネシア国軍を率いて“マンダラ作戦”を指揮し、西イリアンを事実上制圧したのが、当時陸軍少将だったスハルトでした。

 結局、西イリアン紛争は翌8月15日にアメリカの調停で停戦が成立。西イリアンは国連仲裁委員会にゆだねられた後、1963年5月1日、インドネシアの統治下に移管されました。

 しかし、西イリアンではインドネシアへの併合に反対するOPM(Organisasi Papua Merdeka:パプア独立組織)が結成され、反インドネシア闘争が続けられます。特に、1969年8月、国連監視下で行われた住民投票では、80万人のパプア人がインドネシアへの併合にNOの意思表示をしたものの、西イリアンがインドネシア領とされたことから、パプア人による反インドネシア闘争は激化していくことになりました。

 西イリアン併合の英雄であったスハルトは、1965年にスカルノを失脚させて国家の実権を握り、1967年には正式に大統領に就任しますが、西イリアンへのジャワ人の移住を奨励し、同化政策を強行。パプア独立組織の抵抗に対しては、力でこれを押さえ込んできました。

 その後、スハルトが1998年に失脚すると、西イリアンの独立運動はさらに活発化し、2000年には、西パプア住民大会が新国家パプアの樹立を宣言。さらに、2006年には独立運動家がオーストラリアに亡命しオーストラリア政府がビザを発行したため、インドネシア・オーストラリアの関係が悪化しました。

 現在なお、西イリアンではインドネシアからの分離独立を求める住民運動が続いており、少なくとも55人の活動家が投獄され、国連などが国軍や警察による住民への無差別の銃器使用や過剰な暴力を批判しています。ただし、独立派への支持拡大を警戒するインドネシア政府が海外メディアの現地取材を厳しく制限していることもあって、その実態を我々が把握するのは困難です。

 今回、「アボット豪首相や安倍晋三首相、ケリー米国務長官を含むAPECリーダーにメッセージを送るため」として「インドネシア政府に対し、パプア人への人権侵害を止めるよう説得してほしい」との内容の嘆願書を、パプア人活動家がオーストラリア総領事館に持ち込んだのも、こうした事情によるものです。

 なお、独立以降のインドネシアでは、今回ご紹介の西イリアン問題に加え、かつての東ティモール問題やアチェの分離独立運動など、国家の存立基盤にかかわる重要な紛争が少なからずありました。拙著『蘭印戦跡紀行』でも、アチェ問題を中心に、その一端についてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手の帝国:バンコク・B加刷
2013-10-06 Sun 17:41
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2013年10月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」では、今回は、タイの初期の郵便と英国の関係を取り上げました。その記事の中から、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       バンコク・B加刷

 これは、英領海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷して発行された切手です。

 タイと欧米諸国との本格的な外交関係は、1855年にラーマ4世(モンクット王)が英国との間にボーリング条約を結んだことに始まります。ちなみに、映画やミュージカルで有名な『王様と私』は、ラーマ4世をモデルにした“シャム王”の宮廷を舞台に、国王と英国人女性家庭教師との交流を描いたものですが、作品中の王室の扱いが不敬であるとして、タイでは上映・上演が禁じられています。

 ボーリング条約により英国は首都バンコクに領事館を開設しましたが、当時、タイには近代郵便制度はなく、国内はともかく、バンコクから海外へ郵便を送ることにタイ側が責任を持つ体制にはなっていませんでした。このため、英国領事館は、タイ駐在の外国人商人や宣教師の要請に応えて領事館内に“郵便局”を開設し、1858年からタイと英本国やインド、シンガポールなどとの通信の取り扱いを開始しました。これが、タイにおける近代郵便制度の最初で、当時の郵便物は蒸気船でシンガポールまで運ばれ、そこから宛先へ送られていました。

 イギリスがバンコクに開設した郵便局では、当初は英領インドの切手が、1867年からは主にイギリス海峡植民地(現・マレーシア、シンガポール)の切手が無加刷で使われていましたが、1882年になると、ここにご紹介しているように、海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷した切手が使用されています。

 これに対して、ラーマ5世(チュラーロンコーン王、『王様と私』のラストで、国王の崩御に伴い即位する少年皇太子のモデル)による近代化政策の一環として、タイが自前の郵便制度導入を計画するようになったのは、1881年のことでした。ただし、当時のタイには切手を製造するための設備がなかったため、タイ最初の切手の製造はロンドンのウォータールー・アンド・サン社に委託されました。

 その後、ロンドンから切手が到着するのを待って、1883年8月4日のことで、バンコクのプラナコーン地区とチャオプラヤー川を挟んで対岸のトンブリー地区との間で、書状と書籍(印刷物)の配達に限定してタイの近代郵便が創業されます。なお、バンコクという地名は主として外国人による呼称で、タイ語では“クルンテープ”というのが一般的です。

 ちなみに、バンコクに置かれていた英国の郵便局は、1885年7月1日にタイが万国郵便連合に加盟し、タイ政府発行の切手が国際的にも有効とされたため、その前日の6月30日で閉鎖されました。

 このあたりの事情については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
       

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 “赤いナポレオン”死す
2013-10-05 Sat 11:30
 フランスの植民地支配からヴェトナムを解放し、ヴェトナム戦争を勝利に導いて“赤いナポレオン”の異名を取ったヴェトナム救国の英雄、ヴォー・グエン・ザップ(武元甲)将軍が、きのう(4日)、ハノイ市内の軍事病院で亡くなりました。享年102。というわけで、ザップ将軍を偲んで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       ディエンビエンフー

 これは、1954年10月にヴェトナム民主共和国(北ヴェトナム)が発行したディエン・ビエン・フー勝利の記念切手です。切手に記された1954年5月7日は、ザップ将軍ひきいるヴェトミン軍がフランス軍を破った日付です。

 1911年、フランス植民地支配下のクアンビン省に生まれた将軍は、フエの国立アカデミー在学中の1926年、学生組織を組織したことで投獄され、1930年にインドシナ共産党に加入。1939年にインドシナ共産党が非合法化されると中国共産党解放区に亡命し、翌1940年、ホー・チ・ミンと出会い、その側近となりました。

 1945年9月、ホー・チ・ミンによるヴェトナム独立宣言とともに臨時政府の内務大臣に就任。インドシナ支配の再開をもくろむフランスとの間に第1次インドシナ戦争が始まると、ホー・チ・ミン内閣の国防大臣兼ヴェトナム軍総指揮官となり、ゲリラ戦を指揮しました。

 ザップ将軍の名を世界に知らしめたディエン・ビエン・フーの戦いは、第1次インドシナ戦争最大にして最後の戦いで、1954年3月から5月にかけて戦われました。

 インドシナ戦争での劣勢に悩んでいたフランスは、1953年11月、ラオスとの国境に近いベトナム西北部の盆地ディエン・ビエン・フーに要塞の建設を開始し、1954年3月には40門以上の大砲、2ヶ所の飛行場、兵力1万6200名の大要塞を完成させました。
 
 これに対して、ザップ将軍はヴェトミンの兵力をディエン・ビエン・フーに集中し、昼夜兼行の人海戦術を用いて大砲・ロケット砲・対空火器を山頂に引き上げ(山中では重火器類は分解され、人力で担ぎ上げられました)、要塞を見下ろす位置に秘密陣地を構築。フランス軍の要塞を包囲します。

 1954年3月12日、ヴェトミン軍は主滑走路を砲撃し、ディエン・ビエン・フー攻略戦を開始。フランス軍の予想を超えた盆地周囲の山上からの砲撃のもと、塹壕で接近して複合陣地を順次攻め落とし、5月7日の総攻撃により、フランス軍の全要塞を陥落させました。ディエン・ビエン・フーでのヴェトミンの勝利はジュネーヴ和平会談にも大きな影響を与え、7月21日のジュネーヴ協定締結とインドシナからのフランスの全面撤退へとつながりました。

 その後も、ザップ将軍はヴェトナム人民軍総司令官として北ヴェトナム軍を指揮し、1975年のヴェトナム再統一の原動力となり、統一後は、文字どおり建国の元勲として副首相兼国防相に就任。1978年には、国際的な非難を浴びたカンボジア侵攻に反対したほか、引退後の2009年には中国主導での国内ボーキサイト採掘事業に環境や国防面で苦言を呈し、“真の愛国者”として尊敬を集めました。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。


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 日本傷痍軍人会が解散
2013-10-04 Fri 13:50
 きのう(3日)、東京都渋谷区の明治神宮会館で、両陛下ご臨席の下、日本傷痍軍人会(日傷)の創立60周年記念式典が行われました。日傷は11月末の解散が決まっており、式典後に関係者で解散式が行われ、事実上、活動を終了しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       戦傷病者用はがき

 これは、1939年3月1日に発行された戦傷病者用はがきの使用例です。

 葉書は戦傷病者の慰問用として無料で配布されたもので、印面には軍人の横顔と傷病気象が描かれています。もともとクリーム色っぽい用紙(カタログの表記ではうす茶紙)に印刷されていましたが、1940年以降、灰味がかった用紙(灰白粗紙)に印刷されたものが登場しました。専門カタログでは、1944年4月1日に葉書料金が2銭から3銭に値上げされた後、1銭葉書を加貼して使用された例まではリストされていますが、1945年4月1日に3銭から5銭に値上げされた後のことについては省略されています。

 今回ご紹介の葉書に押されている消印は不鮮明ですが、実物を見ると、消印の年号はなんとか“21”と読めますので、少なくとも、葉書料金は5銭(7月25日以降なら15銭)ですので、額面2銭との差額分については、料金収納印で処理されています。

 差出人の住所となっている“石川療養所”は、現在の国立病院機構石川病院の前身で、もともとは、1939年12月、全国25カ所に設置された傷痍軍人療養所のひとつ、傷痍軍人石川療養所として設立され、終戦直後の1945年12月、厚生省に移管されて国立石川療養所となりました。

 葉書の内容は、俳人・前田普羅が主催していた俳句雑誌『辛夷』の出版元・辛夷社宛に、このたび療養所を出ることになったので、『辛夷』2月号から雑誌の送り先を変更してほしいというものですが、辛夷社の住所が西砺波郡津沢町になっています。辛夷社は1945年8月1-2日の富山大空襲で前だが罹災するまでは富山市内で活動しており、空襲後、葉書の住所の西砺波郡津沢町に移転しましたので、このことからも、この葉書が戦後の使用例であることがわかります。

 さて、解散することになった日傷は、講和独立後の1952年11月に設立され、1955年2月に財団法人に移行。傷痍軍人の処遇改善などを国に働き掛けてきたほか、会員の相互援助や生活相談に取り組んできましたが、1955年に約35万人だった会員も本年度には5100人にまで減少。会員の平均年齢も91歳を超えるなど、今後の活動継続が困難になったため、昨年3月の役員会で今年11月末での解散を決められました。

 昨日の式典では、今上陛下が「戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が、決して忘れられることなく、皆さんの平和を願う思いと共に、将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません」とのお言葉を述べられましたが、これは、我々がこれからも深く心に刻んでおかねばならないものだと思います。


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 世界漫郵記:ドバイ②
2013-10-03 Thu 10:48
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年10月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第2回目。今回は、かつて真珠取りの町だった時代のドバイの面影をたどってみましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      UAE・国民文化祭(1988)      ドバイ・メトロ構内(真珠取り)

 これは、1988年にアラブ首長国連邦(UAE)が発行した国民文化祭の記念切手で、ドバイを含む湾岸首長国の伝統文化の事例として真珠が取り上げられています。隣には、かつての真珠取りの写真パネルが貼られたドバイ・メトロ構内の写真を貼っておきます。

 石油によって巨万の富を築いたドバイが脱石油依存を進めていることは広く知られていますが、ドバイ域内のファテ油田で石油が発見されたのは1966年のことで、紀元前3000年にまで遡るというドバイの歴史において、石油産業はたかだか50年弱の歴史しかありません。

 それ以前のドバイは、むしろ、ペルシャ湾とインド洋を結ぶ中継貿易の拠点であり、漁業と真珠の採取を主たる産業とする港町でした。

 すなわち、ドバイを含めて、現在のUAEに相当する地域の群小首長国は、1971年の連邦結成以前、英国と休戦協定(Truce)を結んだ保護国という意味で、“休戦協定諸国”と総称されていましたが、1930年代までの休戦協定諸国では、真珠産業こそがGDPの大半を占める主要産業で、1200隻の船を使って8万人が真珠で生計を立てていたといわれています。

 ドバイに限らず、ペルシャ湾岸では、海底から大量の地下水が噴き出すため海水温が安定しており、マングローブやウミガメが生息します。このため、この海域の生態系は豊かで、天然真珠の母体となる貝の健康にとっては好条件となっており、粒の整った真円の良質な真珠ができるのです。

 じっさい、1917年のボンベイ(ムンバイ)市場での湾岸産天然真珠には、1グラムで金320グラムまたは銀7.7キロに相当する値段がつけられ、最終的に、世界各地の貴婦人たちの宝石箱に収まるという構図ができあがってました。
 
 ところが、繁栄を極めていたドバイの真珠産業は、1940年代にはほとんど壊滅してしまいます。1929年に始まる世界恐慌による需要の激減に加え、ミキモトの養殖真珠が世界市場を席捲したからです。

 1858年、幕末の志摩国鳥羽町に生まれた御木本幸吉が、幾多の試練を乗り越え、鳥羽の相島で半円真珠の養殖に世界で初めて成功したのは1893年のことでした。その後、御木本は、1899年に東京・銀座に日本で初めての御木本真珠店を開設。1905年には真円真珠の養殖に成功し、黒蝶真珠や白蝶真珠の養殖にも取り組むなど、順調にその事業を拡大していきます。

 御木本の真珠が海外に進出するのは、1893年、米国シカゴで開催されたコロンブス万国博覧会への出品が最初です。その後、御木本真珠店は1913年のロンドンを皮切りに、ニューヨーク、パリへも支店を開設しましたが、翌1914年に第一次大戦が勃発したことで支店は事実上の開店休業状態に追い込まれます。

 こうした経緯を経て、大戦後の1919年、御木本は満を持して五ヶ所養殖場でとれた養殖物の真円真珠をロンドン支店に送り、従来の天然真珠より25%安い値段での販売を開始。“ミキモト・パール”の名前で、本格的に世界市場に殴り込みをかけました。驚愕した欧州の宝石業界は、当初、“ミキモト・パール”は人造の偽造品であるとして、御木本真珠店を詐欺師呼ばわりし、1921年には訴訟にまで発展しました。

 このため、御木本側はオックスフォード大学のリスター・ジェームソン、ボルドー大学のH・L・ブータンなどの専門家を証人として、養殖真珠も真正の“真珠”としての品質を備えていることを証明。まずは、ロンドンの宝石商を説得して訴訟を取り下げさせ、1924年にはパリの裁判所でも天然モノと養殖の“ミキモト・パール”には全く違いがないとの判決を勝ち取りました。最終的に、御木本側がフランスの裁判所から天然と変わらぬものとの鑑定結果の通知を受け、世界の宝石史上でその地位を確立したのは、1927年のことでした。

 こうしてミキモト・パールが欧州市場を席捲していく中で、ついに、1924年7月、ドバイの真珠業者がボンベイ市場に養殖真珠(それが“ミキモト・パール”であったか否かは定かではないのですが、おそらく、その可能性が極めて高いと考えられています)を持ち込んで売却しようとして摘発されるという事件が発生します。ちなみに、養殖真珠を持ち込んだ業者が商品に付けた値段は80ルピー。同じコンディションの天然真珠(原理的には、養殖真珠と天然真珠の品質はほぼ同じであり、両者を識別するのはきわめて困難です)の値段は500ルピー(当時)でしたから、まともに勝負したら、とうてい、かないません。

 英国の駐在事務官から報告を受けたドバイの地方君主、マクトゥーム家のシャイフ・サイードはドバイの真珠業者に対して布告を発し、養殖真珠の売買(天然真珠と養殖真珠を混ぜて売買することを含む)を禁止したうえで、養殖真珠を扱っていることが判明した場合、関係者に対しては、罰金のみならず、国外追放、財産の没収などの処罰を下すことを宣言しました。

 しかし、実際にはペルシャ湾岸でも養殖真珠を商おうとする者は後を絶たなかったばかりか、現在のサウジアラビア東部州を拠点とする財閥、ゴゼイビー家などは、みずから真珠の養殖に乗り出そうとしています。

 すなわち、1930年代のゴゼイビー家の当主、アブドゥルアジーズはサウジアラビアのバハレーン大使を務めた人物だったが、息子のアブドゥッラフマーンは父の任地であるバハレーンで真珠の養殖を手掛けるべく、イタリア人スタッフを雇い入れていました。また、バハレーン王族の一部にも、ミキモト・パールの売買に手を出す者があったといわれています。

 当然のことながら、英国は彼らの活動を警戒し、1930年6月19日、バハレーンへの養殖真珠の流入を禁止する「養殖真珠流通法」を制定。この結果、バハレーンのみならずペルシャ湾岸に養殖真珠を持ち込むことは完全に非合法化され、ゴセイビー家による真珠養殖の試みも完全に閉ざされてしまいました。

 法律の目的は、ペルシャ湾岸の天然真珠を守るということにありましたが、こうした保護主義的な禁止措置は、結果として、ドバイをはじめとする湾岸地域の天然真珠の商品としての競争力を完全に失わせることになり、ドバイの真珠産業も1940年代には壊滅してしまいました。ただし、産業としては成り立たなくなった真珠採取ですが、現在でも“文化”として保存・継承されています。

 さて、今回の記事では、こうしたドバイの真珠産業の歴史を振り返りつつ、かつての真珠採りの村を再現した“ダイヴィング・ヴィレッジ”の様子などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 式年遷宮・遷御の儀(内宮)
2013-10-02 Wed 10:00
 伊勢神宮の式年遷宮のメイン行事ともいうべき内宮の“遷御の儀”が、今夜20時ごろから行われます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       伊勢神宮式年遷宮(遷御の儀・絵葉書)

 これは、1929年の“神宮式年遷宮”に際して逓信省が発行した絵葉書で、“遷御の儀”の場面が描かれています。なお、この時発行された記念切手や絵葉書で伊勢神宮ではなく単に“神宮”となっているのは、神道の世界では、単に“神宮”というと三重県伊勢の大神宮(いわゆる伊勢神宮)のことをいうためです。

 神宮は内宮と外宮に分かれており、内宮の皇大神宮には皇室の祖先とされる天照大神が、外宮の豊受大神宮には五穀の神である豊受大神が祀られていいます。この両宮では、7世紀末の持統天皇の時代から、おおむね20年ごとに新しく社殿をつくり、御神体を奉遷する儀式が行われてきました。これが、いわゆる式年遷宮です。

 式年遷宮が行われるのは、正殿をはじめとする神宮の建物が、塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱も萱葺屋根の構造となっているため、耐用年数が短いためです。ただし、20年ごとというサイクルは、江戸時代以前には必ずしも守られていたわけではなく、戦乱により100年以上も遷宮が行われなかったこともあります。

 今夜行われる“遷御の儀”は、御神体を旧殿から新殿へ遷す儀式で、筆頭宮家の当主である秋篠宮殿下が皇族代表として参列され、同じ時間、陛下は皇居で神宮に向かって拝礼する“遙拝の儀”をなさるそうです。なお、今夜の“遷御の儀”は内宮の儀式ですが、外宮では5日に“遷御の儀”が行われる予定です。

 実際の儀式は夜間に行われ、照明もほとんどないため、肉眼では何をやっているのかわからないというのが実態でしょうが、地元の三重テレビとテレビ神奈川、千葉テレビ、KBS京都、サンテレビ、テレビ和歌山、奈良テレビ、岐阜放送の8局では、19時30分から、五十鈴川のほとりにカメラを構え、森の向こうで執り行われている祭典の様子を実況中継するほか、実際の“遷御の儀”も20分~30分後に放送予定だそうです。

 本来ならNHKあたりがきっちり生中継しても良いように思うのですが、新聞のテレビ欄を見ると、19時30分からはいつも通り「クローズアップ現代」(お題は“医療ビッグデータ”だとか)をやって、その後もきっちりフツーの番組を放送、21時からのニュースで「神秘の映像をいち早く」放送するということのようです。まぁ、視聴率が取れないといわれればそれまでなんですが、我が家でも千葉テレビとテレビ神奈川は視聴可能ですので、今夜はそちらで今回ご紹介の絵葉書に描かれた光景を拝ませてもらうとしますかね。


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