内藤陽介 Yosuke NAITO
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 クリミア地方政府の切手
2014-02-28 Fri 21:44
 今月23日にヤヌコーヴィチ政権が崩壊したウクライナ南部のクリミア自治共和国で、昨日(27日)、親ロシア派の武装集団が首都シンフェローポリのクリミア政府・議会を占拠しました。議会は占拠されたままの状態で、同日、自治権拡大の是非を問う住民投票を5月25日に実施することを決定。さらに、武装集団は、きょう(28日)未明、南部の要衝セヴァストーポリ近郊のベルベク空港ならびに首都の空港を掌握した模様だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       クリミア地方政府切手

 これは、1919年に“クリミア地方政府”が発行した50コペイカ切手で、ロシア皇室の紋章である双頭の鷲が大きく描かれています。

 18世紀までのクリミア半島は、クリミア・タタール人が支配するクリミア・ハン国の反とでしたが、1768-1774年の露土戦争の結果、1783年にクリミアはロシア帝国に併合され、クリミア・タタール人の有力者層はオスマン帝国領内に亡命。その一方で、ロシア人、ウクライナ人をはじめとする移民がクリミアに押し寄せたため、19世紀の初めには、クリミア・タタール人はクリミア半島での少数派となっていました。

 1917年、ロシアで十月革命が起こると、クリミア・タタール人はクリミア人民共和国の独立を宣言しましたが、1918年初めにはボリシェヴィキがクリミア半島を占領。タヴリダ・ソヴィエト社会主義共和国を創設します。これに対して、同年4月末、ドイツに援助されたウクライナ人民共和国軍がボリシェヴィキを駆逐し、同年6月25日、クリミア地方政府を樹立しました。

 クリミア地方政府は、ドイツとオスマン帝国の保護下でクリミア・ハン国の再建をめざし、独自の通貨や紙幣(今回ご紹介のモノはその1枚です)も発行しました。その後、ドイツとオスマン帝国の敗戦を受けて、1918年11月には反ボルシェヴィキの連合国が上陸したものの、1919年初までに撤退。クリミア半島はロシアの内戦に巻き込まれ、赤軍と白軍の攻防の後、最終的には赤軍に占領され、1921年10月18日、ソヴィエト・ロシアの一部としてクリミア自治社会主義ソビエト共和国が創設。1922年末のソヴィエト社会主義共和国連邦成立を経て、1936年12月5日、クリミア自治ソビエト社会主義共和国となりました。

 スターリン時代の1944年、クリミア・タタール人は財産と市民権と奪われたうえ中央アジアへ強制移住させられ、翌1945年6月30日には自治共和国は解消させられてクリミア州となります。スターリン没後の1954年、ウクライナのロシアへの統合300年を記念して、クリミア州はソ連構成国のロシアからウクライナに移管。1967年にはクリミア・タタール人の名誉回復がなされましたが、彼らのクリミア半島への帰還はソ連崩壊まで許可されませんでした。

 ソ連崩壊後、クリミア州はウクライナが継承しましたが、上述のような経緯から、クリミア州内のロシア人はロシアへの再統合を要求。1992年5月5日、クリミア州議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国を宣言します。

 これに対して、ロシアは独立の動きを支持し、クリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を採択しました。ところが、1994年に第1次チェチェン紛争が勃発すると、チェチェンの独立を禁圧しながらウクライナからのクリミアの独立を支持するのはダブルスタンダードであるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を中断せざるを得なくなります。

 この結果、後ろ盾を失ったクリミアの独立運動は沈静化し、クリミア議会はウクライナ共和国内の自治共和国であることを認め、1998年にクリミア自治共和国憲法が制定されましたが、その後も、ロシア人とウクライナ人の潜在的な対立が続いているほか、クリミア・タタール人の故郷帰還と権利回復の問題もあり、それらが、今回のウクライナ政変を契機に一挙に噴き出した格好です。

 いずれにせよ、クリミアを含むウクライナ情勢からは、当分、目が離せない状況が続きそうですので、このブログでも、随時、関連する切手や郵便物などをご紹介していけたら…と思っています。
 

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 ドミニカ共和国独立記念日
2014-02-27 Thu 21:36
 きょう(27日)は、1844年2月27日にドミニカ共和国がハイチから独立したことにちなみ、ドミニカ共和国の独立記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックでっ拡大されます)

       ドミニカ共和国・地図(1930)

 これは、1930年にドミニカ共和国で発行された航空切手で、イスパニョーラ島内におけるドミニカ共和国とハイチの地理的な関係が示されています。

 カリブ海のイスパニューラ島は、1697年のライスワイク条約により、島の西側3分の1が仏領サン・ドマングに、残りの東側3分の2がスペイン領サント・ドミンゴとなりました。

 このうち、仏領サン・ドマングでは、フランス革命に乗じて1791年に黒人やムラート勢力が決起してハイチ革命を起こし、英国の支援を得て、1804年にハイチ共和国として独立を宣言しました。しかし、独立に際して、フランスは放棄したプランテーションなどの賠償金を払うようハイチに強要し、その負担はハイチの国家建設を大きく圧迫していました。

 一方、スペイン領サント・ドミンゴは、1795年のバーゼルの和約によりフランスに割譲されましたが、隣接する仏領サン・ドマングでの革命の影響で社会的に混乱し、ナポレオン戦争後の1814年にスペイン支配が復活したときには、すっかり荒廃していました。その後、副総督のホセ・ムニョスが“スパニッシュ・ハイチ”の独立を宣言しましたが、混乱に乗じてハイチが軍事侵攻。旧スペイン領はハイチに併合され、イスパニョーラ島全島がハイチの支配下に置かれました。

 フランスへの賠償金の支払いに悩んでいたハイチは、新たに獲得した旧スペイン領で重税を課すなどしたため、旧スペイン領の住民は反発。1838年にホアン・パブロ・ドゥアルテを中心に結成された秘密結社ラ・トリニタリアにより反ハイチ闘争が展開され、1844年2月27日、ドミニカ共和国として独立を達成しました。

 しかし、その後もハイチとドミニカ共和国の武力衝突は断続的に繰り返されたため、その負担に耐えられなくなったドミニカ共和国政府は、1861年、スペインへの再併合を申し入れ、再びスペイン領となります。しかし、これにはドミニカ共和国の国民の間にも反発が強く、独立戦争を経て、1865年、ドミニカ共和国は再独立を果たしました。ただし、ドミニカ共和国にとって、ハイチの脅威が減じられたわけではなかったため、今度は米国への併合派が台頭。1875年にハイチとドミニカ共和国の間で平和条約が結ばれるまで、ドミニカ共和国の国内でも独立の是非をめぐっては議論が続きました。

 こうした経緯もあって、ドミニカ共和国とハイチの関係は緊張状態が続き、1900年には、ドミニカ共和国の発行した地図の切手に、本来、ハイチ領であるはずのヒンチャとその周辺がドミニカ共和国領として描かれていたことが原因となって、両国の間に武力紛争が発生しています。

 1906年、ドミニカ共和国は、米国が50年にわたりドミニカ共和国の関税徴収を行う代わりに債務返済の保証をするという提案を受け入れ、事実上の米国の保護領となります。一方、ハイチでも、対仏賠償や各国への債務返済が滞り、財政難と混乱が続いていました。こうした中で、第一次世界大戦が勃発すると、混乱に乗じてドイツがイスパニョーラ島を占領する懸念が生じたため、米軍は1915年にはハイチに、1916年にはドミニカ共和国に出兵して全島を占領。両国は米軍支配下で債務を返済し、国家建設を進めることになります。

 米軍は1924年にドミニカ共和国から撤退しますが、米軍の支配下で両国の和解が促進されたこともあり、1929年、ドミニカ共和国とハイチの間で国境についての合意が成立。それを踏まえて、今回ご紹介の航空切手が発行されました。なお、現在のドミニカ共和国とハイチの国境は、1929年の合意を元に、1935年2月27日に補足事項をくわえて、最終的に確定されたものです。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ただし、ハイチは加盟国ですが、ドミニカ共和国は加盟していません)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 泰国郵便学(29)
2014-02-26 Wed 10:57
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第48巻第1号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、1967年のトピックということで、アセアン国際観光年について取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       タイ・国際観光年

 これは、1967年9月15日に発行された国際観光年の記念切手で、王宮を背景にチャオプラヤー川に浮かぶ御座船のスリ・スパンナホンが取り上げられています。

 タイ政府による本格的な観光振興政策は、ラーマ5世(チュラーロンコーン)時代に、王立鉄道の長官だったプラチャトラ・ジャヤカラ親王が米国向けにタイを宣伝するパンフレットを送ったのが最初とされています。

 ちなみに、親王はチュラーロンコーン35人目の息子として1881年1月23日に生まれました。英国ケンブリッジ大学で土木工学を、フランス、オランダでダムやトンネルの掘削技術を学び、英国での土木工学研究所勤務を経て1904年に帰国。陸軍の工兵士官として工兵局を設立し、鉄道建設にも尽力しています。1936年没。

 さて、王立鉄道は1924年に下部組織として宣伝局を設置し、観光宣伝と同時に、タイを訪れる外国人に対して便宜を提供することになりました。親王による米国向け観光パンフレットの送付もこうした文脈に沿ったものです。

 1936年、タイ政府は観光政策を大幅に充実させるべく商業省(後商業交通省)の所管に移しましたが、大東亜戦争の勃発により、外国人観光客の受け入れは途絶しました。

 戦後、観光行政は観光宣伝を中心に首相直轄の組織として観光局が担当することになります。

 1958年9月のクーデターでピブーン・ソンクラームを追放して、政府の実権を握ったサリット・タナワットは、1959年2月の首相就任までの間、病気療養のために渡米しましたが、滞在中に目にした米国の観光政策に感銘を受け、帰国後、政府広報部とともに政府観光局(National Tourist Office)を設置。1960年3月18日、同局は、バンコク・サナムスアパーのシーアユッタヤー通りに独自のオフィスを開設しました。その後、同局は、タイ政府観光機構(Tourist Organization of Thailand:TOT)、さらに1979年にはタイ政府観光庁(Tourism Authority of Thailand:TAT)と改称し、現在にいたっています。

 1960年代以降、インドシナ情勢の不安定化に伴い、タイは米軍の兵站基地となったが、それに伴い、タイ国内はヴェトナム戦争に従軍する米軍関係者の保養地となり、さらに、彼らを通じて、欧米人にとってのリゾート地として注目されるようになりました。その背景には、1964年8月のトンキン湾事件発生後、米軍がインドシナへの関与を強めていくなかで、翌1965年、ニューヨーク事務所を開設して、米軍の保養地としてのタイの魅力を積極的にアピールした政府観光局の営業努力があったことも見逃せません。

 その甲斐もあって、国際観光年の1967年にタイを訪れた外国人は、一般の観光客が33万6000人、インドシナの前線から休暇期間に訪タイした米軍関係者が5万人にものぼり、彼らがタイ国内に落とした外貨は、タイの国家財政にとっても重要な財源となりました。また、こうした成果を踏まえ、政府観光局は1968年には初めての地方事務所をチェンマイに開設。その後のタイの観光産業の基礎を築いています。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられた、チャオプラヤー川に浮かぶスリ・スパンナホンというモチーフは、バンコクを象徴するものとして、下の画像のように、TATのマークにも取り上げられています。

       タイ政府観光庁マーク

 ただし、TATのマークでは、王宮側から川を見た構図のため、背景にはワット・アルンが描かれていますが、切手は逆に、ワット・アルン側からの視点で、王宮を背にした構図が採用されています。

 切手に取り上げられたスリ・スパンナホンは、ラーマ1世が建造した御座船の老朽化が進んだため、その後継機として、ラーマ6世の命によって建造されたもので、船首の像は、ブラフマー(ヒンドゥー教の神)の乗物、ハンサ(白いガチョウの姿であらわされる神鳥)をかたどっています。スパンナホンという船名はハンサの別名です。

 船は全長46.15メートルの巨大なもので、1911年11月13日に進水しましたが、完成後、この船を手がけた職人の長は、すべての道具を捨てて二度と職人としての仕事をしないと誓ったのだとか。船は50人の漕ぎ手によって航行され、玉座や天蓋を乗せたうえで、王室の記念式典などの際に用いられています。

 
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 孫文像、台南で引き倒される
2014-02-25 Tue 10:37
 台湾独立派の急進的組織“公投護台湾聯盟(Alliance for a Referendum to Safeguard Taiwan)”は、おととい(23日)、台湾南部の台南市の公園にあった孫文像を独立派組織の活動家数十人が襲撃し、引き倒したことを発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       旧台幣・1次

 これは、1947年7月10日、台湾で発行された“限臺灣省貼用”の孫文切手です。

 中国国民政府(以下、国府)による接収直後の台湾では、当初、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が流通していました。国民党政権は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ぶ)を発行・流通させましたが、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用されていた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情がありました。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 通貨制度が異なれば、当然、切手も別のものとなるわけで、その意味では、1945-49年の国共内戦の時期でさえ、中国中央政府は本土と同一の切手を台湾で使用することができなかったわけです。このことは、いわゆる“一つの中国”が歴史的には全く根拠のないデタラメでしかなく、台湾が(少なくとも郵便という面では)いままで一度も“中国”に組み込まれたことはなかったことの何よりの証拠といってよいでしょう。

 さて、共産党との内戦に追われていた国府には台湾に良質の人材を配置する余裕はなかったこともあって、台湾に進駐してきた外省人には“十官九貪”とよばれたほど貪官汚吏が多かったようです。じっさい、復興に使われるべき工場施設や備蓄されていた米や砂糖を投機のために上海や南京に売り飛ばすことが横行し、「1年の豊作で3年食べられる」といわれた台湾で、日本統治下では戦争末期にもなかったほどの深刻なコメ不足が発生しています。島から逃げ出す犬(強圧的ではあったが規律のあった日本人)と入ってくる豚(無規律で腐敗・無能が蔓延する外省人)を並べ、「犬は人間を守ることはできるが、豚はただ喰って眠るだけだ」と記した風刺画が各所に貼られたのは、この時期のことです。これに対して、外相人の官吏は本省人(第2次大戦以前からの台湾居住者)の“奴隷根性”を批判。両者の溝は深まるばかりでした。

 こうした状況の中で、本省人の不満が爆発したのが1947年の2・28事件(台湾大虐殺)でした。大陸から大規模な軍隊を投入して3月末までに“暴徒”を鎮圧し、体制に批判的な市民を徹底的に弾圧した国府は、同年7月10日、今回ご紹介のような正刷切手を発行しています。切手に描かれている孫文の肖像は、大陸で発行されていた切手と同じですが、周囲のフレームは大陸のものが梅花模様であるのに対して、台湾のものは南洋の植物となっています。こうしたところから、口先でどのように美辞麗句を並べようと、台湾は大陸とは異質の存在であるという認識が透けて見えるように思えるのは僕だけではないでしょう。

 さて、1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行しました。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。その後、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施します。これが、現在でも台湾で流通しているNTドル(新台幣)のルーツです。ちなみに、国府が正式に台北に移転したのは、それからおよそ2ヵ月後の12月7日のことでした。

 さて、台湾の将来については台湾の人々の意思によって決められるべきで、彼らの多数が“一つの中国”論を信奉しているというのであれば、僕がとやかく言うべきことではないのは当然です。しかし、彼らの意に沿わない形で“中国”への併呑という事態が生じることになれば話は全く別で、今回の事件にみられるように、台湾の人々の間には、大陸に対する根強い反感があることは、日本でも、もっと知られてよいでしょうし、そうしたことも踏まえ、われわれ日本人はもっとも身近な友好国を今後ともサポートしていくべきではないかと思います。

 まぁ、日本ではなぜか聖人君子扱いされている孫文ですが、その実像はかなりいかがわしい人物で、彼の唱えた三民主義は、大衆=愚民という大前提の下、愚民の政治参加を制限し、全ての権力を国民党の政府に委ねるべきという、まさに、一党独裁の論理でしかありません。なるほど、かつての戒厳令時代の台湾の国府のみならず、現在の中国共産党政権が孫文のことを“近代革命の先人”として高く評価しているのも妙に得心が行くところです。その反面、まともな人間なら、そんな人物を国父として崇め奉って銅像まで建てていることには我慢ならないというのもまた、自然な感情でしょうな。もっとも、公園の銅像を暴力的に破壊することが良いことだとは、僕も決して思いませんけれど。


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 ウクライナで政変
2014-02-24 Mon 14:13
 昨年11月、親露派政策を取るヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領がEUとの政治・貿易協定調印を見送って以来、親西欧派による大規模な反政府デモが続いていたウクライナで、昨日(23日)までに最高会議(日本の国会に相当)が大統領を解任。憲法の規定に基づき、野党出身のオレクサンドル・トゥルチノフ議長が大統領代行となり、ヤヌコーヴィチ政権は崩壊しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ウクライナ・ソチ五輪

 これは、けさ閉幕したばかりのソチ五輪を記念して、ことし1月31日、ウクライナが発行した切手で、同国の女子バイアスロン代表選手が取り上げられています。

 2004年11月、ウクライナでは、レオニード・クチマ大統領の任期満了に伴い、大統領選挙が行われました。選挙戦は、従来通りロシアとの密接な関係を維持するのか、それとも、ロシアとは距離を置き将来のEU加盟を目指すのか、という点が争点となり、親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチと、親西欧派の野党代表、ヴィクトル・ユシチェンコが激しい選挙戦を展開。上位2名による決選投票の結果、2004年11月21日、ヤヌコーヴィチの当選が発表されます。

 ところが、選挙期間中の9月、ユシチェンコがダイオキシン中毒によるとみられる重病にかかる事件が起きていたこともあり(ユシチェンコ陣営は反対陣営に毒を盛られたと主張します)、ユシチェンコ陣営は選挙に不正があったと主張。再選挙を求めて、首都キエフを中心にさまざまな抗議活動を展開しました。これが欧米のメディアで大々的に報じられて国際世論の関心を呼び、最終的にはEUとアメリカの圧力もあって3度目の投票(決選投票のやり直し)が行われ、12月28日、親西欧派のユシチェンコが当選を果たしました。いわゆる“オレンジ革命”です。

 しかし、新政権は“革命”の果実の分配をめぐって発足当初から内紛が絶えず、早くも2005年9月8日には首相のユーリア・ティモシェンコ以下の全閣僚が解任されました。その後も、仇敵ヤヌコーヴィチが首相に就任したり、ティモシェンコが首相に返り咲いたりするなど、権力闘争による混乱が繰り返され、“オレンジ革命”に熱狂した市民の期待も急速にしぼんでいくことになります。

 一方、ロシアは自らの裏庭である隣国ウクライナに“ロシア離れ”を公言する新政権が発足したことに対して不快感を隠そうとはせず、ウクライナの生命線ともいうべき石油・天然ガスを大幅に値上げしたり、供給を一時的にストップしたりするなどしてウクライナ経済に揺さぶりをかけ続けました。さらに、2008年9月、リーマン・ショックから世界金融危機が発生。ウクライナ経済も甚大な打撃を被り、もはや、欧米諸国の経済支援もあてにできない状況となり、ウクライナ国民の間にもロシアと妥協し経済を立て直すべきだとの声が大勢を占めるようになります。
 
 結局、2010年1-2月に行われた大統領選挙(第1回投票は1月17日、決選投票は2月7日)では、親ロシア派ヤヌーコヴィッチがティモシェンコを抑えて当選。現職のユシチェンコは第1回で5位に終わり、決選投票にも残れない惨敗を喫しました。

 その後、ヤヌコーヴィチ政権は、ユシチェンコ時代の金看板のひとつであった北大西洋条約機構(NATO)への加盟方針を撤回。2010年4月には、ロシア黒海艦隊に対するクリミア半島セバストポリの基地貸与期限を2042年まで25年間延長することに同意するなど、対露接近の姿勢を鮮明にしています。さらに、2013年にEUとの間で仮調印された政治・貿易協定について、ヤヌコーヴィチ政権がロシアからの圧力を受けて正式調印を見送ったことで、西欧派の野党勢力が猛反発し、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生するなど騒乱状態に陥りました。

 こうした状況の中で、ソチ五輪期間中の2月18日、首都キエフ中心部のユーロ・マイダン(ヤヌコーヴィチ政権に抗議し、親西欧派が独立広場から改称)や国家機関の周辺でデモ隊と治安部隊の大規模な衝突が発生。19日未明までに双方で少なくとも21人が死亡し、数百人規模の負傷者が発生する流血事件となりました。これに対して、19日には、政府側と反政府側の間でいったんは休戦が宣言されましたが、20日には再び衝突が起こり、100人以上が死亡。さらに、21日には野党指導者と大統領との間で政治危機の打開をめざす合意が署名されたものの、勢いを増すデモ隊は野党の弱腰を非難してキエフ中心部を占拠しました。ここにいたり、ヤヌコーヴィチは政権の維持を断念し、22日夜、東部ドネツクの空港から出国を試みたが、国境警備隊に阻止され、政権は崩壊しています。

 この間、ソチの五輪会場では、ウクライナ五輪委員会のセルゲイ・ブブカが、国際オリンピック委員会に、自国の五輪代表選手が黒い喪章をつけて今後の競技に臨むことができるよう要請。この要請は却下されたものの、20日には、選手村でウクライナでの衝突による犠牲者への黙祷がささげられたほか、女子アルペンスキーのウクライナ代表選手、ボグダナ・マツォツカと父親でコーチのオレグ・マツォツキーが、ヤヌコーヴィチに抗議して以後の競技を棄権しました。ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられている女子バイアスロンの24kmリレーで、ウクライナ代表が金メダルを獲得したのは、その翌日、21日のことでした。

 今回のヤヌコーヴィチ政権崩壊で、昨年来のウクライナ騒乱は大きな節目を迎えましたが、親ロシア派の多い東部と親西欧派の多い西部の亀裂は深刻なものとなり、ウクライナ国家の東西分裂に対する懸念も強まっています。仮に、東西分裂に伴う新国家の誕生ということにでもなったら、切手の面でも新たな動きが生じることになるでしょうから、当面、ウクライナのニュースからは目が離せない日が続きそうです。


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 協同共和国
2014-02-23 Sun 16:17
 きょう(23日)は、1970年2月23日、英連邦王国内のギニアが共和制に移行し、ガイアナ協同共和国に改称したことから、同国では“共和国の日”になっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ガイアナ協同共和国

 これは、1970年2月23日、ガイアナの共和国宣言に合わせて発行された記念切手のうち、同国の地図と当時の首相フォーブス・バーナムの肖像を描く1枚です。

 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナは、1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。

 英国の支配下では、1834年、奴隷制が廃止されましたが、これに伴い、英領ギアナでも、砂糖工場の労働力として、英本国のみならずアイルランド、マルタ、ドイツ、ポルトガルなどからの移民がその欠を補うことになりますが、1838年以降、インド系の労働者が大量に流入。その数は、英領インド政府によりインド人移民が禁止される1917年までに34万人にも達します。当初、インド系移民とその子孫は農業に従事していましたが、次第に、首都ジョージタウンをはじめ都市部に出て商業などで財を成すようになりました。

 第二次大戦後の1953年、ガイアナでは初の総選挙が行われましたが、その結果、インド系のチェディ・ジェーガンを党首としてスターリン主義を掲げる人民進歩党(PPP)(PPP)が勝利。このため、ガイアナの社会主義化を恐れた英国は、同年年10月、4隻の軍艦と1600名の兵士を派遣し、ガイアナ憲法を停止して暫定政府による統治が開始します。

 一方、インド系の急進左派政党であったPPPの躍進に危機感を持ったアフリカ系は、PPPから分裂するというかたちをとって、弁護士のフォーブス・バーナムを党首として穏健左派政党の人民国民会議(PNC)を結成して、対抗しました。
 
 1961年8月に行われた総選挙ではPPPが第1党となり、同年9月、首相に就任したジェーガンは、アフリカ系労働者が多数を占めていた砂糖産業を国有化使用としましたが、このことはアフリカ系の猛反発を招きます。インド系とアフリカ系の対立は先鋭化し、1962年4月5日にはゼネストが宣言され、ガイアナ全土で暴動が発生。混乱の後、1964年12月に行われた総選挙では、PNCが白人とも連携して勝利を収め、PNCのバーナムが首相に就任しました。これに対して、ジェーガンは選挙の無効を主張しましたが、バーナム政権は憲法改正によって、ジェーガンを追放します。

 当初、バーナム政権は、ガイアナの主要産業であるボーキサイトを国有化するなど、社会主義的政策を推進し、1966年5月26日には英連邦の一国として独立を達成。1970年2月23日には、協同組合制度を基礎にした社会主義政策を推進するとして、“ガイアナ協同共和国”(Co-operative Republic of Guyana)の成立を宣言しました。今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行されたものです。

 当初、協同共和国の国家元首である大統領には中国系のアーサー・チュンが就任しましたが、彼の地位はあくまでも形式的なもので、政治的な実権はバーナムが掌握し続けました。しかし、PPPとPNCの対立は独立後も収まらず、経済状況も悪化。強権によってこれを乗り切ろうとしたバーナムは、1980年に憲法を改正し、大統領の権限を大幅に強化するとともに、みずから大統領に就任し、1985年10月に亡くなるまで、その地位にとどまりました。

 バーナムとPNCは、穏健左派を標榜して政権を獲得したものの、実質的には紛れもない社会主義政権で、バーナムに対する個人崇拝も行われていました。結局、バーナムの存命中は、経済がどれほど悪化しても、路線転換は行われず、彼の死後、大統領に昇格した副大統領のヒュー・デズモンド・ホイトが、ようやく、社会主義路線を放棄し、自由化路線に転換しました。ちなみに、ガイアナでは、バーナム時代の1980年憲法が現行憲法となっており、その規定では、現在なお、ガイアナの正式な国名は“ガイアナ協同共和国”です。しかしながら、現在ではガイアナ政府自ら、この名称を使うことはほとんどなく、日本の外務省も“ガイアナ共和国”を事実上の正式国名として使用しています。
 
 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 竹島の日
2014-02-22 Sat 04:02
 きょう(22日)は“竹島の日”です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      竹島切手・福耳

 これは、1954年に韓国が発行した竹島切手のうち、10ファン切手の福耳つきのコーナーです。

 日本と韓国との国交正常化交渉は、すでに日本占領中の1951年10月に予備会談がスタートしていましたが、朝鮮戦争の最中で日本を反共の防波堤として育成することを企図していたアメリカは、韓国側の対日賠償請求を押さえ込もうとしていました。このため、国交正常化交渉を進める上で、新たな交渉材料を作り出す必要に迫られた韓国側は、1952年1月、「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を発します。

 この宣言は、国防と漁業資源の保全を理由として、当時、韓国沖合に設定されていた“マッカーサー・ライン”よりも日本寄りに“平和線”(いわゆる“李承晩ライン”です)を設定。これを韓国の領海として、水域内のすべての天然資源、水産物の利用権を主張したものでした。

 その際、韓国側は、1946年にGHQが発した「外郭地域分離覚書」に、竹島を日本の行政区域から分離する旨の記載があることを根拠として、李承晩ラインの内側に竹島(韓国名“独島”)を含め、その領有権があると主張。これが、いわゆる竹島問題の発端となりました。

 韓国側の李承晩ライン設定に対して、明治以降、第二次大戦の終結まで一貫して竹島の領有権を主張していた日本側は猛反発。1952年2月からはじまった国交正常化交渉(第1次会談)は、請求権問題(日本側は、韓国内で接収された旧日本資産の補償を強硬に主張していた)や日本の植民地支配についての責任の有無とも絡んで、同年4月には早くも無期延期となりました。

 その後、日韓交渉(第2次会談)は1953年4月にようやく再開されたものの、同年6月、韓国側が朝鮮戦争の休戦成立に備える必要から中断。さらに、同年10月の第3次会談では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」、「当時、日本が朝鮮に行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」などと発言したことから、日韓双方による非難の応酬となり、会談は決裂し、国交正常化交渉は1958年4月まで中断されてしまいます。

 日韓両国の対立を懸念した米国大統領のアイゼンハワーは、1954年7月、韓国に対して李承晩ラインの撤回など日本への宥和を求めたのですが、これは逆効果となり、態度を硬化させた韓国側は米国との交渉をも決裂させ、翌8月には対日経済断交措置を発動してしまうといったありさまでした。

 今回ご紹介の竹島切手は、こうした状況の中で、1954年9月、あらためて、竹島の領有権と李承晩ラインの正当性を主張するために発行されたものです。

 当時、日本側は、竹島切手の貼られた郵便物を韓国に返送することで対抗しようとしたものの、膨大な郵便物の中から竹島切手の張られたものだけを返送するというのは実務上きわめて困難で、実際には、この切手が貼られたまま日本国内で配達された郵便物も少なくありません。したがって、歴史書などに時々見られる「日本側は竹島切手の有効性を認めず、この切手が貼られた郵便物を韓国側に返戻した」という記述は事実と異なります。

 その後も現在にいたるまで、日本政府は竹島の領有権を主張しつづけていますが、韓国が警備隊を常駐させてこの島を実効支配しているのを黙認してきたのが現実です。

 竹島に限らず、領有権を巡って複数の国が争っている地域に関しては、あらゆる機会をとらえて、それが自国の領土であることを繰り返し訴え続けるというのが国際社会では常識です。その意味では、韓国が官民挙げて“独島”の領有権をアピールすることに余念がないのは、その主張の是非とは別の次元で、ある意味当然の行動でしかありません。むしろ、そうした韓国側の主張に対して、多くの日本国民が竹島問題には無関心で、日本政府もほぼ無策のまま60年間を過ごしてきたということが、今日の事態を招いてしまったのだという現実を受け止め、真剣に反省することがまずは必要ではないでしょうか。

 なお、竹島問題と切手の関係については、拙著『韓国現代史』『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 フリースタイルで小野塚が銅
2014-02-21 Fri 11:14
 ソチ五輪は、きのう(20日)、新種目のフリースタイルスキー女子ハーフパイプが行われ、小野塚彩那が銅メダルを獲得しました。フリースタイルスキーの日本選手の五輪メダルは、2002年のソルトレイクシティ五輪女子モーグルで里谷多英が銅メダルを獲得して以来です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       第5回アジア冬季競技大会

 これは、2003年1月24日、ふるさと切手(青森県)として発行された「第5回アジア冬季競技大会」の切手で、大会の開会式・閉会式が行われた青い森アリーナを背景に、ショートトラックスピードスケート男子の選手とフリースタイルスキーの女子選手が描かれています。日本郵便の報道発表では「フリースタイルスキーの女子モーグルの選手」となっていますが、切手には“モーグル”の特徴であるコースの“瘤”は描かれていません。したがって、選手だけではハーフパイプと区別することは困難なのですが、た同大会のフリースタイルスキー競技ではモーグルのみが行われ、ハーフパイプは行われていませんので、当時としては、報道発表にあるような説明でも十分と考えられたのでしょう。

 さて、アジア競技大会は、1951年にインドのニューデリーで第1回大会が開催されて以来、夏季競技大会のみの時代が長く続きましたが、1982年、日本オリンピック委員会 (JOC) が冬季大会の開催をアジアオリンピック評議会に提案。これを受けて、1986年に札幌で第1回大会が行なわれたのが始まりです。その後、わが国では、1990年の第2回大会が札幌で、2003年の第5回大会が青森県で開催されています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた第5回のアジア冬季競技大会は、2003年1月30日から2月8日まで開催され、アジア29の国・地域から1016名の選手・役員が参加しました。青森県での総合的国際スポーツ競技大会の開催は、これが最初のことで、日本選手は51種目中、金24、銀23、銅20、計67個のメダルを獲得しました。ちなみに、切手に取り上げられている競技のうち、男子のスピードスケートでは日本選手は、500mの西谷岳文が銀、1000mの寺尾悟、500mリレーの日本代表チームが銅メダルを獲得しています。一方、女子フリースタイルスキーでは、上村愛子が金、久保田裕美が銅メダルを獲得しています。


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 スノボ大回転で竹内が銀
2014-02-20 Thu 12:29
 ソチ五輪は、きのう(19日)、スノーボードの女子パラレル大回転が行われ、竹内智香が銀メダルを獲得しました。オリンピックのスノーボード女子での日本選手のメダルとして初めてというだけでなく、今回のソチ五輪での日本の女子選手が獲得したメダルの第1号となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オランダ・ニコリーン

 これは、2012年にオランダで発行された“オランダオリンピック委員会=オランダ体育連盟創立100年”の記念切手のうち、ヴァンクーヴァー五輪のスノーボード女子パラレル大回転で金メダルを獲得したニコーリン・ザウエルブライを取り上げた1枚です。スノーボードを描いた切手はそれなりに種類があるのですが、競技中の選手は、ヘルメットにゴーグルで顔が見えず、ユニフォームも男女の差があまりないので、確実に女子選手であることがわかる切手を探そうとすると結構苦労します。その点、この切手については“女子パラレル大回転”の切手であることが確実な1枚ということで、ご紹介してみました。

 スノーボードのパラレル大回転は1998年の長野五輪から公式競技となりました。“パラレル”というのは、並行して設定されたコースを2人が並んで同時に滑走することからつけられた種目名で、スキーの大回転のように選手が一人ずつ滑走するのと異なり、勝者と敗者が一目瞭然なのが魅力となっています。

 切手に取り上げられたザウエルブライは1979年7月31日生まれ。2008年のW杯を制したこともあります。ウィンタースポーツの世界では、オランダはスケートの強豪国として有名ですが、国土が平坦であることもあってスキーやスノーボードでは実績に乏しく、彼女の金メダルは“雪のスポーツ”での同国初の快挙となりました。また、彼女の金メダルは、オランダが五輪で獲得した通算100個目の金メダルでもありました。こうしたこともあって、彼女は2010年にオランダの“スポーツマン・オブ・ザ・イヤー(Sportman van het jaar)”に選ばれたほか、2012年には“オランダオリンピック委員会=オランダ体育連盟創立100年”の切手の1枚に取り上げられたというわけです。

 ちなみに、今回銀メダルを獲得した竹内は、前回のヴァンクーヴァー五輪は13位でしたが、今回、彼女の銀メダル獲得に貢献したサービスマン(板の管理やワックスがけを行うスタッフ)の広瀬智晴は、前回のヴァンクーヴァー五輪ではザウエルブライのスタッフとして彼女に金メダルをもたらしています。サービスマンの部門でメダリストを選ぶとしたら、ほぼ確実に、広瀬が金メダルということになりそうです。

 なお、オランダの切手は、2010年7月から、ユーロでの額面表示がなくなり、“1”または“2”の番号を表示した永久保証切手になりました。このうち、1はオランダ国内宛の20gまでの料金、2は同じく20g~50gまでの料金に相当しており、今回ご紹介の切手が発行された時点では、1が95セント、2が1ユーロ90セントでした。
 

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 岩のドームの郵便学(14)
2014-02-19 Wed 15:46
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』526号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、サダト政権発足直後のエジプト切手とパレスチナの関係についてまとめてみました。その中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       エジプト・難民(1972)

 これは、1971年にエジプトで発行された“国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)”の切手で、パレスチナ難民と思しき女性たちに、パレスチナの地図と岩のドームを組み合わせたデザインになっています。

 1970年、ナセルが急死し、副大統領のアンワル・サダトが大統領に昇格します。

 ナセル政権の末期、エジプトはソ連への傾斜を強めていました。東西冷戦という国際環境の下で、米国が支援するイスラエルと対抗するためには、敵の敵であるソ連と結ぶ必要があるという発想によるものだが、ソ連の軍事支援に対する依存度が高まれば高まるほど、エジプトの自立性は損なわれることになります。

 このため、サダト政権は、ソ連の軍事支援に対する過度の依存を是正すべく、政権内部の親ソ派幹部を一掃したほか、1972年7月までに全軍事顧問団を国外追放し、エジプト内のソ連軍関連施設を政府管理下に置きました。これとあわせて、ナセル時代の社会主義的な経済政策から経済自由化に大きく転換。1961年にシリアが離脱して以来、実態としては解消していながら、アラブ民族主義の建前からナセルの時代にはそのまま放置されていた“アラブ連合共和国”の名称を捨て、国号をエジプト・アラブ共和国に変更するなど、“革命の矯正”を進めていきます。

 もっとも、エジプト国内においては、ナセルの権威は死後も絶大なものがあり、彼の事績をすべて否定してしまえば、ナセル政権の副大統領として政権を掌握したサダトは自らの正統性を維持することができません。“革命の矯正”という表現も、ナセルが主導した革命の基本理念に誤りはないが、若干の不具合を正して、革命本来の大義に立ち戻るという立場を示すものであって、サダトは前政権との継続性も国民に対してアピールする必要があります。

 この点において、サダト政権がまず強調したのが、イスラエルに対する強硬姿勢であり、イスラエルによって祖国を追われたパレスチナの同胞を救えという“アラブの大義”でした。

 今回ご紹介の切手もその一環として発行されたものです。切手の題材となったUNRWAは第1次中東戦争後の1949年12月8日に設置された国連の事業機関で、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、ヨルダン、レバノン、シリアで約500万人のパレスチナ難民に教育、保健、福祉、救急などの援助および人間開発を行っており、その設立に際しては、アラブ諸国はもとより、イスラエルも人道的立場から国連総会で賛成票を投じました。

 UNRWAの定義による“パレスチナ難民”は「1946年6月1日から1948年5月15日(第1次中東戦争勃発の日)までの間にパレスチナに住んでおり、その家と生計を失った者とその子孫」とされています。もちろん、1967年の第3次中東戦争以降、イスラエル占領下のヨルダン川西岸およびガザ地区から逃れてきた難民であっても、上記の期間にパレスチナに住んでいれば、“パレスチナ難民”と認定され。ることになります。

 第3次中東戦争以前はヨルダン領内にあった岩のドームが描かれているのも、(彼らの理解によれば)イスラエルによる不法な占領によって、新たなパレスチナ難民がつくりだされたことを非難する意図が込められているからと見ることができます。
 
 また、今回ご紹介の切手に取り上げられている女性は、ムスリマ(イスラム教徒の女性。ムスリムの女性形)として、全員、頭髪のみならず顔だけを出して首の下、胸の上まで覆い隠すヒマールを着用したスタイルとなっています。

 イスラムの教えでは、コーラン第33章59節の「預言者よ、妻や娘たちや信者の女性に長衣をまとうようにいえ。(女たちの立場が)知られ、きずつけられないように…」、同じく第24章31節の「外にあらわれるもの以外は、女性の美や飾りを見せてはならない」「ベールで胸を覆え」等の文言を根拠として、女性は身体全体と髪を覆うべきだとされています。
 
 その際、保守的なムスリムであればあるほど、女性はより多くの部分を隠すべきだと考えています。具体的には、頭髪のみを覆うヒジャーブよりも、頭頂部から胸の上まで覆い隠すヒマール(顔は露出している)の方が、さらに、顔も目の部分以外は覆い隠すニカーブを着用する方が、ムスリマとしてより敬虔ないしは保守的であることの意思表示となります。

 エジプトは人口の90%がムスリムであり、憲法でもイスラムが“国教”に指定されていますが、1952年の革命によって成立したナセル政権は、基本的には世俗主義国家であり、1954年にムスリム同胞団によるナセル暗殺未遂事件が摘発された後は、イスラム復興勢力は政治の場から徹底的に排除されてきました。

 そうした政治状況は、国家のメディアとしての切手にもしっかりと反映されています。

 すでに、1952年11月に発行された革命成功の記念切手でも、描かれている女性は民族衣装のガラビーヤと思しき服装をしてはいるものの、髪は覆っておらず、“非イスラム的”な姿になっていますが、1956年、第2次中東戦争で英仏の侵略に一致団結して戦うエジプト国民を取り上げた切手では、手榴弾を持った女性は袖をまくって肘を見せ、豊かな髪をなびかせています。非常時とはいえ、女性は身体全体と髪を覆うべきという伝統的なイスラムの価値観からすれば、許容しがたいスタイルであり、ナセル政権の“イスラム”に対する処遇が透けて見えるといってよいでしょう。

 これに対して、“革命の矯正”を進めたサダトは、国民の90%がムスリムであるという現状を踏まえ、(あくまでも政権にとっての脅威にならない範囲内に限ってですが)イスラム勢力を尊重し、いわゆる原理主義的な政治勢力の中でも、穏健なものに対しては一定の活動の自由を認めています。

 今回ご紹介の切手の女性の姿も、サダト政権下での、そうした保守的な価値観の復権を反映したものと考えられます。
 
 さて、“革命の矯正”の一環としてソ連の軍事顧問団を追放したサダトは、ナセル政権の失敗から、米ソ両国はそれぞれの思惑から中東に関与しているだけであって、彼らに任せていてもシナイ半島を奪還することは不可能であることを喝破していました。となれば、武力による自力奪還以外に、エジプトの採るべき現実的な選択はありません。

 かくして、サダトはナセルとは全く異なる視点から、対イスラエル戦争を準備し始めます。

 その成果として、第4次中東戦争が開幕するのは、今回ご紹介の切手が発行された翌年、すなわち、1973年10月6日のことでした。


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 ジャンプ・ラージヒル団体で銅
2014-02-18 Tue 12:16
 ソチ五輪は、けさ未明(日本時間。現地時間では17日夜)、ノルディックスキーのジャンプ男子団体ラージヒルが行われ、今大会個人ラージヒルで銀メダルの葛西紀明、伊東大貴、清水礼留飛、竹内択の4選手が出場した日本チームが銅メダルを獲得しました。この種目での日本がメダルは、1998年の長野五輪の金以来、16年ぶり3度目のことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ドイツ・長野五輪(ジャンプ)

 これは、1998年2月5日、ドイツで発行された“スポーツ振興”の寄附金付切手のうち、長野五輪を象徴するものとしてジャンプを取り上げた1枚です。前回、日本がメダルを獲得した長野五輪の切手であるのと同時に、画面が4分割されていて、4人の選手が飛んでいる風情になっているのがミソです。

 ドイツでは、毎年、国際大会を題材にした“スポーツ振興”の寄附金付切手を発行していますが、1998年に関しては、今回ご紹介の切手のほか、サッカー(W杯)、ボート(世界選手権)、スキー滑走(長野パラリンピック)の3種をあわせて、計4種が発行されました。ちなみに、長野五輪は、1998年2月7日から2月22日まで、長野市とその周辺を会場にして開催されましたが、会期初日の7日は土曜日だったため、切手の発行は前倒しの5日となっています。これは、今回ご紹介の切手を発行したドイツのみならず、開催国の日本でも同じでした。

 切手には、時速98.29kmとの表示もありますが、これは、切手のモデルになった選手がジャンプ台から飛び出した時の速度でしょう。かつて、ノルディックスキーのジャンプ競技については、「罪人にスキーを履かせてジャンプ台の上から滑らせたのが起源で、たいがいは死亡か重症となるが、無事に立っていられたら無罪放免」という俗説が広く流布していました。現在では、これは何の根拠もない話として一蹴されていますが、たしかに、高さ60mのスタート地点から、身体ひとつで高速道路の自動車並みのスピードで飛び出していくというのは、一般人にとっては大変な恐怖体験なわけで、そうした広く俗説が信じられたというのも理解できないことはありませんな。

 なお、長野五輪のジャンプ団体競技では、日本が金メダルでドイツは銀メダルでしたが、次のソルトレイクシティ五輪はドイツが金メダルで、日本は5位でした。その後、2006年のトリノ五輪ではドイツが4位、日本は6位、前回のヴァンクーヴァー五輪ではドイツが銀メダル、日本は5位という成績です。今回もドイツが金メダルでは日本は銅メダルという順位でしたので、次こそは、長野の再現で、われらが日本チームには、ドイツを上回る成績を残していただきたいですね。


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 雪害お見舞い申し上げます
2014-02-17 Mon 15:16
 関東甲信と東北で先週末に降った記録的な大雪の影響で、現在なお、積雪で道路が通行できなくなり孤立したままの地域が少なからずあります。要請を受けた陸上自衛隊の部隊によって除雪作業が進められているとのことですが、作業は難航しているとのことで、雪害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げるとともに、不幸にして亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ユーゴスラヴィア・赤十字(雪害)

 これは、1956年5月6日、ユーゴスラヴィアで発行された強制貼付切手で、雪の重み(雪崩でしょうか?)で崩壊した建物が描かれています。

 日本では例はありませんが、諸外国では、戦争や災害などへの義捐金、赤十字への寄附金などを集めるため、一定の期間、郵便物を差し出す際には、郵便料金とは別に、一定の額面の切手を添付することを義務づけることがあります。そのために用いられるのが強制貼付切手で、今回ご紹介のものは、同国の“子供週間”に合わせて赤十字の募金を集めるために発行されました。

 災害の被災者を救済するための切手というと、台風や水害地震を対象としたモノがほとんどで、雪害を題材とした切手は少ないように思います。今回の切手も、雪害そのものを題材としているわけではなく、赤十字による救援活動の一対象として雪害を取り上げたものです。

 さて、各種報道によりますと、本日11時現在、特に雪害が深刻とされている山梨県内では、国道20号線や国道139号線などで少なくとも1000台以上の車が立往生しているとのことです。また、碓氷バイパスから車両が連なって通行止め区間が続いている長野県小諸市周辺では、国道18号線が小諸市の柏木から約30キロ離れた群馬県側まで全て通行止めとなっており、滞留している車両は400台に及ぶとみられています。多くのドライバーが3日間、車の中でエンジンをかけたまま過ごしていますが、燃料切れが心配されています。

 一方、高速道路が不通となったことで物流網も寸断され、被災地では食料や燃料が品薄になっているほか、孤立した集落も少なからずあるようで、こちらも、大いに心配なところです。

 あらためて、これ以上被害が拡大せず、一日も早く被災地が復旧することをお祈りしております。


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 ジャンプ・ラージヒルで葛西が銀
2014-02-16 Sun 11:35
 ソチ五輪は、けさ未明(日本時間。現地時間では15日夜)、ノルディックスキーのジャンプ男子ラージヒル決勝が行われ、41歳の葛西紀明が2位に入り、7度目の出場で初めて個人種目のメダルを手にしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ポーランド・札幌五輪(ジャンプ)

 これは、1972年の札幌五輪に際してポーランドが発行した記念切手のうち、ジャンプ競技を取り上げた2.5ズロチ切手です。

 現在41歳の葛西選手は、札幌五輪が開催された1972年の6月生まれで、今回、彼が銀メダルを獲得したジャンプ・ラージヒルの金メダリストは、ポーランドのカミル・ストッホです。ちなみに、1972年の札幌五輪でも、スキージャンプ90m級で金メダルを獲得したのは、ポーランドのヴォイチェフ・フォルトゥナで、これは、ポーランド選手として初の冬季五輪の金メダルでした。ただし、フォルトナは、札幌五輪以前の国際大会では18位が最高という無名の選手でしたから、切手のデザイナーも彼を意識してデザインを作成したわけではないでしょう。

 なお、札幌五輪でフォルトナが金メダルを獲得した90m級のジャンプ競技は、2004年に開催された国際スキー連盟の総会で、競技種目がジャンプ台の大きさで分類されるようにルール改正が行われた結果、着地の限界点(L点)までの距離(ヒルサイズ)が110メートル以上の台を使用するものとして“ラージヒル”となりました。なお、現在、ノーマルヒルと呼ばれている競技は、この時の改正で、それまで70m級と呼ばれていた競技が改称されたものです。

 今回の切手は、以上のような因縁に加え、周囲のマージンが銀色というのも、葛西選手の銀メダル獲得の話題に相応しいのではないかと思い、ご紹介いたしました。


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 フィギュア男子で羽生が金
2014-02-15 Sat 11:40
 ソチ五輪は、けさ未明(日本時間。現地時間では14日夜)、フィギュアスケート男子のフリーが行われ、羽生結弦が金メダルを獲得しました。日本の冬季五輪では、2006年トリノ五輪フィギュアスケート女子の荒川静香以来通算10個目の金メダルで、フィギュアの金は2人目。男子では初です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       世界フィギュアスケート選手権(1994・男子)

 これは、1994年3月17日に発行された“1994世界フィギュアスケート選手権大会”の記念切手で、男子シングルの選手が取り上げられています。

 世界フィギュアスケート選手権大会は、1896年に第1回大会がロシアのサンクトペテルスブルクで男子のみの大会として開催されました。女子の世界選手権は1906年にスイスのダボスにて行われたのが最初で、ペア競技の選手権は1908年にサンクトペテルブルクで行われたのが最初です。当初、フィギュアスケートの世界選手権は、男子・女子・ペアが別々に開催されていましたが、1930年のニューヨーク大会からは3種目統合して一つの大会で行われるようになりました。

 わが国では、これまでに1977年・1985年・2007年の東京大会、1994年の千葉大会と2002年の長野大会が開催されており、ことし(2014年)3月にはさいたま大会の開催が予定されています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた1994年の大会は、1994年3月20日から3月27日まで千葉市の幕張メッセで開催されましたが、リレハンメル五輪(同年2月15-25日)の直後ということもあり、五輪のメダリストの約半数が欠場。リレハンメルのメダリストが揃ったのは、男子シングルだけでした。日本人選手としては、女子シングルで日本代表の佐藤有香が金メダルを獲得し、伊藤みどりに次ぐ日本人2人目の世界選手権の金メダリストとなりました。

 ちなみに、今回金メダルを獲得した羽生選手は1994年12月7日生まれですので、今回ご紹介の切手が発行されたときにはお母さんのお腹の中にいたかどうかという感じでしょうか。この切手なんかも、僕にとっては、つい最近のモノという感覚が拭えませんし、なによりも、自分の娘(1993年生)よりも若い選手たちが世界を舞台に活躍する時代になったのかと思うと、なんだか、自分が急に年寄りになった気がしてしまいますね。


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 トリニタリオ種のカカオ
2014-02-14 Fri 13:34
 きょうはバレンタインデーです。というわけで、チョコレート関連のネタということで、カカオを取り上げた切手の中からこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       トリニダード・カカオ(

 これは、2010年にトリニダード・トバゴで発行されたトリニタリオ種のカカオの切手です。

 スペインのコルテスがアステカからカカオ豆とチョコレート飲料を作る道具を持ち帰り、スペイン国王に献上したのは1519年のことでしたが、ほどなく、砂糖や香辛料を加えたショコラトル(チョコレート)は貴族たちの愛好するところとなりました。このため、1498年、コロンブスによって“発見”されたばかりのトリニダード島にも1525年にカカオの苗が持ち込まれ、翌1526年から本格的なプランテーション栽培が開始されています。

 当初、トリニダード島で栽培されていたカカオはクリオーロ種のものでしたが、カカオ農園がハリケーンのため壊滅。このため、南米のアマゾン川、オリノコ川源流地域を原産とするフォラステロ種のカカオを持ち込んで農園の復旧が図られました。その際、フォラステロ種と、ハリケーンで生き残ったクリオーロ種の間で自然交配が起こって生まれたのがトリニタリオ種です。トリニタリオ種はトリニダード島で育成されたことからこの名がつけられましたが、2つの種の長所を受け継ぎ、病気に対する体制も強かったため、カリブ海のカカオ農園で急速に広まっていきます。

 トリニタリオ種のカカオは、“アロマ・カカオ”と呼ばれるほど香が芳醇で、ニューヨーク市場では普通のカカオ豆の2倍以上の値段で取引されており、高級チョコレートの材料に用いられています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
  

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 ノルディック複合で渡部が銀
2014-02-13 Thu 13:41
 きのう(現地12日)のソチ五輪は、ノルディックスキー複合の個人ノーマルヒルで渡部暁斗が銀メダルを獲得しました。この種目での日本勢の個人メダルは、1994年のリレハンメル五輪での河野孝典(銀メダル)以来、20年ぶりのことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ノルディック複合・リレハンメル特印

 これは、前回、日本選手がノルディック複合でメダルを獲得したリレハンメル五輪の際に、現地で使われた記念印のうち、ノルディック複合をデザイン化したものです。ちなみに、押印に使われた切手は、開催国ノルウェーが1992年に大会の事前周知を兼ねて発行した記念切手で、消印の日付の2月18日はノルディック競技が行われた当日です。

 ノルディック複合(ノルディック・コンバインド)は、クロスカントリースキーとスキージャンプを組み合わせて行う競技で、クロスカントリーでは持久力、ジャンプでは瞬発が求められることから、総合的な運動能力を競う者となっており、ヨーロッパではこの種目の王者は“キング・オブ・スキー”と呼ばれています。

 ノルディックスキーの世界選手権は、1924年にフランスで行われたシャモニー五輪を第1回大会として、以後、1939年まで毎年開催されていました。第二次欧州大戦による中断を経て、1948年以降は偶数年に1度の開催で、1984年のサラエボ五輪までは、五輪開催年は五輪と世界選手権を兼ねての開催となっていました。その後、1985年からは奇数年に1度の開催となり、昨年(2013年)はイタリアのヴァル・ディ・フィエンメで開催され、今回銀メダルを獲得した渡部選手は個人ノーマルヒルで9位という成績でした。

 クロスカントリースキーのみを描いた切手やジャンプのみを描いた切手というのは沢山あるのですが、1枚で両方を取り上げた切手は意外と少なく、日本では発行されていません。そこで、どうやって日本選手と関連づけようかと考えて、今回は、前回のメダル獲得時にちなむモノをご紹介したという次第です。


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 スノボHP平野が銀、平岡が銅
2014-02-12 Wed 04:39
 けさ未明(日本時間。現地時間では11日夜)に行われたソチ五輪のスノーボードの男子ハーフパイプ決勝で、15歳の平野歩夢が銀メダル、18歳の平岡卓が銅メダルを獲得しました。今大会の日本選手のメダル獲得は、これが最初です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       キューピーeセンスカード(スノボ)

 これは、2006年11月17日に発行されたキユーピー提供のe-センスCardで、スノーボードで宙を舞うキューピーが取り上げられています。

 e-センスCardは、額面50円の切手付き葉書(いわゆる官製はがき)の裏面全体を広告媒体として広告主に提供し、デザイン付き葉書として、指定された郵便局で期間限定で販売をするもので、名前の由来は「はがきを送られる方の絵を選ぶセンス」や「絵のセンス」などの意が込められているそうです。2006年3月28日に最初の14種類が、東京中央郵便局、新宿郵便局、渋谷郵便局、横浜中央郵便局、大阪中央郵便局の5局で販売されました。その後、取扱局は全国で40局まで拡大しましたが、2009年5月1日に発行されたネスレ日本提供の葉書を最後に、現在は発行されていません。ちなみに、今回ご紹介の葉書は、第3弾として発行された8種のうちの1点で、発売期間は2006年11月17日から2007年2月16日まででした。

 さて、今回のソチ五輪期間中も、過去の五輪の時と同様、日本選手がメダルを獲得した場合には、その競技にちなんだマテリアルをいろいろとご紹介していきたいと思います。したがって、しばらくは内容的なバランスに偏りが生じるかもしれませんが、よろしくお付き合いください。


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 蘭印の皇紀
2014-02-11 Tue 13:51
 きょうは建国記念の日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       スラバヤ敵産管理部差し出しの葉書・消印部分    スラバヤ敵産管理部差し出しの葉書

 これは、日本占領下の1943年6月、ジャワ島スラバヤの敵産管理部が差し出した葉書で、水牛農耕図案の3.5セン切手に皇紀で2603年と表示され消印が押されています。今回は消印が主役なので、最初に消印の拡大画像を貼っておきました。

 神武天皇の即位した年を紀元とする皇紀(正式には神武天皇即位紀元)は、1872年10月、「(神武天皇の即位の日として『日本書紀』に記されている)“辛酉年春正月庚辰朔”は西暦では紀元前660年2月11日に相当する(これが、2月11日を紀元節ないしは建国記念の日とする根拠になりました)」と明治政府が布告したことに基づき、1873年1月1日の太陽暦採用と同時に施行されました。年号は上述の通り西暦+660年で、月日は太陽暦と合致しています。したがって、今回ご紹介の葉書の消印にある2603年は、西暦の1943年に相当します。

 さて、日本占領下の蘭印では、公式文書の日附には皇紀が用いられていました。今回ご紹介の葉書は、ゼネラル・エレクトリック(GE)社の資産を接収した際の預かり証で、公的機関の出した文書なので、裏面の日付欄には“皇紀260 年”と皇紀の下一桁を書き込めばよいようになっています。

       スラバヤ敵産管理部差し出しの葉書・裏面

 なお、今回ご紹介の消印の日付は建前通り皇紀2603年となっていますが、スマトラなどでは昭和年号の消印が使用されることもありました。(ウィキペディアには占領下の蘭印では「元号は用いられていなかった」との説明がありますが、これは正確ではありません)また、西暦と皇紀は下一桁が一緒ですので、地域によっては西暦の10の位の4をつぶして対応したケースもあります。

 蘭印と皇紀といえば、終戦直後の1945年8月17日に発せられたインドネシア共和国独立宣言の書面上の日付が皇紀を採用した“05年8月17日”となっているのは有名な話です。この点については、しばしば「ムスリムであるスカルノが日本への感謝の意を示すとともに、(オランダの宗教である)キリスト教に由来する西暦を嫌ったため」という説明がなされることがあるようですが、日本の占領時代には公文書では皇紀が採用されていたため、ただ単にそれを踏襲しただけというのが実情だったようです。その証拠に、連合国軍の上陸により日本軍の武装解除が行われると、消印の年号表示も西暦に戻っています。また、現在のインドネシアでは、独立宣言というと1955年にスカルノが録音した音源が広く知られていますが、ここでの年号は皇紀の“(26)05年”ではなく、西暦の“1945年”となっていることも記憶にとどめておいてよいでしょう。

 いずれにせよ、インドネシアの人々が、日本による占領時代の体験を糧に、戦後、オランダとの苛烈な戦争を戦い抜いて独立を勝ち取ったことは事実で、その点で、彼らが日本に感謝すると言ってくれるのは日本人として素直に喜ぶべき話です。ただし、彼らの独立は、あくまでも、彼ら自身の努力と犠牲によって達せられたものであって、そのことに目をつぶって「日本がインドネシアを独立させてやった」などと主張するのはあまりにも浅薄な理解としかいえません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろと例を挙げながらご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日未明、カウンターが132万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 世界漫郵記:ドバイ⑥
2014-02-10 Mon 10:18
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2014年2月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第6回目。今回は、ドバイのさまざまなモスクにフォーカスをあてました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       ジュメイラモスク(絵葉書)

 これは、1984年12月22日、ドバイからフランス宛に差し出された絵葉書で、ジュメイラ・モスクの空撮写真が取り上げられています。

 ドバイで最大の規模を誇るジュメイラ・モスクは、前回の本連載でもご紹介したブルジュ・ハリーファからほぼ真西、海岸線にも近いジュメイラ・ロードに面して建っています。モスクが建立されたのは、アラブ首長国連邦(UAE)発足後の1978年のことで、現在、周囲にはさまざまな建物が立ち並んでいますが、今回ご紹介の絵葉書を見ると、もともと何もなかった場所に突如として、石造りの巨大なモスクがつくられたことがわかります。ちなみに、ジュメイラ・ロードを挟んで海側から現在のモスクを見ると、こんな感じになります。

       ジュメイラモスク(実物・外観)

 さて、ドバイでは、原則として異教徒はモスクの堂内に立ち入れないことになっていますが、ジュメイラ・モスクだけは例外で、ムスリムが集団礼拝に訪れる金曜日以外は、毎朝10時から内部の見学ツアーをやっていて、当日、10ディルハムのチケットを買えば、だれでも参加できます。(下の画像のうち、左側はそのチケットで、右側は堂内の写真です)

       ジュメイラモスク・チケット     ジュメイラモスク・堂内

 今回の記事では、ジュメイラ・モスクのほか、UAE発足以前のドバイ切手にも何度か取り上げられたグランド・モスク(たとえば、クリークから市街地を臨む風景を描いた航空切手には、グランド・モスクの尖塔もしっかりと描かれています)や、タイル装飾の美しいシーア派のモスクなどもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 45年ぶりの大雪
2014-02-09 Sun 10:37
 昨日(8日)、関東各地は大雪に見舞われ、東京都心の積雪は夜遅く、1969年以来45年ぶりに27センチに達したほか、千葉市では観測史上最高の33センチの積雪となりました。というわけで、きょうは45年前に発行された雪景色の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       雪舟・秋冬山水図

 これは、1969年2月10日(明日でちょうど45周年ですな)、国宝シリーズ第5集の1枚として発行された「雪舟筆 山水図(秋冬景山水図)」の切手です。

 室町時代の画僧・雪舟は、1420年、備中国赤浜(現岡山県総社市赤浜)の出身。幼年期に井山宝福寺で修行した後、京都の相国寺で禅と絵の修行を重ね、1467年、遣明使に随行して明国に渡り水墨画を学びました。このとき、現地の巨刹・天童山景徳寺にて第一座という高位(ただし、これは遠路はるばるやってきた外国僧への儀礼的なもの)を授けられ、明国政庁からも礼部院中堂の壁画を依頼されています。

 1469年に帰国した後は、豊後国府内(現大分県大分市)に画房・天開図画廊を開いたほか諸国を旅していましたが、1486年以降は山口の雲谷庵に留まり、多数の名作を残しました。遺作のうち「秋冬景山水図」「破墨山水図」「天橋立図」「山水長巻」「山水図」などが国宝に指定されているほか、重要文化財も12件を数えます。

 切手に取り上げられた「秋冬景山水図」は雪舟の代表作の一つで、もともとは「夏冬山水」として京都の曼殊院に伝来した四季山水図4幅対のうちの2幅とも考えられており、現在は東京国立博物館が保管しています。切手に取り上げられたのは、そのうちの「冬景山水図」で、雪におおわれた断崖が中央にそびえ、舟から降りた人物が楼閣に向かって歩んでいる場面が描かれています。オーバーハングする断崖の力強い輪郭線と冬枯れの樹木がきびしい寒さを感じさせる作品で、画面空間には意図的に奥行きが排されています。

 さて、大雪の方は、東北の太平洋側ではきょう(9日)も降り続いており、気象庁は路面の凍結や交通への影響に十分注意するよう呼びかけています。特に、関東地方では、日中は晴れて気温が10度前後まで上がる見込みで、屋根からの落雪にも十分注意が必要です。これから都知事選の投票に行かれる方も、どうぞお気をつけください。
 

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 ソチ五輪開幕
2014-02-08 Sat 17:20
 ソチ五輪が開幕しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       エセントゥキ→ソチ

 これは、1946年3月15日、北コーカサスのスラヴロポリ地方エッセントゥキのサナトリウムから、ソチのサナトリウム宛に差し出された書留便です。日本語でサナトリウムというと、結核などの療養所というイメージが強いのですが、旧ソ連ならびにロシアの場合は、主として温泉付きの(療養も可能な)保養所というニュアンスで、療養とは関係なく、健常者も利用することができます。

 今回の五輪開催地となったソチは、黒海に面し、アブハジアとの国境に近い位置にあります。この地域がロシア領に編入されたのは1829年のことで、1838年、ソチ川の河口にアレキサンドリア要塞が建設されたのが、都市としての始まりとされています。

 帝政ロシア時代からソチは温泉地として知られていましたが、ソ連時代の1923年、鉄道が開通。その直後、リウマチの持病に悩んでいたスターリンは友人の勧めでソチを訪れ、市内のホスチンスキー地区内にあるマツェスタ渓谷の温泉に入ったところ、硫化水素水の効能で身体が軽くなったと感じ、以後、ソチに足しげく通うようになりました。

 当初、スターリンの定宿は、マツェスタ渓谷とアグラ滝の間の山脈に位置するミハイロフスコエ邸でしたが、その後、敷地内に建築家ミロン・メルジャノフの設計により、専用の別荘“ゼリョナヤ・ロシチャ(緑の林)”を建設。さらに、1934年には10億ルーブルを投じてソチのインフラ整備が進められ、幹線道路のスターリン大通り(現・保養地大通り)を中心に公演が造成され、一般向けのサナトリウムも数多く建設されました。今回ご紹介のカバーの宛先になっているサナトリウムも、そうした時代背景の下、建設されたものの一つでしょう。

 ちなみに、独ソ戦の勃発時、ソ連当局による公式録ではスターリンはモスクワにいたことになっていますが、近年の研究では、ソチで休暇を取っていた可能性があるとも指摘されています。もっとも、スターリンは1931年8月と9月にソチで銃撃された経験があり(ただし、1回目は泥酔した兵士による誤射で、2回目はスターリンの来訪を知らされていなかった護衛の兵士が別荘に近づいてきた“不審船”に警告射撃を行ったことによるもので、いずれも、暗殺事件ではありません)、以来、4人の影武者を置いていたといわれていますので、独ソ戦の勃発時にソチにいたのは影武者だったのかもしれません。なお、独ソ戦の勃発から終戦まで、モスクワで陣頭指揮を執っていたスタートンは、家族をゼリョナヤ・ロシチャに疎開させていました。

 現在、ゼリョナヤ・ロシチャは一般向けのミニ・ホテルおよび博物館として営業しています。スターリンの執務室も保存・公開されており、椅子には、スターリンの人形も座っているのだとか。まぁ、オリンピック開催期間中に現地を訪ねることはかないませんでしたが、近現代史に関心を持つ者としては、いずれは訪ねてみたいスポットですな。


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 グレナダ独立40年
2014-02-07 Fri 13:50
 1974年2月7日にカリブ海の島国グレナダが独立してから、ちょうど40年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       グレナダ・独立記念小型シート

 これは、1974年8月19日にグレナダで発行された独立記念切手の小型シートです。小型シートはグレナダの国章を描く2ドル切手(額面のドルは米ドルとペッグした東カリブドル。現在のレートは1米ドル=2.70東カリブ・ドルの固定)1枚を収め、周囲には同国の地図と国旗が描かれています。

 カリブ海南部、ベネズエラの対岸にある島国のグレナダは、1498年にコロンブスが“発見”しました。島の名前は、ザクロを意味するスペイン語のグラナダに由来します。1650年、グレナダ本島はフランスの植民地となり、綿花、コーヒーとともに、カカオのプランテーション栽培が始まります。その後、1762年に英領となり、第二次大戦後の1974年に独立しました。

 国家としてのグレナダは、シート余白の地図が示すように、グレナダ本島と北隣のセントヴィンセント・グレナディーンとの間にあるグレナディーン諸島のうちロンデ島・カリアク島・プティトマルティニーク島(及び周辺の小島)から構成されており、グレナディーン諸島に属する島は属領の扱いとして、独立以前の1973年12月23日から、本島とは別の“グレナダ・グレナディーン”名義の切手も発行されています。ちなみに、セントヴィンセントの場合は、グレナディーン諸島も属領ではなく、セントヴィンセント本島と同列の扱いですので、切手は“セントヴィンセント・グレナディーンズ”の国名表示で一括して発行されています。

 国旗は1974年の独立に伴い制定されたもので、赤は国民の熱情と勇気および独立を、黄は太陽の光と国土および富を、緑は肥えた土地と農業に加えて繁栄を示し、左側の緑の部分には、特産品としてのナツメグの実が描かれています。

 一方、切手に取り上げられた国章は、独立以前の1973年12月6日に制定されたもので、金の十字で四分割された赤と緑の盾(シールド)の左側にはアルマジロとトウモロコシが、右側には国鳥のグレナダバトとバナナが描かれています。金の十字が交わる部分にはコロンブスの乗ったサンタ・マリア号が描かれていますが、独立以前の植民地としての紋章はこの船だけを描くものでした。また、盾の下にはグランド・エタング湖が描かれており、その下には“Ever Conscious of God We Aspire, Build and Advance as One People(神の御心のままに、一人の民として打ち立て、進む)”との文言が入っています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 第2のズデーテン化を許すな!
2014-02-06 Thu 11:59
 フィリピンのアキノ大統領は、4日付のニューヨーク・タイムズ(電子版)のインタビューで、南シナ海での侵略を続ける中国を、第2次大戦直前、ズデーテン地方(ズデーテンラント)を併合したヒトラーのドイツと重ね合わせ、「われわれが今、不法行為にイエスと言えば、さらなる事態の悪化をどうやって防ぐのか」と述べ、領有権紛争の解決で国際社会がフィリピンを支持するよう訴えました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ズデーテン加刷

 これは、1938年10月、ドイツによる併合直後のズデーテンラントで、マサリク大統領を描くチェコスロヴァキア切手にナチスの鍵十字と「我々は自由だ」のドイツ語を加刷して発行された切手です。

 現在のチェコ共和国の外縁部にあたるズデーテン地方は、チェコ人の支配するボヘミア王国の時代の東方植民以来、ドイツ系住民の多い地域になっていました。その後、ハプスブルク家の支配を経て、1918年、チェコスロヴァキアが独立を宣言すると、ズデーテン地方の帰属をめぐっては、チェコスロヴァキア政府が同政府による実効支配の追認を求めたのに対して、ドイツ系住民がチェコスロヴァキアへの編入に強く反対。ヴェルサイユ講和会議では、米国が民族自決の観点からドイツへの編入を主張したのに対し、フランスは安全保障の観点からチェコスロヴェキアの強化を主張。最終的に、フランスの主張通り、ハプスブルク帝国解体後の戦後処理を定めたサン・ジェルマン条約によって、ズデーテン地方はチェコスロヴァキア領となり、310万人のドイツ系住民はチェコスロヴァキアにおける“最大の少数民族”となりました。

 これを不満とするズデーテン地方のドイツ系住民の一部は、ズデーテンの自治権を要求。さらに、隣国のドイツがナチス政権下で経済恐慌から脱して経済力を回復すると、コンラート・ヘンラインらのズデーテン・ドイツ人党は、「ズデーテンのみならず全ボヘミア・モラヴィア・シレジア地方のドイツへの編入」を目標に掲げ、ドイツの支援を要請します。

 これを受けて、ヒトラーも“ズデーテン問題の解決”を訴えるようになり、1938年3月の独墺合邦後、「ドイツとチェコの障害になっているのはドイツ人の民族自決権を認めようとしないチェコ側の態度である」、「事態をこのまま放置しておけばヨーロッパ中がチェコの頑迷の巻き添えを喰らうことになる」などとチェコスロヴァキアを恫喝し、欧州内では、ヒトラーが対チェコスロバキア宣戦を行うという観測が強まりました。このため、1938年9月30日にいわゆるミュンヘン会談が行われ、対独宥和政策を取る英国のネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相がズデーテン地方のドイツ編入を容認し、同年10月1日にはドイツによる軍政が施行されました。なお、ミュンヘン会談の前後、ヒトラーは「ズデーテンラントは我々の最後の領土的要求であり、チェコスロヴァキアの独立を侵害するつもりはない」と繰り返していましたが、実際には、1939年3月、チェコスロヴァキア国家は解体され、ドイツはチェコ地域の主要部を併合して、ボヘミアとモラビアの主要部分にベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラビアのドイツ語読み)を設置しています。

 さて、今回のニューヨーク・タイムズのインタビューで、アキノ大統領が「自国領の部分的な明け渡しを強国に迫られている」として、上記のようなヒトラーによるズデーテン地方併合の先例を持ち出し、「われわれが今、不法行為にイエスと言えば、さらなる事態の悪化をどうやって防ぐのか」と述べています。さらに、チェンバレンらの宥和政策がナチス・ドイツをつけあがらせ、欧州大戦にいたった過去の経緯に照らして、尖閣問題を含めアジア各地での侵略とチベットやウイグルなどでの非道な人権侵害を繰り返す中国を念頭に「(国際社会は)『もうたくさんだ』といずれの時点で言うのか。世界は言わねばならない」と力説。南シナ海における領有権紛争の解決で国際社会がフィリピンを支持するよう訴えました。

 中華人民共和国が“現代のナチス”にもなぞらえられていることは衆目の一致するところであり、その意味では、アキノ大統領の訴えは至極もっともなことです。我々は、ミュンヘンの悲劇を二度と繰り返さないためにも、大統領の呼びかけに、いまこそ応えるべきだと思います。


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 リビア、化学兵器廃棄を完了
2014-02-05 Wed 11:44
 リビア外務省は、きのう(4日)、マスタードガスを装填した砲弾や爆弾など、化学兵器26.3トンの廃棄を完了したと発表しました。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       フランス・リビア派兵

 これは、2011年のリビア内戦に際して、国民評議会支援のために派兵されたフランス軍の野戦郵便局から差し出された郵便物で、封筒の余白には、関連地域の地図を示すカシェが押されてます。

 2011年1月のチュニジア・ジャスミン革命に端を発する“アラブの春”と呼ばれるアラブ諸国での民主化運動が高揚すると、2月15日、リビアでも、東部のベンガジで拘留されている人権活動家の弁護士の釈放を要求するデモが発生。警官隊や政府支持勢力と衝突し、警官を含む38人が負傷しました。

 2月21日には反政府デモが首都トリポリに飛び火すると、カダフィ政権は軍を投入して空爆や戦車による攻撃を行うなど、自国民への事実上の無差別攻撃を開始し、リビア国内はカダフィ政権と27日に反政府勢力が樹立したリビア国民評議会による内戦に突入します。この過程で、国際社会の中には、カダフィ政権が化学兵器を使用することでの懸念が高まりました。

 カダフィ政権はは2003年に化学兵器の廃棄を宣言。翌2004年には化学兵器禁止機関(OPCW)が査察し、23トンのマスタードガスと1300トンの毒ガス製造用化学兵器、化学兵器製造施設の存在を確認し、これらを2007年までに完全廃棄するというプランが建てられました。しかし、化学物質を装填できる爆弾3500発余りはすぐに廃棄されたものの、毒ガス処分は処理が技術的な問題もあり難航し、2011年の内戦時には相当量が残ったままになっていました。ただし、カダフィ政権がそうした化学兵器を内戦において使用した形跡はありません。

 その後、国民評議会は、NATO(北大西洋条約機構)諸国の支援を受けて、8月27日に首都トリポリをほぼ制圧。10月20日にはカダフィの出身地スルトを制圧し、同日、カダフィは殺害され、23日、国民評議会はリビア全土の解放を宣言し、内戦は終結します。

 ところで、カダフィ政権下では、マリやニジェールなどで反政府活動を行っていたトゥアレグ人がリビアに逃れて傭兵となっていましたが、政権の崩壊に伴い、彼らの多くはリビアを逃れて帰還。この結果、周辺諸国では反政府活動が活発化し、そこにイスラム過激派勢力が介入して、マリ北部ではアザワドの独立宣言が発せられ、内戦が勃発しました。

 こうした状況の下、旧カダフィ政権の化学兵器がイスラム過激派などに流出し、テロに用いられることが懸念されたため、リビアの現政権は、米独カナダなどの技術支援を受け、OPCWの査察も受けながら、新たに見つかった化学兵器を含めて破棄作業を進め、今回の廃棄完了にいたったということです。

 なお、カダフィ政権崩壊後のリビア周辺諸国の状況については、マリ北部内戦を中心に、拙著『マリ近現代史』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 切手の帝国:ゴールドコーストからガーナへ
2014-02-04 Tue 11:15
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2014年2月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」では、今回は、バレンタイン・デーにちなんで、カカオを取り上げたゴールドコーストとガーナの切手をご紹介しましたが、その中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       ガーナ加刷(カカオの収穫)

 これは、1957年、独立直後のガーナで英領ゴールドコースト時代のカカオの収穫場面を描く切手に加刷して発行された6ペンス切手です。

 チョコレートの原料、カカオ豆の生産で知られる西アフリカのガーナは、1957年の独立以前は英国領の植民地で(英領)ゴールド・コーストと呼ばれていました。

 厳密にいうと、ガーナ独立直前のゴールド・コーストは、1946年に、それ以前の旧ゴールド・コースト(英領植民地として確立されたのは1874年)を中心に、英領トーゴランド、アシャンティ、ファンテ保護領などを合併して成立したもので、この地域への英国の本格的な進出は、1821年に英国政府がこの一帯の土地所有権を得たところにさかのぼります。

 1853年、英国は、当時の首府であったケープ・コーストに郵便局を開設し、シェラレオネの首都、フリータウン経由で本国との郵便交換を開始しました。なお、英領ゴールド・コーストとしての最初の切手が発行されたのは1875年のことです。

 さて、1946年に植民地が再編されたのを受けて、1948年、英領ゴールド・コーストでは、現地の風景や用などを紹介する普通切手を発行しました。このうちの6ペンス切手にはカカオの収穫場面が取り上げられています。

 さて、1948年の切手が発行された当時の英国王ジョージ6世は1953年に崩御し、エリザベス2世が後を継ぐと、翌1954年には、現地の労働者のデザインはそのままに、国王の肖像部分のみを女王に入れ替えた切手が発行されました。

 さらに、英領ゴールド・コーストは1957年に独立し、国号をガーナと変更したものの、独立に合わせて、新国家としての正刷切手を必要な種類と枚数、調達することはできませんでした。このため、今回ご紹介の着てのように、英領時代の切手に“GHANA INDEPENDENCE 6th MARCH 1957”の文字を加刷した暫定的な切手が発行されることになりました。まぁ、結果として、これらの切手も、新生ガーナの主要産品としてのカカオ豆を内外に広く宣伝する役割を担うことになったといえないこともないわけですが…。

 ちなみに、ガーナという国名は、かつての西アフリカで金と岩塩の中継貿易で繁栄した黒人王国、ガーナ王国に由来しています。そのガーナ王国の都市として栄華を極めたのが、現在はマリの領内にあるトンブクトゥですが、こちらについては、拙著『マリ近現代史』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 鬼退治の切手
2014-02-03 Mon 22:30
 きょうは節分です。というわけで、鬼と戦う場面を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       ラオス・トッカサンとジャターユ

 これは、1969年にラオスが発行した航空切手で、ラオス版『ラーマーヤナ』のうち、羅刹(鬼神)の王トッサカン(ヒンドゥーの『ラーマーヤナ』ではラーヴァナ)と鳥王サダーユ(『ラーマーヤナ』ではジャターユ)の格闘場面が取り上げられています。

 『ラーマーヤナ』の物語では、トッサカンが主人公ラーマ王子の婚約者シーダ妃(『ラーマーヤナ』ではシーター妃。実は、トッサカンの娘)を奪うため、魔術師マーリーチを黄金の鹿に化けさせ、2人の前に出現させます。その鹿の姿に魅了されたシーダが鹿を捕えるようラーマに頼むと、ラーマは彼女の願いを聞いて鹿を追って森の中へと入っていきますが、ラーマが彼女の傍を離れた隙をついて、トッサカンは彼女をさらって逃走しようとします。

 その際、たまたま近くの樹上で眠っていたサダーユが彼女の叫び声で目を覚まし、トッサカンに襲いかかったというのが、切手に取り上げられた場面です。サダーユに対してトッサカンは弓矢で応戦しつつ逃げ去ろうとしましたが、サダーユは追いかけてその背中に傷を負わせます。これに対して、トッサカンは剣でサダーユの翼を切り裂き、トッサカンは瀕死の状態となりますが、最後の力を振り絞ってラーマに事件を知らせ、息を引き取りました。以後、物語は、シーターを取り戻すためのラーマの戦いを軸に展開していくことになります。

 切手では、シーダ妃の姿は描かれていませんが、昨年、ルアンパバーンの劇場で見たパフォーマンスでは、下の画像のように、トッサカンの傍にシーダ妃が控えていました。

       トッカサンとジャターユ(舞台)

 なお、ラーマーヤナに題材を取った芸術・芸能とそれにまつわる切手については、拙著『タイ三都周郵記』『蘭印戦跡紀行』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 12センチの涅槃仏
2014-02-02 Sun 18:17
 滋賀県大津市の新知恩院で、鎌倉時代の仏師快慶の作とみられる小型の木造釈迦涅槃像(長さ12.8センチ)が発見されたそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       タジキスタン・涅槃仏

 これは、2008年、タジキスタンで発行された小型シートで、アジナ・テパ遺跡の仏教寺院で発掘された涅槃仏と仏頭が取り上げられています。シートの横幅は、手元の定規で計ってみると、11.8センチでしたので、今回発見された新知恩院の涅槃仏と似たような大きさということになりましょうか。ちなみに、切手に取り上げられている涅槃仏は全長13メートルで、中央アジア最大の大きさです。

 アジナ・テパ渓谷の周辺一帯はシルクロードの中継地として、5-8世紀に繁栄。特に、7世紀後半から8世紀前半にかけて多くの寺院が建てられましたが、イスラム勢力の侵入により荒廃し、そのまま長きにわたって放置されていました。地名は、現地語で“悪魔の丘”の意味ですが、これには、悪魔の仕業により竜巻がよく起こる場所ということから名づけられたという説と、農作業をしていた農民が仏頭を掘り起し、これは悪魔に違いないと思ったことから名づけられた説があります。

 旧ソ連時代の1959年、共産政府がこの地域を農地として開拓すべく、重機を入れて開墾作業をしようとしたところ、今回ご紹介の切手に取り上げられた涅槃仏をはじめ、多数の仏像が出土したため、開墾は中止されました。ただし、当時の共産政権は遺跡の保護には熱心ではなかったため、僧院の遺構などは破壊された箇所も多く、2007年になって、日本などの支援により、ようやく本格的な修復作業が始まりました。

 切手では、涅槃仏は遺跡に横たわっている図になっていますが、実際の涅槃仏は、現在、首都ドゥシャンベのタジキスタン国立博物館に陳列されています。

 なお、この切手を含む世界の涅槃仏の切手については、拙著『切手が伝える仏像:歴史と意匠』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 日亜移住協定発効50年
2014-02-01 Sat 18:03
 きのう(31日)、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで日本との移住協定発効50周年記念式典が行われ、わが国からは秋篠宮ご夫妻がご臨席なさったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       アルゼンチン・日本修好100年

 これは、1998年、アルゼンチンで発行されたアルゼンチン・日本修好100周年の記念切手で、両国の絆の表現として、日本風の橋が描かれています。秋篠宮ご夫妻は、この時にも現地での記念式典にご臨席のためアルゼンチンを訪問されており、今回のご訪問は2回目となります。

 アルゼンチンの地に上陸した最古の日本人は、1597年に奴隷であることを不服として訴訟を起こし、解放を勝ち取ったフランシスコ・ハポンとされていますが、本格的な日本人の移民が始まるのは明治以降のことです。

 明治以降のアルゼンチンへの日本人移民は1886年に現地に渡った牧野金蔵が最初で、1898年には日亜修好通商航海条約が調印され、正式に、両国間の外交関係が樹立されました。その後、日露戦争開戦直前の1904年2月10日、アルゼンチンはイタリアに発注していたものの、チリとの和平が成立したため不要になった2隻の軍艦モレノとリヴァダヴィアをロシアにではなく日本に売却。両艦は日本名「日進」と「春日」として日本海海戦で活躍しました。

 1908年、ブラジルへの笠戸丸移民が行われると、780人の日本人乗客のうち、160人が最終目的地のサントスに着く前に経由地のブエノスアイレスで下船。これが、アルゼンチンでの日系人社会の母体となりました。第2次大戦までの日系移民の多くは沖縄県や鹿児島県の出身で、直接、アルゼンチンに渡るものに加え、ブラジルをはじめ周辺諸国から移ってくる者も多かったようです。移民たちは、ブエノスアイレスやその近郊で工場労働者、港湾労働者、花卉栽培、洗濯業に従事する者が多く、地方で農業に従事する者もありました。

 第二次大戦中の1944年1月、アルゼンチンは我が国との国交を断絶し、翌1945年3月には宣戦布告しましたが、1952年の講和条約発効により外交関係は再開されました。ちなみに、講和条約の批准を討議したアルゼンチン国会では、後に大統領となる野党急進党のフロンディシ下院議員が「講和条約は敗戦国に厳しい勝者の条約であって、冷戦下における米国の戦略の一環に他ならない」として、日本に対してもっと寛大な講和条件とすべきという理由で、批准に反対の論陣を張っています。

 講和条約の発効に伴い、日系移民の再開が予想されたため、アルゼンチンの日系社会では新たな移民を受け入れるための組織として、1953年10月、ATAKU(アルゼンチン拓植協同組合)を結成。1955年にパラグアイへの集団移住が再開されると、ブエノスアイレス経由でパラグアイに入国する日系移民の引率業務を引き受けるなどの実績を積み、1957年には、日系移民の呼び寄せ手続きの公式代行者としての許可をアルゼンチン移民局から獲得しています。この時点では、今回の記念式典の名目となった両国間の正式な移住協定は成立しておらず、ATAKUの仲介により、多くの日系移民や商社駐在員の受け入れがスムースに行われました。

 戦後のアルゼンチンへの日本人移民は1959-60年頃がピークで、その後は徐々に下火になりましたが、そうした状況の中で、ようやく1964年になって、正式な移住協定が成立。以後、1967年には友好通商航海条約が、1981年には文化協定および技術協力協定が締結されるという流れになっています。
 

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