内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 ルハーンスク/ルガーンスク
2014-04-30 Wed 10:10
 ロシアと国境を接するウクライナ東部ルハーンシク(ロシア名:ルガーンスク。ルガンスクとも)州の州都ルハーンシクで、きのう(29日)、数百人の親露派が州政府庁舎を急襲して占拠。親露派勢力は“ルガンスク人民共和国”の創設を計画し、5月11日に住民投票を行って賛成多数ならウクライナからの分離独立を宣言すると主張しているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴォロシーロフ・不発行

 これは、1958年、ソ連が発行を予定していたものの、不発行に終わった“ヴォロシーロフグラード機関車工場”の切手です。

 現在のウクライナ・ルハーンシク州の地域は、17世紀にロシア帝国が併合しました。1790年、現在のルガンスク周辺で砂鉄と石炭が発見されたことから、エカテリーナ2世はこの地に鋳鉄製造工場の建立を命じました。これに伴い、工場周辺に“イエカテリノスラヴスキ・ザヴォド”と呼ばれる集落が形成されました。これが、現在のルガンスク市の起源とされています。

 イエカテリノスラヴスキ・ザヴォドは、1797年、“ルガーンスキイ・ザヴォート”と改称されます。1800年にはウクライナ発の高炉が建設され、英国出身の技師とセルビア出身の軍人を中心に、武器の生産がスタート。その後、1882年には“ルガーンスク”と改称され、1896年に蒸気機関車工場が建設されるなど、ロシア帝国有数の工業都市へと成長しました。

 ソ連成立後は、帝政ロシア時代のエカテリーノスラフ県(ソ連成立後はルガンースク州)出身の軍人、クリメント・エフレモヴィチ・ヴォロシーロフにちなんで、1935年、“ヴォロシーロフグラード”と改称されます。

 ヴォロシーロフはスターリンの側近として、1934年に国防人民委員(国防相)に就任し、翌1935年にはソ連邦元帥の称号を得て、赤軍内の大粛清を推進した人物です。ただし、大粛清の結果、赤軍は有能な幹部を多数失うことになり、1939-40年の第1次蘇芬(ソ連=フィンランド)戦争でのソ連側の苦戦や1941年以降の独ソ戦での緒戦での敗退の原因を作ることになりました。

 その後もヴォロシーロフはスターリンの中心であり続けましたが、1953年にスターリンが亡くなると、ソ連共産党第一書記のフルシチョフ、首相のゲオルギー・マレンコフによって、国家元首である最高会議幹部会議長に選出されます。当初は、フルシチョフによるスターリン批判に対しても否定的でしたが、最終的にフルシチョフ側に寝返り、その地位を維持しましたが、1960年5月7日、引退に追い込まれ、同年7月16日、党幹部会員から解任されました。

 こうした時勢の変化に伴い、ヴォロシーロフグラードは、1958年、旧称のルガーンスクに戻されます。今回ご紹介の切手は、改称後の発行が計画されていたものの、地名の表記が旧称の“ヴォロシーロフグラード”のままであったため、実際には発行されずに終わったものです。

 さて、1961年以降、ヴォロシーロフは引退して年金生活に入っていましたが、フルシチョフ失脚後の1966年、ブレジネフ(ちなみに、彼はヴォロシーロフの後任の最高会議幹部会議長でした)によって1966年に中央委員に返り咲き、1969年12月2日、モスクワで亡くなりました。

 これを受けて、1970年、ルガーンスクは再びヴォロシーロフグラードに改称されます。その後、ソ連末期の1990年には旧称のルガーンスクが3度目の復活を果たしたものの、翌1991年のウクライナ独立に伴い、地名もウクライナ語の“ルハーンシク”へと変更され、現在に至っているわけですが、今後も親露派勢力による都市の選挙が続き、5月11日の住民投票の結果、ウクライナからの分離独立が賛成多数を占めれば、当然、地名もロシア語のルガーンスクが復活することになるでしょう。そうすると、現在の“Луганськ(ウクライナ語)”となっている消印の表記も“Луганск(ロシア語)”に変わることが予想されますが、状況によっては、ウクライナ切手にロシア語表示の消印が押されていたり、ロシア切手にウクライナ語の消印が押されていたりと、過渡的なマテリアルが生まれることになりそうで、今後の推移に注目したいところです。


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 昭和の日
2014-04-29 Tue 10:36
 今日(29日)は“昭和の日”です。というわけで、昭和切手がらみでこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       鵞鑾鼻燈台(インドネシア加刷)

 これは、第二次大戦直後のインドネシア独立戦争時、日本占領時代に使われていた鵞鑾鼻燈台の6銭切手に“INDONESIA/PTT”の文字を加捺した暫定切手です。本来、円形の印は1枚の切手に1つずつ押すはずなのですが、押捺がずれて2枚にまたがるかたちになっています。

 第二次大戦中、現在のインドネシアに相当する地域は日本軍の占領下に置かれていましたが、このうち、ジャワ島では日本切手は配給されなかったと考えられていますが、それ以外の地域では日本切手が持ち込まれ、オランダ領東インド時代(蘭印)の切手やそれに加刷した切手、占領下で新たに発行された正刷切手などとともに使用されていました。

 ところで、第2次大戦中、蘭印を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本が降伏したことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。

 これに対応して、スカルノらの支配地域では、郵便局に残っていた切手にその地域が“インドネシア共和国”の支配下にあることを示す加刷を施した暫定切手が発行・使用されています。今回ご紹介の切手は、そのうちの、スマトラ島でつくられた加刷切手です。

 なお、日本占領時代からインドネシア独立戦争にかけての切手や郵便については、拙著『蘭印戦跡紀行』でも、現在の現地の写真とともにいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 バルバドス最初の英雄
2014-04-28 Mon 15:41
 今日(28日)は、カリブ海の島国・バルバドスでは“国家英雄の日”の祝日です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ブッサ像

 これは、2007年、バルバドスが発行した奴隷制廃止200年の記念切手のうち、ブッサ像を取り上げた1枚です。

 1998年、バルバドス議会は、英領西インド連邦の初代首相にして独立以前の英自治領バルバドス政府の首相でもあったグラントレー・アダムスの生誕100周年を記念して、同国の歴史にとって重要な10人を“国家英雄”に指定し、アダムスの誕生日の4月28日を“国家英雄の日”に指定しました。今回ご紹介のブッサは、その10人の1人で、1816年の反乱の指導者として知られています。

 バルバドスでは、1650年代から、英国人によるサトウキビのプランテーション栽培が行われていました。当初、その労働力はアイルランド系の白人労働者が主でしたが、後に、アフリカからの黒人奴隷が労働力の中心を担うようになりました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているブッサもその一人で、18世紀末に西アフリカからバルバドスに連れてこられたということはわかっていますが、それ以上の詳細は分かっていません。 

 1807年、英本国では奴隷廃止法案が提出され、翌1808年、奴隷貿易は廃止されました。しかし、その後も植民地における奴隷の“密輸”はなくならなかったため、1815年、英領カリブ海地域の黒人奴隷を全員登録する(=登録されていない奴隷は“密輸”されたものとして所有を認めない)奴隷登録法案が提出されたものの、植民者側の反対でこの法案は廃案となりました。

 奴隷登録法案は、直ちに全奴隷の解放を保証するというものではなかったのですが、同法によって自分たちは解放されると誤解したバルバドスの奴隷たち約400名は、ブッサを指導者として、1816年4月14日のイースターを期して蜂起。島の南東部セント・フィリップ教区で放火と略奪が行われ、経済的な損失は17万5000ポンドにも及んだといわれています。

 叛乱は4月16日には鎮圧され、ブッサ本人も戦死。また、戒厳令が施行され、9月21日までに144名が処刑されましたが、事件が英当局に与えたインパクトは強烈で、以後、奴隷解放へ向けた動きが加速され、1834年には奴隷制の完全廃止が達せられました。

 ブッサの叛乱は、バルバドス史上最初にして最大の叛乱となったことから、ブッサは“バルバドス史上最初の英雄”として位置づけられました。今回ご紹介の切手に取り上げられている像は、1985年、島の南西部セント・マイケル教区のハガット・ヒルに建てられたものです。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。バルバドスも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
 

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 空飛ぶ法王・列聖
2014-04-27 Sun 22:00
 世界各地を精力的に外遊し“空飛ぶ法王”と呼ばれたヨハネ・パウロ2世(在位1978-2005年)と、エキュメニズム(教会統一)に熱心に取り組み、カトリック近代化のため、1962年10月から第2ヴァチカン公会議を開催したヨハネ23世(在位1958-63年)の2人が、今日(27日)、聖人に列せられました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       セントルシア・教皇訪問

 これは、1986年、カリブ海のセントルシアで発行された教皇ヨハネパウロ2世の同国訪問の記念切手で、タラップを降りた後、ひざまずいて地面にキスをする教皇の姿が描かれています。

 ヨハネ・パウロ2世は、本名カロル・ユゼフ・ヴォイティワ。1920年、ポーランド・クラクフ近郊のヴァドヴィツェに生まれました。第2次大戦中、ポーランドはドイツの占領下にあり神学校の運営は禁止されたため非合法の地下神学校に入り、戦後の1946年、司祭に叙階されました。1948年、ローマの教皇庁立アンジェリクム神学大学で博士号を取得したほか、1953年にポーランドのルブリン・カトリック大学でも学位を取得し、1962年に始まる第2ヴァチカン公会議にはクラクフ司教および神学者として参加。公会議文書『信教の自由に関する宣言』および『現代世界憲章』の成立に貢献しました。その功績により、1964年、クラクフの大司教に任命され、1967年に枢機卿に親任。1978年、在位わずか33日で亡くなったヨハネ・パウロ1世の跡を継いでポーランド人として初の教皇に選出されます。

 教皇としては、最初の訪問国メキシコを皮切りに2003年までの間に世界100カ国以上を訪問して“空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)”と呼ばれたことはよく知られています。

 今回ご紹介の切手を発行したセントルシアは、カリブ海の仏マルティニークとセントビヴィンセント・グレナディーンの間に位置する島国で、クリストファー;コロンブスによって“発見”されたのが聖ルシアの記念日にあたる12月13日だったため、この名前が付けられました。ヨーロッパ人としては、当初、フランス人が定住していましたが、その後、英仏による領有権を経て1814年に英領として確定。1967年に自治領となり、1979年に独立しました。

 こうした歴史的経緯のゆえに、旧英領でありながらフランスの文化的な影響も色濃く残っており、言語的には英語を公用語としていながら、フランス語をベースとしたクレオール言語のパトワが使われているほか、宗教的には、ローマ・カトリックが人口の9割を占めています。

 1986年7月1-8日、ヨハネパウロ2世は南米のコロンビアとセントルシアを歴訪。このうち、7月7-8日のセントルシア滞在中、教皇が重い病の子供のために祈りをささげ、手をかざすと、子供が奇跡的に回復したと伝えられています。

 ちなみに、カトリックで列聖されるためには、2つの“奇跡”を行ったことが認められなければならないのですが、ヨハネパウロ2世の場合は、フランス人の修道女のマリ・シモンピエールさんのパーキンソン病を治癒したことが奇跡と求められて福者に列せられ、さらに、コスタリカ出身の女性を病から救ったことが2つ目の奇跡と認められて、今回の列聖になりました。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。セントルシアも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

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 泰国郵便学(30)
2014-04-26 Sat 14:13
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第48巻第2号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、1968年のトピックをいろいろと取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       タイ・水文学

 これは、1968年5月1日に発行された“国際水文学10年計画”の記念切手です。
 
 水文学とは、ユネスコの定義によると「地球の水を扱う科学、その発生、循環、分布、その物理的および化学的特性、またそれら特性の人間活動への反応を含めての物理的および生物的環境との相互作用を扱う科学である。すなわち水文学は地球上の水のサイクルのすべての歴史をカバーする」知的営みとされています。

 国際水文学10年計画は、ユネスコの提唱により、1965年から1974年までの10カ年計画で、水文学に関する基礎的研究、調査、観測などの促進を図り、水資源の合理的な開発と管理に寄与しようとするもので、その主な事業は、①各国に設置された観測所の基本データの収集および国際的な情報交換、②基本データに基づく世界水収支の概算と水文地図の作成、③水文学の技術者・研究者の教育と訓練、④水文学上の特定課題の研究の援助、⑤情報交換の促進、でした。

 雨季と乾季が分かれているタイでは、季節によって利用可能な水量の差が大きく、また、雨季にはしばしば洪水に見舞われて大きな被害が発生します。

 このため、1950-60年代には、国家開発経済計画に基づき、ダム建設による利水開発が進められ、1964年にはターク県に国内最大のダムとしてプーミポン・ダムが完成しました。

 こうしたことからすると、国際水文学10年計画の切手に完成後まもないプーミポン・ダムが取り上げられても良さそうなものですが、実際に発行された切手には、釈迦の降魔伝説に登場する地母神のプラ・メー・トラニが取り上げられています。

 伝説によれば、釈迦が悟りを開くべく菩提樹の木の下で瞑想していたところ、悪魔のマーラは仏陀に悟りを開かせまいとして3人の娘に軍団を授けて釈迦の許へ差し向けました。これに対して、釈迦は左手の中指を地面に触れてプラ・メー・トラニを呼び出します。プラ・メー・トラニは、釈迦が前世で積んだ徳を水にして自らの髪から絞り出し、洪水を起こしてマーラの軍勢を退散させ、その甲斐あって、釈迦は無事に悟りを開いて、仏陀となったとされています。

 このエピソードにちなみ、東南アジア諸国では、プー・メラ・トラニはしばしば水に関する場所などに祀られています。タイでは、水道局のマーク(下の画像)にデザインされているほか、バンコクの王宮広場前、法務省脇の交差点の一角に、庶民の水汲み場として建立された神像が有名です。

       タイ水道局

 さて、5月23日から、東京・江東区亀戸文化センターで毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。初回の講座では、バンコクを取り上げ、美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説する予定です。また、受講者の皆様には、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします。詳細はこちらでご案内しておりますので、よろしくお願いいたします。


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 カーネーション革命40年
2014-04-25 Fri 11:29
 1974年4月25日にポルトガルで“カーネーション革命(4月25日革命)”が起こってから、きょうでちょうど40年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マカオ・カーネーション革命

 これは、1975年、当時はポルトガルの海外県だったマカオで発行された“4月25日革命1周年”の記念切手です。

 ポルトガルでは、1933年以来、アントニオ・サラザールによる“エスタード・ノヴォ”と呼ばれる独裁体制が敷かれていました。サラザールは1968年に病に倒れ、1970年に亡くなりますが、その後もエスタード・ノヴォは維持され、アンゴラモザンビークギニアビサウではソ連やキューバに支援された独立革命軍との泥沼の戦争が続いていました。

 このため、危機感を抱いたポルトガル軍の青年将校たちは、1974年4月25日、アントニオ・デ・スピノラ将軍を担いでリスボンで蹶起。市内の要所を占拠し、無血革命を起こしてカエターノ首相をトマス大統領を追放し、救国軍事評議会を結成しました。その際、革命の成功を知ったリスボン市民たちはカーネーションを手に兵士たちと交歓し、革命軍兵士たちは銃口にカーネーションの花を挿したことから、一連の革命は“カーネーション革命”と呼ばれるようになりました。
 
 さて、革命後の新政権は全てのポルトガル領植民地を放棄する方針を表明。すでに、海外県のマカオでは、1966年12月に発生した“一二三事件”(小学校建設をめぐる住民とマカオ政庁の対立から発生した暴動。中共系の住民を扇動した中国はマカオの武力解放を示唆し、マカオ政庁は賠償金の支払いなど中国の要求に全面的に屈した)の結果、ポルトガルは実質的に支配権を失っていましたが、新政権はマカオの主権が中国にあることを公式に認め、翌1975年にはポルトガル軍をマカオから撤退させます。さらに、1976年には、中国の強い影響下に立法會が開設され、マカオの地位もポルトガルの海外県から“特別領”に変更され、ポルトガルによるマカオ支配は事実上の終焉を迎えることになりました。

 なお、マカオの現代史については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


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 商船三井系の船
2014-04-24 Thu 17:07
 戦後補償をめぐる損害賠償訴訟で敗訴した商船三井の貨物船“BAOSTEEL EMOTION”が上海海事法院(裁判所)に差し押さえられた問題で、同法院はきょう(24日)、同社が29億円余の賠償金に金利分を加えた約40億円を支払ったことを公表。明らかにした。これを受けて、浙江省の港に停泊していた貨物船の差し押さえ措置が解除されました。というわけで、今日は、商船三井関連の船の切手ということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       明治100年・青年の船

 これは、1968年1月19日に発行された「明治100年記念・青年の船」の切手で、“青年の船”として使われた“さくら丸”と青年男女が描かれています。

 切手に取り上げられた“さくら丸”は1962年に竣工の船で、当初は、現在の商船三井の前身にあたる大阪商船が所有していました。その後、1963年に大阪商船の移住客船の保有管理を行う日本移住船株式会社が発足すると、同社の管理の下、日本産業巡航見本市協会の所有船として、見本市の期間以外は、日本移住船株式会社によって貨客船として運航されていました。今回ご紹介の切手が発行された時点では、切手に取り上げられたさくら丸はこの形式で運航されています。

 その後、日本移住船株式会社は1970年に商船三井客室と合併し、商船三井客船と改名。1972年には南米航路から撤退し、“さくら丸”に加え“さんとす丸”と“ブラジル丸”の計3隻を売却。残る保有船の“あるぜんちな丸”を純客船に改装し、船名も“にっぽん丸(初代)”に改称しました。現在、商船三井客船は、商船三井のグループ企業として、“にっぽん丸(3代目)”1隻で国内外のクルーズを企画運行しています。

 切手の題材となった“青年の船”の企画は、1966年3月25日に行われた日本ユースホステル協会の新春懇談会の席上、同協会の会長で青少年育成国民会議委員の中山正男が米国の洋上大学“ユニバーシティ・オブ・セブンシーズ”にヒントを得て提案し、その実現を要望した建白書を出席していた首相の佐藤栄作に手渡したのが発端です。佐藤はその場でこれに賛同し、同席していた総務庁長官の安井謙に“青年の船”実現のための準備を進めるよう命じました。

 これを受けて、“青年の船”計画を実現するため。政府・民間の第1回懇談会が1966年4月20日に開かれましたが、その席上、“青年の船”の船出を1968年に実施予定の明治百年祭の記念事業とする方針が決められました。そして、同年9月28日の明治百年記念準備会議事業部会で“青年の船”は正式に明治百年の記念事業に認定されています。

 “青年の船”は、一隻の船に教師と学生を同乗させ、航海中はさまざまな学科を教授し、寄港地では現地を見学して見聞を広め、帰港すると卒業証書がもらえるというもので、事業担当は総理府(現・内閣府)青年局でした。

 こうして、1968年1月19日、公募で選ばれた18歳以上26歳未満の男子200名、女子80名の団員が“さくら丸”に乗って東京港を出港し、基隆、バンコク、シンガポール、コロンボ、マドラス、マレーシア、シンガポール、マニラ、那覇を経て3月30日、神戸港に帰港しました。

 さて、今回の供託金支払いに関して、商船三井側は「差し押さえが長引くと顧客にご迷惑をおかけすること、またその結果、当社の中国での事業活動に悪影響を生じかねないことを勘案した」と説明しています。しかし、筋論として言えば、日本との国交樹立に際して“戦争賠償の放棄”を明言した中華人民共和国が、戦時中の問題をめぐり、現在の日本企業の財産を差し押さえることは、外交条約から見ても法律的に見ても非常識な暴挙であることには間違いなく、決して容認されるものではありません。

 おそらく、暴力団のたかりと一緒で、今回の一件で味を占めた中国は、今後も日本企業に因縁をつけて巨額の金をむしり取ろうとするでしょう。理想論を言えば、今後、そうした“ならず者国家”には一切接触せず、日本企業もすべて中国から撤退する(少なくとも、新規の対中投資は止める)のが一番なのですが、まぁ、現実にはそういうわけにもいかないでしょう。それならば、善良な市民を暴力団から守るための警察組織があるように、中国の魔手から日本人と日本企業を護るための制度をきちんと整えることを、日本国として真剣に考えなければなりますまい。


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 聖ジョージの祝日
2014-04-23 Wed 11:28
 今日(23日)は、ドラゴン退治の伝説で知られる聖ゲオルギウス(英語読みだとセント・ジョージ)の日です。というわけで、“セント・ジョージ”がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       英領ホンジュラス・セント・ジョージ島の戦い

 これは、1948年、英領ホンジュラス(現ベリーズ)で発行された“セント・ジョージ島の戦い150年”の記念切手で、18世紀末の同島のイメージが描かれています。ちなみに、切手上の“St George's Cay”の“Cay”は、西インド諸島の岩礁や小島を意味する単語で、辞書的には、中州や小岩に相当するものということなのですが、ここではとりあえず“島”と訳しました。

 さて、現在のベリーズ国家に相当する領域は、もともとマヤ文明の栄えた地域でしたが、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりました。しかし、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及ばず、1638年、英国の武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続きましたが、英国側はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせました。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、今回ご紹介のセント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保しました。

 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐっては、英国とグアテマラが対立する構図となり、1862年、英国は、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。

 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも英領ホンジュラスの地域は自国領と主張するグアテマラと英国との間で独立についての交渉が決裂。1973年の“(英領)ベリーズ”への正式な改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。

 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、これをベリーズ郵政の起源としています。

 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給がストップし、しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年には“英領ホンジュラス”名の切手発行が開始されました。当初の額面はポンド表示でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ベリーズも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 岩のドームの郵便学(16)
2014-04-22 Tue 21:17
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』532号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第3次および第4次中東戦争の戦間期のアラブ世界の状況のうち、シリアとイラクのバアス党にスポットをあてました。その中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       イラク・国軍の日(1971)

 これは、1971年にイラクで発行された“国軍の日”の記念切手の小型シートで、右側の40フィルス切手にはパレスチナの地図に岩のドームを描き、行進するイラク軍の兵士が描かれています。

 1958年7月14日、自由主義将校団によるクーデターでハーシム王制が打倒されたイラクでは、1963年2月に再度クーデター(ラマダーン革命)が発生し、ナセル主義者のアブド・サラーム・アーリフがバアス党と連携して政権を掌握しました。

 バアス党の党名は、日本語に訳すと、アラブ社会主義復興党となります。アラブ社会主義(きわめて単純化してしまえば、金融を含む重要産業の国有化と計画経済による開発独裁体制のことですが、いわゆるマルクス・レーニン主義のように、宗教を“民衆のアヘン”として排斥するわけではありません)と、アラブ世界における既存の国境を解体してアラブの再統合を図るというアラブ民族主義を基本綱領として掲げており、その意味では、エジプトのナセルと基本路線に大きな相違はありません。

 そのルーツは20世紀初頭に遡るもいえるのですが、制度的には、1940年12月、シリアの民族主義者(宗教的にはアラウィ―派)のザキー・アルスーズィーらがダマスカスで秘密結社として組織した“アラブ・バアス党”がその源流で、シリア独立後の1947年4月7日、ダマスカスで第1回に公式の結党大会を行い、公然組織となりました。その後、シリアを本部として、イラク、レバノン、ヨルダン、イエメンに支部を拡大します。

 1958年にエジプトとシリアの合邦により発足したアラブ連合共和国は、1961年、シリアの離反によって破綻しましたが、その後もナセルは“アラブ連合”の大義名分を放棄せず、アラブ諸国の再統合を水面下で模索し続けます。その際、彼は、自分に代わって各国のバアス党が連携して国家統合を進めることには警戒感を抱いていました。

 こうした背景の下、イラクでは、1963年2月のラマダーン革命後、非バアス党員でナセル主義者のアブド・サラーム・アーリフが、同年11月、バアス党を政権から追放し、革命の果実を独占することに成功します。

 アブド・サラーム・アーリフは、1964年5月26日、エジプトと合同大統領評議会を立ち上げ、アラブ社会主義のエジプトとの統合を見据えて主要産業を国有化。同年末には統合のためのプランまで発表しました。しかし、すでにエジプトとシリアの国家統合が破綻していたこともあって、エジプトとの統合には慎重論も根強く、結局、統合論は有耶無耶になってしまいます。

 そうしているうちに、1966年4月13日、アブド・サラームは飛行機事故により死亡し、アブド・ラフマーン・バッザースによる3日間の暫定大統領を経て、アブド・サラームの兄、アブド・ラフマーン・アーリフが大統領職を継承しました。

 アブド・ラフマーンは、弟の路線を引き継ぎ、ナセルと連携して1967年の第3次中東戦争にも参戦しましたが、イスラエルの前にイラク軍も惨敗。この結果、翌1968年7月17日、アフマド・ハサン・バクルらバアス党員のクーデターによって失脚し、トルコへ亡命しました。

 ところで、アーリフ政権時代の1966年、シリアでは大統領のハーフィズに対して、ハーフィズ・アサドとサラーフ・ジャディードがクーデターを起こし、バアス党内の実験を掌握します。これに伴い、バアス党の創設者の一人にして代表的なイデオローグで、クーデター発生時のシリア・バアス党の委員長だったミシェル・アフラクが失脚。アフラクを否定するシリア・バアス党と、従来通り、アフラクをバアス党の理論的支柱とみなすイラク・バアス党の対立が生じました。

 クーデター直後、ダマスカスで開催された第9回バース党大会でアフラクとその支持者が追放されると、イラク・バアス党は直ちにベイルートで“真の”第9回党大会を開き、アフラクを民族指導部事務総長として迎え入れました。以後、バアス党運動はシリア派とイラク派に分裂し、両者は対立するようになります。

 その後、1970年11月13日、シリアでは国防大臣のハーフィズ・アサドによるクーデターが発生し、事実上の最高権力者であったサラーフ・ジャディード(公的な地位としてはシリア・バアス党第2書記)を失脚させました。

 ジャディードの政治路線は、アラブ諸国との軍事同盟よりもシオニストとの“人民戦争”を重視するという基本方針の下、イスラエルとサウジアラビア(アラブ社会主義の視点からは“反動アラブ諸国”の筆頭と目されていた)に対して強硬路線を採るというものでしたが、第3次中東戦争の敗戦によりその権威は大きく損なわれ、さらに1970年9月、ヨルダンで発生したブラック・セプテンバー事件でのPLO支援などによって、バアス党内の穏健派(現実主義派)と激しく対立していました。

 1970年11月のシリアでのクーデターはこうした背景の下で発生したもので、政権を掌握したアサドは、ジャディードに連なる党内左派を追放するとともに、“(ナセル時代の行きすぎた)革命の矯正”を進めていたサダトとも連携し、第3次中東戦争で失ったゴラン高原の奪還を目指して軌道修正に乗り出します。

 この間、アフラクは1970年のブラック・セプテンバー事件に対してイラク政府が介入するよう求めたものの、バクル政権から拒否されたことに抗議してレバノンに逃れています。一方、アサド政権は、翌1971年、欠席裁判でアフラクに死刑判決を下しました。

 こうした事態の変化を受けて発行されたのが、今回ご紹介の切手です。

 イラクの「国軍の日」は毎年1月6日となっていますが、これは、親英王制時代の1921年1月6日にイラク王国軍が発足したことによるもので、1971年はそこから起算して50周年にあたっていました。

 2種類発行された記念切手のうちの40フィルス切手にはパレスチナの地図を背景にした岩のドームと、そこに向かって進軍するイラク軍が描かれています。切手には、額面数時の40以上に大きな文字で“50(周年)”と表示しており、あたかも、イラク国軍がパレスチナ解放の大義のために50年間戦ってきたかのようなイメージになっています。

 もちろん、これは歴史的な事実には反するのですが、1947年にシリアでバアス党が正式に発足する以前から存在していたイラク国軍とパレスチナ解放の大義を結びつけることによって、自分たちこそがアラブ民族主義の嫡流であることを主張しようとしたと理解することができましょう。

 もっとも、1968年にイラクの政権を掌握したバクルのバアス党は、そうした建前とは裏腹に、必ずしもパレスチナ問題に熱心に取り組んでいたわけではありません。

 そもそも、イラクはイスラエルと直接に国境を接しておらず、1967年の第3次中東戦争においても、エジプトやヨルダン、シリアなどのようにイスラエルによって領土を占領されたわけではなく、戦争の被害に関しても、他のアラブ諸国に比べると比較的軽微でした。

 このため、失地奪還のために対イスラエル戦争を準備していたエジプトやシリアとは異なり、パレスチナ問題には深入りせず、1972年の石油国有化を経て国内の経済建設に邁進するというのが、バクル政権の基本的な姿勢となっていました。

 その姿勢は、結果的に、翌1973年、アラブ民族主義の嫡流を自称する建前から第4次中東戦争に参戦するものの、実際の戦闘にはほとんど参加せず、石油戦略の発動によって巨額の富をイラクにもたらすことになるのです。


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 グラウネーション・デー
2014-04-21 Mon 14:39
 きょう(21日)は、ラスタファリ運動において“神の化身”と信じられているエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世が1966年4月21日にジャマイカを訪問したことにちなむ“グラウネーション・デー”だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       エチオピア・ハイレセラシエ即位加刷

 これは、1930年にエチオピアが発行した皇帝ハイレ・セラシエ1世即位記念の加刷切手です。加刷の元になった台切手は、1928年に発行された2メハレク切手で、皇帝として即位する以前の皇太子ラス・タファリ・マコンネンとしての肖像が描かれています。

 ハイレ・セラシエは、1892年、エチオピア南部・ショア地方の貴族の子として生まれました。血縁上は皇帝・英雄メネリク2世の従兄弟の子にあたっており、1916年、メネリク2世の娘・ザウディトゥが女帝として即位すると、皇太子・摂政となり、実権を掌握。1930年4月3日、皇帝ハイレ・セラシエ1世として即位しました。

 いわゆるラスタファリ運動は、1910年代、ジャマイカ出身のマーカス・ガーベイが米国でエチオピアニズム(当時、アフリカの黒人国家で唯一植民地化されていなかったエチオピアを黒人の魂の故郷とする思想)の立場から、黒人のアフリカ帰還を奨励したのがルーツです。

 1927年、ガーベイは「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」との予言を発表しましが、はたして3年後の1930年4月、エチオピアでハイレ・セラシエ1世が皇帝として即位したことから、彼らは、ハイレ・セラシエ1世を神(ジャー)の化身とみなし、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇拝の対象とするようになりました。これに伴い、皇帝の崇拝者は皇帝の即位以前の名前にちなんで“ラスタファリアン”、彼らの運動はラスタファリ運動と呼ばれるようになりました。

 さて、ハイレ・セラシエ1世は、1966年4月21日、ジャマイカを訪問し、ラスタファリアンの熱狂的な歓迎を受けました。その歓迎ぶちには、皇帝本人も当惑を隠せないいほどでした。

 この時期、エチオピア南部シャシャマネのマルカウォディャ地区には、ジャマイカからの移民が皇帝から土地を与えられて済んでいましたが、自分のジャマイカ訪問がラスタファリアンの情熱を刺激して大量のジャマイカ移民がエチオピアに流入することを恐れた皇帝は「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」という内容の私信を主なラスタ指導者に送り、エチオピアへの移民を牽制しています。なお、ジャマイカの音楽として知られるレゲエは、ハイレ・セラシエ1世のジャマイカ訪問を機に、ラスタファリ運動の思想やメッセージを伝えるための手段として発展したものです。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


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 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 与那国島に陸自レーダー基地
2014-04-20 Sun 22:04
 わが国の最西端・与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備に向けたレーダー施設建設の起工式が、きのう(19日)午後、与那国町離島振興センターで開かれました。というわけで、与那国島といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       ヨナグニサン

 これは、1959年7月23日、米施政権下の沖縄で発行された「日本生物教育会沖縄大会」(同年7月22-24日、沖縄・首里高校で開催)の記念切手で、ヨナグニサンが描かれています。

 ヨナグニサンは日本最大の蛾で、沖縄県の八重山諸島(石垣島、西表島および与那国島)にのみ分布しています。和名は与那国島で初めて発見されたことによるものです。

 口(口吻)がないため、羽化した後は全く食事ができず、幼虫の頃に蓄えた養分で生きるため、成虫になってからは1週間程度しか生きられません。成虫の外見上の最大の特徴は、前羽根先端部の蛇の頭のような模様で、これを敵に見せて威嚇すると言われています。

 今回の与那国島での施設建設も、ヨナグニサンの羽根よろしく、アジア各地での侵略とチベットやウイグルなどでの非道な人権侵害を繰り返すファシスト国家・中国に対する睨みを利かせ、わが国の領土である沖縄県・尖閣諸島の防衛体制を強化するという結果につながると良いですね。


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 ヴェネズエラ独立宣言記念日
2014-04-19 Sat 20:34
 きょう(19日)は、1810年4月19日にカラカス市参事会がヴェネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言したことにちなみ、ヴェネズエラでは“独立宣言記念日”として祝日になっています。というわけで、ヴェネズエラがらみでこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴェネズエラ地図(1896)     ヴェネズエラ地図(部分拡大)


 これは、1896年にヴェネズエラが発行した地図の5センタヴォ切手ですが、東側の国境部分(切手の右側に部分拡大の画像を貼っておきました)で、国際的にはガイアナ領とされているエキセボ川西岸のグアヤナ・エセキバ(エキセボ地域)をもヴェネズエラ領として描かれているのがミソです。

 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナは、1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。

 当初、英領ギアナの中心はエキセボ川の東岸でしたが、後に、トリニダード以外にも英国=南米間の貿易のために大型船が停泊できる居留地が必要となったため、英国はエキセボ川西岸にも進出。これに対して、1830年、コロンビアから分離独立したヴェネズエラはエキセボ川までのグアヤナ・エセキバの領有権を主張して対立しました。ちなみに、ヴェネズエラ側の主張を全面的に認めると、ガイアナは現在の領土の3分の2を失うことになります。

 その後、いったんはグアヤナ・エセキバの血を両国の中立地帯とすることで妥協が成立したものの、19世紀後半に金鉱が発見されたことで対立が再燃。今回ご紹介の切手も、こうした状況の下でヴェネズエラがグアヤナ・エセキバに対する自国の領有権を主張するために発行したものです。

 このため、1899年、米英露三国の調停により、係争地の大半は英領ギアナに属するものとされ、ヴェネズエラもこれを受け入れましたが、1966年にガイアナが英国から独立すると、ヴェネズエラは再びグアヤナ・エセキバの領有権を主張。現在にいたるまで対立が続いています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ただし、ガイアナは加盟国ですが、ヴェネズエラは加盟していません)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

 * 本日のメディア史研究会の発表は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 明日(19日)、トークやります!
2014-04-18 Fri 11:26
 かねてご案内の通り、あす4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室にて開催のメディア史研究会月例会にて、「ポスタル・メディアと朝鮮戦争」と題する発表を行います。というわけで、きょうはその予告編を兼ねて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       東ドイツ・朝鮮戦争プロパガンダ

 これは、朝鮮戦争中の1952年に東ドイツで差し出された郵便物で、朝鮮半島に延びる米国の手(指がミサイルでカフスが$になっています)を押しとどめる人々の手を描き、「朝鮮での米国の戦争を止めさせよう!」とのスローガンが入ったラベルが貼られています。朝鮮戦争に関する東側のプロパガンダの典型例と言ってよいでしょう。

 1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争は、当初、奇襲攻撃の利を生かした朝鮮人民軍(北朝鮮軍)が破竹の勢いで南侵を進め、韓国政府は釜山を中心とした一角にまで追い詰められましたが、同年9月の仁川上陸作戦によって戦況は逆転。10月には韓国・国連軍が中朝国境の鴨緑江まで到達します。これに対して、中国は“唇滅べば歯寒し”として人民志願軍を派遣。この結果、国連軍は中国側の人海戦術により危機的な状況に陥りました。

 こうした中で、11月30日、米国大統領トルーマンは、定例記者会見後の質疑応答で「保有するあらゆる兵器」を使用する用意があり、「原爆の使用についても、常に積極的な考慮が払われている」と発言しました。

 米国が朝鮮で原爆の使用を検討し始めたのは1950年9月頃のことといわれています。当時は、仁川上陸作戦の直前で、国連軍は日本海に追い落とされかねない状況にありました。このため、米軍が最強の兵器である核兵器を使って形成を逆転しようと考えたのも(その是非は別として)自然なことだったといえましょう。

 戦略核爆撃を実際に行うための具体的な作戦レポートを作成したのは、ジョンズ・ホプキンス大学の研究者を中心とするプロジェクト・チームで、彼らの最初のレポート「朝鮮における核爆弾の戦術的使用」は、1950年12月末、極東軍司令部に提出され、以後、1951年3月の最終レポート「核兵器の戦術的使用」にいたるまで、戦況に応じて、さまざまなレポートが作成されています。

 先のトルーマン発言は、こうした背景の下でなされたもので、記者会見後、大統領報道官が、核兵器の使用は軽々に決定されることはないとして大統領発言の修正を試みましたが、核兵器の使用が現実のものとなりつつあるという印象は拭えませんでした。

 特に、西欧諸国は、米国が朝鮮で核兵器を使えば、ソ連がヨーロッパで報復に出るであろうとの懸念から、トルーマン発言に敏感に反応。英国首相アトリーがただちに訪米してトルーマンと会談し、トルーマンから核不使用の言質を取り付けて、事態の収拾が図られています。

 もっとも、米国があっさりと核兵器の使用を断念した背景には、先のプロジェクト・チームによる研究の結果、当時の技術では、朝鮮戦争のように、目標が激しく移動する場合の戦略核爆撃はきわめて難しいということが明らかになっていたという事情がありました。

 一方、東側陣営にとっては、トルーマン発言は格好の攻撃材料となります。

 すなわち、米国による朝鮮“侵略”を非難していた東側諸国は、当時唯一の核保有国だった米国がその最終兵器を朝鮮でも使用しうるとしたことをもって、野蛮な“アメリカ帝国主義”の本性が剥き出しになったと主張。特に、第3次世界大戦の勃発をおそれるヨーロッパにおいて、“反核”の名の下に反米感情を煽動するようになりました。今回ご紹介のマテリアルもその一環として作られたものです。

 日本でも、いわゆる進歩的知識人の影響力が強かったこともあり、ながらく、核の力で朝鮮を支配しようとする米国とその傀儡・南朝鮮(韓国)という北朝鮮側のプロパガンダが無批判に受け入れられてきましたが、トルーマン発言は、不幸にして、そうした日本人の偏った朝鮮半島イメージを作り上げる上で大きな役割を果すことにもなったといえましょう。

 さて、明日の発表は、(公財)韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けたプロジェクト「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として行うもので、今回ご紹介のマテリアルを含め、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(予約不要・参加費無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 * 昨晩、カウンターが135万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  

 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 “オデッサ”独立宣言
2014-04-17 Thu 16:28
 ウクライナ東部・ドネツク州スラビャンスクで政府関係施設を占拠している親ロシア派武装勢力とウクライナ暫定政府の衝突が続く中、同国南部のオデッサ(ウクライナ語ではオデーサ)では、きのう(17日)、親露派が「オデッサ人民共和国」の樹立を宣言したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ルーマニア・オデッサ加刷

 これは、第二次大戦中の1941年、ルーマニア軍によるオデッサ占領を記念して発行された加刷切手です。

 1939年8月23日、ソ連は独ソ不可侵条約の付属秘密議定書において、ルーマニア領ベッサラビアの割譲をドイツに認めさせ、翌1940年6月26日、議定書に含まれていなかった北ブコヴィナとともにベッサラビアを併合しました。

 その後、1941年6月22日に独ソ戦が勃発。ルーマニアはソ連によって奪われた土地を奪還すべく、事実上の最高権力者であったイオン・アントネスク元帥の下、ドイツ軍とともに参戦します。

 ルーマニア軍はソ連によって押しつけられた国境であるプルート川を越え、7月16日にキシナウを解放。26日までにベッサラビアを解放しました。

 ルーマニア国内では、失地の回復という民族の悲願を果たしたアントネスクの声望は否が応でも高まりましたが、ドイツ側は、ルーマニアに対してここで戦線を離脱することを許しませんでした。このため、彼らはドイツの要求に従い、さらにドニエストル川を越えてオデッサ占領作戦に参加。1941年10月16日には赤軍をセヴァストーポリまで撤退させ、オデッサを占領しました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。

 その後、ルーマニア軍はドイツ軍とともにクリミア半島やスターリングラードでも戦い、ヴォルガ川にまで到達しました。しかし、1943年以降のソ連軍の攻勢により、しだいに枢軸側は追い詰められ、1944年にはベッサラビアは再びソ連の支配下に組み込まれ、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国が復活。同年8月22日、ルーマニア国内ではクーデターが発生してアントネスクは逮捕され、国王は一転してドイツに対して宣戦を布告し、同年9月には連合諸国との休戦協定も結ばれることになりました。

 なお、この間の事情については拙著『トランシルヴァニア・モルダヴィア歴史紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

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 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 切手に描かれたソウル:東大門運動場
2014-04-16 Wed 22:49
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』3月28日号が刊行されました。今回は、3月21日、旧東大門運動場周辺の再開発事業として複合文化施設「東大門デザインプラザ」がオープンしたことにちなみ、東大門運動場について取り上げました。その中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       韓国・大典(1955)

 これは、1955年10月23日に発行された第36回全国体育大会(全国体典)の記念切手です。この大会は東大門運動場(当時の名称はソウル運動場)で行われましたから、切手に描かれているトラックも同運動場のものと考えるのが妥当でしょう。

 旧東大門運動場のルーツは、日本統治時代に建てられた京城運動場です。

 運動場は光熙門と東大門(正式名称は興仁之門)の間の敷地2万2700坪の土地に建造されましたが、この場所は、朝鮮王朝時代には治安を担当する下都監と訓鍊都監が置かれていました。

 運動場の建設は、1924年の皇太子(後の昭和天皇)ご成婚の記念事業の一つとして企画され、翌1925年5月24日、京城府(当時)の岩城土木課長の指揮により着工しました。

 運動場はサッカーと陸上ができる多目的競技場で、総工費は15万5000円。総収容人員2万5800人は当時としては東洋一の規模を誇っていました。1925年10月に開場式が行われ、翌1926年3月、こけら落としの試合が行われています。

 京城運動場が完成した1925年は朝鮮神宮がつくられた年でもあったので、同年以降、総合競技大会である朝鮮神宮競技大会(朝鮮神宮奉賛体育大会)が毎年、開かれることになります。当初、会場は競技ごとに異なっていましたが、1934年以降は、京城運動場を主会場として固定し、野球・サッカー•テニス•陸上•バスケットボールの5種目からなる総合競技大会として「全朝鮮総合競技大会」が開催されるようになりました。なお、同競技大会は、1920年に開催された全朝鮮野球大会を第1回として回数を起算しているため、1934年の大会は第15回となっており、1948年に大韓民国が正式に発足した後は全国体育大会(全国体典)と改称され、現在に至っています。

 さて、解放後、京城運動場はソウル運動場と改称されましたが、1950年6月25日未明の北朝鮮南侵により朝鮮戦争が勃発した当日には、第2回学徒護国団体育大会の各種競技決勝戦が行われていました。南侵を知らなかった選手・観客は、正午頃、警察官のアナウンスで緊急事態の到来と競技の中止を知らされ、驚愕しつつ運動場を後にしたといわれています。

 戦争のため、1950年の全国体典は中止され、翌1951年の大会はソウルではなく光州で行われましたが、韓国・国連軍がソウルを確保したことを受けて、1952年にはソウル運動場での大会が復活します。

 その後、1956年の第37回大会まで全国体典は会場をソウル運動場に固定して行われましたが、1957年以降は釜山や大田等の地方都市でも開催されるようになります。それでも、1958-59、61、67-72、74年にはソウル運動場が全国体典の会場となるなど、同運動場は韓国スポーツ史において大きな役割を果たしました。

 ソウル五輪に先立ち、1986年に蚕室総合運動場が完成すると、ソウル運動場は東大門運動場と改称され、その後も、1986年のアジア競技大会、1988年のソウル五輪のサッカー会場などとして使用されていましたが、老朽化のため、2007年11月に完全閉鎖され、今回オープンしたデザインプラザを中核とする跡地の再開発事業が進められることになりました。
 
 さて、今週土曜日(19日)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階・第2会議室にて開催のメディア史研究会月例会にて、「ポスタル・メディアと朝鮮戦争」と題する発表を行います。発表は、(公財)韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けたプロジェクト「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として行うもので、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(予約不要・参加費無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。
 

 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 太陽節
2014-04-15 Tue 15:58
 きょう(4月15日)は金日成の誕生日ということで、北朝鮮では“太陽節”という民族最大の祝日に指定されています。というわけで、“金日成”がらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       金日成大学宛

 これは、1950年7月19日、北朝鮮・咸鏡南道から平壌の“金日成大学”(金日成総合大学)宛てに差し出された郵便物です。

 貼られている切手は、1946年2-3月に行われた“土地改革”を記念して発行された1ウォン切手です。北朝鮮の土地改革は、日本人や“親日派”の所有地と、5町歩以上の朝鮮人地主の所有地、さらに全ての継続小作地を完全に無償で没収し、土地なき農民に無償で分配するというもので、反対する地主は容赦なく逮捕し、収容所送りにするものでした。切手には刷色や用紙などの様々なバラエティがあります。

 北朝鮮当局の説明によると、1946年10月1日、金日成の「総合大学の最も重要な任務は、優秀な民族幹部を多く輩出する事である」という号令の下、土地改革によって土地を得た農民らが“愛国米”を献納し、大学の建設資金が賄われたとされています。それゆえ、“人民の大学”ということになっていますが、現実の問題として、金日成総合大学に入学するためには、北朝鮮独自の厳格な身分制度である“出身成分”が良くなければほぼ絶望的で、本来の意味での人民の子弟はいくら努力しても入学は困難です。

 ところで、北朝鮮の初期のカバーとして市場に出回っているものの中には、今回ご紹介のカバーのように、金日成総合大学宛のものがかなりの割合で含まれています。これは、朝鮮戦争時、平壌を占領した国連軍が北朝鮮の官公庁や大学などから大量の文書を押収した際、それに付随して持ち出されたカバー類が市場に放出されたことによるものです。まぁ、文書を押収した側からすれば、手紙類の中身には関心があるものの、外側の封筒はどうでもよいということだったのでしょう。僕にとっては、外側の方がよっぽど重要なんですが…。

 さて、今週土曜日(19日)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階・第2会議室にて開催のメディア史研究会月例会にて、「ポスタル・メディアと朝鮮戦争」と題する発表を行います。発表は、(公財)韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けたプロジェクト「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として行うもので、今回ご紹介のような資料も使いながら、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(予約不要・参加費無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。
 

 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

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 ラオスの新年
2014-04-14 Mon 22:46
 きょう(14日)は、インドシナ諸国では伝統的な暦で新年にあたります。というわけで、きょう新年を迎える国のうち、昨年、実際に僕が訪ねたラオスの切手の中からこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ラオス・バーシー
       
 これは、1966年にラオスで発行された伝統儀礼の切手で、バーシー・スー・クワンの光景が描かれています。

 ラオスに限らず、インドシナでは仏教の伝来以前からあった土着の精霊信仰が残っており、人間には32の魂(クワン)が宿っていると考えられています。クワンは、新年や誕生、結婚、就職、旅行などの節目の時に体外に出ようとしますが、クワンが体外に出るとその人間は不幸になるので、クワンが出ないように(あるいはクワンを呼び戻す)儀式を行う必要があります。

 それが、バーシー・スー・クワンです。バーシーとは手首に巻きつける白い木綿の糸(ヴィエンチャンでは黄色、ピンク、オレンジ色なども使われるそうです)のことで、人々は、お互いに相手の手首にバーシーを結びクワンに守って貰えるよう祈りを捧げます。切手に描かれているのは、まさにバーシーを結びつけている場面です。

 なお、切手の背後に置かれている捧げものは“パー・クワン”と呼ばれているもので、式台の中央にはバナナの葉と各種の花で飾った塔を置き、その周囲に米、お菓子、果物等が飾られています。儀式の後、それらは、参加者に振舞われます。

 新年度・新学期のスタートとしては、ちょっと時間がたってしまいましたが、この1年皆様に幸ありますようにということで、こんな切手をご紹介したという次第です。

 * システムの不具合で画像がなかなかアップできず、更新が遅くなりま、ご愛読者の皆様にはご迷惑をおかけしました。この場をお借りして、お詫び申し上げます。


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 いちはらアート× ミックス
2014-04-13 Sun 17:01
 私事ですが、きのう(12日)は、千葉県市原市の小湊鐵道上総牛久駅から養老渓谷駅の間で行われている“中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス”(以下、いちはらアート×ミックス)に行ってきました。というわけで、そのご報告を兼ねて、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       小湊鐡道

 これは、昨年(2013年)6月25日にふるさと切手として発行された「旅の風景」第18集(千葉)のうち、小湊鐡道と沿線の景勝地“養老の滝”を取り上げた切手です。切手の元になった写真を撮影したのは、左側の小湊鐡道が渡辺直昭、右側の養老の滝が新海良夫です。

 さて、左側の切手に取り上げられている小湊鐵道は、1917年5月19日、日蓮宗の大本山である鴨川市の誕生寺への参拝客の利用を見込んで、五井=安房小湊間の鉄道開通を目指して設立されました。社名は、当初の最終目的地であった安房小湊にちなんでいます。1925年3月7日、五井=里見間での営業を開始し、その後、1926年9月には里見=月崎間が、1928年5月には月崎=上総中野間の39.1キロが開通しました。しかし、上総中野から先、最終目的地とされていた安房小湊までの路線は、昭和恐慌の影響による資金不足や技術上の問題にくわえ、上総中野駅に国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が接続したことから実現しないままに終わりました。その後、1950年からディーゼル車が導入され、のどかな田園風景の中を走る朱色とクリーム色の車体、レトロな趣の駅舎は古き良きローカル線の風情たっぷりで、鉄道ファンのみならず、幅広い層の人気を集めています。

 今回の“いちはらアート×ミックス”は、昨年春に廃校となった南市原の4つの「小学校を活用したアートプロジェクトを実施することにより、新たな地域のプラットホームを創出し、文化的活動を通じたまちづくりを始め」るというコンセプトの下に行われており、小湊鐡道の鉄道とバスの旅をそれに絡めて楽しむという趣向になっています。そのための企画として、いくつかの車両には、下の画像に示すように、いちはらアート×ミックスのロゴがペイントされていました。(写真は出発地の五井駅で撮影)

       五井駅での小湊鐡道(アート×ミックス車両)

 一方、右側の切手に取り上げられた養老渓谷は、市原市の南部・大多喜町との境にある渓谷で、かつて、ふるさと切手にも“粟又の滝”の秋の風景が取り上げられたことがあります。僕は、鉄道の養老渓谷駅から徒歩圏内の場所にしか行かなかったのですが、それでも、こんな景色を楽しむことができました。

       養老渓谷

 さて、肝心のアートの方ですが、個人的な感想としては、旧里見小学校(IAAES)を会場として展示されていた栗林隆「プリンシパル・オフィス」(かつての校長室をまるごと冷凍した作品・下の画像左)やホアン・スーチェ(黄世傑)「シンセティックワールドの再生2014」(下の画像・右)などが特に印象に残っています。

       プリンシパル・オフィス     黄世傑

 今回は、すべての作品(ただし、パフォーマンス系のイベントを除く)を鑑賞できるチケットと交通チケット(小湊鐵道の列車と会場内を循環する周遊バスの1日乗り放題)が一体になった鑑賞パスポートを手に、全8ヵ所のうち、4カ所を回ってきたのですが、鉄道とバスの本数が決して多くはないこともあり、1日で無理せず回るのはこれが限界かもしれません。いずれにせよ、会期は5月11日まであるので、余裕があれば、今回行きそびれた会場の作品を見に、もう一度、現地を訪れてみるのも悪くないなぁと考えています。


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 アクト・オブ・キリングの発端
2014-04-12 Sat 21:19
 1960年代のインドネシアで、いわゆる“9・30事件”後の大量虐殺を題材にしたドキュメント映画「アクト・オブ・キリング」の日本での公開が、きょう(12日)から、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラム等で始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       アフマド・ヤニ

 これは、“9・30事件”で殺害されたインドネシア陸軍司令官アフマド・ヤニの追悼切手です。

 ヤニは1922年、中部ジャワのプルウォレジョ生まれ。1940年に高校を卒業後、兵役に就き、東ジャワのマランで訓練を受けているときに日蘭開戦となり、次いで、日本の占領下で結成されたペタ(郷土防衛義勇軍)で訓練を受け、終戦時には中部ジャワのマゲランでペタの教官を務めていました。

 インドネシア独立戦争ではマゲランを中心に活躍し、戦後は米国フォート・レブンワースの陸軍指揮幕僚大学に留学。帰国後は軍内での昇進を重ね、1958年8月には西スマトラで発生した反乱事件を鎮圧したことで、軍の重鎮としての地位を確立します。

 しかし、思想的には強固な反共主義者であったため、独立後の経済建設に失敗したスカルノが左傾化・先鋭化し、国際的な孤立(たとえば、インドネシアは1961年のマレーシア独立を非難して国軍部隊を派遣。軍事衝突を繰り返した末に、1965年にマレーシアが安保理の非常任理事国に当選すると国連を脱退しました)を深めると、スカルノとの関係も微妙なものとなっていきます。

 こうした中で、1965年9月30日深夜、首都ジャカルタで大統領親衛隊第一大隊長のウントゥン・ビン・シャムスリ中佐がクーデターを起こし、ヤニを含む陸軍の高級将校6名を殺害し、国営ラジオ局(RII)を占拠。“9月30日運動司令部”と名乗ってインドネシア革命評議会の設置を宣言しました。

 これが、インドネシア現代史の転機として知られる“9月30日事件”です。

 なお、事件当日、ヤニはスマトラ島パレンバンで完成したブン・カルノ橋(現アンペラ橋)の開通記念式典に参加した後、ジャカルタに帰着したところを凶刃に斃れました。

 さて、革命評議会は、ヤニらはスカルノ政権転覆のクーデターを計画しており、それを未然に防ぐために蹶起したと説明しましたが、戦略予備軍司令官だったスハルト(当時の階級は少将)が直ちに部隊を展開して首都の要所を制圧。ウントゥンらのクーデターは失敗に終わります。

 事件への関与を疑われたスカルノは、スハルトに対して、治安秩序の回復に必要なすべての権限をスハルトに委譲せざるを得なくなり、スハルトは事件に関与したとされる共産主義者や華人の大規模な虐殺(少なく見積もっても50万人、最大で300万人が犠牲になったといわれています)を行いました。そのうえで、1966年3月11日、政府の実権を掌握したスハルトはスカルノにも大統領権限を委譲する命令書に署名させ、さらに1年間の冷却期間の後、1967年3月12日に大統領に就任。以後1998年まで30年余に及ぶ長期独裁政権がスタートすることになります。

 なお、“9・30事件”を含むインドネシア現代史については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 昭憲皇太后100年祭
2014-04-11 Fri 14:21
 1914年4月11日に明治天皇の皇后・昭憲皇太后の崩御が公表されてから(実際に亡くなったのは4月9日)、きょう(11日)でちょうど100年になります。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       明治神宮鎮座

 これは、1920年に発行された“明治神宮鎮座”の記念切手です。

 後に明治天皇の皇后となる一条勝子は、嘉永2年4月17日(西暦1849年5月9日)、従一位左大臣・一条忠香の三女として生まれました。女御として入内したのは、慶応3年6月28日(1867年7月27日)のことで、同年12月、大政奉還が行われ、翌慶応4年8月27日(1868年10月12日)、睦仁親王が天皇として即位。元号が明治と改められると、明治元年1月28日(1869年2月9日)、すでに宮中に入っていた勝子が、美子と名を改めた後、皇后として冊立されました。

 皇太后という称号は、本来、“天子の母親”を意味する言葉です。昭憲皇太后の場合は病弱のため子がなく、明治天皇の側室・柳原愛子の生んだ嘉仁親王が後に大正天皇として即位しました。このため、本来、大正天皇にとっての“皇太后”は柳原愛子ということになります。ただし、昭憲皇太后は後に嘉仁親王を養子としていますので、この点では“天皇の母親”という意味で皇太后とするのは誤りとは言えません。

 一方、宮中の序列としては、皇太后よりも皇后の方が格上ですから、故人については生前の最高位で呼ぶという慣例からすると、昭憲皇太后というのは不適切で、昭憲皇后というのが正しいということになります。実際、昭和天皇の皇后であった香淳皇后は今上陛下との関係でいうと“皇太后”ですが、香淳皇太后とは言いませんし、昭和天皇の母親にして大正天皇の皇后である貞明皇后についても事情は同じです。

 ところが、1914年の皇太后(この時点では、先帝が崩御した後の“今上天皇の母親”という立場なので“皇太后”で問題はない)崩御の際、当時の宮内大臣だった波多野敬直が、皇太后の追号を本来の“皇后”とせず“昭憲皇太后”として大正天皇に上奏し、それが御裁可となってしまいました。明らかな誤りですが、「綸言汗のごとし」で、いったん、天子の御裁可を受けたものを変更することはできないため、以後、“昭憲皇太后”という称号が定着することになりました。

 さて、明治天皇と昭憲皇太后(皇后)を祭神として祀る明治神宮の造営工事は1916年から始まり、全国から延べ10万人もの青年団が奉仕して1920年に完成となりました。今回ご紹介の切手はそれに合わせて発行された1枚です。

 神宮の造営以前、周囲は現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたそうです。造成工事が始まると、日本全国はもとより、植民地の樺太(現サハリン)や台湾、満洲(中国東北部)、朝鮮などからも境内に植えるための樹木が奉納されました。その数は、実に365種類10万本。こうして、もともとは人工林として出発した“神宮の森”だったが、その後、東京の気候にあわない樹木が枯れるなどして、ほぼ自然林に近い状態となり、現在は247種類17万本の緑が生い茂っています。

 なお、日本の切手と皇室については、拙著『皇室切手』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 W杯トロフィーが日本に到着
2014-04-10 Thu 17:51
 ことし6-7月にブラジルで開催されるサッカーW杯(以下、W杯)を前に、全世界90カ国を回っているワールドカップのトロフィーが、きょう(10日)、日本に到着しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ブラジル・W杯(2002)

 これは、2002年に行われた日韓共催のW杯で、ブラジルが5度目の優勝を達成したことを記念してブラジルが発行した切手で、地球の上に立つ新旧のトロフィーと優勝した大会の開催国の国旗、5度の優勝を示す5つの星が描かれています。

 サッカーのW杯は1930年に第1回大会がウルグアイで開催されましたが、この時作られた初代のトロフィー(切手では左側に描かれています)は、トロフィーは当時のFIFA会長、ジュール・リメが寄贈したことから、“ジュール・リメ・トロフィー”と呼ばれ、勝利の女神が八角形のカップを支えるデザインでした。

 第2次大戦中は、1938年の大会で優勝したイタリアがローマで保管し、1970年にブラジルが3回目の優勝を果たしたとき、永久にブラジルに渡されることになりました。しかしながら、1983年、トロフィーは盗難に遭い、犯人は逮捕されたものの、肝心のトロフィーは発見されず、現在、ブラジルにはレプリカが保管されているのみとなっています。

 初代のトロフィーがブラジルのものとなったことを受けて、1974年の大会にあわせて、切手では右側に描かれているような、2代目のトロフィーが制作されました。こちらは、「シュートを決め、『やったぞ!』と両手を挙げて走りながら自陣に戻って来る選手」2人が背中合わせで地球を支えるデザインです。なお、現在のトロフィーは、2代目のトロフィーとほぼ同じデザインの3代目ですが、2代目のトロフィーでは日本列島がアジア大陸と地続きのようになっていたため、これを大陸から切り離すデザインにマイナーチェンジが施されています。今回日本にやってきたのも、この3代目のトロフィーです。

 もっとも、切手をよく見ると、日韓共催の大会での優勝ということを強調したいためか、トロフィーの地図の部分は日本列島と朝鮮半島がきちんと切り離された状態で描かれています。まぁ、地球の大きさに比べて日本と朝鮮半島が大きすぎることを含めて“ご愛嬌”でしょうが、3代目のトロフィーが作られたのは2005年のことでしたので、結果的に、時代を先取りするデザインになっていたともいえそうです。

 なお、W杯のトロフィーが世界各国を回るのは、2006年のドイツ大会に先駆け、世界28箇国の31箇所を巡った“コカ・コーラFIFAワールドカップ(TM)トロフィーツアー”が最初のことで、2010年の南ア大会に先立つ第2回ツアーに続き、今回が3回目。今回のツアーは世界90カ国を巡っていますが、わが国はその89ヵ国目となり、あす11日(金)に東京・渋谷のヒカリエで一般公開イベントが行われるほか、あさって12日(土)には岩手県の陸前高田市に移って各種の記念イベントが行われるそうです。


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 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 小さな世界のお菓子たち:キャンディの切手
2014-04-09 Wed 10:32
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第23号(2014年春号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       エングルホファー

 これは、昨年(2013年)、エンゲルホファー社のポスターを取り上げたオーストリアの切手です。

 エングルホファー社は、1851年、ウィーンに次ぐオーストリア第2の都市、グラーツでフランツ・エングルホファーがコーヒー店として開業したのが始まりで、1909年には“エンゲルホファーキャンディ工房”をスタートさせ、本格的にキャンディの販売を開始しました。その製品は、オーストリアから南ドイツにかけての伝統的なスタイルのキャンディが中心です。

 切手に取り上げられたポスターは、この地域の伝統的な民族衣装のディアンドルを着た少女が同社のキャンディを両手に持って差し出している絵柄になっており、“創業1851年”の表示もあります。

 ディアンドルは、襟ぐりの深いブラウスの上に、前開きで襟ぐりの深い短い袖なしのボディスを着て、かかとまでのロングスカートにエプロンを着けた姿で、もともとはアルプスの農家の女性の日常着だったものが、都市部に出稼ぎにきたメイドさんたちを通じて、広まったものです。切手に描かれている感じだと、少女の着ているボディスとスカートの素材はベルベットなど厚手の素材のようですが、夏には薄手の木綿で仕立てられます。エプロンが青緑色で描かれているのは、伝統的なディアンドルの色彩を忠実に再現したものですが、結果的に、彼女の掌の上のキャンディの包み紙が同系色となりました。なお、少女はエプロンの腰ひもを自分の左側で結んでいますが、これは未婚者であることを示しており、既婚者は右側で結ぶ習慣になっています。

 ポスターの原画を書いたのは、1909年生まれの漫画家のテヤ・アイヒャーです。アイヒャーは1948年から1976年まで雑誌『ヴンダーヴェルト』を中心に活動し、「小人のブムスティ」、「ピフとパフ」、「ペリーとジラ」等のヒット作を生み出しました。当時の子供たちは、エンゲルホファーのキャンディを頬張りながら、そうした漫画を読みふけっていたのかもしれません。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 花まつり
2014-04-08 Tue 11:20
 きょう(8日)は、お釈迦様の誕生を祝う“花まつり”の日です。というわけで、昨年同様、お釈迦様ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

       慶州石窟案(東洋精版)

 これは、朝鮮戦争中の1952年2月22日、韓国で発行された慶州石窟庵を描く200ウォン切手です。

 切手に取り上げられた石窟庵の仏像は、西暦8世紀頃、新羅の景徳王の時代、宰相の金大城が、当時都の置かれていた慶州近郊に建立したもので、朝鮮美術を代表する傑作とされています。仏像の印相(手の形)は右手指を下に向け地面に触れている降魔印(触地印)の形をとっています。これは悟りを得る前の釈迦がガヤー村(現ブッダガヤー)の菩提樹の下で瞑想にふけっていた際、それを妨害する魔物を調伏した様子を表現したものです。

 慶州石窟庵を題材とした切手は韓国で何度か発行されていますが、写真をもとに原画を構成したものと比べると、今回の切手の仏像とは印象がかなり違っています。まぁ、このあたりはご愛嬌でしょう。

 この切手が発行された当時、朝鮮戦争の戦況は膠着状態に陥っており、韓国・国連軍は首都ソウルを確保していましたが、政府の主要機関などはソウルを離れて釜山に移ったままで、今回ご紹介の切手を製造したのも、釜山の東洋精版印刷社でした。印面が不鮮明で、目打の抜けも良くないのは、そうした事情によるものです。ちなみに、同じデザインで韓国造幣公社が製造した切手の画像を下に貼っておきますが、東洋精版の切手と比べると印刷物としての出来はかなり改善されています。

       慶州石窟庵・韓国造幣公社

 さて、来週土曜日(19日)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階・第2会議室にて開催のメディア史研究会月例会にて、「ポスタル・メディアと朝鮮戦争」と題する発表を行います。発表は、、(公財)韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けたプロジェクト「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として行うもので、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(予約不要・参加費無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 ちなみに、韓国の仏像と切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

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 ハンガリー総選挙で与党圧勝
2014-04-07 Mon 15:52
 ハンガリーできのう(6日)、任期満了に伴う総選挙が行われ、オルバン首相率いる中道右派の“フィデス・ハンガリー市民連盟”を軸とする与党連合は全199議席中3分の2にあたる133議席を獲得して圧勝しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ハンガリー・国会議事堂

 これは、1982年、ハンガリーが“切手の日”にあわせて発行した寄附金つき切手で、首都ブダペストの国会議事堂とラーコーツィ・フェレンツ2世(在位1676-1735)騎馬像が描かれています。

 1867年、ハプスブルク帝国がオーストリア=ハンガリー二重帝国に再編されたことを受けて、1873年、ハンガリー王国政府は、ドナウ川西岸のブダとオーブダ、東岸のペストを合併してブダペスト市を作り、ここを首都と定めました。ハンガリー王国としての国会議事堂は、1880年、ドナウ河畔のコッシュート広場に建築することが決まり、コンペの結果、一等となったシュタインドル・イムレの設計が採用されました。

 議事堂の建設は1885年に始まり、1000人の労働者と4000万個の煉瓦、50万の宝石と40キロの金などを使い、1904年に完成しました。なお、この巻の1902年、設計者のシュタインドルは62歳でなくなっています。

 議事堂の建築は、英国のウェストミンスター宮殿同様、ゴシック・リヴァイヴァル様式で、中央のドームを挟んで左右対称にファサードがある構造で、長さ268m、幅123m。高さはブダペスト市内で最も高い96mです。

 一方、切手前面の騎馬像のモデルとなったラーコーツィ・フェレンツ2世は、1676年、トランシルヴァニア公ラーコーツィ・フェレンツ1世の子としてボルシ(当時はハンガリー領。現スロヴァキア領)に生まれました。

 1701年、スペイン継承戦争が勃発し、ハンガリーに駐留していたオーストリア軍の多くが移動すると、その隙をついて、1703年、ハプスブルク帝国の絶対主義支配に抗して独立戦争を起こし、1704年にトランシルヴァニア公として即位。さらに、翌1705年にはハンガリー王国等族連盟の統治首長となりました。その後、ハンガリー側はハプスブルクに敗れ、1711年にはトランシルヴァニア公は総督に置き換えられ、ラーコーツィもポーランドへの亡命を余儀なくされますが、現在にいたるまで、ハンガリーでは民族的英雄の一人として高く評価されています。

 さて、前回2010年の総選挙で、「ハンガリーはEUの言うことを聞かない」としてハンガリーの主権と独自性を強調して勝利を収めたオルバン政権は、リーマンショック後の経済危機に対して、強い指導力を前面に押し出すことで事態の打開を図ってきました。具体的には、憲法裁判所の違憲審査権限を縮小したほか、中央銀行やメディアに対する政府の監督や規制を強化するなどの政策が行われてきたわけですが、こうした“プチ・プーチン化”に対してEUが反発。このため、今回の選挙結果を受けて、オルバンの強権的な政治手法がさらに強まり、EUとの摩擦もより深刻なものになるとも懸念されていますが、ハンガリー国民にしてみれば、EUに対して強硬姿勢で臨むオルバンは、現在のラーコーツィ・フェレンツ2世といった感じのイメージなのかもしれません。

 なお、トランシルヴァニアとその歴史については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも、切手や郵便物を通じていろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ルワンダ虐殺から20年
2014-04-06 Sun 15:29
 1994年4月6日に“ルワンダ大虐殺”(以下、大虐殺)から、きょうでちょうど20年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ルワンダ・ハビャリマナ

 これは、1974年、ルワンダで発行されたジュベナール・ハビャリマナ大統領の切手です。1994年の大虐殺は、彼の死をきっかけに発生したもので、きょうは彼の没後20年ということにもなりますので、この切手を持ってきました。

 大虐殺以前のルワンダでは、人口の85%がフツ族、14%がツチ族、トゥワ族(ピグミー)が人口の1%という構成になっていました。もともと、フツ族とツチ族は同じ言語を話し、フツ族が農耕を、フツ族が遊牧を主たる生業としていた程度の違いしかなかったといわれていますが、第一次大戦後のベルギーによる植民地支配下で、分割統治の一環としてツチ族が優遇されていました。しかし、1962年の独立を前に、ツチ族とベルギー当局との関係が悪化すると、ベルギー当局は社会革命としてフツ族による体制転覆を支援。このため、報復を恐れた多数のツチ族が難民として隣国ウガンダを中心に近隣諸国へ脱出しました。

 その後、ルワンダ国内では、1973年、クーデターでフツ族出身のハビャリマナが政権を掌握(今回ご紹介の切手は、その翌年に発行されたものです)。ハビャリマナ政権は、ルワンダ国内のフツ族・ツチ族の宥和政策を進め、一定の成果をあげましたが、独立前後の混乱で難民となった在外ツチ族の問題はそのまま放置されました。

 こうした背景の下、1979年にウガンダでアミン独裁政権が崩壊すると、ウガンダ国内のツチ族難民は国民統一ルワンダ人同盟 (RANU)を設立し、ルワンダへの帰還に向けて具体的に動き始めますが、1981年にウガンダ内戦が勃発。ウガンダに逃れていたツチ族難民が反政府軍(国民抵抗軍:NRA)に参加すると、翌1982年、ウガンダ政府軍はすべてのツチ族難民を収容所送りにしてこれを抑え込もうとしました。しかし、政府側の試みは失敗。こうした中で、4万人のツチ族難民が内戦を逃れてルワンダに帰国しようとしたものの、ルワンダ側はそのうちの4000人しか受け入れず、また、ウガンダ側もいったん出国したツチ族難民の多くについて再入国を拒否したため、3万5000人ものツチ族難民が国境地帯に放置され、彼らの多くはNRAの兵士としてウガンダ内戦に関わることになります。

 ウガンダの内戦は、1986年にNRAの勝利で終結し、ヨウェリ・ムセベニ政権が発足。ムセベニ政権は、NRAの勝利に貢献したRANUに報いるため、10年以上ウガンダに住んでいる“バニャルワンダ(ルワンダ語を母語とする者。ツチ族・フツ族の別は問わない)には市民権が与えられると宣言しました。

 このように、ウガンダ国内に基盤を築いたRANUは、1987年12月、ルワンダ愛国戦線(RPF)へと組織を再編。このRPFが、1990年10月1日、ルワンダ北部に侵攻したことで、ルワンダ内戦が勃発します。

 ルワンダ内戦は1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意が成立したものの、翌1994年4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かによって撃墜されたことで、フツ族過激派によるツチ族への大量虐殺(ジェノサイド)が始まりました。

 その後、1994年7月にRPFがツチ族保護を名目に全土を完全制圧。フツ族(穏健派)のパステール・ビジムングを大統領、ツチ族のポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足し、ようやく大虐殺は収束しましたが、この間、フランス政府が大虐殺を行ったフツ族(過激派)側に武器援助を行うなど、組織的な支援を行ったことに加え、ラジオ放送がツチ族への敵愾心を煽るプロパガンダ放送を流し、煽動された一般人までもが虐殺に荷担したこともあって、100万人ともいわれる犠牲者が生じました。

 ルワンダの隣国タンザニアには、1994年、量虐殺の首謀者とされる者たちを裁くため、国連のルワンダ国際戦犯法廷が設置されたものの、現在までの20年間に行われた裁判の件数は、ようやく60件ほどに達したばかりで、全容の解明にはほど遠い状況です。その一方で、ルワンダ国内には、法律の専門家ではない一般住民による“ガチャチャ”と呼ばれる司法制度があり、これまでに約200万人が裁かれていますが、裁判としての公正さには大いに疑問があるとされています。

 いずれにせよ、現代史上の一大事件であるルワンダ大虐殺については、関連するマテリアルも少なからずありますので、今後も機会を見つけていろいろご紹介していければ…と思っております。


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 アフガニスタンで大統領選挙
2014-04-05 Sat 11:20
 ハミド・カルザイ大統領の任期満了(憲法の3選禁止規定による退任)に伴うアフガニスタンの大統領選挙が、きょう(5日)、実施されます。というわけで、アフガニスタンでの選挙の切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       アフガニスタン・大統領選挙(1978)

 これは、1978年にアフガニスタンで発行された「アフガニスタン共和国初の大統領選挙1周年」の記念切手で、人々に迎えられるムハンマド・ダ―ウード大統領の姿が取り上げられています。
 
 ダーウードは国王ザヒル・シャーの従弟にして義弟で、1909年生まれ。1953年に王制下のアフガニスタンで首相に就任しましたが、いわゆるパシュトゥニスタン問題でパキスタンと国交断絶。1963年、イラン国王の仲介により両国の関係を正常化する際に辞職しました。

 しかし、王族出身の宰相・ダーウドが対パキスタン関係改善のために辞任したことは、アフガニスタンにおける王族の権威を大きく損ない、以後、アフガニスタンは平民宰相の下で政治的に不安定な状況が続くようになりました。こうした中で、1973年7月、国王ザーヒル・シャーが眼の治療のためにイタリア滞在中、ダーウード元首相を中心に軍の左翼将校と親ソ勢力のパルチャム党が無血クーデタを敢行。国王はローマで退位を表明し、ダーウードがアフガニスタン共和国の大統領兼首相に就任しました。

 この時のダ―ウードの大統領就任はクーデターによるものとして、その正当性に関しては疑義のあるものだったため、1977年、2月14日のロヤ・ジルガによって、彼はあらためて正式な“初代大統領”に選出されました。今回ご紹介の切手は、それから1周年になるのを記念して発行されたものです。

 ちなみに、ロヤ・ジルガというのは、もともと、パシュトー語で“大会議”の意味。もともとは、新国王の選出をはじめ、アフガニスタンにおける重要な政治的問題を討議するため、部族長と長老が参加して行われてきた伝統的な合議機関でしたが、近代憲法の発足後、他国の国会ないしは最高議会に相当する機関と位置付けられることになりました。なお、1977年のロヤ・ジルガには、15%の女性代議員も参加しています。

 さて、ダ―ウードは、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)によるクーデター(4月革命)で他の政府首脳とともに暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立。ソ連軍のアフガニスタン侵攻への道を開くソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約が締結され、苦難のアフガニスタン現代史が幕を開けることになるのです。


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 切手歳時記:吉野のサクラ
2014-04-04 Fri 09:55
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』4月号が発行されました。今月からスタートの僕の連載「切手歳時記」では、初回の今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       吉野熊野国立公園(桜)

 これは、1970年4月30日に発行された「吉野熊野国立公園」の切手のうち、吉野山のサクラを取り上げた1枚です。

 修験道の開祖とされる役小角(伝承によれば634-701)は吉野の金峯山で修業をしているときに、金剛蔵王大権現(蔵王権現)が姿を現したので、その姿を山中で得た桜材に彫刻したといわれています。

 わが国では、仏教の浸透に伴い、日本古来の神道と仏教が混じり合う神仏習合の現象が起こり、日本の神々は仏や菩薩などが姿を変えて日本に現われたものとする本地垂迹説が唱えられました。そうした中で、蔵王権現は、仏教の釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊が合体して日本人の前に姿を現したものとされ、修験道の本尊となりました。

 役小角が蔵王権現を認識して以来、桜は神木として扱われるようになり、行者(山伏)たちの間では、桜の枝を折る者は指一本を切るという厳しい掟の下、桜材を用いて権現の像をつくり、それを祀る習慣が生まれます。

 さらに、平安時代に入ると、蔵王権現に願をかけようとする人々が桜の苗を寄進したことで、吉野の山には数多くの桜が植えられるようになり、吉野は桜の名所となりました。

 8キロにも及ぶ吉野山の地域にはヤマザクラを中心に3万本を越える桜が植えられていますが、特に、桜の木が集まっている場所として、下千本(近鉄吉野駅から山上へ上がる七曲坂周辺)、中千本(五郎兵衛茶屋から如意輪寺にかけての一帯)、上千本(火の見櫓から花矢倉にかけての坂周辺)、奥千本(吉野水分神社から金峯神社にかけて。また苔清水、西行庵付近)があり、4月初旬から末にかけて、麓の下千本から順に山上へと向かって開花していきます。ただ、今回ご紹介している切手が発行されたのは、1970年の4月30日でしたから、桜が残っていたのは奥千本のあたりだけになっていたかもしれません。

 なお、1928年に現在の吉野駅が開業するまでは、旧吉野駅(現・六田駅)から吉野川を渡り、東尾根筋に沿って下千本に出る道が吉野山への参道で、その両側の桜並木は「長峯の桜」と呼ばれていました。しかし、現在では、この道は参道から外れ、桜に代わって杉やヒノキが植えられています。

  切手は、吉田忠司の撮影した写真を暗い青味灰色一色で再現したものですが、じっと見ていると、桜の花の部分がほんのりと赤味を帯びているようにも感じられるから、不思議なものです。

 切手が発行されたのは1970年3月に始まる大阪万博の会期中で、当時の日本社会は、高度経済成長の最終コーナーを曲がり、昭和元禄の華やいだ空気に満ち溢れていました。しかし、「吉野のサクラ」の切手から漂ってくるのは、それとは対極にあるような静謐な雰囲気。画面の遠くに広がる里山とあわせて、日本の原風景を切り取ったような構図は、桜を取り上げた数多の日本切手の中でも、独特の存在感があるといえましょう。

 さて、新しく始まった「切手歳時記」の連載では、昭和の時代に発行された切手の中から、その時々の季節に応じた1点をご紹介していきたいと思っていますので、よろしくお付き合いいただけると幸いです。 


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 イキケの英雄
2014-04-03 Thu 14:11
 きのう(2日。現地時間では1日)、南米チリの北部、イキケの北西100キロ、深さ20.1キロの地点でマグニチュード8.2の大地震が発生。さらに、きょう(3日。現地時間2日)もイキケの南19キロ、深さは約40キロの地点でマグニチュード7.6の余震が発生し、大きな被害が出ています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはイキケに関連する切手として、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       チリ・イキケ海戦75年

 これは、1954年にチリで発行された“イキケ海戦75周年”の記念切手です。

 1879年4月5日、南米大陸・太平洋岸の資源地帯を巡って、チリがペルーとボリビアの同盟に対して宣戦布告。いわゆる“南米の太平洋戦争”が勃発します。

 開戦当初、チリは2隻の艦隊をバルパライソからペルー沖へ派遣し、当時はペルー領だったタラパカ州イキケの海上封鎖を行います。これに対して、5月21日、イキケの封鎖を破るために南下してきたペルー艦隊2隻が、イキケ湾口でチリ艦隊2隻と激突したのが、イキケの海戦です。

 両国海軍の軍艦4隻による激しい海戦は3時間以上続き、チリ側のコルベット艦“エスメラルダ(艦長:アルトゥーロ・プラット中佐)”とペルー側の砲塔装甲艦“ワスカル”(艦長:ミゲル・グラウ大佐)”の3時間以上にも及ぶ激戦の末、エスメラルダは撃沈され、乗員197名中135名が亡くなりました。戦闘の間、プラット艦長はみずからワスカルに乗り込んで白兵戦で戦おうとしたものの、砲声のために命令が伝わらず2名詞化後に続かなかったこともあって銃撃で倒され、壮絶な戦死を遂げました。なお、人的な被害としてはチリの方が多かったのですが、この戦闘により、ぺルー側は主力艦1隻を座礁で失っており、制海権はチリ側に有利となりました。

 さらに、艦長の壮絶な戦死はチリ国民の戦意を大いに高揚させる効果をもたらし、チリ国軍への入隊志願者は数千人増加。最終的に、チリが戦争に勝利し、イキケを含むタラパカ州を獲得するうえで、大きな原動力となりました。こうしたこともあって、現在なお、プラット艦長はチリ海軍最大の英雄とされており、今回ご紹介の切手にも肖像が取り上げられたというわけです。
 
 さて、日本同様、地震国として知られるチリでは、多数の犠牲者を出した過去の地震や津波を教訓に建築基準を徹底させ、沿岸地域の住民に対する津波の危険性の周知活動や避難訓練にも力を入れています。こうしたこともあって、今回の地震でも、建物などの被害は大きかったものの、現地時間の2日までに確認された死者は6名にとどまり、しかも、瓦礫などの下敷きになって亡くなったのは2名だけで、残る4名の直接の死因は心臓発作だったのは、不幸中の幸いといえましょう。また、住民の多くは平静を保っており、刑務所から脱走した293人の囚人のうち131人が自主的に戻っているなど、秩序も保たれているようです。

 こうしたニュースを聞くと、19世紀のイキケの英雄、プラット艦長に対して、21世紀のイキケの英雄はほかならぬイキケ市民ではないかとも思えますね。一日も早い復旧・復興をお祈りしております。
 

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 平等院で落慶法要
2014-04-02 Wed 15:07
 一昨年(2012年)9月から行われていた平等院鳳凰堂の大修理がほぼ終わり、けさ(2日午前)、本尊・阿弥陀如来坐像と堂内の壁に52体ある雲中供養菩薩像に魂を戻す開眼式と落慶法要が、創建者の藤原頼通(992-1074)の940年御遠忌と併せて、営まれました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       鳳凰堂小型シート

 これは、1951年11月に発行された平等院鳳凰堂を描く24円切手の小型シートです。

 1949年6月1日、外国郵便料金の改正があり、船便書状の基本料金は16円から24円に値上げされました。しかし、新料金・24円の切手に関しては、題材の選定が難航したことや、当時の記念・特殊切手乱発の中で作業上の調整が困難であったことなどから、なかなか発行の目途が立ちませんでした。このため、郵政省は、とりあえず、同年8月の「富士箱根国立公園」の24円切手を500万枚発行し、新通常切手発行までの間、これを暫定的に用いるという処置を講じていました。

 一方、1949年6月に開かれた第1回の郵便切手図案審査委員会の席上、出席者の中から当時の現行切手であった「産業シリーズ(産業図案切手)」に関する不満が出され、これに代わるものとして「国宝切手」の発行が急浮上することになります。

 「国宝切手」のアイディアは、占領軍の将校(少佐)として対日経験があり、日本切手を収集していたコンデ(Bruce Conde)が、1949年春頃、総理大臣・吉田茂と逓信大臣・小沢佐重喜に提案していたもので、当初は、現実的なプランとは考えられていませんでした。

 その後、新通常切手のテーマとして、コンデの提案が脚光を浴びるようになると、郵政省は題材選定作業に取り掛かり、著名なもの、日本の美を世界に知らしめるようなもの、各種条件から支障の少ないもの、これまで切手に取り上げられていないもの、などの条件から、平等院鳳凰堂が「国宝切手」の第一段として取り上げられることになりました。

 鳳凰堂は、1053年、藤原頼道が父の道長から譲られた別荘(宇治院)に建立した阿弥陀堂で、定朝作の阿弥陀如来像を本尊としています。正式名称は阿弥陀堂ですが、江戸時代以降、鳳凰堂と呼ばれるようになりました。名前の由来は、建物の棟上両端に金銅の鳳凰が置かれているためとも、阿弥陀堂が鳳凰が翼を伸ばした姿をかたどった,鳳凰造りと呼ばれる形だったからともいわれています。

 題材の決定を受け、郵政省では東京・上野の国立博物館所蔵の写真や各種の絵葉書などをもとに、加曾利鼎造がデザインを担当。1950年9月4日に原画を最終決定しています。

 その後、印刷庁で栗原七三による原版彫刻が行われ、10月2日に初校が完成。同月5日から凹版速刷機による印刷作業が開始され、発行日翌日の11月2日までに初回注文分の100万枚が郵政省にすべて納品されました。

 こうした経緯で企画・制作された鳳凰堂の24円切手は、11月1日から始まる切手趣味週間にあわせて発行されることになり、あわせて、今回ご紹介の小型シートも同日付で発行されました。

 切手と小型シートの発行に先立ち、10月25日付で郵政省が発表した新聞原稿には、この小型シートが、1950年の「切手趣味週間」を記念する意図をもって発行されたものであることが明言されています。以下、その関連部分を引用してみましょう。

 切手趣味週間の開催について
 文化的な趣味として世界的に流行を見ている切手趣味は、吾國でも年を追うて盛んとなり、郵政省では今年も切手趣味界の待望に應えて、愈々十一月一日から七日迄「切手趣味週間」を催すことゝなった
 この週間に華を添えるため、國宝宇治平等院切手の小型シートが別紙発表 の通り十一月一日から全國発賣されるし、又全國主要都市の郵便局では、この週間を記念して切手整理の有樣を図案とした特別のスタンプを使用することゝ成つた

 このように、鳳凰堂切手の小型シートは、実質的には、1950年の切手趣味週間の記念切手として発行されたものでした。おそらく、郵政省としては、前年前々年と続いてきた大型浮世絵切手の発行が中断することになったため、なんとか、これに代わるものを発行したいと考えていたものと思われます。

 しかし、10月27日付で出された発行告示において同年の切手趣味週間についての言及がなかったこと、小型シート上に記念銘がなかったこと、さらに、この小型シートを前例として、以後、国宝図案の普通切手の小型シートの発行が相次いだことなどから、いつしか、鳳凰堂の小型シートが実質的には1950年の切手趣味週間の記念切手であったことは忘れられていきました。

 現在、日本切手のカタログでは、鳳凰堂の小型シートは、同時期の国宝図案の普通切手の小型シート同様、「普通切手の小型シート」に分類されており、記念切手として扱われてはいません。しかし、この小型シートは、その性格からして、やはり記念切手の部にも採録すべきものであると僕自身は考えています。


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 消費税8%に
2014-04-01 Tue 15:22
 きょう(1日)から消費税率が8%に引き上げられ、それに伴い、郵便料金も書状基本料金が80円から82円に、葉書料金が50円から52円に値上げされました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ソメイヨシノ52円

 これは、ことし(2014年)3月3日、今回の料金改定に先立ち、葉書の新料金用として発行されたソメイヨシノの52円切手です。今回の料金改定にあたって発行された新普通切手は、この切手のほかにも何種類かあるのですが、やはり桜の季節ですので、この1枚を持ってきました。

 ソメイヨシノ(染井吉野)は、幕末から明治初期にかけて、江戸・染井村(現在の東京都豊島区駒込6-7丁目付近)の造園師や植木職人により、エドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれた園芸品種の桜です。

 当初、染井村の職人たちには、自分たちの販売している桜が新たな園芸品種という意識はなく、桜の名所として知られた吉野山(奈良県)にちなんで、“吉野”ないしは“吉野桜”の名前で読んでいましたが、1885-86年、東京上野公園内の博物館長であった田中芳男が、農商務省から博物館天産部職員として迎えた藤野寄命に命じて調査させたところ、藤野は精養軒の近くで移植後まもない新種のサクラを数本発見。それが、駒込染井村からもたらされたものであることを確認し、染井から来た吉野桜の意でソメイヨシノと命名しています。

 学術的にその存在が公表されたのは、1900年、藤野が『日本園芸会雑誌』に発表した論文「上野公園桜花の性質」が最初で、翌1901年、松村任三(のち東京帝国大学理学部植物学教室教授、付属小石川植物園初代園長)によって学名が与えられました。

 明治中期以降、わが国で植樹されたサクラの大半はソメイヨシノであり、それゆえ、今日では、ただ単に“桜”といえばソメイヨシノを指すのが一般的になっています。

 サクラを取り上げた切手としては、1872年7月から発行された“桜切手(切手の4隅に桜の花が描かれているという共通点があるため、この名で呼ばれています)”が最初ですが、上述の通り、この時代には、ソメイヨシノという名称はまだありません。

 その後、大正時代の普通切手である“田沢型切手”や、1923年の関東大震災に際して印刷局が罹災した後の応急措置で作られた“震災切手”、昭和14(1939)年に発行された“富士と桜”の20銭切手など、桜を描いた普通切手は幾度か発行されていますが、ソメイヨシノであることを明示して発行された普通切手は、1961年、当時の書状基本料金用に発行された10円切手が最初です。

 ついで、1980年、当時の書状基本料金用として発行された50円切手にもソメイヨシノは取り上げられており、今回発行された52円切手は3件目のソメイヨシノ切手ということになりました。


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