内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 “イスラム国”の樹立を宣言
2014-06-30 Mon 10:25
 イラク北部の主要都市を制圧したイスラム過激派のISIS(イラク・シリアのイスラム国。ISIL:イラク・レバントのイスラム国とも)が、きのう(29日)、ウェブサイト上で声明を発表し、アブー・バクル・バグダーディーを“カリフ”として、シリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラ州までを領域とする“イスラム国”の樹立を一方的に宣言しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイファ・フランス局カバー

 これは、1911年11月26日、現在はイスラエル領となっているハイファのフランス局からドイツ宛に差し出されたカバーで、フランスのレヴァント用切手(1ピアストル)が貼られています。消印には地域名として“シリア”と表示があるのがミソです。

 今回、“イスラム国”の樹立を宣言した組織のアラビア語での名称は、“الدولة الاسلامية في العراق والشام‎”で、これは、直訳すると“イラクとシャーム(الشام)のイスラム国家”となります。

 ここでいう“シャーム”というのは、地中海東岸、いわゆる歴史的シリアに相当する地域で、欧米語ではレヴァントと呼ばれている地域とほぼ同一です。地域概念として厳密な定義はないのですが、最も広くとらえると、現在の国名でいうギリシャ、トルコ、シリア、キプロス、レバノン、イスラエル・パレスチナ、エジプトにまたがる地域ということになりますが、現在では、地中海東岸のアラブ地域として、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル・パレスチナを指すことが多いようです。

 いずれにせよ、このシャームを“シリア”と訳すと、件の組織の英文名称は“Islamic State of Iraq and Syria(ISIS:イラク・シリアのイスラム国)となり、“レバント”と訳すと“Islamic State of Iraq and the Levant(ISIL:イラク・レヴァントのイスラム国)となるわけで、日本の報道では両者が混在しているためにわかりづらいのですが、どちらも同じ組織です。なお、アラブ世界では、アラビア語の頭文字を取ってダーイシュ(داعش)という略称が用いられているので、それをそのまま用いるのが混乱は少ないのではないかと思います。ちなみに、アラビア語の略称がそのまま日本語でも用いられている例は、PLO傘下のファタハや、いわゆるイスラム原理主義組織のハマス等の事例もありますので、それほど突飛なことではないと思います。

 さて、第一次大戦以前、オスマン帝国の支配下に置かれていたレバント地域では、オスマン帝国の郵政とは別に、列強諸国の郵便局が活動していました。その先鞭をつけたのはロシアで、1721年にサンクトペテルスブルグ=イスタンブール間で外交文書を運んだのが最初です。その後、ロシアは1774年にイスタンブールの領事館で郵便物の定期的な取り扱いを開始。以後、ロシアが“治外法権”を援用するかたちで郵便網を拡充していったことで、列強諸国もこれに続くことになります。

 今回ご紹介のカバーのハイファを含むパレスチナの地域では、1852年にフランスとオーストリアの両国が郵便局を開設したのを皮切りに、1856年にロシアが、1898年にドイツが、1908年にイタリアが、それぞれ、郵便局を開設しています。

 このうち、フランスは、1852年、ヤッファ(ジャッファ)に最初の郵便局を開設し、以後、1890年にエルサレム局を、1906年にハイファ局を開局しています。当初、ヤッファのフランス局ではフランス本国の切手がそのまま使われていましたが、1885年以降、現地通貨に対応した加刷切手が発行され、1902年からは“仏領レヴァント”切手が持ち込まれて使用されました。なお、パレスチナのフランス局が取り扱った郵便物は、フランス本国のほか、イタリア、イギリス、アメリカ宛に限定されており、各局から集められた郵便物は地中海東岸沿いに、アレクサンドレッタ、コンスタンティノープル(イスタンブル)を経由して、各地に運ばれています。

 いずれにせよ、今回ご紹介のカバーは、現在はイスラエル領となっている地域で“レヴァント”表示の切手が使われ、“シリア”表示の消印が使われているわけですが、このことは、第一次大戦の結果、英仏によりオスマン帝国の支配地域が分割されて現在のアラブ諸国の基本的な枠組が形成される以前は、東地中海のレヴァントなり歴史的シリアなりが歴史的に一体性を持った地域であったことを物語っていると言えましょう。

 さて、7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。講座では、第一次大戦後、オスマン帝国の崩壊により現在の中東諸国の枠組ができあがっていくプロセスについても、当時の切手や郵便物等を使ってわかりやすく解説する予定です。名古屋エリアの方は、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。 


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 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 切手で訪ねるふるさとの旅:香川県
2014-06-29 Sun 22:55
 『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第28号(2014年7月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は香川県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      国土緑化・屋島

 これは、1988年5月20日に発行された“国土緑化運動”の切手で、源平合戦で知られる屋島の風景の中に県鳥のホトトギスと県木のオリーブが描かれています。

 1988年の全国植樹祭は、国土緑化推進委員会と香川県の共催で、5月22日、仲南町と満濃町にまたがる満濃池森林公園で行われました。テーマは「今、人と緑のふれあいを」です。

 通常、全国植樹祭には天皇・皇后によるお手植え・お手まきの行事が行われますが、今回の植樹祭は、前年の1987年9月に昭和天皇が腸の手術を受けて養生に努めていたこともあり、皇太子ご夫妻(今上陛下)が名代として臨席することになりました。

 式典では、前回開催県の佐賀県から香川県への大会旗の引き継ぎ、緑の少年団による三旗(国旗・大会旗・佐賀県旗)掲揚についで、郵政大臣(中山正輝)から香川県知事(平井城一)への記念切手初刷の贈呈セレモニーが行われました。さらに、中国陝西省代表から香川県知事へのシロマツの苗木の贈呈 、国土緑化功労者などの表彰の後、皇太子・明仁親王による昭和天皇のお言葉の代読と大会会長(衆議院議長・原健三郎)の答辞があり、最後に皇太子ご夫妻によるお手植え(ヒノキの苗)とお手まき(オリーブの種子)が行われました。

 なお、今回ご紹介の緑化運動切手は、植樹祭当日が日曜日だったため、前々日(金曜日)の5月20日に発行されています。

 さて、今回の記事では、このほか、瀬戸大橋、旧金毘羅大芝居、栗林公園、丸亀城、二十四の瞳、志度寺を取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 サライェヴォ事件100年
2014-06-28 Sat 12:10
 1914年6月28日に第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件が起こってから、きょうでちょうど100年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      墺太利・サライェヴォ事件100年

 これは、ことし(2014年)5月14日にオーストリアが発行したサライェヴォ事件100周年の小型シートで、オーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドとゾフィー妃の暗殺場面を背景に、在りし日の夫妻の肖像が取り上げられています。

 フェルディナンド大公は、ハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの甥で、当初は、帝国の皇位継承とは無関係とみられていましたが、皇太子のルドルフ1世が1889年に亡くなったため、皇位継承者として急浮上します。

 大公にはボヘミアの伯爵家出身でテシェン公家の女官であったゾフィー・ホテクという恋人がいましたが、皇室は、チェコ人の女官のような身分の低い女性と結婚するのに反対し、大公と激しく対立します。結局、ゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に2人の結婚は承諾されるのですが、結婚後もゾフィーに対する冷遇は続き、劇場などでも大公との同席は許されませんでした。

 一方、当時のハプスブルク帝国においては、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの情勢不安が深刻な問題となっていました。

 オスマン帝国の支配下に置かれていたボスニア・ヘルツェゴヴィナは、1878年のベルリン会議でオーストリアに占領されることになり、1908年からは正式にオーストリア=ハンガリー二重帝国領に編入されました。これに伴い、1879年以降、この地域ではハプスブルク家の紋章を取り上げた切手が使用されています。

 これに対して、セルビア人をはじめとするこの地域のスラブ系住民は、ハプスブルク家の支配に反発し、セルビアや他の南スラヴ諸国への統合を望んでおり、社会的に不安定な状況が続いていました。

 こうした中で、1914年、ハプスブルク帝国は大公夫妻にボスニア・ヘルツェゴヴィナの中心都市であったサライェヴォを訪問させ、セルビア人に対する宥和姿勢を演出しようとしました。その日程は、大公夫妻の結婚記念日にあたる6月28日に設定されましたが、この日はセルビアにとって重要な祝日である聖ヴィトゥスの日であるとともに、1389年にセルビアがオスマン帝国に敗北を喫したコソボの戦いの日でもありました。このため、ハプスブルクの支配を嫌うセルビア民族主義者は、“侵略者の手先”である大公のサライェヴォ訪問に憤激。この機会をとらえて、秘密組織黒手組のガブリロ・プリンチプ(小型シートの余白・左下の人物です)が夫妻を暗殺したというわけです。

 さて、7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。講座では、今回取り上げたサライェヴォ事件のみならず、ハプスブルク帝国・ロシアのロマノフ朝・ドイツ帝国の欧州三大帝国の崩壊についても、当時の切手や郵便物等を使ってわかりやすく解説いたします。名古屋エリアの方は、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。 


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 小さな世界のお菓子たち:アイスクリームの切手
2014-06-27 Fri 20:58
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第24号(2014年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ホーキーポーキー(2011)

 これは、2011年にニュージーランドで発行された“ホーキーポーキー・アイスクリーム”の切手です。

 ニュージーランドでは食後のデザートはアイスクリームが定番。なかでも、キャラメルの粒を混ぜ込んだ“ホーキー・ポーキー(Hokey Pokey)”はニュージーランドを代表する甘味の一つです。

 もともと、ホーキー・ポーキーとは、日本語でいう「ちちんぷいぷい」のような意味のないおまじないの言葉だったようですが、19世紀末から20世紀にかけて、ニューヨークの街頭などではイタリア系の露天商がアイスクリームを売る際に“Hokey Pokey, penny a lump, The more you eat the more you jump!(ホーキー・ポーキー、ひとつ1ペニー。食べれば食べるほどジャンプする)”などと歌いながら街中を練り歩いていました。

 そこから転じて、露店のアイスクリームを意味する俗語として使われるようになりましたが、特にニュージーランドでは、砂糖や蜂蜜、水飴を火にかけ、ベーキングパウダー加えた後、飴状になるまで練ってキャラメル状にしたものや、それを混ぜ込んだアイスクリームを指す単語となりました。なお、アイスクリームに混ぜ込むホーキー・ポーキーには、固くカリカリのタイプとねっとり粘り気のあるタイプの2種類があるので、注文するときには注意が必要です。

 今回ご紹介の切手は2011年に発行の“キウィ・スタンプ”の1種で、青空の下のホーキー・ポーキー・アイスクリームの写真が取り上げられています。キウィ・スタンプというのは、大きさ130 x 235ミリ、厚さ6ミリ、重さ500グラムまでの書状基本料金用の切手で、現行料金は70セント。切手には額面の数字が表示されておらず、将来的に郵便料金が値上げされてもずっと書状基本料金用として有効な永久保証切手の1種で、今回ご紹介のモノは、目打風に型抜きしたシール式の切手になっています。


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 コルシカの独立闘争に幕
2014-06-26 Thu 20:26
 地中海に浮かぶコルシカ島でフランスからの独立を求めて武力闘争を続けてきたコルシカ民族解放戦線(FLNC:Front de la Liberation Nationale de la Corse)が、きのう(25日)、40年近くにわたって続けてきた武力闘争を放棄すると発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・コルシカの紋章

 これは、1946年にフランスで発行された各地の紋章の切手のうち、コルシカ島を管轄するコルス県の紋章を取り上げた10サンチーム切手です。ちなみに、当時の旧コルス県は1975年に島の南半分を占めるコルス=デュ=シュド県と北半分の オート=コルス県に分割されています。分割に先立つ1970年には、コルシカ島全域を管轄する自治体としてコルス地域圏が設置されましたが、これは、1991年に現在のコルス地方公共団体に改組されています。

 さて、18世紀初頭までのコルシカ島はジェノヴァ共和国の支配下にありましたが、1729年12月、徴税を巡るトラブルから農民反乱が発生。翌1730年、コルシカ側は革命評議会を召集し、3名の代表がジェノヴァと交渉して事実上の独立を勝ち取ります。その際、独立後の政体として王制が良いとされ、ハプスブルク家のカール6世(スペイン王にして、ナポリシチリア、サルディニアの王も兼ねていました)にコルシカ王位に就くことを依頼したものの拒絶され、さらに、コルシカ王になると名乗りを上げてきたテオドール・ド・ノイホフは、実際にコルシカ島に上陸すると、その貧しさに失望して逃走してしまいました。

 こうした混乱を見たフランスは、1737年、地中海の要衝であるコルシカを制圧すべく軍事干渉を開始。以後、コルシカ占領を狙うフランス軍とこれに抵抗するコルシカ側との戦闘が断続的に続きましたが、1769年、フランスがコルシカ全島を制圧。コルシカ側の指導者であったパスクワーレ・パオリは亡命を余儀なくされ、翌1770年、コルシカ島はフランス領となりました。ちなみに、今回ご紹介の切手の紋章は“ムーア人の頭”と呼ばれており、パオリを首班とするコルシカ共和国の旗にも用いられていたデザインです。

 こうした歴史的経緯に加え、コルシカ島内では、フランス語に加え独自のコルシカ語が用いられていることもあり、コルシカ内ではフランスからの分離を求める勢力が、常に、一定数存在していました。

 今回、武装闘争を放棄したFLNCは、1975年8月、自治主義勢力のピエ・ノワールとフランス治安当局との間で衝突が生じ、ピエ・ノワールが非合法化されたことをきっかけに、翌1976年に設立された過激派組織で、島内でフランス関連の施設などを標的にした爆破や強奪、襲撃といったテロ事件を起こしています。

 これに対して、フランス当局は1982年に地方分権政策の一環としてコルシカ地域議会を設置。これにより、コルシカの自治拡大は要求するものの、フランスからの独立までは考えていなかった一般のコルシカ住民は満足し、FLNCは急速にその求心力を失うことになります。追いつめられた彼らは、1997年には銀行や政府機関を狙った連続爆破事件を起こしたほか、1998年には当時の知事を暗殺するなど過激化したため、フランス政府は厳しい取り締まりを実施。2003年にはFLNCの分派が武力闘争の放棄を発表したものの、その後も散発的にテロが続けられていました。

 ちなみに、コルシカ島といえば、なお、皇帝ナポレオン・ボナパルトの出身地として有名ですが、彼の父親であったシャルル・マリ・ボナパルトはパオリらの独立派に対しては批判的な親仏派の人物で、フランスによるコルシカ領有後、最初の総督として派遣されたマルブフとも個人的な親交を結んでいました。そのことによって、ボナパルト家はフランス貴族の身分を獲得。息子のナポレオンもフランス国籍を持ち、フランス本土の士官学校への入学資格を与えられたというわけです。


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 コロンビアに続いてギリシャ
2014-06-25 Wed 11:08
 今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”がやってきました。現在開催中のサッカーW杯は、日本はコロンビアに負けて決勝トーナメントへの進出は果たせませんでした。この結果、1次リーグC組からは日本戦以前に決勝進出を決めたコロンビアに続き、ギリシャが決勝に進むことになりました。というわけで、昨日のコロンビアの記事と平仄をあわせる意味で、きょうはギリシャの朝鮮戦争関連でこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ギリシャ国連軍宛カバー

 これは、朝鮮戦争末期の1953年5月6日、アテネから朝鮮半島に派遣されたギリシャ軍の兵士宛に差し出された軍事郵便のカバーです。

 朝鮮践祚の勃発後、国連の要請を受けたギリシャは、第2次大戦と戦後のギリシャ内戦に参加したヴェテランを中心に、空軍および陸軍の兵力を朝鮮に派遣しています。

 このうち、空軍からは、輸送機のダグラスC-47sが7機と67名の将兵が1950年11月11日にエレフシナ空軍基地を出発し、12月3日、韓国に上陸しました。ギリシャ空軍は直ちに米空軍と合流し、1951年5月14日以降、ソウル近郊の金浦空港を拠点に、1955年5月23日まで2916回、計1万3777時間の輸送業務に従事し、韓国・国連側の7万568名(うち負傷者9243名)と大量の物資を運搬しました。

 一方、陸軍に関しては、当初、旅団規模の兵力の派遣が計画されていましたが、1950年秋に国連軍が38度線を越えて中朝国境まで到達したことを受けて、大隊規模の派遣に縮小され、当初は、ギリシャ陸軍の第1、第8、第9歩兵師団からの志願者849名で構成されることになりました。なお、国連軍に参加したギリシャ軍は“スパルタ大隊”と呼ばれています。

 スパルタ大隊は1950年11月15日にピレウス港を出航し、12月9日に釜山に上陸。16日に水原に移動し、米第7騎兵連隊の指揮下に入り、38度線近くの陣地争奪戦で中国人民志願軍と戦いました。中国人民志願軍との戦闘では損耗も激しかったため、1951年8月23日には兵力は1063名に倍増され、1953年7月の休戦までその規模が維持されています。具体的な戦闘としては、1951年10月3-10日、28名の戦死者を出しながら丘の占領に成功した“スコッチ・ヒル(313高地)の戦い”等が有名です。

 休戦後もギリシャ軍は停戦監視のために朝鮮駐留を続けたため、兵力は1955年4月の時点で2163名にまで拡大しました。しかし、1955年9月、トルコ最大の都市イスタンブルで大規模な暴動が発生し、ギリシャ系住民が多数殺害されると、ギリシャ政府は事態に対処するため、同年12月までに191名の連絡要員を残してスパルタ大隊を引き揚げさせました。その後、朝鮮駐留のギリシャ軍は縮小を重ね、1958年5月、最後まで残っていた10名が帰国しています。

 さて、現在、朝鮮戦争を題材とした本を今夏に刊行すべく、準備を進めています。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 明日はコロンビア戦
2014-06-24 Tue 15:06
サッカーのW杯は、日本時間の明朝(20日)、日本代表がコロンビアと対戦します。というわけで、明日の試合当日は朝鮮戦争が始まったユギオ(625)の日でもありますので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・国連軍

 これは、1955年にコロンビアが発行した朝鮮戦争派遣部隊顕彰の切手です。

 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、7月7日、国連安保理は北朝鮮の南侵を食い止めるべく、国連軍(正確には国連派遣軍)の創設を決議。翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任しました。

 国連軍が創設されると、コロンビアはフリゲート艦1隻(アルミランテ・パディラ)と歩兵1個大隊(通称“コロンビア大隊”)を派遣しています。

 朝鮮半島に最初のコロンビア大隊が上陸したのは1951年6月のことで、彼らは8月1日に米陸軍第24歩兵師団の指揮下に配属されましたが、翌1952年には第31歩兵連隊の指揮下に移っています。なお、最初のコロンビア大隊は1952年7月に後続部隊と交代。その後、1952年11月と休戦直前の1953年6月にも部隊の交代が行われており、計4大隊で累計4314名の将兵が朝鮮の地を踏みました。その数は、当時のコロンビア全軍の2割強にも相当するものでした。

 コロンビア大隊は、ノマド作戦(1951年10月、中部の米第9軍団の担当地域で、新たに臨津江北方に突出する“ミズーリ・ライン”の確保を目指した作戦)などに参加したほか、1953年3月23-26日にかけて行われた“オールド・バルディ(米軍が命名した朝鮮半島中西部の丘の名)の戦い”では3日間で38名の戦死者を出す激戦を戦っています。

 また、戦闘もさることながら、熱帯地域出身の彼らを悩ませたのが朝鮮半島の冬の寒さで、多くの凍傷患者が出ていることもみのがせません。ちなみに、朝鮮戦争におけるコロンビアの戦死者の総数は141名、戦傷者は556名で、休戦協定の成立後、コロンビア大隊は1954年中に祖国への復員を果たしています。

 さて、現在、朝鮮戦争を題材とした本を作っています。もともと、昨年の休戦60年に合わせて某社から出そうかと準備を進め、原稿もかなり書いていたのですが、諸般の事情でそれがお蔵入りになって原稿が宙に浮いていたところ、急遽、今月に入って別の出版社が拾ってくれることになり、今夏の刊行を目指して作業を進めているという状況です。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 明日から台北國立故宮博物院展
2014-06-23 Mon 14:13
 あす(24日)から、東京国立博物館で特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」 がスタートします。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      故宮名品・グリーティング

 これは、2013年11月22日、台湾が発行した“故宮古物”の普通切手(グリーティング)で、台北の國立故宮博物院を代表する名品4点が田型で取り上げられています。

 切手に取り上げられている“古物”は以下の通りです。

 ・翠玉白菜(左上):半分が白、半分が緑のヒスイ輝石を原石とし、空洞などの欠陥箇所を活かして、バッタとキリギリス(多産の象徴とされる)がとまった白菜の形に彫刻したもので、高さ19センチ。もともとは、清朝・光緒帝(在位1875-1908年)の妃であった瑾妃の持参品と考えられています。

・蓮花式温碗(右上):國立故宮博物院が所蔵する21点の汝窯の製品のうち、最高傑作とされる1点で、高さ10.3センチ、足径センチ。汝窯は、北宋(960-1127年)の時代に官窯(朝廷の直轄窯)に指定された窯で、特有の青釉薬を使用し、淡い青色の表面に細かな貫入が入った青磁として有名です。

・肉形石(左下):瑪瑙の持つ赤と白の縞目で豚バラの角煮の赤身と脂身の層を再現した宝飾品。翠玉白菜と並ぶ清代工芸の傑作とされています。

・毛公鼎(右下):1843年、陝西省岐山県で出土した青銅の礼器で、胴内には、名分としては世界最長の32行、500文字が刻まれています。

 さて、台北の國立故宮博物院は、国共内戦の末期、蒋介石の国民党政権が台湾へと撤退する際に北京の故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計60万8985 件冊にも及ぶことから世界4大博物館のひとつに数えられています。

 中華人民共和国(以下、中共)は、台湾が自国の領土であるという根拠のない妄想を現在なお放棄しておらず、台湾が事実上の独立国であるという現実を示す表現には倦むことなくクレームをつけています。わが国の主要メディアにおいて、そうした侵略者の意向を過度に忖度するあまり、“台湾政府”、“中華民国”、“台湾の国民”といった表現を使わないという自主規制が設けられています。

 そうした中共のことですから、國立故宮博物院の文物は国民党によって海外に不正に持ち出された国家財産であるという主張を撤回しておらず(共匪という言葉もある通り、現実には、連中こそが中国大陸を暴力によって不法に占拠し、人民を抑圧し続けている強盗集団でしかないと思うのですが…)、これまで、國立故宮博物院の文物が海外に出展される場合には、展示開催国に対して“返還”を請求する恐れがありました。そこで、2011年、わが国では海外美術品等公開促進法を施行し、中国側からの請求に基づく差し押さえを防ぐための法的根拠を整えたことで、今回の展覧会が開かれることになったというわけです。

 そうした経緯を考えるのなら、今回の展覧会については、何が何でも“台北國立故宮博物院”との正式名称を使い続けることで、アジア最悪のファシスト国家の理不尽な圧力には絶対に屈しないぞという姿勢を国民こぞって示すべきだと思うのですが、あろうことか、メディア各社の制作した展覧会ポスターなどからは肝心の“國立”の文字が削除されていたことが発覚。台湾側から抗議を受け、一時は展覧会の開催も危ぶまれるという事件がありました。ちなみに、開催場所の博物館が制作したポスターには、当初から、しっかり“國立”の文字が入っていたそうです。

 まぁ、この件に関しては、本日未明までに東京都内の駅などに掲示されている「国立」の文言のないポスターに紙を貼るなどして修正作業をして対応することで決着したということですが、こうしたことが、友好国である台湾の国民を失望させているか、もっと真剣に考えなければなりますまい。


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 泰国郵便学(31)
2014-06-22 Sun 22:50
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第48巻第3号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、1968年後半のトピックをいろいろと取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・ラーマ2世生誕200年

 これは、1968年12月30日に発行された国王ラーマ2世(イッサラスントーン)生誕200周年の記念切手です。

 イッサラスントーンは、ラーマ1世(トーンドゥワン)の長子として、1768年2月24日に生まれました。1806年に副王に任じられ、1809年に父王トーンドゥワンの崩御を受けてラッタナコーシン王朝の第2代国王として即位します。

 治世の前半は、しばしばビルマと戦い、これを撃退しましたが、カンボジアの支配権をめぐるヴェトナム(阮朝)との戦いでは劣勢に立たされたほか、南部の国境地帯ではクダをめぐって英国と対立しました。

 また、詩聖スントーン・プーをはじめとする詩人を保護したほか、自らも詩人として『イナオ』、『サントーン』、『クン・チャーン=クン・ペーン』などタイの文学史上に残る作品を数多く残した文豪として名を残しています。

 このほか、トーンドゥワン王の時代にビルマとの戦闘で破壊された古刹等の再建に力を注ぎ、ワット・スタット(ワット・スタットテープワララーム)の礼拝堂の扉に精緻な彫刻を施したことでも知られています。ちなみに、ワット・スタットは、もともと、トーンドゥワンの時代の1807年に、スコータイの旧王室寺院、ワット・マハタートに安置されていた黄金の仏、プラ・シー・サーカーヤムニーを招来するために造立が開始され、イッサラスントーンの治世(1809-24)を経て、ラーマ3世(チェーサダーボーディン)の時代の1843年に一応の完成をみました。また、寺院北側にあるジャイアント・スウィング(サオ・チン・チャー)は高さ21メートルの大鳥居のような形状の特異な建造物で、あるいは、寺院そのものよりも観光客の間では有名かもしれません。

 このように、18世紀前半のタイを代表する文化人として、イッサラスントーンの生誕200年にあたる1968年、ユネスコは彼を“世界遺産に匹敵する人物(World Heritage Person)”に認定しています。

 今回ご紹介の切手はユネスコによる認定を受けて、急遽、イッサラスントーンの生誕200年である同年中に何とか間に合わせるべく、12月30日に発行されたものと思われます。というのも、もともと、イッサラスントーンの誕生日は2月24日であり、年初の時点で生誕200年の記念切手を発行することが確定していたら、そのタイミングに合わせての発行を目指すのが自然な発想だったでしょうし、それが無理なら、次善の策として、1824年の忌日である7月21日を切手の発行日に選ぶのが妥当と思われるからです。

 ところで、イッサラスントーンの時代、タイの宗主権下にあったラーオ諸国のうち、ヴィエンチャンではアヌ王が自らの子をチャムパーサック王として送り込んだほか、阮朝とも関係を結ぶなど、バンコクに対して挑戦的な姿勢を示していました。

 こうした中で、1824年にイッサラスントーンが崩御すると、その葬儀に参列したアヌ王はラーオ人の人質を解放するよう求めたが、タイ側はこれを拒否。このことを不満に思ったアヌ王は、ビルマを破った英国が次はタイを攻撃するとの噂を聞き、1827年、ナコーンラーチャシーマーの領主ならびに副領主が不在になった隙をついて、同地を経由してバンコクへ向かうべく、兵を進めました。

 しかし、ナコーンラーチャシーマー副領主の妻、ターオ・スラナーリー(モー夫人)が機転を利かせ、バンコクからの援軍が来るまでアヌ王の軍勢を足止めし、それにより、タイはアヌ王の“叛乱”を撃退することに成功。翌1828年、アヌ王は再びバンコクへの攻撃を試みたものの捕えられ、1829年に処刑されています。そして、ヴィエンチャンは完全に破壊されて廃墟と化し、ヴィエンチャンとチャムパーサックはバンコクの直轄支配下に置かれることになりました。

 今回ご紹介の切手が発行された1968年は、ヴェトナム戦争における米軍の苦境が明らかになった年で、3月31日、大統領のリンドン・ジョンソンはテレビを通じて北爆の部分的中止と、同年秋の大統領選挙への不出馬を表明。以後、米軍の攻撃目標は、北ヴェトナムではなく、内戦下のラオスで北ヴェトナムの補給路となっていた東南部の“ホーチミン・ルート”のエリアと、ソ連の支援を受けたパテート・ラオの支配地域へと移り、タイ国内の基地を飛び立った米軍機は、連日、ラオスに対して激しい空爆を行うようになります。

 (北)ヴェトナムやラオスを攻撃する米軍の後方基地となって経済発展を遂げていたタイにしてみれば、阮朝と戦い、ヴィエンチャンを滅亡させるきっかけを作ったイッサラスントーンのイメージは、ある面で、当時の時代状況と重なる面があったのかもしれません。


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 太陽は新時代の象徴
2014-06-21 Sat 11:42
 今日(21日)は夏至です。というわけで、“太陽”にまつわる切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      アンティグア・バーブーダ 国際青年年

 これは、1985年、カリブ海の島国、アンティグア・バーブーダが発行した国際青年年の小型シートで、太陽をデザインした同国の国旗を掲げる若者たちが描かれています。線描で描かれた人々の中に国旗の部分だけがカラーになっているデザインが印象的な1枚です。

 アンティグア島は、1493年、クリストファー・コロンブスによって発見され、セビリアのサンタ・マリア・ラ・アンティグア教会にちなんで命名されました。当初はスペイン領でしたが、フランス領時代を経て、1667年に英領となります。その後、1860年にコドリントン家の私有財産だったバーブーダ島が英国によって併合されると、両者を一括して英領植民地のアンティグア・バーブーダとなりました。

 1958年、カリブ海の英領の島々を統合して、将来の独立を目指すための西インド連邦が結成されると、アンティグア・バーブーダもこれに加盟しました。ところが、連邦は内部対立からわずか4年で崩壊すると、アンティグア・バーブーダは再び単独で英領植民地に戻り、1967年に自治権を獲得。1981年、近隣のバーブーダ島とともにアンティグア・バーブーダとして英国から独立しました。

 今回ご紹介の切手の国旗は、1967年2月27日に自治権を獲得した際に制定されたもので、地元の教師、レジナルド・サムエルズがデザインを制作しました。中央上部の太陽は新時代を象徴するもので、背景の黒は住民の多数を占めるアフリカ系の人々、白は英国系の人々、青色は希望を、赤色は独立と力を意味しています。

 シートの題材となった“国際青年年”は、“参加・発展・平和”のテーマの下、明日を築く青年を守り育て、ひいては世界平和の建設をめざすという趣旨の下に1985年の1年間を通じて行われた“国際年”の事業ですが、その意味では、新時代の象徴としての太陽を大きく描くアンティグア・バーブーダの国旗は、それ自体、事業の趣旨にも合致したものと言ってよいでしょう。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。アンティグア・バーブーダも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 外国切手に描かれた日本(電子版)
2014-06-20 Fri 08:33
 このたび、2003年に光文社新書の1冊として刊行された拙著『外国切手に描かれた日本』が電子書籍として配信開始となりました。つきましては、日頃、このブログを閲覧していただいている皆様に、配信開始のご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      外国切手に描かれた日本(表紙)

 使い古された表現ですが、切手は“小さな外交官”と呼ばれることがあります。

 これは、切手が、郵便料金が前払いされたことを示す証紙であるだけではなく、その国の自然や文化遺産、政策やイデオロギー、社会状況などを対外的に発信する国家のメディアとしても機能していることによる表現です。

 ところで、“外交官”である以上、切手には時として他国の姿が刻み込まれることもあります。

 たとえば、国家元首が外国を訪問したり、外国の要人を迎えたりした際に記念切手を発行する国は多く(じっさい日本でも昭和天皇の御訪欧御訪米の際には記念切手が発行されています)、国交樹立の周年記念行事や、“日本におけるXX年”といった2国間の友好推進イベントに際して記念切手が発行されることも珍しくありません。また、オリンピック万国博覧会など、国際的なイベントに際しては、主催国以外の国からも記念切手が発行されています。

 当然のことながら、われらが日本の姿も、こうした文脈に沿って、外国の切手に取り上げられています。

 このような理にかなった動機から“日本”を取り上げる外国の切手がある一方で、外貨獲得のために日本人マーケットをねらった“商品”としての切手も濫発されています。

 そのいずれの場合であっても、国家の名によって発行される切手上で表現された“日本”の姿は、良くも悪くも、発行国における日本のイメージが反映されたものであり、また、日本に対する理解度をしめす指標として、きわめて興味深いものといえましょう。

 特に、外貨獲得の目的が露骨にうかがえる切手は、切手収集家からは“いかがわしい切手”として忌避されることが多いのですが、見方を変えると、外国人が“日本”の何に商品価値を認めたのか、また、それは時代とともにどのように変化してきたのか、といった問題を考えるうえできわめて重要な資料となっています。

 以上のようなことを踏まえて、本書では、“日本”を取り上げた外国切手の中から、特に興味深いと思われるものを選び、その内容に応じて、以下のような構成で、さまざまな角度から分析しています。

 第1章 フジヤマ・ゲイシャの切手たち
 戦前期の外国切手に取り上げられた“日本”について簡単に触れた後、1950年代以降、東京と札幌の2回のオリンピック、大阪万博などを経て、世界第2位の経済大国となった“日本”を取り上げる切手が世界中から発行されるようになっていくまでの歴史的な経緯をたどりました。その際、外国人デザイナーがフジヤマ・ゲイシャのイメージで制作した切手について取り上げることは勿論、並行して、外国においても浮世絵が美術切手の題材として定着していく過程についてもまとめています。

 第2章 外国切手に登場した日本人
 日本人を題材とした外国切手のうち、特に興味深いモノをピックアップし、それぞれの人物について、発行国がいかなる意図をもってその人物を切手上に取り上げたのか、まとめてみました。

 第3章 「原爆切手」騒動記
 1994年末に日米間で外交問題化した“原爆切手”をめぐる騒動の経緯を洗い直すことによって、国家のメディアとしての切手の持つ意味や、そこに表現された歴史認識の問題などについても考えてみました。

 第4章 メイド・イン・ジャパンの外国切手
 前章までとは少し視点を変えて、日本人の手によって作られた外国の切手について、その歴史的な展開をたどっています。特に、清朝の切手製造を請け負った築地活版製作所や、日中戦争下の蒙疆政権の切手を作ろうとした吉田一郎の物語、大蔵省印刷局による外国切手製造の歴史などにご注目いただけると幸いです。

 本書は、2012年には内容の一部が国士舘大学の入試問題にも取り上げられたこともあり、僕の代表作の一つとして紹介されることもありますが、何分にも、刊行から10年が過ぎて印刷物としては入手が困難になっており、皆様にご迷惑をおかけしておりました。それが、今回、電子書籍として復活したことは、著者として嬉しい限りです。

 なお、2003年刊行の新書の電子書籍という性格上、内容的にいささか古くなっている部分もありますし、誤記などの修正個所は最小限で図版もモノクロのままですが、電子書籍の特性を生かし、拡大してご覧いただけるようになっております。

 電子書籍は、まだまだ、著者・出版社ともに手探りの状態が続いている分野ですので、今後ともよろしくご指導・ご支援いただけると幸いです。

 *昨日、カウンターが138万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

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 明日はギリシャ戦
2014-06-19 Thu 14:30
 サッカーのW杯は、日本時間の明朝(20日)、日本代表がギリシャと対戦します。というわけで、今日は日本×ギリシャということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アテネ=東京聖火リレー航空便

 これは、1964年の東京五輪に先立ち、同年8月21日、ギリシャ・オリンピアで行われた聖火採火式の記念印を押して東京宛に差し出された葉書の航空便で、1963年8月1日発行の「第11回世界ジャンボリー(同年7月29日から8月16日までマラトンで開催された)」の記念切手が貼られています。

 東京オリンピックの開会式に先立つ聖火リレーは、1964年8月21日(以下、日時はすべて現地時間)、ギリシャ国王コンスタンティノス2世臨席の下、オリンピアにあるヘラ神殿跡で聖火が採火されたところから始まりました。

 国王コンスタンティノス2世は、1964年3月6日、父王パウルス1世の崩御に伴い、国王として即位しました。その直前の2月9日にオーストリアのインスブルックで行われていた冬季オリンピックは閉幕していたため、8月21日の採火式は国王として参加した最初のオリンピック大会関連行事となりました。ところが、ギリシャでは1967年4月21日に軍事クーデターが発生し、同年12月、国王一家はローマに脱出。国王不在のまま、軍事政権は1973年に共和制を宣言し、民政移管後の翌1974年には国民投票により君主制の廃止が正式に決定されています。このため、コンスタンティノス2世にとっては、東京オリンピックがギリシャ国王として関わった唯一の大会となりました。

 採火式の後、聖火は古代オリンピアの競技場で東京オリンピック組織委員会会長の安川第五郎と聖火空輸派遣団長の高島文雄らに引継がれた後、アテネに運ばれ、“シティ・オブ・トウキョウ”号によって、8月23日、次の目的地であるイスタンブルまで運ばれました。

 ところで、今回ご紹介の葉書には、エアメールの表示としてプロペラ機をあしらった印が押されていますが、実際、採火式翌日の8月22日午後3時15分、オリンピアからアテネに運ばれてきた聖火を次の目的地、トルコのイスタンブルへ運んだ特別機“シティ・オブ・トウキョウ”号は、ダグラスDC-6Bというプロペラ式のレシプロ機でした。

 当時、わが国の国際航空路線を独占していた日本航空は、1960年8月12日、羽田=ホノルル=サンフランシスコ線で初のジェット機としてDC8型機を就航させていました。しかし、旧型のDC-6B型機に“シティ・オブ・トウキョウ”という名前の機体があったため、あえて、聖火運搬用の特別機としてはこちらが採用されています。

 ただし、もともと“シティ・オブ・トウキョウ”と呼ばれていた機体は、日本航空の所有するDC-6Bの中でも最も古いものだったため、DC-6Bの中では最新の機体だった“シティ・オブ・ナゴヤ”号を臨時に塗り替えて“(新)シティ・オブ・トウキョウ”号とし、ギリシャに派遣されたということです。

 * 本日のラジオ放送への出演は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。 

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 ラジオ出演のお知らせ
2014-06-18 Wed 20:28
 きのう(17日)の記事でご紹介した英領ギアナの1セントは、結局、790万ドル((20%の落札手数料を加えた支払総額は948万ドル。約9億5000万円)で落札され、世界で最も高価な切手の地位を奪還しました。この件に関して、明日(19日)、東京FMの番組「中西哲生のクロノス」に朝8時過ぎから、電話で生出演することになりました。というわけで、昨日に続いて、英領ギアナの1セントに絡めて、こんなマテリアrのご紹介です。(画像はクリックで拡大されます)

      趣味週間チラシ

 これは、1948年11月29日から12月5日に行われた「切手趣味の週間」に際して制作された宣伝用のチラシに、このときの「切手趣味の週間」の記念切手として発行された“見返り美人”を貼り、特印を押したものです。チラシには、世界最初の切手であるペニーブラックと日本最初の切手である龍48文切手、そして、世界最高価の切手として、英領ギアナの1セントが並べて印刷されており、当時から、英領ギアナの1セントが収集家の間で垂涎の的になっていたことがわかります。

 「切手趣味の週間(現・切手趣味週間)」は、切手収集のプロモーション(=郵政当局からすると記念切手を買ってくれる“お客さん”が増えることを意味しています)のため、1947年から行われています。
 
 第2回目となった1948年の開催に際して、逓信省(当時)は、①映画「切手の旅」の制作、②幻灯フィルム「めずらしい切手」の制作、③チラシ(B6版・6色刷)の作製、④外国人向けの英文パンフレットの作製、⑤逓信壁新聞特集号の発行、⑥宣伝切手の発行と記念スタンプの使用、といった企画を立案。そのうちの③として作られたのが今回ご紹介のチラシです。

 チラシとして三つ折り形式で、折りたたむと封筒を模したデザインになります。その折りたたんだ状態と開いた状態(裏側)の画像を下に貼っておきましょう。

      趣味週間チラシ(折りたたんだ状態)     趣味週間チラシ(裏)

 このチラシには、切手貼付および特印の押印スペースに加え、それぞれの切手を再現した3色刷の写真が刷り込まれており、希望者には無料で配られました。戦後間もない当時としては豪華な作りのもので、逓信省の意気込みが伝わってきますな。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。英領ギアナが独立してできたガイアナも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。同展では、今回売りに出された1セント切手は無理ですが、同じデザイン・用紙で、見かけはそっくりの4セント切手を展示する予定です。まだ少し先の話ですが、ぜひ会場に遊びに来ていただけると幸いです。
 

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       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 世界一の珍品切手、競売へ
2014-06-17 Tue 19:05
 “世界一の珍品切手”として知られる英領ギアナの1セントが、米東部時間の17日午後7時、ニューヨークのサザビーズでオークションにかけられます。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ガイアナ・英領ギアナ1セント

 これは、1967年2月23日、独立後まもないガイアナで発行された“英領ギアナの1セント”を描く切手です。

 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、イギリスの3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナでは1850年に、最初の切手として現地製の素朴な切手(糸巻きのシールに似ていることから“コットン・リール”と呼ばれています)が発行されました。

 その後、英領ギアナでは、1852年から帆船(ちなみに、英領ギアナの印章は帆船です)を描く本国製の切手が使われるようになりましたが、1856年、英本国から首府ジョージタウンへの切手の到着が遅れたため、暫定的に現地で印刷された臨時切手が発行されました。

 切手は赤色の着色紙に印刷されており、中央には公報のカットに用いられていた帆船が描かれています。その上下には「Damus Petimus Que Vicissm(求めよ、さらば与えられん)」の銘が入っており、偽造防止のための局員のサインが書き込まれました。なお、当時の英領ギアナの書状基本料金は4セントで、1セントは域内の新聞用の料金です。

 その後、本国から切手が到着すると、暫定的に作られた1セント切手は長らく忘れられた存在となっていましたが、1873年、ジョージタウンで、当時12歳のヴァーノン・ヴォーガンが自宅宛ての古い手紙の中から“見慣れない切手”を発見。ヴォーガンは、通信販売の切手を買うために、近所の雑貨商マッキノンにこの切手を6シリングで買い取ってもらい、“英領ギアナの1セント”の存在が実際に確認されることになりました。ちなみに、マッキノンは英領ギアナ切手のコレクターで、1セント切手が“少ない”ということは知っていましたが、まさか現存1枚とは思っていなかったことに加え、ヴォーガンが持ち込んだ切手の状態があまりにも悪かったため、当初は買い渋っていたそうです。

 1878年、マッキノンはこの1セント切手を含む英領ギアナの専門コレクションをリバプールの切手商トマス・リッドパスに120ポンドで売却。リッドパスは、年内に、1セント切手をパリ在住の著名な収集家でオーストリア国籍のフィリップ・フォン・フェラーリに約150ポンドで転売しました。

 その後、フェラーリは1917年に亡くなるまで1セント切手を持ち続けました。彼の死後、その膨大な切手のコレクションは遺言によりベルリン国立郵便博物館に寄贈されるはずでしたが、時あたかも第一次大戦の最中で、フランスとオーストリアは敵対関係にありましたので、フェラーリコレクションは没収され、1922年、戦時賠償の一環として競売にかけられました。その際、英領ギアナの1セントは30万フラン(17.5%の落札手数料を加えた支払総額は35万2000フラン)でニューヨークのアーサー・ハインドが競り落としています。

 ハインドの存命中、ある人物が2枚目の1セント切手を発見し、彼の元に持ち込むと、ハインドは言い値(非公表)の2倍で切手を買い取り、それを目の前で焼却。「これで英領ギアナの1セントは世界に1枚しかなくなった」と語ったという伝説が残されています。

 ハインドの死後、1セント切手の相続権をめぐって裁判が行われ、1セント切手は未亡人のスカラが相続。彼女は、1935年にロンドンのオークションに切手を出品し、7500ポンドの入札があったものの、彼女の落札最低希望価格に届かなかったため、売買は不成立に終わりました。その後もスカラの希望価格での購入を希望する買い手はなかなか現れず、1940年、ニューヨークのメイシー商会が投資目的で切手を4万ドル(当時のレートで約1万ポンド)で購入しています。

 1970年、メイシー商会はニューヨークで行われたシーゲル社のオークションにこの切手を出品。このときは、切手には全く興味のない投資目的のシンジケート8人が28万ドル(10%の落札手数料を加えた支払総額は30万8000ドル)で落札。彼らは、10年後の1980年に切手をオークションに出品し、大手化学メーカー・デュポン社の御曹司であるジョン・E・デュポンが85万ドル(10%の落札手数料を加えた支払総額は93万5000ドル)で落札しました。

 デュポンは英領ギアナ切手のコレクターで、切手の購入は投資目的ではなく、純粋に趣味ためでした。しかし、1996年1月26日にフィラデルフィアの自宅でレスリングのオリンピック金メダリスト、デヴィッド・シュルツを射殺する事件を起こして逮捕され、裁判で懲役13-20年の不定期刑の判決を受けてペンシルヴァニア州の刑務所に服役。2010年12月9日に獄死したため、今回のオークションでの売り立てとなったというわけです。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。英領ギアナが独立してできたガイアナも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。同展では、今回売りに出された1セント切手は無理ですが、同じデザイン・用紙で、見かけはそっくりの4セント切手を展示する予定です。まだ少し先の話ですが、ぜひ会場に遊びに来ていただけると幸いです。
 

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 切手に描かれたソウル:端午節
2014-06-16 Mon 10:53
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』6月6日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、掲載日直前の2日が端午節だったことから、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・端午節

 これは、1979年4月1日に発行された「韓国美術5000年」の切手のうち、申潤福の「端午風情」(ただし、切手の表示は「端午節」)を取り上げた1枚です。

 朝鮮半島の伝統的な風習では、旧暦5月5日の端午節は、田植えと種まきが終わる時期に山の神と地の神を祭り、秋の豊作を祈願する日で、菖蒲湯で髪を洗い、女性はクネティギ(ブランコ)、男性はシルム(韓国相撲)を行うのが伝統となっています。

 これに対して、クネティギは、『春香伝』で主人公の李夢龍とヒロイン成春香の出会いの場面が有名なため、物語の舞台となった全羅北道の南原のイメージが強いのですが、今回ご紹介の作品は、現在、ソウルの城北区にある澗松美術館の所蔵品なので、取り上げてみました。

 作者の申潤福(号は蕙園)は、1758年、父の申漢秤を含め、代々が朝鮮王朝(李氏朝鮮)の図画署画員という家に生まれました。潤福じしんも画員として僉節制使(従三品)の地位にまでなりましたが、首都と近隣の両班や妓生の風俗、さらには男女の秘め事などを題材にした風俗画を数多く描きすぎたことを咎められ、図画署を追われたといわれており、その没年などはわかっていません。

 「端午風情」は申潤福の代表作の一つで、1805年の作品。画面中央でブランコに足をかけている女性は、髪形や服装、履物などから、妓生の女性であることがすぐにわかります。また、沐浴している女性の髪形も妓生特有のもので、惜しげもなく裸身を晒しています。そして、画面の左奥には、それを岩陰から覗き見している二人の男が描かれているのが、何ともユーモラスです。

 風俗史的に興味深いのは、画面の右手前、頭に荷物を載せた後姿の女性(服装などから、妓生ではなく下働きの女性と思われます)が、チョゴリの裾から乳房を露出した状態で描かれている点でしょう。(下に、その部分を拡大した画像を貼っておきます)

      韓国・端午節(部分)

 朝鮮王朝時代の韓服には、現在のブラジャーに相当するものはなく、チマ(スカート)ないしはチマの下に着るソッチマを“さらし”のように胸にきつく巻き、その上からチョゴリを羽織っていましたが、このスタイルは子供を産んだ母親が授乳するには不便です。このため、庶民の間では、乳飲み子を抱えた母親が胸を露出したままにすることが、自然発生的に行われるようになったようです。

 また、朝鮮王朝時代には、極端な儒教的価値観から「子供を産まない女性には価値はない」とまで言われていましたが、その副作用として、18世紀以降、子供を産んだ証として乳房を露出したチョゴリの姿は、「長男を生んで社会的義務を果たした」ことを示す誇らしいものと見なされるようにさえなりました。

 現在の感覚からすると、女性が乳房を露出して歩くのは野蛮なようにも思えるかもしれませんが、日本でも江戸時代まで(地域によっては昭和初期くらいまで)は女性が人前で上半身裸になることも珍しくありませんでしたから、特に驚くようなことではないでしょう。

 もちろん、そうした史実をそのまま現在の映画やドラマとして放送するわけにはいかないでしょうから、その点でも、申潤福の風俗画は当時の韓国人のリアルな姿を伝える資料として重要な意味があるといえます。


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 オウムとインコの日
2014-06-15 Sun 21:19
 今日(15日)は、“オウム(06)インコ(15)”の語呂合せで、“オウムとインコの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ドミニカ国・国章

 これは、1961年、英領ドミニカ(現ドミニカ国)で発行された国章の切手で、国鳥のミカドボウシインコが描かれています。

 英領ドミニカ(および独立後のドミニカ国)の国章は、独立以前の1961年に制定されました。国鳥のミカドボウシインコが両脇で盾を支えるデザインとなっており、盾には、左上に肥沃な土壌に支えられた椰子の木、右下にドミニカ国の基幹産業でもあるバナナの木、また右上にカエル、左下にカリブ海を行き交うカヌーがそれぞれ描かれています。

 ドミニカ国の国鳥、ミカドボウシインコはドミニカ国の固有種で、標高600-1300mの森林に生息し、果実、種子、花、芽などを食べます。開発による生息地の破壊、食用やペット用の乱獲などに加え、ハリケーンの被害もあって生息数は激減しており、ドミニカ国内では法的に保護の対象とされていますが、密猟はなくなりません。なお、わが国でも、ワシントン条約に基く「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律施行令」で保護の対象とされ、取引が厳しく規制されています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ドミニカ国も加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 コート・ディヴォワールと蹴球
2014-06-14 Sat 11:25
 サッカーのW杯は、日本時間の明朝(15日)、日本代表が初戦の相手コート・ディヴォワールと対戦します。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      コートディヴォワール・サッカー

 これは、1961年、当時のコート・ディヴォワールの首都、アビジャンで行われた“友好大会”の記念切手のうち、サッカーを取り上げた25フラン切手です。

 アフリカで国際的なスポーツ大会を開こうというプランは、1923年、ピエール・ド・クーベルタンが最初に提唱。1924年のパリ五輪から準備が進められ、翌1925年には最初の開催地としてアルジェが内定しました。しかし、準備の過程で、スポーツを通じてアフリカのナショナリズムが高揚することを恐れた各国の植民地当局の反対により、大会は行われないままに終わりました。

 その後、あらためて1928年または1929年にエジプトのアレキサンドリアでアフリカ大会を開催することが計画されましたが、この大会もアルジェ大会と同様の理由で英仏両国の反対により中止されています。

 1958年、フランス第5共和政がスタートし、旧フランス連合は共和国(本国・海外県・海外領土)と共同体構成国からなるフランス共同体に改編されることになり、共同体構成国には、外交・国防・通貨・経済などの権限を除き、大幅な自治が認められることになりました。これを受けて、仏領アフリカには多数の自治共和国が発足しましたが、その紐帯を維持するため、ドゴールは“友好大会(Jeux de l'Amitié)”の名でアフリカを中心とする国際スポーツ大会を計画。1960年4月には、その第1回大会がマダガスカルのタナナリボで開催されました。そして、翌1961年12月に第2回大会として開催されたのが、今回ご紹介の切手のアビジャン大会です。

 さて、コート・ディヴォワールは、1958年12月、フランス共同体内の自治共和国となり、1960年8月7日に正式に独立。初代大統領には、独立運動の指導者だったフェリックス・ウフェ=ボワニが就任しました。

 独立後のウフェ=ボワニ政権は、親仏政策を取るとともに、コート・ディヴォワール民主党(PDCI。もともとはアフリカ民主連合のコート・ディヴォワール支部)による一党独裁体制を敷き、主要産業であるカカオの生産と輸出を国家が管理する体制を構築し、1960年代から1970年代にかけて年平均8パーセントの驚異的な経済成長を達成。アフリカの新興独立国の多くが経済的に低迷を続ける中で、彼の国家運営は“イヴォワールの奇跡”と称賛されました。
  
 さて、コート・ディヴォワールのサッカー代表チームは、正式独立直前の1960年4月13日、タナナリボでの大会でベナン代表と戦ったのが初の公式戦で、3-2で初勝利を挙げています。

 FIFAワールドカップへの参加は1974年が最初のことでしたが、以後、2002年大会まですべて予選で敗退しており(1982年は不参加)、2006年になってようやく初出場を果たし、以後、2010年、2014年と計3回の出場しています。

 ところで、コートディヴォワールでは、1993年にウフェ=ボワニが現職のまま亡くなると、憲法の規定に則って、国民議会議長でPDCI党員のコナン・ベディエが第2代大統領に就任しますが、以後、政局は次第に不安定化。1999年12月には軍によるクーデターが発生。2002年9月には政府軍と反政府勢力との対立から、反政府勢力が国土の北部・西部を支配下に置き、事実上国を二分する内戦状態となりました。

 こうした状況の中で、2005年、コート・ディヴォワール代表がW杯初出場を決めた試合の直後、エース・ストライカーのディディエ・ドログバが、ロッカールームからの中継で国民に内戦の停止と選挙の実施を呼びかけたことで、戦闘が一時休止。さらに、W杯後の2007年6月3日、ドログバが大統領に直訴して、反政府勢力が実効支配していた北部でコート・ディヴォワール代表とマダガスカル代表の試合を実現したことが、南北の和解の糸口となり、その後の暫定和平交渉につながったというエピソードもあります。

 明日の試合では、そのドログバも出場することになるのでしょうが、どんなプレーを見せてくれるのか、楽しみですな。


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 サッカーW杯開幕
2014-06-13 Fri 10:45
 サッカーの第20回ワールドカップ(W杯)ブラジル大会が、現地時間12日、サンパウロで開幕しました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・W杯(1950 地球)

 これは、1950年6月24日、同年のW杯ブラジル大会に際して開催国のブラジルが発行した記念切手で、地球を背景にサッカー選手が描かれています。

 ブラジルにおけるサッカーの歴史は、1894年、サンパウロ出身の英国系ブラジル人(父親がスコットランド人鉄道技師)で当時19才のチャールズ・ミラーが、イングランドで10年間の学生生活を終え、帰国したところから始まります。学生生活の10年間でサッカーに魅せられたミラーは、英国でも評価の高いフォワードとして活躍していましたが、帰国後、ブラジルでは“フットボール”がほとんど知られていないことに驚き、サンパウロ市の東地区、現在のプラス駅付近にブラジル最初のサッカー場を作ってサッカーを普及させようとしました。

 ミラーの活動はすぐに注目を集め、翌1895年には、サンパウロで鉄道会社チームとガス会社チームにより初の試合が行われました。この時の両チームのメンバーはいずれも英国人ないしは英国系でしたが、その後、サッカーは急速に普及し、1901年には、サンパウロ州リーグが結成されるほどになりました。

 ところで、1930年の第1回W杯は、南米のウルグアイで開催されました。これは、当時のサッカー強豪国ウルグアイが1930年に独立100周年を迎えるということに加え、ヨーロッパ中心でアマチュアリズムの五輪に対抗して、世界最高水準の技量を競うというW杯の独自性を打ち出す必要があったためです。

 ウルグアイ開催された大会には、南米7ヵ国(ウルグアイ、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、パラグアイ、ペルー)、欧州4ヵ国(ベルギー、フランス、ユーゴスラビア、ルーマニア)、北米2ヵ国(メキシコ、米国)の計13カ国が参加し、開催国のウルグアイが優勝しました。欧州からの参加が少なかったのは、当時の船旅は選手たちの負担が大きすぎたことによるものですが、結果的に、ウルグアイが優勝したことは南米の新興独立諸国でもサッカーなら“世界一”になれるということを示すものとなり、以後、南米諸国は国威発揚の手段としてサッカーを奨励するようになりました。
 
 特に、第1回W杯が開催された年にブラジルで政権を掌握したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(1930-45年、1951-54年に大統領)は、各州の自立傾向が強く、ポルトガル語とカトリック以外には共通の土壌がないと言われていたブラジルにナショナリズムを定着させるため、サッカー振興に力を注ぎました。

 ヴァルガスによるサッカー振興は、1945年に軍事クーデターで彼がいったん失脚した後も継承され、1946年には、1950年のW杯の大会招致に成功。決勝戦の会場として、世界最大のマラカナン・スタジアムが建設されました。ブラジル国民の多くが自国の優勝を信じて疑いませんでしたが、決勝戦でウルグアイに1対2対の惜敗してしまいます。

 これがいわゆる“マラカナンの悲劇”ですが、結果として、その雪辱を目指す気持ちがブラジル国民に共有されることで、サッカーはより深くブラジル社会に浸透。ブラジル代表は1958年のスウェーデン大会、1962年のチリ大会で連続優勝してサッカー王国としての地位を確立するとともに、サンパウロ出身の主将ベリーニ、黒人のペレやジジ、インディオの血ひくガリンシャらを擁する“混血主義”のチーム構成により、あらゆる地域と階層、人種を統合した“ブラジル国民”のイメージを確立させることになったといわれています。


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 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 南アルプス、エコパークに
2014-06-12 Thu 17:56
 スウェーデンで開かれていたユネスコMAB(人間と生物圏)計画国際調整理事会は、日本時間の12日未明、生物圏保存地域“エコパーク”に、只見(福島県)と南アルプス(山梨、長野、静岡の3県)の新規登録を決定しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      南アルプス(北岳・甲斐駒ヶ岳)

 これは、1967年7月10日に発行された「南アルプス国立公園」のうち、間ノ岳から見た北岳と甲斐駒ケ岳を取り上げた7円切手です。

 南アルプス国立公園は、長野県・山梨県・静岡県の3県にまたがる赤石山脈の主要部分からなる国立公園で、1964年6月1日、国立公園としての指定を受けました。

 切手に取り上げられた北岳は富士山に次ぐ日本第2の高峰で高さは3193m。間ノ岳、農鳥岳とともに甲府盆地を抱く白峰三山を構成しており、南アルプスの盟主とも呼ばれています。

 一方、北岳の奥に見える甲斐駒ケ岳は、南アルプス北端の山梨県北杜市と長野県伊那市にまたがる標高2967mの山で、花崗岩の山肌は夏でも白く望まれることから、名山として多くの文学作品に取り上げられてきました。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を発行した際の郵政大臣の小林武治は、1899年、長野県小諸市生まれ。東京帝国大学卒業後、逓信省に入省し、逓信院(戦時下の郵便事業を担当した官庁)次長にまで栄進した後、1946年に官選最後の静岡県知事となりました。その後は公選の静岡県知事を1期務めて静岡選挙区選出の参議院議員に転身。佐藤栄作政権下の1966年12月3日から1968年11月30日まで郵政大臣を務めています。

 小林は静岡県選出の参議院議員ということで、長野県・山梨県・静岡県にまたがる「南アルプス国立公園」の切手は大臣の職権を利用した“大臣切手”の典型として、当時、問題視されました。

 
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 モースル陥落
2014-06-11 Wed 10:06
 2011年末の米軍撤退完了後、宗派対立により深刻な治安悪化が続いているイラクで、昨日(10日)、同国北部にある第2の都市モースルが、国際テロ組織アルカイダの影響下にある過激派“イラク・レバントのイスラム国(ISIL)”に制圧されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モスル加刷

 これは、第一次大戦後の1919年、英軍占領下のモースルで発行された暫定加刷切手です。

 現在のイラク国家の枠組は、基本的に、旧オスマン帝国時代のモースル州・バグダード州・バスラ州(からクウェートを除いた地域)から構成されていますが、このうち、一番北にあるモースル州は第一次大戦以前から石油の産地として知られ、1916年のサイクス・ピコ協定による密約では、戦後、フランスの勢力圏内に組み込まれるものとされていました。

 1918年10月30日、第一次大戦でオスマン帝国が降伏した時点では、モースルは依然としてオスマン帝国が維持していましたが、戦後の混乱に乗じて、英軍は11月に入ってからモースルを占領します。今回ご紹介の切手は、そうした英軍占領下のモースルで使用するため、1919年7月、オスマン帝国の印紙を接収し、 「IEF “D”」の文字を加刷したものです。加刷文字の“IEF”はインド遠征軍(Indian Expeditionary Force)の略で、 “D”がモースル地区の担当を意味しています。

 第一次大戦の勃発後、英軍はペルシァ湾に面する港湾都市バスラに上陸し、バグダードへ向けて進撃を開始しましたが、フォン・デア・ゴルツ将軍ひきいるオスマン朝軍の守りは堅く、クートから先にはなかなか進むことができませんでした。このため、1916年8月以降、英印軍が投入され、翌1917年3月、ようやくバグダードが陥落。その後、英印軍はモースルの占領にもかかわったため、今回のような加刷切手が発行されることになりました。なお、通貨単位がインド・ルピーで4アンナとなっているのもそのためです。

 第一次大戦後のオスマン帝国の旧領分割をめぐっては、フサイン・マクマホン書簡の密約によるアラブ国家の樹立を求めるアラブ側と、サイクス・ピコ協定の履行を求めるフランスとの間で英国は板挟みになりますが、1920年4月のサンレモ会議では、フランスがイラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に英国に承認させました。

 この結果、モースル州はバグダード州、バスラ州は“イラク”として、英国の委任統治下に置かれることにな李、それが、現在のイラク国家のルーツとなりました。

 さて、7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。講座では、今回取り上げたイラクのみならず、オスマン帝国の崩壊により現在の中東諸国の枠組ができあがっていくプロセスについても、当時の切手や郵便物等を使ってわかりやすく解説する予定です。名古屋エリアの方は、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。 


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 年賀状の戦後史(電子版)
2014-06-10 Tue 10:01
 このたび、拙著『年賀状の戦後史』が電子書籍として配信開始となりました。つきましては、日頃、このブログを閲覧していただいている皆様に、配信開始のご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      年賀状の戦後史(帯つき)

 インターネットや携帯電話の普及により、郵便の利用が急速に減少しつつある現在なお、年賀状だけは郵便を利用するという人も少なくありません。本書では、年賀状に欠かすことのできない年賀はがきと年賀切手に焦点を当て、1945年の終戦から東日本大震災のあった2011年までの歩みをたどることによって、そこから戦後日本と日本人の歴史的な変遷をたどろうとしたもので、具体的には、以下のようなエピソードも含まれています。

くじ付きのお年玉葉書は、終戦直後の焼け跡で安否確認の手段として考案された
・テレビ時代の幕開けと1等賞品の抽選をめぐる信じられないミスとは
・ドラマ『南極物語』とゆかりの深い年賀切手とは
・“おらがふるさと”の郷土玩具と年賀切手と政治の関係
・年賀状を人質に取った労組の年末闘争とは
・プリントゴッコからワープロ専用機を経てパソコンへ
 …家庭のインフラ整備に果たした年賀状の役割とは
・大王製紙前会長が社長時代に謝罪した再生紙偽造事件とは

 このほかにも、昭和・戦後時代を中心に、人々の記憶に残る年賀はがきと年賀切手の数々を、関連図版とともに詳しく解説しております。

 これから暑くなる時期に“年賀状”でもなかろうとお叱りを受けそうですが、作品そのものは季節を越えて残っていくものですので、いずれ違和感はなくなるのではないかと思います。ちなみに、山下達郎の「クリスマス・イブ」は、当初、1983年6月8日に発売されたアルバム『MELODIES』の1曲として発表されたものですが、現在、そのことをとやかく言う人はなくなりました。

 毎年、11-12月になると、この本に絡んで放送メディアの仕事を頂戴するのですが、その際、年に一度必ずお会いする某局のディレクターの方からは「山下達郎の『クリスマス・イブ』と内藤さんの『年賀状~』が来ると、年末になったという実感がわきますね」とお世辞を言っていただくのが恒例となりました。(今年の年末も、同じ言葉をかけていただけると嬉しいのですが…)

 すでに発表から30年以上という超ロングセラーの「クリスマス・イブ」に比べると、僕の『年賀状の戦後史』はようやくその1割程度でしかないのですが、ともかくも、今回の電子化によって、本としての寿命が大幅に伸びることになったのは著者として素直に喜んでいます。

 なお、新書の電子書籍という性格上、誤記などの修正個所は最小限で図版もモノクロのままですが、電子書籍の特性を生かし、拡大してご覧いただけるようになっております。

 電子書籍は、まだまだ、著者・出版社ともに手探りの状態が続いている分野ですので、今後ともよろしくご指導・ご支援いただけると幸いです。


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 カラチ行きのFFC
2014-06-09 Mon 22:20
 けさ未明(現地時間8日午後11時頃)、イスラム武装勢力“パキスタン・タリバーン運動”(TTP)がパキスタン南部カラチのジンナー国際空港の旧ターミナルを襲撃。警察や空軍の特殊部隊との間で5時間にわたって銃撃戦が行われ20人超の死者が発生しました。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      JALカラチ便FFC

 これは、1962年10月4日に差し出されたJALの南回りヨーロッパ便のFFC(初飛行カバー)で、同日中に、このカバーの宛先となっているカラチに到着しています。当然のことながら、今回の事件があったカラチ国際空港の旧ターミナルで下ろされたものと思われます。なお、このときのJAL便は、東京を出発した後、香港、バンコク、カルカッタ、カラチ、クウェイト、カイロ、ローマ、フランクフルトを経由して、ロンドンに到達しました。

 さて、パキスタンの首都は、1947年の独立から1958年までは、アラビア海に面したカラチでした。カラチは現在でもパキスタン最大の都市ですが、国土の南端に位置しているため、ここに人口と経済力が集中することは国家建設のバランスという観点から好ましいことではありません。このため、北部ポトワール高原のラーワルピンディー(陸軍司令部の所在地)の近郊に新首都としてイスラマバードを建設することとなり、1961年から開発がスタート。この間、1959年からイスラマバードが完成する1969年までは、ラーワルピンディーがパキスタンの暫定的な首都となっていました。

 JALの南回りヨーロッパ便の経由地としてカラチが選ばれたのもこうした経緯によるものですが、このFFCが差し出された1962年には、パキスタン第2の都市ラホールに新たな国際空港が完成しています。ちなみに、ラホール国際空港は大型機のボーイング747型機の発着が可能な設備を備えていたため、1964年の東京五輪の際には、パキスタン側は聖火運搬機の経由地としてカラチではなくラホールを指定しました。ところが、実際の聖火運搬機には、“シティ・オブ・トウキョウ”という名の機体を使うことを優先して、ダグラスDC-6Bというプロペラ式のレシプロ機が選ばれたため、カラチの空港でも十分に対応は可能だったのだとか。まぁ、こういう行き違いって、ときどきありますよね。


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 パキスタンで民放TV放送停止
2014-06-08 Sun 17:25
 パキスタンの民放テレビ局“ジオ・テレビ”のキャスターがことし4月に銃撃された事件で、パキスタン政府は同局が行った軍と事件を結びつける報道には根拠がないとして、きのう(7日)から放送免許を15日間停止する措置を取りました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・テレビ放送25年

 これは、1989年にパキスタンが発行した“テレビ放送25年”の記念切手です。

 パキスタンにおけるテレビ放送の歴史は、1961年、同国の著名な実業家だったサイイド・ワジド・アリーと日本のNECが共同出資し、同国有数のエンジニアであったウバイドゥル・ラフマーンを長とする民間プロジェクトとしてスタートしました。その後、何度かの試験放送を経て、1963年には情報省がプロジェクトを引き継いでパキスタン・テレヴィジョン(PTV)、引き続きNECの協力も得ながら準備を進め、1964年11月26日、ラホールのラジオ・パキスタンの設備を利用してのPTVの本放送が開始されました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して25周年になるのを記念して発行されたものです。

 PTVの放送網は、翌1965年にはダッカ(現在はバングラデシュ領)およびラーワルピンディ-イスラマバード地区に、1966年にはカラチに、1974年にはペシャワールとクェッタに、それぞれ拡大されていきました。当初は白黒放送のみでしたが、1976年からはカラー放送が始まり、1987年にはパキスタン人のテレビ技術者を自国内で養成するためのパキスタン・テレヴィジョン・アカデミーも開講しています。

 当初、 パキスタンのテレビ局は国営のPTVだけでしたが、1988年、シャリマール・レコーディング(現シャリマール・レコーディング・アンド・ブロードキャスティング)傘下の半官半民放送局として国民テレビ(PTN。現シャリマール・テレビ:STN)がイスラマバードで開局。STNは、その後、カラチとラホールにもし局を開局し、パキスタン全土をカバーする放送局へと成長しました。

 1990年、STNは民間企業インターフローとの共同出資により、同国初の純然たる民間テレビ局としてネットワーク・テレヴィジョン・マーケット(NTM)を開局。さらに、1999年には、PTVとのジョイントヴェンチャーによりチャンネル3を開局し、2001年から本格的な放送を開始しています。

 2002年、当時のムシャラフ政権は、反タリバン制作のため米国と連携する必要から、各種の報道規制を緩和するなど一定の“民主化”を進めましたが、その一環として、テレビ放送への民間参入を全面的に解放。これを受けて、パキスタン発民間衛星放送局であるインダス・ヴィジョンやARYデジタル、今回、放送停止処分を受けたジオなどが開局することになりました。

 さて、こうした“民主化”時代の申し子として誕生したジオは、その出自ゆえに、従来のパキスタンのメディアには見られないリベラルな内容で人気を集めましたが、その反面、エンターテインメント番組の中でイスラムを冒涜したと取られかねない内容を放送したことで視聴者の反発を招くこともあり(パキスタンは“イスラム共和国”です)、そのたびに抗議デモや系列新聞社に対する襲撃事件が起きていました。

 こうした背景の下で、ことし4月、以前からパキスタン政府に批判的なキャスターのハミド・ミールが今年4月にカラチで銃撃されると、ジオのニュース・チャンネルは、「キャスターは襲われる前、『パキスタン軍の情報機関から命を狙われている』と家族に話していた」として、情報機関のトップの顔写真を使いながら報道し、情報機関を批判する放送を流していました。

 これに対して、パキスタン軍は放送内容は事実無根と抗議し、国防省はテレビ事業を管轄する電子メディア規制委員会に対して「ISIや国家に損害をもたらす」として放送免許の剥奪を要求。軍に近いとされる野党も同局への批判を強めたことで、規制委は、6日、ジオに対して、15日間の放送停止と1000万ルピー(約1000万円)の罰金を科すことを命じ、現在、ジオ・テレビの画面には「免許が停止されたため、放送は打ち切られています」が出ているだけの状態となっています。

 規制委は、15日以内にジオ側が罰金を納付しない場合には放送停止期間を延長することもありうるとしていますが、今回の一件は“表現の自由”の侵害であるとしてすでに国際的な波紋を呼んでおり、今後の推移が注目されるところです。


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 ポート・ロイヤル大地震の日
2014-06-07 Sat 14:24
 今日(7日)は、1692年に、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の舞台として知られるポート・ロイヤル(ジャマイカ)で巨大地震が発生し、一瞬にして都市が壊滅した日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャマイカk・ポートロイヤル地震300年

 これは、1992年にジャマイカで発行された「ポート・ロイヤル大震災300年」の切手で、地震で建物が崩壊し、地割れに人々が落ちていく様子が描かれています。震災を題材とした切手は多々ありますが、ここまで赤裸々に震災の被害を表現したものは少ないのではないかと思います。

 さて、ジャマイカの現在の首都はキングストンですが、かつては、島の南部のスパニッシュ・タウンに首都がおかれていました。ポート・ロイヤルはその防衛のための要塞 “フォート・チャールズ”を中心に発展した街で、1690年の時点では人口8000人を超えていました。奴隷貿易の中心として発展し、この地に上陸した黒人奴隷が各地のプランテーションに送られる一方で、芸術や特殊技能を持ったアフリカ系の移民たちはプランテーションに送られることなく、この地に定着したため、当時のジャマイカの文化的な中心地としても繁栄しました。

 こうしたことから、海賊からジャマイカの代理総督に転じたヘンリー・モーガンは、ポート・ロイヤルを“世界一裕福な場所”と称しましたが、1692年6月7日の大地震により、都市は崩壊して多くの人命が失われ、モーガンの墓所を含め市街地の一部は現在なお海に沈んだままとなっています。ちなみに、この大地震でポート・ロイヤルが壊滅したことにより、同年7月22日、近郊の海に面した農地が避難民の避難場所として転用されることになったのが、現在の首都であるキングストンのルーツとなりました。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 岩のドームの郵便学(18)
2014-06-06 Fri 18:15
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』538号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は第4次中東戦争にスポットをあてました。その記事で取り上げたモノの中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・第4次中東戦争FDC

 これは、1973年12月23日にエジプトが発行した第4次中東戦争開戦の記念切手の初日カバーで、ファタハの作成した岩のドームのラベルが同時に貼られているのがミソです。

 第3次中東戦争(1967年)の敗戦後、エジプトにとっての最重要課題はイスラエルからシナイ半島を奪還することにありました。

 1970年にナセルの死を受けて政権を継承したサダトは、それぞれの思惑から中東に関与しているだけの米ソ両国に任せていてもシナイ半島の奪還は無理であると喝破し、武力による自力奪還以外に、エジプトの採るべき現実的な選択はないという結論に到達。こうした判断にもとづき、シリア大統領ハフィズ・アサドとも連携をとりながら、対イスラエル戦争のプランを練り始めます。

 戦争計画の策定にあたっては、戦争の長期化は絶対に避けるとの前提の下、イスラエルに軍事的な大打撃を与えることで、大国による和平の仲介を引き出すという基本方針が確認されました。このため、戦争計画は、緒戦の電撃的な侵攻作戦に重点が置かれ、スエズ運河の潮流や月齢などを考慮した結果、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップール)でイスラエル軍の態勢が手薄になる1973年10月6日が開戦予定日として設定されます。

 かくして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍によるイスラエルの奇襲攻撃によって、第4次中東戦争の火ぶたが切って落とされました。

 開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。このうち、スエズ運河渡河作戦の成功は、イスラエルに対するアラブ最初の勝利として大々的に喧伝され、サダトは「渡河作戦の最高指揮官=イスラエル軍不敗神話を破ったアラブの英雄」として、その権威は絶大なものとなりました。

 今回ご紹介の初日カバーの切手は、スエズ運河渡河作戦の成功を祝して発行されたもので、1サダトの肖像と運河を渡河するエジプト軍が描かれています。サダトにとって、真の戦争目的は、あくまでもシナイ半島の奪還であって、パレスチナの解放ではありませんでしたから、エジプトの発行する記念切手に“パレスチナ”を連想させる要素が盛り込まれていなかったとしても、それはある意味で自然なことです。

 一方、イスラエル=シリア国境のゴラン高原では、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。

 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きしませんでした。はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同16日にはスエズ運河の逆渡河に成功してエジプト領内に進攻し、形勢は逆転します。

 ところが、翌17日、アラブ産油国10ヶ国が米国とイスラエル支援国に対する原油輸出の5パーセント削減を発表すると同時に、同6ヶ国が原油価格の21パーセント引き上げを決定しました。さらに、イスラエル軍が1967年の第3次中東戦争以前の境界線まで撤退しない限り、以後、毎月5パーセントずつ原油生産を削減すると発表します。

 いわゆる(第1次)石油危機の発生です。

 対イスラエル開戦を準備する過程で、サダトは親イスラエル諸国への石油輸出を減少させることでイスラエル陣営に経済的打撃を与えることを計画。アラブ産油諸国への根回しを開始します。これを受けて、1973年4月以降、サウジアラビアは、米国がイスラエル支援政策を変更しない限り、石油生産を増産しない(あるいは米国に協力しない)可能性があると米国に対して繰り返し警告を発していました。そして、第4次中東戦争が勃発し、戦況がエジプト・シリアに不利になりつつあったタイミングを狙って、いわゆる石油戦略を発動したというわけです。

 これに対して、キッシンジャーは、米国のイスラエルへの武器供与は中東でのソ連の影響力拡大に対抗するためのものであって、反アラブを意図したものではないと弁明しましたが、10月19日、大統領のニクソンが議会に対して22億ドルのイスラエル軍事援助を認めるよう求めたことで、中東産油国の対米不信は決定的なものとなりました。

 結局、翌20日、サウジアラビアが米国に対する石油の全面的な輸出禁止を発表すると、イラクをのぞくアラブ産油国の全てがこれに同調。アラブ諸国から米国とオランダ(米国のイスラエル軍事援助に際して国内の空軍基地使用を許可したことから、アラブ諸国から「敵」と認定されていました)への石油の輸出が全面的に停止されました。アラブ諸国の強硬姿勢に接してパニックに陥った西側諸国は、自国の経済を防衛するため、イスラエルとの友好関係を見直すようになります。

 サウジアラビアを含むアラブ産油国がサダトの要請を受けて石油戦略を発動したのは、エジプトがイスラエルに勝利すれば、第3次中東戦争以降、エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区からイスラエルが撤退し、ともかくも“アラブの大義”が果たされることを期待したからであって、エジプトなりシリアなりの個別の“失地”が回復されるか否かはあくまでも二義的な問題でした。

 今回ご紹介の初日カバーに、は、スエズ渡河の記念切手とファタハによる“パレスチナ解放”のラベルが同時に貼られているのも、そうしたアラブ世界の意識を反映したものと言ってよいでしょう。

 さて、戦況が次第にイスラエル有利に傾いていくと、ソ連はエジプト(サダトによる軍事顧問団の追放後もソ連はエジプト領内の基地使用権を保有していた)とシリアが第3次中東戦争に続いて大敗することを懸念し、米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、米国がイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得します。

 一方、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、シナイ半島を奪還することを本音の部分での戦争目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示しました。これに対して、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものではあったが、米国はなんとかイスラエルを説得します。

 こうして、10月22日の国連安保理において、関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、第4次中東戦争は終結へと向かっていくことになりますが、そのことは、エジプトと他のアラブ諸国と思惑のずれを顕在化させ、サダトにとって悲劇的な結果へとつながっていくことになります。


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 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

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 スリナムのインド系美女
2014-06-05 Thu 08:15
 今日(5日)は、カリブ海に面した南米のスリナムでは、1873年6月3日にインド系移民が最初に到着したことを祝う“インド人到達の日”の祝日です。以前、ガイアナトリニダード・トバゴについて同様の祝日の話題を取り上げましたので、スリナムについても取り上げることにしました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スリナム・インド系移民100年

 これは、1973年にスリナムが発行した“インド系移民100年”の記念切手のうち、農場で働くインド系女性を描いた15セント切手です。

 スリナムは、南米大陸北東部、カリブ海と大西洋に面して、フランス領ギアナとガイアナにはさまれた位置にあり、国土の大半はギアナ高地です。南米大陸の独立国としては面積・人口ともに最小で、1975年にオランダから独立しました。このため、南米大陸ではオランダ語を公用語とする唯一の国となっています。

 この地域への西洋人の入植は17世紀以降に本格化し、英蘭両国が領有権を争っていましたが、第二次英蘭戦争の講和条約として1677年に結ばれたブレダ条約の結果、オランダがニューアムステルダム(現ニューヨーク市)を含む北米植民地ニューネーデルラント(現ニューヨーク州。毛皮貿易の中心地)を英国に割譲する代わりに、バンダ諸島のラン島(現インドネシア領。香辛料貿易の中心地)とともに、タバコの生産地であった現在のスリナムに相当する地域をオランダ領ギアナとして領有することになりました。

 その後、オランダ人はアフリカ系の黒人奴隷を使ってコーヒー、カカオ、サトウキビ、綿を栽培していましたが、劣悪な待遇に耐えかねて逃亡する奴隷が続出。彼らは先住民の協力を得て各地で“ボスネガー”として土着化し、オランダ人の農場を襲撃しました。オランダ側はボスネガーの討伐を試みるも失敗し、19世紀に入り、両者の和平協定が成立。さらに、1863年には奴隷制度が廃止されると、解放された奴隷の多くは首都のパラマリボに流入し、農場の労働力は激減しました。
 
 このため、労働力の不足を補うべく、オランダ領東インドやインド、さらには中国、中東諸国からの移民が受け入れられることになりましたが、インド系の移民は、1873年6月5日、ララ・ロッホ号で到来したのが最初で、以後、1916年までに3万4304名のインド系移民が流入しました。ちなみに、現在のスリナムでは、人口の27%をインド系が占めており、同国最大のエスニック・グループとなっています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。スリナムも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
 

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 天安門事件から25年
2014-06-04 Wed 09:39
 1989年6月4日に(第2次)天安門事件が起こってから、今日でちょうど25年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      マーシャル諸島・天安門事件

 これは、2000年1月15日、マーシャル諸島が発行したミレニアム切手の1枚で、1989年の天安門事件で民主化要求の学生デモが弾圧される場面が取り上げられています。

 マーシャル諸島は、南太平洋のミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置する島国で、米国との自由連合盟約(国家としての独立を承認し、経済援助を与える代わりに、安全保障に関しては米国が統轄)による独立国です。台湾との国交を維持して中国と国交を断絶しているという気骨のある国としても知られています。小国のミレニアム記念切手は、基本的には、外国人収集家に販売して外貨を稼ぐものという色彩が強いのですが、切手に天安門事件を取り上げることが国際社会の理解を得られるという見識は、大いに、称賛すべきことと言えましょう。

 1989年4月8日、胡耀邦(中国共産党の総書記として言論の自由化を推進し、国民からは「開明的指導者」として支持を集めていたものの、保守派との権力闘争に敗れて失脚した)が亡くなると、その死を悼むかたちで、民主化を求める学生運動が北京を中心に発生します。運動の背景には、政府・党幹部の腐敗と汚職、鄧小平による人治(超法規的な君臨)への不満がありました。

 学生を中心とした民主化や汚職打倒を求めるデモは、4月22日には西安や長沙、南京などの一部の地方都市にも拡大。西安では車両や商店への放火が、武漢では警官隊と学生との衝突が発生します。これに対して、首相の趙紫陽は5月3日の“五四運動”70周年記念式典で、学生・市民の改革要求(この日、北京では約10万人が民主化を求めるデモと集会を行っていました)を“愛国的”であると評価し、事態は沈静化の方向に向かうかと思われました。

 ところが、5月13日、民主化を求める学生側がハンガーストライキに突入したことから当局側は態度を硬化。これに反発するかたちで、中国全土から天安門広場に学生・労働者などのデモ隊の数は50万人近くに膨れ上がっていきます。

 両者のにらみ合いが続く中で、5月15日、ゴルバチョフが中ソ対立の終結を表明するために訪中。世界のマスコミは自国の民主化を進めるゴルバチョフの訪中と中国における一連の民主化運動を絡めた報道を行い、天安門広場をはじめ北京市内の要所要所が民主化を求めるデモ隊で溢れ、当局による交通規制さえ不可能となった状況が世界に配信されました。

 このため、メンツを完全につぶされたと考えた当局側は、ゴルバチョフ帰国後の5月19日、北京に戒厳令を布告。23日には戒厳令布告に抗議するために北京市内で100万人規模のデモが行われ、30日には天安門広場の中心に、ニューヨークの自由の女神を模した“民主の女神”像が作られるなど、緊張が高まっていく中で、ついに6月3日深夜から4日未明にかけて、北京の天安門広場前に集まっていた学生・市民に対して人民解放軍が無差別に発砲。民主化運動を力ずくで鎮圧されることになりました。

 軍隊によって民主化運動を圧殺した天安門事件については、国際世論が厳しくこれを指弾し、中国は国際的な孤立に追い込まれます。しかし、中国国内では、事件については徹底した報道管制が敷かれており、現在なお、その実態は明らかにされておらず、一種のタブーのような扱いになっています。ちなみに、僕は以前、中国のご機嫌を伺うことに敏感とされる某社の媒体で中国モノの原稿を書いた際に、天安門事件の影響について触れたところ、担当の編集者から「“3つのT(台湾・チベット・天安門)”には触れないようにお願いします」と言われて書き直しを命じられたことがあります。外国メディアでさえも、これだけの締め付けがあるわけですから、ましてや、国内においては…というところでしょうか。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を発行したマーシャル諸島は、第二次大戦以前は、日本の委任統治領でした。以前の記事では、同じく日本の委任統治領だった南太平洋のパラオが台湾と国交を結び、天安門事件の切手を発行したことも紹介しましたが、こうした小国の矜持を見ていると、旧宗主国の日本こそ、もっとしっかりしないといけないと深く恥じ入るばかりです。


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 スペイン国王が退位
2014-06-03 Tue 16:23
  スペインのフアン・カルロス国王が、きのう(2日)、退位を表明しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スペイン国王即位

 これは、1975年12月29日にスペインで発行された国王フアン・カルロス即位の記念切手で、当時の国王の肖像が取り上げられています。

 フアン・カルロス1世は、1938年、スペイン・ブルボン朝元国王のアルフォンソ13世(1931年の革命でローマに亡命)の4男、バルセロナ伯爵フアン・デ・ボルボーン・イ・バッテンベルグの長男として、ローマで生まれました。
 
 第二次大戦後、イタリアで国民投票により王制が廃止されて国王ウンベルト2世が退位し、共和制に移行したことを受けて、1948年、スペインに帰国。 当時のフランコ独裁体制の下、フランコの後継者たるべく帝王教育を受けました。

 1975年11月20日、フランコが亡くなると、フアン・カルロスはフランコの遺言により11月22日に即位。即位後は、フランコの権威主義体制を受け継がず、他の立憲君主国を模範とした政治の民主化を推し進め、1981年には、国王親政の復活を求めるクーデターに対して断固拒否の姿勢を貫き、以後、国民の絶大な支持を得ていました。

 しかし、2012年には経済危機の最中にアフリカのボツワナでゾウ狩りに興じていた際に負傷したことで国民の失望を招き、さらに、昨年はクリスティーナ王女と彼女の夫に公金横領疑惑が浮上して、王女自身捜査当局から事情聴取を受けるなどのスキャンダルもあり、その威信は大きく傷つきました。

 こうした中で、スペイン国内では人気の高いフェリペ皇太子への譲位が取り沙汰されており、健康上の問題もあって、今回の退位となったようです。

 さて、フェリペ皇太子が新国王として即位するには、今後、議会による承認が必要となりますが、現時点では、戴冠式などの日程は未定だそうです。もっとも、今回の国王の退位表明を受けて、マドリードでは君主制自体の廃止を主張して数千人がデモを行ったほか、インターネット上では、君主制廃止に向けた住民投票の実施を求める署名運動に10万人以上の賛同が集まるなど、スペイン王室の今後は必ずしも安泰とは言えないようです。

 いずれにせよ、現在、スペインの普通切手にはフアン・カルロス国王の肖像が取り上げられていますが、国王の退位によりデザインが一新されることは確実で、それがどのようなものになるのか、注目したいですな。


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 切手歳時記:義経の鎧兜
2014-06-02 Mon 10:10
 きょう(2日)は旧暦の5月5日。本来の端午節の日です。というわけで、ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』5月号に掲載された僕の連載「切手歳時記」では、新暦の5月5日に合わせて、鎧兜を描くこの切手を取り上げましたので、ご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      春日大社赤糸威鎧

 これは、1968年9月2日に発行された国宝シリーズ第4集の“春日大社・赤糸威鎧”の50円切手です。

 端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午の日という意味で、5月に限定されるものではありませんでしたが、これが、5月に固定されるようになったのは、紀元前3世紀の中国・楚の国で、祖国の前途に絶望して汨羅(湖南省北東の川)に身を投げた政治家、屈原の死を悼んで川にちまきを投げ込んで、魚が彼の遺体を食べることのないようにしたのが、5月5日(旧暦)だったことにちなむのだといわれています。

 その後、中国では5月5日に蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲酒を飲み、その菖蒲で体のけがれを祓って健康と厄除けを願うようになり、奈良時代までにはわが国の宮中にもその風習が伝わりました。

 鎌倉時代に入ると、端午の節句に欠かせない「菖蒲」が武を尊ぶという意味での「尚武」と同じ音であること、さらに、菖蒲の葉の形が刀に似ていることから、端午は男児の成長を祝い健康を祈る節句となり、江戸時代以降は、鎧兜や武者人形などを飾るようになりました。

 戦後の日本では、平和主義が強調されるあまり、一時期、武器・武具の類を忌避する傾向が非常に強かったことがありました。切手もまた、そうした社会風潮とは無縁ではいられず、1956年の切手趣味週間の切手に、東洲斎写楽の「市川鰕蔵の扮する竹村定之進」(いわゆる「えび蔵」)が取り上げられたのも、刀が描かれていないことが決め手になったのだといわれています。

 ついで、1958年5月に発行された「日本開港百年」の記念切手に、帯刀した井伊直弼像が切手に取り上げられたことで、ようやく、切手における刀のタブーも克服されました。

 一方、本格的な武具の切手としては、今回ご紹介の切手がその嚆矢となります。

 さて、切手に取り上げられた赤糸威(赤糸縅)というのは鎧の形式のひとつです。

 鎧は、小札(牛革製または鉄製の短冊状の小さな板)の表面に漆を塗り、これを横方向へ少しずつ重ねながら板状に連結したものを、縦方向へ何段にも繋ぎ合わせて作られています。着色した糸やなめし革の紐を用いて小札を縦方向に連結することを、“緒通す”から転じて“威す”といい、連結したものを威といいます。その威の色や模様、材質等により、鎧には、赤糸縅、紺絲威、匂威などの名前が付けられることになります。

 春日大社には赤糸威鎧2口が伝わっていますが、切手に取り上げられたのは、そのうちの源義経が奉納したと伝えられる一口。袖の部分に、竹林の竹と雀の装飾が施されているため、“竹に雀虎金物付”と呼ばれています。

 こうしたタイプの大鎧は平将門、藤原純友による承平天慶の乱が起こった10世紀には完成されていたようで、武家の勢力が東国で伸長していくにしたがって武具の改良も進み、それらが京へともたらされたことで、優雅さも加わったものと考えられています。


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 おかげさまで9周年
2014-06-01 Sun 15:11
 おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、きょうでちょうど9周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは“9周年”の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      トリニダード・トバゴ独立9周年(ヘリコニア・メダル)

 これは、1971年8月31日にトリニダード・トバゴで発行された“独立9周年”の記念切手のうち、長年にわたって同国で社会の発展に尽くした人に与えられる勲章“ヘリコニア・メダル”が描かれています。ヘリコニアはトリニダード・トバゴの国家で、今年の日・カリブ交流年のロゴマークにもデザインされています。
 
 さて、第二次大戦末期の1945年3月、英国は、カリブ海の英領の島々と英領ホンジュラスおよび英領ギアナをまとめて西インド連邦として統合しようという構想を打ち出します。しかし、バハマとバミューダが英本国の提案をを拒否したため、1950年、英国は改めてカリブ海連邦の結成を各植民地に提案します。しかし、今度は英領ホンジュラスと英領ギアナがこれを拒否したため、1958年、残りの10の植民地(アンティグア・バーブーダバルバドスドミニカグレナダ、ジャマイカ、モントセラト、セントクリストファー・ネーヴィスセントルシアセントビンセントおよびグ レナディーン諸島、トリニダード・ドバゴ)により英連邦内の自治国と して西インド連邦が結成され、連邦の首都はトリニダード・トバゴのポート・オブ・スペインに置かれました。これに伴い、域内の共通通貨として西インド諸島ドル(現在の東カリブドルの前身)が導入され、完全独立時の首都となることを想定して、ポート・オブ・スペイン近郊のチャグアマラスに都市建設が進められます。

 しかし、連邦の2大中心地として人口100万を数えるトリニダード・トバゴとジャマイカの距離は1500キロも離れているうえ、その間に点在する島々は人種や産業、社会制度などさまざまな面で相違が大きく、英領植民地時代の行政府の独立性も強かったため、連邦としての統合は当初から困難に直面していました。

 さらに、首都の所在地として、連邦政府の権限や関税同盟を強化しようとするトリニダード・トバゴと、これに不満を持つジャマイカとの対立から、1961年、ジャマイカが住民投票を行って連邦から の離脱と単独独立を決定。これを受けて、トリニダード・ドバゴも連邦に加盟するメリットはなくなったと判断し、1962年に連邦から離脱して単独で独立しました。この結果、二大中心地を失った西インド連邦は解散に追い込まれ、残った島々は再び英国の直轄植民地となり、英領にとどまったモントセラ ト、アンギラ、カイマン諸島、タークス・アンド・カイコスを除き、それぞれ個別に独立していくことになりました。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。トリニダード・トバゴも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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