内藤陽介 Yosuke NAITO
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 明日から全日展
2014-07-31 Thu 05:28
 あす(1日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館全日本切手展(全日展)が開催されます。(下の画像はチケットのイメージです。以下、画像はクリックで拡大されます)

      全日展・チケット(2014)

 チケットには、今回の特別展示「記念切手発行120年」にちなんで、“紀元2600年”の金鵄を描く2銭切手と、併催のカリブ切手展にちなんで、トリニダード初期の名品“レディ・マックロード”の画像をデザインしています。

 会場でこのチケットをお求めの方は、会期中、1回に限り東京・押上の東京スカイツリー内にある郵政博物館にご入場できるほか、東京スカイツリー内のレストラン世界のビール博物館(東京スカイツリータウン・ソラマチ イーストヤード7階 電話 03-5610-2648)にて、最初のご注文時にチケットをご提示いただければ、樽生ビール1杯のサービス(いずれかのお料理を一品御注文ください)もありますので、ぜひ、お越しください。
 
 さて、展覧会の告知だけでは面白くないので、今回の展示品の中から、チケットにも取り上げられたレディ・マックロードのカバーをご紹介します。

      トリニダード・レディ・マックロード (C)Stampedia

 1847年4月、トリニダード島では、ポート・オブ・スペインとサンフェルナンドを結ぶローカル郵便が行われました。それに使用するため、現地では、船の所有者であるステュアート商会のデヴィッド・ブリスが、ローカル郵便に使う蒸気船“レディ・マックロード”を描く切手を発行しました。ちなみに、船名のレディ・マックロードは、当時の総督ヘンリー・ジョージ・マックロードの夫人にちなんで命名されたものです。

 切手には額面の表示はありませんが、1枚5セントまたは100枚4ドルで販売されたことが記録に残っています。このため、シートはおろかマルティプルも現存していませんが、1シートは100面構成だったのではないかと推測されています。また、現地では切手に消印を押すという発想がなかったため、今回ご紹介のカバーのように、郵便物に貼られた切手にはペンでX印を書いたり、一部を剥ぎ取ったりして、再使用を防止しました。

 現在、レディ・マックロードの残存数は、カバーの状態のモノを含めて87通が知られているのみですが、今回の展示では、ポート・オブ・スペイン発のモノとサンフェルナンド発のモノ、計2通のカバーが展示されています。日本国内では、なかなか実物を目にする機会がない逸品ですので、ぜひ、会場までお越しいただき、実物をじっくりとご覧いただけると幸いです。

        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

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 44年ぶりの大阪出身大関
2014-07-30 Wed 20:08
 日本相撲協会はきょう(30日)、番付編成会議と臨時理事会を愛知県体育館で開き、関脇・豪栄道の大関昇進を満場一致で決めました。新大関の誕生は2012年春場所後の鶴竜、日本出身力士では2011年九州場所後の稀勢の里以来で、大阪出身の大関誕生は前の山以来、44年ぶりだそうです。というわけで、44年前の大阪といえば、やはりこれでしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      大阪万博・機械印カバー

 これは、1970年の大阪万博に際して発行された記念切手のうち1次発行分の7円切手15円切手を2枚ずつ、それにナンテンの6円切手の計50円分を大阪万博の公式封筒に貼って、会期中の1970年7月2日、会場内から西ドイツ宛に差し出したカバーです。押されている消印が“万国博”局の風景印と機械印というのがミソです。

 大阪万博の会場内に設置された“万国博郵便局(以下、万国博局)”は、1969年10月6日、開局しました。

 同局は万博会場を受け持つ普通集配局で、万博参加国および国内出展機関の通信連絡を確保する必要から、会期の半年前に大前明を局長としてスタッフ21名(万博開幕時は72名。その後、随時増員)でスタートしています。

 “本局”は、会期中、会場中央口前のブリッジを渡った協会本部別館の西側の一角に置かれていましたが、開局時には北大阪急行電鉄会場線 の万国博中央口駅は開業していなかったため、最寄駅からは局舎までは徒歩で一時間ほどかかりました。消印の曲名表示は、和文が“万国博“、欧文が“EXPO 70”で、今回の機械印にはその両方の表示が見えます。

 この“本局”のほか、会場内4ヵ所の分室(中央口・木曜広場・土曜広場・日本館) 、2ヵ所の出張所(プレスセンター内・国連別館内)が設けられたほか、会期中は会場内を随時、移動郵便車が走って対応していました。

 なお、万博そのものの会期は9月13日まででしたが、イベントの残務処理の関係もあるため、万国博局は9月30日まで郵便業務を取り扱っています。

 さて、あさって(1日)から東京・錦糸町のすみだ産業会館を会場として開催の全日本切手展では、1914年に郵便機械印が実用化されてから100周年になるのにちなんで、機械印の歴史をご紹介する特別展示「機械印100年」を行います。地味なテーマではありますが、なかなか、実物を通覧する機会はないと思いますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

        
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 安倍首相、カリコム首脳と会合
2014-07-29 Tue 11:24
 中南米5か国を歴訪中の安倍首相は、きのう(28日)、トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインで、カリブ海の14か国・1地域で構成する“カリブ共同体(以下、カリコム)”加盟国との首脳会合を行いました。日本とカリコム加盟各国による首脳会合は初めてです。というわけで、きょうはカリコムがらみでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      トリニダード・カリコム10年

 これは、1983年にトリニダード・トバゴで発行されたカリコム10周年の記念切手で、カリコム加盟諸国の地図を背景に、同国の国営航空 BWIA の機体が描かれています。BWIAは、英領時代の1939年に設立された西インド航空(West Indies Airlines)をその前身とし、2006年に現在のカリビアン航空となりました。

 さて、今回、安倍首相と加盟各国の首脳会談が行われたカリコムは、1958年に創設された西インド連邦が短期間で崩壊した後、あらためて、1968年に域内貿易の自由化等を目的とし設立されたカリブ自由貿易連盟(CARIFTA)がその母体になっています。

 その後、CARIFTAを発展させ、経済統合・外交政策の調整・保健医療・教育等に関する協力促進などを目的に“カリブ共同体”を設立する構想が浮上。1973年7月、バルバドスガイアナジャマイカトリニダード・トバゴの4国によりチャガラマス条約が署名され、同条約が発効した8月1日をもって、カリコムが正式に発足しました。現在の加盟国は、アンティグア・バーブーダバハマ、バルバドス、ベリーズドミニカ国グレナダ、ガイアナ、ハイチ、ジャマイカ、セントクリストファー・ネーヴィスセントルシアセントヴィンセントおよびグレナディーン諸島スリナム、トリニダード・トバゴ、英領モンセラトの14か国1地域で、英領のアンギラ、バーミューダ諸島、ヴァージン諸島、ケイマン諸島、タークス・カイコス諸島が準加盟国(地域)となっています。

 現在の本部事務局は、ガイアナのジョージタウン(先日、手数料込9億円超で落札されて話題となった英領ギアナの1セントゆかりの地ですな)で、事務局長はドミニカ出身のアーウィン・ラロック氏です。

 カリコムの究極の目標である単一市場・経済に向けた動きとしては、2006年1月、まずバルバドス、ベリーズ、ガイアナ、ジャマイカ、スリナム、トリニダード・トバゴの6カ国でカリコム単一市場(CSM)がスタートし、これに、翌7月、OECS(東カリブ諸国気候に加盟するアンティグア・バーブーダ、ドミニカ国、グレナダ、セントクリストファー・ネーヴィス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島が参加しています。この結果、カリコムの正規メンバーのうち、CSMに参加していないのは、バハマ、ハイチ、英領モントセラトのみとなりました。なお、カリコム単一経済(CSE)については、2015年中の実施が目標とされています。

 さて、ことし(2014年)は、そうしたカリブ共同体とわが国の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催の<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催します。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
 
       
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 第一次世界大戦開戦100年
2014-07-28 Mon 08:23
 今日(28日)は、1914年7月28日、前月末のサライェヴォ事件以降、極度の緊張関係にあったオーストリア=ハンガリー帝国(以下、オーストリア)とセルビアとの間で、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次大戦が勃発してから100周年の日に当たります。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      大戦平和10銭

 これは、1919年7月1日に発行された“平和記念”のうち、最高額面の10銭切手で、岡田三郎助の原画による鳩とオリーブが描かれています。

 第1次大戦に参戦し、戦勝国となった日本は、1919年1月に始まったヴェルサイユ会議に参加し、同年6月28日、講和条約に調印します。これを受けて、同年7月1日が“平和記念日”とされ、全国各地で様々なイベントが催されるとともに、4種セットの記念切手が発行されました。

 逓信省は1919年1月から記念切手と絵はがき発行の準備を進め、5月14日までに図案をすべて決定していましたが、報道されている会議の進行状況から、講和条約の調印は8月以降になりそうなので、記念切手の準備は7月半ばまでに完了すればいいと考えていました。ところが、急遽、6月28日の条約調印、7月1日の平和記念日という段取りが決まったため、あわてて、7月1日の切手発行に踏み切ったというわけです。

 さて、今週末の8月1日から3日まで、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催予定の全日本切手展(全日展)では、1894年にわが国最初の記念切手(いわゆる“明治銀婚”)が発行されてから今年で120年になるのを記念して「記念切手発行120年」の企画展示を行います。展示では、郵政博物館のご協力により、今回ご紹介の“大戦平和”の原版も展示されますので、ぜひ、ご来場の上、原版の実物をご覧いただけると幸いです。

        
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 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

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 <MALAYSIA 2014>出品作品決定
2014-07-27 Sun 18:55
      マレーシア・PHILANIPPON2011

 本年12月1日から6日まで、マレーシアのクアラ・ルンプールで国際切手展(ユースとテーマティクは世界展、それ以外の分野はアジア展)<MALAYSIA 2014>が開催されます。僕はその日本コミッショナーを仰せつかっていますが、日本からの出品作品は以下のように決定したとの連絡が主催者側から入りましたので、速報としてお伝えいたします。(以下、リストは出品者名は日本語表記・敬称略、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおりです。ただし、本日現在で出品者ご本人から先方のリストの誤記などのご指摘があった場合には、修正しています)

 ユースおよびテーマティク作品の世界展への出品
・木戸裕介 North Korea 1946-53
・江村清 The History of Artist's Portraits – The Transition of Western Art over 600 years
・村山良二 Czeslaw Siania: The Story of His Great Work of Engraving Stamp
・榎沢祐一 Trams – Its Development and Competitors
・大沢秀雄 The Blind
 
 アジア展への出品
・須谷伸宏 Japan Definitives, Vocational Series
・吉田敬 German States before German Empire
・増山三郎 Cenorship of Netherlands East Indies in Singapore and Penang from September 1939 to February 1942
・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide Services
・岡本哲 Japanese Postal History of Official Compulsory Delivery for Lawsuit Documents
・行徳国宏 Postal History of Postwar Express in Japan
・和田文明 The United States Registry Systems, 1880-1910
・長谷川純 The Documentary Revenue Issue of Japan 1873-1875
 (以下、文献)
・鳴美 『小判切手 =事故印=』
・鳴美 『日本記号入切手カタログ』
・正田幸弘 『文献散歩道』
・玉木淳一 『日本軍事郵便史1894―1921』
・スタンペディア 『Stampedia Philatelic Journal』
・スタンペディア 『スタンプクラブ』
・日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログ』1-2

 ちなみに、記事の冒頭に掲げた画像は、2011年に横浜で開催された世界切手展<PHILANIPPON 2011>に際してマレーシアが発行した小型シートで、前年(2010年)発行の“マレー鉄道125周年”の小型シートに、別途、切手展のマークを刷り込んだものです。

 マレー半島における鉄道の歴史は、海峡植民地(現在のマレーシアに属するペナン、マラッカとシンガポールを合わせた地域)で、1848年、スズの大鉱床がペラ王国で発見されたことを受けて、スズを港まで運搬するため、1885年6月1日にタイピン=ポート・ウェルド間で、ペラ国有鉄道が開業したことから始まります。今回ご紹介の小型シートの“125周年”というのもそこから起算した年回りで、シートには歴代の車両がずらっと並んで描かれています。

 展覧会本番では、皆さんのすばらしい作品が会場にずらっと並ぶことを、いまから楽しみにしております。

        
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 ブルマン、9月から4割値上げ
2014-07-26 Sat 14:36
 UCC上島珈琲はきのう(25日)、ジャマイカ産の高級コーヒー豆“ブルーマウンテン”を使った家庭用のコーヒー製品を9月1日から約4割値上げすると発表しました。ジャマイカでは、2012年10月に発生したハリケーンによりコーヒーの木が倒れたほか、病虫害の被害も拡大。今年の生産量は前年の半分ほどで、豊作だった07年の2割程度にまで落ち込み、コーヒー豆の種子が含まれるコーヒーチェリーの取引価格は2倍に跳ね上がったのが原因だそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ニューキャッスル(1930年)

 これは、ジャマイカのブルーマウンテン山中のニューキャッスルの風景を取り上げた絵葉書で、1930年にキングストンからオランダ・エンスケデ宛に差し出されたモノです。

 19世紀前半まで、ジャマイカ駐留の西インド連隊では、黄熱病やマラリアによる病死者の方がきわめて多く、深刻な問題となっていました。そうした中で、1840年代、代理総督のウィリアム・メイナルド・ゴム少将は、山中では黄熱病の発症率が低いことに目をつけ、ブルーマウンテン山中に軍の宿営地を設けることを提案。これを受けて拓かれたのがニューキャッスルです。ニューキャッスルの宿営地に移動したことで、西インド連隊の将兵の死亡率は激減。以後、現在に至るまで、ニュー・キャッスルにはジャマイカ駐留の軍の宿営地ないしは訓練キャンプが置かれています。

 一方、ニューキャッスルの一帯は古くからのコーヒー農園のあるエリアとしても知られており(ここで収穫されるコーヒーが、いわゆるブルーマウンテンです)、1750年頃にはすでにコーヒーの栽培が始まっていたといわれています。1810年の記録では、ロバート・ハミルトンがニューキャッスルを含む山の高い地域に30万平米のコーヒー農場と173面平米の牧草地を、山麓に45万平米のコーヒー農場と107万平米の牧草地を所有していたとの記録が残されています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

        
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 アルジェリア航空機、マリで墜落
2014-07-25 Fri 11:46
 きのう(24日)、西アフリカのブルキナファソからアルジェリアに向かっていたアルジェリア航空5017便(MD83型機)が、悪天候のため予定していたルートを外れ、離陸から50分後に消息を絶ち、その後、マリ北部の砂漠に墜落しているのが発見されました。搭乗していた乗客110人と乗員6人のうち、生存者は発見されていないそうです。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エール・マリ(救急搬送)

 これは、1963年、マリが同国の国営航空会社エール・マリ(マリ航空)の活動を紹介するために発行した切手のうち、航空機による救急搬送の場面を取り上げた25CFAフラン切手です。今回の墜落でも、生存者がいれば、エール・マリを使ったこうした場面が見られたのかもしれませんが…残念です。

 さて、エール・マリは、マリ共和国の発足後まもない1960年10月27日、事実上の国営航空会社として発足しました。

 資本金は5000万CFAフランで、株式の45%は公開されていましたが、一般のマリ国民で実際に株を購入する者はほとんどありませんでした。

 運航は1961年から開始されましたが、当初は政府関係者を運ぶ公用飛行のみで、ついで、商業路線としては、仏領時代を踏襲し、ニジェール川上空を飛んでバマコ=ガオ間を結ぶ国内線がまず開通。順次、国内各都市へと路線が延伸され、1967年には、バマコ=モプティ=グンダム=トンブクトゥ=ガオ=ニアメイを結ぶ航空路線が定着しています。

 一方、国際線の運航は1961年7月に国際航空運送協会への加盟が認められたことで、同年8月から、首都バマコとパリ、カサブランカ、マルセイユを結ぶ路線が開通したほか、同年12月以降、バマコとアクラ(ガーナ)、モンロヴィア(リベリア)、アビジャン(コート・ディヴォワール)、ブラザヴィル(コンゴ)、ダカール(セネガル)、コナクリ(ギニア)、ドゥアラ(カメルーン)の各都市を結ぶ路線がスタートしました。

 エール・マリは、英国からも英国欧州航空のDC-3sを譲り受けていますが、事業を軌道に乗せるうえでは、1961年3月20日にソ連と結ばれた協定により、主としてソ連から支援を仰ぐようになります。こうしたこともあって、当時のモディボ・ケイタ政権はソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行使用としましたが、結局、失敗に終わりました。

 なお、マリとその周辺地域の歴史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

        
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 シモン・ボリヴァール・デー
2014-07-24 Thu 19:58
 きょう(24日)は、南米の独立運動の指導者、シモン・ボリヴァールの誕生日(1783年7月24日)にちなんで、“シモン・ボリヴァール・デー”として、南米のエクアドルやヴェネズエラなどでは祝日とされています。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ・ボリヴァール生誕200年

 これは、1979年7月24日にヴェネズエラで発行されたボリヴァール生誕200年シリーズの小型シートの1枚で、1806年のジャマイカ地図と3人の独立運動家の肖像が取り上げられています。切手として目打が入っている部分には、地図中のキングストンを含む地域も含まれており、“キングストン”の文字の上の部分にはブルー・マウンテンもしっかり描かれているのが嬉しいところです。

 長らくスペインの支配下にあったヴェネズエラでは、1810年4月19日、首都カラカス市の参事会がヴェネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言。フランシスコ・デ・ミランダ将軍ひきいる独立戦争が始まりました。しかし、ヴェネズエラ軍内からの裏切りがあったことに加え、1811年のカラカス大地震によって大きな被害が生じたこともあって、1812年7月、カラカスは再びスペイン軍に占領されてしまいます。このため、ミランダはスペインと休戦協定を結びましたが、これを潔しとしないボリヴァールはミランダを“裏切り者”としてスペイン軍に引き渡し、カリブ海沿岸の都市カルタヘナ(現コロンビア)を拠点に、同年12月、徹底抗戦を誓う“カタルヘナ宣言”を発表しました。

 その反響は非常に大きく、ボリヴァールは市民からヴェネズエラ解放遠征軍司令官に推戴されます。そして、サンタフェ・デ・ボゴタを中心とするクンディナマルカ共和国の支援を得て、1813年5月23日、メリダに入城。8月6日には首都カラカスを奪還して、ヴェネスエラ第2共和国の成立を宣言しました。

 しかし、カラカスを占領したものの、その維持・防衛は困難で、スペインとの消耗戦の末、1814年、カラカスは再び陥落。さらに、ボリヴァールらの後ろ盾となっていたクンディナマルカ共和国もスペインの攻撃により崩壊してしまいました。

 このため、ボリヴァールはカルタヘナへと戻り、ヌエバ・グラナダ連合州の軍を率いてボゴタを攻略したものの、おひざ元のカルタヘナで王党派の叛乱が発生し、その鎮圧に失敗したため、翌1815年、ジャマイカへ亡命します。

 ジャマイカへ逃れたボリヴァールは『ジャマイカ書簡』を執筆。南米諸国を英国の立憲君主制のような政治システムで自由を勝ち取るとの構想を掲げ、英国の支援を得てスペインと戦おうとしましたが、英国からは黙殺されました。今回ご紹介の小型シートに、ボリヴァールの生涯の重要な場所として、ジャマイカの地図が大きく取り上げられているのは、こうした事情によるものです。

 その後、ボリヴァールはハイチに渡り、ハイチ南部を支配していたアレクサンドル・ペティオン大統領(下段・右端の切手の人物)に軍事的援助を求めます。大統領は、解放戦争終了後、黒人奴隷を解放することを条件にボリヴァールに支援を与え、翌1816年、ボリヴァールの軍はヴェネズエラに上陸し、再びスペインと戦うことになります。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ヴェネズエラは加盟国ではありませんが、小型シートに取り上げられているジャマイカは加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

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 インドネシア新大統領決定
2014-07-23 Wed 23:19
 インドネシアの選挙管理委員会は、きのう(22日)夜、今月9日に投開票が行われた大統領選の公式結果として、ジャカルタ特別州知事で闘争民主党のジョコ・ウィドド候補が、得票率53.15%で当選したことを発表しました。というわけで、ジャカルタがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アチェ戦争・葉書

 これは、いわゆるアチェ戦争中の1881年、現地に設置されたオランダ軍の野戦郵便局からバタヴィア(現ジャカルタ)宛に差し出された葉書で、“VELDPOSTK.ATJEH(野戦郵便局・アチェ)”と表示された消印が押されています。

  1819年、英国東インド会社のトマス・ラッフルズがシンガポールを拠点として確保すると、オランダはこれに猛反発。このため、1824年、いわゆる英蘭協定が成立し、マラッカの利権と北アチェでの平等な交易権を英国に保証するのと引き換えに、スマトラ島におけるオランダの支配権が認められることになります。ただし、この段階でも、アチェ王国の独立は一応保障されていました。

 ところが、オランダの支配がスマトラ島を北上していくとともに、スエズ運河が開通してアチェ沖が国際航路として重要性を増すようになると、1871年、英国はフランスやドイツの介入を防ぐための次善の策としてオランダに対してアチェにおける“行動の自由”を承認。これを受けて、1873年3月、オランダはアチェ王国に対する侵攻を開始します。

 いわゆるアチェ戦争の勃発です。

 当初、在地のウレーバラン(地方領主)はスルターンのマフムード・シャーの下に団結し、1873年4月にはいったんオランダ軍を撃退します。ところが、同年12月にオランダが再侵攻し、激戦の末に首都クタ・ラジャ(現バンダ・アチェ)が陥落。このため、マフムード・シャーはクタ・ラジャを脱して山間部に撤退したましが、翌1874年1月、コレラに罹って亡くなりました。

 その後も、アチェ側は新スルターンとしてムハンマド・ダウト・シャーを擁立して抵抗を続けますが、戦況は次第に不利になっていき、1878年までに、オランダはアチェの主要都市をほぼ制圧します。

 これに対して、1880年代以降もチック・ディ・ティロら徹底抗戦を主張するウラマー(もともとは“知識ある者たち”を意味するアラビア語で、イスラム諸学に通じた学者・知識人ないしはその集団を指す。実態としては、いわゆるイスラム法学者とほぼ同義)は農民を動員してゲリラ戦を展開。これにテウク・ウマルら新興領主も加わってことで、クタ・ラジャ周辺の防御線の外側には、なかなかオランダの統制が及ばない状況が続きました。

 1890年代に入ると、オランダはウレーバランを懐柔してウラマーの封じ込めに乗り出し、1903年にスルターンと抵抗派の領主を降伏させ、アチェ王国は事実上滅亡します。ただし、その後もスルターンは退位せず(1907年に没)、ウラマーの一部は、今回ご紹介の葉書のように、ゲリラ戦による抵抗活動を継続。最終的にオランダが彼らの組織的抵抗を鎮圧したのは、1912年のことでした。

 なお、このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
      
        
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 キングストン創設の日
2014-07-22 Tue 23:53
 今日(22日)は、現在のジャマイカの首都キングストンが、1692年7月22日のジャマイカ地震で被災したポートロイヤルの避難先として創設された記念日です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キングストン・1904年

 これは、1904年にキングストンから英国宛の絵葉書で、絵面には、当時のキングストンの風景が取り上げられています。

 英領ジャマイカの首府は、かつては、島の南部のスパニッシュ・タウンにおかれていました。その防衛のための要塞が築かれた場所がポート・ロイヤルで、ポート・ロイヤルは奴隷貿易の中心として発展し、一時は“世界一裕福な場所”と喪よばれていました。

 しかし、1692年6月7日の大地震により、ポートロイヤルは壊滅的な打撃を受けて崩壊。同年7月22日、近郊の海に面した農地が避難民の避難場所として転用されます。これが、現在の首都であるキングストンのルーツとなりました。

 こうして生まれたキングストンは、1703年に海賊船団ニック・カタニアの砲撃で大きな被害を受けたものの、その後はジョン・ゴフによって、北通り、東通り、西通り、港湾通りを中心とした碁盤の目のように街路が整備され、1716年までにジャマイカ最大の都市へと成長しました。

 こうしたことを受けて、1755年には、政府庁舎がスパニッシュ・タウンからキングストンに移転する決定がなされます。これに対して、スパニッシュ・タウン側も抵抗を示しましたが、キングストンの成長は止められず、1780年までにキングストンの人口は1万1000人に到達。18世紀末の時点では、キングストンには3000以上もの煉瓦造りの建物が立ち並ぶようになり、キングストンの経済力はスパニッシュ・タウンを完全に圧倒するようになりました。ただし、ジャマイカ政庁が官公庁をスパニッシュ・タウンからキングストンに移転する法令を成立させ、正式にキングストンに遷都したのは1872年のことでした。

 こうして順調に発展してきたキングストンですが、1907年の大地震で800人が犠牲となる大きな被害をだし、街のパレード地区の南側の歴史的建造物のほとんどが破壊された。現在の街並みは、この地震の後に再建されたものです。

 今回ご紹介の葉書は、1907年の地震以前のキングストンの街並みを港から北に延びるキング・ストリートを中心にとらえたもので、中央の白い像は、英国海軍の英雄ホレイショ・ネルソン提督の像です。ちなみに、ネルソンは、1777年、ジャマイカ鎮守府司令長官ピーター・パーカー提督の旗艦“ブリストル”に配属されましたが、そこで、パーカーと夫人のマーガレットに気に入られ、半年後には同艦の副長に抜擢され、その後の出世の糸口をつかみんでいます。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

        
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 海の日
2014-07-21 Mon 17:09
 きょう(21日)は“海の日”です。というわけで、海の風景を取り上げたマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポート・アントニオ絵葉書(1905)

 これは、1905年7月12日、英領ジャマイカの首府キングストンから米国経由でベルギーのブリュッセル宛に差し出された葉書で、港町ポート・アントニオの風景が取り上げられています。貼られている切手は1903年に発行された国章図案の半ペニー切手で、これは葉書にほとんど文面を書かず、“印刷物”として送ったことによる料金です。

 ちなみに、ジャマイカの国章は、1661年に英国王の権限で与えられたもので、両側から現地の男女が盾を支える形式となっており、盾の中には特産のパイナップルが描かれています。左の女性は熱帯の果実を持ち、盾の上には木材産業を意味する原木とワニが描かれています。切手では、下のリボンには、先住民のタイノ人とアラワク人が英国人入植者に隷属することを意味するラテン語の文言として“INDVS VTERQVE SERVIET VNI(2人のインディアンが1人に仕える)”が入っていましたが、この文言は、独立前年の1961年に現在の“Out of Many, One People”(多数から一つの国民に)へと変更されました。

 さて、絵葉書に取り上げられたポート・アントニオは、ジャマイカ島北東部、ポートランド教区(地名は元総督のポートランドに由来)の州都で、首都キングストンからは北東約40kmの地点に位置しています。1870年以降、米英間のバナナ貿易がさかんになったことで港町として発展し、現在でも、バナナのほか、ココナッツ、カカオ(トリニタリオ種)などの積出港となっています。周辺は熱帯植物が多く、ビーチが美しいこともあって、20世紀初頭、バナナ貿易で巨額の利益を上げたボストン・フルーツ社(ユナイテッド・フルーツ社の前身)が、400室の客室を誇るティッチフィールド・ホテルを開業したことで、観光開発が進みました。また、近郊のブルー・ホール(ブルー・ラグーンとも)は、深みあるブルーの湖面で有名な湖で、ブルック・シールズ主演の『ブルー・ラグーン』やトム・クルーズ主演の『カクテル』など、数多くの映画のロケ地にもなっています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

   
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 厳島神社の宮司、35年ぶり交代
2014-07-20 Sun 14:43
 厳島神社(広島県廿日市市)の野坂元良宮司が高齢を理由に退任し、元良氏の次男で権宮司の元明氏が新たな宮司に就任しました。厳島神社での宮司の交代は35年ぶりのことだそうです。というわけで、この35年以内に発行された厳島神社の切手ということで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      厳島神社(第3次国宝)

 これは、1988年6月23日に第3次国宝シリーズ第4集の1枚として発行された厳島神社の60円切手)です。

 厳島神社の創建は推古天皇(在位593-628)の時代にさかのぼるといわれていますが、現在の規模で社殿が建てられたのは平安時代後期のことと考えられています。社殿は鎌倉時代に二度全焼しており、毛利元就(1497-1571)によって改築されたものが現在の社殿の元になっています。

 社殿の中心をなすのは本社(祭神は、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の“宗像三女神”)および摂社客神社(本社の主神に従う外来の神を祀る社)で、本社は本殿・拝殿・祓殿(厄除けなどの神事を行う殿舎)・高舞台・平舞台などからなり、本社の東に摂社客神社の本殿・拝殿・祓殿が建てられています。両社の間には回廊がめぐらされており、昭和切手に取り上げられた大鳥居は重要文化財です。

 切手に取り上げられたのは、摂社客神社の祓殿をやや右正面から眺めた景観で、背後に見える五重塔も重要文化財に指定されています。

 なお、今回ご紹介の切手を含む第3時国宝シリーズについては、拙著『(解説戦後記念切手Ⅶ)昭和終焉の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
   
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 太平天国終結150年
2014-07-19 Sat 18:00
 1864年7月19日に太平天国の乱が終結して、今日でちょうど150年です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      太平天国・カバー

 これは、1951年に中華人民共和国(以下、中国)で発行された“太平天国100年”の記念切手の400円切手1枚と800円切手2枚(図案違いで2種)を貼り、1952年8月5日に上海から英領ヴァージン諸島宛に差し出したカバーです。切手の図案は、上段の400円切手(緑色)と800円切手(赤色)は金田村での蜂起の様子を、下段の800円切手は太平天国の文献と貨幣を描くもので、400円切手にはヴァージン諸島の到着印も押されているのが嬉しいですな。

 さて、太平天国のルーツは、1843年、広東省花県の客家、洪秀全が創始した宗教団体の“拝上帝教”です。洪は幼少時から秀才の誉れが高かった人物ですが、科挙には失敗。挫折の中で病床に臥せっていたときに幻覚を見た際、偶然手にしたプロテスタントの布教文書によってその内容を解釈し、みずからを堕落した中国を救う使命を真の神、天父上帝から与えられた者と確信して、布教活動を開始しました。

 洪の活動は、故郷の広東省では成功しませんでしたが、1847年、馮雲山が洪を迎えて広西省桂平県金田村で拝上帝会を創設すると、急速に勢力を拡大。しかし、新興勢力の急激な拡大は既存の公権力をの摩擦を生じさせることになり、馮雲山ら拝上帝会のメンバーが相次いで逮捕されてしまいます。このため、洪は革命を志向するようになり、1850年、金田村で軍事組織の“団営”を結成し、武装蜂起しました。

 その後、1851年1月11日(道光30年12月10日)、拝上帝会は国号を太平天国とし、洪秀全を天王を自称。清朝に対して公然と反旗を翻します。一般には、これが太平天国の乱の始まりとされており、今回ご紹介のカバーの切手も、ここから起算して100周年になるのを記念して発行されました。

 太平天国は、人間の平等、男女の平等、土地・財産の共有と均分、アヘンの厳禁、偶像の否定等を掲げ、もともとは満州族の習慣であった辮髪を拒否し長髪にしたことから長髪賊の乱とも呼ばれています。その後、勢力を拡大した太平天国は、金田村から藤県を経て永安にいたり、1852年6月には湘江に到着。同年末には漢陽・漢口を、1853年1月には武昌を攻略し、同年3月19日には江寧(南京)を陥落させ、ここを天京と改名し、王朝を樹立しました。

 その後、太平天国は、天京を拠点に清朝と戦いましたが、1856年頃からは内紛が激化。さらに、清朝側の巻き返しに加え、曽国藩ひきいる湘軍などの郷勇や英国人ゴードンひきいる常勝軍などの攻撃をうけて、1864年に滅亡しました。ちなみに、太平天国の事実上の最後の戦いとなった首都天京をめぐる攻防戦に際しては、天京を占領した湘軍が、占領後、老人や子供を含む20万人以上を虐殺しています。これがホントの南京大虐殺というわけですな。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ヴァージン諸島は正式なメンバーではありませんが、準加盟国・地域として共同体に参加しています)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
 
     
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 スーフリエール・ヒルズ噴火の日
2014-07-18 Fri 22:53
 今日(18日)は、1995年7月18日、カリブ海の英領植民地モントセラトで、首都プリマスの近郊にあるスーフリエール・ヒルズが大噴火を起こし、人口の3分の2が島外に脱出するという出来事があった日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モントセラト300年

 これは、1932年にモントセラトで発行された“モントセラト300年”の記念切手で、スーフリエール・ヒルズを背景に、当時のプリマスの風景が描かれています。

 モントセラト島は、1493年11月3日、クリストファー・コロンブスが発見し、スペインのモンセラート修道院にちなんで“サンタ・マリア・デ・モントセラテ”と命名しました。スペイン人はこの島に興味を示さなかったため、1631年、英国によって、アンティグア島とともに、アイルランド系のカトリックを強制移住させる土地とされ(切手左上に描かれた紋章に、アイルランドの象徴として、ハーブを手にした女性が描かれているのはこのためです)、さらに翌1632年、セントキッツ(セントクリストファー)島から到来した英国人プロテスタントが入植してたことで、英国の植民地となりました。

 島の南西部に位置する首府プリマスは、東カリブの重要な港町で、綿や柑橘類、ラム酒などの輸出で繁栄していましたが、1995年の噴火により大きな打撃を受け、人口の3分の2が島外へ避難し、英国が救助のため軍艦を派遣する事態となりました。その後、復興もまだ半ばだった1997年、ふたたびスーフリエール・ヒルズが噴火したことで、プリマスは壊滅的被害を受けたため、翌1998年、首府機能は島の北部に位置するブレイズに移転。現在、プリマスはゴーストタウンと化しており、残念ながら、今回ご紹介の切手に見られるような港町の風景は見られなくなっています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。このうちの“1地域”がモントセラトです)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
 

 *おかげさまで、愛知県名古屋市の栄中日文化センターでの講座は、本日、無事に開講いたしました。今後の内容や途中参加の可否等につきましては、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

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 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 ジャマイカ版“春の庭”
2014-07-17 Thu 20:18
 第151回芥川龍之介賞の受賞作が、柴崎友香氏の『春の庭』に決まったそうです。というわけで、“春の庭”を取り上げたこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャマイカ・ホープガーデン(1948)    ジャマイカ・ホープガーデン(1948)裏

 これは、1948年4月13日、ジャマイカの首都キングストンから英国宛に差し出された絵葉書とその裏面で、絵面にはキングストンの“ホープガーデン”の風景が取り上げられています。南国で四季の差がないジャマイカですが、4月差出の絵葉書なら、まぁ“春の庭”といえないことはないかと思って取り上げました。

 さて、ホープガーデンは、もともと、英国陸軍のリチャード・ホープ少佐の私有地でした。ホープは、1880年、英国政府からジャマイカ島ブルーマウンテンからダウンタウンにまで広がる2000エーカー(約800ヘクタール)の土地を取得し、パイナップルやココア、コーヒー、タバコなどの農場を経営していました。その土地の一部をジャマイカ政庁が買い取って、農業開発のために外来種の植物を実験的に育てていたのが、現在のホープガーデンのルーツです。なお、1950年代にエリザベス女王がジャマイカを訪問した際、女王は、ホープガーデンに対して“ロイヤル・ボタニカル・ガーデン”と称する許可を与えています。現在、ホープガーデンは、カリブ海の(旧)英領地域最大の植物園として、キングストンを代表する観光地の一つとなっています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

      
 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 切手に描かれたソウル:韓国とベルギー
2014-07-16 Wed 18:42
  ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』6月27日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、掲載日がサッカーのW杯で韓国とベルギーの試合が行われた日だったので、韓国とベルギーの歴史的な関係についてまとめてみました。で、その記事には間に合わなかったのですが、記事の内容に関するものとして、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮戦争派遣・ベルギー軍

 これは、朝鮮戦争時に韓国に上陸したベルギー軍の写真絵葉書に、ベルギー切手を貼って消印を押した記念品です。

  韓国とベルギーとの関係は、1901年10月17日、両国間の国交が開かれ、総領事としてレオン・ヴァンカールがソウルに着任したところから始まります。その後、大韓帝国は1905年11月に結ばれた第2次日韓協約によって外交権を失いますが、その後も、日本による韓国併合まで、韓国皇室とベルギー王室との関係は事実上維持されていました。

 そのことを物語るのが、現在、江南の舎堂駅(地下鉄の駅番号は226、433)近くのソウル市立美術館・南ソウル分館です。

 この建物は、もともと、1905年に竣工したベルギー領事館の建物で、当初は、南大門市場に近い会賢洞にありました。地下1階、地上2階建て。外壁は赤レンガと花崗岩で造られた古典主義様式の建物です。

 その後、ベルギー大使館が現在の龍山区漢南洞に移転したため、1970年、韓国商業銀行(1998年に韓一銀行と合併して、現在はウリ銀行)が払い下げを受けて保存・管理することになり、1977年には国の指定史跡第254号に選定されました。そして、ソウル都心の再開発事業のため、1983年、現在の場所に移築され、2004年以降、ソウル市に無償で借り受けて、現在は市立美術館南ソウル分館として利用されています。

 ところで、1901年以来の韓国・ベルギー関係において、特筆すべきは、やはり、朝鮮戦争に際して、累計3171名のベルギー軍が国連軍の一員として参加し、101名が戦死したことでしょう。

 第二次大戦中のベルギーはナチス・ドイツに全土を占領され、政府はロンドンに亡命していましたが、国王レオポルド3世は首都ブリュッセルに残り、ドイツ、オーストリアでの軟禁生活を経て、終戦後はスイスで亡命生活を送っていました。国王は対独協力者ではありませんでしたが、亡命政府に同行しなかったことで反逆罪を問う声が上がり、ベルギーへは帰国できない状況が続きます。

 1946年、ベルギー政府の査問委員会は国王を反逆罪に問わないと決定しましたが、異論が続出したため、1950年に国民投票が実施されます。投票はベルギー国内の南部・オランダ語地域のワロン(復帰反対)と北部・フランス語地域のフランデレン(復帰支持)の地域間対立も絡んで、復帰支持は57%にとどまりましたが、ともかくも、国民投票で過半数が復帰を支持したことで、1950年末、国王は帰国します。
 
 ところが、国王の帰国に際して、反対派は抗議のストライキを敢行し、暴徒化したスト参加者と憲兵隊の衝突で死傷者が発生。このため、国家の分裂を避けるため、1951年7月16日、国王は退位し、息子のボードゥアンが新国王となりました。

 朝鮮戦争が勃発した1950年6月のベルギーは、このように、国王の処遇をめぐって国内の対立が先鋭化していた時期にあたっていました。当時の首相、ジョゼフ・フォリアンは東西冷戦下での共産主義の台頭に強い警戒感を抱いており(国王復帰反対運動には、ワロン以外からも、少なからぬ共産主義者がかかわっています)、戦後復興のための支援を米国から獲得するためにも、国連軍の派遣が決定されると、直ちにベルギー国連部隊(Belgian United Nations Command)の派遣を表明したのです。

 国連部隊には2000人以上の志願者の中から選抜された700人が国内で訓練を受けた後、アントワープから釜山へ向けで出発。1951年1月31日、釜山に到着しています。彼らは、英第29歩兵旅団の指揮下で、1951年4月の臨津江の戦闘に参加し、共産側の攻撃に対して国連軍が撤退する際の退路を確保したほか、“鉄の三角地帯(半島中部の鉄原・金化・平康を結ぶ激戦地域)”で勇敢に戦い、中国人民志願軍に大きな損害を与え、1953年の休戦協定を経て、1955年6月15日、韓国からは完全に撤退しました。

 さて、以前のブログでも少し書きましたが、現在、『朝鮮戦争』と題する拙著を今夏に刊行すべく、準備を進めています。すでに、本文の原稿はできあがっており、現在、粛々と編集作業を進めているところで、8月の全日展の前にも見本ができあがってきそうです。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。 

      
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 モスクワ地下鉄で脱線事故
2014-07-15 Tue 21:55
 日本時間の今日(15日)昼過ぎ(現地時間では朝)、モスクワ市北西部のスラビャンスキー・ブリバール駅近くで地下鉄が脱線し、このブログを更新している時点で、20人が死亡、160人以上が負傷する大事故があったそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モスクワ地下鉄(1935)

 これは、1935年にソ連で発行された「モスクワ地下鉄開通」の記念切手のうち、地下鉄のプラットホームを描いた20コペイカ切手です。
 
 モスクワの地下鉄は、スターリン時代の“第1次5ヵ年計画”によって、1931年に最初の建設計画が決定され、翌1932年から工事がスタートしました。建設計画の策定に際しては、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリンの各地下鉄から技術支援を受けているものの、最終的な設計と建設はソ連の技術者が担当しています。

 その第1号として、ソコーリニキ=パルク・クリトゥーリ間の9.5キロを結ぶ1号線(ソコーリニチェスカヤ線)と、その分岐線としてカリーニスカヤ(現アルバーツカヤ)=スモレンスカヤ間を結ぶ2.1キロを結ぶ3号線(アルバーツコ=ポクローフスカヤ線)の計11.6キロが開通したのは1935年5月のことで、これを記念して、今回ご紹介の切手が発行されました。

 その後、モスクワの地下鉄建設は第二次大戦中も工事が継続されて延伸を重ね、1954年には環状線が完成。現在では12路線・総延長293.1キロの規模を誇り、平日の利用者8-900万人は世界一の東京に次ぐ第2位です。また、モスクワ地下鉄の最大の特徴は、多くの駅で宮殿や美術館を思わせる豪華な装飾が施されている点にあり、通勤客のみならず、多くの観光客を魅了しています。

 僕自身はモスクワへ入ったことがなく、したがって、モスクワの地下鉄にも乗ったことはないのですが、今回ご紹介の切手をはじめ、さまざまな切手を通じてなじみのある鉄道だっただけに、今回の事故は、やはりショックですね。ロシア緊急事態省の発表によると、テロの可能性がないということですが、ともかくも、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、怪我をされた方のご快癒と、一日も早い復旧をお祈りしております。


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 W杯はドイツが優勝
2014-07-14 Mon 22:56
 ブラジルで開催されていたサッカーのW杯は、ドイツの優勝で幕を閉じました。というわけで、きょうは最近入手したドイツ関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      東独・ピカソの鳩絵葉書     東独・ピカソの鳩絵葉書(裏)

 これは、1950年11月に英国シェフィールドで開催される予定だった“平和擁護世界大会”に際して東ドイツで制作された絵葉書とその裏面で、絵面にはピカソの“平和のハト”が大きく取り上げられています。

 平和擁護世界大会は、国際平和の実現と擁護を目的とする国際組織というのが建前ですが、実際には冷戦下の東側諸国から西側へのプロパガンダ色が濃厚な団体でした。このため、1949年4月にパリで第1回大会が開かれた際には、フランス政府が東側諸国代表の入国を拒否したため、チェコ・スロヴァキアのプラハでも会議が同時に行われています。今回ご紹介の葉書の第2回大会に関しても、当初は英国のシェフィールドで行われる予定でしたが、英国政府により入国拒否となった関係者が多かったため、実際には、11月16日から22日の日程で、ポーランドのワルシャワで開催されています。

 ちなみに、この間の1950年3月に開催された平和擁護世界大会第3回常任委員会では、(1)原子兵器の無条件使用禁止、(2)原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現、(3)最初に原子兵器を使用した政府(=米国)を人類に対する犯罪者とみなす――とする“ストックホルム・アピール”が採択され、全世界に署が呼び掛けられています。 

 ちなみに、ワルシャワで行われた第2回平和擁護世界大会には81か国から2065人が参加。朝鮮戦争で北朝鮮が崩壊寸前に追い込まれるという状況の中で、「われわれは朝鮮でいま行われている戦争が朝鮮人民に計り知れない不幸をもたらしているのみならず新しい世界戦争に発展する脅威をはらんでいる点を重視し、この戦争の終結、外国軍隊の朝鮮撤退、朝鮮人民の代表が参加しての南北朝鮮の国内紛争の平和的解決を主張する」とのアピールを採択したほか、日本と西ドイツの“再軍備”を非難し(ただし、組織の性格上、東ドイツやポーランドの“再軍備”は全く問題視されていません)、米国に対して(のみ)核兵器の使用禁止が呼び掛けられました。

 一方、第二次大戦中の1944年、フランス共産党に入党したパブロ・ピカソは、共産主義者として1949年4月の第1回平和擁護世界大会のポスターを制作しました。そのポスターは鳩を大きく取り上げたもので、大いに人気を博したものであったため、その後も、ピカソは平和運動のシンボルとして好んでハトを描くようになり、その多くは、著作権フリーの素材として、切手のみならず、さまざまな場所で用いられています。現在、鳩を平和のシンボルとするイメージが世界的にも定着するようになったのは、ピカソの影響が大きかったといわれています。

 さて、以前のブログでも少し書きましたが、現在、『朝鮮戦争』と題する拙著を今夏に刊行すべく、準備を進めています。すでに、本文の原稿はできあがっており、現在、粛々と編集作業を進めているところで、8月の全日展の前にも見本ができあがってきそうです。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。

*昨晩、カウンターが139万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

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 マラカナン・スタジアムの切手
2014-07-13 Sun 22:55
 早いもので、6月12日(現地時間)に始まったサッカーの第20回ワールドカップ(W杯)ブラジル大会も、明朝の決勝戦で閉幕します。というわけで、決勝戦の舞台となるリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・マラカナンスタジアム     マラカナン・スタジアム遠景

 これは、1950年6月24日、同年のW杯ブラジル大会に際して開催国のブラジルが発行した記念切手で、完成後まもないマラカナン・スタジアム(ポルトガル語ではエスタジオ・ド・マラカナン)が取り上げられています。右側には、昨年11月のリオ訪問時、キリスト像で有名なコルコヴァードの丘から撮影したスタジアム全景の写真を貼っておきました。

 1946年、1950年のワールドカップ開催を決めたブラジルは、大会の決勝戦会場として、世界最大のサッカースタジアムをリオデジャネイロ近郊に建設します。これが、マラカナン・スタジアムで、当初の収容人員は20万人でしたが、1992年のブラジル全国選手権決勝に際してスタンド落下事故が発生したことから、現在は全席椅子席となり、約8万人に削減されました。まぁ、それでも、世界最大規模のサッカー競技場であることには違いないのですが。

 1950年のW杯では、決勝に進出したブラジル代表が、決勝戦でウルグアイに1対2と惜敗。このことは“マラカナンの悲劇”としてブラジル国民の間で長らく語り継がれており、今回のW杯では、マラカナン・スタジアムでの決勝戦で勝利を収めて開催国として優勝するというのがブラジル国民の悲願となっていました。実際、昨年11月に僕が訪ねた時点では、スタジアムの前に「マラカナン 1950・2014」との文字とスタジアムのイラストが入った巨大な幕が掲げられており(下の画像)、あらためて、64年越しの雪辱にかける彼らの意気込みを感じたことを思い出します。

      マラカナン・スタジアム前

 残念ながら、今大会では、ブラジル代表は準決勝のドイツ戦で1対7の大敗を喫してしまいましたので、開催国としてマラカナン・スタジアムで優勝するという悲願の達成は、また次の機会に、ということになりました。とはいえ、今回が64年ぶりの開催ですから、次回のブラジル開催もそれと似たような年月を経てからということになると、おそらく、僕はこの世にいないでしょう。

 なお、ブラジルW杯はまもなく終了してしまいますが、2年後の2016年には、マラカナン・スタジアムをメイン会場として、リオデジャネイロ五輪の開催が予定されています。今年初めの時点では、今夏刊行の予定で計画していたブラジル本の企画も、結局、現時点では日の目を見ないままになっていますので、気持ちを切り替え、2年後を目指して準備を進めることにしますかね。


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 アンギラ独立宣言の日
2014-07-12 Sat 16:29
 きょう(7月12日)は、1967年にカリブ海の英自治領セントクリストファー・ネイヴィス・アンギラからアンギラが分離独立を宣言した日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アンギラ・独立加刷

 これは、1967年7月12日の“独立宣言”後のアンギラで、“セントクリストファー・ネイヴィス・アンギラ”時代の切手の国名表示を抹消し、“独立アンギラ(Independent Anguilla)”の文字を加刷して発行された暫定切手のうち、アンギラ島の地図を取り上げた2ドル50セント切手です。
 
 アンギラは、カリブ海は西インド諸島のリーワード諸島にある島で、セントキッツ・ネイヴィスからは150キロ北方に位置しています。もともと、島の名前は現地語でマリオハナと呼ばれていましたが、島の形がウナギに似ていたため、1493年、クリストファー・コロンブスにより、スペイン語でウナギを意味する“anguila”から命名されました。

 その後、1632年に英国がアンギラ島をアンティグア島の管理下に置き、1650年以降、英国人が入植するようになります。さらに、1825年、アンギラ島は英領セントクリストファー(セントキッツ)島の管理下に移管されました。

  第二次大戦末期の1945年3月、英国は、カリブ海の英領の島々と英領ホンジュラスおよび英領ギアナをまとめて西インド連邦として統合しようという構想を打ち出します。しかし、バハマとバミューダが英本国の提案を拒否したため、1950年、英国は改めてカリブ海連邦の結成を各植民地に提案します。しかし、今度は英領ホンジュラスと英領ギアナがこれを拒否したため、1958年、残りの10の植民地により英連邦内の自治国と して西インド連邦が結成され、連邦の首都はトリニダード・トバゴのポート・オブ・スペインに置かれました。その際、アンギラはセントクリストファー・ネイヴィスの一部として、連邦に加盟することになります。

 ところが、連邦は内部対立からわずか4年で崩壊したため、英領カリブ海地域は再編成されることになり、1967年2月、セントクリストファー島・ネイヴィス島・アンギラ島からなる英自治領“セントクリストファー・ネイヴィス・アンギラ”が結成され、セントクリストファー島のバセテールに首府が置かれました。しかし、自治領の政治的・経済的実権は、最大の人口(といっても、約2万6000名ですが…)を有するセントクリストファー島の出身者がほぼ独占し、アンギラ島でもバセテールから派遣された官吏や警察官が幅を利かせるようになりました。

 このため、セントクリストファー島による事実上の“植民地化”に反発したアンギラは、1967年7月12日、セントクリストファー島の出身者を放逐して独立を宣言するとともに、国際社会に対してアンギラの独立を承認するよう宣伝活動を開始します。今回ご紹介の切手も、そうした文脈で発行されたものです。

 一方、あくまでも“セントクリストファー・ネイヴィス・アンギラ”の枠組の維持を主張し、アンギラの“独立”を認めないバセテールの自治政府は、英本国に対して“分離独立派”の鎮圧を要請。これを受けて、英国は武装警官隊を派遣します。これに対して、アンギラ国民は英国国歌を歌って大歓迎するとともに、喜んで無血投降して、英国直轄領となるこを直訴。このため、“セントクリストファー・ネイヴィス・アンギラ”は解体され、アンギラは英領植民地に戻りました。その後、アンギラ島に対しては、1976年、あらためて同島単独での自治権が与えられ、1980年、正式にセントクリストファー・ネイヴィスから分離されて、現在も英領植民地としての地位を維持しています。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。アンギラは正式なメンバーではありませんが、準加盟国・地域として共同体に参加しています)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 ニューギニアの戦没者を悼む
2014-07-11 Fri 20:51
 オセアニア歴訪中の安倍首相は、きょう(11日)午前、パプアニューギニア北部のウェワクで、旧日本軍を含む第二次大戦中の戦没者の慰霊碑に献花しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ミルン湾MC

 これは、1992年、1992年にオーストラリアが発行した第二次大戦50年の記念切手のうち、ニューギニアでの激戦地であるミルン湾上陸作戦の切手を、その戦死者を悼むオーストラリア兵を取り上げた官製絵葉書に貼って記念押印したものです。

 いわゆる太平洋戦争の開戦後、日本側が制海権を掌握し、南方とのシーレーンを確保するためには、委任統治領のトラック(チューク)諸島にあった海軍基地が有効に機能していることが大前提となっていました。そこで、開戦早々の1942年1月22日、トラック防衛のため、日本軍はニューブリテン島のラバウルに上陸し、ここを攻略して前進拠点とするとともに、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領しました。

 ところが、ラバウルをはじめ、これらの地域は蘭印と隣接するオーストラリア領ニューギニアの中心都市、ポートモレスビーの基地から爆撃圏内にありますので、その安全を確保するためには、ポートモレスビーも押さえておくことが必要となります。

 そこで、1942年5月、日本軍は珊瑚海海戦で海からのポートモレスビー攻略を目指しましたが、これは連合国側によって阻止されました。なお、珊瑚海海戦に参加した連合国の主力は米海軍でしたが、J.C.クレース少将を司令官とする第3群にはオーストラリア海軍の重巡洋艦オーストラリアと軽巡洋艦ホバートも参加していたことは記憶にとどめておいてよいでしょう。

 さらに、1ヶ月後の同年6月、ミッドウェイ海戦で日本海軍は虎の子の大型空母4隻を失い、海からポートモレスビーを攻略することは不可能となりました。

 そこで、日本軍は、ニューギニア島南東端まで600キロの全長があり、標高4072メートルのヴィクトリア山を擁するオーエンスタンレー山脈のジャングルを越えてポートモレスビーを目指すことになります。

 一方、オーストラリアにとっては、ポートモレスビーは本土防衛のための防衛線として、絶対に譲ることのできない拠点でした。また、フィリピンから撤退してオーストラリアを反攻の拠点としていたマッカーサーは、オーストラリアからニューギニアの島伝いに北上して前進基地を確保し、最終的にフィリピンに到達するという基本方針を立てていました。いわゆる「蛙飛び作戦」です。

 このため、珊瑚海海戦と前後して、ポートモレスビーのオーストラリア行政府は多数の現地住民を徴用し、対日戦に備えての軍事関連施設の建設を急ぎます。これに加えて、約3000名といわれる米軍工兵隊も飛行場建設のためにニューギニアに上陸。1942年6月には、マッカーサーがトマス・ブレイミー(オーストラリア軍最高司令官)指揮下のニューギニア部隊司令官であったバジル・モリス少将にブナの確保を命じ、オーストラリア軍第39大隊が派遣されました。

 ブナはニューギニア島の東部北側にある海辺の町で、ポートモレスビーからはオーエンスタンレー山脈(以下、スタンレー山脈)を越えて155キロの地点にあります。さらに、ブナとポートモレスビーの間にあるのが、オーストラリア領ニューギニア唯一の飛行場があったココダです。

 第39大隊の派遣に伴い、オーストラリア行政府は、約800人の現地男性を徴用し、ココダ街道の出発点から中継地点まで食料を運ばせました。また、ブナの近郊では、小型艦艇によって運び込まれた物資を運ぶため、さらに1500人の労働者が徴用され、さらに多くの者がココダ街道沿いで徴用されています。

 高低の差が激しく、人跡未踏のジャングルが広がる中での荷役作業はきわめて過酷でしたが、オーストラリア支配下のニューギニアでは、現地住民がオーストラリア行政府の命に背いて徴用を拒否すれば、厳しい処罰が待ち受けていたため、彼らはしぶしぶ作業を引き受けていたといわれています。仮に、日本の統治下で行われた朝鮮人の徴用を仮に“強制連行”というのなら、オーストラリア行政府がニューギニアでやったことこそ、まさしく“強制連行”にほかならなかったわけです

 こうした状況の下で、1942年7月21日、ついに、日本陸軍第17軍の南海支隊(高知の歩兵第144聯隊と福山の歩兵第41聯隊を主力とし、独立工兵15聯隊などの配属部隊から編成)の先遣隊が、ニューギニア島北岸のバサブアに上陸。スタンレー山脈をめざして進撃を開始し、29日にはココダのオーストラリア軍陣地を占領しました。

 日本軍の上陸とともに、現地住民からなるニューギニア兵の多くが逃亡。彼らの間では、東南アジアを席巻していた日本軍に対してオーストラリア軍には勝ち目がないとの判断が一般的でしたし、さらに、オーストラリア行政府による白人支配に反感を持つ者も少なくなかったからです。実際、ブナ近郊では、それまでのオーストラリア行政府に対する“復讐”として、撃墜された米軍航空兵5名が殺害され、オーストラリアの軍人5名、宣教師6名、民間人4名が捕らえられる事件も起こりました。

 一方、オーストラリア側は、現地住民の徴用をさらに強化することで、補給の拡充をはかろうとします。また、米陸軍航空隊から複数のダグラスDC-3輸送機を確保し、DC-3輸送機は戦線に近いミョーラ地区(元は湖でしたが干上がって陸地になったという地区)に補給物資の空中投下を行いましたが、投下された軍事物資の多くが将兵の手に渡らずにジャングルの中に紛れ込んだか、投下の際に破損してしまったとのことです。

 続いて8月18日には、南海支隊主力がブナに上陸し、ポートモレスビーへむけての進撃を開始。日豪両軍は、8月26日、スタンレー山中のイスラバでついに激突します。迎え撃つオーストラリア軍は、現地住民を動員して堅牢な陣地を築いていましたが、第144連隊は苦戦の後、第41連隊の増援を得て同月31日、ついに、イスラバが陥落しました。

 その後、日本軍は9月2日にギャップ、4日にスタンレー山脈の峠と駒を進め、8日にはエフォギを占領し、13日には、イオリバイワのオーストラリア軍第25旅団への攻撃を開始。イオリバイワからポートモレスビーまではわずか50キロです。

 さて、オーストラリア軍の司令官だったモリスは、イオリバイワへの増援として、2個大隊をもつ第21旅団(旅団長はアーノルド・ポッツ准将)と第53大隊を送るとともに、焦土戦略により、日本軍が期待していた現地での物資補給の芽を摘む戦略を採用しました。過酷な自然条件のスタンレー山中では、時間を稼げば稼ぐほど、日本軍は消耗し、みずから撤退せざるを得なくなるだろうとの判断によるものです。

 実際、日本軍の食糧と武器弾薬はこの頃には枯渇しており、第144連隊は病人が続出する中で、地元の農民の畑から芋をあさり、1人1日1合の粥をすすりながら、敵陣への攻撃を続けていたといわれています。

 この結果、9月16日、イオリバイワがついに陥落。この戦闘での日本側が死者72、負傷者81だったのに対して、オーストラリア軍の遺棄死体は120にものぼりました。

 ここにいたり、マッカーサー司令部は、ポートモレスビー陥落の危険性を本気で危惧するようになります。

 そこへ、新たにニューギニア部隊司令官として着任したシドニー・ラウェル中将が、日本軍は長期にわたる進出とオーストラリア軍の抵抗によってかなり消耗しており、増援部隊が到着しない以上、オーストラリア軍第21ならびに第25旅団で日本軍を撃破することは十分に可能だと主張しました。

 じっさい、この頃にはガダルカナルでの戦闘が始まっており、日本軍がガダルカナルとニューギニアの無謀な“二正面作戦”に突入していたこともあって、ラウェルの状況分析は結果的に正しかったといえます。1942年8月下旬から9月初旬にかけて、ニューギニア島東端のミルン湾において、連合軍が建設した飛行場に対して、日本軍が海軍陸戦隊を上陸させて占領を試みたものの敗退した「ミルン灣の戦い」は、まさに、その予兆ともいうべきものでした。

 しかし、それまで、日本軍の前に敗走を重ねていた(少なくとも、マッカーサーの眼にはそう映っていた)オーストラリア軍に対する司令部の不信感は払拭されず、第21旅団を率いたポッツはもちろん、ラウェル中将も、指揮権を剥奪されてしまいます。

 結局、1942年12月1日、マッカーサーは米陸軍第1軍団の軍団長ロバート・アイケルバーガー少将に、「ブナを奪還せよ、さもなくば生還を許さず」と厳命し、部隊をブナへ派遣。みずからもオーストラリアからポートモレスビーに移って態勢を整え、12月末には、米軍がブナの飛行場は奪取しました。

 そして、翌1943年1月2日、ブナの日本軍守備隊が壊滅。日本軍のラバウル攻略からほぼ1年後の同月21日、米豪連合軍がギルワ陣地を占領し、ポートモレスビーの攻防戦は完全に終結することになります。

 一連の戦闘で、日本側は将兵1万1000名のうち7600名が戦死あるいは戦病死という甚大な損害を受けましたが、オーストラリア軍もマラリアで亡くなる者が続出したほか、第16旅団と第25旅団は激しく消耗し、第30旅団が半減するなどの多くの犠牲を払っています。

 また、日豪両軍は、物資の運搬や死傷者の搬送のために多くの現地住民を動員しましたが、いずれの陣営でも、彼らに対して十分な休養や食事、避難所や医療の給与が与えられることはありませんでした。現地住民の住居は撤退する兵士によって焼かれたり、航空機の機銃掃射を受けたりするなどして破壊されたほか、日豪両軍はともに彼らの畑を襲い、部隊が駐留した地域ではマラリアなどが蔓延しています。

 現在のオーストラリアでは、大戦中のニューギニアの現地住民がオーストラリアに対して献身的に協力したとして、彼らを“黒い天使”と称賛しています。ただし、白人の絶対的優位を信じて疑わない“白豪主義”が社会のパラダイムとなっていた当時のオーストラリアで、一般のオーストラリア国民が“黒い天使”に心から敬意を払っていたのかどうか、僕などはいささか疑問を感じずにはいられません。


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 バハマの独立記念日
2014-07-10 Thu 08:46
 きょう(10日)は、カリブ海の島国・バハマが、1973年7月10日に英連邦の一国として独立したことにちなみ、同国の独立記念日になっています。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バハマ(1860)

 これは、1860年に発行されたバハマの1セント切手です。デザイン的には、前年(1859年)に発行された最初の切手と同じですが、最初の切手が無目打なのに対して、1860年発行のモノからは目打が入っています。

 バハマは、1492年10月12日、クリストファー・コロンブスがアメリカで最初に上陸したとされるサン・サルバドル島を含む島国で、1647年以降、英国によって植民地化され、1783年、正式に英領となりました。現在のように英連邦を構成する独立国となったのは1973年7月10日のことでした。

 郵便に関しては、1760年代から英本国との往来があり、地元の新聞社“ザ・バハマ・ガゼット”が新聞を配達する必要から、事実上の郵便局として機能していました。バハマ政庁として正規の郵便局が設置されたのは1788年のことです。1804年には "BAHAMAS"と1行で記した印が使われるようになりました。1841年には英本国との定期便がスタート。1858年には英本国の切手が持ち込まれ、首府のナッソーで"A05"の抹消印が使われましたが、翌1859年からは、バハマ独自の切手の切手が使われています。

 1859年の切手は、ヴィクトリア女王の肖像の左下にパイナップルを、右下に巻貝を描いたデザインです。パイナップルは当時のバハマの代表的な農産物で、巻貝は、バハマ諸島の様々な海の生命を代表するものとして、独立後も国章に描かれています。

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 切手歳時記:夏の富士
2014-07-09 Wed 10:06
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』7月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回は富士山の山開きにあわせて、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      七面山

 これは、1949年7月15日に発行された「富士箱根国立公園」の切手のうち、夏の七面山を取り上げた14円切手です。

 いわゆる「富士箱根国立公園」の切手は1936年7月にも発行されましたが、このときの切手は国立公園制度の発足を記念する宣伝切手ともいうべき性質のもので、制度上、国立公園切手のシリーズ化は1938年12月発行の「日光国立公園」からということになっています。

 国立公園切手は、戦前は昭和16年3月まで発行されましたが、戦争によって発行が中断され、戦後は昭和24年4月に発行の「吉野熊野国立公園」で復活しました。これに続いて1949年7月に発行されたのが「富士箱根国立公園(第2次)」の切手で、写真家・岡田紅葉による四季それぞれの富士の写真が取り上げられています。

 岡田は、1895年、新潟県中魚沼郡中条村(現・十日町市)生まれ。早稲田大学に入学後、写真に興味を持ちはじめ、1916年、忍野村からの富士に出会い、自らの生涯を富士撮影にささげる決意をしたそうです。その後、1923年の関東大震災の被害状況を撮影した『関東大震災記念写真帖』で写真家としての地位を確立し、富士山を中心とした山岳写真、風景写真の第一人者として活躍しました。

 昭和24年の切手は4種セットで発行されましたが、その内訳は、2円切手が三つ峠からの富士(秋)、8円切手が河口湖からの富士(春)、14円切手が七面山からの富士(夏)、24円切手が山中湖からの富士(冬)となっています。当時は、万国郵便連合の規定で、外信葉書用の切手は赤系統、外信書状用の切手は青系統の刷色とすることになっていたため、赤の14円切手には「赤富士」のイメージに近い写真が取り上げられることになったのかもしれません。

 北斎の浮世絵でも知られる「赤富士」は、夏の朝、山の地肌が日光で暗褐色に色づく状態のことで、夏の季語にもなっている。当然、富士の東からでないと見られない風景なのですが、切手の元になった岡田の写真は、富士のほぼ真西に位置する七面山から撮影されたものです。したがって、本来の意味での赤富士の風景ではありませんが、写真の構図と赤い刷色がマッチしているので、それはそれで良しとされたのでしょう。

 ところで、この切手が発行される1ヵ月半前の1949年6月1日、外国郵便料金の改正があり、船便書状の基本料金は16円から24円に、葉書料金は10円から14円に値上げされました。しかし、新料金に対応する普通切手の発行は、姫路城を描く14円切手が1951年3月27日、平等院鳳凰堂を描く二四円切手が1950年11月1日までずれ込んでいます。

 このため、富士箱根国立公園の14円切手と24円切手は、実質的に新料金に相当する準普通切手との意味合いを込め、各500万枚の大量発行となりました。ちなみに、国立公園切手では、1949年4月発行の「吉野熊野国立公園」では、外信用の高額2種の発行枚数は各100万枚で、1950年7月発行の「阿寒国立公園」の場合は各50万枚でしたたから、富士箱根切手の発行枚数は突出しており、まさに、“日本一の山”の面目躍如といったところです。


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 “偉大なる首領”没後20年
2014-07-08 Tue 22:47
 朝鮮民主主義人民共和国という名の下に、事実上の金王朝を樹立した金日成が、1994年7月8日に亡くなってから、今日でちょうど20年です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      万寿台・金日成銅像

 これは、1996年7月8日、金日成の没後2周年に合わせて北朝鮮が発行した「偉大なる首領・金日成同志は永遠に我々とともにある」の切手のうち、金日成が亡くなった直後に万寿台の金日成銅像前に集まって追悼の意を示す北朝鮮の人民の写真が取り上げられています。

 現在、北朝鮮国内にはおびただしい数の金日成の銅像が存在していますが、その最初の一体は、1948年に平壌近郊の万景台革命遺子女学院(現在の万景台革命学院)に建てられたものといわれています。その後、金日成の独裁体制が強化されていくにつれ、彼の銅像は、順次、各道、直轄市人民委員会所在地や規模の大きな市、軍の所在地等に建てられ、1955年8月7日には、彼の抗日活動の最大の事績とされる普天堡戦闘の現場にも建立されました。

 今回ご紹介の小型シートに取り上げられているのは、1972年4月15日、金日成の還暦記念事業の一環として、“金正日の指導”により、平壌の中心部・万寿台にある朝鮮革命博物館の前に建てられたもので、金日成の銅像としては最も有名なものと言ってよいと思います。銅像は高さ約25メートルという巨大なもので、金日成個人崇拝の強化とならんで、この“金正日の指導”の体制が確立したことを内外に示すために建立されました。

 平壌で最も高い丘である万寿台の上に建てられていることもあり、この銅像は、(物理的にも)偉大なる首領が平壌市内を睥睨する格好になっています。今回ご紹介の小型シートでは、また銅像の周囲に集まって哀悼の意を表する人々の様子が描かれており、この銅像を含む彫刻群像の全体像がうかがえるようになっていますが、これを見ると、あらためて、銅像の巨大さが実感できますな。

 ちなみに、現在、万寿台の朝鮮革命博物館前には、金日成像と並んで金正日の巨大な銅像が建立されており、金正恩体制下の2012年にはその両者を取り上げた小型シートも発行されています。こちらについては、いずれ機会があれば、このブログでもご紹介したいと思います。

 さて、以前のブログでも少し書きましたが、現在、、朝鮮戦争を題材とした本を今夏に刊行すべく、準備を進めています。すでに、本文の原稿はできあがっており、現在、粛々と編集作業を進めているところで、ひょっとすると、8月の全日展の前にも見本ができあがってくるかもしれません。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 シュワルナゼ元大統領没す
2014-07-07 Mon 22:16
 ソ連末期、ゴルバチョフ政権の外相で、ソ連崩壊後は祖国グルジアの大統領を務めたエドアルド・シェワルナゼ氏(以下、敬称略)が、きょう(7日)、亡くなりました。享年86。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      グルジア・国連加盟1周年

 これは、1993年7月31日にグルジアが発行した国連加盟1周年の記念切手で、グルジア地図(グルジア政府の主張によるものなので、アブハジアなどグルジア政府の支配が及んでいない地域も領土に含まれています)と国旗に国連マークを配したデザインとなっています。ちなみに、グルジアがソ連邦からの分離独立を宣言したのは1991年4月9日のことでしたが、グルジア郵政として発行した正刷切手は、これが最初の1点となります。

 さて、シュワルナゼは、1928年1月25日、ソ連を構成していたグルジア共和国ランチフティ地区ママティ村生まれ。1946年に首都トビリシのコムソモール指導員を皮切りに、地元の共産党組織で頭角を現し、グルジア共産党中央委員、グルジア共和国保安相(のち内相)等を歴任し、1972年、グルジア共産党第一書記に就任。グルジア共和国のトップとして、汚職の摘発に辣腕を振るいました。

 1985年3月、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任すると、同年7月、シェワルナゼはソ連共産党中央委員会政治局員ならびにソ連外相に抜擢されました。

 それまで外交経験は全くなかったシュワルナゼですが、グルジア共産党第一書記として、スタヴロポリ第一書記だったゴルバチョフとは個人的な信仰があったことに加え、グルジアで民族主義への配慮や世論調査の導入、実験的な経済改革等を行っていたことが、ゴルバチョフのペレストロイカ路線と合致していたことが、異例の抜擢の背景にはありました。

 ソ連外相としてのシュワルナゼはゴルバチョフ政権の番頭格として、米国との核軍縮や東西ドイツ統一などを推進。米ソ対立を終わらせ、国際協調の流れを作った立役者の一人となります。しかし、こうした外交路線の転換は共産党保守派の批判を浴び、窮地に追い込まれたゴルバチョフが保守派との妥協に傾くと、「独裁が近づいている」との警告を残して、1990年12月に外相を辞任しました。

 その後、1991年8月のソ連共産党保守派によるクーデターでは、いち早くエリツィン支持と独裁反対を訴え、クリミア半島フォロスの別荘に軟禁状態にあったゴルバチョフを救出することに成功。クーデター後の混乱を収拾させるため、ソ連最末期の外相に復帰しましたが、その努力もむなしく、1991年12月にソ連は崩壊しました。

 ソ連崩壊後、シュワルナゼの祖国グルジアでは、ズヴィアド・ガムサフルディア政権による強権政治が展開されており、アブハジア問題をはじめとする民族紛争と大量難民が発生。このため、1992年1月にクーデターが勃発してガムサフルディアはチェチェン共和国への亡命を余儀なくされます。こうした混乱の中で、同年3月、シュワルナゼは祖国再建のため、グルジアのトップに相当する国家評議会議長に就任。同年10月には最高会議議長に当選し、1995年8月の新憲法制定をはじめ新国家の建設に尽力しました。

 1995年11月には新憲法下での初代大統領に当選し、以後、2003年まで政権を維持します。この間、政権の初期には社会的な安定と経済成長を実現したものの、1998年には暗殺未遂事件が数回発生したことで政権は不安定化。アブハジアや南オセチアをめぐってロシアとの関係も悪化したことなどから、次第に新国家の建設は停滞したうえに旧ソ連時代以来の悪弊であった汚職の蔓延も復活したため、穏健改革派として漸進主義をとるシュワルナゼへの支持も低迷するようになりました。

 そして、2003年11月、議会選挙の不正に抗議して野党勢力が議会を占拠したことから、混乱の責任を取って大統領辞任に追い込まれます。その後、失意の前大統領に対しては、ソ連外相としてドイツ統一に尽力した功績に報いるため、ドイツが亡命を受け入れると表明しましたが、シェワルナゼ本人は、この申し出に感謝しつつも、家族とともに祖国に留まり、闘病生活の末、首都トビリシの病院で亡くなりました。

 謹んでご冥福をお祈りします。


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 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 120年前の自転車郵便
2014-07-06 Sun 22:17
 先ずは、この切手を見ていただきましょう。(画像はクリックで拡大されます)

      米・自転車郵便ラベル

 これは、いまからちょうど120年前の1894年7月6日から、米国カリフォルニア州で行われた自転車郵便用のラベルです。

 1894年、米国では経済恐慌が発生し、鉄道会社の4分の1が倒産しました。こうしたなかで、シカゴ郊外のプルマン・カンパニーの労働者が人員整理と賃金カットに対する抗議のストライキを起こすと、米国鉄道労働組合がこれを指示して全米のほとんどの鉄道が停止してしまいました。いわゆるプルマン・ストライキです。

 ストライキの期間中、カリフォルニア州では、ヴィクター自転車フレズノ支店のアーサー・バンタは、少年たちを使って、フレズノ=サンフランシスコ間を自社の自転車で運ぶことを考え、そのために、今回ご紹介のような“切手”を発行しました。切手は菱形で、額面は25セント。周囲の枠内にフレズノ=サンフランシスコの自転車郵便用の“切手”であることを示し、中央には山水戸を走る自転車少年が描かれています。印刷は簡易なオフセットで、目打や裏糊はありません。

 当時の米国の書状基本料金は2セントでしたから、25セントという額面はかなりの割高でしたが、1894年7月6日からストライキが収束する18日までの12日間に380通が運ばれています。

 バンタの“切手”は米国政府の郵政機関が公式に発行したものではなく、一種のラベルのようなものですが、米国史上に残る大ストライキに関係するものということもあって収集家の間では人気があります。

 こうしたこともあって、1935年5月1日には、サンフランシスコからフレズノまで、1894年のストライキの際の自転車郵便を再現するイベントが行われ、1894年の切手のレプリカ(オリジナルと区別するため、十字に筋を入れ“MAIL”の表示を塗りつぶしています)も作られ、記念カバーもつくられています。

 ちなみに、1894年の経済恐慌時の米国では、深刻なデフレの下、失業率が18.4%にも達しており、通貨の供給量を増やして一刻も早くデフレを脱却することが望まれていました。ところが、当時の民主党のクリーブランド政権は、金本位制こそが先進国の証であるとの思い込みから、金本位制の維持に固執していたため、通貨の供給量は増えず、事態を悪化させるばかりでした。

 このため、同年の中間選挙では、与党・民主党は惨敗。このため、クリ―ブラント政権は、金本位制を維持したまま、通貨の供給量を増やすべく、政府による金の保有量を増やすことを考え、1896年2月、J・P・モルガンと英国のロスチャイルドに支援を求め、3億5000万オンスの金塊を調達しています。ただし、その見返りとして、合衆国政府は6500万ドル相当の国債をモルガンに差し出しています。なお、大統領との交渉に際して、合衆国政府の金庫には900万ドル相当の金貨しかないことを知ったモルガンは、「まもなく金兌換のために1000万ドルの小切手を政府に持ち込む男がいるのですが、そうなったらどうするおつもりですか?」とプレッシャーをかけたというから、えげつないものです。

 かくして、金本位制は維持されましたが、デフレで苦しむ農民たちを横目にモルガンやロスチャイルドが暴利をむさぼるという構図も明らかになります。この結果、農民の怒りは爆発し、彼らの代弁者として米国史上屈指の雄弁家、ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが政治の表舞台に登場することになるのですが、そのあたりの事情については、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 岩のドームの郵便学(19)
2014-07-05 Sat 13:26
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』541号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は第4次中東戦争後のエジプトとイスラエルの接近にスポットをあてました。その記事で取り上げたモノの中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・預言者誕生日(1975)

 これは、1975年3月25日、エジプトで発行された“預言者生誕祭”の記念切手で、上部にメッカのカアバ神殿と並んで岩のドームが描かれています。

 第4次中東戦争の戦闘がひとまず終息した後の1973年12月22日、米ソ両国の主導によりジュネーヴで中東和平会議が開催されました。

 米国の目指していた“中東和平”は、端的にいえば、エジプトとイスラエルの単独和平を実現することであり、全当事国間の和平の実現やパレスチナ問題の抜本的解決はその中には含まれていませんでした。米国が、テロ組織とは交渉しないとして、“パレスチナ人の唯一正統な代表”として国連オブザーバーの資格も得ていたPLOを無視しつづけていたのはそのためです。

 さて、会議の席上、キッシンジャーはスエズ運河周辺とゴラン高原でアラブ、イスラエル両軍の兵力を引き離すための協定締結に向けて合同委員会を設置することを提案。これを受けて、1974年1月18日、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定が調印されます。

 この協定は、キッシンジャーと協議を重ねたサダトが、イスラエルに譲歩し、運河東岸には最低限のエジプト軍兵力しか残さないというイスラエルの要求を受け入れたことを受けて締結されたものでした。

 イスラエル軍撤兵の悲願を実現させたエジプトは、同年2月、1967年の第3次中東戦争以来途絶していた米国との外交関係を再開し、ニクソンをエジプトに招待します。

 外交努力によるシナイ半島の奪還という目標が徐々に達成されつつあるのを確認したサダトは、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1975年9月にはシナイ半島での第2次兵力分離協定の調印に成功しました。

 こうしたサダトの姿勢は、関係国との個別交渉を通じて問題の解決を図ろうとするイスラエルの方針に沿ったものであり、「(イスラエルを)承認せず、(イスラエルとは)交渉せず、講和せず」の三不政策を基本方針とする“アラブの大義”という点からは絶対に許容されえないものではあるのですが、シナイ半島奪還というエジプトにとっての現実的な課題を解決するためには背に腹は代えられません。そこで、サダトとしては、「アラブの盟主であるエジプトは、アラブを代表して、パレスチナ問題の解決も含めてイスラエルと交渉しているのだ」という建前を掲げる必要が生じます。

 今回ご紹介の切手は、まさに、第2次兵力分離協定の交渉が進められていた状況下で発行されたもので、岩のドームが取り上げられているのも、そうしたエジプトの姿勢を示すものとみることができましょう。

 切手の題材となった預言者生誕祭は、イスラムの預言者ムハンマドのヒジュラ暦での誕生日、すなわち、ラビー・アル=アウワル月(第3月)12日に行われる祭礼で、完全太陰暦のヒジュラ暦は1年が354日であるため、日本で一般的に用いられている太陽暦の日付は年によって異なってきます。イスラム世界ではほとんどの国で祝日となっており、エジプトでは、特に盛大な祭礼がおこなわれることで有名で、その意味では、エジプト郵政が記念切手を発行しても何ら不思議はありません。

 また、岩のドームは、預言者ムハンマドが大天使ジブリール(ガブリエル)に導かれて天界飛翔の旅に出た際の出発地の岩を覆うように建てられており(そもそも、それが名前の由来です)、それゆえ、イスラムにとっての聖地にもなっています。したがって、預言者生誕祭の記念切手と、岩のドームという組み合わせじたいには、全く違和感はありません。

 ただし、預言者生誕祭は毎年恒例の行事ですが、エジプトでは、前年の1974年まで、生誕祭の記念切手が発行されたことはなく、1975年になって突如発行されています。その背景には、やはり、エルサレムがイスラムの聖地であることのシンボルとして岩のドームの切手を発行することで、エジプトはシナイ半島奪還という自国の利益のためにパレスチナを見捨てたわけではないとの主張を盛り込もうという意図が込められていたとみるのが自然でしょう。

 しかし、エジプトがどれほどそうした切手を発行しようとも、サダト政権が米国の考える“中東和平”の枠組を受け入れ、イスラエルに対する姿勢を急速に軟化させつつあったことは、誰の目にも明らかでした。

 はたして、1977年11月、サダトは、ついに、アラブ国家の元首としてはじめてイスラエルを公式訪問。イスラエル国会で演説し、イスラエルとの単独和平を目指す姿勢を明らかにしています。これを受けて、同年12月、返礼のためにイスラエル首相のベギンもカイロを訪問し、エジプト=イスラエル間の関係は急速に改善されていきました。

 しかし、一連のサダト外交は、結果的に、アラブ諸国・イスラム諸国の激しい反発を招くことになります。次回以降は、そうした文脈で、エジプトとイスラエル以外の国々で発行された岩のドームの切手をご紹介していく予定です。


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 ネイヴィス島出身の“建国の父”
2014-07-04 Fri 12:32
 今日(4日)は、言わずと知れた米国の独立記念日です。というわけで、米国の“建国の父”とされる人物を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アレクサンダー・ハミルトン生誕200年

 これは、カリブ海の島国セントキッツ・ネイヴィス(セントクリストファー・ネイヴィスとも)が、英領時代の1957年、ネイヴィス島出身で米国の初代財務長官として、米国の10ドル紙幣にも取り上げられたアレクサンダー・ハミルトンの生誕200年を記念して発行した切手です。

 アレクサンダー・ハミルトンは、1755年1月、英領西インド諸島のネイヴィス島で生まれました。

 アレクサンダーの父親のジェイムズは、14世紀にまでさかのぼることができるスコットランドの名門の出身でしたが、4男だったため家の財産を相続することはできず、西インド諸島で砂糖や農業用品の売買に手を出したものの、典型的な“士族の商法”でことごとく失敗し、アレクサンダーが生まれた時には落魄の身でした。

 一方、母親のレイチェルは、ネイヴィス島で小さな砂糖農園を営む家に生まれました。16歳の時、彼女の財産目当てに近づいてきたデンマーク人商人のヨハン・ラビーンと結婚しましたが、夫が自分の財産を食いつぶしていくだけなのに耐え切れなくなって、夫の元から出奔。しかし、“金づる”を失うことを恐れたラビーンは離婚を承諾せず、彼女はセントキッツ島(セントクリストファー島)へと逃れ、この地で知り合ったジェイムズと暮らし始めるようになります。ただし、正式な離婚は成立していないので、二人は内縁関係ということになります。

 こうしたことから、“私生児”として生まれたハミルトンは、青年時代まで非常に苦労を重ね、1773年にニューヨークのキングズ・カレッジ(現在のコロンビア大学)に入学。在学中に独立戦争がはじまったことから、これに参加して頭角を現し、総司令官のジョージ・ワシントンの副官を務め、各ステイツの寄り合い所帯でしかなかった北米植民地を統一国家としてまとめあげるため、1787年にフィラデルフィアで憲法起草会議を開催することを提案。憲法の草案を実質的にまとめあげ、1789年にワシントン政権が発足すると、34歳の若さで初代財務長官となり、税関や連邦中央銀行、造幣局の創設などを主導してアメリカ資本主義の基礎を築きました。

 ワシントン政権の政策実務を実質的に一人で取り仕切っていた彼は、いずれは大統領になりたいという野心を抱いていましたが、1796年にワシントンが引退した時点では、61歳だった副大統領のジョン・アダムズや53歳だった元国務長官のトマス・ジェファーソンに比べて、41歳と若すぎたことや、カリブ海の島国で“私生児”(両親は正式な結婚ができなかった)として生まれたという出自の問題、さらにはハミルトンの剛腕に対して反感を持つ者が多かったことなどから、彼を大統領として擁立しようという雰囲気は、ついに、大きな動きとはなりませんでした。

 第2代大統領に当選したアダムズは、ハミルトンに政府を牛耳られることを嫌い、彼を遠ざけましたが、閣僚たちはハミルトンの影響を受けた者が多数派を占めていました。1797年には、マリア・レイノルズという人妻との不倫関係や彼女の夫、ジェイムズに強請られていたスキャンダルが持ち上がりますが、これはハミルトンの名声にとって必ずしも致命的な打撃とはなりませんでした。
 
 しかし、1799年、長年の庇護者であったワシントンが亡くなり、1801年、長年対立してきたジェファーソンが大統領に就任すると、ハミルトンの政治的な影響力は急速に減退。1804年のニューヨーク州知事選を前に、地元メディアが選挙に立候補した副大統領のアーロン・バーとハミルトンの対立を面白おかしく煽ったことで、名誉を傷つけられたと感じたバーと決闘するはめになり、同年7月11日、バーの銃弾に斃れてしまいます。享年49歳。その墓碑銘には「アメリカ国家を創った人物 アレクサンダー・ハミルトン、ここに眠る」と刻まれています。

 なお、彼の生涯については、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも1章を設けて詳しく説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。セントキッツ・ネイヴィスも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 エボラ出血熱の切手
2014-07-03 Thu 21:20
 西アフリカでエボラ出血熱の流行に歯止めがかからない中、昨日(2日)、ガーナの首都アクラで周辺11ヵ国の保健相と世界保健機関(WHO)が対策を話し合う緊急会合を開催しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ウガンダ・国際ボランティア年

 これは、2001年の国際ボランティア年に際してアフリカのウガンダが発行した切手のうち、2000-01年にかけて同国で流行したエボラ出血熱の患者を搬送するボランティアを描いた1枚です。

 エボラウィルスによる死者は、1976年6月、スーダン南部(現・南スーダン)のヌザラで 倉庫番の男性が急に高熱と激しい頭痛・腹痛を感じて入院し、消化器や鼻から出血して死亡したのが最初といわれています。その後、その男性の近くにいた2人も発症。そこから感染が拡大し、最終的に感染者284、死者151という大きな被害が生じました。この時、最初に感染した男性が、ザイールのエボラ川付近の出身だったことから、ウイルスはエボラウィルス、ウイルスによる病気はエボラ出血熱と命名されました。

 エボラウィルスには、感染した動物(これまでに報告されている例としては、チンパンジー、ゴリラ、オオコウモリ、サル、レイヨウ、ヤマアラシなど)の血液、分泌液、臓器、その他の体液に濃厚接触することで感染します。また、感染した人の血液、分泌物、臓器、その他の体液に濃厚接触することで、人から人への感染が起こりますが、葬儀の際、参列者が亡くなった人の遺体に直接触れると、そこから感染することがあるというのですから、恐ろしい話です。

 現在のエボラ出血熱の流行は、2014年2月、ギニアで始まり、西アフリカ諸国経済共同体や欧州委員会の支援もあって、5月に入ると、いったん、状況は改善されるかに見えました。ところが、5月23日から27日にかけて、ギニアで、これまで感染者のなかった地域からも新たな感染者が出たほか、南隣のシエラレオネでも感染者が報告されます。その後、6月に入ると、感染による死者はリベリアにも拡大。WHOによれば、7月1日の時点で、ギニアで感染者413、死者303、リベリアで感染者107、死者65、シエラレオネで感染者239、死者99という深刻な事態となっており、そのことが今回の対策会議開催となったわけです。

 今回の会議で、ガーナのアイテー保健相は「エボラのさらなる流行を食い止めるチャンスはまだ残されている」と各国の代表団に訴えたそうですが、一日も早く、事態が沈静化することを願うばかりです。


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 香港で50万人超えるデモ
2014-07-02 Wed 19:39
 香港で“返還記念日”にあたる昨日(1日)、民主派による大規模なデモが行われ、昨年を大きく上回る51万人(主催者発表)が参加。「香港の民主を守る」などと訴え、中国政府が香港に対する「包括的な統治権」を持つと明記した白書を公開し、1997年以降も50年間は英領時代の制度が維持されるとした“一国二制度”を骨抜きにしようとする中国政府に対して抗議の抗議の声を挙げました。というわけで、今日はデモの出発地となったヴィクトリア・パーク(維多利亞公園)にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・切手100年カバー

 これは、英領時代の香港が1962年に発行した香港切手100周年の記念切手が貼られたカバーで、切手には、ヴィクトリア・パークのヴィクトリア女王像と、エリザベス女王の肖像が並べて描かれています。

 切手に取り上げられたヴィクトリア女王像は、もともとは、1897年、女王の即位60周年を記念して、英本国のピムリコで制作され、現在のスタテュー・スクエア(皇后像廣場。この銅像を置くための広場として作られたので、この名があります)に設置されました。しかし、1941年末に始まる日本占領時代に鋳つぶして軍事資材とするため、占領当局によって接収されて、広場から外されました。しかし、実際に鋳つぶす前に終戦となったため、戦後、銅像は香港政府に返還され、修復されました。

 今回のデモの出発地となったヴィクトリア公園の場所は、第二次大戦以前は、銅鑼湾避風塘として、嵐などの際に船ごと逃げ込む避難所がありましたが、1950年代になって埋め立てられた後、1954年8月以降、修復された女王像を設置するための公園として整備が進められ、1957年10月に完成しました。香港の中心部にあるだけでなく、19ヘクタールもの敷地を有していることから、今回のデモに限らず、政治的な集会の出発点等でしばしば利用されています。

 さて、香港では、先月、2017年に行われる行政長官の選挙の方式を問う模擬選挙が実施され、人口の1割以上の約79万人が投票しました。その背景には、2017年の選挙では市民の直接選挙が導入される見通しとなっているものの、候補者は事実上、中国政府によって決定されることへの香港人の不満があります。これに対して、中国政府は「香港の長期に渡る繁栄と安定は、中央と香港政府が“一国二制度”を守ってきたからである」、「中央は香港に全面的な統治権を持つ」として、完全な自由選挙を求める香港人の声を抑え込もうとしたため、香港人の反中感情が募り、今回のデモにも多くの参加者が集まったというわけです。

 なお、香港とその歴史については、以前、『香港歴史漫郵記』でもまとめたことがありますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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