内藤陽介 Yosuke NAITO
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 レソトでクーデター
2014-08-31 Sun 17:10
 アフリカ南部のレソトで、昨日(30日)、クーデターが発生し、軍が首都マセルにある主要施設を占拠。トーマス・タバネ首相は隣国・南アフリカに逃亡しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      レソト独立記念

 これは、1966年10月4日、レソトの独立当日に発行された独立記念切手で、左側にレソト王室の祖であうモショエショエ1世の肖像が、右側に独立当時の国王モショエショエ2世の肖像が並べて描かれています。

 18世紀末、金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってアフリカ南部に到来したイギリス人は、すでにこの地に住んでいたオランダ系のアフリカーナー(ボーア人)と戦い、ナポレオン戦争中の1795年、ケープタウンを占領。1806年には、ケープ植民地全体を接収します。
 
 ナポレオン戦争後の1815年、ケープ植民地は正式にオランダからイギリスへ譲渡されました。これに伴い、イギリス人の移民が大量に流入したため、アフリカーナーはイギリスの圧迫を逃れて北東部の奥地へ大移動を開始し、先住アフリカ人諸民族と戦いながらトランスヴァール共和国やオレンジ自由国、ナタール共和国を建国しました。

 これに対して、現在の南アフリカ共和国北部に居住していた先住民のソト族は、アフリカーナーの進入に対抗するため、イギリスの保護を受けるようになり、1868年、その居住地域はイギリスの保護領として英領バストランドとなります。1871年、バストランドはイギリスの保護領から植民地となり、翌1872年、現在のレソトの首都であるマセル等にイギリスの郵便局が設けられました。英領ケープ植民地の切手が持ち込まれて使用されるようになったのは、1876年ごろのことです。

 1884年、バストランドは植民地から保護領にもどり、南アフリカ連邦が発足した1910年からは南ア連邦の切手が使用されていましたが、1933年以降、バストランドとして独自の正刷切手が発行されるようになります。

 その後、1959年、イギリスから自治が認められますが、これに伴い、通貨単位もそれまでのポンドからランドに変更。さらに、1965年の自治政府時代を経て、翌1966年10月4日、レソト王国として独立し、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。

 ところで、独立以来、レソトでは何度かクーデターが発生していますが、今回ご紹介の切手に取り上げられたモショエショエ2世もまた、クーデターに翻弄された人物です。

 1966年の独立に際してレソトの政府を率いたのは、バソト国民党のレアブア・ジョナサン内閣でしたが、国王モショエショエ2世はジョナサンの独裁傾向に批判的で、それゆえ、1967年1月以降、事実上の自宅軟禁下に置かれていました。1970年、総選挙バソト国民党が敗北すると、ジョナサンは選挙結果を無効として独裁を強化し、圧力に耐えかねたモショエショエ2世は、壱次、オランダへの亡命を余儀なくされました。その後、国王は政治的な実権のない立憲君主とすることで妥協が成立し、レソトに帰国します。

 ところで、レソトは周囲を南アフリカ共和国(以下、南ア)に囲まれており、経済的にも南アへの依存度が高かったため、独立後のジョナサン政権は、アパルトヘイトに対して強硬姿勢を示していませんでしたが(というよりも、強硬姿勢を示すことができなかったというべきでしょうが)、1970年の総選挙と国王追放後、政権に対する国民の反発が高まり、その不満をそらす必要から、突如、アパルトヘイトを激しく非難し始め、反政府組織だったアフリカ民族会議(ANC)と友好関係を結びます。

 まぁ、このこと自体は国際社会と歩調を合わせたものとして批判の対象にはならないかもしれませんが、結果的に、ジョナサンの“変心”は南アを激怒させ、南ア政府はレソト国内のAMCの拠点に対する越境攻撃を行ったほか、反政府組織の“レソト解放軍”を背後から操ってレソト政府軍と戦わせただけでなく、経済制裁も行うなど、ありとあらゆる手段でレソトに圧力をかけ続けました。

 この結果、レソト経済は停滞し、国民生活は大きな打撃を被りましたが、みずからの権力を維持することに汲々としていたジョナサンは有効な対策を打つことができず、最終的に、1986年1月20日、南アの支援を受けたジャスティン・レハンヤの軍事クーデターによって失脚します。

 クーデターによって樹立された軍事評議会の議長に就任したレハンヤは、正統性を確保するためモショエショエ2世に接近し、制度上、国王は政治の実権を回復します。しかし、情勢が安定し始めると、1987年1月17日には王家の象徴であるバソト・ハット(レソト帽)を中央にあしらった従来の国旗を廃して新国旗を制定するなど、レハンヤは国王を軽んじるようになったため、両者の関係は悪化。このため、1990年、モショエショエ2世は再び海外亡命を余儀なくされ、レハンヤによって皇太子が国王レツィエ3世として擁立されます。

 ただし、モショエショエ2世とレツィエ3世父子の個人的な人間関係は悪くなく、1991年、軍事評議会のエリアス・ラマエマによるクーデターでレハンヤが追放されると、レツィエ3世は父モショエショエ2世への王位の返還を表明します。しかし、ラマエマ政権はこれに反対し、レツィエ3世と対立。このため、1994年8月、レツィエ3世は、モショエショエ2世への王位の返還などを求めて、憲法を停止し、議会・内閣の解散を一方的に宣言するクーデターを起こします。しかし、国王によるクーデターには国民の反発も強く、翌9月にはゼネラル・ストライキや抗議デモが発生して国内が混乱したこともあり、周辺諸国の調停もあって、レツィエ3世が退位し、モショエショエ2世が王位に復帰するとともに、王権は制限されるということで決着が図られました。

 こうして、1995年1月、レソト国王の座に返り咲いたモショエショエ2世でしたが、翌1996年1月、交通事故により崩御したため、レツィエ3世が王位に復帰し、現在に至るまでその地位を保っています。


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 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

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 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。

 * 表向き、応募の〆切は過ぎていますが、直接内藤宛にご連絡いただければ、お席は確保できます。どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 インドのモディ首相、訪日
2014-08-30 Sat 16:36
 インドのナレンドラ・モディ首相が、今日(30日)から、公賓として来日します。同首相は、ことし5月の就任後初の主要国訪問として日本を選び、経済と安全保障の分野を中心に日本との関係を強化したいという考えを強調しています。というわけで、日印友好の切手ということでこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・両陛下ご来訪

 これは、昨年(2013年)12月5日にインドで発行された“日本の天皇・皇后両陛下ご来訪記念”の小型シートで、両国の象徴として、デリーのクトゥブ・ミナールと東京タワーが並んで取り上げられています。

 天皇皇后両陛下は2013年11月30日から12月6日まで、インドを公式訪問されました。両陛下のインド公式訪問は、天皇陛下が皇太子時代の1960年以来、53年ぶりで、歴代天皇のインド訪問は、これが最初のことでした。

 両陛下は、11月30日、専用機で羽田をご出発になり、ニューデリーのパラム空軍基地にご到着。シン首相ご夫妻の出迎えを受けられました。

 翌12月1日から3日まで、両陛下はニューデリーに滞在され、歓迎式典とムカジー大統領との歓談、大統領主催の晩餐会に出席されたほか、公園での市民との交流、ニューデリーの日本大使公邸(庭には1960年に陛下ご自身が記念植樹された菩提樹があります)で在留日本人とのご懇談、ガンジー廟のご訪問と供花、ネルー大学での日本語を学ぶインド人学生との歓談、インド国際センターご訪問(1960年のご訪問時に定礎式に出席され、礎石には「THE CROWN PRINCE AKIHITO OF JAPAN」の文字がある)、ニューデリー日本人学校ご訪問、日本大使公邸での大使夫妻主催のレセプション(東日本大震災直後、宮城県女川町で救助活動を行った国家災害対応部隊のアローク・アワスティ隊長に謝意を伝えられたそうです)などの日程をこなされました。

 4-5日は政府専用機で南部タミルナドゥ州の州都、チェンナイ(旧マドラス)に移動され、インド屈指の古典舞踊家を養成するカラクシェトラ芸術学院、ギンディー国立公園内の児童公園、タミルナドゥ障害者協会をご訪問になり、6日午前、羽田空港にご帰朝なさいました。

 日本側では両陛下ご訪印の記念切手は発行されませんでしたが、10年以上にわたり両陛下の御訪問を切望していたインド側は、両陛下ご帰国の日の12月5日、両国友好の象徴として今回のシートを発行し、ご訪印に対する感謝の意を表していますが、フィラテリストとしては、こちらこそ記念切手を発行してくれたインド郵政にお礼を申し上げたいくらいです。

 いずれにせよ、こういう友好国は、もっと大事にしないといけませんね。


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 泰国郵便学(32)
2014-08-29 Fri 02:47
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第48巻第4号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、1969年2月の総選挙以降のトピックをいろいろと取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・錫

 これは、1969年11月18日、タイの輸出産業を紹介する一環として、錫鉱山を取り上げた切手です。ちなみに、切手が発行される前年の1968年、タイはILO条約の中の「鉱山の地下作業への最低就労年齢に関する条約」を批准していますので、今回ご紹介の切手には、前年批准したILO条約をきちんと遵守していることをアピールする意図も込められていたのかもしれません。

 じっさい、 アンダマン海に面したプーケット県、パンガー県、ラノーン県には豊かな錫の鉱床があり(余談ですが、観光地として開発が進められる以前のプーケット経済は錫によって支えられていました)、アユッタヤー王朝時代の1518年には現在のタイの領域で初めて錫が産出したとの記録があります。

 錫の輸出が始まったのは、16世紀、ポルトガル人がプーケットを交易の拠点としてからのことですが、19世紀に入って缶詰・石油缶が発明され錫の需要が急増すると、多数の華人労働者が流入して錫鉱山の開発が進められ、20世紀初頭までには、タイは世界的な錫の産出国となりました。今回ご紹介の切手は、一義的には、そうしたタイの錫産業を対外的に宣伝するためのもので、その甲斐あってか、1976-82年にはタイの錫産出高はマレーシアに次いで世界第2位の規模を誇るまでになりました。

 ところで、錫には山錫と川錫(砂錫とも)があります。

 錫の鉱床は主として花崗岩に関連して存在していますが(ペグマタイト、堆積岩へ貫入したグライゼン、スカルンなど)、その岩塊を砕いて採集するのが山錫です。一方、花崗岩は風化に弱い岩石で、地表の露頭は長い年月の間にボロボロに崩れ、雨水に流されて下流の河川沿いに堆積します。そのため沖積層中(漂砂鉱床)にもスズが大量に、かつ高純度で含まれていることがあり、これが川錫とよばれます。

 切手の図案について公式な説明はないのですがが、おそらく、一大生産地であったプーケットでの川錫の採取と選別の風景ではないかと考えられます。

 なお、最盛期にはタイ国内で700近い錫鉱山が稼働しており、1985年以前はおおむね年産4万トン以上の産出がありましたが(ピーク時の1979年は4万6364トンの産出)、1985年に国際市場で錫の価格が急落。さらに、中国やブラジルなどの新興国でより安い錫が産出されるようになったことで、タイの錫産業は壊滅的な打撃を受けました。この結果、2007年の時点では年産2万7542トンにまで落ち込み、操業を続けている鉱山もわずか11、精錬会社もプーケットのタイ精錬精製株式会社1社のみとなり、原材料の大半は輸入に頼っているというのが現状です。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、ちょっと寂しいですな。

     
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 デング熱に気をつけよう
2014-08-28 Thu 17:38
 昨日(27日)、埼玉県内に住む10代後半の女性が、東南アジアや中南米で流行しているデング熱に感染し手いたことが明らかになりました。女性は海外への渡航歴がなく、国内で感染したとみられています。海外渡航者の感染は毎年200人程度確認されていますが、渡航歴がない人の国内での感染確認は約70年ぶりなのだとか。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ワリス・フテュナ デング熱

 これは、2004年に南太平洋のフランスの海外準県、ワリス・フテュナで発行されたデング熱予防キャンペーンの切手が4種収められた小型シートです。原画はいずれも地元の子供たちが書いた児童画ですが、なかなかインパクトがありますな。

 切手を発行したワリス・フテュナは、南太平洋のハワイからニュージーランドまでの中間よりややハワイ寄りの地点にある環礁で、 その名の通り、ウォリス諸島とフツナ諸島に分かれます。このうち、ウォリス諸島はウォリス・フツナの中核をなすウベア島(ウォリス島)と周囲の小さなサンゴ礁からなり、フテュナ諸島はフテュナ島とアロフィ島から構成されています。主要3島はいずれも火山性の島です。

 もともと、この地域には、ウベア島のウベア、フテュナ島のシガベ、アロフィ島のアロの3つの首長国が存在していましたが、1616年、オランダのJ・ル・メールがヨーロッパ人として初めてフテュナ島に到来。ついで、1767年には英国のサミュエル・ウォリスがウベア島(ウォリス島)に到来しました。

 その後、1837年にフランス人の宣教師が上陸し、島民のカトリックへの布教を進めましたが、1842年、先住民たちの間で内戦が発生。これを機に、一部の先住民がフランス人に保護を求めたことから、フランスの影響が強まり、1887年、ウベア島の女王が公式にフランス保護領となる条約に調印。これに続いて、シガベとアロの王も1888年にフランスの保護領となる条約に調印し、3王国はフランスのニューカレドニア植民地の管理下に置かれることになりました。これを受けて、1905年、ニューカレドニア切手に地名を加刷した最初の切手が発行されています。

 第一次大戦中の1917年、3王国はフランスに併合され、ニューカレドニア管轄下の仏領ワリス・フテュナに再編成されます。第二次世界大戦後の1958年、フランス第5共和政が発足すると、翌1959年、ワリス・フテュナでも住民投票が行われ、その結果、1961年にフランスの海外領土に昇格。さらに、2003年には海外準県に移行しました。

 さて、70年ぶりに国内での感染者が見つかったというデング熱は、熱帯や亜熱帯に生息するヒトスジシマカなどがデングウイルスを媒介して感染する病気で、蚊に刺されて1週間前後、人によっては2週間ほどの潜伏期間を経て発熱。頭痛、関節痛、腹痛などが続くものの、通常は1週間で回復します。ただし、重症の“デング出血熱”になった場合には、稀に死亡することもあるそうです。予防ワクチンが存在しないので未然に感染を防ぐことが重要で、今回ご紹介の切手も、病気予防のための注意を喚起するような内容となっています。

 もっとも、厚生労働省によれば、「デング熱は人から人への直接の感染はなく、発症しても重症化することはまれ」だそうですから、同省が呼び掛けている通り、70年ぶりという言葉に過剰反応せず、冷静に対応すればそれで十分ということなのでしょう。まぁ、12月に開催の世界切手展<MALAYSIA 2014>でクアラルンプールに行く際には、念のため、虫よけスプレーと蚊取り線香をスーツケースの中に入れておくのを忘れないようにはしますが。
  
     
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 米倉斉加年の『椰子の実』
2014-08-27 Wed 11:44
 俳優で、演出家、画家・絵本作家としても知られる米倉斉加年さん(以下、敬称略)が、きのう(26日)、腹部大動脈瘤破裂のため福岡市内の病院で亡くなりました。享年80歳。謹んでご冥福をお祈りします。で、米倉さんといえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      椰子の実

 これは、1981年2月9日、日本の歌シリーズ第8集として発行された“椰子の実”の切手です。当初、日本の歌シリーズの第8集は、1981年1月発行の予定でしたが、1月20日に郵便料金の改正があったことから、料金改正後の2月に発行がずれ込んでいます。なお、記念特殊切手としては、今回の切手が封書60円時代の新料金に対応した最初のものとなりました。

 切手の題材となった『椰子の実』は、1901年に発表された島崎藤村の詩に、大中寅二が曲をつけ、1936年にNHKのラジオ番組「国民歌謡」で発表されたものです。

 作曲者の大中寅二は、1896年、東京生まれ。同志社大学経済学部を卒業後、東京・赤坂の日本基督教団霊南坂教会のオルガニストとなりました。山田耕筰に作曲を学び、礼拝用のリードオルガン曲や賛美歌などの教会音楽を多く作曲しています。

 一方、切手の原画を制作した米倉斉加年は、1934年、福岡県福岡市生まれ。西南学院大学文学部英文科在学中に演劇に目覚め、大学を中退して1957年に劇団民藝入団。芸術座公演「ラブ」ほかの演技で1966年の紀伊国屋演劇賞を受賞したほか、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」、「花神」、「勝海舟」、映画「真田風雲録」、「動乱」、「男はつらいよ」シリーズなど多数に出演したほか、演出家としても活躍しました。

 1970年頃から絵日記や挿絵を発表して画家・絵本作家の活動を始め、1976年のボローニャ国際児童図書展で、 子供の本の部に出品した『魔法の使い方を教えます。』がグラフィック大賞を、翌1977年の同展で青少年の本の部に出品した『多毛留』 が、やはりグラフィック大賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を得ています。なお、同展で2年連続大賞を受賞したのは米倉が最初でした。

 日本の歌シリーズの企画は、切手の原画については、著名な画家、絵本作家などに委嘱し、歌の持つイメージを絵として表現し、それに楽譜および歌詞の一部を盛り込んだものとするとの方針の下、森田曠平(日本画家)、石川滋彦(洋画家)、河野鷹思(デザイナー)の意見を参考にして、原画制作を委嘱する人物が選ばれました。その企画が進められていた時期は、まさに、米倉が画家・絵本作家としても注目を集めるようになっていた時期に重なっており、郵政省としても、彼の原画を切手にするということを、シリーズの一つの目玉と考えていたのではないかと思います。

 切手は、月と椰子の木が一本だけ生えた南の島、ボート、火の見やぐら、雑木林と雁の群れなどを描き、頬づえをついた少女が『椰子の実』の歌を空想しているようすが表現されているそうです。ちなみに、この切手が発行された1981年当時、僕は中学生でしたが、実物の切手を見た瞬間、切手に描かれた少女は“椰子の実”を擬人化したのだと勘違いし、その後もしばらく、そう思い込んでいました。それって、僕だけじゃないと思うんですが…。

     
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 フランス解放とアフリカ兵
2014-08-26 Tue 22:37
 昨日(25日)は、1944年8月25日のパリ解放から70周年ということで、パリ市庁舎前で記念式典が開かれ、オランド大統領が集まった市民に「パリ解放はフランスの勝利であり、それを支えた全ての人の勝利だ。」と演説したそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      仏領スーダン・アフリカ兵

 これは、第二次大戦中の仏領スーダン(現マリ)で発行された国防献金を集めるための寄附金つき切手で、現地で徴募されたアフリカ兵が大きく描かれています。

 1939年9月1日、第二次欧州大戦が勃発した時点の仏領西アフリカ連邦総督は、同年8月10日に着任したばかりのレオン・アンリ・シャルル・カイラでした。しかし、カイラは本国の対独降伏に抗議して1940年6月25日に辞職してしまいます。このため、ヴィシー政府は、カイラの前任者で隣接する仏領赤道アフリカの総督に転出していたピエール・フランソワ・ボアッソンを西アフリカ総督に復帰させ、この地がド・ゴール派に流れるのを阻止しようとしました。

 ボアッソンは、1935年5月7日から12月5日まで、当時の西アフリカ総督ジョセフ・ジュレ・ブレヴィエの下で総督代理を務めたほか、1938年10月28日から1939年8月10日まで正規の西アフリカ総督を務めた経験もある仏領アフリカ植民地の専門家であったため、西アフリカ総督復帰とともに、ヴィシー政府派の全仏領アフリカを管轄する高等弁務官も兼務することになります。ちなみに、ボアッソンが離任した後の赤道アフリカでは、チャドが自由フランス側に加わり、カメルーンとガボンがこれに続きました。

 仏領西アフリカの“中立化”に成功したドイツは、西アフリカ有数の港であるドイツを潜水艦の基地として使用することを計画。このため、これを阻止すべく、自由フランス軍は英国の支援を受けてダカールへの上陸を試みたものの、結局、上陸は果たせないまま、撤退を余儀なくされています。

 これに先立ち、フランスの降伏直後の1940年7月3日、英国はアルジェリアのメルセルビケール軍港を攻撃しました。フランス艦隊がドイツ側の手に落ちないよう無力化するというのがその目的でしたが、この攻撃はフランス国内の反英世論を醸成する結果となります。

 メルセルビケール軍港への攻撃に続き、ダカールまでもが英国(の支援を受けた自由フランス軍)の攻撃を受けたことで、ヴィシー政府の対英不信は決定的なものとなり、彼らは頑なに“中立”を守ることになります。

 一方、ダカールの攻略に失敗した英国は仏領西アフリカに対して海上封鎖を行ったため、貿易が途絶した仏領西アフリカの経済は大きな打撃を受けました。このため、ボアッソンはセネガル地域での“落花生増産運動”を展開し、仏領スーダンや同ギニアから累計4万5000人もの労働者を動員しています。

 こうした状況の下で、1942年11月8日、連合軍はカサブランカ、オラン、アルジェへの上陸作戦を敢行。11月11日までにこの地域のヴィシー・フランス軍を降伏させます。事態の転換を受けて、12月7日、ボアッソンは連合国支持を表明し、ヴィシー政権から離脱しました。

 自由フランスへの合流後、仏領西アフリカからは10万を超える多数の兵士が動員されています。

 もともと、自由フランスが発足した当初、フランス白人の大半はヴィシー政府によってともかくもフランス国家が存続したことを肯定的にとらえており、ド・ゴールを軍事的に支えたのは仏領赤道アフリカ出身ののアフリカ系兵士たちでした。その割合は、最大時、自由フランスの全兵力の3分の2を占めており、1940年の戦闘だけで、1万7000人のアフリカ出身の兵士が戦死し、多くが枢軸側の捕虜となっています。自由フランス軍の勝利は、まさに、今回ご紹介の切手に描かれているような、アフリカ兵の多大な犠牲なくしてはありえなかったのです。

  こうした記憶は、現在なおフランス社会には生きていて、たとえば、2013年2月、フランス軍の軍事介入によって反政府武装勢力が主要都市から撤退したことを受けてマリを訪問したフランス大統領フランソワ・オランドが「(今回の)フランスの介入でマリとアフリカが第二次大戦の時にフランス側で戦ってくれたことへの借りを返すことができた。フランスが支援を求めている時に来てくれたのはアフリカでありマリ(第二次大戦当時は仏領スーダン)だった。ありがとう、マリ」と演説していることからもうかがえましょう。もちろん、昨日の演説での「(自由フランスを)支えた全ての人の勝利だ。」との一節にある“全ての人々”の中に、アフリカ系の兵士たちが含まれていることは言うまでもありません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

     
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 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

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 最後の残留日本兵、亡くなる
2014-08-25 Mon 16:25
 第2次大戦後、インドネシアに残りオランダからの独立戦争に参加した元残留日本兵の最後の生き残りとなっていた小野盛さん(インドネシア名・ラフマット)が、けさ、東ジャワ州マランの病院で亡くなりました。享年94歳。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ・軍事郵便用はがき用紙使用

 これは、インドネシア独立戦争期の1946年2月8日、ジャワ島のマランから島内のマゲラン宛に差し出された葉書で、日本時代に発行された水牛農耕図案の5セント葉書がそのまま使用されています。

 日本占領時代のジャワ島では、1945年1月20日以降、水牛農耕図案の切手とほぼ同じデザインの印面の葉書が使用されていました。当初の額面は3.5センでしたが、終戦間際の1945年7月1日には郵便料金の改正があり、葉書料金が5センに値上げされたため、同日付でデザインはそのままに、額面を5センに改めた葉書も発行されています。
 
 ところで、日本占領下のジャワ島の切手と葉書は、バタヴィヤ(現ジャカルタ)のコルフ印刷会社で製造されましたが、同社は、日本軍の軍事郵便用の葉書の印刷も請け負っていたため、同社に残っていた大量の軍事郵便用はがきの用紙に水牛農耕図案の印面を印刷したモノもあります。今回ご紹介の葉書はその一例で、印面の下に”軍事郵便”との印刷が見えます。なお、水牛農耕図案の5セン葉書は、発行後まもなく、日本が降伏し、オランダ領東インドから撤退することになったため、今回ご紹介のモノを含め、その大半が戦後の使用例です。

 日本の敗戦直後の1945年8月17日、スカルノらはインドネシアの独立を宣言しましたが、オランダはこれを認めず、なし崩し的にインドネシア独立戦争が始まります。

 現地に残っていた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、今回亡くなった小野さんのように、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 今回亡くなった小野さんは、終戦時の日本軍での階級は軍曹で、1945年12月29日、辞世の句と写真、髪の毛を封筒に入れて日本に帰る戦友に渡し、親友2人とともに日本軍を離脱。翌30日、インドネシア共和国軍に参加し、インドネシア名“ラフマット”を名乗ることになります。

 その後、独立戦争で軍功を挙げたラフマットこと小野さんは、1948年7月24日、インドネシア側の要請を受けて、総員29名の日本人部隊が結成。当時は、いわゆるレンヴィル協定による一時的な停戦期間中であったため、部隊の活動は極秘とされ、7月30日には“幻の外人部隊”としてオランダ軍を襲撃し、オランダ側の10名を死傷させています。さらに、停戦協定が破棄され、オランダ軍による第2次侵攻が開始されると、小野さんの部隊はゲリラ戦を展開し、オランダ側からは“日本の虎”として大いに恐れられ、小野さんら残留日本兵は高額の懸賞首となりました。特に、1949年2月27日の東部ジャワ州での戦闘に際しては、小野さんは作戦参謀としてインドネシア共和国軍に大きな勝利をもたらしています。

 最終的に、小野さんは独立戦争参加勲章ほか7個の勲章と傷痍軍人章を受け(戦闘により、小野さんは左腕の肘から先を失っています)、予備役インドネシア陸軍少佐として、インドネシア政府から恩給も支給されていました。しかし、その金額はわずかなもので、結局、小野さん自身は現地女性と結婚し、農業で生計を立てていました。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。今回亡くなった小野さんに関しては、ご本人の希望で、彼が長らく生活していた東ジャワ州バトゥの英雄墓地に埋葬される予定だそうです。

 一方、日本国内では、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。インドネシア独立戦争におけるインドネシアの人の犠牲を過小評価し、大東亜戦争がアジア解放の戦いであり、インドネシアの独立も日本軍のおかげだという人は、小野さんたち、インドネシア独立の英雄に対する日本の冷淡な態度をどう考えているのか、ぜひとも、きちんとご説明いただきたいものですな。

 なお、インドネシア独立戦争については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろと取り上げていますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

     
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 ネパールで世界最大の人間国旗
2014-08-24 Sun 17:31
 ネパールの首都カトマンズで、きのう(23日)、3万5000人以上が同市中心部にある広場に集まり、国旗に使われている深紅と青、白のボール紙を手に10分間整列して世界最大の“人間国旗”作りに挑戦しました。これまで、多数の人が集まって国旗を描く人数の現在の世界記録は、今年2月にパキスタンのラホールで達成された2万8957人だそうです。というわけで、今日は、ネパール国旗の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ネパール・第1回総選挙

 これは、1959年2月18日、ネパールで発行された第1回総選挙の記念切手で、ネパール地図に当時の国旗が描かれています。ネパールの切手に同国の国旗が取り上げられたのは、この切手が初めてでした。

 ネパールの国旗は、1768年にネパール王国を統一した王室のシャハ家を示す三日月の入った三角旗と、宰相職を世襲で独占したラナ家を示す太陽の入った三角旗をふたつ組み合わせたもので、2つの三角形により、ヒマラヤの山並ならびに同国二大宗教のヒンドゥー教と仏教を意味を表現したものとなっています。もともと、この国旗の太陽と三日月部分には、今回ご紹介の切手に見られるように、それぞれ、顔が描かれていました。

 さて、今回ご紹介の切手の題材となっているネパール最初の総選挙は、1959年、ネパール最初の憲法が公布されたことを受けて実施されました。選挙で大勝したネパール会議派は、インドの支援を受けてビシュウェシュワール・プラサド・コイララ内閣を発足させ、封建的土地制度の改革に着手。さらに、シャハ家、ラナ家、さらに地方貴族のラジャに対する課税を行うなど、民主化改革を進めたため、マヘンドラ国王らと対立。1960年、国王はクーデターを起こして憲法を停止し、内閣・議会を解散してコイララ首相ら政党指導者を逮捕するとともに、1962年、政党の禁止などを定めた新憲法を公布します。その際、それまでの国旗中の太陽と三日月の中の顔を削除した国旗が精鋭され、それが現在のネパール国旗となりました。

 ちなみに、王制廃止を経た後の現在のネパール政府の公式の説明では、三日月と太陽に関して「この国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いが込められている」と説明しており、国旗のデザインと旧王制は無関係という姿勢を取っています。

     
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 亀戸天神社の大祭
2014-08-23 Sat 23:22
 きょう・あす(23・24日)は亀戸天神社の4年に一度の大祭で、きょうは菅公の御霊を載せた御鳳輦を黒い牛に先導されて歩く“御鳳輦渡御”が拙宅のすぐ近くを通過しました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      菅公行列・牛     菅公・御鳳輦

 で、“天神様”菅原道真と牛いえば、やはり、この切手でしょうか。

      牛乗り天神・くじ付き

 これは、2008年11月4日に発行された平成21年用の年賀切手・くじつき切手の1枚で、広島県三次市の“三次人形”の牛乗り天神が取り上げられています。

 三次人形は江戸時代の寛永年間に、三次藩主・浅野長治が江戸浅草の人形師、森喜三郎を連れ帰リ歴史上の勇者や伝説上の人物の土人形を作らせたことが起源とされています。このうち、菅原道真を題材とする天神像には座像・立像・牛乗り・松負・梅持など数種類ありますが、切手には牛に乗る菅原道真を題材とした“牛乗り天神”の人形が取り上げられました。

 ちなみに、じっさいの行列では、菅公に扮した人物は、牛ではなく、馬に乗っていました。

      菅公行列

 なお、今回ご紹介の切手を含め、年賀切手とその歴史については、拙著『年賀状の戦後史』でもいろいろ解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

     
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 国際赤十字150年
2014-08-22 Fri 12:49
 1864年8月22日、戦時国際法としての傷病者及び捕虜の待遇改善のための国際条約として、ジュネーヴ条約が締結され、国際赤十字社が発足してから、今日(22日)でちょうど150年です。というわけで、今日は赤十字関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      デンマーク・病院船

 これは、朝鮮戦争に際してデンマークが派遣した病院船“ジョットランディア”を描くデンマークの寄附金つき切手とその初日印で、切手には赤十字のマークがしっかり入っています。

 19世紀初頭のナポレオン戦争以来、デンマークは、近隣の列強諸国を刺激せず、中立を維持することを安全保障政策の基本としていました。しかし、第二次大戦中、ナチス・ドイツに国土を蹂躙・占領された経験から、小国として単独で中立を維持することは不可能であると悟り、1949年には北大西洋条約機構(NATO)に加盟しました。

 しかし、その後も、外交・安全保障政策の基本としてあくまでも中立を志向していたため、朝鮮戦争に関しては、国連軍の活動を支援するものの、共産側を過度に刺激しないようにとの配慮から、病院船の派遣と医療支援を行うという結論に到達します。

 こうして、1951年1月23日、デンマーク国旗と赤十字旗、国連旗を掲げた病院船“ジョットランディア”が朝鮮に到着ジョットランディアには4つの手術室と365床のベッド、X線設備などを備えており、4000人余りの志願者から選ばれた42人の医療スタッフが乗船し、仁川や釜山などを移動して医療活動を行いました。

 今回ご紹介の切手は、1951年9月、ジョットランディアがあくまでも非武装の病院船であることを示すとともに、その活動資金を集めるために寄附金つきで発行した切手で、赤十字マークと航行する船の姿が描かれています。

 なお、朝鮮戦争にはさまざまな国がいろいろな形でかかわっていますが、ともすると、韓国・北朝鮮・米国・中国以外の国々については、ともすると忘れられがちです。拙著『朝鮮戦争』では、今回ご紹介のデンマークをはじめ、朝鮮戦争中の上記4カ国以外の活動についてもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *韓国メディア『週刊京郷』8月26日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!(画像は著者インタビューの写真です)

      週間京郷

 記事はこちらです。韓国語ですが、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 111年前の葉書
2014-08-21 Thu 11:26
 きのう(20日)、111歳でさいたま市在住の百井盛さんが“存命中の世界最高齢の男性”としてギネス世界記録に認定されました。というわけで、百井さんが生まれた1903年当時のモノは何かないかと思って探してみたら、こんなモノが出てきました。(画像はクリックで拡大されます)

      廣州フランス局

 これは、1903年2月6日、廣州のフランス局からフランス宛に差し出された葉書です。今回、ギネスで認定された百井さんの誕生日は2月5日ということなので、この葉書は1日だけ、百井さんよりも若いということになります。
 
 さて、中国大陸におけるフランスの郵便活動は、1862年、パリの管轄の下、上海にフランス局を設置したところから始まり、以後、1889年に天津、1898年に漢口および芝罘、1900年に北京、1902年に福州、羅星塔、寧波、厦門に郵便局を開局していきました。

 これと並行して、1899年、廣東省の雷州半島東側付け根にある湾の一帯(現在の廣東省湛江市)を占領し、“廣州湾”の租借に成功したフランスは、翌1900年、この地をハノイのインドシナ総督の管轄下に置き、フランス領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジアにほぼ相当)の飛び地のような扱いとします。

 そのうえで、1900年以降、治外法権を援用するかたちで、インドシナ郵政総局の管轄下に、蒙自雲南府(昆明)、海口、廣州、北海、重慶の各地に郵便局を設置していきました。

 今回ご紹介の葉書の廣州局の開局は1901年6月15日のことで、フランス領インドシナ切手に“CANTON/廣州”の地名をバイリンガルで加刷した切手が使用されました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

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 世界一住みやすい都市
2014-08-20 Wed 12:04
 英誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)がまとめた「世界で最も住みやすい都市」のランキングで、オーストラリアのメルボルンが4年連続で1位となったそうです。というわけで、メルボルンに絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・オーストラリア展(1999)切手帳

 これは、1999年3月19日、オーストラリアのメルボルンで開催された世界切手展<Australia 99>に際して、香港郵政が発行した切手帳(の表紙)です。切手帳は、前年(1998年)4月に発行された“スター・フェリー100年”の記念切手4種を2枚ずつ収めたペーン2枚で構成されたもので、表紙の右下には切手展のロゴも入っています。発行枚数が少ないため市場価格は数千円していますが、入手が困難という類のモノではありません。

 さて、スター・フェリー(天星小輪)は維多利亜港(ヴィクトリア・ハーバー)の両岸、尖沙咀(チムサチョイ)=中環(セントラル)、尖沙咀=湾仔(ワンチャイ)、湾仔=紅磡(ホンハム)、中環=紅磡間ならびに観光客用の周遊ルートを運航しているフェリーで、そのルーツは山頂纜車(ピーク・トラム)が開通した1888年にまで遡ります。

 すなわち、1860年代にコックとして香港に渡ってきたボンベイ出身のパルシー教徒、ドラブジー・ノウロジーはアヘンの売買で成功し、1873年には、当時の香港の高級ホテル、香港ホテル内にパン屋を出店。10年後には、香港島・中環の砵典乍街(ポッティンジャー・ストリート)に1軒、九龍市街地に2軒を経営するほどまでにビジネスを拡大しました。これらのホテルにパンを配送するため、ノウロジーは、1888年に九龍フェリー会社を設立。中環と尖沙咀を結ぶ蒸気船フェリーを就航します。その後、1898年になって、ノウロジーは、フェリーの名前にすべて“スター(星)”がついていることから、フェリーの名称を天星小輪(スター・フェリー)に変更して、現在の天星小輪ができあがりました。“スター・フェリー100年”の記念切手もここから起算して発行されたものです。

 なお、天星小輪については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろなエピソードをご紹介しておりますので、機会があり増したら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 切手歳時記:避暑地の恋人
2014-08-19 Tue 20:10
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』8月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、猛暑の折から、避暑地ネタということで、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      湖畔(趣味週間)

 これは、1967年の切手趣味週間の切手で、黒田清輝の「湖畔」が取り上げられています。
 
 この切手に取り上げられた黒田清輝の「湖畔」は、誰もが知っている名画ですが、この作品が、もともと「避暑」という題名だったことを知っている人は、そう多くはないのではないかと思います。

 “日本の洋画の父”と称される黒田清輝が、箱根・芦ノ湖畔の旅館「石川」に当時23歳の金田種子を伴って逗留したのは、1897年夏のことでした。

 1893年にフランス留学から帰国して間もなく、清輝は養父・清綱の決めた相手と結婚しましたが、すぐに離婚。その後、画家仲間の安藤仲太郎の紹介で知り合った種子が事実上の妻となります。

 養父の清綱は、歌人として明治・大正天皇の指南役を務め、貴族院議員・枢密顧問官などを歴任した人物で“芸者あがり”の種子と清輝の結婚を許しませんでした。2人が入籍し、種子が照子と改名したのは1917年に清綱が亡くなった後のことです。

 彼女の証言によると、1897年、箱根滞在中に清輝の仕事ぶりを覗きに行くと、清輝から目の前の岩に座るよう促されたそうです。彼女が言われたとおりに座ると、清輝は大いに絵心をそそられ、下絵も描かずにカンバスに筆を走らせました。ただし、そこは変わりやすい山の気候ゆえ、雨や霧の日などもあって作業は必ずしも順調には進まず、絵の完成までには約一ヵ月を要しています。

 作品は、団扇を右手に持ち、遠くを見るかのような眼差しで、浴衣を着て岩に腰かける種子を前景に描き、背景には、しっとりとした芦ノ湖の静かな湖面と小高い山々が広がっています。作品全体の空気感は、日本の夏に特有の湿った空気が表現されており、瑞々しく清潔な色彩や種子のたおやかな雰囲気との調和を醸し出しています。

 また、彼女の手に持つ団扇には萩の花がさりげなく描かれている点にも注目したいところです。

 清綱の詠んだ和歌では、萩の花は「恋人を待つ情趣」の象徴として用いられており、当然、清輝もそのことを踏まえて萩の団扇を描いています。もちろん、そこには、自分たちの結婚を認めない清綱に対する抗議の意味も込められていたとみるのが自然でしょう。

 完成した作品は「避暑」の題名で、同年の第2回白馬会展に出品され、1900年のパリ万国博覧会への出品に際して「湖畔」と改題されました。

 なお、清輝は1924年に57歳で亡くなりますが、未亡人の照子(入籍後、種子から改名)は、切手が発行された1967年の時点では93歳の高齢ながら健在で、東京・北沢の姪の家に同居していました。発行日の4月20日には郵務局長の曽山克巳が彼女の自宅を訪れて切手を贈呈。そのようすはテレビのニュースでも取り上げられ、大いに話題となっています。

 それから3年後の1970年2月13日、照子は96歳の大往生を遂げました。訃報記事での彼女の肩書は、いずれも「黒田清輝の妻、『湖畔』のモデル」でした。


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 コメの日
2014-08-18 Mon 12:33
 今日(18日)は、漢字の米を分解すると“八十八”になることから、コメの日だそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      南朝鮮・ムクゲ1ウォン
 
 これは、1946年11月10日、米軍政下の南朝鮮(大韓民国はまだ成立していません)で発行された1ウォン切手です。カタログなどでは図案の説明は“ムクゲ”となっていますが、よく見ると、画面の上部には稲穂が描かれているのがわかります。ちなみに、南北を問わず、朝鮮でコメに関する切手としては、これが最初の1枚です。刷色などの問題もあって、ちょっとわかりづらいので、下に、稲穂の部分を拡大した画像を貼っておきました。

      南朝鮮・ムクゲ1ウォン(部分)

 1946年5月に南朝鮮で発行された解放切手は、実質的には普通切手でしたが、建前としては記念切手でした。このため、1946年9月から11月にかけて、あらためて、ソウルの京和印刷所が製造した新普通切手が5種類発行されました。今回ご紹介の切手はそのうちの1枚で、原画作者は呉周煥です。

 さて、日本統治時代、朝鮮半島はその地理的な条件を生かして、北半部では鉱業や重工業を、南半部では農業や軽工業がを中心とする“南農北工”の経済開発が進められていましたが、1945年の解放当時、南朝鮮では人口の7割を農民が占めており、207万町歩の耕地面積がありました。その内訳は、自作農60%、小作農は28%、日本人の所有が12%です。

 第2次大戦後、いわゆる土地改革が世界的な潮流となる中で、米国軍政庁は、1945年9月、日本時代に土地の買収と地主経営を行っていた日本の国策会社・東拓を新韓公社に改編。旧日本人所有の土地を接収し、これを管理することとします。その後、1948年3月、新韓公社の土地を農民に払い下げるために中央土地行政処が設置され、旧日本人所有の土地は、年平均生産高の3倍の価格で韓国人に払い下げられました。

 これに対して、戦前からの韓国人地主の土地の分配は、政治問題化してなかなか進みませんでした。

 それでも、日本でもGHQによる農地改革の結果、不在地主が一掃されていたことにくわえ、ソ連占領下の北朝鮮では、1946年3月の土地改革で、日本人や親日派の所有地と、5町歩以上の朝鮮人地主の所有地、さらに全ての継続小作地が無償で没収され、土地なき農民に分配されていたこともあり、1948年8月に発足した韓国政府も、なんらかのかたちで土地改革(農地改革)を行い、自作農を創設する必要に迫られるようになります。

 結局、李承晩政権は、1949年9月、有償没収・有償分配を原則とする農地改革法を制定。自作農の創設と土地資本の産業資本への転化を期待して、年収穫量の150%を補償価格とする地価證券を地主に交付するという農地改革が実施されました。しかし、翌1950年に勃発した朝鮮戦争により、結局、補償はうやむやにされ、戦争による耕地の荒廃という外的な要因も加わって、農地改革は地主層を没落させただけで、所期の目標はほとんど達せられないままに終わってしまいました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ムルデカ!
2014-08-17 Sun 10:18
 今日(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャワ・ムルデカ葉書

 これは、日本占領時代のジャワで発行された水牛農耕図案の5セン葉書で、インドネシア独立戦争中の1945年11月27日、ソロ(スラカルタ)からジョグジャカルタ宛に差し出されたものですが、独立を意味する“MERDEKA(ムルデカ)”のスローガン印が押されているのがミソです。

 第2次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放します。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本が降伏したことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 その後、9月4日にスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。また、独立宣言後の8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため、イギリス軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織しました。

 戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じ、そのまま日本に帰らなかった者もいるなど、終戦から正規の国交樹立までの間も、日本とインドネシアとは浅からぬ関係が続くことになるのです。

 ところで、日本の敗戦間際の1945年7月1日、日本占領下のジャワでは郵便料金の改正があり、葉書料金は3.5センから5センに値上げされました。このため、同日付でデザインはそのままに、額面を5センに改めた葉書も発行されましたが、発行後まもなく日本軍が降伏してしまったため、そのほとんどは、今回ご紹介の葉書のように、戦後になってからの使用となりました。
 
 日本軍の撤退後、インドネシア共和国の独立を宣言したスカルノら民族主義者に対して、旧宗主国のオランダはこれを認めず、インドネシアに進駐したオランダ軍部隊は、独立を妨害するために、インドネシア人の誘拐や殺害、放火など多くの事件を起こし、両者の対立は、なし崩し的に独立戦争へと転化していくことになります。その過程で、スカルノら共和国側が日本占領時代のムラピ山の葉書の日本語部分を抹消し、“REPOEBLIK INDONESIA”と加刷して使用された例もあります。

 なお、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。それどころか、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者(こちらは靖国に祀られています)を出しています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。そうした彼らの友情を無視して“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきませんな。

 いまから1年ほど前に刊行した拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 パナマ運河開通100年
2014-08-16 Sat 22:56
 昨日(15日)は、1914年8月15日にパナマ運河が開通してから100年ということで、現地では記念式典が行われたそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カナルゾーン加刷

 これは、1904年、パナマ運河地帯で使用するため、米国切手に加刷して発行された切手です。

 パナマ地峡に運河を建設しようという計画のルーツは、古くは1534年、スペインのカルロス1世が調査を指示したことに求められます。

 19世紀になり、スエズ運河を設計したレセップスはパナマ運河の建設を計画し、実際に1880年1月1日に工事も開始しましたが、黄熱病の蔓延や工事の技術的問題、資金調達の面などから、1889年に計画は放棄されてしまいます。

 その後、1902年に米国がパナマ地峡での運河建設を決定。当時、パナマ地峡は自治権をもつコロンビア領でしたが、運河の地政学的重要性に注目したアメリカ合衆国は、運河を自らの管轄下におくため、1903年1月22日、コロンビアとの間に、①コロンビアがレセップスの設立した新パナマ運河会社の運河建設権を米国に売却することを認めること、②運河地域の排他的管理権等を米国に付与すること、③米国は一時金1,000万ドル及び運河地域の年間使用料として25万ドルをコロンビアに支払うこと等を規定したヘイ・エルラン条約を結び、運河の管轄権を握ろうとしました。

 しかし、コロンビア議会が条約を批准しなかったため、同年11月3日、アメリカはコロンビアの支配に不満を持っていたパナマ住民を扇動して独立を宣言させます。こうして発足したパナマ共和国を、アメリカは10日後の11月13日に承認し、5日後の11月18日にはパナマ運河条約を締結。運河の建設権と関連地区の永久租借権などを取得し工事に着手しました。

 これを受けて1903年に工事が始まると、運河関連地区(いわゆるカナル・ゾーンです)では、1904年6月24日、アンコン、クリストバル、ガトゥン、クレブラ、ラ・ボカに郵便局を開設。パナマ切手および米本国の切手に“CANAL ZONE”または“CANAL ZONE PANAMA”の文字を加刷した切手を使用しました。今回ご紹介の切手は、その中の米国切手に後者の文字を加刷したモノです。

 その後、3億ドル以上の資金と10年の歳月を投入し、運河は1914年8月15日に開通。運河収入はパナマに帰属するものの、運河地帯の施政権と運河の管理権は米国に帰属することになりました。さらに、運河地帯両岸の永久租借地には米軍施設がおかれ、南米における米国の軍事拠点として機能していましたが、1960年代にパナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなる中で、軍事クーデターによってオマル・トリホスが権力を掌握。これより運河返還をめぐる協議が開始され、1977年、カーター政権の時代に新パナマ運河条約が締結され、1999年末をもって、運河および運河地帯の施政権はパナマへ正式に返還されました。


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 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

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        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 表紙の葉書
2014-08-15 Fri 13:33
  きょう(15日)は、拙著『朝鮮戦争』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた葉書についてご説明しましょう。

      ソウルの赤旗(葉書)

 これは、1958年に来た北朝鮮で発行された“朝鮮人民軍創建10周年”の記念葉書の見本(印面部分にその旨のハングルの印が押されているほか、パンチ穴が開けられています。ただし、表紙カバーでは穴の部分をふさいでいます)です。葉書の印面に取り上げられているのは“国旗勲章”で、単色のイラストでは識別できないのですが、実物の勲章は、中央の星の周囲が国旗の色と同じ赤色と藍色で装飾されています。そのデザインは、1945年にソ連が対独戦の勝利を記念して制定した“祖国戦勝勲章”のデザインと酷似しており、こうしたところからも、当時の北朝鮮に対するソ連の影響力の大きさをうかがい知ることができます。

 さて、北朝鮮における軍事組織は、解放直後の1945年10月、ソ連占領軍による駐留日本軍の武装解除と2000名からなる“保安隊(隊長は金日成)”の創設が最初となります。その後、同年11月、占領下の地域行政機関として北朝鮮五道行政局が設置されると、その一部局として「保安局」が設置されたほか、これに先立ち、10月には早くも新義州で航空隊が創設されています。

 さらに、1946年になると、1月に五道行政局の傘下に鉄道施設の保護を目的とした鉄道保安隊(同年7月、鉄道警備隊に改編)が組織されたほか、同年7月には水上保安隊が、翌8月には海岸警備隊が、それぞれ組織されました。これらが、後の朝鮮人民軍の母体となります。

 一方、1946年2月には幹部養成のための平壌学院(ただし、1945年11月創立説もあります。1949年に第2軍官学校と改称)が、6月には保安訓練所が、7月には軍事指揮官を養成するための中央保安幹部学校(1949年に第1軍官学校と改称)が、それぞれ創設され、政府・軍隊の正式発足前に軍幹部の養成も開始されました。

 さらに、解放1周年にあたる1946年8月には、実質的な軍司令部として保安幹部訓練大隊部が創設されるとともに、北朝鮮労働党の創立にあわせて「民族軍隊組織と義務的軍事徴兵制を実施すること」が確認されています。

 1947年に入ると、ソ連からの軍事援助が本格的に到着するようになり、5月には全将兵に階級章が付与軍されるとともに、保安幹部訓練大隊部も人民集団軍に改編。そして、1948年2月4日、北朝鮮人民委員会の下に民族保衛局が設置されると、これを受けて同月8日、人民集団軍は朝鮮人民軍に改称され、同年9月の朝鮮民主主義人民共和国政府の正式成立以前に“国軍”が誕生しました。

 ちなみに、北朝鮮では、金日成から金正日への権力世襲の過程で、満州での金日成の抗日武装闘争の経歴が誇張して宣伝されるようになった結果、1978年以降、朝鮮人民軍のルーツは“朝鮮人民革命軍”(金日成の抗日遊撃隊)に求められるようになり、建軍記念日も、本来の1948年2月8日から、朝鮮人民革命軍が結成されたとされる1932年4月25日(ただし、これは北朝鮮当局がそう主張しているだけであって、資料的な裏付けはありません)に変更され、現在に至っています。

 今回ご紹介の葉書は、1948年の(本来の)朝鮮人民軍創建から10周年になるのを記念して発行されたもので、朝鮮戦争時に朝鮮人民軍がソウルを占領し、人民軍の兵士が中央庁の屋上に北朝鮮国旗を掲げている場面が描かれています。

 1950年6月25日に南侵を開始した朝鮮人民軍は、奇襲攻撃の利を活かして進撃を進め、同月28日、ついにソウル市街の一角に突入します。

 当時、朝鮮人民軍の首都(当時は、北朝鮮側も建前としてはソウルを首都としていました)侵攻に対して、韓国軍の蔡秉徳参謀総長は、漢江に架かっていた漢江大橋と広壮橋、それに複線2本・単線1本の鉄道橋の爆破を命令。朝鮮人民軍の進撃を少しでも遅延させようとしました。

 しかし、このプランには、ソウル以北の韓国軍部隊の撤退やソウル市民の避難をどうするのかという視点が欠落していました。このため、蔡は、いったん、爆破の延期を決定したものの、混乱の中で司令部と現場との連絡が不首尾に終わり、漢江大橋と2本の鉄道橋が予定通り爆破されてしまいます。この爆破により、橋の上にいた数百人の将兵・市民等が犠牲になったほか、ソウルの外郭を防衛していた韓国軍主力も士気を失い、なだれをうって崩壊。韓国側の極度の混乱状況の中で、開戦からわずか3日で、ソウルは朝鮮人民軍の前に陥落。中央庁に北朝鮮国旗が翻ることになりました。

 このあたりの事情につきましては、拙著『朝鮮戦争』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

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 無事帰国しました
2014-08-14 Thu 08:46
      PHILAKOREA2014 パルマレス

 昨日(13日)午後、無事、ソウルから帰国いたしました。世界切手展<PHILAKOREA 2014>の会期中、現地では、コミッショナーの井上和幸さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、僕の出品作品 A History of Hong Kong は、8フレームに拡大後の最初の出品で金賞(+コロンビア郵趣協会ご提供の特別賞)を頂戴することができました。(冒頭の写真は、12日夜に行われた受賞パーティーの席上、壇上で金賞のメダルを拝領した際に、友人に撮影してもらったものです)

 また、今回の韓国滞在中には板門店およびDMZへの取材も出来たほか、拙著『朝鮮戦争』の刊行とも絡んで、『우표,역사를 부치다 (邦題:切手、歴史を送る)』の出版元、延恩文庫の安恩美さんのお世話で『週刊京郷』のインタビューを受けるなど仕事の面でもいろいろと得るところがありました。(下の画像は、ソウル市内のカフェでのインタビュー風景です。安恩美さん撮影)

      週刊京郷・インタビュー

 現地滞在中、お世話になりました全ての皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 さて、今回の切手展は、旧朝鮮王朝時代の1884年に朝鮮最初の郵便事業が創業されてから130年にあたるのを記念して開催されたもので、メダルや賞状(下の画像)には1884年に発行された朝鮮最初の切手がデザインされていました。

      PHILAKOREA2014 メダル     PHILAKOREA2014 賞状

 ちなみに、メダルや賞状の元になった切手の画像がこれ(↓)です。

      旧韓国最初の切手(5文)

 朝鮮では、改革派官僚であった洪英植を中心に近代郵便創業の準備が進められ、1882年、日本の印刷局に切手の製造が発注されます。切手のデザインは、太極旗(現在の韓国国旗)をモチーフとした雛型をもとに、日本側でデザインを書き起こして作られたものでしたが、日本側の作成した太極文様はかなりデフォルメされており、朝鮮側の用意していた正規のものとは似ても似つかないものでした。

 それでも、日本側がつくった5種類の切手の原版は1884年8月9日に完成し、計2万枚が「見本」としてただちに印刷され(5種の注文総数は278万枚)、朝鮮側に納品されています。

 こうして、各種の準備が整い、事前の周知・宣伝も行われたところで、同年11月18日(旧暦では10月1日)、ソウル=仁川間で朝鮮の近代郵便が創業。準備されていた5種類の切手のうち、5文(ソウル市内発着の郵便物の基本料金に相当)と10文(朝鮮国内発着の郵便物の基本料金に相当)の2種類の切手が発行されました。

 しかし、この計画は、同年12月4日(旧暦では10月17日)に発生した甲申政変により、郵便事業そのものが停止に追い込まれたことですべて頓挫してしまいます。

 甲申政変とは、朝鮮の近代化改革をめぐる対立の中で、清朝との宗属関係から独立して国政を革新することを主張する開化派(独立党)が、近代化に抵抗する守旧派(事大党)を打倒して政権を掌握するために起こしたクーデタ事件です。当時の日本は、同じ年に起こった清仏戦争の隙を突いて朝鮮に対する影響力を強めたいとの思惑から、独立党への支援を約束していました。しかし、袁世凱ひきいる清軍は武力介入したため、クーデタはわずか3日で鎮圧されてしまいます。

 このクーデターは、約半月前(11月18日)の郵便創業を祝うためのパーティに事大党の政府高官が列席する機会にあわせて実行され、郵征総弁(郵政長官)の洪英植もその首謀者に名を連ねていました。このため、クーデターが失敗し、洪が清軍によって殺されると、朝鮮の郵便事業は、逆賊の行った開化事業として、開業からわずか19日後の12月8日には廃業に追い込まれてしまいます。そして、それに伴い、準備されていた日本製の朝鮮切手は、すべて、郵便料金前納の証紙としての効力を失い、単なる紙屑となりました。

 その後、朝鮮の近代郵便は、1895年7月22日(旧暦では6月1日)、日清戦争の戦場となっている中で行われた近代化改革(乙未改革)によって、甲申政変から10年以上が経過した後ようやく再開されました。なお、このとき、再開された朝鮮郵政の切手製造を担当したのは、日本の印刷局ではなく、アメリカの民間会社アンドリュー・B・グラハム紙幣印刷会社(Andrew B. Graham Bank Notes Co.)です。

 なお、今年はこの後12月にクアラルンプールで国際切手展<MALAYSIA 2014>が予定されています。僕自身は、コミッショナー兼審査員として参加を予定しております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。


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 <PHILAKOREA 2014>終了
2014-08-13 Wed 05:39
 7日からソウルのCOEXで開催されていた世界切手展<PHILAKOREA 2014>は、昨日(12日)、無事終了しました。次の国際切手展は、本年12月にマレーシアのクアラルンプールで開催予定の<MALAYSIA 2014>ですので、きょうは韓国からマレーシアへという意味合いの切手ということで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・全斗煥マレーシア訪問     FIP旗引継ぎ(韓国→マレーシア)

 これは、1981年、韓国が発行した“全斗煥大統領アセアン5ヵ国(当時のアセアン加盟国の全てです)訪問記念”の切手のうち、マレーシア訪問の記念切手で、両国の国旗を背景に、全斗煥と当時のマレーシアの国家元首ハッジ・アフマド・シャーの肖像が取り上げられています。ついでに、右側には、きのう(12日)行われた受賞パーティーでのFIP旗の韓国からマレーシアへの引き継ぎ場面の写真も貼っておきました。

 現在のマレーシア国家は13州からなる連邦制国家ですが、これらの各州はもともとスルターンと呼ばれる地方君主の支配下に置かれていました。このため、スルターンを頂く9州(ジョホール州クダ州・クランタン州・ヌグリ・スンビラン州・パハン州・ペラ州・プルリス州・スランゴール州・トレンガヌ州)のスルターンが任期5年の輪番制で連邦の国家元首(アゴン。日本語ではしばしば国王と訳されています)になるという制度が採用されています。

 マレーシアの憲法では、アゴンは立憲君主として規定されており、その大権の多くは内閣の助言に基づいて行使されます。アゴンは首相任命の可否について判断する権利を持っていますが、内閣は下院に責任を負う議院内閣制が採用されているため、実際には、下院多数党の党首が首相に任命されるのが慣例です。なお、下院で内閣不信任案が可決された場合は、アゴンは、内閣の助言により下院を解散するか、助言を拒否して内閣を解任するか、いずれかを選択できます。

 かつてのアゴンは公私にわたり法的な責任を問われない特権を有していましたが、1993年の憲法改正により私的行為についての免責特権は廃止されました。したがって、現在のマレーシアでは、理論的には、司法大臣が承認すれば、検察当局もしくはマレーシア国民は特別裁判所にアゴンを提訴することも可能です。なお、アゴンの公務に関する訴訟は、アゴン本人ではなく、マレーシア政府が被告となります。

 ちなみに現在のアゴンはクダ州のスルターン、アブドル・ハリム・ムアザンで、切手に取り上げられているハッジ・アフマド・シャーは当時のパハン州のスルターンでした。

 さて、今回ご紹介の記念切手の題材となっている全斗煥のアセアン歴訪は、1981年6月に行われました。

 1967年に結成されたアセアンは、当初、外相会議のみでしたが、1975年の南北ベトナムの統一という情勢の変化を踏まえ、同年から経済閣僚会議が定例化し、翌1976年の首脳会議で東南アジア友好協力条約が締結されています。また、1979年以降は、日本やアメリカ、EC(当時)などとの域外対話が本格的に進められるようになるなど、今回ご紹介の切手が発行された時代は、その活動の規模・範囲を急速に拡大しつつありました。

 輸出依存型の経済構造となっている韓国にとって、アセアン諸国との関係強化は重要な課題でしたが、朴正煕暗殺(1979年)以降の混乱の中で、当時の韓国の対アセアン外交は、他の西側諸国に比べて、大きく出遅れていました。このため、国内情勢がとりあえず落ち着いた時期を見計らって、できるだけ早い時期に大統領の全がみずからアセアン諸国を歴訪し、各国との関係強化に乗り出したのも、自然の成り行きだったわけです。

 また、当時のアセアン諸国は、程度の差こそあれ、すべて開発独裁型の国家でした。もちろん、当時の韓国も、朴正煕時代に比べれば相当マイルドになったとはいえ、開発独裁の色彩が濃厚に残っていた時代です。このため、経済成長に伴い、より一層の“民主化”を求めるようになった国民に対して同じように開発独裁型の国家との友好関係をうたいあげることは、韓国だけが特別に権威主義的な体制なのではないことを示すことは、韓国の国内政治においても重要な意味を持っていたという面も指摘しておいてよいでしょう。

 このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 なお、切手展の終了に伴い、本日午後ソウルを発って帰国の予定です。無事に帰国出来たら、明日(13日)以降は平常通り仕事をするつもりなので、内藤の不在によりご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

        
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 切手に描かれたソウル:兄弟の像
2014-08-12 Tue 06:31
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月25日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、先ごろ、“ワンピース展”騒動で問題となった戦争記念館にちなんで、同館の“兄弟の像”を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      兄弟の像     戦争記念館 兄弟の像(実物)

 左は、2001年にミレニアムシリーズ第11集の1枚として韓国発行された“兄弟の像”の切手で、右側は、その実物の画像です。

 “兄弟の像”は、戦争記念館の敷地に入ってすぐのところにあるドーム型の施設の上に建てられている銅像で、南北分断によって生き別れとなっていた兄弟が、朝鮮戦争の戦場で、韓国軍の将校(兄)と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士(弟)として劇的に再開した場面を表現しています。

 ドーム内に掲げられていた説明版によると、像の足元にあるドームは、“殉国先烈”の犠牲を表現するものとして、韓国全域から集めた花崗岩を古墳の形に積み上げたもので、ドーム入口の亀裂には南北の分断と統一の念願が込められているそうです。また、ドームの内部には「韓民族の精新(精神の誤植ではないかと思うのですが…)と国難克服を現したモザイク壁画」や「朝鮮戦争(ママ)当時戦闘部隊を派兵した16ヶ参戦国運軍(これは明らかに“国連軍”の誤植でしょう)国家の地図造形(造形“板”の誤植か)」などが置かれています。さらに、天井に配されたいくつかの鎖は、「南北が二度と分断されない為の統一の結束を表現」しているのだそうです。せっかくなので、ドーム内部の画像も下に貼っておきます。

      戦争記念館・ドーム内

 さて、ドーム内には、以下のような韓国語・英語・日本語の3ヶ国語表記の案内板が掲げられています。

      戦争記念館・ドーム内説明文

 クリックで拡大していただけるとお分かりいただけると思いますが、この説明文には、上記の引用箇所以外にも、ひらがなの“め”が“あ”になっている箇所(たとえば、“込められて”とすべきところが“込あられて”となっているなど)や、主語の“は”が“な”となっている箇所(例えば、“兄弟の像は”とすべきところが“兄弟の像な”となっている)など、かなり誤植が目立ちます。まぁ、民間のお土産物屋などでの怪しげな日本語表記はご愛嬌ともいえましょうが、曲がりなりにも、韓国のために尊い命をささげた先人を偲ぶ厳粛な施設なのですから、日本人参観者の失笑を買わぬよう、きちんと修正していただきたいものです。

 さて、今回のワンピース騒動ですが、もともとは、7月12日から戦争記念館で開催予定だった日本の人気漫画「ワンピース」の特別展が、会期直前の9日になって、突如、原作に“旭日旗を思わせるイメージ”が数回登場することを理由に、特別展を企画したイベント会社に対して中止を通告したのが発端です。

 これに対して、イベント会社が開催中止の通報の効力停止と展示妨害の禁止を求める仮処分を申請。ソウル西部地方裁判所は、17日、契約通り開催すべきだとの決定を出しています。裁判所の決定文は、「ワンピース」は長編漫画であり、そのごく一部に旭日旗に似た絵が描かれているとの理由で「日本の帝国主義をほめたたえる漫画とは言えない」と指摘。日本では旭日旗に似たデザインは帝国主義とは関係なく大漁旗などにも使われているとし、原作では主人公と敵対するキャラクターを描く場面で主に使われており、「むしろ否定的なイメージを表現している」との判断を示したうえで、契約内容を踏まえても、戦争記念館側が一方的に開催を中止することはできないと結論づけています。

 予定されていた展示物の中には、旭日旗を思わせるものが含まれていなかったこととあわせて、極めて常識的な判断で、多くの韓国国民にとっても納得のいくものではないかと思います。

 昨今、韓国国内の一部には、赤色で放射状に線がデザインされた日本関連のモノを何でもかんでも“旭日旗”に結び付けて攻撃する風潮があります。その多くは、どう見てもこじつけにしか思えないナンセンスなものですが、クレーマーの多くはかなり執拗で粘着質なので、クレームを受けた側はトラブルが長引くことを嫌い“自粛”して早々に幕引きを図るケースが多いようです。

 戦争記念館の今回の対応も、原作に旭日旗が登場するとの外部からの指摘を受けた結果だそうですから、おそらく、そうした背景があるのでしょう。

 裁判所の決定を受けて、当初、戦争記念館側は「ワンピース」展への会場の貸し出しを拒否する方針に変更はなく、仮処分に対する異議申し立てを行うことなどを検討しているとしていましたが、結局、地裁のお墨付きを得た格好で、7月26日から「ワンピース展」は開催されています。

 いずれにせよ、戦争記念館に関しては、朝鮮戦争の英霊たちを真摯に追悼する気持ちがあるのなら、(もしまだ修正されていないのなら)まずは誤植だらけの案内板を修正していただきたいものだと、拙著『朝鮮戦争』を刊行したばかりの僕としてはついつい思ってしまいますな。

        
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 岩のドームの郵便学(20)
2014-08-11 Mon 06:34
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』544号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回から、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介していこうかと考えています。その第1回目として、今回はこの切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      シリア・岩のドーム

 これは、1977年にシリアで発行された“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”の切手で、ムスリムの聖地としてのエルサレムの象徴として、岩のドームが大きく取り上げられています。

 第4次中東戦争後、イスラエルとの交渉によって“占領地”の奪還を進めつつあったエジプトに対して、アラブ諸国は次第に不信感を抱くようになっていましたが、もう一方のアラブ側の主役であったシリアのパレスチナに対する対応も微妙なものがありました。

 その背景にあったのが、レバノン内戦です。

 イスラエルの北隣に位置するレバノンは、第一次大戦後、オスマン帝国が解体される過程において人工的に作られた国です。

 すなわち、19世紀から、フランスはオスマン帝国内のカトリック勢力を支援することでこの地域に進出。第一次大戦後、サイクス・ピコ協定によって獲得した地域(歴史的シリア)を委任統治領とし、現在のシリアとレバノンに分割しました。これは、フランスの拠点として、カトリック傘下のマロン派キリスト教徒が人口の過半数を占める国を創出することを目的としたていたためです。

 1943年の独立後、レバノンでは「国民憲章」に基づき、大統領をマロン派から、首相をスンナ派ムスリムから、それぞれ選出したうえで、その他の“宗派(キリスト教系では、ギリシア正教会、ギリシア・カトリック、アルメニア正教会、アルメニア・カトリック、プロテスタントなど、イスラム系では、シーア派の一二イマーム派、イスマーイール派、ドルーズ派など)”に対しても公職その他の利権が人口に応じて分配されるという独自の宗派制度が採用されました。この結果、レバノンの“宗派”には、単なる宗教集団以上に、一種の利権集団化した側面が付与されることになり、政治的な有力者達は、多宗派の共存を前提に、他宗派の有力者との合従連衡を通じて宗派横断的な派閥を形成するようになります。

 1948年にイスラエルが建国を宣言して第一次中東戦争が勃発すると、内陸アラブ諸国への中継貿易港であったパレスチナのハイファがその地位を失い、ベイルートが東地中海地域における物流の最大の拠点となります。また、パレスチナ資本や英語を理解する熟練労働者が流入することで、フランス語を話すレバノン人と英語を話すパレスチナ人から成る労働市場が形成され、ベイルートは外国企業の進出にとって魅力的な地域になりました。さらに、1956年の第2次中東戦争(スエズ戦争)以降、それまでイスラエルとエジプトに集中していたヨーロッパの投資もレバノンへと大量に流入します。

 くわえて、レバノン政府がレッセ・フェール経済政策を採ったことともあいまって、レバノンは経済的発展の道を歩むことになり、レバノンは“中東における近代化の優等生”として“中東のスイス(銀行秘密法による金融の発展とレバノン山脈の景観からこう呼ばれた)”とも呼ばれるようになりました。特に、首都ベイルートについては、貿易とマスメディア、観光や各種産業の発達ゆえに“中東のパリ”とも呼ばれる繁栄を謳歌します。端的にいえば、レバノンの繁栄は中東地域の紛争の余徳によるものであったともいえましょう。

 しかし、宗派制度に基づく国家のシステムは、結果として地域間・宗派間の不平等を温存することになり(地域ごとの電圧が大きく異なっているのはその典型的な例です)、急激な経済発展と共に、所得の再分配や貧困層への救済措置が取られないまま、貧富の差はますます拡大していきました。キリスト教系諸派よりも出生率が高く、人口比率が急激に拡大したシーア派系住民の居住地区が開発から取り残されたまま放置されていたのも、こうした宗派制度の弊害の一つでした。

 ところが、こうした状況は、1970年9月の“ブラック・セプテンバー事件”の後、PLOの軍事部隊がレバノン南部に移駐したことで大きな変容を迫られることになります。

 すなわち、パレスチナ問題の根本的な解決のためには中東全体の構造改革が不可欠であると考えていたPLOは、各国の改革派と提携して自分達に共鳴する政府を樹立しようとしてヨルダンでの共和革命を志向しましたが、これに対して、ヨルダン政府は自国の体制維持のために弾圧を持ってこれに臨みました。このため、PLOは、部族勢力が強固なヨルダンではなく、民族主義者や左派勢力も成長しつつあったレバノンに着目。レバノン内の改革派との連携を模索し、レバノンを“(民族解放闘争の最前線という意味で)中東の北ベトナム”化しようとしたわけです。

 しかし、こうしたPLOと体制改革派の連携は、必然的に既存の体制派からは危機感を持って受け止められ、1970年代前半には、PLOの武力に対抗するための民兵組織が結成されていくことになります。

 こうして緊張が高まる中、1974年4月から5月にかけて、レバノンのパレスチナ人武装勢力によるユダヤ系市民に対する殺傷事件があいついで発生。このため、PLOを匿うことにより、欧米の不信感を招くことを恐れたレバノンのキリスト教右派勢力はパレスチナ人への反発を強め、1975年4月、アイン・ルンマーナでマロン派キリスト教民兵によるバス襲撃事件が発生。これを機にレバノン全土は本格的な内戦へと突入しました。

 当初、内戦はムスリム有利に展開され、PLOは実質的にレバノン全土を制圧する勢いでした。また、内戦のムスリム側の指導者カマール・ジュンブラートは、ドゥルーズ派にしてソ連の支持者で、PLOと連携してレバノンの宗派体制(=マロン派偏重の体制)を打破してアラブ民族主義政権を樹立しようと考えていました。

 しかし、レバノンがPLOならびに急進改革派の支配下に置かれることで従来の宗派体制が崩壊すれば、レバノンの新政権とイスラエルの全面戦争が勃発しかねません。

 すでに、1974年5月31日、第4次中東戦争に関してイスラエルと停戦協定を調印し、両国の兵力分離と国連監視下の緩衝地帯設置、そして、それに伴うクネイトラの返還という果実を勝ち取っていたシリアにとって、イスラエルとの新たな戦争によって、それらが一挙に白紙に戻ってしまうというのは悪夢でしかありません。

 こうしたこともあって、シリアは、米国の仲介により、イスラエルとの間に“レッド・ライン協定”と呼ばれる密約を交わしたうえで、1976年6月、シリアは、レバノン大統領スレイマン・フランジェの要請に応えて派兵し、レバノン全土を制圧します。このときの密約では、レバノンへのシリアの軍事介入があくまでも内戦終結を目的としたもので、イスラエルを攻撃するものではないことを示すため、シリア軍は、(1)ベイルート以南に旅団規模を上回るシリア軍主力部隊を駐留させない、(2)レバノンにおいてイスラエルを射程圏内に収める長距離砲・ミサイル・ロケット弾を配備しない、(3)一切の戦闘機・爆撃機をレバノン国内に駐留させない、ということになっていました。

 シリア軍によるレバノン制圧を受けて、1976年10月には、サウジアラビアとクウェートの仲介により、サウジアラビアのリヤドで内戦終結のためのアラブ首脳会議が開催され、内戦の当事者間で停戦合意が成立した。そして、この合意を受けて、シリアを主力とする停戦監視のための平和維持軍がレバノン全土に展開。11月21日、レバノン政府は内戦の終結を宣言します。

 当然のことながら、PLOやジュンブラートらレバノンの左派勢力はシリアを“裏切り者”として激しく非難。アラブ社会からも、彼らに同調する声が上がり、シリア政府は窮地に立たされた。このため、シリア政府は、イスラエルとの全面戦争に発展しない程度にPLOがイスラエル北部で破壊活動を行うことを容認・支援してガス抜きをはかります。ちなみに、シリア批判の急先鋒であったジュンブラートは、1977年3月、何者かによって暗殺されました。

 今回ご紹介の切手も、そうした政治的文脈に沿って発行されたもので、その建前としては、イスラエルを打倒しパレスチナ全土を解放するという“アラブの大義”を謳いあげた内容ともいえます。しかし、切手の文言は、反イスラエル闘争を煽るというよりは、“大義”に準じた人々とその遺家族を慮った内容となっています。

 いずれにせよ、アラブ側がイスラエルを軍事的に妥当しうる可能性は、すでに第3次中東戦争の時点で完全に消滅し、エジプトのみならず、シリアもイスラエルとの交渉によってなにがしかの利を得ていたことは否定しようのない事実でした。それでも、現実を直視して“アラブの大義”を否定することができないという、アラブ世界の閉鎖された言語空間こそが、こうした切手を生み落してきたのだということは記憶にとどめておいた方が良いかもしれません。

        
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 金賞受賞しました!
2014-08-10 Sun 07:20
 ソウルのCOEX開催中の世界切手展<PHILAKOREA 2014>は、審査結果が発表され、僕の出品作品 A HISTORY OF HONG KONG は金賞(92点+特別賞)を受賞しました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港大学50年

 これは、1961年に香港で発行された香港大学50年の記念切手です。50周年を意味する“GOLDEN JUBILEE”の表示があるので、香港のコレクションでの“金賞”受賞にからめて持ってきました。

 切手に描かれているのは香港大学の校章で、英国風の金獅子は、(創立時の)同大学が英国政府に直接帰属し、学長は英国の香港総督が任命することを反映したものです。また、本のシルエットの中にある「明徳・格物」は、『四書五経』の『大学』にある「古之欲明明徳於天下者、先治其国(古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む)」、「致知在格物(知を致すは物に格るに在り)」から採られたもので、下部のモットーはラテン語で智徳を意味する“Sapientia et Virtus”の文字が入っています。

 さて、20世紀初めの香港では、人口の急増に対応してインフラの再構築が進められましたが、そうしたハード面での対応と並行して、香港政庁は行政機構を拡充すべく、エリートの人材育成に乗り出す必要にも迫られていました。

 このため、1908年、香港総督のフレデリック・ルガードは、聖士提反書院の卒業式で新大学設置の意向を表明。これを受けて、1910年3月16日、香港島の西部、西營盤エリアの丘陵地の16ヘクタールの敷地に香港初の総合大学である香港大学の建設が開始されました。

 その後、1911年の「香港大学堂憲章」公布(今回ご紹介の切手はここから起算して発行されたものです)を経て、1912年3月11日、香港大学が開校し、同月16日までの6日間にわたって各種の記念式典が行われ、記念切手こそ発行されなかったものの、記念の消印が使用されました。

 当初、香港大学は医学部(孫文も学んだ西医書院を改組して発足)と工学部のみでしたが、後に文学部や教育学科などが設置され、総合大学としての体裁が整えられていきます。また、当時の主な教授は外国からの招聘教官であり、中国語系の講義のみ許地山をはじめとする華人教授の担当でした。

  さて、今回の作品は、2012年のインドネシア展に5フレームのテーマティク作品として出品し、LV(大金銀賞)を受賞した作品を初めて8フレームに拡大したもので、自分としては、1ランプアップの金賞(=90点)に到達することが目標でした。今回は90点ギリギリという自分の希望的な予想を超えて、92点のスコアとなり、さらに特別賞まで頂戴し、素直に喜んでいます。これまでご指導・ご支援いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 今後は、この作品で、さらに上を目指して頑張っていきたいと思っておりますので、引き続き、よろしくお願いいたします。

 なお、きょうの記事でとりあげた香港大学については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ご覧頂けると幸いです。

        
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 おかげさまで140万PV
2014-08-09 Sat 06:30
 おかげさまで、昨晩、カウンターが140万PVを超えました。いつも、閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、額面“140”の切手といえば、やはりこれでしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        翁140円

 これは、1976年6月25日に発行された額面140円の普通切手で、観世家所蔵の能面(翁)が取り上げられています。当時の料金体系では、この額面は、定形外郵便物の50-100グラム、航空郵便の第3地帯宛料金等に相当していました。

 儀式などに際して面をつけて舞ったり、演じたりするのは人類において普遍的に見られる現象ですが、我が国において、老人男性をかたどった“翁”の面がいつごろからつくられるようになったのかは定かではありません。

 記録によると、欽明天皇(在位539-71)の時代、疫病や飢饉が発生した時、66番の物まねを66の面を作って舞ったところ、天下が治まったという伝承があります。このことから、神楽の“しめすへん”を取り申楽が生まれたといわれますが、村上天皇(在位946-67)の時代には、66番の舞をすべて奉納するのは長すぎるので、稲経の翁=翁、代経の翁=三番叟、父の助=父の尉を抜粋して、“式三番”としたとされており、翁の面をつけて舞う曲が初期のころからつくられていたことがうかがえます。

 また、後の能楽の遠いルーツともいうべき伎楽には、不老不死の桑葉を求めてさまよう老人が次第に老いてゆく姿をあらわした「採桑老」という曲があり、ここでも翁の面が用いられていることから、これが、翁の面のルーツとなったとする見解もあります。

 ちなみに、世阿弥の『申楽談儀』には、翁の面と申楽にまつわる故事として、次のような記述があります。

  近江は敏満寺の座、久しき座なり。山科は、山科といふ所の悴侍なりしが、敏満寺が女と嫁して、申楽に志して、山科の明神、春日にておはすか、こもりて進退を祈る。烏、社檀の上より物を落す。見れば翁面にてまします。この上はとて、申楽になる。嫡子をば山科に置き、おととをば下坂(しもさか)に置き、三男をば日吉に置く。それより三座の流れとなる。しかれども山科、総領なれば、日吉の神事、今に正月朔日より七日に至るまで、山科独(ひとり)して翁をす。かの面なり。この能は、昔の山科、夫婦連れて大晦日にこもりし時、三歳になる子頓死しければ、末代まで子々孫々におきて、正月朔、申楽を勤むべきと祈念しければ、蘇生せし、その願なり。

 このような歴史的な経緯もあって、能楽の演目としての「翁」には、能が成立する以前の申楽の形式が色濃く残っています。すなわち、他の演目のような物語性はなく、天下泰平・五穀豊穣・国土安穏を祈る神事としての色彩が強いことから、「能にして能にあらず」とも評されています。

 また、「翁」で用いられる面も他の能面とは構造が大きく異なっています。具体的には、①一般的な能面が面全体がつながった状態であるのに対して、翁の面は、下顎が切れていて、上下を紐で結ぶ“切り顎”と呼ばれる構造になっている、②一般的な能面が描き眉であるのに対して、翁の面は白い毛が植えられている、③一般的な能面では目の部分は眼球の中央部に穴があいているのみだが、翁の面は眼の全体がくりぬかれている、といった特徴があり、今回ご紹介の切手に取り上げられた面には、そうした特徴が明瞭に観察されます。

        
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 <PHILAKOREA 2014>開幕
2014-08-08 Fri 00:18
 昨日(7日)、ソウルのCOEXを会場として世界切手展<PHILAKOREA 2014>が開幕しました。僕自身は現地に着いたのが夕方でしたので、午前中の開会式には出席できなかったのですが、夜の“ウェルカム・レセプション”には出席することができました。その席上、ちょっと面白い光景を目にしたので、関連の切手と併せてご紹介したいと思います。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      PHILAKOREAケーキカット     韓国・ケーキ(2004)

 左の画像は、ウェルカム・レセプションで切手展が始まったことを祝うセレモニーとして、FIPの鄭会長をはじめお歴々がケーキカットをしている写真です。ケーキカットそのものの切手は探せなかったので、右側には、ケーキを中心にしたお祝いの場面を描いた2004年の切手趣味週間の切手を並べてみました。

 さて、ケーキカットというと日本人にとっては結婚式の定番の行事というイメージが強いのですが、韓国では、結婚式に限らず、物事の始まりに際してケーキカットと行うということは珍しくないそうです。

 ちなみに、結婚式のケーキカットで用いられるケーキは、もともとは、現在の我々がイメージするような、スポンジと生クリームでできているモノではなく、堅いシュガーケーキでした。これは、3段重ねのケーキの下段はパーティの参加者にふるまい、中段は当日欠席した人に後日贈り、上段は夫婦の最初の子供のために保存しておくという意味があったためなのだそうです。当然のことながら、日持ちのする堅いケーキを新婦が一人で切り分けて配ることは困難で、米国では新郎が手を添えて手伝ったことが夫婦としての最初の共同作業とみなされるようになり、後に、結婚式の儀礼として定着するようになったともいわれています。(まぁ、この手の話の常として、異説もいろいろありますが)

 ところで、おじさんたち(失礼!)によるケーキカットという、日本ではまず見られない光景が強く印象に残ったため、ホテルに戻った後、いろいろと調べていたら、韓国でケーキカットに用いられるケーキには土台に餅を使ったものが多く使われているのだとか。(残念ながら、今回のケーキがどうなっていたのかは確認しそびれてしまいましたが…)

 ただし、朝鮮半島での“餅”とされているモノは、日本とは異なり、米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近い味と食感ですので、いわゆる“雪見だいふく”のようなイメージでとらえると、生クリームとあわせても違和感はないということになるのでしょう。逆に言うと、そうした食文化の背景があればこそ、韓国系の企業であるロッテが“雪見だいふく”を商品化したというのも得心がいきます。そう考えると、右側の切手も、なんだか、餅の土台にチョコレートをかけたようにも見えてくるから不思議なものです。
 
 いずれにせよ、先日刊行したばかりの拙著『朝鮮戦争』を含め、朝鮮半島がらみの仕事はそれなりにしてきたつもりではいましたが、まだまだ知らないことがたくさんありますね。今回の滞在はわずか1週間ほどですが、切手展以外にも、現地のことを注意深く観察して、少しでも知見を広げられるように努力しなければ…と気分を新たにした次第です。


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 ソウルへ行ってきます!
2014-08-07 Thu 09:04
      故宮・出猟図

 私事で恐縮ですが、韓国ソウルで開催される世界切手展<PHILAKOREA 2014>に出品者として参加するため、きょう(7日)、ソウルに向けて出発します。今回の作品“A History of Hong Kong”は、2012年にジャカルタで開催された世界展<INDONESIA 2012>で大金銀賞(86点)を受賞した作品をベースに、5フレームから8フレームに拡大したコレクションで、8フレームでの出品は今回が初めてとなります。

 展覧会の会期はきょう(7日)から12日まで、通常ですと、作品搬入のために事前に現地入りするのですが、今回はコミッショナーの井上和幸さんが現地入りされる5日に、どうしても、都内で外せない仕事があったため、搬入は井上さんにお願いし、その代わり、13日に井上さんが帰国される際には、フライトをあわせて運搬作業(返却された作品に加え、メダルやカタログ、賞状などが加わるため、往路に比べてかなりの大荷物になります)をお手伝いすることになりました。本日は昼過ぎの飛行機で羽田を発ち、午後3時前には金浦空港に到着の予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。

 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、今回の作品に展示しているマテリアルのうち、1998年に台湾で発行された「元世祖出猟図」(元代の画家・劉貫道が1280年に制作。台湾の國立故宮博物院蔵)の小型シートです。出品者として国際切手展に参加する際には、展示作品の中から、“いざ出陣”という雰囲気の切手を持ってくることにしているので、今回も先例に倣い、元の皇帝フビライがいままさに猟に出かける場面を描いた名画の切手を取り上げたという次第です。ちなみに、この小型シートは、九龍の地名が南宋滅亡時の伝説に由来するということから、南宋を滅ぼした人物を描いた切手として、作品中では使っています。

 この絵に描かれている場面の直後には、左側の切手に描かれている馬上の射手の手から矢が放たれて、シート周囲の金色の方向めがけて飛んでいったことでしょう。すでに作品の搬入は井上さんのご尽力により無事に終わっており、いわば矢は放たれた状態にありますので、前回大金銀賞だった僕としては、自分の矢(=展示作品)が金の枠(90点)に届いてくれることを祈るばかりといったところです。

 では、行ってまいります!

        
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 エジプト、スエズ運河拡張へ
2014-08-06 Wed 16:06
 エジプトはきのう(5日)、欧州とアジアを結ぶ最短航路であるスエズ運河の拡張計画を発表しました。いわゆる“アラブの春”以降の混乱で観光客が激減したため、観光と並ぶ主要な外貨収入源であるスエズ運河の通航料収入を増やすことが目的です。というわけで、今日はスエズ運河ネタの中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

     スエズ運河標語印カバー

 これは、1956年9月13日、カイロからローザンヌ宛のカバーで、ナセルによるスエズ運河国有化宣言後も運河の自由通行を保証することをアピールする標語印が押されています。

 1952年のエジプト革命で発足したナセルの民族主義政権は、王制時代に事実上の宗主国であった英国の影響力を排除するため、1954年10月、スエズ運河地帯から英軍を撤退させる協定を成立させ、1956年6月20日までに全英国兵を撤兵させました。もっとも、この段階では、ナセル政権は自立した近代国家を建設するという意味で英国の影響力を排除しようとしていましたが、西側諸国と敵対することを望んでいたわけではありません。エジプトの経済的自立のための国家プロジェクト、アスワン・ハイダムの建設(ナイル川上流に巨大なダムと発電所を建設し、それを利用した灌漑により大規模な農地を開拓することが計画された)を遂行していくためには、米英両国と世界銀行の資金援助が不可欠だったからです。

 このため、英軍の運河地帯からの撤退に際しては、運河の所有権は英仏両国を大株主とする国際スエズ運河株式会社が保有することとされ、運河の自由な航行を保障する国際協定(1888年10月締結)も引き続き有効であることも確認されていました。

 しかし、英軍の運河地帯から撤兵すれば、エジプト軍がシナイ半島を北上するのではないかと恐れたイスラエルは、英軍の撤兵を妨害すべくさまざまな破壊工作を展開。1955年2月には、イスラエル軍の攻撃によりエジプト軍兵士38名が犠牲になるという事件も発生します。そこで、イスラエルの脅威に対抗する必要から、軍の近代化を計ろうとしたエジプトは、米国をはじめとする西側諸国から最新兵器を購入しようとしたのですが、米英仏の3ヶ国は、中東への武器供与を制限する三国宣言を理由にこれを拒絶。このため、ナセルはソ連に接近し、1955年10月、チェコスロバキア経由での通商協定という名目で、綿花(エジプトの主力輸出品)とのバーター取引を成功させ、大量のソ連製兵器の獲得しました。

 しかし、アラブの盟主を自認するエジプトがソ連に接近することで、他のアラブ諸国もこれに追随するのではないかとの懸念を抱いたた米国は、これに強く反発。エジプトの封じ込めに乗り出します。その一環として、1956年7月19日、国務長官のジョン・フォレスター・ダレスがアスワン・ハイダム建設への資金援助の約束を突如撤回。英国と世界銀行も同様の声明をエジプトに対して発し、ナセルの悲願であったアスワン・ハイダムは、資金不足から中止の瀬戸際に追い込まれてしまいました。

 追い詰められたナセルは、7月26日(革命記念日)、年間一億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言。管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結してしまいました。これが、スエズ運河国有化のあらましです。

 今回ご紹介のカバーは、こうした状況の下で、国有化宣言後もスエズ運河の通行に支障がないことを示すため、エジプトでは、“FREEDOM OF PASSAGE GUARANTEED THROUGH SUEZ CANAL”の標語が入った機械印が使用されました。

 その後、スエズ運河の国有化に激怒した英仏は、エジプトによるチラン海峡の封鎖で経済的なダメージを受けていたイスラエルと同調し、武力による運河国有化を阻止しようとして、今回ご紹介のカバーが差し出された翌月の1956年10月、第2次中東戦争(スエズ動乱)を引き起こすことになります。

 さて、今回の拡張工事ですが、既存の運河の一部と並行して全長35キロの新運河を掘削し、通航する船舶の増大を目指す計画で、総工費は40億ドル(約4100億円)を見込んでおり、完成は2015年半ばの予定だそうです。スエズ運河がらみのマテリアルにはいろいろと面白いモノがありますので、その時には、今回とは毛色の違うモノをご紹介しましょうか。


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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 朝鮮戦争
2014-08-05 Tue 23:40
 全日本切手展の関係で遅くなりましたが、かねてご案内のとおり、えにし書房からあす(6日)発売予定の拙著『朝鮮戦争:ポスタルメディアから読み解く現代コリア史の原点』の現物ができあがりましたので、ご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン)

 今回の拙著の出版元となっているえにし書房は、切手紀行シリーズ『マリ近現代史』の担当編集者だった塚田敬幸氏が本年6月に彩流社から独立して創業した新しい出版社です。本書は、その創業後最初の書籍の1点として、公益財団法人 韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けた「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として刊行するものです。

 韓国が中国と急速に接近していく一方で、朝戦争以来、“血の盟約”の関係にあった北朝鮮と中国の関係がかつてないほど冷却化しているという現状は、間違いなく、後世の視座から朝鮮半島現代史の転換点と位置づけられることになるでしょう。そうであればこそ、このタイミングで、あらためて、朝鮮半島現代史の原点を振り返り、韓国・北朝鮮の両国が誕生するに至った経緯を押さえておくことは意義のあることではないかと思われます。

 また、わが国の集団的自衛権の行使に関して、日本政府が従来の憲法解釈を変更したことで大きな議論を呼んでいますが、政府による解釈変更への賛否は別として、“集団的自衛権”が実際に行使された具体的な先例として、朝鮮戦争に対して国際社会がどう向き合ったかを押さえておくことは、きわめて現在的な重要性を持っています。

 そこで、本書では、1945年の“解放”以来の南北朝鮮および関連地域の切手や郵便物を駆使して、1945年から朝鮮戦争の休戦が成立する1953年までの朝鮮半島現代史を再構成しようと考えました。具体的には、

 ・北朝鮮によるプロパガンダの嘘は切手や郵便物を見れば見破れる
 ・解放後の朝鮮ではしばらくの間日本時代の切手葉書・消印がそのまま使われ、“解放記念”の切手も日本で作られた。
 ・朝鮮戦争の“国連軍”に参加した米軍以外の各国の軍隊・組織の具体的な活動を切手や郵便物を交えて紹介
 ・朝鮮戦争に志願兵として参加し、捕虜となった在日コリアンの手紙

といった話題も含まれています。

 今回は、創業まもない出版社ということで、本文は2段組とすることで頁数をおさえ、図版もカラーではなくモノクロとすることによってコストを抑え、その分、本体定価も2000円と比較的お求めやすい値段に設定しました。今後、書店などでお見かけになりましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、このブログのメールフォームをご利用いただき、ご連絡ください。画像などの資料を、ご要望に応じてお送りいたします。(ただし、8月7-13日は、ソウル出張で日本を離れますので、対応が遅れるかもしれませんが、その際にはあしからずご容赦下さい)

        
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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争・表紙 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 <全日本切手展2014>開催御礼
2014-08-04 Mon 23:38
      リヒテンシュタイン・感謝MC

 おかげ様で、<全日本切手展2014>(以下、全日展)は昨日(3日)をもって無事、終了いたしました。

  今回の全日展に関しては、運営組織が従前とは大きく異なったことに加え、会場が昨年までのていぱーくから東京・錦糸町のすみだ産業会館に変更になったこともあり、いろいろとご心配をおかけしましたが、ふたを開けてみれば、“記念切手発行120年”、“機械印100年”、“富士山の絵封筒”の各特別展示ならびに併催の“カリブ切手展”をはじめ、見ごたえのある競争出品作品が多数並び、ご参観者の皆様にもご満足いただけたのではないかと思います。

  これもひとえに、ご後援を賜りました駐日ジャマイカ大使館、駐日ハイチ共和国大使館、一般財団法人・切手文化博物館、日本郵便切手商協同組合、特定非営利活動法人・日本郵便文化振興機構、ご協力を賜りました公益財団法人・日本郵趣協会、無料世界切手カタログ・スタンペディア株式会社、貴重なコレクションを展示したいただきましたご出品者の皆様、ブースをご出店いただきましたディーラーの方々、そして、寄附金を拠出していただきました皆様ほか、大勢の方々のご支援・ご協力のおかげです。実行委員長として、この場を借りて厚くお礼申し上げます。 (下の画像は、オープニング・セレモニーでのテープカットの写真です。テープにハサミを入れているのは、左から、主催者の公益財団法人通信文化協会理事長・團宏明、駐日ジャマイカ大使クレメント・フィリップ・リカード・アリコック閣下、駐日ハイチ共和国大使ジュディトゥ・エグザビエ閣下、主催者の日本郵趣連合会長・正田幸弘です。)

      全日展2014テープカット

 なお、本年の成果を踏まえ、来年(2015年)も引き続き全日展を開催すべく、すでに準備を始めております。今後とも、皆様方にはいろいろとご支援・ご協力をお願いすることになるかと思われますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 * 冒頭の画像は、1994年にリヒテンシュタインが発行したグリーティング切手“ありがとう”のマキシマムカードです。切手は花をくわえた犬のイラスト、葉書は男の子と女の子の写真です。感謝の気持ちを示すとともに、今年の会場には小学生以下の子供の姿が少なかったというご批判を真摯に受け止め、来年以降、少しでも状況を改善できるよう努力したいとの気持ちを込めて、取り上げてみました。

        
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 コロンブス出航の日
2014-08-03 Sun 07:32
 今日(3日)は、1492年にクリストファー・コロンブスがスペインから1回目の西方への航海に出発した日です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バハマ・コロンブス450年

 これは、1942年にカリブ海の島国(当時は英領)バハマで発行されたコロンブス上陸450年の記念切手です。加刷の台切手に描かれているのは当時のバハマの国章で、コロンブス船団のサンタ・マリア号が大きく取り上げられています。

 バハマは、米国フロリダ半島対岸のグランド・バハマ島から最南端のイナグア島までの間の約700の島々と2400の岩礁からなるバハマ諸島を領土とする島国で、首都ナッソーのあるニュー・プロビデンス島を含めて、人間が住んでいる島はそのうちの30ほどしかありません。

 1492年8月3日、インドを目指してスペインのパロス港を出航したクリストファー・コロンブスの艦隊は、10月12日、バハマ諸島の東端、先住民のルカヤン族が“グアナハニ島”と呼んでいた島に上陸。これが、一般に“コロンブスの新大陸発見”と呼ばれている出来事にあたります。このことから、バハマは“コロンブスが最初に上陸した国”として、国章にサンタ・マリア号を取り上げることになったわけです。

 コロンブスは上陸に感謝して、この島を“サン・サルヴァドル(=聖なる救世主)”と命名しましたが、同時に、周辺の海域の水深が浅いことから、この地域一帯をスペイン語で“浅い海”を意味する“バハ・マル”と呼びました。これが、“バハマ”の語源となりました。

 コロンブスがサン・サルヴァドルに上陸した際、島では約4万人のルカヤン族が平和に暮らしていましたが、大人しい彼らは、すぐに、侵略者たちによって奴隷狩りのターゲットとなり、疫病の流行もあって、25年ほどで死に絶えてしまいます。以後、スペイン人たちはアフリカから黒人奴隷を連れてきて、バハマ諸島で働かせることになりました。ちなみに、後に英領となるバハマですが、英国人として最初にバハマ諸島にやってきたのは、1649年、エルーセラ島に上陸したピューリタンたちでした。

 さて、1日からスタートした全日本切手展(と併催のカリブ切手展)ですが、早いもので、本日3日が最終日となりました。英領ギアナのコットン・リールをはじめ名品が目白押しのカリブ切手展や力作ぞろいの競争展示など、ぜひ、お見逃しなきよう、会場でお運びいただけると幸いです。

 *昨日の拙著『朝鮮戦争』の刊行記念トークイベントは無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。なお、会場内にて早々に完売してしまい、ご迷惑をおかけした『朝鮮戦争』ですが、昨日夕方、補充の在庫が入荷し、会場内のスタンペディア・ブースにて販売しておりますので、よろしかったら、ぜひ、実物をお手に取ってご覧いただけると幸いです。

        
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 綿商会館の後はぜひ…
2014-08-02 Sat 01:26
 <全日本切手展2014>(以下、全日展)は、昨日(1日)、無事に開幕しました。初日からお越しいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。さて、きょうは全日展の会場がある錦糸町からJR総武快速線で1駅、馬喰町駅近くの綿商会館で切手市場が開催されます。そこで、全日展の提携イベントでもある切手市場で綿商会館にお出かけの後は、全日展と併催のカリブ切手展にもぜひ足を延ばしていただきたいということで“コットン”つながりの、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       英領ギアナ・コットンリール8セント (C)Stampedia

 これは、1850年、英領ギアナ(現ガイアナ)で発行された切手のうち、未使用の8セント切手で、その形状から“コットン・リール”と呼ばれています。

 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、イギリスの3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナでは、早くから、首府ジョージタウンやバービス経由で英本国に向かう船に託しての外国郵便や、沿岸の都市を結ぶローカル郵便も行われていました。

 こうした前史を経て、1850年6月15日、デメララの郵便副長官ダルトンは、①書状取扱業務を毎日行う、②料金前納のための切手を発行する、③郵便料金は3地帯の距離制とする、④新サービスは7月1日から実施し、あわせて、3種類の切手を発行する、と発表しました。

 しかし、ダルトンの発表から新サービスの開始までは半月ほどしかなく、事前の調整が何もない状況では、英本国に切手を注文しても間に合わないため、とりあえず、地元の印刷会社バウム・アンド・ドーラス・ガゼット社によって切手が製造されることになりました。

 同社では、82ミリの真鍮の針金を曲げて円形の枠を作り、その内側に“英領ギアナ”の活字を埋めこんで切手を製造。額面に関しては、4セントは黄色、8セントは緑、12セントは青と用紙の色を変えて対応することにしました。また、製造方法がきわめて単純で偽造も容易と考えられたため、事前に郵便局のスタッフがサインをしてから販売されました。

 こうして発行された英領ギアナ最初の切手は、糸巻のラベルに似た形状のため“コットン・リール”と呼ばれていますが、その残存数は全ての額面を併せても80枚程度しかないとみられており、いずれも世界的な珍品となっています。今回のカリブ切手展では、そのうちの2枚(今回ご紹介のモノと、黄色の4セントの使用済み)が展示されていますが、その評価額は2点で3000万円と言われています。

 カリブ切手展では、このほかにも、さまざまな珍品・稀品を数多く展示しておりますが、日本国内でカリブの初期の切手がこれだけまとまって展示される機会はめったにないと思われます。会期は明日までですので、ぜひ、会場で実物をご覧いただけると幸いです。

        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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