内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 メディア史研究・メディアの中の日米関係
2014-09-30 Tue 23:01
 ご報告が大変遅くなりましたが、『メディア史研究』第36号ができあがりました。今号は特集が「メディアの中の日米関係」ということで、僕も「転換点としてのペルリ来琉百年-琉球切手における〝日本〟へのまなざしについての一考察-」と題する論文を投稿しています。というわけで、きょうは拙稿の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      太田朝敷

 これは、1953年10月1日に米施政権下の沖縄で発行された「第三回新聞週間」の記念切手で、鉛筆をかたどった紙型と太田朝敷の肖像が取り上げられています。

 米施政権下の沖縄で正刷切手の発行が始まったのは1948年7月1日のことでしたが、切手の国名表記は“琉球”とされました。これは、“沖縄”の語が狭義には沖縄本島のみを指す言葉であったことにくわえ、琉球王国を大日本帝国に編入する際に琉球から沖縄に改称することでこの地域が日本領であることを示すために用いられていたこと、さらに、琉球という名称が戦勝国の一角を占めていた中国による命名であったことなどが総合的に考慮された結果と考えられています。

 また、当初の切手の題材は、たとえば、日中両属の時代、中国皇帝から琉球へと派遣された冊封使が乗ってくる船の御冠船をとりあげて“琉球”と中国の関係を強調したり、沖縄戦で破壊された建造物(実際に破壊したのは米軍ですが、沖縄戦は日本軍に責任があるというのが米側の主張です)や米国統治による“恩恵”として首里城址に建てられた琉球大学を取り上げるなど、“日本”に対してネガティヴな内容のものが主流を占めていました。

 ところが、1952年に対日講和条約が発効して日本が再独立を果たすと、米国は、日本がいずれは米国からの自立を模索するのではないかとの不安を持つようになります。

 たとえば、講和条約の発効から約4ヵ月後の1952年8月7日に採択された米・国家安全保障会議の報告書、NSC125/2には、「日本は次第に、極東の問題で自立的な役割を果たそうとするであろう。(中略)日本は米ソ対立を利用しようとするかもしれない。日本はアジア大陸における影響力の回復と対中貿易の利益の再獲得を望み、アジアの共産主義勢力に対する歩み寄りが、日本の利益になると結論づけるかもしれない」として、日本が米国から離れ、中立化に向かうばかりか、共産主義陣営に接近する可能性すら指摘しています。

 その背景としては、どれほど政府レベルで日米の“友好”が喧伝されようとも、標準的な日本国民にとっては、米国はごく最近まで勝者として日本を占領していた存在であり、さらに、講和条約の発効後も“不平等条約”に基づいて米軍の駐留が続いていることに対して、彼らの潜在的な反米感情は無視できないものがあったという事情がありました。また、政治的な思想信条とは別に、日本の財界の中には、日本が台湾の国民政府と講和条約を結び、米国の対中禁輸措置に従っていることへの不満も少なくありませんでした。

 じっさい、こうした日本国内の空気を察して、1952年4月、中国は「日本が米国の掣肘を脱して、再軍備を止め、平和産業を発展させ、米国の強めている禁輸を打破して、中国貿易を拡大するのが、日本人民のためである」と呼びかける“平和攻勢”を展開しています。

 これに対抗すべく、米国は、東側諸国、特に共産中国に対する禁輸政策に同調させながら、極東の拠点国家である日本の経済を安定させる必要に迫られました。同時に、日本に対して西側諸国の一員であることを明確に自覚させることも重要な課題となります。

 具体的には、米国は東南アジア諸国に対する日本の戦後賠償の負担を軽減するよう仲介の労を惜しまず、1953年4月には、他国にさきがけて日本との間に友好通商航海条約を結び、日本に最恵国待遇と内国民待遇を与えたほか、同年7月には、日本に対して「日米相互安全保障協定(いわゆるMSA協定)」の締結を提案しました。

 いずれにせよ、こうした政策転換の文脈においては、米国が直接支配する沖縄において分割統治のプロパガンダを展開して日本本土との離間を図るよりも、米国=沖縄=日本は一つのラインとして緊密に結びついていることを強調することの方が重要になったわけです。

 この結果、沖縄を経由して日本を開国させたペリーの存在は、そうした米国=沖縄=日本という構造が、日米関係の当初から機能していたことを象徴的に示している歴史的な先例として、大いに賞揚されることになります。

 すなわち、ペリーが沖縄に上陸した1853年5月26日にちなんで、毎年5月26日を“米琉親善日”にするということは、1950年4月の米軍政府特別布告35号によって定められましたが、1951-52年には、米琉親善日は5月25・26日の2日間に拡大され、さらに、ペリー来琉100年にあたる1953年には5月26日を含む5日間が“ペルリ百年祭”として大々的に祝われました。

 百年祭の期間中には、米琉親善が以前にも増して強調されたことはもちろん、沖縄内において原則として禁止されていた日章旗の掲揚が特例として許可されたほか、5月25日には、首里王府によって編纂された、大半がひらがな書きの歌謡集(すなわち、琉球王朝が日本の強い文化的影響下にあることを示す資料)で、米国に流出していた『おもろさうし』が琉球政府に返還されるなど、沖縄とその潜在的な主権者としての日本との絆が強調されています。ちなみに、記念行事の一環として発行された「ペルリ来琉百年」の記念切手には、琉球切手としては初めてカタカナの表示となる“ペルリ”の文字が入っていた点も見逃せません。

 今回ご紹介の「第三回新聞週間」の切手は、こうした文脈の下で、「ペルリ来琉百年」の次に発行された記念切手ですが、沖縄を代表する新聞人の一人である太田朝敷の肖像が取り上げられているのがミソです。

 すなわち、太田は、1865年、首里の士族出身。琉球処分後の1882年に沖縄師範学校に入学し、同年、第1回県費留学生に選ばれて上京し、学習院、東京高等師範学校、慶應義塾で学んだ後、旧王族の尚順らとともに沖縄初の新聞となる『琉球新報』の創刊に加わりました。当時の沖縄を代表する知識人の一人で、1900年7月1日、私立沖縄高等女学校の開校式に招かれ、沖縄近代化を担うべき少女たちに対して「沖縄今日の急務はなんであるかと云えば一から十まで他府県に似せる事であります。極端にいへば、嚔する事まで他府県の通りにすると云う事であります」との“クシャミ演説”を行ったことでも知られています。

 太田の“クシャミ演説”については、“大和化”の枠にとらわれない“文明化”の方向性を示したものという指摘もありますが、一般には、沖縄の大和=日本本土に対する同化教育を象徴するものと理解されており、彼の肖像を切手に取り上げたのは日琉の紐帯を強調する意図が込められていたからとみるのが妥当と言えましょう。

 今回の拙稿では、このほかにも具体的な事例を挙げつつ、「ペルリ来琉百年」の前と後では琉球切手における“日本”の取り上げ方が正反対と言ってよいほどに変化したことを明らかにするとともに、いわゆるB円時代の切手の以ていつ政治的な意味についても考察しました。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 香港で“和平占中”開始
2014-09-29 Mon 11:45
 中国が、1997年以降も50年間は英領時代の制度が維持されるとした“一国二制度”を骨抜きにするため、香港の次期行政長官選挙で民主派候補を事実上排除する決定を行ったことに抗議するため、香港の民主派団体はきのう(28日)、市内中心部の金融街・中環(セントラル)周辺を大群衆で占拠する街頭抗議活動(和平占中:オキュパイ・セントラル)を開始しました。というわけで、香港の民主派応援企画として、中環の風景を取り上げた切手の中から、まずはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・電力100年(路面電車)

 これは、1990年、英領時代の香港で発行された“香港電力100年”の記念切手のうち、20世紀初頭の路面電車が走る德輔道(デボー・ロード)の風景を背景に、1890年の街頭のシルエットが描かれています。なお、德輔道は中環のど真ん中を通っている道路で、現在でも路面電車が走っているほか、地下鉄の中環駅はこの通りにあります。 報道によれば、今回の“中環占拠”では、このあたりにも抗議のデモ隊が溢れていたそうです。

  さて、香港における電力事業は、1888年の山頂纜車(ピーク・トラム)開通によって山の手地域の開発が進められ、この地域への水の供給が重要な課題となったため、山頂まで水をくみ上げるための動力として電力の利用が検討されたところから本格的に始まり、ポール・チャーターを中心にホンコン・エレクトリック(現・香港電燈有限公司)が設立されました。

 ポール・チャーターはカルカッタ出身の英国人で、香港には1864年にやってきて、アングロ・インディアン銀行の一つであったヒンドゥスタン銀行の行員を皮切りに、実業家としての頭角を現しました。

 当時の香港では、1862年に設立された香港中華ガス会社(現・タウンガス)によるガス灯が照明の主力で、1875-89年にかけて造られた都爹利街(ダデル・ストリート)の御影石の石段の両側に並ぶガス灯は、当時の面影を現在に伝えるスポットとして、法定古蹟にも指定されています。ただしそのガス灯そのものは1922年製のもので、設置当初のものではありません、

 さて、チャーターは立法評議会の委員2人とともに、1888年にホンコン・エレクトリック設立のための認可を総督府から得て、街灯の設置と山の手への水のくみ上げを行うことになります。このため、湾仔(ワンチャイ)に香港最初の発電所が建設され、翌1889年、ホンコン・エレクトリックの株式の募集が開始されました。

 ホンコン・エレクトリックは英本国から50キロワットの能力を持つ蒸気式の発電機を2台購入し、1890年12月1日の午後6時から街灯の点灯を開始しました。その後、香港の発電所は湾仔から北角(ノース・ポイント)へ、現在では南Y島へと移転し、かつての発電所跡地は電気街という名づけられた住宅街ならびに隠れ家的なレストランのあるスポットになっています。

 一方、切手の背景になっている路面電車ですが、香港島市街地の交通手段として路面電車を走らせようというプランが最初に提案されたのは1881年のことでしたが、このときには資金が集まらずに計画はあっさり頓挫しています。

 その後、ピークトラムが開通した後の1901年8月になって、あらためて路面電車建設のための公債が始められ、翌1902年2月7日、香港の路面電車の建設と管理を行うための香港電車電力有限公司がロンドンで設立されます。ちなみに、同社は同年末には香港電力牽引有限公司となりますが、1910年に現在の香港電車公司に改称されました。

 実際の建設工事は、堅尼地城(ケネディ・タウン)から銅鑼灣(コーズウェイ・ベイ)までの区間での単線の建設工事が1903年に始まり、翌1904年7月2日からの試運転を経て、同月30日午前10時、ようやく堅尼地域から筲箕湾(ショウケイワン)までの路線が開通しました。

 主なターミナル駅は、堅尼地城、屈地街(ホイッティ・ストリート)、上環街市(ウェスタン・マーケット)、中環、金鐘(アドミラリティ)、湾仔、銅鑼灣、天后(ティンハウ)、北角、西灣河(サイワンホ)、筲箕灣で、1914年には湾仔=銅鑼灣間に跑馬地(ハッピー・ヴァレー)行きの支線が開通しています。

 開通時に用いられていた車輌は英国製で、分解して香港まで運ばれた後、あらためて組み立てられました。車輌は、現在のような2階建てではなく、32人乗りの1等車と48人乗りの3等車がありました。料金は、1等車が10セント、3等車が5セントです。会社側は、当初、2等車も走らせる予定でしたが、ヨーロッパ人用と中国人用の車輌の差異を明確にするため(制度的には誰でもどちらの車輌にも乗れましたが、実際には、両者の間には厳然たる区別がありました)、2等車の計画は取り止めとなったといわれています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくご説明しておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 アチェで同性愛に鞭打ち条例
2014-09-28 Sun 17:12
 インドネシアのアチェ州議会は、きのう(27日)、イスラム法(シャリーア)に基づいて、同州内では宗教・国籍を問わず同性愛行為を鞭打ち刑の対象にする条例を全会一致で可決しました。ちなみに、アチェ州はインドネシアの中で最も早くイスラムが普及したとされ、同国で唯一、シャリアの施行が認められています。というわけで、アチェのイスラムといえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      アチェ・モスク     アチェ・モスク(実物)

 左の画像は、アチェ州の州都バンダ・アチェのバイトゥル・ラフマン大モスク(以下、大モスク)を取り上げた2002年のインドネシア切手です。右側には、実際のモスクの写真を貼っておきました。

  現在の大モスクがある場所には、もともと、アチェ王国第12代スルターンで、17世紀前半にアチェ王国の最盛期をもたらしたイスカンダル・ムダが1612年に建立したモスクがありました。しかし、このモスクは、アチェ戦争勃発早々の1873年4月、オランダ軍の砲弾により破壊されてしまいます。

 このことがアチェの人々を激怒させ、オランダに対する激しい抵抗の要因となったことから、オランダは首都クタ・ラジャ(現バンダ・アチェ)を制圧すると民心の安定のために大モスクの再建に着手。1879年から1881年にかけて、イタリア人建築家の設計したムガール洋式の建物として、大モスクを再建しました。

 当初、大モスクのドームは3つでしたが、その後増築され、最終的に、1936年の増築で7つのドームを有する現在の姿となり、2004年の大地震・津波でも本堂は倒壊せずに残りました。

 なお、アチェについては、拙著『蘭印戦跡紀行』でも1章を設けていろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 セリーグは巨人が優勝
2014-09-27 Sat 11:16
 プロ野球のセリーグは巨人がリーグ優勝しました。というわけで、僕の最新作『朝鮮戦争』にちなんで、きょうは朝鮮半島の“巨人”ネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      論山風景印

 これは、日本統治時代の朝鮮・論山で使用された風景印で、韓国最大の石仏として知られる灌燭寺の弥勒菩薩が描かれています。

 灌燭寺は忠清南道論山市の古刹で、境内にある高さ18.12mの石仏は、高麗時代の968年から建設が開始され、1006年に完成しました。

 この石仏の縁起としては、次のような伝説が残されています。すなわち、ある日一人の女性が般若山にワラビを採りに行ったところ、子供の泣き声が聞こえてきたので見てみると、子供はなく、地中から巨大な岩が盛り上がっていました。この知らせを聞いた王はそびえ立つ岩に仏像を造成​​するよう指示し、石仏がつくられたということです。

 なお、一般に菩薩像は、釈迦が出家する以前の例にならい、古代インドの貴族の姿を表現したものが多いのですが、この像は、角帽のような2段の宝冠が高麗独特の風貌となっているのが特徴です。また、両手は胸まで持ち上げて、片手には花枝を持ち、左手は親指と中指を突き合わせているが、これは阿弥陀如来の印相を表現したものと考えられています。

 なお、日本では弥勒菩薩というと半跏思惟像のイメージが強いのですが、世界各国にはさまざまなスタイルの弥勒菩薩像があります。それらについては、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ブルーマウンテン販売休止
2014-09-26 Fri 12:41
 コーヒー大手UCC上島珈琲は、きのう(25日)、産地のジャマイカで病虫害などにより大幅に減産しているため、在庫限りでブルーマウンテン(以下、コーヒーの名前としてはブルマンと略)の販売を終了すると発表しました。すでに、同様の理由でキーコーヒーも直営店での販売を休止し、スーパーなどでの在庫を残すのみとなっており、しばらくブルマンとはお別れということになりそうです。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャマイカ・キャサリンズピーク

 これは、1932年、英領時代のジャマイカで発行された切手で、ブルーマウンテン山脈で5番目に高い頂、キャサリンズ・ピーク(1353m)とその下に広がるニュー・キャッスル村の風景が描かれています。ちなみに、キャサリンズ・ピークの名は、1760年、この山に初めて登ったキャサリン・ロングにちなんで命名されました。

 高級コーヒーの代名詞として知られるブルマンは、本来、ブルーマウンテン山脈の標高800~1200mの特定エリアで産出されたコーヒー豆のみに付けられる名前で、今回ご紹介の切手に取り上げられているニューキャッスル一帯はその産地の一つとして知られています。この地域では、1750年頃にはすでにコーヒーの栽培が始まっていたといわれており、1810年の記録では、ロバート・ハミルトンがニューキャッスルを含む山の高い地域に30万平米のコーヒー農場と173面平米の牧草地を、山麓に45万平米のコーヒー農場と107万平米の牧草地を所有していたとの記録が残されています。

 ちなみに、“ブルマン”として日本に輸出されている豆の多くは、ブルーマウンテン山脈周辺(主に標高800m以下の山麓エリア)で栽培されたもので、本来なら“ブルマンもどき”と称すべきものなのだとか。それでも、今回の一件で“ブルマンもどき”さえ入手困難ということになると、本来のブルマンはますます、僕などには手の届きにくい高嶺の花ということになりそうですな。
 

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 世界の国々:ルーマニア
2014-09-25 Thu 22:39
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年10月1日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーでは、今回はルーマニアを取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コマネチ絵葉書

 これは、ナディア・コマネチの写真を取り上げた公式記念絵はがきに、ルーマニア発行のモントリオール五輪の記念切手を貼って記念の消印を押したもので、写真の太もも部分には、彼女の自筆サインも入っています。

 “白い妖精”と呼ばれたナディア・コマネチは、1961年11月12日、モルダヴィア地方バカウ県のオネシュティで生まれました。

 1965年に権力を掌握したニコラエ・チャウシェスクは、国威発揚の手段としてスポーツに力を入れ、1969年、国立体操専科学校(現ナディア・コマネチ体操学校)を設立します。ここに入学した7歳のナディアは、同年の国内選手権で13位に入賞したのを皮切りに頭角を現し、1975年の欧州選手権では、種目別の床で銀メダルとなったのを除き個人総合、全種目別で金メダルを獲得しました。

 さらに、1976年、14歳の彼女はモントリオール五輪に出場。段違い平行棒と平均台の演技で近代五輪史上初の10点満点をたたき出し、個人総合と併せて3つの金メダルを獲得し、世界最強といわれていたソ連勢を蹴散らします。

 いちやく国家の英雄となったコマネチはチャウシェスク政権の広告塔となり、満足なトレーニングもできないまま次第に消耗。環境の変化や周囲の重圧によるストレスから、衝動的に自殺を企て、病院に担ぎ込まれたこともありました。

 それでも、1979年の世界選手権では個人総合優勝を果たしたほか、1980年のモスクワ五輪でも個人総合で銀、平均台と床で金メダルを獲得。頂点に立ったまま、翌1981年に引退します。

 引退後の彼女は、“英雄”の亡命を恐れたチャウシェスク政権により厳しい監視下に置かれたばかりか、チャウシェスクの二男ニクに愛人関係を強要されるなど、苦悩の日々を余儀なくされていましたが、1989年11月27日、ブカレストを脱出して西部の国境を越え、ハンガリー経由でオーストリアに入り、米国亡命を果たします。

 皮肉なことに、彼女が祖国を捨てた直後の1989年12月、ルーマニアでは民主革命が発生し、彼女を翻弄し続けたチャウシェスク革命はあっけなく崩壊しました。

 その後のコマネチは、米国で元五輪金メダリスト(体操)のバート・コナーと結婚。オクラホマシティで体操教室やスポーツ関連会社を経営するとともに、チャリティ活動も精力的に行っています。

 さて、今回の『世界の切手コレクション』の「世界の国々」では、今回ご紹介したコマネチのほか、スタンペディア株式会社のご協力を得て、オードリー・ヘップバーン主演の映画『シャレード』に登場する珍品切手のモデルとなったモルダヴィアの牛についてもページを取ってご紹介しております。また、今号からは、隔週で「日本切手の歴史」と題する新連載もスタートしております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 本日未明、カウンターが142万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。


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 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

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 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 阿蘇が世界ジオパークに
2014-09-24 Wed 12:54
 世界遺産の地質版とされる自然公園・世界ジオパークに、きのう(23日)、熊本県の“阿蘇”が認定されました。国内では、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸隠岐諸島に続いて7例目です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      阿蘇中岳

 これは、1965年6月15日に発行された阿蘇国立公園の切手のうち、中岳の噴火口を取り上げた5円切手です。

 阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、“火の国”熊本県の象徴的な存在です。切手に取り上げられた中岳は、カルデラ内部にある阿蘇五岳のうち、中央部に位置する噴火口のある山で、標高1,506メートル。現在でも火山活動が続いており、活動が活発化したり、有毒ガスが発生した場合は火口付近の立入りが規制されます。

 熊本には何年か前に1度だけ行ったことがあるのですが、残念ながら、その時は熊本市内しか行けず、阿蘇山に行って切手のような光景を拝むことはできませんでした。それにしても、日本で新たな世界遺産や世界ジオパークが認定されるたびに、関係の切手などをチェックしているのですが、実はほとんど行ったことのない場所ばかりです。日本人として日本の良さを再認識するためにも、時間を見つけて、少しは国内旅行もまじめにやらないといけませんね。


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 国連記念墓地
2014-09-23 Tue 23:48
 今日は彼岸の中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。というわけで、“お墓”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・国連記念墓地

 これは、1960年11月1日に韓国で発行されたUN墓地(国連紀念墓地)の記念切手です。

 朝鮮戦争に際して国連側で参加した将兵や医療関係者のうち、韓国内で亡くなった人々の遺体は、当初、開城、仁川、太田、大邱、密陽、馬山の6箇所の墓地に埋葬されていました。その後、戦争中の1951年、国連軍司令部は、釜山の南区大淵洞のに4万坪の敷地に共同墓地を作ることを決定し、上記6ヵ所から遺体を移動させます。

 休戦後の1955年、国連総会は、朝鮮戦争の戦死者を敬慕するため、上記の場所に正式に国連記念墓地を設立・維持する旨の決議を採択。これを受けて、22カ国1万の遺影が釜山の墓地に安置されることになり、1960年からは国連が正式に管理するようになりました。今回ご紹介の切手は、これにあわせて発行されたもので、世界各国のさまざまな宗派の人が眠る墓地のイメージとして、十字架のみならず、トルコ兵などムスリムの墓所を示す三日月碑やユダヤ教徒の墓所を示すダビデの星の碑などが並ぶ風景が描かれています。
 
 ちなみに、現在の国連記念墓地に安置されているのは、オーストラリアカナダ、オランダなどの11カ国の約2300の遺影のみになっていますが、これは、米国、ベルギータイ、インド、コロンビアなどが、順次、自国の兵士の遺影を引き取っていったためです。

 なお、朝鮮戦争における国連軍参加国それぞれの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 第2の“沙田惨案”は許すな!
2014-09-22 Mon 23:15
  中国が、1997年以降も50年間は英領時代の制度が維持されるとした“一国二制度”を骨抜きにするため、香港の次期行政長官選挙で民主派候補を事実上排除する決定を行ったことに抗議するため、香港の大学20校以上の多数の学生が、新界・沙田の香港中文大学に結集し、きょう(22日)から、授業のボイコットを開始しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      デルタ号    デルタ号絵葉書・裏面

 これは、1922年の香港海員大罷工(大規模ストライキ)に参加したデルタ号から差し出された絵葉書で、絵面には九龍港に停泊中の船影が大きく取りあげられています。裏面(右側の画像)を見ると、この葉書がパクボー扱いで、ジャワ島のバンドン宛に差し出されたものの、スマトラ島のクタラジャ(現バンダ・アチェ)宛に転送されていることがわかります。

 さて、貿易港であった香港は、必然的に海員(船舶関係者)の街でもありました。20世紀前半の海員たちの給料は、他の華人労働者と比べると決して低いものではありませんでしたが、同乗の西洋人との賃金・待遇の差は歴然としていました。また、外国航路に働く海員たちは、世界中を廻る過程でロシア革命後の労働運動の高揚を自分たちの目で確認していましたし、西洋人の海員たちが組合を結成し、賃上げを勝ち取っていることも知っていました。

 こうした状況の中で、1920年12月、香港の華人海員たちは、労働組合として中華海員工業連合総会(以下、海員工会)を結成し、翌1921年8月と11月の2度にわたって各輸船公司(船主側の団体)に賃上げの要望書を送りましたが、反応は芳しくありませんでした。船主側は、1922年1月になってようやく交渉のテーブルには着いたものの、労働側の要求を拒否。このため、1月12日午後5時から海員工会はストライキに突入します。

 ストライキには、今回の絵葉書のデルタ号を含め、各国の166隻の船、2万人の海員が参加し、下船した海員たちは広州に集結。孫文の広東軍政府を後ろ盾に職場放棄の意思を明確にしました。また、海員以外の運輸関係の労働者も同情ストを敢行。ストライキの参加者はあっという間に3万人にも膨れ上がりました。

 これに対して、船主側を支援していた香港政庁は戒厳令を発して組合の解散を命じ、ストライキを押さえ込もうとしましたが、結果的に、これはストライキ側の怒りに火に油を注ぐこととなり、広州ではイギリス商品のボイコットも始まりました。さらに、組合とは無関係な香港華人の多くも広州へ引き上げはじめ、香港のイギリス社会は機能停止の状態に陥ります。

 焦ったイギリス当局は、3月4日、新界の沙田で香港から広州へ向かう華人たちに発砲。6名が死亡し、数百名が負傷するという事件が起こりました。いわゆる沙田惨案です。

 沙田惨案の結果、香港と広州の反英感情は沸騰しましたが、英国政府はそれが上海に飛び火して、さらには中国全土に波及することを恐れました。このため、香港政庁に対して事態の早期収拾を厳命。また、香港華人の自治組織でもある東華醫院も調停に乗り出します。

 結局、沙田惨案の翌日、3月5日に船主側は15-30%の賃上げに応じ、香港政庁も組合に対する解散令を撤回し、逮捕していたスト指導者を釈放。ストライキは海員工会側の全面勝利に終わりました。これを受けて、56日にわたったストライキの勝利を祝って、広州では香港に復帰する労働者の歓送会が行われ、30万人のデモ行進が行われています。

 さて、今回、沙田の中文大学に集まった学生たちですが、最近の台湾での学生による立法院占拠が一定の成果を上げたように、その主張がある程度認められれば良いのですが、なんといっても、今回の相手は天安門事件で無辜の市民・学生たちを虐殺しても何ら恥じることのない中共ですからねぇ。香港の学生諸君を応援するとともに、どうか、第2の“沙田惨案”が起こらないよう祈るばかりです。

 ちなみに、1922年の香港海員大罷工の当時、孫文は廣州にいましたが、高揚した雰囲気の中で、2月27日、彼は広州から北方に攻め上り、北洋軍閥の支配する北京政府を打倒するとして“北伐”を宣言しています。まぁ、仮に第2の沙田惨案が起こるようなことがあれば、それこそ、今回もまた、北京政府を打倒するための第2の“北伐”が宣言されないかなぁ…と僕などは思ってしまいますな。


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 NZ総選挙は与党勝利
2014-09-21 Sun 15:17
 ニュージーランドで、きのう(20日)、総選挙が実施され、与党・国民党が48%の票を獲得。親中派で知られるキー首相の3期目就任が確実となりました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮戦争国連軍(NZ)

 これは、朝鮮戦争に参加したニュージーランド兵が、1951年6月、在朝鮮の第41野戦局から本国宛に差し出したエアメールです。

  朝鮮戦争開戦4日後の1950年6月29日、ニュージーランド政府はトゥティラおよびプカキの2隻のフリゲート艦を朝鮮海域に派遣することを決定。これら2隻は7月3日にオークランドのデヴォンポート海軍基地を出発し、8月2日、日本の佐世保港で他の英連邦諸国の艦船と合流して、9月の仁川上陸作戦にも参加しました。その後も、戦争の全期間を通じて、ニュージーランド海軍は、常時、最低2隻のフリゲート艦を朝鮮海域に派遣しています。

 一方、地上軍に関しては、1950年7月26日、ニュージーランド政府は志願兵からなる戦闘部隊の派遣を決定して1044名を選抜。彼らは、翌1951年1月21日に釜山に上陸し、英連邦第27歩兵旅団に組み込まれて、漢江を遡上してきたニュージーランド海軍の兵力と連携して、同年4月22-25日の“加平(京畿道)の戦い”や10月3-8日の“(第1次)馬良山の戦い)などで共産側を38度線以北に押し戻すうえで重要な役割を果たしました。

 休戦協定後もニュージーランド軍は朝鮮への駐留を続けましたが、1955年までには大半の兵力が帰国し、1957年には連絡将校1名を残して、完全に撤退しました。朝鮮戦争におけるニュージーランド軍の参戦人数は累計5000名を超え、33名が戦死、79名が負傷しています。

 ちなみに、朝鮮戦争を通じて、ニュージーランドはアジア太平洋地域での共産主義の拡大を阻止するための軍事同盟の必要性を痛感するようになり、戦争中の1951年9月、米国、オーストラリアの3国による太平洋安全保障条約(加盟国の頭文字を取って“ANZUS:アンザス”と呼ばれています)が調印されたことは記憶にとどめておいてよいでしょう。

 さて、今回のニュージーランドの総選挙では、与党・国民党の対中政策が一つの争点になっていました。

 すなわち、近年、ニュージーランドでは、中国など海外から投機マネーが流入し、住宅価格が上昇。 このため、野党は住宅難などへの与党の対応が不十分だとして、新税の導入や外資の審査基準の厳格化を公約に掲げていましたが、対する与党は、低所得者層の不満解消のため所得税減税を打ち出すとともに、より一層の外資誘致(その中心は中国系資本)を進める姿勢を打ち出していました。

 また、近年、ニュージーランドは中国向けの輸出増加により、国内総生産(GDP)成長率が2013年4月-2014年3月に3.3%を記録していますが、こうした事情を踏まえ、キー首相は、ことし3月の訪中時、対中貿易総額を2020年までに現在の1・5倍近い300億ニュージーランド・ドル(約2兆6500億円)に引き上げることで合意するなど、対中依存をさらに推し進める意向を明らかにしています。

 今回の総選挙の勝利に関して、キー首相は「この国は正しい方向に進んでいる」と勝利宣言したそうですが、はたして、こうした対中姿勢が“正しい方向”なんでしょうかねぇ。すくなくとも、中華人民共和国が、建国以来一貫して、人権抑圧を続けてきた一党独裁のファシスト国家であり、現在も周辺諸国への侵略の意図を露わにしていることを考えると、かつて、朝鮮戦争で中国人民志願軍と戦い、ANZUSを調印して中国の脅威に備えようとした先人たちの努力について、キー首相はどのようにお考えなのか、きちんと説明していただきたいものです。

 なお、朝鮮戦争では、ニュージーランド以外にも、多くの国が国連軍に参加していますが、それらについては、拙著『朝鮮戦争』でも1章を設けてまとめております野で、機会がありましたら、是非、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 仁川上陸の記念碑
2014-09-20 Sat 14:23
 4年に1度開催される第17回アジア大会の開会式が、きのう(19日)、韓国・仁川競技場で行われました。というわけで、開催地の仁川にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      仁川・マッカーサー将軍銅像

 これは、韓国の仁川局の風景印で、仁川自由公園の“マッカーサー将軍銅像”が大きく取りあげられています。ちなみに、MacArthur の日本語表記は“マッカーサー”ですが、ハングルをそのままカタカナに直すと“メッカド”になります。まぁ、外来語の常といえばそれまでですが、言語によって音の聞こえ方はずいぶん違うモノですな。

 さて、切手に取り上げられた銅像のある仁川自由公園は、朝鮮王朝が開国して間もない1889年頃、仁川在住の外国人のため、仁川港を見下ろす鷹凰山の高台に開設された朝鮮半島最初の西洋式公園で、当初は“万国公園”と呼ばれていました。しかし、日本統治時代の1916年、天照大神と明治天皇を祭神とする“仁川神社”が埋立地につくられ、周辺一帯の土地が“東公園”となったため、万国公園は“西公園”と改名されます。

 1948年の大韓民国成立後、公園は旧称の万国公園に戻されましたが、朝鮮戦争休戦後の1957年、1950年9月の仁川上陸作戦を記念して園内の東寄りの場所にマッカーサーの銅像を建立するとともに、現在の“仁川自由公園”に改称されました。

 マッカーサー像を制作した彫刻家・金景承は、1915年生まれ。1934年、東京美術学校(現・東京芸術大)彫刻科に入学し、在学中の1937年に朝鮮美術展覧会で入選して彫刻家としてのデビューを飾りました。1941年、国民総力朝鮮連盟傘下の朝鮮美術家協会で評議員と彫刻分科会の委員を務めたほか、1944年には決戦美術展覧会の審査員を務めています。

 1945年の解放後はこうした経歴が問題視され、一時、朝鮮美術建設本部への参加が認められませんでしたが、1949年にソウル市の文化委員に選ばれ、その後の韓国の美術教育の基盤づくりに尽力しました。

 1950年6月の朝鮮戦争勃発時には、鐘路区の豊文女子高校の校長職にあり、戦争中はパルチザン討伐作戦に参加。休戦後は、今回の風景印に取り上げられているマッカーサー像のほか、国会議事堂内に長らく展示されていた李舜臣像、ソウル・南山の白凡広場の金九像(閔福鎮との共作)など、現代韓国において政治的に重要な銅像を数多く手掛けています。

 ところで、今回ご紹介の風景印は2003年に使用されたものだが、この頃から、マッカーサー像の存在は一部左派勢力によって政治問題化され、韓国では困惑している国民も多いようです。

 すなわち、2003年、親北・左派色が顕著な盧武鉉政権が発足。その流れを汲んで、2004年6月、仁川市が“平和都市”を宣言すると、同年11月、左派系市民団体の“仁川連帯”が「南北を分断した戦争の張本人」として、マッカーサー像の撤去を要求しています。以後、左派系市民団体によるマッカーサー像撤去の運動が展開され、上陸作戦55周年を控えた2005年9月には、“全国民衆連帯”の主催の下、4000名余の参加者が自由公園内で銅像の撤去と在韓米軍の撤退等を叫び、警備の警官隊との間で乱闘事件が発生しました。

 なお、一連の銅像撤去運動に対して、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』」は「反米反戦、米軍撤退闘争の炎を激しく燃え上がらせるべきだ」、「銅像を直ちに爆破せよ」との論説を掲載しており、銅像撤去を求める左派系市民団体と北朝鮮当局が連携して行動していることは明白といえましょう。

 当然のことながら、こうした左派系の動きに対しては韓国内の反発も強く、上陸作戦55周年当日の2005年9月15日には、海兵隊戦友会が銅像前で「国家安保およびマッカーサー銅像死守決起大会」を開催し、太極旗と星条旗を振って韓米同盟の維持を訴えています。また、米国でも下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長ら5人の議員が、9月15 日、「米議会と米国人たちは、韓国を2度も解放した英雄を“良民虐殺戦犯”のようにみなすことを容認できない。仁川上陸作戦は韓米同盟の基盤であり、仁川での勝利がなかったならば、今日の韓国は存在しなかった」との内容の書簡を盧武鉉大統領に送付。韓国政府にマッカーサー像の保護を求め、それが不可能な場合には銅像の米国への引き渡すことを要請しました。

 結局、この問題に関しては、盧武鉉政権が銅像を撤去しないことを明らかにしたものの、その後も、韓米同盟の破棄を主張する左派系市民団体は倦むことなく銅像の撤去を求め続けています。

 ちなみに、同じく盧武鉉政権下の2005年、民間団体の親日人名辞典編纂委員会が“日本統治時代に親日活動を行なった人物”の名簿として「親日人名事典」を発表。その中には、マッカーサー像の作者である金景承もリストされていたことから、韓国政府は彼を“親日派”と断定してしまいました。

 しかし、これに対しては、弘益大学の金永元教授が金景承の遺作などの調査を通じて、解放後の金景承の彫刻家としての業績を評価すべきと政府に訴えたことから、政府もこれを受け入れて「(金景承は)親日派の作家とはいえない」という確認書を送付するなど、この問題をめぐる韓国政府の対応は迷走を重ねています。

 なお、仁川上陸作戦ならびにマッカーサーと韓国との関係については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろ書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 スコットランド、英国に残留
2014-09-19 Fri 23:13
 世界中の注目を集めていた英北部スコットランドでの、英国からの独立の賛否を問う住民投票は、結局、独立反対派が多数を占め、スコットランドは英国に残留し、“連合王国”の枠組は維持されることになりました。というわけで、英国の一部としてのスコットランドということで、こんなマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      皇太子(裕仁)御帰朝・絵葉書

 これは、1921年9月3日、印刷局内朝陽會が制作した“皇太子殿下(=裕仁親王。後の昭和天皇)御帰朝記念”の絵葉書に、御帰朝記念の切手を貼り、発行当日の記念印を押したものです。このとき朝陽會が発行した絵葉書は3種類あるのですが、今回は、そのうち、皇太子の肖像と外遊ルートを描いたモノで、英国の部分では、イングランドのポーツマスとロンドン、スコットランドのエジンバラが記されています。(下に、葉書の該当部分を拡大して貼っておきます)

      皇太子(裕仁)御帰朝・絵葉書(部分)

 第一次大戦に際して、日本は日英同盟に基づいてドイツに宣戦を布告し、ヨーロッパ列強がアジアに目を向ける余裕を失った隙に乗じて、山東半島の膠州湾ドイツ租借地ドイツ領南洋群島を占領。さらに、建国後まもない袁世凱の中華民国に“二十一ヶ条の要求”をつきつけます。これに対して、大戦中こそ、欧米列強は日本の行動を黙認していたものの、大戦の終結と同時に、彼らは異議を唱えるようになります。その急先鋒となったのが、グアム・フィリピンを領有し、太平洋地域で日本を仮想敵国とみなしていた米国でした。

 ところで、日本の躍進を支えた日英同盟は、1902年に締結された当初は、帝政ロシアを仮想敵国としてスタートしましたが、その後、日露戦争での日本の勝利に伴い、主要な仮想敵国はドイツへと変化します。さらに、第一次大戦を通じて、帝政ロシアは革命によって崩壊し、ドイツも敗北すると、同盟じたいの存在理由は希薄になっていました。

 こうした情勢の変化を見て取った米国は、日本の脅威を殺ぐため、日英の離間を画策しようとすることになります。

 一方、日本側は自国の繁栄の礎となっていた日英同盟を、大戦後も維持しようと考えていました。そして、そのための宣伝活動として考え出されたのが、1921年3月から9月にかけて行われた皇太子・裕仁皇親王の訪欧だったわけです。

 古今東西、皇族(王族)は自国民にとってのスターであると同時に、対外的にも重要な広告塔の役割を担っています。イギリスのダイアナ元皇太子妃が、生前、世界的な人気を誇っていたのはその何よりの証拠といってよいでしょう。裕仁親王も、そうした広告塔の役割を期待され、同盟国イギリスの王室と友誼を通じ、日英両国の絆を内外にアピールすることで、英国国民の間に日英同盟存続の世論を喚起するために訪欧することになりました。

 さて、1921年5月7日、ポーツマス近くのワイト島で英国入りした裕仁親王は、5月17日にロンドンを中心としたイングランドでの公式日程を終え、ケンブリッジなどを経て、翌21日にスコットランドのエディンバラに到着しています。

 親王のスコットランドご訪問は、スコットランドの豊かな自然が親王の心を和ませるとともに、スコットランドの大貴族であるアソール公爵に親王の接遇を委ねることで“英国貴族”を知ってもらおうとの英国政府の意図によって企画されたものでした。このため、当初、親王の接遇に難色を示していた公爵に対して、英国政府は、首相のロイド・ジョージ自らが親王を接遇するよう、強く説得しています。

 親王はエディンバラで公立慈善病院や王立高等学校等を訪問された後、パース近郊にあるアソール公の居城に滞在。5月23日に行われた舞踏会では、領内の村人達が普段着姿で参加して公爵夫妻とステップを踏み、最後には一同でスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(蛍の光)を歌うという光景に非常に感銘を受けたと自ら語っておられます。

 その後、親王はイングランドに戻ってマンチェスターを訪問し、ロンドンを経由して、5月30日、ポーツマスを出港し、次の訪問地であるフランスに向かいました。

 こういうエピソードを見ると、やはり、イングランドとスコットランドが共にあってこその“英国”なのだという印象を僕などは持ちますね。もちろん、スコットランド独立派の方々には相応の言い分があることも了解はしておりますが、今回の投票結果には(外国人が余計なお世話だと言われるかもしれませんが)、まずはホッとしたという人が僕を含めて多かったのではないかと思います。


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 スコットランドの地方切手
2014-09-18 Thu 22:35
 英北部スコットランドで、英国からの独立の賛否を問う住民投票が、今日(18日)、始まりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スコットランド1958(1シリング3ペンス)

 これは、1958年に発行されたスコットランドの地方切手です。

 英国の地方切手は、もともと、第二次大戦後、ドイツによる占領から解放されたチャンネル諸島の観光宣伝のため、1940年代後半に提案された企画でしたが、その時点では実現せず、1958年になって、同諸島の他、マン島、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地で、エリザベス女王の肖像に各地の紋章やシンボルマークなどを入れた、その地域専用の切手として実現しました。

 今回ご紹介の切手は、1958年9月29日に発行されたスコットランド地方切手のうちの1シリング3ペンス切手で、女王の両脇に、スコットランド王旗を掲げた馬(左)とスコットランドの国旗を掲げた馬(右)が描かれています。

 スコットランド王旗は、スコットランド王としての英国王の旗で、黄色地に花のふち飾りと2重のトレスの中にライオンが後脚で立ち上がった姿を描くものです。一方、スコットランド国旗は、スコットランドの守護聖人・聖アンデレ(セント・アンドリュー)がX字型の十字架にかけられて殉教したとの故事にちなみ、青地にX字型の十字を配したデザインになっています。なお、現在のユニオンジャックは、連合王国の4つの国旗を組み合わせたデザインですが、スコットランド人からすると、自分たちのセント・アンドリュー・クロスがイングランドのセント・ジョージ・クロスによって分断されているのは大いに不満だそうです。

 投票は、現地時間の18日午後10時(日本時間19日午前6時)に締め切られ、即日開票される予定になっていますが、事前の世論調査では、今回の住民投票に関しては独立賛成派・反対派が拮抗しており、結果がどちらに転んでも、この問題はしばらく尾を引きそうです。このブログでも、今後、状況を見ながら、スコットランド関連のマテリアルをいくつかご紹介することになるかもしれません。
 
   
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 マヨン山で噴火のおそれ
2014-09-17 Wed 11:22
 フィリピン・ルソン島の活火山、マヨン山が数週間以内に噴火する可能性が高まったため、地元当局は昨日(16日)、半径6キロ以内の住民1万人余を避難させる対策に乗り出しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      比島・マヨン富士(5センタボ)

 これは、1943年4月1日、日本占領下のフィリピンで発行されたマヨン山と富士山を並べて描く5センタボ切手です。

 マヨン山はルソン島南部にある成層火山で、高さは2,462m。ほぼ完璧な円錐形をしていることから、“美しい”を意味する“マヨン”の名前が付けられました。なお、19世紀以来、フィリピンには多数の日系移民が渡っていますが、彼らはマヨン山のことを“ルソン富士”と称してその美しさをたたえていました。今回ご紹介の切手も、そうした事情を踏まえたデザインと言ってよいでしょう。

 第二次大戦以前のフィリピンでは“United States of America”の表示が入った切手が使われていましたが、日本占領下では、まず、その表示を抹消した切手が暫定的に使用されていました。ついで、1943年4月1日以降、今回ご紹介の切手のように、国名表示を“比島郵便”とし、現地の風景・風俗などを描くオリジナル・デザインの切手(正刷切手)が順次発行されることになります。これらの切手は、日本の内閣印刷局で製造され、現地まで輸送されました。また、切手の額面には通貨単位の“センタボ”、“ペソ(1ペソ=100センタボ)”などが日本語のカタカナで表示されており、当時のフィリピンが日本の占領下に置かれていたことが良くわかります。

 ところで、富士山がほぼ300年間、噴火していないのに対して、マヨン山はこの400年間に約50回も噴火しており、最近では、1993年の突然の大噴火による火砕流で大勢の犠牲者を出したほか、2013年の噴火では登山者5人が命を落としています。このため、現地ではハザードマップも作成され、火砕流などの恐れのある場所は土地の利用規制が行われているのですが、周辺は貧しい農民が多く、危険地帯として指定された場所でも耕作せざるを得ないのが現状です。まぁ、火山の噴火そのものは人間の力では停められないにしても、その被害が最小限のモノとなるよう、関係者の方々のご努力に期待するしかありませんな。

 なお、先週創刊の『世界の切手コレクション』ですが、9月23日(火・祝)までに定期購読をお申し込みの方には、今回ご紹介の切手を含め、さまざまなプレゼント特典をご用意しております。ご興味をお持ちいただいた方はぜひ、出版元であるアシェット・コレクションズ社の特設ページをご覧いただけると幸いです。

   
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 マルタ島の沖
2014-09-16 Tue 22:33
 今月10日、シリアやエジプトからヨーロッパへ逃れようとする避難民の密航船が先週、マルタ島沖で沈没し、およそ500人が死亡した事件で、国際移住機関(IOM)は、きのう(15日)、海上での船の乗り換えを拒否した避難民に激怒した移民業者が船を意図的に沈没させたとみられると発表しました。事実だとすれば、とんでもない話ですが、マルタといえば、こんなモノが手元にあったことを思い出しました。(画像はクリックで拡大されます)

      マルタ→香港カバー

 これは、第二次大戦の勃発後まもない1939年11月18日、マルタの首都バレッタから香港宛のカバーで、バレッタ近郊のグランド・ハーバーの風景を描いた4分の1ペニー切手2枚が貼られています。切手では港から沖合方向を眺めた風景が描かれていますが、今回の惨事が起きた場所も切手の風景の中に含まれているのかもしれません。

 さて、このカバーは、マルタからスエズ経由(赤紫の検閲印が押されています)で香港に届けられていますが、下のように、香港到着時、裏面には英国の戦時交際購入を進めるようなスローガンが押されています。

      国際宣伝スローガン(香港WWII)

 1939年9月1日、第二次欧州大戦が勃発し、英国がナチス・ドイツに宣戦を布告すると、英領香港も否応無しに戦争に巻き込まれていくことになります。すでに中国大陸との間に構築されていた醉酒灣防線のほかに、香港島南岸には鉄条網が準備され、灯火管制の演習も繰り返されたほか、白人男性の徴兵も始まりました。また、戦時公債の募集も始まり、その宣伝の一環として、今回ご紹介のような印が郵便物にも押されています。僕がこのカバーを入手したのも、このスローガン印が目当てで、マルタ発信というのはいわばオマケみたいなものだったわけですが、マルタからエジプト経由で香港宛てというのもちょっと珍しいルートではないかと思いますので、それなりに気に入っています。

 なお、第二次大戦前後の香港については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろと書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
   
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 頑固な老人
2014-09-15 Mon 14:45
 今日(15日)は、敬老の日です。というわけで、“頑固な老人”と呼ばれたこの人の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      李承晩再選

 これは、1952年9月10日に韓国で発行された第2代大統領就任の記念切手で、大統領・李承晩の肖像と双喜文様が描かれています。

 1950年6月に勃発した朝鮮戦争の休戦交渉は、1951年7月10日、開城ではじまりました

 当初、国連軍側は、1ヵ月程度で交渉は妥結するものと楽観視していましたが、会談は議題の設定をめぐって最初から難航。8月22日、共産側は、国連軍機による開城上空の侵犯を理由に会談の打ち切りを通告し、以後、10月25日に板門店に場所を移して会談が再開されるまで、会談は中断となります。

 再開された休戦会談は、紆余曲折の末、11月27日になって「現在の接触線を基にする」との国連側の主張に沿って、「議題の採択」に次ぐ第2の議題(実質的な第1議題)であった「非武装地帯の設定と軍事境界線の確定」の問題が妥結。その後も、第3の議題であった「停戦と休戦のための具体的取り決め」や第4の議題であった「捕虜に対する取り決め」などをめぐり、会談は紛糾が続き、1953年7月に休戦協定が調印されるまで、1076回にも及ぶ会談が延々と繰り返されました。

 ところで、休戦の機運が高まるに連れ、韓国内では不満が高まっていきます。

 そもそも、韓国側にしてみれば、朝鮮戦争が北朝鮮の侵略によって始まったものです。したがって、侵略者に対して徹底的な勝利を収めないかぎり、何の罪もないまま、多大な犠牲を強いられた国民も納得することはできません。さらに、朝鮮戦争の休戦交渉は、基本的には、国連軍という名の米軍と、共産軍との間で進められており、当事者であるはずの韓国はほとんど蚊帳の外に置かれているのも同然でした。

 これに対して、韓国以外の戦争当事国の間では、休戦交渉の過程で、開戦以前の“原状復帰”での休戦というのが現実的な妥協策であることは、暗黙の了解となっていました。したがって、国連は休戦を渋る李承晩政権の姿勢を支持せず、米国は休戦反対に固執する“頑固な老人”に大いに手を焼くことになります。

 これに対して、韓国政府は、国連軍なしでも北上し、再び鴨緑江にいたるべしという“滅共統一”のキャンペーンを国民に対して大々的に展開。休戦が近づくに連れ、韓国内では休戦反対のデモがしばしば発生するようになりました。

 こうしたキャンペーンは、一義的には、戦時下での戦意高揚を目的としたものでしたが、そこには、李承晩の再選問題も密接に絡んでいました。

 そもそも、朝鮮戦争の直前、李承晩政権の命運は風前の灯というべき状態にありました。1948年8月の大韓民国政府樹立以来、李承晩政権は、国内の政治的・社会的・経済的混乱をなんら収束させることができず、開戦直前の1950年5月30日に行われた総選挙で李承晩派は惨敗していました。それゆえ、憲法の規定では、大統領の任期は1952年8月までとなっていましたが、それまで、大統領はとても政権を維持できまいというのが大方の見方でした。

 こうした中で勃発した朝鮮戦争は、結果として、政権維持を図る李承晩にとって“神風”となります。戦争という非常時に際して、国民は否応なく大統領の下に団結しなければならなかったからです。

 しかし、戦時下ゆえに、李承晩への表だった批判は影をひそめたものの、政権に対する韓国国民の不満は、けっして解消されたわけではありませんでした。

 そもそも、韓国政府は北朝鮮の奇襲を自力で撃退することができませんでした。また、ソウルが陥落する前、国民に対しては首都の死守を訴えていながら、政府首脳はひそかに大田に逃れ、しかも、漢江の橋梁を爆破して市民の避難路を絶ち、多くの犠牲者を出しています。このことは、休戦から60年以上が過ぎた2014年の旅客船セウォル号沈没事故に際して船長が乗客を見捨てて船から脱出して救助された際にもアナロジーとして持ち出されたほどで、韓国の国民にとって現在なお大きなトラウマとなっていることを見逃してはならないでしょう。

 さらに、人海戦術で攻勢をかける中国人民志願軍に対抗するために徴集された国民防衛隊では、劣悪な待遇により多くの兵士が餓死・凍死・病死する一方、幹部達による公金横領や汚職が蔓延していました。また、韓国国内に潜入した共産ゲリラの討伐に際して、無関係の一般住民を軍が虐殺されるという事件も起こっています。

 これらは、いずれも、李承晩政権に対する国民の信頼を著しく損ねるもので、憲法の規定どおり、国会議員(その多数は反李承晩派の野党議員であった)による間接選挙で大統領が決まるということになれば、李承晩の再選は絶望的だったでしょう。李承晩政権が竹島を不法占拠し、日本に対して強硬な姿勢を取っていた背景には、こうした国内の不満をそらそうという事情もあったことは記憶にとどめておいてもよいでしょう。

 しかし、政権への飽くなき執着を示す李承晩は、戦時下という状況を利用して着々と再選へ向けて布石を打っていきます。

 まず、選挙前年の1951年12月、李承晩は自ら総裁となって自由党を創設。再選実現のため、大統領の直接選挙を可能とするよう、憲法の改正を主張し始めます。これに対して、野党側は、李承晩政権打倒のため、内閣責任制を明確にするための憲法改正を主張。両者は激しく対立しました。

 結局、大統領側は1952年5月、“共産分子が治安を撹乱するのを防ぐため”との名目で戒厳令を発令し、野党議員を憲兵隊に連行するなどの強引な手法で強行突破。同年7月、大統領選挙を国民による直接選挙とする憲法の改正案を可決。8月5日、この新憲法に基づく大統領選挙の投票が行われ、露骨な選挙干渉の下、李承晩は再選を果します。

 米国は、こうした李承晩の強引なやり方を苦々しく見ており、一時は大統領の監禁と軍政の施行も検討されたといわれています。しかし、戦時下という状況を考慮して、この計画は沙汰止みとなった。ここでもまた、李承晩は戦争の恩恵を被ったといえましょう。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

   
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 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 「支那の夜」の舞台
2014-09-14 Sun 23:22
 “李香蘭”の名で戦前・戦中に人気を集め、戦後も女優、歌手として活躍し、参院議員も務めた山口淑子さん(以下、李香蘭)が、今月7日に亡くなっていたことが明らかになりました。享年94歳。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、きょうは李香蘭の代表作、映画「支那の夜」にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      租界回収カバー

 これは、1944年11月、日本占領下の上海からスイス宛の書留便で、同年8月1日発行された“租界回収1周年”の切手2種が2枚ずつ貼られています。

 1842年の開港以来、列強諸国の居留地が作られていた上海では、早くも1845年、英国やフランスが黄埔江(長江の支流)の西岸に租界(外国人が行政・警察機構を握り、中国の主権が及ばない開港地内の地域)を形成。それらは、後に米列強と日本の租界を纏めた共同租界と、フランスのフランス租界に再編されます。今回ご紹介のカバーの切手は、上海市の中での租界の地域を斜線で示したもので、北側の右上から左下への斜線の部分が共同租界、南側の左上から右下への斜線の部分がフランス租界です。

 映画「支那の夜」は、そうした租界のあった時代の上海を舞台に、船員の長谷(長谷川一夫)が、雑踏の中で日本人の中年男と言い争っていた中国娘(李香蘭)を行き掛かり上助けることになったところから物語が始まり、2人の恋愛へと発展していくというもので、1940年に公開されました。

 さて、1941年12月、日本と米英蘭の戦争が始まった時点では、南京を拠点とする親日派の汪兆銘政権は、この戦争には中立を保っていました。しかし、次第に戦況が日本にとって不利になっていく中で、1943年1月9日、日本は“アジア解放の戦争”という大義名分を誇示するため、汪政権に圧力をかけて、米英に対して宣戦布告させました。もちろん、日本側としては、汪政権を太平洋戦争に直接的に参戦させることで、同政権から“同盟国”の日本に対する従来以上の戦争協力を得ていこうという意図があったことはいうまでもありません。

 そして、参戦の代償として、日本は汪政権との間に日華共同宣言を調印し、日本のみならず各国が中国各地に保有していた租界を汪政権に対して返還するとともに、治外法権を撤廃しました。今回ご紹介のカバーの切手は、それから1周年になるのを記念して発行されたものです。

 もっとも、汪政権がどれほど自らの実績としての租界回収を強調しようとも、同政権が日本軍の強い影響下に置かれていることは誰の目にも明白であり、また、日本軍による中国主要都市の占領も続けられていました。このため、一般の中国人の間では、汪政権による米英への宣戦布告や租界の回収などは、ほとんど共感を呼ぶことはないままに終ったといわれています。
   
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 切手に描かれたソウル:教皇のパネル
2014-09-13 Sat 10:15
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』8月15日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、刊行日が教皇フランシスコの訪韓期間(ちなみに、フランシスコのアジア訪問は昨年3月の教皇就任後初めてのことで、ローマ教皇の訪韓としては1989年の故ヨハネパウロ2世の2度目の訪韓以来でした)と重なっておりましたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ヨハネパウロ2世訪韓     明洞聖堂・記念プレート

 左は、1984年にローマ教皇ヨハネパウロ2世が最初に訪韓した際に韓国が発行した記念切手で、右は、同じ訪韓を記念して明洞聖堂の内部に掲げられた教皇の肖像のレリーフです。

  一般に、韓国におけるカトリックの歴史は、1784年、外交使節の一員として北京に派遣された李承薫が、かの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国したことにはじまるとされています。ただし、李承薫が最初に礼拝所を建設したのはソウルではなく平壌でした。

 朝鮮王朝時代、“天主教(=カトリック)”はながらく邪教として弾圧されていましたが、1876年の開国に伴い、欧米諸国との外交上の必要から、キリスト教の禁止は解除されます。この結果、韓国内でも、新たにプロテスタントの宣教師も加わって新旧キリスト教の宣教が本格化。朝鮮王朝末期から大韓帝国時代の1890年から1910年にかけて、カトリックとプロテスタントを合わせた全クリスチャン人口は1万7842名から24万869名へと飛躍的に増加しました。

 日本統治時代には、プロテスタントが総督府との対決姿勢を鮮明に打ち出したのに対して、カトリック側は総督府に対して宥和的な姿勢をとっていました。たとえば、伊藤博文暗殺犯の安重根も熱心なカトリックの信者でしたが、暗殺事件の後、韓国のカトリック教会は、日本への配慮から、事件を非難し、安の信者としての資格を剥奪しています。

 このことが、解放後、米国の占領下に置かれたことともあいまって、韓国においてカトリックがプロテスタントに対して劣勢にたたされる(現在、韓国のキリスト教徒のうち、3分の2強はプロテスタント)ことになった一要因と考えられています。なお、韓国人最初の司教は、日本時代の1942年、ソウル教区長から司教に叙階された慮基南でした。

 その後、朝鮮戦争の混乱を経て、韓国人自身によるカトリック教会の再建が進められ、1960年には、イエズス会の経営する西江大学が設立されます。さらに、1969年には、金寿換枢機卿が選任され、韓国人の司牧による韓国カトリック教会が実現しました。

 1962年から65年にかけて開催された第2ヴァチカン公会議で時代に即した新しい教会のあり方を示されると、韓国のカトリック教会も活動方針を刷新。プロテスタントと協力し反独裁運動を展開するようになります。この結果、1970年代の維新体制下では、カトリック教会も弾圧の対象となりましたが、かえって信者は拡大しました。

 1981年、第5共和制の発足により社会的な安定が回復し、さらに、経済力の向上に伴いソウル・オリンピックの招致に成功したことを受けて、金枢機卿は、ローマ教皇の訪韓を要請。これを受けて、いまから30年前の1984年、教皇の初の訪韓が実現しました。

 今回ご紹介の切手とレリーフを比べてみると、レリーフの教皇は、右を向き、ミトラ(司教冠)をかぶっています。

 ミトラは、カトリックの司教(教皇もまた司教の一人です)が典礼儀式に際してかぶる布製の冠で、先が尖った五角形になっています。おそらく、明洞聖堂側としては、ここで教皇によるミサが行われたことを示すため、ミトラをかぶった姿をレリーフにしたのではないかと考えられます。一方、切手の肖像は、ミトラではなく、教皇の地位を占める白いズケットをかぶった左向きの姿で描かれています。

 なお、フランシスコ訪韓に先立ち、韓国郵政は8月8日に教皇訪韓の記念切手をすでに発行していますが、掲載日の関係から切手の入手・スキャンが間に合いませんでした。こちらについては、いずれ機会があればご紹介したいと思います。


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 王制時代のエチオピア国旗
2014-09-12 Fri 22:51
 1974年9月12日にエチオピアで共産革命が起こり、皇帝ハイレ・セラシエが逮捕・廃位されてから、今日でちょうど40年です。というわけで、王制時代のエチオピアを偲んで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮戦争参加國感謝・エチオピア

 これは、1951年に韓国が発行した国連軍参戦感謝の切手の1枚で、国連マークを挟んで、エチオピアと韓国の国旗が並べて描かれています。

 エチオピアは1936年から1941年までイタリアの占領下に置かれていましたが、皇帝ハイレ・セラシエはロンドンに亡命し、抵抗運動のシンボルとなりました。このため、1941年5月5日、英国軍によってエチオピアが解放され、ハイレ・セラシエが凱旋帰国すると、彼は国民の熱狂的な支持を背景に戦前の絶対君主制を復活させます。

 絶対君主としてのハイレ・セラシエは、当然のことながら強硬な反共主義者であり、第二次大戦後の東西冷戦構造を利用し、軍事および経済面で、当初は英国に、後に米国に従属することで資本を呼び込むという基本方針の下、西側諸国から多額の借款を集めることに成功します。

 このため、朝鮮戦争が勃発すると、近衛兵で組織されたカグネウ大隊(ハイレ・セラシエの父親、ラス・マコンネンの愛馬の名前にちなむ命名です)1100名を派遣。彼らは1951年5月に朝鮮半島に到着し、米第7歩兵師団第32歩兵連隊の指揮下で戦いました。

 カグネウ大隊の装備は旧式のものが主流でしたが、その士気は高く、38度線付近で共産側と激しい接近戦を展開し、米軍が“ポークチョップ・ヒル”と名付けた丘の陣地で休戦を迎えます。また、エチオピアでは、牛や山、羊の生肉を食べる食習慣があることから、戦場ではあえて生肉を食べるところを共産側に見せつけ、共産側に「エチオピア兵は人肉を食う」と誤解させて威嚇したというエピソードも伝えられています。ちなみに、戦争の全期間を通じて派遣されたエチオピア兵は6037人で、うち123人が戦死、536人が負傷しました。

 変わったエピソードとしては、エチオピアの歌謡曲といわれている“エチオピア・ファンク”と呼ばれる音楽ジャンルは、朝鮮戦争に参戦したカグネウ大隊の兵士が横浜に寄港した際、日本の演歌や軍歌を聞き、それを祖国に持ち帰ったのがルーツとされています。実際、この分野を代表する歌手の一人であったティラフン・ガササ(トラフン・ゲセセとも)は、朝鮮戦争の従軍経験があり、「横浜で日本人女性と恋をした」 という内容のヒット曲もあります。

 なお、切手に取り上げられているエチオピア国旗には、中央に帝政を意味する“ユダヤの獅子”(ハイレ・セラシエのソロモン朝は自らをソロモン王の末裔と称していました)の紋章が入っていますが、1974年の革命により帝政が廃止されると国旗からこの紋章は削除され、現在では、五芒星をデザインした国章が入れられています。

 さて、先月刊行の拙著『朝鮮戦争』では、今回ご紹介のエチオピアをはじめ、いわゆる国連軍として朝鮮戦争に参加した国々のエピソードについても1章を割いてご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 カタルーニャの日
2014-09-11 Thu 23:10
 今日(11日)は、いまから300年前の1714年9月11日、スペイン王位継承戦争で、独立を主張していたカタルーニャがバルセロナ市の陥落により敗北したことにちなみ“カタルーニャの日”です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スペイン内戦戦時税切手(カタルニア旗)

 これは、スペイン内戦期の1937年、共和国支配下のサラルでローカルに発行された難民救済の戦時税切手です。

 1936年7月に始まったスペイン内戦では、共和国側フランコ側がそれぞれ独自の切手を発行し、支配下の住民に使用させていましたが、それとは別に、地方ごとに、それぞれの中央政府が発行するものとは別に、戦時税を集めるためのローカル切手(戦時税切手)やラベルが独自に発行され、郵便物にも貼られることがありました。

 共和国政府の郵政は、こうしたローカル・ラベルの発行を表向きには認めていませんでしたし、それを“戦時税切手”のようなかたちで強制的に郵便物に貼らせるということはなかったのですが、各地の指導者たちは戦意高揚と義捐金集めの意味を込めてこうしたラベルを盛んに発行しました。

 特に、反フランコ勢力の強かったカタルーニャではさまざまなラベルが作られたのですが、今回はその中から、カタルーニャの紋章をイメージしたデザインのモノをご紹介します。本来の紋章は黄色の地に赤の縦じまが4本入ったデザインなのですが、戦時下で二色刷のモノを作る余裕がなかったためか、ラベルは青一色の印刷になっています。似たようなデザインのラベルはカタルーニャの各地で作られていますが、今回ご紹介のモノは、タラゴナ県サラルで発行されたものです。

 スペイン内戦は、切手や郵便の面でもいろいろと面白いモノがあって、いずれはじっくりと取り組んでみたいテーマであるのですが、実際にはなかなか手が回りません。まぁ、2年後の内戦勃発80年には、ちょっとしたミニ・コレクションでも作れたらいいなぁ…と漠然と考えているのですが。


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 週刊『世界の切手コレクション』創刊
2014-09-10 Wed 21:42
 本日(10日)、アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社(以下アシェット・コレクションズ)から、「"本物の切手"をコレクション 切手を通して世界を楽しく学べる!」とのコンセプトの下、週刊『世界の切手コレクション』が創刊されました。(画像は表紙のイメージ。以下、クリックで拡大されます)

      世界の切手コレクション・創刊号

 同誌は、本物の切手をそろえることで、貴重な切手コレクションが完成するワンテーママガジンで、毎号、「国別」「テーマ別」「サプライズ(珍しいもの)」の3種類、計30枚の切手が付録についています。毎号テーマとなる国に焦点を当て、切手とともに歴史や文化についても紹介するほか、切手の収集方法や適切な保存方法など、初歩的な技術も網羅した内容となっています。(詳細は、アシェット・コレクションズ社の特設ページをご覧ください)

 同誌に関しては、毎号のメイン特集となる「世界の国々」のコーナーをはじめ、内藤が記事・画像を提供しております。創刊号の「世界の国々」で取り上げたのはキューバ。カストロとチェ・ゲバラの革命物語についてもたっぷりとスペースを取りましたが、こんな切手もご紹介しています。

       ゲバラ公園

 これは、1988年キューバが発行した“エルネスト・ゲバラ公園”の切手です。

 アルゼンチン出身のゲバラは、メキシコでカストロと出会い、キューバ革命に参加。カストロの片腕としてゲリラ戦で卓越した能力を発揮し、1958年12月にはキューバ第2の都市、サンタ・クララを制圧して、革命軍の勝利を決定的なものとしました。かつての激戦地は、現在、ゲバラの遺骨を納めた霊廟を中心にエルネスト・ゲバラ公園として多くの参拝者が集まる観光名所となっており、切手には、ゲバラ像を背景に、公園の俯瞰図と霊廟の記念碑が描かれています。

 本誌では、このほか、キューバの文化や風俗、自然などについても、切手を通じて幅広くご紹介しております。また、プレゼント切手の中には、モンゴルが発行した“幻のチンギスハン切手”やクック諸島の22金を使用した“ペニーブラック”なども含まれており、それらについても内藤が解説文を書いておりますので、機会がありましたら、ぜひ、実物をお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 錦織は準優勝
2014-09-09 Tue 10:12
 テニスの全米オープンは最終日の8日(日本時間9日)、ニューヨークのビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターで男子シングルス決勝が行われ、錦織圭はクロアチアのマリン・チリッチに敗れて準優勝となりましたが、1870年代に日本にテニスが伝来して以来、日本人選手として初の4大大会決勝進出という快挙を達成しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      第4回国体(テニス)

 これは、1949年10月30日に発行された第4回国民体育大会(国体)の記念切手のうち、テニスを取り上げた1枚です。

 第4回国体の秋季大会は、1949年10月30日から11月3日まで、東京都を中心に神奈川・千葉・埼玉・山梨の各県で開催されました。

 前年の第3回大会で開催地の有力候補とされながら、最終的に福岡に敗れた東京にとって、今回の国体開催は悲願達成ともいうべきもので、今大会から主催団体に開催地の都道府県が名を連ねるようになった(従来は、日本体育協会が主催)のも、こうしたことのあらわれと見ることができましょう。

 さて、恒例となった国体の開催に合わせて、郵政省は例年どおり田型連刷の記念切手を発行します。

 なお、今回の記念切手の発行日は、当初、10月30日と伝えられていましたが、直前の9月になって、郵政省は10月31日が正しいとの訂正発表を行いました。しかし、最終的に切手の発行日は当初の予定通り10月30日となるなど、対応は混乱しています。

 さて、1947年10月に第2回国体の記念切手が発行されたときには、日本最初のスポーツ切手、しかも日本最初の田型連刷としてこれを歓呼の声で迎えた収集家も、それが定例化してくると次第に食傷気味となっていました。特に、この年は、すでに冬季大会2種、夏季大会1種の国体切手が発行されており、今回の田型連刷とあわせて7種もの国体切手が発行されることになり、国体切手の濫発に対して郵政省には多くの苦情が寄せられたそうです。このため、これに驚いた郵政省では、次年度以降の国体切手の発行中止が真剣に検討されたほどでした。

 じっさい、記念・特殊切手の発行が超過密スケジュールで進められた結果、郵政省内のデザイナーだけでは作業をこなしきれなくなり、今回の国体切手に関しては、印刷庁のデザイナーが原画制作を担当しています。(テニスの担当は島田武夫)

 もっとも、印刷庁のデザイナーが原画を作成したことで、結果として、原図から印刷まで一貫して作業が行われることになり、切手としての品質は向上することになりました。特に、黒オリーブ色という刷色に関しては、消印が不鮮明になり再使用される恐れがあるとの指摘が郵政省の一部からなされましたが、印刷庁サイドは切手の完成度という点から郵政省を説得。製品としての切手の評判を上げることになりました。


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 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 雨の十五夜
2014-09-08 Mon 22:36
 きょうは旧暦8月15日の中秋節、いわゆる十五夜です。あいにく、東京は雨が降っていて月が見えませんので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      月清し~

 これは、1989年2月13日、奥の細道シリーズ第9集として発行された「月清し遊行のもてる砂の上」の句を題材とした切手です。ちなみに、連刷切手の絵は後藤純男の作品「月光」で、書は村上三島が担当しています。

 元禄2年3月27日(1689年5月16日)、「奥の細道」の旅に出た芭蕉は、8月14日の夕暮れ、敦賀に着きました。夕食後月が格別美しいので、土地の気比大明神に参詣し、「社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂、霜を敷るがごとし」と記し、「月清し~」の句を詠みました。句にある「遊行のもてる砂の上」とあるのは、その昔、気比大明神の門外にあった沼を、遊行二世の他阿上人が大願発起し、みずから「草を刈、土石を荷ひ泥渟をかはか」した事績を記念して、代々の遊行上人も儀式として神前に白砂を盛り上げているようすを詠んだものです。

 「月清し~」の句を詠んだ晩は、芭蕉が「その夜、月ことに晴れたり」と記したとおり、実に見事な眺めだったため、芭蕉は境内で「あすの夜もかくあるべきにや」と宿の主人に尋ねます。これに対して、主人の返事は、「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」というものでしたが、果たして、翌日はあいにくの雨となり、芭蕉は十五夜を月を愛でることはできませんでした。

 中秋の名月の切手は数多くありますが、十五夜の月を見られなかったエピソードにまつわる切手というのは決して多くはないでしょう。雨の十五夜にちなむ切手として、ご紹介した次第です。


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 首相、バングラデシュ訪問
2014-09-07 Sun 15:49
 安倍首相は、きのう(6日)、日本の首相としては14年ぶりにバングラデシュを訪問し、首都ダッカの首相府でハシナ首相と会談。安倍首相は円借款を中心に最大6000億円を支援すると伝え、ハシナ首相は2015年10月の国連安保理・非常任理事国選挙への立候補を辞退し、日本を支持する考えを表明しました。というわけで、日本とバングラデシュの友好関係を示す切手ということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バングラデシュ・JICA

 これは、2009年にバングラデシュで発行されたわが国の国際協力機構(JICA)の切手で、同国におけるJICAの活動の打ち、代表的なもの4つが取り上げられています。その内訳は、左上が1998年にわが国の有償ODA(円借款)で建設されたジャムナ橋、左下がJICAの実施している職業訓練プログラム、右上がポリオ撲滅のためのワクチン投与、右下がケプパラ気象レーダーです。

 このうち、左上の切手に取り上げられたジャムナ橋は、バングラデシュの東西を貫いて流れる大河ジャムナ川に架けられた橋です。かつて、フェリー以外に川を渡る手段がなかった時代には、トラックは平均36時間待たねばフェリーに乗船することができませんでした。このため、西部の穀倉地帯で栽培された農作物をダッカなど東部消費地に運搬するのは極めて効率が悪かっただけでなく、東部にある天然ガスや電力供給などの恩恵が西部にはもたらされず、西部の開発は進みませんでした。

 そこで、日本の有償資金協力により、1998年、ジャムナ川に、片側2車線道路とガスパイプライン、送電線、通信、鉄道が併設された多目的橋が建設され、ジャムナ川を渡る時間が12-18分と劇的に短縮されて物流の効率が飛躍的に改善されたほか、ガスパイプランや電話ケーブル等が通じたことで、西部の開発が一挙に進むことになりました。

 一方、右下の切手に取り上げられたケプパラ気象レーダーは、“コックスバザール及びケプパラ気象レーダー整備計画”の一環として建設されたものです。

 バングラデシュのベンガル湾沿岸部はサイクロンに頻繁に襲われ、そのたびに甚大な人的被害を被ってきました。このため、1988年、わが国の無償ODAによりコックスバザールおよびケプパラの2ヵ所に気象レーダーが設置され、サイクロン被害を軽減させるための気象観測の支援が行われています。なお、気象レーダーは、通常、設置後10-12年で新しいモノに更新されますが、バングラデシュの場合は資金不足などによりレーダーの更新ができず、設置から16 年が経過した2004年意向は観測が停止されていました。このため、再び、わが国の無償ODAにより、レーダーの行進が行われました。

 さて、あらためて言うまでもないことですが、ODAは、先進工業国の政府や政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のことで、そのルーツは第2次世界大戦後の1945年12月、戦後の世界の復興と開発のために設立された国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行)に求められます。

 戦後の復興時には、わが国も東海道新幹線東名高速道路建設のために世界銀行から融資を受けましたが、その一方で、早くも1954年にはビルマと結んだ「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」でODAを拠出しています。この時期、ビルマに加えて、フィリピン、インドネシアとの経済協力が行われましたが、それら初期の日本のODAは戦後賠償としての意味合いが強いものでした。

 ODAは発展途上国であれば、どの国にでも援助できるわけではなく、①環境と開発を両立させる、② 軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する、③テロや大量破壊兵器の拡散を防止するなど国際平和と安定を維持・強化するとともに、開発途上国はその国内資源を自国の経済社会開発のために適正かつ優先的に配分すべきであるとの観点から、開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払う、④開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う、といった4原則があり、 無秩序なバラマキに対しては、一応の歯止めがかかっています。

 とはいえ、ODAを皮切りに現地への日本企業の進出を促進しようという思惑もあるため、政財界ないしは現地政府の癒着を招きやすいほか、経済的利益を優先するために上記の原則が無視されることも少なくありません。

 たとえば、日本がこれまで巨額のODAを行ってきた中華人民共和国という国は、環境と開発を両立させているわけでもなく、援助を軍事的用途及び国際紛争助長に使用している疑いが濃厚であり、民主化の促進や基本的人権と自由の保障状況にはほとんど関心を払っていないわけで、上記の4原則からすれば、こうした国にODAを行うなど論外ということになります。しかし、実際には、ODAによって日本企業にも少なからず旨みがあることから、経済的実利の前には、建前としての原則論は無視されてきたというのが実情です。中国側が、日本のODAに対して“感謝”ではなく“評価”という言葉で表現するなど、われわれ国民からすれば度し難い態度をとっているのも、日本側の下心が見え見えだからにほかなりません。

 まぁ、痩せても枯れても世界全体から見れば日本は経済大国なわけで、途上国支援のために一定の資金を拠出するのはやむを得ないわけですが、人情として、いくら援助をしても感謝してくれない国と、援助に感謝して切手まで発行してくれる国では、どちらと仲良くしていきたいと思うかは、改めて問うまでもないでしょうな。
 

 * 昨日(6日)の切手市場は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様ならびにスタッフの皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます

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 岩のドームの郵便学(21)
2014-09-06 Sat 08:51
  『本のメルマガ』547号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する2回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・岩のドーム(1977)

 これは、1977年9月11日にアフガニスタンで発行された“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”の切手で、ムスリムの聖地としてのエルサレムの象徴として、岩のドームが描かれています。

 この切手が発行された1977年当時、アフガニスタン国内は共産革命(1978年の4月革命)前夜の騒然とした空気に包まれていました。

 アフガニスタンでは、1973年に共和革命が発生し、病気療養のため外遊中だった国王ザヒル・シャーが退位に追い込まれ、国王の従弟にして義弟で1953年から1963年まで首相を務めたムハンマド・ダーウードが大統領兼首相として政権に復帰します。

 王制時代末期の1964年、アフガニスタンでは、王族を政治活動から排除する条項を含む新憲法が制定され、国会も開設されるなど、一定の民主化がスタートします。後にソ連軍支配下で政権を掌握することになるアフガニスタン人民民主党(共産党)や、それに抵抗するイスラム原理主義系諸派の源流が組織されていくのも、この時期のことでした。

 ところで、第二次大戦後のアフガニスタンの外交政策は、冷戦下での中立を維持すべく、米ソ両国とは等距離を保とうとしていたものの、結果的に、ソ連寄りのスタンスを取らざるを得ませんでした。米ソの世界戦略において、アフガニスタンの価値があまりにも違っていたからです。

 すなわち、“湾岸の憲兵”としてパフラヴィー王朝下のイランを取り込むことに成功した米国にとって、そもそもアフガニスタンの戦略的な重要性は高いものとは言えませんでした。また、米国が友好国とみなしているパキスタンがアフガニスタンと国境紛争を抱えていることもあって、1950年代初頭、米国は、アフガニスタンが再三にわたって軍事援助を求めた際にも、これを無視し続けています。

 一方、ソ連にとっては、アフガニスタンを勢力圏内に収め、そこから係争地カシミールを経てインド(冷戦下では親ソ派の大国と位置づけられていました)につながることで、西側の反ソ包囲網を分断し、インド洋にも到達しうるというプランは、非常に魅力的なものでした。このため、1956年以降、ソ連は、アフガニスタン空軍の創設をはじめ、アフガニスタンに対する軍事援助を進めたほか、1956年から始まった5ヵ年計画にも多額の長期融資を行っています。また、カブール空港の建設やニングラハール河域の開発、テルメズ(ソ連領)=マザーリ・シャリフ=サラン峠=カブール間およびクシク=ヘラート=シンダンド=カンダハル間の自動車道の建設といった大規模土木事業に対しても、巨額の援助が行われました。

 こうした経緯もあって、アフガニスタン国内では親ソ派の政治的発言力が強く、王制末期の1971年、英国がスエズ以東から軍事的に撤退したことで、国内の政治力学も少なからぬ影響を受けることになります。

 アフガニスタンには、第一次大戦以前、英国の保護国だった歴史があり、それゆえ、英国に対する警戒感が強かったのですが、スエズ以東から英国軍が撤退するとなれば、もはや、英国の直接的な軍事的脅威は消滅しますから、そうした警戒感も薄らぐことになります。

 アフガニスタン政府と王室が志向していた中立外交の基本からすると、現実の問題として米国からはほとんど相手にされない以上、英軍のスエズ以東からの撤退を機に、米国に代わる西側の実力者である英国と接近し、あわせて、イランやパキスタンとも関係を改善して、強大になりすぎた親ソ派の勢力を抑え込み、バランスを回復することが望ましいシナリオだったわけです。

 ところが、こうした政策転換は、ソ連ならびにその強い影響下にあった左翼将校の反発を招き、結果的に、ダ―ウードと軍の左翼将校、親ソ勢力のパルチャム党の連携による1973年の無血クーデター、共和革命を招来することになりました。

 なお、共和革命に際して、いわゆるイスラム原理主義勢力は、王室に対する批判から革命勢力を支援していましたが、権力を掌握したダーウード政権は彼らを弾圧。1974年6月には、カブールで原理主義者200人の一斉逮捕が行われています。その際、青年ムスリム機構の指導者でパシュトゥン人のグルブッディーン・ヘクマチヤルらはペシャワール(パキスタン)に亡命。翌1975年7月、ヘクマチヤルは、反ダーウード政権の名の下に、パキスタン政府の支援を得てパンジシールで武装蜂起しましたが、アフガニスタン政府軍に鎮圧されて失敗し、以後、ペシャワールを拠点に反政府活動を続けていくことになります。

 さて、共和革命当時、アフガニスタンは国家収入の40パーセントを外国に依存する状況でした。このため、ダーウード政権としても、当面は、国家建設に必要な援助を求めてソ連との関係を維持しつつも、将来的には経済的な自立(少なくとも、ソ連への過度の依存状況からの脱却)が緊急の課題でした。

 そこで、ダーウード政権は、石油収入を増大させた王制イランに着目。経済援助を得るために、イランとの外交関係を強化し、ソ連とは距離を置こうとします。そして、国内の体制基盤を固めるためにも、1975年以降、共和革命の際の“同志”であった親ソ勢力を政権中枢から排除しはじめました。

 当然のことながら、こうしたダーウードの“変節”は、ソ連との関係を背景に勢力を拡大しつつあった国内共産主義者たちとの間で摩擦を引き起こし、アフガニスタンの政局は急速に不安定化していきました。

 今回ご紹介の切手は、こうした政治情勢の下で発行されたものですが、この切手が発行される直前の同年7月、思想家ジャマールッディーン・アフガーニーの没後80年が発行されていることとあわせて考えると興味深いものです。

 アフガーニーは1839年、アフガニスタン生まれ。停滞したイスラム社会の悪弊の一掃とイスラムの原点への回帰、ムスリムが人種や言語を越えて団結して西洋列強の侵略に対抗することなどを唱えた思想家で、その後のイスラム世界に絶大な影響を及ぼした人物です。汎イスラム主義の唱道者であり、ある意味では、現在のイスラム原理主義・復興主義の原点ともいうべき人物ともいえましょう。

 もちろん、アフガニスタンというイスラム世界の辺境の地にあって、アフガーニーは数少ない地元出身の世界的な偉人ですから、アフガニスタン政府が、没後80年という機会をとらえて彼を顕彰する記念切手を発行するのは不思議なことではありません。

 ただし、1973年の共和革命以降、1977年7月のアフガーニー没後80年の記念切手まで、ダーウード政権がムスリム国家としてのアフガニスタンを連想させるような切手を全く発行してこなかったことを考えると、親ソ勢力と距離を置き、穏健なイスラム勢力との関係改善を模索していこうという、当時のダーウード政権の立ち位置が、こうした切手を生み出したと推測することは可能でしょうし、今回ご紹介の切手もまた、そうした文脈に沿って発行されたと考えるのが妥当とおもわれます。

 しかしながら、アフガニスタンの政局は急速に不安定化していくいなかで、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)による反ダーウードのクーデターとして“4月革命”が発生。ダーウードをはじめ政府首脳は暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立しました。

 その後、アフガニスタン民主共和国による急激な社会主義化政策の推進は、アフガニスタン社会を大混乱に陥れ、地方では反政府暴動が頻発してアフガニスタンは事実上の内戦に突入します。こうした状況の中で、1978年12月に締結されたソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約の内乱条項に基づき、ソ連軍がアフガニスタンに軍事侵攻するのは1979年12月のことでした。

 * 昨日(5日)の韓国文化院での講演「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様ならびにスタッフの皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


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 石炭の日
2014-09-05 Fri 16:12
 今日(9月5日)は、石炭の良さを見直そうという趣旨の“石炭の日”または“クリーン・コール・デイ(Clean Coal Day)”です。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・炭鉱夫(1982)

 これは、1982年10月15日に韓国で発行された切手趣味週間の切手で、炭鉱内で慰問の手紙を読む鉱夫たちを描く児童画が取り上げられています。説明はありませんが、いわゆる“派独鉱夫”を題材としたものではないかと思われます。

  ルール炭田、ザール炭田、ザクセン炭田などを抱えるドイツは、ヨーロッパ最大の石炭生産国かつ消費国、また世界最大の褐炭生産国かつ消費国です。しかし、炭鉱での仕事はかなりの重労働ですから、ドイツのように経済的に豊かで社会保障も手厚い国では、炭鉱夫を確保するのは容易なことではなく、1950年代には、慢性的な労働力不足に悩まされていました。

 その対策として彼らが考えたのが、日本(ドイツと同じ敗戦国)や韓国(ドイツと同じ分断国家)などから外国人労働者(ガスト・アルイバイター)を募ることでした。当初は、日本人もかなりドイツに渡りましたが、1950年代後半に始まる高度経済成長の影響でドイツへの出稼ぎは減少。しだいに、当時は経済的に貧しかった韓国人労働者が“派独鉱夫”の中心を占めるようになっていきます。

 じっさい、1963年当時、公式統計に現れただけでも失業者は250万名にものぼっていた韓国で、月収600マルク(当時の米ドル換算で160ドル)の条件で、ルール炭鉱で働く労働者を募集すると、100倍を越える希望者が殺到。その後、1978年までに7800人余りの“派独鉱夫”がルール炭鉱に渡ることになりました。

 “派独鉱夫”の労働は非常に苛酷なもので、1966年12月、3年間の雇用期間を終えて帰国した第一陣(142人)のほとんど全員がドイツ滞在中に骨折を経験していたほか、失明者・死亡者も少なからずいたといわれています。

 “派独鉱夫”が西ドイツで受け入れられると、これにつづいて、月収440マルクの条件で、韓国人女性が看護婦として西ドイツに派遣されるようになります。彼女たちもまた、死体洗浄など、ドイツ人の嫌がる重労働を担い、激務をこなしていました。

 “派独鉱夫”および“派独看護士”による本国への送金は、まだまだ貧しかった当時の韓国に貴重な外貨をもたらし、その額は、一時GNPの2%台に達したこともあったといわれています。このため、1964年12月、ルール炭鉱を訪れた朴正煕は“派独鉱夫”のブラスバンドが演奏する愛国歌に感激し、涙ながらに彼らへの感謝の演説を行ったというエピソードもあります。おそらく、今回ご紹介の切手に取り上げられた児童画も、そうした“派独鉱夫”への感謝の思いを込めて描かれたのでしょう。あるいは、作者が、実際に“派独鉱夫”として離れて暮らす父親のことを思って描いたのかもしれません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。

 * 表向き、応募の〆切は過ぎていますが、直接内藤宛にご連絡いただければ、お席は確保できます。どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 東郷平八郎の子孫?
2014-09-04 Thu 18:41
 きのう(3日)発足した第2次安倍改造内閣で入閣した政治家のプロフィールを見ていたら、女性活躍相として初入閣した有村治子議員(以下、敬称略)の“先祖”は東郷平八郎なのだそうです。というわけで、東郷元帥がらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      東郷・ハングル加刷

 これは、1946年2月1日、米軍政下の南朝鮮で発行された暫定切手で、日本時代の東郷平八郎の5銭切手に、ハングルで“朝鮮/郵票/5錢”の文字が加刷されています。

 1945年の日本の敗戦に伴い、日本時代の朝鮮銀行は解体されて米ソそれぞれの軍政府に接収され、米軍政下の南朝鮮では、軍政部の管理下で朝鮮銀行画業鵜を継続し(ただし、1945年9月末をもって日本人の総裁は解任されています)、引き続き、朝鮮銀行券(旧ウォン)を発行していました。

 米軍政下で朝鮮銀行が発行していた旧ウォンは、当初、日本銀行券(日本円)と等価で、対米ドルの交換レートは1ドル=15円=15ウォンでした。このため、日本時代の切手・はがきをそのまま使用していても実務上の不都合はありませんでした。

 ただし、その後の南朝鮮では、日本以上に急激にインフレが進行したため、日本円に比べて、旧ウォンの価値は下落し、両者の為替差が拡大していくことになります。たとえば、1945年8月15日時点では、日本国内の書状基本料金は10銭、南朝鮮内の書状基本料金は10チョンで等価ですが、1年後の1946年8月12日、南朝鮮の書状基本料金は一挙に5倍の50チョンに値上げされています。ちなみに、日本国内の書状基本料金は1946年7月25日に値上げされて30銭になっていますが、郵便料金の値上げ率から単純計算すると、南朝鮮のインフレは日本の1・6倍のスピードで昂進していたという計算になります。

 こうした状況の下では、南朝鮮で日本時代の切手を、日本円と等価という名目の旧ウォンで販売し続ければ、為替差損・差益が大きくなり、不都合が生じることになります。

 また、そうした経済的な事情とは別に、切手の発行を権力の象徴と捉えてみると、“解放後”の朝鮮で、いつまでも日本時代の切手をそのまま流通させていることは、新たな支配者となった米軍政庁にとって望ましいこととはいえません。このため、(朝鮮における)日本支配の終焉を人々に強烈に印象づけるうえで“儀式”として、菊花紋章と大日本帝国郵便の表示がある切手の上にハングルを黒々と加刷することは、同じ時期に日本国内で行われていた墨塗り教科書同様、体制の転換を可視化するうえで必要な演出だったといえます。

 南朝鮮の暫定加刷切手は、こうした背景の下で発行されたものですが、実際には、額面が5チョン(2種類:葉書料金に相当)、10チョン(書状基本料金に相当)、20チョン、30チョン(書留料金に相当)、5ウォンのものしかなく、最も需要が見込まれる書状基本料金用の10チョン切手でさえ68万枚しか発行されていません。これでは、とうてい、民間の需要を満たすことは不可能で、米軍政庁は、暫定切手を発行した後も、加刷のない日本時代の切手を当面有効としています。その後、1946年5月1日に“解放切手”が発行されたことで、ようやく、同年6月30日限りで、日本切手および日本切手にハングルを加刷した暫定切手は、いずれも無効とされました。

 さて、有村新大臣と東郷平八郎の関係ですが、よくよく調べてみると、彼女は、東郷平八郎の義父にあたる有村俊斎の弟の家系だそうで、東郷元帥とは直接的な血のつながりはないようです。したがって、東郷平八郎の遠戚(縁戚)であることには違いないでしょうが、「先祖が東郷元帥」というのは、いささか牽強付会に過ぎると感じるのは僕だけではないはずです。

 まぁ、それに比べると、今回ご紹介のハングル加刷の切手は、1945年以降の南朝鮮および大韓民国の切手の原点であることには間違いないわけで、その意味では、南朝鮮と韓国の切手はすべて“東郷平八郎の子孫”ということも可能なのでしょうが、そういうと厭な顔をする人も多いんだろうなぁ。

 なお、1945年以降、米軍政下の南朝鮮から大韓民国が成立していく過程については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


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 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。

 * 表向き、応募の〆切は過ぎていますが、直接内藤宛にご連絡いただければ、お席は確保できます。どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。


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 切手で訪ねるふるさとの旅:愛知県
2014-09-03 Wed 23:43
  『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第29号(2014年9月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は愛知県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      犬山城

 これは、第3次国宝シリーズ第2集として1987年7月17日に発行された“犬山城天守”の切手です。

 犬山城は、1469年、織田広近によって築かれた木下城がその前身で、その後、現在地に移築されました。その天守は二重櫓の入母屋屋根の上に小さな望楼をのせた形式で、望楼の南北両面には唐破風をつけています。これは、初期天守の典型的な構成で、古風をよく残した貴重な遺構として知られています。ながらく成瀬家による個人所有の国宝としてユニークな存在でしたが、第12代城主・正俊(1930-2008)の死後は、財団法人・犬山城白帝文庫の所有になりました。切手の元になった写真は麻賀進の撮影したもので、凹版部分の原版彫刻は日詰満博が担当しています。

 さて、今回の記事では、このほか、中部国際空港、愛知用水、鳳来寺山、名古屋市街、蒲郡・竹島、豊田を取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 ジンセンとインチョン
2014-09-02 Tue 19:19
 日本人の感覚では、いわゆる太平洋戦争の終戦の日は玉音放送のあった8月15日という認識が一般的ですが、世界的には、東京湾に停泊中のミズーリ号上で降伏文書が調印された9月2日を対日戦争の終結の日と考えている国が多数派です。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米軍・仁川

 これは、第二次大戦終結直後の1945年9月、朝鮮に進駐した米海軍の駆逐艦母艦(駆逐艦などの小型艦艇に対して消耗品などの補給や乗員の休息設備を提供するための艦艇)であった“シエラ”号から差し出された封筒で、停泊地として、“KOREA JINSEN”の表示が印刷されています。当時の彼らの認識では、仁川の発音は、あくまでも、日本語風の“ジンセン”であって、朝鮮語の“インチョン”ではなかったことがわかります。

 1945年9月2日の降伏文書調印に続き、連合国軍最高司令官(ダグラス・マッカーサー)の名前で「一般命令第一号」が発せられると、朝鮮半島は北緯38度線を境界として、北側にはソ連軍が、南側には米軍が進駐し、それぞれ日本軍を武装解除し、行政機関を接収して軍政を施行することになりました。

 これを受けて、1945年9月5日、沖縄にあった米陸軍第10 軍第24 軍団が朝鮮に向けて出発。同8日、米軍は仁川港に上陸し、翌9日早朝、京城へ進駐した第24軍団司令官にして在朝鮮米軍司令官のジョン・リード・ホッジ(陸軍中将)と南西太平洋方面軍海軍司令官にして第7艦隊司令官のトマス・カッシン・キンケイド(海軍大将)は、朝鮮総督府第一会議室で降伏文書に署名しました。ちなみに、日本側の署名者は、朝鮮総督の阿部信行(陸軍大将)、第17 方面軍司令官の上月良夫(陸軍中将)、鎮海警備府司令官の山口儀三朗(海軍中将)です。

 日本の降伏を受理した後、ホッジは米国太平洋陸軍総司令部布告(第1-3号)を布告。その第1号は、朝鮮半島の北緯38度線以南の地域(以下、1948年の大韓民国正式発足までは“南朝鮮”がこの地域の正式な呼称となります)および同地域の住民に対し、軍政を樹立し、米国陸軍最高司令官の権限の下に当分の間、行政権を施行するとしていました。これを受けて、8日に在朝鮮米陸軍司令部軍政庁(以下、米軍政庁)が発足し、9日付でホッジは軍政長官として朝鮮における米陸軍最高司令官の全権を委任されています。

 ホッジは、南朝鮮を統治するにあたり「現行政府の機構を通じて施行することが必要である」との声明を発表。さらに、同月11 日午後の記者会見でも、マッカーサーの個人的な意思ではなく、連合国の意思により「暫定的方便として、現存する朝鮮の行政機関を利用していく」と述べ、終戦後、呂運亨らにより組織されていた朝鮮建国準備委員会と朝鮮人民共和国を完全に否定し、旧朝鮮総督府の機構とスタッフを基本的に継承する意向を示しています。

 長らく異民族=日本人の支配下にあった朝鮮人の中には、日本の敗戦が直ちに植民地支配からの解放を意味するものと考える者も少なくありませんでしたが、国際社会の認識は違っていました。彼らによれば、終戦までの朝鮮は紛れもなく“日本”の一部であり、その処分は連合国の自由な裁量に委ねられるべきだというのがコンセンサスとなっていたためです。“日本”では日本政府を通じて占領政策を行う間接統治が行われたのに対して、南朝鮮が直接軍政下に置かれたのはこうした認識によるものです。極論すれば、南朝鮮に進駐してきた米軍にとっては、南朝鮮と沖縄は、彼らが直接軍政を施行する占領地という点で本質的になんら変わったといっても良いかもしれません。今回ご紹介のカバーで、仁川のローマ字表記が日本語の詠み方を反映した“JINSEN”となっているのも、こうした事情が反映されたものとみてよいでしょう。

 いずれにせよ、 日本の降伏は1946年以降にずれ込むものとながらく考えていた米国は、1945年8月の時点では、戦後の朝鮮占領について、なんら具体的なプランを策定しておらず、とりあえず南朝鮮に上陸したホッジにしても、とりあえずは“現状維持”からスタートするしかなかったというのが実情でした。そのことに伴うさまざまな混乱については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

*昨晩、カウンターが141万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 第二次欧州大戦75年
2014-09-01 Mon 21:56
 1939年9月1日にドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発してから、きょうでちょうど75年です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オシフィエンチム・ドイツ切手使用

 これは、第二次大戦勃発後まもない1939年11月、ドイツ占領下のポーランド・オシフィエンチムから差し出されたカバーです。オシフィエンチムは、第一次大戦以前はハプスブルク帝国の支配下にあり、ドイツ語でアウシュヴィッツと呼ばれていましたが、第一次大戦後、ポーランドの独立に伴いポーランド領となり、オシフィエンチムと改称されました。それが、第二次大戦の勃発に伴い、ドイツによって占領されてドイツ語名のアウシュヴィッツが復活し、悪名高い強制収容所が設置されました。

 さて、ドイツ軍のポーランド侵攻は、1939年8月23日に調印された独ソ不可侵条約の秘密議定書において、バルト三国、ルーマニア東部のベッサラビア、フィンランドをソ連の勢力圏と認めたうえで、独ソ両国はカーゾン線におけるポーランドの分割占領に合意したことを受け、同年9月1日に実行に移されたもので、同月17日にはソ連が東側からポーランドに侵攻。10月6日までに、独ソ両国はポーランド全域の占領を完了しました。

 これに対して、ポーランド政府は降伏せず、残存する陸軍および空軍の部隊とともにルーマニアとハンガリーへ脱出。さらに、ロンドンに亡命政府を樹立して、抵抗を続けることになります。

 一方、ドイツ占領下のポーランドでは、当初、今回ご紹介のカバーのように、無加刷のドイツ切手が持ち込まれて使用されていましたが、10月12日に設立されたドイツのポーランド総督府の下で、12月以降、ドイツ切手を台切手とした占領加刷切手が発行され、使用されました。


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