内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(35)
2015-11-30 Mon 09:44
 ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』589号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年代初頭のパキスタンについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・岩のドーム(1981)

 これは、1981年7月25日、パキスタンが発行した「パレスチナの自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために」の切手です。

 パキスタンは、「インド亜大陸のヒンドゥーとムスリムは互いに異なった民族である」とする“二民族論”を建国の理念として、1947年、英領インド帝国の解体に伴い、インドとは別のムスリム国家として独立しましたから、パレスチナ問題に関しては、当初から、親アラブ・反イスラエルの姿勢を鮮明にしていました。

 じっさい、1948年に第一次中東戦争が勃発すると、パキスタンはアラブ諸国に対する軍事援助を計画。その後も、紛争当事国への武器供与禁止という国際ルールにより西側諸国家ら武器を調達できなかったアラブ諸国のため、パキスタンはチェコスロヴァキアから25万挺のライフルを代理購入しているほか、イタリアから3機の戦闘機を購入してエジプトに提供しています。

 1967年の第3次中東戦争と1973年の第4次中東戦争に際しては、パキスタン人パイロットがヨルダンおよびシリア空軍に参加してイスラエル軍機を撃墜。1982年のイスラエルによるベイルート包囲の際にはパキスタン人義勇兵50人がPLO側に立って従軍し、イスラエル軍の捕虜になっています。また、1973年以降、パキスタン国内にはPLOの将校に対する軍事訓練の場が設けられたほか、1974年2月にラホールで開催されたイスラム諸国サミットではPLOがパレスチナ人を代表する唯一の合法的政府であることが初めて承認され、1975年には「シオニズムは人種主義と人種差別の一形態である」とする国連総会決議3379の採択のために尽力しています。(ただし、同決議は1991年の国連総会決議4686によって否定されましたが)

 1979年12月にソ連軍によるアフガニスタン侵攻が始まると、国際社会はこれを非難し、アフガニスタン国内でも反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されるようになります。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの都市、ペシャワールには、夥しい数のアフガニスタン難民が押し寄せましたが、同時に、ペシャワールは、イスラム諸国と米国によるムジャーヒディーン闘争支援のための一大拠点としても機能していました。

 ところで、ペシャワールに集まった義勇兵たちに大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。

 アッザームは、1941年、英委任統治下にあったパレスチナのジェニン(ヨルダン川西岸の都市)近郊で生まれました。

 1963年、シリアのダマスカス大学イスラム法学部を卒業後、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区に戻ったものの、1967年の第3次中東戦争でヨルダン川西岸がイスラエルに占領されるとヨルダンに脱出。その後、カイロのアズハル大学でイスラム法学の修士号を得て、アンマンのヨルダン大学で教職に就きましたが、1970年、ブラック・セプテンバー事件(パレスチナ人過激派によるハイジャック事件を契機としたヨルダン政府とPLO過激派の内戦)が起こると、ヨルダン政府は反イスラエルのパレスチナ人であるアッザームを追放しました。

 このため、アッザームはアズハル大学に戻ってイスラム法理論の博士号を取得。一時、ヨルダンに戻ったものの、ほどなくして保守的なムスリムの多いジェッダ(サウジアラビア)のキング・アブドゥル・アジーズ大学で教鞭をとるようになりました。ちなみに、同大学での教え子の一人がオサーマ・ビン・ラーディンです。

 1979年11月、メッカでハラーム・モスク襲撃事件が発生すると、サウジ政府はイスラム原理主義者の多くを国外追放処分としましたが、これにより、アッザームはイスラマバード(パキスタンの首都)の国際イスラム大学に移って「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴え、ペシャワールにムジャーヒディーンのための軍事訓練施設を設立しました。なお、1981年には、アッザームの呼びかけに応じて、大学を卒業したばかりのビン=ラーディンが合流しています。

 アッザームの主張は、1980年代初頭の時点では、ソ連や東側諸国の支援を受けていたPLOに与することなく、ムスリムの宗教的な義務としてパレスチナとアフガニスタンの双方を解放すべきと訴えた点で画期的なものでした。

 もちろん、パキスタン政府としては、“原理主義者”としてのアッザームらの主張を公式に支持・支援していたわけではありませんが、膨大な数のアフガニスタン難民とムジャーヒディーンがペシャワールに押し寄せているという現実に直面したパキスタンにとっては、イスラム諸国から広く支援を集めるためにも、アフガニスタンとパレスチナの問題は「奪われたムスリムの土地を奪回する」という点において同根であることを訴える必要があったことは明らかで、今回ご紹介の切手も、こうした部脈に沿って発行されたものとみることができます。ちなみにパキスタンの切手において、岩のドームそのものを中心的な題材としてストレートに取り上げたのは、これが最初の事例でした。

 もちろん、1947年の建国以来のパキスタンの対パレスチナ政策を考えるのなら、岩のドームの切手を発行することで、ムスリムとして聖地エルサレムの奪還を目指す姿勢をアピールするのはなんら不思議なことではないのですが、それまで“パレスチナ”を題材にした切手を発行してこなかったパキスタンが、1981年というタイミングで岩のドームの切手を発行した背景には、やはり、アフガニスタンとパレスチナを結びつけて考える思考回路があったと見るのが自然でしょう。

 なお、「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」とのアッザームの主張は、パレスチナとアフガニスタンを結びつけただけでなく、後に、ボスニアチェチェンでのイスラム抵抗運動や、さらにはサウジアラビアに駐留しつづける米軍へのテロなどの根幹をなすイデオロギーとなるのですが、1988年の映画『ランボー 怒りのアフガン』の例を持ち出すまでもなく、東西冷戦という時代状況の下で、そのことを見通した者はほとんどいませんでした。


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 三の酉
2015-11-29 Sun 10:17
 きょう(28日)は三の酉です。というわけで、一の酉二の酉のときに続いて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・SS印(バイリンガル)

 これは、1941年9月22日、アウシュヴィッツ収容所を管理していた親衛隊のメンバーがミュンヘン宛に差し出した郵便物です。親衛隊員が差し出した“軍事郵便”ということで、料金は無料の扱いとされ、切手は貼られていません。また、収容所からの郵便物ですので、収容者の差出ではありませんが、“AUSCHWITZ 2”の消印が押されています。

 ご注目いただきたいのは、封筒の左下に押されている円形の印で、親衛隊の軍事郵便であることを示す“SS Feldpost”の文言と鍵十字と鷲の国章に加え、ドイツ語のアウシュヴィッツとポーランド語のオシフィエンチムが併記されています。

 第二次大戦以前、アウシュヴィッツの地はポーランド語名のオシフィエンチムと呼ばれていましたが、1940年4月末に強制収容所の建設が始まると、公式の地名ドイツ語の“アウシュヴィッツ”に変更されました。

 しかし、制度上は、アウシュヴィッツというドイツ語名のみを公式の地名表示とするにしても、ポーランド人のみならず、ドイツ人にとってさえ、この地域の名称としてはポーランド語のオシフィエンチムの方が定着していたことも事実で、それゆえ、当初は一部でドイツ語のアウシュヴィッツとポーランド語のオシフィエンチムの表示を併記することが行われていました。今回ご紹介のカバーの印もその一例というわけです。

 さて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、今回ご紹介のカバー以外にも、アウシュヴィッツとオシフィエンチムが併記された住所表示のマテリアルなどもご紹介しつつ、アウシュヴィッツの収容所が制度的に整備されていく過程についても郵便という視点からたどっています。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *昨日、アクセスカウンターが159万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 マルタ十字
2015-11-28 Sat 14:50
 きのう(27日)、2年に1度の英連邦サミットがマルタで開幕し、開会式には、エリザベス女王をはじめ、英ロイヤルファミリーから4名が出席しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      マルタ十字(不足料切手)

 これは、1968年にマルタで発行された不足料切手で、マルタ十字の紋章が大きく描かれています。

 “マルタ十字”は、キリスト教の騎士修道会、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)のシンボルで、4つの矢じりをかたどった“V”を組み合わせて構成されています。ヨーロッパでは勲章のデザインなどに盛んに用いられているほか、英国ではライフル連隊の紋章としても用いられました。

 1840年、英国では世界最初の切手としてペニー・ブラックを発行するにあたって、切手の再使用を防ぐための手段として、消印を押すことが考えられました。

 郵便改革の中心人物であったローランド・ヒルは日付入りの印を押すことを郵政省に提案しましたが、ヒルとは折り合いの悪かった郵政次官のウィリアム・メーバレーは日付印のアイディアを却下し、日付部分を更植する必要がない抹消専用の印として、“マルタ十字印”を使用するという対案を採用します。

 本来のマルタ十字は、今回ご紹介の切手が示すように8つの角がありますが、実際に使用された“マルタ十字印”のデザインはVの字を組み合わせた鋭角的なものではなく、角が丸みを帯びており、一般的なマルタ十字とはかなり異なっています。それにもかかわらず、なぜ、このタイプの消印が“マルタ十字印”と呼ばれるようになったのか、現在となっては、その理由はよくわかりません。

 このあたりの事情については、拙著『ペニー・ブラック物語』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 カナダ代表、中国が入国拒否
2015-11-27 Fri 23:43
 ミス・ワールド世界大会のカナダ代表に選出された中国生まれのアナスタシア・リンさんが、同大会が開かれる中国本土・三亜への乗り継ぎ便への搭乗を拒否され、香港で足止めされています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      カナダ・丑年年賀

 これは、1997年に発行されたカナダ最初の年賀切手です。シートが扇型になっており、余白には十二支のイラストが描かれていますが、丑年が“牛年”になっているのは、まぁ、ご愛嬌というところでしょうか。

 欧米諸国で年賀切手が発行されるようになったのは、その国においてアジア系(主として中国系)の住民の社会的影響力が増大し、彼らの習慣を無視できなくなった結果であるわけですが、今回ご紹介の切手もまた、その典型的な事例といえます。

 現在、カナダにはトロントやヴァンクーヴァーなどを初めとしてチャイナタウンがいくつか形成されていますが、そのルーツは、1858年のゴールド・ラッシュにまでさかのぼることができます。

 当時、カナダには、多くの中国系移民がサンフランシスコや中国本土から押し寄せ、ブリティッシュ・コロンビア州の鉱山地区に中国人の居住地区が作られました。

 1880年代に入ると、大陸横断鉄道の建設労働者として、沿線の各地に中国人が進出していきます。鉄道は1886年には西海岸のヴァンクーヴァーに到達しますが、それにあわせて沿線開発も進み、さらに多くの中国人労働者が流入。20世紀初頭まで、カナダのチャイナタウンは発展を続けました。

 しかし、安価な中国人の労働力は、しだいに、白人労働者の職を奪うものとして白人社会から危険視されるようになります。すでに、1885年には中国人の移民労働者に対して人頭税がかけられてカナダへの入国は制限されています。そして、1923年には中国人労働者とその家族の入国を禁止した中国人排斥法が制定され、1947年に同法が廃止されるまで、新規の中国人移民はほとんどなくなってしまいました。

 その後、1949年の中華人民共和国の成立や1960年代の文化大革命を経て、香港経由でカナダに亡命する中国人が次第に増加していくのですが、1984年に香港の中国返還が決まると香港からカナダへの中国系移民の数は急増します。カナダ政府は富裕な中国系移民を積極的に受け入れたため、たとえば、西海岸のヴァンクーヴァーが“ホンクーバー”と揶揄されるほど、香港からの移民が押し寄せました。

 その後、1997年の香港返還まで香港からカナダへの移民は増え続けますが、今回ご紹介の切手は、まさに、香港返還の年の1997年1月に発行されています。

 日本人の感覚では、太陽暦の1月1日から始まる暦年と干支は対応していますが、中華世界では、現在なお、春節(旧正月)を基準に1年の干支が始まると考えられているため、“Chinese New Year(中国の新年)”という表示がしっかり入ったこの切手も、春節の挨拶状に使うことを想定して年明け1月7日に発行されています。

 カナダ郵政としては、香港返還を前に流入してきた大量の中国系市民を新たな“カナダ人”として正当に処遇することを内外に宣言する必要もあって、“中国の新年”と題する年賀切手の発行を開始したものと考えてよいでしょう。すくなくとも、十二支のスタートにあたる子年の1996年にではなく、わざわざ、翌年の丑年から年賀切手の発行をスタートさせているのは、彼らが香港返還の年である1997年に特別の意味を見出していたと考えるのが妥当なように思われます。

 こうして、カナダでは毎年、年賀切手を発行するようになりましたが、その背景には、ただ単に中国系移民が大量に流入してきたというだけではなく、在来の中国系市民が社会的に重要な地位を占め、その影響力を拡大していったという事情があるのは、あらためていうまでもありません。

 その象徴的な存在が、1999年10月に中国系カナダ人として初めてカナダ総督に就任したアドリエンヌ・クラークソンです。

 クラークソンの中国名は伍冰枝。1939年に香港で生まれました。1941年12月に太平洋戦争が始まり香港が日本軍に占領されると、1942年、難民としてカナダのオンタリオ州に移住しています。1960年にトロント大学トリニティー・カレッジ英文科を最優秀で卒業した後、フランスのソルボンヌ大学への留学を経て、長年、TVキャスターとして活躍しました。総督への就任は、1999年のことで、当時の首相ジャン・クレティエンが指名し、元首であるエリザベス2世がこれを承認しています。当初の予定では任期は2004年秋まででしたが、当時のカナダは少数与党政権で政局の混乱も予想されたことから、2005年9月に後任のミカエル・ジャンと交代するまで、任期が延長されました。

 意外と見落とされがちですが、カナダは英連邦の一国ですので、形式的には英国王がカナダの国家元首となります。総督は、その国王の名代として任命されるもので、事実上の国家元首ですが、現実には総督の役割は“君臨すれども統治せず”の原則にのっとった象徴的なもので、実際の政治は、カナダ連邦議会が立法権を持ち、首相と内閣が行政権を担当しています。とはいえ、国家の序列という点からすれば、総督は首相よりも上位に位置するわけで、こうした地位に中国系の女性が就任したということは、カナダ社会における中国系市民の占める地位が、以前に比べると飛躍的に向上したことを雄弁に物語っているといえます。

 ちなみに、カナダが中国との国交を樹立した1970年の段階では、まだニクソンの訪中声明は出されておらず、米中関係は朝鮮戦争以来の険悪な状況が続いていました。当然、米国は中華人民共和国を中国の正統政権として認知しておらず、日本を含む西側諸国もこれに追随していました。

 これに対して、米ソの戦争が起これば、米国よりも先にソ連から攻撃を受けることが確実であったカナダは、あまりにも米国一辺倒の外交姿勢を取ることで東側世界との関係が極端に悪化すれば、結果的に、自国の不利益になるということを肌で感じていました。
 
 このため、当時のトルドー政権は、中国大陸の実情にあわせて現実的な外交政策を展開することを決断。1970年10月、米国に先んじて中国と国交を樹立したのです。その際、懸案の台湾問題に関しては、カナダ側が中国政府の立場に“留意する”というかたちで解決が図られました。

 その後、カナダの後を追って、イタリア、ベルギー、ペルー、レバノンが相次いで中国と国交を樹立。こうした時流に押されて、米国も次第に対中宥和政策を取らざるを得なくなり、1972年2月のニクソン訪中へと繋がっていくのです。

 もともと、カナダは、米国という巨大な隣国に対して自らの独自性・自主性を常に発揮していなければ、実質的に米国に吸収されてしまいかねない立場に置かれ続けています。それゆえ、カナダの外交戦略は“機能主義(各国はその独自性を最大限に発揮して、機能的に国際社会に参加すると共に、人類の福祉に貢献する機械が与えられるべきとする考え方。たとえば、貿易国は、政治的・軍事的大国である必要はなく、国際的通商機関に有意義な地位と責任を持つべきとされる)”を機軸に展開されてきました。

 1970年の中国との国交樹立は、そうしたカナダの機能主義外交の一つの成果として現在でもカナダ国内では高く評価されてきたわけですが、今回のように、カナダ代表が入国拒否というような事態になると、中国の人権状況に対するカナダ国民の目も当然、厳しくなるでしょうな。このあたり、対中国交を樹立したトルドー元首相の息子で、現首相のジャスティン・トルドーがどう対応するか、お手並み拝見といったところです。


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 世界の国々:ホンジュラス
2015-11-26 Thu 10:26
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年11月25日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はホンジュラスの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ホンジュラス・国家団結の年(狙撃兵)

 これは、1972年に発行された“国家団結の年”の切手のうち、“祖国防衛”の文言とマシンガンを撃つホンジュラス兵が描かれています。切手状には1970年の文字がありますが、これは、この切手が発行された背景としての“サッカー戦争”の起きた年です。

 ホンジュラスと隣国エルサルヴァドルとの間には、建国以来、さまざまな対立要因がありました。

 まず、両国の国境は河川を起点としていたため、乾季と雨季では地形が変動し、そのことが境界線の画定を困難にしていたという事情があります。

 また、エルサルヴァドルに比べると人口が少なく、6倍の国土面積を有するホンジュラスは、歴史的にエルサルヴァドルからの移民を数多く受け入れてきましたが、1960年代に入ると、ホンジュラス国内の人口増加やバナナ農園の近代化・機械化に伴う労働需要の激減、牧畜や綿花農園の拡大による農地不足が問題となり、移民の制限を求める声が国内でも高まっていました。

 その反面、当時のエルサルヴァドルはホンジュラスに比べて工業化が進んでおり、ホンジュラスの国内市場はエルサルヴァドル製品が席捲していることに不満をもつホンジュラス国民も少なくありませんでした。

 こうした諸問題を解決する手段として、ホンジュラス政府は1969年4月に農業改革法を実施し、エルサルヴァドル移民の強制退去に踏み切ります。

 こうして両国の国民が互いに相手国への不満と反感を募らせていく中で、1969年6月、1970年のサッカーW杯の予選として、ホンジュラスとエルサルヴァドルの試合が行われます。

 第1戦はホンジュラスが、第2戦はエルサルヴァドルが勝ち、1勝1敗のタイで第3戦のプレーオフが行われることになりましたが、第2戦の後、ホンジュラス在住のエルサルヴェドル移民が襲撃を受けたことから、約1万2000人の移民がエルサルヴァドル領内に避難。激昂したエルサルヴァドル国民の間でホンジュラスとの国交断絶を求める声が高まり、エルサルヴァドル政府は6月23日に国家非常事態宣言を発し、国交を断絶しました。これを受けて、ホンジュラス政府も同27日、エルサルヴァドルとの国交を断絶します。

 緊張が高まる中で、7月14日、エルサルヴェドル空軍がホンジュラスの首都テグシガルパ郊外のトンコンティン国際空港をはじめ、飛行場と軍事施設を攻撃し、両国は交戦状態に突入しました。これが、いわゆる“サッカー戦争”です。

 戦闘は7月18日、米州機構の調停により停戦合意が成立し、8月3日までにエルサルヴァドル軍はホンジュラス領内から撤退。これを機に、ホンジュラスでは国民の間の国防意識が高まり、ナショナリズムを強調する観点から、今回ご紹介の切手も発行されたというわけです。

 ちなみに、戦争の発端となったサッカーの試合は、エルサルヴァドルが第3戦で勝利を収め、1970年のW杯にも出場を果たしています。

 さて、 『世界の切手コレクション』11月25日号の「世界の国々」では、ホンジュラスの世界遺産として有名なコパン遺跡やジェフロイクモザル、ハリケーン・ミッチの被災現場、マリンバ、清子内親王ご訪問の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、今週発売の12月2日号では「世界の国々」はモザンビ-クの特集で、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 無事帰国しました。
2015-11-25 Wed 01:52
      香港展パルマレス

 昨日(24日)夕方、無事、香港から帰国いたしました。アジア国際切手展<HONG KONG 2015>では、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さん、正コミッショナーの井上和幸さんご夫妻、作品の撤去作業をお手伝いいただいた池田健三郎さん、大場光博さん、斉藤環さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。冒頭の写真は、今回の切手展でグランプリ・インターナショナル(一般競争出品のうち、中国関連のナショナル部門を除く、全部門での最優秀作品に与えられる賞)を受賞した小岩明彦さんの代理として、FIAP(アジア郵趣連盟)のスラジット・ゴンバターナ会長から賞品の額を拝領している場面です。

 また、僕自身の出品作品 A History of Hong Kong は、昨年の世界切手展<PHILAKOREA 2014>に続き、下の画像の通り、金賞を維持することができました。

      HONG KONG 2015 賞状

      HONG KONG 2015 メダル  HONG KONG 2015 メダル裏

 メダルと賞状は、今回の切手展のテーマである“購物與美食(Shopping and Dining)”をイメージしたデザインとなっており、なかなかポップな感じが良いですね。

 また、今回の切手展では、会期初日の20日と最終日の23日に、やはり、“購物與美食(Shopping and Dining)”をイメージした記念のシートが発行されました。(下の画像のうち、左が20日発行分、右が23日発行分です)

      HONG KONG 2015 2次  HONG KONG 2015 3次

 さらに、最終日には昨年発行されたシートと会期中発行のシート2種を1冊に収めた切手帳も発行されました。その表紙は、こんな感じです。

      HONG KONG 2015 切手帳

 なお、来年は5月にニューヨークで世界切手展、8月にタイ・ノンタブリー(バンコク近郊)でアジア国際切手展、10月に台北で世界切手展、12月に中国・南寧でアジア国際切手展が予定されています。すでに、ニューヨーク展には、今回の香港展に出品したA History of Hong Kong をバージョンアップして出品することが決まっているほか、12月の中国・南寧展については、日本コミッショナーをお引き受けする予定です。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。 

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 <HONG KONG 2015>終了
2015-11-24 Tue 06:20
 早いもので、20日から開催されていたアジア国際切手展<HONG KONG 2015>は、昨日(23日)、無事終了しました。すでに作品とメダル、特別賞等のピックアップも済ませており、本日午前中の全日空で香港を発ちます。というわけで、無事の帰国を願って、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・日本宛FFC(1936)  香港・日本宛FFC(1936)裏

 これは、1936年2月の香港から東京宛の初飛行カバーです。郵便物を運んだのは英空軍(RAF)で、2月16日にマニラから香港に到着後、18日に香港を発って、厦門、上海を経由して東京に到着しました。このカバーは、RAFが香港を発つ前日の2月17日に引き受けられ、エアメール用の消印(下段にしっかりAIR MAILの文字が入っています)と“BY COURTESY AIR FLIGHT/ HONG KONG CHINA JAPAN/ ROYAL AIR FORCE/ FEB. 18TH 1936.”の角印を押して後、翌18日、香港を出発し、無事、東京に到着しました。東京に到着後、裏面には二重橋を描く当時の東京中央局の風景印が押されています。

 さて、今回の切手展では、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さん、正コミッショナーの井上和幸さんご夫妻、作品の撤去作業をお手伝いいただいた池田健三郎さん、大場光博さん、斉藤環さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 なお、この記事をアップしたら、すぐに宿をチェックアウトし、本日午後には、成田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、明日(25日)以降は平常通り仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。


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 <HONG KONG 2015>受賞結果速報
2015-11-23 Mon 07:14
      香港・乾杯

 20日から香港・灣仔の香港會議展覧中心(コンベンションセンター)で開催されていたアジア国際切手展<HONG KONG 2015>は、昨日、パルマレス(受賞パーティー)が行われ、日本からの出品作品については、下記の通り、受賞結果(カッコ内は点数)が発表されました。

 ・福井和雄 China 1878 - 1897 V(82)
 ・井上和幸 Japan Definitives: Koban 1883 - 1892 LG(96)+SP
 ・鎌倉達敏 Japan Earthquake Emergency Issue 1923 - 1924 G(92)
 ・丹羽昭夫 Japan: Tazawa series "Taisho" watermarked granite paper, old die LV(88)
 ・山田廉一 Japan Definitives: 1883 - 1892, UPU and new Koban LV(88)
 ・斎藤環 Lombardy-Venetia the 1850 Issue G(92)+SP
 ・吉田敬 The stamps issued on the globe before the first introduction of perforation V(83)
 ・大場光博 The Opening of China 1745 - 1897 LV(88)
 ・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide Services LV(88)
 ・井上和幸 Tonga Tin Can Mail History 1882 - 1947 LV(87)+SP
 ・小岩明彦 Indian Campaigns LG(96)
 ・和田文明 U.S. Return Receipt Requested $ Avis de Receipt 1866 - 1945 LV(85)
 ・村山良二 Czslaw Slania - The story of his great work of engraving stamps LS(77)
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong G(90)
 (以下、文献)
 ・正田幸弘 『文献散歩道』 S(70)
 ・玉木淳一 『日本軍事郵便史 1894-1921』 V(83)
 ・stampedia 『Stampedia Philatelic Journal』 LV(86)
 ・stampedia 『Stamp Club』 S(71)

 なお、上記リストのうち、大金賞(LG)を受賞した井上和幸さんの“Japan Definitives: Koban 1883 - 1892”と小岩明彦さんの“Indian Campaigns”がグランプリ・インターナショナル(一般競争出品のうち、中国関連のナショナル部門を除く、全部門での最優秀作品に与えられる賞)の候補となり、審査員による投票の結果、小岩さんの作品がグランプリ・インターナショナルに選ばれました。小岩さんをはじめ、受賞者の皆様、おめでとうございました。
 
 冒頭に掲げた画像は、2003年に香港で発行されたグリーティング切手で、タブには乾杯のグラスが描かれています。今回の受賞者の皆様への祝杯の気持ちを込めて、持ってきてみました。なお、この切手は20グラムまでの航空郵便用の無額面・永久保証切手(切手には額面の数字を表示せず、将来的に郵便料金が値上げされても、ずっとその用途の料金として有効な切手)で、発行時の販売価格は1枚3香港ドルでした。

 さて、切手展はきょうが最終日で、夕方からは作品の撤去という大仕事があります。賞が決まったからと言って気を抜かず、最後まで気合を入れて乗り切っていかねば。

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 金泳三・元大統領亡くなる
2015-11-22 Sun 10:26
 韓国の金泳三元大統領(以下、敬称略)が、けさ(22日)未明、ソウル市内の病院で療養中に亡くなりました。享年87。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      金泳三

 これは、1993年に韓国で発行された金泳三大統領就任の記念切手です。背景に描かれているのは白頭山の天池で、本格的な文民政権の発足により、南北の和解が進み、統一にも近づくとの意図を込めて、このようなデザインが採用されたものと思われます。

 金泳三は、1927年、巨済島生まれ。ソウル大哲学科を卒業後、1954年に国会議員当選。朴正煕政権下の1969年、野党・新民党(1967年2月に民衆党と新韓党が合同して統一野党として発足)の院内総務として、大統領3選のための改憲阻止を掲げて、宗教家、学生、知識人を糾合した超党派的な反改憲キャンペーンを展開したことで脚光をあび、翌1970年の大統領選挙では、「新民党が国民に活気に満ちたイメージを植え付けるためにも、長老たちは40代にリーダーシップを譲るべきだ」とする“40代旗手論(金泳三本人は当時43歳)”を掲げて候補者指名選挙に出馬を宣言。金大中との激しい指名争いの末、大統領候補の座を獲得しました。(最終的には朴正煕が3選を果たし、金は落選しましたが)

 1974年に新民党の総裁に就任し、維新憲法の改正を主張して朴正煕政権との対決姿勢を鮮明にし、保守系民主化運動の代表的な政治家の一人と目されるようになります。1979年9月10日には、ニューヨークタイムス記者との会見で、「米政府は朴正煕政権への支持を中止するよう要請する」と発言したことが政治問題化。10月4日、与党が多数を占める国会で除名処分を受けています。これに対して、曲がりなりにも野党総裁の除名という前代未聞の事態に対して、新民党は所属議員全員の登院拒否を決議し、国会は機能不全に陥り、同年10月16日、金の地元である釜山では、学生たちを中心として大規模な反政府デモが発生。デモは次第に過激化し、市内は暴動状態となりましたが、10月26日、朴正煕が暗殺されたことで収束しました。

 1987年の“6・29民主化宣言”後の盧泰愚政権下では、19901年1月、民正党(盧泰愚)、民主党(金泳三)、共和党(金鐘泌)の3党合同を実現。1992年12月の大統領選挙では、金大中に200万近い差をつけて圧勝しました。

 大統領就任後は、「歴史の建て直し」を訴え、文民政権を待望していた国民の高支持率(就任直後の支持率は87%に達していますを背景に、旧政権の腐敗・不正を本格的に追及。全斗煥・盧泰愚の2人の大統領経験者を1995年11月に在任中の収賄容疑で逮捕したほか、公務員改革にも乗り出し、主要公職者9万人の財産登録を義務付けるとともに、財産公開で不正蓄財の疑惑が持たれた公務員3000人を逮捕・解任しています。その一方で、前政権の時代までに国家保安法違反容疑で逮捕・拘留されていた4万人余に対して、釈放・減刑・復権などの特赦を実施。“民主化”の推進を国民に対してアピールしました。

 その一方、政権末期の1997年1月23日、大手鉄鋼メーカーの韓宝鉄鋼が約5兆ウォンの負債を抱えて倒産したのを皮切りに、三美(鉄鋼)、大農(食品)、真露(酒造)、起亜(自動車)、サンバンウル(衣料)、テイル(精密機器)などの大企業が、あいついで事実上の倒産状態(巨額の不渡りを出したものの、銀行が一定の期間不渡りの処理を猶予している状態)に陥理、韓国経済は急速に悪化。追い打ちをかけるように、同年5月、ヘッジファンドによるタイ・バーツの大量売りを機に発生したアジア通貨危機の影響をまともにうけ、9月末の時点で1200億ドルだった韓国のうち55%に相当する660億ドルが1年以内に満期を迎える短期債務であったことから、国際市場では、韓国の短期債務に対する取り付けラッシュが発生。その結果、韓国の外貨保有高は200億ドルを割る水準(これも帳簿上の額であり、実際はかなり下回る)にまで落ち込み、11月21日、ついに緊急支援としてIMF(国際通貨基金)に200億ドルを要請して、韓国経済はIMFの管理下に置かれることになりました。

 なお、金泳三とその時代については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * アジア国際切手展<HONG KONG2015>の受賞結果は、今晩のパルマレス終了後、明日(23日)のこのブログでご報告の予定です。


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 バマコでホテル襲撃事件
2015-11-21 Sat 06:31
 きのう(20日)、 マリの首都バマコで、武装集団が中心部にあるラディソン・ブル・ホテルを襲撃し、170人(宿泊客140人+従業員30人)を人質にとって立てこもる事件が発生。その後、治安部隊が突入し、国連当局者によると少なくとも27人が亡くなり、武装グループの2人が殺害されました。この事件でアルカイダ系武装組織“アル=ムラービトゥーン”が犯行声明を出しています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、事件に巻き込まれた方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      バマコ遠景

 これは、1960年のバマコの遠景とワニをデザインした市章を描くマリの切手です。

 バマコはニジェール河岸の都市で、地名はマンディング語の“ワニの湿地”に由来するとされています。切手にも取り上げられたバマコの市章がワニのデザインとなっているのはこのためです。

 市域は5つの丘に囲まれており、丘の麓の洞窟からは先史時代の岩画も発見されています。また、マリ帝国の時代には交易の中心地との一つとして繁栄したこともありましたが、19世紀までにはすっかり衰退し、一時は人口も数百人規模にまで落ち込んでいました。そして、フランスによる西アフリカ植民地化の過程で、1880年、バマコはジョゼフ・シモン・ガリエニひきいるフランス軍によって占領されます。

 ところで、西アフリカを植民地化したフランスは、インフラ整備の一環として、ダカールから内陸に鉄道を敷設し、ギニア湾にそそぐニジェール川(の物流ルート)とダカールを連結しようと考えました。

 その結果、1905年、ニジェール川岸のクリコロとセネガル川岸のアンビデディ間の鉄道工事が完成。翌1906年、カイ=クリコロ間が開通。1924年には現在のダカール=クリコロ間が全線開通します。その主要駅は、ダカール、ティエス、タンバクンダ、カイ、キータ、カティ、バマコ、クリコロです。ちなみに、現在のマリとセネガルの国境はタンバクンダ=カイ間にあります。鉄道の終点のクリコロからは、ニジェール川を往来する船により、セグー、モプティ、トンブクトゥガオなど下流の諸都市と往来するというのが、フランス支配下での基本的な物流ルートでした。

 こうした鉄道建設の進展を受けて、1908年、仏領オート・セネガル・ニジェールの首府はカイからバマコへと移され、バマコは急速に拡大することになります。

 なお、バマコとマリの歴史については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 <HONG KONG 2015>開幕
2015-11-20 Fri 08:49
 きょう(20日)から、香港・灣仔の香港會議展覧中心(コンベンションセンター)でアジア国際切手展<HONG KONG 2015>がスタートします。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港2015(2014年)

 これは、昨年(2014年)9月18日、香港で発行された今回の切手展の事前プロモーションのシートです。

 香港での国際規模の展覧会は、1994年2月にアジアの地域展が開催されたのが最初で、FIAP(アジア郵趣連盟)公認のアジア国際切手展が最初に開催されたのは1997年2月のことです。その後、2004年1月、2009年5月にFIAP展が開催され、今回は4回目のFIAP展開催となります。会期は23日までです。

 展覧会のテーマは、観光地としての香港の魅力を前面に押し出した“購物與美食(Shopping and Dining)”で、シートのデザインもそれに沿った内容となっています。また、シート右上のロゴマークは、切手をイメージした目打のある四角形にショッピング・バッグの持ち手をつけ、“HONG KONG”の文字にはフォークとスプーンが組み合わされています。

 なお、日本からの出品は以下の通りです。(主催者発表のリスト順・敬称略)

 ・福井和雄 China 1878 - 1897
 ・井上和幸 Japan Definitives: Koban 1883 - 1892
 ・丹羽昭夫 Japan: Tazawa series "Taisho" watermarked granite paper, old die
 ・山田廉一 Japan Definitives: 1883 - 1892, UPU and new Koban
 ・鎌倉達敏 Japan Earthquake Emergency Issue 1923 - 1924
 ・吉田敬 The stamps issued on the globe before the first introduction of perforation
 ・斎藤環 Lombardy-Venetia the 1850 Issue
 ・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as Nationwide Services
 ・小岩明彦 Indian Campaigns
 ・大場光博 The Opening of China 1745 - 1897
 ・井上和幸 Tonga Tin Can Mail History 1882 - 1947
 ・和田文明 U.S. Return Receipt Requested $ Avis de Receipt 1866 - 1945
 ・村山良二 Czslaw Slania - The story of his great work of engraving stamps
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong
 (以下、文献)
 ・正田幸弘 『文献散歩道』
 ・stampedia 『Stampedia Philatelic Journal』
 ・stampedia 『Stamp Club』
 ・玉木淳一 『日本軍事郵便史 1894-1921』

 きのう(19日)、上記作品については、コミッショナーの井上和幸さんご夫妻と3人で問題がないことを確認して展示作業を行うとともに、文献類についても、無事、現地に到着していることを確認いたしました。きょうは、午前10時からオープニング・セレモニーということなので、僕もこの記事をアップしたら会場に向かいます。賞の結果などは、あす(21日)中に確定し、22日午前に発表の予定となっておりますので、後日、このブログでもご報告する予定です。


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 ワインで泥酔
2015-11-19 Thu 10:44
 きょう(19日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、刊行されたばかりの拙著『ペニー・ブラック物語』にちなんで、こんなワインがらみのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      カリカテュア(ピックポケット)

 これは、1840年に発行されたマルレディ・カバーのパロディ封筒のうち、“ピック・ポケットNo1”と呼ばれているデザインのモノで、1840年6月9日、イングランド南西部のエクセターからトトネス宛に差し出されています。中央のブリタニアの足元に、ワイングラスを片手に泥酔して寝転ぶ男が描かれているので、今夜の僕じしんの予想図を兼ねてご紹介してみました。拙著『ペニー・ブラック物語』でも図版として未使用の封筒(拙著の表紙のマテリアルと同じく、千葉晋一さんからお借りしました)を使っておりますので、わかりやすいように、そこから泥酔男の部分のみをトリミングした画像も下に貼っておきましょう。こちらは泥酔男の口元に少しシミが出ていて、それがあたかもワインがこぼれたように見えるのがご愛嬌です。
      
      カリカテュア(ピックポケット・部分拡大)

 英国では、ローランド・ヒルの提唱した郵便改革により、1840年1月10日から、1/2オンス以下の書状基本料金を全国1律1ペニーとする統一1ペニー郵便がスタートしました。そして、同年5月、新たな郵便の料金前納の証紙として世界最初の切手ペニー・ブラックが発行されました。これとあわせて、発行されたのがマルレディ・カバーです。

 マルレディとは、封筒のデザインを担当したウィリアム・マルレディ(1786-1863)のことで、カバーは封筒の意味。この封筒は、すでに1ペニーの料金込みで販売されたので、切手を貼らなくとも、切手を貼った封筒と同様に料金納付済の扱いで差し出すことができました。

 マルレディ・カバーのイラストでは、大英帝国を示す女神ブリタニアを中央に、インド、アラビア、中国、南米など、1840年までに英国が進出していった地域の風俗が取り上げられています。新たに発足した近代郵便制度が、全世界を結びつける情報ネットワークとなるという、英国の意気込みを表現した内容で、イギリス政府は切手よりもマルレディ・カバーの方が良く売れると予想していました。

 ところが、実際にはマルレディのデザインは一般国民には不評で、しかも、カバーの代金には郵便料金の1ペニーに封筒代が上乗せされて2ペンスで販売されたため、売れ行きは芳しくありませんでした。

 この結果、マルレディ・カバーは皮肉屋の英国人たちの格好の餌食となり、今回ご紹介のモノのように、さまざまなパロディ封筒が作られ、郵便に使用されています。

 今回ご紹介のカバーに関しては、右上に、廣州での茶の貿易風景が描かれているのと、ブリタニアの左側に、英国の軍艦に撃沈されているジャンクが描かれており、香港の歴史をテーマにコレクションを作っている僕としては、アヘン戦争(じつは、ペニー・ブラックやマルレディカバーの発行と同じ1840年の出来事です)関連のマテリアルとして外せない1点で、つい数日前に、某オークションで落札したものです。残念ながら、拙著『ペニー・ブラック物語』や今回のアジア国際切手展<HONG KONG 2015>の出品作品には間に合いませんでしたので、来年のニューヨーク展でデビューさせてやるつもりです。


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 香港へ行ってきます!
2015-11-18 Wed 08:50
 私事で恐縮ですが、20日から香港・灣仔の香港會議展覧中心(コンベンションセンター)で開催されるアジア国際切手展<HONG KONG 2015>に参加するため、きょう(18日)の午後、成田から出国し、2010年以来、5年ぶりに香港に行ってきます。

 今回は、昨年(2014年)のソウル展で金賞を受賞した作品、“A History of Hong Kong”を出品しますので、その搬入・搬出とあわせて、コミッショナーの井上和幸さんのアシスタントとして、微力ながらお手伝いをしてきます。というわけで、無事に現地に到着できるようにとの願いを込めて、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本航空・香港宛FFC

 これは、1955年2月4日、東京(羽田)から香港宛に差し出された日本航空の初飛行カバーで、カシェには、日本と香港をイメージするイラストが描かれています。カバーの中には、当時の時刻表と運賃表が入っていましたので、ご参考までに下に画像を貼っておきましょう。直行便ではなく、沖縄を経由して翌朝到着というのが時代を感じさせますな。

      日本航空・香港宛FFC時刻表  日本航空・香港宛FFC料金表

 今回のフライトはJALではなくANAを利用するのですが、フライト時間は5時間(もちろん直行便)、チケットはネットで購入して約5万円でしたから、これを見ると、あらためて、60年前のチケットは当時の物価と比べてかなりの高額で、海外旅行が“高嶺の花”だったことが良くわかります。

 さて、帰国は23日午後の予定で、この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただし、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。
 

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 二の酉
2015-11-17 Tue 09:36
 きょう(17日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・オデッサ発オシフィエンチム経由

 これは、1880年4月、ロシア領オデッサからブラウンシュヴァイク宛に差し出された書留便で、双頭の鷲(ロシア帝国の紋章)を描く印面の切手つき封筒に、同じく双頭の鷲を描く7コペイカ切手が貼られています。双頭の鷲は、もともとは、東ローマ帝国で東洋と西洋の両方にローマ皇帝の支配を意味するものとして使われていました。東ローマ帝国の後継者を自負していたロマノフ朝は、東ローマ帝国にならい「西(ヨーロッパ)」と「東(アジア)」にまたがる統治権を象徴するため、この紋章を採用し、それが切手にも取り上げられたわけです。

 今回ご紹介のカバーの逓送ルートは、オデッサからオシフィエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)まで運ばれた後、オシフィエンチム=ブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ)間の鉄道便でドイツ国内に入り、宛先地のブラウンシュヴァイクまで運ばれるというルートをたどっています。ハプスブルク支配下のオシフィエンチムとプロイセン支配下のブレスラウ間を結ぶ国際鉄道路線は、当時の中欧における物流の重要なルートの一つとなっており、その旨を表示したドイツ側の鉄郵印も用いられていましたが、今回のカバーでは、“オシフィエンチム=ブレスラウ鉄道経由で外国から”との表示のある書留ラベルが貼られているのがミソです。

 さて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、そもそも、アウシュヴィッツ/オシフィエンチムとはどのような土地であったのか、ハプスブルク帝国以前にも遡ってその歴史をご説明しておりますが、特に、アウシュヴィッツ/オシフィエンチムが中央の物流ルートにおいて重要な位置にあったことを示すマテリアルに力点を置いてご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 切手歳時記:愛染
2015-11-16 Mon 11:42
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』11月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回は、紅葉の時期なので、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      愛染

 これは、1974年10月1日に発行された「第61回列国議会同盟会議」の記念切手で、川端龍子の『愛染』が取り上げられています。

 『愛染』は、鮮やかな紅葉の浮かぶ水辺をつがいの鴛鴦が泳ぐ風景を描いたもので、1934年の青龍展に出品された作品です。

 所蔵元の足立美術館のウェブサイトによると、作品は「つがいの鴛鴦が見つめあう一瞬をとらえ、細やかな夫婦の愛情を表現している」とのことで、他の解説書などでも、たいてい、似たようなことが書いてあります。

 ところで、“愛染”という言葉を聞くと、メロドラマの元祖ともいわれる『愛染かつら』を連想する人も多いのではないでしょうか。

 『愛染かつら』は、もともとは第1回直木賞作家の川口松太郎の小説で、これを原作に、上原謙と田中絹代の主演で松竹が映画化して記録的な大ヒットとなりました。病院長の息子と子持ちの看護師の恋愛物語で、幾多の困難を乗り越え、最後は二人が結ばれるハッピーエンドで、作品の題名は、愛染堂(モデルになったお堂の所在地については、長野県上田市別所温泉の北向観音、大阪勝鬘院、東京・谷中の自性院など諸説がある)に隣接するカツラの巨木に由来しています。

 ちなみに、愛染という語は、もともとは仏教用語で、愛欲染着もしくは愛欲貧染の略。人間の煩悩の中で最も強いとされる愛欲をむさぼるという意味で、そうした煩悩を断ち切ってくれるのが愛染菩薩、その霊力にあやかろうと、各地に建てられたのが愛染堂です。

 さて、小説『愛染かつら』が雑誌『婦人倶楽部』に連載されていたのは1937-38年でしたから、1934年の龍子の作品がその影響を受けるということはありえません。そこで、ここは、龍子のバックグラウンドと仏教用語の本来の意味をつなぎあわせて考えてみるのが良いと思います。

 龍子の父、信吉は和歌山市本町の老舗呉服商、俵屋の若旦那でしたが、商売に失敗し、1895年に妻のせい(勢以)と龍子を連れて上京。弟・岡本武次の経営する日本橋病院に勤めることになりました。

 ところが、この病院で、信吉は看護婦のゆきと親しくなり、龍子の異母弟となる茅舎(俳人)が生まれます。このスキャンダルで、信吉は病院を退職せざるを得なくなり、日本橋蠣殻町で煙草屋を始めました。そんな中でも、信吉は寿山堂という雅号で悠々と俳句や日本画を嗜んでいたが、 落剝して生活苦にあえぐ龍子と“せい”にとってはたまったものではありません。

 龍子は、生涯、信吉とゆきを許さず、信吉については「この世の不幸の限りを尽くしたような母の一生を思うとき、 父の行為を許容する海のような度量など私には到底ない。父の没後においてさえ、父を許すことのできない 気持を持ち続けている」と語っていました。

 そんな信吉が亡くなったのが1933年。つまり、『愛染』が発表される前年のことです。

 さらに、死んでも信吉を許さなかった龍子は、1941年に茅舎が亡くなると、弟が保存していた信吉とゆきの写真をすべて焼却し、二人が地上にいた痕跡を消し去ろうとしました。

 そこまで龍子の憎悪を駆り立てたことの発端が、信吉の愛染が招いた生活の破綻であったことを思い返すなら、信吉の死後まもない時期に発表された『愛染』という題名の作品にも、その怨念が込められていたと見るのが自然なようにも思われます。

 ちなみに、六道輪廻図の中心の円に描かれている三毒を象徴する動物のうち、貪をあらわすものは鳥です。愛欲染着もまた、広い意味での貪のひとつには違いありませんから、地獄の業火を思わせる紅蓮の紅葉の間をさまよう雌雄の鴛鴦は、(龍子の目から見れば)愛欲を貪って畜生道に落ちた信吉とゆきのイメージを表現した“美しすぎる地獄絵図”ではなかったのかと、僕自身は勝手に推測しております。


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 表紙のマテリアル
2015-11-15 Sun 17:02
 きょう(15日)は、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた郵便物についてご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      ペニー・ブラック物語 表紙のマテリアル

 これは、マルレディ・カバーのペニー・ブラック加貼使用例のフロントです。

  18世紀以降、近代国家としての基盤を固めたヨーロッパ諸国では、国家規模での郵便事業が展開されていました。もっとも、当時の郵便は、受取人が料金を支払うシステムになっていたほか、料金も高く、一般人には利用しにくいものでした。

 このため、英国のローランド・ヒルは、便箋の枚数と距離制によって複雑に計算されていた従来の料金体系を全国均一の重量制とし、料金の支払方法も受取人でなく差出人が支払う前納制に変えるなど、合理化・単純化を骨子とした郵便改革を提案します。

 この提案が受け入れられ、1840年1月10日から、1/2オンス以下の書状基本料金を全国1律1ペニーとする統一1ペニー郵便がスタートしました。そして、同年5月、新たな郵便の料金前納の証紙として世界最初の切手ペニー・ブラックが発行されました。これとあわせて、英国政府は、マルレディ・カバーと呼ばれる封筒も発行しています。

 マルレディとは、封筒のデザインを担当したウィリアム・マルレディ(1786-1863)のことで、カバーは封筒の意味。この封筒は、すでに1ペニーの料金込みで販売されたので、切手を貼らなくとも、切手を貼った封筒と同様に料金納付済の扱いで差し出せるようになっています。

 ところで、1ペニーの郵便料金で運べるのは1/2オンスまででしたので、これを越えて1オンスまでの郵便物の料金は倍額の2ペンスが必要でした。そこで、こうした郵便物にマルレディカバーを使う場合には、別途、1ペニーを収めなくてはならず、そのためにペニー・ブラックを加貼した例が存在します。

 ペニー・ブラックを加貼したマルレディ・カバーの真正品は少なく(現在、市場に出てくるものの大半は、マルレディ・カバーに後からペニー・ブラックの使用済みを貼り付けたものです)、それゆえに大変高価なもので(状態の良いものだと、数十万円以上の出費を覚悟しないとなりません)、あいにく、僕自身も現物は入手できていません。今回ご紹介の表紙のマテリアルについては、拙著の担当編集者で、ペニー・ブラックのコレクターでもある千葉晋一さんの所蔵品をお借りして本書の表紙に使わせていただきました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 なお、今回、このような表紙の本を出した以上、いずれは、僕自身も、ペニー・ブラックを貼ったマルレディ・カバーを入手しなくては格好がつかなくなりました。金銭的な問題もさることながら、そもそも残存数が少ないので、なかなか道は険しく、かなりのプレッシャーではあるのですが、なんとか頑張りたいと思いますので、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


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 フランスで国家非常事態宣言
2015-11-14 Sat 22:40
 パリで、現地時間13日夜(日本時間14日未明)、銃撃や爆弾などによるレストラン、コンサートホール、スタジアムなどへの複数の襲撃が市内各地でほぼ同時に発生し、この記事を書いている時点で、128人が亡くなり、180人が重軽傷を負うという大惨事となりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々には心よりお見舞い申し上げます。

 事件について、オランド大統領は前例のないテロ行為と非難し、国家非常事態(l'état d'urgence)を宣言しました。第二次大戦以降、フランス本国での国家非常事態宣言は、2005年10月27日にパリ郊外で北アフリカ出身の3人の若者が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したことをきっかけにフランス全土で暴動が発生したのを受けて、同年11月に発せられたのが最初で、今回が2回目です。いわゆる仏領地域まで含めると、独立戦争時のアルジェリアで1955年、1958年、1961年の3回、1984年のニューカレドニアの事例があるだけです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニューカレドニア・第4回太平洋芸術祭

 これは、1985年7月3日にニューカレドニアで発行された第4回太平洋芸術祭の記念切手です。

 太平洋芸術祭は、オセアニアの国・地域の文化交流を促進するために4年に1度開催される国際イベントで、第1回芸術祭は1972年にフィジーで開催されました。
 
 第4回の芸術祭は、当初、1984年にフランスの海外領土であるニューカレドニアで開催の予定でした。ところが、芸術祭開催の決定後、ニューカレドニアでは、ジャン=マリー・チバウひきいる社会主義カナック民族解放戦線(Front de libération nationale kanak et socialiste:FLNKS)は独立国家“カナキー”の樹立を主張し、独立運動を激化させたため、芸術祭の開催時期は当初予定より1年延期して、1985年7月とされました。こうした中で、1984年、FLNKSの活動家が警察官によって殺害されると、大規模な暴動が発生。フランス政府は、ニューカレドニア全土に非常事態宣言を発しました。

 この結果、ニューカレドニアでの第4回芸術祭の開催は不可能となったため、1985年3月、急遽、フランス領ポリネシアの首府パペーテで、同年6月28日から7月15日の日程で芸術祭が開催されることになりました。

 これを受けて、ニューカレドニアで用意されていた芸術祭の切手は、当初の会期を印刷した部分を抹消し、新たな会期・会場を加刷して、芸術祭期間中の7月3日に発行されました。今回ご紹介の切手については、さらに、パペーテで開催された芸術祭のロゴマークも加刷されています。

 なお、ニューカレドニアの独立運動をめぐる動きとしては、1998年に“ヌーメア協定”が結ばれ、①住民に対してフランス市民権とは別の“ニューカレドニア市民権”を与える、②フランス国旗とは別に、ニューカレドニア“国旗”などの公的なシンボルを制定する、③フランス政府はニューカレドニア特別共同体に段階的に権限を譲渡することなどが決められ、2018年までに、独立かフランス残留かの住民投票を行うことになっています。


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 漆の日
2015-11-13 Fri 10:58
 きょう(13日)は、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日である11月13日に漆の製法を菩薩から伝授されたとの伝説にちなみ、“漆の日”です。というわけで、昨年同様、漆器の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      鎌倉彫

 これは、1985年6月24日に発行の伝統的工芸品シリーズ第4集の「鎌倉彫」の切手です。

 鎌倉彫は、カツラやイチョウなどの木を用いて木地を成形して文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた工芸品です。

 鎌倉時代、中国から禅宗とともに伝来した堆朱や堆黒などの影響を受け、木彫漆塗りの技法で仏具を作ったのがその起源とされています。現存する円覚寺舎利殿の建築や、建長寺・円覚寺の獅子牡丹や天竺牡丹唐草などが彫られた須弥壇や前机は、宋風の特色をよく伝えており、鎌倉彫の祖型といわれるものです。

 室町時代以降は、仏具や寺院の彫刻などとともに、茶の湯の交流とともに茶道具に用いられて珍重されるようになり、江戸時代には高級品として定着します。しかし、明治時代の排仏毀釈運動の影響により、多くの仏師が廃業を余儀なくされると、主として仏師によって担われてきた鎌倉彫も存亡の危機に立たされました。こうした状況の中で、後藤斎宮、三橋鎌山の二人の仏師が、仏像彫刻の技法を活かしながら新たな鎌倉彫の方向を模索。内国勧業博覧会や数々の外国の博覧会への出品・受賞などにより力を得て、仏師の彫刻技術と工芸品としての実用性を備えた、新たな彫刻工芸品としての鎌倉彫を確立しました。

 右側の切手に取り上げられている「獅子牡丹文硯台」は、30センチ四方の硯を入れるための四角い箱で桃山期の作です。飛び込んでくる獅子が牡丹の枝を押し、その勢いでしなる枝から牡丹の花弁が一ひら水に舞う、その一瞬を写実的かつ動的に表現しており、日本様式としての鎌倉彫を確立した記念碑的な作品といわれています。現在は鎌倉国宝館の所蔵品です。

 これに対して、左側の「牡丹文大香合」は室町時代の作品で直径23.7センチ、高さ6センチ。蓋の中央に牡丹の花を、その周縁に茎、葉を配して、地文は縦横の細かな格子で埋めています。神奈川県立歴史博物館の所蔵品です。

 なお、この切手を含む伝統的工芸品シリーズの切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:コモロ
2015-11-12 Thu 12:02
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年11月11日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコモロの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コモロ・パペット

 これは、1980年に発行されたアンジュアン島(現地語名:ンズワニ)のパペットの切手です。

 インド洋のコモロ諸島は、グランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島、マヨット島で構成されていますが、このうち、国家としてのコモロ連合(以下、コモロ)は、フランスの海外領土となっているマヨット島を除く3島を領土としています。

 このうち、アンジュアン島は古くから単一の王朝が支配しており、17世紀初頭以来、英国とオランダが来航し、スエズ運河の開通まで、東方貿易の重要な中継地となっていました。ところが、1886年、コモロ諸島全域がフランスの支配下に入ると、域内最大のグランドコモロ島のプレゼンスが突出することになり、アンジュアン島は事実上、属国のような扱いとなってしまいました。

 当然のことながら、アンジュアン島の住民はグランドコモロ島に対する不満を持っていたため、独立後の1978年、コモロ政府は各島に自治権を与えて連邦制を導入するとともに、国名を“コモロ・イスラム連邦共和国”に変更するなどの懐柔策を取りましたが、実際にはグランドコモロ島に政治権力と予算が集中する状況は改善されませんでした。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で、連邦政府として、アンジュアン島を重視する姿勢を示すために発行されたものです。ちなみに、アンジュアン島では民族衣装のシロマニ(女性の身体を覆う布。多くのアラブ諸国のように黒や地味な色彩ではなく、華やかなプリントが施されているのが特徴)の生産が盛んで、その応用として、シロマニをまとった片手遣い人形(パペット)が民芸品として作られています。

 ところで、もともと産業が乏しかったことに加え、クーデターが頻発して政権が安定しなかったコモロでは、1997年、連邦の国家財政が破綻。これにより、公務員の給与未払の状態が続いたため、アンジュアン島ではグランドコモロ島への不満が爆発し、抗議行動が頻発するようになります。

 これに対して、同年3月、連邦政府はデモ隊鎮圧のため、アンジュアン島へ軍隊を派遣し、デモ隊の国民に死傷者が発生したため、アンジュアン島はコモロからの分離と仏領への復帰を要求し、モヘリ島もこれに続きました。

 これに対して、連邦政府は独立運動を武力で抑え込もうとしたものの失敗。その一方で、フランス側が2島の仏領への復帰も拒絶したため、事態は膠着化。結局、2001年、アフリカ統一機構(現アフリカ連合)の調停により、停戦合意として“フォンボニ協定”が調印され、新憲法を採択して国号は“コモロ連合”に変更され、3島にそれぞれ自治政府と大統領を置き、連合政府の大統領は4年ごとの輪番制とするとの妥協が成立しましたが、その後も、不安定な政治状況が続いています。

 さて、 『世界の切手コレクション』11月11日号の「世界の国々」では、仏領時代からのコモロの近現代史についての概論のほか、シーラカンスやモスクなどを取り上げた切手もご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、1週お休みをいただいて、次回は11月18日発売の11月25日号でのホンジュラスの特集になります。こちらについては、11月25日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 表紙の郵便物
2015-11-11 Wed 09:29
 きょう(11日)は、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた郵便物についてご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・フランス宛カバー   アウシュヴィッツ・フランス宛カバー(裏面)

 これは、1944年5月20日、アウシュヴィッツに動員されていたフランス人労働者が差し出した郵便物とその裏面です。

 1940年6月、ドイツに降伏したフランスはパリを含む国土の北部をドイツに占領され、中部の都市ヴィシーに第一次大戦の英雄だったフィリップ・ペタン元帥を元首とする親独政権の“フランス国”(ヴィシー政権)が成立しました。

 1941年6月に独ソ戦が始まると、同年11月、ヴィシー政権は反共フランス義勇軍を派遣。彼らは、ドイツ陸軍第638歩兵連隊としてドイツ陸軍第7歩兵師団に所属し、東部戦線におけるモスクワの戦いに参加したのを皮切りに、ソ連軍と戦いました。

 こうした経緯を経て、1942年6月、ヴィシー政権首相のピエール・ラヴァルは、対独協力をさらに進め、共産主義を阻止するためにドイツの勝利を支持すると声明し、ドイツがフランス人捕虜1人解放せればフランス人労働者3人をドイツ国内の工場に送ることを発表しました。これは、同年3月から、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルが、軍需大臣アルベルト・シュペーアの要求に応じ、ヨーロッパの占領地区から労働者の強制連行を開始していた動きに呼応するものでした。

 これを受けて、1943年1月、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルの要求に応じて、1920-22年生まれのフランスの若者(当時の年齢で21-23歳)25万人が動員され、ドイツに送られます。その後、1944年1月にはドイツ側から100万人のフランス人労働者を送るよう要求があり、これに対して、フランス側は7月21日までに総計60-65万人をドイツに送り込みました。

 こうしたフランス人労働者のその一部はアウシュヴィッツ収容所での作業に従事させられましたが、アウシュヴィッツで働かされた労働者は“民間人”として郵便物を差し出すことが可能でした。

 今回ご紹介のカバーもその一例で、1944年5月20日、ビルケナウの第2収容所での労働に従事していた労働者が差し出したものです。

 封筒には、郵便物の性格を示すものとして、“Auschwitz O/S Gemeinschaftslager Buchenwald West Poststelle”の印が押されているほか、民間人の差し出した郵便物としてアウシュヴィッツ1局の消印(一般的な収容所関連の郵便物はアウシュヴィッツ2局の消印です)が押されています。また、外国郵便として、逓送途中で開封・検閲されたため、ドイツの当局者によってナチス・ドイツの国章がある封緘紙で封をされています。

 なお、これらの郵便物が差し出されたからほどなくして、1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦が開始され、連合軍がフランスに再上陸。8月25日にはパリが解放されてフランス共和国臨時政府がパリに移転し、ヴィシー政権は崩壊します。これに伴い、7月21日にはフランスからドイツへの労働者の提供も中止されました。

 なお、このあたりの事情につきましては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 中共の海瑞
2015-11-10 Tue 19:04
 中国現代史最大の惨劇、プロレタリアート文化大革命(以下、文革)の発端となった姚文元の論文「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」が、1965年11月10日上海の日刊紙『文匯報』に掲載されてから、今日(10日)でちょうど50年です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      彭徳懐

 これは、1988年に発行された彭徳懐生誕90年の記念切手です。

 彭徳懐は、1898年、湖南省湘潭で生まれました。当初、蒋介石の国民革命に参加し、国民革命軍の営長・師長をつとめていたものの、1927年の上海クーデターを機に国民党に見切りをつけ、1928年、共産党に入党。国民党軍とたたかうことになります。そして、紅軍第五軍を率いて湘鄂贛地区を転戦し、井崗山で朱徳・毛沢東らの紅軍第四軍と合流しました。

 その後、彭は長征にも参加。朱徳の下で八路軍副総司令をつとめ、華北抗日根拠地を築いたほか、国共内戦では、第一野戦軍司令員・西北辺区副司令などをつとめました。

 1949年、中華人民共和国が成立すると、中国共産党中央西北局第一書記、人民解放軍副総司令に任ぜられ、元帥のひとりとなりました。そして、朝鮮戦争の際には、中国人民志願軍の総司令となり、米軍を中心とする国連軍と戦いました。

 中国人民志願軍総司令としての彭は、当初こそ、人海戦術で米軍を打倒できると考えていたものの、犠牲者数が予想をはるかに上回ったため、後に陣地戦へと作戦を変更。1951年夏以降、中国側の犠牲者を減少させています。そして、朝鮮戦争の功績により、休戦後の1954年、彭は国防部長(国防大臣に相当)兼国務院副総理となりました。

 1958年に毛沢東は大躍進政策を発動しますが、これは惨憺たる失敗に終わります。その総括のため、1959年7-8月、廬山会議が開催されますが、会議を前に、故郷・湖南省の農村を視察した彭徳懐はその惨状を目の当たりにし、会議の期間中、毛沢東に対して私信の形式を取って政策転換を求めました。この結果、毛の逆鱗に触れた彭は国防部長と中央軍事委員会委員の地位を解任されますが、反面、劉少奇・鄧小平らの官僚グループにより、大躍進の失敗を修復するための調整政策が行われることになります。

 これに対して、調整政策に反発した毛沢東と林彪らは大衆を動員し、共産党の実権を握っていた劉少奇ら“実権派”の追い落としをはかろうとしました。

 その端緒となったのが、1965年11月10日、姚文元が上海の新聞『文匯報』に発表した論説「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」でした。

 この論説は、北京市副市長で歴史家の呉晗が執筆した戯曲『海瑞罷官』(明代の官僚、海瑞が嘉靖帝を諫める上訴をして罷免された事件を題材にした史劇)を、プロレタリア独裁と社会主義に反対する“毒草”として攻撃するもので、当初の政治的な意図は呉の上司にあたる北京市長の彭真を失脚に追い込むことにありました。しかし、1965年12月21日、毛が「嘉靖皇帝は海瑞を罷免した。59年、我々は彭徳懐を罷免した。彭徳懐も“海瑞”だ」と述べたことで、彭徳懐への批判と結び付けられ、後の文革の端緒となりました。

 なお、文革が始まると、彭は紅衛兵により、1966年中に隠棲先の成都から北京に連行され、1967年7月9日には批闘会と称するリンチで7度地面に叩きつけられ、肋骨を2本折られ下半身不随となります。その後、江青の医療服従専案の監督下に置かれ、1974年、弾圧の中で亡くなりましたが、1976年に文革派四人組が失脚すると、1978年11月には名誉回復が行われ、生誕90周年にあたる1988年、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。
      

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 水晶の夜
2015-11-09 Mon 22:45
 きょう(11月9日)は、1938年に“水晶の夜”と呼ばれる大規模な反ユダヤ暴動が発生した日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      水晶の夜・返戻

 これは、“水晶の夜”から間もない1938年12月6日、米国ミネアポリスからドイツ北部、ハンブルク=アルトナのユダヤ人女性宛に差し出されたものの、“移住”先不明で差出人戻しとなった郵便物です。

 1933年1月30日、反ユダヤ主義を掲げて政権を獲得したヒトラーとナチス(国家社会主義労働者党は、当初から、ユダヤ系ドイツ人を迫害しており、1935年9月15日には、いわゆる“ニュルンベルク法(具体的には「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」)を制定し、4人の祖父母のうち1人でもユダヤ人がいる者を“ユダヤ人”と規定。ユダヤ系の市民を、“完全ユダヤ人”から“第2級混血ドイツ人”までに3分類したうえで、“完全ユダヤ人(4人の祖父母のうち3人以上がユダヤ人、同2人以上がユダヤ人で、本人がユダヤ教徒、ユダヤ人と結婚している者、ドイツ人とユダヤ人の間に生まれた者)” の公民権を剥奪しました。

 ただし、この規定は、あくまでもドイツ国籍を持つユダヤ系住民を対象としたもので、ドイツ国内に居住する外国籍のユダヤ人に対しては、さすがのナチス・ドイツも、他の在住外国人としての権利が認めざるを得ません。こうした状況の下で、ドイツ在住のユダヤ系外国人のうち、大きな勢力となっていたのがポーランド国籍の保有者でした。

 現在のポーランド国家は、国民の90%以上がポーランド人(カシュープ人やグラル人を含む)によって構成されており、事実上の単一民族国家となっていますが、これは、第二次世界大戦末期のポツダム会談の結果、領土全体が地理的に西側へ移動したことによるもので、第一次大戦後にポーランド第2共和国が発足した時点の民族構成では、ウクライナ人14.3%、ユダヤ人10.5%、ベラルーシ人3.9%、ドイツ人3.9%などと、少数民族が人口の約3割を占める多民族国家でした。こうした中で、(狭義の)ポーランド人の間には反ユダヤ主義の風潮が根強く、1936-37年にはポーランド各地で流血を伴う反ユダヤ暴動が発生しています。

 このため、ポーランド政府は国内のユダヤ人口を減少させることが問題の解決になると考えるようになり、ユダヤ人の国外移住を“奨励”。その結果、隣国であるドイツ国内には、ポーランド国籍のユダヤ人が多数居住するという状況になっていましたが、ナチスによるユダヤ人迫害が激しさを増すにつれ、ユダヤ系ポーランド人の中にはポーランドに帰国する者も急増します。

 これに対して、上述のような事情から、ユダヤ系国民の帰還を望んでいなかったポーランド政府は、1938年10月6日、ポーランド政府は、発行済みの全てのポーランド旅券に、あらためて検査済みの認印を押さなければならないとする新旅券法を布告。同法の施行により、ドイツをはじめ国外在住のポーランド系ユダヤ人の旅券と国籍を無効化しようとします。

 一方、当時のナチス・ドイツは、みずからの支配地域からユダヤ人を追放することを政策として掲げていたため、ポーランドの新旅券法が施行される10月30日以前に彼らをポーランドに強制送還すべく、10月28日、警察組織を動員して、ユダヤ系ポーランド人1万7000人をポーランドとの国境地帯に移送します。ところが、ポーランド側は国境を閉鎖して、“ポーランド国民”であったはずのユダヤ人の受け入れを拒否します。

 こうして、国境地帯でユダヤ系ポーランド人が事実上の難民生活を余儀なくされる中、彼らの一人であったセンデル・グリュンシュパンが、パリ在住の息子、ヘルシェルに惨状を訴えました。ヘルシェルはドイツに対する怒りから、ドイツ大使館員を暗殺することで世界にユダヤ人の惨状を訴えることを企図し、11月7日、駐仏ドイツ大使館の三等書記官エルンスト・フォム・ラートを射殺します。

 この事件をきっかけに、11月9日から10日にかけて、ドイツ各地(併合後まもないオーストリアズデーテン地方を含む)で大規模な反ユダヤ暴動(官製暴動である疑いが極めて濃厚)が発生。フランスとの国境に近いドイツ西部を中心に、177のシナゴーグと7500のユダヤ人商店や企業が破壊され、91人のユダヤ人が殺害されました。

 ちなみに、“水晶の夜”という名称は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにきらめいていたとしてゲッベルスが命名したものですが、その由来となったガラス被害だけで、ユダヤ人の損害額は600万ライヒスマルクに及んでいます。

 一連の事件を通じて、被害者であるはずのユダヤ人3万人が警察に逮捕され、彼らを収容するためにダッハウ、ブーヘンヴァルト、ザクセンハウゼンの各収容所は拡張されたほか、各種の法令により、ユダヤ人の人権は次々に剥奪され、12月以降、ユダヤ人は公の場から事実上追放されてしまいました。この結果、多くのユダヤ人がドイツを脱出して国外へ亡命しようとしますが、実際には、彼らの多くは各地の港をたらいまわしにされたうえ、最終的にヨーロッパへと戻ってこざるを得ませんでした。そこへ、1939年9月、第二次大戦が勃発し、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺が本格的にスタートすることになるのです。

 なお、“水晶の夜”に関しては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 英領インド洋地域50年
2015-11-08 Sun 22:26
 ディエゴガルシア島で知られる“英領インド洋地域”が1965年11月8日に成立して、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      英領インド洋地域(1968)

 これは、1968年1月17日に発行された英領インド洋地域最初の切手です。

 英領インド洋地域を構成しているチャゴス諸島は16世紀にポルトガル人が“発見”しました。これらの島々は大半が無人島でしたが、この地域で最大の島であるディエゴ・ガルシア島に関しては、18世紀にフランス人が入植して黒人奴隷を導入しココヤシ栽培とコプラ生産のプランテーションの経営を行っていました。

 ナポレオン戦争後の1814年、この地域は英領となり、行政上はながらくモーリシャスの管轄下に置かれました。しかし、1960年代に入るとモーリシャスの独立問題が浮上したため、1965年11月、英国はチャゴス諸島を、アルダブラ諸島、ファーカー諸島、デロッシュ諸島とともにモーリシャス本土から分離して“英領インド洋地域”を形成し、モーリシャス独立後もこの地域を確保する体制を整えました。なお、 切手に関しては、1968年、セイシェル切手に“英領インド洋地域”を意味する“B.I.O.T.(=British Indian Ocean Territory)”の加刷を施したもの(今回ご紹介の切手もその1枚です)が最初です。

 そのうえで、英領インド洋地域設定後の1966年、英国は米国と協定を結び、以後50年間、ディエゴ・ガルシア島を米国に貸与する協定を締結。その後、島民をモーリシャスに強制移住させ、同島を無人島としました。

 ときあたかも、1967年、それまで英国の支配下に置かれていたイエメン南部が、ソ連の支援の下、南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国に改称)として独立し、西側諸国はアデン港を使えなくなったため、1971年以降、ディエゴガルシア島には米軍基地が建設されました。現在、同島の米軍基地はインド洋における米国の最大の軍事拠点となっており、湾岸戦争やアフガニスタン攻撃、イラク戦争の際にも、B-52戦略爆撃機、B-2ステルス爆撃機などがここから出撃しました。

 その後、1976年6月23日、セイシェルが独立すると、アルダブラ諸島、ファーカー諸島、デロッシュ諸島はセイシェルに移管され、現在、“英領インド洋地域”は事実上、チャゴス諸島のみとなりました。ただし、域内最大の島であるディエゴ・ガルシア島には軍関係者しか住んでいないこともあって、行政機関としてのインド洋総督府はセイシェルの首都ヴィクトリアにおかれており、英国の海外領土としており、弁務官が統治する体制となっています。


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 オックスフォード・ガゼット450年
2015-11-07 Sat 18:16
 現在の『ロンドン・ガゼット』の前身で、 現存する世界最古の新聞とされる『オックスフォード・ガゼット』が1665年11月7日に創刊されて、きょう(7日)で450年です。というわけで、今日は英国の新聞に関連するマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

      英国・新聞印紙

 これは、新聞税を支払ったことを示すスタンプが押された英国紙『ベリー・アンド・ノリッチ・ポスト』の断片(本来の意味での“印紙”といえばよいでしょうか)です。

 日本人の感覚では、新聞は毎朝自宅に配達されるもの、もしくは、駅やコンビニで買うものということになっていますが、かつての欧米社会では、郵便で送られるものというイメージが強くありました。

 たとえば、英国の『デイリー・メール』や米国の『ワシントン・ポスト』といった新聞の名前を聞いたことがある方は多いと思いますが、それらはいずれも、新聞が郵便で送られることに由来した命名で、今回ご紹介の紙片に記された『ベリー・アンド・ノリッチ・ポスト』という紙名は、郵便で運ぶことを前提としたものです。

 英国では、17世紀の清教徒革命や名誉革命などの社会の大変革の時期にニュースの需要が高まり、新聞が盛んに発行されるようになっていましたが、18世紀半ば以降、産業革命が本格的に進んでいくと、富を蓄えたブルジョアジーが続々と誕生し、新聞の読者も急速に拡大していきました。

 ここに目をつけた英国政府は、新聞に新聞税を課すかわりに、その代わり、新聞社への懐柔策として、官営郵便で新聞を送る場合の郵送料は無料としていました。

 当時の英国政府の認識では郵税(=郵便料金)も税の一種ですから、結果的に国庫全体が潤えばいいわけで、官営郵便の負担増よりも、新聞の読者が増えたことによる新聞税の増収が上回るのであれば、それで良いという考えだったのです。

 このため、新聞の読者が増えれば増えるほど郵便事業の経営は圧迫されることになります。もちろん、新聞だけが原因というわけではないのですが、新聞を含む無料郵便物の存在は郵便事業に大幅な赤字をもたらす要因となり、1830年代には、その改善のため、さまざまな改革が試みられることになります。その最終形が、1840年の統一1ペニー郵便の実施とペニーブラックの発行となるわけですが、このあたりの事情については、拙著『ペニー・ブラック物語』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日開催の切手市場での拙著の行商は、無事、終了いたしました。お客様各位ならびにスタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 泰国郵便学(39)
2015-11-06 Fri 12:18
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第49巻第5号ができあがりました。その記事の中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・シーナカリン72歳

 これは、1972年10月21日、国王ラーマ9世の母親であるシーナカリンタラー=ボーロマラーチャチョンナニー王太后(以下、シーナカリン)が72歳を迎えたことを記念して発行された切手で、貧しい老人を慰問する彼女の姿が取り上げられています。

 シーナカリンは旧名サンワーン・タラパット。1900年10月21日に華僑の金細工職人の娘としてトンブリーに生まれました。9歳の時に両親と死別しましたが、ペッチャブリーラーチャシリントーン王女の宮女として出仕し、サットリーウィッタヤー学校に通う機会を得ます。16歳の時からシリラート病院に看護婦として勤務していましたが、王室の奨学金を得て米国に留学。20歳の時、留学先で“タイ近代医学の父”と称されたソンクラーナカリン親王(ラーマ5世69番目の子)と結婚し、ソンクラーナカリン親王の留学に付き添い、1923年にロンドンでカンラヤーニワッタナー王女を、1925年にハイデルベルクでアーナンタマヒドン王子を、1927年に米国マサチューセッツ州でプーミポンアドゥンラヤデート王子を産みました。

 ソンクラーナカリンは王族として最高位にランクされるチャオファーの階級にありましたが、シーナカリンは平民の出身であったため、当初、彼女の3人の子は王族としては最下位のモムチャオの階級とされていました。しかし、当時の国王ラーマ7世には後継者がなかったため、1927年、3人の子はチャオファーに次ぐプランチャオの階級(原則として、王と平民の子もしくはチャオファーの王族と王族出身の側室の子)に格上げされます。

 1928年、一家はタイに帰国。翌1929年、ソンクラーナカリンが亡くなると、シーナカリンは、一時、義母でタイ赤十字社総裁を務めていたサワーンワッタナー王女の住むサラパトゥム宮殿に身を寄せましたが、3人の子を連れて子供の教育のためにスイスのローザンヌに渡ります。

 彼女と子供たちがローザンヌ滞在中の1935年、立憲革命の混乱でラーマ7世が退位すると、国会の決定によりアーナンタマヒドン王子が国王ラーマ8世として即位し、シーナカリンはいちやく“国王の母”となりました。ただし、ラーマ8世は年少で学業も半ばであったため、国王としての即位の儀式を行うために一時帰国したものの、すぐにローザンヌに戻っています。

 1945年、一家はタイに帰国しましたが、翌1946年にラーマ8世が変死。これを受けて、弟のプーミポンアドゥンラヤデートが国王ラーマ9世として即位し、シーナカリンは引き続き“国王の母”の立場を維持することになります。

 ラーマ9世の即位後のシーナカリンは、1960年の国王外遊時に摂政として国王の業務を代行したほか、北部の少数民族地域に関心を寄せ、国境警備隊の名誉隊員にも就任しました。

 国境警備隊は、1951年、共産中国の影響が東南アジアに波及することを恐れた米CIAの支援を受けて結成された準軍事組織で、国境警備と反乱鎮圧を主な任務です。
 
 シーナカリンは、国境警備隊の名誉隊員として、積極的に山岳民族地域を訪問しているだけでなく、無料で山岳を巡回する医師達の活動を支援するなど、数多くの慈善活動に従事しています。
 
 切手のシーナカリンは国境警備隊員としての制服・制帽姿であり、山岳民族からソムデット・ヤー(“祖母陛下”の意味)と呼ばれて親しまれた彼女の人柄を想起させるデザインです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

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       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

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 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 一の酉
2015-11-05 Thu 11:06
 きょう(5日)は、一の酉です。というわけで、例年同様、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オシフィエンチム・暫定加刷

 これは、1918年、ハプスブルク帝国崩壊後のオシフィエンチム(アウシュヴィッツのポーランド語名)で発行された暫定加刷切手で、オーストリアの軍事切手にポーランドの国章であるワシをイメージした加刷が施されています。

 1772年の第1回ポーランド分割によって、オシフィエンチムはハプスブルク帝国の支配下に入りましたが、1918年11月11日、第一次大戦に敗れたハプスブルク帝国は、皇帝カール1世げ退位を表明して崩壊します。すでに、ロシア、ドイツの帝国も革命が発生して崩壊しており、18世紀末にポーランドを分割した3つの帝国はすべて消滅。その過程で、10月28日、クラクフに“ポーランド清算委員会”が発足し、ハプスブルク帝国に代わって、オシフィエンチムを含むガリツィアの行政の実務を担当するようになりました。

 郵便に関しては、当面の処置として、各地の郵便局で、在庫として残されていたオーストリア切手を接収して、地域ごとにローカルな加刷を施した暫定的な切手が発行されました。今回ご紹介のオシフィエンチムの加刷切手もその一例です。

 その後、11月14日にポーランドは独立を回復し(ただし、現在のポーランドはこの日ではなく、ハプスブルク帝国が崩壊した11日を“独立記念日”としています)、ユゼフ・ピウスツキを国家主席とする第2共和国が発足して、国家としての再統一が達せられました。

 しかし、その後も郵便に関しては統合が遅れ、旧ハプスブルク帝国地域では、ひとまず、同地域内の切手を統一するため、1919年1月2日、郵便局に残されていた旧オーストリア切手・葉書が回収され、クラクフ市内のA.コハンスキならびにF.ジェリンスキの2ヵ所の印刷所で“ポーランド郵政”を意味する“POCZTA POLSKA”の文字を加刷した切手が発行され、同月20日以降、無加刷の旧オーストリア切手は無効となりました。

 さらに、1919年2月25日、ポーランド清算委員会は、ヤン・ミカルスキーが原画を制作し、ジェリンスキ社で製造した切手を発行し、オシフィエンチムを含むガリツィア全域で使用させましたが、全国統一の切手が発行されたこともあって、これらの暫定的な切手は、1919年5月31日限りで使用停止とされています。

 なお、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、そもそも、アウシュヴィッツ/オシフィエンチムとはどのような土地であったのか、ハプスブルク帝国以前にも遡って、関連するマテリアルをいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 

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 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

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 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 世界の国々:ウンムルカイワイン
2015-11-04 Wed 11:33
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年11月4日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はウンムルカイワイン(雑誌の記事ではウンム・ル・カイワインと表示)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ウンムルカイワイン・カバー   ウンムルカイワイン・カバー裏

 これは、1993年、ウンムルカイワインからシャルジャー宛の書留便ですが、メータースタンプや書留ラベル、裏面の郵便印などの表記がばらばらというのがミソです。

 “ ام القيوين”というアラビア語の首長国名を日本語で表記するのは、実は結構な難題です。アラビア文字では母音を表示しないため、“القيوين”をどう読むべきなのかが問題となるからであす。

 アラビア語の名詞には単数形と複数形の他、その物が2つの時にのみ使う双数形があります。問題の“القيوين”は、もともと、アラビア語で“力”を意味する“قوة”(クーワ)の双数形“قوتين ”に定冠詞の“アル(ال)”をつけたものが転訛したものとされています。文法通りの“قوتين”であれば、カタカナ表記は“クーワタイン”となるわけですが、首長国の名としては“ة”(tの音になる)が脱落しているため、これをそのまま読めば“クーワイン”となります。

 したがって、欧米の表示などでは“Umm al-Quwain”となっていることも多く、このローマ字表記を(長音を使わず)そのままカナ書きすると、“ウンム・アル=クワイン”となります。

 ところが、実際の発音では、この地域の方言で、ウンム・ル・カイワインと聞こえるせいか、日本語の事典類などではそのように表記しているケースが多いようです。また、発音に忠実にカナ書きするなら、定冠詞のアルの語頭は直前の単語で“母”を意味する“ウンム”の語尾に吸収されるので“ウンムルカイワイン”と書く方が良いかもしれません。(僕のブログでは、そうしています)なお、ドバイの日本総領事館のサイトでは“ウンム・ル・カイワイン”となっています。

 さらに、話を複雑にしているのが、1972年のアラブ首長国連邦発足以前、この首長国が独自に切手を発行していた時代、彼ら自身が切手上に記していたローマ字表記は“UMM AL QIWAIN”となっており、これをカタカナ表記すると“ウンム・アル=キワイン”となります。したがって、日本の切手商では、この首長国の名前は“ウンムルキワイン”とされることが一般的です。

 さらに、現地で用いられている郵便印などの表記も、QUWAIN、QUIWAIN(クィワインと読むのでしょうか)、QIWAINなどの揺れがあります。ちなみに、今回ご紹介のカバーでは、料金を納付するためのメータースタンプの局名表示は“UMM AL QUWAIN”ですが、書留ラベルの表示は“UMM AL QUIWAIN”となっています。さらに、裏面に押されている郵便局の証示印は“UMM AL QUIWAIN”と“UMM AL QIWAIN”の2種類のものが押されており、現地でも、ラテン文字での表記にかなりの揺れがあることがわかります。さらに、実際に発行されなかった加刷切手の中には“UMM AL QAIWAIN”表示のモノもあって、正直言って、もうぐちゃぐちゃな状態です。

 今回の記事では、とりあえず、ドバイの総領事館にならい、“ウンム・ル・カイワイン”の表記を使いましたが、外国語の固有名詞の日本語表記には、苦労させられることも多いですな。

 さて、 『世界の切手コレクション』11月4日号の「世界の国々」では、ウンムルカイワインのかつての主要産業である真珠や、この地域の城塞、ペルシャ湾の風景などを取り上げた切手もご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、今週発売の11月11日号では「世界の国々」はコモロの特集で、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 明治天皇を祀った神社
2015-11-03 Tue 22:52
 きょう(3日)は旧明治節(明治天皇の誕生日で1947年までの祝日)です。というわけで、明治天皇を祀った神社の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      関東神宮鎮座

 これは、1944年10月1日に発行された“関東神宮鎮座”の記念切手です。

 日露戦争の結果、日本の租借地となった関東州(遼島半島の普蘭店北方の長陽寺会付近から貔子窩東方の碧流河付近にいたる線より南の、旅順・大連を中心とした地域)では、1936年9月1日、日本の統治下に入ってから30周年を迎えたことから、その記念事業の一環として、旅順港と日露戦争の戦跡を見下ろす約30万坪の土地に天照大神と明治天皇をご祭神とする“関東神宮”を創建することが企画されました。

 その後、企画から8年の歳月をかけて、1944年10月1日、関東神宮は鎮座祭にこぎつけ、それにあわせて、関東神宮の本殿と関東州の地図を組み合わせた記念切手が発行されました。なお、この切手は、大日本帝国の郵便事業を管轄していた通信院(戦時下の行政機構簡素化で、1943年、逓信省は通信院に改組)によって発行されましたが、その実態としては、関東州サイドが企画・発売を全面的に取り仕切っていたほか、発売も関東州の域内に限られていました。

 なお、関東神宮は1945年の日本の敗戦により廃社とされたため、関東神宮で“明治節”が祝われたのは、1944年の1度のみに終わっています。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『皇室切手』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
* けさ、アクセスカウンターが158万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
 

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 切手に見るソウルと韓国:浦項総合製鉄
2015-11-02 Mon 10:04
 ご報告が大変遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月9日号が発行されました。今回の刊行時期は、変圧器などに使われる方向性電磁鋼板の製造技術を不正取得したとして新日鉄住金が韓国の鉄鋼最大手POSCO(ポスコ)に対して損害賠償支払いなどを求めていた訴訟で、ポスコが新日鉄住金側に300億円の和解金を支払ったことが話題になっていた時期ですので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      浦項総合製鉄

 これは、1973年7月3日、の竣工式には、ポスコの前身、国策会社・浦項総合製鉄株式会社の第1期工事の竣工式に合わせて発行された記念切手で、工場と電気炉が描かれています。

 韓国が巨大製鉄所の建設を検討するようになったのは、1966年に訪米した朴正煕大統領が現地の製鉄工場を視察して以来のことといわれています。

 その後、“鉄は国家なり”と考えた朴正煕は、地元・慶尚北道の港町、浦項の広大な荒地に目をつけ、1968年4月1日、国策会社として浦項製鉄株式会社を創立。軍出身で首相経験者の朴泰俊を社長に据えて、製鉄所の建設に本格的に乗り出しました。

 製鉄所の規模は、ソウル・汝矣島の3倍に達する270万坪の敷地に、道路の長さだけで80キロを超えるという巨大なもので、1970年4月に着工されました。工事費の総額は1215億ウォン。これは、1970年6月に開通した京釜高速道路の建設費用の約3倍に相当する額です。

 当然のことながら、これだけの巨大プロジェクトであったため、韓国側にとって資金調達には相当の困難がありました。しかも、重化学工業の育成を急ぐため、浦項製鉄所のプロジェクトと併行して、麗水の石油化学プロジェクトが行われていたこともあり、日本の通産省(当時)に協力を求めて陳情に訪れた関係者が、日本側の担当者から“万博と五輪を同時にやるようなもの”と揶揄されたこともあったとそうです。

 最終的に、1973年に完了した第1期工事の費用のうち、約6割に相当する1億6800万ドルは外国資本によって得られましたが、その内訳は、①日韓基本条約に伴う請求権資金(経済協力金)より無償3080万ドル、②同有償4642万8000ドル(年利3.5%、7年猶予、13年返済)。③日本輸出入銀行より5449万8000ドル(年利5.875%、1年猶予、11.5年返済)、④Japan oriental cottonより1398万7000ドル(年利6.5%、1年猶予、10年返済)、⑤VOEST company of Austriaより2434万5000ドル(年利6.5%、3.4年猶予、8.5年返済)で、日本からの資金が圧倒的です。

 一方、技術面では、1968年の会社設立当初より、八幡製鉄と富士製鐵、さらに日本鋼管(現JFEスチール)が技術支援を行っています。このうち、八幡製鉄と富士製鉄は1970年に合併して新日本製鉄となり、その後、住友金属工業と合併して現在の新日鉄住金になったという経緯がありますから、ポスコとは当初から浅からぬ因縁があったということになります。

 浦項総合製鉄の第1期工事が完成し、生産が開始されたのは1973年6月9日午前7時半過ぎのことで、7月3日の竣工式には、今回ご紹介の記念切手も発行されています。ちなみに、1973年当時の粗鋼生産高は、年産103万トンでした。

 その後、日本の援助によって3回にわたって拡張事業が行われ、1983年には粗鋼生産能力910万トン規模の浦項製鉄所が完成。さらに、1985年からは、全羅南道で光陽製鉄所第一期設備が着工し、1992年、四半世紀にわたる製鉄所建設が最終的に完成しました。ちなみに、現在は浦項ではなく、光陽の製鉄所が主要拠点です。

 その後、浦項製鉄は2000年に民営化された後、2002年、社名をPOSCO(ポスコ)に変更して現在にいたっています。

 なお、浦項総合製鉄に限らず、日本の経済支援・技術支援が漢江の軌跡を支えていたということについては、拙著『韓国現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。


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 アウシュヴィッツの聖者
2015-11-01 Sun 17:39
 きょう(1日)は、カトリックの祝日“万聖節(全ての聖人と殉教者を記念する日)”です。というわけで、数多の聖人・殉教者の中を取り上げた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エーディト・シュタイン

 これは、1983年に西ドイツが発行した修道女・エーディト・シュタインの切手です。

 エーディト・シュタインは、1891年、ドイツ帝国支配下のブレスラウ(ポーランド名ブロツワフ)でユダヤ人商人の家庭に生まれました。
 
 1904年、13歳の時にユダヤ教を棄教して無神論者になり、1913年以降、エドムント・フッサールに師事。1916年に哲学博士号を取得し、フライブルク大学で教職を得ています。

 その後、1922年にカトリックの洗礼を受けましたが、1933年、“ユダヤ人”であることを理由にナチス政権下で教職を追われ、翌1934年、ケルンでカルメル会の修道女となりました。さらに、ナチスの迫害を逃れてオランダに亡命したものの、捕えられてアウシュヴィッツ収容所に移送され、1942年8月9日、ガス室で殺害されています。

 1979年6月、祖国ポーランドを訪問した教皇ヨハネ・パウロ2世はビルケナウのアウシュヴィッツ第2収容所跡を訪れ、約50万人とともにミサを行い、強制収容所を「私たちの時代のゴルゴダ」と呼び、アウシュヴィッツで亡くなったコルベ神父を称えるとともに、ビルケナウのガス室で殺害された修道女エーディト・シュタインについて列福のための調査を行う方針を明らかにします。

 ところで、エーディトのように、血統としてはユダヤ人だが、信仰上はカトリックの信徒であるという“ユダヤ系カトリック”の例は決して珍しくはないのですが、そうしたユダヤ系キリスト教徒を“ユダヤ人”として認定すべきか否かは、ユダヤ人国家の建前を掲げるイスラエルにおいて激しい論争となっていました。このため、エーディトを“ユダヤ系カトリック”として列福することにはユダヤ人団体から抗議が寄せられています。

 一方、カトリックの内部にも、(カトリックの信仰のゆえにではなく)単なる一ユダヤ人としてその他のユダヤ人と同じくガス室で殺害された彼女を“殉教者”と見なしうるかどうかという点で論争がりました。

 しかし、最終的に、彼女が“アウシュヴィッツの聖女”として広く知られるようになっていたこともあり、ヨハネ・パウロ2世は、まずは彼女を列福する方針を固め、それにより、1987年、彼女が列福され、さらに、1998年10月11日には列聖されました。

 なお、ヨハネ・パウロ2世のポーランド訪問は、彼の企図した通り、ポーランド国内のナショナリズムと反ソ感情させるという結果をもたらし、1980年7月には、政府が発表した食糧品等の大幅値上げに反対し、グダニスク等のバルト海沿岸地方で労働者のストが発生。これが全国に波及する勢いとなったため、政府とグダニスクの連合スト委員会の交渉が行われ、政府は、9月17日、ポーランドでは共産圏として初めて、共産党(ポーランドでは統一労働者党)の統制を受けない独立自主管理労働組合“連帯”が発足します。

 しかし、その後、“連帯”の組織が全国的に拡大して急進化したことで、ソ連がポーランドに軍事介入する姿勢を見せるようになったため、1981年12月、ポーランド政府は戒厳令を発令。“連帯”幹部の大半が拘禁され、翌1982年10月には、“連帯”は非合法化され、以後、地下組織として抵抗を続けることになります。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、1983年1月に東西冷戦の最前線にあった西ドイツが発行したもので、切手には、彼女が1942年にアウシュヴィッツで亡くなったことを示す文言も入っています。これにより、見る人が見れば、ポーランドでの一連の動きの原点なった教皇のポーランド訪問(特にアウシュヴィッツ訪問)のことが連想されるという仕掛けになっているわけです。

 なお、このあたりの事情については、拙著『アウシュビッツの手紙』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *本日開催の拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様ならびにスタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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