内藤陽介 Yosuke NAITO
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 1年間ありがとうございました。
2015-12-31 Thu 09:29
 2015年もいよいよ大晦日です。今年も皆様には本当にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、主なものだけでも、下記のような仕事を残すことができました。

 <単行本>

      日の本切手 美女かるた・表紙 『日本切手 美女かるた』 日本郵趣出版

      アウシュヴィッツの手紙・表紙 『アウシュヴィッツの手紙』 えにし書房

      ペニーブラック表紙 『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』 日本郵趣出版

<連載>
 ・「泰国郵便学」 『タイ国情報』(1月号~2016年も継続)
 ・「切手に見るソウルと韓国(切手に描かれたソウル・改題)」 『東洋経済日報』(1月~2016年も継続)
 ・「小さな世界のお菓子たち」 『Shall we Lotte』(1月~2016年も継続)
 ・「岩のドームの郵便学」 『本のメルマガ』 (1月~2016年も継続)
 ・「日本切手の名品」 『キュリオマガジン』 (1月~9月号)
 ・「切手歳時記」 『通信文化』 (1月~2016年も継続)
 ・「世界の国々」ほか 『世界の切手コレクション』 (1月~2016年も継続)
 ・「日ノ本切手美女かるた」 『スタマガネット』 (1~3月) 
 ・「世界の寄附金つき切手」 『キュリオマガジン』(1月号~9月号)
 ・「普通切手のラビリンス」 『キュリオマガジン』(10月号~2016年も継続)
 ・「引退する切手達」 『キュリオマガジン』(10月号~2016年も継続)

<単発モノの論文・エッセイなど>
 ・「切手で訪ねるふるさとの旅:北陸・金沢市」 『散歩人』 2015年5月号
 ・「日本とイスラーム 交流の歴史」 『別冊歴史REAL イスラームと日本人』(洋泉社MOOK)
 ・「千すじの黒髪」 『日本近代文學館』第266号(2015年7月15日号)
 ・「昭和切手」 『キュリオマガジン』2015年8月号
 ・「切手から見た韓国現代史」 『民団新聞』2015年8月15日号
 ・「20XX年 年賀状のないお正月」 『YOMIURI ONLINE 深読みチャンネル』 12月1日配信

<切手展出品>
 ・A History of Hong Kong <JAPEX’15>および<HONG KONG 2015>

 このほかにも、実行委員長を務めた7月の全日本切手展および韓国切手展、副コミッショナーを務めた11月のアジア国際切手展、<HONG KONG 2015>をはじめ、公私にわたり、実に多くの方々より、ご支援・ご協力を賜りました。関係者の皆様にはあらためてこの場を借りて、皆様に厚くお礼申し上げます。明年も引き続き、ご支援・ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

 最後に、来る年の皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げ、年末のご挨拶といたします。どうぞ、良いお年をお迎えください。

 内藤陽介拝


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       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

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 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

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 世界の国々:オランダ
2015-12-30 Wed 14:58
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年12月30日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はオランダの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・ハイネケン

 これは、2006年に発行された“オランダ製品”の切手帳(シール式)のうち、ハイネケンのグリーン・ボトルを取り上げた1枚です。

 オランダのビール会社ハイネケンは、1864年、ジェラルド・ハイネケンがアムステルダム最大のビール醸造所ザ・ヘイスタックを買収したのが起源です。1869年にはドイツ人技術者のウィルヘルム・フェルトマンを招き、下面発酵ビールを開始するとともに、当時としては画期的な独自の研究所システムを導入。その成果として、1873年には切手にも描かれているグリーン・ボトルの製造を開始しました。さらに、1886年、ルイ・パストゥールの弟子だったエリオン博士によって、オリジナル酵母の“ハイネケンA酵母”の分離培養に成功したことで、他社にはない独特の風味を出すことに成功しています。

 第一次大戦中の1917年、ハイネケン社の経営は、2代目のヘンリー・ハイネケンが継承。1933年には禁酒法撤廃後のアメリカに初めてビールを輸出して世界進出の発端を築きました。また、1953年に役員に就任した3代目のアルフレッド・ハイネケンは、広報戦略としてスポーツ・文化イベントを積極的に後援。その結果、ハイネケンの世界的な知名度は飛躍的に向上し、現在は世界170以上の国・地域でビールを販売し、世界第3位のシェアを誇る巨大企業になっています。

 さて、 『世界の切手コレクション』12月30日号の「世界の国々」では、江戸時代および第二次大戦中の日蘭関係についての2本の長文コラムのほか、レンブラントの「夜警」、チューリップ、風車の風景で有名なザーンセ・スカンス、哲学者スピノザ、女性の民族衣装の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は12月26日発売の2016年1月6日号でのニュージーランドの特集になります。こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 泰国郵便学(40)
2015-12-29 Tue 11:46
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第49巻第6号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ワット・ポー(国際図書年)

 これは、1972年に発行された国際図書年の記念切手で、バンコクのワット・プラチェートゥポン・ウィモンマンカラーラーム・ラーチャウォーラマハーウィハーン(以下、ワット・ポー)の布薩堂が取り上げられています。ワット・ポーというと、巨大な涅槃仏が有名ですが、歴史的に見ると、“学問の寺”として重要な意味をもっています。

 国際図書年は、社会における図書の役割についての世論を喚起するため、1970年の第 16回ユネスコ総会で採択された国際行事で、1972年にその第1回が行われました。その後、各国のユネスコ機関により、毎年、啓発活動が行われていますが、この切手は、その第1回開催に合わせて発行されたものです。

 バンコクの王宮南側にあるワット・ポーはアユッタヤー時代に建立された古刹で、当初はワット・ポーターラムと呼ばれ、トンブリー王朝時代に王立寺院に序せられました。

 ラッタナコーシン王朝のラーマ1世の時代に布薩堂、仏堂、回廊等の全面的な新設・改修工事が行われ、タイ各地から仏像を集めて安置するとともに、この寺院に医学・薬学のテキストを収集させたうえで、1801年、落慶法要を営みました。現在の寺名、ワット・プラチェートゥポンはこの時命名されたものです。ちなみに、タイの伝統医療における整体法として知られる“ルーシー・ダットン”のオリジナルの陶土の像は、ワット・ポーの境内に置かれていましたが、現存はしていません。

 ラーマ1世の王子で、ワット・ポーの住職を務めたパラマチーヌチット・チノーロットはパーリ語(南伝上座部仏教の経典に使用される言語)に堪能な詩人にして、仏教諸学に通じた碩学としてラーマ3世の信頼が篤い人物でした。それゆえ、ラーマ3世は、1831年、ワット・ポーの改修工事を命じ、ワット・ポーにはパーリ語やタイ式医学、薬草学、占星術、美術、詩文などの資料が精力的に集められることになります。また、ラーマ1世時代のルーシー・ダットンの像は耐久性に乏しかったため、ラーマ3世は亜鉛と錫を混ぜて新たな像を80体制作して回廊に配置し、ルーシー像やその姿勢をとることによって得られる効果について詠った詩を作って頒布しました。

 こうしたこともあって、ワット・ポーはタイにおける大学または大学図書館のルーツとされており、それゆえ、国際図書年の切手にも相応しい題材といえましょう。

 さて、切手に取り上げられている布薩堂は寺院の本堂にあたる建造物で、三層に重なった屋根を持ち、その四周にはそれぞれ礼拝堂が配置されています。高さ4mの本尊の台座下部には、ラーマ4世によって安置されたラーマ1世の遺灰が納められているほか、布薩堂の横には王族の遺骨を納める70あまりの仏塔が並んでいます。
 

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 ヴィシー政権時代の公文書、公開へ
2015-12-28 Mon 23:15
 フランス政府は、きのう(27日)、第二次大戦中の親独ヴィシー政権時代の警察や裁判の記録、外務省や法務省、内務省所管の文書、独仏オーストリアにおける戦犯裁判に関する文書などの公文書公開を決め、きょう(28日)から公開請求受け付けを開始ました。というわけで、ヴィシー政権の対独協力に関するマテリアルということでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツからフランス人労働者の葉書

 これは、1944年5月27日、アウシュヴィッツに動員されていたフランス人労働者が本国宛に差し出した葉書です。

 1940年6月、ドイツに降伏したフランスはパリを含む国土の北部をドイツに占領され、中部の都市ヴィシーに第一次大戦の英雄だったフィリップ・ペタン元帥を元首とする親独政権の“フランス国”(ヴィシー政権)が成立しました。

 1941年6月に独ソ戦が始まると、同年11月、ヴィシー政権は反共フランス義勇軍を派遣。彼らは、ドイツ陸軍第638歩兵連隊としてドイツ陸軍第7歩兵師団に所属し、東部戦線におけるモスクワの戦いに参加したのを皮切りに、ソ連軍と戦いました。

 こうした経緯を経て、1942年6月、ヴィシー政権首相のピエール・ラヴァルは、対独協力をさらに進め、共産主義を阻止するためにドイツの勝利を支持すると声明し、ドイツがフランス人捕虜1人解放せればフランス人労働者3人をドイツ国内の工場に送ることを発表しました。これは、同年3月から、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルが、軍需大臣アルベルト・シュペーアの要求に応じ、ヨーロッパの占領地区から労働者の強制連行を開始していた動きに呼応するものでした。

 これを受けて、1943年1月、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルの要求に応じて、1920-22年生まれのフランスの若者(当時の年齢で21-23歳)25万人が動員され、ドイツに送られます。その後、1944年1月にはドイツ側から100万人のフランス人労働者を送るよう要求があり、これに対して、フランス側は7月21日までに総計60-65万人をドイツに送り込みました。

 こうしたフランス人労働者のその一部はアウシュヴィッツ収容所での作業に従事させられましたが、アウシュヴィッツで働かされた労働者は“民間人”として郵便物を差し出すことが可能でした。

 今回ご紹介のカバーもその一例で、1944年5月27日、ビルケナウの第2収容所での労働に従事していた労働者が差し出したものです。

 封筒には、郵便物の性格を示すものとして、“Auschwitz O/S Gemeinschaftslager Buchenwald West Poststelle”の印が押されているほか、民間人の差し出した郵便物としてアウシュヴィッツ1局の消印(一般的な収容所関連の郵便物はアウシュヴィッツ2局の消印です)が押されています。また、外国郵便として、逓送途中で検閲されたことを示す“Ae”の印も押されています。

 なお、この葉書が差し出されたからほどなくして、1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦が開始され、連合軍がフランスに再上陸。8月25日にはパリが解放されてフランス共和国臨時政府がパリに移転し、ヴィシー政権は崩壊します。これに伴い、7月21日にはフランスからドイツへの労働者の提供も中止されました。

 なお、このあたりの事情につきましては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手に見るソウルと韓国:河回の仮面劇
2015-12-27 Sun 10:19
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』12月11日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、ソウルで覆面を着用しているデモ参加者に対して朴槿恵大統領が「“IS(イスラム国)”のようだ」と評し、覆面着用を規制する“覆面禁止法”の問題が話題となっていた時期の発行でしたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・河回面(1967)

 これは、1967年に発行された民俗シリーズ第1集のうち、河回の仮面を取り上げた1枚です。

 宗教的・呪術的な意味を込め仮面をつけて舞を舞うということは、洋の東西を問わず、古代社会で自然発生的に行われてきましたが、朝鮮半島では新石器時代の貝面や土面が出土しており、三国時代以降は大陸の影響を受けて発達したとされています。『日本書紀』にも、612年に百済出身の味摩之が中国南部の呉の国で学んだ伎楽(面をかぶって舞う舞踏劇で、獅子舞の原型ともいわれる)を日本に伝えたとの記述があります。

 韓国の伝統芸能として最も有名な仮面劇といえば、なんといっても、河回(慶尚北道安東市)の仮面劇でしょう。

 伝承によれば、高麗時代の中期、河回に移住してきた若者、許道令は神の命を受けて誰にも見られずに仮面を作ることになったものの、彼に思いを寄せた女性が命令に背いて面打ちの作業場を覗いたため、許は絶命してしまいました。その後、彼の霊を慰めるため、仮面劇が行われるようになったとされています。

 朝鮮王朝時代、河回の仮面劇は、神を楽しませ、五穀豊穣と厄除けを願うための演劇として、年に2回(陰暦1月15日と陰暦4月8日)に行われていました。

 河回の仮面劇は、そもそも、神(実際には村人)を楽しませることが目的でしたから、素朴な踊りと衣装を使いながらもユーモラスな内容となっており、①チュジ(悪霊を追い払う獅子)の物語、② 白丁(食肉加工などに従事していた最下層の被差別民)の物語、③ハルミ(老婆)の物語、④破戒僧の物語、⑤両班とソンビ(学者)の物語、の5幕で構成されており、劇全体としては、上流階級に対する喜劇的な風刺と批判が中心になっています。

 左右対称の均整のとれた人工美を重んじるとされる韓国人ですが(美容整形が多いのもそのためです)、仮面に関しては、喜怒哀楽の表情が際立つように左右非対称で作られており、特に、河回の面では、両班、ソンビ(学識があって高潔な人格者)、僧侶、白丁(朝鮮王朝時代の被差別民)などは、顔の本体と分離した顎が紐で結びつけられており、実際に台詞を話すとき、あごの動きがリアルに見える仕組になっているのが特徴です。このうち、最も有名な両班の面は、頭をのけぞると大笑いする顔に、下げると怒った表情になるようにデザインされています。

 怒りの表情も表現できる面であるなら、昨今の覆面デモでも河回の両班の面をつけた参加者がいてもよさそうなものですが、報道されている写真や映像を見る限り、そうした人はほとんどいないようです。もっとも、デモというのは、一般に、顔を上げてシュプレヒコールを連呼するのが常ですから、その格好で両班の面が大笑いの顔になってしまっては格好がつかないということなのかもれません。

 今回ご紹介の切手は、河回の仮面(両班)を取り上げたモノとしては最初の1枚なのですが、河回の仮面劇は、日本統治時代の1928年の祭祀を最後に行われなくなっており、この切手が発行された時点では途絶状態になっていました。このため、1973年、地元の若者たちが仮面劇の再生を目指して保存会を作り、唯一の伝統劇保存者であったイ・チャンヒの指導を受けて、ようやく1977年に復活させ、1980年に国の重要無形文化財第69号指定されたという経緯があります。ちなみに、この間の1978年に発行の世宗文化会館開館の記念切手には、伝統芸能として復活したばかりの河回の仮面も描かれています。


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 ボクシング・デー
2015-12-26 Sat 10:55
 きょう(26日)は“ボクシング・デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       英国・ロイヤルメール350年(冬)

 これは、1985年に英国で発行された“ロイヤル・メール350年”の記念切手のうち、雪中で小包を配達するポストマンが描かれています。切手に描かれた建物の1階をよく見てみると、窓の中にはクリスマス・ツリーらしきものも見えますから、あるいは、クリスマスのプレゼントを配達している場面かもしれません。

 英国をはじめ英連邦諸国で休日となっているボクシング・デー(クリスマス翌日:12月26日)は、元々、教会が貧しい人たちのために寄付を募ったクリスマス・プレゼントの箱(box)を開ける日であったことがその名の由来です。その後、クリスマスも仕事をしなければならなかった使用人たちに、翌日、家族と過ごさせるための休日となり、クリスマスにクリスマス・カードやプレゼントを届けてくれたポストマンに箱入りのプレゼント(Christmas box)をする習慣があります。この切手に描かれているポストマンも、きっと、プレゼントをもらったことでしょう。

 さて、今回ご紹介の“ロイヤル・メール350年”の記念切手は、1635年7月、王室駅逓を民間にも開放するとの布告が出されたことから起算して発行されました。なお、ロイヤル・メールの起源については、ヘンリー8世の時代の1516年に郵政長官(Master of the Posts)のポストが設けられたことに求める考え方もあります。

 1635年、トマス・ウィザリングスは国王チャールズ1世の諮問会議に「ロンドンと陛下の領地全域を結ぶ小包郵便を創設し、臣民の手紙もあわせて運ぶこと」を提案。当時、財政の悪化に悩んでいた国王は、これを増収策のひとつとして“使える”と判断。ロンドンに公衆書簡局を設置することが決められました。

 チャールズ1世の布告は1635年7月31日付で発せられ、駅逓便の収入を国費(戦費を含む)に使用すること、スコットランドの首都であるエディンバラとロンドンの間を6日以内に往復できるよう、駅逓制度を整えることなどが盛り込まれていました。

 この布告を受けて、1635年10月、ロンドンのビショップスゲイト・ストリートに最初の郵便局が設置されるとともに、ウィザリングスは、駅逓制度を整備するために必要な6街道(そのひとつがロンドンとブリストル近郊のエイヴォンマスを結ぶグレイト・ウェスト・ロードです)を建設するよう命じています。ちなみに、最初の郵便局が置かれたビショップスゲイト・ストリートは、ロンドンの中心部、シティの北東に位置しています。すでにローマ時代には道があったといわれていますが、この時代の通りは、1471年にハンザ同盟加盟の商人が再興したもので、ロンドンの城壁にもともとあった八大門のひとつが名前の由来となりました。18世紀の頃までは、この門の前で、しばしば、処刑された罪人が晒し者にされています。

 当時の主要な街道には、日中もしくは一晩で移動できる距離ごとに1もしくは2か所の郵便局が設けられており、郵便料金は距離と用紙の枚数、重量などに応じて定額制で、受取人が支払うことになっていました。

 いずれにせよ、近代郵便制度の要件の一つとして、「地位・身分によらず、所定の料金を支払うなど一定の手続きを経れば、だれでも利用することができる」ということを挙げるのなら、1635年の布告により、王室駅逓が民間の郵便物も取り扱うようになったことは、英国における近代郵便制度の原点と見なすことができるわけです。

 このあたりの歴史的背景については、拙著『ペニー・ブラック物語』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 Merry Christmas!
2015-12-25 Fri 11:00
 きょう(25日)はクリスマスです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英国・クリスマス消印(1906)

 これは、1906年に英国・リヴァプールで使用されたクリスマス・メール用の消印(以下、クリスマス印)のオンピースです。

 郵便でクリスマスカードを送る習慣は、英国では19世紀後半になって定着しました。しかし、いまも昔も、多くの人々はクリスマス直前にならないとカードを投函せず(投函のピークは23-24日だそうです)、短期間に大量の郵便物が集中して作業が渋滞しがちなため、クリスマスには必ず届けられるように、クリスマス・メールを早めに投函するよう、ロイヤルメールはさまざまな手段で人々に呼びかけています。まぁ、このあたりは、日本の年賀状と事情は同じというわけですな。

 その一環として、1902年9月13日、マンチェスターの測量技師だったジョン・フィリップは12月17-22日に差し出された市内便に特別の消印を押すことにして、早めの投函を呼び掛けたらどうかとロイヤル・メールに提案。これを受けて、同年末、ロッチデールで試験的に、上記の期間内に差し出された郵便物に“POSTED IN ADVANCE / FOR DELIVERY / ON / CHRISTMAS DAY / 1902”の印を押し、クリスマス当日に配達することが行われました。ちなみに、このサーヴィスでの取扱数は、1万9000通でした。

 ロッチデールでの試みが成功したことを受けて、翌年以降、同種のサーヴィスを行う局が順次拡大し、1909年まで、さまざまなタイプの消印が使われました。今回ご紹介のモノは、そのうちの“X MAS”の文字と年号を大きく表示したタイプで、1906年にリヴァプールで使用されたものです。

 しかし、このクリスマス印の使用による“効果”には地域差が大きかったことに加え、英国では、クリスマス・メールがクリスマス以降に到着しても不都合を感じないと考えている人が多数派であることが明らかになったことから、クリスマス印の使用は1910年は中止され、その後、復活することはありませんでした。


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 アウシュヴィッツのクリスマス
2015-12-24 Thu 10:55
 今夜はクリスマス・イヴです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・クリスマス  アウシュヴィッツ・クリスマス(裏)

 これは、1940年のクリスマスに際して、収容者の家族に対して収容者宛の小包を送る際の注意書を印刷した葉書とその文面です。

 1939年9月、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、1940年5月、ポーランド南部のオシフイエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)郊外の旧ポーランド軍兵営をアウシュヴィッツ第1強制収容所として、犯罪常習者とポーランド人政治犯の収容を始めました。

 アウシュヴィッツの収容者からの発信には専用のステーショナリーが使用されましたが、その封筒に印刷されている注意書によれば、収容者宛に小包を送ることは認められないとされています。しかし、アウシュヴィッツの潜入したヴィトルト・ピレツキの報告によると、実際には、当初から衣類の差し入れは認められていました。

 ところで、アウシュヴィッツにユダヤ人の収容者が激増するのは1942年以降のことで、1940年末の時点では、アウシュヴィッツの収容者の大半はポーランド人の捕虜ないしは政治犯でした。このため、収容所内における宗教の割合としてはカトリックが多数派であり、収容所当局としても、クリスマスについても家族からの差し入れの制限を緩和するなど、一定の配慮が必要になったものと思われます。なお、敬虔なユダヤ教徒がキリスト教の祝祭であるクリスマスを祝うことはないのですが、ナチスによって“ユダヤ人”と認定された人々の中には、血統的にはユダヤ人でありながら、宗教的にはクリスチャンというケースも少なくありませんでした。

 今回ご紹介の葉書は、こうした状況に対応して作成したもので、収容所側が葉書を作成し、収容者から親族宛に送らせるという形式を取っています。ちなみに、葉書に記されている注意書の要点は、以下の通りです。

 1.収容者は(1940年の)クリスマスに際して親族から1キログラムまでの小包を受け取ることができる。
 2.クリスマス小包として送ることができるのは、パン、クリスマスの菓子パン、燻製ソーセージ、洗面用品。送ることができないのは、現金、缶詰、切手、写真、手紙、マッチなどの可燃物など。
 3.小包を送る際には、正確な住所とともに、名前、誕生日、収容者番号を記載すること。
 4.小包の取扱期間は1940年12月10日から1941年1月5日までである。
 5. 到着した小包のうち、収容所規則に適合しないものは、家族からの荷物を受け取れなかった収容者に分配される。

 なお、アウシュヴィッツの収容所では、1945年1月の収容所解放まで5回のクリスマスがありましたが、収容者からの発信の中には、クリスマスの話題について触れたものも少なからず残されています。それらについては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *けさ、アクセスカウンターが160万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 世界の国々:ノルウェー
2015-12-23 Wed 10:57
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年12月23日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はノルウェーの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ノルウェー・ミンククジラ

 これは、2000年に発行されたミンククジラの切手です。

 ノルウェー西岸では、夏になるとミンククジラがフィヨルド内にまで回遊してくるため、古くから捕鯨がさかんに行われ、鯨肉が食されてきました。初期の捕鯨は、網でフィヨルドの入口を封鎖して閉じ込め、小舟で近づいて毒矢でしとめるという方法でしたが、19世紀半ば以降、スヴェン・フォインが開発した捕鯨砲と動力式捕鯨船を使用した“ノルウェー式捕鯨”が世界各国に広がることになります。その後、ノルウェーの漁師たちは、ミンククジラを求めてアイスランド、さらには北極海にも進出しました。現在でも、ノルウェーは北東大西洋でのミンククジラの捕獲を継続しており、鯨はノルウェー国民の生活に欠かせない存在として、今回ご紹介のような切手も発行されたというわけです。

 さて、 『世界の切手コレクション』12月23日号の「世界の国々」では、ノルウェーの独立までの経緯とアムンセンの極地探検についての2本の長文コラムのほか、リレハンメル五輪、フィヨルド、作家イプセン、ムンクの『叫び』、ノルウェー・サーモンの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は12月22日発売の12月30日号でのオランダの特集になります。こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。
 

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 切手歳時記:オリオン
2015-12-22 Tue 10:47
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』12月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回はこの切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      東京天文台100年

 これは、1978年に発行された“東京天文台100年”の記念切手です。

 冬の星座の代表格と言えば、なんといってもオリオン座でしょう。なにしろ、中島美嘉のヒット曲『ORION』でも、歌詞の中に星座の具体的な名前が一回も登場せず、ただ“冬の星座”とあるだけで、数多の冬の星座を押しのけて、それがオリオン座以外にはありえないことを誰も疑問に思わないほどですから。

 ギリシャ神話に登場する海神ポセイドンの息子、オリオンは狩りを得意とする美丈夫でしたが、自信過剰になって「この世に自分が倒せない獲物はいない」と放言したため、怒ったガイア(大地を象徴する神)がサソリを放ち、その毒針に刺されて亡くなりました。死後、オリオンはサソリとともに天にあげられて星座となりましたが、さそり座を恐れるオリオン座は、さそり座が西へ沈んでしまうまでは決して東から顔を出さず、サソリ座が東の空へ現われると西へ沈んでしまうとされています。

 オリオン座を構成する星の中で最も明るい星は、オリオンの左の膝の上にある青白い星のリゲルで、2番目に明るいのが右肩にあたる赤色のベテルギウスです。日本では、青白色のリゲルを源氏の白旗に、ベテルギウスの赤色を平家の赤色になぞらえ、それぞれ、源氏星、平家星という呼名がありました。

 この点で、今回ご紹介の“東京天文台100年”の記念切手は、三つ星をはさんで白いリゲルと赤いベテルギウスがしっかりと描き分けられているのが嬉しいところです。

 東京天文台のルーツは、1878年に設置された東京帝国大学理学部観象台です。観象台は、東京の本郷元富士町の文部省用地で天文・気象の観測を行っていましたが、1882年に気象台が分離されて天象台となり、さらに、1888年には海軍水路部観象台を合併して東京天文台となりました。そして、それに伴い、文部大臣の管理下で、海軍水路部位観象台のあった麻布飯倉町に本拠地を移し、天象観測と暦書調整、報時事業を行う機関となります。

 その後、1909年、東京府北多摩群三鷹村(現・東京都三鷹市大沢)への移転が決定され、1924年9月に三鷹での活動を開始しました。この間、1921年には東京帝国大学理学部から分離して東京帝国大学附属天文台となり、以来、ながらく“東京天文台”の愛称で親しまれていましたが、1988年、大学共同利用機関として文部省(当時)直轄の国立天文台(三鷹キャンパス)となっています。

 今回ご紹介の切手は、1878年の観象台設置から起算して100周年になるのを記念して発行されたもので、東京・三鷹の施設ではなく、東京天文台付属岡山天体物理観測所の188センチ反射望遠鏡とオリオン座を描いています。

 この望遠鏡はグラブ・パーソンズ製で、主鏡が左下に、副鏡が筒先にあり、いったん主鏡で空の方角に反射された光を副鏡で下の方に送る構造です。切手の両側にはドームの内壁が見えていますが、ここには、60センチクーデ型大洋望遠鏡があり、大型分光器や磁場測定装置で太陽の詳しい研究が行われています。

 ドームから見える冬空を描いた寒色系の切手の中は、ポツンとひとつ、平家星が赤く揺れているのが良いアクセントになっていて、結果的に、「つながった冬の星座 この空に消えてかない様に 見つめていたんだよ」という『ORION』の歌詞にもマッチした1枚になっているのではないかと思っています。
 
 
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 深圳の拓荒牛
2015-12-21 Mon 15:52
 中国南部の広東省深圳市で、きのう(20日)、違法に持ち込まれた建設残土の山が崩壊し、38万平米にもおよぶ大規模な土砂崩れが発生し、この記事を書いている時点で行方不明者が91人(死者の有無は不明)に達する大惨事となりました。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中国・深圳経済特区

 これは、これは、1994年に中国で発行された“深圳経済特区”の切手で、深圳の町並みを背景に、拓荒牛像が描かれています。

 深圳は、もともと、ほとんど何もない国境の漁村でしたが、1979年7月、毛沢東亡き後の権力闘争を制した鄧小平が改革開放路線の一環として広東省の深圳、珠海、汕頭ならびに福建省の厦門の華南四都市を“輸出特別区”に指定。その後、1980年8月26日、広東省経済特区条例が公布され、深圳は珠海、汕頭とともに経済特区になりました。

 これらの経済特区では、外国との合弁事業を誘致するため、関税の免除をはじめ、外国企業に対して各種の優遇措置が講じられたほか、それまでの中国では認められていなかった100%の外資企業設立も認められました。

 かくして、1980年代はじめに2万人程度だった深圳の人口は、1980年代末には60万人を越え、2010年には1322万人にまで急成長を遂げました。

 その一方で、かつては深圳といえば、凶悪犯罪の多発地帯にして、環境汚染や交通渋滞、劣悪な住環境、官僚の腐敗などともに深刻な都市として悪名がとどろいており、中国の国務院研究室、公安部、中国社会科学院、労働・社会保障部、監察部などが2004年末に行った調査では、中国の都市のうち、「行政の腐敗」、「治安」、「コピー商品の氾濫」、「貧富の差」という4項目で深圳市が最悪との調査結果が出ていました。最近では、市内中心部の治安状況は相当程度に改善されましたが、今回のような人災のニュースを聞くと、急激な成長に伴うさまざまな歪みは現在なお深刻な状況にあるようです。

 切手に取り上げられた拓荒牛像は、珠海漁女で知られる潘鶴が、1981年、当時の深圳市長の委託を受け改革開放のシンボルとして制作したもので、深圳市役所の前に設置されています。

 なお、かつての深圳に関しては、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 
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 スピッツベルゲン
2015-12-20 Sun 16:12
 北極圏のスピッツベルゲン島西部のロングイェールビーンで、きのう(19日)、雪崩が発生して約10軒の民家が巻き込まれ、1人が死亡、9人が負傷したそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ノルウェー・スヴァールバル

 これは、1925年にノルウェーが発行した“スヴァールバル条約発効”の記念切手です。

 スヴァールバル諸島は北極圏のバレンツ海にある群島で、主島のスピッツベルゲン島をはじめとする不毛の島々から構成されており、スピッツベルゲン島最大の町であるロングイェールビーンは、人口1000人以上の町としても最北に位置しています。

 大航海時代の主役であったスペインとポルトガルが南回りの航路を独占したため、後発組の英国やオランダは北周りの航路を開発せざるを得ませんでしたが、その過程で、1596年、オランダ人探検家のウィレム・バレンツがスヴァールバル諸島を発見。さらに、その近海にホッキョククジラが多数生息していることが明らかになると、1611年、英国が同諸島の主島であるスピッツベルゲン島に大規模な捕鯨基地を設置すると、オランダやドイツ、ノルウェーやデンマークなどがこれに続きました。

 ただし、厳しい自然環境のゆえに沿岸部にしか人が訪れない状況が長らく続き、主島であるスピッツベルゲン島の内陸部に人類が初めて人が踏み入ったのは1896年のことです。

 20世紀以降は石炭の採掘がはじまり、米国、英国、スウェーデン、ロシア、ノルウェーなどの会社が進出するようになると、採掘権争いや労働争議などが起きるようになったため、1920年に調印されたスヴァールバル条約(わが国も原加盟国のひとつです)によって①スヴァールバル諸島をノルウェーの統治下におく、②全ての加盟国は同諸島で等しく経済活動を行う権利を有する、③同諸島は非武装地帯とすることなどが定められました。なお、条約の発効は1925年8月14日のことで、今回ご紹介の切手はそれを受けて発行されたものです。

 第二次世界大戦中はソ連に向けて英国の物資を輸送するルートの途上にあったため、連合国軍はスピッツベルゲン島を占拠しましたが、ドイツも同諸島第2の島である北東島に上陸して気象観測隊の兵士を送り込み、秘密裏に測候所を設置していました。ちなみに、1945年5月、ドイツ本国が降伏した後も北東島のドイツ軍測候所は活動を続け、同年9月4日、同島を訪れたノルウェーのアザラシ漁船の船長に降伏しました。これが、第二次世界大戦で最後に降伏したドイツ軍兵士とされています。

 スピッツベルゲン島といえば、最近では、映画『アナと雪の女王』の原案となったアンデルセンの童話『雪の女王』の舞台とされるとして紹介されることも多いのですが、日本人としては、2008年に世界の農作物種の保存を目的に同島に設置された“スヴァールバル世界種子貯蔵庫”のモニュメントを、日本人彫刻家の田辺光彰が手掛けたことも、同島の話題としてもっと注目されてよいのではないかと思います。

 
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 小さな世界のお菓子たち:メーゼシュカラーチの切手
2015-12-19 Sat 09:41
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第30号(2015年冬秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハンガリー・メーゼシュカラーチ(140)

 これは、2013年にハンガリーが発行したクリスマス切手のうち、天使の形のメーゼシュカラーチを取り上げた140フォリント切手です。

 欧米のキリスト教文化圏でクリスマスの風物詩となっているジンジャー・クッキーは、14世紀頃、現在のベルギーとドイツの国境付近で作られるようになったレープクーヘンがルーツと考えられていますが、レープクーヘンはヨーロッパ全体へ広まっていく過程で、地域ごとにさまざまなヴァリエーションが生じました。

 中欧のハンガリーのジンジャー・クッキーはメーゼシュカラーチと呼ばれており、サクッとした食感が最大の特徴です。

 その基本的な作り方は、薄力粉と粉砂糖、シナモン、クローブ、ショウガ、重曹をベースに、湯煎したハチミツに無塩バター、そして卵を加えて作った生地を焼くというものですが、焼き立てよりも、焼いてから2-3日後が食べごろになります。

 古い時代のメーゼシュカラーチは装飾のない素朴な姿のものでしたが、現在では、今回ご紹介の切手に見られるように、アイシングで装飾を施したものが主流となっています。切手にはハンガリー語で“クリスマス”を意味する“KARÁCSONY”の文字が入っており、写真では少しわかりづらいですが、それぞれクッキーの形に合わせて型抜きされたシール式になっています。

 ところで、メーゼシュカラーチは、もちろん、食べるためのものですが、日持ちがすることから、リング状に焼いて、クリスマスを迎えるためのアドヴェント・リース(の土台)として用いられることもあります。

 アドヴェントというのは、クリスマス前の最後の日曜日からさかのぼって4週間目の日曜日(11月下旬)から始まる“待降節”のこと。日本でも一般的に見られるクリスマスのリースは玄関のドアなどに架けるだけですが、アドヴェント・リースには4つの穴があけられており、そこにキャンドルが立てられるようになっています。キャンドルには、順に、信仰、希望、愛、喜びの意味が付けられており、クリスマスまでの日曜日ごとに1本ずつ点灯していくことで、人々は、徐々にクリスマス本来の信仰心を盛り上げていくそうです。なお、キャンドルの色は、最初の3本が紫色、4本目が桃色というのが定番で、12月24日のクリスマス・イヴには4本のキャンドルの光がすべて揃い、大いに雰囲気を盛り上げます。その傍らには、ぜひ、メーゼシュカラーチの切手が貼られたクリスマス・カードも飾っておきたいですね。

 なお、ハンガリーの伝統的なクリスマスのお菓子としては、メーゼシュカラーチ以外にも、ベイグリと呼ばれるロールケーキがあります。日本ではロールケーキというとクリームをスポンジ生地で巻いたものが一般的ですが、ベイグリは、ハンガリー特産のケシの実をベースに、クルミやレーズンなどのドライフルーツやナッツを練り込んだペースト状のものを小麦粉のケーキ生地で巻いており、硬く焼いてクッキーのような食感にしたものもあります。


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 日韓基本条約発効50年
2015-12-18 Fri 12:02
 1965年12月18日に日韓基本条約(同年6月22日調印)が発効し、両国の国交が正式に樹立されてから、きょうでちょうど50年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      京城残置貯金問い合わせ(通信事務)  京城残置貯金問い合わせ(手紙)  京城残置貯金問い合わせ(回答)

 これは、1945年12月4日に京城(現ソウル)から岐阜県に引揚げてきた山本重雄(以下、敬称略)が、京城時代の貯金通帳の再交付(再発行)に関して、1946年12月10日付で逓信省貯金保険局に訴え出た手紙(の一部・画像中)と、それに対する貯金保険局側から回答文(画像右)、そられを送ってきた通信事務の封筒(画像左)です。

 まずは、山本の手紙を書き起こしてみます。

 御願
 私は昨年十二月四日朝鮮京城を引揚げ帰還せる者(に)有ります処、出発当日在鮮中多年親交ありたる当時京城府中区若草町に居住せる竹内義市を申(す)者が見送りに来り曰く郵便貯金通帳は途中掠奪され又は紛失せし者往々ある由に付自分は妻と共に許さるれば永住の覚悟に付預り置(き)情勢が緩和し郵便為替又は旅行等も出来得る様になれば送付すると申出たるを以て左記郵便貯金通帳(外に家族名の京城南大門金融組合の預金通帳等)を同人に託し置(き)出発したるに其の後一月以降数回に亘り同人へ通信せしも何れも転居先不明とて局より返戻あり(。)一方京城の槇様を聞くに京城在住者は二月中に概ね引揚たりとのことなりしも本人より何等の通信来らす(ず)不審に思ひ爾来八方手を尽し居所を探しことありしに最近福島に居住せること漸く判明せしを以て同地に態し出張し尋ねたるに果して在住し居り本件を面会したるに殊に申訳なきことなれと(ど)も引揚直前に鮮人に掠奪されたとのことに驚き入りたる次第に御座い(ます。)而して小生引揚後同人が京城金町一丁目郵便局に出頭したるに本人は昨年十二月四日旅費XXXXX宛四人分即ち金四千圓也を支払ひあり(。)本人は即日内地に引揚Xに付当局にては支払不能とのことに更にXXXX得さりしと申候
 以上の次第に付左記貯金通帳をX御手数ながら

 手紙の内容を要約すると、

 ①山本は、引揚げに際して、現地在住の知人である竹内義市から「引揚者は途中で貯金通帳を略奪されることが往々にしてあるし、自分は京城に永住するつもりなので、情勢が落ち着くまでは通帳を預かっても良いが…」と持ちかけられて通帳を渡したところ、その後は梨の礫となってしまった
 
 ②不審に思って調べたところ、竹内は福島に引揚げていることが判明。

 ③そこで、竹内を問い質したところ、竹内は引揚げ直前に貯金は朝鮮人によって略奪されたと主張。

 ④山本の照会に対して、京城金町一丁目の郵便局では、同人(を名乗る人物)に正規の手続きをもって払い出しを行ったので、再度の支払いはできないと返答した。

 現在となっては手紙の内容の真偽を確認するのはほぼ不可能でしょうが、終戦前後の混乱の中で、現地の朝鮮人の一部が朝鮮から引き揚げる日本人の資産を略奪していたということは事実であり、そうした状況が広く知られていたこと、さらにはそれを悪用して同胞の資産をだまし取る日本人もいたことを伺わせるエピソードといえましょう。

 いずれにせよ、生活に困窮した山本は逓信省貯金保険局に対して、貯金通帳の再交付を求めるわけですが、それに対する貯金保険局の回答は以下のようなものでした。

 今回朝鮮記號郵便貯金通帳の紛失及び京城口座振替貯金の取扱について御申出になりましたが、目下のところ朝鮮官廳との連絡が不可能なため、取調べることも又通帳を再發行することも又振替貯金口座の殘額を振出したり、口座を内地へ移轉することも出來ないばかりでなく、將來の取扱方の見透しもつき兼ねますから、ご事情は甚だ御氣の毒ですが右悪しからず御諒承の上、右通帳に預入した貯金及び振替貯金の現在高は在外財産として、最寄りの日本銀行支店又は同代理店を通じて報告して下さい。

 要するに、日本政府としては、終戦後、朝鮮に残された日本の在外資産については、一応、申告を受け付けて記録には残すものの、現実にはどうしようもないという返事でした。おそらく、似たような事例は数多くあったものと思われます。

 いずれにせよ、こうした状況の下では、朝鮮に残してきた自分の資産を返してくれというのが(引揚げてきた)日本人としては自然な感情であって、“植民地支配を反省”して、朝鮮(人)に対して“謝罪と賠償”を申し出るという発想は出てこないのが自然だろうと思います。このことは、日韓国交正常化交渉が10年以上にもわたって大揉めに揉めた一つの要因でもあったわけで、じっさい、1953年10月の交渉では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」と発言して、韓国側が激昂する一幕もありました。ちなみに、日本が朝鮮半島から撤退する際に現地に残した資産は、当時のレートで、53億ドル相当と見積もられています。

 最終的に、1965年12月18日付で発行した日韓基本条約では、その付随協約である「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」において、日本は韓国に対し、朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄することとされ、山本の貯金が彼の元に戻ってくる可能性は完全に消滅することになりました。なお、同協定では、約11億ドルの無償資金と借款を援助することも規定されており、これが、“漢江の奇跡”と呼ばれるその後の韓国の経済成長の原資(の一部)となったことは広く知られています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 春日若宮社の銀鶴
2015-12-17 Thu 12:15
 きょう(17日)は、春日大社の摂社(本社に縁故の深い神を祀った神社)、若宮社の祭祀である春日若宮おん祭の日です。というわけで、春日若宮社といえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      銀鶴・見本

 これは、1981年7月10日に発行された100円切手の見本で、春日若宮社の銀鶴が取り上げられています。

 若宮社は、1135年に創建で、春日大社の主神の天児屋根命(建国神話の岩度隠れに際して、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに八咫鏡を差し出した神)に対して、摂社として御子神(親子関係にある神のうちの子の神)の天押雲根命を祀っています。その創建には、藤原摂関家がこれに深く関わっています。この年から1137年にかけ、右大将藤原頼長(のち左大臣)らが中心になり、古神宝を本社の春日大社に奉納しました。それらを総称して若宮御料古神宝類といい、そのうち、今回ご紹介の銀鶴を含む49点が国宝に指定されました。

 切手に取り上げられた銀鶴は高さ13センチ、胴部は上下2枚のやや厚手の銀板を槌出して作られたもので、翼など羽毛の線には鋤彫が施してあり、頭部と両足は別材で継ぎ足しています。足の下には柄(ものを継ぐとき、一方の材に作った突起状のもので“ほぞ”と読みます)のある留金が突出しており、室内の飾りとして何らかの台の上に置かれていたものと考えられています。また、御子神の玩具として納められたともいわれています。


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 岩のドームの郵便学(36)
2015-12-16 Wed 09:04
 ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』592号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年代初頭までのギニアについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ギニア・パレスチナ人民との連帯

 これは、1981年にギニアが発行した“パレスチナ人民との連帯”の切手です。

 第二次大戦後、アフリカのフランス植民地では民族運動が活発になり、ギニアでも、郵政職員出身のセク・トゥーレが、1947年にアフリカ民主連合(仏領西アフリカおよび赤道アフリカにまたがる植民地横断の連合政党)の支部としてギニア民主党(PDG)を結成し、激しい独立運動を展開していました。

 一方、フランス本国は、1958年に第五共和政憲法を公布し、本国と植民地の関係を、共和国(本国・海外県・海外領土)と共同体構成国からなるフランス共同体に改編し、共同体構成国には、外交・国防・通貨・経済などの権限を除き、大幅な自治を認めることとします。

 同憲法の可否をめぐり、1958年9月25日、仏領西アフリカ全域で国民投票が実施され、ほとんどの仏領諸国はこれを受け入れ、この時点ではフランス共同体内の自治共和国となりましたが、唯一ギニアのみは、賛成5万6981、反対13万6324で新憲法にノンを突き付け、10月2日に完全独立しました。

 この結果に激怒したフランスは、ギニアの独立は認める一方、ギニアとの国交を断絶して一切の援助を停止。そればかりか、植民地時代に建設した道路などの公共インフラを破壊し、官公庁の書類はもちろん、机や椅子、さらには便器にいたるまですべて破壊ないしは持ち去っていきます。

 独立に際して、初代大統領となったトゥーレは「隷属の下での豊かさよりも自由のもとでの貧困を選ぶ」と高らかに宣言しましたが、新生ギニアの国家機能は麻痺状態から出発。豊富な水と地下資源に恵まれていたはずのギニアはあっという間に世界最貧国に転落しました。

 このため、トゥーレはソ連・中国の支援を受けて難局を乗り切ろうと考え、社会主義路線を採択しましたが、非効率的な社会主義路線は、腐敗・汚職の蔓延とも相まって、ギニアの経済状況をいっそう悪化させるだけでした。

 国民の不満に対して、トゥーレはPDG一党独裁下で反対派を徹底的に弾圧するなどの恐怖政治を展開。500万人と言われた人口のうち、200万人がセネガルなど隣国に難民として脱出します。

 しかし、さすがに独立後10年以上も上述のような惨状が続くと、トゥーレも背に腹は代えられなくなったため、一党独裁体制を維持したまま次第に西側諸国にも接近するようになります。そして、1975年にはフランスとの国交を回復し、1979年には当時のフランス大統領ジスカールデスタンの訪問を受け入れました。

 しかし、フランスとの国交回復とジスカールデスタンのギニア訪問は、建国以来の路線を大幅に修正するものとして、独裁者トゥーレの権威を大きく傷つけました。そこで、1978年、トゥーレは国名を“ギニア共和国(République de Guinée)”から“ギニア人民革命共和国(République populaire révolutionnaire de Guinée)”に変更。国名にあえて“人民革命”の語を加えることで、自らの革命路線に誤りはなく、以後もPDGによる一党独裁体制は維持されることをアピールしています。

 今回ご紹介の切手は、こうした背景の下で発行されました。

 さて、ギニアは、フラニ族、マリンケ族、スースー族、クペレ族、キッシ族、ジュラ族など約20の民族で構成されていますが、アラブではなく、アラビア語が日常的に使用されることもありません。

 しかし、ギニアは東側諸国の一員として、1967年の第3次中東戦争後、イスラエルとの国交を断絶していたことに加え、宗教的には人口の85%がムスリムであり、それゆえ、パレスチナの人民と団結して、イスラムの聖地としての“岩のドーム”をイスラエルから奪還せよという主張には、当事者として賛同しやすい背景がありました。

 さらに、この時期、アフガニスタンでのムジャーヒディーンによる反ソ闘争もあって、パレスチナの解放が、ムスリムの宗教的な義務としてのジハードと結び付けられつつあったことも、この切手の背景にあったと見ることも可能かもしれません。ギニアの独裁者として君臨したセク・トゥーレの権威の背景には、サモリ・トゥーレの曾孫という血統上の要因もあったからです。

 サモリは、西アフリカが小国乱立の群雄割拠の状況にあった1830年頃、マンデ人隊商の家に生まれました。23歳の時、コニアの王セレ・ブレマに仕えて頭角を現し、彼を慕う兵士たちを集めて自立。1867年頃から近辺の征服を開始し、“アルマーミ(信仰の擁護者)”を自称して、1881年までには現在のギニア・マリ・コートジボアールにまたがるイスラム国家として、サモリ第一帝国を樹立しました。

 1891年、フランスは西アフリカ植民地化の過程で、サモリ第一帝国西方のトゥクロール帝国を滅ぼし、サモリ第一帝国に対しても大規模な攻撃を開始。これに対して、サモリはジハードを呼号して果敢に抵抗しましたが、最終的に領土を捨てて領民とともに東方へ撤退し、サモリ第二帝国を樹立します。

 サモリの撤退後、フランスはギニア湾沿岸部を中心にした植民地を建設。これが、いわゆる“仏領ギアナ”の原型で、1898年には、サモリ第二帝国に隣接するシカソ(現在はマリ領)を陥落させ、同年9月にはテントの外で礼拝中だったサモリ本人をとらえてサモリ第二帝国を滅ぼし、ギニア支配を完成させました。なお、捕えられたサモリはフランス支配下のガボンに流刑となり、1900年、気管支炎で獄死しています。

 セク・トゥーレは、こうした曾祖父の権威を最大限に活用することで、ギニアでの独裁権力を維持し続けたわけですが、当初、サモリの歴史的な位置づけは“西アフリカ民族独立運動の先駆者”という点が強調されていました。

 しかし、社会主義と結びついた民族独立運動が、結果的に惨憺たる失敗に終わったことで、従来と同じロジックでは、トゥーレ政権の権威を維持し続けることが困難になってしまったため、サモリがアルマーミであり、ジハードを呼号して戦ったイスラム改革運動の指導者であったという面にスポットを当てることで、トゥーレ政権は、サモリと彼に結びつく自らの権威の源泉を読み替えようとしたものと考えられます。イスラムの聖地としての“岩のドーム”の切手も、そうしたプロパガンダの一環として発行されたとみるのが妥当でしょう。

 なお、この切手が発行されてから3年後の1984年、トゥーレは現職大統領のまま亡くなり、その混乱に乗じて、ランサナ・コンテ大佐が無血クーデターにより政権を掌握します。コンテは社会主義路線を放棄し、自由主義経済への転換を目指しましたが、政治の腐敗や経済難は解消されず、現在なおギニア国家の苦境は続いています。


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 今年の漢字は“安”
2015-12-15 Tue 14:55
 この1年の世相を漢字一字で表す“今年の漢字”が“安”に決まり、きょう(15日)、京都の清水寺で発表されました。というわけで、“安”の字の入った日本切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      交通安全運動(1967)

 これは、1967年5月22日に発行された“全国交通安全運動”のキャンペーン切手です。日本の切手で“安”の文字が表示されたのは、この切手が最初の事例です。

 交通事故撲滅のために全国規模で行われる啓発運動としては、占領下の1948年12月10-16日の1週間、国家地方警察本部(現警視庁)が行った“全国交通安全週間”が最初の事例です。全国交通安全週間は、1952年以降は春秋2回の“全国交通安全運動”になり、現在にいたっています。

 1960年前後から、いわゆる高度経済成長が始まると、日本国内の自動車の数も飛躍的に増加しましたが、それに伴い自動車事故も急増していきました。

 このため、交通事故防止のための意識啓発を目的として、1965年、全日本交通安全協会 (以下、安全協会)の主催、総理府・警視庁・毎日新聞社の後援で「交通安全年間スローガン」が募集されました。これを受けて、同年11月15日、安全協会は東京・赤坂のプリンスホテルで関係者を招いて懇談会を催し、スローガンを普及徹底させるための方策が話し合われます。席上、東京母の会連合会 会長の吉川政枝や日本サイクリング協会専務理事の高田精作から発言があり、キャラメルの箱や封筒、切手、カレンダー、年賀状などを利用した広報活動を行なうべきとの要望意見が出されました。安全協会もこの意見を尊重し、1966年早々には会長の津島寿一の名義で、郵政省に対してスローガン入り切手の発行が申請されています。

 さらに、1966年春の全国交通安全運動に際して、毎日新聞社が交通事故防止アイディアの募集に宮城県在住の収集家・西条記一が交通安全切手の発行を提案し、これが入選となりました。これを受けて、毎日新聞社も、同年秋の交通安全運動にあわせて記念切手を発行することを内々に郵政省にも働きかけたようですが、これは実現しませんでした。

 一方、郵趣界では、1953年に西ドイツで世界最初の交通安全切手が発行されたのを皮切りに世界各国で交通安全切手が発行されていることを踏まえ、以前から、日本でも交通安全のキャンペーン切手を発行したらよいのではないかとの声が根強くありました。特に、1966年12月17日、群馬県桐生郵趣会会長の長女、土岐ゆかり(当時2歳)が自動車事故で亡くなると、土岐の葬儀に参列した収集家の金子康夫や石塚義一の呼びかけで交通安全運動のキャンペーン切手発行を求める声が急速に高まっていくことになります。

 こうした収集家の声を受けて、参議院郵趣友の会の会長で、自らも交通事故の被害者となった経験のある保利茂は切手発行運動の先頭に立っていた金子らに対して次のようにアドバイスしました。

  郵政省がこの切手を独断で決めると警察庁なり自治省の領域荒らしとなる。お役所仕事はうるさいものでそういった筋からの正式発行申請があればよいのだが果たして出ているだろうか 。この運動のもって行きどころは郵政省ばかりでなく自治省なり警察庁なりにもあるのである。さもなくば衆参両院に請願書を送って政府に勧告してもらう方法だ。

 これら各方面からの働きかけにくわえ、1967年の全国交通安全運動は前身の全国交通安全週間から数えて第20回の節目を迎えることもあって、1967年1月23日に開かれた郵政審議会専門委員打合会では、5月の全国交通安全運動 にあわせてキャンペーン切手を発行することが決定されました。

 こうして、1967年5月22日、春の全国交通安全運動の初日にあわせて、横断歩行中の児童と信号機を描いた15円切手が発行されました。今回の切手は、全国交通安全運動の期間中、通常切手の代わりに販売・使用することになっていたため、大きさは通常切手と同じサイズで、通常の記念切手の約5倍にあたる1億枚という発行枚数が設定されました。

 これに伴い、郵政省は全国の郵便局に対して「全国交通安全運動にちなむ郵便切手の発行について」と題する通達(局管周第974号)を発し、以下のように指示しています。

 (1)本切手は、特殊切手として一般の例によって取り扱うものであるが、売りさばき(窓口売りさばき、外務売りさばき、売りさばき人に対する売渡し等をいう。以下同じ)にあたっては、通常の郵便切手とみなし優先的に消化をはかること。ただし、買受人から通常の十五円郵便切手の売りさばき方を特に要望された場合はこの限りではない。
 (2)発行後、二ヶ月を経過しなお残品がある場合においても一般の例による返還または管理換えの措置を取ることなく完売まで売りさばきを継続すること。
 (3)分任局については、42請求年度十五円通常切手定期請求数の一部とみなして交付する。したがって42請求年度定期請求書交付決定数に対して、本切手の送付数だけ十五円通常切手の送付数を減ずる。

 こうして、今回の切手は大々的に売り出され、社会的にも大きな関心を集めることになり、一般のマスコミでもいろいろな角度から取り上げられています。

 このうち、切手のデザインを問題にしたのが1967年5月27日付の『東奥日報』で、同紙の社会面コラム「北と南」には、女性読者からの指摘として、以下のような批判が掲載されています。

 本紙の女性読者からこの切手の図案にミスがあるという投書、横断歩行中の児童が左手をあげているが、普通横断する場合は右手をあげるよう学校で指導しているはず――というもの。学童が見た場合、日ごろの交通指導に疑問を持ちはしないかと心配していた。

 一方、1967年5月29日号の『週刊サンケイ』には、次のような記事が取り上げられています。

  日本でははじめて、世界でも珍しい「交通安全記念切手」が22日から売り出される。1枚15円、1シート100枚1億枚という大量発売なので急の利殖にはむかないのかもしれないが、売り切れぬうちにどうぞ

 切手を利殖の手段と信じていた人々が、記念切手の発行初日に郵便局に行列を作るという光景が当たり前のように見られた時代ならではの文章といってよいでしょう。

 ところで、今回の切手は色検知枠が初めて取り入れられたものとして、切手史上において重要な位置を占めています。

 郵便の自動化を実現するにあたっては、当初、郵政省は大型郵便物(定形外郵便物)を排除する“選別”、郵便物の表裏の“取り揃え”、そして“押印”が重要な課題となります。その際、“取り揃え”と“押印”をするためには、機械の切手検知部分で郵便物の料額印面を検知できるような特定の切手ないしは印面を使うことが必要です。

 当初、郵政省では、そのシステムとして燐光を塗った切手を検知する方式の機械を採用する予定でしたが、当時の日本国内では適当な燐光インクが製造されていなかったため、蛍光インクに対応した機械の試作が行われました。その担当は日本電気で、同社は1965年になって燐光切手検知式の自動取り揃え押印機を製作し、大宮局に機械を配備して実用に向けた実験を開始しました。このとき使われたのが、いわゆる発光切手です。

 これと併行して、同年、郵政省は日本電気、東芝、日立の3社に郵便番号の自動読み取りについての研究を委託していましたが、それに対する東芝の報告書の中に、切手に発行印刷するのではなく、切手の一定の部分を一定の色にしておくことで切手を検知するシステムが提案されていました。

 当時の郵政省にとって、発行切手の実用化に向けての大きな障害の一つが、通常の切手より1割程度割高になるという製造コストの問題でした。このため、郵政省は東芝に対して「切手の色、濃淡による検出」をいう課題の研究を委託。これを受けて、東芝の中央研究所では、切手のマージンの白地の中に鮮明な色の印面を作り、その部分をレンズおよびスリット(すき間)で受光して、検地するというシステムを開発します。

 当初、東芝は、検知部分として切手の印面に水平で幅0.5ミリ以上の3本の検知線を入れるという方式を提案しましたが、これではデザイン上の制約が大きすぎる上、切手が横に貼られた封筒には対応できないため、最終的に、検知部分の枠取りをするという方式が採用されています。

 こうして、1966年10月、東芝は色検知式の自動取り揃え押印機TC-1型(機能実験機)を製作。この実験機は翌1967年6月から川崎局(神奈川県)に設置され、実際の郵便による実験が行われることになりました。

 今回ご紹介の全国交通安全運動の切手は、この実験開始に先立つ5月22日に、色検知切手の第1号として発行されたもので、その後、同年7月1日に発行された“きく”の通常15円切手を皮切りとした色検知方式対応の切手の先駆けとなったわけです。


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 南極の日
2015-12-14 Mon 11:02
 きょう(14日)は、1911年12月14日にノルウェーの探検家・アムンセンと4人の隊員が人類で初めて南極点に到達したことにちなみ、“南極の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ノルウェー・アムンゼンの南極到達

 これは、1961年にノルウェーが発行した南極点到達50周年の記念切手で、南極点に立つアムンセン一行が描かれています。

 19世紀末のフリチョフ・ナンセンによる北極探検に刺激を受けて探検家になることを決意したロアール・アムンセンは、1897-99年にかけてベルギーの探検船ベルジカ号の航海士として南極海の航海に参加。流氷に閉じ込められ、結果的に、世界最初の南極越冬を体験することになりました。

 1903年、アムンセンは大西洋側からアメリカの北を回って太平洋側へ抜ける“北西航路”の航海の横断に向けて出発し、北極諸島を横断してアラスカに到達。1906年、3度の越冬の後、ベーリング海峡を通過し、アラスカ太平洋岸のノームに入港し、史上初の北西航路の横断航海に成功します。

 さらに、アムンセンはナンセンが北極探検に浸かっていたフラム号を譲りうけて北極点到達を目指しましたが、1909年4月6日にロバート・ピアリーが北極点に到達すると、目標を南極点に変更。1910年8月、ノルウェーを出航し、1911年1月14日、南極大陸に上陸。フラムハイム基地を建設し、越冬と探検の準備の後、4台の犬ぞりで同年12月14日、人類初の南極点到達を達成。翌1912年1月25日、フラムハイムに帰還しました。

 南極探検から帰還した後も、アムンセンはドルニエ・ワール飛行艇や飛行船ノルゲ号による北極点通過を行い、人類初の両極点到達など、探検家として精力的に活動していましたが、北極を飛行機で探検中の1928年、近くで遭難したイタリア探検隊の捜索に向かう途中で行方不明となり、現在にいたるまで、その遺体は発見されていません。


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 太平島
2015-12-13 Sun 11:31
 台湾内政部(内政省に相当)は、きのう(12日)、南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島の台湾が実効支配する太平島で、埠頭の拡張と灯台の完成式典を開きました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・太平島

 これは、1996年に台湾が発行した太平島の切手です。

 太平島は南沙諸島北部に位置する同諸島最大の島で、面積は約0.49平方キロメートル。サンゴ礁で構成された東西に細長い島です。台湾の実効支配下に置かれており、行政上は高雄市旗津区中興里に属しています。また、台湾の領土としては最南端の地となります。

 記録によれば、1907年に日本漁船が付近で操業を開始。その後、1929年に日本の業者が硫黄の採掘を始めたものの、世界恐慌の影響を受けて間もなく採掘は中止されました。そこへ、1933年、当時、インドシナを支配していたフランス軍がここを占拠しましたが、その後、日本が奪還して台湾・高雄市に編入。第二次大戦中の1944年には日本海軍の潜水艦基地がおかれていました。

 こうした経緯から、日本敗戦後の1945年12月、中国国民政府(以下、国府)は広東省に“南沙管理処”を設置したのに対して、1946年10月、フランス軍は西鳥島および長島に上陸。その後、この地域の帰属をめぐり中仏協議が行われる予定でしたが、第一次インドシナ戦争が勃発したこともあり、協議は行われないままに放置されました。

 こうした状況の下で、1946年11月、国府は“太平号”など4隻の軍艦を南沙諸島に派遣。このとき、太平号が接収事務をおこなったことから、中国語での島名が“太平島”と命名され、台湾省ではなく、広東省に編入されました。

 国共内戦後、国府が台湾に撤退するなかで、1950年にはフィリピンが太平島に進出して硫黄の採掘を行いましたが、1956年に台湾が奪還。以後、台湾による実効支配が続いていますが、他の南沙諸島同様、大陸の中華人民共和国(以下、中共)、フィリピン、ヴェトナムが領有権を主張しています。

 太平島は、台湾にとってはシーレーン防衛の要衝であり、警備のため海軍陸戦隊員や海岸巡防署員が常駐しています。また、2008年2月には民進党の陳水扁総統が総統として初めて同島を訪問したこともあり、今回も馬英九総統が式典に出席する計画があると報じられていました。しかし、南シナ海問題で米中の緊張が続く中で、総統の出席は中共を刺激する可能性があると米国が難色を示したことで、総統の訪問が見送られたといわれています。

 ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられているのは1980年1月12日に建立された“南疆鎖錀”の碑で、その直後の2月16日、中華民国行政院は、太平島を高雄市旗津区に帰属させることを発表しています。


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 中華帝国100年
2015-12-12 Sat 10:54
 1915年12月12日、中華民国大総統の袁世凱が皇帝に即位し、国号を中華帝国に改称してから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中華帝国開国(5角)

 これは、袁世凱の帝政実施の記念切手として準備されていたものの、結局、発行されないままに終わった3種セットの記念切手のうちの50分切手(の見本)です。

 1912年1月、清朝が倒れて中華民国が発足すると、その実権を握ったのは軍閥の袁世凱でした。

 袁は一貫して、中央の元首が強権を振るうことで初めて中国の混乱を収拾できると考えていました。この点では孫文も同意見です。これに対して、革命後、最高権力者の権限を制限し、議院内閣制を求める国民の声は次第に強まっていくのですが、袁はこれを無視して強権的な政治を行い、1913年には孫文らが起こした反袁の第2革命を封じて、国民党の解散命令を出したうえで、国会内の国民党議員を全員解職しました。

 1914年、第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦を布告。当時、中華民国は局外中立を宣言していましたが、9月2日、日本軍は「膠州湾租借地ヲ支那國ニ還付スル」ためという大義名分を掲げて山東半島に上陸し、11月7日には青島を占領しました。しかし、その後は対華21ヵ条要求をつきつけ、旧ドイツ租借地の権益を日本が継承することを中国側に認めさせています。一方、外交の失策と革命後の混乱に憤激した国民の間には、袁の専制を批判する動きが急速に広がっていきました。

 こうした不安定な状況の中で、袁が起死回生の一手として持ち出したのが帝政の復活です。1915年12月12日、彼は、翌1916年より年号を洪憲(憲法を広めるという意味を込めてつけられた名前です)と定め、国号を“中華帝国に改める(ただし、英文の呼称は中華民国を意味する“Republic of China”のままでした)”ことを宣言しました。強力な立憲君主制を導入すれば、国内の混乱は収拾できるというのは彼の目論見だったわけです。

 しかし、結果は予想と正反対のものとなり、北京では学生の反帝政デモが頻発。地方の軍閥はこれを口実に次々と反旗を翻し、国際世論も彼を批判するなど、袁は完全に孤立してしまいます。かくして、彼は1916年3月に慌てて帝政復活の取り消しを宣言したものの、政権は完全にレームダック化。同年6月、失意のうちに亡くなりました。結果的に、彼もまた、“驕れる者は久しからず”という道理から逃れられなかったということなのでしょう。

 こうして“中華帝国”が短命に終わったことで、準備されていた“中華帝国開国紀念”の切手も発行されずに終わり、現在では、今回ご紹介のように“SPECIMEN(見本)”と加刷したものが少数のみ市場に出回っています。


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 中村屋のボース
2015-12-11 Fri 12:31
 安倍首相は、きょう(11日)から3日間の日程でインドを訪れ、明日(12日)、モディ首相と会談します。日印両国は毎年、首脳が相互に訪問しており、両首脳が個別に会談するのは今回で5回目だそうです。というわけで、日印友好ネタということで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・中村屋のボース

 これは、1967年にインドで発行された“中村屋のボース”ことラス・ビハリ・ボースの切手です。

 ラス・ビハリ・ボースは、1886年、英領インド帝国支配下のベンガルに生まれ、シャンデルナゴル(チャンダンナガル)とコルカタ(カルカッタ)の学校で学んだ後、デヘラードゥーンの森林研究所で事務員となりました。その後、インド国民会議に参加して独立運動に身を投じましたが、チャールズ・ハーディング総督暗殺未遂事件や、1915年のラホール蜂起の首謀者とされたため、日本に亡命しました。

 日本でのラス・ビハリ・ボースは東京を拠点に活動していましたが、来日4ヶ月後、日本政府は英国の要求に応じて国外退去を命じます。このため、彼は新宿中村屋の相馬愛蔵に匿われ、中村屋のアトリエに隠れて過ごしました。その後、日本政府は頭山満や犬養毅、内田良平などの働きかけもあり、国外退去命令を撤回しますが、英国の追及は1918年末まで続き、ラス・ビハリ・ボースは日本各地を転々とせざるを得ませんでした。

 なお、1918年、彼はかねてから恋仲にあった相馬夫妻の娘、俊子と結婚し、1923年には日本に帰化。中村屋が1927年に喫茶部を新設する際、相馬夫妻に本格的なインドカレーを出すよう強く進言し、みすから、同店の名物メニューとなった“純インド式カリー・ライス”の開発にも関わりました。

 その後、日英間の緊張が高まると、“中村屋のボース”は日本政府や軍部とのコネクションもあり、インド国外における独立運動の有力者の1人となります。さらに、1941年12月の日英開戦後、日本が占領したマレーやシンガポールでは、捕虜となった英印軍将兵の中から志願者を募ってインド国民軍が編制され、モーハン・シンがその司令官に就任します。これと前後して、ラス・ビハリ・ボース率いる“印度独立連盟”と、同じくシンガポールやバンコクを拠点に独立運動を行っていた“インド独立連盟”が合流してインド独立連盟が設立され、ラス・ビハリ・ボースは初代議長に就任しています。

 しかし、インド国民軍の司令官に就任したシンにはその地位に見合った能力がなく、軍内は混乱。このため、インド独立連盟はインド国民軍を管轄下に収めて、シンを司令官から罷免して事態を乗り切ろうとしましたが、その過程で、ラス・ビハリ・ボースはすっかり消耗して体調を崩してしまいます。そして、1943年7月4日、シンガポールで開催されたインド独立連盟総会において、ラス・ビハリ・ボースは、インド独立連盟総裁とインド国民軍の指揮権をスバス・チャンドラ・ボースに移譲し、自らはインド独立連盟の名誉総裁となりました。

 その後、ラス・ビハリ・ボースとチャンドラ・ボースは日本政府の援助を受けてシンガポールに自由インド仮政府を樹立。ラス・ビハリ・ボースも、同政府首班のチャンドラ・ボースとともにその指導者の1人となりましたが、1945年1月21日、体調の悪化により日本で客死。日本政府はその死に際し、勲二等旭日重光章を授与してラースの功績を称えました。なお、同年6月の沖縄戦では、長男で陸軍中尉だった防須正秀も戦死しています。


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 世界の国々:ソ連
2015-12-10 Thu 14:54
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年12月9日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はソ連の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・戦艦ポチョムキン

 これは、1965年に発行された映画『戦艦ポチョムキン』の切手です。

 1925年にソ連で制作・公開された映画『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督)は、1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を描いたもので、特に、「オデッサの階段」と呼ばれるオデッサ市民の虐殺場面は映画史上、最も有名なシーンの一つとされています。視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いるモンタージュ技法を駆使した映像は、映画芸術に革命をもたらした画期的な手法として、後の映画制作に大きな影響を与えました。切手は映画の水兵と戦艦を組み合わせたデザインとなっており、公開後40周年にあたる1965年に発行された1枚です。

 さて、 『世界の切手コレクション』12月9日号の「世界の国々」では、ロシア革命後のシベリア出兵と第二次大戦末期のソ連の対日参戦についての長文コラムのほか、アムールトラスプートニク1号の打ち上げ成功社会主義陣営の首領としてのスターリン、冬季五輪の開催地となったソチのマテリアルなどもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、1週お休みをいただいて、次回は12月16日発売の12月23日号でのノルウェーの特集になります。こちらについては、12月23日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 聖なる扉オープン
2015-12-09 Wed 11:41
 カトリックでは、“無原罪の御宿り”の祭日にあたるきのう(8日)から、2016年11月20日までの“いつくしみの特別聖年”が始まり、ヴァティカンのサンピエトロ大聖堂では、聖年の開幕を告げる“聖なる扉”の開扉式が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴァティカン・聖年(1950・開扉)

 これは、1950年の聖年に際して、1949年12月21日にヴァティカンが発行した切手で、教皇ピウス12世による“聖なる扉”の開扉式の場面が取り上げられています。

 聖年はカトリック教会において、「ローマ巡礼者に特別の赦しを与える」とした年のことで、教皇ボニファティウス8世が1300年を聖年と定めたのが最初です。以後、原則として25年ごとに聖年が設けられており、前回の聖年は2000年でした。ただし、今回のように、その時々の教皇の判断により、随時設定することも可能とされています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたピウス12世は、1876年、ローマ生まれ。教皇庁の外交官としてキャリアを積み、1939年から1958年まで教皇となりました。彼の在位期間は、ちょうど第二次大戦前後の時期に重なっており、ヴァティカンが国家としてナチスによるユダヤ人迫害を明確に非難しなかったことで、戦後、批判を受けることになりました。その一方で、教皇本人は積極的にユダヤ人を保護しており、たとえば、イタリアの敗戦に伴ってドイツ軍がローマを占領した際には、多くのユダヤ人をヴァティカンに匿い、ヴァティカンの市民権を与えています。この功績により、戦後、イスラエル政府はピウス12世に「諸国民の中の正義の人」賞を授与しました。

 さて、サンピエトロ大聖堂に入る扉には、“聖なる扉”、“秘蹟の扉”、“中央の扉”、“善と悪の扉”、“死の扉”の5つがありますが、このうち、“聖なる扉”は通常は閉ざされており、開かれるのは聖年の期間にのみです。カトリックでは、“聖なる扉”を通った者は“罪の償い”が免除されることになっているため、来年11月までの聖年の期間中、例年以上に多くの信徒がヴァティカンを訪れることが予想されています。


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 カナダガンの駆除完了
2015-12-08 Tue 21:45
 環境省は、きょう(8日)、生態系に影響を及ぼす特定外来生物のカナダガンを全て駆除したと発表しました。日本で特定外来生物の根絶に成功したのは、これが初めてです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カナダ・カナダガン(1952)

 これは、1952年にカナダが発行したカナダガン(カナダガモとも)の切手です。
 
 カナダガンは、北米のカナダと米国北部に生息する黒や茶色の頭と茶色の羽を持つガンで、体長は約110cmの北米ではありふれた鳥です。

 日本国内では、1985年、静岡県富士宮市で初めて発見され、関東地方を中心に各地に定着。ピーク時の2010年には約100羽が確認されており、繁殖力が強いため、爆発的に繁殖して在来のガンとの交雑や稲の食害が懸念されていました。このため、市民団体が2010年から駆除を進め、環境省も2014年に特定外来生物に指定。今月4日までに成鳥計79羽が捕獲、卵約150個が取り除かれました。

 なお、環境省は今後もカナダガンに対する特定外来生物の指定を継続し、引き続き、飼育や輸入の禁止対象とするそうです。


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 国際民間航空デー
2015-12-07 Mon 21:43
 きょう(7日)は、1944年に国際民間航空機関(ICAO)の設立を定めた「国際民間航空条約」の署名が行われたことを記念した国際民間航空デーです。というわけで、最近入手したばかりのエアメールの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・クラッシュカバー(1966)

 これは、1966年3月4日、東京国際空港(羽田空港)への着陸直前に墜落したカナダ太平洋航空402便のダグラスDC-8-43機に搭載されていた郵便物です。

 事故当時、カナダ太平洋航空402便は、香港・啓徳空港→東京・羽田空港→ヴァンクーヴァー(カナダ)→メキシコシティ→とブエノスアイレス(アルゼンチン)の環太平洋航空路線として、週2便、運航されていました。

 事故機は、1966年3月2日15時14分(現地時間)に啓徳空港を離陸後、日本時間の19時8分に羽田への着陸へ向け降下を開始しました。しかし、当日、日本各地は濃霧に覆われており、陸海空の交通機関が麻痺に陥っており、402便も空中待機の後、19時42分、15分以内に天候回復しない場合、台北(台北松山空港)に着陸することを決定しています。

 その後、視界が回復したため、管制は羽田への着陸を促したものの、その途中で天候は再び悪化。402便は台北への代替着陸を決定しましたが、20時5分、視界が再び回復したことを受けて、管制は402便に対して再度、滑走路への進入を認めました。このため、402便は着陸態勢に入りましたが、着陸直前になって管制官の指示よりも高度が下がり、20時15分、右主脚が進入灯に接触。以後、次々に破壊しながら進行して護岸に衝突し、大破し炎上しました。この事故で運航乗務員3名、客室乗務員7名、乗客62名の合わせて72名のうち、乗務員全員と乗客54名の合わせて64名(うち日本人5名)が死亡し、乗客8名が救出されました。なお、この事故では、機体は尾翼を残して全焼しており、犠牲者の多くは事故の衝撃ではなく火災に巻き込まれて亡くなったと見られています。

 今回ご紹介のカバーは英領時代の香港で1966年1月に発行されたチャーチル追悼の切手を貼ってカナダ・モントリオール宛に差し出されたもので、裏面には香港の機械印が薄く押されていますが、切手には消印がかかっていないのが残念なところです。

 カバーは、羽田での墜落・炎上事故によって周囲が焼け焦げた状態で回収され、“Damaged in Air Crash/ At Tokyo 1”の印を押し、配達時には、郵便物はこの状態でカナダに到着したことなどを説明するカナダ郵政の手紙をつけて名宛人に届けられました。その手紙の画像をしたい貼っておきます。

      香港・クラッシュカバー(事情説明)

 焼け焦げカバーの常として、このカバーも周囲が非常にもろくなっているので、とりあえず、オークションでの落札時に入っていたプラスチックのケースからは取り出さずにスキャンを取ってみましたが、左上の“BY AIR MAIL”の部分などは、すでにカバー本体から離れてしまっており、今後、展覧会の出品などで長時間フレームの中に入れておいたりすると、さらに周囲の一部が崩れてきたりする可能性もありそうです。この手のカバーをコレクションに入れている方も少なくないと思うのですが、保存や展示についてのノウハウで、何か良いお知恵がありましたら、ぜひ、ご教示いただけると幸いです。


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 切手に見るソウルと韓国:尹東柱
2015-12-06 Sun 08:04
 ご報告が大変遅くなりましたが、『東洋経済日報』11月13日号が発行されました。今回は、発行日翌日の14日に、韓国の国民詩人とされる尹東柱の没後70年イベントが彼にゆかりの立教大学で行われたのにあわせて、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・尹東柱

 これは、2001年に発行されたミレニアム・シリーズの1枚で、学生服姿の尹東柱の肖像をバックに、彼の自筆原稿から取った「序詩」の一部が組み合わされています。

 尹東柱は、1917年、間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)の明東村でクリスチャンの家庭に生まれました。

 幼少時には龍井(吉林省東南部)、平壌などを転々とし、1938年、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)に入学。在学中の1940年、“平沼東柱”と改名し、1941年12月に延禧専門学校を卒業しました。

 尹は中学時代から詩作を行っていましたが、延禧専門学校の卒業時に自選詩集『空と風と星と詩』の出版を計画。しかし、商業出版としては難しかったことから、小部数のみを私家版として制作し、親しい友人に配布しています。

 詩集の冒頭に置かれた「序詩」は彼の代表作のひとつ。日本語訳として最も評価が高い宇治郷毅の訳によれば、以下のとおりです。なお、デザイン上の理由からだと思いますが、切手には詩のすべてが取り上げられているわけではありませんので、取り上げられている部分は赤字にしてあります。

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥なきことを、
 葉かげにそよぐ風にも
 わたしは苦しんだ。
 星をうたう心で
 すべて死にいくものを愛さなくては(*“愛さなくては”の部分の사랑해야지は사のみ切手でも見える)
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。
 今夜もまた星が風にふきさらされる。

 さて、延禧専門学校を卒業した尹は、1942年、日本に渡って立教大学に入学。来日後まもなく「たやすく書かれた詩」など5編を友人に送っています。その後、同年9月には京都に移って同志社大学に入学しましたが、在学中の1943年7月、治安維持法違反の容疑で逮捕されました。

 なお、しばしば、尹の逮捕については、韓国語での詩作が治安維持法に違反したためという説明がなされることがありますが、実際には、韓国語の使用(だけ)を理由に治安維持法違反で逮捕されることはなく、尹の場合も、友人に対して、日本の朝鮮総督府の政策を批難したり、韓国独立の必要性を訴えたりしたことが、「民族意識の鼓吹・民族運動の煽動」にあたるとして、逮捕容疑とされています。

 その後、1944年2月に尹は従弟の宋夢奎ともには起訴され、同年3月、懲役2年の判決をうけて福岡刑務所に収監されましたが、翌1945年2月16日、27歳の若さで獄死しました。

 こうして、生前はほとんど無名のままに終わった尹東柱ですが、1947年、ソウルの京郷新聞に「たやすく書かれた詩」が紹介されたのを機に、翌1948年、詩や散文を集めた『空と風と星と詩』が刊行され、いちやく、その名を知られるようになります。一方、日本では、1984年、伊吹郷が『空と風と星と詩』を邦訳して紹介。その後、いくつかの翻訳が出版されています。ただし、“하늘”の語をそのまま“空”と訳すか、尹東柱がクリスチャンだったことを踏まえて“天”と訳すかなど、専門家の間でも議論が分かれているそうです。

 また、日本統治時代に治安維持法で逮捕され、若くして獄死したという経歴から、尹東柱に関しては、現在の韓国では“民族的抵抗の詩人”として評価されることが多く、「序詩」に登場する“星”についても、小倉紀蔵によれば、韓国人の象徴として「どんな風にも揺らぐことなく耐え、抵抗する確固たる民族の魂を、尹東柱はうたっているのだ。日本によってずたずたにされてしまったが、決してこわれることのない民族の言葉、心、生というものを、星という言葉に託してうたっているのだ」というのが教科書的な解釈なのだとか。

 まぁ、僕のような素人は、素直に字面を追って、詩の抒情性を味わえば十分なのではないかと、ついつい思ってしまうのですが、そういうことを言うと、かの国の学校のテストでは合格点をもらえないんでしょうなぁ。

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 『海難1890』きょうから公開
2015-12-05 Sat 01:38
 日本・トルコ友好125周年企画として、1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件と、1985年のイラン・イラク戦争時のトルコ政府による日本人救援を取り上げた日本トルコ合作映画『海難1890』が、きょう(5日)から公開されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      トルコ・エルトゥールル号(2015)

 これは、トルコが今年(2015年)発行した“エルトゥールル号事件125周年”の記念切手で、そのものずばり、航行中のエルトゥールル号が描かれています。

 1889年、オスマン帝国政府は、1887年の小松宮彰仁親王のイスタンブル訪問の答礼として、オスマン・パシャをスルターン(アブデュルハミト2世)の正使とする親善訪日使節団の派遣を決定。あわせて、軍艦エルトゥールル号の航海演習を行うこととしました。

 しかし、当時のオスマン帝国の海軍政策は海防が中心で、遠洋航海の準備はなく、また、派遣されるエルトゥールル号も1863年建造の木造老朽艦で、海軍としての予算も貧弱でしたから、日本への軍艦の派遣は、オスマン帝国海軍の実力からすると明らかに無謀な試みと見られていました。

 それにもかかわらず、アブデュルハミト2世がエルトゥールル号の派遣に踏み切ったのは、これを汎イスラム主義のプロパガンダにしようという意図があったためです。すなわち、列強諸国の植民地下にあるイスラム地域の主要港を、イスラム世界の盟主であるオスマン帝国の軍艦が寄港すれば、各地のムスリムはこれを歓呼して迎え、その結果として、スルターンの威信は高まると考えたのでした。

 かくして、1889年7月14日、イスタンブルを出港したエルトゥールル号は、苦難の航海を11ヵ月つづけた後、1890年6月7日、横浜に入港。同月13日、オスマン・パシャはスルターンの親書と勲章を明治天皇に奉呈し、特使としての任務を果たします。

 その一方で、長旅でエルトゥールル号は疲弊しきっており、船内の劣悪な衛生環境の中で、乗員にはコレラが流行。親書の奉呈が終わった後も、すぐに帰国できるような状況ではありませんでした。

 このため、一行はしばらく日本に滞在しましたが、9月15日、ようやく横浜を出します。時あたかも台風の季節であり、日本側は天候を理由に帰国の延期を勧告しましたが、オスマン帝国側は帰国を強行してしまいました。日本滞在が長期化すれば、国際社会から「オスマン帝国海軍には帰国の能力がない」と見なされ、スルターンの権威を傷つけることを恐れたためです。

 はたして、9月16日、エルトゥールル号は熊野灘を航行中、暴風雨に遭い、紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突して座礁。機関部に浸水して水蒸気爆発を起こして沈没しました。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする六百名以上が海へ投げ出され、生存者はわずか69名でした。

 事件の報に接した日本側は、官民あげて遭難者の救助と慰霊に全力を尽くし、大島村(現串本町)樫野の住民は、自分たちも台風の最中で食料の蓄えが乏しかったにもかかわらず、浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリを供出。明治天皇は、政府に対し、可能な限りの援助を行うよう指示し、全国から多くの義捐金・弔慰金も寄せられました。

 生存者は、10月5日、東京を出航した日本海軍のコルベット艦「比叡」(“満洲国皇帝陛下御来訪”の記念切手に取り上げられた軍艦は同名の別の船)と「金剛」(シーメンス事件で問題となった軍艦は同名の別の船)に収容され、翌1891年1月、無事、イスタンブルに生還しました。

 これら一連の事件は、その後の、トルコ国民の親日感情の端緒となったといわれており、そのことが、今回の映画化にもつながったというわけです。


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 アマゾネス
2015-12-04 Fri 11:47
 米国のカーター国防長官は、3日、米軍のすべての戦闘任務で女性の着任を認めると発表しました。これにより、現在は男性兵士のみで占められている歩兵部隊や機甲部隊、偵察部隊、一部の特殊部隊など戦闘任務にあたる部隊(計22万人)で、“適性があり基準に達している”女性の配属が認められ、米軍における性別の壁が完全に取り払われることになります。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ベナン・アマゾネス

 これは、1986年にベナンで発行された旧ダホメ王国(現在のベナン共和国の地域を領土としていた国家)の女性戦士軍団アマゾンの兵士を描いた切手です。

 1650年頃に建国された同国は、当初、政治的・軍事的に隣国のオヨ王国に臣従していましたが、奴隷貿易で実力を蓄え、1818年、ゲゾ王の下で自立を果たします。ゲゾは、奴隷貿易に力を入れつつ、奴隷廃止という世界の趨勢に対応すべくギニアアブラヤシの生産に力を入れてパーム油の輸出を奨励。その富によって、富国強兵政策を推進し、王国の絶頂期を築きましたが、その象徴的とされたのが、盛況を誇った女性戦士の軍団“アマゾン”です。

 アマゾンは、もともと、ギリシャ神話に登場する女性のみの狩猟民族で、弓のほか、槍や斧、スキタイ風の半月型の盾で武装し、多くの戦闘で勇猛に戦った武勇伝が数多く残されています。神話によれば、彼女たちは、子を産むときは他部族の男性の元に出向いて交わり、男児が生まれた場合は、殺害もしくは国外追放、障害を負わせて奴隷としたり、父親に引き渡したりするなどして、女児のみを後継者として育てたされています。また、弓を引くため右の乳房を切り落としたとの伝説もあります。今回ご紹介の切手に取り上げられた女性兵士の軍団名アマゾンもこの神話にちなんで命名されたもので、ダホメ王国の戦闘で大いに活躍しました。

 さて、19世紀後半、西アフリカの植民地化を進めていたフランスは、1851年、“奴隷海岸”進出の足掛かりとしてダホメと友好条約を締結していました。しかし、1889年、フランスの影響下にあったウエメの村がダホメの攻撃を受けると、フランスはダホメに宣戦布告。アマゾネス軍団を撃破し、ポルト・ノヴォを保護領とし、コトヌーの関税権を獲得します。さらに、1892-94年には再び戦争を仕掛けてダホメ全域を制圧。ダホメ王ベハンジンは退位を強制され、フランスは王族のアゴリ・バボを新ダホメ王として擁立し、彼に保護領条約を結ばせて、植民地化を完成させています。


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 ローランド・ヒル誕生日
2015-12-03 Thu 09:50
 きょうは、世界最初の切手、ペニー・ブラックの発案者、ローランド・ヒルの誕生日(生年は1795年)です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ローランドヒル・シート

 これは、1938年にリオデジャネイロで開催された国際切手展<BRAPEX>に際してブラジルが発行した記念切手のシートで、単片切手には、ローランド・ヒルとペニー・ブラック、ブラジル最初の切手“牛の目”が描かれています。ローランド・ヒルの肖像が描かれた切手としては、これが最初の1点となります。

 ローランド・ヒルは1795年、イングランド・ウスターシャー州のキダーミンスター生まれ。父親のトマスは社会主義の原型ともいうべき社会改良主義者(ちなみに、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』が出版されたのは、およそ半世紀後の18481年です)で、特に教育改革に興味を持っており、1803年、バーミンガム郊外の廃校を買い上げてヒル・トップ・スクールを開校しました。同校は、それまでにはなかった自由な校風が評判となり、新しい時代を象徴するモデル校と称賛されました。理数系の分野に秀でていたローランドは、12歳の頃から、父親の経営する学校で学びながら、下級生の授業を担当しています。

 ヒル・トップ・スクールの成功に気をよくした一家は、1819年、バーミンガム郊外にヘイゼルウッド・スクールを開校。その運営はローランドを含むヒル3兄弟が中心になっていましたが、当時23歳になっていたローランドは、同校の建築デザインを担当しただけでなく、事実上の責任者として、当時としては珍しかった少人数クラス制を取り入れるなど、革新的な教育を実践しました。そして、その成果を盛り込んだ教育改革案を1822年に発表し、いちやく、教育者・教育改革者として広く知られる存在となります。

 勢いに乗る3兄弟は、1827年、ロンドンに進出し、3校目の学校を北ロンドンのトテナムのブルース・カッスルに開校。ローランドは正式に校長に就任し、キャロライン・ピアソンと結婚するなど、生活も安定し始めました。ところが、良くも悪くも進取の気性に富みすぎていたローランドは、ほどなくして、ブルース・カッスルの校長職を弟に譲り、発明と社会改革の提案に熱中するようになります。

 教育者だったローランドは、バーミンガム時代、文字の読める者が、ロンドンで発行された数日遅れの新聞を大声で読み上げて、人々にその内容を知らせるという光景を日常的に目にして、どんな立派な改革や制度であっても、それを庶民が容易に知ることができなければ意味がないと考えるようになり、情報と通信の分野での確信を目指そうとしたのです。

 当時、彼が特許を取得しようとしたアイディアとしては、たとえば、新聞印刷のための輪転機の原型、モールス信号の原型、道路舗装の原型、郵便物をより早く届けるため、郵便物を弾薬やテューブを使って飛ばす仕組等がありますが、いずれも日の目を見ませんでした。

 ところで、1831年、南オーストラリア会社が設立され、入植希望者への土地の売却が開始されます。こうして、従来の流刑植民地とは異なる、自由植民地(自由意思による移民によって建設された植民地)としての南オーストラリア州が建設されることになりました。

 この機会をとらえ、1832年、ヒルは貧困を解消し、犯罪を減少させるためには、英国内の人口の過密を緩和することが必要で、そのためには、オランダに倣った海外移民政策をすべきと提案します。これが、南オーストラリアでの植民地建設の推進役となっていたエドワード・ウェイクフィールドの目に留まり、1833年、ヒルは南オーストラリア植民地化委員会のメンバーに抜擢されました。同委員会での活動は1839年まで続き、1836年末以降の州都アデレードの建設という形で実を結ぶことになります。

 南オーストラリア植民地化委員会の仕事を通じて、英国政府とのコネクションができたヒルは、過去の経験もあって郵便改革にも強い関心を示し、改革の推進役であったウォレスの知遇を得て、1836年、郵便改革に関する膨大な資料を入手しました。

 それらを子細に検討して結果を踏まえ、1837年1月4日、ヒルは『郵便制度の改革――その重要性と実行可能性』と題するパンフレット(の初版)を刊行。郵便料金が高いため、人口の増加や産業の発展の度合いに比べて郵便の利用が増えない現状を指摘した上で、郵便料金を大幅に引き下げ、書状の基本料金を1ペニーとすることなどを骨子とした郵便改革を提唱。これが、最終的に、1840年5月のペニー・ブラックの発行につながっていくことになります。

 なお、このあたりの事情につきましては、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 世界の国々:モザンビーク
2015-12-02 Wed 10:32
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年12月2日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はモザンビークの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

モザンビーク・英雄広場

 これは、1979年にモザンビークで発行された独立4周年の記念切手で、首都マプートの英雄広場外壁に描かれた巨大な歴史壁画が取り上げられています。

 壁画はポルトガル人の上陸とそれに対する先住民の抵抗を描くところから始まり、独立戦争の末、1975年に独立が達せられるまでを独自のスタイルで表現した印象的なもので、切手は、長大な壁画の一部分を抜き出して再構成しており、左から、①植民地支配下での先住民族に対する虐待、②独立運動組織・モザンビーク解放戦線(FRELIMO)の結成と指導者モンドラーネ、③独立闘争の展開とモンドラーネの死、④最後の戦闘、⑤初代大統領マシェルの独立宣言、の場面が取り上げられています。

 ちなみに、実際の壁画はこんな雰囲気です。

      マプト・英雄広場A  マプト・英雄広場B

 英雄広場はマプートの空港にも近い場所にあって、周辺には軍の施設もあるため、撮影には事前の許可申請が必要です。ところが、2010年にマプートを訪ねた際、僕はそのことを知らずに写真を撮ってしまったため、警備の兵士に咎められ、司令部に連行されて将校の尋問を受けることになりました。

 その時は、ある程度、モザンビーク史についてのにわか勉強をしていましたので、「自分は日本の作家で、日本でモザンビークについての本を書きたいと思っている。いま、たまたま車でここを通りかかったのだが、この壁画を見て非常に感銘を受けた。FRELIMOの独立運動やモンドラーネ将軍、マシェル大統領の活動(ここで、年号やら具体的な事件やらを交えて説明)をわかりやすく表現しており、日本の読者にモザンビークとその歴史を理解してもらう上で、最良の教材だと思うので写真を撮った。軍事機密に触れるものが写っていたらデータは削除するので、ご理解いただけないだろうか」と縷々説明したところ、将校は写真をチェックして問題がないことを確認したうえで、「君のいうことはよくわかったし、わが国のことをよく勉強しているのも感心した。しかし、この場所の撮影には、事前に内務省の許可がいる。次は必ず、事前に許可を取ってきてほしい。必要なら、私の名前を出してもらって構わない」と言われて解放されました。なお、別れ際に、その将校から「本ができたらぜひ1冊送ってほしい」ともいわれましたが、肝心の送り先は聞きそびれてしまいましたし、なにより、現在なお、モザンビークについての本を書くという企画が全く進行していないので、いささか心の痛みを感じております。

  さて、 『世界の切手コレクション』12月2日号の「世界の国々」では、モザンビークの歴史についてまとめた長文コラムに加え、第二次大戦中の日米交換船のマテリアルヴァスコ・ダ・ガマが訪れたモザンビーク島の切手、独立の英雄モンドラーネや日本にも輸出されているエビ漁の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、今週発売の12月9日号では「世界の国々」はソ連の特集で、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。 
     

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