内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界漫郵記:リオデジャネイロ⑥
2016-07-31 Sun 14:52
 『キュリオマガジン』2016年8月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は前回に続き、リオデジャネイロ篇の第6回目。今回は、今週末から始まるリオ五輪の開会式会場となっているマラカナン・スタジアムにフォーカスをあてました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます) 

      ブラジル・バホーゾ生誕100年

 これは、2003年にブラジルが発行した“アリ・バホーゾ生誕100年”の記念切手で、スタジアムを背景にバホーゾの肖像が描かれています。

 マラカナン競技場は、1950年に行われたサッカーW杯のために建設されたスタジアムで、開設当初の正式名称は“リオデジャネイロ市営スタジアム”でした。

 当初、W杯用の大型スタジアムとしては、名門クラブ“ヴァスコ・ダ・ガマ”の本拠地だったサン・ジャヌアリオ・スタジアム(1927年建設。収容人員4万)の増築案も検討されましたが、1947年11月、作曲家でリオデジャネイロ市議のアリ・バホーゾらがダウンタウンにも近いマラカナン地区の競馬場跡地(デルビー)を市が買い取って新スタジアムを建設する法案を市議会に提出。これが可決され、マラカナン競技場が建設されることになりました。

 バホーゾは、1903年、ミナスジェライス生まれ。18歳で故郷を離れ、弁護士をめざしリオに移りましたが、大学在学中に音楽の才能が開花し、作曲家としても多くの歌手に楽曲を提供するようになります。作曲家としての代表作は、映画『未来世紀ブラジル』のテーマ曲として世界的にヒットした「ブラジル(原題は“ブラジルの水彩画”を意味するAquarela do Brasil」を挙げることができます。

 また、バホーゾは作曲家としてラジオ放送局とも深いつながりがあり、本人がCRフラメンゴの熱狂的なサポーターでしたから、サッカー番組のコメンテーターやフラメンゴの試合の実況中継も担当していました。その実況スタイルは、露骨にフラメンゴびいきで、その後のブラジルのサッカー中継のスタイル(コメンテーターや実況者は、どちらのサポーターであるかを明らかにしたうえで、聴衆と一体となって応援する)のモデルとなったことでも知られています。

 さて、1950年のW杯では、開催国として悲願の初優勝を目指すブラジルは、1次リーグを2勝1分で突破。決勝リーグにはブラジルの他、ウルグアイ、スウェーデン、スペインが進出したが、ブラジルは同リーグでスウェーデンを7-1、スペインを6-1の大差で破ってウルグアイとの試合に望むことになりました。

 一方、ウルグアイは、スウェーデンに勝ち、スペインには引き分けて1勝1分の成績でブラジルとの対戦を迎えます。

 運命の1950年7月16日、19万9854人の観客が見守る中、マラカナン競技場で行われたブラジル対ウルグアイの試合では、後半開始2分にフリアカのゴールでブラジルが先制。この時点で、多くのブラジル国民はブラジルの優勝を確信していましたが、ウルグアイは後半21分にスキアフィーノが同点ゴール、後半34分にギジャが逆転ゴールを決め、そのまま試合終了。この結果、ウルグアイが3大会ぶり2回目の優勝を達成しました。

 これが、いわゆる“マラカナンの悲劇”です。

 あと一歩で悲願の初優勝を逃したブラジル国民の落胆は大きく、2人がその場で自殺したほか、2人がショック死、20人以上が失神し、試合を実況していたバホーゾも「サッカーのアナウンスなどという商売はもう金輪際やるまい」と決意したとのエピソードが残されています。

 さて、かねてご案内の通り、8月9日付で、今回ご紹介した雑誌『キュリオマガジン』の連載記事に大幅に加筆して、『リオデジャネイロ歴史紀行』と題する拙著を刊行いたします。すでに、編集作業はすべて完了して印刷・製本の作業が進んでおり、8月3日頃には実物が出来上がってくる予定です。すでに、7月23日のトークイベントにてご予約いただきました皆様には、実物が出来上がり次第、ご指定の宛先にお送りいたします。また、あわせて、8月6日(土)には、東京・日本橋地区で開催の切手市場でも初売りを行う予定ですので、なにとぞよろしくお願いいたします。


 ★★★ 新作 『リオデジャネイロ歴史紀行』 初売りのご案内 ★★★ 

 ・8月6日(土) 09:00- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。

 新作『リオデジャネイロ歴史紀行』の奥付上の刊行日は8月9日ですが、8月3日頃には現物ができあがってくるとの連絡がありました。そこで、さっそく、同書を中心に拙著を担いで行商に行きます。実物の販売は、この日が初売りとなる予定です。ぜひ遊びに来てください。


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 元チャド大統領に賠償命令
2016-07-30 Sat 10:20
 チャドのイッサン・ハブレ独裁政権(1982-90年)下での人道被害を裁くため、アフリカ連合(AU)がダカールに設置した特別法廷は、きのう(29日)、元大統領に対して、被害者1人当たり最高2000万CFAフラン(約340万円)の支払いを命じる判決を下しました。元大統領に対しては、すでに今年(2016年)5月30日、戦争犯罪や人道に対する罪で終身刑判決が下されています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      チャド・ハブレ元大統領

 これは、1984年にチャドで発行されたハブレの肖像切手です。
 
 1960年の独立後、チャドでは、南部出身のキリスト教徒、フランソワ・トンバルバイが初代大統領に就任しましたが、少数派の出身ゆえ国内の政権基盤は脆弱でした。このため、トンバルバイは与党チャド進歩党(PPT)以外の政党を禁止し、一党独裁制を施行するなど、強権的な支配で反対派を抑え込もうとしましたが、これに対して、1965年、南部ゲラ州で大規模な反乱が発生。さらに、1969年にはグクーニ・ウェディひきいる北部のイスラム教徒がチャド民族解放戦線(FROLINAT)を組織して武装蜂起し、チャド国内は内戦に突入します。

 FROLINATが拠点としていたチャド北部のうち、リビアとの国境地帯のアオゾウには豊富なウラン鉱脈があるため、1971年以降、リビアのカダフィ政権はFROLINATを支援して内戦に干渉。1973年にはリビア軍を動員してアオゾウを占拠します。

 一方、1942年生まれのハブレは、幼少の頃から学業優秀であったため、宗主国のフランス植民地省に就職し、軍司令官の推薦を受けてパリの大学に留学していましたが、政治学の学位を取得した後、1971年に帰国し、FROLINATに参加。次第に、FROLINAT内で頭角を現していきました。

 さて、リビアの圧力に屈したトンバルバイは、領土奪還を事実上断念。そして、これに対する国内の不満を抑え込むため、反対派の粛清やヴードゥーへの改宗強制など、従来以上に強圧的な独裁政治を行いましたが、1975年4月13日、軍事クーデターにより失脚。殺害されました。

 クーデター後、フェリックス・マルーム元参謀総長を議長とする最高軍事評議会が政権を掌握。一方、FROLINAT内部はグクーニ派とハブレ派に分裂し、内戦は3派の争いとなります。

 1978年1月、リビアの支援を受けたハブレ派がチャド北部を制圧すると、同年8月、マルーム政権は、ハブレを首相として政権内に取り込みましたが、翌1979年、マルーム派とハブレ派が衝突。このため、周辺諸国の調停により、マルームは辞任。シャワ暫定政権を経て、グクーニが大統領に就任し、ハブレは陸軍相として政権に加わるという妥協が成立しました。

 一般には、これをもって(第1次)チャド内戦はいったん終結したとされています。

 しかし、1980年3月、新政権内の主導権争いからハブレ派とグクーニ派の内戦が再燃。ここに、リビアが介入し、同年12月、リビアの支援を受けたグクーニ派が首都ンジャメナを制圧しました。ところが、ウラン鉱脈を持つチャドにリビアが勢力を拡大することを懸念した米国のレーガン政権は、親リビア派のグクーニ政権を転覆させるべく、ハブレ派を水面下で支援。この結果、事態収拾のため、1981年11月、アフリカ統一機構の平和維持軍がチャドに派遣され、リビア軍が撤退すると、1982年6月にはハブレが大統領に就任します。

 これに対して、リビアはハブレ政権を承認せず、1983年6月、グクーニ派を支援してチャド領内に再侵入したため、米仏とザイールは政府軍を支援して応戦。1984年9月にはフランスとリビアの間で休戦合意が成立し、北緯16度線以北はリビア軍の占領下に置かれました。

 ところが、この結果に不満のグクーニ派が、1986年、リビア軍を攻撃すると、同年12月、政府軍は16度線を越えて進軍し北部チャドを奪回。1987年9月に休戦が成立し、1994年、紛争地アオゾウの帰属は国際司法裁判所の裁定で最終的にチャド領とされました。

 この間、ハブレ政権は反政府勢力に対して、民族浄化など、広範な残虐行為を行い、ヒューマン・ライツ・ウォッチが2001年に発見した政治警察“文書管理・保安局”の文書によれば、1208人が殺されたり拘禁中に死亡したほか、1万1208人が人権侵害の被害を受けたとの記録が残されています。

 1987年の停戦後、ハブレ政権の圧政に対するチャド国民の不満は次第に鬱積していきましたが、1989年4月、ついに、大統領側近によるクーデター未遂事件。この事件で、いったんスーダンに亡命を強いられた政権軍事顧問のイドリス・デビは、リビアの支援を受けて、反ハブレ派を糾合して愛国救済運動(MPS)を結成。1990年12月、首都ンジャメナに侵攻し、ハブレを追放し、デビみずから大統領に就任します。

 その後、デビは現在まで大統領の地位にとどまっていますが、政権が長期化し、その腐敗や圧政が目立つようになると、2004年以降、クーデター未遂や軍幹部・国軍兵士の離反等が相次ぎ、2005年頃より反政府武装勢力の活動も活発化。内政の混乱は解消されていません。

 一方、1990年にセネガルに亡命したハブレに対しては、EUやヒューマン・ライツ・ウォッチにより国際法廷への引渡しが要請され、2006年に引渡しが決まります。これに対して、ハブレの亡命先であるセネガル政府は引渡しを拒否していましたが(このため、2008年にはチャド国内での欠席裁判で、ハブレに対して「国民に対する犯罪」の容疑で死刑判決が下されています)、、2011年、突然、チャドへの身柄送還を発表。これに対して、ハブレの帰国がチャド情勢を不安定化させることを恐れた国連は、ハブレのチャド移送の中止を要請したため、2012年、セネガル政府とAUにより、ダカールに特別法廷が設置されました。

 その後、2016年5月30日に、特別法廷はハブレに有罪を宣告し、人道に対する罪(レイプ、性的奴隷、1982-90年のハブレ政権下での4万人の反体制派への虐殺指示、20万人の反体制派への残虐な弾圧)により無期懲役の判決が下され、これを受けての今回の賠償命令の判決となったというわけです。

 なお、AUは、今回のハブレ裁判に関して、アフリカ大陸で他国の元指導者が有罪を宣告された初のケースとしてその意義を強調していますが、現在のAU議長はハブレの宿敵で現チャド大統領のデビですからねぇ。ハブレ時代の人権抑圧を擁護するつもりは全くありませんが、さりとて、その“意義”を額面通りに受け取るというのも、少なからず抵抗感を覚えますな。


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 教皇、アウシュヴィッツ訪問
2016-07-29 Fri 12:01
 世界中のカトリックの若者が集まる祭典“ワールドユースデー”に出席するため、ポーランドを訪問中の教皇フランチェスコ猊下は、きょう(29日)、オシフィエンチム(ドイツ語名:アウシュヴィッツ)の強制収容所跡を訪問します。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・教皇アウシュヴィッツ訪問

 これは、1979年、教皇ヨハネパウロ2世のアウシュヴィッツ訪問を記念してポーランドが発行した切手です。

 ヨハネ・パウロ2世(本名カロル・ヴォイティワ)は1920年、クラクフ近郊のヴァドヴィツェ生まれ。第二次大戦以前はクラクフのユダヤ人社会に親しんでいたといわれています。

 第二次大戦中の1943年、聖職者として生きることを決意したものの、ドイツの占領下にあったポーランドでは神学校の運営が禁止されていたため、非合法の地下神学校で学び、解放後の1946年、司祭に叙階されました。

 1948年にローマで神学博士号を取得すると、ポーランドへ戻り、クラクフの教区司祭に就任。その後は一貫してクラクフ教区で活動を続け、1964年、パウロ6世によりクラクフ教区の大司教に任命されます。さらに、1967年には枢機卿に親任され、19781年、ポーランド人初のローマ教皇に選出されました。

 教皇就任後まもない1979年6月、ヨハネ・パウロ2世は祖国ポーランドを訪問します。

 1979年は、ポーランドおよびクラクフの守護聖人、聖スタニスワフが1079年にポーランド王ボレスワフ2世によって殺害され、殉教してから900周年という節目の年にあたっていました。

 スタニスワフは、グニェズノ聖堂でボレスワフ2世の戴冠式を司った後、ベネディクト会派修道院をポーランドに設置するよう王に働きかけたものの、土地をめぐる争いから王と対立し、王を破門。これに対して、ボレスワフ2世はスタニスワフをミサの途中で捕えて殺害しましたが、その非道な行為のゆえに臣民の反発を買い、ハンガリーに亡命せざるを得なくなりました。

 スタニスワフは1253年に列聖され、彼の聖遺物を祀るクラクフのヴァヴェル聖堂では歴代のポーランド王が戴冠式を行いました。20世紀に入ると、彼が亡くなったとされる5月8日には、クラクフ司教の先導により、彼にささげる礼拝行進が行われるようになります。第二次大戦後、クラクフ司教時代のヨハネ・パウロ2世はこの行事を大衆に普及させることに尽力しましたが、その背景には、スタニスワフを“道徳秩序の守護聖人”として、圧制者と戦った彼を称えることで、暗に、統一労働者党政権とその背後にいるソ連を批判する意図があったものとみられます。

 1979年6月のヨハネ・パウロ2世のお国入りは、そうしたスタニスワフの没後900年記念という名目で企画されたものであったため、当然のことながら、ポーランド国内のナショナリズムと反ソ感情させるという結果をもたらすことになりました。

 また、この時の祖国訪問では、教皇はビルケナウのアウシュヴィッツ第2収容所跡を訪れ、約50万人とともにミサを行い、強制収容所を「私たちの時代のゴルゴダ」と呼び、アウシュヴィッツで殉教したコルベ神父を称えるとともに、ビルケナウのガス室で殺害された修道女エーディト・シュタインについて列福のための調査を行う方針を明らかにしています。

 いずれにせよ、ヨハネ・パウロ2世のポーランド訪問は、彼の企図した通り、ポーランド国内のナショナリズムと反ソ感情させるという結果をもたらし、その流れは翌1980年の独立自主管理労働組合“連帯”の発足へとつながることになりました。

 このあたりの事情については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご説明をしておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 終戦と軍国切手
2016-07-28 Thu 20:18
 ご報告が大変遅くなりましたが、雑誌『丸』2016年8月号が先月、発行されました。同誌には、僕も終戦特集の企画で「終戦と軍国切手」と題する文章を寄稿しています。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       追放切手最終日使用例

 これは、いわゆる追放切手の使用期限となった1947年8月31日、翌日から使用禁止となる楠公銅像の2銭葉書に、7種類・6図案の追放切手(八紘基柱東郷元帥乃木大将、楯と桜、戦闘機・飛燕、靖国神社)を貼って差し出した記念品です。

 敗戦後の占領下、GHQは1946年5月13日付で、「日本郵便切手及通貨ノ図案ニ就テノ禁止事項ニ関スル件」と題する指令AG第311・14号を発し、これにより、靖国神社の1円切手勅額切手等が使用禁止となりました。しかし、それらの例外を除き、一般の国民は、敗戦以前に発行された軍国調の切手を引き続き郵便に使い続けていました。

 一方、1946年8月1日には、GHQの“指導”の下、国名表示を戦前の“大日本帝國郵便”から“日本郵便”に変更し、“民主図案”を採用した新普通切手の第1号として、北斎の「山下白雨」をとりあげた1円切手が発行されます。以後、“民主図案”の新昭和切手が徐々に発行されていくわけですが、物資不足の深刻な時代だったこともあり、昭和22年に「日本国憲法」が施行された後も、“大日本帝国郵便”と表示された切手の使用は続いていました。

 しかし、ある偶然の出来事から、これらの切手もついに使用禁止に追い込まれてしまいます。

 それは、1947年5-6月頃のことでした。

 当時、GHQ最高司令官、ダグラス・マッカーサーの元には、毎日夥しい量の郵便物が届けられていましたが、その一通に、1942年に発行された“大東亜共栄圏”の地図を描いた10銭切手の貼られた封筒がありました。

 切手の図案は1942年の日本の勢力圏の地図ですから、そこには、当然のことながら、日本の占領下にあったフィリピンも含まれていたわけですが、そのことに気が付いたマッカーサーは激怒します。

 ウェストポイントの陸軍士官学校を開校以来の成績で卒業し、米陸軍の出世街道を驀進して、1930年に米陸軍史上最年少の50歳で参謀総長に就任したマッカーサーにとって、太平洋戦争緒戦でのフィリピンからの撤退は、輝かしい軍歴のただ一つの汚点でした。(後に、朝鮮戦争で中国人民志願軍の攻勢を受けて退却を余儀なくされたり、大統領のトルーマンと対立して司令官を解任されたりする運命が待ち受けていることを、この時点のマッカーサーが知る由もありませんので…)

 “アイ・シャル・リターン”を合言葉に対日戦を勝利に導き、日本占領の最高司令官として君臨することになったからこそ、日本人の側から、フィリピンでの敗北を想起させるものを彼の前に提示することはタブー中のタブーだったのです。

 マッカーサーの怒りは、大東亜共栄圏の切手を貼って郵便を送ってきた差出人よりも、そうした切手を依然として流通させている日本政府に向けられます。

 さっそく、逓信省の関係者がGHQに呼びつけられ、昭和21年5月13日付指令の第1項に該当する切手、すなわち、軍国主義、超国家主義、国家神道、旧植民地の風景を題材とした切手が、新憲法の施行後も使用されているのはおかしいではないかとの厳しい叱責を受けました。

 その背後にマッカーサー本人の意向を感じ取った逓信省は、6月29日、該当するすべての切手・葉書の発売停止を全国の郵便局に指示しました。いわゆる“追放切手”です。その対象となった図案の切手は以下の通りでした。

 乃木希典大将(2銭切手)
 楯と桜(3銭切手)
 東郷平八郎元帥(4銭切手、5銭切手、7銭切手)
 八紘基柱(4銭切手)
 戦闘機・飛燕(5銭切手)
 台湾・鵞鑾鼻燈台(6銭切手・40銭切手)
 産業戦士(6銭切手)
 朝鮮・金剛山(7銭切手)
 明治神宮(8銭切手)
 日光東照宮陽明門(10銭切手)
 大東亜共栄圏地図(10銭切手)
 筥崎宮の勅額(10銭切手)
 航研機(12銭切手)
 春日大社(14銭切手)
 少年航空兵(15銭切手)
 靖国神社(17銭切手、27銭切手/別図案の1円切手)
 厳島神社(30銭切手)
 藤原鎌足(5円切手)
 楠公銅像(1銭5厘葉書、2銭葉書、3銭葉書、5銭葉書)

 追放切手とされたもののうち、日光東照宮や春日大社、厳島神社などは、国家神道とは直接無関係であり、単に日本を代表する文化財、歴史的建造物でしかないのですが、昭和21年5月13日付指令では「神道神社或ハ神道ノ他ノ象徴ノ表現」が一括して規制の対象となっているため、追放切手のリストに加えられたということなのでしょう。

 さらに、7月23日付の逓信省令では、1947年8月31日限りで、該当する切手・葉書に関しては、公衆手持ち分についても全面的に使用を禁止し、使用可能な切手と交換させることになりました。

 今回ご紹介の葉書は、こうした事情の下、当時の切手収集家が、使用禁止の“記念”として、差し出したものです。

 さて、今回の記事では、終戦前後の勅額切手騒動から、追放切手が使用禁止になるまでの顛末について、概論的にまとめています。機会がありましたら、ぜひ、雑誌の現物をお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:ベリーズ
2016-07-27 Wed 09:44
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年7月27日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はベリーズの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      セントジョージ島の戦い136年記念カバー

 これは、英領ホンジュラス時代の1929年7月19日、ベリーズ・シティから差し出された“セント・ジョージ島の戦い勝利136周年”の記念カバーです。

 現在のベリーズの国名は、1973年、英領ホンジュラスから変更されたものですが、もともと、ベリーズは英領ホンジュラスの首府の地名で、その由来はマヤ語で“泥水”を意味する言葉にあるとされています。

 さて、現在のベリーズ国家に相当する領域はマヤ文明が栄えた地域のなかでも最も古い地域で、紀元前1000年頃にはオルメカ人によってラマナイの都市建設が行われました。ラマナイには紀元前100年頃から巨大なスタッコ人頭のある神殿が建造され、マヤ文明の中心地のひとつとなっています。なお、マヤ文明は9世紀以降、徐々に衰退していきますが、ラマナイはカカオ豆の生産地であったこともあり、人口の減少が起こらず繁栄を続けました。

 1505年、コロンブス艦隊はホンジュラスの海岸まで到達しましたが、このときは現在のベリーズには至っていません。

 その後、スペイン人との争いの中でベリーズのマヤ人も衰退し、スペイン領ヌエヴァ・エスパーニャ(メキシコ)副王領への編入を経て、1531年、ベリーズはスペインのグアテマラ総督府の管轄下に置かれます。ただし、ペテン低地の密林地帯の彼方にある辺境の地であったため、グアテマラ総督の支配はベリーズには十分に及びませんでした。

 1638年、英国の武装船団がベリーズに到達。スペインを無視して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始します。彼らの目的は、マホガニーやアカミノキなどマメ科の樹木資源でした。

 以後、同島の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続き、スペインは一時的に英国人を追放することもありましたが、1660年以降、英国人は本格的に樹木を伐採して英本国に輸出するようになり、ベリーズ定住の実績を積み重ねます。その結果、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、イギリスはスペインにセント・ジョージ島を自由に使用させることを認めさせました。

 さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、セント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保します。これが、現在のベリーズ国家の枠組のルーツとなりました。今回ご紹介のカバーは、このエピソードにちなんで制作されたものです。

  さて、『世界の切手コレクション』7月27日号の「世界の国々」では、ベリーズの歴史をまとめた長文コラムのほか、マヤ文明の遺跡、特産品のマホガニー、サンゴ礁のグレート・ブルー・ホール、ジャガーの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、本日発売の8月3号でのフランス植民地帝国の特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 
 
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 スエズ運河国有化60年
2016-07-26 Tue 11:03
 1956年7月26日にエジプト大統領ガマール・アブドゥン=ナーセル(以下、ナセル)スエズ運河の国有化を宣言してから、きょうでちょうど60年です。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・スエズ運河国有化5周年

 これは、運河の国有化を記念して、国有化宣言から2ヵ月後の1956年9月26日にエジプトが発行した記念切手です。 

 1952年のエジプト革命で発足したナセルの民族主義政権は、王制時代に事実上の宗主国であった英国の影響力を排除するため、1954年10月、スエズ運河地帯から英軍を撤退させる協定を成立させ、1956年6月20日までに全英軍を撤兵させました。

 もっとも、この段階では、ナセル政権は自立した近代国家を建設するという意味で英国の影響力を排除しようとしていたものの、西側諸国と敵対することを望んでいたわけではありません。エジプトの経済的自立のための国家プロジェクト、アスワン・ハイ・ダムの建設計画(ナイル川上流に巨大なダムと発電所を建設し、それを利用した灌漑により大規模な農地を開拓する計画)を遂行していくためには、米英両国と世界銀行の資金援助が不可欠だったからです。

 このため、英軍の運河地帯からの撤退に際しては、運河の所有権は英仏両国を大株主とする国際スエズ運河株式会社が保有することとされ、運河の自由な航行を保障する国際協定(1888年10月締結)も引き続き有効であることも確認されていました。

 しかし、英軍の運河地帯から撤兵すれば、エジプト軍がシナイ半島を北上するのではないかと恐れたイスラエルは、英軍の撤兵を妨害すべくさまざまな破壊工作を展開。1955年2月には、イスラエル軍の攻撃によりエジプト軍兵士38名が犠牲になるという事件も発生します。そこで、イスラエルの脅威に対抗する必要から、軍の近代化を計ろうとしたエジプトは、米国をはじめとする西側諸国から最新兵器を購入しようとしたのですが、米英仏の3ヶ国は、中東への武器供与を制限する三国宣言を理由にこれを拒絶。このため、ナセルはソ連に接近し、1955年10月、チェコスロバキア経由での通商協定という名目で、綿花(エジプトの主力輸出品)とのバーター取引を成功させ、大量のソ連製兵器の獲得しました。

 しかし、アラブの盟主を自認するエジプトがソ連に接近することで、他のアラブ諸国もこれに追随するのではないかとの懸念を抱いたた米国は、これに強く反発。エジプトの封じ込めに乗り出します。その一環として、1956年7月19日、国務長官のジョン・フォレスター・ダレスがアスワン・ハイダム建設への資金援助の約束を突如撤回。英国と世界銀行も同様の声明をエジプトに対して発し、ナセルの悲願であったアスワン・ハイダムは、資金不足から中止の瀬戸際に追い込まれてしまいました。

 追い詰められたナセルは、7月26日(革命記念日)、年間一億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言。管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結してしまいました。これが、スエズ運河国有化のあらましです。

 その後、スエズ運河の国有化に激怒した英仏は、エジプトによるチラン海峡の封鎖で経済的なダメージを受けていたイスラエルと同調し、武力による運河国有化を阻止しようとして、切手発行の翌月にあたる1956年10月、第二次中東戦争(スエズ戦争)を引き起こすことになります。


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 開催御礼
2016-07-25 Mon 08:46
      ドイツ・リジー(ありがとう)

  おかげ様で、<全日本切手展2016>(以下、全日展)および併催の<オリンピックとブラジル切手展>は昨日(24日)16:00、盛況のうちに無事終了いたしました。

  今回の展覧会は、設楽光弘さんの旧小判切手、市村正生貴さんの第1回アテネ五輪、正田幸弘さんのブラジル郵便史という、この分野での最高水準のコレクションをお招きして特別展示できたほか、競争出品でもチャンピオン・クラスの3作品をはじめ、近年まれに見るハイレベルな内容で、ご参観者の皆様にもご満足いただけたのではないかと思います。

 これもひとえに、ご後援を賜りました駐日ブラジル連邦共和国大使館、一般財団法人・切手文化博物館、日本郵便切手商協同組合、特定非営利活動法人・日本郵便文化振興機構、ご協力を賜りました公益財団法人・日本郵趣協会、御協賛スポンサーの無料世界切手カタログ・スタンペディア株式会社、えにし書房株式会社、月刊キュリオマガジン、貴重なコレクションを展示したいただきましたご出品者の皆様、ブースをご出店いただきましたディーラーの方々、そして、寄附金を拠出していただきました皆様ほか、大勢の方々のご支援・ご協力のおかげです。

 実行委員長として、この場を借りて厚くお礼申し上げます。 (下の画像は、オープニング・セレモニー終了後、ブラジル連邦共和国臨時代理大使・サルキス・J・B・サルキス閣下と展覧会の看板前で撮影したものです。)

      ブラジル大使との2ショット

 なお、来年(2017年)の全日本切手展は、海の日を含む7月15-17日の3連休に、今年と同じく、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の予定で、すでに準備を始めております。開催資金の調達をはじめ、クリアしなければならない課題は山積しており、今後とも、皆様方にはいろいろとご支援・ご協力をお願いすることになるかと思われますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 * 冒頭の画像は、2008年、ドイツが発行したグリーティング切手のうち“ありがとう”の1枚です。皆様への感謝の気持ちを込めて、取り上げてみました。原画を制作したジェームズ・リジー(1950-2011)は、1950年、ニューヨーク生まれ。子供が描いたようなスタイル、カラフルな色使いとひょうきんなイメージが特徴の“アーバン・プリミティヴ”の作品で、日本でもさまざまな企業広告のグラフィックデザインで知られています。


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 全日展、本日最終日です!
2016-07-24 Sun 00:16
 はやいもので、22日から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催中の全日本切手展2016(以下、全日展)は本日が最終日となりました。今回は、8月5日開幕のリオデジャネイロ五輪直前の開催ということで、会場内では“オリンピックとブラジル切手展”も併催しています。というわけで、きょうは入場券やポスターにも取り上げているこの切手について、この切手についてご紹介します。

      牛の目・30ヘアイス

 これは、1843年8月1日に発行されたブラジル最初の切手“牛の目”のうち、30ヘアイス切手です。

 1822年に独立したブラジルの郵便制度は、当初、ポルトガル植民地時代のものをそのまま継承していましたが、1829年、それまで州ごとに定められていた郵便規則が統合され、1831年以降、ブラジル国内の郵便料金は、2オイタバス(約7グラム)まで・15リーグ(約72キロ)までの書状は10ヘアイス、以後、2オイタバスごとないしは15リーグごとに10ヘアイスずつ比例計算で上がっていく体系に整理されました。

 ところで、当時のブラジルは、経済的には旧宗主国のポルトガルよりも、英国の影響下に置かれていましたが、その英国では、ウィリアム4世統治下の1833年8月以降、郵便改革が急速に進められ、1840年1月から、1/2オンス以下の書状基本料金を全国1律1ペニーとする統一1ペニー郵便がスタートし、同年5月には、新たな郵便の料金前納の証紙として世界最初の切手ペニー・ブラックが発行されていました。

 これを受けて、ブラジルでも、枢密顧問兼内務大臣のカンディド・ジョゼ・デ・アウラージョ・ヴィアンナを中心に、英国に倣って切手を用いた近代郵便制度の導入が準備されます。そして、1842年11月、ブラジルでも勅令によって、国内統一料金制を導入し、郵便料金前納の証紙として切手を発行することが決定されました。

 同年12月には、ブラジル造幣局が、英国でペニー・ブラックの製造を請け負ったパーキンス・ベーコン社に切手製造に必要な器具・機材を発注。翌1843年2月に機材が納入されるのを待って、切手の製造が開始されました。

 パーキンス・ベーコン社は、紙幣の背景などに使われる彩紋彫刻で、当時、世界最高の技術を誇っていましたから、ブラジル造幣局は同社の機材を用いることで、切手にも彩紋を取り入れて偽造対策としています。また、英国のペニー・ブラックはヴィクトリア女王の肖像を描いていましたが、ブラジルでは、君主の威厳を損なわないようにとの配慮から、切手には皇帝ドン・ペドロ2世の肖像はいれず、実用本位に額面数字を大きく入れることなりました。

 こうして、1843年8月1日、30ヘアイス、60ヘアイス、90ヘアイスの3種の切手が発行されました。

 これら3種の切手は、古くから切手収集家の間では“牛の目”のニックネームで親しまれており、しばしば、“切手の切手”の題材にもなっています。ただし、“牛の目”のニックネームは、もともとブラジル人がポルトガル語で命名したものではなく、英語で“Bull’s Eye”と呼ばれていたものの和訳です。

 英語の“Bull’s Eye”には、文字通りの“(動物の)牛の目玉”の他に、丸窓、半球レンズ、的の中心、白い筋のある黒くて硬いハッカ飴、などの意味がありますが、このうち、特に興味深いのは“的の中心”を意味するというもので、これは、英国で行われていた“牛攻め”に由来するといわれています。

 牛攻めというのは、闘犬を雄牛にけしかけて、その勝敗に金銭を賭けるという賭博で、1835年に禁止されるまで、英国では貴賤を問わず大いに人気を博した娯楽だった。人々は犬・牛のいずれに賭けるかを判断する場合に各々の動物の面構えをじっくり観察したが、牛に賭ける場合には“牛の目に賭ける”という表現が用いられていました。

 また、賭金としては、1クラウン、すなわり5シリング貨が多かったことから、いつしか、5シリング貨そのものを“牛の目”と呼ぶ俗称が生まれ、そこから、5シリング貨とほぼ同じ大きさの円形のものを“牛の目”と称する習慣があったといわれています。たしかに、ブラジル最初の切手は、19世紀の切手としてはかなりの大型で図案の中心は楕円形ですから、上述のようなバックグラウンドがあれば、英国人収集家がこれを“牛の目”と呼びたくなったというのも、十分に理解できます。

 さて、今回の全日展では、“オリンピックとブラジル切手展”の枠で、世界切手展で大金賞を受賞した正田幸弘さんのブラジル郵便史のコレクションが展示されています。ポルトガル植民地時代のスタンプレスカバーや、“牛の目”の使用例など、貴重なマテリアルが目白押しの見ごたえのあるコレクションですので、ぜひ、会場で実物をご覧いただけると幸いです。

 * 昨日の全日展会場でのトーク「リオデジャネイロ歴史紀行」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。


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 本日、トークやります。
2016-07-23 Sat 00:57
 昨日(22日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館全日本切手展2016(以下、全日展)がスタートしました。今回は、8月5日開幕のリオデジャネイロ五輪直前の開催ということで、会場内9階第5会議室では“オリンピックとブラジル切手展”も併催しており、本日(23日)は僕も15:00から「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントをやります。というわけで、きょうはこんなモノをご紹介します。

      オリンピックとブラジル切手展・小型印

 これは、今回の“オリンピックとブラジル切手展”の記念絵葉書(私製)に、笠戸丸移民100周年を記念して2008年に設定された“日本・ブラジル交流年”の記念切手のうち、オニオオハシの切手を貼り、今回の切手展の小型印を押して、オニオオハシの3点揃いとしたものです。葉書と小型印は、全日展の小型印ではおなじみの嘉藤雅子さんのデザインで、オニオオハシがブラジル最初の切手“牛の目”をくわえているのがミソです。

 オニオオハシは、“アマゾンの(空飛ぶ)宝石”とも呼ばれ、主に南米のギアナからパラグアイの熱帯雨林に生息していますが、特にブラジルの国鳥として知られています。オオハシ科のなかで最も大きく体長は60センチメートル程であり、明るい黄色やオレンジ、赤い色で彩られた20センチメートル程の大きなクチバシが特徴です。クチバシの内部は空気を多く含んだスポンジ状になっており、いるため、細い枝に実った果実を、その枝に止まらずに採取できる仕組みになっています。

 さて、かねてご案内の通り、現在、リオ五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』を刊行すべく、制作作業を進めています。奥付上の刊行日は8月9日で、まだ実物は出来上がっていないのですが、本日のトーク・イベントはその予告編となるように、切手や絵葉書でたどるリオデジャネイロの歴史散歩といった内容にするつもりです。

 また、トーク・イベントの会場にて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』をご予約いただいた方には、実物が出来上がり次第、送料無料で著者サイン入り本を郵送するほか、今回ご紹介の葉書に、会場内の臨時出張所で“オリンピックとブラジル切手展”の小型印を押して、僕が自分で書いたお礼状をお送りする予定です。(ただし、オニオオハシの切手を人数分手配するのはちょっと難しいので、切手は別のデザインのモノを考えています)

 つきましては、東京・錦糸町のすみだ産業会館9階大5会議質にて、本日15:00から開催のトーク・イベント「リオデジャネイロ歴史紀行」に、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。

 * 昨晩、アクセスカウンターが168万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
       
 
 ★★★ 全日本切手展(+内藤陽介のトーク)のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


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 きょうからオリンピックとブラジル切手展(+全日展)
2016-07-22 Fri 01:52
 かねてご案内の通り、きょう(22日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館8階で、オリンピックとブラジル切手展(全日本切手展2016=全日展と併催)がスタートします。また、本日11:05~11:54にNHK総合テレビで放送の「ひるまえほっと」(首都圏域放送)では、11:36頃からの“1minほっと”のコーナーで、同展のことが紹介される予定です。というわけで、きょうは、オリンピック関連の展示の目玉のひとつとして、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ギリシャ・アテネ五輪初日印

 これは、1896年にアテネで開かれた第1回近代五輪の開催に際してギリシャが発行した記念切手12種のうち、プラクシテレスの“幼いディオニューソスを抱くヘルメス”を描く2ドラクマ切手の初日使用です。切手は、大会の開催資金を捻出するために発行され、その収益はじっさいに会場建設費の一部に充てられています。ただし、売上げは期待されたほどではなく、高額切手の多くは半数以上が売れ残ったため、そのうちの5種は後に改値加刷を施して再発行されました。

 1896年アテネ五輪の記念切手は、いずれも、フランス政府印刷局によって印刷され、12種のデザインの内訳は、レスリング(1および2レプタ)、ミュロンの“円盤投げ”(5および10レプタ)、アテナイの女神を描く花瓶(20および40レプタ)、戦車競技(25および60レプタ)、アクロポリスの丘と競技場(1ドラクマ)、プラクシテレスの“幼いディオニューソスを抱くヘルメス”(2ドラクマ)、パエオニウスの“勝利の女神”(5ドラクマ)、アクロポリスとパルテノン神殿(10ドラクマ)となっています。

 プラクシテレスは紀元前4世紀の最も有名なアッティカの彫刻家で、初めて等身大の女性のヌード像を作った彫刻家として知られています。切手に取り上げられた“幼いディオニューソスを抱くヘルメス”は、1877年にオリンピアで発見されました。彫刻は、ヘルメスがニュンペーたちのところにディオニューソスを運んでいる場面を表現したもので、神話の内容から、失われた右手は、子供(ディオニューソス)に与えるための一房のブドウを掲げていたものと推測されています。

 さて、今回展示されている市村正生貴コレクションは、1896年のアテネ五輪の切手では、きわめて完成度の高いコレクションとして知られています。展示には、今回ご紹介の初日印の押された切手のみならず、プルーフなどの試作品や貴重な使用例が多数含まれています。また、郵政博物館所蔵の東京オリンピック関連の切手原画もガラスケースで展示されています。ぜひ、この機会を逃さず、会場にてご覧いただけると幸いです。


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 あすから全日展(+オリンピックとブラジル切手展)
2016-07-21 Thu 00:22
 あす(22日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。(下はチケットの画像。以下、画像はクリックで拡大されます)

      全日展2016入場券

 今回は、全国の収集家の皆さんによる競争出品に加え、リオデジャネイロ五輪開幕直前の開催ということで“オリンピックとブラジル切手展”を併催するほか、全日展としては、小判切手発行140年にちなみ、“小判切手の至宝”として世界的に有名な設楽光弘さんによる特別展示を行います。チケットのデザインもそのことをイメージして、左側には、旧小判切手の45銭切手(下の画像)をデザインしました。

      旧小判45銭

 1875年、大蔵省印刷局のお雇い外国人として来日したエドアルド・キヨッソーネは、日本の切手・紙幣の近代化に着手しますが、切手に関しては、1872年に造幣局のお雇い外国人トマス・キンダーが天皇の肖像を貨幣に刻したいと建議して却下されたことを知っていたため、当初から、日本の紙幣・切手には天皇の肖像を入れずにデザインを組み立てることを考えていました。

 この結果、1876年5月17日から発行が開始されたのが、いわゆる小判切手です。

 小判切手は、エルヘート凸版という近代的な印刷方式によって製造された最初の切手という点で重要な意味を持っています。

 “小判”というネーミングですが、これは、当時の駅逓寮(郵便を担当していた官庁)なり大蔵省なりが命名したものではなく、のちに、収集家が名づけた名称です。西洋のデザインの伝統では“メダリオン”と呼ばれる枠の中に肖像や文様を描くことがあり、キヨッソーネのデザインも基本的にはこれを継承したものですが、日本人の感覚で、これを小判に見たてたのが名前の由来となりました。

 ちなみに、メダリオンの形状である楕円(楕圓)という言葉そのものは、中国・前漢の時代の董仲舒の著作を編集した『春秋繁露』にも用例がありますが、わが国では、江戸時代にニュートン力学を理解して紹介した蘭学者・志筑忠雄(宝暦10-文化3:1760-1806年)の『暦象新書』に登場しています。したがって、理論上は、“楕円切手”という表現もあり得たはずですが、やはり、枠の中央に額面数字が大きく記されているところなどは、“小判”のイメージの方がしっくりくるということだったのでしょう。

 次いで、それまでの手彫切手には国名表示が何もありませんでしたが、小判切手には“大日本帝國郵便”ならびに“IMPERIAL JAPANESE POST”という和英両文の国名表示が入れられました。

 わが国の国号については、明治維新を経て、1871年に鋳造された国璽では“大日本國璽”との表記になっており、必ずしも“大日本帝国”が正式の国号というわけではありませんでした。“大日本帝国”の文言が公文書に登場するのは、1873年6月30日付の在日オランダ公使からの来翰文邦訳に「大日本帝国天皇陛下ニ祝辞ヲ陳述ス」と記述されてからのことですが、翌1874年に新調された国璽でも従前どおり国号は“大日本國璽”となっており、大日本帝国とはなっていません。

 ちなみに、“大日本帝國”という国名が正式に採用されるのは、1889年に大日本帝国憲法が発布されてからのことですが、“大日本”を“おおやまと”、“帝國”を“すめらみくに”と訓読すれば、そうした用例は古代から存在していたともいえます。

 なお、西洋の政治用語としては、“帝国(英語ではEmpire)”は、複数のより小さな国や民族などを含めた広大な領域を統治する国家のことをいい、君主制であるか否かは問わないのですが(第3共和政のフランスがフランス帝国と呼ばれるのはこのためです)、小判切手の時代の国号の“大日本帝國”が、これとは全く異なることは明らかで、少なくとも、帝国憲法発布以降のイメージを投影して考えると、実態を見誤るのではないかと思われます。

 いずれにせよ、小判切手にいたって、ようやく、日本の切手は、それが日本政府によって発行されたものであることを内外に明らかにする態勢が整えられたということは特筆すべきことといってよいでしょう。

 こうして、1876年5月17日の5厘・1銭・2銭の3額面を皮切りに発行が開始された小判切手のうち、1877年8月18日、第4次発行分の一つとして発行されたのが、今回のチケットにも大きくデザインした45銭切手です。

 その主な用途は外信便ですが、1882年頃までは鳥切手(手彫)の45銭切手が残っていたこともあって需要は少なかったため、発行枚数はわずか1万6000枚しかありません。当然のことながら、残存数も少ないため、未使用・使用済ともに、小判切手のメインナンバーの中では、最もカタログ評価が高い1点として知られています。

 さて、今回の全日展で展示予定の設楽光弘さんのコレクションでは、小判切手のコレクションとしては、名実ともに現在、世界最高峰と評価されているものです。今回は、通常の世界切手展での出品枠上限の8フレームに、2フレーム分を追加して10フレームの展示となっています。ぜひ、この機会を逃さず、会場にお越しいただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展(+内藤陽介のトーク)のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


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 世界の国々:イスラエル
2016-07-20 Wed 10:08
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年7月20日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はイスラエルの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・貨幣(1948)

 これは、1948年5月16日、イスラエル建国後発行された最初の切手で、古代の貨幣が描かれています。

 1920年7月、英国はパレスチナの委任統治を開始しましたが、在地のアラブ系住民と新たに入植してくるシオニストの対立から、社会状況は安定しませんでした。特に、1933年にドイツでナチスが政権を掌握し、組織的なユダヤ人迫害が始まると、迫害を逃れてパレスチナに流入するユダヤ系移民が急増。このため、英当局はユダヤ系難民の流入を制限しましたが、その結果、シオニスト過激派による反英テロも激化しました。

 第二次大戦後の1947年2月、事態を収拾しきれなくなったイギリスは、問題の解決を国連に一任すると宣言。これを受けて、5月に設立された国連パレスチナ問題特別委員会は、パレスチナにアラブ、ユダヤの二独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くというパレスチナ分割案を多数派意見として発表。同案は、同年11月29日、国連決議第181号(パレスチナ分割決議)として採択されます。

 しかし、この内容にはアラブ側が猛反発し、パレスチナ全土で反シオニストの武装闘争が再燃。パレスチナ全土は事実上の内戦に突入します。

 こうした状況の中で、1948年5月15日、パレスチナにおけるイギリスの委任統治期間終了を受けて、ユダヤ人国家・イスラエルの建国が宣言されましたが、これを認めない周辺アラブ諸国はイスラエルに宣戦を布告。イスラエルの独立戦争ともいうべき第一次中東戦争が勃発。これを受けて、米国のトルーマン政権は、即日、主要国の中で最初にイスラエルを承認。ついで、5月17日にはソ連もイスラエルを承認しています。

 今回ご紹介しているイスラエル最初の切手は、こうした状況の下で発行されたわけですが、切手上には「ヘブライ郵便」との表記はあるものの、「イスラエル」との表記がないのは注目に値します。これは、切手の制作時にはまだ新国家の正式な国号が決定されていなかったことによるもので、このことからも、イスラエル国家の建設準備がいかに慌ただしく進められたか、イメージがわいてきます。

 さて、『世界の切手コレクション』7月20日号の「世界の国々」では、シオニズムの発生からイスラエル建国までをまとめた長文コラムのほか、『旧約聖書』の詩篇死海、嘆きの壁、ローシュ・ハッシャナー(ユダヤ暦新年)イスラエル・ワインの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、本日発売の7月27号でのベリーズの特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 万景峰号、観光船に
2016-07-19 Tue 19:14
 中国吉林省琿春市は、きのう(18日)、琿春とウラジオストク、北朝鮮・羅先市を結ぶ観光事業に3カ国が共同で取り組み、羅津港とウラジオストク間を往復する観光船として、日本への入港が禁止されている貨客船“万景峰号”を使うことを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・万景峰号(初代)

 これは、1978年に北朝鮮が発行した船切手の1枚で、(初代)万景峰号が描かれています。

 万景峰号は、主に日本の新潟と北朝鮮の元山を往来するための貨客船で、切手に描かれている初代の船は1971年5月に就役しました。形式上は、北朝鮮江原道元山市にある海運会社「朝鮮大進船舶」が所有するという形式をとっています。

 船名の由来は、平壌近郊、金日成の生家のある地域の名で、風光明媚な場所であるため、かつては資産家や官吏などが一帯の山を買い取り、先祖の墓所として使っていたことでも知られています。金日成の曽祖父も、平壌の地主・李平沢の墓所を管理するために万景台に移り住み、以後、金日成にいたるまで代々、一族はこの地に住んでいたといわれています。このため、現在、金日成の生家(とされる場所の)周辺は“聖地”とされ、祖父母と両親、金日成の三代が生活したとされる家が復元されています。これらの“史跡”は、北朝鮮を訪れる外国人旅行者や一時帰国の在日朝鮮人などが必ず連れて行かれる場所でもあります。

 今回、観光船に転用されることになった万景峰号は、金日成80歳の誕生日を記念して1992年に咸鏡北道清津市で進水した2代目で、進水した年にちなんで“万景峰92”というのが正式な船名です。

 万景峰号による元山=新潟間の就航は不定期で所要時間は片道27時間。在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)が窓口となり、在日朝鮮人の祖国訪問(親族訪問等)や親戚への物資の輸送、朝鮮学校の修学旅行等に主に使われていましたが、衆議院議員で前科一犯の辻元清美らの“ピースボート”がチャーターして運航したこともあります。

 また、北朝鮮の元工作員の証言から、万景峰号は、輸出規制品の密輸(覚醒剤や偽札など、所持するだけで犯罪となる禁制品を含む)、外為法違反に抵触する大量の現金の持ち出し、日本で活動する北朝鮮工作員の連絡活動、北朝鮮工作船の支援などに用いられていることが明らかになっており、万景峰号によって持ち出されたコンピュータ部品やステンレス材などが弾道ミサイルの部品として使用されたと見られています。

 このため、2006年、北朝鮮がミサイル発射実験と地下核実験を相次いで行ったことを受け、日本政府は同年10月14日付で万景峰号を含む北朝鮮の全船舶を入港禁止としてきました。

 もっとも、核実験の件がなくても、万景峰号の喫水線下の船底塗料には、毒性の高いトリブチルスズ(TBT=有機スズ)が使用されているため、環境面から大きな問題があります。現在、国際海事機関のTBT規制条約が発効したことで、万景峰号を含むTBT船底塗料を用いた船舶は日本への入港が禁じられています。

 この点で、ウラジオストック市民の健康は大丈夫なのかと僕などは少し不安にもなるのですが、あの国はマラカイト・グリーンたっぷりの鰻を平気で販売して“鰻の墓場”とまで呼ばれているほどですからねぇ。そのあたりは全く気にならないんでしょうな。


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 海の日
2016-07-18 Mon 10:11
 きょう(18日)は“海の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コパカバーナ礼拝堂・絵葉書

 これは、1901年8月、リオデジャネイロ(以下、リオ)からウルグアイのモンテヴィデオ宛の絵葉書で、コパカバーナ海岸の礼拝堂が取り上げられています。
 
 リオで最も有名なビーチとして知られるコパカバーナ海岸は、現在、コパカバーナ要塞のある南端から海岸沿いのアトランチティカ通りを弧に沿って北東に約3キロ先のプリンセサ・イザベル通りまでのビーチを指すのが一般的です。

 コパカバーナは、もともとは、アフロディーテやヴィーナスのように“美の女神”を意味するアイマラ語(ボリビアとペルーの公用語の一つ)の“コタ・カワニャ”が転訛したボリヴィアの地名です。こちらのコパカバーナは、インカの時代には、ティティカカ湖に浮かぶ“太陽の島”への巡礼の拠点で、太陽神の神殿が置かれた聖地でした。

 ところが、16世紀にこの地を征服したスペイン人はインカ時代の神殿を破壊し、その場所にカトリックの教会を建立。先住民の職人、ティト・ユパンキに幼いイエスを抱いて葦船に乗った聖母像を作らせます。地元の先住民は、やむを得ず、インカ時代の神殿に代わってこの聖母像に祈るようになりましたが、聖母像の霊験はあらたかで、祈りをささげた善男善女は病気が治ったとか船が難破しても助かったなどの噂がボリヴィアの領域を越えてラテンアメリカ全域、さらにはスペイン本国にも広まるようになり、17世紀初めには大規模な聖堂が建立されました。

 その“コパカバーナの聖母”を祀る礼拝堂が、18世紀半ばにリオの海岸沿いに建てられ、いつしか、その周辺一帯も現在のようにコパカバーナと呼ばれるようになったというわけです。ちなみに、礼拝堂が建てられる以前、現在のコパカバーナ一帯は、先住民の言語であるトゥピ語で“ソコス(鳥の名前)の道”を意味する“サコペナパン”と呼ばれていました。

 なお、今回ご紹介の葉書の礼拝堂のある場所には、1908年、ブラジル陸軍が首都の海防拠点の建設を開始し、1914年、クルップ社製の305ミリ砲2門、190ミリ砲2門を備えたコパカバーナ・イグレジーニャ要塞が完成。現在でも要塞は残っており、要塞内には聖母像を祀った礼拝堂もあります。

  さて、現在、8月のリオ五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』を刊行すべく、制作作業を進めています。奥付上の刊行日は8月9日、本体定価は2700円の予定で、刊行に先立ち、全日展の会場でも、23日15:00からトークベントを行う予定です。なにとぞ、よろしくお願いします。


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 岩のドームの郵便学(42)
2016-07-17 Sun 16:46
  ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』613号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、サブラー・シャティーラ事件について取りあげ、この切手をご紹介しました。

      テュニジア・サブラー・シャティーラ事件

 これは、事件から1周年にあたる1983年9月20日、PLO本部所在地のテュニスを擁するテュニジアが事件の犠牲者を追悼するために発行した寄附金つき切手です。

 1975年に始まったレバノン内戦は、当初、ムスリム有利に展開され、PLOは実質的にレバノン全土を制圧する勢いでした。しかし、レバノンがPLOならびに急進改革派の支配下に置かれることで、レバノンとイスラエルの全面戦争が勃発し、戦禍が自国にも及ぶことを恐れたシリアが内戦への介入を決断。このため1976年6月、シリアは、レバノン大統領スレイマン・フランジェの要請に応えるかたちをとって派兵し、レバノン全土を制圧します。

 その後、1976年10月には、サウジアラビアとクウェートの仲介により、サウジアラビアの首都、リヤドで内戦終結のためのアラブ首脳会議が開催され、内戦の当事者間で停戦合意が成立。そして、この合意を受けて、シリアを主力とする停戦監視のための平和維持軍がレバノン全土に展開し、11月21日、レバノン政府は内戦の終結を宣言しました。

 しかし、シリア軍の駐留したレバノン南部(住民はシーア派系が多数を占めていた)は、当時すでに、PLOの実質的な支配下に置かれ、レバノン政府の影響力の及ばない治外法権地域の様相を呈していました。こうした状況に加え、強硬な反イスラエル姿勢を鮮明にしていたシリアがこの地に駐留したことで、イスラエル北部での軍事的緊張はいやが上にも高まることになります。実際、この時期のPLOは、シリアの擁護を受けてイスラエル北部への攻撃を展開していました。

 このため、1978年3月、イスラエル軍はレバノン南部に侵攻。リタニ川まで攻め込み、その南に「安全保障地帯」を設置します。

 その後、レバノンの国内情勢は一時的に安定したものの、1981年ごろから、ベイルート=ダマスカス間の街道を護衛する目的で配置されていたシリア軍が、キリスト教マロン派政党で親イスラエルの姿勢を鮮明にしていたファランヘ党の支配地域への攻撃を行ったことで、紛争が再燃。ファランへ党はイスラエル軍に救援を求め、シリアとイスラエルの緊張が高まりました。

 これに対して、レバノン南部を実質的に支配していたPLOは、イスラエル北部に対する越境攻撃を本格化させるようになります。当然、イスラエルは、PLOの攻撃に対して報復し、ベイルートのPLO本部を含むレバノン領内のPLO施設に対する空爆攻撃が行われました。

 エジプト=イスラエルの和平成立により中東情勢が安定すると考えていた米国は、このようなレバノンでの戦火拡大に懸念を抱き、1981年7月、フィリップ・ハビブを特使として派遣。サウジアラビアとともにイスラエルとPLOの停戦を仲介したものの、この停戦合意はすぐに破綻します。

 こうした状況の中で、イスラエルはレバノン南部に点在するPLOの拠点を潰滅させ、彼らの対イスラエル攻撃を断念させるべく、「ガリラヤの平和」と称する軍事侵攻作戦を策定。1982年6月、PLO関係者によるイギリス駐在のイスラエル大使暗殺未遂事件の報復としてレバノンに侵攻し、7週間にわたってベイルートを包囲しました。

 こうして、レバノン内戦はレバノン戦争ともいうべき段階に突入したが、イスラエルとの全面戦争を恐れる他のアラブ諸国から、レバノンへの援軍は派遣されませんでした。

 イスラエルのレバノン侵攻は、エジプトとの南部戦線の和平によって生じた余力をイスラエルが北部戦線へ振り分けたものだったわけですが、イスラエル軍とともにベイルート攻撃に参加したファランヘ党民兵による、一般ムスリム(その多くはPLOと無関係です)の大量虐殺事件が明るみに出たことで、ガリラヤの平和作戦には国際社会から厳しい非難が浴びせられることになります。

 こうした状況に対して、レバノン国内のムスリム勢力は次第にPLOとは距離を置くようになり、イスラエル軍の侵攻を招いた原因となっているPLOの国外退去を求めるようになっていきました。

 結局、1982年7月、PLO議長のアラファトは、元レバノン首相サエブ・サラムをはじめとするスンナ派ムスリムの指導者の要求を受け入れてPLOのレバノンからの撤退を決定。平和維持部隊として派遣されたフランスの部隊が援護するなか、8月30日、アラファトがアテネに向けて出航したのを最後に、PLOはベイルートを完全に撤退してテュニスへと移転し、レバノンでのPLOの影響力は壊滅しました。そして、米仏伊の多国籍軍が、パレスチナ人ならびにムスリム市民保護のためベイルートに展開したほか、レバノン南部はイスラエルの占領下に置かれました。

 PLOをレバノンから撤退させたことで、イスラエルのレバノン侵攻作戦は所期の目的を達したかのようにおもわれました。特に、PLOの駐留を地元住民が疎んじていたことから、彼らは、自分たちが“解放軍”として迎えられるのではないかとさえ考えていたようです。

 しかし、占領者は誰であろうとも占領者でしかなく、レバノン住民は新たな占領者に対する抵抗運動を展開することになります。

 すなわち、レバノンの平和維持活動に関与していた米仏両国は、PLO撤退後のレバノン新政権の大統領に選出されたバシール・ジェマイエルを支援してレバノン国内の正常化をはかりましたが、レジスタンス勢力は彼らをも招かれざる外部勢力として抵抗したのです。

 こうした状況の下で、イスラエルは、レバノンを親イスラエル国家にしようという思惑から、1982年8月23日の大統領選挙では、反シリア・親イスラエルの立場を鮮明にしていたバシール・ジェマイエル(ファランヘ党)を支援。バシールを当選させることに成功しました。

 しかし、1982年9月22日、ジェマイエルは大統領就任を目前にして爆弾テロで暗殺されてしまいます。イスラエルはこれをPLO残党の犯行とみなし(現在では、真犯人はシリア社会主義民族党のメンバーだったとみられています)、“レバノン軍団”(ジェマイエルが組織したマロン派民兵組織)はパレスチナ人への報復を決意。1982年9月16日午後6時、イスラエル国防軍はレバノンのサブラーとシャティーラにあったパレスチナ難民キャンプへ向けて照明弾を発射したのを合図としてレバノン軍団の民兵たちが一斉にキャンプに突入し、2日間で少なくとも762人(最大で3500人)のパレスチナ難民が虐殺されました。

 これが、いわゆる“サブラー・シャティーラ事件”です。

 事件は国際社会に大きな衝撃を与え、1982年12月16日の国連総会は、事件をジェノサイドとして非難する決議を123ヵ国の賛成多数(米、英、イスラエル、カナダは棄権。反対はなし)で可決。当時のイスラエル国防相アリエル・シャロンと参謀総長ラファエル・エイタンが引責辞任に追い込まれました。

 今回ご紹介の切手は、事件から1周年にあたる1983年9月20日に寄附金つきで発行されたもので、事件で犠牲になったパレスチナ難民の多くがアラブのムスリムであったということを踏まえて、岩のドームもしっかりと描かれています。

 なお、この切手が発行されてからおよそ1ヵ月後の1983年10月23日、レバノンではシーア派組織のヒズブッラーによる“殉教作戦”という名の自爆テロが開始され、レバノン内戦は新たな局面に突入することになるのですが、そのあたりについては、いずれ別の機会にご説明したいと思います。
 

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 トルコで軍の叛乱鎮圧
2016-07-16 Sat 18:16
 トルコで、現地時間の15日夜(日本時間16日未明)、レジェプ・タイップ・エルドアン大統領とトルコ政府に対して国軍の一部による叛乱が発生。叛乱は鎮圧されましたが、この記事を書いている時点で、死者は民間人を中心に90人、負傷者は1154人に上っており、トルコ全土で少なくとも軍関係者1563人が逮捕されました。というわけで、トルコの過去のクーデターに関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      トルコ・1960年革命

 これは、1960年12月1日に発行された“5月27日革命”の記念切手のうち、ケマル・アタテュルクを背景に松明を掲げる腕と、国軍を迎える市民のシルエットが描かれています。

 さて、1950年5月に行われた総選挙では、野党・民主党が圧勝して政権を獲得。その結果、アドナン・メンデレスが首相に就任しました。メンデレスは、ケマル・アタテュルク以来の厳格な政教分離政策の緩和を掲げ、選挙戦では、1932年以来禁止されていたアラビア語によるアザーン(モスクからの礼拝の呼びかけ)解禁を訴えたほか、学校でのイスラム教育を容認し、イスラム的内容な番組の放送を許可しました。

 経済面では、米国のマーシャル・プランを受けて農業の機械化を進めたほか、大企業による自由な経済活動を振興し、トルコに経済成長をもたらします。

 しかし、経済成長の副作用として貧富の差も拡大。人口の急増によって教育・福祉予算は膨大なものとなり、財政は次第に悪化してインフレが進行します。こうした中で、メンデレスはメディアに対する検閲を強め、ラジオを使って野党を攻撃する一方、宗教を票集めの手段として使ったため、イスラム復興の気運が高まりました。

 このため、アタテュルクの理想が失われることを危惧する学生や青年将校らインテリ層の不満が次第に高まり、学生の反政府デモをきっかけに、1960年5月27日、軍部によるクーデーターが発生。メンデレス以下の政府首脳が逮捕され、ジェマル・ギュルセル将軍の下で「国家統一委員会」が組織されます。

 クーデター後、民主党は非合法化され、汚職や憲法違反、ギリシア人に対する迫害などの罪状による裁判の結果、メンデレス首相、バヤル大統領、閣僚2名、政府官僚11名に死刑が宣告され、1961年9月17日、メンデレスはイムラル島で絞首刑に処せられました。

 さて、現在のエルドアン政権は、2003年以降、徹底した政教分離というトルコ共和国建国の理念に対して、イスラム色の強い政策を推進するとともに、憲法改正を行って、世俗派の牙城である軍の権限を縮小するなどの政策を推進してきました。そのことは、人口の90%以上を占めるムスリムの国民から歓迎される一方、世俗派の守護者だとする軍は、政治のイスラム化は受け入れられないとして、これまでにもたびたび政治介入を念頭にクーデターを起こすなど、衝突が続いていました。

 そういう意味では、今回の構図も、1960年の反メンデレスのクーデターと相通じるものがあったわけですが、まさに、「歴史は二度繰り返す、ただし一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」 を地で行くような結果となりましたな。


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 ニースでテロ事件
2016-07-15 Fri 23:26
 南仏のニースで、14日夜(日本時間15日未明)、革命記念日の花火を見ていた群衆にトラックが猛スピードで突っ込むテロ事件が発生し、84人が亡くなり、18人が重体という大惨事となりました。というわけで、亡くなられた方々のご冥福と負傷者の方の一日も早い回復をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ニースの紋章(1946)

 これは、1946年にフランスで発行された各地の紋章の切手のうち、ニース郡の紋章を取り上げた60サンチーム切手です。

 現在のニース郡の市域は、近代以前はニース伯爵領の一部でしたが、フランス革命後の1804年、住民投票によってフランス帝国への帰属を決定します。しかし、ナポレオン失脚後の1815年、パリ条約によってニースはサヴォイ家に割譲され、サルディーニャの支配下に入ります。

 今回ご紹介の切手に描かれているニースの紋章は、サヴォイ家統治時代の名残を示すもので、もともと、赤と白の色はサヴォイ家のシンボルカラー、鷲の王冠はサヴォイ王家、鷲が経っている3つの丘(島)はニース周辺のサヴォイ家の支配地を示すものでした。

 ところが、イタリア統一の過程で、サヴォイ家はイタリア王国の成立をフランスに承認してもらうため、1860年、ニースをフランスに割譲してしまいます。これに対して、イタリア統一戦争の英雄でニース出身のジュゼッペ・ガリバルディは激怒。ニースはイタリアによる失地回復の目標となります。

 第二次大戦中の1940年5月10日、ドイツ軍はフランス侵攻作戦を開始。6月10日、ドイツ軍の攻撃の前にフランス政府がパリを無防備都市と宣言して放棄してボルドーに移転すると、ドイツの勝利を確信したイタリアは、同日、英仏に対して宣戦を布告します。そして、6月22日、フランスが降伏して独仏休戦協定が結ばれると、同月24日、イタリアはフランスとヴィラ・インチーサ休戦協定を締結。マントンを併合し、伊仏国境地帯の飛び地への進駐を承認させました。

 この時設定されたイタリアの進駐領域は全体で832平方キロでしたが、これとは別に、伊仏国境からフランス側に50kmまでの地点は非武装ラインとされ、ニースも実質的にイタリアの占領下に置かれることになります。

 1943年9月8日、イタリア政府が連合国に降伏してイタリア進駐領域はフランスに返還されることになりましたが、同年12月、ニースにはドイツが進駐。このため、1944年8月30日、米軍によるニース解放まで、ニースとその周辺では連合国の空爆が行われるなどの激戦が展開されています。

 今回ご紹介の切手には、第二次大戦終結後、あらためて、ニースがフランス領であることを示す意図があったことは明白で、フランス支配の復活を踏まえて、イタリアの実質的な支配下の時代には大きく描かれていた鷲の頭上の王冠は、かなり小さなものに変更されているのがミソです。


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 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


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 フランス革命記念日
2016-07-14 Thu 22:49
 きょう(14日)はフランス革命記念日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・フランス革命200年

 これは、1989年にブラジルで発行されたフランス革命200年の記念切手で、フランス人画家ニコラ・アントワーヌ・トーネの『ラルゴ・ダ・カリオカ』が取り上げられています。

 トーネは、1755年、パリに生まれました。ダヴィドらに学んだ風景画を得意とする画家で、1784年、王立絵画・彫刻アカデミーに加入を認められ、革命後の1796年にはフランス学士院芸術アカデミーのメンバーとなりました。1806年には、ナポレオンによるドイツ戦役を題材にした作品も残しています。

 1815年にナポレオンが失脚すると、リオデジャネイロに遷移していたポルトガル王室の資金援助を受けたフランス美術ミッションの一員としてブラジルに渡り、1816年3月25日にリオに到着。1821年までリオにとどまり、リオを題材とした風景画を多数、制作しました。帰国後の1830年、パリで没。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「ラルゴ・ダ・カリオカ」は、トーネ在伯中のリオデジャネイロ市内の旧市街中心部、サン・アントニオ修道院付近の一角を描いた作品で、作品のタイトルはこの地域の地名です。なお、カリオカというのは、現在ではリオデジャネイロ市民もしくは同市出身者を指すのが一般的ですが、もともとは、先住民のトゥピ族の言葉で“白い家”という意味です。これは、16世紀以来、リオの地に住むようになったポルトガル人たちが海岸沿いに白塗りの家を建てたことによるもので、そこから、白い家の住人=リオデジャネイロ市の人々として使われるようになりました。

 さて、現在、8月のリオ五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』を刊行すべく、制作作業を進めています。奥付上の刊行日は8月9日、本体定価は2700円の予定で、刊行に先立ち、全日展の会場でも、23日15:00からトークベントを行う予定です。なにとぞ、よろしくお願いします。


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 世界の国々:英連邦
2016-07-13 Wed 09:13
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年7月13日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は英連邦の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      英国・第6回英連邦大会

 これは、1958年に英国・ウェールズのカーディフで開催された第6回大英帝国ならびに英連邦競技大会に際して英国が発行した記念切手です。

 英連邦競技大会は、1928年のアムステルダム五輪に刺激をうけたカナダ人のメルヴィル・ロビンソンを中心に、大英帝国域内の国際親善を目的とする競技会として計画されたもので、1930年、カナダのハミルトンで“大英帝国競技大会”として第1回大会が開催されました。以後、第2次大戦中の中断を除き、4年に1度、英連邦内の各国持ち回りで開催されています。

 その後、英連邦の変遷とともに大会の名称も変更され、1954年には大英帝国ならびに英連邦競技大会(British Empire and Commonwealth Games)に、1966年には英連邦競技大会(British Commonwealth Games)となりました。なお、1978年以降、現在の名称は、それ以前の名称から“British”を落とした“Commonwealth Games”となりましたが、日本の報道などでは、むりに“コモンウェルス・ゲームズ”とはせず、英連邦競技大会のままということも多いようです。

 今回ご紹介の切手の発行名目となった第6回大会は、1958年7月18日から26日までイギリス、ウェールズのカーディフで開催され、35の国・地域数から1122人が参加して、9競技94種目が行われました。ちなみに、カーディフでは1946年に大英帝国競技大会の開催が予定されていましたが、第二次世界大戦のため開催できず、1958年の開催となったという事情があります。また、人種を基準とした代表選考・派遣を行なったことで、他の参加国から大きな批判を浴びた南アフリカは、このカーディフ大会を最後にアパルトヘイト撤廃後の1994年まで大会から締め出されていました。

 さて、『世界の切手コレクション』7月13日号の「世界の国々」では、マルレディ・カバーに描かれた大英帝国と、カナダの提案により実現したインペリアル・ペニー・ポストについての長文コラムのほか、シーホースオタワ会議ジャーディン・マセソン商会、英本国に流入した各国料理の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

  なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、本日発売の7月20号でのイスラエルの特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 切手歳時記:夕顔の香り
2016-07-12 Tue 11:58
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年7月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      見立夕顔

 これは、1981年の切手趣味週間の切手で、鈴木春信の「見立夕顔」が取り上げられています。

 『源氏物語』の「夕顔」は、ある夏の日、17歳の光源氏が、六条の御息所のもとに通う途中、五条に立ち寄り、病身の大弐の乳母を見舞う場面から始まります。

 当時の五条は庶民が生活している地域で、貴族の邸宅とは比ぶべくもない貧相な家が数多くありましたが、そうした家の垣根には白い花が美しく咲いていました。

 源氏が従者に花の名前を問うたところ、「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根に咲くものでございます」とのこと。そこで、「気の毒な運命の花だね。一枝折ってこい」と従者に命じ、隣家の夕顔を取りにやらせたところ、その家の女性は自分の扇に花を乗せて源氏に贈ってきました。

 見舞が終わって、あらためて源氏が夕顔の載せられていた扇を見てみると、きれいな字で「心あてにそれかとぞ見る白露の 光添へたる夕顔の花」との歌が書かれています。これを見て、彼女に興味を持った源氏は、「よりてこそそれかとも見めたそがれに ほのほの見つる花の夕顔」との歌を返しました。

 これが縁となり、乳母の息子、惟光の橋渡しで源氏は彼女(=夕顔)のもとに、身分を隠して通うようになります。

 その後、2人の関係はしばらく続いたが、旧暦8月15日、中秋の逢瀬の際に、六条御息所の怨霊が現れて恨み言を言い、夕顔はそのまま意識を失って、明け方に息を引き取ってしまいました。

 『源氏物語』の原文には、源氏が夕顔と初めて出会った日付についての記述はありません。ただ、夕顔の命日となった旧暦8月15日が陽暦の9月半ばくらいであり、夕顔の花が咲くのは陽暦の7月から9月にかけてのことですから、2人の出会いは7月の中下旬、ちょうど今頃の時季だったのではないかと思います。

 さて、今回ご紹介の切手にも取り上げられた、鈴木晴信の「見立夕顔」は、上述の源氏と夕顔の出会いの場面から着想を得て描かれた見立絵です。

 見立絵というのは、王朝文学や古典の詩歌などを主題としながら、そのモチーフを当世風俗で描いたもの。「見立夕顔」では、画面左の娘が手にする扇には、夕顔の花ではなく、恋文が載せられており、若者の供の子供が持つ虫かごが御所車のかたちをしていることで、『源氏物語』にちなむ見立絵であることが示されています。

 さらに、切手では少しわかりにくいのだが、若者の着物の袖に家紋を模した文様が入っていますが、これは「源氏香の図」の“夕顔”で、これがあることで、この見立絵が『源氏物語』の「夕顔」にちなむものであることが(わかる人には)わかるという仕掛けです。

 源氏香は、5種の香木を各5包、計25包用意したうえで、その中の5包みをとって、順に香を聞いていき、その異同を紙に記して楽しむという遊びで、異同の組み合わせが52通りあることから、それぞれのパターンを『源氏物語』54巻のうち桐壷と夢浮橋の巻を除いた52巻にあてはめるというものです。

 それぞれのパターンを、5本の縦線の頭のつなぎ方によって図示したのが「源氏香の図」で、“夕霧”の場合は、右から2番目と3番目の縦線の頭のみをつなぐことで、2番目と3番目の香が同じで、他は異なるという組み合わせを表現しています。具体的には、下の画像のような図です(隣に、袖の部分の拡大図も載せておきます)

      源氏香図・夕顔  見立て夕顔・部分

 したがって、この絵が「見立夕顔」であることを理解するためには、『源氏物語』の知識だけでなく、香道にも通じていなければならないわけですが、江戸の通人たちは、この絵を見てぱっとそれがわかったんですよねぇ。いやはや、己の不明を恥じ入るばかりです。


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 ポルトガルがEURO初優勝
2016-07-11 Mon 11:39
 サッカー欧州選手権2016(UEFA Euro 2016)は、10日、決勝が行われ、ポルトガルが延長でフランスを下し初優勝を飾りました。というわけで、手持ちのポルトガル関係のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル王・ジョアン3世書簡

 これは、1522年5月9日付で、ポルトガル王ジョアン3世からアルコス公ロドリゴ・ポンセ・デ・レオン宛の手紙です。書簡は大きな紙に文面を書き、下に王の署名を記したのち、折りたたんでアルコス公に届けられました。裏面(届けられた時の状態では表面)には、下の画像のような宛名(左)と日附(右)が記されています。

      ジョアン3世書簡・宛名  ジョアン3世書簡・日附

  ジョアン3世は1502年6月7日、ポルトガル王マヌエル1世の長子としてリスボンで生まれ、1521年、父王の死去により19歳で王位を継承しました。今回ご紹介の書簡は1522年の差出ですので、即位後間もない時期のモノとなります。

 書簡に記されている王の称号は“ポルトガルならびにアルグレイヴ、アラビアからインドまで我らの通商を通じて航海し、征服した大洋と陸地の王”となっています。なお、ジョアン3世は、イグナチオ・デ・ロヨラがイエズス会を創設したことを知り、デ・ロヨラに対してポルトガル植民地内の異教徒へキリスト教を布教する宣教師を派遣してほしいと依頼。これを受けて、ロヨラが推薦したのが、フランシスコ・ザヴィエルとシモン・ロドリゲスで、ザヴィエルとアジアとのつながりができることになりました。

 また、マカオにポルトガル人が初めて来航したのは1513年のことでしたが、ポルトガルが明から居留権を得て中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地が形成されたのは、ジョアン3世晩年の1557年(ジョアン3世はこの年に心臓麻痺で崩御)のことです。また、この間、1542または1543年にはポルトガル人が種子島に漂着してわが国に鉄砲を伝えており、ジョアン3世の時代はポルトガルのアジア進出が大きく進んだ時代だったといえます。

 なお、ポルトガルのアジア進出の拠点となったマカオとその歴史については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 投票しませう⑥
2016-07-10 Sun 09:42
 きょう(10日)は参議院議員選挙の投票日です。僕も、この記事を書いたら投票所に行きますが、投票は20時までですから、有権者の皆様は、ぜひお出かけください。というわけで、国政選挙の投票日恒例の“投票しませう”シリーズ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      ブラジル・婦人参政権50年

 これは、1983年にブラジルで発行された“女性参政権50年”の記念切手で、投票する女性が描かれています。

 1930年、軍事クーデターで政権を掌握したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスは1891年に公布された共和国憲法を停止し、連邦議会と州議会を解散するとともに、全国の州知事を罷免して臨時政府の任命する執政官を派遣。これに対して、サンパウロ州の反ヴァルガス勢力は、1932年7月9日、いわゆる護憲革命をおこしましたが、革命そのものは、3ヶ月後の10月に鎮圧されました。

 “革命”の鎮圧後、ヴァルガス政権は一定の譲歩を余儀なくされ、1933年5月には制憲議会選挙が実施されることになります。その際、一部の女性に参政権が認められたのが、ブラジルにおける女性参政権の始まりとなりました。

 その後、制憲議会を経て1934年7月に公布された新憲法(1934年憲法)では、非識字者を除く18歳以上の男女に対して、秘密投票の権利が与えられ、一挙に、女性有権者の数が拡大します。ただし、当時のブラジルでは識字率が人口の1/3程度でしたから、有権者の数はまだまだ限られていました。ちなみに、非識字者にも選挙権が与えられたのは、1946年の憲法改正以降のことです。

 さて、現在、8月のリオ五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行(仮題)』を刊行すべく、制作作業を進めています。奥付上の刊行日は8月8日、本体定価は2700円の予定で、刊行に先立ち、全日展の会場でも、23日15:00からトークベントを行う予定です。なにとぞ、よろしくお願いします。


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 護憲革命記念日
2016-07-09 Sat 13:21
 きょう(9日)は、ブラジル・サンパウロ州では護憲革命記念日の祝日です。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・サンパウロ護憲革命50年

 これは、1982年にブラジルで発行された“護憲革命50周年”の記念切手です。

 ブラジルは1889年に帝政から共和制に移行しましたが、その実権を握っていたのは、大農場の経営者たちでした。なかでも、コーヒーの産地として知られるサンパウロ州と畜産・酪農で知られるミナスジェライス州の農園主は連合し、1894年のプルデンテ・デ・モライス大統領の就任以後、1930年まで9人の大統領のうち7人が2州いずれかから選ばれる“カフェ・コン・レイテ”体制が続きます。カフェはコーヒー、レイテはミルクの意味です。

 日本でいえば明治の薩長閥のようなもので、当然のことながら、2州以外の諸州や軍部は強い不満を抱いていました。

 こうした状況の下で、1930年の大統領選挙では、カフェ・コン・レイテ体制の慣例に従い、ミナスジェライス州出身のアントニオ・カルロスが出馬の準備を進めていましたが、現職のワシントン・ルイス大統領は慣例を破ってサンパウロ州知事のジュリオ・プレステスを与党の大統領候補に指名します。

 このため、後継指名を逃したカルロスを中心に反サンパウロ勢力を糾合した“自由同盟”が結成され、リオグランデ・ド・スル州出身のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが大統領候補として擁立されることになった。

 3月1日に行われた大統領選挙では、プレステスが109万7000票を獲得して当選し、ヴァルガスは74万4400票で敗れました。ところが、選挙後の1930年7月、自由同盟の副大統領候補だったジョアン・ペソアが暗殺されると、カフェ・コン・レイテ体制に対する国民の批判が殺到。それを背景に、同年10月3日、リオグランデ・ド・スルとミナスジェライスで青年将校らによる叛乱が発生します。

 以後、叛乱はブラジル南部を中心に拡大し、10月24日、ワシントン・ルイスは辞任。ヴァルガスはリオグランデ・ド・スルから鉄道でリオデジャネイロ入りし、11月3日、臨時大統領に就任しました。

 ヴァルガスは行政権のみならず立法権も掌握し、1891年に公布された共和国憲法を停止。連邦議会と州議会は解散を命じられ、全国の州知事は罷免され、各州には臨時政府の任命する執政官が派遣されることになりました。

 当然のことながら、カフェ・コン・レイテ体制の崩壊により既得権を失ったサンパウロ州では、ヴァルガスに対する不満が渦巻いていましたが、サンパウロ州出身者ではなく、ペルナンブーコ州出身のジョアン・アルベルトが執政官として派遣されると反ヴァルガスの機運が横溢します。

 かくして、サンパウロ州の反ヴァルガス勢力は“護憲革命”を主張して反ヴァルガス・キャンペーンを展開。両者の対立は、ついに、1932年7月9日、武力衝突に発展しました。

 こうして始まったサンパウロの“護憲革命”で、サンパウロ側は州兵を動員し、志願兵を募って戦ったものの、3ヶ月後の10月、圧倒的な兵力を有する政府軍の前に敗退しました。

 ただし、“革命”の鎮圧後、ヴァルガス政権は一定の譲歩を余儀なくされ、サンパウロ州の執政官には同州出身のアルマンド・デ・サレス・オリヴィエが任じられ、1933年5月には制憲議会選挙が実施されることになります。そして、1934年7月、非識字者を除く18歳以上の男女に選挙権を与えたほか、労働者保護や初等教育の義務無償化などを盛り込んだ新憲法が試行され、新体制下での初代大統領は議会の間接選挙で選出するとの規定に則り、ヴァルガスは議会によって選出され、正式に大統領に就任しました。

 さて、現在、8月のリオ五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行(仮題)』を刊行すべく、制作作業を進めています。定価、刊行日などの詳細が決まりましたら、随時、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。
 

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 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 “世紀の植物”開花
2016-07-08 Fri 10:29
 開花まで数十年を要するため、“世紀の植物”とよばれているリュウゼツランが、きのう(7日)、宮崎県庁で黄色い花をつけたそうです。というわけで、宮崎県のリュウゼツランということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日南海岸国定公園

 これは、1964年2月20日に発行された日南海岸国定公園の切手で、堀切峠からの“鬼の洗濯岩”とリュウゼツランが描かれています。

 日南海岸国定公園は宮崎県南部から鹿児島県志布志湾西岸の肝属川河口までの海岸線を包括した国定公園で、切手に描かれている堀切峠は、眼下に日向灘と青島の“鬼の洗濯板 (波状岩) ”を望む景勝地です。“鬼の洗濯岩”は、中新世後期(約700万年前)に海中で出来た水成岩(固い砂岩と軟らかい泥岩が繰り返し積み重なった地層)が隆起し、長い間に波に洗われ、固い砂岩層だけが板のように積み重なって見えるようになったもので、青島から南の巾着島までの約8キロの海岸線に見られます。1955年の国定公園指定より早く、1934年に天然記念物に指定されました。

 一方、リュウゼツランはメキシコ原産の大形常緑多年草で、葉の長さは1-2メートル。多肉で緑で、先端にとげがあります。数十年に一度、4-8メートルの巨大な花茎を出し、多数の淡黄色の花を付けますが、結実したあと枯死します。葉の繊維で網などを作るほか、メキシコの伝統的な蒸留酒、テキーラの原料としても知られています。

 ちなみに、今回開花した宮崎県庁のリュウゼツランは8月下旬ごろまで見ることができるそうです。せっかくの機会ですから、県庁前の広場に、宮崎の地鶏を焼いてテキーラを飲ませる屋台を出たら、観光客も集まるんじゃないでしょうかねぇ。いずれにせよ、“世紀の植物”の開花が、熊本地震以来落ち込んでいる九州7県の観光復興の一つのきっかけになってくれるといいですね。

 
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 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

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 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

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 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

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 小さな世界のお菓子たち:アイスクリームの切手
2016-07-07 Thu 15:21
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第32号(2016年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルガリア・国際児童年

 これは、1980年にブルガリアで発行された児童画切手のうち、アイスクリームを食べる2人の少女を描いた13ストティンキ切手です。

 黒海に面したバルカン半島のブルガリアでは伝統的に酪農が盛んで、北東部のラズグラド州の先史時代の遺跡からは、当時の人々がチーズを作るのに使っていたと思われる円錐形の土器も出土しています。

 日本では、ブルガリアというとヨーグルトを連想する人が多いのですが、酪農大国のブルガリアではヨーグルト以外にも美味しい乳製品が数多くつくられています。なかでも、アイスクリームはブルガリア語で“スラドレード”(“甘い”を意味する“スラド”と“氷”を意味する“レード”の合成語)と呼ばれ、ブルガリア人が“世界一美味しい”と胸を張る一品です。

 今回ご紹介の切手は、そんなブルガリアのアイスクリームが描かれた1枚で、1979年に国際児童年の記念行事として行われた児童画コンテストの優秀作品をデザインして1980年に発行されたもので、7種セットのうちの1枚に、太陽を背にしてアイスクリームを食べる2人の少女を描いた作品が取り上げられました。

 さて、ブルガリアは国土の中央をバルカン山脈が東西に走っており、その南北で気候は大きく変わるのですが(冬は低温多湿で夏は高温乾燥の北側と、温暖湿潤の南側に分れます)、どちらにせよ、夏はかなり気温が上がり、首都ソフィアでは最高気温が35度を超えることも珍しくありません。

 そうなると、街中のいたるところにアイスクリームのスタンドが現れ、老いも若きもコーンや紙カップに入ったアイスクリームを食べながら歩く姿が見られます。特に、ブルガリア最大のチェーン店の“ラフィ”はイタリアン・ジェラートの雰囲気を取り入れたアイスクリームで、赤紫色の看板はブルガリアの夏の風物詩となっています。もちろん、地元のローカルなスタンドも固定ファンをしっかりとつかんで離しません。いずれも、値段は量り売りで100グラムで1レフ(本日のレートで約57円)程度だそうです。

 一方、レストランや家庭でのデザートも、夏のブルガリアは、ほぼアイスクリーム一色になります。なお、レストランのデザートでは、“パラチンカ”と呼ばれるクレープのようなものにアイスクリームを載せて出てくることもあります。

 アイスクリームのフレーバーとしては、日本でもおなじみのバニラやチョコレート、イチゴなどのほか、ヨーグルトやティラミス、クルミと蜂蜜、ピスタチオなどが人気だとか。切手の少女たちのように、照りつける日差しの中で味わうのなら、同じ白色のアイスクリームでも、濃厚なバニラよりも、さっぱりしたヨーグルト味のほうがよさそうです。

 
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 世界の国々:グレナダ
2016-07-06 Wed 10:19
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年7月6日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はグレナダの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      グレナダ・カリアク消

 これは、19世紀にグレナディーン諸島のカリアク島で使用されたグレナダ切手です。

 1649年、グレナダ本島を獲得したフランス・アメリカ島嶼会社は、翌1650年、同島をジャク・ドゥ・パルケに売却しましたが、1664年には、ルイ14世が同島を購入し、フランス西インド会社の管理下に置いています。さらに、1674年にフランス西インド会社が解散すると、グレナダはフランス王室の直轄領となりました。

 ところで、セント・ヴィンセント島では、1719年以降、フランス人入植者がコーヒー、砂糖などのプランテーション栽培を行っていましたが、これに対して、英仏七年戦争の講和条約として1763年に調印されたパリ条約では、セント・ヴィンセント、グレナダの両島とその間のグレナディーン諸島は、一括して、英国の支配下に置かれることになります。

 1770年前後には、アメリカ大陸からの私掠船がセント・ヴィンセント島周辺でイギリス船を襲撃するようになりますが、その背後でフランスは先住民族のカリブ人に武器を供与し、英国に対する抵抗運動を煽動していました。このため、英国の南カリブ諸島総督、ウィリアム・レイボーンは、カリブ人が多く反英感情の強いセント・ヴィンセント島を自らの管轄から外すよう、ロンドンの本国政府に具申。また、米国独立戦争前夜の1774年、北米情勢が緊迫する中で南カリブ諸島総督として着任したヴァレンタイン・モリスは、グレナディーン諸島北部のベキア、バリソー、マスティク、カヌアンの各島を、行政上、グレナダから分離してセント・ヴィンセントの管轄とするよう提案し、承認を受けています。

 1779-1783年、米国独立戦争の余波でセント・ヴィンセントとグレナダ両島および中間に位置するグレナディーン諸島全域がフランスの占領下に置かれましたが、1783年、アメリカ独立戦争の講和条約としてパリ条約が締結され、これらの地域は英領に復しています。

 ふたたびグレナディーン諸島全域を領有した英国は、1791年、モリスの提案を引き継ぐかたちで、グレナディーン諸島のプティ・セント・ヴィンセント島とプティ・マルティニーク島の間に境界を設け、北側をセント・ヴィンセントの、南側をグレナダの管轄とします。かくして、現在のグレナダ・グレナディーンズ(グレナダ領グレナディーン諸島)という枠組が誕生しました。

 グレナディーン諸島の分割により、プティ・マルティニーク島以南の同諸島はグレナダの属領となり、行政上はふたつの主要な島の名前を採って“カリアク島およびプティ・マルティニーク島”属領区が設定されます。

 属領区に名前が挙げられたカリアク島は、属領区の中では最大の島で、属領区の北端に近い場所に位置しています。西暦500-1000年頃までには、先住民のアラワク人ないしはカリブ人が定住していたと考えられていますが、“カリアク”という地名は、カリブ人の言葉で“サンゴの土地”を意味です。西洋人としては、1656年、グアドループを拠点として活動していたフランス人宣教師のジャン・バティステ・デュ・テルトルが来島したのが最初で、これを機に、フランス人漁師が入植しました。

 一方、カリアク島の北東に位置するプティ・マルティニーク島は、18世紀初頭、マルティニーク島からフランス人漁師が入植したことが、島名の由来となっています。

 英領グレナダとして最初の切手(シャロン・ヘッド)が発行されたのは1861年のことですが、カリアク島の中心地、ヒルズボロの郵便局では、当初、今回ご紹介の切手に見られるように、“F”の文字が入った抹消印が使われていました。

 その後、長らくグレナディーン諸島でもグレナダ本島と同じ切手が使用されていましたが、独立直前の1973年末からグレナディーンズ諸島用の切手として“グレナダ・グレナディーンズ”名義の切手が発行されるようになります。さらに、1999年6月以降は、切手上の国名表示は“グレナダ カリアク&プティ・マルティニーク”に変更され、現在にいたっています。

 ただし、国家としてのグレナダは属領のグレナディーンズを含めても郵便の需要が多いわけではなく、通貨も東カリブ・ドルが共通に使用されています。さらに、グレナダ切手およびグレナディーン諸島の切手は、いずれもグレナダ全土で有効です。このため、グレナディーン諸島として独自の切手を発行・使用する必然性は乏しく、“グレナダ・グレナディーンズ”および “グレナダ カリアク&プティ・マルティニーク”名義の切手は、主として、海外の切手収集家向けの輸出商品としての色彩が強いものです。

 さて、『世界の切手コレクション』7月6日号の「世界の国々」では、グレナダ領のグレナディーン諸島についての話題を中心に、その歴史的経緯をまとめた長文コラムのほか、先コロンブス時代の土器、カリアク島最大の都市ヒルズボロ、キッケム・ジェニー海底火山、カリアク・レガッタの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

  なお、僕が担当する「世界の国々」は、本日発売の7月13号での英連邦の特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。

 
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 預言者のモスク
2016-07-05 Tue 11:07
 サウジアラビア西部のイスラムの聖地メディナの預言者のモスク付近で、現地時間の4日夕(日本時間5日未明)、自爆テロが発生し、治安当局者4人が死亡、5人が負傷しました。サウジでは同日、東部カティフで自爆テロがあり、西部ジッダ(ジェッダ)の米総領事館近くでも自爆テロで2人が負傷するなど、近年では異例の連続テロとなっています。亡くなられた方々のご冥福と負傷者の方の一日も早い回復をお祈りしております。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・預言者のモスク(1971)

 これは、1971年にサウジアラビアで発行された“預言者のモスク”を取り上げた普通切手です。

 622年、メッカからメディナへのヒジュラ(聖遷)を行ったイスラムの預言者ムハンマドと信徒たちは、メディナ到着後、まずモスクを建設し、ムハンマド本人はそこを住まいとしました。

 当初の建物は、約35×30メートルの長方形で、モスクの東側にはムハンマドの妻たちのための居室(当初は2室でしたが、最終帝に妻の数が増えたことから9室になりました)がありました。ちなみに、ムハンマドは632年に亡くなりますが、彼の遺体は、死後、このモスクにあった妻アーイシャの居室に埋葬されています。“預言者のモスク”と呼ばれるのはこのためですが、さらに、ムハンマドの遺体の傍らには、アブー・バクルとウマルの2人の遺体も埋葬されています。

 ムハンマドの存命中から、 信徒の増加に伴い、預言者のモスクは増改築されていましたが、ウマイヤ朝のワリード1世の時代にムハンマドの墓所を覆うように建物が作られ、4本の尖塔が付けられました。さらに、マムルーク朝時代の1279年にはムハンマドの墓所の上の屋根にドームが付けられています。このドームは、当初は青色でしたが、1837年に緑色に塗りかえられています。今回ご紹介の切手でも、モスクの建物部分が緑色で印刷されているのは、こうした事情を踏まえたものでしょう。

 切手が発行された後の1985年から1994年にかけて、サウジ政府はモスクの大々的な拡張工事を行い、現在のモスクの総面積は9万8326平米、屋上を含めての収容人員は26万8000人で周囲に新旧あわせて10本の尖塔を有する巨大な規模となりました。ちなみに、モスク周囲の礼拝用の広場は面積13万5000平米で、43万人が礼拝可能です。

 預言者のモスクでの礼拝は一般モスクでの礼拝の1000倍の価値があるとされていることもあって、事件発生時は1000人を超す信者が夕刻の祈りをささげていたそうです。一歩間違えたら大惨事になっていた可能性もあるわけで、犠牲者がごくわずかで済んだのは不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。

 今回のテロ事件は、聖地メディナの最も重要な場所のすぐ近くで発生したわけで、メッカ・メディナの2大聖地の守護者を称するサウジ政府にとっては面目丸つぶれの事態です。なお、ことしは5日がラマダン明けですが、ともかくも、これ以上、大きなテロが起きずに済んでほしいものです。

 今回の自爆犯はおそらく(自称)ムスリムなのでしょうが、理由はどうあれ、聖地でのテロは一般の信徒からすれば絶対に許容はできるものではありません。犯人とその背後にいる連中は、殉教作戦の名の下に自爆テロを行っているわけですが、彼らではなく、今回の事件で殉職された治安当局の方々こそが、モスクを守って命を落とした殉教者なのだということは強調しておかねばなりますまい。

 
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 エリ・ウィーゼル、亡くなる
2016-07-04 Mon 09:41
 アウシュヴィッツを生き延び、ホロコーストを題材にした著作を多数発表したことで、1986年にノーベル平和賞を受賞した米国籍の作家、エリ・ウィーゼル氏が、2日(米国時間)、ニューヨークの自宅で亡くなりました。享年87。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、きょうは、アウシュヴィッツ関連のネタの中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      モノヴィッツ・6条タイプ

 これは、1944年9月30日、アウシュヴィッツ収容所のうち、モノヴィッツ(ポーランド語名モノビツェ)に置かれていた第3収容所の収容者が差し出したカバーです。第二次大戦中のアウシュヴィッツ収容所関連の郵便物には、“AUSCHWITZ(OBERSCHLES)”と表示された郵便印が押されていますが、局名の後ろには1から3までの番号が振られています。このうち、モノヴィッツの第3収容所関連の郵便物には、今回ご紹介のカバーに見られるように、“AUSCHWITZ(OBERSCHLES)3”の消印が使用されています。

 アウシュヴィッツ収容所のうち、ビルケナウの第2収容所がユダヤ人等の虐殺に力点を置いていた“絶滅収容所”の性格が強かったのに対して、第1収容所から東に7キロほどの地点に、イーゲー・ファルベン社(以下、IGファルベン)の工場に隣接して設けられたモノヴィッツの第3収容所は、収容者の安価な労働力を工場に動員するための施設でした。

 IGファルベンは、第一次大戦後の1925年、ドイツの6大化学工業会社であるバーディッシュ・アニリン・ウント・ソーダ工業(現バスフ=BASF)、フリードリヒ・バイエル染料(現バイエル)、アグファ(現アグファ・ゲバルトの前身)、ワイラー・テル・メール化学、グリースハイム・エレクトロン化学工業、ヘキスト染料(現ヘキスト)の合同により生まれたトラストで、社名のIGは“利益共同体”の意味です。本社はフランクフルト・アム・マインにあり、資本金は11億マルクでした。

 ヒトラー政権が誕生する以前の1932年頃からナチスに接近し、ヒトラーが政権を掌握した後は、4ヵ年計画庁に技術者として多くの人材を送り込み、政権との関係を強化。1939年の第二次大戦勃発以降は戦争にも積極的に協力し、ユダヤ人の大量虐殺に使われた毒ガス、ツィクロンBは子会社のデゲッシュがパテントを有していました。

 IGファルベンとアウシュヴィッツとの密接な関係は、1941年1月、同社の役員だったオットー・アンブロスが現地を視察し、アウシュヴィッツ東郊のソワ川とヴィスワ川の合流地点に、700万マルクを投じて年間3万トンの生産能力を有する合成ゴム工場BUNAを建設することを決定したところから始まります。ちなみに、アウシュヴィッツ第1収容所でツィクロンBの人体実験が行われたのは、1941年9月のことでした。

 工場の建設は、私企業としてのIGファルベンの経済活動として進められましたが、ドイツ政府はこの計画を積極的に支援し、該当する土地から住民を退去させること、第1収容所から8000-1万2000人の労働者・作業員を派遣することを決定。3月下旬には、IGファルベンと収容所を管理していた親衛隊との間で協議が行われ、IGファルベンが未熟練労働者1人につき3マルク、熟練労働者1人につき4マルクを支払うこと、収容者の労働時間についても、夏季は1日10-11時間、冬季は1日9時間とすることが決められました。

 これを受けて、1941年4月7日、アウシュヴィッツ第1収容所の収容者たちを動員してのBUNAの建設作業が始まり、1942-44年にかけて、IGファルベンのほか、クルップやシーメンスなど、ドイツを代表する大企業の製造プラントなどに付随して、大小あわせて40の収容施設が作られ、多くの収容者が過酷な労働に従事させられました。これが、モノヴィッツの第3収容所です。

 第3収容所と隣接するプラント施設は、連合国の爆撃目標になったことに加え、1945年1月の解放後、ソ連軍によって破壊されたため、現在、その跡は残っていません。ちなみに、戦後、ナチスの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では「人道に対する罪」を理由に、IGファルベンの役員や技術者など被告の24人全員が有罪となり、1948年には戦犯企業としてのIGファルベンは解体されています。

 なお、アウシュヴィッツの収容者が差し出した郵便物と、そこからみえてくる収容所内の生活については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界漫郵記:リオデジャネイロ⑤
2016-07-03 Sun 10:28
  『キュリオマガジン』2016年7月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は前回に続き、リオデジャネイロ(以下、リオ)篇の第4回目。今回は旧中央郵便局の局舎とブラジル初期の郵便にフォーカスをあてました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます) 

      ブラジル・スタンプレス(1821)

 これは、ポルトガル植民地時代の1821年、リオからバルバセーナ宛の郵便物です。

 ブラジルで郵便事業が始まったのは、ポルトガル植民地時代の1663年1月25日のことですが、18世紀以前のポルトガルとその植民地では、郵便事業は国王のために公文書を運ぶのが主な仕事で、官営事業ではなく、ダ・マタ家が独占的に取り扱っていました。

 当時のブラジルは識字率が非常に低く、郵便の利用も少なかったうえ、そもそも、1733年まではサンパウロ=リオ間には満足な道路さえありませんでした。1773年になって、ようやく、サンパウロ=リオ間の郵便が月1回のペースで始まったものの、実際には、郵便の利用者はほとんどいないのが実情でした。

 とはいえ、18世紀末になると、経済の拡大もあって徐々に郵便の利用者も増えたため、1797年、ポルトガル王室は郵便事業をダ・マタ家から買収して国営化します。これに伴い、翌1798年4月24日、リオに郵便総局が設置され、リスボンからバイア経由でリオにいたる郵便ルートが開設されました。なお、ポルトガル=ブラジル間の海上料金は4オイタバス(1オイタバスは1/8オンス=約14グラム)まで80ヘアイス、そこからポルトガル本国内は40ヘアイスが基本料金でした。

 1808年、ナポレオン戦争の余波でポルトガル王室がリオに逃れてくると、以後、リオは1821年に国王ジョアン6世がリスボンに帰還するまで、王国の首都として急速に発展し、郵便物の取扱量も増大しました。

 今回ご紹介の郵便物は、そうしたポルトガル植民地時代の郵便物の一例で、1821年8月31日、リオから高原の都市、バルバセーナ宛に差し出されたものです。

 バルバセーナは、現在でこそ、酪農と生花栽培を主とする地味な小都市ですが、鉄道の路線が発達するまでは、ミナス・ジェライス州の鉱山地帯とリオをはじめとする海岸地帯を結ぶ交通の要衝として繁栄していました。

 ブラジル最初の切手“牛の目”が発行される以前の郵便物なので、当然のことながら、切手は貼られておらず、封筒の右上に受取人から徴収すべき料金“80(ヘアイス)”の数字を書込み、リオ発信であることを示す“RODEJAИRO”の地名印が押されています。この時代のリオの地名印にはいろいろなタイプがあるのだが、この郵便物に押されているのは、“N”の字が鏡字の“И”になっているのがちょっと面白いところです。

 さて、現在、8月の五輪開催にあわせて、『リオデジャネイロ歴史紀行(仮題)』と題する拙著を刊行すべく、制作作業を進めています。定価、刊行日などの詳細が決まりましたら、随時、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


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 ダッカで人質事件
2016-07-02 Sat 19:09
 バングラデシュの首都ダッカで、現地時間1日夜(日本時間深夜)、武装集団が飲食店を襲撃し、外国人客を含む数十人を人質にとって店内に立てこもる事件が発生。事件から10時間以上が経った2日、現地の治安当局が強行突入に踏み切り、銃撃戦の末に現場を制圧しました。なお、警察との銃撃戦により死亡した人質20人の全員が外国人で、大半が日本人とイタリア人だったそうです。犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バングラデシュ・パキスタン混貼

 これは、バングラデシュ独立間もない1972年1月1日、東パキスタン時代の葉書にバングラデシュ切手を貼り足してチッタゴンから差し出された混貼使用例です。

 1947年に英領インド帝国が解体された際、現在のバングラデシュに相当する地域は東パキスタンとして、現在のパキスタンに相当する西パキスタンとともにパキスタン・イスラム共和国を構成することになりました。しかし、パキスタン国家の政治的な実権を握っていたのは西パキスタンで、東パキスタンで生産されるジュートによってもたらされる外貨は、西パキスタンに優先的に支出される状況が続きます。

 また、東パキスタンの住民の大半がベンガル語を母語としていたのに対して、パキスタン国家としての公用語は西パキスタンの主要言語であったウルドゥ語であり、そのことに対する東パキスタン側の不満も根強いものがありました。

 さらに、1970年の集中豪雨、ボーラ・サイクロンによって東パキスタン国土のほとんどが水没、17万人に上る死者が出たにもかかわらず、パキスタン政府の西パキスタン偏重政策は変わらず、東西の亀裂は決定的になります。

 こうした状況の下で行われた1970年の総選挙では、東パキスタンを地盤とするアワミ連盟が“バングラ民族主義”を掲げ、東パキスタンの選挙区で162議席中160議席を獲得。アワミ連盟の躍進が東パキスタンの分離・独立につながることを恐れたパキスタン政府は、選挙後、なかなか議会を開催しようとしなかったため、1971年3月7日、アワミ連盟は10万人の大集会を開催し、党首のムジブル・ラーマンがパキスタン中央政府への非協力政策を宣言しました。

 これに対して、3月25日、中央政府はムジブル・ラーマンを逮捕。さらに、パキスタン軍による東パキスタン住民の虐殺事件が発生します。翌26日、陸軍のジアウル・ラーマン少佐が「我々旧東パキスタンは旧西パキスタンに対し自由解放のための戦いを開始する」と宣言。4月10日には“バングラデシュ人民共和国”の独立が宣言された。

 すると、パキスタン政府は軍を空輸して武力鎮圧を試み、さらに、反独立派のイスラム過激派組織がベンガル人の大量殺戮を行ったため、9ヶ月で300万人もの死者が発生しました。

 この動きに目をつけたインドは、パキスタンを弱体化させるために、東パキスタンからインドへの難民流入を“人口学的侵略”として、1971年12月3日、パキスタンに侵攻。第3次印パ戦争が勃発しました。

 圧倒的な兵力を誇るインド軍の前に、パキスタン軍はわずか10日余りで降伏。12月16日、パキスタンはバングラデシュの独立を承認します。

 今回ご紹介の葉書は、こうした状況下、東パキスタンからバングラデシュへの移行期間に使用されたもので、パキスタン時代の葉書に、バングラデシュ切手2種(同年3月のパキスタン軍による東パキスタン住民の虐殺事件を非難する切手と、新生バングラデシュの地図を描いた切手)が貼られています。

 ところで、1971年3月のパキスタン軍による住民虐殺事件には、バングラデシュ最大のイスラム政党、ジャマティ・イスラミ(イスラム協会)の主要幹部が関与していたとして、2013年には、独立時の幹部4人が戦争犯罪を問われ死刑や終身刑の判決を受けたほか、世俗主義を定めたバングラデシュの憲法に違反するとして、同党の政党登録を違法とする高裁判決が出されています。

 当然のことながら、ジャマティ・イスラミが全国で激しい抗議運動を展開すると、これと連動してBNP率いる野党18連合がハシナ首相率いるアワミ連盟政権の退陣を求める運動を始め、各地で流血事件が発生。数百人の死者と数千人の負傷者が発生しています。こうした中で、野党18連合は2014年1月5日に行われた総選挙をボイコットしたため、与党アワミ連盟が圧勝。同月12日にはハシナ首相(3期目)を首班とするアワミ連盟政権が発足し、現在に至っています。

 なお、2014年の総選挙後、一時、バングラデシュの治安は安定の方向に向かっていましたが、2015年以降、野党連合は再び激しい反政府運動を展開。そこに付け込むかたちで、イスラム過激派も着実に勢力を伸ばしており、今回の事件も、そうした文脈の中で発生したものとみてよさそうです。

* 本日のよみうりカルチャー横浜での講座は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、スタッフ・関係者の方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
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 欲しくないですか/知りたくないですか

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