内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ペレス前大統領、きょう国葬
2016-09-30 Fri 09:46
 おととい(28日)亡くなったイスラエルのシモン・ペレス前大統領(以下、敬称略)の国葬が、きょう(30日)、エルサレムで行われます。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ベラルーシ・シモンペレス

 これは、2013年、ベラルーシが発行した“ベラルーシ出身のイスラエルの指導者”の切手のうち、シモン・ペレスを取り上げた1枚です。

 1948年に建国を宣言したイスラエル国家は、「全世界に離散したユダヤ人が“民族的郷土”のパレスチナに帰還し、ユダヤ人国家を建設する」というシオニズムを建国の理念としていました。このため、イスラエル建国後にイスラエルで生まれた世代が社会の第一線に出てくるまでは、世界各地からの移民が国家の指導層を構成していたわけですが、その中でも、現在のベラルーシの地域の出身者には、シモン・ペレス(第9・12代首相:1984-86年および1995-96年、第9代大統領:2007-14年)のほか、初代大統領(1948-52)のハイム・アズリエル・ヴァイツマン、第3代大統領(1963-73)のザルマン・シャザール、第7代首相(1977-83年)のメナヘム・ベギン、第8・10代首相(1983-84年および、1988-92年)のイツハク・シャミルなど、そうそうたる顔ぶれがいます。今回ご紹介の切手は、イスラエル建国65周年のタイミングに合わせて、ここに挙げた5人の肖像を取り上げた5種セットで発行されたものの1枚です。

 さて、シモン・ペレスは、1923年、ヴィシェニェフ(現在はベラルーシ領ですが、当時はポーランド領)で生まれました。1934年、家族とともに英委任統治領パレスチナのテルアヴィヴへ移住。同地のゲウラ・スクールおよびベン・シェメンの農業学校で学びました。

 1947年、イスラエル国防軍の前身にあたるハガナーに徴用され、ダヴィド・ベングリオンによって隊員募集と武器購入の責任者に指名されます。イスラエル建国後は1952年に29歳の若さで国防次官となり、1953年には国防大臣に就任し、イスラエル国防軍の武器調達や原子炉購入に尽力しました。

 第4次中東戦争後、イスラエル労働党の党首選挙に出馬したものの、イツハク・ラビンに敗退。そのラビンは1974-77年にイスラエルの首相(1回目)となりました。その後、1984年、右派リクードとの挙国一致内閣が発足すると、ペレスは首相に就任しています。ただし、1992年の党首選ではライバルのラビンに敗れ、そのラビンが総選挙でリクードのイツハク・シャミルから政権を奪還しました。

 1992年に発足したラビン政権では、ペレスを外務大臣に就任し、ヤーセル・アラファート率いるパレスチナ解放機構と和平交渉を進め、1993年には“オスロ合意(暫定自治政府原則の宣言)”を締結。翌1994年にはヨルダンとの平和条約にも調印し、その功績により、ラビン、アラファトとともに1994年のノーベル平和賞を受賞しました。その後、1995年11月4日、ラビンはテルアヴィヴで和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルに暗殺されると、ペレスが緊急閣議で暫定内閣の首相代行を経て2度目の首相に就任。和平の推進を目指します。

 しかし、第2次ペレス政権に対しては、和平に反発するパレスチナの過激派がテロを起こし、リクードのネタニヤフがそれを材料に労働党政権を批判。さらにレバノンのヒズボラもイスラエルを攻撃するなど、治安が急激に悪化したため、1996年の首相公選ではネタニヤフに1%差で敗れ、政権を失いました。

 その後、ペレスは2000年の大統領選にも出馬し、勝利が確実視されながらもリクードの推すモシェ・カツァブに逆転で敗退。2001年の首相公選で、リクードのアリエル・シャロンが政権を獲得すると、同政権下で外務大臣に就任しました。

 当時は、米国の911同時多発テロの影響もあり、右派出身の閣僚たちはアラファトの政治生命を断つべきだと主張しましたが、ペレスはそれに抑えて、パレスチナ側とのチャンネルを維持しようとしました。

 2005年、リクードの党首だったシャロンがエフード・オルメルトやツィッピー・リヴニらとともにリクードを離党すると、ペレスも労働党を離党し、両者は「領土の譲歩」と「非武装のパレスチナ国家承認」を基本方針とする中道政党カディマを結成。2007年にはカディマから第9代イスラエル大統領に当選し、2014年まで大統領職を務めました。イスラエル国内の治安状況が悪化する中で、カディマの“理想主義”は必ずしも国民の支持を得られず、2013年の総選挙ではわずか2議席しか獲得できないという歴史的大敗を喫したものの、ペレス個人は、国内における穏健派の重鎮として、亡くなるまで、イスラエルの世論形成にも大きな影響力を持っていました。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。


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 ファイターズが4年ぶり優勝
2016-09-29 Thu 11:15
 プロ野球のパシフィック・リーグは、北海道日本ハムファイターズが4年ぶりに優勝しました。というわけで、“戦士”にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アラリボイア  アラリボイア・銅像

 これは、1973年にブラジルで発行された大酋長アラリボイアの切手です。切手の右には、ニテロイ港にあるアラリボイアの銅像の写真を貼っておきました。銅像は半裸の姿ですが、切手では、そこに大酋長としての盛装の飾りをつけた姿になっています。

 16世紀前半、ブラジル沿岸部は、ポルトガル、フランス、オランダの各国が領土の争奪戦を展開していましたが、その過程で、1555年、フランスは先住民のタモイオ族と結んで、グアナバラ湾沖合の小島を占領します。

 一方、グアナバラ湾を挟んで現在のリオデジャネイロ市の対岸の地域は、ポルトガル人の来航以前から先住民の集落があった場所で、先住民のトゥピ語で“隠れた水(川、海、湾など)”を意味する“ニテロイ”と呼ばれていました。当時、ニテロイとその周辺はテミミノ族が支配しており、その大酋長は、トゥピ語で“獰猛なヘビ”を意味する“アラリボイア”の名で呼ばれていました。

 アラリボイアは、1564年以降、ポルトガルの軍人、エスタシオ・デ・サアと協力してフランス軍に抵抗。小山の上からフランスの動きを見張り、その動きを逐一ポルトガル軍に報告したほか、自らも戦闘に参加し、1567年、フランスを放逐します。ちなみに、この間の1565年3月、エスタシオ・デ・サアはグアナバラ湾に面した一角に橋頭保を築きましたが、これが、都市としてのリオデジャネイロのルーツになりました。

 フランスに対する勝利の後、ポルトガルはアラリボイアの功績を認め、マルチン・アフォンソ・デ・ソウザというポルトガル名とポルトガルの市民権、さらに毎年1万2000ヘアイスの年金を与えるとともに、彼をニテロイ一帯の執政官に任じ、1587年に彼が亡くなるまで、大酋長時代からの権利を保証しています。

 なお、1565年にリオデジャネイロ市が発足した頃の話については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界遺産破壊の過激派に判決
2016-09-28 Wed 10:47
 2012年にマリ北部の世界遺産都市・トンブクトゥの文化遺産の破壊を主導したとして戦争犯罪の罪に問われていたイスラム過激派組織、アンサール・ディーンの元指導者アフマド・ファキ・マフディ被告に対し、きのう(27日)、国際刑事裁判所は禁錮9年の判決を言い渡しました。文化財の破壊が戦争犯罪として裁かれたのは初めてのことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      トンブクトゥ・シディヤフヤーモスク(1914)

 これは、現在のマリ共和国が仏領オート・セネガル・ニジェールだった時代の1914年、トンブクトゥから差し出された絵葉書で、2012年にアンサール・ディーンによって破壊された同地のシディ・ヤフヤー・モスクの往時の姿が取り上げられています。

 トンブクトゥの起源については諸説ありますが、11世紀前半、遊牧民であるトゥアレグ人がサハラ交易の冬の宿営地として始まったと考えられています。

 トゥアレグ人たちのサハラ交易は、サハラ砂漠の西部の大塩床タガザから駱駝で運ばれてくる塩板(板状の岩塩)と南のアカン金山やセネガル川上流で採掘される金などを商品にして、それを北アフリカからやってくるアラビア商人のもたらす衣類・刀剣などの手工業製品や馬などと交換するものでした。サハラを越えてやってきたトゥアレグ人の隊商は、ニジェール川にも近いサハラ南縁の地に大きな井戸を見つけ、その周辺を宿営地として選びました。

 井戸の周囲には、その昔、ブクトゥという女性が住んでおり、彼女は交易に出るトゥアレグの隊商たちの荷物を預かっていたといわれています。そこで、いつしかこのオアシスの周囲は“ブクトゥの井戸”を意味するトンブクトゥの名前で呼ばれるようになり、次第に集落がつくられていったと考えられています。

 1230年頃、カンガバ(ニアニ)の王子として生まれたスンジャータ・ケイタはクリコロ(現在のマリの首都、バマコの近郊)で王として即位。彼の国は“王の在所”を意味する“マリ”の名で呼ばれるようになりました。その後、マリ帝国はサハラ交易の富によって繁栄してその版図を拡大し、13世紀末までにはトンブクトゥもその支配下に入ります。

 当時のトンブクトゥでは、城内に持ち込まれる塩に対しては、ラクダ1頭当たり金貨で約4gの税が、城内から持ち出される塩には金貨で約8gの税が課されていました。塩を運んで町を往来するラクダの数は毎年2万頭以上もありましたから、それだけで、町は莫大な税収を手にしていたことになります。

 帝国は、マンサ・ムーサ(在位1312-37年)からマンサ・スレイマン(在位41-60年)の治世下、大西洋岸からトンブクトゥおよびガオまで及び、ブレおよびバンブクの金鉱もおさえて、帝国は絶頂期を迎えました。当時の総資産は、金の価格などから推定すると、現在の貨幣価値にして約4000億ドルにも達したといわれています。

 マンサ・ムーサは、1324年にメッカ巡礼を行い、その帰途、エジプトやモロッコから著名な学者や文化人、建築家などを連れ帰り、帰国後、トンブクトゥとガオに巨大なモスクや学院を建立しました。

 このうち、トンブクトゥでは、1325年、マンサ・ムーサがメッカから連れ帰ったアンダルス(イスラム支配下のスペイン)の建築家、サヘリーによって、井戸の南方に巨大モスクのジンガレー・ベルが建立されています。

 ジンガレー・ベルから北西の方角には、やはりマンサ・ムーサ時代に建立されたサンコーレ・モスクと、その南側には1400年から1441年にかけて、40年もの歳月をかけて建造されたシディ・ヤフヤー・モスク(今回ご紹介の葉書に取り上げられたモスクです)があります。ふたつのモスクはもともと学院として建てられたもので、往時には2万5000人もの学生・学者が学び、膨大な数の書物が集められました。また、モスクの周囲には、地元の聖者音墓廟が設けられ、人々の信仰を集めていました。

 16世紀末、トンブクトゥを占領したモロッコの軍勢は膨大な量の書物を略奪していきましたが、地元の人々は書物を土壁の中に隠したり、砂漠の中に埋めたりするなどして、相当数の写本を略奪者の手から守りました。19世紀以降のフランス植民地時代にも、相当数の写本がフランスへ持ち出されましたが、それでも、1万点を超える写本がトンブクトゥに残され、それらは、市内のアハメド・ババ研究所などに保管されていました。

 2012年夏、トンブクトゥを支配下に置いていたイスラム武装勢力、アンサール・ディーンは、これらモスクとその周辺の聖者廟を破壊します。いわゆるイスラム原理主義者たちの理解によれば、聖者廟への参詣は偶像崇拝を禁じたイスラムの教義に反するというのがその理由です。

 このため、危機感を抱いたアハメド・ババ研究所のスタッフは秘密裏に写本を首都のバマコへと運び出しました。その結果、2013年2月、アンサール・ディーンは、フランス軍の攻撃を受けてトンブクトゥから撤退する際に研究所に火を放ちましたが、写本などの焼失被害を5%に食い止めることができたそうです。

 なお、世界遺産のトンブクトゥを含むマリとその歴史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 切手に見るソウルと韓国:韓進海運
2016-09-27 Tue 18:06
 ご報告が遅くなりましたが、 『東洋経済日報』9月16日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、世界的な大手海運会社の韓進海運が経営破綻した直後の号だったので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓進コンテナ

 今年(2016年)8月31日に経営破綻した韓進海運が属する韓進グループは、解放後まもない1945年11月1日、趙重勲が仁川で設立した韓進商事から出発しました。1956年には在韓米軍の輸送業務を請け負うようになり、ヴェトナム戦争中の1966年にはヴェトナムに派遣される米軍の現地での物資輸送を請け負う契約を結び、急成長を遂げます。

 その躍進ぶりに目を付けた朴正熙は、1969年、経営不振に陥っていた大韓航空公社の民営化を趙重勲に委ね、現在の大韓航空が誕生しました。

 そして、同年11月、韓進は米国の海運会社シーランド社と、シーランドのコンテナ船のためのコンテナターミナルの運営契約を結び、翌1970年9月、釜山港にコンテナ埠頭を開業させてコンテナ業務に参入します。

 当初、韓進はシーランドをはじめとする海外の船会社の荷役作業を行っていましたが、1977年には、韓進コンテナラインズを設立して、自らも海運業へと参入し、韓進グループは陸・海・空の総合物流企業となりました。その後、韓進コンテナラインズは、1978年に中東航路、1979年に北米西岸航路を開設し、グローバル海運会社に成長します。

 1981年5月10日に韓国で発行された“船舶シリーズ”の切手には、その開業当時のコンテナ船“韓進ソウル”号が取り上げられています。なお、切手には“コンテナ船”としか表示されておらず、具体的な船名は記されていませんが、船の形状などから、韓進ソウル号が描かれていると特定することが可能です。

 韓進ソウル号は、現代重工業の蔚山造船所で1977年12月15日に起工し、翌1978年12月24日に進水。完成して、韓進側に引き渡されたのは1979年2月15日のことでした。

 全長201m、幅24mで、総トン数は1万7088 t、載貨重量トン数は1万8835 t。2007年にMSCソウル号と改称され、現在でもキプロスに船籍を置いて、リマソール(キプロス)を母港として運航を続けています。

 ソウル五輪が開催された1988年、韓進コンテナラインズは、大韓商船を合併して現在の韓進海運が誕生。これにより、韓進は、名実ともに韓国海運業の頂点に立ちます。

 もともと、韓国の海運業は、1948年の大韓民国独立に伴い、米軍政下で接収された旧日本船と米国から無償供与・貸与された船舶をもとに、国営事業としてスタートしました。1950年1月、韓国政府は海運民営化の方針を決定し、特別法により大韓海運公社(大韓船洲)を設立し、公社が政府保有船をひきとる形式となりましたが、公社の株式の97%は韓国政府が直接・間接に保有していたので、事実上の国営体制に変化はありませんでした。

 その後も韓進が本格的に海運業に参入するまで、韓国の海運事業は公社による事実上の独占体制が続いていましたが、さすがに、1980年代に入ると、海運業を取り巻く環境の変化もあり、公社の経営は悪化。1984年には大韓商船に改称・改組して再建を図ったが、最終的に韓進と合併したというわけです。

 1990年代から2000年代にかけて、韓進海運の業績は順調に推移し、1992年に売上高1兆ウォンを超え、1995年に巨洋海運、1997年に独セネターラインズを買収し、欧州・中国などに領域を拡大。2003年には中国コスコ、台湾陽明、日本Kラインなどと同盟を結成し、グローバルコンテナ船社としての地位を確立しました。

 しかし、2002年に創業者の趙重勲が、2006年には趙重勲の3男で2代目会長となった趙秀鎬が相次いで亡くなり、趙秀鎬夫人の崔恩瑛前会長が経営の一線に登場してきたあたりから雲行きが怪しくなってきます。

 特に、2008年の世界金融危機で世界的に海運業が停滞する中で、韓進海運は流動性の高い資産を次々と切り売りした結果、流動性危機が深刻化。2013年に2423億ウォンの営業損失を出すなど3年連続の赤字で危機を迎えたため、2014年からは韓進グループの趙亮鎬会長が2年間に1兆2000億ウォンを支援していました。たが、海運業不況の長期化と好況期に借りた高い傭船料、船舶金融費用などで、2015年末に連結基準で847%だった負債比率は今年6月には1076%に上昇。8月末、ついに、日本の会社更生法に相当する“法定管理”の手続き開始をソウル中央地裁に申請し、経営破綻に陥ったというわけです。


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 コロンビアで和平合意署名式
2016-09-26 Mon 16:48
 南米のコロンビアで、半世紀以上続いた内戦の終結で合意した政府と反政府ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)による和平合意の署名式が、きょう(26日)、同国北部のカルタヘナで行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・リオ五輪

 これは、今年(2016年)7月7日、コロンビアが発行したリオデジャネイロ五輪パラリンピック参加の記念切手です。切手は、停戦合意に向けた交渉が進展する中でデザインが作られたため、和平への期待を込めて各競技のピクトグラムを組み合わせて平和のシンボル、ハトが表現されています。ちなみに、切手の発行直前の6月22日、停戦合意が成立したことを受けて、8月の五輪の開会式では、コロンビア代表は国旗とともに、停戦協定を支持する平和の旗を掲げて入場行進を行いました。

 1959年にキューバ革命が起きると、コロンビアでもその影響を大きく受けた組織が数多く誕生しました。そのうち、1964年5月27日に結成されたFARCは、当初は武装農民運動でしたが、1966年以降、最高司令官、マヌエル・マルランダの下で社会主義革命政権の樹立を目指して反政府ゲリラ活動を展開するようになりました。

 1980年代初頭までFARCの勢力は1000人規模でしたが、1980年代半以降、FARCは麻薬密売組織と協力関係を結ぶことで多額の軍資金を獲得し、急速に勢力を拡大させました。その結果、最盛期の2000年代にはFARCの勢力は1万8000人にまで膨れ上がり、支配地域でのコカ栽培への課税、住民からの徴税、要人誘拐による身代金やコカイン取引で毎年推定8億ドルもの活動資金を得ていました。半世紀余りの間の死者は26万人以上、行方不明者は4万5000人とされています。

 2010年9月23日、コロンビア軍はFARC司令官のホルヘ・ブリセーニョを軍事作戦の末に殺害。さらに、翌2011年、FARC最高幹部アルフォンソ・カノを南西部カウカ県の山岳地帯で殺害しました。カノの死後、新たにFARCの指導者となったロドリゴ・ロンドーニョ・エチェベリ(通称ティモチェンコ)は、当初、武装闘争の継続を宣言していましたが、翌2012年2月26日、FARCはそれまで10年以上拘束していた軍・警察関係者の人質10名を解放するとともに、「今後身代金目的の民間人の誘拐は行なわない」とする声明を発表。これを受けて、同年10月、ノルウェーのオスロでコロンビア政府とFARCの和平交渉が本格的にスタートしました。

 2015年9月23日、コロンビア政府はFARCと続けてきた和平交渉について、半年以内に妥結することを発表。サントス大統領は同日、キューバの首都ハバナでFARC最高幹部のティモチェンコと会談し、紛争中の重大犯罪を裁く特別法廷の設置、犠牲者への補償、和平合意後60日以内に武装解除を行うことなどで合意に達しました。

 さらに、2016年6月22日、コロンビア政府とFARCの停戦合意が成立。翌23日、ハバナで、国連の潘基文事務総長、キューバのラウル・カストロ国家評議会議長、チリのミシェル・バチェレ大統領、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領らの同席の下で、サントスとティモチェンコ最高司令官が、①FARCは60日以内に武装放棄し、180日以内に全ての武器を国連主導の国際委員会に引き渡す、②国内23ヶ所に武器の引き渡し場所を設け、治安当局がFARC戦闘員の安全を保障する、③FARC戦闘員への逮捕命令は一時停止されるが、合意違反は処罰される、ことなどを骨子とする停戦協定に署名しています。

 さらに、リオ五輪閉幕後の2016年8月24日、コロンビア政府とFARCは内戦の終結に合意したとの共同声明を発表。今回の署名式はこれを受けて行われるものです。

 なお、和平合意を受けてFARCは完全に武装解除されることになりますが、FARCの放棄した武器は、国連が引き取ったうえで、ニューヨークの国連本部、コロンビア、キューバのハバナの3ヵ所に記念碑が建立されることになっています。


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 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2016-09-25 Sun 22:39
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第33号(2016年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ベルギー・チョコレート(2013)

 これは、2013年にベルギーが発行したチョコレート切手です。

 ヨーロッパ諸国のうち、チョコレートが重要な輸出産業となっている国は、たいてい、自国のチョコレートを広く諸外国に宣伝するための切手を発行しています。数多くのチョコレート工場を有するベルギーの場合も例外ではなく、過去にも何度かチョコレートを題材にした切手を発行しています。その中でも、今回ご紹介の1点は、こだわりの1品として発行当時は大きな話題となりました。

 切手シートには、溶けたチョコレートがしたたり落ちる背景の中に、スプリンクル、製菓用のブロック、ハート形のプラリーヌ、パンに塗られたチョコレートスプレッド、板チョコが取り上げられています。

 このうち、スプリンクルは、チョコレートを細かい麺状に絞り出して冷やし、回転釜で粉砕して細かい棒状にしたもので、日本ではチョコレート・スプレー(スプレー・チョコレートとも)とも呼ばれる。スプリンクルは“ふりかけ”、スプレーは“しぶき”という意味です。アイスクリームやクッキー、縁日のチョコバナナなどのトッピングに使われるのは、カラフルなものが主流ですが、切手では、チョコレートそのものを見せるため、着色されていない状態で描かれています。

 また、プラリーヌは、一口サイズで、中にクリームやリキュール、アーモンドと砂糖をペースト状にしたマジパンなどを詰めたものです。もともとは、1912年にベルギーの薬剤師、ジャン・ノイハウスがナッツ類に飴をからませ、ペースト状にしたものをチョコレートの中に包み込んだのが始まりとされています。ベルギーでは欠かせないチョコレートといえましょう。

 実は、この切手シートには、ダークチョコレートの味と香りが付けられています。裏面の、糊の部分にカカオエキスが含まれていて、舐めるとチョコレートの味がします。さらに、印刷用のインクには香料が混ぜられているので、香りも楽しめるのです。

 チョコレートの香りがついた切手には先例がいくつもありますが、この切手シートは、よりリアルな香味を再現するため、ベルギー国内のみならず、ドイツ、オランダ、スイスなどの専門家を集めて仕上げています。これまでの切手よりもはるかに完成度の高い1枚となりました。


★★★ 講座のご案内 ★★★

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 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

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 開催御礼
2016-09-24 Sat 10:51
      ブラジル大使館・ペドロ文化担当官

 おかげ様で、きのう(23日)、ブラジル大使館で開催された拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行記念トークイヴェントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、ブラジル大使館はじめ開催にあたりご支援いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。(冒頭の画像は、今回のイベントの開催にご尽力いただいたブラジル大使館のペドロ・ブランカンチ文化担当官との2ショットです)

 さて、今回のイベントでは、ブラジル大使館のご厚意で、ご来場の皆様にアサイー・ドリンクをご提供いただきました。そこで、きょうは、そのお礼の意味も込めて、この切手をご紹介したいと思います。(右側に、ご提供いただいたアサイー・ドリンクの画像も貼っておきます)

      ブラジル・アサイー  アサイー・ドリンク

 切手は、1994年4月24日、ドイツ植物学者のカール・フレデリック・フィリップ・フォン・マルティウスの生誕200年を記念して発行されたもので、アサイーの木と実が描かれています。

 アサイー(和名はワカバキャベツヤシ)は、ブラジル・アマゾンが原産のヤシ科の植物で、木の高さは20-30m。ブルーベリーに似た外観の実が枝の間に房状に実り、1本の木には1房3-6kgの実が3-4房の実なります。収穫は、木を切り倒すのではなく、農家の人が木に登り手掴みで実だけを採取します。

 アサイーの実は栄養価が非常に高く、アサイー果実100g中に含まれるポリフェノールは約4.5gで、ココアの約4.5倍、ブルーベリーの約18倍ともいわれています。他にも、鉄分はレバーの3倍で、食物繊維、カルシウムなども豊富です。

 アサイー自体にはほとんど味がないため、ジュース状にした後、牛乳やヨーグルト等の乳製品、バナナやイチゴあるいはそれらの果汁などと混ぜて飲むのが一般的で、ボウルにアサイーのスムージーを入れ、バナナやクラッカーなどとともに“アサイーボウル”として食されることもあります。また、成長点(ハートオブパーム)は、野菜としてサラダなどに利用されています。

 切手の題材となったカール・フリードリヒ・フィリップ・フォン・マルティウスは、1794年4月17日、バイエルン北部のエアランゲンに生まれました。1814年にエルランゲン大学を卒業し、大学の植物園の植物目録を作成。その後も植物学の研究を続け、1817年から行われた、オーストリアのブラジル学術探検に参加します。その範囲は、ブラジル南部、東部を経て、リオデジャネイロからアマゾン川やその支流を遡上し、ブラジル北部のタバティンガにまで及んでいます。

 1820年の帰国後、ミュンヘン植物園に採用され、1826年にミュンヘン大学の植物学の教授に就任。ブラジル植物の専門家として、主著に『ブラジルの新種植物』(Nova Genera et Species Plantarum Brasiliensium, 1823–1832, 3 vols)、『ブラジルの隠花植物図鑑』(Icones selectae Plantarum Cryptogamicarum Brasiliensium, 1827))、『ヤシの自然史』(Historia naturalis palmarum, 1823–1850, 3vols)などがあります。今回ご紹介の切手の図案は、このうちの『ヤシの自然史』から採られたものです。また、植物以外にも、ともにブラジル探検をおこなったヨハン・バプチスト・フォン・スピックスの集めたブラジルの動物の研究も行ったほか、ブラジルの先住民に関する論文もあります。

 なお、切手は“国内宛ファースト・クラス”用の無額面永久保証切手ですが、切手発行時の販売価格は144クルゼイロ・レアルでした。


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 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
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 Bリーグ開幕
2016-09-23 Fri 11:32
 分裂した2つの国内男子リーグを統合し、新たに発足したバスケットボールのプロリーグ・Bリーグが、きのう(22日)、アルバルク東京(A東京)-琉球ゴールデンキングスの試合で開幕しました。試合はA東京が琉球を80-75で下し、歴史的な1勝をあげています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      第42回国体(みほん)

 これは、1987年10月24日に発行された第42回国民体育大会(国体)の記念切手で、開催地の沖縄県にちなみ、守礼門を背景に男子バスケットボールの選手が描かれています。敗れはしましたが、開幕戦を戦ったチームが琉球でしたから、琉球とバスケットボールの組み合わせということで、この1枚を選びました。

 さて、1987年の秋季大会は、“海邦国体"の名の下、10月25日から30日まで、沖縄県沖縄市の沖縄県総合運動公園陸上競技場を主会場として、県下10市10町14村で選手・役員1万958名を集めて行われました。大会のスローガンは「きらめく太陽 ひろがる友情」で、マスコットは“クイクイ”です。天皇杯・皇后杯はともに開催県の沖縄県でした。

 海邦国体の開催により、国体の開催地は全国を一巡したことになりました。また、今回の大会には、沖縄の復帰15周年を記念する大会という意味合いも込められていました。

 ところで、国体の開会式には両陛下のご臨席が通例となっていますが、沖縄の場合は過去の歴史的経緯もあって皇室制度に対して批判的な勢力も強く、また、1975年の海洋博の際には当時の皇太子(今上陛下)ご夫妻に対して火炎瓶が投げつけられる等の事件も起こっています。このため、昭和天皇の沖縄訪問に関しては賛否両論がありましたが、大会直前の1987年9月22日、昭和天皇は腸の病を患い、開腹外科手術を受けられたことで、天皇の沖縄訪問は中止となり、皇太子が名代として臨席することになりました。

 切手はバスケットボールと守礼門を描くもので、原画作者は山之内孝夫でした。切手に描かれている選手の背番号ですが、一般に4番はチームの主将が、8番は、現在ではパワーフォワードの背番号というのが一般的なようですが、当時は防御にまわる後衛の選手(ガード)がつける番号とされていました。したがって、切手に描かれているのは、濃いユニフォームのチームの主将のシュートを相手側のガードが防御している場面ということになります。


★★★ トークイヴェントのご案内 本日開催!★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順) 

 * 当日いきなりのご参加もOKになりました。ただし、残席僅少です。
  
 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 

 お問い合わせ・懇親会のお申し込みは、下記宛にお願いいたします。

  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 一人でも多くの方にお会いできるのを楽しみにしております。

★★★ 講座のご案内 ★★★

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 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

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 カシアス公廟
2016-09-22 Thu 14:11
 きょうは秋のお中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。というわけで、恒例の“お墓”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・カシアス公生誕150年(墓)

 これは、1953年にブラジルで発行されたカシアス公(ルイス・アルヴェス・デ・リマ・デ・シルヴァ)生誕150周年の記念切手のうち、カシアス公の墓を取り上げた1枚です。

 カシアス公は、1803年8月25日、リオデジャネイロ州の“サンパウロ”という名の大農場主の家に生まれました。1822年、若くしてブラジル独立戦争に従軍。以後、皇帝ドン・ペドロ1世の忠臣として活躍し、ドン・ペドロ2世の教育係にも任じられました。

 独立後まもない時期のブラジルでは地方の叛乱が相次ぎましたが、カシアス公はその鎮定に奔走。1856年にはドン・ペドロ2世によって首相に任命されます。さらに、1864年に三国同盟戦争が勃発すると総司令官に任じられ、ブラジル軍を勝利に導くなど、1880年に76歳で亡くなるまで、ブラジル帝国の屋台骨を支え続けました。

 1889年の共和革命後、皇室の忠臣だったカシアス公は忘れられた存在になっていましたが、生誕120年にあたる1923年以降、陸軍によって軍事的な英雄として再評価する動きがはじまり、1925年には彼の誕生日にあたる8月25日がブラジル陸軍を讃える“兵士の日”に指定されます。

 こうした流れを踏まえ、1937年、リオデジャネイロ中央駅の東側に竣工した陸軍総司令部の庁舎はカシアス公宮殿と命名されました。さらに、カシアス宮殿の前には、1949年8月25日、カシアス公の騎馬像と霊廟が建立され、リオ市内のサン・フランシスコ・デ・パウラ墓地に埋葬されていたカシアス公夫妻の遺体が霊廟に移されました。ちなみに、カシアス公の騎馬像と霊廟の外観は、こんな感じになっています。

      カシアス公像

 なお、カシアス公像・霊廟のあるリオ市内のメインストリート、プレジデンチ・ヴァルガス通りの歴史と景観については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

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 アルメニア再独立25年
2016-09-21 Wed 10:57
 1991年9月21日に南カフカース(コーカサス)のアルメニアが再独立してから、今日でちょうど25年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルメニア・独立後最初の切手

 これは、1992年4月28日、再独立後のアルメニアで発行された最初の切手の小型シートです。切手部分はアルメニアの象徴とされるアララト山を背景に、国旗カラーの鳥が飛ぶデザインになっています。

 現在のアルメニア国家に相当する地域は、1828年のトルコマンチャーイ条約によって帝政ロシアの支配下に入りました。

 1917年のロシア革命を経て、1918年5月、アルメニアとアゼルバイジャンは相次いで独立を宣言。その際、ムスリム国家アゼルバイジャンの領域内にありながら、キリスト教徒のアルメニア人が多数居住している“飛び地”のナゴルノ・カラバフをめぐりアルメニアとアゼルバイジャンは激しく対立しましたが、1920年には赤軍の進駐により両国はいずれも崩壊。翌1921年、ロシア革命政府はナゴルノ・カラバフを“自治州”としてアゼルバイジャンに帰属させました。

 1922年末に成立したソ連においては、アゼルバイジャンとアルメニアはともに連邦を構成する社会主義共和国となったため、ナゴルノ・カラバフ問題もとりあえず棚上げとなります。しかし、1985年以降、ゴルバチョフの下でソ連のペレストロイカ改革が進むと、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は自治州のアルメニアへの編入を請願しました。

 ゴルバチョフはこれを拒否しましたが、1988年2月、自治州政府は公式にアルメニアへの移管を要請。さらに、2月22日、ナゴルノ・カラバフのアスケランで起きたアゼルバイジャン人青年の殺害事件を機に、対立は一挙に暴力化します。6月15日には、アルメニア共和国最高会議がナゴルノ・カラバフ自治州の自国への移管を決議すると、翌16日にはアゼルバイジャン最高会議がこれを否認する決議を採択し、ソ連の枠内での内戦に発展しました。

 さらに、1988年12月加えて同時期に発生したアルメニア地震に対しても、ソ連政府の対応は後手にまわって不十分であったため、アルメニア人のモスクワに対する不満が爆発。1990年5月に実施されたアルメニア最高会議選挙においては、ナゴルノ・カラバフのアルメニア編入を求める“アルメニア全国民運動”が多数派となりました。同年8月には全国民運動から出馬したレヴォン・テル=ペトロシャンが、共産党のウラジーミル・モフセシャンを破って最高会議議長に選出。1991年8月、保守派クーデターの失敗を経て、9月21日、アルメニア共和国としてソ連からの独立が宣言されました。


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 ズンビの国
2016-09-20 Tue 12:56
 きのう(現地時間18日)閉幕したパラリンピックの閉会式で、出演したブラジルの音楽グループ“ナサォン・ズンビ”のメンバーが演奏の最中、「テメル(大統領)は出ていけ」と書いた紙をステージ上で掲げる一幕がありました。というわけで、“ズンビの国(バンド名の直訳)”といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ズンビ・ドス・パルマーレス

 これは、1995年にブラジルで発行された“ズンビ・ドス・パルマーレス没後300年”の記念切手です。

 ポルトガル植民地時代、アフリカからブラジルに連れてこられた黒人奴隷の中には過酷な労働から逃げ出して密林地帯や山間の僻地などに“キロンボ”と呼ばれる集落を形成するものが少なからずいました。1570年以降、キロンボはブラジル北東部のバイーア、ペルナンブーコ、アラゴアスに拡大し、18世紀には南東部のサンパウロ州からミナス・ジェライス州にも登場します。キロンボの規模は50軒程度の小規模なものから数千軒規模のものまでさまざまで、彼らは独自に農耕・狩猟等に従事するほか、白人の集落を襲撃したりすることもありました。

 そうしたキロンボの中でも、1597年、ペルナンブコ州で40人の奴隷が反乱を起こし、農園主などを殺害してセーラ・ダ・バヒーガ山の山頂付近に逃げ込んでつくったのが、“キロンボ・ドス・パルマーレス”のルーツです。その後、彼らの逃げ込んだ土地が肥沃だったこともあり、キロンボ・ドス・パルマーレスは順調に発展し、ポルトガルやオランダ人(一時期、ブラジル北東部を支配していました)の攻撃も退け、最盛期には約3万人の住民を擁して、事実上の独立国家の様相を呈していました。

 そうしたなかで、1655年、ポルトガル軍の司令官、ブラス・ダ・ロッシャ・カルドーゾが数人の捕虜と1人の生まれたばかりの赤ん坊を捕えてパルマーレスとの戦いから帰還。赤ん坊は、ポルト・カルヴォに住んでいたアントニオ・メロ神父の元に引き渡され、フランシスコと名付けられ、キリスト教の教義やポルトガル語、ラテン語の教育を受けて育てられた。

 フランシスコは非常に優秀で、メロン神父も彼に愛情を注いでいましたが、次第に、自分と同じ黒人の奴隷が白人の下で苦役を強いられていることに心を痛めるとともに、まだ見ぬ家族への思慕が募り、1670年、15歳にしてパルマーレスへ逃亡。住民たちは彼を歓迎し、彼のことを“ズンビ”と呼ぶようになりました。

 ズンビは、当時のパルマーレスのリーダーだったガンガ・ズンバの片腕として、ポルトガル軍の相次ぐ攻撃からキロンボを防衛することに力を注ぎます。1680年にガンガ・ズンバが毒殺されると、ズンビは25歳で後継指導者となり、キロンボを率いることになります。

 1694年、植民地政府はドミンゴス・ジョルジ・ヴェーリョひきいる9000のポルトガル軍を派遣し、パルマーレスに対して総攻撃を仕掛けてきました。圧倒的な火力を有するポルトガル軍はパルマーレスの城壁を破壊して中心地マカコに侵入。キロンボは崩壊し、ズンビも戦闘で負傷して、命からがら逃げだしました。

 しかし、信頼していた一部隊のリーダー、アントーニオ・ソアレスの裏切りによって、ポルトガル軍はズンビの潜伏場所を急襲し、彼を逮捕。翌1695年11月20日、ズンビは斬首され、その遺体はレシーフェの街の広場に遺体は晒し者にされました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して300年になるのを記念して発行されたものです。

 現在、ズンビは、黒人の自由とアフリカ文化を守り抜いた歴史上の英雄として、彼の命日にあたる11月20日は、ブラジル各地で“黒人の意識向上の日”の記念日になっています。

 ちなみに、パラリンピックの閉会式で抗議の紙を掲げたナサォン・ズンビは、シコ・サイエンスが1991年にズンビ終焉の地レシーフェで結成した音楽グループで、ブラジル北東部の伝統音楽であるマラカトゥやコーコに、ハードロック系のノイジーなギターとサンプリング、そしてラップ風のボーカルといったヒップポップ感覚をミックスした“マンギビート”を作り出し、ブラジル現代音楽に一台革命をもたらしました。リーダーのシコは1997年に自動車事故で亡くなりましたが、グループとしての活動は現在も継続しており、閉会式でのパフォーマンスになったというわけです。

★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順) 

 * ブラジル大使館のご厚意で、当日いきなりのご参加もOKになりました。ただし、残席僅少です。
  
 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 
 お問い合わせ・懇親会のお申し込みは、下記宛にお願いいたします。

  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 一人でも多くの方にお会いできるのを楽しみにしております。

★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 敬老の日
2016-09-19 Mon 12:13
 きょう(19日)は“敬老の日”です。というわけで、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』にちなんで、ブラジル切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・老人の日

 これは、1958年9月27日に発行された“老人の日”の切手で、砂時計の中に高齢の女性(上段)と男性(下段)を配したデザインとなっています。

 ブラジルの平均寿命は、1950年台前半には50.9歳でしたが、その後、着実な伸びを示し、2000年代前半では71.0歳に達し、2040年代後半で79.5歳になると推測されています。これに伴い、高齢者の人口も、1950年には161万人だった60歳以上の人口が、2007年には2000万人にまで急増。さらに、2050年には4928万人(100年間で30.60倍)にまで上昇すると推測されています。

 一方、年少人口比率は、ピーク時の1965年の44%をピークに1975年までは40%を超えていましたが、その後、徐々に減少して、2000年には29.6%となり、2040年代後半には18%前後にまで落ち込むことが予測されています。ただし、人口の絶対数でいうと、年少者人口のピークは1990年の5278万人で、これが2050年には4487万人にまで減少する見込みです。ただし、この数字は、1950年の年少人口、2243万人の約2倍ですから、人口問題としては、少子化よりも高齢化の方がはるかに深刻ということになります。

 このため、2010年に7%に到達したブラジルの高齢化率(全人口のうち、65歳以上の人口が占める割合)は、2031年には倍の14%になるものと推計されていますが、フランスの高齢化率が7%から14%になるまでに115年かかったのに比べると、かなりな急ペースです。ちなみに、わが国では同様のプロセスは26年で起きていますから、ブラジルの高齢化は日本のイメージでとらえると理解しやすいかもしれません。

 ところで、ブラジル社会では家父長的な慣行が尊重されてきたという経緯がありますが、民政移管後の1988年の連邦共和国憲法でも、たとえば、第230条では、政府にはブラジル高齢者(ブラジルの基準では60歳以上)の“威厳”を守る義務があるとされ、高齢者には公共交通機関が無料で解放される(このため、ポン・ヂ・アスーカルのロープウェイも60歳以上は無料です)ことになっています。

 さらに、2000年には金融機関と政府機関に対して高齢者に“即時”かつ“特別”な配慮を払うことを命じる連邦法(違反者には最大2500ヘアイスの罰金)が成立。2003年には、その対象が民間企業に対しても拡大されたため、多くの施設では高齢者向けの“優先窓口”が儲けられるようになりました。

 ところが、高齢者の急増に伴い、一般の窓口よりも高齢者向けの優先窓口の方に長蛇の列ができるという逆転現象がしばしば発生。このため、2014年、東部セアラー州の州都・フォルタレザでは、高齢者や障碍者は、どこでも、どの列にも割り込めるという条例が可決され、高齢者による行列の割り込みが“合法化”されました。

 当然のことながら、高齢者がこの条例を歓迎する一方、一般消費者の間からは批判の声も強く(ウォール・ストリート・ジャーナル紙には「(年齢にかかわらず、病人や体の弱い人に優先的な処遇を与えるのには賛成だが)髪を染めて、ポケットにバイアグラを詰め込んだような“高齢者”が列に割り込むと腹が立つ」という声が紹介されています)、また、こうした権利を濫用する高齢者も後を絶たないようです。

 いずれにせよ、今回ご紹介の切手が発行された1950年代のように、ブラジル社会において高齢者がごく少数派であった時代なら、“割り込み”の合法化にも問題はなかったのでしょうが、上述のように、急激な高齢化が進み、高齢者が決して少数派ではなくなってくると、さて、どうでしょうかねぇ。“割り込み”の合法化はお金のかからない政策なのでよいことじゃないかという人もあるかもしれませんが、結果として高齢者に対する社会的な不満が鬱積して、“ただほど高いものはない”ということになってしまったら、高齢者の威厳も損なわれてしまい、元も子もないような気がします。
 

★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月19日(月)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 NY・マンハッタンで爆発
2016-09-18 Sun 18:29
 ニューヨーク・マンハッタンのチェルシー地区で、現地時間の17日夜(日本時間18日午前)、爆発があり、この記事を書いている時点で、29人がけが、うち1人が重傷だそうです。負傷された方々には心よりお見舞い申し上げるとともに、1日も早い御快癒をお祈りしております。というわけで、今回の事件現場の近くを通ったカバーということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・反ナチラベルカバー  ブラジル・反ナチラベルカバー(裏)

 これは、1943年9月11日、リオデジャネイロからニューヨーク宛に差し出された書留便です。第二次大戦中のため、ブラジル出国時と米国入国時にそれぞれ開封検閲された後、9月24日にニューヨーク中央郵便局に持ち込まれ、そこから、ニューヨーク市内のチャーチ・ストリートの郵便局に持ち込まれ、そこから、証券取引所のあるウォール・ストリートにも近いジョン・ストリートの宛先に届けられました。

 ニューヨークの中央郵便局(現ジェームス・ファーレー郵便局)は8番街の31丁目と33丁目の間にあり、正面は、今回の事件があったチェルシーの西側に面しています。今回、爆発があったのはそこから少し南下した7番街と6番街の間の23丁目ですが、このうちの6番街の南端がチャーチストリートの北端となります。そこからチャーチストリートを南下すると、チャーチストリートの郵便局があります。宛先のジョン・ストリートは、チャーチストリートの郵便局前を南進し、次の交差点からビージー・ストリートを左折して1本目、ブロードウェイにぶつかったら再び南進して2本目の通りとなります。

 さて、今回ご紹介のカバーは、裏面に、第二次大戦中のブラジルで作られた反独プロパガンダ・ラベルが張られているのがミソです。

 1939年9月に第二次大戦が勃発した当初、ブラジル国内では、陸軍の上層部はドイツに好意的でしたが、大統領のヴァルガスは中立を維持していました。

 ところが、1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を受けて大戦に参戦した米国は、ブラジル北東部の戦略的な位置を重視し、ブラジルを自陣営に取り込もうとします。その一環として、米国は、ヴァルガス政権の経済政策の目玉の一つであったヴォルタ・レドンダ国立製鉄所の建設資金として2000億ドルを供与し、その代償として、レシーフェに米軍基地を設置。一方、ヴァルガス政権も、中立を掲げながらも、明らかに米国寄りの外交路線に舵を切るようになっていきました。

 一方、米国と戦闘状態に突入したドイツは大西洋戦線で潜水艦Uボートを用いた連合国の通商破壊作戦を展開していましたが、その結果、1942年1月から7月までの間に13隻のブラジル商船がドイツの潜水艦攻撃によって沈められます。さらに、同年8月には、潜水艦U-507により、2日間で5隻のブラジル船が沈められ、600人以上が犠牲になりました。この8月のUボート攻撃に対して、ブラジル国内の反独世論が沸騰。ヴァルガスは陸軍内の反対論を抑え込んで、8月22日、ドイツに対して宣戦を布告し、1944年にはラテンアメリカ諸国の中では唯一、ヨーロッパ戦線に派兵しています。

 こうした状況の中で、ドイツへの敵愾心を煽るためのプロパガンダ・ラベルが作られ、その一部は郵便物にも貼られています。今回ご紹介のカバーに貼られているのもその一種で、ラベルには、ブラジルを狙うナチスの鍵十字をつけた腕が描かれ、「ヒトラーの言葉:我々はブラジルをドイツ人の土地に変える」との文言が入っています。

 ブラジルには19世紀以来、多くのドイツ系移民が渡っていたこともあり、ヒトラーは1933年の政権掌握以前からブラジルに興味を持っていたとされています。1939年にヘルマン・ラウシュニンクが発表した『ヒトラーとの対話』(邦題『永遠なるヒトラー』)によると、政権掌握以前の1932年の時点で、彼は次のように語ったとの記述があります。

 ブラジルに新しいドイツを建設しよう。そこにはわれわれの望むすべてのものがあるのだ。フッガー家とヴェルザー家がそこに土地を持っていたのだから、われわれは南米大陸に対して権利がある。われわれは、統一以前のドイツが破壊してしまったものを修復しなければならない。

 ラウシュニンクの証言については、発表当時、大いにセンセーショナルなものとして受け止められる反面、その信憑性に疑問があるとの指摘もなされていますが、少なくとも、ブラジルでは上記の発言が実際にあったと考える人が少なからずいたからこそ、ヒトラーが南米を狙っているとのプロパガンダ・ラベルが作られ、郵便物に貼られて、人々の生活の中を往来していたと考えることもできましょう。

 なお、第二次大戦とブラジルとのかかわりについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:ラオス
2016-09-17 Sat 11:54
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年9月14日号が先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はラオスの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ラオス・第2タイ=ラオス友好橋

 これは、2006年に発行された第2タイ=ラオス友好橋開通の記念切手です。

 第2タイ=ラオス友好橋は、ノーンカーイ(タイ)=ヴィエンチャン(ラオス)間の友好橋に次いで、両国国境のメコン川に架けられた2本目の橋で、 ムックダーハーン(タイ)=サワンナケート(ラオス)間の2050mを結んでいます。基本構造は多径間連続ラーメンPC箱桁橋ですが、中間地点に仏教の“合掌”をモチーフとして取り入れるため、一部はエクストラドーズド橋となりました。日本のODA融資資金の円借款ローン(約80億円)により、三井住友建設が施工し、2006年12月20日に開通。これにより、ヴェトナム、ラオス、タイ、ミャンマーの国々を結ぶ東西経済回廊が完成しました。今回ご紹介の切手では、日本の支援に感謝する意味を込めて、“合掌”の部分の上方に日章旗が描かれているのも良いですね。

 さて、『世界の切手コレクション』9月14日号の「世界の国々」では、ラオス内戦とパテート・ラーオについてまとめた長文コラムのほか、辻政信の失踪の地として知られるジャール平原ワット・セーンの釈迦牟尼仏バーシー・スー・クワンの儀式、伝統的な稲作の風景、日本の援助によるポンプ式井戸の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、来週水曜日(21日)発売の9月28日号でのニカラグアの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 <CHINA 2016>出品作品決定
2016-09-16 Fri 10:43
      中国・劉三姐(昇天)

 本年12月2日から6日まで、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市において、アジア国際切手展<CHINA 2016>が開催されます。僕はその日本コミッショナーを仰せつかっていますが、日本からの出品作品は以下のように決定したとの連絡が主催者側から入りましたので、速報としてお伝えいたします。(以下、リストは出品者名は日本語表記・敬称略、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおりです。ただし、今後、出品者ご本人から先方のリストの誤記などのご指摘があった場合には、修正します)

 ・井上和幸 Japan Definitives 1883-1892
 ・須谷信宏 Japan Definitives: Vocational Series
 ・有吉伸人 Napoléon non Lauré-FRANCE1852-1862
 ・小林莞爾 Swiss Definitive Stamps (1854-82)
 ・井上和幸 Postal History of NIUAFOOU and Tin Can Mail 1882-1947
 ・伊藤純英 Foreign Mail in Nagasaki, Japan 1875-1905
 (以下、文献)
 ・(公財)日本郵趣協会 『年賀郵便 ―年賀状と切手の歴史―』
 ・正田幸弘 『国際展物語 1965-2004』
 ・(公財)日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログ』 1-4

 ちなみに、冒頭の画像は、チワン族の代表的な民話である『劉三姐』を取り上げた2012年の中国切手です。

 『劉三姐』は、劉家の3番目の娘という意味です。主人公の劉三姐は、山歌(男女の集いの場で即興的に交わされる一種の相聞歌)の名手で機知に富んだ美女。金持ちの老人が彼女を妾にしようとするものの、意中の相手がある彼女はこれを拒んでいましたが、老人の金に目がくらんだ彼女の兄は彼女に執拗に妾になることを要求しました。しかし、彼女は頑として老人の要求を拒んだため、怒った兄は彼女を谷底に突き落として殺してしまいます。(追い詰められた彼女が自ら身投げするヴァージョンもあります)その後、彼女は水底から魚に乗って昇天して天女となり、村人を守り続けました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、物語の最後で、劉三姐が緋鯉に乗って昇天する場面が取り上げられています。展覧会本番では、日本からの出品作品の評価が“昇天”するようにとの願いを込めて持ってきました。出品者の皆様の御健闘をお祈りしております。

 * 昨日、アクセスカウンターが170万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
 

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 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


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 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 サントス=ドゥモンとアポロ11号
2016-09-15 Thu 12:14
 きょう(15日)は中秋節です。というわけで、最新の拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』にちなんで、“月”に関するブラジル切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・月面着陸

 これは、1969年10月17日、同年7月のアポロ11号の月面着陸を称えるために発行された切手です。左側には、ブラジル人が飛行機の父として敬愛するサントス=ドゥモンと彼のエッフェル塔旋回飛行を、右側には月面に着陸するアポロ11号を描き、サントス=ドゥモンと3人の宇宙飛行士の名前を印面下部に記すことで、飛行史に残る2大偉業を並立させるスタイルとなっています。

 第二次大戦後のブラジルは、ながらく左派ポピュリストの政権が続いていましたが、1964年、軍事クーデターによって、カステロ・ブランコ将軍を大統領とする軍事政権が誕生します。

 軍事政権は、政治の腐敗を正し、国家転覆の危機を排除するとの名目で憲法を停止。政府に批判的な政治家を1万人以上、逮捕・追放する一方、親米反共の砦として米国の支援を受けることで権威主義的な開発独裁体制を目指します。

 1966年10月に布告された軍政令第2号では、大統領は間接選挙(投票は連邦議会議員と地方代表で構成される選挙人団が行う)で選ぶものとされたほか、既成政党が廃止されたことで、政党は与党の国家革新同盟と野党のブラジル民主運動に再編されあした。そして、大統領選挙では国家革新同盟の推すアウトゥール・ダ・コスタ・エ・シウヴァ将軍が当選。そして、コスタ・エ・シウヴァ大統領の就任直前の1967年1月、軍事政権はそれまでに布告された軍政令を取り込んだ新憲法を公布しました。

 1967年憲法により、議会は形骸化し、大統領に戒厳令の施行や地方諸州への介入権が認められたほか、国名もそれまでのブラジル合衆国から現在のブラジル連邦共和国と改められます。ただし、こうした強権的な政治の下で、当時のブラジルは年10%を超える高い経済成長を記録し、ブラジル経済は“ブラジルの奇跡”と呼ばれる空前の好景気を謳歌していたことも事実です。

 ところで、軍事政権に対しては、学生のデモや労働者の抗議集会、ストライキが頻発しただけでなく、リオデジャネイロやサンパウロでは、キューバ革命の影響を受けたカルロス・マリゲーラ率いる民族解放行動(ALN)や10月8日革命運動(MR8)などがコスタ・エ・シウヴァ政権の打倒を唱えて武装闘争を展開しました。

 こうした中で、1969年8月28日、コスタ・エ・シウヴァが執務中に脳出血で倒れると、同31日、ペドロ・アレイショ副大統領の昇格ではなく、大統領は空席のまま、陸・海・空相からなる三頭政治に移行するという変則的な事態が発生します。そうした政治的な混乱と空白の隙を突くかたちで、9月4日、ALNとMR8の合同突撃隊が、リオで白昼、チャールズ・バーク・エルブリック米大使を誘拐する事件が発生しました。

 犯行グループはマスコミを通じて9月7日の独立記念日まで政治犯15名を釈放することを要求。当初、軍事政権はこれを拒絶しようとしましたが、大使の安全を最優先する米国の圧力を受け、最終的に犯行グループの要求を受け入れて政治犯を釈放し、大使も解放されました。

 面子をつぶされた軍事政権は、9月5日、軍政令13号、14号を公布し、釈放された15人に対して国家反逆罪を適用し、永久国外追放とすること、死刑制度を復活し、国家反逆罪に対しては極刑をもって臨むことを明らかにします。また、陸軍秘密警察のほかに、国防省内にテロ対策を専門とする社会政治保安局が創設され、ゲリラ組織への弾圧は強化され、9月29日には、大使誘拐事件の主犯だったALNのメンバーが逮捕され、拷問の末に殺害されました。

  9月30日には、“軍最高指導部”が空白となっていた大統領に陸軍内強硬派のエミリオ・メディシを指名。10月7日、メディシは軍事評議会により次期大統領に選出され、10月30日、正式に大統領に就任します。この間、10月17日には軍事評議会の承認を得て1969年憲法が公布され、正式に死刑制度が復活し、大統領の任期は4年から5年に延長されました。

 今回ご紹介の切手の発行日となった10月17日は、9月の大使誘拐事件の以前から決められていたことではありますが、上述のような政治的・社会的な背景の下、自国の英雄を顕彰してナショナリズムを強調するとともに、米国の偉業をたたえ、米国との友好関係を強調する(大使誘拐事件の後であれば、なおさら、その必要があったでしょう)ために企画・発行されたものと考えるのが妥当ではないかと思われます。

 
★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
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 ダリのマリアンヌ
2016-09-14 Wed 11:29
 きょう(14日)から、東京・六本木の新国立美術館でダリ展が開催されます。というわけで、ダリの切手といえば、やはりこの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ダリ(マリアンヌ)

 これは、1979年、フランスが発行した毎年恒例の美術切手の1枚で、サルヴァドール・ダリが切手のために描きおろした“マリアンヌ”が取り上げられています。切手の下部には、ダリのサインも入っています。ダリというと、本人が“偏執狂的批判的方法 (Paranoiac Critic)”と称したように、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような風景画を描いた作風のイメージが強いのですが、今回ご紹介の切手は、ちょっと雰囲気が違いますね。

 シュル・レアリスムの巨匠、サルヴァドール・ダリは、1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで、ユダヤ系とされる公証人の父と商家出身の母の間に生まれました。

 少年時代から絵画に興味を持ち、1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学。1925年にはマドリードで初の個展を開きました。

 1927年、パリに出てパブロ・ピカソらと親交を結び、1929年、正式にシュル・レアリスト・グループに参加します。同年夏、シュル・レアリスムの詩人、ポール・エリュアールの妻でカザン出身のユダヤ人、ガラ(本名:レナ・イヴァノヴナ・ディアコノワ)と知り合います。その後、ダリはガラと恋愛関係に陥り、1932年、ガラはエリュアールと離婚し、1934年、ダリと結婚しました。

 シュル・レアリスムの運動に参加した当初のダリは共産主義・社会主義にシンパシーを持っていたようですが、次第に幻滅。1936年7月、スペイン内戦が勃発すると、シュル・レアリストの多くは反フランコの立場を取りましたが、ダリは戦火を逃れ、政治闘争に巻き込まれることを拒み、フランスへ逃亡。フランコに親和的な立場を表明します。これが、シュル・レアリスムの指導者でトロツキストの詩人、アンドレ・ブルトンの逆鱗に触れ、“ファシスト的思想”を理由に、1938年、シュル・レアリスト・グループから追放されました。

 さらに、1940年、ドイツ軍がフランスに侵攻すると、ダリは米国へ逃れたため、ジョージ・オーウェルは「戦争前にはスペイン内戦からフランスに亡命し、またフランスで大変な恩恵を受けていたのに、フランスに危険が迫るやいなやネズミのように逃げる」とダリを批判しています。

 第二次世界大戦後、カタルーニャに戻ったダリはフランコ独裁政権に接近。フランコを支持する姿勢を鮮明にし、フランコと面会して彼の孫娘のポートレイトも制作したほか、カトリックに回帰し、ガラを聖母に見立てた宗教画を連作しました。

 ダリにとって、妻のガラはミューズであり、支配者であり、またマネージャーとして、彼の創作活動の源泉となっていました。今回ご紹介の切手の“マリアンヌ”の顔だちも、ガラをイメージして作られているのは明らかです。こうしたこともあって、1982年にガラが亡くなると、彼は「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み、1983年5月には絵画制作も止めてしまいます。さらに、1984年、寝室でおきた火事で重症の火傷を負ったのちはフィゲラスに移り、1989年、同地で亡くなりました。

 
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 韓国・慶州付近で地震
2016-09-13 Tue 12:57
 きのう(12日)、韓国南東部の慶州市付近で19時40分ごろにマグニチュード(M)5.1、20時30分ごろにM5.8の地震が相次いで発生。このうち、M5.8規模の地震は韓国の観測史上最大規模のもので、世界遺産の仏国寺で一部施設の瓦が脱落したほか、石窟庵の一部で落石があったほか、釜山などでも大きな揺れが観測されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・仏国寺(1997)

 これは、1997年12月9日に発行された“韓国の世界遺産”シリーズのうち、慶州の仏国寺を取り上げた1枚です。
 
 仏国寺の創建については諸説ありますが、元になった寺院は、528年に法興王の母、迎帝夫人の発願によって建設されたとされています。現在の伽藍は、751年、宰相の金大城が父母のために建立をはじめ、774年に完成しました。 最盛期の8世紀には境内には約60棟の木造建築がありましたが、朝鮮王朝時代の1407年以降、仏教弾圧により廃寺となりました。その後、日本統治時代に復興が始まり、1968年の発掘調査を経て、1973年、無説殿、観音殿などが再建されました。

 切手に取り上げられているのは本殿にあたる大雄殿正面の紫霞門と門にいたる白雲橋です。

 紫霞門にいたる石橋は2段構成になっており、上段の16段が白雲橋、下段の17段が青雲橋と呼ばれています。実態は階段であるにもかかわらず“橋”と呼ばれているのは、紫霞門を越えて釈迦如来の彼岸世界に渡ることを表現したもので、合計33段という段数は、33という数字が仏教では「未だ仏の境地に達せず」との意味であることにちなむものです。韓国最古の橋の一つとして、国宝23号に指定されています。

 なお、仏国寺は、1995年、近隣の慶州石窟庵とともに、“石窟庵と仏国寺”として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたが、瞻星台をはじめとする周辺の遺跡・遺物は、2000年、これとは別に“慶州歴史地域”として世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 ちなみに、慶州の遺跡や遺物は、米軍政下の南朝鮮や建国後間もない韓国切手にもいろいろと取り上げられていますが、拙著『朝鮮戦争』では、その政治的・社会的背景についてもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
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 UAE成立以前の郵便と社会
2016-09-12 Mon 18:10
 ご報告が遅くなりましたが、日本アラブ首長国連邦協会の機関誌『UAE』第60号(2016年夏号)が発行されました。同誌には第59号に寄稿した「UAE成立以前の郵便と社会(1964年まで)」の続編として、主として、1963年以降、各首長国が独自の切手(いわゆるアラブ土侯国切手)を発行するようになった経緯について、まとめてみました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ウンムルカイワイン・未発行

 これは、1960年、英国の東アラビア郵便庁が準備したものの、実質的に不発行に終わったとされるウンムルカイワイン加刷の切手です。
 
 ガルフ・ルピーの流通圏として、休戦協定諸国(現在のUAEの領域にほぼ相当)の郵便事業を管轄していた英国東アラビア郵便庁は、ドバイ以外への郵便網の拡大を計画し、1960年、ウンムルカイワイン、アジュマーン、フジャイラの3地域について、当時の英本国切手に現地通貨の額面と地名を加刷した切手を準備しました。

 しかし、最終的に、東アラビア郵便庁は1961年1月に域内共通の切手を発行し、これを休戦協定諸国全域で流通させることになったため、これらの加刷切手は発行されずに終わっています。ただし、連絡の不徹底から、これらの加刷切手は、ドバイの郵便局で誤って1日だけ販売された後、即日、発売停止とされました。

 なお、ウンムルカイワインのラテン文字表記については、現地でもさまざまな揺れがあるのですが、この加刷切手では、“UMM AL QAIWAIN”となっています。

 さて、東アラビア郵便庁が発行した休戦協定諸国共通切手については、アブダビが「切手に描かれたナツメヤシの大きさに大小があるのは、休戦協定諸国間の平等という原則に反している」として切手のデザインにクレームをつけたことから、結局、ドバイでしか使われずに終わり、1963年から1964年にかけて、各首長国が独自の切手を発行していくことになります。

 今回の記事では、こうしてアラブ土侯国切手の時代が始まり、1966年に通貨改革が行われるまでの話をまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。
 
 
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 カープが25年ぶりの優勝
2016-09-11 Sun 14:24
 プロ野球のセントラル・リーグは、広島東洋カープが25年ぶりに優勝しました。というわけで、カープにちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      日本版蟠龍・3角

 これは、1897年8月16日に清朝国家郵政が発行した3角(30分)切手で、跳ねる鯉が描かれています。

 1897年の国家郵政発足以前の中国大陸の郵便事情は、非常に複雑で、実質的な清朝郵政として機能していた海関にくわえ、政府の公用便を運ぶ駅站、地方の官公署の文書を運ぶ文報局、民間の飛脚に相当する民信(日本の飛脚よりも相当に規模が大きく、シンガポール、マレー、ジャワにまで及ぶ通信網を完備していた業者もあった)、開港地に置かれた列強の郵便局、在住外国人の通信組織である書信館などが、それぞれ、併行して文書の通信を担っていました。

 1895年、日清戦争での敗戦という事態に直面した清朝では、日本の明治維新をモデルとして立憲君主制を樹立しようとする変法の運動が起こり、科挙の改革、近代的な学校の建設、農工商業の振興、新式陸軍の建設などの詔勅が次々に発布されました。その一環として、四分五裂状態にあった郵便の統一もはかられるようになり、海関総税務司のロバート・ハートは総理各国衙門を通じて「郵政開辨章程」を上奏。国家郵政発足のための具体的なプランを提案します。

 ハートの上奏案は、1896年3月20日、皇帝の「覧」を得ます。この結果、1897年2月の国家郵政(大清郵政局)の開業へ向けての具体的な動きがスタートし、海関郵政から国家郵政への移行作業が進められました。

 この過程で、郵便料金の基準通貨も、海関時代の銀両から、洋銀に変更され、新通貨に対応した切手を発行する必要が生じます。

 当初、ハートらは、切手の製造をロンドンのウォータールー・アンド・サン社(Waterlow & Sons Co. Ltd. 中国語では華徳路公司)に発注する予定であったといわれていますが、現実には、ロンドンに切手製造を発注していたのでは、1897年2月の開業までに新切手の到着は、とうてい、間に合いません。このため、応急的な措置として、郵政局は、海関時代の切手に「暫作 洋銀 X分」と加刷した切手を暫定的に発行することとし、上海にあった海関の印刷工場(上海海関造冊處)で加刷作業を行うことで対応しました。これらの切手は、その加刷の文字から、「暫作洋銀加蓋票(加蓋は加刷、票は切手の意)」と呼ばれています。

 こうして、突貫作業が進められた結果、暫作洋銀加蓋票は、国家郵政発足に先駆け、1897年2月2日(光緒23年の元日に相当)から一般に発売されました。

 これと並行して、郵政局は、書信館の切手製造を受注していた実績があり、欧州の印刷所に比べてはるかに地の利がある日本の東京築地活版印刷所(以下、築地活版所)に切手製造を発注します。

 築地活版所は、日本の活版印刷の父と呼ばれる本木昌造の流れを汲む印刷所です。

 本木は、オランダ語の通詞(通訳)として語学のほか諸学に通じた知識人で、幕府直轄の長崎製鉄所の主任・頭取などを歴任し、上海の印刷出版所、美華書館のウィリアム・ガンブルの指導の下、日本語活字の製造に成功しました。ちなみに、現在の日本語活字の主流を占める明朝体は、本木の採用した書体です。

 明治維新後の1869年、本木は長崎製鉄所・頭取の職を辞し、旧士族子弟の教育機関として「新町私塾」を開設。塾の運営費を捻出するために、塾に併設して「長崎新町活版所」を設立しました。翌年には、これを拡張して「長崎活版製造会社」とし、活字の製造ならびに印刷を本格的に開始するとともに、門人を派遣して、大阪(長崎新塾出張大阪活版所、後に大阪活版製造所と改称)、京都(點林堂活版所)、横浜の各地に活版所を開設します。

 もっとも、本木は優れた知識人にして教育者ではあったのですが、経営の才には乏しく事業はすぐに行き詰まってしまいます。このため、門人の平野富二が長崎活版製造会社の経営を引き継ぎました。

 平野は、1877年に石川島平野造船所を設立して現在の石川島播磨重工業の基礎を一代で築いたほどの人物で、本木の期待にたがわず、短期間のうちに長崎活版製造所の経営再建に成功。1871年、本木の門人、小幡正蔵の東京での活字販売が好調なのに目をつけて、翌年以降、本格的に東京での事業展開を開始しました。

 平野は、おりから、大量の布告文書を発していた明治政府に活字を販売したほか、1872年末の太陽暦の採用にともなう新暦5万部の印刷も受注。さらに、新聞・雑誌の創刊ラッシュの中で急激に社業を拡大し、1873年、築地に当時としては東京第一の大工場を建設し、本社機能を移転しました。これが「東京築地活版製造所」の直接のルーツです。

 その後、平野は1883年に築地活版所の上海出張所として、松野直之助を責任者として修文書館を設立します。

 築地活版所の上海進出は、1879年、活字父型を彫刻する熟練の職人を求めて、同社の曲田成が上海に派遣されたのが発端で、後に修文書館は印刷業務一般にも事業を拡大し、1885年には築地活版所から正式に独立。1890年には上海最初の日本語紙「上海新報」(ニュースだけではなく、小説や挿絵も掲載されていた)を創刊しました。ただし、同紙は、翌1891年5月、同紙は日清貿易研究所についての特集記事を掲載したことから、関係筋から圧力を受け、廃刊に追い込まれてしまうのですが…。

 一方、築地活版所の本体は、1884年に印刷部を設置。顧客の印刷業者との競合を避けるため、活字の鋳造と販売を中心としていた体制を転換し、本格的に印刷業にも参入しました。

 築地活版所が経営方針を転換した背景には、佐久間貞一ひきいる秀英舎(現在の大日本印刷)の成功がありました。

 秀英舎は、1876年に設立され、当初は仏教系新聞『明教新誌』の印刷を行っていましたが、その後、明治初期のベストセラー、スマイルズ著・中村正直訳の『西国立志編』の活版印刷による翻刻版(オリジナルは木版の和装本)の印刷を受注したことから経営を軌道に載せ、1879年からは『東京横浜毎日新聞』の印刷も担当するようになっていました。

 当初、秀英舎は築地活版所から活字を購入していましたが、事業の拡大に伴い、1881年、活字の自家鋳造を開始。翌1882年には活版製造所製文堂を創設し、一般の印刷業者への活字販売を開始して、築地活版所の縄張りに正面から切り込んできます。このため、築地活版所も、活字の製造と印刷を分離するという従来の建前をかなぐり捨てざるをえなくなったのです。

 こうして、築地活版所と秀英舎は、互いに切磋琢磨するかたちで日本の印刷技術をリードしながら急成長を遂げ、その顧客網はアジア諸国にまで広がります。その過程で、築地活版所は宜昌書信館、鎮江書信館、南京書信館のローカル切手の製造を請け負うことになりました。

 さて、築地活版所の製造した清朝国家郵政の切手は、国家郵政発足から半年後の1897年8月16日に発行されました。

 切手のデザインは、蟠龍(龍が天に昇らず地上にわだかまること)を描くもの、跳ねる鯉を描くもの(今回ご紹介の切手はそのうちの1枚)、飛雁を描くものの3種類がありました。これらの切手は、低額の蟠龍のものにちなんで「日本版蟠龍票」と総称されています。

 なお、日本版蟠龍票の発行から、さらに約5ヶ月が経過した1898年1月28日、日本版蟠龍票とほぼ同じデザインで、ロンドンのウォータールー・アンド・サン社の製造した凹版印刷の切手が発行され、以後、清朝の滅亡まで使用されることになりました。こちらの切手は、日本版と区別して、倫敦(ロンドン)版蟠龍票と呼ばれています。

 日本版と倫敦版の両蟠龍切手を比べてみると、どうしても、日本版の方が見劣りしてしまうのですが、これは当時の日英両国の国力を考えれば致し方ないことでしょう。とはいえ、開国からわずか半世紀の間に、極東の島国が急激な近代化(=西洋化)を成し遂げて近隣諸国の近代化改革のモデルとなり、隣国の国家郵政創業の際には、切手の製造をも請け負うほどに成長していたことは、もっと多くの人に知られていても良いのではないかと思います。

 なお、築地活版印刷所については、拙著『外国切手に描かれた日本』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 吉州郡宛のカバー
2016-09-10 Sat 11:32
 北朝鮮がきのう(9日)、同国北部の咸鏡北道吉州郡豊渓里で核実験を強行しました。北朝鮮の核実験は、2006年以降通算5回目、ことし(2015年)に入ってからは、1月に続いて2回目で、1年に2回の核実験は初めてのことです。というわけで、核実験場のある吉州郡にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・共和国政府樹立(吉州宛カバー) 北朝鮮・吉州宛カバー(1949裏面)

 これは、1949年10月18日、咸鏡北道の鶴城郡鶴南面から吉州郡吉州面宛に差し出されたカバーとその裏面で、1948年9月19日に発行された朝鮮民主主義人民共和国政府創建の記念切手が2枚貼られています。裏面に押されている着印は、

 宛先の吉州郡は咸鏡北道南部の山岳地帯に位置しており、古代には高句麗と渤海の地であり、その後は長く女真族が居住していました。朝鮮の支配が確定したのは高麗末期のことで、吉州と命名されたのは高麗滅亡(1392年)直前の1390年のことでした。

 行政上の吉州郡が設けられたのは朝鮮王朝時代末期の1895年のことで、郡庁は吉城面に置かれました。その後、日本統治時代の1939年、郡内の吉城面と営北面が合併し、吉州邑が発足。1943年には、郡名が吉州郡から吉城郡に変更されたのに合わせて、吉州邑も吉城邑と改称されました。

 “解放”後の1946年、吉城郡が旧称の吉州郡に復し、吉城邑は吉州面となります。

 ちなみに、朝鮮の伝統的な地方行政区分では、面は邑は地方行政官の役所が置かれた土地で、郡はいくつかの集落や村落(里、統)を束ねた単位で、日本の行政単位の“村”にほぼ相当しています。日本統治時代は、面よりも人口の多い区域を邑として、日本の行政単位でいう“町”に相当する扱いでした。

 ソ連軍政時代を経て成立した朝鮮民主主義人民共和国も、基本的には、日本統治時代の行政区画に基づいて人民委員会を組織していましたが、朝鮮戦争下の1952年、区画再編を行って邑・面級の行政機関を廃止し、郡事務所が所在する面・里を“邑”と呼ぶようになります。これに伴い、旧吉州郡吉州面・長白面・徳山面・雄坪面および暘社面・東海面の各一部地域で構成される現吉州郡が成立し、郡事務所所在地の吉州面が吉州邑となりました。

 今回ご紹介のカバーは、1949年に吉州面の工業専門学校宛に差し出されたものですが、裏面の封の部分にはキリル文字が書かれていますので、差出人は、ソ連から帰国した朝鮮系の技術者だったのかもしれません。また、裏面に押されている着印は、局名表示こそ、“함북・길주(咸北・吉州)”と朝鮮語表記になっていますが、その下の部分は日本統治時代の消印の印顆がそのまま流用されています。(下に、着印部分をトリミングして載せておきます)

      北朝鮮・吉州着印(1949)

 北朝鮮の核・ミサイル開発については、以前から、朝鮮総連の傘下にある在日本朝鮮人科学技術協会(科協)に所属する大学・企業の研究者らが、朝鮮労働党の指示の下、「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」として持ち出した先端技術が大きく“貢献”していることが指摘されています。もちろん、彼らは、表向き、そうした技術は軍事目的のものではないと主張しているわけですが、実際には、その転用・流用が現在の状況を招いたことは言うまでもありません。

 日本時代の印顆を流用した北朝鮮の消印は郵趣的には興味深いものですが、日本の技術を使った核開発というのは、実にけしからん話です。日本政府としても、抜本的な防止策をとっていただかないと困りますな。

 なお、今回ご紹介のカバーに貼られている切手や当時の状況については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:メキシコ
2016-09-09 Fri 11:06
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年8月31日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はメキシコの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・スタンプレス(1808)

 これは、スペイン植民地時代の1804年、メキシコからバルセロナ宛のスタンプレス・カバーで、当時のメキシコを意味する“ヌエヴァ・エスパーニャ”の朱印が右上に押されています。

 現在のメキシコ国家の直接のルーツは、16世紀にメキシコシティを首都として創設されたスペインの副王領“ヌエヴァ・エスパーニャ”にさかのぼることができます。

 “新スペイン”を意味するヌエヴァ・エスパーニャは、もともとは、パナマ地峡以北の新大陸のスペイン領全てを指す概念で、大陸部分では、現在のメキシコの領域に加えて米国南西部(現在のカリフォルニア、ネヴァダ、ユタ、コロラド、ワイオミング、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスの各州)とフロリダ半島にまで広がり、カリブ海諸島や、さらには、フィリピンとマリアナ諸島をも含んでいました。

 その後、1775年に米国独立戦争が勃発。1776年にアメリカ合衆国の独立が宣言され、1783年には諸外国から正式に米国の独立が承認されます。大西洋岸の東部13州で独立した米国は、1803年にはフランスからルイジアを購入。この結果、米国とヌエヴァ・エスパーニャとの国境を画定する必要が生じることになりました。

 当時のスペイン側の認識では、ルイジアナのうち、ミシシッピ川西岸とニューオーリンズ市はスペイン領とされていましたが、米国側はロッキー山脈の稜線までが自分たちの購入した土地だと考えていました。このため、東西はカルカシュー川(アロヨ・オンド)とサビーン川の間、南北はメキシコ湾から北緯32度近辺までは、当面、どちらにも属さない中立地帯(ルイジアナ中立地)とすることで決着が図られます。また、米国はスペインからフロリダを購入したいと希望していたが、スペイン側はこれを拒否し続けていました。

 ところが、19世紀初頭のナポレオン戦争と、その余波としてのラテン・アメリカ諸国の独立運動により、スペインは疲弊し、本国から遠く離れたフロリダの維持が困難になります。そこで、1819年、両国間でアダムズ・オニス条約が結ばれ、米国がフロリダとルイジアナを得て、それ以西のテハス(英語名:テキサス)からカリフォルニアまでをスペインの領土とする形で、国境が確定されました。この境界線は、1821年にメキシコが独立すると、基本的には米墨間でも継承されます。

 その後、テキサス共和国の独立(1836年)と米国のテキサス併合(1845年)、米墨戦争(1846-48年)を経て、米国はリオ・グランデ以北、テキサスからカリフォルニアまでの広大な領土を併合。1853年にはアリゾナ州南部およびニューメキシコ州にあたる地域がメキシコから米国に売却され、現在の米墨国境が画定しました。

 さて、『世界の切手コレクション』9月7日号の「世界の国々」では、米国大統領選で共和党のトランプ候補が問題にしている米墨国境の変遷についてまとめた長文コラムのほか、女流画家フリーダ・カーロ、死者の日、米墨国境のリオグランデ川、漫画『メミン・ピングイン』コククジラの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、メキシコの次は、現在発売中の9月14日号でのラオスの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 リオデジャネイロ・パラリンピック開幕
2016-09-08 Thu 11:10
 リオデジャネイロ・パラリンピックが、現地時間の7日夜(日本時間8日午前)、開幕しました。というわけで、きょうはストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・パラリンピック

 これは、今回のパラリンピックのマスコット“トム”を取り上げた2015年のブラジル切手です。

 トムは、オリンピックのキャラクター、ヴィニシウスとともに、アニメーション会社、“バードスタジオ(Birdo Producoes)”が制作し、2014年の11月20日に発表されました。

 南米初開催のオリンピック・パラリンピックということをふまえ、トムは、南米の豊かな植物を象徴するキャラクターとして、青と緑を基調とし、頭は葉で覆われています。また、サンバを始めとしたブラジル音楽が大好きという設定に合わせて、今回ご紹介の切手では、リオの象徴であるポン・ヂ・アスーカルを背景に、タンバリンを叩き、踊る姿がデザインされています。
 
 マスコットの名前としては、当初、同社内ではオバ、エバの名で呼ばれていたそうですが、最終的に、「イパネマの娘」などで知られるブラジル音楽の巨匠、ヴィニシウス・ヂ・モライスとアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)にちなんで、オリンピックのマスコットが“ヴィニシウス”、パラリンピックのマスコットが“トム”と命名されています。

 今回ご紹介の切手のマスコットの名前の由来となったトム・ジョビンは、1927年、リオのチジュッカ地区生まれ。14歳の頃からピアノを弾きはじめ、音楽家になることを夢見ていましたが、高校卒業後は、生活の安定を考えて建築学校に入学しました。しかし、音楽への夢を捨てきれず、ナイト・クラブでピアノを弾いていたところ、1952年、当時のブラジル音楽界の大御所、ハダメス・ジナタリに見いだされ、コンチネンタル・レコードに入社。翌1953年、オデオン・レコード(EMI・ブラジル)に移って、作編曲家として活動するようになります。

 1956年、ヴィニシウス・ヂ・モライスがプロデュースしたミュージカル『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』(1959年に『黒いオルフェ』としてフランス・イタリア・ブラジル合作で映画化され、カンヌのパルム・ドールなどを受賞)の音楽を担当して以来、ヂ・モライスとジョビンはコンビを組んで数々の曲を発表するようになり、1958年には、“サンバ・カンサゥン(白人を中心に、比較的穏やかなリズムで叙情的な内容を歌ったサンバ)の女王”、“ブラジル音楽の至宝”などと呼ばれていた当代一の女性歌手、エリゼッチ・カルドーゾのアルバム『愛しすぎた者の歌』の全収録曲を手がけるようになりました。

 このアルバム収録曲のうち、「想いあふれて」「もう一度」の2曲にギタリストとして参加したのが、ジョアン・ジルベルトです。

 ジルベルトのギターは、ジャズのコードを駆使して、1本のギターでバチーダ(サンバのリズム)を刻むという独創的なものでした。また、彼のささやくような歌い方は、当時としてはかなり斬新で、その音楽性にほれ込んだジョビンは、2ヶ月後、ジルベルトのために「想いあふれて」をアレンジしてレコーディングし、1959年にリリースします。このジルベルトの「想いあふれて」こそ、現在にいたるボサノヴァの歴史の原点となりました。

 ボサノヴァという言葉は、もともとは、“新しい傾向”を意味するポルトガル語ですが、この新ジャンルはすぐに学生たちの支持を得ます。以後、ヂ・モライスとジョビンのコンビは次々にヒット曲を生み出し、ヴィニシウスとトムは現代ブラジル文化を象徴するビッグ・ネームとなりました。

 なお、このあたりの事情につきましては、新刊の拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 ブラジル独立記念日
2016-09-07 Wed 10:39
 きょう(7日)は、ブラジルの独立記念日です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・イピランガの叫び

 これは、1972年8月26日から9月2日まで、ブラジル独立150周年の記念事業として開催された国際切手展<EXFILBRA>の記念小型シートで、ブラジルの独立宣言とされる“イピランガの叫び”を題材としたペドロ・アメリコの歴史絵画「独立か死か」が取り上げられています。

 1500年のカブラルによるブラジル発見以来、ポルトガルはブラジルの地で勢力を拡大し、1646年にはポルトガルの王太子をブラジル公とするブラジル公国が成立します。

 ナポレオン戦争最中の1808年、ポルトガルのブラガンザ王室はブラジルに逃れ、1821年まで王室はリオデジャネイロに留まりました。この間、1815年にはブラジルは、それまでの植民地公国からポルトガル本国と対等の王国(=ポルトガル王がブラジル王を兼ねる)に昇格し、“ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国”が誕生します。

 1821年にポルトガル王ジョアン6世はリスボンに帰還しますが、その際、本人はブラジル王位を兼任したまま王太子のペドロ・デ・アルカンタラ・フランシスコ・アントニオ・ジョアン・カルロス・ザビエル・デ・パウラ・ミゲル・ラファエル・ジョアキム・ジョゼ・ゴンサガ・パスコアール・シプリアーノ・セラフィム(以下、ドン・ペドロ)を摂政としてブラジルに残しました。

 ところが、1821年に開催されたポルトガル議会では、対等な立場であるはずのポルトガル代表の議員が130人だったのに対し、ブラジル代表の議員は72人に過ぎず、さらにポルトガル政府はブラジルを再び植民地にすべく、ブラジルの各県をリスボン政府の直接管轄下に置くことを決定するとともに、ドン・ペドロの帰国を要求。これに対して、1822年1月、ドン・ペドロが帰国を拒否しまし、独立に向けての動きが本格化しました。

 6月3日には、ブラジル各県の代表から構成されるブラジル憲法制定議会が招集され、8月6日、ドン・ペドロはポルトガルの専制主義を批判する書簡を友好国に送りました。これに対して、ポルトガルはドン・ペドロの行動は国家反逆罪に値すると非難。その旨の書簡をドン・ペドロ宛に送ります。

 そして、9月7日、サンパウロ訪問中にこの書簡を受け取ったドン・ペドロは、サントスのイピランガ川のほとりで書簡を破り捨て、剣を高く掲げて「独立か死か」と叫んだとされています。これが、“イピランガの叫び”で、ブラジルの公式な独立宣言とされています。その後、10月12日、ドン・ペドロはリオデジャネイロでブラジル皇帝ペドロ1世として即位し、ブラジル帝国が成立しました。

 なお、1822年から始まる帝政時代のブラジルについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


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 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 内親王殿下、パラグアイへ
2016-09-06 Tue 11:30
 秋篠宮家の長女、眞子内親王殿下が、きょう(6日)から16日までの日程で、パラグアイをご訪問(途中、ドイツとブラジルにもお立ち寄り)なさいます。今回のご訪問は、日本人移住80周年にあたり、同国政府から招待されたものということなので、きょうはこの切手です。

      パラグアイ・日系移民50年

 これは、1986年にパラグアイで発行された“日系移民50年”の記念切手で、ラ・コルメナの入植記念碑が取り上げられています。
 
 パラグアイへの日本人の制度的な移民は、1930年、わが国の在アルゼンチン特命全権公使がパラグアイ政府から日本人のパラグアイ移住を歓迎するとの感触を得て、「パラグアイ拓殖計画」を提出したのが出発点となります。

 その後、1934年、ブラジル政府が「移民二分制限法」(新規の移民は、すでに定住している当該国人の2%を超えることが出来ないとする制度)を発令したため、それまで年間2万人だった日本からブラジルへの移民枠が年間2500人まで制限されてしまいます。このため、代替地としてパラグアイへの海外移住の準備が始まり、翌1935年には日本人移民100家族がパラグアイへの入国許可を取得しました。

 ところが、1936年2月17日、ラファエル・フランコ大佐のクーデターが発生し、エウセビオ・アヤラ大統領が失脚。権力を掌握したフランコは「日本人移民の入国許可は前政権が出したものであって、現政権はこれを認めない」としたため、一旦は移住計画は宙に浮いてしまいます。この結果、日本政府としては表だって準備が進められなくなったため、事実上、拓務省が準備を進めるものの、名目上は、ブラジル拓殖組合(ブラ拓)の専務理事であった宮坂国人が個人名義で移民の入国許可の申請や入植地の売買を行い、1936年3月にはラ・コルメナ地区を入植地として選定するとともに、ブラ拓内にパラグアイ拓殖部(パラ拓)を設けて、移住許可が下りるのを末体制が整えられました。

 こうした準備と並行して、両国政府間の交渉も進められ、1936年4月30日大統領令第1026号をもって日本人移民100家族を試験的に受け入れる許可が下ります。これを受けて、同年5月15日にはパラ拓スタッフが、6月にはブラジルからの指導移民が、それぞれ先遣隊としてラ・コルメナに入り、8月、日本から到着した最初のパラグアイ移民を迎えました。今回ご紹介の切手や、内親王殿下をお迎えしての記念式典は、いずれも、ここから起算しての周年記念事業となります。

 ちなみに、日本人移民の入植以前は、パラグアイでは小麦はほぼすべて輸入に頼っていましたが、日本人の農場で小麦が生産されるようになったことで、現在のパラグアイは小麦の輸出国になりました。また、1960年代に日系移民が始めた日本への大豆輸出は、現在ではパラグアイの主要輸出作物の一つに成長しており、2011年の東日本大震災後には「100万丁豆腐プロジェクト」として100万丁分の原料の大豆と製造加工費の日本への支援も行われています。

 国賓を迎えての公式晩餐会では、賓客にちなんだ料理が供されるのが一般的ですが、そうすると、今回は内親王殿下のテーブルに豆腐料理が並ぶのかもしれませんね。


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 ・参加費 無料
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 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
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 マザー・テレサ列聖
2016-09-05 Mon 19:26
 インドのカルカッタ(コルカタ)で貧しい人たちを助ける活動に生涯をささげたカトリック修道女、マザー・テレサがきのう(4日)、列聖されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アルバニア・マザーテレサ没後1周年(1998)

 これは、1998年9月5日にアルバニアが発行したマザー・テレサ没後1周年の追悼切手です。

 マザー・テレサ(本名アグネス・ゴンヂャ・ボヤヂウ)は、1910年、オスマン帝国コソヴォ州のスコピエで生まれました。ちなみに、オスマン帝国のコソヴォ州の領域は、現在のコソヴォ共和国とは一致しておらず、彼女の生まれたスコピエも現在はマケドニア共和国の領土です。ただし、現在のコソヴォ政府は、彼女の母親の出身地のジャコヴァがコソヴォ共和国の領内にあることをもって、彼女はコソヴォゆかりの人物であると主張しています。ちなみに、父親の出身地であるミルディタは現在はアルバニア領です。

 血統的にいうと、アグネスの両親はアルバニア人(異説もあり)で、彼女もアルバニア語を母語として育てられました。また、彼女の家庭は、ムスリムが多数を占めるアルバニア人コミュニティには珍しく、カトリックでした。

 彼女の幼少期については不明な点が多いのですが、18歳の時に、故郷のスコピエを離れてアイルランドでロレト修道女会に入り、1931年、修練女としてインドに赴任。そこで、テレサの修道名を得ます。1929年からはカルカッタの聖マリア学院で地理の教師を務め、1944年には校長に任命されましたが、1946年、汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたため、スラム街での救貧活動に専念することを決意。1948年、教皇・ピウス12世からの特別許可を得て、スラム街での活動を開始しました。

 彼女の活動が世界的に知られるようになったのは、1971年、教皇パウロ6世が自ら制定した“ヨハネ23世教皇平和賞”の最初の受章者としてテレサを選んだのがきっかけです。受賞の理由としては、彼女の活動を文字通りに顕彰するということもさることながら、彼女がアルバニア人だったということも重要視されたと考えるのが自然でしょう。

 すなわち、当時のアルバニアは、エンヴェル・ホッジャ独裁体制の下、1967年にはすべての宗教を完全に否定する“無神国家”の宣言がなされたのをはじめ、中国の文化大革命に影響を受けた急進社会主義路線が採られていました。当然のことながら、こうした状況の下で、“アルバニア人”であるマザー・テレサに世界的な賞を授与することは、ヴァティカンとしてアルバニアの“無神国家”の体制に対する批判の意図を示すことになります。

 ヨハネ23世教皇平和賞以降、彼女には、ケネディー賞(1971年)、アルベルト・シュバイツアー賞(1975年)、ノーベル平和賞(1979年)、米国大統領自由勲章(1985年)などが授与されましたが、アルバニア政府はこれらをことごとく無視し、家族訪問のための彼女のアルバニア入国申請を却下し続けました。

 その後、1989年の東欧民主化の影響を受けて、1990年以降、遅ればせながら、アルバニアでも徐々に改革開放が進められていく過程で、1990年12月、アルバニア政府はマザー・テレサに対して初めて入国許可を出しました。この時点では、アルバニア政府は公式には“無神国家”の立場を維持していましたが、翌1991年、“無神国家”の建前が放棄されると、以後、アルバニア政府は、マザー・テレサを“世界一有名なアルバニア人”として、自分たちは“マザー・テレサの祖国”であるとアピールしはじめます。その一環として、1992年、アルバニア政府は彼女にアルバニア市民権を授与したほか、普通切手の図案は、彼女の肖像を描くものに変更されました。

 1997年9月5日、マザー・テレサが亡くなると、生前、「私はインド人、インドは私の国」と語っていた彼女の遺言により、彼女はインドに埋葬されることになりました。インド政府は、生前の彼女の功績をたたえて、国葬の礼をもって彼女を送りましたが、実は、それに先立ち、“マザー・テレサの祖国”を標榜していたアルバニアのレヂェブ・メイダニ政権は、インド政府に対して、彼女をアルバニアに埋葬するよう要求し、断られています。

 いずれにせよ、現在のアルバニア国家は、マザー・テレサという“資源”を最大限に活用することで、対外イメージを向上させ、諸外国からの支援や投資、観光客などを増加させ、低迷する経済状況を打開したいという明確な意図を持っており、切手もまた、そうした国策の一翼を担わされているわけです。


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 きょうから杭州G20
2016-09-04 Sun 08:47
 きょう・あす(4・5日)の2日間、中国浙江省杭州市で、主要20か国・地域(G20)首脳会議が開催されます。というわけで、杭州がらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      杭州風景印・カバー  杭州風景印・カバー(裏)

 これは、日中戦争(支那事変)下の1938年7月23日、杭州から大阪宛の軍事郵便で、杭州の日本軍野戦局の風景印が押されているのがミソです。

 杭州は杭州灣(北岸が上海、南岸が寧波と紹興です)西奥の都市で、隋代に建設された大運河(江南河部分)の南端に位置する交通の要衝です。南宋の時代には首都として臨安府と改称され、咸淳年間(1265年-1274年)には人口124万人の世界最大都市(当時)となりました。その後も清代まで江南経済の中心地として繁栄しましたが、アヘン戦争後は開港地の上海にとってかわられ、太平天国の乱で大きな被害を受けました。なお、1895年、日清戦争後の下関条約により、杭州は開港され、日本租界が設置されています。

 支那事変では、日本の中支那方面軍は、当初、南京攻略の後に杭州攻略に着手する予定でしたが、12月7日の大陸命に基づき、方面軍はその一部を割いて杭州を攻略することとし、上海警備に任じていた 第101師団を第10軍司令官の指揮下に入れ、同12日から杭州攻略作戦を開始。同24日、杭州を占領しました。なお、今回ご紹介のカバーにある“中支派遣軍”は、1938年2月14日付で南京攻略戦が終了したことを受けて、上海派遣軍・第10軍の上級司令部であった中支那方面軍を解体し、新たに編制された部隊です。

 風景印に描かれている西湖は、広州市中心部の西にある湖で、湖とそれを囲む三方の丘は、中国を代表する景勝地として、古くから漢詩や絵画の題材となってきました。自然の島である孤山や白堤、蘇堤などの堤が浮かぶほか、霊隠寺、岳廟、六和塔、浄慈寺など自然に調和した建造物も多く、その景観は、日本や韓国の庭園意匠にも絶大な影響を与えています。こうしたことから、2011年には、“杭州西湖の文化的景観”として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。


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 熊本復興ねぶた
2016-09-03 Sat 11:59
 ことし4月の熊本地震の被災者を励ますため、きょう・あす(3・4日)の両日、青森ねぶた祭の山車が熊本市中央区の熊本城二の丸広場を練り歩く“熊本復興ねぶた”が行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ふるさと(青森)・ねぶた祭

 これは、1996年7月23日にふるさと切手(青森県)として発行された“ねぶた祭り”の切手です。

 毎年8月2-7日に青森市で行われる“青森ねぶた祭”は、歴史上の人物や歌舞伎などを題材に巨大な人形を組み立て、その回りをハネト(跳人)と呼ばれる花笠衣装の踊り手が笛や太鼓の囃子に合わせて乱舞する夏祭りで、1980年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

 今回ご紹介の切手の原画を制作した山谷芳弘は、1936年、青森県西津軽郡柏村(現つがる市)生まれ。北海道教育大学卒業後、教鞭をとるかたわら独学で墨彩・岩彩を学び、津軽の匂いと温もりを感じさせる自由奔放で個性的な独特の絵画世界を確立し、青森県芸術文化報奨、郵政大臣賞、フィナール国際美術展・選考委員会賞などを受賞しました。

 さて、今回の“熊本復興ねぶた”に出陣するのは、ことしのねぶた祭りで、青森市の消防団員らの団体「に組・東芝」が運行した「と唐獅子牡丹」です。

 「纏と唐獅子牡丹」は火消しと獅子を題材に、災厄に立ち向かう力強さを表現したもので、高さ5.5メートル、縦7メートル、横9メートル。8月7日に青森ねぶたが閉幕した後、四分割して大型トレーラー4台で輸送され、8月21日に熊本城に到着し、地震で大きく被災した本丸が間近に見える二の丸公園内で組立作業が行われました。

 なお、運行は3日午後7~9時と4日正午~午後2時の2回で、ハネトには誰でも加われるそうです。被災地の方々の気持ちが少しでも明るくなればいいですね。


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 ロンドン大火350年
2016-09-02 Fri 13:51
 1666年9月2日にロンドン大火が発生してから、きょうでちょど350年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      セントヘレナ・ロンドン大火

 これは、1967年にセントヘレナが発行した“ロンドン大火後の移民到着300年”の記念切手のうち、ロンドン大火の場面を取り上げた1枚です。

 1666年9月2日深夜1-2時頃、ロンドン・ブリッジのすぐ北に位置するプディング・レーンでトマス・ファリナーが経営するパン屋で火災が発生。当時のロンドンは10ヵ月近い干ばつ続きで空気も建物も非常に乾燥していた上、出火当夜は強い東風が吹き荒れていたことから、炎はたちまち隣家へと燃え移り、火薬、タール、油、石炭類などの可燃物が大量に貯蔵されていたテムズ河畔を焼き尽くして、シティにも広がりました。

 火災の被害が拡大した原因は、大火以前のロンドン市内では家屋のほとんどが木造で街路も狭かったことに加え、ロンドン市長のブラッドワースが、シティの地主の反対に押されて、延焼を防ぐための破壊消防に消極的だったことが挙げられています。

 優柔不断なロンドン市長にいらだった国王チャールズ2世は、みずから消火活動を先導。火の進む方向にある民家を取り壊して防火帯を設置し延焼を防ぐとともに、火災3日目には自らも視察におもむき、馬から降りて水桶を手にして消火活動に参加しました。この結果、4日目には防火帯の効果があがり、大火災はようやく収まり始め、5日目の9月6日には鎮火しました。

 一連の大火災で、ロンドン市内の家屋のおよそ85%(1万3200戸)が焼失。火災後の1667年、建築家クリストファー・レンの尽力により「再建法」が制定され、ロンドン市内では木造建築が禁止され、家屋は全て煉瓦造または石造とされたほか、道路も拡幅され、現在のロンドンの街区の基礎がつくられました。

 一方、火災により住居を失ったロンドン市民の一部は、翌1667年、当時は英国東インド会社の統治下にあったセントヘレナ島に集団で移住。今回ご紹介の切手は、そこから起算して300周年になるのを記念して発行されたものです。ちなみに、現在の“セントヘレナ人”は、このとき移住してきた英国系白人(と現地の先住民やアフリカ系の奴隷との混血)の子孫とされています。

 なお、ロンドン大火後、ロンドン市内ではコーヒーハウスが急増。ロンドンの郵便事情にも大きな影響を与えることになるのですが、そのあたりの事情については、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いたけると幸いです。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 チャスラフスカ、亡くなる
2016-09-01 Thu 13:57
 1964年東京五輪と1968年メキシコ五輪の体操女子で計7個の金メダルを獲得したヴェラ・チャスラフスカさん(以下、敬称略)が、30日にプラハの病院で亡くなっていたことが、きのう(31日)、明らかになりました。享年74歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      チェコ・五輪委員会100年

 これは、1999年、チェコが発行した“五輪委員会100周年”の記念葉書のうち、東京五輪の金メダリストとしてのチャスラフスカを取り上げた1枚です。

 チェコ選手の五輪への参加は、ハプスブルク帝国時代の1899年にボヘミア五輪委員会が結成されたことを受け、1900年のパリ大会から始まっています。その後、1918年にはチェコスロヴァキアが独立すると、翌1919年、ボヘミア五輪委員会はチェコスロヴァキア五輪委員会に改組され、1920年のアントワープ大会以降、チェコスロヴァキア選手として参加。1993年のチェコ・スロヴァキア分離後は、五輪委員会もチェコとスロヴァキアに分割され、1994年のリレハンメル五輪以降、チェコとして参加しています。

 さて、葉書に取り上げられているチャスラフスカは、1942年5月3日、ドイツ占領下のプラハで生まれました。

 チェコスロヴァキアの女子体操は、1936年ベルリン五輪で団体銀メダルを、1948年ロンドン五輪で団体金メダルを獲得するなど強豪国として知られていましたが、チャスラフスカは、その中心選手であったエヴァ・サボコワに見いだされ、16歳の時から本格的な体操のトレーニングを開始。1960年、18歳の時に、ローマ五輪に出場しました。このときは、個人総合では8位に終わったものの、チェコスロヴァキアは団体で銀メダルを獲得しています。

 その後、1962年にプラハで開催された体操の世界選手権の跳馬で金、個人総合で銀、床で銅の個人メダルのほか、団体でも銀メダルを獲得して世界のトップ選手となりました。そして、1964年の東京五輪では、“オリンピックの名花”と呼ばれ、チェコスロヴァキアの選手として初めて個人総合で金メダルを獲得したほか、跳馬と平均台で金メダル、団体で銀メダルを獲得しました。今回ご紹介の切手は、この時の彼女の活躍を顕彰するために発行されたものです。

 ところで、1968年1月、チェコスロヴァキアでは改革派のアレクサンデル・ドプチェクが共産党党第一書記に就任。ドプチェクは、3月には検閲制度を廃止して言論の自由を保障し、ついで4月には新しい共産党行動綱領を決定して「人間の顔をした社会主義」を目指すことが打ち出します。

 こうした中で、チェコスロヴァキア領内でワルシャワ条約機構軍の合同軍事演習“シュマヴァ”が行われると、これを機にソ連が軍事介入するのではないかと恐れた知識人たちは、6月27日、「二千語宣言」を発表。ドプチェク路線を強く支持し、旧来の体制に戻ることに強い反対が表明します。その著名者の中には、チャスラフスカも含まれていました。

 「二千語宣言」に対して、ソ連共産党機関紙「プラウダ」はこれを“反革命的”と断じ、7月末には、ドゥプチェクらチェコスロヴァキア首脳とブレジネフとの会談が行われましたが、その結果、ブレジネフはチェコスロヴァキアの改革は止まらないと判断。8月20日、ワルシャワ条約機構5カ国軍が一斉に国境を越えてチェコスロヴァキア領内に侵攻し、首都プラハの中枢部を占拠してドプチェク第一書記、チェルニーク首相ら改革派を逮捕し、ウクライナのKGB監獄に連行しました。

 こうした混乱の中で、1968年10月12日、メキシコ五輪が開幕。「二千語宣言」に署名していたチャスラフスカは開会直前にようやく出国を許可され、十分な練習時間も確保できないまま大会に参加。それでも、彼女は抗議の意を示すため、それまでの赤ではなく濃紺のレオタードで競技を行い、圧倒的な強さを見せて平均台以外のすべての個人種目で金メダルを獲得します。銀メダルとなった平均台の表彰式では、ソ連のナタリア・クチンスカヤの受賞の間、顔を背けることで抗議の意を示しました。

 メキシコ五輪終了後まもなく、チャスラフスカは、東京五輪。男子陸上1500m 銀メダリストのヨゼフ・オドロジル陸軍中尉と結婚し、同年12月、日本で開催された「中日カップ チェコ日本選抜体操大会」を最後に現役を引退しました。

 その後も彼女は「二千語宣言」への署名撤回を拒否し続けたため、国内体操界から追放され、不遇な生活を強いられました。また、私生活では、夫のオドロジルも軍を追われ、息子のマルチンが生まれたものの、1987年には離婚しています。

 1989年11月、チェコスロヴァキアではビロード革命により、共産党政権が倒れ、ヴァツラフ・ハヴェル政権が発足すると、チャスラフスカはハヴェル大統領のアドバイザーに就任。体操協会にも復帰し、大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めるなど、チェコ民主化の象徴的な存在となりました。
 
 しかし、1993年、離婚したオドロジルが息子のマルチンとの口論の末に死亡する事件が発生。マルチンは逮捕されます。

 この事件は、ビロード革命後も一定の社会的影響力を保持していた共産党とその支持者たちにとって、“民主化勢力”に反撃する格好の材料となり、共産党系のメディアを通じて、大々的な反チャスラフスカ・キャンペーンが展開されました。その結果、彼女は鬱状態になり、プラハの施設で治療を受けるようになりました。

 今回ご紹介の葉書に使われている写真には、東京五輪のポスターを背景に、微笑みながら、自分の獲得したメダルを見せているチャスラフスカの姿が写っています。チェコスロヴァキア現代史の文脈でいえば、チェコ五輪委員会100周年の記念葉書には、濃紺のレオタードを身にまとい、メキシコ五輪で鬼気迫る演技を見せた彼女の姿を取り上げるという選択肢もあったかもしれません。ただ、この葉書が発行された当時、彼女は存命でチェコ国内に住んでいましたから、葉書に使う写真の選択には、彼女の意向がそれなりに反映されているものと思われます。そうだとすると、彼女の運命を暗転させた“プラハの春”よりもずっと以前、初めての五輪金メダルを取って単純に幸せだった時代の写真が選ばれたのも、むべなるかな、というところでしょうか。


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 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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