内藤陽介 Yosuke NAITO
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 HAPPY DIWALI!
2016-10-31 Mon 15:42
 きょう(31日)は、ヒンドゥーの新年のお祝い“ディーワリー”の日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・インドとの国交20年

 これは、2012年11月5日、イスラエルが発行したイスラエル=インド国交20年の記念切手のうち、インドの象徴として、ディーワーリーの灯明を描いた1枚です。

 インド亜大陸には、すでに紀元前10世紀のソロモン王の時代から、象牙や銀の交易のため、ユダヤ人が来訪していたとされています。その後、ローマによって古代イスラエル王国が滅亡させられると、離散したユダヤ人の一部はインドに逃れ、南インドのコーチン北方、クランガノールにはユダヤ人の居住区が成立します。

 ケーララの藩王(地方君主)たちは、比較的異教徒に対して寛大であったこともあって、クランガノールのユダヤ人たちは地元の地方君主と協調関係を築き、香辛料貿易を独占することに成功。彼らはユダヤ教徒としての信仰や伝統を維持しつつも、南インドの生活様式も取り込んでいったため、“ユダヤ人”としては、かなりユニークな存在となりました。

 1341年、クランガノールが水害で壊滅的な打撃を受け、ケーララの中心がコーチンへと移ると、ユダヤ人たちもコーチンへ移住してユダヤ人街を形成。コーチンのユダヤ人コミュニティは20世紀半ばにいたるまで、活況を呈していました。

 一方、インド独立運動の指導者であったガンディーはパレスチナにユダヤ人国家を建国するという計画には批判的で、1947年の国連のパレスチナ分割決議案は反対票を投じており、第一次中東戦争後の1949年に出されたイスラエルの国連加盟申請にも反対しています。ただし、1950年、インドはイスラエルとの正式の国交は樹立しないものの、現実にはイスラエル国家が存在しているという理由で、国家承認はするという微妙な立場を取っています。また、コーチン在住のユダヤ人も、その多くがイスラエルへと“帰還”し、インド国内のユダヤ人コミュニティは急激に縮小しました。

 その後、パレスチナ問題が東西冷戦の文脈に組み込まれていく中で、イスラエルが米国の支援を受けていたのに対して、インドはソ連寄りの姿勢を取っていたことに加え、インド国内には多数のムスリム(の有権者)が存在していたこともあって、インドはイスラエルとは距離を置き続けました。たとえば、、1974年には非アラブ諸国として初めて、PLOをパレスチナの代表として承認していますし、インドはイラク空軍の訓練に協力しています。また、スリランカ内戦に際して、1988年5月、インドの平和維持軍がスリランカに派遣されると、インドに併呑されるのではないかとの恐怖を抱いたスリランカ政府はイスラエルの支援を仰いでいます。

 ところが、1989年、ソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、行き場を失ったムジャーヒディーンの一部がインドでテロ活動を展開するようになったため、インドはテロを封じ込めるためにもイスラエルとの関係改善が必要になり、1992年、両国間の正式の国交が樹立されました。今回ご紹介の切手はここから起算して20周年になるのを記念して発行されたものです。
 
 なお、インド=イスラエル国交樹立20周年の記念切手は、今回ご紹介のディーワーリーとあわせてイスラエルの代表的な行事としてハヌカーの切手との2種セットで発行され、インドでも同時に同図案の切手が発行されています。

 
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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 日本ハムが10年ぶり日本一
2016-10-30 Sun 10:06
 プロ野球の日本シリーズは、北海道日本ハムファイターズ広島東洋カープを4勝2敗で下して10年ぶりの日本一となりました。というわけで、“戦士”の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・モンテカステッロ攻略50年

 これは、1995年2月21日にブラジルが発行した”モンテ・カステッロ攻略50年”の記念切手で、ブラジル国旗を背景に戦うブラジルの兵士たちが描かれています。

  1939年9月に第二次大戦が勃発した当初、ブラジル国内では、陸軍の上層部はドイツに好意的でしたが、大統領のヴァルガスは中立を維持していました。

 ところが、1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を受けて大戦に参戦した米国は、ブラジル北東部の戦略的な位置を重視し、ブラジルを自陣営に取り込もうとします。その一環として、米国は、ヴァルガス政権の経済政策の目玉の一つであったヴォルタ・レドンダ国立製鉄所の建設資金として2000億ドルを供与し、その代償として、レシーフェに米軍基地を設置。一方、ヴァルガス政権も、中立を掲げながらも、明らかに米国寄りの外交路線に舵を切るようになっていきます。

 一方、米国と戦闘状態に突入したドイツは大西洋戦線で潜水艦Uボートを用いた連合国の通商破壊作戦を展開していましたが、その結果、1942年1月から7月までの間に13隻のブラジル商船がドイツの潜水艦攻撃によって沈められました。さらに、同年8月には、潜水艦U-507により、2日間で5隻のブラジル船が沈められ、600人以上が犠牲になっています。この8月のUボート攻撃に対して、ブラジル国内の反独世論が沸騰。ヴァルガスは陸軍内の反対論を抑え込んで、8月22日、ドイツに対して宣戦を布告しました。

 さらに、大戦末期の1944年になると、ブラジルは連合国の一員として、ラテンアメリカ諸国として唯一、米軍の指揮下に2万5000名余の遠征軍(FEB:Força Expedicionária Brasileira)をイタリア戦線に派遣しました。すでに、イタリアは前年の1943年に降伏しており、主たる戦闘対象はドイツ軍です。

 1944年7月2日にブラジルを出発したFEBの第一陣5000人は同16日にイタリア・ナポリに到着。その後、順次、後続部隊が到着し、米軍を中心とする連合軍部隊と合流しました。その中には、アフリカ系黒人で構成される米第92歩兵師団、日系人で構成される米第442歩兵連隊、ニュージーランド、カナダ、インド、グルカ、英領パレスチナ、南アフリカ出身の英連邦軍、英連邦指揮下のポーランド、チェコスロヴァキアの各亡命政府軍、イタリアの反ファシスト勢力、セネガル、モロッコ、アルジェリア出身のフランス軍など、多種多様な人々が含まれていました。

 FEBは、ドイツのケッセルリンク元帥が設定したイタリア北部の最後の防衛線“ゴシック・ライン(リグリア海から内陸に入り、標高1000メートルのアルティッシモ山の山頂を連ねた線)”の攻略戦に参加しましたが、なかでも、1944年11月25日から1945年2月21日までのモンテ・カステッロの戦いでは、FEBはドイツ軍の70名を大きく上回る443名の死傷者を出して奮闘し、連合国の勝利に貢献したことで知られています。今回ご紹介の切手は、その50周年を記念して発行されたものです。

 その後も、FEBは連合国諸部隊とともに1945年4月7日にまでに難攻不落と謳われたゴシック・ラインの制圧を完了します。さらに、米第4軍と共に北上して4月14日にはモンテーゼを攻略して4月25日にはパルマに到達し、ターロ川の戦いでは撤退する枢軸軍の激しい抵抗を受けつつも、28日にはフォルノーヴォで枢軸側を包囲してドイツ第148師団を降伏させ、1万3000人を捕虜としました。

 これにより、ドイツ軍はイタリア戦線で抵抗を続けることが不可能となり、休戦交渉が開始されます。そして、5月2日、FEBはトリノに到達し、スーザ渓谷で南下してきたフランス軍と合流したところで、5月8日の終戦を迎え、戦勝国としての地位を確保しました。

 なお、第二次大戦中のブラジルについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろと関連のマテリアルをご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(29日)のトークイベント「ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様、スタッフの皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 鬼に金棒 小野に鉄棒
2016-10-29 Sat 10:42
 きのう(28日)、平成28年度の文化勲章・文化功労者が発表され、文化功労者の1人に体操男子で黄金期の礎を築いた小野喬氏が選ばれました。スポーツの体操分野での文化功労者選出は初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      第16回国体(鉄棒)

 これは、1961年10月8日に発行された“第16回国民体育大会(以下、国体)”の記念切手のうち、男子の鉄棒を取り上げた1枚です。この鉄棒選手のモデルが、今回、文化功労者に選ばれた小野氏です。

 1961年の国体秋季大会は、秋田県内の各地を会場として、10月8-13日の日程で行われました。

 秋田県が国体の誘致に名乗りをあげたのは、1955年のことで、以来、秋田県よりも早く国体誘致の活動を開始していた新潟県との間で激しい誘致合戦が展開されています。

 当時、秋田県の財政は深刻な状況にあり、民間企業であれば破産に相当する財政再建団体に指定されていました。財政再建団体の指定を行うための「地方財政再建促進特別措置法」の施行は1955年のことでしたから、秋田県は同法の施行後ただちに財政再建団体の指定を受けていたことになります。

 また、当時の秋田県には、秋田市内に山王体育館やラグビー場はあったものの、それ以外には全国規模の大会を行うための正規の基準をクリアーしたものはありませんでした。さらに、国体競技種目のうち、ハンドボール、ウェイトリフティング、フェンシング、馬術、ホッケー、ヨットに関しては、県の競技団体が結成されていなかったほか、宿泊施設の収容力も、とうてい、国体参加者をカバーしうるものではありませんでした。

 したがって、秋田県国体の開催は、通常の感覚からすれば、明らかに無謀な計画でしたが、県側では1955年8月に国体誘致委員会(会長は秋田県知事の小畑勇二郎)を結成。県の体協関係者や市町村長らを動員して強引な誘致運動を展開し、1954年10月24日の国体委員会で開催の決定を取り付けました。これは、東北初の単独開催であると同時に、赤字再建団体としての開催という前代未聞の事柄でした。

 無謀ともいえる国体の開催に秋田県側が執念を燃やしていた背景には、国体のもたらす莫大な社会的効果がありました。

 すなわち、秋田空港の開港をはじめ、道路網の整備や地方体育施設の建設といった大型土木プロジェクトが国体に合わせておこなわれたほか、県産品を広くアピールする機会がうまれたことで、地元では「(国体開催によって)秋田県は20年の遅れを一挙に取り戻した」との声もあったといわれています。

 とはいえ、赤字財政の中での大会であったため、開催の基本方針として“金のかからぬ質素な国体”ということが強調されました。“明るい国体”というスローガンの下、県民運動の一環として、県民の住居を関係者の宿泊先として提供する民泊が奨励されたのは、その典型的な事例といってよいでしょう。

 なお、大会の競技数は28、参加者数は1万4547名で、天皇杯・皇后杯はいずれも東京都が獲得。秋田県は天皇杯2位(前年は9位)、皇后杯4位(前年は10位)という好成績を収めています。

 記念切手に関しては、例年どおり、年初の1月23日に開かれた郵政審議会専門委員会で発行が決められていましたが、大会秋田県実行委員会会長(小畑勇二郎)名の発行陳情書が仙台郵政局長を通じて本省の郵務局長と郵政大臣(小金義照)宛に提出されたのは1月27日のことでした。

 切手の図案としては、4月10日、漕艇・鉄棒・ラグビー・射撃・バドミントン・ハンドボール・弓道・馬術等、地元の特色を活かしてほしいとの要望が小畑から出され、これに沿って、同月13日、男子の鉄棒と女子の漕艇(ただし、記念切手の対象となる秋季大会ではなく、夏季大会での競技であった)が取り上げられることが決まります。原画作者は

 このうち、鉄棒の図案は、「鬼に金棒、小野に鉄棒」とよばれた当時の日本体操界のエース、小野氏の演技写真を元に構成されましたが、これは、小野氏が地元・秋田県能代市の出身だったことによるものです。

 小野氏は1931年生まれ。東京教育大(現筑波大)在学中の1952年、ヘルシンキ五輪に出場し、1956年のメルボルン五輪の鉄棒で日本体操界初の金メダリストとなりました。その後も、1960年のローマ五輪、1964年の東京五輪に出場し、4大会で計13個のメダル(金5、銀4、銅4)のメダルを獲得し、日本体操界に一時代を築きました。1958年には、女子体操界のエースだった大泉清子(後、参議院議員、国家公安委員長)と結婚。東京五輪後の1965年、体操を中心とした総合スポーツクラブの先駆けとなる池上スポーツ普及クラブを夫婦で設立し、ソウル五輪代表の小西裕之らを育てるなど、指導者としても実績を上げました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和時代の国体切手の詳細については、拙著『解説・戦後記念切手』(全7巻)でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 泰国郵便学(45)
2016-10-28 Fri 11:54
 ご報告が大変遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第5号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイのヴィーナス

 これは、1974年9月19日に発行された“国立博物館100周年”の記念切手のうち、“タイのヴィーナス”として知られる観音菩薩像を取り上げた2.75バーツ切手です。ついでですので、以前、バンコク国立博物館を参観した際に、撮影した“タイのヴィーナス”の実物の写真も下に貼っておきます。

      タイのヴィーナス(実物)

 タイにおける博物館の歴史は、1859年、国王ラーマ4世が王宮内に自分への贈物を1ヵ所にまとめて収蔵したのが起源とされています。ただし、ラーマ4世の時代の収蔵施設は、プライベート・コレクションとしての性質が強く、一般公開を前提とした現在の博物館とはかなり趣が異なるものでした。

 これに対して、ラーマ4世崩御後の1874年、ラーマ5世は、父王の御物や一般の関心を集めそうな品々を展示・公開するための施設として、王宮内のサハタイ・サマコム館を利用して博物館を創設することとし、9月19日に博物館としての開館記念式典を行いました。現在のタイでは、これをもって、国立博物館の開館としており、今回ご紹介の切手もここから起算して100周年にあわせて発行されました。

 その後、展示施設が手狭になったため、1887年、ラーマ5世はサハタイ・サマコム館から副王宮殿(ワンナー)の礼拝堂として用いられていた建物に所蔵品を移すように命令。この施設は、当初、ワンナー博物館と呼ばれていましたが、1926年にバンコク博物館と改称され、1934年、文化省芸術局の管轄に置かれてバンコク国立博物館として拡充され、現在に至っています。

 なお、現在、タイの“国立博物館”は、バンコク国立博物館、バンコク国立美術館、王室御座船国立博物館、シン・ピーラシー記念国立博物館、王室象国立博物館、ガーンチャナーピセーク国立博物館の6中核組織を含め、バンコクなど中部に21、チェンマイなど北部に8、スリンなど東北部に7、プーケットなど南部に7の施設があり、文化省芸術局国立博物館部によって運営が担われています。

 切手に取り上げられた“タイのヴィーナス”は、バンコク国立美術館の至宝にして、シュリーヴィジャヤ美術の傑作とされている観音菩薩像(8世紀ごろ)です。

 シュリーヴィジャヤは、7世紀後半から14世紀後半にかけて、現在のインドネシアからマレーシア、タイ南部にいたる広大な地域を支配していた王朝で、その首都が置かれていたスマトラ島のパレンバンは、東西交易で大いに繁栄し、学芸の中心地でもありました。中国大陸からインドへ留学する僧侶はインドへ渡る前に、パレンバンでサンスクリットの語学研修を行ったともいわれています。

 1025年、シュリーヴィジャヤ王国は南インドを支配していたチョーラ朝のラージェンドラ1世の攻撃を受け、以後、次第に衰退。その後、1080年頃まではパレンバンを首都としていたものの、その後は首都がどこにおかれていたかは定かではありません。ただし、後期においては、出土する遺品・美術品の分布から、タイ南部のチャイヤーを拠点としていたとする説が有力で、“タイのヴィーナス”と呼ばれる観音菩薩像もチャイヤーから出土したものです。

 なお、バンコク国立博物館の宝物については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 無事帰国しました。
2016-10-27 Thu 17:20
      FIP総会2016

 本日(27日)午後、無事、台北から帰国いたしました。世界切手展<PHILATAIPEI 2016>の会期中、現地では、コミッショナーの岩崎善太さんご夫妻、アシスタント・コミッショナーの藤井堂太さん、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さん、全日本郵趣連合副会長の井上和幸さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 冒頭の写真は、きのう(26日)、切手展に合わせて開催されたFIP(国際郵趣連盟)の総会の終了後、FIPのテイ会長を中心に、出席した日本人5人で記念撮影したものです。総会での議事内容につきましては、いずれ、全日本郵趣連合の機関誌『全日本郵趣』誌上等、しかるべき媒体でご報告する予定です。

 さて、今回の切手展には、僕は審査員としてテーマティク部門の審査を担当しましたが、その証書は受賞者の方々に授与された賞状と同じフォーマットで、下のようなデザインでした。

      台北展(2016)賞状

 賞状には切手展の開催地、台北のシンボルである台北101とその前を飛ぶ鳥のシルエットが取り上げられています。この鳥のシルエットは、中華郵政120年を示す切手展のロゴマークにも使われており、証書の左上に印刷されているほか、切手展のメダル(裏面)にも大きく取り上げられています。(下の画像)

      台北展メダル(2016)  台北展メダル裏面(2016)

 ちなみに、今回の切手展の会期中、このロゴマークが入った切手は何種類か発行されましたが、鳥の部分を抜き出してで在院化したのが、下の切手です。

      台湾・PHILATAIPEI2016(台湾の日)

 これは、切手展初日の10月21日、切手展のイヴェントとしての“台湾の日(寶島日)”を記念して発行された連刷切手で、件の鳥のシルエットは右側の切手の左上に描かれています。ちなみに、“台湾の日”の切手は、玉山、日月潭、旧正月のランタン飛ばし(放天燈)、ドラゴンボート、蝶など、台湾の豊かな自然を象徴するデザインの13元切手と、台北101と高雄85の南北の2大建築を取り上げた32元切手を組み合わせた構成です。

 なお、次の国際切手展としては、本年12月2日から6日まで、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市でアジア国際切手展<CHINA 2016>が開催されます。僕はその日本コミッショナー兼審査員として参加する予定となっており、今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。 


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 <PHILATAIPEI 2016>終了
2016-10-26 Wed 17:36
 早いもので、21日に始まった世界切手展<PHILATAIPEI 2016>は、さきほど無事に終了しました。明朝の日本航空(JAL)で台北を発ち、東京に戻る予定です。というわけで、無事の帰国を願って、毎度恒例、2都市間のエアメールの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台北・羽田FFC

 これは、1959年8月1日、台北から羽田宛のJALの初飛行カバー(FFC)で、8月1日の午前9時に台北を出発し、午後4-6時に羽田に到着しています。

 第二次大戦後のJALの国際線は、1953年11月、羽田=ホノルル=サンフランシスコ線の運航から始まります。東京=台北線に関しては、1959年7月30日、DC-6B型機で東京を出発したのが第一便で、今回ご紹介のカバーは、台北からの復路に搭載されていたモノということになります。

 なお、JALの東京=台北線は、1972年9月の日本と中華人民共和国との国交樹立に伴って結ばれた日中航空協定に、「中華人民共和国に乗り入れする航空会社は中華民国に乗り入れてはならない」との規定があったため、1974年4月にいったん廃止されてしまいます。しかし、現実の問題として日台間の航空路線を廃止してしまうことはできないので、1975年8月、別会社の日本アジア航空が設立され、同年9月からは同社に移管されたダグラスDC-8-53により運航が開始されました。

 その後、2007年に、日本側の対台湾の窓口である財団法人交流協会と、台湾側の亜東関係協会が、日本=台湾路線の直接運航を認めることを確認。これを受けて、2008年4月、日本アジア航空は日本航空インターナショナルと統合され、現在に至っています。

 さて、今回の切手展では、コミッショナーの岩崎善太さん、アシスタント・コミッショナーの藤井堂太さん、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、あすの昼過ぎには羽田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通り仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。


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 台湾光復節
2016-10-25 Tue 08:41
 きょう(25日)は、1945年10月25日に台湾における日本の統治が終わったことにちなむ“台湾光復節”です。というわけで、せっかく、台北にいることでもありますし、この切手です。(画像はクリックで拡大されます。ちなみに、(切手の隣には、“慶祝台湾光復節”の横断幕が掲げられた、きょうの台北市議会議事堂の写真を貼っておきました)

      台湾数字10円  台湾光復節(2016)

  これは、第二次大戦の終戦間際、台湾で準備されたものの、発行されずに終わった10円切手で、デザインは日本本土と同じ梅花模様が取り上げられています。

 大戦末期の1944年10月、米軍がフィリピンのレイテ島に再上陸します。台湾最南端の鵞鑾鼻岬からは、天気が良ければフィリピンの北端が見えるほど、両者の近い距離にありますから、台湾は、米軍の侵攻がいよいよ間近に迫ってきたのではないかとの緊張に包まれることになります。

 こうした状況の中で、1944年10月、台湾総督府交通局の逓信部長は、日本本土との交通が途絶えて葉書の供給がストップし、在庫切れとなることを予想して、内地製のものと同形式で暫定的な葉書を現地で製造したいことを、東京の通信院(1943年11月の行政機構の簡素化により、逓信省が改組されたもの)に申し出て、了承を得ています。

 さらに、1945年6月になると、戦況はいよいよ悪化し、東京の逓信院は朝鮮総督府逓信局長・台湾総督府交通局総長・関東逓信官署逓信局長・南洋庁交通部長宛に、それぞれの管内で図案を簡略化した切手を製造することとし、そのための準備に入るよう指示。これを受けて、台湾ではさっそく、“簡素切手”の製造準備に取り掛かります。逓信院から送られてきた切手の元図は台湾出版印刷株式会社に渡され、3銭、5銭、10銭、40銭、50銭、1円の6種類の数字切手と、内地の5円(今回ご紹介のものです)、10円切手と同図案の切手の印刷が発注されました。これが、いわゆる台湾数字切手です。

 しかし、実際に切手発行の計画が立案されたのは7月31日のことで、台湾総督府交通局逓信部長の決裁が取られ、切手発行についての最終的なゴーサインが出たのは、玉音放送前日の8月14日のことでした。すでに8月4日、印刷所では見切り発車で切手の製造が開始されていたものの、結局、“簡素切手”は終戦には間に合いませんでした。

 日本の敗戦とともに、蒋介石の国民政府(以下、国府)はカイロ宣言にしたがって台湾接収に向けて動き始めます。もっとも、実際に国府の第70軍と行政長官公署官員が台湾に進駐したのは10月17日、日本軍の降伏受理が正式に行われたのは10月25日のことで、それまでの期間は、日本の台湾総督府がそのまま台湾統治の実務を担当していました。

 郵便も例外ではなく、日本側が業務を続けていましたが、当然のことながら、日本本土から、新規に切手が配給されることはなくなっていたため、9月に入ると、各地で一部の切手の在庫が底をつき始めます。

 これに対して、当初、台湾総督府は在庫切れの切手の代わりに暫定的に「郵資已付(郵便料金納付済の意)」のゴム印を押して対応していました。ところが、これらのゴム印は容易に偽造が可能であるうえ、耐久性に乏しく、すぐに傷んで変形してしまうなどの不具合が多かったため、台湾総督府側は、終戦前に用意しながら発行されないままになっていた台湾製の“数字切手”のうち、3銭ならびに5銭の切手を10月21日から、10銭の切手を10月31日から、それぞれ台北郵便局で発売しています。さらに、新竹、台中、台南、南投、大渓、斗六、新化、佳里、竹東などでも、あいついで数字切手が発売されました。

 さて、10銭切手が発行される以前の10月24日には、台湾省行政長官兼台湾省警備総司令となった陳儀が台湾に上陸。翌25日には台北公会堂で台湾受降式典が行われ、陳儀は蒋介石の代理として、台湾総督兼日本軍第10方面軍司令官・安東利吉の投降を受理しています。そして、台湾と澎湖諸島の中華民国領編入を宣言し(ただし、この時点では、台湾の帰属変更に関する正規の条約が調印・批准されているわけではないので、国際法的には、この宣言をもって台湾が正式な中華民国領となったとはいえない)、これを受けて、国府による台湾統治のための機関として台湾行政長官公署が発足しました。

 ところが、国府側による郵政接収はスムースには進まず、その後も住民に対する郵便サービスの提供はしばらく日本側が担当せざるを得ないのが実情でした。10月31日になってから、日本統治時代につくられた数字切手が発行されたのは、そうした事情を何よりも如実に物語っているといってよいでしょう。

 結局、国府側による郵便の接収は11月3日にまでずれ込みます。そして、この日をもって数字切手を含む日本時代の切手は無効となり、今回ご紹介のものを含むその他の“簡素切手”は未発行のままに終わりました。そして、翌4日付で国府は、日本時代の数字切手に「中華民國 臺灣省」の文字を加刷した切手を発行しています。こうして、台湾における日本郵便の歴史はようやく幕を閉じることになりました。

 ただし、新たに発足した台湾行政長官公署が台湾で流通させた新通貨の(旧)台幣は日本円との交換レートが1:1となっており、大陸とは全く別の通貨体系となっていました。したがって、後に大陸と台湾では同じデザインの切手が発行されるようになっても、対応する通貨が異なっているため、中国本土と台湾で使われている切手は本質的に別物でしかありません。言い換えるなら、切手の面では、台湾は決して(国府のいう)“祖国”に復帰したわけではなかったわけです。



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 <PHILATAIPEI 2016>受賞結果速報
2016-10-24 Mon 18:06
      臺灣・乾杯(2009)

 21日から台湾・台北の台北世界貿易中心・展覽1館(台北ワールドトレードセンター展示ホール1)で開催中の世界切手展<PHILATAIPEI 2016>ですが、すべての作品の審査が終了し、本日(24日)午後、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。以下、リストのうち、出品者名は日本語表記、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数です。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 ワールド・スタンプ・チャンピオンクラス 
 ・井上和幸 Japanese Post and Foreign Postal Activities in Korea 1876-1909
 一般競争出品
 ・和田輝洋 Japan Showa Issue 1937-1947 V(83)
 ・石澤司 Ryukyus Air Mail Stamps 1950-60 V(83)
 ・村山廣佑 Japanese Chrysanthemum Series 1899-1910 V(80)
 ・幡中民道 Chrysanthemum Issue of Japan LV(88)
 ・岩崎善太 Siam Classic LV(86)
 ・河野良一 Japan Old Koban Series 1876-1879 G(90)
 ・太田克己 Hand Engraved Stamps of Japan 1871-1876 G(91)
 ・多田由一 Nova Scotia Pence & Cents Issues 1851-1867 G(90)
 ・山崎文雄 Hawaii LG(95)
 ・大場光博 The Opening of China 1745-1897 G(90)
 ・小林彰 A Franco-Japanese Postal History 1860-1899, from opening ports to treaty revision V(81)
 ・山崎好是 The Japanese Couriers 1601-1873 LV(88)
 ・池田健三郎 Prompt Delivery in Japan as National Services LV(85)
 ・玉木淳一 Postal History of the Japanese Military Mail 1928-1945 LS(78)
 ・志水正明 Japanese Military Post from Sino-Japanese War to Russo Japanese War V(83)
 ・安藤源成 The U.S. Forces and Postal Censorship by General Headquarters in Japan LS(75)
 ・伊藤文久 German Inflation 1922-1923 LV(87)
 ・杉原正樹 Stamped Envelopes of Japan 1873-1908 G(91)
 ・福井和雄 Postal Cards of China 1897-1912 G(90)
 ・勝井明憲 A History of the Telephone - Telegraph to Digitalization G(91)
 ・長谷川純 The Hand Etched Documentary Revenue Stamps of Japan 1873-1874 G(90)
 ・須谷伸宏 japan Definitives: 1980-1988 V(83)
 (以下、文献)
 ・正田幸弘 『国際展物語 1965-2004』 S(71)
 ・切手文化博物館 『金井宏之コレクション 日本手彫切手』 G(94)+SP
 ・(株)鳴美 『てつゆう~梶原ノート』 LS(78)
 ・山崎好是 『飛脚と郵便』 LV(85)
 ・(株)鳴美 『昭和切手専門カタログ(改訂第3版)』 V(83)
 ・(公財)日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログVol.1-4』 V(81)
 ・(公財)日本郵趣協会 『<JAPEX2015>紀念出版 年賀郵便』 LS(78)
 ・(株)鳴美 『日本印紙カタログ 第6版』 V(82)

 あらためて、受賞された皆様には、心よりお祝いを申し上げます。

 なお、冒頭に掲げた画像は、2009年に台湾で発行されたグリーティング切手のうち、乾杯のグラスを描いた「おめでとう(congratulations)」の切手です。昨年の香港展の先例に倣い、今回の受賞者の皆様への祝杯の気持ちを込めて、類似の切手を持ってきてみました。


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 世界の国々:インド
2016-10-23 Sun 08:03
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年10月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・ナーランダ僧院

 これは、1997年にデリーで開催されたインド国際切手展の記念切手のうち、ナーランダ僧院跡を取り上げた1枚です。

 インド北東部ビハール州ナーランダは、生前の釈迦が説法を行ったほか、名僧・ナーガールジュナ(150-250年頃)も講義を行った土地です。

 427年、グプタ朝のクマーラグプタ1世の治世下で、世界最古の大学のひとつとされるナーランダ僧院が創設され、最盛期には1万人の学生と1500人の教員を擁しており、645年には玄奘三蔵がここに学んで657部に及ぶ経典を中国に持ち帰ったほか、761年には、ここで後のチベット仏教が生まれ、密教とも混淆して独自の教義が生まれました。

 しかし、インドにおける仏教は、土着の文化や宗教の要素を取り込むとともに、ヒンドゥーに対抗するための理論体系化を試みた結果、次第に密教化し、ヒンドゥーの区別が曖昧になっていきました。そして、12世紀以降、ムスリムの襲撃により、多くの仏教寺院が破壊され、多くの仏教僧が犠牲となるなかで、1193年、ナーランダ僧院が破壊されたことで、インド仏教は壊滅的打撃を受け衰退の道をたどることになります。なお、かつてのナーランダ僧院の跡地には、切手に見られるような遺構が残るだけとなっています。

 さて、『世界の切手コレクション』10月19日号の「世界の国々」では、誕生から入滅までの釈迦の生涯とインドにおける仏教の展開をたどった長文コラムのほか、ギルギット法華経写本、ガンジス川、大菩提寺、菩提樹、独立後の仏教復興運動を主導したアンベードカルの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、19日に発売された10月26日号でのベルギーの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 鳥取で大地震
2016-10-22 Sat 08:47
 きのう(21日)、鳥取県中部の倉吉市や湯梨浜町、北栄町で震度6弱の地震があり、岡山県北部でも震度5強を記録したほか、関東から九州にかけての広い範囲で揺れを観測しました。被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      投入堂

 これは、2001年6月1日に発行されたふるさと切手、“ふるさと鳥取”のうち、三徳山三仏寺の国宝“投入堂”を取り上げた1枚です。今回の地震で、三徳山三仏寺でも、建物の被害などはなかったものの、参拝道の一部でひびが見つかったそうです。

 さて、三徳山は、寺伝では、修験道の開祖と言われる役小角が706年に開山し、849年に円仁が三仏を安置して三仏寺と号したとされていますが、史料として確認できるのは、1184年に「後白河天皇の御子と称する者が(開山した)」というのが最初です。

 切手に取り上げられた投入堂は寺の奥院で、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられています。寺伝では、役小角が本尊の蔵王権現像などを祀った仏堂をつくり、それを法力で建物ごと平地から投げ入れたされていますが、現在祀られている蔵王権現像は1168年の制作であることから、上述の史料と併せて、投入堂の確実な歴史は12世紀以降と考えられています。

 ちなみに、本尊に祀られている蔵王権現は修験道の本尊で、日本古来の神道と仏教が混じり合う神仏習合の現象が起こり、日本の神々は仏や菩薩などが姿を変えて日本に現われたものとする本地垂迹説が唱えられる中で、仏教の釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊が合体して日本人の前に姿を現したものとされています。開祖・役行者が金剛山で感得し、過去・現在・未来の三世に渡って力を発揮するとされています。

 気象庁によると、今回の地震について「今後1週間程度は最大震度6弱程度の地震に注意してほしい」とのことですが、どうか、蔵王権現の霊力で、被害が最小限にとどまり、一日も早い復興が果たされことをお祈りしております。


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 きょうから<PHILATAIPEI 2016>
2016-10-21 Fri 07:21
 きょう(21日)から26日まで、台湾・台北の台北世界貿易中心(TWTC)で世界切手展<PHILATAIPEI 2016>が開催されます。初日のきょうは午前9時からオープニング・セレモニーがあるので、僕もこれから朝食をすませて、会場に向かいます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      台湾・PHILATAIPEI2016(自転車)

 これは、今回の切手展の記念切手のうち、手紙の描かれた気球で宙を舞う郵便配達員を描いた5元切手です。切手展の開幕に合わせて、会期初日の10月21日に発行されました。

 台湾では、これまでにも、中華郵政100周年にあたる1996年を皮切りに、2005年、2008年、2015年にアジア国際切手展が開催されてきましたが、世界切手展の開催は、中華郵政120周年に当たる今回が初めてのことです。

 19世紀後半の中国大陸の郵便事情は、非常に複雑で、実質的な清朝郵政として機能していた海関郵政にくわえ、政府の公用便を運ぶ駅站、地方の官公署の文書を運ぶ文報局、民間の飛脚に相当する民信(日本の飛脚よりも相当に規模が大きく、シンガポール、マレー、ジャワにまで及ぶ通信網を完備していた業者もあった)、開港地に置かれた列強の郵便局、在住外国人の通信組織である書信館などが、それぞれ、併行して文書の通信を担っていました。

 1895年、日清戦争での敗戦という事態に直面した清朝では、日本の明治維新をモデルとして立憲君主制を樹立しようとする変法の運動が起こり、科挙の改革、近代的な学校の建設、農工商業の振興、新式陸軍の建設などの詔勅が次々に発布されました。その一環として、四分五裂状態にあった郵便の統一もはかられるようになり、海関総税務司のロバート・ハートは総理各国衙門を通じて「郵政開辨章程」を上奏。国家郵政発足のための具体的なプランを提案します。

 ハートの上奏案が皇帝の裁可を受けたのは1896年3月20日のことで、今年が中華郵政120周年というのは、ここから起算した年回りで、ことしの3月18日には、下のような中華郵政120周年の記念切手も発行されています。

      台湾・中華郵政120年

 この切手では、かつてのポストと郵便配達の自転車、現在のポストと郵便配達のバイクを対比させた構図になっていますが、今回の切手展の開催直前になって、この切手と同図案の印面の記念葉書も発行されていますので(下の画像。本日、現物を中華集郵団体連合会の林昌龍さんから頂戴しました)、郵便配達の自転車というモチーフには、中華郵政の過去と現在をつなぐシンボリックな意味合いが付与されているということなのかもしれません。

       台湾・中華郵政120年記念葉書

 さて、今回の切手展は、作品の展示フレーム数2400、各国郵政や切手商のブース出店も140というもので、日本からも31作品154フレームが展示されています。その受賞結果につきましては、公表可能な状況になり次第、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。
 

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 台北に行ってきます!
2016-10-20 Thu 02:17
 私事で恐縮ですが、あす(21日)から台湾・台北の台北世界貿易中心(TWTC)で開催される世界切手展<PHILATAIPEI 2016>に審査員として参加するため、けさ、9時前の飛行機で羽田を発ち、台北に向かいます。台湾行きは2008年のアジア国際切手展<TAIPEI 2008>以来8年ぶり、世界切手展での審査員は2014年の<MALAYSIA 2014>以来2年ぶりのことです。というわけで、“台湾訪問”といえば、やはり、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾行啓(1銭5輪)

 これは、1923年4月に発行された“皇太子殿下台湾行啓”の記念切手のうち、1銭5厘切手です。ここでいう皇太子殿下とは、裕仁親王、すなわち後の昭和天皇のことです。

 皇太子・裕仁親王の台湾訪問は、文官の台湾総督であった田健次郎の下で進められていた宥和政策の一環として企画されたもので、1921年11月に病身の大正天皇の摂政となり、実質的な国家元首となった皇太子の存在を植民地の住民に認識させるという意図も込められていました。

 今回ご紹介の記念切手は、逓信大臣の経験者でもある総督の田が発行にいたるまでのイニシアティヴをとっていたほか、郵便局での発売も台湾内に限られる(ただし、内地でもこの切手を郵便に使用することはできました)など、実質的には台湾総督府の発行したものです。ただし、切手を発行するということは、その国の郵政主権の根幹にかかわる部分であり、当時の日本においては逓信省以外には切手発行の権限が認められていなかったため、この切手についても、発行の告示その他の形式上は、逓信省が発行したという体裁が整えられました。もっとも、この年の『逓信省年報』には、この切手についての記載がいっさいなく、逓信省みずから、この切手を台湾ローカルの切手とみなしていたようです。

 さて、切手に取り上げられているのは、台湾で最も高い山“新高山”です。新高山は、本来、現地名で“玉山”というのですが、台湾を日本が領有した後、明治天皇の命名により改名され、戦前はこのように呼ばれていました。現代の日本人にとっては、太平洋戦争開戦時の日本軍の暗号「ニイタカヤマノボレ」のフレーズの方がなじみ深いかもしれません。なお、第二次大戦後は、当然のことながら、本来の玉山の名で呼ばれるようになっています。

 当初、皇太子は、1923年4月5日に東京を出発してお召し艦「金剛」で台湾に向かう予定でしたが、大正天皇の病状悪化から、出発は4月12日に延期されました。記念切手は皇太子の台湾到着に合わせての発行されることになっていたため、実際の切手発行日も当初予定の4月9日から16日へと延期されています。

 ちなみに、台湾滞在中の皇太子の主な日程は、以下の通りでした。

 ・(1923年4月)16日 台湾北東端の三貂角沖に到着
 ・17日 [台北] 台湾神社、総督府、台湾生産品展覧会
 ・18日 [台北] 総督府中央研究所、台北師範学校、太平公学校、台湾軍司令部、総督府医学専門学校
 ・19日 [台中] 新竹州庁、台中州庁、台中第一小学校、台中第一中学校
 ・20日 [台南] 台南州庁、南門小学校、台南師範学校、台南市第一公学校
 ・21日 [高雄] 台湾製塩会社塩田、養殖試験場、台湾歩兵第二連隊、高雄州庁、高雄第一小学校
 ・22日 [高雄] 屏東駅にて鳳山海軍無線電信所遠望、台湾製糖会社工場
 ・23日 [艦中泊]
 ・24日 [台北] 澎湖・馬公海軍要港部
 ・25日 [台北] 基隆重砲大隊、博物館、円山運動場
 ・26日 [台北] 台湾歩兵第一連隊、台湾総督府専売局、台北第一高等女学校、台北第三高等女学校、円山運動場
 ・27日 台北を出発して日本へ(5月1日に横須賀軍港着)

 さて、僕の場合、今回の台湾滞在では、26日までの展覧会期間中、日中はほぼ会場に缶詰に近い状態で、審査や会議などの予定をこなして、展覧会終了翌日の27日に帰国の予定です。現地にはパソコンも持っていきますので、この間もブログは通常通り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、ネットの接続環境が悪くなったり、何かトラブルが発生するなど、諸般の事情で記事の更新ができなかったり、メール等での連絡が取れなくなったりすることがあるかもしれません。

 いろいろとご不便・ご迷惑をおかけするかもしれませんが、その場合には、なにとぞご容赦ください。


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 日ソ共同宣言60年
2016-10-19 Wed 11:16
 日本と旧ソ連の国交を回復し、平和条約締結後に北方領土の歯舞、色丹両島を返還すると明記した日ソ共同宣言が1956年10月19日に調印されてから、今日でちょうど60年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シベリア抑留・タイプ4復片(1956?)  シベリア抑留・タイプ4復片(1956?)裏

 これは、第二次大戦後、ソ連によってシベリアに連行され、ハバロフスク近郊で強制労働に従事させられていた日本人抑留者宛に差し出された葉書とその文面です。

 いわゆるシベリア抑留者と日本との通信に使われた専用往復葉書(捕虜郵便用の料金無料葉書)については、さまざまタイプがあることが知られていますが、これはそのうちのタイプ4と分類されているモノの復片です。

 1945年8月9日、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲北朝鮮、千島、樺太に侵攻。捕虜となった旧日本兵に対して、ソ連側は「トウキョウ、ダモイ」すなわち東京へ帰還(ダモイ)させると甘言を弄して彼らをシベリア鉄道の貨物列車に詰め込み、東はカムチャッカ半島のペトロパブロフスクから西はウクライナのクタイス、北は北極圏のノリリスクから南は中央アジア・ウズベキスタンのタシュケントやフェルガナまで、およそ2000ヵ所にも及ぶ収容所へと移送しました。戦争が終わり、これで帰国できると信じていた旧日本兵の心理を逆手にとって、国家ぐるみで騙したのです。

 収容所では、十分な食糧も与えられないまま重労働を課せられ、過重なノルマを達成できなければ容赦なく食事を減らされました。また、医療・衛生環境もきわめて不十分でしたから、過酷な自然環境とあわせて、多くの犠牲者が出るのも当然でした。厚生労働省が把握しているだけでも約56万1000人の日本人が抑留され、6万人が亡くなったといわれています。

 また、ソ連当局による洗脳工作と恣意的な反ソ分子の摘発と拷問、密告の奨励など、抑留者たちは、肉体だけでなく、精神的にもきわめて過酷な環境に置かれ続けました。

 ソ連があらゆる国際法規を無視して(たとえば、対日参戦に際してソ連が署名していたポツダム宣言には、連合国の捕虜となった日本兵を本国へ早期帰還させることがはっきりと規定されています)日本人を抑留し、強制労働を課したのは、ドイツとの戦争で荒廃しきった自国の経済復興のため、奴隷同然の安価な労働力が必要だったためです。

 ソ連当局が“捕虜”に対して各自の家族に通信することを許可すると発表したのは、終戦後1年以上が経過した1946年9月のことで、同年10月20日付で、日本人抑留者に対して本国への通信を認めた「日本人軍事捕虜と日本、満洲、朝鮮に居住するその家族との交信規定についての訓令施行に関するソ連邦内務省指令第00939号」を発し、抑留者と祖国との通信が始まりました。ただし、これは抑留者全員に許可されたわけではなく、ソ連側の基準で“(労働などの)成績の良好な者”に限られていたといわれています。
 
 また、ソ連側の検閲基準では、反ソヴィエト的ないしは親ファシスト的と彼らが判断した内容の記述がある葉書は没収されたほか、①各収容所や特設病院、労働大隊に収容されているその他の軍事捕虜についての記述、②各収容所や特設病院、労働大隊に滞在時に病死したか事故死した軍事捕虜についての情報、③各収容所や特設病院、労働大隊、軍事捕虜が働いている企業の配置場所、④軍事捕虜が遂行している労働の性格、などを日本宛の葉書に書くことは「絶対に禁止」されており、必要に応じて“問題個所”を検閲担当者が抹消した後、日本宛に送られました。

 スターリン時代の粛清の嵐の中で、秘密警察により、多くのソ連国民が無実の罪を着せられて収容所に送られましたが、そうした人々もまた、収容所内の他人の消息を外部に伝えることが禁じられていました。シベリア抑留の捕虜郵便についても、この規定がそのまま踏襲されたとみてよさそうです。

 抑留者たちが書いた葉書は、内務省沿海地方本部検閲課を経由してウラジオストクから日本宛に発送されましたが、収容所の所在地などを葉書に記載することは禁じられていたため、1949年まではウラジオストク郵便局の、1950年代以降はバロフスク郵便局の私書箱が、差出人の住所として記載されています。

 私書箱の所在地がウラジオストクからハバロフスクに変更されたのは、1949年までに抑留者の帰還がそれなりに進み、1950年以降は収容所の数が激減(ピーク時の1946年に509ヵ所あった極東25地区の収容所は、1950年には15ヵ所となりました)し、そのうちの過半数(1950年の時点では8ヵ所)がハバロフスクに集中していたという実情を踏まえたものと考えられます。

 さて、シベリアに抑留されていた日本人に支給された葉書用紙のうち、タイプ4は抑留末期の1954-56年に使用されたと考えられています。この葉書には裏面に「9月10日発信」との書き込みはありますが、年号の記載はありません。ただし、文中には「日ソ交渉も十月には總理大臣が訪ソして再開する見込みに付き君達の帰国も遠からず実現するものと希待して居ます」との文言があります。これは、1956年10月12日からの鳩山訪ソのことだと思われますので、この葉書は1956年の差出と考えて良いでしょう。

 鳩山が10月19日にモスクワで調印した日ソ共同宣言では、「日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する」としたうえで、「ソ連は戦争犯罪容疑で有罪を宣告された日本人を釈放し、日本に帰還させる」とうたわれており、これにより、ソ連領内に残されていた日本人抑留者の帰国が実現することになります。

 なお、シベリア抑留者の郵便に関しては、拙著『ハバロフスク』でその概要についてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 シーボルト没後150年
2016-10-18 Tue 16:46
 江戸時代にオランダ商館医として来日し、長崎で鳴滝塾を開き西洋医学や自然科学などを教えたドイツ人の医師・博物学者、フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(以下、シーボルト)が、1866年10月18日に亡くなってから、きょうで150年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・シーボルト

 これは、2014年、オランダが発行したシーボルトの切手です。

 シーボルトは、1796年2月17日、神聖ローマ帝国の司教領ヴュルツブルク(現バイエルン州北西部)、祖父・父ともに医学者の家系に生まれました。
1815年にヴュルツブルク大学に入学して医学を学び、1820年の卒業後、国家試験を受けてハイディングスフェルトで開業しました。

 しかし、開業医の仕事には飽きたらず、1822年7月、国王ウィレム1世の侍医の斡旋でオランダ領東インド陸軍病院の外科少佐に任じられると、同年9月、ロッテルダムから出航し、喜望峰を経由して翌1823年3月にバタヴィア近郊のヴェルテフレーデンの第五砲兵連隊付軍医に配属され、東インド自然科学調査官を兼任しました。さらに、同年6月末には日本研究を希望してバタヴィアを出航して8月に来日し、当時の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となりました。

 来日翌年の1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まってきた多くの医者や学者に西洋医学(蘭学)を講義したほか、1825年には出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培しています。ちなみに、ジャワ島での茶の栽培は、シーボルトが日本茶の種子をジャワに送ったことがきっかけとなりました。

 1826年4月にはオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行し、道中を利用して日本の地理や植生、気候や天文などを調査し、それまでに収集した博物標本6箱をライデン博物館へ送っています。

 しかし、1828年の帰国に際して、先に荷物を送った船が難破し、日本の海岸に流れ着いた積み荷の一部から、幕府禁制の日本地図が見つかり、返却を要請されたものの、それを拒否したため、出国停止処分を受けたのち、国外追放処分となりました。これがいわゆるシーボルト事件です。

 1830年、オランダに帰着した際に、シーボルトが持ち帰った収集品は、文学・民族学的資料が5000点以上、哺乳動物標本200、鳥類900、魚類750、爬虫類170、無脊椎動物標本5000以上、植物2000種、植物標本12000点という膨大なもので、ヨーロッパにおける日本研究の基礎資料となりました。

 1840年代になると、ヨーロッパ随一の日本専門家として、一方で日本の開国を促すために運動し、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカ東インド艦隊を率いて来日するマシュー・ペリーに日本の資料を提供し、早急な対処(軍事)を行わないように要請したほか、1857年にはロシア皇帝ニコライ1世の書簡も起草しています。

 日本の開国後、1858年に日蘭修好通商条約が結ばれたことで、シーボルトに対する幕府の追放令も解除されると、翌1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日し、1861年には対外交渉のための幕府顧問となります。その後も、欧米諸国に日本情勢についての情報を提供する一方、博物収集や自然観察なども続行し、風俗習慣や政治など日本関連のあらゆる記述を残し、1862年5月、多数の収集品とともに長崎から帰国。1866年10月18日、ミュンヘンで風邪をこじらせ敗血症を併発して亡くなりました。


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 ワイン・ガードナー容疑者逮捕
2016-10-17 Mon 11:36
 オートバイのロードレース世界選手権(WGP)元王者ワイン・ガードナー容疑者(以下、呼称略)が、きのう(16日)、栃木県茂木町のサーキット「ツインリンクもてぎ」敷地内の道路上で、自動車の接触事故でトラブルになっていた男性ら3人の胸ぐらをつかんだとして、暴行の疑いで現行犯逮捕されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・ガードナー(2004)

 これは、2004年にオーストラリアが発行したオートバイ世界選手権王者の切手のうち、“ブルー・サンダー”のニックネーム通り、青いマシンを駆って走るガードナーを取り上げた1枚です。

 ワイン・ミシェル・ガードナーは、1959年10月11日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ウロンゴン生まれ。1980年、オーストラリア国内レースで走っていた際、日本のモリワキの代表である森脇護に才能を見いだされ、翌1981年、モリワキから英国のTT-F1に参戦するとともに、3月にはAMAのデイトナスーパーバイククラスに出場しZ1R-IIで4位に入賞。6月には全日本選手権の鈴鹿200kmレースで優勝したほか、同年の鈴鹿8時間耐久オートバイレース(鈴鹿8耐)でモリワキ・モンスターに乗り驚異的な予選タイムを記録し(決勝では60周回目に首位に立ったものの、その後転倒しリタイヤ)、注目を集めました。

 1983年の第8戦オランダGPでWGPデビュー。1987年の500ccクラスでオーストラリア人初の総合優勝を果たし、以後、鈴鹿8耐での4勝を含め、1992年第11戦イギリスGPのレースでの勝利を花道に引退するまでに、ホンダのバイクで通算18勝を記録しました。

 その後、1996年に4輪レースに転向し、母国オーストラリアでワイン・ガードナー・レーシングチームを結成。V8スーパーカー、ル・マン24時間レース、全日本GT選手権等に参戦し、1999年、2001年にそれぞれ1勝を挙げた後、2002年シーズンをもって現役を引退しました。

 引退後は2人の息子をライダーとして育てるべく、オーストラリアで「チームガードナーレーシング」を結成。今回の来日も、日本GP決勝に出場した息子のレミー・ガードナーの応援が目的だったそうです。

 今回の逮捕について、ガードナーは「自分の体をつかんだ腕をふりほどこうとして体をゆすっただけ」などと容疑を否認していますが、いかんせん、現行犯逮捕ですからねぇ。

 かつて主要国の切手には、国家元首を除き生存中の人物については、何が起こるかわからないので、原則として切手には取り上げないという不文律がありましたが、近年は切手も商業主義的な傾向が強まり、そうした制限を撤廃して、発行時にリアルタイムで活動している(いた)芸能人スポーツ選手も積極的に切手に取り上げるようになりました。もちろん、切手に取り上げられた芸能人やスポーツ選手の大半は犯罪とは無縁のまま生涯を終えるわけですが、今回のような事件が起きると、やはり、個人を顕彰する切手は、かつてのように、その人が亡くなってからにした方がいいんじゃないのかなぁ…と思ってしまいますな。


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 神殿の丘とハラム・シャリーフ
2016-10-16 Sun 16:56
 イスラエルは、きのう(15日)までに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)がエルサレム旧市街のユダヤ教とイスラムの両方の聖地について、イスラエルがムスリムの礼拝を制限しているとの決議を採択しただけでなく、決議での聖地の名前がイスラム名の“ハラム・シャリーフ”とだけ記載され、ユダヤ名の“神殿の丘”が表記されなかったことに抗議して、ユネスコへの協力を一時停止すると表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・嘆きの壁(小型シート)

 これは、1979年3月26日、エジプトとの平和条約調印を記念してイスラエルが発行した記念の小型シートで、切手部分には嘆きの壁の割れ目に置かれた手紙が取り上げられています。

 神殿の丘もしくはハラム・シャリーフと呼ばれている場所は、もともとは自然の高台で、紀元前10世紀頃、ソロモン王がここにエルサレム神殿(第一神殿)を建造しました。第一神殿は、紀元前587年、バビロニアにより破壊されましたが、紀元前515年に再建されます。これが第二神殿で、紀元前19年頃、神殿はヘロデ王によって大幅に拡張され、周囲は壁に覆われました。この時の神殿の範囲が現在の“神殿の丘”になります。

 その後、紀元後70年、第二神殿はローマ帝国によるエルサレム攻囲戦によって破壊され、ヘロデ王時代の西壁の幅490m、高さ32m(うち、地上に現れている部分は幅57m、高さ19m)が残るのみとなります。これが、今回ご紹介の切手にも取り上げられた“嘆きの壁”です。なお、この壁に対して各国語で“嘆き”の形容詞が付けられているのは、神殿の破壊を嘆き悲しむため、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現したもので、ヘブライ語では“西の壁”と呼ばれています。

 132-135年のバル・コクバの乱(ユダヤ属州でのローマ帝国に対する反乱)の後、ユダヤ教徒は原則としてエルサレムへの立ち入りを禁止され、4世紀以降は1年に1日、例外的に立ち入りを認められるという状況が続いていました。これに対して、638年、いわゆるアラブの大征服の一環として、ムスリムがエルサレムを占領すると、ムスリムの支配下で、ローマ時代以来禁止されていたユダヤ教徒のエルサレムへの立入が認められるようになります。この結果、生活上の権利に一定の制約は設けられたものの、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、アブラハム以来の一神教の系譜に属する「啓典の民」として、この地でムスリムとともに共存していくことになりました。

 ところで、イスラムでは、エルサレムはメッカメディナに次ぐ第3の聖地とされており、691年には、アラブ系のウマイヤ朝によって、ムハンマドの天界飛翔伝説にちなむ聖なる石を包むように、“神殿の丘”の敷地内に岩のドームが建設されます。当時、メッカはウマイヤ朝の支配に異を唱えるイブン・ズバイルの一派により占領されており、ウマイヤ朝はメッカを回復できないという最悪の可能性も考慮して、ドームの建設を計画したといわれています。

 当然のことながら、“神殿の丘”はユダヤ教にとっての聖地でしたが、正統派のユダヤ教においては、世界の終末に救世主が現れて神殿を再建するまで、ユダヤ教徒は神殿跡に入ってはならないとの教義もあります。したがって、神殿の丘の敷地内にイスラムの聖地としてモスクが建造されても、少なくとも世界の終末までは、ユダヤ教徒にとって実質的なダメージはないというロジックが導き出されることになり、岩のドームを聖地とするムスリムと、嘆きの壁を聖地とするユダヤ教徒住み分けが可能となりました。

 その後、十字軍による侵略はあったものの、ラテン王国(キリスト教徒の占領軍が建国)の消滅後は、キリスト教側も聖地の奪還を断念。聖地への自由な通行権の確保と、現地キリスト教徒の保護を主要な関心とするようになり、エルサレムは三宗教共通の聖地(ただし、その具体的な場所は重ならない)として、ムスリムの支配者の下で、各宗教の信徒が共存する状況が20世紀に入るまで続くことになります。

 神殿の丘を含むエルサレムの旧市街は、英国によるパレスチナ委任統治の終了後、1948-67年にはヨルダンの支配下に置かれ、イスラエル国籍の保有者の立ち入りは禁止されていました。

 1967年の第三次中東戦争により、イスラエルはエルサレム旧市街を占領し、自国領への編入を宣言しましたが、その後も、神殿の丘の管理権はムスリムが維持しているため、敷地内でユダヤ教およびキリスト教の宗教儀式を行うことはできません。

 さて、今回のユネスコの決議は、エジプトやレバノンなどアラブ諸国が提案したもので、委員会を構成する58ヵ国のうち、24ヵ国が賛成、6カ国が反対、26ヵ国が棄権しています。たしかに、イスラエルが第三次中東戦争で占領したエルサレム旧市街から撤退しないことについて、イスラエルを非難するという議論は成り立ちうるのですが、その一方で、ユネスコの職掌である“文化”という観点からいえば、エルサレムが歴史的にユダヤ教・キリスト教・イスラムの3宗教の共通の聖地であることも事実なわけで、その意味では、聖地の名をイスラム名の“ハラム・シャリーフ”とだけ記載し、ユダヤ名の“神殿の丘”を無視するというのは、ユダヤ教徒に対する明らかな挑発行為と言ってよいでしょう。

 なお、今回の決議については、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長も不快感を表明し、「エルサレムの普遍的な価値とユネスコの世界遺産への登録理由は統合にある。それは対話への訴えであり、対立を意味しない」と述べています。決議は18日に行われるユネスコ執行委員会で採決にかけられ、全会一致で可決した場合は採択され、そうでない場合は継続審議となるので、実際には、採択の可能性は低いでしょう。ただ、いわゆる慰安婦問題や南京事件の例を持ち出すまでもなく、ユネスコや世界遺産が各国の政治・イデオロギー闘争の場に堕しているという現状を考えると、そろそろ、それらを全面的に見直すべき時期に来ているのではないかと思わずにはいられませんな。


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 世界の国々:カンボジア
2016-10-15 Sat 07:45
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年10月12日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はカンボジアの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      カンボジア・アンコール宣伝印

 これは、仏領インドシナ時代の1937年、シエム・リアップからパリ宛の葉書で、「アンコールとその驚くべき遺跡群を訪ねよう」とのフランス語の標語印が押されています。

 アンコール遺跡は、カンボジアの北西部、トンレサップ湖北岸のシェムリアップの北側に位置するクメール王朝時代の首都の跡で、9世紀頃から建設が開始されました。その中心になるのは、主としてスーリヤヴァルマン2世(1113-45年)の治世下で建設されたアンコール・ワットと、主としてジャヤーヴァルマン7世(1181-1218年)の治世下で建設されたアンコール・トムですが、ジャヤーヴァルマン7世の崩御後、アンコールはアユッタヤー王朝の侵入を受けて衰退し、1437年、ポニャー・ヤット王の時代に放棄されました。

 その後、ながらく忘れられた庵クールの遺跡群でしたが、1901年、フランス極東学院によって再発見され、修復作業などを経て、1907年に一般公開されます。以後、多くの観光客が訪れるようになってインフラ整備も進み、1929年には高級ホテルグランド・ホテル・ダンコールが開業。ここに示すように、遺跡最寄りのシエム・リアップ郵便局では郵便物に宣伝標語印を押すことも行われました。

 1953年にカンボジアが独立した後も、アンコールには年間5-7万人の観光客が訪れていましたが、1975年以降、ポルポト派の支配と内戦により観光業は途絶。和平回復後の1993年にようやく再開されました。

 さて、『世界の切手コレクション』10月12日号の「世界の国々」では、アンコールの遺跡群についてまとめた長文コラムのほか、アプサラ・ダンス、シハモニ現国王、1963年のアジア新興国競技大会、水祭り、ガルーダの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、12日発売の10月19日号でのインドの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

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 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 タイ国王陛下、崩御
2016-10-14 Fri 11:25
 タイのプミポン・アドゥンヤデート国王陛下(以下、ラーマ9世)が、きのう(13日)、崩御されました。88歳。心からご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・500バーツ(1999年)銘付田型

 これは、1999年9月10日にタイで発行された500バーツの普通切手の銘付田型です。タイの普通切手の最高額面、500バーツの切手は、2010年にも別のデザインで発行されているのですが、1999年の切手は日本の印刷局製、2010年はフランスのカルトゥール社製ということで、今回は、日本製であることがわかる1999年の切手の銘付田型をご紹介することにしました。

 さて、ラーマ9世は、1927年12月5日、米国マサチューセッツ州ケンブリッジで生まれました。父親のソンクラーナカリン親王は、ラーマ5世69番目の子息で“タイ近代医学の父”と呼ばれる人物で、母親のシーナカリンタラー=ボーロマラーチャチョンナニー王太后(以下、シーナカリン)は平民の出身でしたが、16歳の時からシリラート病院に看護婦として勤務し、王室の奨学金を得て米国に留学中に、ソンクラーナカリン親王と出会い、結婚しました。その後、夫妻はいったんタイに帰国した後、親王が欧米諸国に留学し、ラーマ9世は、父親の米国留学中に生まれたというわけです。

 1928年、一家はタイに帰国しましたが、翌1929年、ソンクラーナカリンが急逝。このため、シーナカリンは、一時、義母でタイ赤十字社総裁を務めていたサワーンワッタナー王女の住むサラパトゥム宮殿に身を寄せましたが、3人の子を連れて子供の教育のためにスイスのローザンヌに渡ります。

 彼女と子供たちがローザンヌ滞在中の1935年、立憲革命の混乱でラーマ7世が退位。ラーマ7世には自身の子がなかったため、王族最高位のチャオファーの階級にあったソンクラーナカリンの子、アーナンタマヒドン王子が国会決議により、国王ラーマ8世として即位しました。ただし、この時、ラーマ8世は年少で学業も半ばであったため、国王としての即位の儀式を行うために一時帰国したものの、すぐにローザンヌに戻っています。

 1945年12月5日、“大東亜戦争(タイにおける第二次大戦の正式名称)”の終結を受けて、ラーマ8世はスイスから帰国し、1946年1月1日には英国との間で講和条約も結ばれましたが、1946年6月、帰国後わずか半年の国王が寝室で額を打ち抜かれて死亡するという国王怪死事件が発生。これを受けて、ラーマ9世は、急遽、新国王として即位します。ただし、この時点では、ラーマ9世は学業半ばだったこともあり、いったん、ローザンヌ大学へ復帰し、1952年に帰国しています。この間、1950年4月には、フランス滞在中に出会ったシリキット・キッティヤーコーンと結婚し、同年5月5日に戴冠式を行っています。

 立憲革命以降、政治の中枢にあったピブーンソンクラーム(ピブーン)が国王の権威を抑え込むことによって自らの権力基盤を確立していったことに加え、ラーマ7世の退位とラーマ8世の怪死もあって、ラーマ9世の即位当時、タイ王室の権威は大きく揺らいでいました。

 これに対して、1958年9月18日のクーデターでピブーンを追して政権を掌握したサリット・タナラットは、近隣諸国からの共産主義の浸透を防ぐためにも、「タイの民主主義は国王を元首とした民主主義である」と規定し、ラーマ6世の唱えた民族・宗教・国王の3原則(ラック・タイ)を国家イデオロギーの中核に据え、国王の威信を回復することに務めます。

 そして、若き国王も、そうした政権側の期待にこたえる形で、立憲君主国の国王として、直接の政治介入は行わないものの、
国民統合の象徴としての公務を真摯にこなすとともに、タイの各地で王室主導で稲作や酪農など2000以上に上るプロジェクトを実施し、農村の振興や貧困対策に力を入れ、王室に対する国民の信頼を急速に回復させました。

 こうしたことの積み重ねがあって、クーデターが頻発するタイの政治風土の中で、ラーマ9世は官僚や軍部、民主活動家など利害関係の調停役として采配を振るい、困難な情勢の打開収拾に手腕を発揮し、1960年代以降、急速に経済発展を遂げたタイ社会の安定に絶大な貢献を果たしてきました。

 晩年は、フワヒンにあるクライカンウォン宮殿を御座所とし、公務の数も減らしていましたが、2016年10月3日、肝臓への異常や感染症により、バンコクのシリラート病院に入院。様態が不安定と発表され、多くの国民が御快癒をお祈りしていましたが、きのう、入院先のシリラート病院にて崩御されました。

 なお、僕にとっては、タイは生まれて初めて訪れた外国というだけでなく、2007年の『タイ三都周郵記』刊行がご縁で、東京で開催された陛下のお誕生日の祝賀会にご招待いただいたほか、現在、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』にも「泰国郵便学」と題して連載をさせていただいており、タイ人の友人も多いので、非常に思い入れの強い国です。それだけに、今回の国王陛下の御崩御も、いずれこの日が来るものとわかっていたものの、やはり、特別な感情が込み上げてきます。

 あらためて、陛下の御冥福をお祈りするとともに、タイ国民の皆様に、心よりのお悔やみを申し上げます。


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 35年前の送電ケーブル
2016-10-13 Thu 17:24
 きのう(12日)、埼玉県新座市の東京電力施設内で、都内の変電所に送電するケーブルが入った地下トンネルの火災が発生し、東京都内の約58万6000戸に影響が出る大規模停電が発生しました。詳しい原因は現在調査中とのことですが、施設内のケーブルが設置から約35年間、一度も交換されておらず、漏電を起こしたのが原因と見られているようです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・地方電力化公社

 これは、1981年にエジプトで発行された“地方電化公社(REA:Rulal Electrification Authority)10周年”の記念切手で、当時の送電鉄塔と農村電化の恩恵が象徴的に描かれています。今回、火災があった東電施設内のケーブルが35年前の1981年から好感されていなかったということにちなみ、1981年当時の送電線を描く切手ということで取り上げてみました。

 エジプトの電力事業は、1890年代に民間の電力事業者がカイロやアレキサンドリア、ポートサイド。スエズなどの都市部でディーゼル発電による地域限定の電力供給を行ったのが最初とされています。

 その後、1952年の革命を経て、1965年、エジプト国内のすべての電気事業者は電力公社(GEEC)に統合されましたが、1970年にアスワンハイダムが完成すると、ダムから約800km北方のカイロまでの長距離送電と併せて、農村地帯の電化計画が立案され、そのための実務組織として、1971年、農業電化公社が発足しました。

 1976年、エジプトが石油の輸出国になると、エネルギー政策の効率化を目指して、それまでの電気省は電気・エネルギー省に、電力公社はエジプト電力公社(EEA)に、農業電力公社は地方電力公社に改組され、あわせて、原子力公社、原子力発電公社、カッターラ低地エネルギー公社(後に水力開発公社)が発足しました。さらに、1978年には各地に点在していた配電会社が、地域ごとの配電公社に統合されます。ちなみに、現在の配電公社は、カイロ地域、アレキサンドリア地域、運河地域、北デルタ地域、南デルタ地域、ベヘイラ地域、北・上エジプト地域、南・上エジプト地域の8社体制です。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたREAは、電力省の下部組織としてスタートし、地方電化のための66kV以下の送変電設備の建設・修理を担当しています。REAによる建設ならびに修理が完了した施設は、EEAもしくは地域の配電公社に引き渡され、その後の日常的な保守・運営はEEAもしくは各配電公社が担当することになっています。
 
 ちなみに、この切手が発行された1981年はエジプトではサダト大統領の暗殺事件があった年で、2011年の1月25日革命で倒れたムバーラク政権が発足した年にあたります。ムバーラク政権が崩壊した時、30年間という独裁政権の長さに驚いた人も少なくなかったと思いますが、同政権が倒れてからさらに現在までに5年の月日が過ぎていることを考えると、いくら日本製ケーブルの品質が優れているからと言って、そりゃ、漏電のトラブルだって起きるよなぁ…と思わずにはいられませんな。

* けさ、アクセスカウンターが171万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 アパレシーダの聖母の祝日
2016-10-12 Wed 09:54
 きょう(12日)は、ブラジルでは“アパレシーダの聖母”の祝日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・アパレシーダの聖母(1979)

 これは、1979年にブラジルで発行されたアパレシーダの聖母戴冠75周年の記念切手で、アパレシーダの聖母像が取り上げられています。

 1717年10月、サンパウロ総督のドン・ペドロ・デ・アルメイダがミナス・ジェライスに向かう途中、パライバ川の渓谷を通ることになり、地元の漁師に魚の供出を求めました。このため、ドミンゴ・マルティス、ホァン・アルヴェス、フェリペ・ペドロソの3人の漁師がパライバ川のホセ・コレイア・レイテ港付近で漁を始めたものの、全く収獲がなかったため、川沿いに6キロほど進み、イタグアス港まで進んでいったところ、10月12日、ホアン・アルヴェスの網に頭のない聖母像がかかりました。さらに、彼がもう一度網を投げると、同じ像の頭が網にかかります。このため、アルヴェスは像を布にくるんで小舟の中に置き、漁を続けると、突如として大量の魚が獲れはじめました。

 漁の後、3人のうちの最年長だったフィリペ・ペドロソがその像を自分の家に持ち帰り、綺麗に洗って泥を落とし、頭をつないで像を修理し、像に対して祈りを捧げました。さらに、1734年、フィリペの息子、アタナシオは小さな礼拝堂を建て、木製の祭壇の上にその奇跡の像を置き、毎週土曜日、近隣の人々が像の前でロザリオを唱えるようになります。以後、聖母像にまつわる数々の奇跡が伝えられ、多くの巡礼者が訪れるようになりました。

 そこで、1745年、グアラティングエタ教区のモッロ・ドス・コンケイロスにさらに大きい聖堂を建立され、聖堂の落成式に際して、川底から“現れた(=アパレシーダ)”聖母像への祈願が行われました。その後も、巡礼者の数の増加に伴い、聖堂の増改築が進められ、1904年、聖母像は戴冠されました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して75周年になるのを記念して発行されたものです。さらに、1908年、聖堂は大聖堂に昇格し、1930年6月16日には、教皇ピウス11世がアパレシーダの聖母はブラジルの守護者であると宣言。1717年に像が発見された日の10月12日は、アパレシーダの聖母に捧げる国民の祝日となりました。

 ちなみに、世界最大のカトリック国家であるブラジルでは、さまざまな聖母像が祀られていますが、その一端は、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 切手歳時記:山鳥の尾
2016-10-11 Tue 12:24
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年10月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヤマドリ・ローマ字入り

 これは、1971年12月1日に発行されたヤマドリの80円切手です。

 秋分の日を過ぎると、日の暮れるのが急に早くなったような気がして、“秋の夜長”を実感します。

 小学生の頃、柿本人麻呂の「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」の歌の意味するところは下の句の「ながながし夜をひとりかも寝む」だけで、上の句の「あしひきの~」は「ながながし」を導く序言葉で特に意味はないと学校で教わりました。

 ちなみに、昔の人は、山鳥の雌雄は峰を隔てて寝ると信じていて、それゆえ、歌の世界では山鳥は“ひとり寝”の比喩になるのですが、“ひとり寝”の意味も分からぬ小学生にそんな話をしても仕方がありませんから、先生も授業では省略したのでしょう。じっさい、子供だった僕は、なんだかつまらない歌だと思いつつも、山鳥の尾がどれほど長いものなのか、学校帰りに、郵便局の窓口で買った山鳥の80円切手を眺めていた記憶があります。

 山鳥の80円切手には、1965年に発行された“NIPPON”の表示なしのものと、1971年に発行された“NIPPON”の表示入りのものがあるが、僕が見ていたのは、今回ご紹介の後者の方です。

 ヤマドリの尾の節は、最初の1年で5節できて、その後は毎年1節ずつ伸びていくのだとか。80円切手の節の数を数えると、印面の範囲では9節あるように見えますから、この鳥は最低でも5歳ということになります。ただ、尾の先端は明らかに画面の外にはみ出していますから、切手のモデルになった鳥の尾には、実際には、もう1節か2節あったのかもしれません。

 言い伝えでは、9歳を超え、尾が13節以上になったヤマドリには特殊な霊力が宿り、人間を騙したり、闇夜に光を発したりするとされてきましたが、長野県に伝わる「八面大王」の民話には、じつに33節という、とてつもないヤマドリの尾羽が登場します。

 その昔、信濃国・有明山中の“魏石鬼の窟”には八面大王と称する鬼が棲み、村人に乱暴狼藉を繰り返していました。

 その村の若者、弥助は、ある年の暮れ、ヤマドリが罠にかかっているのを見つけ、持っていたお金を罠に結わえるのと引き換えにヤマドリを放ってやります。それから3日後の大晦日、道に迷った美しい娘が弥助の家を訪ね、2人はそのまま夫婦になりました。

 それから3年後、蝦夷の討伐に向かう途中の坂上田村麻呂は八面大王のことを聞きつけ、鬼退治に乗り出したものの、大王の魔力は強く、田村麻呂の軍勢は歯が立ちませんでした。そこで、観音堂で一心に祈りを捧げたところ「33節のヤマドリの尾を矢にすれば、きっと退治できよう」とのご託宣が下ります。

 そこで、田村麻呂は信濃の国中に33節のヤマドリの尾を探すよう命じたが、だれも見つけることができませんでした。

 このことを知った弥助の妻は、自分がかつて弥助に助けられたヤマドリであることを明かし、「自分の尾を鬼退治に使ってほしい。これでやっと恩返しができる」と書置きと尾を残して姿を消してしまいました。

 はたして、弥助が残された尾で矢を作り、田村麻呂に献上すると、田村麻呂はその矢で八面大王を射殺し、村には平和がもたらされます。この結果、弥助は田村麻呂から多額の恩賞を得ましたが、妻を失った悲しみは癒えることなく、毎日、彼女の帰りを待ちながら亡くなりました。

 ヤマドリを愛した男は、結局、金や名誉と引換に彼女を失い、ヤマドリの比喩が意味する“ひとり寝”の生活でその生涯を終えたというわけですが、その物語は、人麻呂の山鳥の歌の景色と妙に重なり合っていて、大人になってから読み返すと、“ひたぶるにうら悲しい”気分にさせられます。


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 アンジェイ・ワイダ、亡くなる
2016-10-10 Mon 12:27
 ポーランド映画の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督(以下、敬称略)が、きのう(9日)、亡くなりました。享年90歳。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・アンジェイ・ワイダ(2000)

 これは、2000年、ワイダのアカデミー賞・名誉賞受賞を記念して、ポーランドが発行した切手で、当時のワイダの肖像が取り上げられています。

 アンジェイ・ワイダは、1926年3月6日、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれました。父親はポーランド軍の大尉で、第二次大戦中、ソ連によるカティンの森事件に巻き込まれて亡くなっており、ワイダ本人も対独レジスタンスに参加しました。大戦後の1946年にクラクフ美術大学に進学しましたが、その後、ウッチ映画大学に進学。1953年に同校を修了しました。

 1955年、ドイツ占領下・1942年のワルシャワを舞台にした『世代』で映画監督としてデビューし、1957年、1944年のワルシャワ蜂起を題材にした『地下水道』が第10回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。さらに、1958年にイェジ・アンジェイェフスキの同名小説を映画化した『灰とダイヤモンド』では、ソ連による“解放”に抵抗するロンドン亡命政府派の青年とその挫折を描き、1959年の第20回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しました。これら3作品は“抵抗三部作”として知られています。

 また、1977年には、1950年代に労働英雄となったものの、友人をかばったことで逮捕され、社会的に抹殺された男、ビルクートをテーマにした『大理石の男』を発表。この映画は、ポーランド国内では1977年2月25日に公開され、3ヵ月で270万人を動員したものの、当局の怒りに触れて2年間の海外上映禁止処分を受けましたが、1978年の第31回カンヌ国際映画祭にはポーランド当局に無断で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞しています。さらに、1981年にはその続編として『鉄の男』を発表。1980年のグダニスク造船所でのストライキに始まる“連帯”の運動を描き、第34回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞しました。

 1981年、ポーランドのヤルゼルスキ政権はソ連の軍事介入を避けるためのぎりぎりの選択として戒厳令を布告しますが、これに伴い、ワイダはポーランド映画人協会長などの職を追われましたが、1986年にはポーランド映画界に復帰。1987年には京都賞を受賞し、その賞金の4500万円を投じて、1994年、クラクフに日本美術技術センターを設立しています。

 民主化後の1989年に行われた議会選挙では、新たに新設された上院のスヴァウキ選挙区から“連帯”の候補として出馬して当選。1991年まで上院議員を務めたほか、2000年には、「世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した」功績をたたえ、第72回アカデミー賞にて名誉賞を受賞しました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。

 最後の本格的な作品は、2013年の『ワレサ 連帯の男』で、この作品では、“連帯”の指導者から大統領となり、ノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサの視点から、ポーランドの民主買う運動を描いたものでした。

 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


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 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イベントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイベントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 ハングルの日
2016-10-09 Sun 11:38
 きょう(9日)は、1446年10月9日(世宗28年9月10日)に朝鮮王朝の世宗が朝鮮語を表記するための文字(以下、ハングル)の解説書『訓民正音』を頒布したことにちなみ、韓国では“ハングルの日”の祝日です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      南朝鮮・ハングル500年

 これは、1946年10月9日、米軍政下の南朝鮮(大韓民国はまだ発足していません)で発行された“ハングル500年”の記念切手で、ハングルの文字表が取り上げられています。ちなみに、北朝鮮では朝鮮語を表記するための文字は“チョソングル”と呼んでおり、ハングルが作成された世宗25年12月(日付不明)が西暦でほぼ1444年1月に相当することから、1月の中間の日である1月15日を“チョソングルの日”としています。

 さて、朝鮮語を表記するための独自の文字は、古くは“諺文”の通称で呼ばれていましたが、それが“ハングル”の名で呼ばれるようになったのは、日本統治時代の1912年以降のことで、その由来は“偉大なる文字”の意味とも、“韓の文字”の意味ともいわれています。その後、1921年に結成された朝鮮語研究会(現ハングル学会)は、1927年に雑誌『ハングル』を刊行し、さらに翌1928年に“ハングルの日”を制定(1926年以来、ハングルの覚え歌である「カギャコギョ(가갸거겨)」にちなんで行われていた“カギャの日”から改称)するなどして普及活動に努めたことから、しだいに諺文よりもハングルの呼称が定着しました。

 1910年の韓国併合当時、朝鮮の識字率は非常に低かったため、朝鮮総督府は、日本語による学校教育と併行して、初等教育での諺文(朝鮮総督府としては、1945年までハングルという呼称は正式には使用していません)の使用を推進。この結果、漢字とハングルの混用という文体が急速に普及し、朝鮮内の識字率も飛躍的に向上します。なお、日本統治時代は朝鮮人によるハングルの使用が厳しく制限されていたという人がときどきいますが、それは歴史的事実と異なり、多くの朝鮮人はハングルを日常的に使用しており、日本統治時代にハングルで書かれた葉書も少なからず残されています。

 ところが、1945年の解放後、日本語が漢字を使用していることにくわえ、新羅以来の中国への従属の歴史への反発などもあって、漢字を排斥し、朝鮮語をハングルのみで表記しようとする機運が南北朝鮮で盛り上がりました。

 早くも1945年9月には、1942年以降活動休止に追い込まれていた朝鮮語学会(1931年に朝鮮語研究会から改称)は国語講習会を開催し、9月29日、「漢字廃止実行会発起趣旨書」を発表。日本の敗戦の原因は漢字かな交じり文の非効率性にも一因があり、漢字学習の時間を減らして、その分を科学教育に割り当てるべきとする日本の国語学者・保科孝一の言説(戦後日本の国語審議会が推進した“漢字制限”は、こうした発想によるものです)に依拠しつつ、①初等教育からの漢字の除外(ただし、中等教育以上においては、古典研究のため漢字教育を否定しない)、②日常の文章からの漢字の排除、③新聞・雑誌からの漢字の排除、④書簡封筒・名刺・表札の純ハングル化、⑤古今東西のあらゆる書籍のハングルによる翻訳、を活動目標として掲げました。

 これを受けて、11月30日、ソウル市寿松町の淑明女子校講堂で漢字廃止実行会発起準備会が正式に発足。軍政庁に対して初等学校教科書から漢字を廃止するよう建議します。

 一方、軍政庁でも、教育部門の責任者であったロッカード大尉の補佐官として文教部長に就任した呉天錫や、呉の推挙により朝鮮語学会の常務理事から学務局編修課長となった崔鉉培により、朝鮮語学会の唱えるハングル専用路線が文教政策の柱として採用される環境が整えられていきました。

 かくして、軍政庁は朝鮮語学会の建議を受けて、ハングル専用を指示。1948年8月に大韓民国が正式に発足すると、ハングル専用法が公布され、漢字廃止運動は国家の制度として動き始めることになります。今回ご紹介の切手も、そうしたプロセスにおいて、軍政庁の政策を周知宣伝するための一手段として発行されたものと考えてよいでしょう。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 阿蘇山が36年ぶり爆発的噴火 
2016-10-08 Sat 10:36
 きょう(8日)午前1時46分ごろ、熊本県の阿蘇山の中岳第1火口で爆発的噴火が発生しました。阿蘇山で爆発的噴火が発生したのは1980年1月以来36年ぶりのことですが、今年4月の大地震との関係は現在のところ不明だそうです。周辺の皆様は、お気を付けください。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      阿蘇・中岳火口(1939)

 これは、1939年8月15日に発行された阿蘇国立公園の切手のうち、中岳頂上付近から見た噴火口を取り上げた10銭切手です。

 切手の元になった写真は、1938年12月1日に逓信省の鈴木登良吉が撮影しました。鈴木は、1938年11月から12月にかけて、大山瀬戸内海国立公園および阿蘇国立公園の切手の原画となる写真を撮影するために現地を訪れていますが、今回ご紹介の切手に使われた写真は、その中で最も撮影日が遅いものです。ちなみに、阿蘇国立公園の切手は、当初、1939年8月10日の発行予定でしたが、印刷中にグラヴィア印刷機が故障したため、実際の発行日は8月15日に延期されています。

 阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、“火の国”熊本県の象徴的な存在です。切手に取り上げられた中岳は、カルデラ内部にある阿蘇五岳のうち、中央部に位置する噴火口のある山で、標高1,506メートル。今回の噴火に見られるように、現在でも火山活動が続いています。

 この記事を書いている時点では、けが人などは確認されていないようですが、気象庁の斎藤誠火山課長によると、「阿蘇山は不安定な状態で、今後も同規模の噴火が起こり得る。風下側では火山灰だけでなく、小さな噴石や火山ガスにも注意してほしい」と呼びかけています。このまま大事に至らず、噴火が収束することをお祈りしております。


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 * 11日の講座の予約受付は終了いたしました。  


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 次期国連事務総長にグテレス氏
2016-10-07 Fri 18:34
 国連安全保障理事会は、きのう(6日)、年末に退任する潘基文事務総長の後任として、元ポルトガル首相で前国連難民高等弁務官のアントニオ・グテレス氏(以下、敬称略)を総会に勧告する決議を満場一致で採択しました。総会は勧告を受け、来週、グテレス氏を第9代事務総長に任命する見通しです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル・UNHCR60年

 これは、2010年にポルトガルが発行した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)60周年の記念切手です。

 次期国連事務総長に内定したグテレスは、1995年10月28日から2002年4月6日 までポルトガルの首相を務めた後、2005年6月15日から2015年12月31日まで、国連の難民高等弁務官を務めていますので、この切手は彼の在任中の発行ということになります。なお、UNHCRの周年切手に関しては、2000年の創立50周年に記念切手を発行する国が多かったのですが、ポルトガルは50周年の記念切手は発行していません。ポルトガル郵政としては、やはり、自国の元首相であるグテレスが高等弁務官の地位にある以上、周年記念切手を発行しないわけにはいかないという判断から、60周年の切手を発行したということなのでしょう。

 さて、UNHCRは、第二次世界大戦によって生じた大量難民の問題に対処するために、1946年4月20日に設立された“国際難民機関 (IRO) が1951年に活動を終了するのを前に、1950年12月14日、国連総会によって設立されました。これを受けて、翌1951年7月28日、難民を救済する法的な基盤かつUNHCRの活動の基本的な法的指針となる「難民の地位に関する条約(難民条約)」が採択されます。

 当初、UNHCRは3年間の期限付きでスタートしましたが、実際に活動を開始すると、わずか3年で難民問題を解決することが不可能であることはすぐに明らかになりました。さらに、ハンガリーで1956年革命(ハンガリー動乱)がおこり、ソ連がそれを武力で弾圧したことから大量の難民が発生。UNHCRは最初の重大な緊急事態に直面し、将来的にUNHCRが不要になるとの理想論は完全に吹き飛びました。

 その後も、パレスチナ紛争や1960年代以降のアフリカ諸国での独立紛争と内戦、中国での大躍進政策の失敗による難民潮、インドシナ紛争やバングラデシュ独立戦争、ラテンアメリカ諸国での内戦、アフガニスタン紛争、ソ連を含む旧東側諸国崩壊後の混乱などが相次ぎ、世界各国で難民が発生し続けており、UNHCRの予算規模も設立年の30万米ドルから、2015年には70億米ドルに拡大しています。

 ちなみに、2005-15年に高等弁務官を務めたグテレスが取り組んだ難民問題のうち、大きなものとしては、イラク戦争とその後の治安の悪化に伴う難民問題と2011年以降のシリア内戦による難民問題がありますが、グテレス本人は、あまり一般に知られていない難民危機として、中央アフリカ共和国コンゴ民主共和国における危機を挙げています。

 次期事務総長への就任が内定したことを受けて、グテレスは早速「紛争やテロの犠牲者など最も脆弱な人々に奉仕する」との声明を発表。難民が第二次大戦後最悪の6500万人を超える中、UNHCRのトップとしての経験を持つ彼のリーダーシップが期待されるところです。


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 ・毎日文化センター
 下記の通り、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
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 波斯
2016-10-06 Thu 19:26
 奈良文化財研究所は、きのう(5日)、1966年に平城京跡から発掘された8世紀中頃の木簡を改めて調査した結果、ペルシャを意味する“破斯(波斯と同音)”の名字を持つ“破斯清通”という人名と、“天平神護元年(765年)”という年号が書かれていたことが明らかになったと発表しました。というわけで、きょうは“波斯”がらみでこの切手です。(画像はクリックで確認されます)

      雪柳と海芋に波斯の壺

 これは、1983年1月24日に発行された近代美術シリーズ第15集のうち、児島善三郎の「雪柳と海芋に波斯の壺」を取り上げた1枚です。

 現在のイランの古名にあたる“ペルシャ”は、もともとは“騎馬の者”を意味する“パールス”にちなんだパールサ地方(現代イランのファールス地方)のことで、これがギリシャ語ではペルシスと呼ばれ、中国語では“ファンシー”と呼ばれて波斯の字があてられました。

 文献上の記録としては、唐代の629年に成立した『梁書』(502-557年に存在していた王朝、梁の歴史書)の列伝第四十八諸夷の中に“波斯国”が採りあげられており、これらの記録を通じて、日本にも波斯の情報が伝えられました。

 たとえば、『日本書紀』には、斉明6年(西暦660年)の秋七月の庚子の朔乙卯(旧暦7月16日)の条に「覩貨邏人乾豆波斯達阿、本土に帰らむと欲ひて、送使を求ぎ請して曰さく、『願はくは後に大国に朝らむ。所以に、妻を留めて表とす』とまうす。乃ち数十人と、西海之路に入りぬ。」として、日本にいた乾豆波斯なる人物が、一時帰国する際に、日本に再訪する意思を示すため、妻を日本に残して行ったとの記述があります。

 また、『続日本紀』巻第十二には、天平8(736)年の出来事として、「八月庚午、入唐副使従五位上中臣朝臣名代ら、唐の人三人、波斯一人を率ゐて拝朝す」、「十一月戊寅、天皇、朝に臨みたまふ…唐の人皇甫東朝・波斯人李密翳らに位を授くること差有り」として、8月23日に遣唐副使・従五位上の中臣朝臣名代らが、唐人3人・ペルシャ人1人を率いて、帰国の挨拶のため天皇に拝謁したこと、11月3日にペルシャ人の李密翳らに位階が授けられたこと、が記されています。ただし、ここで取り上げられているペルシャ人の李密翳がムスリム(イスラム教徒)であったか、あるいは、ムスリムによる征服活動を逃れて中国経由で亡命してきたゾロアスター教徒ないしはマニ教徒(もしくはその子孫)であったか、そのあたりは定かではありません。

 さらに、900年頃に成立したと推定される『竹取物語』には、かぐや姫が求婚の条件として阿部右大臣に火中に投じても燃えない「火鼠のかはぎぬ」を求める場面がありますが、この「火鼠のかはぎぬ」は中国の商人がペルシャなどから取り寄せていた石綿で織った布のことと考えられており、唐土・天竺のさらに西に波斯が存在するということは(少なくとも知識人・上流階級の間では)漠然と知られていたことが伺えます。

 ちなみに、国名としては、1935年3月21日、パフラヴィー朝のレザー・シャーが国名をペルシャからイランに変更した後も、なかなか新国名のイランは一般には定着しませんでした。このため、1959年、モハンマド・レザー・シャーはイランとペルシアは代替可能な名称とし、両者の併用を認めましたが、1979年のイスラム革命によって樹立されたイスラム共和国は国名を“イラン”に統一しています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「雪柳と海芋に波斯の壺」は、第二次大戦後の1956年に開催された第2回現代日本美術展に出品された作品ですので、正式な国名としてはイランの時代です。ただし、作品に描かれた壺は、左右対称の絵付けがエキゾチックな雰囲気を醸し出していますが、1935年に国名がイランと改称される以前に制作されたものなのか、それとも、同時代の新しいものなのかは、確認できませんでした。まぁ、作者の児島善三郎は明治生まれですから、やはり、カタカナのペルシャではなく(ましてやイランではなく)、伝統的な日本語の“波斯”が作品のタイトルとしては相応しいと考えたのかもしれません。

 なお、児島善三郎は、1893年、福岡市中島(現・博多区中洲中島町)生まれ。長崎医学専門学校(現・長崎大学医学部)を中退し、1913年に上京して本郷洋画研究所に入りました。1921年、第8回二科展に初入選し、翌1922年の二科展で二科賞を受賞。1925-28年に渡欧し、帰国後の第15回二科展に「立てるソニア」ほか滞欧作品22点を特別出品して翌1929年には二科会員となりましたが、1930年、二科会を脱退し独立美術協会を結成。1935年頃から、西洋人の模倣ではない“日本人の油絵”の確立を目指して奮闘し、1962年に亡くなるまで、画壇に大きな影響を与えました。


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 世界漫郵記:リオデジャネイロ⑧
2016-10-05 Wed 10:06
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2016年10月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は前回に続き、リオデジャネイロ篇の第8回目。今回は、リオの東西のメインストリート、プレジデンチ・ヴァルガス通りにフォーカスをあてました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      カンデラリア教会(2007)

 これは、2007年に発行されたカンデラリア教会の切手です。

 カンデラリア教会はリオ最古の教会で、プレジデンチ・ヴァルガス通りの東端近くに中洲のようなかたちで位置しています。

 1609年、カンデラリア号に乗って航海していたスペイン人たちが嵐に見舞われて沈没寸前の状況に追い込まれましたが、彼らは、カナリア諸島の守護者で船名と同じカンデラリアの聖母に祈りつづけ、リオデジャネイロに漂着することができました。この故事にちなみ、1630年、グアナバラ湾に近いリオの地に、カンデラリアの聖母に捧げる小さな礼拝堂が建立されます。これが、現在のカンデラリア教会のルーツとなりました。

 1775年にはポルトガル人のフランシスコ・ジョアン・ロシオを責任者として大規模な州改築工事が始まり、1811年、現在のファサード部分が完成。摂政ドン・ジョアン隣席の下、落成式典が行われます。ただし、建物本体の工事はその後も続けられ、リスボン産の石材を用いたドームの屋根が最終的に完成したのは、1877年のことでした。

 一方、教会の内装は、1878年にバロック様式から新古典主義とネオ・ルネッサンス様式に改修されましたが、その際、ジョアン・ゼフェリーノ・ダ・コスタらにより、聖母マリアと彼女の美徳(「慎重さ」、「慈愛」、「信仰」、「希望」、「正義」、「節制」、「毅然とした姿勢」)を表現した天井のフレスコ画が制作されました。(下の画像です)

      カンデラリア教会・天井画

 ちなみに、プレジデンチ・ヴァルガス通りとカンデラリア教会については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。なお、雑誌『キュリオマガジン』の「郵便学者の世界漫郵記:リオデジャネイロ篇」も、同書に収録しきれなかった内容を加えて、年内いっぱい連載を続けていく予定ですので、よろしくお願いいたします。


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 ノーベル医学生理学賞に大隅良典氏
2016-10-04 Tue 09:37
 スウェーデンのカロリンスカ医科大は、きのう(3日)、今年のノーベル医学生理学賞を、東京工業大の大隅良典・栄誉教授に授与すると発表しました。授賞理由は「オートファジー(自食作用)の仕組みの発見」で、日本のノーベル賞受賞は、昨年(2015年)の医学生理学賞の大村智・北里大特別栄誉教授物理学賞の東京大宇宙線研究所長の梶田隆章教授に続き25人目です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      第7回国政生化学会議

 これは、1967年8月19日に発行された第7回国際生化学会議の記念切手で、細胞内部の細胞質の模型が取り上げられています。今回の授賞理由となった“オートファジー”は、細胞が細胞内部の劣化したタンパク質などを分解し、栄養源などとして再利用する仕組みということなので、“細胞”にフォーカスをあてた切手をご紹介してみました。

 切手は、ミトコンドリア(右上から中央下にかけて描かれているゾウリ型)を中心に、小胞体やゴルジ体とおぼしきものと分子構造模型が描かれています。切手に取り上げられた細胞小器官のうち、ミトコンドリアは細胞内のエネルギー発生の場で、小胞体は一重の生体膜に囲まれた板状または網状の膜系で、タンパク質や脂質の合成、代謝、カルシウム貯蔵など、多くの細胞機能に関わる器官、 ゴルジ体は扁平な袋状の膜構造が重なっており、タンパク質の糖鎖修飾などを行います。

 一方、分子構造模型はタンパク質構造(ペプチド構造)の一部を表現したもので、球の色ごとに分子が描き分けられており、黒が炭素、灰味青が水素、赤が酸素、青が窒素、黄が硫黄、となっています。

 切手の題材となった生化学は、生命現象を化学的側面から研究する学問分野で、タンパク質や脂質、糖質、核酸、カルシウムイオンなど、目的の分子を生体から取り出して主として試験管内で実験を行うものです。(生体内の化学反応を研究する学問は、生理学として区別されます。)

 生化学の知見が人間の生活に応用された事例としては、約5000年前に、パンを膨らませるために酵母を用いたことにまでさかのぼることができますが、近代的な生化学のルーツとしては、1828年にフリードリッヒ・ヴェーラーが発表した尿素の合成に関する論文(それまで、生体内でしか作ることができないと考えられていた有機物が人口的に合成できることを証明した)や、1833年のアンセルム・ペイアンによるジアスターゼ(酵素)の発見、などに求めることができます。

 その後、生化学の発展に伴い、この分野での国際的な学術交流も進み、1949年には第1回の国際生化学会議がイギリスのケンブリッジで開催されました。以後、国際生化学会議は3年ごとに世界各都市で開催されています。

 今回ご紹介の切手の題材となった1967年の第7回会議は、東京のプリンスホテルとホテル・ニューオータニを会場に、8月19-25日の日程で約4000名(うち日本人参加者は約1500名)の参加を得て開催されました。

 なお、国際生化学会議は、1991年にエルサレムで開催された第15回会議から国際生化学・分子生物学連合(IUBMB)と名称を変更し、現在にいたっています。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
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 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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別窓 | 日本:昭和・1966~1971 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ユダヤ新年
2016-10-03 Mon 11:35
 きのう(2日)の日没をもって、ユダヤ暦5777年の“ローシュ・ハッシャーナー”(新年。直訳すると“年の頭”の意)となりました。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ウクライナ・ユダヤ新年(2016)

 これは、今年(2016)年8月27日、ウクライナで発行された“ウクライナのマイノリティ:ユダヤ人”の切手のうち、ローシュ・ハッシャーナーを取り上げた1枚です。

 古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦と秋から1年が始まる政治暦が併存していました。政治暦は旧約聖書・レビ記23章24節に「第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい」とあるのを根拠として、宗教暦の7月1日から始まります。ただし、ユダヤ暦は太陰暦ですので、毎年、新年の日付は異なります。また、ユダヤ暦の紀元は、ユダヤ教において神が世界を創世した日を西暦に換算したとして、紀元前3761年10月7日とされています。

 さて、ユダヤ暦の“お正月”としてのローシュ・ハッシャナーは、旧約聖書の記述に倣い、シナゴークでラビが雄羊の角笛(ショファー)を吹き鳴らされることから“ラッパの祭り”とも呼ばれています。今回ご紹介の切手は、その場面を取り上げたものです。

 また、個人の生活としては、家族や親戚が集まり、今後1年間が“甘い年”となるようにリンゴやパンを蜂蜜に浸して食べたり、“実がいっぱいに詰まった年”となるようにザクロざくろを食べるほか、食事のメインには“年の頭”にちなんで尾頭付きの魚を食べる習慣があります。

 現在のウクライナ国家に相当する地域は、かつて、ポーランド・リトアニア共和国の支配下で、多数のユダヤ人が生活していました。1795年の第3次ポーランド分割でポーランド・リトアニア共和国は完全に消滅し、ウクライナはロシアの支配下に入りますが、すでに1794年から建設が始まっていたウクライナ南部の港湾都市、オデッサとその周辺には多くのユダヤ人が住みつき(19世紀末にはオデッサ市の人口の3分の1がユダヤ人と言われるほどでした)、オデッサはロシア・ユダヤ文化の中心地となります。

 しかし、1881年、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されると、首謀者はナロードニキ派で貴族出身の非ユダヤ人、ソフィア・ペロフスカヤだったにもかかわらず、犯人グループの中にユダヤ人女性革命家ゲシア・ゲルフマンがいたことから、民衆の間で事件はユダヤ人の陰謀とする煽動が行われ、ウクライナと南ロシアでポグロム(流血を伴う反ユダヤ暴動)が発生。以後、この地域では断続的にポグロムが発生し、多くのユダヤ人がウクライナから脱出していきました。ちなみに、映画やミュージカルで有名な「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、この時代のウクライナのユダヤ人家庭を舞台に、最終的に、彼らがポグロムによって故郷の村を追われるというストーリーになっています。(原作の小説では、主人公一家はイスラエルの地へ帰還する設定ですが、ミュージカルではニューヨークに向かうところで幕となります)

 さらに、1941年に始まる独ソ戦では、ドイツ側は「戦争の責任はユダヤ人にあり、ドイツ民族の生存を望まないユダヤ人は絶滅する必要がある」と主張し、ドイツ占領下のウクライナでは、地元住民を巻き込んでのユダヤ人虐殺が行われています。特に、キエフ近郊のバビ・ヤールでは、1941年9月29-30日 ウクライナ警察の協力の下、ユダヤ人は移住させるから集合せよとの布告を信じて集められたユダヤ人3万7000人が徒歩で移動中に次々に射殺されたのを皮切りに、1943年までに10万人のユダヤ人が殺害されました。

 このため、独ソ戦開戦時の1941年には270万人いたとされるウクライナのユダヤ人は、第二次大戦後、最初の国勢調査が行われた1959年には84万人にまで激減。さらに、ソ連末期の1991年8月24日、ウクライナがソ連を離脱して再独立すると、過去の先例から、共産主義政権下で抑え込まれていたウクライナ民族主義の高揚に危機感を覚えたユダヤ人の出国(主な出国先はイスラエルです)が相次ぎ、2014年の国勢調査ではユダヤ人口は6万7000人にまで落ち込みました。

 ちなみに、2016年4月10日にウクライナの首相に就任したヴォロディーミル・フロイスマンは、ソ連時代の1978年にウクライナのヴィーンヌィツャで生まれたユダヤ人です。歴史的に反ユダヤ主義が強かったウクライナでの、ユダヤ人首相の誕生は画期的な出来事で、今回ご紹介の切手が発行されたのも、そうした背景事情が大きくかかわっているのではないかと思います。
 

★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 世界の国々:ニカラグア
2016-10-02 Sun 11:35
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年9月28日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はニカラグアの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ニカラグア・チャモーロと李登輝

 これは、1996年6月26日に発行された“ニカラグア=台湾友好”の切手で、台湾の李登輝総統とチャモーロ大統領が描かれています。

 1979年以前のニカラグアは、親米・反共を前面に打ち出していたソモサ独裁政権下にあり、対中政策に関しても、北京の中国共産党政権(以下、中国)ではなく、台湾の国民政府(以下、台湾)を唯一の正統政府として、台湾との国交を維持していました。

 1979年のニカラグア革命によって発足したFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)政権は反米左翼政権だったため、アメリカの介入により、1989年まで内戦が続いていました。こうした中で、FSLNのダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ政権は、中国=社会主義との理解により、1985年に台湾と断交して中国と国交を樹立します。

 内戦集結後の1990年2月、国連の監視下で行われた大統領選挙でオルテガが僅差で敗れ、国民野党連合のビオレータ・チャモーロが当選すると、チャモーロ政権はFSLN政権からの転換をアピールするために親米政策を採り、その一環として中国と断交し、台湾との国交を復活させます。

 その後も、野党となったFSLNは中国共産党と緊密な友党関係を維持し、2006年11月の大統領選挙では、FSLN候補のオルテガは中国との国交回復を公約の一つとして掲げていました。ただし、2007年に16年ぶりに政権に復帰したオルテガは中国との国交を回復せず、その後もニカラグアは台湾との国交を維持しました。

 その反面、オルテガ政権は中国に“第2パナマ運河”の建設を認め、経済的には対中従属の姿勢を強めています。

 運河建設計画は、形式的には、香港に本社を置く“香港ニカラグア運河開発投資有限公司(以下、HKND)”が事業主体です。同社は、2012年に信威通信産業集団(本社・北京市)代表の王靖が設立した企業で、翌2013年にニカラグア政府と運河の建設や運営に関して調印した後、中国の国有企業と運河建設の協力関係を締結するなど、その背後に中国政府・人民解放軍がいることは公然の秘密です。

 HKMDによる建設工事は、2014年12月に始まりましたが、事前の環境アセスメントや立ち退きを迫られている住民への補償が不十分なことに加え、運河完成後、HKNDには最長100年間の管理運営権が付与されることになっており、多くのニカラグア国民は計画に強く反発しています。また、米国は、中国のニカラグア運河計画に強い警戒感を持っており、そのことが、2015年以降の米国=キューバ関係改善の大きな契機となったとも指摘されています。

 さて、『世界の切手コレクション』9月21日号の「世界の国々」では、19世紀末以来のニカラグア運河計画についてまとめた長文コラムのほか、詩人のルベン・ダリオ、1972年のマナグア地震、メガネカイマンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、5日発売の10月12日号でのカンボジアの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

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