内藤陽介 Yosuke NAITO
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 露伴ではなく漱石
2017-02-09 Thu 11:33
 1867年2月9日(慶応3年1月5日) に文豪・夏目漱石が生まれてから、今日でちょうど150周年です。というわけで、今日はストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      夏目漱石(文化人)

 これは、1950年4月10日に発行された“文化切手(文化人切手のことを当時はこう呼んでいました)”の第3弾として発行された夏目漱石の切手です。

 漱石を描く“文化切手”は、小説家を取り上げた日本切手としては最初の1枚となりますが、実は、日本の小説家切手第1号の候補に挙げられたのは、漱石ではなく、幸田露伴でした。

 もともと、“文化切手”の企画は、1946年8月に発足した学生郵便切手会(以下、学生切手会)が、同年12月、「文化貢献者の肖像切手 」の発行を提唱したことが出発点となったものといわれています。

 学生切手会の提案は、1947年6月の逓信文化委員会において、郵便事業の収支改善のための増収策として記念・特殊切手を積極的に発行する方針が採択されると、「肖像入り切手」の企画として採用されました。

 当初、逓信省の企画では、「肖像入り切手」は「わが國の文化貢献者などを新聞社などに委嘱、懸賞募集して、記念切手と同様趣旨 で一月から三種程度發行する」ものとされていました。もっとも、この段階では、「肖像入り切手」の具体的な内容は漠然としたものでしかなく、具体的な発行計画などは白紙の状態であったようです。

 これに対して、日本出版協会(以下、出版協会)は、「肖像入り切手」の企画が明らかになるや、「わが國文化史上不朽の功績を殘した文化人の像を圖案化した郵便切手を發行し國民の文化愛好の精神の振興を計る」ためとして、その実現に向けて積極的な運動を展開。1948年4月には、逓信大臣宛に次のような建議書を逓信大臣宛に提出しています。

  日本文化史上に不朽の足跡を印した文化人を郵便切手の圖案とする件、その第一着手として幸田露伴の像を圖案とせる記念切手をその一周忌(昭和二十三年七月三十日)に發行する件

 我が國が今日新憲法により世界に向つて平和を提唱し、民主政治の徹底と人間性の尊重を宣言していることは改めて言う迄もなく、之と共に進んで國民に平和を求め眞理を尊び文化を昂め藝術を愛する精神と熱情を振起浸透することは今後の施策に於て最も緊要であり切望せられるところと確信する 我々はこの所信に基きかかる線に沿う我國の文化施策の一として、茲に日本文化史上に不朽の業績を遺し巨歩を印した文化人を郵便切手の圖案として採擇せられることを建議し、その第一着手として幸田露伴の像を収めた記念切手をその一周忌に發行せられんことを提案するものである 露伴は明治二十二年文壇に一旗幟を飜して以來死に至る迄六十余年、明治、大正、昭和の三代に渉り稀に見る識見と學殖と文章をもつて、我國文運の進展に寄與した偉大なる業績については敢えて贅言する迄もなく、昭和十二年にはその文化的功績を嘉せられて文化勲章を授けられ、又その死去に當つては、政府に於て國葬の議さえあつたと聞く 我々の建議案の第一着手として露伴を選び、しかもその一周忌(昭和二十三年七月三十日)を期して記念切手の發行せられんことを望むことは最も妥當であり意義極めて深いことを信ずる 當局が我々の意のあるところを賢察せられ、右の建議を速かに實現せられることを多大の期待をもつて懇請する次第である

昭和二十三年四月十五日
日本出版協會々長 石井滿

逓信大臣 富吉榮二殿
 
 出版協会の建議は、共同通信のニュースとして配信されるなど社会的にも注目を集め、同年5月13日に開催された逓信文化委員会でも議事として採り上げられています。

 会議の結果、残念ながら、出版協会の主張する露伴切手の発行は見送られましたが、逓信省もようやく文化人切手の発行に本腰を入れて取り組むようになりました。そして、これを受け、共同通信は同年7月7日付で以下のような記事を各新聞社宛に配信しています。

 文化郵便切手十月頃發賣
 逓信省は郵便事業の赤字對策として文化郵便切手を十月頃から發行する これはわが國の文化面における先覺者中から世界に誇れる文化的偉人の肖像を圖案化する切手で、外國にも販路をひろめて外資導入にも一役買うものである さしあたり、第一次計畫として本年度から三ヶ年間に毎年四、五種(三ヶ年に十五人)をその文化的偉人の誕生日、命日またはその業績に關係の深い日などに順次發行する この文化的偉人の選定は「文化郵便切手選定審査會」を設けて決定する なお同切手の収益は年間二億圓を目標とする

 こうして、シリーズとしての概要や発行までの具体的な手順などが固まったことで、文化人切手の発行がにわかに現実味を帯びて語られるようになります。切手に取り上げる文化人切手の人選に関しては、1948年の段階では、文部省が、野口英世二宮金次郎、福沢諭吉、新井白石、新島襄、鈴木梅太郎、西田幾多郎等を候補者として逓信省に示していただけで、具体的な選考作業はいっさい行われていませんでした。ただし、この時点では、文部省としては漱石を積極的に推そうという意思はなかったようです。

 また、この時点で、一部新聞などでは、文部省の協力の下、芸術院・学士院の各会員を中心に衆参両院議長など30名からなる「文化偉人切手選定委員会」が設立され、その会議において文化人切手の第一段として野口英世が採り上げられることが内定したとの報道がさかんになされていましたが、これは完全な虚報で、1948年中に「文化偉人切手選定委員会」が設立された形跡はありません 。

 1949年6月、逓信省が郵政省と電気通信省に分割されると、これにともない、同年7月、新生郵政省の諮問機関として、郵政審議会(会長の末弘厳太郎 以下、35名の委員で構成)が発足。同月25日に開かれた第1回会合で、前年来、企画途中で放置されていた文化人切手が再び議題として取り上げられました。

 審議会の結果、文化人切手を発行するという方針は確定されましたが、その具体的な人選に関しては、このときの会議では結論が出なかったため、切手候補者選定のための専門委員を置くこととなります。

 専門委員は“各界の権威者”のなかから13名 に委嘱され、9月1日、第1回の委員会が開催。委員会は、漱石を含む65名の候補者を挙げ、そこに、審議会会長の末弘の推薦により梅謙次郎を加えた計66名の中から、①正確な肖像写真がある(すなわち、明治以降の人物に限定する)、②政治家・軍人を省く、③生存中の人物も除く、などの条件で絞り込んだうえで、学術関係・文化関係(思想、教育、評論など)・芸術関係(文学、美術、演劇など)の三分野のバランスをとって、切手に取り上げる18名が決定されました。このうち、漱石は“芸術関係”の筆頭にリストされ、“学術関係”筆頭の野口英世、“文化関係”筆頭の福沢諭吉に次いで、文化切手の3番目に取り上げられることになったのです。

 さて、漱石切手の元になった肖像写真は、明治天皇の大葬後まもない1912年9月19日、東京の写真館で写真家・小川一真が撮影した4枚のうちの1枚で、オリジナルの写真では腕に喪章が付けられていますが、切手ではその部分はトリミングでカットされています。なお、旧1000円札の肖像の肖像も、この切手と同じ写真をもとに制作されました。

 切手としての原画は、木村勝が1950年1月に完成させ、渡辺文雄が原版の彫刻を担当しています。今回のデザインは、先に発行された野口・福沢の両切手とは若干趣を変えて、肖像の背景が白抜きではなくツブシとなったほか、額面数字のスタイルも変更されました。

 こうして、1950年4月10日、漱石切手が発行されましたが、切手の発行日は漱石関連の記念日とはいっさい関係がなく、単に郵政省の事務的な都合で設定されたものと思われます。このため、当日は(切手発行以外の)漱石関連の行事は何も行われず、記念スタンプの類も使用されませんでした。ただし、切手の贈呈式は福沢切手の先例にならって行われ、第一号のシートが遺族(当時は鏡子未亡人が存命)に贈呈されました。


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