内藤陽介 Yosuke NAITO
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 日本人も参加の独立戦争
2017-03-02 Thu 14:01
 28日からヴェトナムをご訪問中の天皇・皇后両陛下は、きょう(2日)、第二次大戦後も現地に残って第一次インドシナ戦争を戦った元日本軍将兵の遺家族とお会いになります。ということで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ヴェトミン加刷カバー

 これは、1946年3月3日、ヴェトナム民主共和国第1期国会(制憲国会)の開会記念カバーで、いわゆるヴェトミン加刷切手が2枚貼られています。

 第二次欧州大戦勃発後の1940年6月14日、ドイツ軍はパリに入城。同22日、フランスは降伏します。これにより、フランス北部と大西洋沿岸はドイツによって占領され、フランス南部は、親独ヴィシー政府が管轄することになりました。

 この結果、現在のヴェトナム・ラオス・カンボジアに相当するフランス領インドシナ(以下、仏印)は、いわば主なき状態に放り出されます。そして、この機に乗じて、日本はヴィシー政府に圧力をかけ、8月30日、フランスのアンリ大使との交渉で、北部仏印に関する協定をまとめることに成功しました。

 この協定に基づき、日本側は、極東におけるフランスの権益とインドシナの領土保全を認めた上で、ハノイ経由での援蒋物資の輸送を停止するため、9月23日、北部仏印に進駐。さらに、翌1941年7月、日本軍は南部仏印にも進駐し、仏印全域を事実上の軍事占領下に置きました。

 その後も、仏印は日本に対して好意的な中立を保つという状況が戦争末期まで続いていましたが、戦争末期になって、東南アジア各地からの撤退を余儀なくされた日本軍は、日本本土と中国戦線の交通が途絶することを恐れ、1945年3月、“明号作戦”を発動し、フランス植民地政府を武力によって解体。ヴェトナムラオスカンボジアに旧王族を担いだ親日政府を樹立します。

 しかし、ほどなくして、1945年8月15日に日本の敗戦が発表されると、フランスに対して植民地解放闘争を戦ってきた越南独立同盟(ヴェトミン。1941年結成)はヴェトナム独立を宣言してハノイで蜂起。9月2日、ホー・チ・ミンを国家主席とするヴェトナム民主共和国臨時政府の樹立が宣言されました。これに伴い、臨時政府の支配地域では、仏印時代の切手に“ヴェトナム民主共和国”を意味する“ Việt Nam Dân Chủ Cộng Hòa”と加刷した切手が発行・視聴されています。今回ご紹介のカバーに貼られている切手も、その一種です。

 1945年9月2日の降伏文書調印に続き、連合国軍最高司令官(ダグラス・マッカーサー)の名前で「一般命令第一号」が発せられると、ヴェトナムでは、旧宗主国のフランス軍が本格的に進駐するまでの暫定措置として、北緯16度線以北に中国国民党軍が、以南に英軍が進駐。その後、10-11月にかけて、ようやく、フランス軍が進駐します。なお、この間、日本軍第38軍は連合国軍の進駐に備えて待機していましたが、一部はヴェトミンなどに武器を引渡したり、個人としてヴェトミンに合流する者もありました。

 中英による分割占領時代、ヴェトナム北部では、反共を国是とする国民党軍の下でヴェトミン系労働者の多くが逮捕・追放されたため、臨時政府は非共産主義者を入閣させるとともに、1946年1月6日に総選挙を実施。3月3日には憲法制定のための第1期国会が発足します。今回ご紹介のカバーは、これを記念して制作されたものです。

 さて、1946年2月28日と3月6日、臨時政府はとフランスと予備協定(ハノイ暫定協定)を締結。これにより、フランス連合インドシナ連邦の一国としてのヴェトナム民主共和国独立と、独立後もトンキン地方にフランス軍が駐留することが決められました。しかし、その一方で、ヴェトミンの勢力が及ばなかったヴェトナム南部に関しては、フランスは、プランテーション入植者の既得権益を優先するため、3月26日、親仏傀儡政権として“コーチシナ共和国”を成立させます。

 こうしたこともあって、予備協定の締結後も、ヴェトミンとフランス軍との小競り合いは止まなかったため、6月1日、ヴェトミンは独立戦争の長期化に備え、クァンガイ陸軍中学を設立します。同校の校長はグエン・ソン将軍、政治委員は第5戦区上級軍事幹部ドアン・クエ(いずれもヴェトナム人)でしたが、教官・助教官と医務官は全員、旧日本陸軍将校・下士官で構成されていました。こうした日本軍出身教官の指導の下、ヴェトナム初の本格的な陸軍士官学校となった同校はヴェトナム陸軍をインドシナ随一の精強兵力に育て上げ、フランス、米国、中国との戦争でのヴェトナム軍の勝利に大いに貢献しています。

 陸軍中学の設立後、ホー・チ・ミン以下、臨時政府の代表団は、フランス本国のフォンテーヌブローでヴェトナムの独立問題についてフランス側と協議したものの、コーチシナの分離問題などで9月には交渉は決裂。同年12月19日、フランス軍がトンキン・デルタ地帯の各要衝やハノイのホー・チ・ミン官邸、その他重要施設を襲撃したのをきっかけに、1954年のジュネーヴ協定まで続く第一次インドシナ戦争が本格的に始まり、現地に残った約600人の旧日本軍将兵が志願兵としてヴェトミンとともに、対仏独立戦争に参加。30名以上が、ヴェトナム政府から勲章や徽章を授与される軍功を上げています。

 
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