2017-03-12 Sun 14:33
サウジアラビアのサルマーン国王が、きょう(12日)から15日までの日程で来日されます。サウジアラビア国王の来日は、1971年のファイサル国王以来、46年ぶりですが、今回の国王来日は、王族や企業幹部ら随行団が“1000-1500人の規模”、持ち込まれる荷物の総重量が450トン超という桁違いとなっていることでも話題になっています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、2015年4月27日、サウジアラビアで発行されたサルマーン新国王(中央)とムクリン皇太子兼副首相(右。肩書は切手発行当時)とムハンマド・ビン・ナーイフ副皇太子兼内務大臣(左。同)の3人が取り上げられています。 サルマーン国王は、1935年12月31日、初代サウジアラビア国王イブン・サウードの25番目の男子で、イブン・サウードが最も寵愛したスデイリ家出身のハッサ妃との間に生まれた7人の男子、“スデイリー・セブン”の1人です。 1954年にリヤード州の副知事に就任し、1955-60年、1963-2011年にリヤード州知事を務めました。2011年10月、スデイリー・セブンの一人で兄のスルターン皇太子兼副首相兼国防大臣が死去すると後継の国防大臣に就任。さらに、2012年6月、やはりスデイリー・セブンの一人で兄のナーイフ皇太子兼副首相兼内務大臣が死去すると、国防大臣と兼任する形で王位継承順1位である皇太子兼副首相にも就任しまし。 2015年1月23日、第6代のアブドゥッラー国王の崩御に伴い、第7代国王として即位し、首相を兼任しました。 これに伴い、王位継承順第2位だったムクリン副皇太子兼第二副首相が皇太子兼副首相に、王位継承順第2位となる副皇太子兼第二副首相にナーイフ元皇太子の息子のムハンマド・ビン・ナーイフ内務大臣が任じられました。しかし、即位後間もない2015年4月29日、ムクリンを解任し、ムハンマド・ビン・ナーイフを内務大臣と政治・安全保障評議会議長に兼職のまま皇太子兼副首相に昇格させ、息子のムハンマド・ビン・サルマーンを国防大臣と経済開発評議会議長に兼職のまま副皇太子兼第二副首相に昇格させました。 解任されたムクリンは初代国王イブン・サウードの子ではありますが、スデイリー・セブンではなく、イエメン出身のバラカが母親です。 1945年生まれで、英国・米国の空軍大学で学んだ後、1965年にサウジアラビア空軍に入隊。1980年の除隊後は、マディーナ州知事として医療・教育改革で実績を上げ、2005年10月、サウジアラビア総合情報庁長官に就任。国内のイスラム過激派排除に辣腕をふるったほか、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ、ナワーズ・シャリーフ、ベーナズィール・ブットーの政治的和解のために尽力しました。こうした実績が認められ、2012年7月、アブドゥッラー国王の顧問・国王特使に任じられ、2013年2月1日には第二副首相に、2014年には、サウジアラビア史上初の副皇太子に指名されました。 このように、スデイリー・セブンの一員でないにもかかわらず、アブドゥッラー前国王に近い政治的実力者だったムクリーの存在は、スデイリー・セブン派を重用したい国王とその周辺にとっては厄介なもので、そのことが、彼の解任につながったとみられています。ただし、ムクリーに関しては、彼に何らかの非があって皇太子兼副首相から解任されたわけではなかったことは明らかでしたから、ムクリー派に対する一定の“配慮”として、息子のマンスールが国王顧問に任じられました。 いずれにせよ、今回ご紹介の切手の3人の組み合わせは、国王の即位からわずか3ヵ月間しか続かなかったわけですが、その後、この切手がサウジアラビア国内でどういう扱いになっているのか、そのあたりについては調べきれませんでした。どなたか、詳細をご存じの方がおられましたら、御教示いただけると幸いです。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ ![]() 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 スポンサーサイト
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