内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 仏強襲揚陸艦が佐世保入港
2017-04-30 Sun 10:54
 日米英仏4カ国による初の合同訓練に参加するため、昨日(29日)、フランス海軍の強襲揚陸艦“ミストラル”が海上自衛隊佐世保基地に寄港しました。ミストラルの寄港は、朝鮮国連軍地位協定(現在も有効)により日本国内の基地利用が認められている12ヵ国にフランスが含まれることによるものです。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ラルフ・モンクラール(2015)

 これは、2015年に韓国で発行された“朝鮮戦争の英雄”の切手のうち、国連軍参加のフランス軍部隊を率いたラルフ・モンクラールを取り上げた1枚です。

 ラルフ・モンクラール(本名:ラウル・マグラン・ヴェルヌレー)は、1892年2月7日、ハプスブルク帝国支配下のハンガリー・ブダペストで生まれました。ちなみに、フランスでは外国人部隊への入隊の際は本名を変更し、部隊特有のアノニマと呼ばれる制度によって偽名にすることが要求されるため、ヴェルヌレーは本名を隠し、モンクラールの名で活動しました。

 15歳でフランス外国人部隊への入隊を志願したものの年齢制限ゆえに許されなかったため、1912年、フランスのサン・シール陸軍士官学校に入学。1914年に同校を卒業して少尉として任官し、第一次大戦中は、7回負傷しながら、11回、公報で名前が報じられるなどの軍功を上げ、レジオン・ドヌール騎士賞を授与されています。

 両大戦の戦間期には、レヴァント(地中海東岸)、モロッコ、アルジェリア、サイゴン等で勤務。第二次大戦中の1940年には、ドイツ軍の占領下にあったノルウェー北部の不凍港ナルヴィクの奪還作戦で活躍しました。その後、自由フランス軍に加わって中東・北アフリカ戦線で戦い、戦後は外国人部隊の監察官に就任します。

 1950年に朝鮮戦争が勃発し、国連の要請に応じて、フランス軍も“フランシス大隊”1400名を朝鮮に派遣することになると、モンクラールは、共産主義と戦うべく、同大隊への参加を志願。大隊の指揮官となるため、自らの階級を陸軍中将から中佐に下げて、従軍しました。

 フランシス大隊は、1950年11月29日、釜山に到着した後、米第2歩兵師団第23連隊の指揮下に入り、1951年1月7-12日には、中国人民志願軍の参戦を得て攻勢に転じた朝鮮人民軍の進撃を江原道南部の原州で食い止め、2月には京畿道楊坪の砥平里で中国人民志願軍第39軍配下の3個師団の集中攻撃を4日間にわたって防ぎきり、国連軍再反撃の土台を固めました。現在でも、当時、フランス軍の司令部が置かれていた砥平醸造場には記念碑が建てられています。

 また、1951年10月の“ハート・ブレイク・リッジの戦い”では、一月にも及ぶ激戦の結果、フランス軍は60名の戦死者と200名の戦傷者を出しており、朝鮮戦争に参加したフランス軍将兵の総数は累計3421名中、戦争の全期間を通じての死者は261名に及んでいます。

 なお、フランス軍を含む朝鮮国連軍については、1951年9月、吉田・アチソン交換公文により、サンフランシスコ平和条約の発効後も日本国内に滞在することを許し、かつ、容易にする義務を受諾。その後、1953年7月の休戦を経て、1954年6月、朝鮮国連軍が我が国に滞在する間の権利・義務その他の地位及び待遇を規定する“国連軍地位協定”が締結され、現在に至っています。また、同協定の第5条により、朝鮮国連軍は日本内7か所の在日米軍施設・区域(キャンプ座間、横須賀海軍施設、佐世保海軍施設、横田飛行場、嘉手納飛行場、普天間飛行場、ホワイトビーチ地区)を使用することができるとされており、今回のミストラルの佐世保寄港はこの規定によるものです。

 なお、朝鮮戦争とフランスとの関係については、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
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 ガダルカナルからの葉書
2017-04-29 Sat 10:53
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、最近入手した昭和史ネタのマテリアルの中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ガダルカナルの戦い(実逓葉書)

 これは、1992年にソロモン諸島で発行された“ガダルカナルの戦い50周年”の記念切手(単片10種の組み合わせシート)のうち、5種類の切手を貼った拙宅宛の葉書です。切手は今月初めにガダルカナル島に行ったときに、現地の郵便局で絵葉書と一緒に買って、自分宛に差し出したもので、拙宅には25日に到着しました。なお、ソロモン諸島から日本宛の現行の葉書料金は4ドルですので、80セント切手5枚で料金はピッタリとなっています。

 ソロモン諸島というと、実際に郵便に使用するためというより、収集家目当ての“いかがわしい切手”を濫発する国として、収集家の間では評判が芳しくありません。今回ご紹介の“ガダルカナルの戦い50周年”などは、たしかにソロモン諸島が戦場となったという点では自国に関係のある題材ではあるのですが、一般には“いかがわしい切手”とみなされることが多いように思います。ただし、今回、この切手を貼った郵便物が実際に拙宅まで到着したということは、ソロモン諸島では、モザンビークのように“(郵便には使えない)フィラテリー用の切手”と“実際に使える切手”を区別することはなく、とりあえず、同国名義で発行された切手はすべて郵便に使えるということが確認できました。

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日、米軍の第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領。同12日、米軍は飛行場をヘンダーソン飛行場と改称します。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 さて、今回ご紹介の葉書に貼られている切手ですが、上段左から、①1942年8月9日、ガダルカナルをめぐる第一次ソロモン海戦で沈没した米海軍の重巡洋艦クインシー、②同じく8月9日に大破炎上した豪海軍の重巡洋艦キャンベラ、③米海兵隊のガダルカナル島上陸場面、下段左から①ヘンダーソン飛行場を拠点に活躍した米海兵隊のF4Fワイルドキャット戦闘機、②日本軍の攻撃を受けながらの飛行場の建設、がそれぞれ取り上げられています。

 ちなみに、絵葉書の絵面には、ホニアラのオースティン山にあるソロモン平和慰霊公苑が取り上げられています。葉書絵面の画像の隣には、僕が実際に現地で撮った写真も貼っておきます。

      ガダルカナル絵葉書・裏面  ソロモン平和慰霊公苑

 ソロモン平和慰霊公苑は、1984年に日本の戦没者慰霊協会によってオースティン山頂に建設され、2011年の改修を経て、現在の姿になりました。ちなみに、公苑のあるオースティン山からギフ高地を通ってククムへの道は、日本軍が米軍に対して必死の抵抗を見せた激戦地でした。公苑内の、十字の通路が付けられた慰霊塔の中心には、国籍・民族を問わず、先の大戦で犠牲となった全ての人の霊が集まるという黒石が置かれており(下の画像)、集まった霊はそこから昇天し、あるいは故郷に帰っていくことを表現しているのだそうです。

      ソロモン平和慰霊公苑・黒石

 ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦中の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、複合的に“ガダルカナル”の過去と現在を考える物語をまとめられてみたいですね。
 

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 泰国郵便学(48)
2017-04-28 Fri 10:51
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第51巻第2号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・パッタヤービーチ(1975)

 これは、1975年の国際文通週間の切手のうち、パッタヤー(パタヤ)のビーチを取り上げた75サタン切手です。

 パッタヤーは、バンコクの東南165km、タイランド湾に面したリゾート地で、行政上はチョンブリー県に属しています。

 パッタヤーの名が最初に歴史に登場するのは、1767年、プラヤー・ターク(タークシン)の遠征時のことです。

 アユッタヤー王朝の滅亡以来、国土回復のために奔走していたプラヤー・タークは、チャンタブリー遠征へ向かう途中、現在のパッタヤーの地で、その地方を治めていたナイ・クロームの軍と対峙。当初、プラヤー・タークの軍を撃退するつもりだったナイ・クロームは、プラヤー・タークの威厳ある振る舞いと、部下たちの軍紀が厳正に保たれていることに深く感銘を受け、戦わずして降伏し、プラヤー・タークの軍に加わったといわれています。ここから、両者が相見えた地は“タプ・プラヤー”と呼ばれるようになり、後にそれが転訛して雨季の初めに南西から北東方向に吹く風を意味する“パッタヤー”と呼ばれるようになりました。

 かつてのパッタヤーは小さな漁村にすぎませんでしたが、1959年6月29日、コーラート駐留の米軍関係者500人が、1週間ほど、パッタヤーで休暇を過ごしたことがきっかけで、リゾート地としての開発が進められることになります。その後、ヴェトナム戦争が本格化すると、1965年以降、ラヨーン県バーンチャーン郡のウタパオ空軍基地が北爆に向かう米軍の重要拠点となり、ウタパオから車で1時間の距離にあるパッタヤーは保養地としての開発が急速に進みました。

 さて、今回ご紹介の切手を含め、1975年の国際文通週間の切手には、タイを代表する4ヵ所のビーチ・リゾートの風景が取り上げられています。

 タイの国際文通週間の切手において、観光資源となる景勝地が取り上げられたのは、1972年以来のことですが、1975年の切手の題材が選択されるにあたっては、同年3月のヴェトナム戦争終結という事情が大きかったのではないかと思います。

 すなわち、タイの観光産業、特にビーチ・リゾートを中心とした保養地に関しては、上述のパッタヤーの事例にみられるように、ヴェトナム戦争に従軍する米軍関係者が好んで利用したことで、彼らを通じて、ひろく欧米人に注目されるようになったという経緯があります。実際、1964年8月にトンキン湾事件が発生し、米軍がインドシナへの関与を強めていく傾向をみせると、翌1965年、タイ政府観光局(現観光庁)はニューヨーク事務所を開設して、米軍の保養地としてのタイの魅力を積極的なアピールを開始しています。その甲斐もあって、1967年にタイを訪れた外国人は、一般の観光客が33万6000人、インドシナの前線から休暇期間に訪タイした米軍関係者が5万人にものぼっていたほどです。

 その後もタイの観光産業はヴェトナム戦争の長期化にあわせて順調に発展し、欧米人観光客が落とす外貨は、タイの国家財政にとっても重要な財源となっていました。

 そうしたタイの観光産業にとって、ヴェトナム戦争の終結は、上得意であった米軍関係者の需要激減につながる事態でしたから、彼らとしても、より広く欧米の観光客に向けて、毎年恒例の国際文通週間の題材として、1975年はビーチ・リゾートを取り上げ、その存在を世界にアピールしようとしたものと考えられます。

 * 昨日の放送は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。5月は連休と大相撲がある関係で、僕の次の出番は6月1日の予定です。ちょっと間が開いてしまいますが、引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 切手でひも解く世界の歴史(2)
2017-04-27 Thu 07:51
 本日(27日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、先日、第1回投票があったフランス大統領選挙(第2回投票は5月7日)にちなんで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      ナポレオン3世(共和制)

 これは、第2共和政末期の1852年にフランスで発行されたナポレオン3世の25サンチーム切手で、国名が“フランス共和国”を意味する“REPUB FRANC”となっています。

 フランス共和国大統領、Président de la Républiqueという職名の国家元首が生まれたのは、1848年に始まる第2共和政の時代のことです。

 1848年の革命で第2共和政が発足した当初、フランスの国家元首の職名は、“臨時政府主席(Chef du gouvernement provisoire、2月24日-5月9日)”でした。ついで、行政権委員会議長(首相。Président de la Commission exécutive、5月10日-6月24日)、フランス国主席(首相兼任、Chef de l’État français、6月28日―12月20日)を経て、12月10日に行われた大統領選挙を経て、同20日、共和国大統領(Président de la République)となります。

 ちなみに、第1回の大統領選挙に立候補したのは、カヴェニャック将軍、ラマルティーヌ、ルドリュ=ロラン、ラスパーユ、シャンガルニエ将軍、そしてルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)でした。

 後にナポレオン3世を名乗るシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、皇帝ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)の弟、ルイ・ボナパルトと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子、オルタンス・ド・ボアルネの3男として、1808年、パリで生まれました。皇帝の甥として優雅に暮らしていた彼は、伯父の失脚後、母親のオルタンスとともに亡命生活を余儀なくされ、ドイツ・イタリアを転々とした後、スイスで少年時代を過します。

 血は争えないというべきか、20歳前後の彼はギリシャ独立戦争に参加しようとしたり、スイスのトゥーンにある砲兵学校で軍事訓練を受けたりしていましたが、1830年のフランス7月革命を機に帝政復活の野望に目覚めてしまいます。

 この年、彼は避暑のためイタリアを訪問。ナポレオン1世の支配が崩壊した後のイタリアは、オーストリアとローマ教皇の影響力が強い分裂国家の状態にあり、これに反発する秘密結社のカルボナリが各地で一揆を起こしていました。「伯父がいなくなったからこのザマだ」と憤慨したルイ=ナポレオンは、兄とともにカルボナリの活動にコミットし、その結果、オーストリアの官憲から追われる身となります。さらに、1832年には、従弟の“ナポレオン2世”(ナポレオン1世とハプスブルク=ロートリンゲン家のマリー・ルイーズ皇后の子)が若くして病死したこともあって、ルイ=ナポレオンは伯父の後継者になることを固く決意するようになりました。

 その第一段階として、1836年10月、ルイ=ナポレオンはストラスブールのフランス軍駐屯地で、砲兵第4連隊に呼びかけて7月王制打倒の一揆を試みます。“ナポレオンの甥”を名乗れば部隊はひれ伏すと考え、ほとんど準備らしい準備もせずに行なわれた一揆は、当然のことながら瞬時に鎮圧され、逮捕された彼は米国に追放されました。

 その後、ロンドンに移り住んだ彼は、1840年8月、英仏海峡の港町ブローニュでも第24歩兵連隊に呼びかけての一揆を試みますが、やはり失敗。今回は、前回のように“性質の悪い冗談(本人は大真面目でしたが)”ではすまされず、彼は終身禁固の判決を受けて北フランスのアム要塞に収監されました。しかし、1846年に出入りの職人に変装して脱獄に成功した彼は、再びロンドンに渡り、莫大な財産を蕩尽して恋と革命に熱中する生活を続けます。

 そうしているうちに、1848年、2月革命が勃発。7月王制は打倒され、第2共和制が発足すると、社会的安定を求める国民の間に根強いナポレオン神話を背景に補欠選挙で議員に当選。晴れて、政界デビューを果たしました。

 同年末、フランスは初めての大統領選挙を実施し、ルイ=ナポレオンもこれに立候補しました。玄人筋の予想では、大本命はカヴェニャック将軍でルイ=ナポレオンは泡沫候補扱いでしたが、フタをあけると、日本のタレント候補同様、“ナポレオン”ブランドの力で彼が圧勝。ルイ=ナポレオンはフランス共和国の初代大統領になったわけです。

 もっとも、大統領にはなったものの、政治家一年生で権力基盤のなかった彼は、議会の反対で自分の思い通りの政策を実現することができなかったこともあり、1851年12月、クーデターを起こして議会を解散して有力議員を逮捕。翌1852年には偉大なる伯父の先例にならって、国民投票を経て皇帝ナポレオン3世として即位し、帝政復活の彼岸を果たしました。

 ところで、フランス最初の切手は1849年に発行されました。最初の切手のデザインは、豊穣の女神“セレス”でしたが、1852年には今回ご紹介のナポレオン大統領の肖像を描く切手が登場します。ところが、その直後に、ナポレオン3世がクーデターを起こして皇帝として即位したため、肖像部分はそのままに、国号を“フランス共和国”から“フランス帝国”に変更した切手が登場することになります。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 世界の国々:モンゴル
2017-04-26 Wed 08:04
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はモンゴルの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・国連加盟

 これは、モンゴルの国連加盟を記念して1962年に発行された切手で、国連旗とモンゴル国旗が並べて描かれています。

  モンゴル族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、清朝支配下の地域は、ゴビ砂漠をはさんで、それぞれ、南側が“内蒙古”(“蒙疆”とよばれることもある)、北側が“外蒙古”と呼ばれていました。

 1911年10月、滅満興漢をスローガンとする辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が発足して清朝が滅亡。中華民国政府は、建前として“五民族(漢族、チベット族、満洲族、モンゴル族、ウイグル族)の“平等”を掲げていたものの、政治の中枢は漢族がほぼ独占するようになり、清朝の時代と比べて、満州族やモンゴル族の地位は大幅に後退しました。このため、モンゴル族はロシアの援助を受けて独立を宣言します。

 しかし、モンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ハーンとして即位したボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁しました。これに対して、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルは再独立し、ボグド・ハーンは推戴されて皇帝に復位します。しかし、1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生しました。

 これに対して、中華民国はモンゴルを自国領として扱い、その独立を否認していましたが、第二次大戦末期の1945年6月、ソ連との外交交渉の際に「ソ連が日本撤退後の満洲を中国共産党に渡さず、かつ新疆の独立運動を鼓舞しないと約束するなら、抗日戦争勝利後に外蒙古が国民投票を経て独立することを認めてもよい」と主張し、1946年1月にはモンゴルの独立を承認したものの、国共内戦中に、ソ連は共産党を支持したため、台北遷都後の1953年、中華民国政府は中ソ友好同盟条約の正式な廃止を決定し、同時にモンゴルの独立承認も白紙に戻しています。一方、1949年10月1日に建国を宣言した中華人民共和国は、対ソ関係を考慮し、建国早々の同年10月16日、モンゴルと国交を樹立しています。

 こうしたこともあって、1955年、モンゴルなど東側5ヶ国と、日本など西側13ヶ国の国連加盟が安保理で一括協議された際、中華民国は、モンゴルの“領有権”を主張し、常任理事国として拒否権を発動。このため、ソ連は報復として日本の国連加盟に拒否権を発動しています。その後、日本は1956年に国連に加盟しましたが、モンゴルの加盟は1961年まで持ち越しとなりました。

 さて、『世界の切手コレクション』4月19日号の「世界の国々」では、モンゴル側から見たノモンハン事件についての長文コラムのほか、独裁者チョイバルサン、ハルハ・ブフ(モンゴル相撲)、タルボサウルス、馬頭琴の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のモンゴルの次は、本日発売の5月3日号でのヴェネズエラの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の5月3日以降、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 朝鮮人民軍創建の日について
2017-04-25 Tue 08:01
 北朝鮮では、きょう(25日)、“朝鮮人民軍創建85周年”ということで、各種の記念行事が予定されているそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・朝鮮人民軍創建6周年記念絵葉書  北朝鮮・朝鮮人民軍創建6周年記念絵葉書裏面

 これは、1954年に北朝鮮で発行された“朝鮮人民軍創建6周年記念”の絵葉書です。チェコスロヴァキア宛の書留実逓便なので、裏面の画像も隣に貼っておきました。

 北朝鮮における軍事組織は、解放直後の1945年10月、ソ連占領軍による旧日本軍の武装解除を受け、2000名からなる“保安隊(隊長は金日成)”が創設されたのが最初です。その後、同年11月、占領下の地域行政機関として北朝鮮五道行政局が設置されると、その一部局として「保安局」が設置されましたが、これに先立ち、10月には早くも新義州で航空隊が創設されています。

 さらに、1946年1月には、五道行政局の傘下に鉄道施設の保護を目的とした鉄道保安隊(同年7月、鉄道警備隊に改編)が組織されたほか、同年7月には水上保安隊が、翌8月には海岸警備隊が、それぞれ組織されました。これらが、後の朝鮮人民軍の母体となります。

 一方、1946年2月には幹部養成のための平壌学院(1945年11月創立説もあり。1949年に第2軍官学校と改称)が、6月には保安訓練所が、7月には軍事指揮官を養成するための中央保安幹部学校(1949年に第1軍官学校と改称)が、それぞれ創設され、政府・軍隊の正式発足前に軍幹部の養成も開始されました。

 さらに、解放1周年にあたる1946年8月には、実質的な軍司令部として保安幹部訓練大隊部が創設されるとともに、北朝鮮労働党の創立にあわせて「民族軍隊組織と義務的軍事徴兵制を実施すること」が確認されました。

 1947年に入ると、ソ連からの軍事援助が本格的に到着するようになり、5月には全将兵に階級章が付与軍されるとともに、保安幹部訓練大隊部も人民集団軍に改編されます。そして、1948年2月4日、北朝鮮人民委員会の下に民族保衛局が設置されると、これを受けて同月8日、人民集団軍は“朝鮮人民軍”に改称され、同年9月の朝鮮民主主義人民共和国の正式な成立以前に“国軍”が誕生しました。

 こうした経緯から、朝鮮人民軍の創立記念日は、ながらく、(1948年)2月8日とされ、節目の年には記念切手・絵葉書などが発行されてきました。今回ご紹介の官製絵葉書もその一例で、1948年を起点にしていますから、発行年の1954年は朝鮮人民軍の6周年という勘定になります。

 ところが、その後、金日成から金正日への権力世襲の過程で、満洲での金日成の抗日武装闘争の経歴が誇張して宣伝されるようになると、1978年以降、朝鮮人民軍のルーツは“朝鮮人民革命軍”(金日成の抗日遊撃隊)に求められるようになり、建軍記念日も、本来の1948年2月8日から、朝鮮人民革命軍が結成された(と北朝鮮当局が主張している)1932年4月25日に変更されました。北朝鮮側が、“朝鮮人民軍創建85周年”と主張しているのはこのためです。ただし、1932年に朝鮮人民革命軍が創建されたというのは、北朝鮮当局がそう主張しているだけであって、これを歴史的事実として裏付けるための、信頼に値する資料は報告されていません。

 まぁ、北朝鮮当局が史実を捏造したプロパガンダにより、自らの体制維持を図ろうとするのは勝手ですが、日本のメディアなどがそれを鵜呑みにして「朝鮮人民軍創建85周年の25日、北朝鮮では…云々」と報じてしまうのは、結果的に、彼らのそうした宣伝工作に加担していることになるわけで、やはり問題ではないでしょうかね、少なくとも、「北朝鮮当局の主張によれば、朝鮮人民軍創建85周年とされる25日…」というような、留保をつけた表現にした方が良いのではないかと思います。

 なお、このあたりの事情につきましては、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 世界切手展<BRASILIA 2017>のご案内
2017-04-24 Mon 09:00
      ブラジル・ブラジリア(1990年単片)  ブラジリア2017ロゴ

 本年10月24-29日(火-日)の6日間、ブラジル・ブラジリア市のUlysses Guimaraes Convention Centerにて、世界切手展<BRASILIA 2017>が開催されます。同展のコミッショナーは、当初、正田幸弘氏が担当の予定でしたが、諸般の事情により、急遽、正田氏に代わり、内藤がコミッショナーをお引き受けすることになりました。

 同展の出品申込の締め切りは、当初、2月中旬とされていましたが、本日(24日)の時点で4月30日まで延長されております。つきましては、同展の特別規則のうち、出品に関する事項を抜粋し、その概要をお知らせいたしますので、出品をご希望の方は、4月28日までに内藤宛に書類をお送りください。なお、今回の切手展は、チャンピオンクラスのほか、一般競争クラス・ワンフレームクラス・現代郵趣のいずれも、伝統・郵便史・ステーショナリー・テーマティクの4部門に限定した専門展で、一般出品の出品料は1フレームあたり米ドル$60です。

 正式な規則の文言ならびに出品に必要な書類の用紙は、一般社団法人全日本郵趣連合のウェブサイト左側の「国際切手展情報」に掲載のPDFファイルをクリックしてご覧ください。

 なお、すでに出品をお申込みいただいた方につきましては、今後、現地組織委員会との連絡など、コミッショナー業務は内藤が引き継ぎますのでご了承ください。

 以下、展覧会の概要です。

1.会期
 2017年10月24日 –29日(6日間)

2.会場
 Ulysses Guimaraes Convention Center, Brasilia

3.パトロネージ、運用される諸規則
 BRASILIA2017はFIPパトロネージの “Specialised World Stamp” Exhibition(専門世界切手展)に相当します。
次の規則が適用されます。
- The General Regulations of the FIP for Exhibitions (GREX)
- The General Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (GREV)
- The Special Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (SREVs)
- Individual Regulations of BRASILIA 2017 (IREX) (GREX Article 3.10)

4.参加資格
 クラス9の文献、クラス7の現代郵趣を除き、競争出品は国内展で、少なくとも金銀賞を受賞していること。

5.出品クラス:
 競争出品
― Class 1:FIPチャンピオンクラス
(過去10年(2007-2016)のFIP 展において、大金賞を3回受賞した作品)
― Class 2:伝統郵趣
 A)ブラジル
 B)アメリカ大陸(ブラジル以外)
 C)ヨーロッパ
 D)アジア、オセアニア、アフリカ
― Class 3:郵便史
 A)ブラジル
 B)アメリカ大陸(ブラジル以外)
 C)ヨーロッパ
 D)アジア、オセアニア、アフリカ
― Class 4:ポスタル・ステーショナリー
― Class 5:テーマティク
  A) Nature、B)Culture、C)Technology のいずれかのサブクラスを記入。
― Class 6:1フレーム(TR,PH,PS,TH)
― Class 7:現代郵趣(TR,PH,PS,TH)
― Class 8:ユース 
― Class 9:文献
 A) 2012年1月1日以降に出版された書籍、パンフレット、研究書
 B) 2015年1月1日以降発行の雑誌、定期刊行物
 C) 2015年1月1日以降に出版されたカタログ
 通常の出品申込書に加え、文献用の情報フォームを記入すること。

6.審査と賞
 競争クラスの出品物はFIP審査員によりGREV、SREVsに従い審査されます。

7.フレームサイズと割当数
 BRASILIA2017のフレームは98cm×120cmです。各フレームには最大で22cm x 30cmのリーフが16ページ(4×4)収容可能です。
・23cm x 29cmをわずかに超えるサイズであれば頁を重ねることで展示可能と思われますが、その場合組織委員会は頁の損傷について責任を持ちません。黒色・濃色のリーフは受け付けません。鑑定書はオリジナルをページの裏に挿入してください。

 競争クラスの各作品にはGREX の 6.4 & 6.5に従い、5または8フレームが割当てられます。クラス1は8フレームです。

8.出品申込と結果の通知
 出品申込に際しては、所定の書式(一般社団法人全日本郵趣連合のウェブサイトでダウンロードできます)に必要事項を記載の上、作品の内容を説明するページ(イントロダクトリーページ。英文で記載)のコピーを添えて、国内締切日2017年4月28日(必着)までに、ナショナル・コミッショナー(内藤陽介)宛にお送りください。

 お申込みいただいたご出品の可否は、組織委員会の検討を経て、2015年5月30日までにコミッショナーに告知される予定です。出品が受理された場合、正当な理由なく、出品をキャンセルすることはできませんのでご注意ください。

9.出品料
 出品作品の決定後、出品決定の後、振込の時点の為替レートで(日本円で)ご請求いたします。
 ユース・文献・ワンフレームを除く部門の出品料は1フレームあたり米ドル$60。
 ユースの出品料は無料
 ワンフレームは1作品あたり米ドル$75
 文献は1作品あたり米ドル$60

10.作品の取扱い
 〆切を過ぎて到着した作品は審査の対象外となります。作品未着の場合、出品料は返金されません。出品物は取り外し可能な保護カバーをつけ、各リーフの右下に展示順の番号を記してください。作品の受領後、組織委員会はしかるべき受領証を発行します。出品物は組織委員会の支給する指定の封筒に入れて搬入してください。

 フレーム出品:コミッショナーによる持ち込みが強く推奨されております。(コミッショナーによる所定の運搬手数料が出品料の他にかかります)
 文献出品については、2017年8月30日までに各2部ずつ、下記宛に送付してください。文献出品は返却されません。
 SWSE BRASILIA-2017-Organizing Committee
 SHN-Quadra 2 –Bloco H, Edificio Metropolitan / apto. 1012
 CEP 70702-905,Brasilia, DF - BRAZIL

12.作品のセキュリティ
 組織委員会は会期中の作品のセキュリティについて相応の対策を講じますが、作品の輸送時、会期中の展示・撤去の際のマテリアルの紛失・汚損などについては責任を負いません。出品物の保険については、出品者個人の責任と負担においてかけるものとします。

13.コミッショナー連絡先
 内藤陽介(ないとう・ようすけ)
 ご連絡は本ブログ右側、プロフィール下のメールフォームをご利用ください。

 なお、本日の記事の冒頭に掲げた画像の切手は、1990年にブラジリアで開催された切手展<LUBRAPEX 90>に際して発行された記念切手のうち、ブラジリアの三権広場の中央に建てられているカンダンゴ像を取り上げた1枚です。カンダンゴ像は、今回の切手展のロゴマークにも取り上げられておりますので、シンボリックな1枚として持ってきました。

 〆切までの期日が切迫しておりますが、あらためて、1人でも多くの皆様のお申込み・お問い合わせを心よりお待ちしております。

 * 昨晩、アクセスカウンターが178万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 UAE成立前後の郵便と社会
2017-04-23 Sun 09:57
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、日本アラブ首長国連邦協会の機関誌『UAE』第61号(2017年春号)が発行されました。同誌には第60号に寄稿した「UAE成立以前の郵便と社会(1964-67年)」の続編として、1971年のUAE 結成前後の郵便事情を中心にまとめてみました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アブダビ・UAE加刷カバー

 これは、UAE 発足後間もない1972年8月29日、UAE 暫定加刷切手を貼ってアブダビからベイルート宛に差し出されたカバーです。

 1971年12月のUAE 結成当初、連邦全体を統括する郵政機関は成立しておらず、各首長国の切手も当面はそのまま有効とされていました。また、UAE全域の統一通貨としてUAEディルハムが導入されるのは1973年5月19日のことで、それ以前は、従前どおり、アブダビを除く6首長国ではカタール・ドバイ・リヤル(補助通貨はディルハム。1リヤル=100ディルハム)が、アブダビではバハレーン・ディナール(補助通貨はフィルス。1ディナール=1000フィルス)がそのまま使用されており、切手の額面もそれぞれの通貨に対応していました。

 こうした状況の下、連邦発足に伴う移行期間の措置として、1972年7月31日まで各首長国はそれぞれ独自の切手を発行していましたが、同年8月以降、各首長国が独自に新切手を発行することが禁じられます。

 これを受けて、連邦全域で有効のUAE共通切手を発行するまでの暫定措置として、UAEを構成する首長国中、最大の首長国であったアブダビの切手のアラビア語の国名表示を二重線で抹消したうえで、その下に新国名の“دولة الإمارات العربية المتحدة”を、欧文の国名表示の上に“UAE”の文字を、それぞれ加刷した暫定的な切手が発行され、使用されることになりました。

 今回ご紹介のカバーはその使用例で、貼られている切手に描かれているのは、当時のアブダビ首長、ザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンの肖像です。なお、ザーイドはUAEの成立とともに、連邦の初代大統領に選出されています。

 ただし、UAE暫定加刷切手の額面は、当時、アブダビのみで流通していたバハレーン・ディナールでの額面表示になっていたため、他の首長国の領域では使い勝手が悪かったようで、アブダビ以外ではほとんど使用されませんでした。

 その後、1973年1月1日、UAEの発足から1年余りを経て、ようやく、UAE郵政はUAEの国旗や国章、各首長国の風景などを取り上げた、UAEとして最初の正刷切手を発行。この時発行された切手は、同年5月からの新通貨、UAEディルハムの導入をにらんで、UAEディルハムの額面表示になっていますが、各地の郵便局では、切手発行時に実際に市中で流通していたカタール・ドバイ・リヤルに関しては、公定交換レートの1ディルハム=1リヤルで、アブダビで使用されていたバハレーン・ディナールに対しては1ディルハム=0.1ディナールで換算した金額で切手を販売しています。


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 アース・デイとランド・デイ
2017-04-22 Sat 10:26
 きょう(22日)は“アース・デイ”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・アースデイ(2014)

 これは、2014年にパレスチナ・ガザ政府が発行した“アース・デイ”の記念切手で、図案としては、岩のドームを含むパレスチナの風景イメージと鳥、オレンジの木が組み合わされています。

 さて、今回ご紹介の切手の発行名目は“アース・デイ”となっていますが、そのアラビア語は“ يوم الأرض‎‎”です。このうち、“يوم ”は“日”ですが、“الأرض”は“地”の意味ですから、英語で“earth”とも“land”とも訳すことが可能で、世界的に認知されている4月22日の“アース・デイ”とは別に、“ランド・デイ”とされる記念日に対しても“ يوم الأرض‎‎”という語が使われています。

 ランド・デイというのは、1976年3月30日、イスラエル政府がガリラヤ地方の1万9000平方キロの土地を強制収用し、アラブ系の住民(いわゆるパレスチナ人)をネゲブ砂漠に強制移住させようとした際、これに対抗する大規模なデモが発生し、6人のパレスチナ人が殺されたことにちなむ記念日で、毎年、事件のあった3月30日には、イスラエルに抗議し、パレスチナの土地がパレスチナ人のものであると主張する大規模な集会やデモが行われています。

 さて、今回ご紹介の切手は、もともと、2014年3月30日の“ランド・デイ”にあわせて発行される予定でしたが、実際の発行は同年11月にまでずれ込んでいます。その際、“ يوم الأرض”の訳語として、従来用いられていた“ランド・デイ”ではなく、あえて“アース・デイ”があてられたのが興味深いところです。その理由は定かではないのですが、“(パレスチナの)ランド・デイ”に比べれば、はるかに認知度の高い“アース・デイ”の語を使うことで、あえて、4月22日のアース・デイの記念切手と誤解させ、この切手(とその背後にあるランド・デイ)に対する関心を集めようという意図があったのかもしれません。

 ちなみに、ガザの郵政当局が制作した公式FDCの消印には、3月30日付のモノと4月17日付のモノがありますので、その点でも、この“يوم الأرض”の切手が、ランド・デイを記念したものなのか、アース・デイを記念したものなのか、見る側は混乱してしまいそうですね。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第3次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっていますので、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、パレスチナにフォーカスをあてた書籍の企画も進めています。具体的な内容などが明らかになりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。
 

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 ベルギーのムスリムと“寛容”
2017-04-21 Fri 16:56
 パリのシャンゼリゼ通りで、現地時間20日午後9時ごろ(日本時間21日午前4時ごろ)、警官が銃撃され、1人が死亡、2人が重軽傷を負う事件があり、実行犯はその場で射殺されました。過激派組織ダーイシュ(自称“イスラム国”。IS)傘下の通信社AMAQは、射殺された実行犯はダーイシュの戦闘員でベルギー人(ベルギー出身)のアブー・ユーセフ・ベルギージーであると報じています。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ベルギー・寛容(2016)

 これは、2016年にベルギーで発行された“(多宗教間の)寛容”の切手で、ベルギーの主要宗教であるユダヤ教、カトリック、イスラムの各宗教指導者(左からラビのアルベール・ギギ、アントワープ司教のジョアン・ボニ、ヘントのイマームのハリド・ベンハッドゥ)が伝統的な装束に身を包み、互いに手を携えた写真と、その下に「誰もが平等で、誰もが異なっている」との文言が入っています。

 異なる宗教に対する寛容性をアピールするための切手を発行しようという企画は、2014年5月にブリュッセルで発生したユダヤ博物館襲撃事件(死者4名)の後に持ち上がり、2015年11月、Bポスト(ベルギー郵政)が、2016年に“寛容”と題する切手を発行する計画を発表。3人の宗教指導者に対して、彼らが一緒に並んだ切手を発行したいとのオファーがなされ、3人がこれを快諾したことを受けて、フラマン語圏出身の女性写真家のリーヴァ・ブランカートが、切手の原画写真を撮影しました。ちなみに、中央にカトリックのボニ司教が立っているのは、ベルギー国内では3宗教のうち、カトリックの人口が最も多いためです。

 切手に登場したギギは、イスラエル紙のインタビューに答えて「この切手が示そうとしているのは、ベルギーでは、何が起ころうと、人々がどのようなニュースを聞こうと、それぞれの宗教の関係は良好だということだ。この写真で、我々は共に手を取り、連帯して、共に働いていることを示している」と述べています。ちなみに、ギギはインタビュー時には70歳で、30年以上にもわたってベルギーでチーフ・ラビとして活動してきた人物です。

 現在、ベルギーにおけるユダヤ教徒はブリュッセルとアントワープを中心に4万人いるとされていますが、近年、ガザ地区をめぐるイスラエルの強硬姿勢に抗議するというかたちをとって、彼らに対する圧力が強まっています。また、ベルギー国内のムスリム人口は70-90万人とされており、その大半はモロッコ出身者もしくはその子孫です。その背景には、1960年代、安価な労働力として、ベルギーが国策としてモロッコおよびトルコからの移民を大々的に受け入れたという事情があり、現在、ブリュッセルではムスリムが人口の25%以上となっているほか、アントワープとシャルルロワにも相当数のムスリムが生活しています。

 この切手が企画されるようになったきっかけは、ユダヤ博物館に対する襲撃事件でしたが、実際に切手が発行されたのは、昨年3月のブリュッセルでの連続テロ事件の後のことでしたから、圧倒的多数の善良なムスリム市民への不当な差別や攻撃を抑え、ムスリムと非ムスリムの共存を訴えるものとして、この切手を受け止める人も多かったのではないかと思われます。

 その一方で、ベルギー経済の停滞もあって、移民2世・3世のムスリムは実質的な就職差別にさらされることも少なからずあり、彼らの不満は鬱積しています。

 また、ベルギーでは、国内のフランデレンとワロンの対立から、総選挙後に連邦政府に長期間の政治的空白が生じることが常態化しており、たとえば、2010年の総選挙では連立交渉がうまくいかず、政治空白が540日も続いたほか、2014年5月の総選挙後も新政権発足までに4ヵ月半かかっています。

 こうした政治的空白は、かつては、地方政府の自治権が強いため、それによってカバーされる面もあったのですが、欧州統合を優先し、連邦政府が国民の生命・財産を守るという意識に乏しい(ように見える)という隙を突くかたちで、テロリストが流入したり、あるいは、現状に不満を持つベルギー人ムスリムの若者が“ホームグロウン・テロリスト”になるという構図が生まれることになりました。特に、ブリュッセル西郊のモレンベーク地区(9万の人口のうち、8割がムスリムとされる)は、2015年のパリ同時多発テロ事件でもテロリストの出撃拠点となっており、ダーイシュへの戦闘員供給地ないしはテロの温床として、その悪名をとどろかせているほどです。

 今回のパリでの襲撃事件は、AMAQの報道が事実だとすれば、またしても、テロの背景には“ベルギー”があったということになります。もちろん、ベルギー国内に居住するムスリムの圧倒的多数は善良な市民でしょうから、彼らに対するいわれなき差別や攻撃があってはならないのは当然で、その意味で、今回ご紹介の切手に見られるような“寛容”の精神は非常に重要なわけですが、そのためにも、十分な治安・テロリスト対策により国民の生命・財産がきちんと保存されなければならないことは言うまでもありません。要は、両者のバランスということなのですが、だとすれば、この切手と並行して、“反テロ”を訴えて、インパクトのある切手が発行されても良いような気がします。


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 切手歳時記:春雨じゃ 濡れてまいろう
2017-04-20 Thu 06:20
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2017年4月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      文通週間・駅逓寮

 これは、1970年に発行された国際文通週間の切手で、三代広重の『東京府下名所尽』の中から「四日市駅逓寮」が取り上げられています。

 きょう(20日)は「雨が降り百穀を潤す」とされる二十四節季の“穀雨”ですが、毎年、この時季は春雨の日が多くなります。

 もともと、春雨は“はる”と“さめ”を意味する「春小雨」と書かれていましたが、なるほど、小ぬか雨とも呼ばれるだけあって、穀雨の頃の雨は雨粒が小さく、柔らかに降るイメージがありますね。

 芝居の月形半平太は、京・三条の宿を出るときに、馴染みの舞妓、雛菊から「月様、雨が…」と声を掛けられ、「春雨じゃ 濡れてまいろう」と応ずるのが定番です。半平太のような色男の口から出ると、何とも粋な雰囲気になる台詞ですが、国語学者の金田一晴彦に言わせると、「これは春の京都に多い霧雨なので、傘をさしたところで濡れてしまう」ということなのだとか。

 身もふたもない説明ですが、それなら、春雨の街角には傘を差す人と差さぬ人が同じくらい歩いている風景というのがあってもよさそうなもので、なにかないかと考えていて、ふと思いついたのが、今回ご紹介の切手に取り上げられている「四日市駅逓寮」だったわけです。

 『東京府下名所尽』は1874年5月に刊行された作品。“駅逓寮”は、明治4年3月1日(1871年4月20日)に日本の近代郵便が創業されたときの“駅逓司”が同年8月に昇格して生まれた組織で、切手に取り上げられた庁舎はこの絵が刊行される前月の1874年4月に完成したばかりでした。

 郵便創業当時、駅逓司(後に駅逓寮)と東京郵便役所(現在の中央郵便局に相当)は四日市、すなわち、現在の東京都中央区の江戸橋南詰付近に置かれていました。当初の駅逓司の建物は、旧幕府の老朽化した魚納屋役場を改造したもので、駅逓頭・前島密の机も押入れを改造した中に置かれているというありさまでした。

 その後、郵便事業の発展とともに、駅逓寮の局舎も近代的なものに改築する計画が持ち上がり、1874年4月30日、瓦葺き木造漆喰仕上げ二階建ての洋風建築が完成します。入口上部の切妻中央に設置された直径4尺の舶来時計は時を知らせ、文明開化のシンボルとして、東京名所の一つでした。ただし、この建物は1888年2月の火災で焼失。現在、その跡地には日本橋郵便局が建てられ、その正面玄関には“郵便発祥の地”と記された石碑がはめ込まれています。

 三代広重の作品を見ると、玄関脇に満開の桜の木が一本植わっています。さすがに、4月末の竣工時には桜は散っていたでしょうから、あるいは、建物の外観ができあがった時点で絵筆をとったのではないかと推測できます。

 往来には傘を差した人物が3人ほど歩いていますが、画面手前の丁髷と思しき男衆(1871年に断髪令が出された後も丁髷を結ったままの人は多く、8割が断髪するまでには10年近くが必要だったそうです)は傘を差していません。

 新国劇で『月形半平太』が初演され、「春雨じゃ~」の名台詞が生まれたのは1919年のことでしたから、丁髷の彼らは、雛菊・半平太の物語など知る由もなく、春雨に濡れて歩いていたということになります。

 穀雨が過ぎると、だんだんと雨量が多くなってきて、傘なしで雨中を歩くのはしんどくなってきますから、そうした点からも、やはり、この絵も4月末より少し早い穀雨の頃の風景と考えるのが妥当でしょう。

 ちなみに、年によって若干の差があるものの、今年を含め、穀雨はたいてい4月20日です。“郵政記念日”と同じ日というのは偶然でしょうが、三代広重が描いた駅逓寮の絵をみていると、彼がその場所にいたのは、まさに穀雨の4月20日でなかったかと、ついつい根拠もないままに想像してみたくなるのでした。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 二条城ご難
2017-04-19 Wed 08:48
 きのう(18日)、京都市中京区の世界遺産・二条城で、国宝の二の丸御殿の廊下や庭園など、少なくとも46ヶ所で茶色の粉のようなものがまかれているのが見つかり、京都府警中京署が文化財保護法違反容疑で捜査しているそうです。というわけで、今日は二条城の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      二条城

 これは、1987年11月18日に発行された“世界歴史都市会議”の記念切手で、二条城・二の丸御殿の車寄と遠侍の屋根を中心に麻賀進の撮影した写真が取り上げられています。

 切手の題材となった世界歴史都市会議は、地方自治体の国際交流の一環として、1000年以上の歴史と50万以上の都市を中心に、京都市と歴史的類似性のある都市や姉妹・友好都市など世界各国の35都市 の市長を招いて開催したのがはじまりで、その第1回会議は1987年11月18-21日の4日間、京都市の国立京都国際会館で開催されました。

 第1回会議のテーマは「21世紀における歴史都市―伝統と創生―」で、①都市計画論、②文化遺産論、③都市産業論の3セッションに分かれ、意見交換が行われるとともに、「京都宣言」 が採択されました。

 また、会議では、同会議の継続開催のために、第1回会議に参加した26都市を会員として世界歴史都市会議協議会が設立され(事務局は京都に置かれ、京都市長が協議会会長を務めた)、フィレンツェでの第2回会議、バルセロナでの第3回会議を経て、1994年4月に第4回世界歴史都市会議が再び京都で開催されたのを契機に、1987年の京都宣言の目的を達成するために、従来の協議会を発展的に解消し、世界歴史都市連盟が設立され、現在にいたっています。

 歴史的にみると“二条城”と呼ばれた城は複数ありますが、切手に取り上げられているのは、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康が上洛時の宿所として築城したもので、1603年に落成しました。その後、天守や本丸の殿舎などは焼失し、現在は東大手門や北大手門などの門と、諸櫓の城郭建築のほか、二の丸御殿、御殿台所などが残っています。

 切手に取り上げられた二の丸御殿は書院造の最も豪華な実例で、車寄は現代家屋でいう玄関に相当し、遠侍は入城した参賀の諸大名の控えの間にあてられていました。また、二の丸御殿の大広間は、1867年、徳川慶喜が大政奉還を発表した場所としても知られています。

 なお、今回ご紹介の切手が発行された時点で、城と名のつく建造物で国宝に指定されていたのは姫路城松本城犬山城 、彦根城 、二条城の5件ありましたが、今回の切手に二条城が登場したことで、そのすべてが切手として出揃いました。その後、2015年に松江城が国宝に(再)指定されたことを受け、現在では、天守が国宝に指定されている姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城が“国宝5城”(二条城は含まれない)と呼ばれています。ちなみに、松江城も2001年のふるさと切手に取り上げられています。また、二条城の建築ではありませんが、その内部の装飾に関しては、狩野探幽の「松」の障壁画を取り上げた額面20円の普通切手が1972年に発行されています。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 世界の国々:マダガスカル
2017-04-18 Tue 12:24
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月12日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はマダガスカルの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      マダガスカル・稲作

 これは、1967年に発行された稲作の切手です。

 マダガスカルは1人当たりのコメ消費量が日本人の約2倍の年間120㎏で、農民の7割以上が稲作に従事しています。しかし、サイクロンなどの影響でコメの国内生産量は安定せず、コメ消費量の約10%は輸入に頼らざるを得ないのが実情です。このため、マダガスカル政府は、2008年からの10年間で、コメの収量を3倍に増加させるとともに、コメの輸出国になることを目指して、人手をかけた省資源・自然循環型の集約的水稲栽培法(SRI)を奨励しているが、SRIを導入しているのは全農家の3.5%にとどまっています。こうしたことから、JICAは人口が集中する中央高地での増産を目標に、さまざまな支援を行っています。

 さて、『世界の切手コレクション』4月12日号の「世界の国々」では、第二次大戦中のマダガスカルの戦いについての長文コラムのほか、世界遺産のツィンギ・デ・ベマラ、アンブヒマンガの王宮、アフリカ出身で最初に近代詩を書いたとされる詩人のジャン=ジョゼフ・ラベアリヴロ、カメレオンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、先週発売の4月19日号では、「世界の国々」はモンゴルを特集していますが、こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。


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 シリアの独立記念日(撤退記念日)
2017-04-17 Mon 10:33
 きょう(17日)は、1946年にシリアからフランス軍が撤退し、シリア共和国の完全独立が達成されたことにちなみ、シリアの独立記念日(撤退記念日)です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シリア・撤退記念日(1999)

 これは、1999年にシリアで発行された独立記念日(撤退記念日)の記念切手です。

 現在のシリア共和国に相当する地域は、第一次大戦後、フランスの委任統治下に置かれていましたが、1936年9月、「批准後3年間の暫定期間をおいてから、委任統治を終了させる」としたフランス・シリア条約が結ばれます。ただし、同条約では、3年後のシリア独立を定める一方で、「シリアは戦時の際にはフランスに協力し、空軍基地を提供するほか、シリア内にフランスが軍事拠点を維持する権利を認める」との項目も設けられていました。

 このため、1936年末にシリア議会はフランス・シリア条約を承認し、1937年1月から条約の定める“暫定期間”に入ったとしましたが、フランス議会は同条約を承認せず、独立問題は宙に浮いた状態になってしまいます。さらに、第二次大戦勃発直前の1939年5月、フランスはフランス・シリア条約の破棄を一方的に宣言。同年9月、第二次大戦が勃発すると、シリアの独立は棚上げにされてしまいました。

 1940年6月のフランス降伏当初、シリアはヴィシー政府の支配下に置かれましたが、1941年6月、英国に支援されたドゴール派の自由フランス軍がシリア・レバノンに進攻し、シリア・レバノンは自由フランスの支配地域となりました。

 自由フランスは、1941年9月27日にシリアの、同年11月26日にレバノンの、それぞれ“独立”を布告。このうち、レバノンに関しては、1943年にフランス軍が撤退して完全独立が達せられたものの、シリアに関しては英仏軍が駐留を継続し、完全独立は先延ばしにされました。

 このため、1944年1月 シリア議会は「フランスの委任統治を承認しない」と宣言。米英の支持を得て“シリア共和国”として枢軸側に宣戦布告するとともに、国際連盟創設のためのサンフランシスコ会議にも代表を派遣し、“戦勝国”としての立場を確保しようとします。

 さらに、1945年5月8日、ドイツが降伏すると、シリアでもフランス軍の撤退を求めて独立運動が本格化。これに対して、シリアの“独立”は、あくまでもフランス委任統治下での“自治”と強弁していたフランスは、5月29日、ダマスカスを空爆し、独立派の指導者を逮捕し、独立運動を力ずくで抑え込もうとしました。

 このため、サンフランシスコ会議に出席中だったシリア自治政府代表は、シリアの独立を連合諸国の首脳に訴えます。これを受けて、英国がシリア独立を支持し、他の参加国もこれに同調したため、最終的に、フランスは独立運動の鎮圧を断念。1946年2月、国連がフランス軍の撤退を決議し、4月17日、フランス軍はシリアから完全に撤退。シリア共和国の完全独立が達せられました。

 さて、現在、インターネット放送・チャンネルくららでは、原則として毎週木曜日、内藤がレギュラー出演する番組「楽しく学ぼう シリア現代史」を配信しております。番組は無料でご覧いただけますので、ぜひ、1人でも多くの皆様にご覧いただけると幸いです。


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 満洲帝国ビジュアル大全
2017-04-16 Sun 14:28
 ご報告が遅くなりましたが、洋泉社から『満洲帝国ビジュアル大全』(辻田真佐憲監修)が刊行されました。僕も、同書には「切手に見る『五族協和』の理想」と題する文章を寄稿していますので、きょうは、その中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      満洲国・建国10周年(五族協和)

 これは、1942年9月15日、新京郊外の南嶺総合競技場での建国十周年記念式典に合わせて、満洲国が発行した“慶祝建国十周年”の記念切手のうち、“五族の少女”を題材とした一枚です。

 今回ご紹介の切手は、満洲国が建国の理念として知られる“五族協和”を視覚化したものとして有名な岡田三郎助の「民族協和図」が元になっています。

 「民族協和図」は、1936年11月、満洲国の国務院庁舎の完成にあわせて作成されたもので、大きさ200号の大作。新京の国務院庁舎の正面玄関を入って正面の二階に向かう階段の踊り場の壁面に嵌め込まれていました。「慶祝建国十周年」の記念切手では、壁画の右側の部分が「農夫と漁夫」として三分切手に、中央からやや左側にかけての部分が「五族の少女」として今回ご紹介の切手に取り上げられています。ただし、どちらもオリジナルの作品をそのまま忠実に再現したわけではなく、3分切手は李平和が模写したうえで農夫と漁夫の服装の一部を修正しており、6分切手も山下武夫が模写したうえで蒙古女性の服装部分にも若干の修正を施しています。

 満洲国の建国の理念とされる“五族協和”は、1912年に中華民国が建国を宣言した際に、中国国内の主要五民族である漢族・満州族・蒙古族・回族(西域のイスラム系民族)・チベット族が協同して新国家の建設に当たるという意味で用いた“五族共和”に倣い、そこから回族とチベット族を外して、代わりに日本民族と朝鮮族を入れ、新国家建設の理念として掲げたものです。

 もっとも、満洲国内の五族が実際に平等の待遇に置かれていたわけではなく、明らかに、日本人が優先されていました。

 たとえば、満洲国の国語は中国語(北京語)・モンゴル語・日本語の3言語でしたが、このうち第一国語の地位を占めたのは、人口の圧倒的多数を占めていた漢族の中国語ではなく、人口の5%未満に過ぎない日本人の言語、日本語でした。こうした状況を反映して、たとえば、1941年5月2日、葉書の下部に各種の標語を入れた葉書が発行された際にも、その標語の言語構成は、中文16種類、和文12種類の計28種類となっており、国語の一角を占めていたはずのモンゴル語のものは発行されていません。

 ちなみに、満洲国が発行した全159種の切手のうち、モンゴル語の表示がある切手は、1940年9月10日に「臨時国勢調査」の周知宣伝のために発行された4分切手のみで、“五族”を構成する満州族の満洲語や、朝鮮人の朝鮮語に至っては、満洲国の切手に表示されることは一度もありませんでした。

 なお、満洲国とその切手については、拙著『満洲切手』でもいろいろと分析しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 太陽節
2017-04-15 Sat 10:29
 きょう(15日)は、1912年4月15日に金日成が生まれたことにちなんで、北朝鮮では“太陽節”の祝日です。特に今年は、朝鮮半島情勢が緊迫の度合いを強める中で、北朝鮮が何らかの対外的なアクションを起こすのではないかとの観測もあり、“太陽節”という単語が一般のメディアでも使われているほどですので、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・太陽節

 これは、1998年に北朝鮮が発行した“太陽節”の記念切手です。この時発行された記念切手は8種セットで、いずれも、太陽をイメージした円形の金日成切手(年代ごとの異なる肖像が入っています)を中央に配し、シートの余白には切手の肖像の年代に対応した写真などを入れたスタイルになっています。今回ご紹介の切手は、その最後にあたるもので、晩年の金日成の肖像と“永世”をイメージした花園が組み合わされています。

 さて、(北朝鮮国家によると)”民族最大の祝日”としての太陽節は、金日成の没後3周年にあたる1997年7月8日、朝鮮労働党中央委員会、同中央軍事委員会、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会、同中央人民委員会、同政務院の連名による決定書「偉大なる首領・金日成同志の革命生涯と不滅の業績を末永く輝かせるために」により、彼の生まれた1912年を元年とする“主体年号”の使用とともに決定されました。

 金日成はソ連占領下の北朝鮮で権力を掌握し、早くも、1946年には肖像入りの切手も発行されていますが、彼の誕生日が国家的規模で祝われるようになったのは、ソ連派・延安派の粛清を通じて彼が独裁的権力を掌握した1960年代以降のことで、切手としては、1962年に発行された“金日成元帥誕生50周年”の記念切手が最初の事例となります。

 その後、しばらく金日成誕生日の切手は発行されませんでしたが、1968年、突如、彼の誕生日に際して彼の肖像を描く切手と彼の幼年時代を題材とする切手が発行されます。これは、中国の文化大革命での金日成批判に反応した北朝鮮当局が、対抗措置として金日成の神格化を進めたことの一環として行われたものと推測されます。以後、1977年まで、原則として毎年4月15日には“金日成”に関する記念切手が発行されるようになりましたが、これらの記念切手は、いずれも、実質的には彼の誕生日を記念する切手であるものの、形式的には“金日成誕生日”ではなく、一応、別の題目が付けられました。ちなみに、金日成の誕生日が“全民族最大の祝日”として正式に決定されるのは、1974年のことでした。

 1978年から1981年までは、北朝鮮は金日成の誕生日に金日成関連の切手を発行していません。この時期は、党大会の開催が1980年10月までずれ込むなど、北朝鮮の経済不振は深刻さを増しており、金日成誕生日の記念行事も規模が縮小されていたため、それに伴い、記念切手の発行も見送られていたのでしょう。

 しかし、1980年の党大会で金日成の後継者としての地位を確保した金正日が、1982年の金日成古希記念事業を積極的に推進するようになると、1982年に金日成古希の記念切手が発行されます。そして、1984年以降、毎年4月15日には“金日成誕生日”の記念切手が発行されるようになりました。

 ちなみに、1960年代末から1970年代にかけて金日成の誕生日に発行されていた切手の場合、金日成の生涯やその事跡が題材として取り上げられる場合が多かったのですが、1980年代以降の誕生日記念切手は、万景台の彼の生家や発行当時の彼の肖像を取り上げたものが主流となっています。これは、前者が、純粋に金日成個人崇拝を強化する目的で発行されていたのに対して、後者は、金日成神格化の余徳により金正日の権威を強化することに力点が置かれていたことによるものでしょう。

 なお、1994年7月、金日成は亡くなりますが、彼の死後もその誕生日には記念切手が発行されつづけ、1997年7月、「太陽節」が制定されたことで、今回ご紹介の切手を皮切りに、1998年以降は“太陽節”の記念切手が毎年発行されています。

 ちなみに、金日成と北朝鮮国家の成立事情については、先日、重版出来となったばかりの拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 マレーシアの国家記念碑
2017-04-14 Fri 12:25
 日本とマレーシアの国交樹立60年を記念して、昨日(13日)からマレーシアを公式ご訪問中の皇太子殿下は、けさ(14日朝)、クアラルンプールの国家記念碑に供花されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      マレーシア・国家独立記念碑  国家記念碑(実物)

 これは、1966年2月8日にマレーシアで発行された“国家記念碑”の切手です。隣には、2014年12月に開催の国際切手展<MALAYSIA 2014>に参加した際、現地を訪れて撮影した記念碑の写真を貼っておきました。

 第二次大戦以前、英国支配下のマレー半島は、①ペナンマラッカシンガポールを中心とした直轄の海峡植民地、②スルタンを通じて間接統治を行うマレー連邦州(ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハン)と、③マレー連邦への加盟を拒否したスルタンの非連邦州(ジョホールクランタンクダー、トレンガヌ)に分かれていました。

 第二次大戦中、これらの地域は日本軍に占領されましたが、戦後、日本軍が撤退すると英国は植民地支配の再開にあたって、シンガポールを除くマレー半島をすべてマラヤ連合として統合しようと考えます。このときのマラヤ連合の構想では、スルタンの権限を縮小し、各州に配置される英国人知事が行政を担当することになっていたほか、中国系やインド系を含むすべての人種に平等な市民権を与えるなどの方針となっていました。

 このため、人口的には多数派を占めていながら、経済的には少数派の華人の後塵を拝し続けてきたマレー人は、英国の提案した“平等”に猛反発。このため、一応、1946年にマラヤ連合は発足したものの、英国は翌1947年にマラヤ連合との間でマレー人の特権を認める連邦協定を結び、1948年にマラヤ連邦が発足します。その後、10年間の独立運動を経て、1957年8月31日にマラッカでマラヤ連邦の独立が正式に宣伝されました。

 この間、マラヤ共産党は、1948年2月にインド共産党主催でカルカッタで開かれた「東南アジア青年会議」を経て、同年3月、“革命武闘路線”を採択。港湾労働者や運輸労働者、工場にストライキを呼びかけ、同年のメーデーでデモ行進を行い、シンガポール政府と武力衝突を起こしました。これに対して、英植民地政府が組合指導者を追放すると、5月31日、共産党指導部は地下に潜行して武闘指令を発し、各地で欧州人の農園主や右派系の独立活動家等を殺害。このため、6月17日、英植民地政府はマレー全土に緊急事態を宣言し、翌7月23日には共産党と関連組織に活動禁止令を出し、1000人以上を逮捕しました。
 
 その後、ジャングルに潜伏した共産ゲリラは、多くの一般市民を巻き添えにしながら、反英闘争を継続。さらに、1957年の独立後、彼らはマレーシア国軍とも戦い、1960年の停戦まで、多くの若者が命を落としました。

 今回ご紹介の国家記念碑は、1948年以降の独立闘争の過程で、共産ゲリラとの戦いで亡くなった兵士たちの慰霊のために建てられたもので、高さ約15m のブロンズ像です。作者のフェリック・デ・ウェルトンは米アーリントンの硫黄島記念碑(合衆国海兵隊記念碑)の製作者で、マレーシア国旗を掲げ、勇敢に戦う7人の兵士の姿が表現されています。

 * 昨日のNHKラジオ第1放送、「切手でひも解く世界の歴史」は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。次回放送は4月27日の予定ですので、引き続きよろしくお願いいたします。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 NHKラジオ第1で「切手でひも解く世界の歴史」スタート!
2017-04-13 Thu 08:20
 本日(13日)から、原則として隔週木曜日の16時台前半、NHKラジオ第1放送で、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします(番組の詳細はこちらをご覧ください)。初回のきょうは、タイ及び近隣の旧正月にあたる水かけ祭“ソンクラーン”の日ということで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      ラーマ5世・ルアンパバーン消

 これは、現在はラオス領となっているルアンパバーンの消印が押されたタイ最初の切手です。

 1868年にラーマ5世が即位した頃のタイは、現在の国名でいうラオスのほぼ全域やベトナムの北部、カンボジア西部、さらには、マレーシアの北部までをも勢力下に収めた域内の大国でした。もっとも、チャクリー王朝(現王朝)の直接支配はその全域に及んでいたわけではなく、地方の小領主がバンコクの王室に服属し、結果として緩やかな連合国家を形成されていたというのが実態でした。

 英仏列強はこうしたタイ国家の構造を利用して、周辺の属国をチャクリー王朝の支配下から切り離すことで領土を拡大していったわけですが、そのプロセスを、年表風に記すと以下のようになります。

 1888年 シップソーンチュタイ(ベトナム北部)をフランスに割譲
 1892年 シャン族5王国と東カレン族の国をイギリスに割譲
 1893年 シャム危機:砲艦外交に屈して、メコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲
 1904年 シャム危機での賠償金支払い完了までの保障占領としてチャンタブリーとトラートに駐留していたフランス軍の撤退を求めて、メコン川右岸のマノープライ、チャンパーサック、ルアンパバーン州をフランスに割譲
 1907年 フランスのアジア系保護民の治外法権撤廃軍の代償として、カンボジアのバタンバン、シムエレアプ、シーソーポンをフランスに割譲
 1909年 英保護民の治外法権撤廃の代償として南部のクダ、ペルリス、クランタン、トレンガヌ4州の宗主権を英国に割譲

 この年表からもお分かりいただけるように、1904年まではルアンパバーンはタイ領であり、当然、タイの切手が使われていたため、今回ご紹介のようなマテリアルが生まれたわけです。
 
 さて、これら6回にわたる領土の割譲で、タイが失った総面積は30万平方キロにも達しました。タイは、こうした多大なる代償と引き換えに、東南アジアにおける英仏の緩衝国という立場を確保し、独立を保ったといえます。

 もちろん、タイの損失が一部領土の割譲にとどまり、独立国として存続しえた背景には、ラーマ5世による一連のチャクリー改革が一定の成果をあげ、曲がりなりにも“近代国家”の一員として国際社会から認知されていたという事情も見逃してはならないでしょう。1883年に創業したばかりのタイ郵政が、早くも1885年7月1日付で国際的な郵便交換の組織である万国郵便連合に加盟し、それに伴い、前日の6月30日をもってバンコクの英国局が撤退していたということは、その象徴的な出来事と見ることができます。

 今日の放送では、ラーマ5世時代のタイの例から、切手に押されている“消印”の地名から、その国の支配の領域がわかるというお話をするつもりです。聴取可能な方は、ぜひ、このブログと併せてお聞きいただけると幸いです。

 なお、次回の放送は、4月27日(木)の16時台前半、フランス大統領選挙にちなんだ話題をお話しする予定です。詳細につきましては、あらためて、このブログでもご案内いたしますので、今後ともよろしくお付き合いいただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 

 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 世界の国々:ガイアナ
2017-04-12 Wed 08:21
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月5日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はガイアナの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ガイアナ・凧

 これは、ガイアナが発行した1974年のイースター切手で、エディ・カイトが描かれています。

 南米の低緯度地帯にあるガイアナでは、毎年、1-4月は貿易風が強く、凧揚げシーズンとされていますが、特に、イースターに際しては、空高く舞い上がる凧を、生き返ったキリストが天から地へ舞い降りてくる姿に見立て、各地の海岸で凧揚げ大会がさかんに行われています。今回ご紹介の切手もそうした事情を踏まえたもので、ダイヤモンド型のエディ・カイトの十字の骨組を磔刑のキリストになぞらえたデザインとなっています。ちなみに、エディ・カイトは、1898年のシカゴ万博に展示されたマレー凧をヒントにウィリアム・エディが開発したもので、1900年3月に特許取得となりました。

 さて、『世界の切手コレクション』4月5日号の「世界の国々」では、世界一の珍品切手で知られる英領ギアナの1セント切手についての長文コラムのほか、金鉱床、レモンハートのラムで知られるデメララ川、オオオニバスの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のガイアナの次は、先週5日に発売された4月12日号でのマダガスカルの特集(2回目)になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。


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 日本近代文学館50年
2017-04-11 Tue 09:34
 1967年4月11日に日本近代文学館が開館してから、今日で50年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      日本近代文学館開館

 これは、1967年4月11日に発行された“日本近代文学館開館”の記念切手です。

 明治維新からほぼ一世紀が過ぎた1960年代に入ると、明治以降の近代文学に関する資料の散逸が各方面で問題視されるようになりました。このため、作家の高見順や小田切進らの間で、1961年頃、近代文学に関するあらゆる資料を広く収集・保存し、一般の閲覧に供するために“日本近代文学館”を設立しようというプランが持ちあがります。

 その実現に向けて、1962年7月、高見順、伊藤整、小田切進、久松潜一、稲垣達郎らを発起人として「日本にはまだ近代文学の関係資料を保存する専門図書館がありません」との書き出しで始まる「日本近代文学館設立趣意書」が発表され、文学館建設に向けての具体的な活動が開始されました。この呼びかけに対しては、早くも1962年末までに1100万円の基金や4万点の図書雑誌類が寄贈され、翌1963年4月、これを基にして財団法人・日本近代文学館が設立されます。

 こうして、本格的な文学館建設のための準備作業が本格的に開始され、その第一段階として、1964年11月、東京の上野図書館(国立国会図書館支部・上野図書館)内に日本近代文学館文庫が設けられました。

 文学館の建物の建設は、翌1965年8月16日から東京・目黒区の東京都立駒場公園内で工事が開始されました。その後、2年弱の年月と7億円の総工費をかけて、1967年4月11日、地上2階・地下3階で閲覧室・書庫(収容能力50万冊)・資料室(収容能力10万点)・ホール・研究室などを備えた、わが国最初の近代文学専門図書館として“日本近代文学館”が開館しました。なお、初代理事長は作家の伊藤整でした。

 日本近代文学館の開館に際して記念切手を発行することは、1967年1月22日に開催された郵政審議会専門委員会打合会で正式に決定されましたが、発行期日を勘案すると、切手制作のための準備はその前から内々に進められていたと見るのが自然でしょう。

 記念切手は、文学館の全景を描いたもので原画作者は久野実です。一方、切手発行と同時に用いられた特印は、夏目漱石の『吾輩は猫である』初版本の表紙に森鴎外と樋口一葉の印影を配したもので、こちらは大塚均がデザインしました。

 今回の記念切手に関しては、文学館の建物をストレートに描いた図案が安易だとの批判も一部にありましたが、文学館そのものへの社会的な関心の高さもあって売れ行きは好調だったようで、発行早々、売り切れとなった郵便局も少なからずあったと報告されています。


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 きょう、ピュリッツァー賞授賞式
2017-04-10 Mon 11:44
 きょう(10日)は、ジョーゼフ・ピュリッツァーの誕生日(1847年)です。今年は、彼の生誕170周年にして、彼の冠した“ピュリッツアー賞”の第1回授賞式が1917年に行われてから100周年ということで、彼の誕生日にあたる今日、授賞式が行われるそうです。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ピュリッツァー生誕100年

 これは、1947年に発行されたピュリッツァー生誕100周年の切手で、彼の肖像と、自由の女神を背景に「我々の共和国と報道は一蓮托生だ」との彼の言葉が取り上げられています。

 ピュリッツァー賞にその名を留めるジョーゼフ・ピュリッツァーは、1847年4月10日、ハプスブルク帝国支配下のハンガリー南部のマコーで、ユダヤ人家庭に生まれました。南北戦争中の1864年、米国に移住し、北軍兵士としての従軍経験を経て、1868年、コロンビア大学を卒業します。

 その後、ミズーリ州セントルイスでドイツ語の日刊紙『ウェストリッヒ・ポスト』で働き始めるとともに、共和党に参加し、1869年にはミズーリ州議会議員に選出されました。

 ちなみに、現在でこそ、米国の民主党はマイノリティの権利を尊重するリベラル派というイメージが定着していますが、これは、20世紀のフランクリン・ローズヴェルト政権以降のことです。一方、共和党は、もともと、1854年に奴隷制反対を掲げ、南部を牙城とする民主党に対抗するために結成されたという経緯もあって、19世紀の時点では、民主党に比べると、人種間の平等という点でははるかにリベラルな立場を取っていました。

 さて、州議会議員としてセントルイスでの社会的な地歩を固めたピュリッツァーは、1872年、3000ドルで『ウェストリッヒ・ポスト』を買収。さらに、1878年には、ライバル紙の『セントルイス・ディスパッチ』を2700ドルで買収し、2紙を統合して『セントルイス・ポスト・ディスパッチ』を創刊し、セントルイスのメディアを牛耳る存在となります。

 ローカル紙で成功を収めたピュリッツァーは、全米制覇の足掛かりとして、“泥棒男爵”ことジェイ・グールドが所有していた『ニューヨーク・ワールド』(以下、『ワールド』)紙に目をつけます。当時、米国内の鉄道を盛んに買収していたグールドにとって、年間4万ドルの赤字を垂れ流していた『ワールド』の売却話は渡りに船でしたから、1883年、同紙は34万6000ドルでピュリッツァーに売却されました。

 『ワールド』を買収したピュリッツァーは、1833年に創刊の『ニューヨーク・サン』が大衆向けに犯罪報道や、自殺、死去、離婚といった個人的事件を報道して成功していたことに倣い、よりセンセーショナルなスキャンダル中心の編集方針を掲げます。彼の狙いは見事に当たり、1883年に1万5000部しかなかった『ワールド』の部数は、1885年には米国最大の60万部にまで急増しました。

 『ワールド』の躍進を支えた名物記者としては、1887年に入社した女性記者のネリー・ブライ(本名:エリザベス・ジェーン・コクラン。ユダヤ人ではなくアイルランド系)が有名です。彼女は、患者を装ってブラックウェル島の女性精神病院に潜入し、秘密を調査し暴露したほか、1888年にはジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』をモデルとして実際に世界一周リポートを行うなど、当時としては斬新な企画で多くの読者を獲得しました。

 米国一の新聞王となったピュリッツァーは、1892年、母校のコロンビア大学に世界初のジャーナリズム・スクールを設立する資金の提供を申し出ましたが、当時の学長セス・ロウはこれを拒絶しています。生真面目な学者のロウからすれば、ユダヤ人で、なおかつ“いかがわしい新聞”の発行者からの資金など受け取れないということだったのでしょう。ちなみに、ピュリッツァーの資金でコロンビア大学にジャーナリズム大学院が設立されるのは、彼が亡くなった後の1912年のことでした。

 さて、1895年2月17日、それまで雑誌『トゥルース』に連載されていたリチャード・F・アウトコールトの漫画『ホーガンズ・アレイ』が、『ワールド』に場所を移して連載スタートします。『トゥルース』での『ホーガンズ・アレイ』はモノクロの不定期連載でしたが、『ワールド』では同年5月5日からカラー版が掲載されるようになり、ニューヨークではその人気が沸騰しました。

 ところが、ほぼ時を同じくして、1895年に『ニューヨーク・ジャーナル』紙(以下、『ジャーナル』)を買収したアイルランド系プロテスタントのウィリアム・ランドルフ・ハーストは、同紙の目玉として、アウトコールトを引き抜き、『ホーガンズ・アレイ』は主人公のイエロー・キッドにちなんで『イエロー・キッド』と改題されて『ジャーナル』での新連載が始まりました。

 人気のコンテンツを横取りされた格好のピュリッツァーは、対抗措置として、画家ジョージ・ラックスにイエロー・キッド漫画の新シリーズを書かせ、連載を継続します。この結果、イエロー・キッドの漫画が競合2紙で同時に連載されるという前代未聞の事態となりました。

 三流新聞を揶揄していう“イエロー・ペーパー”との表現は、『ワールド』と『ジャーナル』が、いずれもセンセーショナルな記事を特徴とした大衆紙だったことにくわえ、イエロー・キッド漫画を掲載していたことに由来するものです。

 ちなみに、イエロー・ペーパーに対して、“クオリティ・ペーパー”の筆頭とされることの多い『ニューヨーク・タイムズ』ですが、1851年創刊の同紙は、1896年、『チャタヌーガ・タイムズ』紙の経営者でユダヤ系移民2世のアドルフ・オークスによって買収されています。

 生粋の新聞人として、『ワールド』と『ジャーナル』のイエロー・ペーパー戦争を苦々しく思っていたオークスは、「恐怖や好みに陥らない、公平なニュースを届ける」ことを編集方針の基本とし、1897年からは新聞の第一面に“All The News That's Fit To Print(印刷に値するニュースのすべてを)”とのスローガンを掲げ、『ワールド』や『ジャーナル』に対して真っ向から勝負を挑みました。

 オークスは、資金的には必ずしも余裕があるわけではなかったにもかかわらず、広告も内容も吟味して不良スポンサーを排除し、料金も一部3セントから1セントに値下げします。そのうえで、質の高い編集方針を維持することで、1年で部数を3倍に延ばし、現在の同紙の基礎を築きました。

 一方、イエロー・ペーパーとしての『ワールド』と『ジャーナル』の熾烈な競争は、やがて、1898年の米西戦争につながっていきます。

 スペイン領だったキューバの地主たちの間では、19世紀を通じて製糖業と米国市場との結びつきが深まっていくにつれ、米国への統合を望む声も高まっていきましたが、1890年代半ばまでの米政府は、ヨーロッパの植民地主義に対する国民の嫌悪感に加え、いずれスペインはキューバを売却するものと確信していたこともあり、武力によってキューバを併呑することには否定的な態度をとりつづけていました。

 こうした背景の下で、1895年4月、ホセ・マルティを指導者とする独立戦争(1868-78年の独立戦争と区別して第二次独立戦争ということもある)が勃発。マルティは「米国に統合してもキューバ人は幸せにならない」と主張してキューバ革命党を結成したカリスマ的人物でしたが、開戦早々に戦死してしまいます。しかし、その後もキューバ人による独立運動は粘り強く続けられ、マクシモ・ゴメス将軍ひきいる独立軍はスペイン軍をあと一歩のところまで追い詰めるところまでこぎつけました。

 キューバの独立戦争がはじまると、米国内では、『ワールド』と『ジャーナル』は、スペインの“暴政”をセンセーショナルに取り上げ、自由を求めて戦うキューバ人を救い、米国の権益(米国はキューバの砂糖農場に莫大な投資をしていました)を擁護するためにも、スペインを討つべしとの世論を誘導します。

 こうした状況の中で、1898年2月、ハバナ港に停泊中の米戦艦メイン号が爆発し、将兵ら266名が亡くなる事件が発生。現在では、爆発はメイン号の内部機関のトラブルによるものとの説が有力となっていますが、このことが明らかになるのはずっと後のことで、当時の『ワールド』と『ジャーナル』は、事件をきっかけに、より強烈な反スペイン・キャンペーンを展開しました。

 「風景は散文詩にしかならない。キューバに戦争はない」と報告してきた特派員からの電報に対して、ハーストが「君は散文詩を提供せよ。僕は戦争を起こす」と返電したというエピソードは、映画『市民ケーン』にも採用されていますから、ご存じの方も多いかと思いでしょう。

 案の定、加熱するキャンペーン報道に煽られた米国の世論は「メイン号を忘れるな」のスローガンとともに沸騰。4月25日、米国政府は、ついに、スペインに対して宣戦を布告し、米西戦争が勃発。戦争の結果、キューバは米国の勢力圏に組み込まれることになります。

 このように、米西戦争は新聞が誘導した戦争として、メディアの歴史において特筆すべき出来事ですが、その一端を、ユダヤ人のピュリッツァーが経営する『ワールド』が担っていたということは、後に、“メディアを牛耳るユダヤ人”というイメージが形成される一因になったのではないかと思います。

 なお、米西戦争については、拙著『反米の世界史』でも、まとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 『朝鮮戦争』 重版出来!
2017-04-09 Sun 10:52
      朝鮮戦争・倉山工房

 おかげさまで、2014年8月に刊行の拙著『朝鮮戦争:ポスタルメディアから読み解く現代コリア史の原点』(えにし書房)が、昨日(8日)付で重版となりました。これもひとえに、皆様のご支援の賜物です。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。なお、冒頭の画像は、今回の重版を受けて、インターネット放送・チャンネルくららでお世話になっているご縁で、倉山工房の方が作ってくださったコラージュです。

 拙著『朝鮮戦争』は、公益財団法人 韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けた「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として刊行したもので、1945年の“解放”以来の南北朝鮮および関連地域の切手や郵便物を駆使して、1945年から朝鮮戦争の休戦が成立する1953年までの朝鮮半島現代史を再構成しようとしたものです。具体的には、

 ・北朝鮮によるプロパガンダの嘘は切手や郵便物を見れば見破れる
 ・解放後の朝鮮半島ではしばらくの間日本時代の切手葉書消印がそのまま使われ、“解放記念”の切手も日本で作られた。
 ・朝鮮戦争の“国連軍”に参加した米軍以外の各国の軍隊組織の具体的な活動を切手や郵便物を交えて紹介
 ・竹島問題の発生と切手・郵便の関係
 ・戦争の混乱を逃れて朝鮮半島から日本に大量の難民が流入する一方、志願兵として戦争に参加し、捕虜となった在日コリアンの物語

といった話題も含まれています。

 今回の重版は、初版の刊行以来、少しずつ売れてきた拙著の出版元在庫がなくなったことに伴うものですが、韓国の朴槿恵前大統領の失職と逮捕、北朝鮮による相次ぐミサイル発射(実験)金正男の殺害事件など、朝鮮半島情勢が急速に緊迫の度合いを強めているタイミングと重なったことは、ある意味で、天のお導きがあったということなのかもしれません。朝鮮半島の現状と今後を考えるうえで、この地域の現代史の原点に立ち返って、韓国や北朝鮮がどういう国なのかを知っておくことは意義のあることではないかと思われますが、拙著をその一助としてご活用いただければ幸いです。

 なお、今回の重版にあたり、鈴木康嗣さんのご協力を得て、可能な限り、初版にあった変換ミスや誤記などを修正し、いままで以上に、末永く皆様にお付き合いいただける本に仕上がりました。今後とも、よろしくお付き合いいただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 花まつり
2017-04-08 Sat 09:59
 きょう(8日)は、お釈迦様の誕生を祝う“花まつり”の日です。というわけで、毎年恒例、お釈迦様ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾・古代仏像小型シート(2001)

 これは、2001年に台湾で発行された“古代仏像郵票”の小型シートで、上段に“北魏 釈迦牟尼仏坐像”、下段左に“唐 仏坐像”、下段右に“宋 大日如来坐像”の3枚の切手を組み合わせ、背景に北魏の像の光背後部(裏面)の彫刻を配しています。

 上段の切手に取り上げられた北魏・釈迦牟尼仏坐像は青銅鍍金で高さ40.3cm、重量3954g。釈迦牟尼仏は、2層の台座に結跏趺坐をして右手は施無畏印を結んでいます。釈迦牟尼像と台座は合わせて鋳造されており、台座後部に「太和元年九月十日安/熹縣堤陽□□╱願己身為□□╱母造釋加╱聞佛、又╱為居家眷屬╱大小現世安隱、亡者生天╱宣語諸佛、所願如╱是、故記之耳」の銘があることから、北魏・孝文帝時代の477年の制作であることがわかります。

 台座の上段は須彌座で、蓮が花開き、側面には唐草文が施されており、前方には立ち上がった獅子2頭があります。下段の方形座には波状の文様が施され、両側に信徒の姿が彫刻されています。

 光背後部の彫刻は3層に分かれており、上段には、「維摩詰経・文殊問疾品」から、釈迦と多宝仏が坐した塔(この部分は切手で隠れています)と、両側に如意を手にした文殊菩薩と塵尾を手にした維摩菩薩が向かい合い語らっている場面が彫刻されています。中段の彫刻は初転法輪の図で、両側には釈迦に仕える2人の比丘がひざまずいています。下段には、誕生したばかりの釈迦が天と地を指差し、左側に摩耶夫人が、右側に釈迦の湯浴みを手伝う龍王とひざまずく帝釈天梵天が配されています。ただし、今回ご紹介のシートでは、右手を挙げている釈迦の半身が下段の切手の間から見えているだけで、その他の部分はほぼ切手は隠されています。

 ちなみに、昨年、世界切手展<PHILATAIPEI 2016>の合間に台北の国立故宮博物院を参観した際、切手に取り上げられた北魏の像の実物を拝んできました。その時撮影した光背後部の画像はちょっとハレーションを起こしていて見づらいのですが、切手では隠されている部分を含めて、全体像がイメージできますので、正面からの画像と併せて下に貼っておきます。

      北魏・釈迦牟尼仏坐像(実物)  北魏・釈迦牟尼仏坐像裏(実物)

 なお、拙著『切手が伝える仏像』では、今回ご紹介の切手を含め、世界のさまざまな仏像切手をご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
  

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 無事帰国しました。
2017-04-07 Fri 02:12
      メルボルン展終了直後

 昨晩、無事メルボルンから帰国いたしました。アジア国際切手展<Melbourne 2017>の会期中ならびに会期終了後のガダルカナル取材では、多くの方に大変お世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 冒頭の写真(以下、記事中の写真はすべてクリックで拡大されます)は、展覧会の終了後、作品のピックアップを終えて宿に戻ってきたときに、拝領したばかりの賞状を手に、現地で購入したセーターを着て、友人に撮影してもらったものです。今回は審査員でもなければ、コミッショナーでもなく、純粋に一出品者としての切手展参加でしたので、メルボルン滞在中は、あえてオフィシャル・ホテルには泊まらず、キッチン付のサーヴィス・アパートメントを借り、マーケットで肉や魚介類、野菜などを調達して自炊したり、友人を招いて一緒に食事をしたりしていました。

 さて、今回の切手展では、僕の出品作品は以前と同じ金賞を頂戴しましたが、1日のパルマレスで拝領したメダルは、切手展のロゴをベースに、賞のランクに応じて金・銀・銅などの色分けされた1913年のカンガルー切手を貼り付けたデザインでした。(下の画像)

      メルボルン展・メダル

 賞のランクを示すカンガルー切手の部分をトリミングしてみたのが下の画像で、実際の切手を並べるとこんな感じになります。

      メルボルン展・メダル(部分)  オーストラリア・カンガルー(1913年・1ペニー)

 1901年1月1日、オーストラリア連邦が成立する以前、濠洲大陸では地域ごとに植民地の自治政府が存在し、それぞれ個別に切手を発行していました。具体的には、1850年にニュー・サウス・ウェールズで発行された“シドニー・ヴュー”を皮切りに、1850年にはヴィクトリアが、1853年にはタスマニアが、1854年にはウェスタン・オーストラリアが、1855年にはサウス・オーストラリアが、そして1860年にはクイーンズランドが、それぞれ最初の切手を発行しています。

 1901年1月1日に連邦が発足すると、各自治政府は連邦の州となり、「郵便・電信・電話その他これに類する事業」は連邦政府が行うとの憲法の規定に従い、同年3月1日には、連邦郵政省が設立されます。しかし、実際には、その後も各州独自の切手発行は続けられ、郵便料金も州ごとに異なったままでした。

 このため、まずは1911年5月1日、連邦政府は“大英帝国”の一部として英本国と同様の郵便料金体系を連邦全土に統一的に導入するとともに、連邦統一の切手を発行すべく、デザインを公募。その結果、1000点を超える応募作品の中から、オーストラリア地図を背景にカンガルーを描くデザインが採用され、1913年1月2日、オーストラリア連邦として最初の切手(半ペニーから2ポンドまでの15額面)が発行されました。今回、メダルの画像の脇には、メダルの色に近いということで、そのうちの1ペニー切手を並べてみました。 
 
 ちなみに、今回の切手展会場では、オーストラリア郵政のブースで、1913年のカンガルー切手をデザインしたチョコレートも販売されていました。

      オーストラリア・カンガルー切手チョコ

 このチョコレートは、ただ単に、パッケージにカンガルー切手が印刷されているだけでなく、下の画像のように、パッケージの裏面にはステーショナリーとしての額面がついていて、そのまま宛名を書けば、オーストラリア国内の宛先に郵送できる仕掛けになっています。

      オーストラリア・カンガルー切手チョコ(裏面)

 パッケージのデザインは、他にもいろいろありましたので、お遊びとして、オーストラリアの印面付チョコレートのコレクションをまとめてみるのも楽しいかもしれません。

 なお、今年は、この後、8月にインドネシア・バンドンで、10月にブラジル・ブラジリアで、それぞれ世界切手展が予定されています。このうち、8月の切手展に関しては、セカンド・コミッショナーとして、ファースト・コミッショナーの山崎好是さんをサポートすることになっており、関係の皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。
 

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 フィジーにも寄ってきました。
2017-04-06 Thu 00:03
 昨晩(5日)、ガダルカナルでの取材を終え、フィジー・ナンディ経由でメルボルンに戻ってきました。というわけで、ガダルカナルほどではないにせよ、フィジーもやはり滅多に行く場所ではないので、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・ナンディ国際空港

 これは、1961年にフィジーで発行されたナンディ空港(現ナンディ国際空港)を描く切手です。ちなみに、トランジットでナンディ市内に出た時に撮影した駐機場の写真(左)と、メルボルン行きの飛行機に搭乗する時に見た空港での夕陽の写真(右)も、貼っておきます。

      ナンディ国際空港・駐機場  ナンディ国際空港・夕陽

 ナンディはフィジー諸島中最大の島、ヴィティ・レヴ島西部の都市で、空港はナンディ市の中心部から8Kmほどの地点にあります。ナンディにヴィティ・レヴ島最大の空港が置かれるようになったのは、ひとえに、島の西部というナンディのロケーションがオーストラリアやニュージーランドとの交通に便利と考えられたためです。

 最初の飛行場は、英植民地当局の出資により、1939年8月からニュージーランドが建設し、1940年3月に運用が開始されました。その後、日本との開戦に備え、米軍はニュージーランドに空港の拡張を養成。これを受けて、1941年11月以降、拡張工事が行われ、日米開戦後の1942年4月までに新滑走路2本の建設を含む工事が完了しました。その費用は、当初見積もりの25万ポンドでも巨額すぎるとして問題になっていましたが、最終的に75万ポンドにまで膨らんでいます。

 日本との戦争が始まると、ナンディの飛行場は米空軍の基地となり、ソロモン諸島フィリピンの日本軍の拠点を攻撃するうえで重要な役割を果たしました。

 大戦後は、1946年12月20日付で空港の管轄権はニュージーランドに移され、1947年以降、ニュージーランド民間航空局が運営していました。1960年代前半には、ニュージーランドのオークランドから北米及び欧州に向かう路線は原則としてすべてナンディ経由です。1970年のフィジー独立に伴い、新生フィジー政府が運営に参加するようになり、1979年以降は、フィジー政府が単独で運営しています。ちなみに、かつての空港は、椰子の木やハイビスカスの木がエプロンの日よけのために植えられており、南国情緒豊かな景観となっていましたが、度重なる空港の拡張に伴い、現在ではそれらは撤去されています。

 全くの余談ですが、空港で出国手続きをした後、免税店街のフードコートを覗いてみると、ニュージーランドで定番のデザートとされているホーキーポーキー・アイスクリームが売られていたので、一つ買ってみました。(下の画像)

      ホーキーポーキー(実物)

 ナンディ空港へのニュージーランドの影響は、こんなところにも残っているということなのかもしれませんね。      

 さて、きょうは午前中のフライトでメルボルンを発ち、夜には成田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通りの仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。
 

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 ピンクダイヤに79億円
2017-04-05 Wed 07:12
 きのう(4日)、香港のオークションに世界最大級のピンクダイヤモンド“ピンクスター”が出品され、5億5300万香港ドル(約78億7700万円)で落札されました。落札者は香港宝飾品大手の周大福珠宝で、宝石の競売では過去最高レベルの高値だそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・ピンクダイヤモンド(仮)

 これは、先日のアジア国際切手展<Melbourne 2017>会期初日の3月30日にオーストラリアが発行した“貴重なる美”と題する宝石切手のうち、会場内限定で日替わり販売されたピンクダイヤモンドの切手の小型シートです。今回の切手展では、切手展そのものの記念切手は発行されませんでしたが、“貴重なる美”の切手を1枚ずつ収めた小型シートが日替わりで1種ずつ発行されており、その余白には切手展のロゴが入っています。今回ご紹介の切手は、日替わり小型シートの先陣を切って、会期初日に発行されたもので、僕も郵便局の行列に並んで入手しました。(行列の写真は、この記事のオマケとしてアップしてあります)

 さて、ピンクダイヤモンドは、1979年、オーストラリア・キンバリー州のアーガイル鉱山で採掘されました。本来無色であるはずのダイヤモンドがなぜピンク色になるのか、その理由は解明されていませんが、 毎年3900万ctものダイヤモンドが採掘される鉱山でも数百万ct中、数ctぐらいしか見つからず、文字通りの稀石として珍重されています。

 今回、オークションに出品されたピンクスターは、大きさが59.60カラット(11.92グラム)で、1999年に南アフリカ共和国で掘り出され、2年以上をかけてカットされたものです。2013年にジュネーヴでのオークションで、約8300万米ドルで競り落とされたものの、落札者が代金を支払えなかったため、品物がサザビーズに戻され、今回、オークションに出品されたということです。

 昔から、切手の世界でも名品は“紙の宝石”と称されてはいるのですが、オークションでの史上最高値を記録した英領ギアナの1セントでも10億円には届かないところからすると、残念ながら、やはり本物の宝石にはかなわないということなんでしょうかね。

 * 本日の切手の画像は、とりあえず、仮の画像を使っていますが、帰国後、きちんと実物からスキャンした画像に差し替える予定です。

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 ガダルカナルに来ています。
2017-04-04 Tue 01:22
 きのう(3日)の記事にも少し書きましたが、現在、ソロモン諸島ガダルカナル島に来ています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ヘンダーソン飛行場

 これは、1956年、英領時代のソロモン諸島で発行されたヘンダーソン飛行場(現在のホニアラ国際空港の前身)の切手です。ちなみに、現在のホニアラ国際空港はこんな感じでした。

      ホニアラ国際空港(建物)  ホニアラ国際空港(飛行機)

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日、米軍の第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領。同12日、米軍は飛行場をヘンダーソン飛行場と改称します。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 日本軍の撤退後、米軍はヘンダーソン飛行場を増強し、飛行場は“ヘンダーソン複合飛行場施設”として、ソロモン周辺の事実上のハブ空港として運用されていました。さらに、第二次大戦後、飛行場は“ヘンダーソン国際空港”と改称され、1997年には、日本の政府開発援助として約18億円が投じられて新ターミナルが建設されました。現在のホニアラ国際空港と改称されたのは、2000年のことです。(下の画像は日本の援助に対する感謝の碑)

      ホニアラ国際空港・記念碑

 ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦中の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。今回の滞在経験も踏まえ、いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、ガダルカナルの過去と現在を考える物語(『アウシュヴィッツの手紙』の姉妹篇のようなかたちにできれば…と思っています)をまとめてみたいですね。


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 <Melbourne 2017>終了
2017-04-03 Mon 00:31
 早いもので、3月30日からオーストラリア・メルボルン郊外のコーフィールド競馬場で開催されていたアジア国際切手展<Melbourne 2017>は、昨日(2日)、無事にすべての日程を終了し、日本からの出品作品のピックアップもすべて完了しました。というわけで、展覧会関連のマテリアルの中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     コーフィールド競馬場

 これは、オーストラリアが発行した印面付の官製絵葉書で、展覧会場となったコーフィールド競馬場の入口ゲートが取り上げられています。今回の展覧会場は、競馬場内の施設を利用するという、かなり特殊なケースでしたので、なんとか関連のマテリアルを入手したいと考えていたのですが、会期最終日に郵便局を覗いてみたところ、この葉書が売られていたので、早速購入したという次第です。ちなみに、会期中、ゲートの下には展覧会の開催を示す幕が張られていており、こんな感じになっていました。

      コーフィールド競馬場(実物)

 コーフィールド競馬場は、1859年、メルボルン郊外の薮に囲まれた湿地帯に作られました。このため、現在でも、競馬場は“荒地”を意味する“ザ・ヒース”の愛称で親しまれています。設立の年の1859年には早くも最初のレースが開催されましたが、1876年8月5日には、メルボルン・レーシング・クラブ(旧ヴィクトリア・アマチュア・ターフ・クラブ)がコーフィールドで最初のレースを開催。1879年からは、芝2400メートルで行われる競馬のハンデキャップ競走の“コーフィールド・カップ”が開催されるようになり、オーストラリアにおける最高の格式を持つレースの一つとなりました。

 さて、今回の切手展に関しては、コミッショナーの長島裕信さん、永井正保さん、審査員の佐藤浩一さん、井上和幸さん、ご出品者の安藤源成さん、安藤裕さん、伊藤純英さん、大沼幸雄さんご夫妻、川辺勝さんご夫妻、菊地恵美さん、杉原正樹さん、山田廉一さん、吉田敬さんをはじめ、多くの方々にお世話になりました。末筆ながら、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。なお、僕自身は、展覧会終了後も2泊3日の予定でソロモン諸島等での取材を行い、4月6日に帰国の予定です。関係者の皆様には、引き続きご不便・ご面倒をおかけいたしますが、なにとぞご容赦いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 * 本日の葉書の画像は、とりあえず、携帯のカメラで撮影した画像を使っています。帰国後、きちんと実物からスキャンした画像に差し替える予定です。


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 <Melbourne 2017> 日本人・永井さんがGP
2017-04-02 Sun 05:22
      ヴィクトリア・ハーフレングス(1856)

 3月30日からオーストラリア・メルボルン郊外のコーフィールド競馬場で開催中のアジア国際切手展<Melbourne 2017>は、すべての作品の審査が終了し、昨日(1日)、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数です。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 チャンピオンクラス
・大沼 幸雄 L.v.Beethoven -His life in a historical context and his legacy LG
 一般競争出品
・永井正保 Private Printing Period in Victoria 1850-1859 LG(96)+GPN
・長島 裕信 Australia – Kangaroo and Map Design Postage Stamps LV(86)
・丹羽 昭夫 Japan Tazawa series “Taisho” watermarked granite paper, old die LV(85)
・幡中民道 CHRYSANTHEMUM ISSUE OF JAPAN LV(87)
・伊藤純英 JAPAN: Showa Series, 1937-46 LV(86)
・木戸裕介 North Korea 1945-52 V(81)
・菊地恵実 Japan Definitives 1937-1940 LS(78)
・須谷伸宏 Japan Definitives: Vocational Series G(90)
・山田廉一 Japan Definitives 1883-1892 – UPU and New Koban - LV(88)
・吉田敬 Japan Definitives 1961-1965 V(80)
・安藤裕 GREAT BRITAIN ONE PENNY BLACK AND RED-BROWN FROM BLACK PLATES 1840-1841 V(83)
・大場光博 U.S. Postal Activity in China 1802~1922 LV(86)
・池田健三郎 Postal History of the Cape of Good Hope LV(89)
・安藤 源成 Usage of Japanese Domestic Postcards for International Mail V(80)
・杉原 正樹 Stamped Envelopes of Japan 1873-1908 G(91)
・内藤陽介 Japan and the 15 year’s war G(90)
・川辺勝 Liberty Leading the People by Delacroix 83点(ワンフレームは点数のみでメダルなし)
・伊藤文久 Ukrainian inflation 1992-1996 LV(87)
 以下、文献
・STAMPEDIA Inc. Stampedia Philatelic Journal LV(87)
・(公財)日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログVol.1-4』 LS(78)
・日本郵趣出版 『図説・戦前記念切手』 S(72)
・正田幸弘  『国際展物語 1965-2004』 SB(65)

 今回の受賞結果で特筆すべきは、オーストラリアないしはニュージーランドの切手を対象とした“ナショナル”部門で、1901年に現在のオーストラリア連邦が結成される以前のヴィクトリア植民地で発行された切手のコレクション“Private Printing Period in Victoria 1850-1859”をご出品の永井正保さんがグランプリを獲得したことでしょう。オーストラリアでの日本人のナショナル・グランプリ授賞は、佐藤浩一さんのタスマニアに次いで2人目の快挙です。

 冒頭に掲げた画像は、そのヴィクトリア植民地初期の切手のうち、1856年に発行された3ペンス切手です。永井さんのグランプリ受賞に敬意を払い、持ってきてみました。

 現在のオーストラリア・ヴィクトリア州の地域には、1803年、最初の流刑植民団がメルボルン付近のポート・フィリップ湾に入植しましたが、この時の植民地は7ヶ月で崩壊。その後、20年以上を経て再入植が行われ、ニュー・サウス・ウェールズ流刑植民地政府の管理下に置かれました。その後、1851年には、ニュー・サウス・ウェールズから分離した“ヴィクトリア植民地政府”が成立しますが、これに先立ち、1850年1月1日から、ヴィクトリア植民地は独自の切手発行を開始しました。

 最初の切手は、教会の牧師で凹版彫刻の技術があったトーマス・ハムが製造し、1849年12月29日、英本国のヴィクトリア女王を描く3種の切手“ハーフレングス(半身像の意)”が納品されました。最初の切手の発行枚数は、1ペニーが1380枚、2ペンスが5460枚、3ペンスが2760枚だったと考えられています。その後、1854年には図案はそのままに、印刷所が変更されるなどしたため、ハーフレングスの切手には、さまざまなヴァラエティが生じることになりました。
 
 今回の永井さんのコレクションは、ハーフレングスをはじめ、ヴィクトリア植民地初期の貴重な切手が網羅された重厚なコレクションで、まさにグランプリに相応しい作品です。

 あらためて、永井さんをはじめ、受賞された皆様には、心よりお祝いを申し上げます。


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 小さな世界のお菓子たち:キャンディの切手
2017-04-01 Sat 15:31
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第35号(2017年春号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・ロリポップキャンディ

 これは、香港が2015年に発行した“心思心意”の切手のうち、ロリポップ・キャンディを取り上げた1枚です。

 香港では、2003年以降、不定期に“心思心意(Heartwarming)”と題するグリーティング切手を発行しています。このうち、2015年2月12日に発行された6種セットの切手は、ヴァレンタイン・デー直前という時節柄、さまざまなハート型のグッズをデザインしていますが、その中の1枚には、鮮やかな渦巻き模様のロリポップ・キャンディ(棒棒糖)が取り上げられました。キャンディの色つきの部分は盛り上げ印刷になっており、立体感のある1枚です。

 切手は2015年1月29日から香港の各郵便局で1枚2.7香港ドルで発売されましたが、実際に郵便に使えるようになったのは2月12日のことでした。また、切手には額面数字の代わりに“本地郵資/LOCAL MAIL POSTAGE”の表示があり、今後、料金が値上げされても、ずっと香港域内宛の封書料金用(30グラム)に使用できます。

 もともと、香港では春節(旧正月)のギフトとしてキャンディを箱に詰めて送るという習慣がありました。これは、甘いキャンディが新年の幸運を象徴するものとされていたためです。

 ただし、春節に贈られるキャンディは、今回ご紹介の切手に取り上げられているような派手な色彩のモノではなく、眼鏡型の容器に入った眼鏡糖、ダイアモンドの指輪をかたどった容器に入った戒指糖、生姜と砂糖、麦芽糖などで作られた昔ながらの叮叮糖(啄啄糖とも)、ココナッツ・キャンディの椰子糖などが主でした。このうち、眼鏡糖や戒指糖は、1980年代くらいまで、幼稚園から小学校低学年くらいの男の子から、お気に入りの女の子に定番のプレゼントとして使われていました。

 現在では、健康志向の高まりもあって、春節のギフトとしてキャンディを贈る人は徐々に減少傾向にあるものの、香港で生まれ育った人々の生活の中で、現在なお、キャンディには縁起物としてのイメージがあることに変わりはありません。

 ところで、年によってバラつきはあるものの、春節は2月の上旬から中頃くらいまでのことが多く、今回ご紹介の切手が発行された2015年の春節は2月19日で、ヴァレンタイン・デーともほぼ重なっています。

 旧宗主国の英国同様、香港でも、ヴァレンタイン・デーには、男女を問わず、花やケーキ、カードなどのギフト(もちろん、チョコレートを贈る人もいます)を、恋人や親しい人に贈ることがある日になっていますが、“心思心意”の切手にロリポップ・キャンディが取り上げられていることから考えて、なかには、春節のギフトを兼ねて、キャンディを贈る人も少なくないのかもしれません。


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