内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガダルカナルに来ています。
2017-04-04 Tue 01:22
 きのう(3日)の記事にも少し書きましたが、現在、ソロモン諸島ガダルカナル島に来ています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ヘンダーソン飛行場

 これは、1956年、英領時代のソロモン諸島で発行されたヘンダーソン飛行場(現在のホニアラ国際空港の前身)の切手です。ちなみに、現在のホニアラ国際空港はこんな感じでした。

      ホニアラ国際空港(建物)  ホニアラ国際空港(飛行機)

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日、米軍の第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領。同12日、米軍は飛行場をヘンダーソン飛行場と改称します。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 日本軍の撤退後、米軍はヘンダーソン飛行場を増強し、飛行場は“ヘンダーソン複合飛行場施設”として、ソロモン周辺の事実上のハブ空港として運用されていました。さらに、第二次大戦後、飛行場は“ヘンダーソン国際空港”と改称され、1997年には、日本の政府開発援助として約18億円が投じられて新ターミナルが建設されました。現在のホニアラ国際空港と改称されたのは、2000年のことです。(下の画像は日本の援助に対する感謝の碑)

      ホニアラ国際空港・記念碑

 ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦中の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。今回の滞在経験も踏まえ、いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、ガダルカナルの過去と現在を考える物語(『アウシュヴィッツの手紙』の姉妹篇のようなかたちにできれば…と思っています)をまとめてみたいですね。


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