内藤陽介 Yosuke NAITO
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 フィジーにも寄ってきました。
2017-04-06 Thu 00:03
 昨晩(5日)、ガダルカナルでの取材を終え、フィジー・ナンディ経由でメルボルンに戻ってきました。というわけで、ガダルカナルほどではないにせよ、フィジーもやはり滅多に行く場所ではないので、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・ナンディ国際空港

 これは、1961年にフィジーで発行されたナンディ空港(現ナンディ国際空港)を描く切手です。ちなみに、トランジットでナンディ市内に出た時に撮影した駐機場の写真(左)と、メルボルン行きの飛行機に搭乗する時に見た空港での夕陽の写真(右)も、貼っておきます。

      ナンディ国際空港・駐機場  ナンディ国際空港・夕陽

 ナンディはフィジー諸島中最大の島、ヴィティ・レヴ島西部の都市で、空港はナンディ市の中心部から8Kmほどの地点にあります。ナンディにヴィティ・レヴ島最大の空港が置かれるようになったのは、ひとえに、島の西部というナンディのロケーションがオーストラリアやニュージーランドとの交通に便利と考えられたためです。

 最初の飛行場は、英植民地当局の出資により、1939年8月からニュージーランドが建設し、1940年3月に運用が開始されました。その後、日本との開戦に備え、米軍はニュージーランドに空港の拡張を養成。これを受けて、1941年11月以降、拡張工事が行われ、日米開戦後の1942年4月までに新滑走路2本の建設を含む工事が完了しました。その費用は、当初見積もりの25万ポンドでも巨額すぎるとして問題になっていましたが、最終的に75万ポンドにまで膨らんでいます。

 日本との戦争が始まると、ナンディの飛行場は米空軍の基地となり、ソロモン諸島フィリピンの日本軍の拠点を攻撃するうえで重要な役割を果たしました。

 大戦後は、1946年12月20日付で空港の管轄権はニュージーランドに移され、1947年以降、ニュージーランド民間航空局が運営していました。1960年代前半には、ニュージーランドのオークランドから北米及び欧州に向かう路線は原則としてすべてナンディ経由です。1970年のフィジー独立に伴い、新生フィジー政府が運営に参加するようになり、1979年以降は、フィジー政府が単独で運営しています。ちなみに、かつての空港は、椰子の木やハイビスカスの木がエプロンの日よけのために植えられており、南国情緒豊かな景観となっていましたが、度重なる空港の拡張に伴い、現在ではそれらは撤去されています。

 全くの余談ですが、空港で出国手続きをした後、免税店街のフードコートを覗いてみると、ニュージーランドで定番のデザートとされているホーキーポーキー・アイスクリームが売られていたので、一つ買ってみました。(下の画像)

      ホーキーポーキー(実物)

 ナンディ空港へのニュージーランドの影響は、こんなところにも残っているということなのかもしれませんね。      

 さて、きょうは午前中のフライトでメルボルンを発ち、夜には成田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通りの仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。
 

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