内藤陽介 Yosuke NAITO
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 建軍90年で軍事パレード
2017-07-31 Mon 09:47
 中国人民解放軍(以下、人民解放軍)は、きのう(30日)、8月1日に建軍90周年を迎えるのを記念し、内モンゴル自治区“朱日和合同戦術訓練基地”で大規模な閲兵式と軍事パレードを行いました。8月1日の建軍記念日に合わせて閲兵式・軍事パレードを行うのは、今回が初めてです。というわけで、人民解放軍のパレードを取り上げた切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ・人民解放軍

 これは、2004年にマカオで発行された“中国人民解放軍駐澳門部隊”の切手のうち、人民解放軍の軍事パレードを取り上げた小型シートです。

 もともと、現在の中華人民共和国澳門特別行政区の憲法ともいうべきマカオ基本法では、1999年12月の“返還”後のマカオに人民解放軍が駐留するか否かについての明文規定はありませんでした。じっさい、香港の“返還”を間近に控えた1997年4月27日の時点では、香港澳門弁公室主任(香港・マカオ問題の中国側の実質的な責任者)の魯平は「マカオは狭すぎるから、人民解放軍を駐留させる予定はない」と発言していたほどです。

 しかし、翌1998年9月18日に開催された第3回返還準備委員会全体会合の開会の辞において、準備委員会主任で副総理の銭其琛は、「主権回復のあらわれとして、またマカオ社会の安定維持・経済発展に資するためにマカオに人民解放軍を駐留させる」と表明し、北京政府の方針転換を明らかにしました。

 その背景には、マカオで黒社会(暴力団)同士の抗争が激化し、治安が極端に悪化していたという事情がありました。

 対立抗争の主役となったのは、水房と14Kの2大組織です。

 このうち、14Kは、1940年代の国共内戦の時代に国民党軍の中将であった葛肇煌がつくった反共組織の“十四会”がそのルーツとされています。なお、14Kの14は当時の本部の所在地の住所(広州市西関宝華路14号)からの数字、Kは国民党ないしは葛肇煌の頭文字だともいわれています。

 その後、1949年に国民党が国共内戦に敗れ、台湾に逃れると、組織のメンバーは台湾や香港を拠点に、反中共の非合法工作活動を展開するようになりましたが、次第に、そうした政治工作とは無関係の犯罪行為にも手を染めるようになっていきます。

 1961年、カジノの独占経営権を獲得した何鴻燊は、みずからのカジノ利権の基盤を確立していく過程で、香港の賭博客をマカオに誘致することに力を注ぐとともに、香港の黒社会の力を借りて敵対勢力を排除しました。その見返りとして、何鴻燊は、澳門旅游娯楽公司の下請けとして彼らへのカジノのテーブルの貸出を始めます。この結果、カジノのテーブルの利権をめぐって、黒社会同志の対立・抗争が生じるようになりました。

 ただし、1980年代までのマカオの黒社会の抗争は、あくまでも、彼らの間で処理されており、一般市民が発砲事件の巻き添えになる例はほとんどなく、政府・警察の関係者を買収して敵対組織の会員(組員)を逮捕して相手に打撃を与えるという穏健な手口が用いられることも少なくありませんでした。

 こうした背景の下、1988年、14Kの実力者であった摩頂平が敵対する涉嫌謀を殺害し、マカオから逃れると、摩からカジノのテーブルの使用権を借りていた“孫請け胴元”だった張阿光・阿和・阿強の3兄弟は、カジノの利権を失うことを恐れ、14Kとは敵対組織だったはずの水房の首領、水房頼と密約を結び、カジノでの営業を継続。摩の逃亡後、14K内で急速に台頭していた崩牙駒(“歯欠けの駒”というニックネームで、本名は尹國駒)も張三兄弟と水房の密約を支持したので、いったんは勢力のバランスが保たれます。

 ところが、張3兄弟の弟2人は、経済成長著しい中国本土での利権を獲得しようとして、現地で14Kのメンバーと抗争を起こしてしまいました。この結果、14Kのメンバーでありながら水房ともつながっている張兄弟とその配下をめぐって、両組織が入り乱れての抗争が勃発。さらに、1997年の香港返還を前に、共産中国の支配下では黒社会に対する取り締まりが強化されることを恐れた面々がマカオに流入し始めたことで、対立の図式はさらに複雑化し、武力を用いた構想もいっそう激しくなっていきました。

 結局、一連の抗争を通じて張3兄弟は次第に勢力を失い、水房も凋落。崩牙駒が勢力を急速に拡大していきます。14Kを完全に掌握した崩牙駒は、まさに「邪魔者は消せ」とばかりに、敵対勢力に対しては暴力を行使。その結果、一般市民が巻き添えになるケースが続発し、警察との衝突も増えていきました。マカオの治安は急速に悪化し、当時のわが国の外務省はマカオを危険地域に指定し、渡航自粛勧告を出していたほどです。

 そして、返還を目前に控えた1998年5月、警察司長官のアントニオ・マルケスの車に向かって爆弾が投げ込まれ、長官のマルケスがからくも逃れるという事件が発生。ここにいたり、マカオ警察は崩牙駒と4人の側近を逮捕しました。

 返還後のマカオへの人民解放軍の駐留が公表されたのは、その直後の1998年9月のことで、当時のマカオ市民の中には、人民解放軍の駐留によって治安が回復されることを歓迎する空気も少なくなかったと伝えられています。

 逮捕後の崩牙駒はコロアネ監獄に隔離されて収監されていましたが、高利貸しやマネーロンダリングで蓄えた巨万の富を背景に獄中でも贅沢三昧の生活をしていました。このため、マカオ市民はコロアネ監獄を“山頂別荘”と揶揄していましたが、はたして、彼の留置されていた部屋からは、その後、膨大な数の無線機器やテレビ、携帯電話などが発見され、公安関係者と黒社会の結びつきの深さが明らかになっています。

 結局、後難を恐れて崩牙駒の裁判には証人が十分に集まらなかったため、検察側はメディアに掲載された彼の談話やビデオ映像、録音テープなどを丹念に集めて証拠とし、通常は2ヵ月程度で判決が出るマカオの裁判では異例の1年半という時間をかけて、返還直前の1999年11月23日、マカオ法院(裁判所)から崩牙駒に懲役15年、その他の主要幹部にも実刑判決を引き出すことに成功。ちなみに、同日、マカオに隣接する中国広東省の珠海では、マカオ14Kの幹部だった葉成堅被告ら三人が死刑を宣告され、即日執行されています。

 これによって、崩牙駒の14Kは組織として壊滅的な打撃を受けました。マカオの黒社会の抗争が完全になくなったわけではないにせよ、一般市民を巻き添えにすることを全く躊躇しない崩牙駒らの勢力が抑えられたことで、多くのマカオ市民は安堵したといあれています。

 返還を前に、14Kが封じ込められ、マカオの社会秩序が回復されたのであれば、人民解放軍がマカオに進駐する必要も薄れたわけですが、結局、1999年6月、中国では全人代常務委員会において、駐留軍経費の中央負担、マカオ内部事務不関与等を規定して駐軍法が成立。ポルトガル側への配慮から、1999年11月18日に先遣隊が駐留するものの、本格的な部隊の駐留は、同月20日の“返還”記念式典に出席したポルトガル大統領ならびにマカオ総督がマカオを離れた後、開始されました。まぁ、世界最大のマフィア組織ともいわれる人民解放軍が、地元のローカル黒社会を駆逐して、マカオを新たな縄張りに加えたと考えればわかりやすいのかもしれませんが…。

 なお、“返還”前後のマカオの状況については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * おかげさまで、きのう(30日)放送の拉致被害者全員奪還 ツイキャス、僕の出演回は終了いたしました。いろいろ不手際もあり、また、話がとっちらかって雑駁な内容になってしまいましたが、お聴きいただきました皆様、スタッフの皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 切手に描かれたソウルと韓国:高木正雄切手
2017-07-30 Sun 10:28
 『東洋経済日報』7月21日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、9月に予定されていた朴正煕生誕100周年の記念切手が発行中止になったことを受けて、こんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・高木正雄切手

 これは、今回の“朴正熙生誕100周年”の記念切手発行中止を受けて、韓国の左派活動家が作った“高木正雄生誕100周年記念切手”と称するラベルです。

 7月12日、今年9月15日に発行の予定だった“朴正熙元大統領生誕100周年”の記念切手(以下、朴正熙100年)の発行中止が発表されました。

 韓国の記念切手発行スケジュールは前年のうちに決定されるのが慣例で、今回の“朴正熙100年”に関しても、その他の切手とともに、昨年(2016年)5月に発行予定が発表されていました。

 朴正熙に対する評価は立場によってさまざまでしょうが、“漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長を実現した功績は誰にも否定できないでしょう。現在の韓国が、曲がりなりにも“先進国”の一角を占めている(*)原点は、間違いなく、“漢江の奇跡”にあるわけですから、その立役者である朴正熙の生誕100年に記念切手を発行する企画が持ち上がったとしても不思議はありません。

 * 日本の内閣府が毎年2回発表する「世界経済の潮流」では“先進国”の定義を「OECD加盟国。ただし、一人当たりGDPが1万米ドル以下の国(チリ、トルコ、メキシコ)を除く」としており、韓国はしっかり“先進国”に分類されています。

 ところが、2017年の記念切手発行計画が発表された後の2016年10月、朴正熙の長女である朴槿恵大統領(当時)の個人的な友人・崔順実による国政介入問題(崔順実ゲート事件)が発覚したことで、政権の支持率が急落します。12月9日には国会が大統領の弾劾訴追案を可決し、2017年3月10日にはこれを妥当とする憲法裁判所の判断が下され、朴槿恵は大統領を罷免されて失職。さらに、同月31日、収賄容疑などで逮捕されました。

 その後、5月9日の大統領選挙で、急進左派の文在寅が当選すると、9月に発行予定だった“朴正熙100年”の雲行きがにわかに怪しくなってきます。

 朴正熙を“暗黒の軍事独裁政権の首魁”と位置づけている左派リベラル陣営は、もともと、朴正熙100年の記念切手には否定的でしたが、上記のような背景の下、記念切手の発行計画を審議した“切手発行審議委員会”の委員に、朴槿恵前大統領の側近、金淇春元大統領秘書室長(現在、職権乱用罪などで公判中)の元秘書が含まれていたことから、記念切手の発行中止を求める声が高まり、その圧力に屈するかたちで、7月12日、郵政事業本部は「再審議した結果、朴正熙100年の切手は発行しないことに決まった」と発表しました。

 さらに、切手発行の中止が報じられた翌日の7月13日、ソウル・昌徳宮の近くに“盧武鉉センター”を建設する計画が発表されたこともあり、記念切手の発行中止は韓国内の保守派の強い反発を招いています。

 たとえば、保守系・正しい政党の朱豪英院内代表は、「朴正煕切手発行計画の取り消しは(政権の)“見えない手”が作用したとの疑惑を持たれるのに十分だ」と発言。保守系最大野党・自由韓国党の全希卿報道官も「政権が変わってから100日もたっていないのに、前政権が決定した事業だという理由だけで手のひらを返すように白紙化したのは納得できない。元大統領の業績をたたえることすら放棄する、非常に後進的かつ退行的な行動だ」と批判しています。

 一方、左派リベラル側では、朴槿恵前大統領を批判するビラをまき、名誉毀損罪で拘束された経験のある環境活動家のパク・ソンスが、「記念切手の発行が撤回され、これに挫折した守旧保守派の姿に限りない憐憫を感じ」たとして、独自に“高木正雄(朴正熙の日本名)誕生100年記念”と銘打ち、今回ご紹介の切手状のラベルを制作しました。

 ラベルでは左側に日本軍の軍服姿の朴正煕を、右側に囚人服を着た朴槿恵を配し、中央には、馬(崔順実の娘で馬術選手の鄭維羅が崔順実ゲート事件の主役の一人であったことを風刺)と洋酒(1979年の朴正煕暗殺事件が酒席の場で起きたことを風刺)を描いています。さらに、左下には「日本天皇に血書で忠誠の誓いをした日本軍人朴正煕、いわゆる高木正雄誕生100年記念、18ウォン」と記されている。パクはこのラベルを1万枚製作し、フェイスブックなどを通じて申請した人たちに、期間限定で無料で配ったそうです。

 ところで、パクの作ったラベルは、全くのゼロからの創作ではなく、1972年に発行された“第8代大統領就任記念”の切手をベースにしており、元になった記念切手の背景などはラベルでもほぼ踏襲されています。(下の画像)

      韓国・第8代大統領就任

 1972年の記念切手は、朴正熙政権下での“漢江の奇跡”の成果を強調するため、朴正熙の肖像と並べて高速道路工場群を描く定番のデザインです。

 ラベルを制作したパクは深く考えることなしにデザインしたのでしょうが、韓国に未曾有の経済成長をもたらした朴正熙を風刺(というより“罵倒”といってよいでしょう)するラベルの背景に、朴正熙政権の功績であり、“先進国”としての韓国の原点を象徴するような風景が広がっているというのは、いわば、親のすねをかじる革命家と同じで、僕などから見れば、たちの悪いブラックジョークにしか思えませんな。

 なお、朴正煕と、その時代の切手に刻まれた歴史の痕跡については、拙著『韓国現代史』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 7月30日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。なお、告知のツイートはこちらをご覧ください。

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 北朝鮮、深夜のICBM 発射実験
2017-07-29 Sat 11:37
 北朝鮮が、昨夜(日本時間28日23時41分ごろ)、北部の慈江道舞坪里から、大陸間弾道ミサイル(ICBM)“火星14型”1発を日本海に向けて発射しました。ミサイルは45分程度飛行し、日本の排他的経済水域内に落下したと見られています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・反米闘争月間(2017・連邦議事堂)

 これは、今年(2017年)6月25日、北朝鮮が発行した“6.25-7.27 反米共同闘争月間”の切手の1枚で、引鉄に指をあてた拳銃と、米国の連邦議会議事堂に降り注ぐミサイルを描き、「言葉ではなく、ただ銃で(말로써가 아니라 오직 총대로!)」のスローガンが入っています。米国が“金王朝”を転覆させようとすれば、北朝鮮はICBMで抵抗するぞという、彼らのプロパガンダが明瞭に伝わってくる1枚です。

 “反米共同闘争月間”は、朝鮮戦争(北朝鮮側の呼称は祖国解放戦争)が開戦日である6月25日(1950年)と、休戦協定の調印された7月27日(1953年)がほぼ1ヵ月であることにちなみ、毎年、北朝鮮で展開されているキャンペーンです。かつては、“米軍撤退闘争月間”、“反米連帯闘争月間”などの名称が使われたこともありますが、いずれも、キャンペーンの趣旨としてはほぼ同じものです。いずれにせよ、今回のミサイル発射もほぼこのタイミングに合わせたものと言ってよいでしょう。

 北朝鮮によるミサイル開発が、わが国にとっての深刻な脅威と受け止められるようになったのは、1998年8月のテポドン(この名前は、実はアメリカがつけたコードネームで北朝鮮側の呼称ではありません)の発射実験以降のことです。当時、北朝鮮側は、ミサイル発射は人工衛星(光明星1号)の打ち上げであり、打ち上げには成功し、地球の周回軌道に乗った衛星は「金日成将軍の歌」を地上に向けて発信し続けていると主張していましたが、これは事実として確認されておらず、弾道ミサイルの試射をかねた人工衛星の打ち上げだったものの失敗したというのが真相と考えられています。

 ちなみに、“飛翔体”としての広義のミサイルには、いわゆるロケット(狭義には“飛翔体”の推進体を指す)も含まれますが、一般にはロケットの先端部に爆発物を搭載した軍事目的の“飛翔体”をミサイルと呼び、先端部に人工衛星などが搭載されていれば宇宙ロケットと呼ばれます。したがって、宇宙ロケットとミサイルは本質的に同一の技術なわけで、北朝鮮側の主張するように、人工衛星を打ち上げるための平和目的のロケットだから周辺諸国への脅威にはならないという説明はなんら説得力を持ちません。

 一部の報道などでは、北朝鮮に対する配慮からなのか、彼らのミサイルを“飛翔体”と表現するケースが散見されますが、少なくとも、今回の発射実験に関しては、北朝鮮の朝鮮中央通信が「大陸間弾道ミサイル“火星14”の2回目の試験発射に成功した」と伝えているほか、米政府も発射されたのはICBMと断定していることから、ストレートにミサイルないしは大陸間弾道弾(ICBM)と呼ぶのが適切だろうと思います。

 北朝鮮によるミサイル発射実験/人工衛星打ち上げは、テポドン以来、ながらく失敗が続いていましたが、2012年の光明星3-2に関しては、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)によって、衛星の機体とそれに付随するスペースデブリの計4物体が衛星軌道に到達し、人工衛星となったことが確認されています。この結果、北朝鮮は人工衛星自力打ち上げ能力を有する10番目の国にして、人工衛星を保有する75番目の国・組織になりました。

 その後、彼らは着々とミサイル開発を進め、その性能は飛躍的に向上。米ジョンズ・ホプキンズ大の北朝鮮分析サイト“38ノース”によれば、今回のICBM は、現時点で判明している発射データから計算して「通常軌道で飛行した場合の射程は90001万km に達する可能性」があり、そうだとすると、ロサンゼルスを含む米西海岸を射程に収めることになりました。また、同サイトによれば、“火星14”の信頼性を確立させるには、さらに複数回の実験が必要なため、「北朝鮮が今後、さらに何発もの(ICBMを)発射するのは確実」だそうです。

 今回ご紹介の切手は、このように、急速なミサイル技術の向上を背景に軍事強国を演出し、米国を威嚇しようとする意図をもって発行されたものであることは間違いありません。

 さて、あす(30日)22:00から放送の拉致被害者全員奪還ツイキャスでは、内藤がゲスト出演し、今回ご紹介の切手を含め、拙著『朝鮮戦争』『韓国現代史』などの内容もご紹介しつつ、切手や郵便物から見える朝鮮半島の歴史と現在について、いろいろお話しする予定です。よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。
 

 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

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 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 約2週間ぶりに礼拝再開
2017-07-28 Fri 19:02
 エルサレム旧市街にあるユダヤ教・イスラム双方の聖地“神殿の丘(ユダヤ名)/ハラム・シャリーフ(イスラム名)”をめぐり衝突が続いていた問題で、イスラエル警察は、きのう(27日)、今月14日以降新たに設置した全ての警備機器を撤去。これを受けて、約2週間ぶりに敷地内でのムスリムの礼拝が再開されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・聖地の悲劇

 これは、1969年12月にヨルダンが発行した“聖地の悲劇”の切手のうち、瓦礫越しに見える岩のドームが描かれています。

 神殿の丘/ハラム・シャリーフと呼ばれている場所は、もともとは自然の高台で、紀元前10世紀頃、ソロモン王がここにエルサレム神殿(第一神殿)を建造しました。第一神殿は、紀元前587年、バビロニアにより破壊されましたが、紀元前515年に再建されます。これが第二神殿で、紀元前19年頃、神殿はヘロデ王によって大幅に拡張され、周囲は壁に覆われました。この時の神殿の範囲が現在の“神殿の丘”になります。

 その後、紀元後70年、第二神殿はローマ帝国によるエルサレム攻囲戦によって破壊され、ヘロデ王時代の西壁の幅490m、高さ32m(うち、地上に現れている部分は幅57m、高さ19m)が残るのみとなります。これが、今回ご紹介の切手にも取り上げられた“嘆きの壁”です。なお、この壁に対して各国語で“嘆き”の形容詞が付けられているのは、神殿の破壊を嘆き悲しむため、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現したもので、ヘブライ語では“西の壁”と呼ばれています。

 132-135年のバル・コクバの乱(ユダヤ属州でのローマ帝国に対する反乱)の後、ユダヤ教徒は原則としてエルサレムへの立ち入りを禁止され、4世紀以降は1年に1日、例外的に立ち入りを認められるという状況が続いていました。これに対して、638年、いわゆるアラブの大征服の一環として、ムスリムがエルサレムを占領すると、ムスリムの支配下で、ローマ時代以来禁止されていたユダヤ教徒のエルサレムへの立入が認められるようになります。この結果、生活上の権利に一定の制約は設けられたものの、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、アブラハム以来の一神教の系譜に属する「啓典の民」として、この地でムスリムとともに共存していくことになりました。

 ところで、イスラムでは、エルサレムはメッカメディナに次ぐ第3の聖地とされており、691年には、アラブ系のウマイヤ朝によって、ムハンマドの天界飛翔伝説にちなむ聖なる石を包むように、“神殿の丘”の敷地内に岩のドームが建設されます。当時、メッカはウマイヤ朝の支配に異を唱えるイブン・ズバイルの一派により占領されており、ウマイヤ朝はメッカを回復できないという最悪の可能性も考慮して、ドームの建設を計画したといわれています。

 当然のことながら、“神殿の丘”はユダヤ教にとっての聖地でしたが、正統派のユダヤ教においては、世界の終末に救世主が現れて神殿を再建するまで、ユダヤ教徒は神殿跡に入ってはならないとの教義もあります。したがって、神殿の丘の敷地内にイスラムの聖地としてモスクが建造されても、少なくとも世界の終末までは、ユダヤ教徒にとって実質的なダメージはないというロジックが導き出されることになり、岩のドームを聖地とするムスリムと、嘆きの壁を聖地とするユダヤ教徒住み分けが可能となりました。

 その後、十字軍による侵略はあったものの、ラテン王国(キリスト教徒の占領軍が建国)の消滅後は、キリスト教側も聖地の奪還を断念。聖地への自由な通行権の確保と、現地キリスト教徒の保護を主要な関心とするようになり、エルサレムは三宗教共通の聖地(ただし、その具体的な場所は重ならない)として、ムスリムの支配者の下で、各宗教の信徒が共存する状況が20世紀に入るまで続くことになります。

 神殿の丘を含むエルサレムの旧市街は、第一次大戦まではオスマン帝国の支配下に置かれていましたが、その後、英国委任統治下のパレスチナに編入され、第一次中東戦争を経て、1948-67年にはヨルダンの支配下に置かれます。ちなみに、ヨルダン支配下の“神殿の丘/ハラム・シャリーフ”には、イスラエル国籍の保有者の立ち入りは禁止されていました。

 1967年の第三次中東戦争により、イスラエルはエルサレム旧市街を占領し、自国領への編入を宣言しましたが、岩のドームのある“神殿の丘(ハラム・シャリーフ)”は歴史的にワクフが設定されていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、その域内ではユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は原則禁止という変則的な状況となります。

 ワクフというのはイスラムに独特の財産寄進制度で、なんらかの収益を生む私有財産の所有者が、そこから得られる収益を特定の慈善目的に永久に充てるため、その財産の所有権を放棄すること、またはその対象の財産やそれを運営する組織を意味する語です。一度、ワクフとして設定された財産については一切の所有権の異動(売買・譲渡・分割など)が認められません。ちなみに、パレスチナ、特に、ハラム・シャリーフがワクフであるとの根拠は、638年、第二代カリフのウマルが、エルサレムの無血開城に際してギリシャ正教会総主教と結んだ盟約にあるとされています。

 今回ご紹介の切手も、そうした事情を踏まえ、ヨルダン宗教省はムスリムを代表してワクフ財産としての岩のドーム(を含む神殿の丘)を管理する権限を有するという、彼らの主張を表現したものです。

 さて、今回の神殿の丘/ハラム・シャリーフをめぐる衝突は、今月14日、アラブ系イスラエル人(イスラエル国籍を持つパレスチナ人)3人が警官を銃撃した事件が発端になっています。このため、16日、イスラエル側は治安対策を理由に、神殿の丘/ハラム・シャリーフの入口にムスリム専用の金属探知機を設置しました。

 このことが、ハラム・シャリーフに対するヨルダン宗教省の“管理権”を侵害するものとしてムスリムの反発を招き、21日の金曜礼拝にあわせて、エルサレム旧市街やパレスチナ自治区ヨルダン川西岸各地で大規模な抗議行動が発生。イスラエル治安部隊との衝突でパレスチナ人3人が死亡、約400人が負傷したほか、同日夜にはパレスチナ人がユダヤ人入植地に侵入し、3人を刺殺する事件が起きています。また、23日には、ヨルダンのイスラエル大使館敷地内で、イスラエルへの反発が原因とみられる襲撃事件も発生しました。

 このため、25日、イスラエル側は金属探知機を撤去しましたが、パレスチナ側は14日以前の警備態勢に戻すよう求め、聖地敷地外の路上で数千人が抗議の礼拝を続けていました。 
 
 そこで、28日・金曜日の集団礼拝を前に、27日、イスラエル警察がすべての警備機器を撤去すると、ハラム・シャリーフの入口の外にいたパレスチナ人らがアルアクサ・モスクへと殺到。その際、興奮した群衆の一部が「われわれ自身が犠牲になる」などと叫んで警官隊を挑発したり、建造物の屋根によじ登ってパレスチナの旗を振ったりするなど騒擾状態に陥ったため、警官隊は閃光弾などを使って鎮圧し、ロイター通信によると少なくとも113人が負傷しました。イスラエル当局は、きょう(28日)の集団礼拝を前に、治安部隊を増強して厳戒態勢をとっています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。  
       
 * 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。


 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 7月30日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。なお、告知のツイートはこちらをご覧ください。

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 切手でひも解く世界の歴史(6)
2017-07-27 Thu 04:42
 本日(27日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      ガーナ・ララバンガモスク

 これは、1970年にガーナで発行された“ララバンガ・モスク”の切手です。

 先日の日本選手権で100m、200mの2種目を制したサニブラウン・アブデル・ハキーム選手の氏名は、サニブラウンが姓で、アブデル・ハキームが名です。

 このうち、アブデル・ハキームというのはムスリムに多い名前で、直訳すると“賢いお方の下僕”という意味ですから、日本語風にいうと賢介さんとか賢太郎さんとか、そういう雰囲気になりましょうか。イスラムでは、唯一絶対なる神様、アッラーを讃えるアラビア語の形容詞が99あるのですが、その形容詞に~の下僕を意味するアブド(アブドゥル、アブデルなど発音にはヴァリエーションがあります)をつけた名前がよく見られます。アブドゥッラー(神の下僕)、アブドゥッラフマーン(慈悲深い方の下僕)などはその典型的なケースです。

 したがって、時々、“アブデル”の部分を除いて“サニブラウン・ハキーム選手”と紹介されることがありますが、これだと、名前の意味が全く違ってきてしまうわけです。

 いずれにせよ、サニブラウン選手本人がイスラム教徒なのかどうかは別として、お父さんでガーナ人のラティフさんは、息子の命名に際して、イスラムの文化的背景を意識していたことは間違いないでしょう。

 もっとも、西アフリカの国々ではムスリムが人口の多数派を占めている国も少なくないのですが(たとえば、拙著『マリ近現代史』で取り上げたマリなどは人口の90%がムスリムです)、ガーナの場合は、2010年の国勢調査によると、人口の71.2%がクリスチャン、17.6%がイスラム教徒、5.2%が伝統宗教という構成で、ムスリムは少数派です。

 もともと、ガーナの地には土着の伝統宗教があり、この地を治めていたアシャンティの王が持つ黄金の床几(玉座)には生ける者、死せる者、いまだ生まれぬ者を含めた王国の人々すべての魂が住まうとする信仰を持っていました。その名残は、現在でも、アディングラ(ガーナの最大民族であるアカン人の衣服などに用いられる伝統的なシンボル模様)等にも残っています。一方、キリスト教は、15世紀にヨーロッパ人がガーナ沿岸に到来したのに伴い、この地に伝わりましたが、英国が本格的に進出するようになった19世紀以降、主として、沿岸の都市部で急速に普及しました。

 これに対して、現在のガーナの地にサハラ交易の商人によってイスラムが伝えられたのは15世紀初めと考えられています。この時代のモスクとしては、今回ご紹介の切手に取り上げられたララバンガ・モスクが有名ですが、このモスクは、1421年、同国北部のララバンガ村に建立されたものです。

 モスクというと、一般には、ドーム型の玉ねぎ屋根のある建築を思い浮かべる人も多いと思いますが、ガーナを含む西アフリカでは、ララバンガ・モスクに見られるように、細長い四角錐を並べたようなスタイルのモノが少なくありません。これは、この地域では、雨や地震が少なく、木材も貴重品だったため、梁などを除いて木材の使用を最小限に抑え、日干し煉瓦を組み立て、その表面に土を塗って固めるという建築手法を用いていたためです。こうした建築は、耐久性に乏しく、民家などでも1年に1度くらいは壁を塗りなおす必要がありますから、それが何百年にもわたって残されてきたということはまさに驚くべきことです。

 ちなみに、現在のガーナ共和国は1957年にイギリスから独立しましたが、現在の国名は、かつて8-11世紀、サハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した黒人王国、ガーナ王国にちなんで命名されました。ただし、かつてのガーナ王国の領域は、現在の国名でいうとマリとモーリタニアにまたがる地域で、現在のガーナ共和国の領域とは全く重なっていませんので、注意が必要です。


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 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 切手で訪ねるふるさとの旅:大阪府
2017-07-26 Wed 09:23
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第34号(不定期刊)ができあがりました。同誌に掲載の僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は大阪府を取り上げました。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      大阪城
      
 これは、2007年6月1日に発行されたふるさと切手「近畿の城と風景」のうち、大阪城を取り上げた1枚です。

 1583年、豊臣秀吉は石山本願寺跡に“大坂城”を築城しました。この城は大坂の陣で落城しましたが、後に徳川氏が再建。ところが、1665年の落雷で天守を焼失。さらに、幕末維新の混乱で建物の大半が焼失しました。明治以降、大坂城は“大阪城”に名を改め、1888年、本丸桜門が復元。1931年には市民の寄付で天守が復興しました。今回ご紹介の切手は、沖縄出身で大阪城を撮り続けている写真家、登野城弘の作品を原画として構成されています。

 さて、 今回の『散歩人』では、今回ご紹介の大阪城のほか、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)若冲で知られる西福寺、太陽の塔、神農の虎国立文楽劇場、箕面大滝、岸和田だんじり祭りの切手を取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 フィジーのオオウナギ
2017-07-25 Tue 10:45
 きょう(25日)は土用の丑の日です。というわけで、ウナギの切手のなかから、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フィジー・オオウナギ

 これは、2008年にフィジーが発行したオオウナギの切手です。

 オオウナギは、ウナギ目ウナギ科に属する魚で、わが国で一般に食されるニホンウナギとは同属別種です。今回ご紹介のフィジーを含む太平洋とインド洋の熱帯・亜熱帯域を中心に、ウナギ科全18種類のうちで最も広い地域に分布しており、国内では利根川より西側、長崎県より南側の暖流に面した地域に生息していますが、和歌山県田辺市・白浜町富田川流域、徳島県海陽町母川流域、長崎県長崎市樺島の3ヵ所では国の天然記念物に指定されています。なお、南西諸島では、ニホンウナギよりもポピュラーな存在です。

 その名の通り、最大で全長2m・体重20kg にも達する大型のウナギで、胴回りは丸太ののように太く、背中側は黄褐色の地に黒褐色のまだら模様があるのが特徴です。鹿児島県南部や南西諸島、台湾などでは食用や強壮剤にもされることがありますが、味の面ではニホンウナギより劣るとされています。

 ちなみに、フィジーでは、ウナギにまつわる以下のような伝説があるそうです。

 ベンガ島(フィジー最大のビチレブ島の南12km の地点にある小島)に住むサワウ族の漁師、ツイは、ある日、島の奥の小川で巨オオウナギを釣りあげました。喜ぶツイに、オオウナギは自らが神の化身であると告げたうえで、「助けてくれたら火の上を歩けるようにしてやろう」と申し出ます。

 オオウナギのいうことが真実なら助けてやろうとツイがいうと、オオウナギはその場に穴を掘り、石を入れて火を放ったうえで、その上を歩くよう、ツイを促します。これを受けて、ついは石の上を歩きましたが、全く火傷を負いませんでした。

 これが、フィジーにおける火渡りの行の起源とされており、以後、神の霊力を授かったとされるツイの直系の子孫は、火渡りの儀式を司る聖職者“ベテ”として、火渡りの行を継承しているそうです。

 僕などは、ウナギが目の前で火を焚いていたら、そのまま、身を開いて串にさし、焼いて食ってしまうしまうような気がします。もっとも、そういう心掛けだから、火の上を歩く能力もないまま、酷暑の中でぐったりとした日々を過ごしているわけですが。
 

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 <Brasilia 2017>出品作品決定
2017-07-24 Mon 11:47
      ブラジル・カンダンゴ像(2010)

 本年10月24-29日(火-日)の6日間、ブラジル・ブラジリア市のUlysses Guimaraes Convention Centerにて、世界切手展<BRASILIA 2017>が開催されます。僕はその日本コミッショナーを仰せつかっていますが、先日、日本からの出品作品は以下のように決定したとの連絡が主催者側から入りましたのでお伝えいたします。(以下、リストは出品者名は日本語表記・敬称略、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおりです。今後、修正などがある可能性もあります)

 ・吉田敬 Kingdom of Prussia: 1850-1869
 ・内藤陽介 Postal History of Auschwitz 1939-1945
 ・正田幸弘 Postal History of Brazil 1795 – 1877
 ・井上和幸 Postal History of NIUAFOOU and Tin Can Mail 1882-1947
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong
 (以下、文献)
 ・祖父江義信 『手彫切手』
 ・公財・日本郵趣協会 『郷土の郵便印』
 ・スタンペディア Stampedia Philatelic Journal
 ・公財・日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログvol.1 戦前編』

 ちなみに、冒頭の画像は、2010年、ブラジリア遷都50周年を記念して発行された切手のうち、ブラジリアの三権広場の中央に建てられているカンダンゴ像を取り上げた1枚です。カンダンゴ像は、今回の切手展のロゴマークにも取り上げられておりますので、シンボリックな1枚として持ってきました。

 展覧会本番での出品者の皆様の御健闘をお祈りしております。

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 アブハジア独立25年
2017-07-23 Sun 17:39
 1992年7月23日、アブハジア自治政府がグルジア(現ジョージア)からの独立を宣言してから、今日でちょうど25周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アブハジア加刷

 これは、1992-93年のアブハジア紛争の際に、アブハジアの独立勢力が旧ソ連切手にアブハジア地図と国名、新額面などを加刷した“切手”です。

 アブハジアは黒海北岸に面した山がちの地域で、北のカフカース山脈をロシア連邦との国境としており、ジョージアは、自国の最西端に位置すると主張しています。

 旧ソ連の時代、アブハジアの地域はアブハジア自治共和国としてグルジア・ソビエト社会主義共和国に含まれていました。1985年以降のペレストロイカで民族主義が台頭すると、グルジアの民族主義者はアブハジアを統合したかたちでのグルジアの独立を主張するようになりました。ちなみに、ソ連崩壊時のアブハジアでの民族構成は、グルジア人45%、アブハジア人17%、ロシア人15%、アルメニア人15%、ギリシア人3%で、民族主義に基づくグルジア国家が樹立されれば、マイノリティとしてのアブハジア人に対してグルジア語の強制など“グルジア化”が強要されるのではないかとの懸念がアブハジア人の間にはありました。

 このため、1989年7月16日、グルジアから分離したかたちでのアブハジア国家の独立を求める暴動が、スフミ(アブハジアの首都)で発生。ソ連軍による鎮圧までに、死者16人、負傷者137人が発生しました。

 1991年4月9日に独立を宣言したグルジアは、1992年2月21日、旧ソ連時代の憲法を廃止し、ロシア革命後の1921年に制定されたグルジア民主共和国の憲法を復活させることを宣言。これを、非グルジア人の自治権の廃止と理解したアブハジア人は反発を強め、1992年7月23日、アブハジア自治政府が独立を宣言しました。

 これに対して、グルジア政府は3000人の部隊をアブハジアに送り、1週間以内に、首都スフミを制圧しました。しかし、アブハジア独立勢力は、チェチェン人など、北コーカサスの諸共和国からの義勇軍の参加を得てグルジア政府軍との交戦を継続。グルジア政府軍は次第に追い詰められ、1992年末までに、スフミ以西のアブハジアの大半は独立派が掌握します。この間、グルジア、アブハジア両軍がそれぞれの勢力圏内で“民族浄化”を行い、約3000人が犠牲になったと言われています。

 今回ご紹介の切手はこうした状況下で発行されたものです。ただし、切手発行時にはアブハジアを正規の独立国として承認した国はなかったため(ロシアがアブハジアの独立を承認したのは2008年)、この切手はアブハジア独立派の実効支配地域においてのみ有効で、国際郵便には使えませんでした。また、一時期、“アブハジア”名義で芸能人などを取り上げた切手が出回ったこともありましたが、その大半は、万国郵便連合からは正規の切手として認められていない“ラベル”です。

 その後、1994年5月15日にアブハジアとグルジアの間で停戦合意が成立し、国連平和維持軍が停戦の監視に当たっているため、現在まで大規模な戦闘は起きていません。現在、アブハジア地方の全域はアブハジア共和国の実効支配下にありますが、グルジアはあくまでもアブハジアの独立を認めず、アブハジア共和国を独立国家として承認しているのは、ロシア、ニカラグア、ヴェネズエラ、ナウルの4ヵ国(ほかに、地域の実効支配政府として、沿ドニエストル共和国、南オセチア共和国、ナゴルノ・カラバフ共和国。なお、ヴァヌアツとツヴァルはかつては独立を承認していたものの、現在は撤回)にとどまっています。


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 日田祇園祭
2017-07-22 Sat 10:59
 きょう・あす(22・23日)、大分県日田市の厄除け神事、日田祇園祭が行われます。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      日田祇園祭

 これは、1998年7月1日に発行された“ふるさと切手(大分県)・日田祇園”です。

 日田祇園祭は、豆田八阪神社・隈八坂神社・竹田若宮神社の三社の祭礼行事で、いまから400年以上前に、日隈城内にあった八坂神社が日隈城廃城のおりに現在の隈、寺町付近に移され(現八坂神社)、その後厄除け神事が行われるようになったのが由来とされています。江戸時代の寛文年間(1660-72年)には、杉の葉枝などを盛り、幕で飾った曳山があり、太鼓などで囃して巡行していたとの記録があります。1714年、南条代官のとき、京都の祇園山鉾を手本として、現在のような山鉾が奉納されるようになりました。祭神は素盞嗚尊です。

 “ヤマ”と呼ばれる山鉾は、江戸期から明治初期にかけて巨大化し、1884年には高さ10m を越える山鉾が登場しました。1901年には電柱の架線により山鉾巡行ができなくなりましたが、1924年に山鉾の高さを低くし再開。戦時中の1943年からの一時中断を経て、戦後復活し、現在に至っています。現在、祭に曳き出されるヤマは、隈地区の三隈町、大和町、竹田地区の川原町、若宮町、豆田地区の下町、上町、港町、中城町の出す8基と1990年に製作された全高10m の平成山鉾1基の計9基です。なお、今回ご紹介の切手は地元日田市の出身で文化功労者の日本画家、岩澤重夫が原画を制作しました。

 さて、日田祇園は、昨年(2016)年11月、“日田祇園の曳山行事”の名で、全国山・鉾・屋台保存連合会に加盟する33団体とともにユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」として登録されました。

 今回の祭礼は、世界遺産登録後最初に行われるものとして、関連行事の“山鉾集団顔見世”では、史上初めて、女性の囃子方が山鉾に乗ることも計画されていましたが、今月初めの九州北部豪雨で日田市も大きな被害を受けたことから、集団顔見世は中止となっています。ただし、メインの曳山行事に関しては、「祇園祭そのものが悪病退散、邪気を払う祭りなので、こんな年だからこそ何があっても開催したい」との原田啓介市長の強い意向もあって、当初の予定通り開催されることになりました。

 先日の九州北部豪雨では、農地や農業施設などの農業関連の被害額は、現時点で、福岡県でおよそ27億円、大分県がおよそ15億円、道路や橋、堤防などの土木施設の被害についても、大分県日田市でおよそ56億円、福岡県朝倉市でおよそ50億円、東峰村でおよそ10億円、添田町でおよそ7億円に達しており、政府としても、各地の梅雨明けを待って被害額を確定させたうえで、激甚災害に指定する予定です。

 きょう・あすの厄除け神事が、原田市長の言うように、災害復旧のための契機となることをお祈りしております。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は27日!★★★ 

 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 世界の国々:ウルグアイ
2017-07-21 Fri 15:04
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年7月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はウルグアイの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ウルグアイ・1931年切手展

 これは、1931年4月に開催のモンテヴィデオ切手展に際して、会場内限定で発売された小型シートで、ウルグアイ最初の切手(ただし、額面は発行当時のものに変更されています)が田型で収められています。

 ウルグアイ最初の切手は、郵便事業の責任者だったアタナシオ・ラピドにより、1856年10月1日に発行されました。

 当時のウルグアイ国内では、旅客・貨物の長距離輸送には、民間の馬車が用いられていました。このため、1856年の切手は、国旗・国章にも描かれた太陽を中央に大きく描き、上部に“(乗合)馬車”を意味する“DILIGENCIA”の表示を入れたデザインでした。切手には、60センタヴォ(青色)、80センタヴォ(緑色)、1レアル(=120センタヴォ。赤色)の3種があり、石版印刷で1シートは7×5の35面構成。モンテヴィデオのメージュ・イ・ウィレムス印刷会社で製造されています。

 同社では、最初に60センタヴォ切手を製造し、ついで、額面部分を差し換えて80センタヴォ切手を、さらに額面部分を変えて1レアル切手を製造しました。当初の製造枚数は、2-3000枚程度と推定されています。

 ちなみに、当時のウルグアイの郵便料金は、4アダルメ(アダルメは当時のウルグアイで用いられていた重量の単位で、6アダルメ=1オンス=28.7 グラム)以下が60センテシモで、2倍の重量便が80センテシモ、3倍重量便が1レアル(=100センテシモ)dした。

 また、切手が発行された1856年10月の時点では、各地の郵便局には消印が配備されていなかったため、再使用を防ぐ手段としては担当者がペンで切手を抹消しましたが、そうした抹消なしに届けられた郵便物も少なくありません。

 1857年も後半になると、60センタヴォ切手の在庫が底をつき始めますが、最初の印刷に使用した版は摩耗が激しかったため、新たな版が作られます。この第2版の切手は1857年10月1日に発行されましたが、“DILIGENCIA”の文字が異なっているほか、太陽の光線が105本から67本に減らされているなどの相違点があるため、初版の切手との区別は難しくありません

 さて、『世界の切手コレクション』7月19日号の「世界の国々」では、ウルグアイ初期の切手についての長文コラムのほか、ウルグアイを代表する後期印象派の画家ペドロ・フィガリ絵画、リオ・ネグロ産のキャビア、タンゴ史上最高の歌手の一人とされるフリオ・ソーサの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のウルグアイの次は、来週26日発売の8月2日号でのタンザニアの特集になります。こちらについては、発行日の8月2日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は27日!★★★ 

 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 マロロシア時代のドネツィク
2017-07-20 Thu 08:58
 親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部の“ドネツク人民共和国”の首相アレクサンドル・ザハチェンコは、おととい(18日)、ドネツィク(ロシア語名:ドネツク)を首都とする新国家を樹立し、帝政ロシア時代のウクライナの呼称だった“マロロシア(小ロシア)”を国名とするとの声明を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・ユーゾフカ消

 これは、ユーゾフカ(現ドネツィク)の消印が押された帝政ロシア時代の切手です。

 ドネツィクを中心とする一帯(現在のドネツィク州の領域)は、もともと、モスクワ大公国、クリミア・ハン国、ザポロージャ・コサック軍、ドン・コサック軍との国境地帯で、16世紀以降、ウクライナ・コサックが入植していました。

 1774年、この地を編入したロシア帝国はロシア人の入植を進めましたが、1869年、英国人のジョン・ヒューズが現在のドネツィク市に冶金工場を建設。以後、この地はヒューズにちなんで“ユーゾフカ”と呼ばれるようになり、炭鉱業と工業の町として発展することになりました。今回ご紹介の切手の消印も、こうした経緯から、“ユーゾフカ”の地名表示となっています。

 ロシア革命後の内戦の時代には、ボリシェヴィキ系のドネツク=クリヴォーイ・ローク・ソビエト共和国を経て、1922年末のソ連成立により、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国に編入。1924年、スターリンにちなんで市の名前はユーゾフカからスターリノに改称されました。なお、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の州としてドネツク州が設置されたのは1932年のことです。

 1938年、ドネツク州はスターリン州とヴォロシロヴフラード州に分割され、独ソ戦期の1941-43年にはドイツ軍に占領されました。その後、1961年、スターリン時代の見直しに伴い、スターリノ市はドネツィク市と改称され、これに伴い、スターリン州もドネツィク州に改名され、ウクライナの独立に伴い、ウクライナのドネツィク州となりました。

 なお、ドネツィクでは、2014年のウクライナ政変後、キエフの暫定政府に対抗して、4月7日、親ロシア派の武装勢力が州議会を占領。“ドネツク人民共和国”の建国を宣言し、現在まで実効支配を続けています。

 “ドネツク人民共和国”は、やはり親ロシア派が建国を宣言した“ルガーンスク人民共和国”とともに、2014年5月24日、連邦国家“ノヴォロシア人民共和国連邦”の結成を宣言していました。

 今回のマロロシア国家樹立宣言に際して、ザハチェンコは、現在のウクライナは破綻しており、平和と安定をもたらすことはできないとしたうえで、ドネツク人民共和国やルガーンスク人民共和国などの地域の代表が「ウクライナの後継となる新国家の樹立を宣言すること」に同意したと主張。マロロシアは、ロシアが併合したクリミア半島を除くウクライナを継承するとしています。

 もっとも、ザハチェンコの首長とは裏腹に、ルガーンスク人民共和国は“新国家”には同意しておらず、現時点では、マロロシア国家が実態のある組織となる可能性は低いでしょう。ただし、ドネツク人民共和国名義の切手を発行している組織が、今後、マロロシア切手を発行することは十分にあり得ますから、しばらくは情勢をチェックしておく必要はありそうです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は27日!★★★ 

 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 岩のドームの郵便学(52)
2017-07-19 Wed 09:47
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』649号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1994年のパレスチナ自治政府発足に対するリビアの反応について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      リビア・インティファーダ(1995)

 これは、1995年11月29日にリビアが発行した“インティファーダ8周年”の記念切手です。

 オスロ合意からパレスチナ自治政府設立にいたる一連の和平プロセスに対して、エジプトなどがこれを肯定的に受け止める一方、対イスラエル強硬派の急先鋒だったリビアは露骨に不満の意を示していました。

 すなわち、1991年の湾岸戦争に際して、リビアのカダフィ政権はPLOとともにイラク支持を表明した数少ない国の一つとして、サッダーム・フサインの唱えたリンケージ論にも賛意を示していました。ちなみに、当時のカダフィ政権は、パレスチナで反イスラエル活動を継続するハマースに資金援助しています。

 そうした立場をとってきたカダフィ政権からすれば、PLOがイスラエルとオスロ合意を結び、パレスチナの一部地域でのみ自治を開始したことは、まさにはしごを外された格好になったわけです。

 このため、PLOとアラファトの裏切りに激怒したカダフィは、1994年9月1日、革命記念日の演説で、彼らへの抗議の意思を示すため、リビア国内在住のパレスチナ人に国外退去を求める意向を表明します。その建前は、あくまでも、アラファトとPLOがパレスチナに帰還した以上、パレスチナ人も祖国に帰還すべきであるというものでしたが、現実には、パレスチナ自治政府の支配地域には、在外パレスチナ人の期間を受け入れるだけの経済的・物理的余裕がないのは誰の目にも明らかでした。したがって、いきなりパレスチナへの“帰還”を求められたリビア在住のパレスチナ人の多くは、大いに困惑しつつも、当初はカダフィ特有のブラフだろうと楽観的に考えていたようです。

 ところが、1994年12月から1995年2月にかけて、①リビア国内の各省庁から労働省に提出されていた労働契約更新のリストからパレスチナ人の除外、②各省庁から労働省に提出されていた新規の(パレスチナ人の)雇用契約の差し戻し、③パレスチナ人には新規の在住許可をあたえず、更新も認めない、④パレスチナ人のリビア入国の拒否とその周知、⑤いったん国外に退去したパレスチナ人の再入国禁止、等の措置が相次いで打ちされます。

 このため、エジプトとの国境地帯にパレスチナ人が押し寄せたほか、海路、シリア、レバノンに脱出しようとするパレスチナ人が続出しましたが、各国はいずれもパレスチナ人の“難民”としての入国を認めなかったため、多くのパレスチナ人がリビア=エジプト国境の砂漠地帯や地中海上に留め置かれることになりました。

 結局、10月26日、カダフィがパレスチナ人“追放令”を撤回したことで事態は収拾に向かうのですが、カダフィのこうした姿勢は、オスロ合意とそれに基づいて発足したパレスチナ自治政府の正当性を認めず、その統治を拒否するハマースを側面から支援することになっていきます。

 一方、イスラエル国内でも、オスロ合意とパレスチナ自治政府をパレスチナ側に対する過剰な譲歩として批判する声は右派勢力を中心に少なくありませんでした。そうしたなかで、1995年11月4日、テルアヴィヴで開催された平和集会に参加した首相のラビンが、ユダヤ民族至上主義を奉じるイガール・アミンによって暗殺されてしまいます。殺害の動機について、アミンは「神の律法によれば、ユダヤ人の土地を敵に渡してしまう者は殺すべきことになっている」と語りました。ただし、そのユダヤの律法では、ユダヤ人がユダヤ人を殺すことは明確に禁じられています。

 ラビン暗殺を受けて、リビア国営ジャマヒリア通信は「彼の手は虐殺されたパレスチナ人の血で染まっている」とするカダフィの歓迎声明を発表。それを補足するかのように、今回ご紹介の切手では、岩のドームを背景にイスラエルに対する抵抗運動を展開する人々が描かれており、ラビン暗殺後の混乱に乗じて、反イスラエルのテロ/武装闘争を煽動しているかのような印象を与えるものとなりました。

 はたして、1996年1月、自治政府の国家に相当するパレスチナ評議会の選挙が行われることになりましたが、ハマース、イスラム聖戦、ヒズボラなどイスラム原理主義勢力は選挙をボイコットし、テロ活動を激化させていきます。

 そうした中で、ラビンの暗殺後、緊急閣議で暫定内閣の首相代行を経て、首相(2度目)に就任したのは、外相として和平プロセスを進めていたシモン・ペレスでしたが、1996年3月3-4日、和平に反発するパレスチナの過激派が2度の自爆テロを起こし、30人のイスラエル人が死亡すると、対パレスチナ強硬派のリクード連合を基盤とするベンヤミン・ネタニヤフがそれを材料に労働党政権を批判。さらにレバノンのヒズボラもイスラエルを攻撃するなど、治安が急激に悪化したことが要因となって、1996年4月の首相公選では、ペレスはネタニヤフに敗れ、政権を失うことになります。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


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 開催御礼
2017-07-18 Tue 07:59
      フランス・メルシー(2003)

  おかげ様で、<全日本切手展2017>(以下、全日展)および併催の<オーストラリア切手展>昨日(17日)16:00、盛況のうちに無事終了いたしました。

  今回の展覧会は、中川幸洋さんの菊切手、永井正保さんのグランプリコレクション、長島裕信さんのカンガルーと地図切手、児玉博昭さんの乃木2銭切手という、それぞれの分野での最高水準のコレクションをお招きして特別展示できたほか、競争出品もハイレベルな内容で、ご参観者の皆様にもご満足いただけたのではないかと思います。

 これもひとえに、ご後援を賜りましたオーストラリア大使館、日本郵便株式会社、公益財団法人・日本郵趣協会、一般財団法人・切手文化博物館、日本郵便切手商協同組合、特定非営利活動法人・日本郵便文化振興機構、御協賛を賜りました無料世界切手カタログ・スタンペディア株式会社、貴重なコレクションを展示したいただきましたご出品者の皆様、ブースをご出店いただきましたディーラーの方々、そして、寄附金を拠出していただきました皆様ほか、大勢の方々のご支援・ご協力のおかげです。

 実行委員長として、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 なお、来年(2018年)の全日本切手展は、7月20-22日、今年と同じく、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の予定で、すでに準備を始めております。開催資金の調達をはじめ、クリアしなければならない課題は山積しており、今後とも、皆様方にはいろいろとご支援・ご協力をお願いすることになるかと思われますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 * 冒頭の画像は、2003年、フランスが発行した“ありがとう”のグリーティング切手です。皆様への感謝の気持ちを込めて、取り上げてみました。


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 全日展、本日最終日です!
2017-07-17 Mon 06:36
 はやいもので、15日から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催中の全日本切手展2017(以下、全日展)は本日が最終日となりました。今回は、特別展示の菊切手、併催のオーストラリア切手展とともに、乃木2銭切手発行80周年にちなみ、郵政博物館のご協力も得て、乃木2銭切手の特別展示も行っています。というわけで、きょうはその展示の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      乃木2銭原画  1次昭和・乃木2銭

 左は、今回の全一店会場に展示している乃木2銭切手の原画で、郵政博物館の所蔵品です。実際に発行された切手は右側のように紅赤色で、原画の色合いは、むしろ、東郷4銭の切手に近い雰囲気です。

 1935年7月、逓信省は、1912年以来使われてきた田沢型切手がオールドファッションになっていたことを踏まえ、1936年中をめどに、風景や人物などを題材とする新切手を発行する方針を決定します。しかし、そのための実務作業は遅れ、“改正郵便切手圖案審査委員会”の第1回会合が開催されたのは、1937年3月27日のことでした。すでに、4日後の4月1日から、郵便料金が改正され、書状の基本料金が3銭から4銭に、葉書料金が1銭5厘から2銭に、それぞれ値上げされることが決まっていたため、委員会では、まず、2銭・4銭切手ならびに新額面の葉書の印面の図案の審議が行われました。

 会議の席上、郵務局長から、4銭切手の図案は東郷元帥、2銭切手の図案は乃木大将、葉書の印面は楠公銅像とする方針が説明され、討議が行われました。その際、東郷元帥の肖像については、出席した委員からいろいろとクレームが出たものの、乃木大将の肖像については、殉死当日の写真を使用することですんなりと決定しています。

 切手のデザインは、当時のドイツの通常切手(大統領ヒンデンブルクの肖像が描かれていました)にならい白線彫刻で肖像を表現したもので、1945年まで発行・使用が続けられました。初期の切手は紅赤色に白線がくっきりと浮かび上がる美しい切手でしたが、太平洋戦争の開戦後は次第に切手の品質も劣化し、末期には、肖像がほとんど潰れてしまった幽霊のような切手も出回っています。

 さて、今回の全日展の特別展示では、“乃木バカ”の愛称で親しまれている児玉博昭さんの専門コレクションと、郵政博物館所蔵資料として、今回ご紹介の原画、プラハ万博に出品された原版刷、乃木2銭切手の最大の稀品とされる朱色の単線12目打のシートを展示しております。乃木2銭切手の展示としては、質量ともに空前絶後の規模になったと自負しておりますので、ぜひ、この機会をお見逃しなく、会場にてご覧いただけると幸いです。

 * 昨日の内藤の展示解説は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


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 本日、展示解説やります
2017-07-16 Sun 05:27
 昨日(15日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展2017(以下、全日展)がスタートしました。本日(16日)は僕も15:30から、チャンピオンクラスに出品中の「香港の歴史」について、展示解説をやります。というわけで、全日展と併催のオーストラリア切手展とも絡めて、今回の出品作品の中から、オーストラリア切手が貼られたマテリアルをご紹介します。

      オーストラリア・香港宛返戻

 これは、日英開戦日の1941年12月8日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のドラモインから香港・九龍の金巴利道(キンバリー・ロード)宛に差し出されたものの、戦争により郵便物の取り扱いが停止されたため、その旨の事情説明の印を押して差出人に返戻された郵便物です。
 
 1939年の欧州大戦勃発を受けて、1940年6月、英国の香港政庁は香港在住のヨーロッパ人の女性と子供をオーストラリアへ避難させるよう、住民に命じます。“敵国”(名指しこそないものの、それが日本を意味することは明白でした)から攻撃を受け、香港が戦場となる可能性が高まっていると判断したためです。

 特に、1940年9月、日本軍が北部仏印に進駐し、米国を仮想敵国とする日独伊三国軍事同盟を結ぶと、日本と連合諸国の関係は一挙に悪化し、香港社会の緊張も一挙に高まります。

 すなわち、市街地の重要なビルには土嚢が積み上げられ、天星小輪(スターフェリー)の船着場にはおびただしい数の砲台が並べられました。また、灯火管制の演習は頻度を増し、街頭の新聞スタンドの売り子は「我々は最後の血の一滴まで香港を守ってみせる」と豪語していました。根も葉もない噂に注意しようとの香港政庁のキャンペーンが展開され、それをもじって「不確かな情報は国家を危機に追いやる。代わりに、タイガー・ビールについて話をしよう」という広告がいたるところで見られるようになり、各種の戦時公債・基金の募集もさかんに行われています。

 もっとも、大英帝国の宰相チャーチルは、日本との戦争が始まった場合には香港の防衛は絶望的で、日本の敗戦以外に香港を奪還することは不可能だとの見通しに立っていました。このため、1941年初頭の段階では、英国の香港駐留軍の内訳は、本国から派遣された歩兵二個大隊とインド軍二個大隊を中心にごくわずかな砲兵隊、自動車部隊、義勇軍、わずかな小型戦闘艦艇、飛行艇二機、三隻の水雷艇(ただし、いずれも肝心の水雷は装備していません)のみという脆弱なものでした。また、香港の守備隊を増強することはかえって日本軍を刺激して危険であるという判断さえなされていました。

 さらに、1940年から1941年にかけての香港社会には、日本軍がまさか香港を攻撃するはずがないという根拠のない楽観論が満ち溢れていました。じっさい、香港政庁が欧米系の全婦女子に香港島からの避難を命じた後も、彼女たちのうちの900人は何かと口実をつけて、日英開戦まで香港に居残り続けています。

 こうした楽観的な世論の背景には、日中戦争の長期化に伴う余得で、香港が空前の経済的活況を呈していたという事情がありました。

 すなわち、1931年には85万弱といわれていた香港の人口は、いわゆる日中戦争の勃発した1937年には100万を越え、その後、上海廣州からの難民が大量に流入したこともあって、1941年の時点では175万人にまで膨れ上がっていました。その中には富裕な実業家も少なからず含まれており、香港には、日本軍の占領下で陸の孤島と化した上海に代わる中国経済の拠点という地位が突如として転がり込んできたわけです。

 こうした楽観的な空気を反映して、香港駐留のインド軍司令官、クリストファー・マルトビーは、中国=香港間の国境から英国の防御線である醉酒灣防線までは12マイルもあり、国境の守備隊が九龍に撤退する時間は十分に稼げるし、シンガポールから援軍が到着するまで守備隊は持ちこたえることが可能であるとの見通しを持っていました。

 強気のマルトビーに引きずられるかたちで、本国のチャーチルも、それなりに香港の軍備を増強すれば、香港が日本軍の進撃を食い止める防波堤として機能し、日本軍に大きな打撃を与えることも可能なのではないかと考えるようになります。

 こうして、カナダから旅団司令部、通信中隊、歩兵2個大隊が派遣され、1941年11月16日、香港に到着。英領バルバドスから赴任してきたばかりの新総督マーク・ヤングの下に合計1万2000名からなる香港防衛軍が編成されました。しかし、カナダからの増援部隊の兵士は、ほとんどがフランス語圏の出身であったため、既存の香港駐留軍との連携が上手く取れず、そのうえ、彼らには実戦経験もほとんどなく、とうてい、実戦経験の豊かな日本軍に太刀打ちできるようなレベルではありませんでした。

 これに対して、米英との開戦を決意した日本軍は着々と香港攻略の準備を進め、カナダ軍が香港に到着する10日前の11月6日には大本営陸軍部が「香港攻略作戦要領」を完成させ、3970人の兵員の配置を完了しています。

 日英開戦2週間前の11月25日、香港政庁は市民に対して、香港島と九龍市街地に数箇所の避難場所を設け、そこに食糧を備蓄していることを公表。あわせて、住民の居住地ごとに、日本軍の攻撃が始まった場合の避難先も指定されています。在留日本人の帰国も相次ぎ、開戦3日前の12月5日には日本語新聞も休刊になりました。

 こうして、日英開戦に向けての緊張が一挙に高まっていく一方で、香港の市街地では、依然、戦争は他人事といった空気も濃厚で、開戦前日、12月7日の新聞にはクリスマス・ギフトの広告があふれ、半島酒店(ペニンシュラ・ホテル)はクリスマスや新年のためのディナーやコンサート、宿泊の予約を募っています。

 一方、国境を越えた深圳河一帯には日本陸軍の第38師団が集結していた。彼らが暗号電「ハナサク ハナサク」を受信し、深圳河をこえて進軍を開始するのは、香港の人々がまだ深い眠りの中にあった12月8日午前3時51分のことでした。その後、同月25日、香港の英軍は降伏し、香港における日本占領時代がスタートします。これに伴い、1945年の終戦まで香港と海外との通信も遮断され、香港は国際社会から物理的に孤立することになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

* 昨日、アクセスカウンターが181万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


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      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 きょうからオーストラリア切手展(+全日展)
2017-07-15 Sat 06:01
 かねてご案内の通り、きょう(15日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館8階で、オーストラリア切手展(全日本切手展2017=全日展と併催)がスタートします。というわけで、きょうは、オーストラリア関連の展示の目玉のひとつとして、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴィクトリア・ハーフレングス(1850年・2ペンス)

 これは、オーストラリア連邦成立以前の1850年に発行されたヴィクトリア植民地最初の切手のうち2ペンス切手です。ヴィクトリアの1850年・2ペンス切手の未使用は、現存、2-3枚と推定されていますが、これはそのうちの1枚です。

 ことし3-4月、オーストラリア・メルボルンで開催のアジア国際切手展<Melbourne 2017>で、日本から出品された永井正保さんのPrivate Printing Period in Victoria 1850-1859(民間印刷時代のヴィクトリアの切手 1850-1859)が、開催国オーストラリア関連の作品として最高賞のナショナル・グランプリを受賞しました。オーストラリアでの日本人のナショナル・グランプリ授賞は、佐藤浩一さんのタスマニアに次いで2人目の快挙です。

 そこで、永井さんの快挙をたたえるとともに、これを機縁に切手を通じた日豪両国の友好親善を深めるため、オーストラリア大使館のご後援の下、永井さんのグランプリ受賞作品とともに、オーストラリア連邦として最初の切手として有名なカンガルー切手のコレクションAustralia – Kangaroo and Map Design Postage Stamps(カンガルーと地図切手)を、同展の日本コミッショナー、長島裕信さんにご出品いただき、オーストラリア切手展を開催することとしました。

 さて、現在のオーストラリア・ヴィクトリア州の地域には、1803年、最初の流刑植民団がメルボルン付近のポート・フィリップ湾に入植しましたが、この時の植民地は7ヶ月で崩壊。その後、20年以上を経て再入植が行われ、ニュー・サウス・ウェールズ流刑植民地政府の管理下に置かれました。その後、1851年には、ニュー・サウス・ウェールズから分離した“ヴィクトリア植民地政府”が成立しますが、これに先立ち、1850年1月1日から、ヴィクトリア植民地は独自の切手発行を開始しました。

 最初の切手は、教会の牧師で凹版彫刻の技術があったトーマス・ハムが製造し、1849年12月29日、英本国のヴィクトリア女王を描く3種の切手“ハーフレングス(半身像の意)”が納品されました。最初の切手の発行枚数は、1ペニーが1380枚、2ペンスが5460枚、3ペンスが2760枚だったと考えられています。その後、1854年には図案はそのままに、印刷所が変更されるなどしたため、ハーフレングスの切手には、さまざまなヴァラエティが生じることになりました。
 
 今回の永井さんのコレクションは、ハーフレングスをはじめ、ヴィクトリア植民地初期の貴重な切手が網羅された重厚なコレクションで、まさにグランプリに相応しい作品です。

 ぜひ、会場にてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

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 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


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 あすから全日展(+オーストラリア切手展)
2017-07-14 Fri 01:14
 あす(15日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。(下はチケットの画像。以下、画像はクリックで拡大されます)

      全日展2017チケット

 今回は、全国の収集家の皆さんによる競争出品に加え、ことし4月にアジア国際切手展<Melbourne 2017>で永井正保さんがナショナル・グランプリを受賞したことを称え、オーストラリア大使館のご後援の下、“オーストラリア切手展”を併催するほか、昨年の小判切手に続き、菊切手としてはFIP世界展で初めて大金賞を受賞した中川幸洋さんによる特別展示、そして、乃木2銭発行80周年にちなむ特別展示(児玉博昭さんと郵政博物館のコラボ企画です)を行います。チケットのデザインもそのことをイメージして、左側には、中川コレクションの名品として知られる菊切手1円の銘付田型(下の画像)をデザインしました。

      菊1円銘付田型

 明治30(1897)年、逓信省は普通切手のデザイン一新を計画します。

 それまでの小判切手は、明治9(1876)年以来、断続的に額面を追加して発行してきたため、デザインが不統一なうえ、途中で刷色が変更されるものもあるなどして、現場の郵便局員の間では額面を見誤る例が少なからずあったようです。また、急激な技術水準の向上に比べて、低いレベルの技術のままで作られた切手では、偽造のおそれも出てきました。

 逓信省は、切手デザインの一新に乗り出した理由として、公式にはこのように説明しています。

 しかし、こうした技術的な面に加え、明治28(1895)年の三国干渉を経て、日本社会全体に国粋主義的な傾向が急速に広がっていく中で、明治10年代の欧化主義を象徴するかのような切手のデザインに対する不満が広がっていたという時代背景があったことも見逃せません。じっさい、当時の逓信大臣・末松謙澄は小判切手のデザインに対して大いに不満を持っていました。

 末松謙澄は、安政2年8月20日(1855年9月30日)、豊前国前田村(現・福岡県行橋市)生まれ。地元の私塾・水哉園で漢学と国学を学んだ後、明治4(1871)年に上京し、翌明治5(1872)年、東京師範学校(現・筑波大学)に入学しました。しかし、学校生活に不満を感じてすぐに中退。明治7(1874)年、東京日日新聞社に入社し、笹波萍二のペンネームで社説を執筆するようになります。

 明治8(1875)年、東京日日新聞社の社長・福地源一郎の仲介で伊藤博文の知遇を得て官界入りすると、朝鮮との開国交渉に随行し、日朝修好条規の起草に参加。明治10(1877)年の西南戦争の際には山縣有朋の秘書官として西郷隆盛宛の降伏勧告状を起草しました。その後、国費で英国に留学。留学中、「義経=ジンギスカン説」を唱える論文『義経再興記』を英国で発表したり、『源氏物語』を英訳したりするなどの文筆活動を行っています。

 明治19(1886)年、鹿鳴館の時代に帰国。明治22(1888)年に伊藤博文の二女・生子と結婚。翌明治23(1889)年の第1回衆議院議員総選挙で福岡県から当選して衆議院議員となり政界入りし、明治25(1892)年、第2次伊藤内閣が成立すると法制局長官に就任。明治28(1895)年に男爵となり、翌明治29(1896)年、貴族院議員となりました。そして、明治31(1898)年、第3次伊藤内閣が発足すると逓信大臣として初入閣を果たしています。

 もともと漢学・国学の素養があり、英国での留学を経て、より“日本人”であることを強く意識するようになった末松は、帰国して目の当たりにした鹿鳴館の狂騒を決して快くは思わなかったでしょうし、三国干渉後の国粋主義的な風潮とは同調しやすい資質の持ち主であったと思われます。

 そうした大臣の意向を反映したのでしょう。普通切手のデザインを一新するにあたって、印刷局と逓信省との協議の結果、まとめられた基本方針は、
 ① 切手に欧文を入れるのは独立国の体面上妥当ではない
 ② 大日本帝国の切手であることを示すには菊花紋章のみで十分
 ③ 小判切手に見られる“IMPERIAL JAPANESE POST”の表示は絶対に外す
 ことを骨子としてまとめられました。

 なお、②の菊花紋章のみで十分という項目は、あるいは、英国に留学していた末松が、現地で日常的に目にしていた英国切手には国名の表示がなく、ヴィクトリア女王の肖像のみで英国の切手であることを示していたのを念頭に置いてのものだったのかもしれません。ただし、英国の切手に国名の表示がないのは、あくまでも、英国が世界最初の切手発行国だからであって、それをそのまま日本が真似ようというのは、やはり無理がありました。

 新普通切手の基本方針が決まると印刷局の斉藤知三が原図を作成し、原版を彫刻します。

 新たなデザインは、まず、明治31(1898)年12月1日に発行された1銭葉書の印面として登場。ついで、明治32(1899)年1月1日、新デザインの普通切手の発行が始まりました。最初に発行されたのは、2銭切手、4銭切手、10銭切手の3額面で、以下、計18種類の切手が発行されています。

 新しい普通切手は、デザインの基本的な構造として、中央に大きく菊花紋章を描いていることから、“菊切手”と総称されています。

 菊切手のデザインは、額面の表示以外、文字は全て漢字で、小判切手に見られる英文の国名表示はありません。また、欧化主義の時代に発行が開始された小判切手では、西洋の交通・通信のシンボルである車輪、スクリュー、気球などが入れられていましたが、菊切手では、それらは日本古来の駅鈴に置き換えられています。

いずれにせよ、小判切手と比べると、“日本”を前面に押し出したデザインの切手であり、日露戦争に向かいつつある、当時の日本社会全体の空気が切手上にも影を落としているといってよいでしょう。

 今回ご紹介の1円切手は、1899年10月1日、第3次発行分の1枚で、菊切手としては最高額面。中央の菊花紋章のみならず、その他の部分も白抜きで全て浮き出しのエンボス加工が施されているという凝ったつくりになっています。

 菊花紋章をエンボスにしている例は、これ以前にも1888年に発行の新小判切手の1円切手の例がありますが、新小判切手が中央の紋章部分のみがエンボスで輪郭がないのに対して、菊切手の場合は花弁の一つずつが独立して輪郭が描かれ、それにあわせてエンボスが施されており、印刷物としてはかなり緻密な仕上がりです。

 紋章の周囲には国名と鹿島神宮の古鈴が白抜きで描かれ、外側には植物の文様と額面表示が白抜きで描かれ、それらもエンボス加工が施されています。なお、切手に描かれた古鈴は、もともと、鹿島正等寺に伝わっていたもので、後に鹿島神宮の所蔵となったもの。切手の発行時には駅鈴の一種と考えられており、それゆえ、切手にも取り上げられたのですが、その後の研究によって、駅鈴ではないことが判明しています。

 さて、今回の全日展で展示予定の中川幸洋さんのコレクションでは、菊切手のコレクションとしては、現在、世界最高峰と評価されているものです。ぜひ、この機会を逃さず、会場にお越しいただけると幸いです。
 

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 南極で1兆トン以上の氷山分離
2017-07-13 Thu 11:25
 地球温暖化の影響を調べている英国の研究プロジェクト“MIDAS”のチームは、昨日(12日)、南極のラーセンC棚氷から、観測史上最大級となる1兆トン以上の氷山“A68”が分離したと発表しました。といわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      英領南極・カール・ラーセン

 これは、1973年に英領南極が発行したカール・ラーセンの切手です。

 カール・ラーセンは、1860年、ノルウェーのオストレ・ハルセン生まれ。1892年から1894年にかけて、捕鯨船ジェイソン号を率いて南緯68度10分まで、グレアムランド(南極半島の先端側)東岸を航行。その過程で、1893年12月、巨大な棚氷を発見しました。これが、今回、巨大氷山が分離したラーセン棚氷です。ちなみに、棚氷を発見したラーセンは、そのうえでスキーを楽しんだことから、南極で初めてスキーをした人物にもなりました。

 棚氷は、南極大陸を覆う氷床が海に押し出されてできたもので、ラーセン棚氷はロンギング岬からハースト島の南までの間に広がる巨大なものです。もともとは、A・B・Cの3つに分かれていましたが、このうち、ラーセンA棚氷は1995年に、ラーセンB棚氷は2002年に崩壊し、最北に残されたラーセンC棚氷も亀裂の拡大が進んでいます。

 今回、ラーセンC棚氷からA68は、厚さ200-600m、面積は三重県とほぼ同じ約5800平方キロ。これにより、ラーセンCの面積の12%以上が失われた計算になります。

 A68は、今回の分離以前からすでに海上にあったため、すぐに海面の上昇に影響を与えるわけではないとみられていますが、世界各国でつくる南極研究科学委員会の研究チームは「将来、氷山の分離はより頻繁に起きるだろう。生態系への影響調査が欠かせない」との声明を出しています。


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 世界の国々:南アフリカ
2017-07-12 Wed 11:17
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年7月12日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は南アフリカの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      南アフリカ・ワイン(1977)

 これは、1977年に発行された“ヴィンテージワインの品質に関する国際シンポジウム”の記念切手で、赤と白のグラスワインが取り上げられています。

 ケープタウンの歴史は、1652年、ファン・リーベックが3隻のオランダ船を率いて上陸し、インド=オランダ航路の中継地としての基礎を築いたことから始まりますが、はやくも1655年には初代総督となったファン・リーベック本人がブドウの苗木を植え、1659年に最初のワインを生産しています。

 第2代総督のシモン・ファン・デル・ステルは、1679年、内陸進出の拠点として、テーブル・マウンテンの山麓にケープタウンに次ぐ第2の都市としてステレンボッシュを建設しました。

 開拓地は1682年に地方自治体となり、翌年には学校も開設されるなど、急速に発展。1685年にはファン・デル・ステル本人が近郊にマナー・ハウスと呼ばれる住居を建設。1689年、その周囲に750ヘクタールのブドウ畑を開拓。これが、現在のコンスタンシア地区のルーツで、マナー・ハウスの建物は、後に南ア最古のワイナリー、グルート・コンスタンシアとなりました。

 17世紀末、フランスから、ステレンボッシュとその周辺にプロテスタントのユグノー移民が大挙して流入。彼らは、この地が気候的にも、土壌の面でもブドウ栽培に適していることを見抜き、フランス仕込みのワイン生産を開始。ステレンボッシュに続き、現在の西ケープ州内のパール、フランシュフック、サマセット・ウェスト、ウェリントンの5つの隣接する地域を開拓しました。現在、それらはワイン・ランドと総称されています。

 1778年、ドイツ系移民の血を引くヘンドリック・クローテは、ワイナリー、グルート・コンスタンスを率いて、デザート・ワインの傑作“コンスタンシア”を作り出しました。

 ヘンドリックの死後、コンスタンシアのワイナリーは息子のヘンドリックJrを経て、孫のヤコブ・ピーターが後を継いだ。フランス語に堪能だったヤコブ・ピーターはパリにコンスタンシアの代理店を開設。ナポレオン戦争でフランスのワイン産業が大きな打撃を受けたことに加え、英仏間の貿易が途絶したこともあって、以後、コンスタンシアは最上級のデザート・ワインとしてヨーロッパの上流社会を席捲します。そして、コンスタンシアに牽引されるかたちで、他のケープ・ワインもヨーロッパで広く飲まれるようになり、ケープ植民地のワイン産業は急速に発展しました。

 ところが、1861年、英仏関係が改善され、英国でのフランス製品への輸入関税が大幅に引き下げられると、ケープ・ワインの英国向け輸出は激減。さらに、1866年にはブドウに被害をもたらす害虫、フィロキセラが蔓延してケープ・ワインの生産は壊滅的な打撃を受けました。その後、ボーア戦争を経て、1910年、ケープ植民地は英領南アフリカ連邦に編入されますが、これと前後して、北米から、フィロキセラに対する耐性があるブドウの苗木が持ち込まれ、ケープ・ワインも復活しました。

 しかし、1910年代、ケープ・ワインは過剰生産で値崩れを起こしたため、南ア政府は、1918年、ワインの生産調整と価格安定を目的に、南アフリカ醸造者協同組合(KWV)を設立。ケープ・ワインの市場と価格を管理するようになりました。KWVは1997年に株式会社化され、2002年に完全民営化されましたが、現在なお、KWVは輸出されるケープ・ワインの相当部分を扱っています。

 さて、『世界の切手コレクション』7月12日号の「世界の国々」では、ケープ・ワインについての長文コラムのほか、ロベン島監獄差出の郵便物フランス・ウールダーの絵画「ロブスターのある風景」キャンプス・ベイ、ヤン・ファン・リーベック、ケープ・ペンギンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回の南アフリカの次は、本日(12日)発売の7月19日号でのウルグアイの特集になります。こちらについては、発行日の19日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


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 トルキスタン総督府150年
2017-07-11 Tue 22:58
 1867年7月11日、ロシアによる中央アジア支配の拠点として、タシュケントにトルキスタン総督府が設置されて、今日でちょうど150年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブハラ・ユダヤ人(19世紀後半)

 これは、2015年にイスラエルが発行した“ユダヤ・コミュニティの宝石”の切手のうち、19世紀後半、トルキスタン総督府支配下のブハラ・ユダヤ人の結婚式の新婦の髪飾りを取り上げた1枚で、タブには、当時の新郎新婦の写真が取り上げられています。

 現在、ウズベキスタンをはじめとする中央アジア諸国では人口の9割以上をムスリムが占めていますが、かつては、相当数のユダヤ人が住んでいました。

 歴史的にみると、中央アジアで比較的大きなユダヤ人コミュニティが存在していたのは、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドなど、現在のウズベキスタン領内の諸都市が中心でしたが、その居住地域は、現在の国名でいうと、ロシアやカザフスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン、パキスタン、キルギス等にまで広がっていました。

 こうした中央アジアのユダヤ人は、ロシア人やアシュケナジーム(イディッシュ語を話すドイツ系ユダヤ人)から“ブハラ・アミール国(現在のウズベキスタンの前身の一つ)のユダヤ人”という意味で“ブハラ・ユダヤ人”と呼ばれていました。また、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドの各都市は、いずれも、シルクロードのオアシス都市として繁栄していたことから、イランやアフガニスタンなどから中央アジアへ移住するユダヤ人もあり、外部からは、彼らも一括してブハラ・ユダヤ人とされていました。

 ブハラ・ユダヤ人の多くは、自らを“ユダヤの失われた10支族(『旧約聖書』に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族)”のうち、紀元前6世紀のバビロン捕囚からの解放以後、カナンの地に戻らなかった支族の子孫であると主張しています。この伝承が歴史的事実であるかどうかはともかく、彼らが、中央アジアでも最も古い宗教・エスニック集団の一つとして独自の文化を育んできたことは間違いありません。

 ブハラ・ユダヤ人は、ヘブライ文字を使うタジク・ペルシャ語(通常のペルシャ語はアラビア文字を使います)を母語としていたため、周辺のムスリム系諸民族とも容易にコミュニケーションをとることができました。ただし、都市部においては、ブハラ・ユダヤ人は、ムスリムとは混在せず、シナゴーグを中心としたユダヤ人のみの居住区を作り、商業や手工業等に従事するというのが近代以前の一般的な姿でした。

 19世紀中盤以降、中央アジアへの本格的な進出を始めた帝政ロシアは、ブハラ・ユダヤ人を積極的に活用し、ユダヤ人の側もロシアとの交易拡大を期待してロシア人の進出を歓迎。この結果、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ブハラ・アミール国が帝政ロシアによって保護国化されると、ロシアと結んで巨額の利益を得るユダヤ商人が数多く登場します。今回ご紹介の切手に取り上げられたブハラ・ユダヤ人の宝飾も、そうした彼らの財力を反映したものでした。

 19世紀末になり、シオニズムが登場すると、ブハラ・ユダヤ人の中にも、それに共鳴してエルサレムに移住する者が現れます。彼らの中には富裕な商人も少なくなかったため、1898年には、その財力を背景にエルサレム旧市街の城壁外にブハラ・ユダヤ人の居住区も建設されました。

 エルサレム在住のブハラ・ユダヤ人の人口は第一次大戦までに1500人にまで拡大したが、1917年のロシア革命で社会主義政権が誕生すると、ソ連(1922年末成立)領内からユダヤ人の出国は大きく制限され、ブハラ・ユダヤ人のパレスチナへの移住も途絶しました。

 さらに、ソ連の支配下で成立したウズベク・ソヴィエト社会主義共和国の支配下では、従来からのブハラ・ユダヤ人に加え、東欧など、他の地域から労働者や官僚、軍人などとしてウズベキスタンの地に移住するユダヤ人(その大半はアシュケナジーム)も増加したため、現在のウズベキスタン国家においては、ふたつの異なるユダヤ人コミュニティが併存するようになります。また、ソ連の教育により、彼らの間にロシア語が急速に普及していきました。

 1967年に第3次中東戦争が勃発した時点で、イスラエル在住のブハラ・ユダヤ人は約2万人でしたが、その後、ソ連は国内のユダヤ人の出国制限を緩和し、1980年代初頭までに約3万人が移住。さらに、1985年にペレストロイカが始まると、ブハラ・ユダヤ人の国外出国には拍車がかかり、1991年末のソ連崩壊を経て、1992年までに約4万人がイスラエル、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどに移住していきました。現在、ウズベキスタン国内のブハラ・ユダヤ人は、タシュケントを中心に、5000人以下にまで減少しています。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 モスル解放
2017-07-10 Mon 11:05
 イラクのアバディ首相は、きのう(9日)、“イスラム国”を自称する過激派組織のダーイシュが同国最大の拠点としてきたモスルを訪れ、ダーイシュに勝利し、モスルを解放したと宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・モスルのミナレット

 これは、1967年にイラクが発行した観光宣伝の切手のうち、モスルのヌーリー・モスク(光のモスク)のミナレットを取り上げた1枚です。

 ヌーリー・モスクは、1172年、ザンギー朝・シリア地方のスルターンであったヌールッディーン・マフムードの命により、もともとこの地にあったモスクを改修・拡張するかたちで建立されました。モスクの名前は、ヌールッディーンに由来します。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたミナレットはモスクの敷地の北西隅に位置しており、地中8.8m、高さ15.5mの直方体の基部の上に、高さ45mの円筒形のシャフト部が乗った構造です。円筒形のシャフト部の外壁には、鉛直方向に7パターンの異なる幾何学模様が並ぶように装飾煉瓦が貼られているため、外見上、7層の塔のように見えます。また、基部の東面にはアーチ状の入口があり、内部の螺旋階段を使って、頂上に上ることも可能です。

 このミナレットはすでに14世紀には傾いており、このため、“湾曲”を意味するアラビア語の“ハドバーゥ”の愛称でも親しまれています。その理由については、コーラン第17章に記されているムハンマドの天界飛翔の際、天馬にまたがったムハンマドに敬意を表してミナレットが自ら傾きそのままになったという伝承が伝えられていますが、実際には、外壁の煉瓦が昼夜の温度差で膨張と収縮を繰り返し、南東側が縮んだということのようです。

 親英王制下の1942年、イラク政府はヌーリー・モスクの大規模な改修を行い、モスク本体は“近代化”されてしまいましたが、バドバーゥはそのまま残されました。その後、調査により倒壊の危険があることが分かったため、1970年代には補修工事が行われましたが、その工事途中の1980年、イラン・イラク戦争が勃発。翌1981年に工事は完了したものの、イランの空爆によりモスルの街の下水設備が破壊され、モスクの排水機能が損害を受けたことで、バドバーゥはさらに傾くことになりました。

 2014年6月、モスルを占領したダーイシュは、当初、バドバーゥを破壊するとの声明を出しましたが、地元住民の激しい抵抗の前にこれを断念。7月4日には、ダーイシュの首領、アブー・バクル・バグダーディーがヌーリー・モスクの金曜礼拝に姿を現し、カリフ制の復活と、自らがカリフとなることを宣言しました。

 こうして、ダーイシュ支配下でも維持されるかに見えたヌーリー・モスクとバドバーゥでしたが、イラク政府軍によるモスル奪還作戦が展開されていく過程で、2017年6月21日、追い詰められたダーイシュはモスクとバドバーゥを破壊。その後、彼らの残党はモスルを脱出して、彼らが“首都”と位置付けるラッカなどで活動を継続しています。


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 小さな世界のお菓子たち:アイスクリームの切手
2017-07-09 Sun 08:34
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第35号(2017年春号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ノルウェー・動物園(チンパンジー)

 これは、2016年にノルウェーが2016年に発行した“ディレパルク50年”の記念切手のうち、2段重ねのアイスクリームを持つチンパンジー(動物公園のイメージ)を描く1枚です。切手は、目打の型抜きをしたシール式で、国内向けの基本料金用(無額面の永久保証)となっています。

 北欧のノルウェーでは、アイスクリームは“イース(is)”と言い、コーン・タイプのアイスクリームはクローネイース、ソフトクリームはソフトイースと呼ばれています。

 このうち、コーン・タイプのクローネイースは、もともとは“王冠アイス”の意味です。これは、このタイプのアイスクリームを初めて売り出したメーカーの商標が王冠だったことによるものですが、現在では、メーカーを問わず、コーン・タイプのアイスクリームはこの名でよばれることになりました。なお、ノルウェーでは、通常、アイスクリームのコーンの内側にはチョコレートがコーティングされています。

 切手の題材となったディレパルケンは、ノルウェー南部の港湾都市、クリスティアンサンの中心部から東に11キロほどの場所にある動物公園とアミューズメント・パークの複合施設で、1966年6月26日にオープンしました。

 動物公園では、オオカミ、ヤマネコ、クズリ、トラ、ライオン、チーター、チンパンジー、シマウマ、オランウータンなど148種の動物を自然に近い状態で飼育しており、レクリエーション施設と組み合わせた構造になっています。60ヘクタールの敷地内には、このほか、ノルウェーを代表する児童文学作家、トールビョルン・エグネルの作品に登場する架空の町“カルダモン・タウン”を再現したアトラクションや、1995年にオープンした“キャプテン・サベルトゥース(同名の海賊を主人公としたノルウェーの人気ドラマ)”のテーマ・パークなどもあります。

 毎年7月、クリスティアンサンではノルウェー最大の音楽祭“クアルト祭”が開催されるため、これとあわせてディレパルクを訪れる観光客は100万人にもなるのだとか。ちなみに、切手に描かれたチンパンジーが着ているTシャツに入っている“ユリウス”は、7月生まれの人に多い名前です。ディレパルクの人出のピークが7月になることを意識してのデザインなのでしょうが、なかなか芸が細かいですね。


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 中国茶の日
2017-07-08 Sat 15:52
 きょうは、中国語の七(チー)と日本語の八(や)で“ちゃ(茶)”の語呂合わせとなることから、2007年にNPO法人日本中国茶協会が制定した“中国茶の日”だそうです。ことし(2017年)は、1997年の同協会の創立から20周年、記念日の制定から10周年という節目の年でもありますので、きょうは、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・フラッグスタッフハウス

 これは、1987年4月23日、英領時代の香港で発行された“香港舊日風貌”の切手のうち、現在は“茶具文物館”となっている“フラッグスタッフハウス(英軍総司令官邸)”の建設当初のようすを描いた絵画が取り上げられています。

 南京条約の調印を受けて、英国の香港駐屯軍は、1842年、銅鑼灣西側、湾仔の間の谷地に駐屯地を設けました。しかし、この地はもともと沼地で、マラリアの流行で多くの死者が出たため、1845年までに駐屯軍は現在の金鐘駅の近く、香港公園の場所に移転します。ちなみに、旧駐屯地の跡地は、縁起直しの意味を込めて“ハッピーヴァレー”と改称され、その一部が墓地となったほか、競馬場も設けられました。 

 こうして、1846年、今回ご紹介の切手に描かれた建物が、フラッグスタッフハウスとして完成します。その最初の主は1843-48年に総督代理を務めたジョージ・チャールズ・ダギュラーで、完成後間もないフラッグハウスを描いたブルースの水彩画の画題も“ダギュラー邸”の文言がしっかり入っています。

 1932年、フラッグスタッフハウスは、司令部機能を除いた純然たる住居として三軍司令官邸となり、日本の占領時代には日本海軍の提督が利用したほか、第二次大戦後も1978年まで英香港軍司令官の官邸として用いられていました。

 その後、フラッグスタッフハウスの建物は、老朽化により、司令官の官邸としての役割を終えますが、その白亜の建物はギリシャ復興様式の歴史的建造物として保存され、1984年以降は、旧羅桂祥コレクションを中心に茶具や茶文化の資料を展示する茶具文物館として一般に公開されています。

 さて、7月15-17日(土-月・祝)に東京・錦糸町のすみだ産業会館全日本切手展(全日展)が開催されますが、ことしは、香港“返還”20周年ということで、僕も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中の16日(日)15:00からは、出品者として作品の解説も行いますので、是非、遊びに来てください。
  

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 “七七事変”80周年
2017-07-07 Fri 11:02
 いわゆる日中戦争(支那事変)の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件(中国語の呼称は日附に由来する七七事変)から、きょうで80周年です。ということで、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      旅大・七七抗戦紀念(15円)

 これは、1946年7月7日、ソ連占領下の旅大地区(旧関東州)で発行された“七七抗戦紀念”の切手3種のうちの1枚です。

 第2次大戦末期のヤルタ会談では、米英ソ三国の間で、①外蒙古の現状維持=モンゴルの独立承認、②大連港の国際化とソ連の海軍基地としての旅順口の租借権回復、③中ソ合同会社の設立による東支鉄道と南満洲鉄道の共同運営、④満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護、が秘密協定として決められていました。

 1945年8月9日、日本に対して宣戦布告し、満洲への侵攻を開始したソ連は、8月14日、中国国民政府との間に、①対日戦遂行に関する相互援助(降伏文書の調印によって戦闘が正式に停止となるのは9月2日のことで、この時点では戦争は継続中です)、②単独不休戦・不講和、③日本の再侵略を防止するためのあらゆる措置の共同での行使、④相互の主権と領土保全の尊重などを規定した中ソ友好同盟条約を調印(同24日から発効)。さらに、条約本文とあわせて、ソヴィエト政府が中華民国に対する援助を(すべて中華民国の中央政府たる国民政府にたいして)与えることを誓約した交換公文、長春鉄道に関する協定、旅順口に関する協定、東三省に関する協定などが中ソ両国の間で調印されました。この結果、ソ連はヤルタの密約を国府に認めさせることに成功します。

 これを受けて、ソ連の占領下に置かれた旅大地区には、ソ連軍が旧満洲で接収した切手が持ち込まれ、現地で接収された日本切手とともに、さまざまな加刷を施して使用されています。

 今日ご紹介している切手もその一例で、盧溝橋事件9周年にあたる1946年7月7日に“七七”の日付と“抗戦紀念”の文字が加刷されています。占領当局としては、日本支配の痕跡を払拭し、旅大地区が日本の支配から“解放”されたことをアピールするため、“抗日戦争”の意義を強調するような加刷を行ったものと考えて良いでしょう。

 なお、こうした旅大地区の終戦直後の郵便事情については、拙著『満洲切手』でも簡単にではありますが、まとめてみたことがあります。ご興味をお持ちの方は、是非、ご覧いただけると幸いです。


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 ベンガジ解放
2017-07-06 Thu 08:47
 リビア東部の実力者で民兵組織“リビア国民軍”を率いるハリファ・ハフタルは、きのう(5日)、同国第2の都市ベンガジからイスラム過激派組織を駆逐し、ベンガジを“完全解放”したと宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・ベンガジ加刷

 これは、1911年に発行された“ベンガジ”加刷切手です。

 列強諸国によるアフリカ分割が進む中で、イタリアは当初、対岸のテュニジアの植民地化を狙っていました。しかし、1883年、テュニジアはフランスによって保護国化され、イタリアの目論見は潰えてしまいます。

 当然のことながら、イタリアはフランスによるテュニジア独占に不満を持っていましたが、フランスはイタリアに対して「代わりに隣のトリポリタニアを占領すればよい」と提案。これを受けて、1902年、イタリア・フランス間でトリポリタニアとテュニジアに関する協力協定が交わされました。

 この間、1901年3月、イタリアはベンガジに郵便局を開設し、同年7月には本国切手に“BENGASI”の地名と現地通貨の額面を加刷した切手を発行しました。

 その後、1911年に伊土戦争が勃発し、現在のリビアの地域がオスマン帝国からイタリアに割譲されると、ベンガジを含むイタリア領リビアでは“Libia”加刷の切手が使用されるようになります。

 イタリアの支配下で、キレナイカでは港湾整備が進み、多くのイタリア人が移住。第二次大戦中は戦略上の要衝として英独が古語に占領しましたが、最終的に英国の占領下に置かれます。その後、1949年には、内陸部を拠点に独立運動を展開していたイスラム神秘主義のサヌーシー教団のイドリース1世が、リビア東部、キレナイカの独立を宣言すると、ベンガジはその首都となりました。

 このキレナイカと、隣接するイタリアの植民地だったトリポリタニア(西北沿岸部)とフェザーン(西南内陸部)が連合し、1951年にリビア連合王国を結成して独立したのが現在のリビア国家の原点です。

 王制時代のリビアでは、上記のような事情から、ベンガジはトリポリとともに首都となり、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていましたが、1969年、カダフィの革命で王制が廃止されると、トリポリのみが首都となり、ベンガジは首都としての地位を失います。こうしたこともあって、ベンガジはカダフィへの支持が低く、2011年の内戦の際には、ベンガジが反カダフィ派の拠点になり、反体制派組織“リビア国民評議会”の本部も置かれていました。

 カダフィ政権崩壊後の2012年3月6日、リビア東部の有力部族や民兵組織の指導者らがベンガジで会議を行い、“キレナイカ暫定評議会”の樹立を宣言。トリポリを拠点とする国民評議会とは別に、旧キレナイカ地域での自治を行うことを決定します。これに対して、国民評議会は彼らの行為を国家を分断するものとして非難し、対立が続いています。

 こうした中で、2014年7月、ベンガジの政府軍特殊部隊の本部をイスラム系武装勢力のアンサール・シャーリアが襲撃し、同施設を占領。以後、リビア国民軍とアンサール・シャリーアおよび彼らを支援するイスラム過激派との戦闘が続いていました。なお、リビア国民軍はトリポリ政府の正統性を認めておらず、キレナイカ暫定評議会を支持していますので、トリポリ政府からすると、ベンガジに彼らの統制が及ばない状況には変わりありません。


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 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、29日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 世界の国々:キューバ
2017-07-05 Wed 07:50
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年6月28日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ没後15年

 これは、1982年にキューバで発行されたチェ・ゲヴァラ没後15周年の記念切手で、彼の肖像とチェ(Che)のサインが取り上げられています。

 アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語は、他の地域のスペイン語とは異なる独自の語彙が少なからずありますが、呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」に相当する「チェ(che)」は、その中でも最も世界的に知られた単語でしょう。

 アルゼンチン出身のエルネスト・ゲヴァラは、メキシコでカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介しましたが、その場に居合わせた面々は、当初、“チェ”の意味が理解できませんでした。その後も、アルゼンチン出身のゲバラは、“チェ”の語を連発したため、“チェ”が彼のあだ名として定着し、ゲヴァラも自分の署名に“チェ”を用いるようになりました。

 さて、エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。幼少時から持病の喘息に悩まされていた彼は、アレルギーの研究を志し、1948年、ブエノスアイレス大学医学部に入学します。

 在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断。途中、ハンセン氏病の医師であるかのように振舞って宿と食事、旅費をくすねたり、密航がばれて船員の仕事をすることで勘弁してもらったりする一方、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、社会変革の必要を痛感。次第にマルクス主義に傾斜していきます。
 
 1953年の大学卒業後、ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、亡命中のキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会いました。

 反政府組織“7月26日運動(M26)”を率いてバティスタ独裁政権の打倒を目指すカストロと意気投合したゲヴァラは、すぐに革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。しかし、上陸を事前に察知していた政権側の迎撃を受け、革命派が命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、彼らの兵力はわずか17名にまで減少。革命の成就は絶望的とも思われました。

 しかし、彼らはキューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、農村から集まってくる志願兵を受けいれて徐々に勢力を拡大。1958年8月には、ゲヴァラとカミーロ・シエンフエゴスひきいる2部隊がマエストラ山脈の拠点を出発し、西へ向けて進軍を開始し、ラス・ビリャスの戦で勝利を収めた。さらに、12月30日には中部の大都市サンタ・クララで政府軍を敗走させました。

 こうして、1959年1月1日、バティスタがドミニカ共和国に亡命すると、翌2日、ゲヴァラとカミーロが首都ハバナに入城し、カストロは勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めます。

 1961年4月、米国はプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破し、5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言しました。

 同年10月、ゲヴァラは工業相に就任。米国による経済封鎖の影響もあり、キューバ経済は急速に悪化。これに対して、彼は「生産効率の低下は人々の献身的労働によって補える」とし、自らも休日はサトウキビの刈り入れなど肉体労働に従事しましたが、状況は好転しませんでした。

 当初、米国という共通の敵と対峙するソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れました。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加します。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 しかし、先住民族が多数派を占めるボリヴィアでは、農地改革で土地を得た農民は保守化し、ゲヴァラら左翼ゲリラは余計なことをする“よそ者”という見方が強くありました。ゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ボリビア政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲヴァラの遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還されています。

 さて、『世界の切手コレクション』6月28日号の「世界の国々」では、ことし没後50周年を迎えるゲヴァラについての長文コラムのほか、特産品の葉巻、シエラ・マエストラ山脈の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

  なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のキューバの次は、本日(5日)発売の7月12日号での南アフリカ共和国の特集になります。こちらについては、発行日の12日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、29日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 ジョン・トランブル『独立宣言』
2017-07-04 Tue 09:12
 きょう(4日)は、米国の独立記念日です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米独立宣言(小型シート)       

 これは、1976年に米国で発行された“独立200年記念”のシートのうち、ジョン・トランブルの絵画『独立宣言』の一部を取り上げた1枚です。今回ご紹介のモノは、ちょっとわかりづらいのですが、下に示すように、右から2番目の切手が額面印刷漏れになっているのがミソです。      

      米独立宣言(部分)

 トランブルは1756年、コネチカット生まれで、父親のジョナサンは独立戦争の時代をはさみ、1769-84年にコネチカット州知事を務めました。1773年にハーヴァードを卒業後、1776年に独立戦争が勃発すると兵士として参戦し、ジョージ・ワシントンの副官補にもなりましたが、幼少期の事故で片目の視力を失っていたこともあり、1777年に除隊しました。

 1780年、ロンドンに渡って王室画家ベンジャミン・ウエストに師事。その後、パリなどを経て、1789年に帰国しますが、ウェストから独立戦争を題材とした作品を書くように勧められたのをきっかけに、米国最初の歴史画家として、独立戦争やその指導者の肖像などを題材とする作品を数多く残しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた『独立宣言』は、1794-95年に制作され、現在、イェール大学が所蔵している小ぶりの作品と、連邦議会から依頼を受けて1817-19年に制作され、現在は連邦議事堂に掲げられている大型の作品の2点がありますが、内容的にはほぼ同じです。

 ところで、この作品は、しばしば独立宣言への署名場面として紹介されることが多いのですが、正確に言うと、独立宣言の草案を5人の起草者が大陸会議・議長のジョン・ハンコックに提出している場面で、署名をしている場面ではありません。5人の起草者のうち、草案を手に持っている赤色のベストの人物がトマス・ジェファーソンですが、彼の足元を見ると、一番左側に描かれているジョン・アダムス(後にジェファーソンの政敵になります)の足を踏んづけているように見えるなど、トランブルによる歴史解釈が垣間見えるのが面白いところです。(下の画像)

      米独立宣言(足元部分)

 なお、額面漏れの切手に描かれている人物は、ペンシルベニアの“自由の息子達”の指導者で、会議の書記官を務めチャールズ・トムソンです。トムソンは、代議員の入れ替わりが激しかった大陸会議の全期間(1774-89年)で書記官として議事録の作成に関わったことから、大陸会議の生き字引として、“米国の首相”とも呼ばれた人物です。

 ちなみに、独立戦争から建国初期の米国については、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも、初代財務長官として10ドル紙幣にも取り上げられているアレクサンダー・ハミルトンを軸にまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 きょうからウィンブルドン
2017-07-03 Mon 16:52
 テニスの全英オープン、ウィンブルドン選手権がきょう(3日)から始まります。ことしは、1877年の第1回大会から140周年ということで、検索サイト・グーグルのトップページもテニスのデザインになっていました。というわけで、きょうはこの切手です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      英国・ウィンブルドン100年  グーグル・ウィンブルドン140年

 これは、1977年1月12日に英国で発行されたウィンブルドン選手権100周年の記念切手です。ついでなので、右側には、グーグルのトップロゴの画像も貼っておきました。

 ウィンブルドンはロンドン南西部のマートン区の地区名で、1868年、この地に創設された全英クローケー・クラブは、もともとは、クロッケー(ゲートボールの原型とされる競技)用の芝生のコートが複数あり、ローンテニス(芝生のコートで行われるテニス)用のコートは一つしかありませんでした。

 同クラブでクローケーの試合が最初に行われたのは1870年のことでしたが、その後、クロッケーの人気が衰えて行ったのに対して、ローンテニスの人気は高まっていたこともあり、1877年7月9日、センターコートに置いてあったローラーが老朽化したため、その新調資金を調達する目的で、第1回のローンテニス選手権が行われます。

 これがウィンブルドン選手権の始まりで、これを機に、全英クローケー・クラブは全英ローンテニス・アンド・クローケー・クラブと改称され、あわせて、コートの広さや得点方法など、さまざまなルールが決められました。当時の種目は男子シングルスのみ。21人のアマチュア選手が出場し、スペンサー・ゴアが初代チャンピオンになりました。なお、1922年までは、前年の優勝者は決勝まで出場せず、勝ち上がってきた選手とタイトルを懸けて決勝を戦うという形式が採用されていました。

 その後、1884年に女子シングルと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスがウィンブルドンで開催されるようになりましたが、同年の女子シングルス初代優勝者のモード・ワトソンが白で揃えたウェアを着ていたことから、以後、試合や練習の際には白いウェアを着用することが義務付けられるようになりました。さらに、1913年には女子ダブルスと混合ダブルスが追加。1922年には開催地がチャーチ・ロードに移転し、1968年にはプロ選手の参加が認められ、現在にいたっています。

 なお、今年のウィンブルドン選手権は、きょうの男女シングルスの1回戦を皮切りに、16日(日)の男子シングルス決勝まで2週間の日程で行われます。


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  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 半夏生
2017-07-02 Sun 13:07
 きょう(2日)は夏至から数えて11日目の半夏生。関西や瀬戸内地方では、稲の根がタコの足のようにしっかりと張って豊作になるようにとのゲン担ぎで、タコを食べる習慣のある日です。というわけで、タコを描く切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      サンマリノ・世界リウマチ年

 これは、1977年10月19日にサンマリノが発行した“世界リウマチ年”の記念切手で、タコに絡まれる女性が描かれています。世界リウマチ年は、1977年の1年を通じて、リウマチ性疾患の予防と対策、研究を推進するための運動を行うため、世界リウマチ連盟とWHOが設定したもので、その趣旨に賛同した各国から関連の記念切手が発行されています。

 今回ご紹介のサンマリノの切手もその1枚で、切手の図案は、リウマチで関節や結合組織の自由がきかない状況を象徴したものということなのですが、僕などは、リウマチ云々というより、葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通』の中の木版画「蛸と海女」を連想してしまいます。
 
 ちなみに、北斎の「蛸と海女」では、仰向けに寝た女性の陰部を正面から大蛸が吸っている構図で描かれており、「いつぞハいつぞハと、ねらいすましてゐたかいがあつて、けうといふけう、とうとう、とらまへたア」と語る大蛸に対して、快感で息も絶え絶えになった女の台詞には「ぞつぞつと、こし(腰)におぼへがなくなって、フゝゝゝウ、フゝゝゝウ」との一文があります。

 もちろん、リウマチによる腰痛で腰の感覚が全くなくなる人はあるわけですが、今回ご紹介の切手の図案をそういう風に理解せよというのは、心の穢れた僕にはちょっと難しいですな。


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