内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 岩のドームの郵便学(53)
2017-08-19 Sat 11:38
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』652号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1990年年代後半のイラクについて取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・礼拝するフセイン(2000)

 これは、2000年2月、イラクが“ヒッティーンの戦い”をテーマに発行した切手のうち、岩のドームを背に礼拝するサッダーム・フサインの姿を取り上げた1枚です。

 1990年代後半、パレスチナ自治政府がイスラエルへの配慮から、岩のドームの切手をほとんど発行しなかったのに対して、岩のドームをしばしば切手に取り上げていたのが、イラクでした。

 湾岸戦争後間もない時期のイラクは、戦争による打撃に加え、国連の経済封鎖クウェイト侵攻から4日後の1990年8月6日に安保理で採択されたもので、この時点では、イラク国内の非人道的行為の停止を含む全ての停戦決議の履行がない限り、イラクに対するいっさいの輸出入を禁止)によって、経済的にどん底の状態にありました。

 しかし、1995年頃から、イラクをめぐる国際世論の風向きは徐々に変わり始めます。国連によるイラクへの経済制裁に対して、イラクのみならず、諸外国から不満の声が高まっていったためです。

 そもそも、湾岸戦争の直前でさえ食糧自給率が3割程度しかなかったイラクに対して、食糧を含む輸出入を禁ずることに対しては、経済制裁が開始された当初から、人道上の理由で反対する声が欧米でも少なくありませんでした。また、潜在的な域内大国であるイラクとの経済関係を遮断することは周辺諸国にとって多大な経済的犠牲を強いることになりました。さらに、産油国イラクとの交易再開を求める声は、終戦から3年以上経過すると、西側諸国の間でも無視できないものとなっていましたし、戦争被害に対する補償や国連自身のイラクでの活動に必要な資金をまかなうためにも、イラクに一定の石油を輸出させ、その代金を活用すべきだという案は国連にとっても魅力的なものでした。

 その結果、1995年4月、半年間に20億ドルを越えない範囲での石油輸出を許可し、食糧・医薬品などの人道物資の輸入を認めるという国連安保理決議986号が採択されます。当初、イラク側は、経済制裁の完全解除を求めて同決議を拒絶しましたが、1996年に入ってこれを受諾し、同年12月から原油の輸出を再開しました。

 その後、イラクは、ロシア、フランス、中国を味方につけて国連との交渉を有利に進め、その結果、イラクに対する経済制裁は次第に有名無実化。石油輸出の上限が廃止された1999年以降、イラクは実質的に国際経済への復帰に成功しました。

 こうした情況の好転に伴い、イラク切手の題材も国際社会に対するルサンチマンを表明するものから、独裁者としてのサッダーム・フサインに対する個人崇拝を国民に浸透させるための内向きのメディアへと性格を変質させていくことになります。

 その一環として、1998年2月には、岩のドームを背景に、サラーフッディーン(サラディン)とサッダームを並べて描く切手も発行され、サッダームを“現代のサラディン”になぞらえようとするプロパガンダ政策が展開されました。

 サッダームはイラク北部、ティクリート出身ですが、この地は、十字軍と戦い、エルサレムを奪還した英雄、サラディンの出身地でもあります。このため、リンケージ論を展開するようになったサッダームは「パレスチナ問題の解決を訴えて二重基準と戦う自分は、現代のサラディンである」との自己演出を展開したわけです。

 加えて、サッダームを“現代のサラディン”とする言説には、パレスチナ問題とは別に、クルド人問題を意識したものでもありました。

 クルド人は、トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等にまたがるイラン系の民族集団で、人口は2500-3000万人。これは、独自の国家を持たない民族集団としては世界最大の規模です。このうち、イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年、自治区が設置されましたが、イラン・イラク戦争中の1985年から88年にかけて、イラク東部のサルダシュトやハラブジャなどでは、主としてクルド系住民がイラン側に協力したとして、サッダーム政権はマスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器をクルド人自治区で使用し、多くの住民を殺害。こうしたこともあって、1991年に湾岸戦争が勃発すると、クルド人はイラク政府に対して武装蜂起しました。

 その後、イラクに進攻した多国籍軍はイラク北部の北緯36度以北に飛行禁止空域を設けてクルド人を保護。これにより、イラク北東部のアルビール県、ドホーク県、スレイマニヤ県、ハラブジャ県の4県にまたがる“クルディスタン地域”が設定され、クルド人は自治権を獲得し、1992年には反体制派の大同団結集会も行われています。そして、それに伴い、自治区独自の旗が制定され、独自の通貨と切手も発行されました。

 ところが、クルディスタン地域の自治区内では、二大政党であるクルド民主党とクルド愛国同盟の対立が激しく、1994年以降、大規模な戦闘が発生し、クルディスタン地域は事実上の分裂状態に陥ります。このうち、クルド愛国同盟が反バアス党を優先してイランの支援を受けたことに対抗し、クルド民主党はイラク中央政府と結託。1996年8月には、イラク中央政府の支援を受けたクルド民主党が対立勢力を放逐し、クルディスタン地域は再びバアス体制に取り込まれることになりました。

 サッダームとサラディンを並置させるプロパガンダは、こうした背景の下、サッダームがサラディンと同じくクルド人の血統であることを強調することで、サッダーム=クルド人を含めたイラク国家の国父というイメージを演出しようとした意図がありました。

 もっとも、自らをサラディンになぞらえようとするサッダームの自己演出は、イラク国外ではほとんど支持者を得られませんでしたたが、彼が敵対している米国を“現代の十字軍”になぞらえて批難するロジックは、この頃から、アラブ世界の言論空間でも目立つようになってきます。

 その典型的な事例としては、1998年2月23日、ウサーマ・ビン・ラーディン、アイマン・ザワーヒリー(エジプトの原理主義組織“ジハード団”の指導者)、アブ・ヤシル・リファーイー・アフマド・ターハー(エジプトの“イスラム集団”の指導者)、ミール・ハムザー(パキスタン・ウラマー協会の書記官)、ファズルール・ラフマーン(バングラデシュの“ジハード運動”の指導者)が連名で“ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線”の結成を宣言したことが挙げられます。

 同宣言では、米国が湾岸戦争以来「7年にわたって、最も神聖な土地、アラビア半島にあるイスラムの地を占領し、富を略奪し、為政者に命令を下し、民を辱め」ており、「十字軍(=米国)とシオニストの同盟によって、大いなる荒廃がイラク国民に与えられた」としたうえで、「アクサー・モスクと聖なる(メッカの)モスクを彼ら(=十字軍とシオニスト)を彼らの支配から解放し、彼らの軍隊をイスラムの全ての土地から排除するため…(中略)…米国人とその同盟者を、軍人・民間人を問わず、殺害することを決断するのは、それが可能な国に住むすべてのムスリムにとって、各人が個人として果たさねばならない義務である」と謳っており、米国を現代の十字軍になぞらえて、ムスリムの敵と認定しています。

 その際、エルサレムにおけるイスラムの聖地であるアクサー・モスクを持ち出すことによって、“十字軍”の語は、単なる比喩を越えて、歴史上の十字軍のイメージと、サッダームの提起した“リンケージ論”を具体的なイメージとして結びつける触媒となっています。その意味では、サッダームとビン・ラーディンという、本来は全く無関係であったはずの二人が、“十字軍”というキーワードによって、アラブ・イスラム世界の大衆心理においては、反米のヒーローに祀り上げられたといってもよいでしょう。

 今回ご紹介の切手は、そうした背景の下、2002年2月、サラディンがエルサレムを奪還したことで知られる“ヒッティーンの戦い”を題材に発行されたモノの1枚で、岩のドームを背に礼拝するサッダームの姿が取り上げられています。このデザインは、“現代のサラディン”が現代の十字軍に戦いを挑むというイメージが、より多くのアラブ大衆の心をつかみうるものであることを想定して制作されたものであることは間違いありません。なお、当初、この切手は1999年に発行の予定だったようで、一部の切手には“1999年”の年号が入っていますが、実際の切手発行は2000年にまでずれ込んでいます。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、現在、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


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 8月24日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第7回が放送予定です。今回は、放送日が独立記念日のウクライナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、高校野球の順延などにより、24日の放送がなくなる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 バルセロナ中心部でテロ
2017-08-18 Fri 17:28
 スペイン・バルセロナ中心部のランブラス通りで、現地時間の17日午後5時(日本時間18日午前0時)ごろ、白いワゴン車が観光客などに突っ込み、少なくとも13人が死亡、約100人が負傷するテロ事件が発生しました。事件に関しては、“イスラム国”を自称するテロ組織のダーイシュが犯行声明を出しています。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スペイン・バルセロナのコロンブス

 これは、1965年にスペインが発行した観光シリーズのうち、今回の事件現場となったバルセロナ・ランブラス通り南端の“コロンブスの塔”を取り上げた25センティモス切手です。

 ランブラス通りはバルセロナ旧市街中心部のメインストリートで、カタルーニャ広場から臨海地区のコロンブスの塔まで続く1.2kmの並木道です。沿道には、リセウ大劇場、サン・ジュゼップ市場、レイアール広場などがあり、バルセロナ随一の繁華街として、多くの飲食店もあります。今回の事件では、ワゴン車は500mほど暴走したそうですから、惨劇の現場は通りのほぼ半分に及んでいたわけで、あらためて、身の毛のよだつ思い出す。
 
 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられた“コロンブスの塔”は、クリストファー・コロンブス最初の航海“新大陸”を発見してヨーロッパに戻った際、支援者でカスティリーヤ女王のイサベル1世に報告するため、まずバルセロナに入港したという故事にちなみ、1888年のバルセロナ万国博覧会に際して、カタルーニャとアメリカとの交流を記念して建造されました。

 塔頂に設置されたコロンブス像はカタロニアの彫刻家ラファエル・アッチェの作品で、高さ7.2m。デザイン上は、左手でアメリカ土産のパイプを握り、右手で“新大陸”を指差していると説明されていますが、実際に像が指差しているのは大西洋(アメリカ)ではなく地中海方向です。なお、切手では省略されていますが、台座側面の彫刻(コロンブスの航海を物語風に表現したもの)は、痛みが激しかったため、今回ご紹介の切手が発行された1965年に再製作されました。


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 インドネシア独立記念日
2017-08-17 Thu 10:40
 きょう(17日)は、インドネシアの独立記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラ・独立加刷

 これは、インドネシア独立戦争中の1946年、インドネシア共和国側が日本占領時代の切手を接収し、“インドネシア共和国(Repoeblik Indonesia)”と加刷した切手です。オランダのウィルヘルミナ女王を描く1941年発行の蘭印10セント切手に、日本占領下の1944年、女王の肖像と国名表示を抹消するために“、“大日本帝國郵便/〒/スマトラ”と加刷した切手に、さらに、“大日本帝國郵便”の文字を抹消して、インドネシア共和国の文字と新額面を加刷したもので、第二次大戦をはさんでの蘭印/インドネシアの激動の歴史が凝縮されたような1枚となっています。

  第2次大戦中、オランダ領東インド(蘭印)を占領した日本軍は、政治犯としてオランダに捕らえられていたスカルノやハッタらインドネシア民族主義指導者を解放。日本側は、石油資源の安定確保のため(そもそも、これこそが戦争の目的でしたから)、蘭印を直轄の軍政地域としました。しかし、戦局が悪化してきた1945年3月、インドネシアを親日国家として独立させるよう方針を転換。独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させています。

 こうして、終戦間際の8月7日、スカルノらは独立準備委員会を設立。その第1回会議は18日に開催される予定でしたが、8月15日、日本の降伏が発表されたことで、日本の軍政当局の主導による独立準備は中止されてしまいます。そこで、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言しました。場所はスカルノの私邸、約1000名が立会ったそうです。

 ちなみに、1945年8月17日に発せられたインドネシア共和国独立宣言の書面上の日付が皇紀を採用した“05年8月17日”となっているのは有名な話です。この点については、「ムスリムであるスカルノが日本への感謝の意を示すとともに、(オランダの宗教である)キリスト教に由来する西暦を嫌ったため」という説明が散見されますが、日本の占領時代には公文書では皇紀が採用されていたため、ただ単にそれを踏襲しただけというのが実情だったようです。その証拠に、連合国軍の上陸により日本軍の武装解除が行われると、消印の年号表示も西暦に戻っています。また、現在のインドネシアでは、独立宣言というと1955年にスカルノが録音した音源が広く知られていますが、ここでの年号は皇紀の“(26)05年”ではなく、西暦の“1945年”となっていることも記憶にとどめておいてよいでしょう。

 独立宣言を受けて、9月4日にはスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立。この間、8月22日には人民治安団が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけます。さらに、10月になって日本軍の武装解除のため英軍やオランダ軍が本格的に進駐してくると、スカルノらはこれに対抗すべく人民治安軍を組織し、インドネシア独立戦争に投入していきました。

 一方、戦争に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア独立派への武器引渡しは禁止されていました。しかし、一部の地域では、独立派の要請に対して武器庫を開放することもあったほか、旧日本軍の将兵の中には、“東亜解放”の理念を奉じて独立派に身を投じた人が約1000人いたそうです。そのうち、半数が戦死・行方不明となり、生き残った後も、日本に帰らず、インドネシアで生涯を終えた人も少なくありません。

 現在、インドネシア政府は、独立戦争を生き抜いた旧日本軍の将兵にはゲリラ勲章を授与しているほか、独立戦争中の戦死者・陣没者や独立戦争に参加した戦績のある元将兵については、没後、本人や遺族が希望しない場合を除き、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっています。独立の英雄として英雄墓地に埋葬されることはインドネシアでは最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵、軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われます。

 なお、これまでも散々書いてきたことの繰り返しになりますが、インドネシア共和国が最終的に独立を達成したのは、当然のことながら、第一義的には、インドネシア国民(になった人々)がみずから血を流し、熾烈な対蘭独立戦争を戦った結果です。そのことは大前提として絶対に忘れてはなりません。

 その意味において、僕は、彼らの尊い犠牲を無視して「日本がインドネシアを独立させてやった」という類の議論をする人たちには絶対に与しません。ちなみに、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の将兵は、制度上は“脱走兵”の扱いとされており、インドネシア独立戦争中の戦死者に対しては遺族年金が支給されていないばかりでなく、彼らが“英霊”として靖国に祀られることもありません。むしろ、“脱走兵”以外の旧日本軍は、正規の手続きに則って、オランダ軍とともに独立派と戦い、多くの戦死者を出しましたが、彼らは靖国に祀られています。この厳然たる事実をしっかりと受け止めていれば、それだけで、「日本がインドネシアを独立させてやった」などという発言が、いかに、インドネシア国民のみならず、彼らの独立のために戦った旧日本軍将兵を愚弄するものであるのか、お分かりいただけるでしょう。

 ただ、その一方で、日本による占領という体験が触媒となって、あるいは、独立戦争での旧日本軍将兵の活動が、結果的にインドネシアの独立を導くことになったということを、インドネシアの人たちが自らポジティヴに語ってくれるのであれば、その気持ちは素直に、ありがたく受け入れるべきだと思います。そうした彼らの友情を無視して、自分は「一般の日本人とは違う」という醜悪な思い込みから、ひたすら日本と日本人を貶めるために“日本軍によるアジア侵略”を嬉々として糾弾する日本人が少なからずいますが、そうした連中に対しては、心の底から軽蔑するという以外の感情しか沸いてきません。

 以前刊行した拙著『蘭印戦跡紀行』は、そんな思いから、僕がインドネシア各地で実際に見聞した“日本”の痕跡について、切手や郵便物、絵葉書などを交えながらまとめてみたものです。機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 聖母被昇天の日に昇天
2017-08-16 Wed 12:16
 北大西洋のポルトガル領マデイラ島フンシャルの植物園で、昨日(15日)、聖母被昇天の祝日の祭典に信徒が集まっていたところ、樹齢約200年の巨木が倒れ、下敷きになった13人が死亡、約50人が負傷しました。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポルトガル領マデイラ(1868年)

 これは、1868年1月1日に発行されたマデイラ加刷切手です。

 “マデイラ・ワイン”で知られるマデイラ諸島は北大西洋上のマカロネシアに位置するポルトガル領の火山群島で、住民のいるマデイラ島、ポルト・サント島と無人のデゼルタス島、セルヴァジェンス島から構成されています。主島のマデイラ島は、木々に覆われていることから、ポルトガル語で“木”を意味する“マデイラ”と命名されました。中心都市は、首都でもあるマデイラ島のフンシャルで、人口は約14万人です。

 マデイラ諸島の存在は古代ローマ時代から知られていましたが、1419年、ポルトガル船がポルト・サント島に漂着し、翌年以降、ポルトガル人の入植がはじまり、黒人奴隷によるサトウキビのプランテーション栽培がおこなわれていたこともあります。また、ながらくポルトガルの流刑地としても利用されており、ハプスブルク帝国最後の皇帝、カール1世はマデイラ島に亡命して、この地で亡くなりました。現在は、ポルトガルの自治州となっています。

 今回ご紹介の切手は、当時のポルトガル切手に“MADEIRA”の地名を加刷したもので、マデイラ諸島の切手としては最初の1枚となります。その後、1881年までは同種の地名加刷切手が使用されましたが、1881年から1892年までは無加刷の本国切手が持ち込まれて使用されます。その後、1892年から1905年までは、主要都市フンシャル(FUNCHAL)表示の切手が発行されていましたが、この間、1898年にポルトガル領で発行されたオムニバス形式の“ヴァスコ・ダ・ガマ400年”の記念切手については、例外的に“マデイラ”表示となっています。その後、1905年には再び、切手の表示は“フンシャル”から“マデイラ”に戻され、現在に至っています。


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 インド独立70年
2017-08-15 Tue 15:26
 1947年8月15日にインドが独立して、きょうで70周年です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・独立記念(アショーカ王柱)

 これは、1947年11月21日にインドが発行した独立記念切手のうち、アショーカ王柱を取り上げた1アンナ半の切手です。インド独立の日付は、今回ご紹介の切手にも示されているように1947年8月15日ですが、記念切手の制作は正式独立を受けてからのことでしたので、発行日は11月21日までずれ込みました。

 アショーカ王柱は、西暦の紀元前3世紀、歴史上初めてインド亜大陸をほぼ統一したマウリヤ朝のアショーカ王(在位・紀元前268-232頃)が、釈迦が最初の説法(初転法輪)を行ったとされるサールナートの地に建てた柱で、切手に取り上げられているのはその先端部分です。

 アショーカ王が仏教の信仰を示すために各地に立てた柱の先端部分には、それぞれ、東西南北に4匹の獅子が配されており、円柱の冠板に帯状装飾として象と駿馬、雄牛と獅子が彫られ、それぞれの間にハスを模した法輪もしくはアショーカ・チャクラの車輪が彫られています。

 現在のインドでは、アショーカ王柱は、仏教のシンボルとしてというよりも、インド統一の象徴として、国章に取り上げられています。また、インド国旗の中央の法輪も、同様の理由から、アショーカ王柱にちなむものとして取り上げられています。
 
 なお、アショーカ王柱を取り上げた切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 1万人でサマン・ダンス
2017-08-14 Mon 14:44
 きのう(13日)、インドネシア・スマトラ島北部のアチェ州で、グヌン・レウセル国立公園の保護を訴えるため、1万人以上が一堂に会して伝統舞踊の“サマン”を披露するパフォーマンスが行われました。これまでのサマンの最多人数記録は、昨年行われた同種のイベントでの6600人だったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      トルコ・インドネシアとの友好(2008)

 これは、2008年にトルコが発行した“インドネシアとの友好”の切手のうち、インドネシアを代表する伝統芸能として“サマン”を取り上げた1枚です。

 サマンは、13世紀にアチェ州ガヨ・ルエス地方のウラマー、シャイフ・サマンがイスラムの教義を人々に伝えるため考案した舞踊で、以来、ガヨ人を中心に継承されてきました。刺繍が付いた伝統衣装を着た若い男性や少年が、膝をついて座ったまま列に並び、歌やリズムに合わせて手、指、腕、頭、上半身を上下左右に一斉に素早く力強く動かし、肩や手をたたくことから“千の手のダンス”とも呼ばれています。2011年には、ユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」に登録されました。

 ちなみに、今回のパフォーマンスで保護が訴えられたグヌン・レウセル国立公園は、スマトラ島メダンの北西約100km に位置する7927平方キロの国立公園で、その名は、レウセル山(3381m)に由来しています。オランウータン、スマトラトラ、スマトラサイをはじめ希少な野生動物の生息地として知られており、2004年には、クリンチ・スブラット国立公園、ブキット・バリサン・スランタン国立公園とともに、“スマトラの熱帯雨林遺産”の名称でユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。しかし、密猟や違法な森林伐採が続いており、2011年には危機遺産に登録されています。

 なお、スマトラ・アチェの文化と歴史については、拙著『蘭印戦跡紀行』でも1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

* 昨晩、アクセスカウンターが182万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 男子400リレーで銅メダル
2017-08-13 Sun 08:52
 ロンドンで開催中の世界陸上競技選手権大会(以下、世陸)は、日本時間の現地時間の12日夜(日本時間13日朝)、男子400メートルリレー決勝が行われ、日本(多田修平=関西学院大、飯塚翔太=ミズノ、桐生祥秀=東洋大、藤光謙司=ゼンリン)は、38秒04のタイムで銅メダルとなりました。この種目での日本のメダル獲得は、昨夏のリオデジャネイロ五輪がありますが、世陸では初めてです。というわけで、今日はリレーを取り上げた切手の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・モスクワ五輪(リレー)

 これは、1980年にソ連が発行したモスクワ五輪の記念切手のうち、陸上のリレー競技を取り上げたシートです。

 1980年に開催されたモスクワ五輪は、ソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議して日本を含む西側諸国がボイコットしました。この時の経験から、国際政治の影響を受けず、純粋にアスリートの優劣を競うための国際大会を開催すべきとの声が高まり、世陸の開催が検討されるようになり、1983年、フィンランドのヘルシンキで第1回大会が開催されました。

 当初、世陸は五輪と同じ4年間隔で、ご珍の前年に開かれていましたが、1993年のドイツ・シュトゥットガルト大会以降は、奇数年の隔年開催となり、現在に至っています。また、当初は欧州での開催でしたが、2005年のヘルシンキ大会以降、アジアと欧州での交互開催となり、さらに、2021年大会は米オレゴン州ユージーンでの開催が決まっています。なお、わが国では、これまでに、1991年の東京大会と2007年の大阪大会の2度の大会が開催されています。

 世陸は、五輪よりも参加する国・地域が多いことに加え、世界記録の更新も多いことから、陸上競技では世界最高峰の大会と位置付けられています。ちなみに、わが国はこれまでに、世陸では金4、銀6、銅13の計23個のメダルを獲得していますが、最初のメダル獲得は1991年の東京大会(女子マラソンの山下佐知子が銀、男子マラソンの谷口浩美が金)でした。


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 113歳のアウシュヴィッツ生還者亡くなる
2017-08-12 Sat 10:46
 1903年生まれで、アウシュヴィッツを生き延びた世界最高齢のイスラエル人男性、イスラエル・クリスタルさんが、きのう(11日)亡くなりました。享年113歳。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、きょうはアウシュヴィッツ関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・レターシート(1945年)

 これは、1945年1月5日、アウシュヴィッツの収容者がポーランド南部のベンジン(ドイツ語名ベンズブルク)宛に差し出した郵便物で、収容者専用のレターシートが使用されています。

 1939年9月、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、1940年5月、ポーランド南部のオシフイエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)郊外の旧ポーランド軍兵営をアウシュヴィッツ第1強制収容所として、犯罪常習者とポーランド人政治犯の収容を始めました。その後、ブジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)に第2、モノヴィツェ(ドイツ語名モノヴィッツ)に第3収容所が設置され、1945年1月にソ連軍が解放するまでの間に、100万人のユダヤ人と、25万人以上の非ユダヤ人が計3ヶ所の“アウシュヴィッツ強制収容所”で犠牲になりました。

 収容者の通信には専用の封筒・便箋・葉書が使用されていましたが、外部から差し入れられるなどして、通常の葉書等が用いられることもありました。その後、戦況の悪化に伴い、封筒と便箋が一体となったレターシートが使われるようになります。その後、1944年夏頃から、さらなる戦況の悪化に伴い、今回ご紹介の画像のような、さらに簡便化された2つ折り形式のレターシートが導入・使用されています。

 その後、1944年11月に入ると、ソ連軍の接近に伴い、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所からの撤収が開始されます。その際、病気などで移動が不可能と判断されたものを除き、6万以上の収容者が西方のヴォディスワフまで徒歩で行進させられ、そこからグロスローゼン、ブーヘンヴァルト、ダッハウ、マウトハウゼン等の各収容所に移送され、その過程で1万数千人が命を落としました。このため、1944年11月以降、アウシュヴィッツ発の郵便物は激減。特に、1945年1月27日にはソ連軍が進駐して収容所を“解放”するため、今回ご紹介の郵便物のように、1945年の発信は現存数は1桁レベルではないかと思います。

 ちなみに、1945年1月の収容所解放の時点で、アウシュヴィッツに残されていた収容者は7000人ですが、今回亡くなったイスラエル・クリスタルさんもそのうちの1人で、体重がわずか37キロと危機的な状態で救出されたそうです。 

 なお、アウシュヴィッツの収容者が差し出した郵便物と、そこからみえてくる収容所内の生活については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 山の日
2017-08-11 Fri 11:04
 きょう(11日)は“山の日”です。というわけで、山に関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・エルサレムへの道(1949)

 これは、1949年にイスラエルが発行した普通切手のうち、“エルサレムへの道”をデザイン化した1枚で、城壁とダヴィデの塔を見上げる山道が描かれています。切手の下部にはイザヤ書52章9節の「主は(その民を慰め)エルサレムを贖われた」の文言が入っています。今回は、切手下のタブに同49章11節の「わたしはすべての山に道をひらき」の文言と山の絵が入っていますので、“山の日”ネタの1枚として持ってきました。

 ダヴィデ王の時代以前のエルサレムの集落は現在の城壁の南東部の斜面にありました。ちなみに、切手に描かれた“ダヴィデの塔”は、エルサレム旧市街の西側、ヤッファ門の近くに位置しており、ダヴィデ王が建立したとの伝承により、東ローマ帝国時代に“ダヴィデの塔”の名称が定着しました。ただし、歴史的事実としては、紀元前20年にヘロデ王がエルサレム防衛のために建設した要塞がその起源で、その後の増改築を経て、オスマン帝国のスレイマーン1世の治世下で現在の姿となりました。現在では、『旧約聖書』に登場するカナンの時代からイスラエル建国までの歴史を紹介する博物館として公開されています。

 ちなみに、歴代誌によれば、ダヴィデ王の子、ソロモン王の時代、“エルサレムのモリヤ山上”に神殿が建設されました。これは、今回ご紹介の切手にあるダヴィデの塔の付近から北側に向かって斜面を上りきった頂上を指しているとされ、現在の“神殿の丘/ハラム・シャリーフ”の起源となりました。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、現在、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 
  

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 世界の国々:タンザニア
2017-08-10 Thu 08:36
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年8月2日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はタンザニアの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タンザニア・キリマンジャロ(1965)

 これは、1965年にタンザニアが発行したキリマンジャロ山の切手です。

 アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロは、タンザニア北東部に位置し、標高5895m、東西約50km、南北30kmに広がった成層火山です。西からシラ峰、キボ峰、マウエンジ峰から構成されており、中央のキボ峰のみが休火山で他の2峰は死火山です。

 地名の由来としては、一般に、スワヒリ語で“山”を意味する“キリマ”と、チャガ語で“白”を意味する“ンジャロ”の合成語で、“白く輝く山”の意味とされています。

 その名の通り、最高峰のキボ峰の山頂付近にはレブマン氷河をはじめ巨大な氷河が存在していましたが、近年の気候変動により、その規模は急激に縮小しており、国連環境計画は「2020年までに完全に消滅する可能性がある」と警告しています。

 さて、ケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民、マサイ人の間では“神の家”を意味する“ンガジェンガ”と呼ばれていたキリマンジャロの存在が、西洋人にも知られるようになったのは、1840年代のことでした。

 1847年、ケニアの東海岸で布教をしていたドイツ人宣教師のヨハネス・レブマンは、頂上が銀でおおわれた高い山があることを聞いて内陸部に調査に向かい、翌1848年5月11日、チャガ人の土地で、山頂が白銀に覆われた高山を“発見”します。レブマンは、さっそく、この高山のことを報告しましたが、当時のヨーロッパの地理学者は熱帯に雪が存在するはずがないとの思い込みから、レブマンの報告を信じませんでした。

 その後、“熱帯の雪山”の存在が確認されると、ドイツ人将校のカール・クラウス・フォン・デア・デッケンと英国人地質学者リチャード・ソーントンが1861年には2500m地点まで、1862年には4280m地点まで到達します。

 列強によるアフリカ分割の過程で、キリマンジャロは英独の勢力圏の境界に位置するようになり、英国は山の北側に進出。しかし、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は山全体をドイツ領とすることを要求。1885年のベルリン会議では、ドイツの要求が認められ、山の全体はヴィルヘルム1世の誕生日のプレゼントとして英国からドイツへと割譲され、ドイツ領東アフリカの領域が確定しました。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割され、キリマンジャロは英領タンガニーカに組み込まれました。

 すでにドイツ領東アフリカ時代から、キリマンジャロ地域ではコーヒーのプランテーション栽培が始まっていましたが、英支配下の1921年、海岸のタンガ港から南麓のモシまで鉄道が開通。これにより、モシはコーヒーの集散地となり、1932年に設立された“キリマンジャロ原住民共同組合連合会”が品質管理を本格的に行うようになります。この結果、かつては粗悪品のイメージが強く、イエメンに運ばれて“モカ”にブレンドされていたこの地域のコーヒー豆は、“キリマンジャロ”として独自のブランドとなり、モシは急速に発展しました。

 1961年、タンガニーカが独立すると、キリマンジャロは新国家のシンボルとなり、キボ峰の山頂はスワヒリ語で“自由”を意味する“ウフル”と命名され、山頂には“ウフル・トーチ(自由の松明)”が灯されたほか、初代大統領ジュリウス・ニエレレによる独立宣言が刻まれたレリーフが設置されました。

 1964年、タンガニーカは対岸のザンジバルと連合し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国(現タンザニア連合共和国)が発足。新政権は、1967年にアルーシャ宣言を発して社会主義化を進め、“ウジャマー村”と呼ばれる協同農場を各地に設けました。しかし、キリマンジャロ地域のコーヒー農場は独立以前から外国人が経営している大規模プランテーションも多かったことから、農業集団化は強行されず、このため、1985年、ウジャマー村が惨憺たる失敗に終わり、大統領のニエレレが引退に追い込まれた際にも、経済失政のダメージは比較的軽微でした。

 この間、1971年にはアルーシャとモシの間にキリマンジャロ国際空港が開港。1973年には山域の一部、7万5575ヘクタールがキリマンジャロ国立公園に指定され、1987年にキリマンジャロ山域を含むキリマンジャロ国立公園が、ユネスコの世界遺産に登録されるなど、観光資源としての開発も進められています。ちなみに、少し古いデータですが、2013年、キリマンジャロ国立公園を訪れた観光客は5万3000人でした。

 さて、『世界の切手コレクション』8月2日号の「世界の国々」では、キリマンジャロについての長文コラムのほか、世界遺産・コンドアの岩絵、キリマンジャロ・コーヒー、ヴィクトリア湖、探検家・リヴィングストンとスタンリーの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のウルグアイの次は、きのう(9日)発売の8月17日号でのイタリアの特集になります。こちらについては、発行日の17日以降、このブログでもご紹介する予定です。 

      
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 無事帰国しました。
2017-08-09 Wed 15:24
      バンドンにて

 おかげさまで、本日(9日)朝、無事、インドネシアから帰国いたしました。世界切手展<Bandung 2017>の会期中、現地では、コミッショナーの山崎好是さん、審査員の正田幸弘さん、同アプレンティスの井上和幸さん、ご出品者の有吉伸人さん、池田健三郎さん、伊藤純英さん、伊藤文久さん、榎沢祐一さん、増山三郎さん、吉田敬さん、日本からご参観の菊地恵実さん、杉原 正樹さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、自身の作品が従前どおり金賞を維持できたことをはじめ、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、しかるべき媒体でご報告する予定です。

 さて、今回の切手展には、僕はコミッショナーを担当しましたが、その証書は受賞者の方々に授与された賞状と同じフォーマットで、下のようなデザインでした。

      バンドン展・賞状

 証書には開催地バンドン市の花であるオオゴチョウをデザイン化した展覧会のロゴマークが取り上げられています。ロゴマークは、証書の左上に印刷されているほか、切手展のメダル(下の画像)にも大きく取り上げられています。

      バンドン展・メダル  バンドン展・メダル裏

 メダルの裏面に取り上げられているのは、現在は西ジャワ州庁舎として使われているグドゥング・サテが取り上げられています。グドゥング・サテは、1996年にバンドンで開催されたユース切手展の記念切手(下の画像)にもバンドンのシンボルとして取り上げられました。

      インドネシア・グドゥング・サテ

 グドゥング・サテは、オランダ植民地時代の1920年、蘭印政庁の運輸・公共事業・水利省の庁舎として建設されました。設計はオランダ人建築家のJ・ゲルベルです。インドネシア独立後は西ジャワ州庁舎および州知事公邸として用いられています。なお、グドゥング・サテというのは、直訳すると“サテ・ビル”を意味する愛称で、これは、建物中央の形状がインドネシアの伝統的な串焼きの“サテ”に似ていることからつけられたニックネームです。今回の切手展では、初日の夜に西ジャワ州知事主催のウェルカムレセプションがあり、僕もご招待に与り、夜間、ライトアップされたグドゥング・サテも拝んできましたので、昼間の建物の画像と併せて、下に貼っておきます。ちなみに、冒頭の画像は、グドゥング・サテで行われたウェルカム・パーティーで、地元の民族服姿の女性と一緒に撮影したものです。

      グドゥング・サテ(昼間)  グドゥング・サテ(夜間)

 さて、今年は、あと1回、10月24-29日(火-日)の6日間、ブラジル・ブラジリア市のUlysses Guimaraes Convention Centerで世界切手展<BRASILIA 2017>の開催が予定されています。僕はその日本コミッショナー兼出品者として参加する予定となっており、今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。 
 
      
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 <Bandung 2017>終了
2017-08-08 Tue 07:15
 早いもので、3日からインドネシア・バンドンで開催されていた世界切手展<Bandung 2017>は、昨日(7日)、無事にすべての日程を終了しました。すでに、日本からの出品作品の撤去も完了してインドネシアの税関当局に預けております。きょうは、この後ジャカルタに向かい、空港で作品をピックアップの後、現地時間で22時前の飛行機で成田に向かいます。というわけで、無事の帰国を願って、毎度恒例、2都市間のエアメールの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本航空・ジャカルタ宛FFC(仮)

 これは、1962年7月16日、東京(羽田)からジャカルタ宛に差し出された日本航空の初飛行カバー(FFC)で、カシェには日本をイメージした舞姿の女性が描かれています。ジャカルタでの留置期間を経過した後、無事に日本に返送されたものですので、僕も作品ともども無事に日本に返送されますように…との思いを込めて選んでみました。また、貼られている切手が、たなばたあさがおなど、季節を感じさせるものとなっているのも良いですな。ちなみに、今回の僕のフライトも日本航空です。

 さて、今回の切手展では、コミッショナーの山崎好是さん、審査員の正田幸弘さん、同アプレンティスの井上和幸さん、ご出品者の有吉伸人さん、池田健三郎さん、伊藤純英さん、伊藤文久さん、榎沢増祐一さん、山三郎さん、吉田敬さん、日本からご参観の菊地恵実さん、杉原 正樹さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、自身の作品が従前どおり金賞を維持できたことをはじめ、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、成田到着は明朝の予定です。内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。
 

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 ガダルカナルの戦い75年
2017-08-07 Mon 08:13
 1942年8月7日、、米海兵隊第1海兵師団がソロモン諸島のガダルカナル島に上陸し、いわゆるガダルカナル島の戦いが始まってから、きょうで75周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ガダルカナルの戦い25周年

 これは、1967年に英領ソロモン諸島が発行した“ガダルカナル島の戦い25周年”の記念切手のうち、米海兵隊のレッド・ビーチ上陸場面を描いた切手です。

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日午前4時、米軍の第1海兵師団1万900名が、オーストラリア軍の支援の下、ガダルカナル島テナル川東岸付近の通称“レッド・ビーチ”に上陸を開始しました。同時にツラギ島方面にも4個大隊1500名が上陸。ガダルカナル島の日本軍は完全に寝込みを襲われた格好で、連合軍の奇襲攻撃は成功します。そして、同12日、米軍は飛行場を占領し、これをヘンダーソン飛行場と改称。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 一方、一連の戦闘を通じての連合国側の戦死傷者は 6842名でした。激戦地となったヘンダーソン飛行場は、現在、ホニアラ国際空港として、ソロモン諸島の空の玄関口となっていますが、その近くには、戦いの火ぶたを切った米第1海兵師団の戦死者を追悼する慰霊碑も建てられています。(下の画像)

      ホニアラ空港近く・米海兵隊慰霊碑

 さて、ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。今年4月の同島訪問の体験も踏まえ、いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、複合的に“ガダルカナル”の過去と現在を考える物語をまとめてみたいですね。


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 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 <Bandung 2017>受賞速報
2017-08-06 Sun 03:20
      インドネシア・勲章授与(1949)

 3日からインドネシア・バンドン市のトランス・ステュディオ・コンヴェンション・センターで開催中のアジア世界切手展<Bandung 2017>は、昨日(5日)までにすべての作品の審査が終了し、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数です。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 ・増山三郎 Japanese Occupation in Java 1942-1945 LV(88)
 ・丹羽昭夫 Japan: Tazawa Series "Taisho" Watermarked Granite Paper, Old Die LV(88)
 ・鏑木顕 Japanese Occupation of the Philippines 1942-1945 V(81)
 ・村山廣佑 Japan Chrysanthemum Series 1899-1908 V(83)
 ・伊藤純英 JAPAN: Showa Series 1937-46 LV(88)
 ・和田輝洋 Japan Showa Issue 1937-1947 V(83) 
 ・石澤司 Ryukyus Air Mail Stamps 1950-60 LS(77)
 ・山田祐司 Japan 1871-1876 Hand Engraved Issues G(93) +SP(treatment)
 ・有吉伸人 Napoléon non Lauré-FRANCE1852-1862 G(90)
 ・吉田敬 Kingdom of Prussia: 1850-1867 LV(87)
 ・佐藤浩一 Republica Argentina: Sitting Liberty Series 1899-1903 LV(88)
 ・池田健三郎 Postal History of the Cape of Good Hope LV(85)
 ・伊藤純英 Foreign Mail in Nagasaki, Japan 1865-1905 LV(88)  
 ・山崎好是 Japane Courier Mail LV(88)
 ・伊藤文久 Hungarian Inflation 1945-1946 LV(87) 
 ・和田文明 U.S. Return Receipt Requested & Avis de Receipt 1866 - 1945 V(81) 
 ・村山良二 Czslaw Slania - The great work of his engraving stamps LS(78)
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong G(90)
 ・榎沢祐一 Trams – The Origin of Public Transport G(90)
 (以下、文献)
 ・鳴美 『手彫切手』(祖父江義信コレクション) LV(86)
 ・鳴美 『飛脚と郵便』 LV(88)
 ・切手文化博物館 『金井宏之コレクション 日本手彫切手』 LG(95)
 ・スタンペディア 『Stampedia Philatelic Journal』 LV(85)
 ・全日本郵趣連合 『全日本郵趣』 LS(75)
 ・日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログVol.1-5』 V(81)
 ・日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログvol.1 戦前編』 V(80) 
 ・日本郵趣協会 『風景印大百科 1931-2017』 S(70)
 ・鳴美 『昭和切手専門カタログ 改訂第3版』 LV(85)

 あらためて、受賞された皆様には、心よりお祝いを申し上げます。

 なお、冒頭に掲げた画像は、インドネシア独立戦争中の1949年、独立側が発行した公用切手のうち、兵士に勲章を授与している場面を描いた1枚です。授賞(授章)のイメージとして持ってきてみました。


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 AA会議博物館に行ってきました!
2017-08-05 Sat 07:32
 切手展も無事に開幕し、きのう(4日)はちょっとした空き時間ができましたので、バンドンの名所、アジア・アフリカ会議博物館に行ってきました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中国・バンドン会議10周年(会議場)

 これは、1965年に中国が発行した“バンドン会議10周年”の記念切手のうち、会議の行われた建物(Gedung Merdeka:独立ビル)を取り上げた1枚です。ちなみに、画面手前のファサードの現状はこんな感じでした。

      バンドン・独立ビル

 独立ビルは、もともとは、バンドンの上流階級を対象とした“ソシエタイト・コンコルディア(Sociëteit Concordia、コンコルディア協会)”という社交クラブとして利用されていました。コンコルディア協会の最初の建物は1895年に建てられましたが、1926年、バンドン工科大学教授のウォルフ・シューマッハーの設計により、上の画像のファサードに見られるようなアールデコ様式に改築されました。さらに、1940年には、アルベルト・アルベルの設計により、国際様式の部分が付け加えられ(下の画像。上の画像のファサードは画面の左奥にあります)、建物全体がほぼ現在の姿となりました。

      バンドン・独立ビル(増築部分)

 現在の建物の面積は7500平米で、 床材はイタリア産大理石が基本ですが、一部の部屋は板張りで、天上からはクリスタルのランプが吊るされています。

 第二次大戦中の日本占領下では、建物は“大東亜会館”と改称されて文化センターとして用いられていましたが、1945年8月17日の独立宣言後は、独立派の司令部が置かれました。

 1949年12月、インドネシアの独立が最終的に達せられると、建物は“コンコルディア・ビル”として各種催事の会場として利用されるようになりました。

 1954年、インドネシア政府がバンドンで第1回アジア・アフリカ会議の開催を決定すると、コンコルディア・ビルはその会場に指定されます。これは、コンコルディア・ビルが当時のバンドンで最も大きな建物であったことに加え、会議参加者の宿泊先であるサヴォイ・ホテルおよびプレアンガー・ホテルから至近の距離にあったためです。その後、1955年初の改修を経て、建物の名称も現在の“独立ビル”に改称されました。

 アジア・アフリカ会議の終了後、独立ビルはインドネシアの国会に相当する国民協議会の議事堂として用いられていましたが、1971年、国民協議会はジャカルタでの開催が固定されるようになります。そして、1980年、アジア・アフリカ会議25周年を機に、独立ビルは“アジア・アフリカ会議博物館”とすることが決定され、現在に至っています。

 館内に入ると、まずはアジア・アフリカ会議の様子を再現した人形(画像下左)があり、ついで、スカルノと各国首脳の会談の際に用いられた籐椅子(画像下右)や、各種の写真パネルなどの展示がありました。

      アジア・アフリカ博物館・人形  アジア・アフリカ博物館・椅子

 インドネシアが発行した会議関連の切手の展示もありましたが、残念ながら、原画や試刷など、いわゆるアーカイブ・マテリアルはなく、普通の未使用切手と初日カバーだけでした。

      アジア・アフリカ博物館・切手展示

 俺らの展示と併せて、館内では、アジア・アフリカ会議当時の映像なども上映していましたが、個人的には、その上映スペースの前に置かれていた、アンディ・ウォーホール風(?)のスカルノのパネルのインパクトが強烈すぎて、肝心の映像の中身は印象が薄くなってしま居ました。(笑

      アジア・アフリカ博物館・スカルノのパネル

 なお、インドネシアの近現代史に関しては、以前、『蘭印戦跡紀行』と題する拙著を上梓したことがあるのですが、同書では、紙幅の制約もあって、ごく限られた地域しか取り上げることができませんでした。いずれ、今回のバンドン滞在中に見聞したことなども加えた増補改訂版を作れたら・・・と思っています。


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 切手歳時記:竿燈
2017-08-04 Fri 07:42
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2017年8月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      大阪万博・竿燈

 これは、1970年6月15日に発行された大阪万博の記念切手(第2次)のうち、竿燈とパビリオンを取り上げた7円切手です。

 毎年8月3-6日に秋田県秋田市で行われる“秋田竿燈まつり”は、竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る祭です。

 秋田には、すでに江戸時代以前から“ねぶりながし”の習慣がありました。“ねぶり”とは“眠り”のことで、黄泉や常夜の意味でもあります。そこから、“ねぶりながし”は「黄泉の穢れを祓いて水に流す行事」として、古くは七夕に笹や合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩いたうえ、川へ流して邪気を払っていたといわれています。

 その後、宝暦年間(1751-64)になると、蝋燭が普及したこともあって、外町(町人街)の町人が、五穀豊穣や無病息災などを願い、お盆を前に、門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが、現在の竿燈の原型となりました。

 1789年に津村淙庵が著した『雪の降る道』には、秋田独自の風俗として、陰暦7月6日の“ねぶりながし”が紹介されていますが、同書には、長い竿を十文字に構え、それに燈火を数多く付けて、太鼓を打ちながら町を練り歩くようすが記されています。

 ちなみに、“竿燈”という言葉は、1881年に秋田日報を創刊した大久保鐵作が、中国・北宋の禅僧、道原が11世紀初に編纂した燈史『景徳傳燈録』に記述のある“百尺竿頭須進歩”からヒントを得て命名したもので、江戸時代には、提灯をつけた竿は、作り燈籠、ネブリナガシ、七夕などの名前で呼ばれていました。

 しかし、大久保が竿燈という言葉を考案した頃から、皮肉にも、秋田の竿燈は徐々に下火になっていきます。この頃から、市内に電灯がともり、電線が張り巡らされて物理的に竿燈を掲げることが難しくなったためです。このため、1902年には、発祥の地である外町通りでの竿燈が廃止。翌年からは竿燈は楢山グランドに場所を移して行われたものの、下駄履きで歩き回るためにグランドが荒れることから、グランド側は3年間で竿燈に場所を貸すことを拒否するようになりました。そこで、再び、外町が竿燈の会場となったものの、電線の折損事故が絶えず、1907年には千秋公園二の丸が会場となります。

 こうして、一時は存続の危機に瀕した竿燈でしたが、1908年、皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)の東北行啓の際に台覧の栄に浴し、また、大正時代に入ると他県からの観光客も訪れるようになったことで、次第に活気を取り戻していきます。こうした事情を踏まえて、1931年には秋田市竿燈会が結成されました。

 その後、1937年に日中戦争(支那事変)が始まると、1945年の終戦まで竿燈は中断されましたが、終戦後すぐに早坂吉助会長以下、竿燈会は竿燈の復活に向け動き出し、早くも翌年にはまつりを復活させます。ただし、当時は提灯に必要な紙や油も不足していたため、1946年のまつりの開催は、例年より大幅に遅い、9月29日となりました。

 復活当初は1日だけだった竿燈まつりは、1954年からは2日間、1964年からは3日間に拡大され、1988年以降は、現在と同じ4日間となっています。この間、1970年の大阪万博に際しては、会場内お祭り広場で披露された日本各地の祭りを代表して、記念切手にも取り上げられ、その知名度は全世界に広がることになりました。

 ちなみに、竿燈は大きさにより、大若、中若、小若、幼若に分けられます。提灯の数は、大若と中若が最上段2個、二段目4個、3-8段目6個、最下段(9段目)4個、小若と幼若は最上段2個、2段目-6段目4個、最下段(7段目)2個という構成ですが、今回ご紹介の切手では、デザイン上の都合から、最下段に6個の提灯が下げられています。
 

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 きょうから<Bandung 2017>
2017-08-03 Thu 02:48
 きょう(3日)から7日まで、インドネシア・バンドンのトランス・ステュディオ・コンヴェンション・センター(Trans Studio Convention Centre)で、世界切手展<Bandung 2017>が開催されます。というわけで、同展のロゴマークと併せて、この切手をご紹介します(画像はクリックで拡大されます)

      バンドン展・ロゴ  沖縄・オオゴチョウ

 左は、今回の切手展のロゴマークで、開催地のバンドン市の花“オオゴチョウ”をデザイン化したものだそうです。右側には、そのオオゴチョウを取り上げた1971年発行の琉球切手を貼っておきました。ちなみに、沖縄では、オオゴチョウは、サンダンカ、デイゴとともに三大名花として“県の花”にも指定されています。

 オオゴチョウは西インド諸島原産とされるマメ科ジャケツイバラ属の植物で、高さは2-5m。枝分かれは少なく、幹には鋭い棘があり、枝先に円錐花序を出し、赤橙色の花をつけます。花径は4cmほどで、雄しべと雌しべが長く突き出して蝶が舞うように見えることから、和名の“黄胡蝶”の名がつきました。

 さて、インドネシアで世界切手展が開かれるのは、2012年にジャカルタで開催された<INDONESIA 2012>以来5年ぶりのことで、展示フレーム数は約1900フレーム。日本からは、文献を除き、19作品・119フレームが出品されており、審査員として正田幸弘さんと井上和幸さん(アプレンティス)が、コミッショナーとして山崎好是さんと不肖・内藤が参加しています。

 日本からの作品の搬入は、昨日、出品者の伊藤純英さん、伊藤文久さん、増山三郎さんのご協力も得て無事に済ませ、無事、会場に並んでいます。下左の写真は、ビンルームでの作品の際のチェック風景、同右は、展示作業終了後、今回の日本からの出品の目玉である“龍500文逆刷”を含む山田コレクションの前で撮影したものです。

      バンドン展・ビンルーム  バンドン展・展示作業

 きょうは午前9時からコミッショナーのミーティングがあり、その後、オープニング・セレモニーに出席します。なお、受賞結果につきましては、公表可能な状況になり次第、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。

 【追記】
 3日午前10時から行われたオープニング・セレモニーでは、冒頭、切手展の成功を祈願してコーランの朗誦がありました。

      バンドン展・コーラン朗誦

 イスラム圏で開催された国際切手展には、過去にも何度か参加しましたが、オープニング・セレモニーでコーランの朗誦を見たのは今回が初めてです。前回、2012年の切手展の際には、ジャカルタ市内のコンビニで自由にビールが買えましたが、2015年の法改正でコンビニでのビールの販売が禁止となったとかで、食生活にはちょっと不便を感じているのですが、そうしたことと併せて考えてみると、インドネシア社会全体で、イスラム的な価値観を重視傾向が強まってきていることの表れということなのかもしれません。ちなみに、今回は、セレモニーの最後に、関係者が書類にサインをして、それを参加者に披露するというのが開会の儀式で、テープカットをしたり、銅鑼を叩いたり…といったわかりやすいアクションはありませんでした。

      バンドン展・オープニング


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 バンドンに到着しました!
2017-08-02 Wed 04:33
 おかげさまで、昨晩、ジャカルタ経由でバンドンに到着しました。というわけで、まずは無事の到着を祝して、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      オランダ・バタヴィア=スラバヤ夜間急行

 これは、1936年10月23日、アムステルダムからバンドン宛に差し出された郵便物で、空路でバタヴィア(現ジャカルタ)到着後、バタヴィア=スラバヤ間の夜間高速鉄道の第1便で陸路バンドンまで運ばれたのがミソです。僕も、空路でジャカルタ入りした後、バンドンまでは陸路での移動でしたので、それにちなんで持ってきてみました。カバーの左下に夜間急行鉄道の初便で運ばれたことを示すカシェが押されているのがミソです。

 バタヴィア=スラバヤ間の高速鉄道の定期運行は1929年5月1日に始まりました。当時の両都市間の所要時間は11時間27分です。夜間急行( Nacht-Expres )の運行が始まったのは、今回ご紹介のカバーのカシェにあるように、1936年11月1日のことで、21時にバタヴィアを出発し、翌朝5時にスラバヤに到着するというスケジュールでした。単純に所要時間だけを考えると、日中の列車の11時間27分の方が短いのですが、冷房も完備されていない時代のことゆえ、日中の日差しと湿気の中の移動というのはかなりの難行でしたから、観光客の間では、涼しい中で移動できる夜間特急の方が人気があったようです。

 さて、今回の切手展の作品搬入ですが、飛行機の預け荷物は重量制限があり、スーツケースの容量ギリギリまで作品を入れることは不可能なので、コミッショナー預かりの作品は、衣類などと一緒に分散して預けています。また、同行された出品者の方は、それぞれ、御自身のスーツケースに作品を入れて来られます。通関手続きの際には、それらをまとめて、作品専用のスーツケースに収めることが要求されますので、まずは、ジャカルタ到着後、まずは、空港で日本からの出品作品を作品専用のスーツにまとめる作業を行いました。そのうえで、作品のみが入っているスーツケースを、担当者が下の画像のように封印します。今回の日本からの出品は文献を除いて21点。スーツケース3つ分になりました。

      ジャカルタ空港・スーツケース封印

 封印されたスーツケースは、現在、下の画像のように保税倉庫となっているホテルの一室に運び込まれています。日本からの作品が入っているのは左端からのスーツケース3個です。

       バンドン展作品・保税倉庫

 僕たちのホテル到着は1日22:00頃で、その日のうちに通関手続きを行うのは無理だったので、きょう(2日)は、まず、09:00に保税倉庫に行ってスーツケースを開けて通関手続きを行い、それが終わったら展示作業に取り掛かるという段取りです。何分にも、相手のあることなので、どのくらい時間がかかるかは読めないのですが、明日からの会期を前に、夕方からは作品の審査も始まるということなので、なんとかそれまでに、作業を完了させたいものです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 インドネシアに行ってきます!
2017-08-01 Tue 00:10
 私事で恐縮ですが、インドネシア・バンドンで開催される世界切手展<Bandung 2017>に出品者および第2コミッショナーとして参加するため、きょう(1日)午前中の飛行機で成田を発ち、まずは経由地のジャカルタに向かいます。インドネシア行きは2012年の世界切手展<INDONESIA 2012>以来5年ぶりです。というわけで、インドネシア・ジャワ島がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ボロブドゥール(1979)

 これは、1979年2月24日にフランスが発行したボロブドゥール寺院の切手で、ストゥーパと与願印の釈迦如来像が描かれています。

 インドネシア・ジャワ島中部にあるボロブドゥール寺院は、仏教を奉じるシャイレーンドラ朝が8世紀から9世紀にかけて建造した大寺院ですが、その構造は密教の曼荼羅を立体的に再現したものと言われています。

 曼荼羅とは、大日如来の説く真理や悟りの境地を視覚的に表現したもので、一般的には絵画など平面に表わされますが、ボロブドゥール遺跡のように諸尊の彫像を立体的に配置する羯麿曼荼羅(立体曼陀羅)と呼ばれるものも存在しています。

 ボロブドゥール寺院は、全体が基壇、方壇、円壇の3段の構成となっていますが、これは、それぞれ欲界、色界、無色界の三界を表現しており、人々はボロブドゥールに登る事で、三界を体験することができる構成になっています。そして、72基のストゥーパは三重円を描くように並び、頂上には釈迦の遺骨を納めたとされる巨大なストゥーパがあり、天上をめざしています。この中心塔は空洞になっていますが、これは大乗仏教の真髄である“空”の思想を強調していると考えられています。

 切手に取り上げられている釈迦如来像は、左手が掌を前側に向けて下げる“与願印”となっていますが、これは、人々の願いを聞き入れ望むものを与えようとする深い慈悲を表わす身振りとされています。副コミッショナーとして、日本からお預かりしたコレクションがご出品者のご期待に適う結果になりますように…との思いを込めて、選んでみました。なお、ボロブドゥール寺院と関連のマテリアルについては、拙著『蘭印戦跡紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです

 さて、今回は、メイン・コレクションのA History of Hong Kong を出品するほか、日本からの出品作品が多数あるため、第1コミッショナーの山崎好是さんをサポートするための第2コミッショナーとして、作品の搬入・撤去のほか、現地での各種会議・会合にも参加してくる予定です。

 展覧会の会期は3日から7日までなのですが、作品を搬入しなければなりませんので、本日夕方、ジャカルタ入りした後、陸路でバンドン入りし、あす(2日)、作品の展示作業を行う予定です。なお、展覧会終了翌日の8日に現地を発ち、9日朝、帰国の予定です。

 この間、ノートパソコンも持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただし、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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