内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
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 ルターの宗教改革500年
2017-10-31 Tue 08:49
 1517年10月31日にマルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に『95ヶ条の論題』を張り出し、いわゆる宗教改革が始まってから、きょうでちょうど500年です。というわけで、ブラジルからの帰国途中の空港ラウンジで記事を書いていることでもありますし、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     ブラジル・ルター500年(仮)

 これは、ことし(2017年)4月13日、ブラジルがドイツと共同発行した“宗教改革500年”の記念切手で、ルターの肖像と、新約聖書「ヨハネによる福音書」の「はじめに言葉ありき(No princípio era a palavra)」の文言が記されています。なお、今回ご紹介の画像は、現地時間30日までの在伯中、切手展会場の郵便局で入手したものをスマホで撮影したものですので、帰国後、きちんとスキャンしなおして差し替えたいと思います。

 さて、ブラジルは世界最大のカトリック人口を抱える国ですが、近年、カトリックの人口が急減し、プロテスタント、特に福音派(ポルトガル語ではエヴァンジェリコ)が急速に勢力を伸ばしています。

 すなわち、2016年12月に公表されたブラジルの有力紙『ダータフォーリャ』が発表した調査結果(16歳以上のブラジル人2500人以上を対象)によると、調査時点でのカトリック人口の割合は50%で、前回(2年前)の60%から10ポイント(総人口との比率で考えると900万人)という急激な減少を示しています。ちなみに、1994年の同様の調査では、人口の75%がカトリックと回答していましたので、カトリックにとって、信徒の急減は深刻な問題と言ってよさそうです。

 これに対して、無宗教と答えた人の割合は、前回の6%から14%と倍増以上で、プロテスタントの割合は29%にまで拡大しています。

 もともと、ブラジルにおけるプロテスタントはドイツ系の移民が持ち込んだもので(それゆえ、今回ご紹介の切手もドイツとの共同発行となったわけですが)、それゆえ、伝統的なルター派教会はリオ・グランデ・ド・スル州などドイツ系移民の多い地域を中心に建設されていました。ここに、20世紀初頭、プロテスタントのうちのメソジスト、ホーリネス教会のなかから、米国で始まった聖霊運動のペンテコステが流入し、プロテスタントにおいて大きな影響力を持つようになります。

 そうした土壌の下、近年、やはり米国で勢力を急速に拡大している福音派(ブラジルでは“エヴァンジェリコ”と呼ばれる)がブラジルにも進出し、都市部に浸透していったというのがおおよその傾向です。ちなみに、地域ごとのプロテスタントの人口比ですが、最も多いのがサンパウロやリオデジャネイロ、ミナスジェライスのある南東部で43%、北東部で27%、その他の地域は15%程度となっています。

 ブラジル人のカトリック離れについては、さまざまな原因が指摘されていますが、その一つとして、ポルトガル植民地時代以来、カトリックが強い権威・権力を有してきた歴史に対する反発や、カトリック教会が信徒たちの要求に対応しきれなくなっているという事情などがあるようです。たとえば、カトリックの神父の説教が定型的すぎて現実の出来事に具体的に対応してくれないのに対して、プロテスタント、特に福音派は米国仕込みの宣教戦略が巧みで説教が分かりやすく、礼拝(ミサ)も情熱的で、病気を治したり奇跡を強調したりするところで支持を拡大しているとの指摘もあります。

 ちなみに、ブラジルの福音派の間では、ムスリム同様、禁酒を(事実上の)戒律とされており、カーニヴァル等の祝祭も、「Não agrada Deus(神が喜ばないから)」という理由で忌避される傾向があるのだとか。

 まぁ、信仰は人それぞれなので、僕のような非lクリスチャンがとやかく言うべきことではないのですが、お酒を飲みながら、女性と一緒に夜通しどんちゃん騒ぎをやるという、昔ながらのカトリックのブラジル人の方が、ずっと親近感がわくのですがね。
 
 なお、ブラジルにおける宗教事情の一端については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 <Brasilia 2017>終了
2017-10-30 Mon 10:27
 早いもので、24日(以下、日時はすべて現地時間)からブラジル・ブラジリアのウリセス・ギマランエス・コンヴェンション・センターで開催されていた世界切手展<Brasilia 2017>は、29日午後、無事にすべての日程を終了しました。すでに、日本からの出品作品の撤去も完了し、明朝・30日の飛行機で出国します。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルガリア・Brasilia 2017贈呈用

 これは、今回の切手展に際し、ブルガリアが発行した記念切手シートの贈呈用無額面ヴァージョンです。

 国際切手展が開催されると、開催国以外にも、ブースを出展する国などが記念切手を発行することは珍しくありません。その場合、記念切手の題材も、より多くの来場者に買ってもらえるようなものが選ばれるのが通例です。

 今回の世界切手展<Brasiliana 2017>では、ブルガリアは“(駐ブラジル)ブルガリア大使館”名義でブースを出展しており、それにあわせて、サッカーの王様と称されたペレのブラジル代表参加60周年を題材に、ゴールするペレと優勝カップを組み合わせた1レフ切手と、展覧会のロゴと会場を組み合わせたタブで構成される記念シートを発行しました。ちなみに、切手展会場内のブルガリア大使館のブースはこんな感じでした。

      ブラジル展・ブルガリア大使館ブース

 一般に販売された記念シートには、普通紙と特殊紙の2種類があり、いずれも水平方向に目打が施されており、発行枚数は1500枚です。

 これに対して、贈呈用のシートは、額面が0・00 レフとなっており、特殊紙に印刷されているほか、無目打で目打状の印刷が施されています。ブルガリア郵政は、今回、この贈呈シートを1000枚つくり、関係者に配布しましたが、その流れで、日本のコミッショナーを務めた僕のところにも1部が回ってきたというわけです。このあたりの事情は、時間が経つとわからなくなってきますので、記録の意味で、記事にしてみました。

 さて、今回の切手展の会期中、審査員の佐藤浩一さんご夫妻をはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、自身の作品については、「香港の歴史」が従前どおり金賞を維持できたことに加え、初出品の「アウシュヴィッツ郵便史 1939-1945」でもなんとか金銀賞を受賞することができ、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、しかるべき媒体でご報告する予定です。

 なお、帰国は、往路同様、ブエノスアイレスドーハを経由し、日本時間の1日夜に成田に到着の予定です。内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。


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 世界の切手:ソ連
2017-10-29 Sun 04:48
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年10月18日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はソ連の特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・レーピン

 これは、1944年にソ連が発行した“レーピン生誕100周年”の記念切手のうち、彼の代表作『スルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック』を取り上げた1枚です。

 ロシア画壇の巨匠、イリヤ・エフィーモヴィチ・レーピンは、1844年、ウクライナのチュグエフ(ハリコフ近郊)のロシア人入植者の家庭に生まれました。地元のイコン画家ブナコフの下で修業をつんだ後、サンクトペテルブルクのロシア帝国美術アカデミーで学びましたが、後に、アカデミーに批判的な移動派の旗手として活躍します。

 皇帝や貴族の肖像を制作する一方で、しばしば社会最下層の貧民や革命運動を題材とする作品を少なからず残したため、ソ連時代は社会主義リアリズムの模範としてもてはやされましたが、レーピン自身は革命後のボリシェヴィキ政権ならびにソ連政府とは距離を置き、自宅のあるサンクトペテルブルク北方のクオッカラが、帝政ロシアの崩壊後、フィンランド領に編入されると、高齢を理由に帰国を拒み続け、1930年にクオッカラで亡くなりました。

 切手に取り上げられた『スルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック』は、17世紀、服従を迫るスルターンに対してコサックたちが嘲弄に満ちた返書をしたためる、という伝説的場面が主題としたもので、1870年代末から制作が開始され、10年以上の歳月をかけて、1891年に完成しました。完成後は、それまでのロシア絵画に支払われた金額としては最高額の3万5000ルーブルでロシア皇帝が買い上げています。
 
 さて、『世界の切手コレクション』10月18日号の「世界の国々」では、スプートニク1号を中心としたソ連の初期の宇宙開発についてまとめた長文コラムのほか、国営旅行会社のインツーリストサンクトペテルブルクの冬宮コンスタンチン・ツィオルコフスキー、ライカ犬の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のソ連の次は、18日に発売された10月25日号でのルーマニアの特集になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。
      

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 <Brasilia 2017> 受賞速報
2017-10-28 Sat 00:50
      ブラジル・嬉々

 今月24日(現地時間。以下同)からブラジル・ブラジリア市のユリシス・ギマラエス・コンヴェンション・センターで開催中の世界切手展<Brasilia 2017>は、すべての作品の審査が終了し、27日午後、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記(敬称略)、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数、+SPは特別賞つきです。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 ・吉田敬 Kingdom of Prussia: 1850-1869 G(91)
 ・正田幸弘 Postal History of Brazil 1795 – 1877 G(93)+SP
 ・内藤陽介 Postal History of Auschwitz 1939-1945 V(80)
 ・井上和幸 Postal History of NIUAFOOU and Tin Can Mail 1882-1947 LV(85)
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong G(92)+SP
 (以下、文献)
 ・祖父江義信 『手彫切手』 LV(85)
 ・金井宏之(切手文化博物館) 『金井宏之コレクション 日本手彫切手』 LG(96)+SP
 ・公財・日本郵趣協会 『郷土の郵便印』 V(80)
 ・スタンペディア 『Stampedia Philatelic Journal』 G(90)
 ・公財・日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログvol.1 戦前編』 LV(86)

 なお、冒頭に掲げた画像は、1997年5月20日、切手デザインコンクールの優勝作品、ルシアーナ・ヒラタによる“ALEGRIA ALEGRIA”を取り上げたブラジル切手です。題名の“ALEGRIA”はポルトガル語で“喜び”の意味ですから、あえて邦題をつけると「嬉々」とでもなりましょうか。授賞をお祝いするのにふさわしい画題というだけでなく、原画作者が日系人というのも良いですね。

 受賞者の皆様、あらためて、おめでとうございます。


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 タイ前国王陛下の国葬
2017-10-27 Fri 04:02
 昨年、崩御されたタイのプミポン・アドゥンヤデート前国王陛下(以下、ラーマ9世)の国葬が、10月25-29日の日程で行われていますが、その主要行事となる火葬式が、きのう(26日)、行われ、御遺体が荼毘に付されました。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・大勝利号

 これは、1974年9月9日にタイで発行された“国立博物館100周年”の記念切手のうち、歴代の国王・王族の葬儀に際して用いられてきた人力霊柩車“大勝利号”が取り上げられています。

 タイにおける博物館の歴史は、1859年、国王ラーマ4世が王宮内に自分への贈物を1ヵ所にまとめて収蔵したのが起源とされています。ただし、ラーマ4世の時代の収蔵施設は、プライベート・コレクションとしての性質が強く、一般公開を前提とした現在の博物館とはかなり趣が異なるものでした。

 これに対して、ラーマ4世崩御後の1874年、ラーマ5世は、父王の御物や一般の関心を集めそうな品々を展示・公開するための施設として、王宮内のサハタイ・サマコム館を利用して博物館を創設することとし、9月19日に博物館としての開館記念式典を行いました。現在のタイでは、これをもって、国立博物館の開館としており、今回ご紹介の切手もここから起算して100周年にあわせて発行されました。

 その後、展示施設が手狭になったため、1887年、ラーマ5世はサハタイ・サマコム館から副王宮殿(ワンナー)の礼拝堂として用いられていた建物に所蔵品を移すように命令。この施設は、当初、ワンナー博物館と呼ばれていましたが、1926年にバンコク博物館と改称され、1934年、文化省芸術局の管轄に置かれてバンコク国立博物館として拡充され、現在に至っています。

 なお、現在、タイの“国立博物館”は、バンコク国立博物館、バンコク国立美術館、王室御座船国立博物館、シン・ピーラシー記念国立博物館、王室象国立博物館、ガーンチャナーピセーク国立博物館の6中核組織を含め、バンコクなど中部に21、チェンマイなど北部に8、スリンなど東北部に7、プーケットなど南部に7の施設があり、文化省芸術局国立博物館部によって運営が担われています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた大勝利号は、ラーマ1世治世下の1795年、国王の父であるトンディーの遺体を、現在は王宮前広場になっている“トゥン・プラーメン”の火葬場に運ぶために作られ、以後、歴代のチャクリー王朝の国王の葬儀に際して用いられてきました。

 近年は、国王のみならず、1995年に亡くなったシーナカリンタラー=ボーロマラーチャチョンナニー王太后(ラーマ9世の母)や2011年に亡くなったペッチャラット(ラーマ6世とスワッタナー妃の娘)の葬儀の際にも用いられました。今回の国葬でも、ラーマ9世の御遺体を運ぶために使われるものと思われます。

 ちなみに、バンコクのチャクリー宮殿の北側、現在の王宮前広場は、もともと、国王と王族の葬儀場だった場所で、王が亡くなると須弥山に澄む神に戻るとのヒンドゥー神話に基づき、“須弥山の広場”を意味する“トゥン・プラーメン”と呼ばれていました。現在のように“サナーム・ルアン”と呼ばれるようになったのは、1855年、ラーマ4世が発した布告によるものです。

 なお、切手の英文説明は“Royal Chariot”となっていますが、欧米でいう“Chariot”の語は、一般に4輪の場合は“軽馬車”を意味する語ですから、馬ではなく人間が牽引する大勝利号の説明としては、欧米人には誤解を与えるかもしれません。


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 <Brasilia 2017>開幕!
2017-10-26 Thu 01:52
 世界切手展<Brasilia 2017>が、現地時間の24日18:00(日本時間25日06:00)、無事に開幕しました。というわけで、きょうは会場のウリセス・ギマランエス・コンヴェンション・センターにちなんで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ウリセス・ギマランエス ブラジリア・コンベンションセンター 

 今回の切手展会場の施設名の由来にもなっている政治家、ウリセス・ギマランエスの没後1周年に際して、1993年10月6日、ブラジルで発行された追悼切手で、ブラジリアの国会議事堂を背景に、ギマランエスと民衆が描かれています。ついでですので、隣には、シナイのテレビ塔から見たコンヴェンション・センターの全景の画像を貼っておきます。

 さて、ウリセス・ギマランエスは、1916年10月6日、サンパウロ州イチラピナで生まれました。

 サンパウロ大学を卒業後、租税法の専門家としてマッケンジー法科大学等の教授を務めるかたわら、プロサッカークラブのサントスFCの役員を務めました。

 1947年、憲法制定会議のサンパウロ州代議員に選ばれたのを機に政治に関与するようになり、1951年に連邦議員として初当選。1956-1957には下院議長を務め、1961-62年には開発・商工貿易大臣として入閣しました。

 1964年、軍事クーデターによって、カステロ・ブランコ将軍を大統領とする軍事政権が誕生すると、当初こそ、腐敗根絶を掲げるブランコ政権を支持したものの、1965年に体制内野党として“ブラジル民主運動(MDB)”が結成されると、その副党首(のち党首)となりました。

 1973年の大統領選挙には、MDBの大統領候補として出馬しましたが、与党・国家革新連盟のエルネスト・ガイゼルに敗退。その後、ガイゼル政権が国民の不満を受けて、軍政令第五号を破棄するなど前政権以来の強権統治を修正すると、民政移管をにらんで民主化運動を指導しました。

 1979年に発足したジョアン・フィゲイレード政権は、同年8月の恩赦法を制定。これにより、政治犯の釈放や追放者の帰国が認められ、カエターノ・ヴェローゾやフェルナンド・エンリケ・カルドーゾなどが帰国し、さらに、同年11月には政党法が制定され、政党の結成が自由化されます。これを受けて、1980年12月、ギマランエスは、MDBを中心に保守主義者から左派系まで広範な反軍政勢力が結集した包括政党としてブラジル民主運動党(PMDB)に結成し、その党首となりました。1980年12月に結成された。さらに、1984年には「ただちに選挙を(Diretas Já)」をスローガンに、民主化要求デモを組織しています。

 1985年1月の大統領選挙ではPMDBの有力候補と目されていましたが、最終的にタンクレード・ネーヴェスが同党の大統領候補になり、軍事政権下の与党社会民主党(PSD)から分裂した自由戦線党(PFL)の支持を得て当選を果たしました。一方、ギマランエスは、1985-86年と1987-88年の2期連続で下院議長を務めるとともに、1987-88年の憲法制定会議では議長として、現行憲法制定の中心的な人物となりました。

 1989年の大統領選挙には、PMDBの候補として出馬したものの落選。1992年10月12日、妻で前上院議員のモラとヘリコプターで移動中、墜落事故で亡くなりました。

 一方、ブラジリアのコンヴェンション・センターは、もともとは、ブラジリア建都事業の一環として、オスカー・ニーマイヤーが設計した文化センターでしたが、1978年にコンヴェンション・センターとして転用されました。1989年には、民主化後最初の選挙での開票所に使われ、そのことから、民主化運動と現憲法制定に尽力したギマランエスの功績をたたえて、1992年に彼が亡くなると、施設名にその名が冠せられることになりました。なお、現在の建物は、セルジオ・ベルナルデスの設計により拡張されたもので、ニーマイヤーの設計したオリジナルのものではありません。

 ちなみに、今回の切手展会場の入口と内部の展示はこんな感じです。

      ブラジリア展・会場入口  ブラジリア展・展示俯瞰


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★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 ベイスターズが日本シリーズ進出
2017-10-25 Wed 02:03
 プロ野球セントラル・リーグは、昨日(24日)、クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでリーグ戦3位の横浜DeNAベイスターズがリーグ優勝の広島東洋カープを4連勝で下し、19年ぶりの日本シリーズ進出を決めました。というわけで、ベイ(湾)とスター(星)が両方描かれたマテリアルの中から、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・1896年葉書

 これは、1896年にブラジルで発行された外信葉書で、印面および余白部分の双方に、星空のグアナバラ湾とポン・ヂ・アスーカルが描かれています。
 
 1498年、ヴァスコ・ダ・ガマのポルトガル艦隊がインド航路を開拓したことを受けて、ポルトガル王マヌエル1世は、1500年2月15日、ペドロ・アルヴァレス・カブラルを長とする第2次インド遠征隊を派遣しました。ところが、カブラルの艦隊は予定の航路を大きく外れてブラジルに漂着。これが、ヨーロッパ人によるブラジルの“発見”と言われている出来事となりました。

 続いて、1502年1月、ガスパール・デ・レモス率いるポルトガルの艦隊が、今度は明確に南米大陸を目指す意図をもってブラジルに到達します。一行が到達したグアナバラ湾は、湾口がぐっと狭まっているため、彼らはここを川と勘違いし、到着したのが1月だったことから、一帯を“1月の川”、すなわちリオ・デ・ジャネイロと命名しました。

 グアナバラ湾は面積400平方キロ、周囲143キロの大きな入り江で、湾内には国際空港のあるゴベルナドール島や観光地パケター島など113の島があるものの、その入り口の幅はわずか1.5キロほどしかありません。

 湾内とその周辺には、気の遠くなるような年月をかけて浸食された巨大な奇岩がところどころにそびえ立ち、独特の景観を作り出しており、その佳景を評して、カリオカ(リオ市の住民もしくは出身者)は「神は7日で世界を創りたもうた。そのうち、リオだけに2日を費やされた」と誇らしげに語っています。

 そうしたリオの景観の中でも、我々日本人にとっての富士山と同じように、特別な意味を持つシンボルとなっているのが、湾口西側の岬にそそり立つ標高335メートルの円錐状の岩山、ポン・ヂ・アスーカルです。

 ポン・ヂ・アスーカルは、直訳すると、ポルトガル語で“砂糖パン”の意味。もともと、この岩山は先住民トゥピ・グアラニー族の言葉で“尖った山”を意味する“ポウンドアスカ”と呼ばれていましたが、ポルトガル人がそれを自分たちになじみの深い単語の“ポン・ヂ・アスーカル”と聞き間違えたのが現在の名前の由来とされています。ちなみに、英語では、砂糖の塊を意味する“シュガー・ローフ”の名で呼ばれることも多いです。

 かつての米国への移民にとっての自由の女神がそうだったように、グアナバラ湾の入口にそびえ立つポン・ヂ・アスーカルは、長い船旅の後、船客たちがリオにたどり着いたことを実感するための標識でもありました。

 こうしたことを踏まえ、1889年11月15日の軍事クーデターで皇帝ドン・ペドロ2世が廃位され、帝政から共和制に移行すると、ブラジルの葉書のフォーマットとして、上部の装飾にブラジルの象徴としてのポン・ヂ・アスーカルを大きく描き、共和革命を示す“1889年11月15日”の日付が右下に入るようになりました。このスタイルの葉書には、印面に女神が描かれたモノなどもあるのですが、今回ご紹介の葉書は、印面もまた、星空のポン・ヂ・アスーカルになっています。

 なお、ポン・ヂ・アスーカルとリオデジャネイロについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも、関連する切手・絵葉書を交えながら詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 スプートニクとガガーリンの闇①
2017-10-24 Tue 07:40
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』第658号(9月25日号)から、「スプートニクとガガーリンの闇」と題する新連載を始めました。今回は初回ということで、現在、“宇宙旅行の父”とも称されているコンスタンチン・ツィオルコフスキーの切手について取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ツィオルコフスキー(1951)

 これは、1951年にソ連が発行した“ソ連の科学者”と題する16種セットの切手のうち、ロケットを背景にツィオルコフスキーの肖像を描いた1枚です。この時点では、“宇宙旅行”はあくまでも空想上の産物でしたから、ツィオルコフスキーはあくまでも“ロケットの父”として顕彰されています。

 コンスタン・ツィオルコフスキーは、ロシア帝国時代の1857年9月17日、(新暦では9月5日)、モスクワ南東のリャザン県イジェフスクで生まれました。ツィオルコフスキー家は、リトアニア・ポーランド王国の貴族、シュラフタの血統で、18世紀末にキエフに移住してきました。父親のエドヴァルトは森林管理の役人で、母親のマリア・ユマシェワはヴォルガ・タタール人です。

 ツィオルコフスキーは幼少の頃から科学の方面には並々ならぬ才能を発揮していましたが、1867年、10歳の時に風邪をこじらせて猩紅熱にかかり、それが元で聴力をほとんど失います。さらに、1870年、13歳の頃に母親が他界。こうしたことが重なり、1873年、古典ギムナージヤ(高等中学校)を退学してしまいました。

 しかし、その才能を惜しんだ父親の援助を得て、モスクワに出て(本来の目的であった帝室モスクワ技術学校への入学は、ギムナージヤを中退したため、入学資格を満たさず、断念)図書館で数学や物理学、天文学を学びます。その後、1879年、教師資格を取得し、1880年以降、モスクワ南方のボロフスクやカルーガで数学教師として教鞭を執るかたわら、1935年に亡くなるまで、気球や飛行船に関する数多くの論文やエッセイを発表しました。

 なかでも、1897年に発表した“ツィオルコフスキーの公式”は「噴射ガスの速度が大きく、ロケット点火時と燃焼終了時の質量比が大きい程、より大きな速度を得られる」というもので、液体燃料が固体燃料に比べて遥かに大きな排気速度を出せることを示したものとして画期的なものでした。

 また、1903年、独自のロケット理論をまとめた代表作『反作用利用装置による宇宙探検』を発表。これは同年に科学雑誌『モスクワ科学評論』にも掲載され、この中で宇宙旅行や軌道エレベータの可能性や液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図も発表されています。

 さらに、1903年の論文を継承・改良して発表した1911年の論文では「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」との名言を記しました。この一言は、後に彼が“宇宙旅行の父”と呼ばれる所以となるのですが、当時のアカデミズムからはほとんど相手にされず、狂人扱いされていたほどです。

 1917年にロシア革命が起こり、1918年に共産主義アカデミーが創設されると(1919年に社会主義社会科学アカデミーと改称)、ツィオルコフスキーは会員募集に応募して当選します。ただし、彼がアカデミーの会員資格を得たのは、宇宙ロケットの研究によってではなく、帝政末期の1912年以来、彼が熱心に取り組んでいた金属製飛行船の開発が評価されてのことでした。

 その後、1922年末にソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立すると、ツェッペリンに代表されるドイツの飛行船開発に刺激を受けた共産党政権は、金属製飛行船の開発者としてのツィオルコフスキーに注目し、特に空軍は彼を積極的に支援しました。また、彼が帝政時代には不遇をかこっていたという経歴の持ち主であることに加え、自然を征服し、改良するという彼の思想は社会主義イデオロギーとも親和性の高いものであったことも、プラスに作用しました。

 かくして、ツィオルコフスキーは1925年に空軍アカデミーの名誉教授となり、多額の年金を国から支給され、1932年には労働赤旗勲章を授与されます。さらに、1935年9月19日にツィオルコフスキーが亡くなった際には、彼の葬儀は国葬の礼をもって執り行われました。これらは、いずれも、彼の飛行船開発の功績に対して与えられたものでした。

 その後、第二次大戦を経て、気球と飛行船は時代遅れの輸送手段となっていったが、それと入れ替わりに、ロケット開発の重要性が増してくると、今度は、ツィオルコフスキーの位置づけは“ロケットの父”へと変化していきます。

 すなわち、1939年に第二次大戦が勃発した当初、ソ連は核分裂を兵器に応用することは現実的ではないと考えていましたが、大戦中、米独などで核兵器の開発が進められていることを探知すると、1943年、物理学者イーゴリ・ワシリエヴィチ・クルチャトフに対して核兵器の研究を要請。さらに、1945年8月、広島・長崎への原子爆弾投下を知ると、核兵器の持つ政治的効果をすぐに覚り、早くも同月中には核兵器開発を促進するための“第一委員会”を発足させています。そうしたこともあって、1949年8月29日には、ソ連は原爆実験に成功しました。

 ところで、原子爆弾を実際に兵器として利用するためには、爆弾そのものの品質向上とともに、運搬手段を確保しなければなりません。ここで、ロケット開発が重要な課題となってくるわけです。

 すなわち、1949年、ソ連が最初の原爆実験に成功した時点では、彼らは欧州大陸を標的として、3000キロ程度の射程のミサイルで十分と考えていましたが、翌1950年1月、米国のトルーマン政権が水素爆弾の製造を指示すると、ソ連は“自衛のため”、米国を直接核攻撃できるミサイルを開発する必要に迫られることになりました。

 今回ご紹介の切手は、まさにこうした背景の下で発行されたもので、“ロケットの父”としてツィオルコフスキーを顕彰することで、ソ連の科学技術が歴史的に西側よりも先んじていたことを主張しようとの意図を読み取ることができます。

 1957年のスプートニク1号の打ち上げはそうしたミサイル開発の延長線上に達成されたものでしたが、そのタイミングが1957年になったのは、同年が国際地球観測年にあたっていたことに加え、ツィオルコフスキーの生誕100周年にあたっていたという事情もありました。

 以後、東西冷戦という国際環境の下で、宇宙開発はイデオロギーや武力に関係なく、ソ連の威信を内外に示すことができる文化資源として活用されることになり、それに伴った、ツィオルコフスキーも“宇宙旅行の父”として神格化されていくことになるのです。


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 ブラジリアに到着しました!
2017-10-23 Mon 04:37
 おかげさまで、先ほど(現地時間22日午後)、無事にブラジリアに到着しました。というわけで、無事の到着を祝して、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      日本・ブラジル交流年(ヴィザスタンプ)

 これは、笠戸丸移民100周年を記念して2008年に設定された“日本・ブラジル交流年”の記念切手のうち、コーヒー豆を背景に、1908年のブラジルのヴィザスタンプを描いた1枚です。ちなみに、今回のブラジル入国に際して、僕が取得したヴィザはこんな感じです。

      ブラジル・ヴィザ(2017)

 日本人の海外移住は、古くは17世紀の東南アジアに日本人町がつくられた事例にさかのぼることもできますが、近代以降のものとしては、1868年のハワイへの“元年者”の移住がそのさきがけとなります。

 その後、明治政府は、近代国家建設のために財源として地租を重要視したことから、地租を払えず、強制処分により農地を手放さざるをえなくなった農民が続出します。しかし、当時の日本社会には、そうした人々を他の産業で吸収できるだけの余裕がなく、政府は彼らを海外に移住させることで問題の解決をはかろうとしました。一方、農民の中にも、政府が行った海外移民募集に応募し、海外で成功を収めて故郷に錦を飾ろうと考える者が少なからずありました。

 こうしたことから、19世紀末には、ハワイ米本土への移民が急増しましたが、日本が日露戦争に勝利を収めたのをきっかけに、米国内で深刻な黄禍論を巻き起こります。その結果、主として米国西海岸で排日運動が激化し、1907年、米国政府は、実質的に日系移民を制限する内容に移民法を改正。さらに、1908年、「日米紳士協約」によって、ハワイへの日本人移民も厳しく制約されてしまいました。

 こうした状況の中で、1906年、ブラジルに渡っていた水野龍は、現地コーヒー農場の労働者が慢性的に不足していたことに目をつけ、サンパウロ州のコーヒー耕地への日本人農民の大規模な移民計画を立案。皇国殖民合資会社を設立し、サンパウロ州政府と移民契約を結んで日本からの移住者を募ります。

 水野の計画は、米国とハワイに代わる移民の送り先を探していた日本政府の意向とも合致していたことから、外務省は鹿児島、沖縄、熊本の各県知事に協力を要請。皇国殖民合資会社はブラジルの名に「舞楽而留(舞い楽しんで留まる)」とあて、一部の地域では群会議員までをも動員して「家族三人で働けば、生活費など差し引いても一ヶ月で百円は残る」と移民の夢をかきたてました。

 この結果、ブラジル政府から補助金を受けた“契約移民”781名・165家族と、ブラジル政府の補助金を受けていない“自由移民”10名が、数年で帰国することを夢見て、笠戸丸(今回の小型シートの右側の切手です)でブラジルへ渡りました。そして、1908年6月18日、サンパウロ市の外港、サントスに到着した移民たちは、いくつかのコーヒー農場に分かれて、1年毎の契約で働き始めました。これが、ブラジルにおける日系社会の始まりとなります。

 しかし、移民たちを待ち受けていたのは、事前の宣伝文句とは裏腹の重労働と劣悪な環境でした。また、笠戸丸がブラジルに着いた6月は、コーヒーの収穫がほとんど終わっていた上に、コーヒーの値段も暴落していたため、収穫量の歩合制で賃金契約を結んでいた農民たちはほとんど収入を得ることができず、農園をはなれてサンパウロ市内でメイドや大工などをして働く人が続出。さらに追い討ちをかけるように、移民を請け負った皇国殖民合資会社が資金難から倒産し、移民の預入金はほとんど返済されないことになってしまいました。

 こうした惨憺たる状況は、当時、日本国内にはほとんど伝えられず、その後も、1910年の旅順丸移民をはじめ、多くの日本人がブラジルに移住。日系移民たちは、あらゆる辛酸を舐めながらも、次第にブラジル社会において確固たる地位を築くようになりました。

 さて、世界切手展<Brasilia 2017>ですが、あすは朝から、最初の山場となる作品の搬入作業が待ち構えています。30日までの滞在期間中、気合を入れて乗り切っていきたいと思います。


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 投票しませう⑦
2017-10-22 Sun 07:35
 今日(22日)は、衆議院議員総選挙の投票日です。僕は19日の出国前に期日前投票を済ませましたが、投票はきょうの20時までですから、ぜひ、みなさんお出かけください。というわけで、国政選挙の投票日恒例の“投票しませう”シリーズ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・第1回総選挙(1996)

 これは、1996年5月20日、パレスチナ自治政府が発行した“第1回立法議会およびパレスチナ自治政府議長(大統領)選挙”の記念切手です。

 1993年9月のオスロ合意により、ヨルダン川西岸およびガザ地区での暫定自治が実現。その後、1994年5月のパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)によりイェリコとガザで暫定自治が開始され、翌1995年の「暫定自治拡大協定」(第二オスロ合意)を経て、1996年1月、パレスチナ立法評議会およびパレスチナ自治政府議長(大統領)の選挙が行われました。

 この時の、パレスチナ自治政府統治下の有権者は102万8000人。この選挙には国際選挙監視団が派遣され、日本からも民間人を含む77名が参加しています。

 選挙はハマースなど暫定自治反対派がボイコットしたものの、71.7%の高い投票率でおおむね順調に行われ、自治政府の議長としてPLO議長のアラファトが選出され、評議会はPLOの主流派であるファタハが88議席中55議席を獲得。パレスチナ自治政府が正式に誕生しました。

 なお、パレスチナ自治政府とその郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも、いろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ブエノスアイレスに来ています!
2017-10-21 Sat 13:59
 きのう(20日)の記事にも書きましたが、現地時間の20日夜、ブラジリアに向かう途中の経由地、ブエノスアイレスに到着しました。イミグレーションがものすごい行列でしたが、なんとか、20日ギリギリでホテルにチェックインできました。というわけで、せっかくですから、ご当地ネタとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      B32・ブエノスアイレス消(タイプ1)

 これは、ブエノスアイレスの英国局で使用された切手です。

 1816年のアルゼンチン独立後、1824年から1873年まで、ブエノスアイレスには英国の郵便局が置かれ、アルゼンチンから外国あての郵便物を取り扱っていました。1857年以降は、英本国の切手が持ち込まれ、“B32”の表示が入った抹消印が使用されています。B32 の抹消印には、バーが6本で横型の楕円形になっているタイプ1、バーが8本で円形のタイプ2、バーが8本で縦型の楕円形になっているタイプ3の3タイプがありますが、今回ご紹介の切手に押されているのは、そのうちのタイプ1の印です。

 なお、1873年にブエノスアイレスの英国局が閉鎖された後、1886年からはモーリシャスでB32 の抹消印が使われています。ちなみに、ブエノスアイレスでB32 の抹消印が使用されていた時期には、モーリシャスではB53 および B65 の抹消印が使用されていました。また、モーリシャスで使用された B32 の抹消印は、ブエノスアイレスのものとは3の字体が異なっていることに加え、モーリシャス切手にしか押されていませんので、容易に区別が可能です。

 さて、ブエノスアイレスには、現地時間の22日未明まで滞在し、その後、ブラジリアに向かいます。ごく短い間ですが、現在、実現に向けて水面下で動いている企画の取材として、できる限り有意義に過ごしたいと思っています。
 
 * オマケ 
 先ほど、ホテルの窓から撮影した景色です。ブエノスアイレス建都400年を記念して1936年に建立された記念塔の“オベリスコ”がライトアップされて夜空に浮かび上がっています。

      オベリスコ・夜景


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 ブエノスアイレスに向かいます!
2017-10-20 Fri 11:51
 私事で恐縮ですが、ブラジル・ブラジリアで開催される世界切手展<Brasilia 2017>に出品者およびコミッショナーとして参加するため、昨晩出国し、現在、カタールのドーハ空港にいます。これから、経由地のブエノスアイレス(アルゼンチン)に向かい、ブラジルには22日に入国の予定です。というわけで、まずは次の経由地、ブエノスアイレス宛のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      トランスヨルダン・強制貼付切手カバー(ブエノスアイレス宛)

 これは、第一次中東戦争勃発後の1948年8月、トランスヨルダンの首都、アンマンからアルゼンチン・ブエノスアイレス宛の書留便で、岩のドームを描く強制貼付切手が貼られています。

 1945年に結成されたアラブ連盟は、加盟国間の思惑がさまざまに異なる同床異夢の組織でした。このため、英委任統治下のパレスチナで、シオニストとアラブの対立が激化し、生命・財産の危機にさらされているパレスチナの“アラブ同胞”を救済しようと主張することは、各国の立場の違いを超えて広く賛同を得られる数少ないトピックの一つでした。

 このため、アラブ連盟は加盟各国に対して、パレスチナ救済のための義捐金を集めることを要請。そのための一手段として、トランスヨルダン政府は、1946年7月22日、強制貼付切手の発行を可能にする法改正を行ったうえで、パレスチナの風景を描く強制貼付切手の製造を発行し、郵便料金の半額相当の強制貼付切手を郵便物に貼ることを利用者に義務づけました。

 トランスヨルダンの強制貼付切手は、1ミリームから1ポンド(=1000ミリーム)までの12額面があり、英国のトマス・デ・ラ・ルー社製で、デザイナーのヤークーブ・スッカルが図案を制作しました。このうち、中額面の10、15、20、50ミリーム切手がエルサレムの岩のドームを取り上げています。 

 今回ご紹介のカバーは、そうした強制貼付切手の適正使用例で、南米宛の外信書留便の料金140ミリームに対して、半額の70ミリーム相当の強制貼付切手(いずれも岩のドームを描くもの)が貼られています。また、カバー左下には、トランスヨルダン当局による六角形の検閲印が押されています。なお、トランスヨルダンの強制貼付切手については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、今回の切手展ですが、会期は24日からなのですが、作品を搬入しなければなりませんので、22日にブラジリアに入る必要があります。ブラジリア行きの経路はいろいろ考えられるのですが、今回は、本業である文筆業の取材も兼ねてブエノスアイレス経由としましたので、少し早目の出発となりました。なお、展覧会の会期は29日までで、作品をピックアップした後、現地時間の30日にブラジルを出国し、11月1日に帰国の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 切手でひも解く世界の歴史(10)
2017-10-19 Thu 08:42
 本日(19日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、きのう(18日)が米国のアラスカ領有150周年だったことから、“アラスカを買った男”ウィリアム・スワードにスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      スワード・目打なし

 これは、1909年6月1日に発行された“アラスカ・ユーコン太平洋博覧会”の記念切手で、元国務長官のウィリアム・スワードが取り上げられています。今回は、通常の記念切手ではなく、博覧会場で限定販売の無目打切手を持ってきてみました。
 
 さて、ウィリアム・スワードは、1801年、ニューヨーク州オレンジ郡フロリダ村の出身で、ユニオン・カレッジで法学を学びました。1838年、ニューヨーク州知事に当選し、刑務所の改善、教育費予算の増加、移民にたいして母国語で教える学校のアイディアなど、進歩的な政策を推進します。1849年には、ホイッグ党から上院議員に当選し、そのリベラルな思想信条から、反奴隷制を掲げる指導者として頭角を現していきました。

 1854年、奴隷制反対を掲げて共和党が結成されると、彼は翌1855年に参加。ホイッグ党の上院議員として1850年に「奴隷制が廃止されなければ米国は内戦に突入するだろう」と演説し、奴隷制廃止運動の先頭に立っていたということもあって、すぐに、党内の実力者にのし上がります。

 このため、1856年の大統領選挙の際にもスワードは共和党の初代大統領候補の指名を受けそうな勢いだったのですが、最終的に、西部の探険で有名なジョン・フレモントと指名をめぐって争ったが敗れます。そこで、彼は1860年の選挙での捲土重来を期していました。

 こうして、1860年の選挙では、共和党の大統領候補の指名を受ける大本命と見られていたスワードでしたが、奴隷制反対に関する彼の南部批判は激越で、共和党内の穏健派は、彼が大統領になれば本当に内戦になるかもしれないと恐れます。その結果、多数派工作により“無難な”リンカーンが大統領候補の指名を獲得し、共和党としての政権獲得の悲願を達成するのです。なお、指名を逃したものの、スワードはリンカーンの選挙戦に協力した功績で、新政権では国務長官に指名されます。

 しかし、1861年、奴隷制反対を掲げる大統領の就任を容認できない南部諸州は連邦から離脱し、南北戦争が勃発。スワードの“予言”は現実のものとなってしまいました。そして、1865年4月14日、南北戦争の結果に不満を持つ俳優、ジョン・ウィルクス・ブースがリンカーン大統領を暗殺。その同じ日、スワードもブースの仲間によって襲撃されます。ところが、その10日ほど前に、スワードは馬車の事故で顎を負傷し、添え木をあてていたため凶刃が致命傷にならず、彼は奇跡的に一命を取り留めました。

 リンカーンが亡くなった後、副大統領のジョンソンが大統領に昇格。スワードは健康の回復を待って、国務長官として復帰します。

 ところで、アラスカの地には18世紀末からロシア人が進出して狩猟や交易のため露米会社を設立し、その一部はカリフォルニア州にまで勢力を伸ばしていました。ところが、1853年から1856年にかけてのクリミア戦争により、ロシアは経済的に疲弊。このため、モスクワからは遠く離れ、当時は人跡未踏の荒野だったアラスカを売却することにします。ただし、クリミア戦争でも敵対した英国への売却は避けたかったため、1859年、米国に話を持ち込みます。ところが、交渉途中の1861年、南北戦争が勃発したことで、この話はうやむやになっていました。

 そこで、戦争終結後の1867年、ロシア側は改めてアメリカに対してアラスカ売却交渉をもちかけ、1867年3月30日、スワードはアラスカ購入条約の調印にこぎつけました。

 購入金額は720万ドル。これは、1エーカー(約4000平方メートル)あたり2セントというただ同然の“お買い得品”でした。ちなみに、当時のアメリカの郵便料金は、書状の基本料金が3セントでしたから、封書1通差し出すよりも、アラスカの土地1エーカーの方が安かったということになります。

 もっとも、当時のアラスカは人跡未踏の辺境の地でしたから、条約そのものは4月9日に上院で批准されたものの、世論の評判は散々で、新聞各紙は新たな合衆国領土を“スワードの冷蔵庫”ないしは“ジョンソンのホッキョクグマ庭園”などと揶揄し、アラスカ購入は“スワードの愚行”として散々たたかれました。結局、スワードが1872年に亡くなるまで、米国民はアラスカ購入をぼろくそに批判し続けます。

 ところが、チャップリンの「黄金狂時代」にみられるように、1896年にアラスカで金鉱が発見されると評価は一変。さらに、東西冷戦下でアラスカが対ソ戦略の最前線になると、スワードはその“先見の明”を高く評価されることになります。

 まさに、スワードほど、「人間万事塞翁が馬」という言葉がぴったりの人はいないでしょう。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 ラッカ解放
2017-10-18 Wed 09:50
 “イスラム国”を自称する過激派組織、ダーイシュが“首都”として占拠しつづけていたシリア北部の都市、ラッカが、昨日(17日)、シリア民主軍(シリアのクルド人軍事組織を主体とする連合部隊)によって解放されました。というわけで、ラッカ関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シリア・ラッカ発軍事郵便

 これは、いわゆるシリア大叛乱最中の1926年6月、ラッカから差し出されたフランス軍の軍事郵便で、アレッポ経由でフランス本国に逓送されています。

 1920年8月10日、セーヴル条約(第一次大戦での対オスマン帝国講和条約)が調印され、歴史的シリア北部でのフランスの委任統治が正式に確定します。これを受けて、フランスは同月31日、“大レバノン”の設置を布告し、シリアとレバノンを分割しましたが、残る“シリア”地域に関しては、当初は①ダマスカス国(ジャバル・ドゥルーズ地区を含む)、②アレッポ国、③アラウィー自治地区に分割されたものの、1921年5月にはジャバル・ドゥルーズ地区が別個の国としてダマスカス国から分離されるなど、複雑な宗派事情を反映して、大勢はなかなか安定しませんでした。

 そうした中で、1925年7月 南西部ハウラーン地方でドルーズ派の蜂起が発生。これを機に反仏叛乱はレバノン全域に拡大していきます。そして、同年10月、叛乱軍がダマスカスに侵入すると、フランス軍はダマスカス市街に対し砲撃と空襲を加えて鎮圧。ハミディヤ市場(スーク)とミドハト・パシャ市場の間の古い町並みは炎上し、旧市街は有刺鉄線で囲まれ、装甲車が通行可能な新道路が北部郊外に建設されました。

 その後、叛乱はレバノンにも拡大しましたが、1926年4月、フランスの鎮圧作戦でドルーズ地区の首都スワイダが陥落。叛乱はほぼ終息しましたが、その後も1927年6月の完全終結間で散発的な戦闘が続きました。叛乱の全期間を通じての死者は6000人、難民は10万人でした。

 今回ご紹介の葉書は、この時期、反乱鎮圧のためにシリア北部に派遣されていたフランス軍の軍事郵便で、郵便印としては、1926年6月15日付の“CAD VAGUEMESTRE D'ETAPES 10-LEVANT”がラッカ、18日付の“CAD POSTE AUX ARMEES*615*”がアレッポで押されています。

 ちなみに、ラッカはユーフラテス川中流域の北岸に位置しており、アレッポまでの距離は約160キロです。セレウコス朝の王セレウコス2世カリニコス(在位紀元前246-225年 - 紀元前225年)の時代に建設された都市、カリニクムがそのルーツで、南はパルミラを通ってダマスカスへ、北はハッラーンの街をエデッサ(現トルコ領シャンルウルファ)へ、東はイラクやペルシャへ、西は東ローマ帝国との国境への道が走る交通の要衝として繫栄しました。1260年代にはモンゴル軍によって破壊されましたが、オスマン帝国の支配下で再建され、ロシア帝国の北カフカース征服から逃れてきたムスリムのチェチェン人難民やベドウィンの元遊牧民が定住するようになりました。


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 世界の切手:ガーナ
2017-10-17 Tue 16:14
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年10月11日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はガーナ(と一部ルワンダ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ガーナ・ンクルマ誕生日(1960)

 これは、1960年9月21日に発行された“ンクルマ大統領誕生日”の記念切手で、国旗を背景に、ンクルマの肖像が取り上げられています。

 アフリカ独立運動の父とも呼ばれるクワメ・ンクルマは、1909年9月21日、英領ゴールド・コーストのンクロフルで生まれました。生家は裕福ではありませんでしたが、幼少時から神童の誉れ高く、1935年、親族に借金して渡米し、リンカーン大学に入学します。同年起きたイタリアのエチオピア侵攻を契機に植民地制度の打倒を志し、苦学しながら、1942年、ペンシルベニア大学で教育学の修士号を、翌1943年には哲学の修士号を取得するとともに、汎アフリカ主義の下、北米のアフリカ人留学生の組織化に努めました。

 1945年5月、渡英してロンドンで西アフリカ学生同盟の副会長に就任。アフリカ出身のエリート留学生(その多くはアフリカ独立運動の指導者となる)を集め、同年、マンチェスターで開かれた第五回汎アフリカ会議では書記を務めます。さらに、1947年、英領ゴールド・コーストでは植民地エリートや伝統首長を中心に連合ゴールド・コースト会議が結成されると、同年12月ンクルマは帰国し、連合ゴールド・コースト会議(以下、連合会議)の事務局長に就任しました。

 英領ゴールド・コーストでは、1948年、大戦後の物価高騰に対する不満から首府アクラで暴動が発生。植民地当局はンクルマを含む連合会議幹部を逮捕しましたが、このことはかえって連合会議の人気を高めたため、英国は妥協策として自治の拡大とアフリカ人主体の立法評議会の設置を提言します。

 連合会議はこれに賛成しましたが、ンクルマら急進派は即時完全自治を要求して1949年に会議人民党を結成。“ポジティヴ・アクション”の名の下、ストライキやボイコットを展開し、下層住民の支持を拡大します。これにより、ンクルマ本人は逮捕されましたが、1951年2月の選挙で会議人民党は改選38議席中34議席を獲得して第一党となり、ンクルマは政府事務主席に就任しました。

 以後、ンクルマは交渉による平和的独立に方針を転換。1952年には政府事務主席を首相と改称し、1954年には新憲法を制定して国内の自治を英国に認めさせました。同年の選挙では、会議人民党は104議席中72議席を獲得して圧勝。これにより、独立はほぼ確定し、1957年、英領ゴールド・コーストは英領トーゴランドと共に英連邦王国内の立憲君主国、ガーナとして独立しました。

 独立後のンクルマ政権は、汎アフリカ主義を掲げ、アフリカ諸国の独立支援と連帯に力を注ぎ、1958年4月、白人国家の南アフリカ連邦を除く当時のアフリカの全独立国家8カ国の首脳をアクラに招き、アフリカ独立諸国会議(CIAS)を開催。また、1958年10月に独立したギニアが旧宗主国のフランスと対立し苦境に陥ると、経済的に支援。インドのジャワハルラール・ネルーやユーゴスラヴィアのティトーとも協力関係をとり、非同盟主義の旗手の1人となりました。

 内政面では、中央集権を進め、“差別廃止”の下に、人種、出身、宗教を基盤とする政党を禁止。これに反発した伝統首長が野党・統一党を結成して抵抗すると、ンクルマは1958年に予防拘禁法を国会で通過させ、批判勢力を力ずくで抑え込みました。

 1960年7月、ガーナは共和制に移行。以後、初代大統領に就任したンクルマは独裁を強化していきます。その一環として、ンクルマ個人崇拝が進められ、彼の誕生日(9月21日)は“建国の父の日”に指定され、今回ご紹介したような記念切手が毎年発行されるようになります。

 翌1961年、物価の高騰や賃金への不満によって大規模な反政府デモが発生すると、ンクルマは労働者を逮捕し、デモを禁止。しかし、独立闘争時にデモ戦術を多用してきたンクルマによるデモ弾圧はガーナ国民の不信を招きました。

 さらに、1962年、ンクルマの暗殺未遂が起こると、ンクルマは独裁の度合いを強め、国民に個人崇拝を強制。1964年には野党を禁止するとともに、高等裁判所の判事を解雇する権限を大統領に付与。三権分立は崩壊し、ガーナは一党独裁制国家となりました。

 一方、経済面では、“アフリカ社会主義”を掲げ、カカオのモノカルチャー経済からの脱却を掲げ、機械化された大規模集団農場の設立、政府系企業の設立など、左翼的な国家主導型の開発政策を展開。ヴォルタ川に建設した巨大なアコソンボダムは一定の成果を挙げたものの、多くの事業は非効率で役人の腐敗の温床となり、ガーナ経済は衰退しました。また、社会主義的な色彩の濃い民族主義政権は、東西冷戦下の西側諸国の警戒感を招き、外国資本の投資も激減。そのため、ンクルマはソ連や中国に接近しましたが、そのことはかえって事態を悪化させた。

 結局、1966年2月、ンクルマが北京とハノイへ外遊中、CIAの支援を受けた軍事クーデターが発生。ンクルマは失脚し、ギニアへの亡命を余儀なくされました。その後、1972年、ンクルマは療養先のルーマニア・ブカレストで病死。その遺体はガーナに移送され、2万人が参列した葬儀を経て、出生地のンクロフルに埋葬されました。

 さて、『世界の切手コレクション』10月11日号の「世界の国々」では、ンクルマとその時代についてまとめた長文コラムのほか、カカオやアソコンボ・ダムの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のガーナの次は、10月11日に発売された10月18日号でのソ連の特集になります。こちらについては、18日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 イラク軍、キルクークに進軍
2017-10-16 Mon 13:11
 イラクからの独立を求める北部のクルド自治政府と、バグダードのイラク中央政府との対立が深まる中、きょう(16日)未明、イラク国営テレビはクルド自治政府が実効支配を続けているキルクークにイラク軍が進軍し、一部の地域を支配下に置いたと伝えました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オスマン帝国・キルクーク消

 これは、オスマン帝国支配下のキルクークで使用されたオスマン帝国の切手で、アラビア語表示のキルクークの角印が押されています。切手の向きとしては、正位から左に90度回転した格好ですが、今回は、消印の文字が正位に近くなるように、あえてこの向きで画像をアップしています。

 現在のイラク国家の枠組は、基本的に、旧オスマン帝国時代のモースル州・バグダード州・バスラ州(からクウェートを除いた地域)から構成されていますが、今回、イラク軍が進軍したキルクークは旧モースル州の州都、モースルの南東149キロの地点に位置しています。オスマン帝国の郵便局が開設されたのは、モースルと同時期の1863年です。

 もともと、クルド人とトルクメン人が中心の多民族都市で、1917年に近郊のババ・グルグルで油田が発見されたことがその後の発展の基礎となりました。

 1980年代、サッダーム・フセインはこの地域のアラブ化政策を進め、それまでキルクークに住んでいたクルド人やトルクメン人は強制的に移住させられたため、都市住民はスンナ派アラブが多数派を占めるようになりました。しかし、2003年のイラク戦争で、米軍の支援を受けたクルド民兵の“ペシュメルガ”がキルクークを解放。さらに、サッダーム政権の崩壊に伴い、クルド人主体の治安部隊がアラブ住民に対する組織的な民族浄化を行っています。

 その後、キルクークはイラク中央政府の管轄とされましたが、2006年に発足したクルド自治政府はキルクークはクルディスタン(自治区)の南部に含まれると主張しているだけでなく、クルド国家が独立した暁には、キルクークを首都にすべきと主張しています。特に、2014年、“イスラム国”を自称する過激派組織のダーイシュがイラク北部に勢力を拡大した際に、敗走したイラク国軍に代わり、ペシュメルガがキルクークを解放したこともあり、以後、キルクークはクルド側の実効支配下にありました。

 今年9月、クルド自治政府は、おなじくクルド人問題を抱える周辺諸国のみならず、米国や国連安保理の反対を押し切って、イラクからの分離・独立を問う住民投票を強行。独立派が圧倒的多数を占めるという結果になりました。これに対して、イラク中央政府は強く反発し、クルド自治区での国際便発着を阻止するなどの対抗措置を発動していました。また、15日には、イラク中央政府のアバディ首相は、自治政府がトルコの非合法武装組織、クルド労働者党(PKK)の部隊をキルクークに動員しているとして、「イラク中央政府に対する宣戦布告だ」と自治政府を強く非難していました。

 今回の進軍に関して、アバディ首相は「キルクーク市民の保護」が目的と強調していますが、一部報道では、イラク軍が既にキルクーク県の「広大な地域」を掌握したとも伝えられています。これに対して、クルド自治政府側はイラク軍が基地や油田を制圧しようとしていると反論し、キルクーク県知事は住民に防戦を呼びかけるなど、衝突が本格化することへの懸念が高まっています。


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 トマス・サンカラ没後30年
2017-10-15 Sun 16:32
 その劇的な生涯から、“アフリカのゲヴァラ”と呼ばれたトマス・サンカラが1987年10月15日に暗殺されてから、今日でちょうど30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルキナファソ・サンカラ田型

 これは、1984年にブルキナファソで発行された“革命1周年”の記念切手で、人民を背景にサンカラの肖像が描かれています。ちなみに、サンカラは自身の個人崇拝を望なかったことに加え、1987年の暗殺後、コンパオレ政権はこの切手の販売と使用を事実上禁止したため、未使用・使用済みともに現存数は多くはありません。特に、今回ご紹介の切手は、1986年1月13日付のワガドゥグ局の消印が押された田型ですが、このように、サンカラ政権時代の使用時期・局名がわかるブロックの使用済はほとんど見られないので、下2枚の状態が悪くても、とりあえずは我慢せざるを得ないのが正直なところです。

 さて、トマス・サンカラは、1949年12月21日、仏領オートヴォルタ時代のヤコ近郊で生まれました。

 1960年のオートヴォルタ独立後、サンゴール・ラミザナ政権下で創設されたカディオゴの士官学校を経て、1970-72年には奨学金を得てマダガスカルの軍事学校に留学。当時、オートヴォルタに比べて経済的に発展していたマダガスカルを実地に見聞したことが祖国の抜本的な改革を志すきっかけになったと、後にサンカラは語っています。

1972年の帰国後のサンカラは、1974年にはマリとの国境紛争に従軍し、最前線で部隊を指揮しただけでなく、マリ領内に潜入して敵情を探索し、国民的な英雄となりました。

 対マリ紛争の終結後、フランスのポーやモロッコのラバトでパラシュート部隊の訓練を受け、ガーナとの国境にも近い南部ポのパラシュート部隊の軍事訓練施設長に就任。ポでは、ブレーズ・コンパオレらと秘密組織“共産主義将校団”を結成し、軍の幹部を批判する政治活動を開始します。

 1982年11月、盟友のコンパオレがクーデターを起こすと、1983年1月、サンカラはその名声を背景に首相に任命されました。

 サンカラ政権は、従来の親西側の外交政策を転換し、リビア、キューバ、アルジェリア、ガーナ、ベナンなどとの接近を図りました。しかし、独立後もオートヴォルタに影響力を維持していた旧宗主国、フランスは、当時、チャドをめぐってリビアと激しく対立していたため、サンカラのリビア接近に激怒。フランスの意向を汲んだジャン=バプティスト・ウエドラオゴ大統領は、1983年5月、サンカラを拘束します。

 これに対して、オートヴォルタ国民の反発は強く、反政府暴動が発生。同年7月、リビアの支援を受けたコンパオレが再度クーデターを起こし、救出されたサンカラは、1983年8月4日、33歳の若さで大統領に就任しました。

 大統領に就任したサンカラは、自らを革命家と称し、“サンカラ革命”と呼ばれる大規模な国家改造に着手します。

 サンカラ政権は、左翼の立場から、“人民の敵”である既存のエリート(資本家、地方の部族長、宗教勢力)の特権を剥奪して、“人民”に分配する姿勢を示しました。

 それを可視化するため、軍人・公務員の給与は削減され、公務員向けの無料官舎が廃止されたほか、政府所有の高級車メルセデスも売却され、サンカラ本人を含む政府高官の公用車には大衆車のルノーが採用されます。ちなみに、サンカラ本人は質素な生活を好み、アフリカの政治指導者としては例外的に汚職とも無縁の禁欲的な人物でした。このこともまた、彼が“アフリカのゲヴァラ”と呼ばれている一因になっています。

 サンカラの“革命”の具体的な成果としては、以下のようなものが挙げられます。

 ①キューバの支援を受けて大々的なワクチン接種キャンペーンを実施。250万人を伝染病から救い、乳児死亡率も激減しました。また、アフリカ諸国の政府として、エイズが国家的な危機であることを初めて公に認めています。
 ②サハラ砂漠の進行を抑えるため、1000万本の植林による森林再生プログラムを開始。
 ③識字政策を強化。識字率は2年間で12%から22%に上昇しました。
 ④新しい家族法を公布し、女性の社会進出を促すとともに、一夫多妻を禁止して避妊を奨励。売春を禁止し、政府高官に女性を多数任命しました。

 こうした革命の理念を体現するものとして、1984年、国名も現地語で“清廉潔白な人の国”を意味するブルキナファソに変更されています。

 このように、サンカラ革命は一定の成果を上げましたが、その一方で、鉄道建設が“鉄道建設闘争”と位置付けられ、沿線住民に労働奉仕が義務づけられるなど、性急で強権的な社会改革には国民の負担も少なくありませんでした。

 また、既得権を失った“人民の敵”やサンカラ革命の周辺諸国への波及・拡大を恐れる近隣諸国の指導者や旧宗主国のフランスなどは、政権転覆の機会を虎視眈々と狙っていた。

 こうしたなかで、1985年12月、マリとの国境紛争が発生し、5日間の戦闘で約100人のブルキナ兵が犠牲になると、国内でもサンカラに対する批判が高まります。こうした機運を捕えて、1987年10月15日、コンパオレによるクーデターが発生し、サンカラは暗殺されました。享年37歳。

 サンカラの死とともに、彼の掲げた“革命”は破棄され、ブルキナファソは、政治腐敗と外国勢力の介入、経済の停滞と絶望する農民が溢れる“普通のアフリカ”に戻りました。しかし、現在なお、サンカラの高潔な人格と彼の理念はブルキナファソの人々に敬愛され続けています。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 鉄道の日
2017-10-14 Sat 13:27
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、鉄道関連の切手の中から、新刊の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』にからめて、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・破壊された鉄道

 これは、、1969年12月にヨルダンが発行した“聖地の悲劇”の切手のうち、第三次中東戦争で破壊されたヒジャーズ鉄道の線路を取り上げた1枚です。

 ヒジャーズ鉄道は、ダマスカス=メッカ間を結ぶ鉄道としてオスマン帝国によって計画され、1900年、ゲオルク・ジーメンスのドイツ銀行の出資を得て着工。1908年9月1日、スルターン、アブデュルハミト2世の即位記念日に合わせて、ダマスカス=メディナ間の約1300キロで本線が開通しました。ただし、最終的に、メディナ以南への路線は建設されず、当初の目的地であったメッカまでは到達しませんでした。また、本線に加え、途中のダルアーから東進して内陸のボスラ、同じく西進して地中海岸の港湾都市ハイファ、アッコンまで、さらにその間のアフラから南進してナーブルスまでを結ぶ支線と、ヨルダン南部のマアーンから紅海のアカバ湾にあるアカバの港へ出る支線がありました。

 今回ご紹介の切手は、第三次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西岸を占領したことへの抗議の意を込めて発行されたものですから、切手に描かれている線路は、占領地域内のナーブルス周辺の風景ということになろうかと思います。

 かつての東地中海では、ダマスカスを拠点とした内陸交通が盛んでしたが、スエズ運河の開通以来、ハイファやベイルート経由の船便が交通・輸送手段として急速に台頭し、ダマスカスの地位は相対的に低下していました。このため、ダマスカスの経済界は鉄道の開通によってダマスカス経済が再浮上することへの期待を寄せていました。

 ところが、第一次世界大戦中、ヒジャーズ鉄道は、オスマン帝国軍の重要な兵站・物資供給ルートとなってみなされ、いわゆるアラブ叛乱により、アラブ・英連合軍により破壊されました。

 さらに、第一次大戦後、オスマン帝国が解体され、沿線に誕生した各政府がヒジャーズ鉄道の運営を担当することになったものの、トランスヨルダン以南のヒジャーズ王国域内は運営者がなく、そのまま自然消滅。さらに、ヨルダン川以西のハイファへまでの支線も、1948年の第一次中東戦争で破壊され廃線となりました。その意味では、今回ご紹介の切手に描かれた線路がナーブルス近郊のものであったとしても、第三次中東戦争の時点ではすでに鉄道としては機能しておらず、実質的には、線路が破壊されたことによるダメージもほとんどなかったということになりますな。

 その後、1960年代半ばにはヒジャーズ鉄道の再開が企図されたこともありましたが、1967年の第三次中東戦争(6日間戦争)で計画は頓挫。現在では、アンマンとダマスカスを結ぶヒジャーズ・ヨルダン鉄道のうちのアンマン=アル・ジーザ間の約30キロと、アンマンから南部への鉄道、特にマアーン近郊のリン酸塩の鉱山からアカバ湾に向かって走るアカバ鉄道が、旧ヒジャーズ鉄道を継承する鉄道として運行されるのみとなっています。 
 

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 ハマース、ファタハと和解合意
2017-10-13 Fri 10:47
 パレスチナ・ガザ地区を実行支配するハマース政府は、昨日(12日)、カイロでパレスチナ自治政府を率いるファタハと共同会見を行い、今年12月1日までにハマースがガザ地区のすべての行政権限を自治政府に返還することで合意したと発表しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハマース政府最初の切手FDC

 これは、2009年3月21日、ハマース政府として最初に発行された“アラブ文化首都”の切手の初日カバーです。

 2004年11月11日、長年にわたってPLOを率いてきたアラファトが75歳で亡くなり、マフムード・アッバースが後継のPLO議長・自治政府大統領に就任します。

 2005年2月3日、アッバースは、さっそくシャルム・シェイクでイスラエル首相のアリエル・シャロンと会談し、各地で頻発していた武力衝突の停戦に合意。中断していた中東和平ロードマップ交渉の再開に意欲を示しました。

 こうした穏健な現実主義者としてのアッバースの姿勢は、ヨルダン川西岸地区の一般国民の間では一定の支持を得ましたが、ガザ地区を基盤とするイスラム原理主義組織のハマースなどは“イスラエル寄り”のアッバースに対して露骨な敵意と不信感を向け、テロを継続していました。

 そうしたなかで、翌2006年1月25日に投票が行われたパレスチナ評議会選挙では、アラファト時代のPLO幹部の汚職腐敗に対する一般市民の反感もあって、定数132議席の過半数にあたる76議席をハマース系の候補者が獲得。選挙結果を受けて、2月16日、ハマースは候補者名簿の1位にランクされていたイスマーイール・ハニーヤを首相候補として推薦したため、アッバースもこれを受け入れざるを得ず、3月29日、ハニーヤ内閣が発足しました。

 ハニーヤは首相就任演説で「イスラエル国家を承認せず、武力闘争路線を継続する」と宣言。なんとかしてロードマップ交渉を再開したい大統領のアッバースに対して冷水を浴びせかけます。イスラエル側も態度を硬化させ、6月30日、ハマース過激派が拘束しているイスラエル兵士ギラド・シャリートの無傷での即時解放を要求。要求が受け入れられなければ、ハニーヤを暗殺すると表明しました。また、PLO主流派のファタハとハマースの間でも流血を伴う衝突が頻発するようになり、ハニーヤを含むハマースのガザ地区の政治指導者は次々と地下に潜伏します。

 こうした中で、2006年12月14日、首相として初の外遊から帰国しようとしたハニーヤが、ラファフの国境検問所でエジプトからガザへの国境通過を拒否される事件が発生。このとき、ハニーヤは国外からの自治政府への寄付金として推定3000万ドルの現金を所持していましたが、イスラエル政府はその寄付金を持ち込まないという条件で、ハニーヤの国境通過を許可すると発表しました。

 ところが、緊迫した空気の中で、検問所の現場では、ハマースの戦闘員とパレスチナ大統領警護隊との偶発的な銃撃戦が発生。さらに、ハニーヤが国境を通過しようと試みた際、彼の護衛の一人が銃撃されて死亡、ハニーヤの長男も負傷してしまいます。この事件を機に、ファタハとハマースの対立はエスカレートし、双方の武装集団による襲撃事件が頻発するようになりました。

 このため、両者の対立を解消して、ともかくもハマース、ファタハの連立政権を実現するため、2007年2月15日、ハニーヤ内閣はいったん総辞職したうえで、3月18日、あらためてハニーヤを首班とする連立内閣を組織するとの妥協が図られます。

 しかし、その後も武力衝突は一向に収まらず、6月11日には、ハマースがガザ地区を占拠したため、6月14日、もはやハマースとの関係修復は不可能と判断したアッバースが非常事態宣言を発令。ハニーヤを解任し、ハマースによるガザの統治は非合法なものであるとして、6月17日、元世界銀行副総裁で自治政府での蔵相経験のあるサラーム・ファイヤードを首相に任命し、ハマースを除外した非常事態政府の樹立を宣言します。

 これに対して、ハニーヤは解任を拒否し、ハニーヤ内閣こそパレスチナの正当政府であると主張。“パレスチナ”はPLO/ファタハの支配する西岸地区と、ハマース支配下のガザ地区に、事実上、分裂しました。

 こうして“パレスチナ”が分裂した後も、郵便に関しては、当初は西岸地区のパレスチナ郵政が従前どおり、西岸地区とガザ地区の郵便事業を統一的に扱っており、両者は共通の切手を使用していました。

 こうした状況の下で、2009年、“アラブ文化首都 エルサレム”のイベントが行われます。

 アラブ文化首都は、欧州文化首都に倣い、ユネスコとアラブ連盟の主催の下、アラブ諸国の中から一都市を選んで“アラブ文化首都”に指定し、一年間を通してさまざまな芸術文化に関する行事を開催することで、加盟国の相互理解を深めようというものです。

 2009年のアラブ文化首都は、各国持ち回りの順番で、パレスチナから選ばれることになっていましたが、大統領のアッバースは自治政府の支配下にあるベツレヘムや首都のラマッラーではなく、和平プロセスを進展させるための契機とすべく、あえてエルサレムを提案。アラブ連盟とユネスコもこれを受け入れていました。

 “アラブ文化首都 エルサレム”のキックオフ・イベントは、当初、2009年1月に行われる予定でしたが、イスラエルとハマースの戦闘により延期され、停戦後の3月21日、自治政府支配下のベツレヘムで行われました。当初の計画では、エルサレム、ガザ、ナゼレ、そしてレバノン領内のマール・エリアス難民キャンプの5ヵ所で同時にイベントを開催することも計画されましたが、イスラエル政府はイスラエル領内での“アラブ文化首都”と銘打ったイベントを全面禁止し、神殿の丘/ハラム・シャリーフへの道路を封鎖。エルサレムとナゼレのみならず、多くの関連イベントは中止を余儀なくされます。

 これに対して、ガザ地区では、ファタハ政府によるベツレヘムでのイベント開催日の3月21日に先んじ、ハマースがファタハに無断で独自にイベントのロゴマークを制作し、3月17日、ファタハを無視して独自に記念行事を開催。自分たちこそがパレスチナの正統政権であると主張し、ファタハ政府を挑発しました。

 また、ハマース政府は、ファタハ政府が“アラブ文化首都”の記念切手を用意していないことに目をつけ、西岸地区とは別に、ロゴマークを描く独自の記念切手を発行。記念切手に取り上げられたロゴマークは、モスクとミナレットを図案化した象徴的なデザインで、今回ご紹介のような初日カバーも制作されました。

 なお、この切手は、ハマース政府が、従来のファタハ政府の郵政機関とは別に、独自に発行した最初の切手となり、以後、パレスチナでは、西岸地区とガザ地区で別々の切手が発行・使用される状況が続いていました。

 今回、ハマースとファタハの間で成立した和解合意によれば、ハマースは、ガザ地区とイスラエルとの境界で人や物資の出入りを管理する権限は11月1日までに、ガザ地区のすべての行政権限は12月1日までに、それぞれ自治政府に返還することになっており、これが実現されれば、ガザ地区におけるハマースの郵政活動も停止され、独自の切手が新規に発行されることもなくなります。その場合、ハマース政府がこれまで発行してきた切手について、どのような処理が行われるのか、僕としては大いに興味があるところです。

 もっそも、ファタハとハマースの間では、過去にも和解に向けた合意が結ばれたものの、実施段階では頓挫していますので、今回の合意もその轍を踏む可能性は大いにあります。

 なお、パレスチナ分裂後のファタハ、ハマース双方の切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 大韓帝国120年
2017-10-12 Thu 08:22
 1897年10月12日に、朝鮮が大韓と国号を改めてから、きょう(12日)でちょうど120年です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      大韓加刷

 これは、1895年発行の朝鮮切手に、国号変更直後の1897年10月14日、漢字の“大韓”のハングルの“대한”(ただしいずれも右書き)を加刷して、朝鮮および조선の文字を抹消した大韓加刷切手です。

 朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、1637年以来、清朝の冊封国となっていました。1875年の江華島事件を経て、1876年の日朝修好条規により開国を余儀なくされると、朝鮮国内では清朝との冊封体制を脱して近代化をすべきとする勢力(開化党)と、清国との関係維持を主張する勢力(事大党)とが対立。両者の対立は、最終的に、1894-95年の日清戦争で日本が勝利し、その講和条約である下関条約で清朝に対して朝鮮が自主独立の国であること(=冊封体制からの離脱)を認めさせたことで決着しました。

 このため、朝鮮の宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の地方君主の称号である“国王”号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い、1897年10月12日、国号が“朝鮮”から“大韓”に変更され、翌13日、国王・高宗は皇帝として改めて即位しました。ちなみに、大韓という国号は、かつての高句麗・百済・新羅三国(三韓)を統一したものという意味で命名されたものです。

 なお、大韓帝国の発足に伴い、ソウル4大門の一つで、清の使節を迎えるための門として“迎恩門”とも呼ばれていた西大門と清朝への服属のシンボルであった大伸皇帝功徳碑などを破壊し、その隣に独立門が建立されました。その建設費用は、開化派の団体である独立教会が中心となって民間の浄財を募り、1897年11月20日の完成時には、新生大韓帝国の臣民によって独立を祝賀する式典も行われました。

 現在の韓国では、しばしば「独立門は日本からの独立を記念して建てられた門」という誤解が(ある種、意図的に)広まっていますが、このように、本来は、清朝からの独立を記念して建てられたものであり、間接的には、日清戦争での日本の勝利を記念する門とみなすことさえできるわけで、その意味では、“日韓友好”の象徴ともいうべきものなのだと僕は思うのですが…。

 このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろ書きましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 国際ガールズデー
2017-10-11 Wed 09:55
 きょう(11日)は国際ガールズデーです。というわけで、少女を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・第三回イスラム諸国サミット(難民少女)

 これは、1981年3月29日、パキスタンが発行した“第3回イスラム諸国サミット”の記念切手の1枚で、メッカのカアバ、メディナの預言者のモスク、エルサレムの岩のドームをデザインした会議のマークと、アフガニスタンから逃れてきた難民少女が取り上げられています。

 第3回イスラム諸国サミットは、イスラム暦15世紀の幕開けとなる1401年が西暦では1980年11月9日にスタートしたことを受け、1981年1月25日からメッカで開催されたもので、その背景には、1979年11月にメッカで発生したハラーム・モスク襲撃事件の影響で大きく権威を損ねたサウジ政府が、会議を主催することで、あらためて、自らが“イスラムの(聖地の)守護者”であることをアラブ・イスラム世界に対して強調しようとの意図がありました。

 今回ご紹介の切手は、そうしたイスラム諸国サミットを記念するとして発行されたものですが、発行日の3月29日には会議はとっくに終わっており、むしろ、アフガニスタン難民の問題を広くイスラム世界が共有すべきだとの意味を込めて、イスラム諸国サミットのマークが取り入れられたのではないかと思います。

 1979年12月にソ連軍によるアフガニスタン侵攻が始まると、国際社会はこれを非難し、アフガニスタン国内でも反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されました。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの都市、ペシャワールには、夥しい数のアフガニスタン難民が押し寄せましたが、同時に、ペシャワールは、イスラム諸国と米国によるムジャーヒディーン闘争を支援するための一大拠点としても機能することになります。

 そうした中、ペシャワールに集まった義勇兵たちに大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。

 アッザームは、1941年、英委任統治下にあったパレスチナのジェニン(ヨルダン川西岸の都市)近郊で生まれました。

 1963年、シリアのダマスカス大学イスラム法学部を卒業後、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区に戻りましたが、1967年の第三次中東戦争ヨルダン川西岸がイスラエルに占領されるとヨルダンに脱出。その後、カイロのアズハル大学でイスラム法学の修士号を得て、アンマンのヨルダン大学で教職に就きましたが、1970年、ヨルダン内戦が勃発すると、ヨルダン政府は反イスラエルのパレスチナ人であるアッザームを追放しました。

 このため、アッザームはアズハル大学に戻ってイスラム法理論の博士号を取得。一時、ヨルダンに戻りましたが、ほどなくして保守的なムスリムの多いジェッダ(サウジアラビア)のキング・アブドゥル・アジーズ大学で教鞭をとるようになります。この時の教え子の一人が、かのウサーマ・ビン・ラーディンでした。

 1979年11月、メッカでハラーム・モスク襲撃事件が発生すると、サウジ政府はイスラム原理主義者の多くを国外追放処分としましたが、これにより、アッザームはイスラマバード(パキスタンの首都)の国際イスラム大学に移って「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴え、ペシャワールにムジャーヒディーンのための軍事訓練施設を設立。なお、1981年には、アッザームの呼びかけに応じて、大学を卒業したばかりのビン=ラーディンが合流します。

 アッザームの主張は、1980年代初頭の時点では、ソ連や東側諸国の支援を受けていたPLOに与することなく、ムスリムの宗教的な義務としてパレスチナとアフガニスタンの双方を解放すべきと訴えた点で画期的なものでした。

 もちろん、パキスタン政府としては、“原理主義者”としてのアッザームらの主張を公式に支持・支援していたわけではありませんが、膨大な数のアフガニスタン難民とムジャーヒディーンがペシャワールに押し寄せているという現実に直面し、イスラム諸国から広く支援を集めるためにも、アフガニスタンとパレスチナの問題は「奪われたムスリムの土地を奪回する」という点において同根であることを訴えることも必要だったわけです。

 今回ご紹介の切手が、イスラム諸国サミットそのものを記念するというよりも、会議に合わせて、アフガニスタン難民に対するイスラム世界の関心を喚起するような内容となっていたのは、そうした事情を反映したからと考えて良いでしょう。

 なお、「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」とのアッザームの主張は、パレスチナとアフガニスタンを結びつけただけでなく、後に、ボスニアチェチェンでのイスラム抵抗運動や、さらにはサウジアラビアに駐留しつづける米軍へのテロなどの根幹をなすイデオロギーとなるのですが、1988年の映画『ランボー 怒りのアフガン』の例を持ち出すまでもなく、東西冷戦という時代状況の下で、そのことを見通した者はほとんどいませんでした。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドーム郵便学』でも縷々ご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 

 
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 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 ボリヴィアでゲヴァラ没後50年式典
2017-10-10 Tue 13:08
 キューバ革命の英雄、チェ・ゲバヴァラが、1967年10月9日、南米ボリヴィアの山中で米中央情報局(CIA)の支援を受けた同国軍に処刑されてから50年に当たるのを記念して、現地時間の9日、最期の地となった南部の寒村ラ・イゲーラに近いヴァジェ・グランデ市でボリヴィア政府主催の式典が行われました。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ最期の地

 これは、2007年、キューバが発行した“ゲヴァラ戦死40周年”の記念切手のうち、ゲヴァラ最期の地となったラ・イゲーラ(ボリヴィア)のモニュメントが取り上げられています。

 1965年2月、「別れの手紙」を残してキューバを去ったゲヴァラは、新たな革命の地を求めてコンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けての“アンデス計画”を展開します。

 アンデス計画は、(実際の地理的条件を無視すれば)ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルからほぼ等距離にあるボリヴィア北部の山岳地帯を拠点に、現地の農民を革命兵士に育て上げ、訓練施設を拡充し、ついで近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育し、その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を広げていくという壮大なものでした。

 しかし、現地のボリヴィア共産党や先住民の農民は“よそ者”のゲヴァラに対して非協力的で、ゲヴァラらは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ゲヴァラは戦闘でふくらはぎを負傷。ラ・イゲーラ近くのケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)渓谷で捕縛された後、村の小学校に移送され、翌9日、銃殺されました。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲヴァラの遺体は、ヴァジェ・グランデ市内に運ばれ、しばらく晒しものにされた後、密かにヴァジェ・グランデの滑走路に埋められました。

 ゲヴァラの殺害から28年が経過した1995年、遺体の処理に関わった元軍人のバルガス・サリナス(事件当時の階級は大尉。最終的に将軍まで昇進)は、伝記作家のインタビューに答えて、ゲヴァラの埋葬場所を公表。当初、ボリヴィア陸軍はサリナス証言を否定し、サリナスに対して“元将軍”の地位と名誉を剥奪する処分を下しましたが、当時のボリヴィア大統領、ゴンサロ・サンチェスは、ゲヴァラの埋葬場所を観光資源化することを考え、遺体の捜索を約束します。

 こうして、1995年11月、キューバとアルゼンチンから専門家チームが現地に派遣され、発掘作業が開始。1年半後の1997年6月29日、遺骨が発見されました。

 発掘されたゲヴァラとキューバ人同志たちの遺骨は、それぞれ、木棺に収められた後、キューバ国旗に包まれ、ハヴァナへと空輸されました。遺骨は、ハヴァナ市内中心部の革命広場で盛大な帰還式典が行われた後、新たに建設されたサンタ・クララ霊廟の地下に収められ、現在に至っています。

 一方、遺骨発見のタイミングがゲヴァラの没後40周年と重なったこともあり、ラ・イゲーラでは大々的な記念行事が行われ、殺害場所となった小学校がリニューアルされて村営博物館となったほか、村の中央広場には高さ4mの巨大なゲヴァラ立像のほか、今回ご紹介の切手に取り上げられたセメント製の胸像が作られました。胸像の台座の文言“TU EJEMPLO ALUMBRA UN NUEVO AMANECER”はスペイン語で「あなたの示した手本が世界に夜明けをもたらす」との意味で、その下には供物や灯明を置くスペースもあります。共産主義者だったはずのゲヴァラが、いつのまにか、地元では“ゲヴァラ大明神”のような雰囲気になっているのが面白いところです。

 ちなみに、きのうの式典で、ボリヴィアのモラレス現大統領は「チェは革命戦士であり、帝国主義との戦いのシンボルだ」と述べ、ゲバラの業績をたたえるとともに、「帝国主義の傭兵の弾は彼の精神を殺すことはできなかったし、彼の理想を覆い隠すことはできなかった」、「戦いを続けることがチェへの最大の手向けとなる」と述べるなど、反米左派としての立場を強調しています。しかし、その一方で、「命令に従うしかなかった兵士らに責任はない。責めを負うのはCIAやそれに服従した(当時の)将軍たちだ」と述べ、最高司令官として軍への配慮も示しました。

 今年のゲヴァラの没後50年ということで、映画「エルネスト」も公開されましたが、来年(2018年)は、1928年6月14日生まれのゲヴァラにとって生誕90周年ということです。今回の没後50年位は間に合いませんでしたが、メモリアル・イヤーもしばらくは続くことですし、来年は、ぜひともゲヴァラ関係のまとまった仕事をしたいですねぇ。

 * けさ、アクセスカウンターが184万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 村上茉愛、女子床で日本初の金
2017-10-09 Mon 13:33
 カナダ・モントリオールで行われていた体操の世界選手権は、最終日の8日(現地時間)、種目別決勝の後半5種目が行われ、村上茉愛が女子床運動で14.233点をマークし、同種目で日本勢初の金メダルを獲得しました。女子体操の他の種目を通じても、日本女子の世界一は1954年大会で平均台の田中(現姓池田)敬子が優勝して以来63年ぶり2人目の快挙です。というわけで、きょうは床運動の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第41回国体

 これは、1986年10月9日に発行された“第41回国民体育大会(以下、国体)”の記念切手(みほん字入り)で、富士山を背景に女子床運動の選手が描かれています。

 第41回国体の秋季大会は、律令時代の官道・甲斐路にちなむ“かいじ国体”の名の下、1986年10月12日から17日までの6日間、山梨県甲府市の山梨県小瀬スポーツ公園・陸上競技場を主会場として、県下39市町村の86会場に選手・役員約2万1000名を集めて行われました。大会のスローガンは「ふれあいの場をひろげよう」で、マスコットは“ふじくん(大会終了後は山梨県警察のマスコットに転用)”です。天皇杯・皇后杯はともに開催県の山梨県でした。

 同大会に関しては、インフラ整備として事前にかなり大掛かりな土木工事が行われました。具体的には、主会場となった小瀬スポーツ公園の建築(当初、主会場として予定されていた緑が丘スポーツ公園内の施設は老朽化にくわえ、都市公園法による公園内の建蔽率の問題などから、改修は不可能とされました)や、甲府駅の改築、中央自動車道の全線開通や国道20号線、同52号線のバイパス整備などです。これらの支出は県の財政規模に照らして過大なものであるとして、山梨行政監察局が査察調査に乗り出そうとしたものの、県出身の衆議院議員で当時の政界の最高実力者といわれた金丸信の圧力により、結局、うやむやになっています。

 ちなみに、国体の開会式が行われた10月12日は日曜日で、その直前の金曜日は10日で“体育の日”の休日だったため、切手は前倒しで9日の発行となりました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和末期の記念特殊切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 毎日新聞:この3冊
2017-10-08 Sun 12:18
 本日(8日)付の『毎日新聞』書評欄に掲載の「この3冊」のコーナーは、“切手”をお題に内藤が担当し、①櫻井寛『世界鉄道切手夢紀行』 (日本郵趣出版)、②ヘレン・モーガン(藤井留美訳)『世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ! コレクターが追い求める「幻の切手」の数奇な運命』 (光文社)、③『鴻爪痕:前島密伝』(副読本として井上卓朗『前島密:創業の精神と業績』と2巻セット、鳴美)の3点をご紹介しました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      毎日新聞・この3冊(20171008)

 さて、紙面では、南伸坊さんによる僕の似顔絵を中心に、4隅に切手のイラストも配しています。このうち、左上の見返り美人、左下の前島密の1円切手、右下の「上を向いて歩こう」(わたしの愛唱歌シリーズ)については、ご存じの方も多いと思うのですが、右上のイタリア切手についてはなじみのない方も多いのではないかと思います。そこで、今回の記事の補足として、この切手について、実物の画像とともに、簡単にご説明しておきましょう。

      イタリア・ランドヴァッサー橋(2010)

 これは、2010年にイタリアで発行された“世界遺産 レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線(と周辺の景観)”の切手で、ランドヴァッサー橋を通過するアルブラ線の車両が取り上げられています。

 レーティッシュ鉄道はスイスのグラウビュンデン州を中心とした同国最大級の私鉄で、そのうちのクール=サンモリッツ間の89キロを結ぶアルブラ線は1904年に開通しました。一方、ベルニナ線はサンモリッツ=ティラーノ間の61キロの路線で、1910年の開通当初はレーティッシュ鉄道とは別個の鉄道でしたが、第二次世界大戦の影響をうけて経済的に厳しい状態になったことから、1944年にレーティッシュ鉄道に吸収されました。

 登山鉄道で広く見られるラック式を採用していない粘着式鉄道としてはヨーロッパ最高地点を通る鉄道であり、20世紀初頭における技術的到達の優れた例証などとして、2008年に世界遺産に登録されましたが、アルブラ線に関しては、トゥジス=サンモリッツ間の67キロ(支線含む)のみが対象となっています。この区間は、標高687メートルのトゥジスから1819メートルのアルブラ峠までの高低差を最急勾配35‰で走行するほか、5866メートルのアルブラ・トンネル、今回ご紹介の切手にも取り上げられたラントヴァッサー橋、ソリス橋など、アルブラ渓谷の絶景地帯を走ることでも有名です。

 今回の記事で僕がピックアップした『世界鉄道切手夢紀行』の表紙カバーは、ブニャイ橋を渡る氷河急行の写真をバックに、この切手を配したデザインになっており、そのため、イラストにも取り上げられたのだろうと思います。
      
 今回ご紹介の3冊は、いずれも、特に切手(収集)に興味のない方でも、十分に楽しんでもらえるものという観点から選んでみました。より多くの方に切手や郵便の面白さを知っていただくためにも、ぜひ、皆様の地元図書館などにリクエストカードを入れていただけると幸いです。


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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2017-10-07 Sat 15:21
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第37号(2017年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ・カカオとチョコ(2015)

 これは、2015年にヴェネズエラが発行した“アロマの芳醇な100%のヴェネズエラ産カカオ”の切手シートです。

 南米のヴェネズエラでは、スペイン植民地時代の1670年から、首都カラカスとその周辺で本国向けのカカオの出荷が始まり、ヴェネズエラ経済はカカオのプランテーション栽培で大いに繁栄しました。このため、現地の農場経営者は宗主国スペインに対して関税を撤廃する自由貿易を要求。そのことが独立運動の要因ともなりました。

 もともと、ヴェネズエラで生産されていたカカオは、メソアメリカ(メキシコおよび中央アメリカ北西部)原産のクリオロ種です。クリオロ種は苦味の少ないマイルドな味わいとフルーツのような芳醇な香りが特徴で、古くから上質のカカオとして珍重されてきましたが、気象条件の変化や病害虫に弱く、実の数も少ないため、次第に、栽培の容易なフォラステロ種が世界的には主流となりました。現在ではカカオ生産量の80%をフォラステロ種が占めており、クリオロ種は5%未満と言われています。さらに、クリオロ種を名乗っていても、トリニタリオ種(クリオロ種とフォラステロ種の交配種)と交雑した苗木も少なからずあるため、純粋なクリオロ種は全体の1%未満という貴重品です。

 現在、ヴェネズエラのカカオ生産量は年間1万5000トン程度と決して多くはないのですが、クリオロ種に関していえば、ヴェネズエラ産が全世界の約3分の1を占めており、高品質カカオの産地として国際的に高い評価を受けています。特に、ミランダ州東部のカリブ海に面したバルロヴェント地域で栽培されるクリオロ種のカカオ、“カレネロスペリオール”は、フルーツやスパイスを思わせる芳醇なアロマとキレのある味が特徴で、ヴェネズエラのカカオ豆生産量の40%を占めています。また、同じくカリブ海に面したアラグア州のチュアオ村で採れる“チュアオ”は、クリオロ種の中で最も原種に近いものとされ、 “チョコレートのロマネ・コンティ”とも呼ばれる逸品です。

 今回ご紹介の切手シートは、そうしたヴェネズエラ産カカオを広く内外に紹介するために発行されたもので、カカオを育てて収穫し、乾燥させてチョコレートになるまでのさまざまなプロセスが取り上げられています。

 カカオの輸出国の場合、原料としてのカカオは生産していても製品としてのチョコレートはほとんど生産していない国も多いのですが、ヴェネズエラの場合は、1929年創業のエル・レイが有名です。

 エル・レイは、ホセ・ラファエル・ソサヤとカルメロ・トゥオッツォが首都カラカスで創業した“トゥオッツォ・ソサヤ”がルーツで、古くからヴェネズエラ最高の名店と謳われていましたが、1973年の株式会社化を機に、名実ともに業界の盟主であることを誇示すべく“王者”を意味するエル・レイに社名を変更し、現在に至っています。
  

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 エジプト陸軍記念日
2017-10-06 Fri 19:11
 きょう(6日)は、1973年10月6日にエジプト軍がスエズ運河を渡り、“10月戦争(一般に第四次中東戦争と呼ばれている戦争です)が始まったことにちなみ、エジプトでは“陸軍記念日”になっています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・第4次中東戦争(2016)

 これは、昨年(2016年)、エジプトが発行した“10月の勝利43周年”の記念切手で、カイロの無名戦士の墓を背景にスエズ運河を渡する兵士が描かれています。

 第三次中東戦争(1967年)の敗戦後、エジプトにとっての最重要課題はイスラエルからシナイ半島を奪還することにありました。

 1970年にナセルの死を受けて政権を継承したサダトは、それぞれの思惑から中東に関与しているだけの米ソ両国に任せていてもシナイ半島の奪還は無理であると喝破し、武力による自力奪還以外に、エジプトの採るべき現実的な選択はないという結論に到達。こうした判断にもとづき、シリア大統領ハフィズ・アサドとも連携をとりながら、対イスラエル戦争のプランを練り始めます。

 戦争計画の策定にあたっては、戦争の長期化は絶対に避けるとの前提の下、イスラエルに軍事的な大打撃を与えることで、大国による和平の仲介を引き出すという基本方針が確認されました。このため、戦争計画は、緒戦の電撃的な侵攻作戦に重点が置かれ、スエズ運河の潮流や月齢などを考慮した結果、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップール)でイスラエル軍の態勢が手薄になる1973年10月6日が開戦予定日として設定されます。

 かくして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍によるイスラエルの奇襲攻撃によって、第4次中東戦争の火ぶたが切って落とされました。

 開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。このうち、スエズ運河渡河作戦の成功は、イスラエルに対するアラブ最初の勝利として大々的に喧伝され、サダトは「渡河作戦の最高指揮官=イスラエル軍不敗神話を破ったアラブの英雄」として、その権威は絶大なものとなります。

 一方、イスラエル=シリア国境のゴラン高原では、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。

 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きしませんでした。はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同16日にはスエズ運河の逆渡河に成功してエジプト領内に進攻し、形勢は逆転しました。

 戦況が次第にイスラエル有利に傾いていくと、ソ連はエジプトとシリアが第三次中東戦争に続いて大敗することを懸念し、米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、米国がイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得します。

 一方、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、シナイ半島を奪還することを目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示しました。これに対して、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものではあったが、米国はなんとかイスラエルを説得します。

 こうして、10月22日の国連安保理において関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、第4次中東戦争の終結から、エジプト・イスラエル和平へと向かいます。しかし、その結果、エジプトはアラブ世界で孤立し、1981年、サダトは8年前のスエズ渡河の記念日にあたる10月6日、陸軍記念日の閲兵式で暗殺されるという悲劇的な最期を迎えることになるのです。

 なお、第四次中東戦争と関連の切手・郵便物については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 切手でひも解く世界の歴史(9)
2017-10-05 Thu 08:05
 本日(5日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラにスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲヴァラ終焉の地

 これは、ゲヴァラ没後5周年にあたる1972年にキューバが発行した切手で、ゲヴァラと彼がボリヴィア政府軍に捕えられたケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)の位置が示されています。ゲヴァラは地図に記載の場所から7kmのラ・イゲーラに移送され、殺害されました。

 エルネスト・ラファエル・ゲヴァラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市、ロサリオの裕福な家庭に生まれました。ブエノスアイレス大学医学部在学中の1951年、高校時代からの友人、アルベルト・グラナードと2人で南米大陸をオートバイで縦断旅行し、中南米諸国の絶望的な貧富の格差やアメリカによる経済支配の実態などを目の当たりにして、次第に共産主義に傾斜していきます。

 1953年の大学卒業後、フアン・ドミンゴ・ペロン独裁政権下の軍医として徴用されることを嫌ったゲヴァラは出国し、ボリヴィア、ペルー、エクアドル、グアテマラなどを経てメキシコにいたり、1955年6月、キューバのバティスタ独裁政権に抵抗して亡命中だったキューバ人革命家、フィデル・カストロと出会います。

 ちなみに、“チェ・ゲヴァラ”の “チェ”は、もとは、アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語で呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」などの意味です。ゲヴァラがカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介した際、居合わせたキューバ人は、当初、“チェ”の意味が理解できず、以後、それが彼のあだ名として定着。本人も“チェ”のサインを用いるようになりました。

 カストロと意気投合したゲヴァラは、すぐにキューバ革命への参加を表明。軍事訓練を受け、1956年12月、カストロらとともにヨット“グランマ号”でキューバに上陸します。当初、ゲヴァラら革命派は圧倒的に不利な状況にありましたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、徐々に勢力を拡大。1959年1月1日、バティスタ政権を打倒して首都ハバナに入城し、カストロが勝利宣言を行いました。

 革命後の1959年6月、ゲヴァラは通商大使としてアジア、アフリカ、東欧などを歴訪し、帰国後、農業改革機構工業部長および国立銀行総裁に就任。農地改革と企業の国有化を進めました。

 ちなみに、ゲヴァラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影しました。当初、写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲヴァラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 1961年4月、アメリカはプラヤ・ヒロン侵攻事件で革命に干渉しますが、ゲヴァラはカストロと共に侵攻軍を撃破。翌5月、カストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言します。

 当初、敵の敵は味方のロジックで、ソ連との関係強化を唱えていたゲヴァラでしたが、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連はアメリカに妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激した彼は、ソ連への批判を強め、1965年2月、通商交渉のため訪れていたアルジェリアでソ連の外交姿勢を“帝国主義的搾取の共犯者”と非難。このため、キューバ政府が「ゲヴァラを首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との圧力をソ連から受けると、ゲヴァラは「別れの手紙」を残してキューバを離れます。

 キューバを離れたゲヴァラは、コンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリヴィアに潜入。革命に向けてのゲリラ活動を展開しました。

 ボリヴィアでのゲヴァラは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、政府軍に逮捕され、翌日、銃殺されます。ちなみに、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」が最期の言葉となりました。

 彼の遺体は、死亡の証拠として両手首を切り落とされた後、ボリヴィア山中に埋められましたが、没後30年にあたる1997年、掘り返され、キューバに返還。キューバ中部の都市で、革命の際にゲヴァラが解放したことで知られるサンタクララに埋葬されました。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 月夜のパレスチナ
2017-10-04 Wed 08:56
 きょう(4日)は中秋節です。というわけで、満月の風景を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・アラブ連盟50周年

 これは、1995年にパレスチナ自治政府が発行した“アラブ連盟創立50周年”の切手シートで、切手部分には、パレスチナ出身の画家、イブラヒム・ハジメの1987年の作品、「パレスチナ わが夢の地」が取り上げられています。

 イブラヒム・ハジメは、1933年、英委任統治領パレスチナのアッコに生まれました。1948年、第一次中東戦争が勃発すると、一家はレバンン、ついでラタキアに難民として逃れました。

 ラタキアでのハジメは、独学で絵を学びながら、美術教師と簿記係をして生計をたてていましたが、1960-64年、ドイツ・ライプツィヒの視覚芸術アカデミーに留学。1974年以降は西ベルリンを拠点に活動し、在欧パレスチナ芸術協会のスポークスマンとしても活動しています。また、2007年以降、“パレスチナのための連帯の熊”と題して、国連の加盟国(当時)142ヵ国(当時)にちなんで、高さ2メートルの熊の像142ヵ体を展示する活動を行って注目を集めました。

 切手の題材となったアラブ連盟はアラブ世界の政治的な地域協力機構で、その構想は、第二次大戦中の1941年5月、アラブ諸国(委任統治下の自治政府等を含む)が枢軸側に就くことを避けるため、英外相アンソニー・イーデンが提案したのが最初です。当時の欧州戦線はドイツ軍に有利な戦況であったことから、アラブ側は様子見の構えで静観していましたが、連合国有利の戦況がほぼ確定した1943年2月になって英国が再提案すると、アラブ側がこれに反応し、具体化に向けて動き出すことになりました。

 ただし、連盟に対するアラブ諸国の思惑はさまざまで、まさに同床異夢の状況にありました。

 すなわち、アラブ随一の大国として、連盟設立の主導権を握っていたエジプトは、連盟はあくまでも国家間の緩やかな協力機構にするとの意向を持っていましたが、第一次大戦後のアラブ分割の結果として発足したトランスヨルダンシリアイラクの三国は、(現在の国名でいう)シリアからパレスチナにいたる“大シリア”を統合したうえで、他のアラブ諸国との連合を目指そうと考えていました。このうち、ハーシム家の王朝であるトランスヨルダンとイラクは、ハーシム家による君主制の下、統制の強い国家連合を想定していましたが、シリアは共和政体を主張していました。

 一方、キリスト教徒が人口の半数を占めるように設定されたレバノンは、アラブ諸国が統合されると、全体としてはマイノリティとなるキリスト教徒の権利が制約されることを恐れ、主権の移譲には絶対反対しており、サウジアラビアとイエメンは、そもそもアラブ連盟が実際に設立される可能性は低いと考えていました。

 結局、エジプトが中心となってともかくも各国の妥協をまとめ、加盟国に対するいかなる強制力も持たない緩やかな地域協力機構として、1945年3月22日のアレキサンドリア議定書調印によって、アラブ連盟が結成されます。

 こうした経緯から、アラブ連盟の本部はエジプトの首都カイロに置かれていました。しかし、1978年3月、キャンプ・デービッド合意でエジプトがイスラエルと単独で停戦し、両国が相互承認を行ったことから、エジプトは連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとして、1979年、エジプトは連盟を追放され、連盟の本部はテュニスに移転しました。その後、1990年にエジプトは連盟に復帰し、本部もカイロへ戻り、現在に至っています。

 なお、パレスチナをめぐるアラブ諸国の現代史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会があり間設楽、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 開天節
2017-10-03 Tue 12:08
 きょう(3日)は、韓国では、建国神話で朝鮮族の祖とされる檀君王倹(以下、檀君)が即位して檀君朝鮮を建国したことを記念する“開天節”だそうです。檀君の即位を紀元とする檀君起源(檀紀)によると、西暦2017年は4350年だということなので、きょうは、こんなモノをもってきてみました。((画像はクリックで拡大されます)

      南朝鮮・憲法公布(オンピース)

 これは、1948年8月1日、米軍政下の南朝鮮で発行された“憲法公布”の記念切手に、発行初日の日付の記念印を押したオンピースです。“憲法公布”の記念切手は、南朝鮮・韓国を通じて、壇紀の年号(この切手の場合は4281年)が記された最初の切手ですが、押されている記念印の年号は西暦で1948年となっているのがミソです。

 さて、檀君は天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる伝説上の人物で、西暦13世紀末に書かれた『三國遺事』によると「堯(中国の伝説上の皇帝)の即位から50年目」に即位したとされています。このほか、『東國通鑑』の記述などを根拠に、檀紀は西暦の紀元前2333年を元年と設定しています。

 大韓民国政府の成立に先立ち、1948年7月17日に公布された大韓民国憲法(1948年憲法)の前文は、「我々の正当かつ自由に選挙された代表により構成された国会で檀紀4281年7月12日この憲法を制定する」と結ばれていますが、この時点では、米軍政下の南朝鮮での正式な年号表記は西暦で行われていました。ただし、今回ご紹介の切手に関しては、憲法公布という題材で、その憲法には壇紀が記されているので、切手にも檀紀の表示が入れられたものと考えられます。ちなみに、この切手の国名表示は“大韓民国郵票”となっていますが、切手が発行された1948年8月1日の時点では、“大韓民国”もまだ(正式には)存在していません。

 大韓民国成立後の公文書での檀紀の使用に関しては、1948年9月25日、「年号に関する法律」(法律第4号)が制定されたことで法的な根拠が与えられました。ただし、現代韓国の檀紀は、西暦の紀元前2333年を紀元としてはいるものの、暦法としては太陽暦を採用しており、その意味では、太陰暦に依拠していたはずの古代朝鮮の暦との連続性はありません。

 以後、1961年末に朴正煕政権下で年号廃止の法令が制定され、西暦に一本化されるまで、韓国の公文書には壇紀での日附が使用されており、国内向けの郵便物の消印にも檀紀年号(の下2桁)が使用されていました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 ラスヴェガスで史上最悪の乱射事件
2017-10-02 Mon 23:21
 米ネヴァダ州ラスヴェガスで、現地時間1日午後10時(日本時間2日午後2時)ごろ、ホテル周辺のコンサート会場を狙った無差別銃乱射事件があり、現地警察によると、少なくとも50人が死亡、400人以上が負傷。現地メディアは“米史上最悪の銃乱射事件”と報じているそうです。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ネヴァダ州(2002)

 これは、2002年10月25日に米国で各州を題材に発行されたグリーティング切手のうち、ネヴァダ州を取り上げた1枚で、ラスヴェガスのネオンサインも描かれています。

 ネヴァダ州南部のラスヴェガスは、1840年代末のゴールドラッシュの時代、カリフォルニアに向かう砂漠の中の貴重な中継地点として人々が定着し始め、1905年、ユニオン・パシフィック鉄道が開通すると、蒸気機関車の給水地として、現在のダウンタウンには駅がつくられました。
 
 大恐慌さなかの1931年3月19日、ネヴァダ州は税収確保のために賭博を合法化。同年、市街地の南東48キロの地点にフーヴァーダムが着工され(完成は1936年)、労働者が流入すると、地元の小規模なカジノホテルが順調に利益を上げるようになりました。

 一方、1933年に禁酒法が廃止されると、ニューヨークを拠点活動していたユダヤ系ギャングは、新たな“ビジネス”の機会を求め、ニューヨークの外への進出を目指すようになります。このため、1934年 マイヤー・ランスキー(1902年、ロシア帝国領フロドナ出身のポーランド系ユダヤ人で、1911年に渡米)の尽力で、アイルランド系、ユダヤ系、イタリア系犯罪組織の連携ができあがり、ウォルドルフ=アストリアでジョニー・トリオらと全米犯罪シンジケートが結成されます。

 そうした中で、1937年 ベンジャミン・シーゲル(通称バグジー。1906年、ブルックリン生まれ。両親はウクライナ出身のユダヤ系移民)は、西海岸での組織拡大も兼ねてカリフォルニア州に拠点を移し、地元のローカル組織を制圧。カジノと麻薬密売を行う傍ら、ハリウッド映画のエキストラ組合に入り込み、組合ストを盾に大手映画会社から示談金を巻き上げるなどして、芸能界に食い込んでいきました。

 さて、ランスキーは、1941年、配下のモー・セドウェイらにラスヴェガスのカジノ経営に参画させ、ラスヴェガスでの賭博産業の地歩を築きます。

 これに対して、1945年3月、バグジーは、ラスヴェガスでの本格カジノホテルの草分けとなる“エル・コルテス”の経営に参加。さらに、同年11月には、ウィリアム・ウィルカーソンは、エル・コルテスからモー・セドウェイとガス・グリーンバウム(ユダヤ系ギャングにして、かつてのアル・カポネの配下。私設馬券場の経営に手腕を発揮)を引き抜き、カジノホテル(後のフラミンゴ)の建設を開始します。

 ウィルカーソンは、建設予算120万ドルに対して銀行から60万ドル、ハワード・ヒューズから20万ドルの計80万ドルを借り、残りは賭博で稼ごうと大金を注ぎ込んだものの、逆に20万ドルの借金を作って建設中止に追い込まれてしまいました。

 ウィルカーソン撤退後の1946年2月、ランスキーは、ニューヨークの犯罪組織から投資金を集め、残りの建設費を全部負担するという条件で3分の2の権益を100万ドルで買い取り、バグジーを建設責任者に、モー・セドウェイをアシスタントに建設を再開。ランスキーの顧問弁護士ハリー・ロスバーグが契約実務を進め、プロジェクトの受け皿にネヴァダ・プロジェクト・コーポレーションを設立しました。

 しかし、ホテル・フラミンゴの建設はスムースには進みませんでした。

 その背景には、まず、戦争の影響で資材調達が困難だったという事情がありました。すなわち、第二次大戦後、米政府は帰還兵の住宅用資材を確保するため民間工事を制限しており、1946年3月末には、生産統制局がホテル・フラミンゴの工事凍結命令を発しています。これに対して、ランスキーはネヴァダ州選出の上院議員パット・マッカランに働きかけ、上院議員の口利きで工事が可能になりました。

 さらに、バグジーはホテルの建設工事に関しては全くの素人だったため、業者の中には彼らをカモにしていた者もあったほか、バグジーの個人的な思い付きにより設計・仕様がたびたび変更されたこと、さらには、ゴージャス感を出すための過剰な演出(“砂漠のオアシス”として世界中の熱帯植物を輸入する、ラスヴァガス初の全館エアコンの導入、1セット1万ドル以上の家具、大理石は海外から輸入するなど)などにより、建設コストは当初予定よりも大幅に膨れ上がってしまいます。

 このため、1946年7月、ランスキーはエル・コルテスの権益を76万ドルで売り、フラミンゴの建設資金に充当。また、翌8月にはFBIの介入で銀行融資を受けられなかったため、バグジーは架空の株を売り、資金を調達しています。

 このように、ホテル・フラミンゴの建設コストがあまりにも高騰したことに対して、当然のことながら、ニューヨークの“組織”はバグジーの資金横領を疑いましたが、ランスキーがバグジーを擁護。1946年11月、“組織”はバグジーに対して資金の使途明細を出すこと、さもなくば一切の資金集めを停止するよう警告します。

 追い詰められたバグジーは、作業員を倍にしただけでなく、残業手当を奮発し、工期短縮ボーナスを設定するなど更に資金をばらまいて工事を急がせ、1946年11月末、宿泊エリアを除くカジノ、ラウンジ、シアター、レストランなどをなんとか完成させます。

 こうして、1946年12月22日、ホテル・フラミンゴがオープンしますが、初日は現地の天候不良に加え、濃霧でロサンゼルス発の飛行機が欠航となり、多くの招待客が欠席。エアコンと人工滝は作動せず、宿泊設備も工事中というありさまでした。この結果、ホテルは2週間で30万ドルの損失を出して休業に追い込まれます。

 翌1947年3月、フラミンゴは営業を再開しますが、同年5月、バグジーからの収支報告では、利益が予想をはるかに下回ったうえ、ホテルの総建設費が600万ドル(当初予算を500万ドル超過)に達したことが判明します。さらに、バグジー個人の浪費や愛人のヴァージニア・ヒルの60万ドル横領疑惑なども明らかになり、“組織”の怒りは頂点に達し、6月20日、バグジーはビヴァリー・ヒルズのヒル邸で暗殺されました。一方、ランスキーは、ラッキー・ルチアーノの仲裁で投資家に金を返すなどして事なきを得ています。

 その後、1948年にフラミンゴは、ニューヨーク・マフィア配下のモー・セドウェイやガス・グリーンバウムらの経営体制に移行。バグジーの高級カジノ志向から大衆的な低価格路線に転換することで、フラミンゴには全米から客が大挙して押し寄せる大ブームとなり、ラスヴェガスの繁栄の基礎を築きました。そして、フラミンゴの成功を受け、ニューヨーク以外の“組織”も相次いでラスヴェガスでの大型カジノホテル事業に続々参入するようになります。

 なお、1960年代になると、大富豪ハワード・ヒューズによりラスヴェガスのカジノホテルの経営から非合法組織は駆逐されます。その結果、ラスヴェガスは、概ね安全、安心な娯楽都市に転換し、現在に至っています。

 
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