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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 国際ガールズデー
2017-10-11 Wed 09:55
 きょう(11日)は国際ガールズデーです。というわけで、少女を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・第三回イスラム諸国サミット(難民少女)

 これは、1981年3月29日、パキスタンが発行した“第3回イスラム諸国サミット”の記念切手の1枚で、メッカのカアバ、メディナの預言者のモスク、エルサレムの岩のドームをデザインした会議のマークと、アフガニスタンから逃れてきた難民少女が取り上げられています。

 第3回イスラム諸国サミットは、イスラム暦15世紀の幕開けとなる1401年が西暦では1980年11月9日にスタートしたことを受け、1981年1月25日からメッカで開催されたもので、その背景には、1979年11月にメッカで発生したハラーム・モスク襲撃事件の影響で大きく権威を損ねたサウジ政府が、会議を主催することで、あらためて、自らが“イスラムの(聖地の)守護者”であることをアラブ・イスラム世界に対して強調しようとの意図がありました。

 今回ご紹介の切手は、そうしたイスラム諸国サミットを記念するとして発行されたものですが、発行日の3月29日には会議はとっくに終わっており、むしろ、アフガニスタン難民の問題を広くイスラム世界が共有すべきだとの意味を込めて、イスラム諸国サミットのマークが取り入れられたのではないかと思います。

 1979年12月にソ連軍によるアフガニスタン侵攻が始まると、国際社会はこれを非難し、アフガニスタン国内でも反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されました。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの都市、ペシャワールには、夥しい数のアフガニスタン難民が押し寄せましたが、同時に、ペシャワールは、イスラム諸国と米国によるムジャーヒディーン闘争を支援するための一大拠点としても機能することになります。

 そうした中、ペシャワールに集まった義勇兵たちに大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。

 アッザームは、1941年、英委任統治下にあったパレスチナのジェニン(ヨルダン川西岸の都市)近郊で生まれました。

 1963年、シリアのダマスカス大学イスラム法学部を卒業後、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区に戻りましたが、1967年の第三次中東戦争ヨルダン川西岸がイスラエルに占領されるとヨルダンに脱出。その後、カイロのアズハル大学でイスラム法学の修士号を得て、アンマンのヨルダン大学で教職に就きましたが、1970年、ヨルダン内戦が勃発すると、ヨルダン政府は反イスラエルのパレスチナ人であるアッザームを追放しました。

 このため、アッザームはアズハル大学に戻ってイスラム法理論の博士号を取得。一時、ヨルダンに戻りましたが、ほどなくして保守的なムスリムの多いジェッダ(サウジアラビア)のキング・アブドゥル・アジーズ大学で教鞭をとるようになります。この時の教え子の一人が、かのウサーマ・ビン・ラーディンでした。

 1979年11月、メッカでハラーム・モスク襲撃事件が発生すると、サウジ政府はイスラム原理主義者の多くを国外追放処分としましたが、これにより、アッザームはイスラマバード(パキスタンの首都)の国際イスラム大学に移って「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴え、ペシャワールにムジャーヒディーンのための軍事訓練施設を設立。なお、1981年には、アッザームの呼びかけに応じて、大学を卒業したばかりのビン=ラーディンが合流します。

 アッザームの主張は、1980年代初頭の時点では、ソ連や東側諸国の支援を受けていたPLOに与することなく、ムスリムの宗教的な義務としてパレスチナとアフガニスタンの双方を解放すべきと訴えた点で画期的なものでした。

 もちろん、パキスタン政府としては、“原理主義者”としてのアッザームらの主張を公式に支持・支援していたわけではありませんが、膨大な数のアフガニスタン難民とムジャーヒディーンがペシャワールに押し寄せているという現実に直面し、イスラム諸国から広く支援を集めるためにも、アフガニスタンとパレスチナの問題は「奪われたムスリムの土地を奪回する」という点において同根であることを訴えることも必要だったわけです。

 今回ご紹介の切手が、イスラム諸国サミットそのものを記念するというよりも、会議に合わせて、アフガニスタン難民に対するイスラム世界の関心を喚起するような内容となっていたのは、そうした事情を反映したからと考えて良いでしょう。

 なお、「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」とのアッザームの主張は、パレスチナとアフガニスタンを結びつけただけでなく、後に、ボスニアチェチェンでのイスラム抵抗運動や、さらにはサウジアラビアに駐留しつづける米軍へのテロなどの根幹をなすイデオロギーとなるのですが、1988年の映画『ランボー 怒りのアフガン』の例を持ち出すまでもなく、東西冷戦という時代状況の下で、そのことを見通した者はほとんどいませんでした。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドーム郵便学』でも縷々ご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 

 
★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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