内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 インド美女の切手
2017-11-19 Sun 12:14
 昨日(18日)、中国・海南島で開催された第67回ミス・ワールド世界大会は、インド代表の医大生マヌシ・チラーさんが優勝しました。インド代表の優勝は6度目で、これにより、ヴェネズエラと並ぶ歴代最多優勝国となりました。というわけで、インドの美女を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・ニーラ・バノット

 これは、2004年10月、アショーカ・チャクラ章の受賞者として、ニールジャー・バノート(英語読みでニーラ・バノットと表記されることもあります)を取り上げたインド切手です。

 ニールジャーは、1963年、北インドのチャンディーガルで生まれ、ムンバイで育ちました。ムンバイでモデルとして活動した後、1985年3月、カタールのドーハ在住の男性と見合い結婚をするものの、2ヶ月で家族の元へ戻っています。同年、パンナムのフライト・アテンダントに採用され、フランクフルト=インド路線に乗務。フライト・アテンダントとしてきわめて優秀だったため、マイアミでの研修を経て、1年でチーフ・パーサーに昇格しました。なお、パンナム就職後も、モデルとしての活動は併行して続けていました。

 1986年9月5日、彼女の乗っていたムンバイ発フランクフルト経由ニューヨーク行きのパンナム73便が、給油中のパキスタン・カラチ空港リビアの支援を得たテロ組織“アブー・ニダル”の4人組にハイジャックされる事件が発生。犯人グループは、乗客365人と乗員13人を人質に、キプロスへ向かい、キプロスで拘留されているパレスチナ人政治犯の釈放を要求しました。

 このとき、ニールジャーは、まず、2階のコックピットにいたパイロットに非常事態を連絡し、パイロットが天井から脱出することに成功します。

 また、犯人グループはハイジャック早々、インド系米国人を射殺し、その後も“処刑”する米国人を特定するため、乗客のパスポートを集めるようにニールジャーに命じましたが、彼女は部下に米国のパスポートを隠すよう指示し、非米国人のみのパスポートを犯人に渡しました。ちなみに、当時の機内には、最初に暗殺された人を除き、43人の米国人がいましたが、彼らは全員無事でした。

 事件発生から17時間後、飛行機の電源が落ち、機内の照明は消え、無線も不通になりましたが、これを突入開始の合図と勘違いした犯人グループは無差別銃撃を開始。一方、17時間後に電源が落ちることを知っていたニールジャーは飛行機のドアを開け、乗員・乗客379人中359人を無事に逃がすことに成功しましたが、米国人の子供3人を銃撃からかばった際に狙撃され、亡くなりました。

 なお、犯人はいずれもパキスタン当局に逮捕され、有罪判決を受けて収監されましたが、2001年、米国人を射殺したザイド・ハサン・アブドゥッラティーフ・マスウード・サファリ-二-はいったん釈放された後、タイのバンコクで米FBIに身柄を拘束されました。また、他のメンバーは2009年、刑期を終えて出所しています。

 事件後、ニールジャーの勇敢な行動は称賛され、米国、パキスタンなど関係諸国から数々の賞が授与されたほか、インド政府も、平時において国家のために勇敢な行いをした人物に授与する最高賞の“アショカ・チャクラ賞”を彼女に授与しています。ちなみに、彼女はアショーカ・チャクラ章を受賞した最初の女性にして、史上最年少の受賞者でした。また、彼女の死後、遺族は保険金とパンナムからの報奨金を原資として、“ニールジャー・バノート賞”を創設。毎年、社会的不公正に直面しつつも、それに負けずに勇気ある行動を行ったインド人女性に対して、賞状・トロフィーと、副賞として150万ルピーの賞金が贈られています。

 ちなみに、ハイジャック事件を起こした“パレスチナ・ゲリラ”については、拙著 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも縷々ご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 二の酉
2017-11-18 Sat 10:51
 きょう(18日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、パレスチナがらみの“鳥”の切手の中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      パレスチナ自治政府(国鳥・2013)

 これは、パレスチナ自治政府(ファタハ政府)の国連オブザーバー資格取得を受けて、2014年に発行された“国が生まれた”の切手のうち、パレスチナ自治政府の国鳥とされるキタキフサタイヨウチョウと国花とされるアネモネを取り上げた1枚です。

 2007年以降、“パレスチナ”は、ファタハ政府支配下のヨルダン川西岸地区とハマースが実効支配するガザ地区に事実上分裂。このうち、国際社会は、西岸地区を支配するファタハ政府をパレスチナの正統政府として認知し、ハマース政府の正統性は認めませんでした。

 こうした状況を受けて、2011年9月23日、ファタハ政府は国連への加盟申請を行い、同年10月31日、まずは国連教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟が承認されました。これに対して、ユネスコがパレスチナを加盟“国”として承認したことに強く反発。米国もユネスコ分担金の支払いを停止しています。

 その後、ファタハ政府の“パレスチナ”としての国連への加盟申請については、イスラエルと米国のみならず、日本を含む西側主要国の多くがファタハ政府に対する国家承認を見送っている実情を踏まえ、従来の“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする総会決議を採択する方向で調整が進められることになります。これは、パレスチナを国連の“加盟国”としては認めないが、正規の独立国であることを国連として事実上承認するという、いわば妥協の産物でした。

 国際社会がファタハ政府を認める方向で進む中、ハマース政府はガザを拠点にあくまでもイスラエル国家の存在そのものを否定し続けていたが、国連総会での決議採択を前に、イスラエルのネタニヤフ政権はハマースのテロ活動に打撃を与えるべく、11月14日、ガザ地区に空爆を行い、車で移動中のハマースの軍事部門のトップ、アフマド・ジャアバリーを殺害しました。
 
 イスラエルによるジャアバリー殺害に対しては、PLOを含むアラブ諸国がこれを批難し、エジプトはイスラエル大使を召還。当事者のハマースはイスラエルの“宣戦布告”に対して、同じくトゥイッターで「我々の神聖な手は、お前たちのリーダーや兵士がどこにいようと届く」と応酬した。はたして、以後7日間、ハマースによるイスラエル領内への砲撃は激しさを増し、160人を超える死者が発生します。

 こうした経緯を経て、2012年11月29日に開催された国連総会では、パレスチナ(ファタハ政府)を“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする決議67/19が、賛成138、反対9、棄権41、欠席5の圧倒的多数で承認されました。ちなみに、反対票を投じた9ヵ国はカナダ、チェコ、ミクロネシア、イスラエル、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、パナマ、米国で、わが国は賛成票を投じています。

 今回ご紹介の切手は、オブザーヴァー国家への格上げから1周年にあたる2013年11月29日にあわせて発行が計画されていましたが、実際の切手発行は2014年1月にまでずれ込みました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 スプートニクとガガーリンの闇(2)
2017-11-17 Fri 15:46
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、『本のメルマガ』第661号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、国際地球観測年について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ロケットメール(1957)

 これは、国際地球観測年の初日にあたる1957年7月1日、米国で行われた“世界最大のロケット郵便”で運ばれたカバーです。

 気象、地磁気、電離層、宇宙線、経緯度、海洋、地震、重力などの諸現象について、期間を定めて、全世界の研究者たちが共同観測を行う極年(Polar Year)は、1882一83年に第1回が実施されました。

 その50年後の1932-33年には第2回の極年が行われ、第3回は1982-1983年に予定されていましたが、1951年の国際学術連合会議(ICSU、現・国際科学会議)で、米オックスフォード大のチャップマンが、第二次世界大戦後の科学技術の急速な発展を考慮し、25年目となる1957-58年に繰り上げることが提案され、承認を得ます。

 さらに、計画が進むうちに、共同観測の対象範囲を極地だけでなく全地球に拡大することや、観測項目にも追加が相次いだため、イベントの名称も“極年”から“国際地球観測年(International Geophysical Year、略称:IGY)”に改称され、1957年7月1日から1958年12月31日まで、ICSUの統括の下、60ヵ国以上が参加し、極光(オーロラ)、大気光(夜光)、宇宙線、地磁気、氷河、重力、電離層、経度・緯度決定、気象学、海洋学、地震学、太陽活動の12項目、すなわち、地球物理のほぼすべての分野にわたる観測が実施されました。中でも最重要課題とされたのは、太陽の磁気が地球に与える影響の研究でした。

 IGYの計画が持ち上がった当初から、米国はロケット観測を提案。これと連動するかたちで、1955年2月、情報機関のための提案としてキリアン報告書「奇襲攻撃の脅威への対処」がまとめられています。同報告書は、テレビカメラを利用した原子力偵察衛星の実現を目指すフィードバック計画と、高空飛行偵察機の実現を目指すCL282(後のU2)計画が二つの柱となっていました。

 一方、全米科学財団理事長のウォーターマンは、IGYの一環として科学衛星を打ち上げることを提案。国家安全保障会議文書NSC5520として「米国科学衛星計画に関する政策」がまとめられ、1955年7月29日、ホワイトハウスは「(IGY期間中の)1958年春までに人工衛星を打ち上げる」と発表しました。いわゆるヴァンガード計画です。

 これを受けて、ソ連も宇宙開発計画を明らかにするのですが、この時点では、世界の大勢は人類最初の人工衛星は米国が打ち上げるものと信じていました。

 こうした米国の空気を反映して、IGY初日の1957年7月1日、ネヴァダ州ダグラス群から州境を挟んでカリフォルニア州のトパーズまで、“世界最大のロケット郵便”のデモンストレーションが行われました。今回ご紹介のカバーは、そのイベントで実際に運ばれた郵便物です。

 地形的に通常の輸送方法で郵便物を配達することが困難な地域では、“飛び道具”に郵便物を載せて運ぼうとする“ロケット郵便”は以前から試験的に試みられてきました。たとえば、インド北東部、急峻な山岳地帯で知られるシッキムでは、1935年4月7日以降、9回にわたって、当時のシッキム藩王の認可の下、ガントク郵便局からシッキム王立高校まで200通の郵便物を載せたロケットが発射されています。

 1957年7月1日のロケット郵便も、同じく、計5000通の郵便物を載せた5台のロケットをネヴァダ=カリフォルニア両州の境を挟んで発射したもので、イベントの資金調達の手段として宣伝ラベル(封筒の左下に貼られています)も作られましたが、ラベルのデザインは、ヴァンガード計画をイメージして、地球の周囲を廻る衛星の軌道がデザインされています。

 このロケット郵便を企画したのは、民間のロケット研究所長、ジョージ・ジェイムズですが、彼のみならず、ラベルを買って資金援助を行った人々、さらには、ロケットで運ばれた郵便物を記念品として買った人々は、誰一人として、IGYの期間内にヴァンガード計画によって米国は人工衛星を発射することに何の疑念も抱いていなかったに違いありません。

 それだけに、同年10月4日、ソ連が米国に先立ってスプートニク1号の打ち上げに成功したことは、ロケット開発や宇宙研究の専門家以上に、ジェイムズの記念品を買った善男善女に衝撃を与え、彼らを大いに落胆させることになりました。


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 イスラエル・ワイン
2017-11-16 Thu 08:53
 きょう(16日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、ワイン関連の切手の中から、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』にちなんで、この1枚です。

      イスラエル・申命記(1993)

 これは、1993年8月22日にイスラエルで発行された“年賀切手”の1枚で、ワインを意味するブドウが描かれています。タブには、ワイン絞りの道具と、『申命記』第11章14節の「主は(あなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、)穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ」との文言が入っています。

  ワインは『旧約聖書』のノアやモーセの物語にも登場しますが、実際、パレスチナの地域では紀元前2000年頃にワインが製造されていたことを示す遺跡が発見されています。ローマ帝国の時代には、パレスチナ産のワインは人気が高く、帝国各地に輸出されていましたが、7世紀に入り、パレスチナがムスリム(イスラム教徒)の支配下に入ると、キリスト教徒やユダヤ教徒が儀式のために使う少数の例外を除き、ワインの製造も禁止されてしまいました。

 ちなみに、近代以前、パレスチナのユダヤ人がワイン製造に際して使っていた圧搾施設は、今回ご紹介の切手のタブに見られるように、石造りのプールのような場所にワインを入れて足で踏みつぶし、プールの底にあけた穴に溜まった果汁を集めるというものでした。

 さて、パレスチナの地でワインの生産が再開されるのは1848年のことで、同年、この地で最初の近代的ワイナリーが開業します。その後、ロスチャイルド家のエドモンドが1882年にワイナリーを創設し、南仏の品種を導入して、ユダヤ教徒によるワイン製造を積極的に支援しました。ただし、当時のパレスチナ・ワインは、ユダヤ教の儀式に使用される甘口赤ワインが中心で、品質はあまり高くはありませんでした。

 しかし、第一次大戦後、パレスチナは英国の委任統治領となり、さらに、1933年以降、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系難民がヨーロッパから大挙してパレスチナに移住したことで、パレスチナのユダヤ教徒の間でも、儀式用の甘いワインではなく、辛口ワインへの需要が高まりました。この傾向は、1948年のイスラエル建国後、さらに加速されましたが、1970年代半ばまでは中東戦争が相次いだこともあり、イスラエル国内ではなかなかワイン生産が広がりませんでした。

 その後、1976年、ゴラン高原で葡萄の植樹が行われ、1980年代以降、カリフォルニアを中心に、フランス、オーストラリアなどのから技術移転により、イスラエル・ワインの品質は飛躍的に向上することになりました。中でも特筆すべきは、1983年に創業のゴラン・ハイツ・ワイナリーで、同社が1984年にリリースしたヤルデンとガムラのヴィンテージはイスラエル・ワインとして初めて国際的な評価を得ただけでなく、2011年にはワインのオリンピックともいわれる“ヴィニタリー2011”で最優秀賞を受賞するなど、名実ともに、イスラエルを代表するワイナリーとして知られています。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 パレスチナ独立宣言記念日
2017-11-15 Wed 11:14
 きょう(15日)は、1988年11月15日にアルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されたことにちなみ、“パレスチナの独立宣言記念日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・ダルウィーシュ(2008)

 これは、2008年7月29日、パレスチナ自治政府が発行したマフムード・ダルウィーシュ(1988年のパレスチナ独立宣言の起草者)の切手です。

 マフムード・ダルウィーシュは、1,941年3月13日、英委任統治下のガリラヤ地方のビルワで生まれました。彼の故郷は、1948年の第一次中東戦争で壊滅的な打撃を受けたため、一時的にレバノンに避難します。1950年、一家はイスラエル支配下のガリラヤ地方の別の村に帰還しましたが、法的には“不法滞在の外国人”として扱われました。

 ダルウィーシュは10代から詩作を始め、当初はイスラエル共産党の文芸誌『アル・ジャディード』に自作の詩を投稿していましたが、ほどなくして同誌の編集に携わるようになり、次いで、イスラエル労働党の文芸誌『アル・ファジュル』の編集者となります。1960年、19歳の時に発表した第一詩集『翼のない鳥』を皮切りに、1960年代には何冊かの詩集を出版。「書き留めてくれ/私はアラブ人」のリフレインで知られる詩「身分証明書」、故郷パレスチナを恋人に見立てて愛を謳った詩「パレスチナの恋人」などで、パレスチナを代表する詩人として高く評価されました。

 しかし、そのことは、パレスチナ人の民族意識を高揚させ、反イスラエル世論を煽動するものとしてイスラエルからは危険視され、投獄や自宅軟禁等の処罰を受けることになります。

 彼の作品は世界的にも高く評価され、1969年、アジア・アフリカ作家会議が創設したロータス賞の第一回受賞者となりましたが、1970年、事実上の国外追放処分を受け、ソ連のミハイル・ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学に一年間、留学。その後、カイロを経てベイルートに入り、1973年、PLOに参加。詩作を続ける傍ら、執行委員会のメンバーとして反イスラエル闘争に積極的に関与しました。

 PLOのテュニス移転とともにテュニスに移り、第一次インティファーダを経て、1988年にアルジェで開催されたパレスチナ民族評議会ではアラファトが読み上げた「独立宣言」を起草しました。

 その後、1993年のオスロ合意の内容に失望し、PLOの役職を辞職しましたが、1995年、パレスチナ自治政府の暫定自治がヨルダン川西岸地区の主要都市にまで拡大され、自治政府がラマッラーに移ると、PLOと和解し、ラマッラーに“帰還”しました。晩年はパレスチナと米国を往来しながら、ファタハとハマースの抗争を批判し、特に、ハマースの奉じるイスラム原理主義を激しく批判しています。

 晩年は毎年のようにノーベル文学賞の有力候補の一人としてメディアに名前が挙げられましたが、2008年8月9日、心臓病の治療のため入院していた米ヒューストンで亡くなりました。享年67歳。その葬儀は、アラファトに次いでパレスチナ自治政府として2人目の“国葬”とされ、大統領のアッバースは自治政府として3日間の服喪を決定しています。

 今回ご紹介の切手は、当初、2007年に発行が予定されていたもので、切手にもその旨の表示がありますが、実際には、彼の死の直前、2008年7月29日に発行されています。切手の背景に岩のドームが描かれているのは、彼の起草した「独立宣言」が、パレスチナ国家の首都はエルサレムに置くとしていたことを示したものと考えられます。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、パレスチナの切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 日本・モルディヴ国交50年
2017-11-14 Tue 12:05
 1967年11月14日に日本とモルディヴ(1965年独立)の外交関係が樹立されてから、きょうでちょうど50周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モルディヴ・鰹節

 これは、1981年、“(国連)婦人の10年”の題目でモルディヴが発行した切手のうち、日本の鰹節とよく似たモルディヴの伝統調味料、”モルディヴ・フィッシュ”の製造風景を描いた1枚です。

 1975年の国際婦人年の成果を踏まえ、同年の第30回国連総会では、1976‐85年を国際婦人年の目標達成のため“国連婦人の10年”とすることが宣言されました。これを踏まえて、1979年には国連で女子差別撤廃条約が採択され、翌1980年にコペンハーゲンで行われた“国連婦人の10年中間期世界会議”が行われました。今回ご紹介の切手が発行された1981年は、女子差別撤廃条約が発行した年にあたっており、今回ご紹介の切手は、これに合わせて、モルディヴの伝統的な女性の労働風景を描くものとして発行されました。

 現在のモルディヴ経済は観光部門がGDPの3分の1を占めていますが、歴史的には漁業が最大の主要産業で、現在でも労働人口の3割が漁業およびその関連業務に従事しており、GDPの15%以上を占めています。また、モルディヴは、1人あたりの1日の魚介類消費量が381グラムで世界一(日本は155グラムで6位)の国でもあります。

 モルディヴ環礁周辺の赤道付近は世界有数のカツオの産卵地域であるため、1年を通じてカツオ漁が可能で、漁獲高の70%はカツオが占めていることもあって、単に“(英語の)fish”というとモルディヴではカツオを指すのが一般的。漁獲量は年間約9万トンで、その大半は、缶詰もしくは冷凍にされ、主としてヨーロッパや日本などに輸出されています。

 このように、カツオ漁が盛んなモルディヴでは、日本の鰹節に似た“モルディヴ・フィッシュ”が14世紀から作られてきました。

 その作り方は、生のカツオを塩水で煮たものを燻煙し、天日干しにするもので、日本の荒節とほぼ同じです。ただし、日本の鰹節(枯節)と異なり、モルディヴ・フィッシュにはカビ付けはされません。また、日本では鰹節を削り、出汁を取る場合には出汁ガラは基本的に捨ててしまうのに対して、モルディヴ・フィッシュは石臼で挽いて粉末状にしたモノを他の食材に混ぜて食すのが一般的です。

 ちなみに、伝統的な食文化として鰹節の利用が定着しているのは日本とモルディヴだけだそうです。それゆえ、日本の鰹節はモルディヴから東南アジア、沖縄経由でもたらされたとする説も提起されていますが、こちらについては、具体的な伝達経路などが立証されておらず、現時点では、推論の域を出ていません。


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 イラン・イラク国境地帯でM7.3地震
2017-11-13 Mon 12:40
 イラク北東部、イランとの国境にも近いスレイマニア県を震源として、現地時間12日午後9時20分ごろ(日本時間13日午前3時20分ごろ)、マグニテュード7.3の大地震が発生。震源に近いイラン西部やイラク北部のクルディスタン地域で建物の倒壊などによる死傷者が出ており、なかでも、イラン西部、イラクとの国境に位置するケルマンシャー州では、この記事を書いている時点で少なくとも141人が亡くなったそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ケルマンシャー加刷

 これは、第一次大戦中の1917年、オスマン帝国占領下のケルマンシャーで発行された暫定加刷切手です。

 イラン西部ケルマンシャー州は米や野菜を産する豊かな農業地帯として古代から人々が定住しており、州都ケルマンシャーの歴史はピーシュダード朝(イラン最初の王朝とされる伝説上の王朝)のタフモレス・ディーヴバンドの時代にまでさかのぼるとされています。都市としての本格的な建設は、西暦4世紀、ササン朝のバフラーム4世の時代に進められ、以後、同王朝の下で何度かペルセポリスに次ぐ副都に指定されて繁栄を極めました。その後、アラブの侵攻により大きな被害を受けましたが、16世紀から18世紀にかけてのサファヴィー朝支配下では都市として復活しています。

 第一次大戦中、当時のペルシャを支配者であったカージャール朝は中立を宣言したものの、戦略的な要衝であるがゆえに各国の軍隊が進駐。1915年にはオスマン帝国の侵攻により、ケルマンシャーも同帝国の占領下に置かれました。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、1917年、12シャヒおよび24シャヒ切手が不足したため、1キラン(クランとも。1クラン=100シャヒ)切手に暫定的に改値加刷を行って発行されたものです。

 なお、この切手が発行されて間もなく、ロシアで10月革命が発生したため、ケルマンシャーを含むペルシャ北西部は、ロシア内戦に干渉するための前線基地として、英国がオスマン帝国を駆逐して占領しました。

 1979年のイスラム革命後、ケルマンシャーは、地名の“シャー”が忌避され、“バーフタラーン”と改称されましたが、イラン・イラク戦争(ケルマンシャーも国境の都市として大きな被害を受けました)の休戦後、旧称のケルマンシャーに復し、現在に至っています。ちなみに、ケルマンシャー州の現在の人口は約195万2000人、州都ケルマンシャーの人口は約82万3000人です。

 今回の地震では、ケルマンシャー州内では、イラクとの国境に近いサルポル・エ・ザハブの被害が特に深刻で、死亡者のうち60人以上が同郡に集中しているそうです。このほか、イラクのクルディスタン地域でも、東部スレイマニア県のダルバンディカン、カラル、アルビル県のコレなどで死者が出ているほか、ダルバンディカンには農業・発電用の利水ダムがあるため、クルド自治政府は余震に備えて住民に避難を呼びかけています。

 あらためて、亡くなられた方の御冥福と、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしております。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 泰国郵便学(51)
2017-11-12 Sun 14:43
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第51巻第5号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・オニテナガエビ(1976)  

 この切手は、1976年2月18日に発行された“タイの代表的な食用エビ”の切手のうち、オニテナガエビを取り上げた1枚です。次いでですので、バンコクの海鮮レストランで生簀の中のオニテナガエビを撮影した写真が手元にありましたので、下に貼っておきます。

      オニテナガエビ・実物

 タイでエビの養殖がいつから始まったかは定かではありませんが、1960年代に地元の古老を対象に行った聞き取り調査によると、遅くとも、1930年までにはエビの養殖が始められていたようです。初期のエビの養殖は、主としてタイランド湾の河口に近い低地の米作農家が乾季の間の副業としてエビを飼い、販売するものでした。

 一方、タイランド湾に面したサムットプラーカーン県、サムットサーコーン県、サムットソンクラーム県は伝統的に製塩業が盛んでしたが、1950年頃、塩の値段が暴落したため、塩田の多くがエビの養殖に転業します。

 1960年代後半までにエビの養殖はタイランド湾沿岸のほぼ全域に拡大しましたが、その中心は上記3県で、ほかに、ラヨーン県、チョンブリー県、チャンタブリー県が主要な生産地でした。当時のエビ養殖業者は、一軒あたり平均4ヘクタールの養殖池で年間1356キロのエビを生産してました。

 1970年代に入ると、日本でのエビの需要の拡大に伴い、エビの輸出も拡大しましたが、その反面、乱獲により天然エビ漁は衰退し、養殖エビの重要性も増大します。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、輸出商品としてのエビを宣伝する目的で発行されました。

 切手に取り上げられたオニテナガエビは、タイ、マレーシアなどの東南アジア原産の淡水産のエビで、オスで最大32センチ、メスで25センチに成長します。色は藍色で、頭部が大きく、第二歩行足が体長よりも長くなっています。タイ語では、一般に川エビを意味する“グン・メーナーム”と呼ばれ、レストランの英文メニューでもその直訳の“River Prawn”と表示されていることも多いようです。ただし、英語表現としては、FAO(国連食糧農業機関)の指導により、マレーシアで本格的な養殖が始まったことから、マレーシア・プローンの通称で呼ばれるのが一般的です。

 レストランなどで調理される場合は、このエビの最大の特徴である鋏が外されてしまうことが多いので、バナメイエビとよく似た外観になりますが、バナメイエビに比べて兜が幅広いので識別は難しくはありません。タイでの調理方法としては、“シューシー・グン(レッドカレー炒め。カレーとしてではなく、一品料理として供される)”や“グン・オップ・ウンセン(エビと春雨の蒸しもの)”などが好まれています。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 ルーヴル・アブダビ開館
2017-11-11 Sat 12:56
 アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ・サーディヤト島で建設が進められていたフランスのルーヴル美術館の別館 “ルーヴル・アブダビ”がオープンし、きょう(11日)から一般公開されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ザール・ミラノの貴婦人

 これは、1956年12月10日にザールで発行された慈善切手で、ダ・ヴィンチの「ミラノの貴婦人」が取り上げられています。「ミラノの貴婦人」はパリ・ルーヴル美術館の収蔵品として有名ですが、今回のルーヴル・アブダビのオープンを記念して、ルーヴル・アブダビに移管され、その目玉として展示・公開されることになりました。

 ルーヴル・アブダビは、2007年の政府間の合意を経て、当初、2012年に開館の予定でしたが、世界的な金融危機や原油価格下落などの影響で完成が大幅に遅れていました。

 洋上に建設された美術館はプリツカー賞を受賞したフランスの建築家、ジャン・ヌーヴェルの設計で、直径180m・高さ36mの8層構成(4層の外層はステンレススチール、4層はアルミニウム)のドーム型。総重量はエッフェル塔と同じ7500トンあり、110m間隔で設置された4つの桟橋によって支えられています。ドームは7850個の星を組み合わせたデザインで、星々の隙間から光が差し込むと、ヤシの葉から落ちる木漏れ日を思わせる“光の雨”が降る仕掛けになっています。

 美術館としては23のギャラリーがあり、600点の所蔵作品に加えて、フランスの13の美術館・博物館から、今回ご紹介の切手に取り上げられた「ミラノの貴婦人」を含む300点が貸し出され、年間4回の企画展が予定されています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「ミラノの貴婦人」はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品といわれており(異説もあります)、フランス革命以前からフランス王室が所蔵していました。17世紀初めの時点では、作品に描かれている女性が金物商の妻もしくは娘と考えられていたことから、欧米では『美しき金物商(フランス語では La Belle Ferronnière)』と呼ばれるのが一般的ですが、モデルについては、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの公妃ベアトリーチェ・デステもしくは愛人のルクレツィア・クリヴェッリという説もあります。
 
 *  明年(2018年)5月にエルサレムで開催予定の世界切手展<WSC Israel 2018>の出品申し込みは、かねてご案内の通り、昨日(10日)でいったん締め切りました。同展の日本コミッショナーとして、お申込みいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
 なお、現在、主催者側に送るべく書類の取りまとめ作業中ですが、うっかり申し込みを忘れたという方は、急ぎ内藤宛に申込書をお送りいただければ、可能な限り対応いたしますので、よろしくお願いいたします。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 モーリタニア=アルジェリア国境、開放へ
2017-11-10 Fri 11:43
 北アフリカ・モーリタニアの同国国営通信によると、1960年の同国独立以来封鎖されてきたアルジェリアとの国境が開放されることになった(ただし、国境開放の具体的な日時などは現時点では未定)そうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モーリタニア独立

 これは、1960年のモーリタニア独立に際して同国が発行した記念切手で、同国地図と国旗を掲げる白人と黒人の手が描かれています。この地図のうち、今回開放されることになったアルジェリアとの国境は同国の北端から南東方向に延びている部分で、その東の頂点から水平方向に西に延びた部分と南へ下った部分はマリとの国境になります。

 モーリタニアの沿岸には、15世紀以降、ポルトガルやスペイン、オランダなどの西洋人が交易を求めて姿を現すようになりましたが、17世紀以降はサン・ルイ(現セネガル)に基地を確保したフランスが影響力を拡大。19世紀末から20世紀初頭にかけての征服戦争を経て、1904年、モーリタニアは“民政区”として、1895年に設立された“仏領西アフリカ連邦”に編入されました。

 第二次大戦末期の1944年1月、フランスは仏領コンゴの首府ブラザヴィルで“フランス=アフリカ会議”を開催。会議の結果として採択されたブラザヴィル宣言では、①原住民制の廃止、②強制労働の廃止、③教育の整備、④工業開発の重視、⑤(戦後に予定される)フランス制憲議会への現地代表参加、⑥フランス国会への現地代表参加、⑦フランス連合の連邦議会の設置、⑧セネガルの植民地議会同様の議会を各植民地に設置、などの項目が、ヴィシー政府打倒後の新政権への勧告として盛り込まれていました。いわば、植民地は戦争協力と引き換えに、戦後の自治権拡大を約束された格好になります。

 これを受けて、大戦後の1945年10月21日、憲法制定のための制憲議会選挙が行われ、翌1946年5月5日に憲法草案が制定されて国民投票が行われました。ただし、この時の憲法草案は否決されたため、6月2日に再度、制憲議会選挙が行われ、再度作成された憲法草案が10月13日に国民投票にかけられて可決され、10月27日、フランス第四共和政がスタートしました。

 第四共和政下では、仏領西アフリカはフランス連合を構成する海外領土となり、モーリタニアにも地方議会が置かれ、フランス本国に代表を送るための選挙が1946年中に実施されました。

 その後、アルジェリア情勢が緊迫する中で、仏領植民地の自治拡大は急速に進み、1956年6月の基本法でフランス人の高等弁務官を首相とし、アフリカ系を副首相とする行政府が組織され、弁護士のムフタール・ワルド・ダッダーが初代のモーリタニア副首相に就任します。

 さらに、1958年の国民投票により、モーリタニアはフランスからの完全独立はせず、セネガルなどのアフリカ諸国とともにフランス共同体内の共和国として残留することを選択。これに伴い、同年10月、モーリタニア・イスラム共和国が発足します。しかし、その後、フランス共同体の解体は急速に進み、1960年夏には旧フランス領アフリカ諸国の大半が独立。同年11月28日には、モーリタニアも独立を宣言しました。今回ご紹介の切手は、これに伴って発行されたものです。

 さて、1960年11月の独立時、アルジェリアは独立戦争の最中にあり、モーリタニアとしてもアルジェリアとの国境を開放できるような状況にはありませんでした。また、1660年に成立したアラウィー朝(モロッコの現王朝)が、かつて、現在のモーリタニアを含む北西アフリカの一帯を支配下に置いていたことを根拠として、1956年に再独立したモロッコはモーリタニアの自国への再統合を主張し、モーリタニアの独立に異議を唱えていました。

 これに対して、モーリタニア国内にもモロッコの主張に同調する勢力が一体数存在していたことに加え、北アフリカ諸国の加盟するアラブ連盟もモロッコを支持したため、モーリタニアは独立を維持するためにフランスおよび穏健外交路線を採る旧仏領諸国(ブラザヴィル・グループと呼ばれた)との関係を強化することになります。

 これに対して、そもそもフランス共同体への参加を拒否したギニアや、セネガルとの連邦が破綻した後、汎アフリカ主義者として急進化したモディボ・ケイタのマリ、旧英領アフリカ諸国で独立運動の中心となったガーナが、ブラザヴィル・グループに対抗して急進派諸国を糾合した会議を開催することを計画すると、モロッコ国王ムハンマドはこれに協力し、1961年1月4日から7日まで、カサブランカ会議を開催。開催国モロッコのほか、エジプト、ガーナ、タンガニーカ、ギニア、マリと、独立戦争のさなかにあったアルジェリアのアルジェリア共和国臨時政府が参加し、“カサブランカ・グループ”を構成しました。

 その後、モロッコとアルジェリアは国境地帯のティンドゥフとベシャールの帰属をめぐり、砂戦争を戦うことになりますが、上記のような経緯もあって、モーリタニアは460キロにわたるアルジェリアとの国境を封鎖し、国境地帯を軍事区域として民間人の往来を禁止し続けてきました。

 もっとも、両国の国境地帯はほぼ無人の砂漠が延々と広がっており、実際には、武器や石油、薬物の密輸、移民の密入国が横行武装勢力の衝突も絶えない状況が続いていました。今回の国境“開放”は、国境地域の管理をきちんと行うことで、治安の改善を図ろうというもので、アルジェリアのベドゥイ、モーリタニアのアブデッラの両国内相は、国境開放で地域がより安全になると強調しています。

 * 昨日、アクセスカウンターが185万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 切手でひも解く世界の歴史(11)
2017-11-09 Thu 09:20
 本日(9日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、おととい(7日)、100周年を迎えたロシア10月革命にスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア10月革命記念

 これは、1918年にボリシェヴィキ政権が発行した10月革命の記念切手です。

 1917年3月8日の2月革命(旧暦2月23日)でロシア皇帝ニコライ2世が退位してロマノフ王朝は崩壊し、臨時政府が樹立されます。一方、労働者・農民・兵士はソヴィエト(評議会)を結成して休戦を強く要求し、戦争を継続しようとする臨時政府と対立。第一次臨時政府は崩壊しました。

 混乱の中、同年5月5日、旧臨時政府の自由主義者に加え、社会革命党(エスエル)とメンシェビキ(旧ロシア社会民主労働党右派)を中心とする社会主義者たちが参加する第一次連立政府が成立しますが、この政府もウクライナ自治問題をめぐって立憲民主党(カデット)の閣僚が辞任して崩壊。社会主義者であるケレンスキーを首班とする第二次連立政府が成立します。

 こうした状況の中で、6月16日、ケレンスキー政権はガリツィアでドイツ・オーストリアに攻撃を開始。緒戦こそロシアが勝利したものの、ロシア軍の士気は低く、7月2日には作戦は失敗に終わっただけでなく、8月にはドイツ軍のリガ攻勢によりリガ(現在はラトヴィアの首都)を奪われてしまいます。

 このため、兵士らの戦争への不満と労働者らの飢餓や苦境への不満が爆発。7月16-20日、首都ペトログラードではボリシェヴィキ(旧ロシア社会民主労働党左派。後のソ連共産党の前身)に率いられた労働者や兵士らが臨時政府に対する七月蜂起を起こしましたが、臨時政府による「ボリシェヴィキの指導者レーニンはドイツのスパイである」との宣伝が功を奏したこともあって、蜂起は失敗に終わりました。

 しかし、8月、「死につつあるロシアの大地を守る」としてコルニーロフ(日露戦争等の英雄で、7月、臨時政府の最高司令官に就任)が、臨時政府の一角を占めるソヴィエトを打倒すべくクーデターを起こすと、当初、ケレンスキーはコルニーロフを支持して軍の首都への導入を依頼したものの、軍が首都に接近すると、自らも打倒されるかもしれないと不安に感じて変心。ケレンスキーは、臨時政府の軍人たちを信頼できず、ボリシェヴィキの赤衛隊などの武装勢力に救援を要請し、ボリシェヴィキの説得を受けた兵士やコサック兵らはコルニーロフを見捨て、クーデターは失敗に終わりました。

 その後、10月10日、ボリシェヴィキの中央委員会は投票を行い、10対2で「武装蜂起はもはや避けられず、その期は十分に熟した」という宣言を採択。ペトログラード・ソヴィエトは、10月12日、軍事革命委員会を設置しました。

 10月23日、ボリシェヴィキの指導者の一人でエストニア人のヤーン・アンヴェルトがエストニア自治政府の首都タリンで武装蜂起を開始。翌24日、最後の反撃を試みた臨時政府がボリシェヴィキの新聞『ラボーチー・プーチ』『ソルダート』の印刷所を占拠すると、軍事革命委員会はこれを引き金として武力行動を開始。赤衛隊はペトログラードの印刷所、郵便局、発電所、銀行などの要所を制圧し、10月25日(11月7日)、「臨時政府は打倒された。国家権力は、ペトログラード労兵ソヴィエトの機関であり、ペトログラードのプロレタリアートと守備軍の先頭に立つ軍事革命委員会に移った」との宣言が発せられました。

 さらに、25日午後9時45分、防護巡洋艦アヴローラの砲撃を合図に、ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ率いる部隊が、臨時政府の閣僚が残る冬宮に進入。26日未明に占領されました。

 これが、ロシア10月革命で、公式な日付としては、冬宮を除くすべての政府機関が占領された10月25日(グレゴリオ暦11月7日)とされています。

 10月27日、第二回ソヴィエト大会は、臨時政府に代わる新しいロシア政府として、レーニンを議長とする「人民委員会議」を設立。世界最初の社会主義国家として、ソヴィエト・ロシア共和国が成立しました。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、1918年初頭に発行されたもので、国名表示は、単に“ロシア”となっています。その後、同年7月19日、ロシア共和国憲法の制定により、国名がロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国(РСФСР=RSFSR)へと改称されると、1921年には“РСФСР”表示の切手が発行されることになります。

 なお、革命の混乱の中で、旧ロシア帝国の各地では、さまざまな勢力が入り乱れての内戦が発生しますが、最終的に、内戦は赤軍勢力の勝利に終わり、1922年、ロシア共和国、ザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国、白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の4ヵ国からなるソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は9日!★★

 11月9日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 世界の切手:ルーマニア
2017-11-08 Wed 09:26
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年10月25日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はルーマニア(3回目)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・モルドヴィツァ「コンスタンティノープルの攻防戦」

 これは、1969年に発行されたモルドヴィツァ修道院の壁画「コンスタンティノープルの攻防戦」を取り上げた1枚です。

 現在のモルドヴィツァ修道院の場所には、もともと、アレクサンドル善公が1410年に物見の塔のある要塞を兼ねた石造りの教会を建てたといわれています。これをもとに、1532年、モルダヴィア公のペトゥル・ラレシュが要塞としての防御機能を強化して建てたのが現在の修道院の原型です。

 ペトゥル・ラレシュの時代、モルダヴィア公国はオスマン帝国に膝を屈し、その宗主権を認めて貢納を行う属国となりました。その一方で、オスマン帝国はモルダヴィアに対して一定の自治権を与えていたため、ルーマニア人貴族の勢力は温存され、結果的に、公国は平和と繁栄を享受しています。

 “奴隷の平和”を受け入れざるを得なかった時代環境の中で、“トルコ人”に対する複雑で鬱屈した心理状態が反映されているのが「(626年の)コンスタンティノープル攻防戦」という画題でした。すなわち、この画題は、626年、ホスロー2世率いるペルシャ軍がコンスタンティノープルを包囲した際、彼の地のキリスト教徒は団結して敵を撃退したという史実を表現したものですが、この時代のブコヴィナ地方のフレスコ画では、ペルシャ軍をオスマン帝国風の服装や装備で描くというかたちで表現しています。特に、モルドヴィツァ修道院は、「コンスタンティノープル攻防戦」の戦闘場面が念入りに描かれていることでも有名です。

 さて、『世界の切手コレクション』10月25日号の「世界の国々」では、ブコヴィナの5つの修道院(フモール、ヴォロネツモルドヴィツァスチェヴィツァアルボーレ)についてまとめた長文コラムのほか、ブランクーシの「大地の知恵」、カルパティア山脈、スチャヴァの大城塞、ブラック・セラミックの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のルーマニアの次は、本日(8日)発売の11月15日号でのサウジアラビアの特集になります。こちらについては、発行日の15日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は9日!★★

 11月9日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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 ボルネオの吹き矢
2017-11-07 Tue 11:48
 マレーシアを訪問中のチャールズ英皇太子は、きのう(6日)、ボルネオ島北部サバ州で伝統の武器である吹き矢に挑戦したそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英領ノースボルネオ・吹き矢(1939年)

 これは、1939年1月1日、英領ノースボルネオで発行された“先住民(プナン人)の吹き矢”を取り上げた12セント切手です。ちなみに、この切手ではプナン人は長い筒を両手で持って構えていますが、昨日のチャールズ皇太子は、下の写真のように筒の反対側を台に乗せて吹いていました。

      チャールズ・吹き矢

 さて、ボルネオ島北部、現在のマレーシア・サバ州の地域は、かつては、フィリピン諸島とボルネオ島の間に連なるスールー諸島を領土とするスールー王国の支配下にありました。

 1865年、ブルネイ駐在の米領事クロード・リー・モーゼズはノースボルネオの10年間の租借権を獲得しましたが、南北戦争の直後ということもあって、米国政府には植民地経営の余裕がなく、租借権は米国ボルネオ貿易会社に売却されます。しかし、同社はボルネオ経営に失敗し、租借権はオーストリア・ハンガリー帝国の香港領事フォン・オーバーベックに売却されました。フォン・オーバーベックは、当初、本国政府にボルネオ経営を持ちかけたものの失敗し、さらに、イタリアへの売却交渉も不調に終わったため、1880年、ボルネオから撤退します。

 こうした事態を受けて、英系商社・デント商会の係累に当たるアルフレッド・デントが、英国の外交官、ラザフォード・オールコックらの支援を受けて、1881年7月、英国ノースボルネオ会社を設立。翌1882年、ヴィクトリア女王の勅許を得てこの地の統治を始め、1888年7月、ノースボルネオをイギリスの保護領とし、英国ノースボルネオ会社がこれを統治する体制を確立しました。これが、いわゆる英領ノースボルネオです。

 ただし、フォン・オーバーベックとスールー王国のスルタンとの間で結ばれた条約は、あくまでもノースボルネオの賃貸契約であり、売買契約ではないため、その後も、1898年にスールー王国が米領フィリピンの一部に組み込まれるまで、同国がノースボルネオの主権者というのが建前でした。

 第二次大戦中、ノースボルネオを含むボルネオ島北部の英領地域は“北ボルネオ”として日本軍に占領されましたが、戦後、日本軍が撤退すると、ノースボルネオは1946年に英国の直轄植民地となりました。

 その後、1963年、立憲君主制連邦国家マレーシア連邦が建国されると、英領ノースボルネオは同国に編入され、同国のサバ州となり、現在に至っています。ただし、スールーのスルタンの末裔はノースボルネオのスールーへの返還を要求。さらに、スールー王国を継承したとするフィリピン政府もこの立場を支持したため、旧ノースボルネオの帰属をめぐって、フィリピンとマレーシアの対立が生じました。

 ところで、ボルネオ島には数多くの先住民族がいますが、このうち、切手に取り上げられたプナン人は、唯一、伝統的に移動生活をしてきた民族として知られています。吹き矢や銃で狩りを行い(ただし、近年は銃も使用されますが)、植物の採集で食糧を得て、2-3ヶ月に一度、森林資源が減ってくると移動する生活を繰り返してきました。

 その後、1960年代に定住がはじまり、政府の定住化政策や森林資源の枯渇などの理由で、1980年代以降はほとんどのプナン族が定住生活を行うようになりました。現在、約1万人とされるプナン人のうち、移動生活を維持しているのは200人程度とされています。
 

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は9日!★★

 11月9日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 一の酉
2017-11-06 Mon 08:31
 きょう(6日)は一の酉です。というわけで、例年同様、最新の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の重版を祈念して、同書で取り上げた“鳥”の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・第一次インティファーダ4周年

 これは、1991年にヨルダンが発行した“(第一次)インティファーダ4周年”の記念切手で、パレスチナ地図とハトを背景に、岩のドームとアクサーモスク、それに投石する人々が描かれています。

 ヨルダンとイスラエルの和平交渉は、第一次インティファーダ直前の1987年、当時のイスラエル外相シモン・ペレスとヨルダンのフサイン国王が極秘裏に会談し、ヨルダン川西岸(の一部)をヨルダンに返還する平和条約の調印に向けて水面下で準備が進められましたが、このときは、イスラエル首相イツハク・シャミルの反対で破談になっています。

 その後、第一次インティファーダを経て、1988年にPLOがイスラエルの承認とテロの蜂起を前提とする“パレスチナ国”の樹立を宣言すると、ヨルダンはヨルダン川西岸地区の領有権(の主張)をパレスチナ国に譲渡しましたが、岩のドームを含む神殿丘の管轄権は、引き続き、ヨルダン宗教省が維持することになりました。

 今回ご紹介の切手でも、こうしたことを踏まえて、岩のドームを含む神殿の丘のイメージが取り上げられています。

 一方、ヨルダンが、神殿の丘の管轄権を除き、ヨルダン川西岸の領有権(の主張)をパレスチナ国に譲渡したことになっているのに対して、ヨルダン川西岸地区を実効支配していたイスラエルは、現在にいたるまでパレスチナ国を国家承認していません。

 このため、1993年のオスロ合意を受けてヨルダン川西岸地区でパレスチナ人の自治を行うにしても、いったん、当該地域の帰属をめぐって、イスラエルとヨルダンの間で調整が必要となります。

 かくして、1994年年に入ると、イスラエルのラビン首相とペレス外相、ヨルダンのフサイン国王の三者で和平交渉が開始されました。

 交渉に先立ち、国王はエジプトのホスニー・ムバーラク、シリアのハーフェズ・アサドの両大統領に意見を求めましたが、ムバーラクが和平交渉に賛意を示したのに対して、アサドはイスラエルとは交渉のみにとどめ、いかなる合意も結ぶべきではないと主張したと伝えられています。

 これに対して、米国のクリントン大統領はヨルダンに対してイスラエルと交渉を開始し、和平協定を結べば、九億ドルにも及ぶヨルダンの対米債務を免除することを約束。この結果、1994年7月25日、米国でイスラエルのラビン首相とヨルダンのフセイン国王が“ワシントン宣言”に調印。同年10月、ヨルダンとイスラエルの平和条約が調印されました。

 同条約により、国境が一部修正され、一部の土地がヨルダン領に編入されましたが(その場合でも、イスラエルの農民が耕作していた土地に関しては、リース方式を導入することで、従来どおりの使用権が保証されました)、ヨルダンは東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区の領有権を放棄したことが確認されました。そのうえで、神殿の丘の管轄権はヨルダンにあること、イスラエルは毎年、ヨルダンに対して5000万立法メートルの水を提供し、ヤルムーク川(シリア南西部を水源とし、ゴラン高原の東から南へ回り込んでヨルダンとシリアの国境を、次いでヨルダンとイスラエルの国境を形成し、ヨルダン川に流れ込む川)を水源として活用することを認めること、両国は互いに相手国に対して敵対的なプロパガンダを中止し、安全保障面で協力することなどが定められました。

 これを受けて、1995年9月、イスラエルとPLOはワシントンでパレスチナ自治拡大協定を調印し、PLOの自治権が行使される地域や分野などが具体的に定められることになります。
 

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 ホークスが2年ぶり日本一
2017-11-05 Sun 06:47
 プロ野球の日本シリーズは、福岡ソフトバンクホークス横浜DeNAベイスターズを4勝2敗で下して2年ぶりの日本一となりました。というわけで、“鷹”の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・パスポート

 これは、2012年にパレスチナ自治政府が発行した自治政府の活動を紹介する切手のうち内務省を表す1枚で、アラブ諸国で広く用いられている“サラディンの鷹”の国章を表紙にあしらった自治政府のパスポートが取り上げられています。

 “パレスチナ”表示のパスポートは、英委任統治時代の1924年、“British passport, Palestine”名で発行されたのが最初です。

 1948年5月15日、英国のパレスチナからの撤退とイスラエルの独立宣言を受けて、英国・パレスチナ表示のパスポートは無効となりました。このため、第一次中東戦争で周辺諸国に逃れたパレスチナ難民の多くは国際的に有効なパスポートを持っていませんでしたが、エジプト、シリア、レバノンの各国は、そうした難民に対して、自国のパスポートの発給を認めませんでした。

 第一次中東戦争を経て、旧英領パレスチナの地域は、イスラエル、ヨルダン、エジプトの三国により分割されると、イスラエル領内の住民に対してはイスラエルのパスポートが、エジプト支配下のガザ地区の住民に対しては1949年から1959年まで“全パレスチナ”表示のパスポートが、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区の住民に対してはヨルダンのパスポートが、それぞれ発給されることになりました。このうち、イスラエルとヨルダンのパスポートは通常のパスポートと同様でしたが、エジプトの発給した“全パレスチナ”のパスポートでは、エジプト本国への自由な入国は認められていませんでした。

 1967年の第三次中東戦争の結果、ヨルダン川西岸はイスラエルにより占領されますが、ヨルダン政府は西岸地区の住民に対して引き続き、ヨルダンのパスポートを発給しつづけました。ただし、このパスポートは、西岸地区の住民が国境を越えて他国に入国する際、1回限りで有効(旅行のたびに新たなパスポートを取得することが必要)という制限がありました。

 1993年のオスロ合意を経て、パレスチナ自治政府が発足すると、1995年4月2日から自治政府は、自らの支配地域の住民を対象に、今回ご紹介の切手に取り上げられた独自のパスポートの発給を開始しました。ちなみに、米国はパレスチナ自治政府を国家承認していませんが、自治政府発行のパスポートでの米国への入国を認めています。また、日本政府は2007年10月以降、自治政府のパスポートでの入国を認めるようになりました。

 なお、パレスチナ自治政府とその切手・郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとっってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(4日)、東京・浅草での全国切手展<JAPEX>会場内で行われた拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の刊行記念トークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただきました皆様、スタッフ・関係者の皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 本日、トークやります。
2017-11-04 Sat 06:17
 本日(4日)12:30より、東京・浅草で開催中の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オスマン帝国・メフメト6世即位紀念

 これは、1919年、オスマン帝国が発行した“メフメト6世即位”の記念切手です。

 第一次大戦末期の1918年7月4日、オスマン帝国のスルターン、メフメト5世が崩御し、弟のメフメト6世が後継スルターンとして即位しました。しかし、新スルターンの即位後まもない10月30日には、オスマン帝国はムドロス休戦協定を結んで連合国に降伏してしまいます。

 同協定では、

 ①オスマン帝国は、アナトリア半島の外にある要塞を明け渡し、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡を管理する要塞を占領する権利を連合国に認める
 ②無秩序状態が起こり、連合国の安全に対する脅威となる場合は、オスマン帝国の領土のいかなる部分も占領できる権利を連合国に認める
 ③オスマン帝国軍は、自ら武装解除されることを認める
 ④オスマン帝国は、港湾・鉄道・その他戦略的要地に対する使用権を連合国に認める
 ⑤カフカース(コーカサス)地方では、オスマン帝国軍は大戦前の国境まで撤退する

 ことが定められ、11月13日に首都イスタンブールが英仏伊軍によって占領されたのを皮切りに、連合国による国土占領が進められていきました。

 この時点で、オスマン帝国は事実上の滅亡に等しい状況に陥ったのですが、それでも、形式的にはオスマン帝国政府は残存しており、それゆえ、オスマン帝国の郵政機関は従前どおり、住民に対して郵便サービスを提供していました。

 こうした中で、ともかくも、オスマン帝国郵政としては、メフメト6世即位の記念切手を発行することになったが、彼らには、新たなデザインの切手を発行する余裕はすでになかったため、とりあえず既存の切手に即位の年号である“1334(イスラム暦)-1919(西暦)”の文字や、敗戦後の混乱の中で進行しつつあったインフレに対応するための新額面を加刷したものが、即位の記念切手として発行されました。

 加刷に使われた台切手の中には、大戦中、オスマン帝国軍のエジプト進攻を想定して、占領地で使うために準備していたものの、敗戦により不発行のままに終わっていたものも何種類か含まれていましたが、そのうちの一種が、岩のドームを描く10ピアストル切手でした。今回ご紹介の切手は、これに加刷を施したメフメト6世即位の記念切手で、これこそが、岩のドームを取り上げた最初の切手となりました。

 さて、<JAPEX>のトークイベントでは、今回ご紹介の切手以降、岩のドームがどのように切手に取り上げられてきたのか、その歴史的な変遷を背景事情とともにたどってみたいと考えます。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


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 11月9日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 きょうから<JAPEX>
2017-11-03 Fri 08:54
 きょう(3日)から5日まで、東京・浅草の東京都立産業貿易センター台東館6・7階で全国切手展<JAPEX>が開催されます。僕も、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』のプロモーションを兼ねて「パレスチナ郵便史 1995‐2001」と題して、パレスチナ自治政府発足以降のカバーをまとめた1フレーム作品を出品しております。というわけで、きょうはその作品の中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      メヴォ・アッザ交換局カバー(1996)  メヴォ・アッザ交換局カバー(1996・裏)

 これは、1996年10月28日、西岸地区北部・ナーブルスの南6㎞に位置するフワーラからガザ地区宛に差し出されたものの、受取人不明で差出人に返戻された郵便物です。

 1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されたヨルダン川西岸地区(以下、西岸地区)とガザ地区では、1993年のオスロ合意に基づき、1994年5月、カイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。

 これに伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、それぞれ自治政府管轄地域内ではイスラエルの郵政機関が閉鎖され、西岸地区とガザ地区(の自治政府統治地域)および東エルサレム(現在、エルサレム全域はイスラエルの実行支配下にあるが、パレスチナ自治政府は旧市街のある東エルサレムを“首都”と主張)を対象に、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足しました。

 その際、飛び地の関係にあった西岸地区からガザ地区宛の郵便交換は、西岸地区からイスラエル領内を経由してガザ地区の入り口にあたるメヴォ・アッザに設けられたイスラエル側の交換局を通じてガザ地区に持ち込まれることとされました。

 今回ご紹介のカバーは、1996年10月28日、西岸地区のフワーラから差し出され、11月4日、ガザ局(ガザ地区の中央局)を経由して、翌5日、宛先のザワーイダまで運ばれています。しかし、受取人不明でガザ局に戻され、保管期間が経過した後、1997年2月5日、メヴォ・アッザの交換局に引き渡され、差出人に返戻されました。ちなみに、料金はこの時期のパレスチナ域内宛書状基本料金の100フィルスです。

 今回の展示は、紙幅の関係から、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便史』ではあまり触れることのできなかった自治政府の郵便制度について、実際に逓送された郵便物を展示して、その概要をまとめてみました。あす(4日)12:30からの『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の刊行記念トークとあわせて、ご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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 バルフォア宣言100年
2017-11-02 Thu 09:04
 1917年11月2日、アーサー・バルフォア英外相名義で、英国が大戦後にパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを認めた“バルフォア宣言”が発せられてから、きょう(2日)でちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・バルフォア宣言50年

 これは、1967年にイスラエルが発行した“バルフォア宣言50年”の記念切手のうち、バルフォア外相の肖像を取り上げた40アゴロット切手です。タブの部分には、エレミヤ書第31章17の一節「あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると主は言われる。」との文言が印刷されています。

 第一次大戦中、ロンドンではシオニズム(世界各地に離散したユダヤ人が“民族的郷土”であるシオンの丘=エルサレムに結集し、ユダヤ人国家を再建しようという政治的主張)の運動を展開していたシオニストたちが英国政府の支援を取り付けるべく工作を展開していました。

 そうしたなかで、シオニスト評議会の議長で、英海軍省の技術顧問だったハイム・ヴァイツマンは、第一次大戦の勃発後、英国に協力し、自らが開発したバクテリア発酵法(無煙火薬の原料となるアセトンをデンプンから合成する技術)の工業化に成功。この結果、年間3万トンのアセトンが英国軍に供給されることになり、その功績から、英政府・軍とのコネクション築きました。

 ヴァイツマンは、そうした人脈を最大限に活用し、アーサー・バルフォア外相から、ユダヤ系貴族院議員ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド男爵宛の書簡というかたちで、「英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に民族的郷土を樹立することを好意的に見ており、その目的の達成のために最大限の努力をいたします。ただし、すでにパレスチナに在住している非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及び他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位が、これによって害されるものではないことは明確に了解されます」との表明させることに成功しました。

 これがバルフォア宣言です。

 しかし、この時点で、英国はアラブに対して、英国とともにオスマン帝国と戦えば、大戦後、中東地域にアラブの独立国を樹立することを約束していた(フサイン・マクマホン書簡。ただし英国はアラブに対して“独立国”の範囲を明確にしていません)ほか、フランスとは、東地中海のアラブ地域の分割案であるサイクス・ピコ協定をまとめていました。

 こうした中で、1917年11月7日、ロシア10月革命が発生すると、社会主義政権の外相に就任したレフ・トロツキーは旧政権の悪事を暴くとして、サイクス・ピコ協定の内容を暴露。この結果、バルフォア宣言と併せて、中東における英国の“三枚舌外交”が明らかになり、国際世論は騒然となります。

 そこで、釈明を求められたバルフォアは、

 ①メソポタミアは英国の自由裁量(保護国としてのアラブ国家イラク誕生)
 ②レバノンは“純粋なアラブの地”ではなく、フランスの植民地
 ③シリアはフランスの保護下でアラブ人国家となる。ただし、ダマスカス周辺については、“純粋なアラブの地”なのかフランスの勢力圏なのかは不明確
 ④パレスチナは“純粋なアラブの地”の範囲外で、サイクス・ピコ協定で定めた“共同統治”とユダヤ人居住地を意味する“民族的郷土”は矛盾しない、

 とする議会答弁を行い、フサイン・マクマホン書簡、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言の三者は矛盾しないと主張しました。

 これに対して、アラブ側は英国に対して強い不信感を抱きましたが、戦時下においてはともかくもオスマン帝国に対する勝利を優先し、英国と行動を共にしました。しかし、当然のことながら、大戦後、それらの矛盾が噴出。英国によるパレスチナの委任統治が始まると、バルフォア宣言に基づいてパレスチナへの移住を求めるシオニストと、それを拒否するアラブ、そして両者の間で右往左往する英国という3者により、パレスチナは混乱の渦に巻き込まれていくことになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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 無事帰国しました。
2017-11-01 Wed 23:39
      ブラジリア・コミッショナー・メダル拝領

 本日19:00頃、無事、カタール経由で帰国いたしました。世界切手展<Brasilia 2017>の会期中、現地では、日本から参加された審査員の佐藤浩一さんご夫妻をはじめ、多くの方々にお世話になりました。在伯中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。冒頭の写真は、開会翌日の10月26日夜の懇親会時、今回の展覧会のFIPコンサルタントのピーター・マッキャン氏から、審査員としての参加メダルと感謝状を頂戴している場面です。

 今回頂戴したメダルのデザインは、以下のようなモノで、表面にはカンダンゴ像を取り上げた切手展のロゴマークが彫刻されています。

      ブラジリア・メダル

 また、今回の世界切手展は、ブラジル国内切手展<Brapex 2017>と併催の複合イベント<Colecionar 2017>の一部として開催された形式を取っているため、メダルの裏面には<Colecionar 2017>のロゴマークが彫刻されていました。

      ブラジリア・メダル(裏)

 一方、感謝状は下の画像のようなものでした。

      ブラジリア・賞状

 右上のロゴマークでは、<SPECIALZED WORLD STAMP EXHIBITION>となっていますが、感謝状の見出しは<WORLD STAMP EXIBITION>と“EXHIBITION”の“H”が抜けているあたりは、まぁラテンの国らしいご愛嬌といえましょうか。ちなみに、出品者用のメダルは、賞の上下に関わらず、審査員・コミッショナー用のモノと全く同一なので事前に準備されており、作品と一緒に持ち帰りましたが、賞状は審査結果を受けてからの制作で、後日、コミッショナー宛にまとめて送られてくるそうです。その際には、スペルミスが修正されていると良いのですが…。

 なお、今回の切手展の会期初日にあたる24日、ブラジル郵政は、世界遺産・ブラジリアを題材にした切手シートを発行し、その余白に<Brasilia 2017>および<Brapex 2017>のロゴを入れています。切手展の開催を直接的に記念する切手類は、今回はこれだけでした。
 
      ブラジリア・記念切手

 さて、今年の国際切手展は今回の<Brasilia 2017>でおしまいですが、次は、来年(2018年)は5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展には、僕もコミッショナーとして参加することになっており、現在、出品物の応募も受け付けております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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