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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手に見るソウルと韓国:パラリンピック
2018-03-31 Sat 03:03
 『東洋経済日報』3月23日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、前回が平昌五輪を取り上げましたので、今回は(発行日は会期終了後でしたが)平昌パラリンピックにちなんで、パラリンピック関係の切手をご紹介しました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます) 

      ソウル・パラリンピック

 これは、1988年のソウル・パラリンピックに際して、韓国が発行した記念切手で、大会マスコットのコムドゥリが取り上げられています。

 第二次大戦中の1944年、英政府は、戦争で負傷し脊髄損傷になった兵士の治療と社会復帰を目的に、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科(現国立脊髄損傷センター)を開設。所長のルードウィッヒ・グットマンは、スポーツを治療に取り入れ、パンチボール訓練を導入、1945年からは車いすによるポロやバスケットボール、卓球などを導入しました。こうした前史を経て、1948年7月29日、グットマンはロンドン五輪にあわせてストーク・マンデビル病院内で16名(男子14名・女子2名)の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催。これがパラリンピックのルーツとなりました。

 以後、同大会は毎年開催され、1952年にはオランダの参加を得て国際競技会へと発展。1960年、英国、オランダ、ベルギー、イタリア、フランスの5か国により国際ストーク・マンデビル大会委員会(ISMGC)が設立され、グットマンがその初代会長に就任します。ISMGCは、五輪開催年に実施する大会は、オリンピック開催国でオリンピック終了後に実施する意向を表明した。

 これを受けて、ローマ五輪の行われた1960年、ローマで23か国・400名が参加して国際ストーク・マンデビル大会が開催されました。これが第1回のパラリンピックとされています。

 ついで、1964年の東京五輪の直後、東京で国際身体障碍者スポーツ大会が開催され、“Paraplegia(対まひ者)”の“Olympic”=“Paralympic”ということで、パラリンピックという愛称が採用されました。

 東京大会の後、ふたたび、パラリンピックは五輪開催地とは別の地で行われるようになりましたが、年を追って、大会の参加者は車いす使用者だけでなく、さまざまな障碍のある人に拡大していきます。

 一方、パラリンピックの名称は、当初、IOCがオリンピックと類似の名称を使うことを嫌ったため、単なる愛称という扱いでしたが、1985年、IOCはパラリンピックスの名称を使用することに同意(その一方で、オリンピックの名称は禁止)。その際、“パラリンピック”の語は、パラ=Parallel(沿う、並行)+Olympics(オリンピックス)へと解釈変更されました。

 こうして、1988年、ソウル五輪の後に、“パラリンピック”を正式名称とした最初の大会として、ソウルパラリンピックが開催され、61か国3057名の選手が出場。同大会は、オリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを連動させたはじめての大会(オリンピックで使用した会場も使用)となりました。なお、今回ご紹介の記念切手では、英文表示はパラリンピックとなっていますが、当時の韓国ではこの語がまだ一般的ではなかったため、ハングルでは“障碍者オリンピック”と表示されています。

 翌1989年、ドイツのデュッセルドルフで国際パラリンピック委員会(IPC)が創設。2000年にはIOCとIPCとの間で「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」との基本合意が成立し、現在のパラリンピックの枠組ができあがることになります。

  
★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

 テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会)は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。

 入場は無料で、会期最終日の1日15:00からは、内藤が展示解説を行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

<ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手>

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください)

 
★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 きょうからJTPC展です
2018-03-30 Fri 01:24
 きょう(30日)から1日(日)まで、東京・目白の切手の博物館で第9回テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会。JTPC:Japan Thematic Philatelists Club)の切手展が開催されます。今回は、第二次大戦を題材とした作品を御出品の虎頭雄彦さんの御尽力で、きょう・あす(30・31日)の2日間、下のデザインのような小型印が使用されます。(画像はクリックで拡大されます)

      テーマティク出品者の会小型印(2018)

 JTPCは、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き9回目の開催で、1日午後3時頃からは、展示作品の解説も行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)

 今回の切手展には、僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。その作品の中で、戦闘機に関連するマテリアルとして、以下のようなものも含まれています。

      香港・大東亜戦争1周年特印

 これは、先の大戦中の1942年12月8日、日本占領下の香港で使用された“大東亜戦争1周年記念”の特印で、九龍側から、日本軍の戦闘機の翼越しに、香港島セントラルの風景が描かれています。

 第二次大戦における香港での戦闘は、1941年12月8日午前3時51分、日本の第23軍(総兵力3万9700名)が深圳河を渡り、新界の丘陵地帯を九龍に向けて進軍を開始したことで始まりました。

 その後、夜明けとともに36機の日本軍の爆撃機が啓徳空港を空襲。英軍機と義勇軍使用の民間機の計12機が炎上、2機が大破し、英軍側は香港の制空権を喪失しました。

 今回ご紹介の“大東亜戦争一周年”の特印は、香港上空を飛ぶ日本軍の戦闘機が描かれていますが、この図案は、開戦時の空爆の場面をイメージしてデザインしたものかもしれません。

 12月13日までに九龍半島での掃討戦を完了した日本軍は、翌14日、香港島への砲爆撃を開始。18日には日本軍は香港島北岸に上陸を開始します。英守備隊との激しい戦闘の末、19日未明までに渡海作戦を完了して香港島北東部を確保した後、日本軍は香港島南部、赤柱の海軍基地へ向かう部隊と、島の中央部、大平山に立てこもる英軍主力部隊を攻撃する部隊の二手に分かれて進撃。12月23日に黄泥涌の高射砲陣地を陥落させると、翌24日、この地の貯水池を征圧して香港島内の給水を停止させました。

 この結果、香港市街は全面断水に陥り、英側の抗戦継続はきわめて困難となったため、12月25日17時50分、香港島西部の陣地にあったヤング総督とマルトビイ少将がついに白旗を掲げ、19時30分、日本陸海軍司令官は停戦を命じ、ここに香港の戦いは終了。日本軍は英領香港の全域を占領下に置きました。なお、18日間の戦闘で、日本軍が戦死683名、戦傷1413名を出したのに対して、英軍の遺棄死体は1555、捕虜は戦闘間1452名、戦闘後は9495名でした。

 翌1942年1月19日には、香港上海銀行(HKSB)の本店に総督部が設置され、日本軍による香港の占領行政が本格的にスタートし、1月22日からは日本切手を使って占領下での郵便が再開されることになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくご説明しておりますが、今日から開催のJTPC展に出品している僕の作品でも、日本占領下の香港についてのいろいろと興味深いマテリアルの実物を展示しておりますので、ぜひ魁皇にて実物をご覧いただけると幸いです。  
 
  
★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

 テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会)は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。

 入場は無料で、会期最終日の1日15:00からは、内藤が展示解説を行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


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<ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手>

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
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 サウジで世界最大の太陽光発電
2018-03-29 Thu 02:40
 ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長とサウジアラビア(以下、サウジ)のムハンマド皇太子は、27日夜(日本時間28日)、ニューヨークで会見し、世界最大となる計200ギガワットの太陽光発電事業をサウジで始めることを明らかにしました。同国内に建設される太陽光パネルの工場も含めると、2030年までの総事業費は計2000億ドル規模にのぼるそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・太陽光発電(1984)

 これは、1984年にサウジで発行された太陽光発電の切手です。

 北回帰線の直下にあり、1日あたりの日照時間が平均12時間、しかも雨が極端に少ない砂漠地帯のサウジは、もともと、太陽光発電には適した土地と見られており、今回ご紹介の切手が示すように、すでに1980年代には太陽光発電の一部導入が検討されたこともありました。しかし、世界有数の産油国として、国内での石油の値段がタダ同然であることに加え、太陽光発電の技術が未熟で、コスともかなり割高の時代が続いたため、太陽光発電はほとんど見向きもされない時代が長らく続いてきました。

 ところが、近年の経済成長に伴い、国内での石油需要が急増。近年では、全石油生産のうち4分の1が国内で消費されるようになりました。特に、電力会社への石油の販売価格が1バレルあたり4ドル、一般向けの電気料金が1kwあたり1セントとタダ同然であることもあって、電力使用量は急増し、人口3000万でありながら、電力消費量は世界第6位にまで急伸。さらに、発電所などのインフラも古いため、発電効率が悪いこともあって、石油輸出量の15%相当が国内の電力に消費されているのが現状です。

 このため、2010年頃から、このままのペースで電力消費量が増え続ければ、2030年には完全に供給が追いつかなくなるとの予測が出始めます。

 こうした中で、2012年、国営石油会社のアラムコが、オフィスに隣接する敷地面積16万平方の駐車場の屋根に、12万枚以上の太陽光パネルを設置。これが、稼働からわずか数か月で850万kWhを記録したことから、太陽光発電の開発が本格的に進められることになり、2016年には、アラムコとサウジ・エレクトリック社により、国内10か所の太陽光発電プロジェクトの建設が開始されました。

 今回、ソフトバンクが着手するプロジェクトもそうしたサウジの国策に沿ったもので、ソフトバンクがサウジ政府系ファンドなどと設立した10兆円規模のソフトバンク・ビジョン・ファンドが資金を拠出。まず約50億ドルを投じ、2019年までに二つの太陽光発電所(計7.2ギガワット)を建設する計画だそうです。

  
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 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

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 金正恩、電撃訪中
2018-03-28 Wed 15:08
 中国国営通信の新華社は、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、25-28日の日程で北京を訪問し、習近平主席と会談してトランプ大統領との米朝首脳会談の意思を明確にしたことを報じました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      正日中国訪問(2000)

 これは、2000年5月29-31日の金正日訪中を受けて、北朝鮮が発行した切手シートで、「偉大なる領導者 金正日同志 中華人共和国 非公式訪問」の題字の下、切手部分には金正日と江沢民が握手する写真が取り上げられています。

 国家元首(級)の人物の外国訪問に際して、記念切手を発行する国は珍しくありません。その場合、多くの国では訪問日程にあわせて記念切手を発行するのですが、北朝鮮の場合は、訪問が無事に終わったことを確認してから、相手との2ショットの切手を発行するのが慣例となっています。このため、今回の金正恩の訪中に関しても、今後数ヶ月以内に、金正恩と習近平が握手する写真を取り上げた切手が発行されるのではないかと思います。

 さて、今回ご紹介の切手の題材となっている金正日の訪中は、今回の金正恩の電撃訪中とでは、いずれも、①権力継承後初の外国訪問、②事前に日程などが公表されない非公式の秘密訪問、③南北首脳会談(2000年の場合は6月13-15日)を間近に控えたタイミングでの訪問、という共通点があると指摘されています。

 今回の場合は、4月に韓国との南北首脳会談、5月には米朝首脳会談が計画されており、その過程で、朝鮮戦争の休戦協定を平和条約とすることについても話し合われるとみられていることから、北朝鮮としても、当事国の中国(中国は朝鮮戦争に人民志願軍を派遣して国連軍と戦っており、それゆえ、休戦協定にも署名しています)と事前に調整しておかねばなりません。したがって、事前に発表がなかったことや、この日程での訪問は、たしかに“電撃的”なのですが、南北首脳会談以前(おそくとも米朝首脳会談以前)に金正恩が中国を訪問することじたいは、それほど突飛なことではないといえましょう。

 2011年末以降の金正恩政権は、基本的には、“保護者”である中国からの自立を志向しているわけですが、さりとて、今すぐ中国と決定的に敵対するのは非現実的です。そこで、かつての金日成時代に中ソ対立を巧みに利用した“等距離外交”を展開することで生き延びてきた経験をもとに、今度は、トランプ政権が対中圧力を強める現状に対応して、米中対立を利用した等距離外交を志向するというのが現実的な選択となるわけで、今後しばらくは、米中の出方を見ながら行きつ戻りつの外交を展開しながら、中国への依存度を徐々に薄めていく方向を目指すのだろうと思います。

 いずれにせよ、今年に入ってからの朝鮮半島情勢は南北ともに動きが急ですので、大局的な流れをつかむためには、腰を落ち着けて情報をチェックしていくしかなさそうです。その過程で、いろいろ考えたことなどは、インターネット放送チャンネルくららの番組などでもお話ししていこうと思いますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。
       
  
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 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

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 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
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 ガガーリン没後50年
2018-03-27 Tue 21:43
 世界最初の宇宙飛行士、ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリンが1968年3月27日に亡くなってから、今日でちょうど50年です。というわけで、きょうは数あるガガーリン切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ガガーリン(1991)

 これは、1991年にソ連が発行したガガーリンの田型連刷の切手です。切手はガガーリンの宇宙飛行から30周年のタイミングで発行されたものですが、切手が発行された1991年の12月にはソ連は崩壊してしまいますので、ソ連の発行したガガーリン切手はこれが最後の1点となりました。

 ソ連空軍のパイロットだったガガーリンは、1961年4月12日午前9時7分、ヴォストーク3KA-2(ヴォストーク1号)でバイコヌール宇宙基地を飛び立ち、地球を1周した後、10時25分に逆噴射をかけて大気圏に再突入。高度7000mからパラシュートで降下し、無事帰還を果たしました。

 人類初の有人宇宙飛行の成功と同時に、ソ連当局は東西冷戦における自国の優位を示すものとしてこれを大々的に宣伝しましたが、準備段階では、計画は極秘裏に進められていました。ちなみに、ガガーリンは飛行中(帰還後ではなく)に中尉から少佐に二階級特進したことを告げられていますが、そこには、彼が無事に帰還できない可能性が少なからずあると判断したソ連当局の“温情”があったとも言われています。

 宇宙からの帰還後、ガガーリンはソ蓮の宇宙計画の広告塔として世界各国を歴訪していましたが、1968年3月27日、飛行訓練中の事故で亡くなりました。2011年4月に機密解除された当時のソ連政府調査委員会の報告書によると、ガガーリンの事故は、気象観測用気球もしくは鳥との衝突を避けようとして操縦不能に陥ったことが原因だったとされています。

   
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 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

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 4月7日(土)13:00-16:00  
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 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン
2018-03-26 Mon 12:03
 昨年(2017年)10月、スペイン憲法裁判所の差し止め命令を無視して州独立を問う住民投票を実施し、独立宣言を強行したことで、スペイン当局から反逆容疑で指名手配され、ベルギーに逃亡していたカタルーニャ自治州のプチデモン前州首相が、きのう(25日)、フィンランドでのイベントに参加してベルギーへ戻る途中、ドイツ北部シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州で州警察に拘束されました。というわけで、きょうは前首相が拘束された場所にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(1864)

 これは、1864年にシュレスヴィヒ・ホルシュタインのホルシュタインで発行された1¼ シリング切手です。

 ユトランド半島(デンマーク語ではユラン半島)の付け根にあるシュレスヴィヒ公国およびホルシュタイン公国は、中世からデンマークとドイツ諸侯の間で領有権をめぐる対立が繰り返されていました。

 ナポレオン戦争後、プロイセン主導のドイツ再統一の機運が高まるなか、デンマーク王の継承権によりデンマーク王国の勢力下に置かれていた両公国では、住民の多数派を占めるドイツ系が自治とプロイセンへの統合を求めていました。こうした中で、1848年、両公国在住のドイツ人が反デンマークの武装蜂起を行います。この蜂起は失敗に終わりましたが、これを機に、プロイセンが介入して第一次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争が勃発しました。

 デンマーク側はシュレスヴィヒ中北部のデンマーク系住民の支援を受け、ヘルスタート(統一国家)政策と立憲君主制を定めた「六月憲法」を制定して対抗。また、スウェーデンも義勇軍を派遣し、ロシア、英国の圧力もあって、1852年に締結されたロンドン議定書では、現状維持が認められ、デンマークの勝利に終わりました。

 この間、1850年には両公国として最初の切手が発行ましたが、第一次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争でデンマークが勝利すると、この地域にはデンマーク切手が持ち込まれ、使用されることになります。

 その後、1863年にデンマークが憲法を制定し、それをシュレスヴィヒに適用しようとしたことから、対立が再燃。プロイセン首相のビスマルクは、ドイツ系住民の要請を受けたことを理由に、オーストリアを誘って、デンマークに対して第二次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争を起こしました。今回ご紹介の切手は、同戦争の開戦後、占領下のホルシュタインで発行されたものです。

 その後、1865年のガシュタイン条約によって、シュレスヴィヒはプロイセンに、ホルシュタインはオーストリアに割譲されますが、この処分をめぐる対立から、今度は1866年に普墺戦争が勃発。この戦争に勝利したプロイセンが、プラハ条約によりホルシュタインも自国の領土に編入。ドイツ統一によって、シュレスヴィヒとホルシュタインはプロイセンの州としてドイツ帝国領となりました。
 
   
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 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
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      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください)

 
★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー
2018-03-25 Sun 04:07
 きょう(25日)は“奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー”です。というわけで、大西洋を渡ってアフリカから米州に連れて行かれた奴隷に関する切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ブラジル発見400年(奴隷解放)

 これは、1900年1月1日に発行された“ブラジル発見400年”の記念切手のうち、奴隷解放を題材にした1枚で、ポン・ヂ・アスーカルを背景に、奴隷解放の象徴としての天使が描かれています。

 ブラジルでは、ポルトガルによる領有の初期から労働力としてアフリカ各地から奴隷が連行されていましたが、18世紀以降は、ポルトガル領アンゴラを中心とするアフリカ中央部と、西アフリカのコスタ・ダ・ミナ(現在のベナン、ナイジェリア)が奴隷の主な供給源となり、サルヴァドール・ダ・バイーアやレシーフェ、リオデジャネイロ(以下、リオ)などに多くの奴隷が“輸入”され、北東部のサトウキビ・プランテーションや、ミナス・ジェライス州の金鉱山などでの重労働やブラジル各地の家内労働で使役されました。

 1822年の独立後もブラジルでは奴隷制が維持されていましたが、1831年に即位したドン・ペドロ2世はこれを徐々に廃止の方向へと導き、1850年には奴隷貿易を禁止。ついで、1871年9月28日(切手左側の日付)に新生児解放令が発せられ、同法の施行以降に生まれた子供は、親が奴隷であっても、自由人の身分が保障されることになりました。

 その後も、奴隷の労働力に依存したプランテーション地主は奴隷制度の反対に強硬に反対しましたが、1888年5月13日(切手右側の日付)の黄金法をもって奴隷制は完全に廃止されます。ただし、地主層には奴隷制廃止などのリベラルな政策への反発が強く、1889年に軍事クーデターが発生して、帝政は廃止されて共和制が宣言され、皇帝一家はフランスに亡命を余儀なくされました。

 なお、解放された奴隷たちは、職を求めてリオとその周辺に集まってきましたが、それに伴い、彼らによってアフリカ起源の音楽とダンスもリオに持ち込まれます。当初、彼らが主に演奏していたのは、バトゥカーダ(打楽器のみの構成による2拍子の音楽)、ショーロ(管楽器と弦楽器のバンドリン+、カヴァキーニョ、ギター、打楽器のパンデイロを基本構成とし、即興演奏を重視した三部形式の音楽)、ルンドゥー(アフリカ系の軽快な舞踏音楽)などで、ここに、ヨーロッパの舞曲であるポルカやマズルカ要素が入り込み、舞踏音楽としてのサンバが生まれることになりました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 
   
★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

 テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会)は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。

 入場は無料で、会期最終日の1日15:00からは、内藤が展示解説を行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

<ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手>

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください)

 
★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 スプートニクとガガーリンの闇(6)
2018-03-24 Sat 14:02
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、『本のメルマガ』第673号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回からは、スプートニク1号および2号を題材に、国際地球観測年の期間中に東側諸国で発行された切手を順次ご紹介しますが、今回はルーマニアについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・スプートニク1・2号(1957)

 これは、1957年12月20日にルーマニアが発行したスプートニク2号とライカ犬を取り上げた切手です。

 1957年のスプートニク1号・2号の打ち上げ成功後、当事国のソ連以外に、1957年中に記念切手を発行した国としてはルーマニア、東ドイツ、チェコスロヴァキアが挙げられますが、このうち、一番早いのが11月6日に切手を発行したルーマニアです。また、東ドイツとチェコスロヴァキアが“国際地球観測年”の名目でそれぞれ1回ずつ切手を発行しているのに対して、ルーマニアはストレートに人工衛星を題材とした切手を2度に分けて発行しており、その突出ぶりが目立っています。

 第二次大戦勃発直前の独ソ不可侵条約の密約により国土の一部をソ連に奪われたルーマニアは、1940年に独ソ戦が始まると、枢軸側に立ってソ連に宣戦を布告し、一時的にではありますが、失地を回復しました。ところが、1943年降のソ連軍の攻勢によって追い詰められ、次第に戦況はドイツ不利に傾いていったことから、1944年8月23日、ミハイ国王は宮廷クーデターを起こして、親独派のイオン・アントネスク政権を追放するとともに、一転してドイツに対して宣戦を布告し、同年9月には連合諸国との休戦協定を締結しています。

 戦後、ルーマニアは敗戦国となることはなんとか免れたものの、国土にはソ連軍が進駐し、ルーマニア軍兵士13万人が捕虜としてソ連に抑留されました。ソ連占領当局は、国王に対して親共産党政府の任命を強要しましたが、国王はこれをかたくなに拒否。国王の反共姿勢に業を煮やしたルーマニア共産党のゲオルゲ・ゲオルギュ=デジらは、1947年12月30日、シナイアの離宮にいた国王をブカレストに呼びつけ、銃口を突きつけて退位文書への署名を強要しました。これにより、ルーマニア王国は崩壊し、ミハイ国王をはじめ王族はスイスへの亡命を余儀なくされました。

 王制の廃止後は、共産党主導のルーマニア人民共和国が成立。ソ連との友好協力相互援助条約が締結され、ソ連の衛星国として、ソ連憲法をモデルとする新憲法の採択や大企業の国有化、スターリン式の富農一掃と農業集団化、第1次5ヵ年計画が強行されていきます。

 その過程で、ルーマニア国内では共産党内部での熾烈な権力闘争が展開され、土着の共産主義者であったゲオルゲ・ゲオルギウ・デジが権力を掌握し、ソ連派(ソ連からの帰国者)の有力者は粛清されました。もっとも、デジ自身は“小スターリン”として君臨し、スターリン式の政策を推進して、親ソ外交を展開。そして、1956年10月、フルシチョフによるスターリン批判を機に隣国ハンガリーで反ソ暴動が発生すると、デジ政権は率先してソ連軍の介入を支持するなど、ソ連の“忠臣”として行動しました。

 デジからすれば、ハンガリーの反ソ暴動がルーマニア国内のハンガリー系住民(ルーマニアは人口の3分の1がハンガリー系です)に影響を及ぼし、彼らによる反体制活動が起こることは何としても封じ込める必要がありましたから、いわば、“宗主国”ソ連の威を借りるかたちで少数民族としてのハンガリー系の不満を抑え込もうとしたのです。

 そして、土着の共産主義者だったデジは、ソ連との絶望的な実力者を自覚していたからこそ、ソ連に対する“忠誠心”をアピールすることで、大戦後の懸案であった駐留ソ連軍のルーマニア領からの撤退を粘り強く要請し、1958年5月、ついに、悲願のソ連軍撤退を実現させます。

 こうした面従腹背の忠誠心を示すため、1957年11月6日、ルーマニア郵政は、東欧共産諸国の中でもいちはやくスプートニク1・2号の打ち上げを讃える切手(今回ご紹介の切手です)を発行しました。

 この時発行された切手は、タブ(額面のないラベルで、単独では切手として郵便に使うことはできません)を挟んで2種類の切手を3枚連刷にした形式で、左側の25バニ切手にはモスクワのクレムリン上空を周回する人工衛星が、右側の3レウ75バニ切手は地球を周回する2基の人工衛星が、それぞれ描かれています。また、3レウ75バニ切手も注意深く見るとクレムリンが地図中に描きこまれています。

 さらに、中央のタブには、勝利を象徴する月桂樹の上にスプートニク1号および2号の打ち上げの日付を書き、その下には、ルーマニア語で「ソ連の人工衛星打ち上げは、人類普遍の科学技術の勝利である」との文言が入っています。ここでいう“勝利”が、ソ連の米国に対する“勝利”の暗喩ともなっていることは言うまでもありません。

 さて、こうしてデジ政権が“忠誠心”を示し続けた結果、1958年5月、ソ連軍はルーマニアから撤退。年来の宿願を果たしたデジ政権は、1960年代以降、産油国としての立場を生かして次第にソ連からの自立路線を採るようになっていきます。そして、それは後継のチャウシェスク政権にも受け継がれていくことになるのです。

   
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 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

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 李明博元大統領逮捕
2018-03-23 Fri 02:51
 韓国の李明博元大統領が、23日深夜、収賄や背任、職権乱用などの容疑で逮捕されました。韓国大統領経験者の逮捕は4人目で、昨年3月の朴槿恵前大統領の逮捕からは1年ぶりです。というわけで、逮捕容疑とも関連のある切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ソーラーカー(2009)

 これは、李明博政権下の2009年に発行された“グリーンエネルギー”の切手のうち、ソーラーカーを取り上げた1枚です。韓国では自動車を取り上げた切手は少なくないのですが、今回の逮捕容疑に関連する自動車部品会社の“ダース”がシートのメーカーですので、李明博政権下で発行された自動車切手の中から車内に座っている人がはっきり見えるものということで、この1枚を選んでみました。

 さて、ダースは1987年に設立された自動車シートのメーカーで、現代や起亜などの韓国車の90%以上がダース製品を採用しているなど、韓国の国内市場をほぼ独占しています。したがって、この切手に描かれた自動車が韓国車だとすると、運転席の女性が座っているシートもダース社の製品と考えるのが妥当でしょう。なお、ダース社の会長は、書類上は李明博の長兄、李相殷ですが、実質的なオーナーは李明博とみられています。

 李明博は、かつて借名で所有していたとされるソウル・道谷洞の土地を150億ウォンで売却し、その代金をダースに投資して同社の経営権を掌握。さらに、ダースは投資諮問会社“BBK”に累計190億ウォンを投資していました。ところが、2007年の大統領選挙を前に、BBK代表の金敬俊が、①2001年7-10月、オプショナル・ベンチャーズ・コリアの会社資金319億ウォンを横領し、②同年12月-2001年11月、同社の株価を操作、さらに、③2001年5月〜2002年1月、米国の旅券7枚と米ネバダ州法人設立書19枚などを偽造、といった疑いが浮上。その過程で、BBKからダースを通じて、ソウル市長だった李明博に巨額の裏金が流れていたのではないかとの疑惑も持ち上がり、一時、李明博は選挙戦で苦境に追い込まれます。

 しかし、投票日直前、韓国検察当局が李明博は潔白であると発表して捜査を打ち切り、最終的に、李明博は大統領選挙で当選を果たすことができました。その後も、李明博の大統領就任を前に、検察は彼の関連の各種疑惑を捜査し、ダースで130億-150億ウォンの裏金が作られた事実を確認していますが、捜査を中断されるなど、不可解な動きがいくつかありました。

 さらに、李明博の大統領在任中、ダースが米国で訴訟を起こされた際には、訴訟費用60億ウォン余をサムスン電子に肩代わりさせ、その見返りに、脱税で有罪判決を受けていたサムスン電子社長の李健熙に恩赦を与えたとの疑惑(平昌五輪招致のため、元IOC委員としての李健熙の経験と能力は余人をもって代えがたい、というのが恩赦の表向きの理由でしたが…)も指摘されています。

 このほかにも、逮捕状には記載されたのは収賄容疑のほか横領や脱税など12の容疑が記載されていますが、今後の追加捜査次第では、容疑は20近くにまで増える可能性もあり、収賄額は約110億ウォン、裏金は約350億ウォンに上るとされています。
 
   
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 4月7日(土)13:00-16:00  
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 放送記念日
2018-03-22 Thu 01:04
 きょう(22日)は、NHKラジオ第1放送が、1925年3月22日に東京都港区芝浦の仮送信所でラジオの仮放送を開始したことを記念して、いまから75年前の1943年に制定された“放送記念日”です。というわけで、放送関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ラジオリベルデ50年

 これは、2008年にキューバで発行された“ラジオ・リベルデ50年”の記念切手で、シエラ・マエストラ山中からゲリラ放送を行うチェ・ゲヴァラが描かれています。

 1953年7月26日、フィデル・カストロらは親米独裁のバティスタ政権打倒をめざして、キューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。しかし、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいます。その後、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲヴァラ(チェ・ゲヴァラ)と知り合い、意気投合します。

 メキシコでのカストロは、反政府組織“7月26日運動(M26)”を軸に、キューバ遠征のための資金の調達とゲリラの訓練を開始。そして、1956年11月25日、グランマ号でメキシコのトゥスパンを出港し、12月2日にキューバへ上陸しました。上陸後すぐにカストロらはバティスタの政府軍に包囲され、命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、兵力はわずか17名(このうちの5名は途中で合流した農民である)にまで減少。こうして絶望的とも思われたカストロの革命でしたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、各地の農村から集まってくる志願兵を受けいれるかたちで徐々に勢力を盛り返していきます。

 今回ご紹介の切手の題材となっている“ラジオ・レベルデ”は、そうした反バティスタの革命闘争の過程で、1958年2月20日、叛乱側の放送局として、シエラ・マエストラ山中で誕生しました。

 ラジオ・レベルデは、まず、ラ・メサでアマテュア無線の周波数にあわせた試験放送を行った後、ゲヴァラの指示で“放送局”をアルトス・デ・コンラードに移動。さらに、アナウンスができるオレステス・バレーラとリカルド・マルティネスを加え、2月24日、「こちらは叛乱軍放送、シエラ・マエストラの声です。全キューバに20メートルバンドの周波数帯で、毎日、午後5時から夜の9時まで放送します」との第一声を送信しました。

 放送が開始された時のことを、ゲヴァラは「局のすぐ前に住んでいる農民と野営地を訪問中のフィデル(カストロ)以外にいなかった」と自嘲気味に回想していますが、ラジオ・レベルデの周波数帯は長距離用だったため、キューバ国内よりも、むしろ、国外での聴取に適していました。このため、ラジオ・レベルデの放送は、まず、ヴェネズエラでキャッチされ、そこから同国のラジオ・ルンボスやラジオコンティネンタ、ついでコロンビアのラジオ・カラコルとネットワークを形成することで、キューバ国内にもリスナーを広げていくことになります。

 その後、カストロとゲヴァラの叛乱側が攻勢を強めていくと、彼らの戦果はラジオ・レベルデを通じて一般のキューバ国民にも知られようになり、そのことが、ますます叛乱軍が国民の支持を得ていくという好循環をもたらし、革命の成就に大いに貢献しました。

 さて、ことし(2018年)6月はゲヴァラの生誕90年にあたっているため、この機会をとらえ、ゲヴァラとキューバ革命に関する書籍を刊行すべく、現在、鋭意制作中です。書籍の正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。  

   
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 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

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 HAPPY NAVRO‘Z!
2018-03-21 Wed 00:43
 今日(21日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ウズベキスタン・ノウルーズのサマルカンド

 これは、2006年にウズベキスタンが発行した切手(切手の表示は2005年になっていますが、実際の発行は2006年にずれ込んでいます)で、現代ウズベキスタン画壇の巨匠、ガフール・アブドゥラフマノフの作品『サマルカンド ノウルーズ』が取り上げられています。

 ノウルーズのアラビア文字表記はنوروز ですが、これをペルシャ語とみた場合、そのラテン文字への転写は、nowruz (カタカナ表記でノウルーズ)とするのが一般的です。ただし、ウズベキスタンの公用語であるウズベク語では、今回ご紹介の切手に見られるように、navro‘z と表記するのがスタンダードですので、記事のタイトルもそちらを使ってみました。

 さて、イスラム世界では預言者ムハンマドと信徒たちがメッカからメディナに移住し、イスラムの共同体を作った“ヒジュラ”のあった年を紀元とするヒジュラ暦が使われていますが、このヒジュラ暦は完全太陰暦で、かつての日本の旧暦のように閏月を入れて調整するということは行われていませんから、毎年、11日ずつ、太陽暦の日付とズレが生じます。

 このため、イスラム世界の各地では、イスラム暦とは別に、太陽暦に連動した農事暦が用いられることも多く、イランの場合は、イスラム以前から使われていたイラン暦として春分を元日とした太陽暦も用いられています。

 この元日が、いわゆる“ノウルーズ”(直訳すると“新しい日”の意味)と呼ばれるもので、イランを中心に中央アジアの5共和国でも祝日になっています。また、クルド人がノウル-ズを祝う習慣があることから、トルコではクルド人に対する宥和政策の一環として国民の休日に指定されているほか、イラク国内のクルド人自治区(クルディスタン)でも、ノウルーズは祝日に指定されています。ただし、ノウルーズはイスラム圏全体に共通の行事ではなく、アラブ世界ではほとんど無視されているのが実情です。

 さて、今回ご紹介の切手の『サマルカンド ノウルーズ』は、ガフール・アブドゥラフモノフ(アブドゥラフマノフとも)の1992年の作品で、ノウルーズの日の古都サマルカンドの遠景を描いています。アブドゥラフモノフは1940年生まれで、1960年に『アングレン 秋』を発表したのを皮切りに、『朝』(1963年)、『家族』(1971年)等の作品で画壇に地位を確立しました。幻想的な画風の風景画で知られ、1990年代には、サマルカンドに題材を取った『サマルカンド サマルカンド』、『サマルカンド かつての隊商の道』、『地震』、『サマルカンド旧市街』などの連作を発表しています。

   
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 太陽の塔、内部の公開始まる
2018-03-20 Tue 03:37
 1970年の大阪万博のシンボルで、大阪府吹田市の万博記念公園にある“太陽の塔”内部の一般公開が、きのう(19日)から48年ぶりに始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      太陽の塔(戦後50年)

 これは、1996年6月24日に発行された“戦後50年メモリアルシリーズ”第2集のうち、日本万国博覧会(大阪万博)を取り上げた1枚で、“お祭り広場”中央(やや南寄り)に、広場を覆う銀色のトラスで構築された大屋根から上半分がつき出す形で建てられた太陽の塔が取り上げられています。

 芸術家・岡本太郎の代表作で、大阪万博のシンボル“太陽の塔”は、塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。未来を表す黄金の顔、現在を表す正面胴体部の太陽の顔、過去を表す背面の黒い太陽の3つの顔を持っています。

 当初、太陽の塔は万博終了後に取り壊される予定でしたが、撤去反対の署名運動があったため、博覧会跡地に整備された万博記念公園内に残され、1975年1月23日、施設処理委員会によって正式に永久保存が決定されました。ただし、塔内部は万博終了後は閉鎖され、不定期に一時的な一般公開が行われるのみとなっていました。

 その後、老朽化のため、2008年以降は公開が中止されていましたが、約2年前から塔の耐震工事と展示物の再生作業が進められ、その完了を受けて、今回の公開となったというわけです。塔内は、万博の会期中同様、色鮮やかな幹や枝が特徴の“生命の樹”を中心に33種183体の生物のオブジェが配され、階段を上がりながら進化の過程を螺旋状にたどれるようになっており、万博閉幕後に行方不明となっていた“第4の顔(地底の太陽)”も、地下の展示空間に復元されました。なお、見学にはインターネットの専用サイトからの事前予約が必要で、既に7月中旬まで埋まっているそうです。

 ちなみに、大阪万博の切手と郵便については、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

   
★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

 テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会)は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。

 入場は無料で、会期最終日の1日15:00からは、内藤が展示解説を行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


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      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 大坂なおみ、ツアー初優勝
2018-03-19 Mon 11:22
 きのう(18日)、テニスの4大大会に次ぐ格付けの“WTAプレミア・マンダトリー”のBNPパリバ・オープンの女子シングルス決勝が米カリフォルニア・インディアンウェルズで行われ、世界44位の大坂なおみが優勝しました。WTAプレミア・マンダトリーでの日本勢女子の優勝は史上初の快挙です。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイチ・デュヴァリエ革命10年

 これは、1967年にハイチで発行された“デュヴァリエ革命10周年”の記念切手で、大統領とフランソワ・デュヴァリエと七面鳥のシルエットが描かれています。

 1956年末、ハイチではクーデターが発生し、軍事独裁政権が発足しました。翌1957年、民政復帰のために行われた大統領選挙では、厚生相・労働相などを歴任したフランソワ・デュヴァリエが“黒人主義”を掲げて当選。今回ご紹介の切手は、ここから起算して10周年になるのを記念して発行されたものです。

 フランソワは、当初、“進歩派”とみられていましたが、当選翌年の1958年に反デュヴァリエ派のクーデターが鎮定するとこれを機に一挙に独裁化。1964年には終身大統領となり、ヴードゥーの信仰を悪用した個人崇拝を国内に浸透させて国家を私物化し、秘密警察トントン・マクートを駆使して反対派とみなされた国民を容赦なく逮捕・拷問・殺害するなどの恐怖支配を展開しました。

 フランソワは1971年に亡くなりますが、その後、大統領職は息子のジャン・クロードが世襲し、暗黒の独裁時代は1986年にジャン・クロード政権がクーデターで打倒されるまでの約30年間続くことになります。

 デュヴァリエ政権崩壊後の1990年12月、ハイチでは史上初の民主的選挙が実施され、ジャン・ベルトラン・アリスティッドが大統領に当選しましたが、翌1991年9月の軍事クーデターによりアリスティッドは国外に退避。これに対して、国際社会、特に米国は軍の退陣を強く要求し、1994年10月、国連他国籍軍が介入する中で、アリスティッドが帰国し、政権に復帰しました。

 しかし、その後も政治的混乱が続き、1999年1月以降、国会議員の任期切れにより国会は事実上の機能を停止します。また、2000年の大統領選挙ではアリスティッドが当選しましたが、野党側は両選挙の無効を主張し、大統領退陣運動が激化。2004年に入ると、反政府武装勢力による主要都市の占拠が相次ぎ、2月29日、アリスティッドは亡命を余儀なくされました。

 このため、国連安保理は、ハイチ情勢安定化のための暫定多国籍軍を派遣。2004年6月1日には国連ハイチ安定化ミッションが発足し、2006年の大統領選挙ではルネ・ガルシア・プレヴァルが当選します。プレヴァル政権下で治安情勢は徐々に安定するかにみえましたが、2008年4月には国際的な食糧の高騰の影響で物価が暴騰したことをめぐり、大規模なデモが発生。またもや情勢が不安定しつつある中で、2010年に大地震が発生し、混乱はさらに深まりました。

 このように、デュヴァリエ政権以降、混乱が続く中で、多くのハイチ国民が海外に亡命。彼らの多くは亡命先として、地理的に近い米国、ハイチの公用語であるフランス語が通用するカナダのケベック州、そしてフランス本国を選んだ。この結果、ニューヨークとマイアミ、モントリオール、パリに巨大なハイチ人コミュニティが誕生します。

 大坂なおみ選手の父親、レオナルド・フランソワ氏は、こうした状況の下で、ハイチに生まれ、家族とともにフロリダに渡ったハイチ系米国人で、1994年から2000年まで、日本で英会話の教師をしていた際に、なおみ選手の母親である環さんと出会い、結婚。1997年に夫妻の2女として、なおみ選手が生まれました。その後、なおみ選手が4歳の時に、一家はフロリダに移住しています。

 なお、ハイチの現代史と切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

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 世界の切手:ベルギー
2018-03-18 Sun 15:21
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』3月7日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はベルギー(4回目)を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ベルギー・トラピストビール3種

 これは、2015年に発行された外信用無額面永久保証切手のうち、トラピスト・ビールを代表する3銘柄、(左から)オルヴァル、ウェストマール、シメイを取り上げた1枚です。

 1098年、ベネディクト修道会を母体に、モレームのロベールがフランス・ブルゴーニュ地方のシトー(現在のサン=ニコラ=レ=シトー)で厳格な規律を重視するトラピスト会(厳律シトー会)を創立。同会は、12世紀にクレルヴォーのベルナルドゥスによって大きく発展し、全欧州に約1800の修道院を持つまでに発展します。

 19世紀以降、トラピスト修道会でつくられるビールのうち、①トラピスト会修道院の敷地内あるいは隣接する醸造所で造られる、②醸造所の経営が修道院の管理下にある、③ビールの収益が地域社会とその慈善事業などに還元される、との3条件を満たしたものは“トラピスト・ビール”と総称され、ベルギーのビール文化を代表する存在となりました。

 切手に取り上げられたビールのうち、左端のオルヴァルは、11世紀に創立されたオルヴァル聖母修道院で、1931年から醸造されています。修道院はフランス革命時に破壊され、その後、長らく放置されていましたが、1926年に再興され、その資金を捻出するための手段として、ドイツ人技術者を招いて醸造所が建てられました。オルヴァルの1銘柄のみで、ピン型の瓶と聖杯型のグラスがトレードマークとなっています。

 中央のウェストマールは、アントウェルペン(アントワープ)北東30キロのウェストマール修道院で1836年から生産されており、1921年に商業販売が開始されました、一般販売用にはダブルとトリプルの2銘柄があります。

 右端のシメイは、 ブリュッセルの南120キロの地点にあります、この地では、11世紀頃からビールの醸造が行われていましたが、1862年、地元の失業者の雇用対策として、スクールモン修道院でトラピスト・ビールの生産が始まりました。ルージュ、トリプル、ブルー、ドレーの4銘柄がありますが、切手に取り上げられたブルーはラベルに製造年が入っており、数年に渡り熟成保存が可能です。

 さて、『世界の切手コレクション』3月7日号の「世界の国々」では、ベルギー・ビールについての長文コラムのほか、桜桃、マース川、アヘル村のベネディクトゥス修道院、ヌルシアの聖ベネディクトゥス、オルヴァルのマス、“主要3宗教の融和”の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のベルギーの次は、14日発売の3月21日号での韓国(と一部ルワンダ)の特集になります。こちらについては、発行日の21日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 
 
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 東京でソメイヨシノ開花
2018-03-17 Sat 16:30
 気象庁は、きょう(17日)午後、東京でソメイヨシノが開花したと発表しました。平年より9日早く、昨年より4日早い開花です。というわけで、桜を取り上げた切手の中からこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エルサルヴァドル・対日国交70年

 これは、2005年12月20日にエルサルヴァドルが発行した日本との国交70周年の記念切手で、握手する手の下に両国の国花・国旗が描くデザインで、日章旗の上にはしっかりと桜の花が見えます。

 1931年、エルサルヴァドルでは同国初の自由選挙による大統領選挙が行われ、工業化と税制改革を訴えたアルトゥーロ・アラウホ・ファハルドが、軍の実力者、マクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス将軍と労働党の支持を得て当選。エルナンデスは副大統領兼国防相に任命されました。

 アラウホ政権は社会改革をめざす労働党の憲法草案を承認したものの、大地主と軍部はこれに抵抗。時あたかも、世界大恐慌の影響でコーヒーの国際価格が暴落し、コーヒー・モノカルチャーに支えられていたエルサルヴァドル経済は壊滅的な打撃を受け、国家収入は4年前の半分、労働者の賃金は半分以下に暴落し、財政も崩壊しました。

 そうした中で、保守派がアラウホへの攻撃を強める一方、腐敗を繰り返す政権与党の労働党に対する批判から、共産党が急速に影響力を拡大。このため、1931年12月、左右両派からの突き上げに立ち往生したアラウホは政権を投げ出し、後継者として副大統領のエルナンデスを指名しました。
 
 大統領代行となったエルナンデスは、翌1932年1月に地方選挙を実施すると公約する一方で、左翼勢力の弾圧を開始。これに対して、共産党は武装蜂起の準備を進め、学校教員を中心としてエルサルヴァドル赤軍を組織します。

 その後、1932年1月5日に行われた地方選挙では共産党候補が大量に当選しましたが、政府はこれを認め、占拠を無効とします。さらに、同月20日、共産党による武装蜂起の計画が発覚し、共産党指導者が一斉に逮捕されると、追い詰められた左派農民は、サンタアナ、アウアチャパン、ソンソナーテで武装蜂起しましたが、エルナンデスはこれを徹底的に弾圧。ソンソナーテ県イサルコ地方を中心に3万人が虐殺されました。そして、2月1日には、武装蜂起の首謀者としてファラブランド・マルティが処刑され、以後、13年間にわたるエルナンデス独裁を含む軍政の半世紀が開幕します。

 エルナンデス政権は、コーヒー保護法を制定し、道路建設を中心としたインフラ整備を進めたため、経済は急速に回復。その一方で、「人間の死よりも蟻の死の方が重いのだ。人間にとって死は転生の始まりだが、蟻にとって死は永遠であるから」との言葉に見られるように、人命を軽視した人権抑圧や神秘主義への傾倒による個人的な奇行などもあって、次第に国民の不満は鬱積。1944年4月に発生したゼネストが、学生、知識人の支持を得て反政府運動に発展したことで、5月8日、退陣に追い込まれました。

 さて、エルナンデス政権は対外政策の面でも独自路線を展開し、1934年5月19日には満洲国を国家承認しています。これは、日本を除くと、世界で最初の満洲国承認国となりました。その背景には、1932年にエルナンデス政権が発足した際、米国や中米諸国その他の各国が、革命政権不承認の原則をうたう1923年の中米条約を尊重して、同政権承認を行なわなかったのに対して、日本がエルナンデスの大統領就任通知の親書に丁寧な返書を寄せたことが影響したためとされています。

 また、満洲国承認に先立つ1933年、エルナンデス政権は移民法を改正して日本人に対する入国禁止を是正したほか、1934年秋には東京で開催された万国赤十字会議にエスピノザ副大統領を派遣し、総領事を駐派するなど日本との関係が深めようとしていました。

 ところが、1933年まではエルサルヴァドルが日本人移民を受け入れていなかったこともあり、1934年の時点では、日本とエルサルヴァドルとの間には正式な外交関係が樹立されないままの状態となっていました。そこで、1935年2月、メキシコ駐在の堀義貴公使が、エルサルヴァドル、グアテマラ、ホンジュラスニカラグア、コスタリカの5ヶ国へ兼任公使として着任することになり、同年6月から8月にかけて、堀公使がこれら諸国の大統領を訪問して信任状を捧呈。各国大統領からは答翰の親書が送られたことで、ようやく、エルサルヴァドルを含む中米5ヶ国と日本との間に正式な外交関係が樹立されることになりました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して70周年になるのを記念して発行されたものです。

 
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 ハラブジャ事件30年
2018-03-16 Fri 16:39
 イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日に クルド人自治区のハラブジャに対してイラクが化学兵器を使用し、約3000人(諸説あります)を殺害したとされる“ハラブジャ事件”が起きてから、今日で30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ハラブジャ事件

 これは、1988年4月26日、ハラブジャ事件を非難するためにイランが発行した切手で、イラクの首都バグダードとハラブジャの位置関係を背景に、イラクの化学兵器に斃れるクルド人が描かれています。

 イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年にクルド人自治区が設置されていました。しかし、イラン・イラク戦争が勃発し、戦場が次第にイラク不利となっていく中で、クルド人自治区ではイラクからの分離独立運動が高揚。これに対して、クルド系住民がイランに内通していると考えたサッダーム政権は、クルド人自治区のイラン国境に近い地域を中心に“アンファル作戦”を発動し、マスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用して多くのクルド系住民を殺害しました。

 今回ご紹介の切手の題材となったハラブジャ事件はその最大のもので、事件直後、現地に入ったイラン軍が“異常”を察知し、世界のジャーナリストを現場に招いたことで、その惨状が世界に知られるようになりました。今回ご紹介の切手は、この流れに沿って、イラクに対する国際的な非難の世論を喚起する一手段として発行されたものです。

 これに対して、イラクのサッダーム政権は「事件はイランの仕業」と主張して関与を否定。さらに、国際社会の大勢は、イランからのイスラム革命の拡大を懸念してイラクを支持していたため、当時、ハラブジャ事件をほぼ黙殺していました。

 なお、サッダーム政権下で、ハラブジャ事件を含むクルド人弾圧の中心的役割を担っていたアリー・ハサン・マジードは、化学兵器を使用したことから、欧米メディアでは“ケミカル・アリー”とも呼ばれていましたが、サッダーム政権崩壊後の2003年8月21日、サーマッラーで米軍に拘束された後、イラク特別法廷で4回の死刑判決を受け、2010年1月25日、絞首刑に処せられました。

 * 昨日(15日)NHKラジオ第一放送で放送の「ごごラジ・マニア的電話座談会」は無事に終了しました。リスナーの方々ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。なお、15日の放送につきましては、3月22日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 
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 TAXE
2018-03-15 Thu 10:53
 ★★★ 緊急告知!★★★

 本日(15日・木)15:10頃~ NHKラジオ第1放送の「NHKごごラジ!パイロット」の「マニア的電話座談会」のコーナーに、内藤が電話出演します。テーマ(予定)は「好きなことを続けるためのマイルール」です。よろしかったら、ぜひお聴きください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 所得税の確定申告は今日(15日)までですが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ませたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリ、先ほどようやく書類を提出したところです。というわけで、毎年恒例“TAX”ネタとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・T加刷(1948)

 これは、イスラエル建国当初の1948年5月に発行されたイスラエル最初の切手に、万国郵便連合の公用語、フランス語で郵便料金(=郵税)を意味する“TAXE”の頭文字の“T”の文字を加刷し、暫定的に不足料切手として使用したものです。

 1947年11月29日、国連でパレスチナ分割決議が採択されると、パレスチナは事実上の内戦に突入し、1948年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立。新国家樹立に向けての具体的なスタートを切り、英国撤退の軍事的空白を利用して、イスラエル建国に向けて、準備を進めていきました。

 こうしたなかで、1948年5月14日、ユダヤ人国家“イスラエル”の建国が宣言され、これにあわせて古代通貨を描くイスラエル最初の切手が発行されましたが、その切手には、“ヘブライ郵便”との表記はあるものの、“イスラエル”との表記はありません。これは、切手の制作時にはまだ新国家の正式な国号が決定されていなかったことによるもので、このことからも、イスラエル国家の建設準備がいかに慌ただしく進められたか、イメージがわいてきます。 

 こうした事情でしたから、1948年5月28日にヘブライ文字を加刷した正規の不足料切手が発行されたものの、それらの配給が間に合わなかったハイファなどでは、今回ご紹介の切手のように、“T”の文字を暫定的に加刷したり、通常切手を“T”の印で抹消したりして対応することも行われました。

 なお、イスラエル建国とその前後の郵便事情については、昨年刊行の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 泰国郵便学(53)
2018-03-14 Wed 00:24
 ★★★ 緊急告知!★★★

 あす(15日・木)15:10頃~ NHKラジオ第1放送の「NHKごごラジ!パイロット」の「マニア的電話座談会」のコーナーに、内藤が電話出演します。テーマ(予定)は「好きなことを続けるためのマイルール」です。よろしかったら、ぜひお聴きください。
 なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第1号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・チャクリー宮殿(1976)  

 これは、1976年12月5日、国王ラーマ9世の誕生日にあわせて発行された宮殿シリーズのうち、チャクリー・マハー・プラーサート宮殿(チャクリー宮殿)を取り上げた2バーツ切手です。ついでですので、2013年に撮影した宮殿の実物の写真も下に貼っておきます。

      バンコク・チャクリー宮殿(2013実物)

 1976年はラーマ9世の即位30周年にあたっていましたが、そのことを直接記念する切手は発行されませんでした。ただし、おそらくその代替として、同年の国王誕生日にあたる12月5日、王宮の宮殿を題材とした4種セットの切手(宮殿シリーズ)が発行されています。

 1973年の10月14日事件以降、民主化が進行していく中で、石油危機とヴェトナム戦争終結による軍需景気の終焉により経済状況は悪化。労働組合の抗議活動によってモムラーチャウォン、セーニー・プラーモート連立政権が譲歩を迫られると、保守派や軍部は政府の弱腰を批判し、それを学生らが“民主主義の危機”と糾弾して集会を呼びかけるなど、情勢は混沌としていました。

 また、1975年にはヴェトナム戦争の終結からわずか7ヶ月余の間に、インドシナ三国が相次いで共産化します。これを受けて、タイ社会には、米軍がヴェトナム戦争に介入した大義名分、共産化ドミノ理論は“正しかった”のであり、共産化の波がタイにも押し寄せるのではないかとの不安が広がり、急進的な民主化にはブレーキをかけるべきとの空気が充満。1976年の総選挙では保守派が前年の選挙を大幅に上回って勝利しました。

 こうした中で、総選挙後の議会混乱から軍事クーデターが噂されるようになると、タイ全国学生センター(NSTC)執行部は“民主主義擁護”を掲げ、政府の経済対策強化、日本製品不買運動(貿易赤字対策)、タイ駐留米軍への抗議などの集会を頻繁に開催し、労組活動家や左派系市民を動員しましたが、穏健派の中産階級は彼らを支持せず、その結果、孤立した左派勢力はますます先鋭化していきます。

 一方、左派勢力の伸長に対して、国内治安維持部隊(1965年に発足のコミュニスト制圧部隊が、1973年の政変を経て改組された組織)が反共準軍事組織の“クラティンデーン(赤い野牛)”を組織したほか、1974年10月には「共産主義者を殺すことは仏法にかなう」と主張するキティウッドが“ナワポン(9つの新しい力)”を結成。さらに、1975年には、王室の援助賛同の下、農村部の住民を組織してビレッジ・スカウトが結成されました。ビレッジ・スカウトは、警察などの活動を支援する自警団組織で、王室から下賜された制服とネッカチーフを着用し、農村部での左派活動家のオルグ活動を阻止しています。

 クラティンデーンは、1975年8月、学生運動の拠点だったタンマサート大学を襲撃したほか、1976年2月15日には新勢力党本部を爆破。さらに、3月3日にはラーマ6世技術学校爆破事件、6月10日にはNSTC機関紙印刷所爆破事件などが右派組織によって起きています。

 1976年8月16日、1973年の政変で亡命したプラパート・チャルサティエン元副首相が帰国すると、翌17日、これに反対するNSTCは王宮前広場に約1万人を動員して、元副首相の断罪を求める集会を開催。これに対して、8月21日、右派活動家がタンマサート大学構内で学生を襲撃し、2名が死亡、36人が負傷した。プラパートは国王の説諭を受け、翌22日に台北に出国しました。

 一方、おなじく1973年の政変後、米国に亡命していたタノーム・キッティカチョーン元首相はシンガポールに移り、「高齢の父親の看病と、母親の付き添い介助」を理由にタイ政府に対して帰国を申請。プラパートの先例から治安の悪化を懸念する政府はこれを拒絶しましたが、タノームはシンガポール市内のタイ系仏教寺院で出家し、9月19日、僧侶として強引に帰国します。

 これに対して、9月25日、バンコク近郊のナコーンパトムでタノームの帰国に抗議するポスターを貼っていた地方配電公社の労組活動家2人が殺害される事件が発生。10月4日、シースック警察局長は現職警察官の事件への関与を認めたため、同日、NSTCはタンマサート大学のサッカー場で抗議集会を開催。その際、労組活動家殺害事件を題材とした寸劇が上演され、その模様は新聞に写真つきで報じられました。

 すると、翌5日、クラティンデーンとナワポンの活動家は、新聞に掲載された犯人役がワチラーロンコーン王子に似ているのは王室侮辱であるとして、大学を包囲して抗議活動を展開。学生側は引き続き徹夜で集会を続けていましたが、6日朝、国境警備警察と右派集団が構内に突入し、二方向から武装と火器で集会参加者を攻撃し、多数の犠牲者が発生。午前11時頃までに、少なくとも46名が死亡、167名が負傷し、集会参加者の約1000人は反乱分子として警察に連行されました。

 事件後の6日午後6時、海軍大将で国防相のサガット・チャローユーは、①王制を破壊し、国家を転覆させようとする共産主義者がヴェトナム人と結託して警察を攻撃した、②一部の閣僚、政治家やマスコミ機関が共産主義者を支援して混乱を拡大させたが現政府はこの危機に対処する能力がない、として軍事クーデターを宣言し、セーニー・プラーモート政権に代わる国家統治改革評議会を設置し、新首相として元最高裁判所判事のターニン・クライウィチエンを擁立します。

 いわゆる“血の水曜日事件”です。

 事件後、社会的な安定の回復を急務としていた改革評議会は、国民統合の象徴としての王室の権威を最大限に活用します。その意味では、今回ご紹介の切手を含む“宮殿シリーズ”の切手もまた、事件の記憶も生々しい12月5日の国王誕生日にあわせて発行され、結果的に政権を支えるプロパガンダの役割を果たすことになったと言ってよいでしょう。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられているチャクリー宮殿は、バンコクの王宮の敷地のほぼ中央に位置しており、同宮殿から南の方向へ付属の宮殿群が展開するレイアウトになっています。

 もともと、チャクリー宮殿の周辺は、ラーマ5世が幼少期を過ごした場所でした。当時の王室の慣例では、即位後の王は敷地東側のプラー・マハー・モンティエンに生活の場を移すのが慣例となっていましたが、即位後のラーマ5世は、プラー・マハー・モンティエンに移るよりも、それまで住んでいた“東宮御所”の増築を決断。1876年5月7日、シンガポールの建築家、ジョン・クラニッチの設計・監督の下、チャクリー宮殿の建設に着工し、1882年に宮殿は完成しました。(下の画像は、2013年に撮影した宮殿の写真です)
      
 当初、ラーマ5世は、チャクリー宮殿を純然たるルネサンス様式の洋風建築として建設する意向でしたが、クラニッチから、タイの伝統的な建築様式を加えたほうがよいとの進言を受け、屋根の部分にタイ風を取り入れた折衷様式の宮殿に仕上がりました。現在は王族の納骨堂となっており、軒下は武器博物館として、一般に公開されています。

 なお、 チャクリー宮殿を含むバンコク市内の宮殿については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろご紹介していおりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 ジバンシィの切手
2018-03-13 Tue 00:22
 フランスのブランド、ジバンシィ(Givenchy)の創業者でデザイナーのユベール・ド・ジバンシィ氏(以下、敬称略)が、今月10日に亡くなっていたことが、きのう(12日)、明らかになりました。享年91歳。謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ジバンシー

 これは、2007年のヴァレンタイン用にフランスが発行した切手で、ジバンシィがデザインを担当しています。フランスでは1999年からハート形のバレンタイン切手を発行していますが、翌2000年にイヴ・サンローランを原画作者として起用したのを皮切りに、毎年、有名デザイナーが原画制作を担当しています。ジバンシィは、その8番目、2007年の切手を担当したというわけです。

 さて、ユベール・ド・ジバンシィは、1927年2月21日、ボーヴェ生まれ。父親は公爵の称号を持つ貴族の家系の出身でしたが、
2歳の時に死別し、以後、タペストリー工場を経営する祖父に育てられました。

 17 歳の時にパリに出て、見習いとしてクチュールメゾンに入社。ジャック・ファトで働きながら、エコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)でデザインを学び、1946年にはロベール・ピゲ、1947年にはリュシアン・ルロンでの勤務を経て、同年後半にエルザ・スキャパレリに入社しました。その後まもなく、ヴァンドーム広場にあるスキャパレリ ブティックのアーティスティック・ディレクターに就任します。

 1951年、24歳での初コレクションでは資金の制約もあり、コットン素材のシンプルなドレスやブラウスを発表して注目を集め、翌1952年2月、パリ8区のアルフレッド・ド・ヴィニ通りに自らの名を冠したメゾン“ジバンシィ”を設立しました。

 1953年夏、女優オードリー・ヘップバーンと知り合い、翌1954年、彼女の主演映画『麗しのサブリナ』の衣装を担当したことで世界的な知名度を獲得し、1955年、“自由なライン”として発表したウエストもヒップもないシュミーズドレスは“革命的な衣装”として反響を呼びました。

 1995年にデザイナーを引退するまでの間に発表された作品のうち、歴史の教科書などにも登場するものとしては、1961年の映画「ティファニーで朝食を」でヘプバーンが着ている黒いドレスのほか、1963年のケネディ米大統領の葬儀の際にケネディ家の女性たちが着ていた喪服などがあります。
 

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 石垣市長選、現職・中山氏3選
2018-03-12 Mon 01:09
 きのう(11日)、投開票が行われた沖縄県石垣市長選は、与党などが支援する現職の中山義隆氏(自民、公明、維新推薦)が、翁長雄志知事が支える前市議の宮良操氏(民進、共産、自由、社民推薦)ら新人2人を破り、3選を果たしました。というわけで、きょうは石垣市(石垣島)関連でこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・宮良殿内

 これは、1964年11月1日、米施政権下の沖縄で発行された“文化財保護協調週間”の切手で、石垣島の石垣港の北400メートルの地点にある宮良殿内(みやらどぅんち、めーらどうぬじい)が描かれています。

 宮良殿内は、宮良家8世の宮良親雲上当演が宮良間切の地頭職(八重山頭職)にあった1819年頃、首里の士族屋敷を真似て建造されました。ちなみに、殿内とは地頭職の者の邸宅のことです。

 宮良殿内の敷地面積は462坪。屋敷は石垣で囲われ、南面には四脚門と、瓦と土を積んだ仕切り屏があります。母屋はイヌマキを主材とした木造瓦葺・平屋建で、部屋数は12間。一番座(客間)の東側には、首里の庭師・城間親雲上の作とされる和風の枯山水庭園があり、国の名勝に指定されています。

 かつての琉球王国では、厳格な身分制度が敷かれており、住宅についても階級によって細かな規定がありました。宮良殿内は、この規定に比べて、八重山頭職には分不相応として、5回にわたって取り壊しを命じられました。これに対して、宮良家は抵抗をしていましたが、1875年、検使の譴責により茅葺に葺替えられてしまいました。その後、1899年には再び瓦葺に戻され、現存する唯一の殿内構造の建築として、資料的にも重要な価値を持っています。 

 
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 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


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 フレンチ・インディア
2018-03-11 Sun 15:24
 インドを訪問中のエマニュエル・マクロン仏大統領は、きのう(10日)、インド洋での中国の野心に備えるべく、両国が互いの戦艦に海軍基地を開放する2国間協定に署名しました。というわけで、“フランスとインド”にちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      仏領インド・自由フランス加刷

 これは、第二次大戦中の1941年、仏領インドで発行された“自由フランス”加刷の切手です。

 1673年のシャンデルナゴル植民地の創設以降、フランスはインドにも進出していましたが、1757年、ヨーロッパで7年戦争が始まると、インドでも英仏の戦闘が再開。フランス側は、一時は英領マドラスを占領するなどの健闘を見せたものの、最終的には本拠地のポンディシェリを英国に奪われ、1763年のパリ条約でインド植民地の大半を喪失します。しかし、南インドのポンディシェリとシャンデルナゴルなどに非軍事的な拠点を占有することは認められ、これらの地域は、1954年に独立インドに返還されるまで“仏領インド”としてフランスの支配下に置かれていました。

 フランス領インドでは、1914年以降、ブラフマーの像を描く通常切手が長きにわたって使われており、途中、改色や通貨制度改革による額面変更、さらには第二次大戦中にドゴールの自由フランス陣営として発行した“FRANCE LIBRE”加刷などがあって興味深い収集対象だと思います。

 切手に描かれたブラフマーは、もともとはバラモン教の最高神ですが、仏教へは仏法の守護神である“梵天”として取り込まれました。その結果、バラモン教の最高神という地位のゆえに、梵天以下のさまざまなインド古来の神も仏教に含まれることになります。また、釈迦が悟りを開いた時、釈迦はその境地を他人に説明することは不可能と考えていましたが、その悟りを人々に語るように説得したのは梵天とされています。

 一方、バラモン教とそこから発展したヒンドゥー教では、ブラフマーはシヴァ、ヴィシュヌとならぶ3最高神の1人で、世界の創造と次の破壊の後の再創造を担当するとされています。像としては、4つの顔と4本の腕を持ち、水鳥ハンサに乗った男性の姿で表現されるのが一般的です。その妻は、仏教では弁財天として知られるサラスヴァティーで、彼女との間に生まれたのが人類の始祖とされるマヌです。

 なお、拙著『切手が伝える仏像』では、“天部諸尊“という章を設けて、インド古来の神々の切手と、それが仏教に取り入れられた後の姿を描く切手を並べて比較しています。ルーツが同じでも、時代や地域によって、その姿が大きく異なっているのを見るのはなかなか面白いと思いますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 
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 チベット民族蜂起記念日
2018-03-10 Sat 15:22
 きょう(10日)は、1959年3月10日に「チベット民族がチベットの首都ラサにおいて中国共産党の抑圧に対する平和蜂起を行なった」ことにちなみ、チベット民族蜂起記念日です。今年は、北京五輪を前に発生した2008年の“チベット騒乱”から10周年という年回りでもありますので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      チベット・半タムカ(1933)

 これは、1933年にチベットで発行された1/2タムカ切手です。

  チベットと中国中央政府との「国交」は唐代にまでさかのぼることができますが、宗主国と保護国という両者の関係が確立されたのは17世紀中葉の清朝初期のことです。その後、清朝は、チベットに駐蔵大臣を派遣し、チベットの財政・外交・軍事などに強い影響力を行使するようになりました。

 もっとも、この段階では、チベット政府の独自性も確保されており、両者は国境の確定もあいまいなまま、共存する状態にあったといえます。そもそも、清朝の体制は、満洲族の皇帝が漢族を含む他の諸民族を中央集権的に支配するというのではなく、どちらかというと、域内諸民族の緩やかな連合国家という性質の強いものでしたから、それも当然のことと言えましょう。

 しかし、こうした状況は、1858年にインドを植民地化した英国が中印国境地域に侵食していくことで、変容を迫られます。この結果、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、チベットをめぐって、清朝と英国との対立が生じましたが、両者の対立は、1907年のシムラ会議により、チベットにおける清朝の主権が確認されたことで、いちおう決着しました。ただし、この間、当事者であるチベットの意向が真剣に考慮されることはありませんでした。

 ところで、1911年の辛亥革命で清朝を打倒した孫文らの革命活動は、“駆除韃虜 恢復中華”のスローガンの下、満州族の支配を打倒して漢民族の政治的・文化的支配を復活させることを建前としていました。したがって、“韃虜”に分類される満洲・チベット・モンゴル・ウィグルの各民族からすれば、自分たちを駆除するということを公言してきた革命政権に服属しなければならない理由はまったくないわけで、清朝の滅亡後、チベットは中華民国に対して分離・独立を宣言します。

 これに対して、中華民国側は自分たちが清朝の継承者であるとの建前から、チベットの独立を認めず、“中国領チベット”の支配を継続しようと目論見ます。しかし、革命後の混乱により、中国中央政府の統制はチベットには及ばず、チベットは実質的に中国とは別の国になり、チベットでは貨幣や切手も独自のモノが発行されました。今回ご紹介の切手も、その1枚です。現在のチベット亡命政府は、このことを、かつてのチベットが独立国であったことの根拠の一つとして挙げています。

 1947年、英領インド帝国が解体され、インドとパキスタンが分離独立すると、新生インド政府はラサの英領インド外交部を継承し、チベット−英国間の条約も継承されます。インドはチベットを“国”として認め、チベット外務省に対して「インド政府は、今後新たな協定を結ばない限り現状の関係を維持したい、という貴国の意向を歓迎いたします。インド政府が英国政府から継承した条約関係につきましては、他の国もすべて、そのまま継承していただいております」との書簡を送っています。

 ところが、1951年4月、中国人民解放軍が“平和解放”の名の下にチベットに武力進駐。同年5月23日、中国はチベットに対して「中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放に関する協定」(いわゆる17条協定)を押し付け、チベットの独立を奪いました。

 これに対して、チベットでは1956年以降、カムやアムド地方での武装闘争が始まります。抵抗運動を何とか抑え込みたい中国側はチベット東部には人民解放軍を増派するだけでなく、チベットの村や僧院に対して制裁攻撃を実施。人民解放軍の司令官はポタラ宮ダライ・ラマ14世を攻撃するとの恫喝も行っていました。

 こうした状況の中で、1959年3月1日、中国側がダライ・ラマを観劇に招待。会合前日の3月9日、人民解放軍陸軍の将校たちは、ダライ・ラマの観劇に際してはボディガードを同行させないことや、ダライ・ラマ14世が宮殿から会見場所の人民解放軍駐屯地に移動する際にも公式な儀式を行わないことを強く要求しましたが、中国がダライ・ラマの監禁ないしは誘拐をたくらんでいると察知したチベットの人々は、翌10日、ダライ・ラマが宮殿から連れ出されるのを防ごうと宮殿を取り囲みました。

 事態が緊迫する中で、3月12日、チベットの人々は独立を宣言。ラサの通りにはバリケードが築かれるとともに、インド領事に対してもチベット支援の訴えが行われました。そして、3月17日、ついにダライ・ラマの宮殿の近くに2発の砲弾が着弾したことで、ダライ・ラマは亡命を決断するのです。

 一連の混乱の中で、チベット亡命政府の推定値によると、およそ8万6000人のチベット人が亡くなり、ノルブリンカ宮殿には、約800発の砲弾が打ち込まれました。また、ラサの三大寺院であるサラ、ガンデン、デプンは砲撃によって深刻な損傷を受け、ラサ市周辺の僧院や寺院は略奪もしくは徹底的に破壊されました。ラサに残ったダライ・ラマのボディガードたちは、数千人の僧侶とともに処刑されています。

 その後も チベットでは、強圧的な共産党の支配と強引な中国化・社会主義化への抵抗運動が続けられていますが、中国政府は、チベットの独立運動家やその支援者(とみなされた人々)に対しては容赦のない人権抑圧を日常的に行っており、絶望したチベット人による抗議の焼身自殺が相次いでいることに対して、国際社会が厳しく指弾しているのは周知のとおりです。
 
 
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 平昌パラリンピック、きょう開幕
2018-03-09 Fri 11:17
 先月25日に閉幕した平昌冬季五輪に続き、きょう(9日)、平昌パラリンピックが開幕します。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・平昌パラリンピック

 これは、ことし(2018)年1月18日に韓国で発行された平昌パラリンピックの記念切手シートで、大会マスコットのバンダビと各種競技、聖火、大会エンブレムなどの6角形の切手が10枚組み合わされた構成になっています。

 平昌パラリンピックは3月9日から18日までの日程で、49以上の国・地域から570名以上が参加して、五輪同様、平昌・旌善・江陵の3地区で開催されます。なお、2016年にロシアの国ぐるみのドーピング疑惑が発生してWADAなどがロシアの選手のオリンピックへの出場停止を勧告したことを受け、前回のリオ・パラリンピック同様、国際パラリンピック委員会(IPC)はロシアの参加を認めていませんが、出場資格を有し、かつIPCの反ドーピング規程に従うことを立証できる個人選手らは、“中立パラリンピック選手(Neutral Paralympic Athletes:NPA)” として、中立的なパラリンピック旗とパラリンピック賛歌の下、出場することが許されています。

 切手にも取り上げられた大会マスコットのバンダビは、忍耐や勇気を象徴するツキノワグマのキャラクターです。朝鮮の建国神話では、朝鮮民族の始祖とされる檀君は、熊から人間になった熊女と天帝の息子・桓雄が交わって生まれたということになっています。

 もともと、熊と虎が人間になることを願って、地上の神檀樹に降臨した桓雄のもとを訪ねた際、桓雄は彼らにヨモギ一握りとニンニク20個を与え、それを食べて100日間、太陽の光を見なければ人間になれると言い渡し、その約束を守った熊は21目に人間の女性(熊女)になったとされています。

 ところが、熊から人間になった熊女には結婚してくれる人間の男性はおらず、彼女は神檀樹の下で人間の子どもを産むことを願っていたため、同情した桓雄が人間の姿に変じて彼女と交わり、子どもを産ませた、というのが檀君誕生の物語ということになっています。

 大会マスコットとして熊のキャラクターが取り上げられたのもこうした神話を踏まえたもので、バンダビとの名は、韓国語で“ツキノワグマ”を意味する“パンダルカスムゴム(반달가슴곰)”の“パンダル(半月)”と、大会を記念する碑(비)を合わせて“バンダビ”とされたものです。

  
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 国際女性デー
2018-03-08 Thu 02:53
 【謹告】 本日(8日)16:05~  NHKラジオ第1放送で放送予定だった「切手でひも解く世界の歴史」は、国会中継のため、放送が休止となりました。あしからずご了承ください。 

 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、拙著の中から女性ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・UNRWA(1969)

 これは、1969年にエジプトが発行した“国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)”の活動を宣伝する寄付金付き切手です。難民女性の背後、鉄条網越しには岩のドームを含むエルサレム旧市街の町並みが見えており、彼女たちがヨルダン川を渡った東岸のヨルダン領内にいることが含意されています。
 
 UNRWAは第一次中東戦争後の1949年12月8日に設置された国連の事業機関で、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、ヨルダン、レバノン、シリアで約500万人のパレスチナ難民に教育、保健、福祉、救急などの援助および人間開発を行っています。その設立に際しては、アラブ諸国はもとより、イスラエルも人道的立場から国連総会で賛成票を投じました。

 UNRWAの定義による“パレスチナ難民”は「1946年6月1日から1948年5月15日(第一次中東戦争勃発の日)までの間にパレスチナに住んでおり、その家と生計を失った者とその子孫」とされています。もちろん、1967年の第三次中東戦争以降、ヨルダン川西岸およびガザ地区から逃れてきた難民であっても、上記の期間に本人もしくは両親・祖父母がパレスチナに住んでいれば、“パレスチナ難民”と認定されることがあります。

 なお、いわゆるパレスチナ難民とその歴史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも関連の切手とともにご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

  
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 米空母レキシントン発見
2018-03-07 Wed 01:30
 米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が率いる探査チームは、5日(米国時間・日本時間6日)、オーストラリア東沖の海底で、太平洋戦争初期に旧日本軍との海戦で沈没した米空母“レキシントン”の船体を発見したと発表しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      軍事郵便絵葉書・レキシントン撃沈

 これは、先の大戦中の日本の軍事郵便用絵葉書のうち、村上松次郎の“米航母レキシントン號撃沈”を取り上げた1枚です。村上は、1897年、東京生まれ。竹内鶴之助に師事して洋画を学び、戦艦などの海洋画を数多く残しました。戦後は『キンダーブック』などで活動し、1962年に亡くなりました。

 レキシントンは、もともと巡洋戦艦(CC-1)として1921年1月8日にマサチューセッツ州クインシーのフォアリバー造船株式会社によって起工されました。しかし、ワシントン海軍軍縮条約に基づき、巡洋戦艦としての工事は中止され、1922年7月1日に航空母艦(CV-2)に艦種変更され、1925年10月3日に進水。1927年12月14日に就役し、米太平洋艦隊に配属されました。全長270mは同型艦のサラトガ(CV-3)と並び、完成当時世界最大の空母で、“レディ・レックス”の愛称で呼ばれています。

 真珠湾攻撃のあった1941年12月7日(米国時間)、レキシントンは海兵隊の航空機を真珠湾からミッドウェイへ輸送中であったため攻撃を逃れ、12月13日、真珠湾に帰港しました。

 1942年1月11日、レキシントンは真珠湾を出撃してニューブリテン島ラバウルの攻撃へ向かったものの、日本軍機の攻撃を受けてラバウル攻撃を断念。3月10日にはオーエンスタンレー山脈を超えてサラモアとラエを攻撃し、同26日、真珠湾に帰投しています。

 1942年の珊瑚海海戦では、5月7日、ヨークタウンの攻撃隊とともに日本の空母祥鳳を撃沈。翌8日には空母翔鶴も撃沈しましたが、日本軍機の攻撃を受けて火災が発生。一旦は鎮火に成功したものの、艦内に気化・充満した航空用ガソリンが引火して爆発が発生し、自力航行が不可能となって漂流を始めたため、総員退去命令の後、駆逐艦フェルプスによって自沈処分されました。


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 3月8日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第17回(最終回)が放送予定です。今回は、平昌パラリンピックの開幕前日の放送ということで、パラリンピックの切手についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

  
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 辻一弘氏、オスカー受賞
2018-03-06 Tue 12:11
 第90回アカデミー賞授賞式が現地時間3月4日(日本時間3月5日)、米ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催され、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で主演ゲイリー・オールドマンの特殊メイクを担当した日本人アーティストの辻一弘が、3度目10年ぶりのノミネートにしてメイク・ヘアスタイリング賞を初受賞しました。日本人が同部門を受賞するのはこれが初めてです。というわけで、きょうはチャーチル切手の中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・チャーチルC欠け

 これは、1966年1月、英領時代の香港で発行された“チャーチル追悼”の10セント切手の¢の縦棒が突き抜けたノーマルなもの(上)と、突き抜けていないもの(下・下に拡大画像を貼っておきます)のペアです。“チャーチル追悼”は印面変種のヴァラエティがいろいろ楽しめる切手ですが、縦棒が突き抜けていない“¢”は、プレート1Aと呼ばれるシートの最下段左から4枚目の位置に見られる定常変種です。

      香港・チャーチルC欠け(部分)

 さて、第二次大戦中、香港は日本に占領されていましたが、戦後、英領香港の復活に大きな役割を果たしたのがチャーチルでした。

 連合諸国の間で“戦後”についての具体的な議論が本格的に始まるのは、1943年秋のことですが、ルーズベルトが考えていた戦後の東アジア政策の基本構想は、旧帝国主義勢力をアジアから排除し、門戸開放原則を実現してアメリカの経済的影響力を高めていこうとするものでした。その目玉として、彼は、香港の主権を中国に返還させ、その上で香港を国際自由港にすることを案が得ていました。

 1943年11月に行われた米英中のカイロ会談では、中国は正式に四大国の一つとされ“日本によって奪われた全ての地域”が中国に返還されることが約束されましたが、蒋介石との2人だけの会談で、ルーズベルトは、満洲・台湾・澎湖島に加え、旅順・大連の返還を約束。さらに、ルーズベルトは香港が中国に返還されることを希望し、蒋介石は返還後の香港を自由港にすることに同意しています。

 カイロ会談の内容は、続いて開催された米英ソのテヘラン会談でスターリンが原則承認。ただし、この会談では、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦の方針が確認されたが、スターリンはその代償として極東に不凍港を獲得したいとの希望を示唆しました。スターリンが要求した“代償”の中身をにらみつつ、チャーチルは、戦後の英領香港復活に向けて布石を打っていきます。戦後、東欧問題をめぐって英ソは激しく対立しますが、中国問題に関しては、英国はソ連を利用することで米国を牽制し、蒋介石をねじ伏せようとしたのです。

 1945年2月、米英ソ三国首脳がクリミア半島のヤルタで会談。この会談では、表向き、ドイツ降伏後の戦後処理問題と国際連合の創設が決定されたが、その裏では、米ソの間で秘密協定が結ばれ、ドイツ降伏後2-3ヵ月後にソ連が対日参戦する代わりに、ソ連に対しては千島・樺太の領有、不凍港としての大連の優先的使用権と海軍基地としての旅順の租借権などが認められています。

 このうち、香港問題と密接にリンクしていたのが大連問題でした。

 すなわち、ルーズベルトは「中国人に代わって発言することはできない」としながらも、基本的にはスターリンの要求を受け入れる姿勢を示し、香港との関係から「国際委員会のある形態の下で大連を自由港とする」ことが望ましいと応じたのです。

 チャーチルは秘密協定を決めた会談に参加できませんでしたが、秘密協定が、米国の基本方針である“アジアからの植民地の一掃”と矛盾することを瞬時に見抜き、香港維持を主張する際の根拠としてこれを最大限に活用しました。

 結局、1945年4月にルーズベルトが任期半ばで亡くなると、後任のトルーマンは香港問題には関心を示さず、問題の解決を当事者である英中両国に委ねます。こうして、中国は香港返還論の後ろ盾を失い、英領香港の復活に向けて事態は大きく前進します。

 もっとも、ヤルタ協定はあくまでも秘密協定でしたから、日本軍の降伏に際して中国が力ずくで香港を回収してしまえば、状況が一変する可能性は少なからず残されていました。

 このため、1945年8月16日、重慶政府は香港の日本軍の降伏を受け入れるとの声明を発表。これに先立つ8月11日、米国は中国に対して、北緯16度線以北の“中国戦区”内の日本軍は中国当局に降伏するようにとの命令を連合国軍最高司令官の名義で出すことを約束していました。ただし、中国は「香港における日本軍の降伏受理は中国戦区の統帥部が行うが、中国政府は香港に対してなんら領土的野心を持っておらず、香港の問題は最終的に外交交渉を通じて解決されるべきである」とイギリスに伝えており、新界の返還問題はとりあえず棚上げにする姿勢を示しています。

 すでに、終戦とともに中国大陸の各地では、日本軍の降伏受理をめぐって、国民党と共産党が激しい主導権争いを演じており、蒋介石としては、とりあえず香港で日本軍の降伏受理を行って、共産党との主導権争いを有利に進めたいとの思惑がありました。来るべき共産党との内戦に備え、共産党が旧日本軍を接収した地域で占領軍として居座るということだけは、何としても阻止したいというのが、彼の本音です。

 一方、蒋介石が共産党による占領の既成事実化を恐れたのと同様に、英国も蒋介石の軍隊が香港に駐留し、それを既成事実として香港に居座ることを恐れていました。すでに1943年の時点で、英国は香港計画局を設立し、戦後の香港統治再開に向けて動き出していましたが、1945年5月には、中国軍の香港進駐を阻止するために香港計画局の軍備化に着手します。

 そして、1945年8月16日、赤柱の収容所で日本の降伏が発表された際、戦前の行政長官だったフランクリン・ギムソンは自分が香港の臨時総督であると宣言。これ受けて、8月20日、英政府は、香港での日本軍の降伏受理は英国が行うことを表明し、中国側との対立姿勢を明らかにしました。

 結局、両者の対立は、中国政府が香港占領のために軍隊を派遣しないという前提の下、英国が投降接受の委託を中国側から受けるという形式を取ることで妥協が成立。8月29日に英軍が進駐し、9月1日、海軍司令官のハートコートがラジオを通じて臨時香港軍政庁の成立を宣言し、英領香港が復活します。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 ウゴ・チャヴェス没後5年
2018-03-05 Mon 03:44
 ヴェネズエラのウゴ・チャヴェス元大統領が2013年3月5日に亡くなってから、きょうでちょうど5周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ウゴ・チャヴェス(2013)

 これは、2013年にヴェネズエラで発行されたチャヴェスの追悼切手の1枚です。

 ウゴ・チャヴェスは、1954年7月28日、ヴェネズエラ内陸部のバリナス州サバネータで教師をしていた両親の間に生まれました。中学時代には、共産主義者の友人に影響されて社会主義に共感を持つようになり、左翼活動家だった兄アダンを通じて、元共産ゲリラとの交流もあったと伝えられています。

 高校卒業後、士官学校に進学したチャヴェスは、当時、ペルーの“軍事革命政権”(ユーゴスラヴィアの自主管理社会主義をモデルにした左翼軍事政権)を率いていたフアン・ベラスコ・アルバラードや、米国とパナマ運河返還交渉を行っていたパナマのオマール・トリホスに強い影響を受け、1975年に士官学校を卒業し陸軍少尉として空挺部隊に勤務すると、1982年には同志を募って軍内にCOMACATEと称する地下組織を組織しました。

 1989年2月、首都カラカスで貧困層が暴動を起こすと、鎮圧のために陸軍が出動し、多数の死傷者が発生します。このことに衝撃を受けたチャヴェスは、絶望的なまでに広がっていた貧富の格差を是正することを目指して、1992年、同志を募ってクーデターを起こしたものの失敗。ただし、投降の際に彼が行ったテレビ会見は、クーデターの是非はともかく、ヴェネズエラ国民の一定の支持を得たとされています。

 その後、チャヴェスとその同志は武装闘路線を放棄し、遵法闘争に路線を転換。ソ連崩壊後唯一の超大国となっていた米国とその新自由主義に追従するばかりの既成政党を激しく批判し、富裕層や労働組合幹部による医療・福祉の独占を廃して平等な社会の実現を訴え、1999年の大統領選挙で、現状に不満をもつ貧困層の圧倒的な支持を得て、大統領に選出されました。

 政権を掌握したチャヴェスは、ラテン・アメリカ解放の父とされるシモン・ボリヴァルの名を冠した新憲法、ボリヴァル憲法を制定し、国名をベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリヴァル共和国に変更したほか、大統領権限を強化し、二院制だった議会を一院制に変更。キューバから2万人の医師を招いて貧困層のための無料診療制度をととのえるとともに、地主の土地を収用して農民に分配する農地改革や、為替管理や統制価格の導入、石油公団 (PDVSA) への統制強化など、反米・社会主義路線を鮮明にしていきます。

 東西冷戦の終結から10年。社会主義は歴史上の遺物とする見方が一般的となっていた中で、新たな“社会主義”政権が誕生したことに世界は驚愕。その一方で、それまで挫折感を抱いていた全世界の左派リベラル勢力がチャヴェスに大いに期待を抱いたことは間違いありません。同時に、チャヴェスの側も、そうしたリベラルないしは反米勢力との連携により、みずからの国際的な立場を強化しようとしていました。

 さて、チャヴェス政権は、発足当初から、極端な貧困層重視の政策と強引な政治手法が既存のエスタブリッシュメントの強い反発を招き、2002年にはCIAが関与するクーデター騒ぎも起こっています。結局、このクーデターは失敗に終わり、チャヴェスは政権を回復するのですが、このときの経験から、チャヴェスはあらためて軍の重要性を痛感したといわれています。

 こうした状況の下で、2004年に入ると、国際市場での原油価格が急上昇し、ヴェネズエラ経済は時ならぬ石油バブルに沸き、潤沢な資金を得たチャヴェス政権は軍拡路線を突き進んでいくことになりました。

 米国をはじめとする西側諸国は武器禁輸措置によって、反米に舵を切ったチャヴェス政権を封じ込めようとしたものの、かえって、その穴を埋めるように、ロシア製を中心に、中国製、スウェーデン製の兵器がヴェネズエラで大量に流入。具体的には、2006年のプーチン=チャヴェス会談の結果、ヴェネズエラはロシアのスホーイ30多用途戦闘機24機の購入契約を結び、陸軍の制式自動小銃をベルギーのFN FALからロシアのAK-103に変更。この結果、スホーイ戦闘機24機とヘリコプター53機も含め、2005-06年の間に両国間で交わされた兵器の売買契約は総額およそ30億ドルにものぼりました。

 ヴェネズエラが急激に軍備を増強させれば、当然のことながら、近隣諸国との軍事バランスは崩れ、地域の不安定化につながります。

 はたして、2008年、隣接する親米国家のコロンビアが国内の反政府左翼ゲリラ“コロンビア革命軍”討伐のため、エクアドルに対して越境攻撃を行い、両国関係が緊張すると、チャヴェス政権はコロンビアを非難し、コロンビア国境に軍を集結させ、アンデス危機と呼ばれる一触即発の状況が到来しました。

 このときは、米州機構の仲介により、コロンビアが謝罪することで事態は一応収拾されましたが、ヴェネズエラはロシア大統領のドミトリー・メドヴェージェフをカラカスに招き、ロシアとの合同軍事演習を行い、コロンビアの背後にいる米国を牽制しています。

 また、2009年7月、コロンビアはコロンビア革命軍に対してヴェネズエラ政府がスウェーデン製の対戦車砲を転売したと公に指摘。これに対して、チャヴェスは即座に否定し、報復措置として、コロンビアとの外交関係凍結を発表しました。

 さらに、コロンビア革命軍は麻薬カルテルとも深いつながりがあるとされていますが、コロンビア政府は、2009年8月、麻薬組織対策のために駐留米軍の増強を計画していることを発表。その背景にはヴェネズエラを牽制する意図があるのは明白でしたから、チャヴェスはこれをヴェネズエラに対する“敵対行為”であるとして激昂。ロシア製の戦車を多数調達すると発表して対抗しています。

 実際に、同年8月14日、米・コロンビアの軍事同盟が発効すると、チャヴェスはこれに対して“宣戦布告”と猛反発し、コロンビアとの断交も辞さないとの姿勢を明らかにします。このとき、チャヴェスは、「コロンビアと米国はヴェネズエラ攻撃をたくらんでおり、両国政府が一緒になって世界を欺こうとしている」と主張しました。

 このように、反米左派の姿勢を鮮明にしていたチャヴェス政権でしたが、結果的に、財界との対立は経済の低迷を招いたほか、深刻な格差・貧困問題、特に治安の悪化を抜本的に解決することができないまま、2013年、チャヴェス本人は癌のためにより死亡。後継のニコラス・マドゥロ政権も、有効な打開策を講じることができず、ヴェネズエラ国内ではインフレが昂進し、深刻な経済危機が続いています。
 

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 米空母、ダナン寄港へ
2018-03-04 Sun 17:07
 米空母「カールビンソン」が、あす(5日)、1975年のヴェトナム戦争終結後初めて、ヴェトナム中部のダナン港に寄港するそうです。といわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェトナム・ダナン解放

 これは、南北ヴェトナム統一後間もない1976年12月14日に発行されたダナン解放の場面を取り上げた切手です。

 ヴェトナム中部のダナンはハン川の河口に位置する港町で、地名は、チャム語で“大河”または“大河口”を意味しています。1835年、阮朝の明命帝が全ての欧州船にダナンに入港するよう勅令を発したため、ヴェトナム中部最大の港として急成長しました。

 1887年、フランス領インドシナ連邦(仏印)が成立すると、1889年、フランスのインドシナ総督府はダナン市をクアンナム省から切り離し、トゥーランと改称して総督直轄地としましたが、1949年6月14日、フランス支配下の自治国としてヴェトナム国が発足すると旧称のダナンに復しました。

 ヴェトナム戦争下の1965年3月、米軍がダナンに上陸し、軍事拠点を構築。中でも、ダナンの空軍基地はヴェトナム戦争で米軍が設置した空軍基地の中でも最も大規模なもので、戦争中は一日平均2595機の離発着が行われました。これは、民間空港・空軍基地をあわせて、世界で最も離発着の多い飛行場という記録になっています。

 1967年には、ダナンは第一・第二戦略地域の政治、文化、軍事面の中心として中央直轄市となり、米軍によって、飛行場、港、銀行、情報・通信システムなどの基地インフラが整備されました。これに伴い、ダナンは機械工業をはじめとする産業都市になりましたが、1968年の旧正月に南ヴェトナム解放民族戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけた“テト攻勢”によって大きな損害を受けています。 

 1973年1月のパリ平和協定を受けて、同年3月29日に米軍がヴェトナムから撤退した後も、ダナンは南ヴェトナム側の拠点として維持されていましたが、戦争最末期の1975年3月29日から30日にかけて、北ヴェトナム軍によって“解放”されました。今回ご紹介の切手は、その時の模様を再現したもので、北ヴェトナム側による戦車の接収場面が描かれています。

 1975年のヴェトナム統一後、ダナンはクァンナム省に編入されましたが、1996年11月の地方行政区に伴い、旧ダナン市にホアヴァン県とホアンサ島地区が加えた現ダナン市が中央直轄市としてクァンナム省から分離され、現在に至っています。

 * 昨晩、アクセスカウンターが189万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  


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 阿波踊り主催団体が破産
2018-03-03 Sat 12:15
 徳島の夏の風物詩“阿波踊り”を主催する徳島市観光協会について、徳島市はきのう(2日)、4億円以上の累積赤字があり、運営を改善できないと判断し、債権者として破産手続き開始を徳島地裁に申し立てたことを明らかにしました。市は協会を清算して新たな運営組織をつくる方針で、今年の阿波踊りについても「市が責任を持って進めていく」と説明しているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      阿波踊(1989)

 これは、1989年の切手趣味週間の切手で、北野恒富の「阿波踊」が取り上げられています。

 切手に取り上げられた絵画「阿波踊」の作者、北野恒富は1880年、石川県金沢市十間町生まれ。1899年、月刊新聞『新日本』の小説挿絵を描き、挿絵画家としてデビューしました。1910年、「すだく虫」で第4回文展に初入選。翌年の第5回文展で「日照雨(そばえ)」が3等賞を受け、日本画家としての地位を確立。1917年には大阪画壇唯一人の日本美術院同人となりました。創作活動のかたわら、大正美術会、大阪美術協会、大阪茶話会を設立するなどして、大阪画壇のリーダーとして、後進の指導・育成にも力を注ぎ、1947年に亡くなっています。

 恒富は大正末年に徳島で南海画塾を設立したこともあって、幾度か徳島を訪れていますが、そのうちの1度、地元の有力者だった平野鍋吉に招かれた座敷で、地元の名妓として知られていたお鯉こと多田小餘綾と会っています。このお鯉こそ、「同じ阿呆なら踊らなソンソン」と歌う「阿波よしこの節」の阿波踊りを全国に知らしめた最大の功績者と言われています。

 お鯉と恒富が直接会ったのは、この1度きりでしたが、恒富はお鯉に強い印象を持ったようで、1930年の院展に彼女をモデル(の1人)にした「阿波踊」を出品しました。なお、2人が会った正確な日時は不明ですが、三味線につけられた提灯に“奉祝”の文字が見えますので、昭和大礼のあった1928年の秋頃だったのかもれません。

 その後、恒富は院展出品作品と同じモチーフでいくつも作品を制作していますが、残念ながら、院展に出品したオリジナルは現在所在不明。切手の元になった作品も、後に作られたもので、山形美術館の所蔵品(旧長谷川コレクション)です。

 院展に出品した「阿波踊」が評判になった後、恒富は、1933年の雑誌インタビューでは、「徳島芸妓の印象」として「座敷のしきゐ際に立つたお鯉の姿を見ると、すらつとして水際だってゐましたよ。その姿でもこなしでも大阪藝妓そのまヽでいヽ線の流れを見せてゐました」と彼女のことを語っています。

 また、小説家・紀行作家の江見水蔭は、1934年に徳島を訪れ、「新魚町の三又といふ当地第一流の料理亭」で歓待を受けた際、恒富の「阿波踊」のモデルと知ったうえでお鯉に会っています。その時の印象は「敢て美貌といふにあらざれど、丈すらりとして、姿勢満点。…(中略)…怜悧にして、サアビス行届き、趣味を談じても理解有り」だったそうです。「阿波踊」を見る限り、僕などは十分“美貌”だと思うのですが、そのあたりは好みの問題もあるかもしれません。ただ、スタイルが良く、姿勢の美しい女性だったことは間違いなさそうです。

 ちなみに「阿波踊」には、三味線を弾くお鯉の隣に、踊っている女性が描かれていますが、こちらのモデルは、富街芸者の恋香こと三輪清水と考えられています。彼女もまた美人の誉れ高く、戦前の徳島花柳界では踊り、鼓の名手として有名でした。

 なお、今回ご紹介の日本の美女切手については、拙著『日の本切手 美女かるた』でもいろいろ取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 パプア地震で緊急事態宣言
2018-03-02 Fri 16:46
 パプアニューギニア政府は、きょう(2日)までに、2月26日に起きたマグニチュード7.5の地震で大きな被害の出た南部山岳州やヘラ州などに非常事態を宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      英領ニューギニア(1901)

 これは、1901年に英領ニューギニアとして発行された最初の切手で、現地の先住民の伝統的な船の“ラカトイ”が描かれています。ちなみに、今回の地震で被害が大きかったのは、ニューギニア島のうち、旧英領の地域です。

 ニューギニア島は、1511年にポルトガルの航海士ダブロが“発見”し、1526年にはスペインの探検家メネゼスが最初に上陸。1546年になるとスペインが島の領有を主張したのをはじめ、1793年には英国東インド会社が島全体の領有を主張し、さらに、1828年には英国に対抗してオランダ東インド会社が島の西半分を領有するなど、列強の勢力角逐の場となっていました。ただし、各国による領有権の主張とは裏腹に、気候が厳しく天然資源にも恵まれない島の開発はなかなか進まず、19世紀までは“領有”は名目的なままに放置されていました。

 こうした状況の下で、1873年、ハンブルクの民間会社ゴーデフロイ商会が島に上陸し、マトゥピを拠点に交易を開始。1875年には、ドイツの軍艦“ガゼル”が近海の島々を探検し、1878年には軍艦“アリアネ”がビスマルク諸島ニューブリテン島の一部を原住民から購入しています。その後、ゴーデフロイ商会は経営難に陥ったため、1880年にベルリンの銀行家アドルフ・フォン・ハンゼマンが設立した“南洋商事会社”がゴーデフロイ商会の経営権を継承。1884年11月には軍艦“エリザベート”がマトゥピに寄港し、同地のほか、ビスマルク諸島やアドミラルティ諸島の各地にドイツ国旗を掲揚しました。

 これに対抗して、同年、英国もニューギニア本島南東部のポートモレスビーにユニオンジャックを掲揚。かくして、ニューギニア島は、西部がオランダ、東部ではドイツがほぼ北半分を、英国がほぼ南半分を領有することになりました。その後、1901年のオーストラリア連邦の結成を経て、1906年、英領部分は1975年の独立までオーストラリアの管轄下に置かれました。

 郵便に関しては、1884年、英国が島の東南部を領有したことを受けて、翌1885年、クイーンズランド切手が持ち込まれ、英領ニューギニアを意味する“BNG”の抹消印が使用されました。

 今回ご紹介の切手は、1901年7月1日、英領ニューギニアの正刷切手としては最初に発行されたモノの1枚で、ロンドンのデラルー社製です。切手の図案は、バートン大尉の撮影した写真を基に制作され、モートモレスビー近くのハヌアババ村の沖に停泊中のラカトイが描かれています。

 さて、今回の地震では、旧英領ニューギニアの地域を中心に、現在まで少なくとも31人の死亡が報告されています。地滑りで陸路が寸断、空港も閉鎖され、救助隊の到着が難航しているそうです。

 あらためて、亡くなられた方の御冥福と、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしております。


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