内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界禁煙デー
2018-05-31 Thu 05:13
 きょう(31日)は“世界禁煙デー”です。僕自身は煙草を嗜みませんし、煙草を吸う人が周囲の吸わない人へ配慮するのは当然のことだと思っています。しかし、あたかも禁煙・嫌煙を錦の御旗として、問答無用で煙草を悪と決め付け、何が何でも煙草を排除しようとする“禁煙活動家”のほうが、煙草の煙よりもはるかに不愉快です。というわけで、あえて、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・冶金工業組織化50年

 これは、2014年にキューバが発行した“チェ(・ゲバラ)による冶金工業組織化50年”の記念切手のうち、工業大臣として葉巻をくわえるゲバラと冶金工場が取り上げられています。

 もともと、医師であり、自らも喘息の持病を抱えていたゲバラには喫煙の習慣はなく、メキシコでフィデル・カストロらキューバの革命派と付き合うようになった際にも、健康上の理由から、彼らに禁煙を勧めていました。しかし、シエラ・マエストラ山中でのゲリラ生活を始めると、現地の農民の生活の知恵として葉巻が虫除けに利用されており、また、実際にその効果もあったため、チェを含むゲリラ全員に葉巻を吸う習慣が定着することになります。

 1959年の革命後、同年10月、農業改革局(INRA)の工業部長に就任。1961年2月24日に工業省が新設されると初代工業大臣に就任し、キューバの工業化を進めるべく奮闘しました。その一環として、彼はキューバの特産品をアピールする意図を込めて、写真撮影の際には積極的に葉巻姿で応じています。

 葉巻大国のキューバではさまざまな銘柄の葉巻が生産されていますが、そのうち、彼が最も愛好したのは“モンテクリスト”だったと言われています。

 モンテクリストは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテクリスト伯』にちなんで命名されたブランドで、1935年にH・アップマン工場で製造が開始されました。

 H・アップマンは、1844年、ドイツ人のヘルマンおよびアウグストのアップマン兄弟が創業したブランド。キューバ産葉巻の中では最古参のひとつで、比較的軽めのミディアム・ライトの味わいが英国市場で人気を博し、世界的なブランドとして有名になりました。

 かのジョン・F・ケネディ米大統領も、1962年、キューバ製品の禁輸措置法案が議会を通過し、大統領として署名する前夜、報道官を内々に呼びつけ、「どんな手段を使ってでもいい。少なくともH・アップマンを1000本確保するように」と厳命。はたして、翌朝、ホワイトハウスに1500本のアップマンが集められたのを確認してから、法案に署名したといわれています。明らかな職権濫用ですが、逆に言えば、それほど、H・アップマンは魅力的な葉巻だったわけです。

 もっとも、ブランドとしてのH・アップマンの経営は必ずしも順調ではなく、1922年以降、業績の悪化により、何度か経営母体が変わっています。そのなかで、1935年にH・アップマンを買収したアロンソ・メネンデスが経営再建の切り札として売り出したのが、モンテクリストでした。

 なお、当時の葉巻工場では、単調な作業でスタッフの集中力が途切れるのを防ぐため、作業中にさまざまな物語を朗読するのが習慣で、1935年に売り出された新ブランドの葉巻の場合、製造過程で人気のあった読み聞かせの物語が『モンテクリスト伯』だったため、それが命名の由来となりました。ちなみに、モンテクリストとならんでキューバを代表する葉巻のひとつとされる“ロメオ・イ・フリエータ(ロミオとジュリエット)”もまた、同じ理由による命名です。また、モンテクリストのブランドのロゴは、『モンテクリスト伯』の著者、デュマの別の代表作『三銃士』をイメージしたデザインとなっています。

 メネンデスは、新ブランドの投入とあわせて、工場を近代化することで、経営を立て直し、モンテクリストをキューバ三大シガーのひとつといわれるまでに成長させました。現在では、“チェが愛好した葉巻”というイメージ戦略も当たって、モンテクリストはキューバ産葉巻輸出の約25%を占めるほどになっている。

 モンテクリストは代表的な銘柄のNo.1-5以外にも、キューバ産葉巻としては最大サイズの“A”から、小さめのペティコロナサイズ、ミニシガリロまで種類は豊富で、いずれも、やや濃厚で深みがあり、樹木やナッツを思わせる香ばしい香りが感じられるのが特徴です。

 なお、ゲバラが愛好した葉巻として、キューバを代表するブランドのコイーバを挙げている文献が散見されますが、これは、歴史的に無理があります。

 すなわち、革命後まもない時期、カストロは護衛のチーチョが吸っていた“ランセロス”をいたく気に入りましたが、この葉巻は、市販品ではなく、チーチョの友人だったエドアルド・リベラが個人的にブレンドしたものでした。そこで、1968年、カストロは新たに建設した葉巻工場“エル・ラギート”の責任者としてリベラを迎え、政府要人用ないしは外交的な贈答用の高級葉巻の生産を開始します。これが、コイーバのルーツとなりました。

 したがって、リベラの個人的なブレンドはともかく、1967年10月にボリビア山中で亡くなったゲバラが、1968年から生産が開始されたコイーバを嗜むことは時系列的にありえません。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、トレードマークともいうべき葉巻を咥えたゲバラの切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 *オマケ
 現在開催中の世界切手展<WSC Israel 2018>の会場と、エルサレムの国際コンヴェンションセンターの一角で、イスラエルの写真家、イツィク・カマの写真展「わがキューバ」が開催されており、その先頭には、こんな写真が展示されていました。

      イスラエル・ゲバラ写真

 2日に帰国したら、ネジを巻いてゲバラ本の作業を進めるようにとの天の声を聞いた気分です。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 <WSC Israel 2018>受賞速報
2018-05-30 Wed 00:03
      イスラエル・グリーティング(1991・シャンパン)

 今月27日からエルサレムの国際会議場で開催中の世界切手展<WSC Israel 2018>は、すべての作品の審査が終了し、現地時間29日午後、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記(敬称略)、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数、+SPは特別賞つき、です。ただし、速報ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 <チャンピオンシップ・クラス>
 ・井上和幸 Japanese Post Offices and Foreign Postal Activities in Korea 1876-1909 WSCC
 <ナショナル・クラス>
 ・内藤陽介 Postal History of Auschwitz 1939-1945 LV(85)
 <伝統・欧州>
 ・吉田敬 Kingdom of Prussia 1850-1867 LG(96)+SP
 <伝統・アジアアフリカ>
 ・吉田敬 Japan Definitives 1922-1937  LV(88)
 ・山田祐司 Japan 1871-1876 Hand Engraved Issues LG(97)+SP/GPIC
 <郵便史・アジアアフリカ>
 ・池田健三郎 The Japanese Prompt Delivery in Early Period G(91)
 <文献>
 ・正田幸弘  『国際展物語 1965-2004』 B(62)
 ・Stampedia.inc  Japan Definitive Issues 1922-1937 Landscape Stamps for Surface Rates SB(65)
 ・―― Stampedia Philatelic Journal G(90)
 ・(公財)日本郵趣協会  『日本普通切手専門カタログ』vol.1、vol.2 LV(86)
 ・―― 『沖縄切手総カタログ』 V(83)

  なお、冒頭に掲げた画像は、1991年にイスラエルで発行されたグリーティング切手(国内宛基本料金用の無額面永久保証)のうち、お祝いのシャンパンを描く1枚です。受賞者の皆様、あらためて、おめでとうございます。


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 地元メディアの取材受けました!
2018-05-29 Tue 03:52
 27日に開幕した世界切手展<WSC Israel 2018>ですが、例によって、和装で会場内をふらふらしていたら、地元メディアの取材を受けることになりました。下の画像は、僕の作品 Postal History of Auschwitz 1939-1945 の前でのインタビュー風景です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル展・インタビュー

 まぁ、普段着の和装でエルサレム市内を歩いているというだけでも相当珍しいでしょうが、その男が、アウシュヴィッツの専門コレクションを出品しているとなれば、ローカルニュースのネタとしては面白いということになるのでしょう。

 さて、今回の作品は、昨年10月にブラジル・ブラジリアで開催された世界切手展<Brasilia 2018>に出品した作品の増補改訂版で、タイトル・リーフと全体の構成がわかるプランのページは下の画像の通りです。

      イスラエル展作品・タイトル  イスラエル展作品・プラン

 タイトル・リーフに展示しているのは、収容者が亡くなったことを家族に通知するため、1941年12月、アウシュヴィッツの収容所当局がクラクフ宛に差し出した電報です。アウシュヴィッツ関連のコレクションでは、こうした電報も集めるのがお約束ではあるのですが、通常の郵便物ではないため、作品中でどのように使ったらよいのか頭を悩ませるところです。そこで、今回のコレクションでは、作品全体を象徴するマテリアルということで、本体の内容とは無関係のタイトル・リーフに置いてみました。

 前回のブラジル展では、郵便史部門での国際展出品は初挑戦ということで、いろいろと勝手がわからず、構成・展開の面で、郵便史っぽくないところが少なからず見られるとの指摘がありました。そこで、今回は全面的に作品の構成を見直し、①ドイツによる占領以前、②同占領直後、③アウシュヴィッツ1局(収容所外)、④アウシュヴィッツ2局(第1および第2収容所)、⑤アウシュヴィッツ3局(モノヴィッツ収容所)、⑥解放直後、という章立ては残しつつも、前回は各章内は純粋な時系列順にしていたのをやめ、収容者の郵便、軍事郵便、到着便などに分類したうえで、時系列に沿って展開することにしました。また、それにあわせて書き込みの内容・スタイルも変更しています。

 なお、今回の展覧会に出品を申し込んだ時点では、僕の作品は“郵便史部門・欧州”でのエントリーだったのですが、その後、主催者側の判断で、“(開催国に所縁の)ナショナル・クラス”に変更になりました。当初の出品規則ではナショナル・クラスの対象は、“ホリーランド(地域概念としてのパレスチナ)”とされており、欧州大陸でのホロコースト関連の出品は含まれていませんでしたが、その後、建国70周年の記念イベントということもあって、ディアスポラからイスラエル建国へというイスラエルの歴史観を反映し、僕以外にも、ホロコースト関連の作品はすべてナショナル・クラスへの移動としたのでしょう。

 ちなみに、アウシュヴィッツの歴史とその郵便については、今回の出品作品の元になった拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 

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      ゲバラ本・仮書影

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 <WSC Israel 2018>開幕!
2018-05-28 Mon 04:28
 イスラエル建国70周年記念のFIP(国際郵趣連盟)認定世界切手展<WSC Israel 2018>が、きのう(27日・この記事は現地時間の27日に書いているので、“きょう”というべきかもしれませんが…)、エルサレムの国際会議場で開幕しました。(下の画像は、オープニング・セレモニーで行われた今回の切手展の記念切手贈呈の場面です)

      イスラエル展・オープニングセレモニー

 というわけで、彼の地での切手展にちなんで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・切手展(1945)

 これは、英委任統治領時代の1945年4月8日から11日までテルアヴィヴで開催された切手展の会場から差し出された書留便で、同展の記念葉書に28ミリーム分の切手を貼り足して英国宛に差し出された使用例です。1945年4月といえば、欧州ではまだ戦闘が続いており、ユダヤ系・アラブ系を問わずパレスチナ出身の兵士たちも戦場で戦っていた時期ですが、そうした時期にも切手展が開催されていたということはちょっと驚きです。それだけ、ユダヤ系の人たちにとって、フィラテリーの文化的・社会的地位が高いということなのでしょう。

 今回ご紹介の葉書には、ラケルの墓を描く3ミリーム切手も貼られていますが、それ以外は、葉書の印面を含めて、エルサレム旧市街の西側、ヤッファ門の近くに位置するダヴィデの塔が描かれています。東ローマ帝国時代の伝承では、この塔はダヴィデ王が建立した尖塔とされ、“ダヴィデの塔”との名称が定着しましたが、歴史的事実としては、紀元前20年にヘロデ王がエルサレム防衛のために建設した要塞がルーツです。その後、増改築を経て、オスマン帝国のスレイマーン1世(在位1520-66)の治世下で現在の姿となりました。現在では、『旧約聖書』に登場するカナンの時代からイスラエル建国までの歴史を紹介する博物館として公開されています。

 さて、今回の切手展には、日本からは、以下の作品が出品されています。(敬称略)

 <チャンピオンシップ・クラス>
 ・井上和幸 Japanese Post Offices and Foreign Postal Activities in Korea 1876-1909
 <ナショナル・クラス>
 ・内藤陽介 Postal History of Auschwitz 1939-1945
 <伝統・欧州>
 ・吉田敬 Kingdom of Prussia 1850-1867
 <伝統・アジアアフリカ>
 ・吉田敬 Japan Japan Definitives 1922-1937
 ・山田祐司 Japan Japan 1871-1876 Hand Engraved Issues
 <郵便史・アジアアフリカ>
 ・池田健三郎 The Japanese Prompt Delivery in Early Period
 <文献>
 ・正田幸弘  『国際展物語 1965-2004』
 ・Stampedia.inc  『Japan Definitive Issues 1922-1937 Landscape Stamps for Surface Rates』
 ・―― Stampedia Philatelic Journal
 ・(公財)日本郵趣協会  『日本普通切手専門カタログ』vol.1、vol.2
 ・―― 『沖縄切手総カタログ』

 審査結果については、正式発表があり次第、このブログでもご報告する予定ですので、今しばらくお待ちください。


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 ザギトワ選手に秋田犬贈呈
2018-05-27 Sun 00:54
 平昌冬季五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、ロシアのアリーナ・ザギトワ選手が「私の夢だった」と語っていた秋田犬がロシアに送られ、きのう(26日)、モスクワのホテル“メトロポーリ”で贈呈式が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      秋田犬(新・みほn)

 これは、1989年4月1日に発行された“秋田犬”の2円切手(みほん字入り)です。秋田犬の2円切手は、1953年8月25日に発行されていますが、今回ご紹介の切手は犬の図案はそのままに、NIPPONのローマ字表示を加え、料額の字体を変更したうえで、刷色が変更されています。

 秋田犬の祖先は、山岳地帯での狩猟犬として用いられていた“秋田マタギ犬”とされています。

 江戸時代、闘犬がさかんだった秋田・大館地方では、より強い犬を求め、マタギ犬と土着犬などの交配が行われ、“大館犬”がつくられました。これが秋田犬の原種となります。

 明治以降も、1908年、県下に闘犬禁止令が発せられるまで、秋田県内では、より強い犬をつくるため、地元の犬と土佐犬や洋犬などとの交配がさかんに行われていましたが、これに対して、交配により“純粋な”秋田犬が減少していくことに危機感を抱いた大舘町(現・大館市)長の泉茂家らは、大正時代に入ると、「秋田犬を保存すべし」という保存運動を展開。1919年、天然記念物保存法が施行されると、民間による秋田犬の繁殖改良・再作出への取り組みも盛んになり、1927年には5月、秋田犬保存会が設立されました。

 保存会の尽力もあり、1931年7月、9頭の優秀犬が、日本犬としては初めて、“秋田犬(あきたいぬ)”として国の天然記念物に指定されました。翌1932年には、渋谷駅頭で亡くなった主人を待ち続ける秋田犬、“忠犬ハチ公”の物語が話題となったこともあり、秋田犬の人気も高まります。

 ところが、戦争が長期化すると、食糧難の中で秋田犬の飼育も次第に困難になりました。また、戦時下では軍用犬となるジャーマン・シェパード以外の犬は捕獲命令が出されたため、捕獲を逃れるため、秋田犬とジャーマン・シェパードの交配がさかんに行われ、1945年の終戦時には血統の正しい秋田犬はわずか十数頭にまで減少しました。

 ところが、占領下では、戦前の1937年に秋田を訪れたヘレン・ケラー(米国人)の愛犬が秋田犬だったことがあらためて注目されるとともに、占領軍の米兵たちの間で、体が大きく愛らしい顔つきの秋田犬が人気を集めました。また、戦後の混乱期には番犬としての需要が高まったこともあって、秋田犬の人気が復活。雑種化したものも含め、さまざまなタイプの“秋田犬”が出回るようになります。

 今回ご紹介の切手のモデルとなった秋田犬は、1943年3月15日生まれの雌の純血種、橘号ですが、当時はこれとは似ても似つかぬ犬も“秋田犬”とされることもおおかったようです。

 なお、昭和20年代の秋田犬は、戦時中に交雑したシェパードの特徴を残している出羽系が主流でしたが、1955年頃からは、純血種の個体を土台として、本来の秋田マタギ犬に近づけるべく改良された一ノ関系が主流となっています。ただし、占領軍兵士の帰国とともに米国に渡った秋田犬の子孫、アメリカン・アキタ・ドッグでは出羽系の特徴を受け継ぐものが多数派です。

 
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 エルサレムに到着しました。
2018-05-26 Sat 11:18
 昨日(25日)、無事にエルサレムに到着し、日本からの出品作品の搬入作業も完了いたしました。これで、まずは一安心です。(下の画像は、実際に作品の展示作業をしているときに、撮ってもらいました。以下、画像はクリックで拡大されます)

      WSC Israel2018展示風景

 というわけで、♪はるばる来たぜ エルサレム、という雰囲気のマテリアルを持ってきました。

      ロシア・パレスチナ帝国正教会協会

 これは、2014年10月29日、帝政ロシア時代にエルサレムでのロシア正教会の活動を支えていた“パレスチナ帝国正教会協会”を題材にロシアが発行した切手シートで、シートの下部にはエルサレムに向かう旅人が描かれています。(下にその部分をトリミング敷いた画像を貼っておきます)

      ロシア・パレスチナ帝国正教会協会(部分)

 ちなみに、きのうの展示作業の後、友人たちと旧市街に行ったのですが、その際、ケデロンの谷越しに岩のドームと神殿の丘の上に沈みつつある夕陽を携帯のカメラで撮ってみたら、こんな感じになりました。

      岩のドーム遠景・夕陽

 今回ご紹介した切手シートとの関連でいうと、ケデロンの谷には、ロシア正教の教会として、1888年、ロシア皇帝アレクサンドル3世によって建立された“マグダラのマリア教会”(下の画像の玉ねぎ屋根の建物です)があります。この教会は、ヨハネによる福音書に出てくるマグダラのマリアと、ロシア皇帝アレクサンドル3世の母后マリアの2人のマリアを記念するために、皇帝が建立したもので、17世紀のモスクワ様式を模したといわれています。

      マグダラのマリア教会・エルサレム

 さて、ロシアは、2003年に米国、EU、国連とともに中東和平のロードマップを策定した国であり、パレスチナ和平に関しても一定の影響力を持っていましたが、2011年の“アラブの春”以降、米国のオバマ政権が中東問題への関与に消極的だったこともあり、その存在感を増しています。

 たとえば、ロシアはシリアのアサド政権に対する最大の支援者であるだけでなく、2013年に軍事クーデターで発足したエジプトのシーシー政権を全面的に支持し、エジプトと30億ドル以上の兵器・軍事技術輸出契約を締結しました。その背景には、自国の安全保障上の必要からもイスラム原理主義勢力の伸長を抑えるため、原理主義勢力に対して抑圧的で、なおかつ、ロシアと親和的な世俗主義政権を支援しようという思惑があります。

 パレスチナ問題に関しては、旧ソ連時代、イスラエルが米国の支援を受けていることへのカウンターから、パレスチナを支援してきたという経緯があるものの、プーチン大統領じしんはイスラエルとも良好な関係を保っており、基本的には是々非々の立場です。ただし、ガザを実効支配しているハマースがシリア問題に関してアサド政権を支援するロシアやイランとは対立関係にあることから、「パレスチナと言ってもさまざまで、ハマスも一枚岩ではなく、宗教的民族主義者がいる」として、中立的な立場を維持してきました。

 このため、2014年7月のイスラエル軍のガザ攻撃時にも、プーチンはネタニヤフ・イスラエル首相との電話会談でガザ地区からの撤退を求めたものの、ロシア政府としてはイスラエルを非難する声明は発していません。イスラエルのガザ攻撃は、結果的にハマース政府の力を殺ぐことになり、ソ連時代からの友好関係にあるファタハに有利に働くことになるからです。ちなみに、パレスチナ大統領のアッバースはソ連時代のモスクワに留学し、博士号を取得しています。

 こうしたことから、ロシアには、ファタハとの関係を強化することは、パレスチナのみならず、中東全域への影響力拡大への足掛かりになりうるわけで、今回ご紹介の切手シートも、そうした背景の下に発行されたものと考えられます。なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 経由地の香港にいます
2018-05-25 Fri 00:49
 きのう(24日)の記事にも書きましたが、昨晩、テルアヴィヴに向かう途中の経由地、香港に到着しました。現在、乗継待ちの空港ラウンジで記事を書いています。というわけで、香港がらみのイスラエル行のカバーということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・(香港返還貼)イスラエル宛カバー

 これは、1999年7月25日、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府支配下のアイザリーヤからイスラエル宛に差し出された書留便で、ジャンクを描く“香港返還”の記念切手が貼られています。

 パレスチナ自治政府の名目上の首都である東エルサレムイスラエルの実効支配下にありますが、行政区画としては、東エルサレムを取り囲むように面積335平方キロの範囲に“エルサレム県”が設定されています。今回ご紹介のカバーの差出地のアイザリーヤは、同県ではアブー・ディース(東エルサレムの東隣)に次ぐ第2の町で、アブー・ディースの東北に位置しています。パレスチナ自治政府の郵便局の開局は、1995年11月8日でした。

 今回ご紹介のカバーは、アイザリーヤから差し出された後、ラーマッラーの中央区分局経由でイスラエル宛に送られたものの、名宛人不明で差出人に返送されています。なお、カバーには975フィルス分の切手が貼られていますが、当時のイスラエル宛書状料金(50-100g)が200フィルス、イスラエル宛の書留料金が750フィルスで、本来の料金は950フィルスですから、25フィルスの過貼となります。 

 さて、きょうはこの後、午前1時(当地時間)のフライトで香港を発ち、テルアヴィヴ着は現地時間の午前8時前の予定です。入国・通関手続きの後は、そのまま世界切手展<WSC Israel 2018>の開催されるエルサレムに向かい、なんとか、安息日の始まる日没前に展示を済ませたいところです。

 * オマケ
 今回の香港での乗継時間は5時間。中心部に行って戻ってくるには、ちょっとタイトですが、さりとて、どこにも行かずに済ますには長い時間です。そこで、いったん入国手続きをして、空港内の出発ロビーにある美心(マキシム)で叉焼と春巻(野菜スティックと一緒にグラスに盛り付けて)、おこわをつまみにのんびりビールを飲んでいました。大いに満腹し、良い気分になりましたので、飛行機の中でも熟睡できそうです。

      香港国際機場・美心


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 イスラエルに行ってきます!
2018-05-24 Thu 03:55
 私事で恐縮ですが、エルサレムで開催される世界切手展<WSC Israel 2018>に出品者およびコミッショナーとして参加するため、きょう(24日)午後の飛行機で羽田を発ち、香港経由でテルアヴィヴに向かいます。というわけで、テルアヴィヴへの無事の到着を祈って、こんなマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エールフランス・東京=テルアヴィヴFFC

 これは、1957年4月18日、東京・羽田空港からテルアヴィヴ宛のエールフランスの初飛行カバー(FFC)です。エールフランスの日本就航は1952年秋のことで、ベイルートカラチサイゴンで乗り継ぐ南回りのルートで、飛行時間は41時間10分でした。その後、路線が拡大され、1957年には、今回ご紹介の東京=イスラエル間の路線がスタートしました。ただし、乗継時の待ち時間もそれなりに長かったようで、裏面に押されているテルアヴィヴの着印は、差出から6日後の4月24日となっています。

 さて、今回の切手展の会期は27日からなのですが、その前に、作品を搬入・設営しなければなりません。イスラエルならではの特殊事情で、金曜日の日没から土曜日の日没までは安息日で作業がストップしてしまいますので、金曜日の朝にテルアヴィヴでイスラエルに入国してエルサレムに向かい、なんとか、日没までに展示作業を済ませてしまいたいと考えています。なお、展覧会の会期は31日までで、作品をピックアップした後、現地時間の1日にテルアヴィヴから出国し、翌2日に帰国の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。 


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 世界亀の日
2018-05-23 Wed 11:50
 きょう(23日)は“世界亀の日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ケイマン諸島・タートルファーム

 これは、1986年にケイマン諸島が発行した“ケイマン諸島のアイデンティティ”の切手のうち、タートル・ファームを取り上げた1枚です。

 西インド諸島のジャマイカ北西30kmに位置するケイマン諸島は、グランド・ケイマン島、ケイマン・ブラック島、リトル・ケイマン島の3つのサンゴ礁の島で構成される英国の海外領土です。

 1503年、コロンブスの第4回航海の途上で“発見”されましたが、その際、岩と間違えるほど多くのウミガメがいたことから、スペイン語でウミガメを意味する“ラス・トルトゥガス”と命名されています。なお、地元のカリブ・インディオの間では、この地はアメリカワニが多く生息していたことから、彼らの言葉では“ワニ”を意味する“ケイマナス”と言う名で呼ばれており、それが、現在の“ケイマン”の名の語源になりました。

 16世紀までは完全な無人島で人間が定住していた形跡はなく、スペインの領有後も定住者はありませんでしたが、1655年、オリバー・クロムウェル率いる英海軍は、当時、スペイン領だったジャマイカを占領。これを受けて、1658年、ジャマイカ駐留の英海軍の兵士であったウォルターとボーデンの2名がグランド・ケイマン島に最初の定住を試みています。その後の彼らの去就については定かではありませんが、1700年にはボーデンの孫アイザックがグランド・ケイマン島で生まれたとの記録が残されています。また、1661年から1671年にかけて、ジャマイカからリトル・ケイマン島とケイマン・ブラック島に移住する者もありましたが、彼らはスペイン人の襲撃を受けたため、島を離れざるを得ませんでした。

 その後、1670年にジャマイカがマドリード条約で正式に英領となると、ラス・トルトゥガスは、“ケイマン諸島”として、英領ジャマイカの管轄となりましたが、島のシンボルは、ワニではなく、ウミガメとされ、英領ケイマン諸島の紋章はウミガメを組み込んだデザインが採用されました。

 ところが、ケイマン諸島のシンボルであったウミガメは、19世紀以降の乱獲により、その数が激減。このため、1968年、米英の資本によりウミガメの養殖場として設立されたのが、今回ご紹介の切手にあるタートル・ファームです。タートル・ファームでは、ウミガメの保護と研究のために卵からウミガメを育てており、切手に描かれているように、水槽内のカメを見学することもできます。


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 世界の切手:リビア
2018-05-22 Tue 03:23
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』4月25日号が発行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はリビア(と一部コモロ)を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      リビア・レプティスマグナ

 これは、1934年にイタリア領リビアで発行された“トリポリ見本市”の記念切手のうち、レプティス・マグナ遺跡の傑作とされるクラウディウス帝の大理石像を取り上げた1枚です。

 レプティス・マグナはトリポリの東130kmの地点にあるローマ時代の都市遺跡。紀元前1100年頃、フェニキア人の入植者が建造し、紀元前146年の第三次ポエニ戦争の結果、ローマ領となりました。紀元後193年、当地出身のセプティミウス・セウェルスがローマ皇帝となると、大規模な建築事業が進められ、カルタゴ、アレキサンドリアに次ぐアフリカ第三の都市となりましたが、3世紀以降没落。7世紀以降は砂に埋もれていたところ、1921年に再発見されました。北アフリカ屈指のローマ都市遺跡として、1982年にはユネスコの世界遺産に登録されています。

 さて、『世界の切手コレクション』4月25日号の「世界の国々」では、1947年の独立にいたるまでのリビア近代史についてまとめた長文コラムのほか、ズウェイティナの石油ターミナル、イドリース1世、“リビア独立の父”ウマル・ムフタールの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のリビア(と一部コモロ)の次は、5月30日に発売予定の6月6日号でのビルマ(と一部バーブーダ)の特集です。こちらについては、発行日の6月6日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 ヴェネズエラで大統領選挙
2018-05-21 Mon 10:25
 政治、経済の混乱が続く南米ヴェネズエラで大統領選の投票が、現地時間の20日(日本時間20-21日)、行われました。主要野党が公正な選挙が望めないことを理由に選挙をボイコットする中、選挙は現職のマドゥロ大統領と野党“革新進歩党”党首のファルコン前ララ州知事の事実上の一騎打ちで、現地時間の20日深夜(日本時間昼)には大勢が判明する予定です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ヒメネスペルー訪問

 これは、1955年、当時のヴェネズエラ大統領、マルコス・ペレス・ヒメネスがペルーを訪問した際、ペルー側が発行したヒメネスの肖像入り記念切手です。

 ヒメネスは、1914年4月25日、ヴェネズエラ西部、タチラ州生まれ。1934年にヴェネズエラの軍事アカデミーを卒業した後、ペルーのチョリヨス士官学校に留学し、若手の改革派将校として軍内の地盤を固めていきます。

 1941年に大統領に就任したイサイアス・メディーナ・アンガリータは軍人でしたが、文民政治と改革を志し、労働者の懐柔を進め、同年7月には左翼政党の民主行動党を合法化しました。

 ところが、メディーナ政権下で徐々に力を蓄えた民主行動党は、1945年10月18日、ヒメネスら若手将校を結んでクーデターを起こし、メディーナ政権を打倒。左派指導者のロムロ・エルネスト・ベタンクール・ベージョが臨時大統領に就任します。

 ベタンクール政権は1948年2月まで続き、石油メジャーとの利益配分の見直し(石油開発に伴う利益を開発会社と油田の存在する国との間で五十パーセントずつ配分するという“ヴェネズエラ方式”の導入)、農地改革、各種公社の創設、労働条件の改善など民主化政策を遂行した後、文学者のロムロ・ガジェーゴス・フレイレ政権と交代します。しかし、民主行動党のリベラルな政策に対して軍部は次第に不満を募らせ、同年11月には軍事クーデターが発生。ガジェーゴス政権は崩壊し、権力を掌握した軍事評議会は民主行動党を非合法化し、ベタンクールも亡命に追い込まれました。

 こうした経緯を経て、1952年の選挙では、反軍政を掲げる民主共和国連合が勝利を収めたものの、軍の実力者だったヒメネスは選挙結果を無視して自ら大統領に就任。1958年まで軍事独裁政権を維持しています。

 その後、ヒメネスは自らの大統領任期(5年)を延長すべく、1957年12月、自らに対する信任投票を行い、選挙干渉によって圧勝しましたが、1958年1月、そのことに反発した政党と海空軍が叛乱を起こし、ヒメネス政権は崩壊。ヒメネス本人も米国に亡命しました。なお、ヒメネスの退陣後、ウォルガング・ララサーバル将軍の暫定政権を経て、同年12月に行われた民主的選挙では、ベタンクールが大統領に当選。ベタンクールは1959年2月から1964年2月までの任期を全うし、ヴェネズエラの大統領として、次の候補者へ民主的な手続きで政権を移譲した最初の人物となりました。

 さて、現在のマドゥロ政権は、昨年5月1日、野党を封じ込めるため、従来から存在する国会(国民議会)とは別に“制憲議会”の招集を発表。7月30日、内外の反対を押し切って制憲議会選挙を強行しました。これだけでもかなりの問題ですが、この時の選挙では与党側に票の水増し疑惑が指摘されています。そして、8月4日に発足した制憲議会は、同月18日、国民議会から立法権を剥奪し、行使することを決定し、ヴェネズエラは事実上の一党独裁体制に移行しました。

 また、昨年10月の全国知事選では、事前の世論調査で野党側の圧勝が予想されていたにもかかわらず、結果は与党側の勝利で不正開票が疑われています。

 野党側が「公正な選挙が望めない」としているのはこうした事情を踏まえたもので、今回の大統領選挙でも、選挙管理当局の全国選挙評議会(CNE)はマドゥロ政権に実質的に掌握されているうえ、国連など国際的に認知された選挙監視団の派遣もないことから、公正さが疑問視されています。このため、米国や欧州連合(EU)は選挙結果を認めない方針です。

 20日早朝、投票が始まると、マドゥロ氏はカラカス市内の投票所で「人々が今日、誰を彼らの大統領に選ぶかを世界に示そう」と主張。与党陣営は投票所の外にテントを張り、与党の職員らが、与党の支持者であることを示すカードを持った有権者が実際に(与党に)投票したかどうか個別に確認し、この投票者のリストに名前がない場合、公務員は解雇し、そのほかの支持者にも食糧配給を止めるとの恫喝が横行していると伝えられています。

 このように、「どんなことをしても再選を果たす」意欲を示しているマドゥロですが、歴史的に見ると、古今東西、不正選挙で圧勝した独裁政権が国民の強い反発を招き、結局、退陣に追い込まれたケースというのは珍しくはありませんからねぇ。ほかならぬヴェネズエラでも、経済的には好調だったヒメネスが退陣に追い込まれた前例もあることですし・・・・。

 ちなみに、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、若きゲバラが訪ねたヒメネス政権下のヴェネズエラやベタンクールとの交流などについてもまとめています。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 英ヘンリー王子結婚
2018-05-20 Sun 04:18
 英国のヘンリー王子と米国の女優メーガン・マークルさんの結婚式が、きのう(19日)、ロンドン近郊のウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂で開かれました。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

     英国・ヘンリー王子結婚

 これは、今回のロイヤル・ウェディングに際して英国が発行した記念切手の小型シートです。

 今回のロイヤル・ウェディングの記念切手のもとになった写真は、昨年12月、結婚式が行われたウィンザー城からほど近い王室の離宮、フロッグモアハウスの敷地内で撮影されました。今回のロイヤル・ウェディングでは、フロッグモアハウスで招待客200名を招いてのウェディング・パーティーが行われました。

 フロッグモアハウスのある土地は、もともとは蛙が多く棲息する湿地だった場所(それが“フロッグモア”の名前の由来です)で、16世紀に王室領となりました。1680年、チャールズ2世の建築家、ヒュー・メイが最初の邸宅を建設。この邸宅は、18世紀以降、ノーサンバーランド公爵夫妻に貸し出されていました。1792年、ジョージ3世はシャーロット王妃のためにこの邸宅を買い取り、建築家のジェイムズ・ワイアットに命じて大規模な改修を行いました。

 植物や園芸に造詣が深かった王妃は、敷地内に4000本以上の樹木や低木を植え、湖や丘、林道、散歩道、橋などを作り、これにより、美しい景観の基礎が作られました。また、敷地内には、ヴィクトリア女王と夫アルバート王配の霊廟があることでも知られています。

 なお、写真を撮影したアレクシー・ルボミルスキは、ポーランドの王家ルボミルスキ家の出身で、“大公殿下アレクシー王子”の肩書を持っており、セレブ専門の写真家としても知られています。


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 ホセ・マルティ
2018-05-19 Sat 01:41
 きょう(19日)は、1895年5月19日に亡くなったキューバ独立の英雄、ホセ・マルティの忌日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(作家)

 これは、1953年にキューバが発行したホセ・マルティ生誕100周年の記念切手のうち、作家としてのマルティのイメージを取り上げた1枚です。

 ホセ・フリアン・マルティ・ペレスは、1853年、ハバナに生まれました。

 1865年、詩人で独立思想家のラファエル・マリア・メンディベが校長を務める公立学校に入学。メンディベを通じて、文学者や独立活動家と交流を持つようになり、1867年にハバナの美術専門学校に入学した後は、愛国的な詩や戯曲をさかんに書くなど、早熟な少年でした。

 第一次独立戦争勃発後の1869年、友人のフェルミン・バルデス・ドミンゲス宅がスペイン側の家宅捜索を受けた際、スペインの将校となった別の友人を“裏切り者”と罵倒したマルティの手紙が押収され、反逆罪の容疑で逮捕。懲役6年の判決を受け、ピノス島での収容所での強制労働に従事させられます。

 父親の奔走により、1870年末に釈放され、国外退去処分を受けてスペインへ渡ると、航海途中に記した『キューバに於ける政治犯刑務所』をマドリードで出版。サラゴサ大学などで法律や文学、哲学などを学びました。

 1874年末以降、フランス、ニューヨーク、メキシコ、グアテマラを経て、1878年、第一次独立戦争休戦後のキューバに戻ったものの、独立運動を展開したため、再び亡命を余儀なくされています。

 その後、メキシコ、ニューヨークなどを経て、ヴェネズエラのカラカスに渡り、雑誌『レビスタ・ベネソラーナ』を創刊しましたが、時の為政者グスマン・ブランコを批判したことで、国外退去を余儀なくされたため、1881年、当時多くの亡命キューバ人の滞在していたニューヨークに居を移しました。ニューヨークでのマルティは、小説家、詩人、評論家、教育者、ジャーナリストとして活動し、知識人としての地位を確保する傍ら、パラグアイおよびアルゼンチンの駐米領事、ウルグアイの駐米領事・国際金融会議代表を歴任しています。

 しかし、キューバ独立への思いは断ちがたく、1892年1月10日、全ての地位・役職を放擲し、独立活動に専念すべく、キューバ革命党を創立。①“キューバの完全独立の達成、プエルトリコの独立の推進・援助(併合主義の拒絶)のための戦争の準備、② 在外独立諸勢力の統一とキューバ内の勢力との連絡の確立、③カウディージョ主義・軍国主義的逸脱の排除、④“共和主義的精神・方法による戦争”の実施に寄与するような民主的諸原則の順守、を綱領として掲げました。

 マルティの認識によれば、第一次独立戦争の後、スペインはキューバに形式的な自治を与えたものの、キューバを独立させる気は毛頭なく、キューバの独立は武力で勝ち取らねばなりません。

 また、在米キューバ人の中には、富裕層を中心に、スペインからの独立後、“進歩と民主主義の国”にして、経済的な結びつきが強い米国への統合を求める者も少なくありませんでしたが、マルティは、「米国に統合してもキューバ人は幸せにならない」「(ニューヨーク在住の)私は(米国という)怪物の中に住んでいるので、その内臓をよく知っている」として、あくまでも独立を主張しました。

 1894年、革命の資金・武器調達のためにニューヨークを出発してメキシコに向かったマルティは、武器を満載した船3隻を得た後、1895年1月30日、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港し、第一次独立戦争の英雄、マクシモ・ゴメス・イ・バエス将軍と合流。経済危機に陥ったキューバ各地で独立闘争が激化したのを確認すると、3月25日、マルティとゴメスはジャマイカのモンテクリスティで、事実上の独立宣言ともいうべきモンテクリスティ宣言を発表。4月1日、ジャマイカを出発し、ハイチを経て、4月11日、キューバ島東部のプライータ海岸に上陸し、第二次独立戦争が始まりました。

 マルティらはキューバ各地で闘争を繰り広げましたが、兵力に勝るスペイン軍を相手に独立派は苦戦を続けます。そして、5月19日、ドス・リオス付近で戦闘に際して、「あなたは独立後に必要な人物なのだから、野営地に留まってほしい」とのゴメスの制止を振り切って進撃したところ、スペイン植民地軍の銃撃に遭い、戦死しました。

 ちなみに、マルティの遺体は、当初、スペイン側によって共同墓地に投げ入れられましたが、革命軍は彼の遺体を回収するために、スペイン軍と熾烈な戦いを繰り返して奪還に成功。後に、オリエンテ州第一管区総司令官の指示により、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィエネ墓地に埋葬されました。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、フィデル・カストロと1959年の革命に大きな影響を与えたホセ・マルティについてもまとめています。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 Y.M.C.A.の切手
2018-05-18 Fri 11:50
 歌手の西城秀樹さんが16日に亡くなっていたことが、きのう(17日)、明らかになりました。享年63。というわけで、西城さんの代表曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(以下、「ヤングマン」)にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニュージーランド・YMCA

 これは、2005年にニュージーランドが発行した“YMCA 150年”の記念切手で、西城さんの「ヤングマン」で有名になったYMCAポーズが取り上げられています。

 Y.M.C.A.は“Young Men's Christian Association (キリスト教青年会)”は、キリスト教主義に立ち、教育・スポーツ・福祉・文化などの分野で様々な事業を展開する国際組織で、1844年6月6日、ジョージ・ウィリアムズら教派を異にする12名のキリスト教青年によってロンドンで創立されました。その後、活動は欧米各地に広がり、1848年から1852年にかけて、エルベルフェルト(ドイツ)、モントリオール、ボストン、アムステルダム、パリ、ニューヨーク、ワシントン、ジュネーブに相次いでY.M.C.A.が創立。1855年には、後に赤十字の創立者となるアンリ・デュナン(ジュネーヴY.M.C.A.の創立者でもあります)が中心となり、パリで初めての世界大会が開かれ、世界Y.M.C.A.同盟が結成されました。

 これを受けて1855年には、ニュージーランド初のY.M.C.A.がオークランド創立され、そこから起算して150周年になるのを記念して発行されたのが、今回ご紹介の切手です。なお、わが国最初の東京Y.M.C.A.が創立されたのは、1880年のことでした。

 西城さんの「ヤングマン」は、米国ディスコグループ、ヴィレッジ・ピープルが1978年に発表した「Y.M.C.A.」のカヴァー曲。ヴィレッジ・ピープルがゲイ・カルチャーを強調したグループで、「Y.M.C.A.」も、キリスト教青年会による若者向けの宿泊施設(=Y.M.C.A.)にゲイの人たちが集まることから、この語がゲイを意味するスラングとして使われていることを踏まえ、ゲイを題材に歌った楽曲でした。ただし、西城さんのカヴァー曲の訳詞は、ゲイ・カルチャーとは無関係の青春讃歌/応援歌の内容となっています。

 ヴィレッジ・ピープルが原曲を発表した時点では、今回ご紹介の切手にあるような振り付けはありませんでした。両手でY、M、C、Aの4文字を表現する振付は、一般に、1979年1月4-6日、西城さんが新春コンサートで初披露したものとされていますが、ほぼ時を同じくして、1979年1月6日、米国の音楽番組「アメリカン・バンドスタンド」で、ヴィレッジ・ピープルの演奏中に観客の一部が行っているのが確認されており、1978年の時点で、自然発生的に行われていたようです。ただし、この振付が一躍有名になったのは、やはり、西城さんの「ヤングマン」に負うところが大きいとみてよいでしょう。

 謹んで、御冥福をお祈りいたします。


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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 グアテマラも大使館移転
2018-05-17 Thu 07:50
 中米のグアテマラは、きのう(16日)、在イスラエル大使館をテルアヴィヴからエルサレムに正式に移転し、記念式典を開催しました。昨年末の米国によるエルサレムの“首都”認定後、エルサレムへの大使館移転は米国に次ぎ、グアテマラが2ヵ国目となります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアテマラ革命FDC

 これは、1945年にグアテマラが発行した“グアテマラ10月革命”の記念切手の米国宛初日カバーです。

 世界恐慌発生直後の1930年、グアテマラでは軍出身のホルヘ・ウビコ・イ・カスタニェーダが米国の支持を背景に政権を掌握します。

 世界的な不況の中で出発したウビコ政権は、経済再建を大義名分に極端な強権政治を展開。公務員給与の4割カットや大量解雇などにとどまらず、債務奴隷や強制労働制度の導入、さらに、地主に労働者への処刑を認める法律さえ制定しました。また、人口の約4割を占めていたマヤ系の先住民族に対しては、彼らを“文明化”するためとして兵役の義務を課しています。

 その一方で、それまでもグアテマラに広大な農地を所有していたユナイテッド・フルーツ社に対して、鉄道建設と引き換えに、さらに数百万ヘクタールの土地と免税特権を与え、事実上の経済的支配権を許し、その見返りに巨額のキックバックを受け取っていました。

 当然のことながら、国民はウビコの政策に不満でしたが、ウビコは大統領直属部隊の“国家警察軍”を創設してスパイ・密告網を張り巡らし、1933年には共産党を壊滅させたのを皮切りに、反対勢力を徹底的に弾圧することで独裁権力を維持し続けます。

 しかし、1944年6月25日、学生の反政府運動に知識人、専門職、若手軍人らが合流して大規模な反政府デモが発生。ゼネストと抗議行動はグアテマラ全土に拡大し、6月30日には米国もウビコの行動を批難したため、7月1日、ウビコは米ニューオリンズに亡命し13年余に及んだ独裁政権は崩壊しました。

 ウビコの亡命直後、ブエネべンチュラ・ピニェダ大佐、エドゥアルド・ビジャグラン・アリサ大佐、フェデリコ・ポンセ・バイデス将軍の3名は、国民議会を開いて暫定大統領の選出することを約束しましたが、7月3日、実際に議会が招集されると、軍は全議員に銃口を突き付け、ポンセへの投票を強要。ポンセは、ウビコからの命を受け、ウビコ政権の閣僚の多くを留任させたほか、弾圧政策もそのまま継続させたため、反政府勢力が再び結集。10月二十日、前年まで士官学校の校長を務めていたハコボ・アルベンス・グスマンと、軍内改革派のフランシスコ・ハビエル・アラナ将軍を指導者とする兵士・学生グループが国民宮殿を襲撃し、ポンセを追放。アルベンスやアラナ、そして弁護士のホルヘ・トリエリョが革命政権を樹立し、年末までに民主的選挙を実施することを確約しました。

 これが、1944年のグアテマラ10月革命で、今回ご紹介のカバーの切手は、革命の成功を祝して1945年2月20日に発行されたものです。

 10月革命を受けて行われた選挙の結果、亡命先のアルゼンチンで大学の哲学教授をしていたフアン・ホセ・アレバーロ・ベルメホが大統領に選出されました。

 アレバーロ政権は、1951年の任期満了までの間に、25回ものクーデター未遂事件が発生するなど、困難な状況にありながらも最低賃金法や教育予算の拡充、労働改革などの成果をあげましたが、外交面では、1948年5月19日、建国後間もないイスラエルをすぐに国家承認。1980年代までエルサレムに大使館を置いていました。

 昨年12月21日、米国によるエルサレムの首都認定に関して、国連の緊急特別会合が開催され、米国の決定撤回を求める決議を賛成多数で採択された際、グアテマラは反対票を投じた9ヵ国のうちの一つですが、その際、モラレス大統領が「我々はイスラエルの建国を支援してから極めて良好な関係を維持している」、「イスラエルとは70年にわたる同盟国として良好な関係だ」などと述べたのは、こうした歴史的経緯を踏まえてのことです。

 ちなみに、1944年の10月革命から1954年のアルベンス政権崩壊までの10年間、グアテマラは“グアテマラの春”と呼ばれたリベラルな時代がしばらく続きますが、若き日のチェ・ゲバラは、その最末期、首都のグアテマラシティに滞在し、CIAの工作によりアルベンス政権の崩壊を見届けています。7月に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そのあたりの事情についても詳しく書きましたので、無事に刊行の暁には、なにとぞよろしくお願いします。


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 ラマダーンはじまる
2018-05-16 Wed 01:00
 ことし(ヒジュラ暦では1439年)のラマダーンが、きのう(15日)から始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ(ハマース)・ラマダーン

 これは、2011年8月1日、ガザ地区を実効支配していたハマース政府が、イスラム暦1432年ラマダーン(月)のスタートにあたって発行した記念切手で、岩のドームが取り上げられています。

 イスラム暦の第9月にあたるラマダーンは、ムスリムにとっては断食の月で、目視による新月の確認をもって正式にスタートします。切手に細い月が描かれているのは、このことを踏まえ、ラマダーンの始まりを表現したものです。

 ラマダーンの断食は、ムスリムが行わなければならない宗教的義務“五行”のひとつ。もともとはユダヤ教の習慣だったものを預言者ムハンマドが信徒に課したのが始まりで、忍耐力を養うとともに、貧しくて食事をとることのできない人々に思いをいたし、彼らの苦しみを理解するのが目的とされています。

 ラマダーン期間中は、単に食欲・性欲を断つだけではなく、嘘や下品な話、口論、喧嘩、淫らな思考などをせず、ムスリムとして正しい振る舞いをし、貧者に思いをいたし、進んで喜捨をするべきとされています。そして、断食の苦行体験を皆で共有し、日没後の食事(イフタール)を共にすることで、ムスリムとしての連帯感を涵養することになっています。

 ラマダーンは断食という肉体的な苦行を伴うだけでなく、精神的にも“正しいムスリム”であることを強く要求されるため、個々のムスリムにとっては負担も大きく、それゆえ、ラマダーン明けの大祭(イード・フィトゥル)は多くの人々が心の底から開放感を感じる“ハレの日”として、いわゆるイスラム諸国ではなくても、ムスリムが一定の割合を占める国では記念切手が発行されることも少なくありません。

 これに対して、ハマース政権の切手は、ラマダーン月の初め、すなわち、これから断食の苦行が始まるタイミングで発行されているという点でユニークです。その背景には、ハマースなどのいわゆるイスラム原理主義勢力が、自らの勢力拡大ないしは資金獲得の手段としてラマダーンを利用しているという現状があります。

 すなわち、ラマダーンの期間中、ムスリムは精神的に高揚した状態になることが少なくありませんが、そうした状態で、モスクに通い、イフタールの食事をとる人は数多くいます。

 その際、モスクでの説教が、宗教的にオーソドックスで穏健な内容であれば問題はないのですが、中には、イスラム原理主義に親和的な説教師が、腐敗堕落した欧米文化やそれに毒された既存のイスラム社会を糾弾して信徒の憎悪を煽るケースもあり、一定の割合で彼らに感化されて過激な言動に走る者が発生します。

 じっさい、ハマースにも、そうしたラマダーン期間中の特殊な空気を活用して、勢力を拡大してきた面がありました。

 たとえば、彼らはガザ地区を支配するようになってからは、ラマダーンの始まりに際して囚人に対して恩赦を行うとともに、ラマダーン明けのタイミングで“犯罪者”の公開処刑も行うなどして、権力の行使を可視化する機会としてラマダーンを利用しています。

 また、ラマダーン期間中は貧者を対象とした喜捨が奨励されていることを利用し、ハマースは巨額の金銭や物品を信徒から集めており、それが彼らの重要な資金源になっているという点も見逃せません。ラマダーンを悪用したハマースの資金集めは、ガザ地区のみならず、オーストリアを拠点に欧州でも活発に行われており、集められた資金はトルコのハマース系企業、レバノンなどを経由して、テロ活動の原資としても使われているとも指摘されています。

 したがって、ハマースにしてみれば、ラマダーン明けのイードもさることながら、ラマダーン期間中こそが自らの勢力を拡大するための重要な機会になっているともいえるわけで、そうした意識の下、彼らは、ラマダーン初日に岩のドームを取り上げた切手を発行することで、(彼らの認識では)パレスチナの正統政府として「イスラエル国家を承認せず、武力闘争路線を継続する」という姿勢をあらためて強調しようとしたのでしょう。

 くしくも、おととい(14日)、(西暦での)イスラエル建国70周年にあわせて、米国大使館がテルアヴィヴからエルサレムへ移転。これに対して、ハマースの実効支配下にあるガザ地区では抗議活動が激化(一部暴徒化)しており、この記事を書いている時点で、イスラエル軍との衝突により、60人超が死亡しました。また、ヨルダン川西岸でもゼネストが発生するなど、情勢が緊迫しています。

 今月27日からエルサレムで開催予定の世界切手展<WSC Israel 2018>に日本コミッショナーとして、日本からの出品作品をお預かりして現地入りする予定の僕としては、ともかくも事態が沈静化し、無事に切手展が開催されることを祈るばかりです。

 なお、ハマースとその切手については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 


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 第一次中東戦争70年
2018-05-15 Tue 01:34
 1948年5月15日に第一次中東戦争が勃発してから、きょう(15日)で、ちょうど70年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました、(画像はクリックで拡大されます)

     ヨルダン・アラブの土地パレスチナを救え標語

 これは、第一次中東戦争中の1949年1月、トランスヨルダン(当時)の首都、アンマンからロンドン宛の郵便物で、“アラブの土地、パレスチナを守れ”とのスローガン印が押されています。また、国王アブドゥッラーの肖像切手のほか、強制貼付切手として、イブラヒーム・モスクを描く3および5ミリーム切手、岩のドームを描く10および15ミリーム切手が貼られています。

 1948年5月14日、英国による委任統治の期限が切れるタイミングに合わせて、ユダヤ国民評議会はユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これに対して、イスラエルの建国を認めない周辺のアラブ諸国(エジプト、トランスヨルダン、レバノン、シリア、イラク)は、即日、イスラエルに宣戦を布告し、イスラエルとアラブ諸国との第一次中東戦争が勃発しました。

 開戦当時、アラブ側は兵員・装備ともにイスラエルを圧倒しており、緒戦の戦局はアラブ側有利で推移します。特に、トランスヨルダンの精鋭部隊、アラブ軍団は、イラク軍とともに“岩のドーム”があるエルサレム旧市街(東エルサレム)を含むヨルダ川西岸地区を占領。終戦までこの地を保持しました。一方、エジプト軍は、5月15日、隣接するガザ地区を占領し、自国領に編入しています。これに対して、20世紀以降に建設された新市街を中心とする西エルサレムはイスラエルが占領。エルサレムは東西に分割されることになりました。

 エルサレム旧市街を占領したトランスヨルダンは、もともと、第一次大戦後の旧オスマン帝国領の分割の過程で、1921年、英国がヨルダン川東岸地域に委任統治領として設定しました。トランスヨルダンという名は“ヨルダン川の向こう”という意味ですが、英国を基準に見ればヨルダン川東岸を意味しています。

 1946年、トランスヨルダンは英国から独立しますが、この時点では、ヨルダン川西岸は同国の領土ではありませんでした。ところが、1947年5月31日、トランスヨルダンが発行した“強制貼付切手”には、ヨルダン川西岸、英国委任統治下にあったパレスチナ域内の風景も取り上げられています。今回ご紹介のカバーに貼られている切手の岩のドームと、イブラーヒーム・モスクは、いずれも、第一次中東戦争が勃発すると、トランスヨルダンの管理下に置かれました。

 そもそも、第一次中東戦争に参戦したアラブ諸国の大義名分は、ユダヤ人国家イスラエルの建国を阻止し、パレスチナを解放することとされていました。今回ご紹介のカバーのスローガン印が“アラブの土地、パレスチナを守れ”となっているのも、そうした事情によるものです。

 しかし、現実には、ガザ地区を占領したエジプトと同様、ヨルダン川西岸を占領したトランスヨルダンは、混乱に乗じ、パレスチナの犠牲の上に自国の権益を拡大しようという意図をもって参戦していました。

 トランスヨルダンが、いつから英国撤退後のパレスチナ(の一部)を占領しようと企図していたかは定かではありませんが、結果的に、こうした切手が郵便物に貼られ、人々の間を流通している間に、そうした方針が固められ、戦争の勃発と同時にそれが実行に移されたことになります。

 そうした背景の下、今回ご紹介のカバーにある「アラブの土地、パレスチナを守れ」というスローガンは、自国の領土拡張の戦争にトランスヨルダンの国民を動員するうえで、一定以上の説得力を持っていましたし、戦争の結果として、パレスチナに独自のアラブ国家が建国されなければ、トランスヨルダンが“同胞のために”パレスチナの占領地を管理するのは正当な行為であるというロジックも導き出されることになるわけです。その意味では、トランスヨルダンの強制貼付切手は第一次中東戦争の前兆になっていたとみなすことも可能かもしれません。

 さて、第一次中東戦争は、緒戦のうちこそ旧パレスチナの一部を占領するなどアラブ諸国が優勢でしたが、その優位は長くは続きませんでした。開戦後まもない5月22日には、国連安保理がパレスチナ問題を議題として取り上げ、パレスチナ全域での軍事行動の即時停止の呼びかけを決議。これを受けて、国連の仲介により、6月11日から7月8日までの4週間にわたり、第一次休戦が両軍の間で合意されました。

 イスラエルは、この休戦期間を最大限に利用し、5月28日に創設されたイスラエル国防軍を中心に態勢を建て直していきます。これに対して、アラブ側では、休戦期間中、各国の路線対立から指導部内の不協和音が表面化し始め、特に、パレスチナ地域の自国への併合をめざすトランスヨルダンに対しては、他のアラブ諸国からも大きな不満の声があがっていました。

 当然、イスラエルはこうしたアラブ側の足並みの乱れに乗じて緒戦での失地回復を目指して攻勢を展開。10月16日には、シナイ半島のネゲブ砂漠でエジプト軍への総攻撃を開始し、緒戦の失地を回復したばかりか、国境を越えてエジプト領内に侵攻しました。

 イスラエルが英委任統治時代の旧パレスチナの領域をも越えてしまったことで、エジプトを実質的な支配下においていた英国は深刻な危機感を抱き、1949年1月1日、イスラエル駐在の米国大使を通じて、「イスラエル軍がエジプト領内から撤退しない場合、英国は1936年の英国=エジプト条約に基づいてエジプト軍を支援する」と通告。イスラエル軍にシナイ半島からの撤収を強く要求ました。

 このため、イスラエルも戦争終結に向けて譲歩の姿勢を示すようになり、1949年2月23日、エジプトがイスラエルとの休戦条約を調印したのを皮切りに、3月23日にはレバノンが、4月3日にはトランスヨルダンが、7月20日にはシリアが、それぞれ、休戦条約を調印。これら各国とイスラエルとの停戦ラインが事実上の“国境”となりました。

 エルサレムに関しては、すでに述べたように、旧市街を含む東エルサレムはトランスヨルダンの支配下に置かれ、20世紀以降に建設された新市街の広がる西エルサレムがイスラエルの領土となります。

 休戦に先立ち、1948年12月1日、トランスヨルダンの占領下に置かれていたヨルダン川西岸地区では、現地の親ヨルダン派のパレスチナ人指導者が死海北西岸のイェリコでパレスチナ・アラブ評議会を開催し、トランスヨルダン国王アブドゥッラーを“全パレスチナ人の王”とし、同国王に対して西岸地区のトランスヨルダンへの併合を要請する決議を採択。これを受けて、同月13日、トランスヨルダン議会はイェリコでの評議会の決議を全会一致で承認。西岸地区の併合に向けて着々と準備を進めていきました。

 そのうえで、イスラエルとの休戦協定成立後の1949年6月、トランスヨルダンはヨルダン川西岸地区と東エルサレムを併合し、新国家“ヨルダン・ハシミテ王国”の建国を宣言した。ヨルダン川の両岸を領有したことに伴い、“川の向こう側(東側)”を意味する“トランス”が削除されたわけで、これが現在のヨルダン国家となります。

 しかし、パレスチナ人の中には、ヨルダンへの併合を潔しとしない者も少なくなかったうえ、戦争を通じて一人大幅に版図を拡大したヨルダンに対して周辺アラブ諸国は大いに反発。1951年7月20日、国王アブドゥッラーはエルサレムのアクサー・モスクで金曜礼拝の最中に暗殺され、息子のタラールが第二代国王として即位しました。

 いずれにせよ、第一次中東戦争の結末は、その契機となった1947年11月の国連決議第181号と比べて、パレスチナのアラブに対して、はるかに大きな犠牲を強いるものとなりました。

 すなわち、国連決議ではパレスチナを分割し、アラブ国家とユダヤ国家を創設することになっていましたが、アラブ国家は実際には創設されず、イスラエルのみが成立した。また、エルサレムを国連の信託統治下に置くというプランも、東西エルサレムがイスラエルとヨルダンによって分割されることにより、実現されないままに終っています。

 その後、アラブとイスラエルの“中東戦争”は第四次まで起こっていますが、そもそもアラブ諸国の側も、彼らが掲げていた“パレスチナ解放”の大義を当初から踏みにじっていたことを見逃してはなりますまい。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 


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 米大使館、きょうエルサレムへ
2018-05-14 Mon 01:44
 米国は、昨年12月にトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことを受け、西暦でのイスラエル建国70周年にあたるきょう(14日)、在イスラエル大使館をテルアヴィヴからエルサレムに移転します。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・トルーマン(1975)

 これは、1975年、米国がイスラエルを国家承認した際の大統領としてのハリー・トルーマンを讃えてイスラエルが発行した切手です。

 トルーマンはカンザス・シティのビジネス・カレッジを卒業後、カンザス・シティのナショナル・バンク・オブ・コマースに窓口係として就職したのが社会人としてのキャリアのスタートでした。1905年、彼は、リトアニア出身のユダヤ人移民の子で、地元の洋品店で働いていたエドワード・ヤコブセンと知り合いになります。1917年に米国が第一次大戦に参戦すると、トルーマンとヤコブセンは徴兵され、ともに第129砲兵隊の酒保係に配属されました。“戦友”となった二人は大いに意気投合し、退役後、共同事業を始めます。ユダヤ人に対する差別が根強かった当時の米国では、トルーマンのように、ユダヤ人のヤコブセンとビジネス・パートナーの関係になるWASP(プロテスタントのアングロ・サクソン)は例外的な存在でした。

 その後、2人の共同事業はすぐに破綻しましたが、個人的な友情は生涯続き、1945年4月、フランクリン・ローズヴェルトの死により、トルーマンが大統領に就任すると、ヤコブセンはホワイトハウスに出入りできる例外的な民間人の一人となりました。

 こうしたヤコブセンとの個人的な友情関係に加え、上院議員として実績を積み重ね、副大統領、そして大統領になった老練な政治家としてのトルーマンは、政治的な打算から、ローズヴェルトと比べると、明らかに親ユダヤ的な態度を取っていました。

 すなわち、パレスチナでのアラブとイスラエルの対立に関して、米国は直接の当事者ではないとの認識から、ローズヴェルトは、アラブ諸国の指導者に対して、「米国としては、アラブ・ユダヤの双方と十分な協議をすることなくパレスチナの基本的な状況を変えることはしない」と約束しており、トルーマンも基本的にはこの方針を継承することを表明していました。その一方で、トルーマンは側近との会話では「米国の有権者のうち、いったい、アラブ系はどのくらいいるのかね」と述べており、シオニストへの支持を隠そうとしませんでした。

 さらに、ドイツの敗北により、アウシュヴィッツをはじめ強制収容所の悲惨な実態が白日の下にさらされるようになると、戦勝国の大義を示すためにも、米国ではユダヤ人犠牲者の救済が重要な課題と見なされるようになりました。

 かくして、1945年7月、トルーマンは英国政府に対して、ユダヤ人のパレスチナへの移住を制限する政策(1939年のマクドナルド白書で決定)を解除するよう要請。さらに、同年8月には、10万人のユダヤ系難民をパレスチナに移民として受け入れるよう、英国首相アトリー宛の書簡で要請します。

 このトルーマン書簡を契機として、米英両国の代表団からなるパレスチナ問題調査委員会が設立される。委員会は、1946年5月、①パレスチナはアラブ州・ユダヤ人州に分割せず、国連による暫定的な信託統治を行う、②ナチスの犠牲者となった10万人のユダヤ系難民のパレスチナ入国を認める、③パレスチナの土地譲渡制限を事実上撤廃する、という報告書をまとめました。

 しかし、報告書発表の直前、またしても、シオニスト過激派により英国人兵士6人が殺害されるテロ事件が発生。態度を硬化させた英国は、ユダヤ人テロ組織の武装解除を優先させるよう主張し、ユダヤ系難民のパレスチナ受け入れに強い難色を示します。英国のパレスチナ当局からすれば、“難民”というだけの理由で、身元の定かではないユダヤ人を大量に流入させれば、難民に偽装したテロリストも紛れ込み、パレスチナの治安を悪化させるリスクが高まるのは当然で、パレスチナ問題調査委員会の報告書の内容は受け入れがたいものでした。

 しかし、第二次大戦以前、ほとんど中東と接点のなかった米国をはじめ、戦勝諸国の大半は、そうしたパレスチナの事情を全く理解しようとはしませんでした。むしろ、侵略者の独裁国家を打倒して自由と民主主義を守ったことが自分たちの戦争の大義であると主張する必要から、彼らは、ナチス・ドイツの蛮行、特に、ユダヤ人迫害とその犠牲を強調し、彼らが救い出した“かわいそうなユダヤ人”に救いの手を差し伸べなければならないと信じていました。

 かくして、ユダヤ系難民の受け入れに慎重なパレスチナ当局の姿勢は、パレスチナの現実を知らない戦勝国の善男善女から批判を浴びただけではなく、“大英帝国”の一員として英国の戦争を戦ったパレスチナのユダヤ系住民のさらなる不満を醸成。シオニスト過激派による反英闘争も激化の一途をたどりました。

 この結果、シオニスト過激派の反英テロに手を焼いたイギリスは、ついに、自力でのパレスチナ問題の解決を放棄。1947年2月、国際連合(以下、国連)に問題の解決を一任すると一方的に宣言。

 これを受けて、同年5月、国連にパレスチナ問題特別委員会が設立され、8月31日、パレスチナにアラブ、ユダヤの二独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くというパレスチナ分割案を多数派意見として発表。この分割案は、ユダヤ人国家の創設に同情的であった米国のみならず、国内のユダヤ人をパレスチナへ入植させることで中東地域に影響力を扶植しようと考えていたソ連の賛成もあり、同年11月29日、国連決議第181号として採択されました。

 以後、これを不満とするアラブ住民とシオニストとの間でテロの応報が繰り広げられ、パレスチナ全土は事実上の内戦に突入。しかし、パレスチナの治安に責任を負うべきはずの英国は、英国人兵士や警官の死傷があいついだことを理由に、1947年12月、先の国連決議で決められた8月1日という日程を2ヵ月半繰り上げ、1948年5月15日をもってパレスチナから撤退すると発表。委任統治国としての責任を放棄し、みずからの中東政策の失敗が招いた混乱を放置してパレスチナから逃げ出すことになりました。

 これに対して、1948年2月、エジプト、トランスヨルダン、レバノン、シリア、サウジアラビア、イラクの六ヶ国がカイロで会議を開き、パレスチナでのユダヤ人国家の建設阻止の決議を採択。義勇兵の派遣を決定。一方、同年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立し、新国家樹立に向けての具体的に動き始めました。

 これとあわせて、米国では在米シオニストの意を受けたヤコブセンの説得でトルーマンがハイム・ヴァイツマン(イスラエル建国後の初代大統領)と会見。トルーマンは、①ユダヤ人国家建設のために尽力すること、②新国家建国の暁にはそれを直ちに承認することをヴァイツマンに密約します。

 パレスチナでの内戦が激化する中で、英国の委任統治が終了する前日の1949年5月14日、テルアヴィヴの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、「ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による」とするユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これを受けて、同日、米国のトルーマン政権は主要国の中で最初にイスラエルを承認し、現在に至る米国=イスラエル関係がスタートしました。

 なお、イスラエル建国前後の状況については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 母の日
2018-05-13 Sun 00:43
 きょうは“母の日”です。というわけで、毎年恒例、母と子を題材とした切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ母子

 これは、2008年にキューバが発行した“チェ・ゲバラ生誕80年”の記念切手のうち、母親に抱かれる幼きゲバラと、当時、一家が住んでいた住居が取り上げられています。

 チェ・ゲバラの母親、セリア・デ・ラ・セルナ・イ・ジョサはバスク系のアルゼンチン人で、1906年、ブエノスアイレスで生まれました。1927年12月10日、アイルランド系アルゼンチン人のエドゥアルド・ラファエル・エルネスト・ゲバラ・リンチと結婚。当時、2人はアルゼンチン北東部のミシオネスでマテ茶の農園を経営していましたが、1928年6月14日、出産と商用のため、ブエノスアイレスに船で移動する途中、ロサリオで、後に“チェ・ゲバラ”として有名になる長男のエルネストが生まれました。これを機に、ゲバラ夫妻は、農園の経営を他人に委ねて気候の温和なロサリオに転居。切手に取り上げられている家での生活を始めました。

 セリアは当時のアルゼンチンでは珍しい無神論者にして社会主義の信奉者で、後に、エルネスト宛の手紙で「全世界が社会主義になることを期待している老女」と自分のことを記しているほどでした。また、1936年にスペイン内戦が勃発し、スペイン語圏のアルゼンチンにはスペインからの亡命者が目立つようになると、共和派への同情を公言。エルネストの人格形成に大きな影響を与えました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの人格が形成されていった幼少期についても、時代背景を踏まえて詳しくご説明する予定です。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

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 きょう、イラク総選挙
2018-05-12 Sat 13:43
 イラクで、きょう(12日)、昨年末の“イスラム国”ことダーイシュ掃討完了宣言後、初の発の国会選挙(定数329)が行われます。というわけで、きょうはイラクの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・対日国交75年(500)

 これは、前回のイラク国会選挙が行われた2014年に発行された“日本との外交関係樹立75周年”の記念切手のうち、500ディナール切手です。

 現在のイラク国家の地域は、第一次大戦以前はオスマン帝国の支配下に置かれていましたが、1918年、第一次大戦でオスマン帝国が敗北すると、そのモースル州・バグダード州・バスラ州(ただし、現在のクウェート国家に相当する地域を除く)は英国の勢力圏とされ、1921年、この地域に英国委任統治領メソポタミアが成立しました。

 英国は、ハーシム家(イスラムの預言者ムハンマドの直系の子孫で、聖地メッカの地方君主を輩出した家系)の出身で、大戦中のアラブの指導者であったファイサル・イブン・フサインを国王として招き、親英王制を樹立したうえで、1932年、ファイサルを国王とするイラク王国を独立させます。

 このイラク王国と日本との正式な外交関係は、1939年11月、日本がイラクに公使館を設置したところから始まりましたが、第二次大戦により両国関係は一時途絶。1952年、日本が講和独立を達成したことで、両国の外交関係は復活し、1955年12月、イラク側が在日公使館を開設しました。

 1956年9月には、考古学者でもある三笠宮殿下を長とする日本の学術調査団がイラクを訪問。翌1957年にはイラクの皇太子が日本を公式訪問するなど、両国の皇室も友誼を通じていましたが、1958年7月の革命でイラクの王制は打倒され、現在のイラク共和国が発足します。

 共和革命後の1960年、イラクの日本公使館が大使館に格上げされると、在日イラク公使館も大使館に格上げされます。さらに、1964年には両国間で貿易協定が、1974年には経済技術協力協定が結ばれました。特に、石油危機直後の1974年には、日本は10億ドルの円借款と引き換えに10年間の原油供給保証をイラク側から受けており、これを機に、日本の商社はイラクの高速道路、病院、セメント工場、発電所、バグダード国際空港などの大型プロジェクトを受注しています。

 しかし、1980年にイラン・イラク戦争が勃発すると、イラクにおける日本企業の活動は大いに減退。さらに、1990年のイラク軍によるクウェート侵攻を経て1991年に湾岸戦争が勃発すると、それに伴い国連による対イラク経済制裁が発動され、日本とイラクの輸出入は事実上停止されました。

 サダム・フセイン政権崩壊後の2003年以降、日本は国際社会と協調してイラクの復興・民主化支援を行っており、同年のマドリード会合では、無償支援15億ドルと円借款35億ドルの支援を表明。また、ムサンナ州サマーワへの自衛隊を派遣して人道的支援も行い、現地住民の歓迎を受けました。また、2007年と2011年にはヌーリー・アル=マーリキー首相(当時)が訪日しています。

 さて、“日本との外交関係樹立75周年”の切手は、同図案の3種と小型シートのセットで発行されましたが、そのうち、今回ご紹介の500ディナール切手は、印面下方の記念銘のアラビア語表記が間違っていることで話題になりました。これは、右から左に書くべきアラビア文字の順番が、左から右になってしまったためで、おそらく、パソコンでの入力ならではのミスでしょう。ちなみに、他の切手は正しいアラビア語表示になっていますので、なぜ、500ディナール切手にだけそうしたミスが生じたのか、ちょっと不思議です。(下に正しい表示の切手とアラビア語の正誤それぞれの画像を貼っておきます)

      イラク・対日国交75年(250)

 250ディナール切手の正しいアラビア語表示 

      イラク・対日国交75年(250部分)

 500ディナール切手の間違った(左右文字の順番が逆の)アラビア語表示
      
      イラク・対日国交75年(500部分)


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 ゴラン高原の切手
2018-05-11 Fri 11:35
 イスラエル軍は、きのう(10日)未明、シリア・ゴラン高原にあるイスラエル入植地にイラン革命防衛隊がロケット弾20発を撃ち込んだと発表。、その報復として、70発以上のミサイルで、シリアにあるイランの軍事施設を攻撃し、両国の直接対決の懸念が高まっています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・ゴラン高原(1983)

 これは、1983年にイスラエルが発行した“ゴラン高原の入植地”の切手です。

 ゴラン(アラビア語でジャウラン)高原は、シリア南西端の丘陵地帯で、西はヨルダン川とガリラヤ湖、北はヘルモン山、東はヤルムーク川の支流アルルカド・ワディ、南はヤルムーク川に囲まれており、ヨルダン渓谷上流地帯を見通す位置にあります。

 年平均降水量500-800ミリと雨にも恵まれていることもあり、古くから肥沃な土地として知られ、聖書に登場する“ゴラン”の町は、現在のゴラン高原西側のハウラーン地方と考えられています。

 1967年の第三次中東戦争以前、ゴラン高原の大半は、行政上、シリアのクネイトラ県の領域で、一部が同ダルア県に属しており、推定人口は15万人で、スンナ派アラブを中心に、ドルーズ派、アラウィー派、チェルケス人(もとはコーカサス北東部に生活していたムスリムで、19世紀にロシアの圧迫を逃れ、オスマン帝国領に移住した人々の子孫)などが生活していました。

 1967年の第3次中東戦争でイスラエルはゴラン高原を占領。これに対して、1973年の第四次中東戦争では、当初、シリア軍がゴラン高原の一部を奪還したものの、最終的に、イスラエルの反撃でイスラエルが再占領しました。

 その後、1974年5月31日 米国の仲介で、シリアとイスラエルの間の兵力引き離し合意が成立(6月6日に実行)し、中心都市だったクネイトラを含む一部の地域がシリアに返還されましたが、それ以外の地域については、イスラエルは占領を継続。新しい入植地を建設したうえで、1981年、ゴラン高原の併合を宣言しました。今回ご紹介の切手も、こうした事情を踏まえて、ゴラン高原が自国領であることを示すため、イスラエルが発行したものです。ただし、イスラエルによるゴラン高原の併合宣言については、シリアと国連はこれを認めていません。


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 マレーシアで政権交代
2018-05-10 Thu 09:08
 きのう(9日)、マレーシア議会下院(定数222)選挙の投開票が行われ、マハティール元首相が率いる野党連合が過半数議席を獲得。これにより、1957年の独立以来、統一マレー国民組織(UMNO)を中心とした与党連合が政権を独占していたマレーシアでは、初の政権交代です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。

      マレーシア・国会議事堂(1963)

 これは、1963年11月4日にマレーシアで発行された第9回英連邦議会協会の記念切手で、クアラルンプールの国会議事堂が描かれています。

 英連邦議会協会は、英連邦諸国の議会による国際組織で、1911年、オーストラリア、カナダ、ニューファンドランド、ニュージーランド、南アフリカ連邦と英国で結成された大英帝国議会協会がその前身で、1947年のインド・パキスタンの分離独立を経て、1948年、第二次大戦後の独立国も含めた英連邦議会協会となりました。

 今回ご紹介の切手は、1963年の第9回会議がマレーシアで開催されたことにちなみ、開催国のマレーシアが発行したものです。

 切手に描かれた国会議事堂は、会議前年の1962年の完成。設計はヤン・ディ・ペルトゥアン・アゴンで、3階建ての本館と隣接する18階建ての議員会館の2つの建物で構成されています。また、屋上には1957年の独立時の州(ペナンマラッカ、ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハン、ジョホールプルリスクランタンクダー、トレンガヌ)の数にあわせて11の塔が立っています。また、内部には図書館、事務局、バンケット・ルームなどが入っていますが、こちらは一般の観光客には公開されていません。

 さて、今回の選挙結果は、マハティール率いる野党連合は113議席、ナジブ首相率いる与党連合(国民戦線)は79議席となっており、マハティールは、きょう(10日)、首相就任の宣誓式を行う予定です。2003年まで22年に渡り長期政権を担ってきたマハティールは、現在、92歳。選挙で選ばれた指導者としては世界で最高齢となります。


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 切手歳時記:五月の花束
2018-05-09 Wed 01:50
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2018年5月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本国憲法施行・五月の花束

 これは、1947年5月3日に発行された“日本国憲法施行”の記念切手のうち、五月の花束を描いた1円切手です。

 日本国憲法の公布は1946年11月3日のことでしたが、新憲法関連の記念切手発行の具体的な計画が立案されるようになったのは、公布まであと2ヶ月弱となった9月中旬のことで、記念切手発行の概要が正式に決定された時には、すでに11月3日の公布まで残り1ヶ月をきった10月10日になっていました。当然のことながら、記念切手は新憲法の公布に間に合わせることはできず、翌年5月の施行にあわせて発行することとされ、図案の懸賞公募が行なわれます。

 なお、図案公募の際には、切手の記念銘は「改正憲法施行記念」とすることとされていました。これは、「日本国憲法」が戦前の「大日本帝国憲法」の改正によって成立したとの形式をとっていたことをふまえたものでしたが、実際に発行された切手では「日本国憲法施行記念」と改められています。

 公募の結果、1等には「議事堂に鳩を配して平和の表現を主張した図案」(中尾龍・広島)、2等には「花束」(堀本正親・奈良)、「議事堂と門扉」(大越英男・埼玉)、「幼児を抱いた婦人と議事堂」(釜谷市太郎・東京)が、それぞれ選ばれました。

 本来であれば、これら入選作品のうち、1等の中尾作品が切手に取り上げられるのが自然ですが、審査委員会の席上、中尾作品は、画材・構図とともに当時の封緘葉書の料額印面に似ているという理由で、一部委員から、切手図案として採用することに異議が唱えられ、1等でありながら不採用となってしまいます。

 このため、2等の3作品のうち、堀本作品と釜谷作品が切手図案に採用されることとなり、大越作品はポスター図案に採用ということで決着しました。ただし、堀本作品と釜谷作品は、いずれも、そのままでは縮写して切手の図案にするには不備な点があったため、切手の原画とするためには、逓信省(当時)の専門家が修正を施しています。

 このうち、花束を描く堀本作品の修正作業は加曾利鼎造が担当し、原作の左右にあった柱が取り除かれたほか、原作では必ずしも種類を特定できなかった花は、実際に5月に咲く花になっています。なお、新憲法の施行に相応しいものとして加曾利が選んだ花と、その花言葉は以下の通りです。

 カキツバタ:使命、音信
 フジ:歓迎
 ツツジ:節制
 スズラン:幸福の帰来
 ノバラ:希望
 (赤い)ツバキ:永続、または秀高にして驕りなきこと
 オリーブ:平和

 ところで、この切手の制作作業が進められていた時期は、戦後のインフレが急進していた時期で、切手発行直前の昭和22年4月には郵便料金の改正が予想されていました。

 このため、新憲法施行の記念切手も改正後の料金体系にあわせて制作できればよかったのですが、原画の修正作業が行われていた時点では、新料金についての具体的な見通しは立っていませんでした。

 そこで、苦肉の策として、最悪の場合には、記念切手を補助用の額面として使用することも想定して、議事堂と母子像の額面は50銭とし、花束は1円とされます。

 結局、4月の料金改正では、封書基本料金が30銭から1円20銭に、葉書が15銭から50銭に、それぞれ値上げされました。このため、議事堂と母子像の切手は葉書料金に対応したものとなりましたが、花束の1円切手は補助用として使用されることになりました。


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 世界赤十字デー
2018-05-08 Tue 01:37
 きょう(8日)は世界赤十字デーです。というわけで、赤十字関連の切手の中から、この1枚を持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・赤十字80年

 これは、1944年にキューバが発行した国際赤十字80年の記念切手で、地球(西半球)と赤十字が描かれています。

 赤十字の祖として知られるアンリ・デュナンは、1828年5月8日、ジュネーヴの裕福な実業家の家庭に生まれました。1853年、25歳の頃から、勤務先のルーラン・ソータ-銀行の会計士としてフランスの植民地であったアルジェリアに滞在したことから、現地での起業に興味を持ち、1858年、モン・ジェラミー製粉株式会社を設立します。しかし、同社は水利の便が悪く、事業としてはうまくいきませんでした。このため、彼は、アルジェリアでの事業にフランスの援助を得るため、1859年6月、アルジェリア総督のマック・リオンを追って北イタリアに入り、あわよくばナポレオン3世に直訴しようと考えます。

 当時、北イタリアは、イタリア統一戦争(第二次)の最中にあり、フランス・サルディニアの連合軍とオーストリア軍とが熾烈な戦闘を行っていました。

 そうしたなかで、6月25日、北イタリアのカスティリオーネに到着したデュナンは、前日の24日に行われたソルフェリーノの会戦でうち捨てられた負傷者の非惨なありさまを目のあたりにし、義憤に駆られ、近隣の農家の婦人や旅行者に協力を呼びかけ、懸命の救護にあたります。

 このときの経験をまとめた手記『ソルフェリーノの思い出』は、1862年11月に出版され、「負傷して武器を持たない兵士は、もはや軍人ではない。戦列を離れた一人の人間として、その貴重な生命は守らなければならない。そのためには、かねてから国際的な救護団体をつくり、戦争の時に直ちに負傷者を救助できるようにしておけば、再びソリフェリーノのような悲惨を繰り返すことはないであろう。また、これらの救護に当たる人々は中立とみなし、攻撃しないよう約束することが必要である。」との彼の訴えは、世界中に大きな反響を呼ぶことになりました。

 1863年2月、デュナンは、自分の訴えに賛同してくれたギュスタヴ・モアニエ(法律家)、アンリ・デュフール(将軍)、ルイ・アッピア(医師)、テオドール・モノアール(医師)とともにジュネーヴで5人委員会を結成。これが後の赤十字国際委員会の前身となります。その後、同年10月、ヨーロッパ16ヶ国が参加して最初の国際会議が開かれ、翌1864年8月、スイスほか15ヶ国の外交会議で最初のジュネーヴ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生。以後、人道・博愛の精神を根底にした赤十字は、各国で次々と受け入れられてくことになります。ちなみに、今回ご紹介の切手は、ここから起算して80周年となるのを記念して発行されたもので、発行国のキューバは1909年に国際赤十字に加盟しています。

 一方、デュナンは、赤十字創設に没頭のあまり製粉会社の経営に失敗し、1867年、破産宣告を受けて失踪。1895年にハイデン(スイス)の養老院で新聞記者によって“発見”されるまで行方不明をなってしまいました。

 その後、彼は赤十字誕生の功績が認められ、最初のノーベル平和賞をおくられたほか、ロシア皇后から賜った終生年金を受けて生活の安定を取り戻し、1910年10月、亡くなりました。そして、いまから70年前の1948年、デュナンの功績をたたえ、彼の誕生日にあたる5月8日を世界赤十字デーとすることが第20回赤十字社連盟理事会で決められ、現在に至っています。


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 レバノンで9年ぶり議会選挙
2018-05-07 Mon 18:39
 レバノンできのう(6日)、9年ぶりに国民議会選挙の投開票が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      レバノン・議会(1965)

 これは、1965年にレバノンで発行された“議会100年”の記念切手で、国民議会議事堂が描かれています。ここでいう“議会100年”は、1861年6月、イスタンブールで「組織規約」(レバノン統治組織基本法)が署名され、英露墺仏普土の6国(1867年に伊が加わり7国に)の保証の下、“山岳レバノン”を自治権を持つ特別地域としたことに伴い、1865年に地域議会が設置されたことから起算したもので、現在のレバノンの国会にあたる国民議会とは異なります。

 切手に取り上げられた議事堂は、アルメニア系レバノン人のマルディロス・アルトゥニアンの設計により、フランス委任統治時代の1934年に完成しました。

 各宗教・宗派が複雑に入り組んでいるレバノンでは、宗派ごとに政治権力を分散する“宗派体制”が採られており、国会議員の定数も宗派に応じて割り当てられています。この定数は、1932年の国民議会創設当初は、キリスト教徒が54(内訳はマロン派カトリック30、東方正教会11、メルキト・カトリック6、アルメニア正教会4、アルメニア・カトリック1、プロテスタント1、その他キリスト教諸派1)、ドゥルーズを含むムスリムが45(内訳はスンナ派20、シーア派19、アラウィー派0、ドゥルーズ派6)でしたが、1975-90年のレバノン内戦の停戦合意としてまとめられたターイフ合意により、現在はキリスト教徒が64(内訳はマロン派カトリック34、東方正教会14、メルキト・カトリック8、アルメニア正教会5、アルメニア・カトリック1、プロテスタント1、その他キリスト教諸派1)、ドゥルーズを含むムスリムが64(内訳はスンナ派27、シーア派27、アラウィー派2、ドゥルーズ派8)となり、キリスト教徒とムスリムが同数となりました。

 レバノンの宗派体制では、大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派から選出されるのが慣例となっていますが、これらの宗派はいずれも単独では議会の多数派を構成することが制度上不可能なため、各宗派の連立が不可欠です。

 レバノンでは、2014年5月25日、ミシェル・スライマーンが任期満了で大統領を退任した後、新大統領の選出をめぐり、シーア派の3月8日同盟とスンナ派の3月14日同盟が別々の候補(候補者本人はマロン派)を擁立して対立し、後継大統領がなかなか決まらない状況が続いていました。このため、2016年10月20日、3月14日同盟を代表する政治家だったサアド・ハリーリーが次期首相への就任と引き換えに、3月8日同盟が擁立したミシェル・アウンを支持するということで妥協が成立しました。

 この結果、ハリーリーは首相として組閣することになりましたが、スンナ派内ではハリーリーの“変節”を非難する声も強く、調整は難航。結局、2016年12月、スンナ派やヒズボラも含むシーア派だけでなく、マロン派などを含め、国内の安定を優先した挙国一致内閣が成立します。

 ところが、2017年11月4日、サウジアラビア訪問中だったハリーリーは、突如、ヒズボラやその背後にいるイランが対立を激化させているとして非難するとともに、「私の命を狙う陰謀を感じる」として辞意を表明します。これに対して、イラン外務省は「レバノンと域内での緊張拡大」を狙ったものと反発。大統領のアウンも「ハリリ首相が12日間も帰国できずにいる正当な根拠は何もない。従ってわれわれは、首相がウィーン条約に反して拘束されているものとみなす」としてサウジアラビアを批判するとともに、ハリーリーが帰国するまでは辞任を受理しない姿勢を明らかにしました。

 結局、ハリーリーは11月21日にレバノンに帰国し、12月5日には辞意を撤回。今回の選挙に臨むことになりました。現状では、スンナ派枠の首相としてハリーリーが続投する公算が大きいとみられていますが、有権者の間には一連の混乱や汚職など、既存政治への不満も強く、ハリーリー派の議席減と、ヒズボラの議席増は避けられそうにありません。なお、選挙結果は、早ければ、現地時間の7日にも大勢が判明する見通しだそうです。


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 中国製巨大マルクス像除幕
2018-05-06 Sun 06:29
 カール・マルクス(1818年5月5日生)の生誕200周年を祝う記念式典が、きのう(5日)、マルクスの出身地、ドイツ南西部トリーアで行われ、中国から“友好の証し”として贈られた高さ5.5メートルのマルクス像、《伟大的行者——马克思(偉大な行者 マルクス)》の除幕式が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中国・マルクス生誕200年

 これは、2018年5月4日に中国が発行された“マルクス誕生200周年”の記念切手のうち、マルクスの生家を背景に、今回、除幕式が行われた《偉大な行者》が取り上げられています。

 マルクスの誕生日は5月5日ですが、ことしは土曜日にあたっていたため(中国は公的に週休2日制を取っており、公共機関は土日が休み)、前日の4日、北京の人民大会堂に最高指導部7人を含む共産党幹部や軍関係者ら約3000人を集めて記念大会が開かれ、記念切手もこれにあわせて発行されました。

 切手に取り上げられた《偉大な行者》は、中国美術館館長で中国美術者協会副主席の彫刻家、呉為山が制作しました。

 呉為山は、1962年、江蘇省東台市生まれ。幼少期から、家にあった古書の挿絵と陶磁器の模様に関心を持ち、11歳から写生を始めました。無錫工芸技術学校在学中、無錫の伝統的な泥人形作りの名人(当時80歳の老人)のもとに通って泥人形作りを学び、その経験から、簡単で大雑把な手法で人物の風格を表現する“写意”彫塑を制作するようになり、西洋彫刻の伝統にとらわれない、中国独自の作家として高い評価を得るようになりました。

 代表作には、天安門広場東側、国家博物館前の《孔子像》や、1990年代半ばから制作されている中国文化人肖像シリーズの《老子》、《魯迅》等があります。

 また、今回の《偉大な行者》のように、中国政府の意を汲んだ政治的な作品も少なからず制作しており、2014年12月、北京の中国国家博物館で開催された「魂を描き、歴史を刻む――呉為山作・中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館拡張工事テーマ彫刻展」では、「家も家族も失う」、「避難」、「怨霊の叫び」、「勝利の壁」の4部構成の作品を発表。それらは、現在、“南京大虐殺記念館”に展示されています。

 なお、今回の《偉大な行者》の寄贈と除幕式について、ドイツ国内では、旧東独の独裁政党の流れをくむ連邦議会野党の左派党が「銅像は、200年前と同じように人々を搾取し、抑圧するシステムに対する抗議の象徴だ」などと肯定的に評価している一方、昨年9月の総選挙で連邦議会での初議席を取得した保守政党“ドイツのための選択肢”が「共産主義は多くの人々を殺害したのに、それを正当化してしまう」などと批判し、ネット上で反対デモへの参加を呼びかけ、旧東独で青年期を過ごした男性らも抗議のハンガーストライキをするなど、批判的な声も少なくありません。

 
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 こどもの日
2018-05-05 Sat 02:47
 きょう(5日)は“こどもの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1894年(20センタヴォ)

 これは、1894年にスペイン領時代のキューバで発行された20センタヴォ切手で、当時のスペイン国王アルフォンソ13世の肖像が描かれています。

 キューバ島の切手は、1855年、“スペイン領アンティル諸島”名義で発行されのが最初です。この時の切手は、当時のスペイン女王、イサベル2世を描くもので、プエルトリコと共通で使用されました。また、切手に表示された文字は、郵便を意味するスペイン語の“CORREOS”と、当時のキューバで流通していた通貨、スペイン植民地レアルでの額面表示のみで、“キューバ”はおろか“スペイン領アンティル諸島”の表示さえありませんでした。これは、キューバであれプエルトリコであれ、あくまでもスペイン領土であり、地域としての独自性はいっさい認めないという意思の表れと言われています。

 その後、1868年10月、スペインに対する第一次独立戦争が勃発。独立戦争は1878年2月10日の停戦までの約10年間続き、双方の死者20万、物的損失7億ドルという甚大な被害の末、停戦となしました。

 この間、スペイン植民地当局は、1873年から、キューバとプエルトリコで別の切手を使用するようになりましたが、この時点でも切手の国名表示は“海外(領土)”を意味する“ULTRAMAR”となっており、キューバを独自の地名として特定する表記はなく、停戦前年の1877年になって、ようやく、キューバ(CUBA)の表示が入った切手が発行されます。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたアルフォンソ13世は、1886年5月17日11時30分、父王アルフォンソ12世の唯一の男子として生まれましたが、すでに前年の1885年11月25日、父王は崩御していたため、出生と同時に国王となり、1902年まで、母マリア・クリスティーナ王太后が摂政を務めていました。

 キューバでアルフォンソ13世の肖像入り切手が登場するのは1889年以降のことで、以後、1898年に米西戦争スペインがキューバを失うまで、キューバではアルフォンソ13世の肖像切手が使われることになります。

 なお、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、1959年の革命に至る歴史的背景として、スペイン領時代のキューバとその郵便についても、簡単にまとめています。今後、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

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 みどりの日
2018-05-04 Fri 01:56
 きょう(4日)は“みどりの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マエストラ山脈

 これは、2003年にキューバで発行された“エコ・ツーリズム”の切手のうち、緑に覆われたシエラ・マエストラ(マエストラ山脈)を取り上げた1枚です。
 
 シエラ・マエストラは、キューバ島南東のクルス岬からマイシ岬まで、東西250キロにも及ぶキューバ島最大の山脈です。キューバ最高峰のトゥルキーノ山(2005m)も、この山脈に属しており、山中には、銅・マンガンなど豊富な鉱山資源が埋蔵されています。

 山脈の東に位置するサンティアゴ・デ・クーバは、1953年7月26日、フィデル・カストロは同地にあったモンカダ兵営を襲撃。これが、キューバ革命の発端となりました。

 また、1956年12月2日、グランマ号に乗ったフィデルら革命組織の“7月26日運動(M26)”は、シエラ・マエストラ西側のラス・コロラダス海岸に上陸。昼間はサトウキビ畑などに隠れ、夜間にのみ行軍してトゥルキーノ山頂を目指しました。

 しかし、飛行機を通じて“不審船”の動きを探知していたバティスタ政府は、砂糖キビの食べかすなどから叛乱軍の足跡をたどり、12月5日の昼頃、アレグリーア・デル・ピノで反乱軍を迎撃。この時の戦闘で叛乱側の兵士多数が犠牲になり、捕虜となった者は虐殺されました。ただし、バティスタ政権の圧政に苦しめられてきた農民の中には叛乱側を支持する者も少なからずおり、そうした農民の指導者の一人であったクレスセンシオ・ペレス・モンタノは、ラウルら叛乱側の兵士を保護。12月17日、ラウル・カストロ(フィデルの弟)ら6人のグループは、元オルトドクソ党員のシンコ・パルマスの農場で、前日に同農場に逃れついていたフィデルらと合流しました。

 こうして、フィデルら3人とラウルら6人の9人に地元の農民3人が加わり、以後のゲリラ戦の母体となる“伝説の12人”が形成されます。その後、グランマ号で上陸したチェ・ゲバラ、フアン・アルメイダ、カミーロ・シエンフエゴスら7人も合流し、20日には17人が武器8丁でゲリラ戦の訓練を開始。翌21日、農民の志願兵などを加えた計29人がシンコ・パルマスを出発し、シエラ・マエストラ山中での本格的なゲリラ戦が始まりました。

 以後、叛乱軍はシエラ・マエストラ山中に解放区を樹立してバティスタ政権と戦い、1959年1月にはバティスタ政権を崩壊させて革命を成就させます。

 なお、シエラ・マエストラ山中でのカストロとゲバラの戦いについては、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


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 憲法記念日
2018-05-03 Thu 10:28
 きょう(3日)は“憲法記念日”です。というわけで、世界の憲法関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1940年憲法

 これは、キューバで1940年憲法の公布に際して使用された記念印です。

 スペイン植民地時代のキューバには植民地独自の憲法はありませんでしたが、1868年に始まる第一次独立戦争の過程で、1869年、独立派がガイマロ憲法を制定。これが、キューバ最初の憲法となります。

 その後、1878年のパラグア憲法、第二次独立戦争時のヒマグアユ憲法(1895年)、ラ・ヤヤ憲法(1897年)などが制定されましたが、これらは、独立戦争の過程で作られてこともあって、体系的な憲法というよりも、独立宣言という性格の強いものでした。

 1898年の米西戦争で、スペインはキューバの領有権を放棄し、キューバに新政権が樹立するまでは米軍がキューバを占領することになります。これを受けて、米国の“指導”の下、キューバ制憲議会が招集され、米国はキューバに対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、③キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う(この結果、設置されたのが、現在も存在するグアンタナモ米軍基地です)、など8項目からなる付帯事項(プラット修正条項)を強要。これを容れたうえで、人民主権・三権分立・国民の生活向上を謳った1901年憲法が採択され、1902年5月、キューバ共和国が発足します。

 1924年の大統領選挙で当選したヘラルド・マチャド・イ・モラレスは、軍部の支持を背景に、政権に批判的なメディアや活動家を弾圧。1927年には憲法を改正して大統領の(連続)再選禁止規定は撤廃し、独裁者として君臨しましたが、1929年10月に世界恐慌が発生し、キューバ経済が壊滅的な打撃を受けると、大規模な反マチャド運動が発生。1933年8月、マチャドはバハマの首都、ナッソーに亡命しました。

 マチャドの亡命後、臨時政府の大統領にはカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが就任しましたが、9月4日にはフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル軍曹を首謀者とする下士官がハバナ市内、コロンビア兵営で叛乱を起こし、軍の実権を掌握。バティスタらは、軍の旧首脳部の報復に対抗するため、左派系の学生幹部会と手を組み、“キューバ革命連合”を結成し、ハバナ大学教授のラモン・グラウ・サン・マルティンを首班とする新政権が誕生しました。

 その後、キューバ国内では、左翼勢力の“赤軍”、政府軍バティスタ派、将校団(政府軍内の反バティスタ派)の三つ巴の闘いが展開されましたが、最終的に米国の支持を得たバティスタ派が勝利をおさめ、1934年1月19日、バティスタの支援を受けたカルロス・メンディエタ・イ・モンテフール(独立戦争の英雄で、国民党の重鎮として、かつて大統領選挙でマチャドと戦ったこともある)を臨時大統領とする“国民統一政府”が発足します。

 以後、バティスタは政権の陰の実力者として暗躍し、短期間で政権が目まぐるしく交替する時期が続きましたが、それでも、政治犯の釈放(1937年)、共産党の合法化、土地分配法の制定(1938年)などのリベラルな政策も行われ、砂糖および煙草産業の国家管理や社会保障政策も導入されました。

 そうした流れの中で、1939年には憲法制定議会が招集され、国家主権の確立、全国民の平等(=人種・性・階級による差別の禁止)、大統領の再選禁止、普通選挙、大地主制度(=米系砂糖会社による土地の独占)の廃止、土地所有限度の設定(=大地主制度の廃止)などを定め、当時のラテンアメリカでは最も民主的といわれた1940年憲法が施行されます。今回ご紹介の記念印は、これにあわせて使用されたものです。

 ただし、事実上、米国の植民地だったキューバでは、1940年憲法に規定された大地主制度の廃止は行われず、政府要人や官僚は権力の乱用と汚職による不正蓄財に狂奔していました。さらに、1952年3月10日、大統領選挙に立候補したものの苦戦が続いていたバティスタが軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任すると、1940年憲法は事実上反故にされてしまいます。

 これに対して、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した青年弁護士のフィデル・カストロは、クーデターによる選挙の無効に憤慨し、バティスタを憲法裁判所に告発。しかし、裁判所はこれを握り潰し、既成政党もクーデターを結果的に容認してしまいました。そこで、1953年7月26日、カストロは、バティスタ政権の打倒を掲げて、モンカダ兵営襲撃事件を起こしました。

 事件後、カストロは裁判で、革命達成の暁に実施すべき政策として、①1940年憲法の復活、②土地改革(小作人下の土地分与、有償による土地接収)、③労働者の企業利益への参加、④小作人の収益参加率の50%への引き上げ、⑤不正取得資産の返還、の5項目を掲げます。以後、1940年憲法の復活は、反バティスタ派の共通の目標となりました。
 
 1959年1月、バティスタ政権は崩壊し、カストロの革命が成功すると、同年2月7日、革命政府は1940年憲法を修正するキューバ共和国基本法を制定しました。その際、新憲法制定のための議会が早急に開催の予定とされていましたが、実際には、2月7日付で国民議会が解散された後、1976年まで選挙は実施されず、“革命的立法”によって政策が実施されていくことになります。こうして、事情はどうあれ、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなりました。

 なお、キューバでの憲法と名のつく法律の復活は、1975年のキューバ共産党第1回大会を経て、1976年2月のことでした。1976年憲法は、1992年の修正で「キューバを社会主義国家と定義(第1条)」、2002年の修正で「社会主義体制は不可侵(変更不可能)」とする条項が追加されているほか、第5条ではキューバ共産党(PCC)のみを合法政党としています。

 さて、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 

 * 昨日、アクセスカウンターが191万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  

 
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 八十八夜
2018-05-02 Wed 03:26
 きょう(2日)は八十八夜です。というわけで、例年どおり、お茶関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・マテ茶(2014)

 これは、2014年にアルゼンチンが発行した“マテ茶”の切手です。

 マテ茶はパラグアイ・ブラジル・アルゼンチンを原産とするイェルバ・マテの葉や小枝を乾燥させた茶葉を用いた飲料で、スペイン人の来航以前から先住民の間で広く飲まれてきました。ヴィタミンやミネラルを豊富に含むため、野菜の栽培が困難な地域では栄養源としても重要です。緑茶と黒茶があり、前者は青臭みと苦味が強く、冷茶はテレレと呼ばれます。今回ご紹介の切手には、マテ茶を飲むためのフィルターつきストローの“ボンビジャ”と、暖かい茶の入った木製ポットの“グアンバ”が描かれています。

 マテ茶はアルゼンチンの国民的な飲料ですが、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラの父親は、マテ茶のプランテーション農場を経営していました。このため、ゲバラ本人も幼少時からマテ茶に親しんでおり、持病の喘息を抑える効果が期待されることもあって、革命戦争中も、革命後のキューバ政府要人として職務を遂行している際も、マテ茶のグアンバを常に手元に置いていました。

 ちなみに、1956年11月、カストロがグランマ号でのキューバ上陸作戦を発令し、急遽、ゲバラも出発地のトゥスパン港へ向かいましたが、その際、「ゲバラは寝ていたベッドや飲みかけのマテ茶もそのままに、また、喘息の持病を抱える身として必携の吸入器さえ持たずに出発した」とのエピソードが広く知られています。このエピソードは、カストロの動員令がいかに急なものであったかを示すものとして有名ですが、同時に、ゲバラとマテ茶のつながりの深さを示すものともいえましょう。

 さて、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、マテ茶や葉巻など、ゲバラを語るうえで欠かすことのできない“小道具”についての小ネタ的なエピソードもご紹介する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでもあらためてご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


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