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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 グアテマラ・軍隊の日
2018-06-30 Sat 11:11
 きょう(30日)は、1871年6月30日にビセンテ・セルナ・イ・セルナ政権に対する自由主義者の革命が起きたことにちなみ、グアテマラの“軍隊記念日”です。というわけで、グアテマラの兵士を描く切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアテマラ・革命軍を讃える(1954)

 これは、1954年4月21日、“革命軍に捧げる”と題して発行された航空切手で、先住民の伝統的な装束の射手が描かれています。

 1944年6月25日、1930年以来のホルヘ・ウビコ・イ・カスタニェーダ独裁政権に対して大規模な反政府デモが発生。ゼネストと抗議行動はグアテマラ全土に拡大し、6月30日には米国もウビコの行動を批難したため、7月1日、ウビコは米ニューオリンズに亡命し13年余に及んだ独裁政権は崩壊しました。

 ウビコの亡命直後、ブエネべンチュラ・ピニェダ大佐、エドゥアルド・ビジャグラン・アリサ大佐、フェデリコ・ポンセ・バイデス将軍の3名は、国民議会を開いて暫定大統領の選出することを約束しましたが、7月3日、実際に議会が招集されると、軍は全議員に銃口を突き付け、ポンセへの投票を強要。ポンセは、ウビコからの命を受け、ウビコ政権の閣僚の多くを留任させたほか、弾圧政策もそのまま継続させたため、反政府勢力が再び結集。10月20日、前年まで士官学校の校長を務めていたハコボ・アルベンス・グスマンと、軍内改革派のフランシスコ・ハビエル・アラナ将軍を指導者とする兵士・学生グループが国民宮殿を襲撃し、ポンセを追放。アルベンスやアラナ、そして弁護士のホルヘ・トリエリョが革命政権を樹立し、年末までに民主的選挙を実施することを確約しました。

 これが、1944年のグアテマラ10月革命です。

 10月革命を受けて行われた選挙の結果、亡命先のアルゼンチンで大学の哲学教授をしていたフアン・ホセ・アレバーロ・ベルメホが大統領に選出され、軍内改革派の急先鋒、アルベンスは国防相に就任ました。

 アレバーロ政権は、1951年の任期満了までの間に、25回ものクーデター未遂事件が発生するなど、困難な状況にありながらも最低賃金法や教育予算の拡充、労働改革などを行いました。同政権の改革は比較的穏健なものでしたが、米国やカトリック教会、ユナイテッド・フルーツ社はそれすらも“容共的”としてアレバーロを攻撃。1951年の任期満了までに25回ものクーデター未遂事件が発生しています。

 こうした経緯を経て行われた1950年の大統領選挙では、アレバーロ政権の攻防章だったアルベンスが米国の干渉を跳ね除けて当選。1951年3月15日の大統領就任式では“極端に封建的な経済体制から、現代資本主義国家へと”脱皮を図ると宣言し、国政に対する“外資系企業(名指しこそ避けていますが、ユナイテッド・フルーツ社のことです)”の影響力を削ぎ、外国資本からの支援を受けずに、国内の社会資本を整備する方針を明らかにしました。

 はたして、1952年6月、アルベンスは人口の2%と外国企業が国土の70%を独占していた状況を打破すべく、公約通り、“布告9000”として、農地改革関連法を制定。一連の農地改革により、ユナイテッド・フルーツ社が所有していた広大な土地(耕作地・農場以外にも、グアテマラ国内の遊休地および未開墾地の85%は同社の所有でした)も収用の対象となりました。しかも、ユナイテッド・フルーツ社は、土地の評価額を低く見積もることで納税額を極端に抑制していたため、補償金も低額となり、アルベンス政権と激しく対立します。

 このほかにも、アルベンス政権は、グアテマラ労働党(左翼政党ですが、もともとはソ連と無関係にグアテマラ国内で誕生した土着政党)の合法化、大衆に対する識字運動、それまで差別を受けていたマヤ系先住民の権利回復運動などを展開。一連の政策は、当時のラテンアメリカではきわめて急進的な内容であったため、“グアテマラ革命”とも“グアテマラの春”とも呼ばれました。

 国内の保守派や米国はこれを苦々しく思っていましたが、ウビコ独裁政権の記憶も生々しかった国民の多くはアルベンスを支持し、1953年年の国会選挙では、与党の革命行動党が圧勝します。

 これに対して、アルベンス政権下での農地改革で莫大な“損害”を被ったユナイテッド・フルーツ社は、すぐさま、政権転覆を目指してCIAに対してロビー活動を開始。1953年にドワイト・アイゼンハワー政権が発足すると、同年10月、米国の駐グアテマラ大使に任命されたジャック・ピュリフォイは反アルベンス政権のプロパガンダ工作を展開するとともに、反アルベンス派の大地主、マリアン・ロペス・エラルテやグアテマラ軍内部の反アルベンス派に接触し、反アルベンス派の兵士に破格の報酬を与えて秘密キャンプでの軍事訓練を開始しました。

 ついで、1954年2月19日、CIAはニカラグア領内にソ連の武器庫に見せかけた施設を建設するWASHTUB作戦を開始し、アルベンス政権がソ連の支援を受けていると喧伝します。

 こうした経緯を経て、同年3月、ベネズエラの首都、カラカスで開催された第10回米州会議では、米国務長官、ジョン・フォスター・ダレスが「国際共産主義の干渉に対して米州諸国の政治的保全を維持するための連帯宣言」と題する決議案93号を提出。さらに、ダレスは米州会議の直前に発動したWASHTUB作戦を踏まえて「米州には相異なる政治制度を受け入れる余地はあるが、外国の主人に使える者どもの場所はない」と発言し、名指しこそ避けたものの、事実上、グアテマラを“共産主義”と断じて、ソ連の影響下にあると批難しました。

 その後、決議案93号は米州機構加盟国の相互不可侵の原則を犯すものとするアルゼンチン、チリ、メキシコなどの反対もあったため、米国は「条約に基づく措置は相手国に対する主権の侵害を意味するものではない」との付帯条件をつけ、グアテマラに武力行使をしないことを約束したうえで、賛成17、反対1(グアテマラ)、棄権2(メキシコ、アルゼンチン)の圧倒的多数で採択されました。

 米州会議後の4月になると、米国によるアルベンス政権批判はいっそう激しくなり、アルベンスの農業改革計画はモスクワで作成されたものとする『グアテマラ報告』をサミュエル・ゼムレー(ユナイテッド・フルーツ社主)が出版し、反アルベンスのキャンペーンを大々的に展開。米国のグアテマラ駐在大使のピュリフォイも「グアテマラは中米にマルクス主義の触手を広げている」と米議会で証言し、アルベンス政権にさらなる圧力をかけています。そして、5月1日には、ついに米国はグアテマラと断交し、大統領のアイゼンハワーもCIAの介入計画を個人的に承認しました。

 今回ご紹介の切手は、こうした緊張状態の中で、米国の圧力に屈せず、革命を維持しようとの意思を示すために発行されたものです。

 さて、CIAによる介入計画の承認を受けて、反アルベンス派の亡命グアテマラ人で、米国政府およびCIAからの豊富な資金支援を受けたカルロス・カスティージョ・アルマス(グアテマラの元陸軍大佐)が、隣国エルサルバドルの首都、サンサルバドルで“グアテマラ人民反共戦線”の樹立を宣言。ホンジュラス領内では、CIA幹部のデビッド・フィリップスが管理する“解放の声”放送がアルマス軍は近日中にグアテマラへ進攻するであろうと大々的に宣伝を開始します。

 米国の圧力に対抗するため、グアテマラ政府は軍備増強を図ろうとしましたが、米国の圧力で西側からの調達は事実上不可能となっていたため、アルベンスはチェコスロヴァキアから武器を調達することを個人の責任で決断。5月15日、ポーランドを出港したスエーデンの貨物船“アルフェルム”号がチェコスロヴァキア製の武器1900トンを積んでプエルト・バリオスに入港しました。

 すると、米国はこれをとらえて「西半球の安全を脅かす独裁体制」のための武器であるとし、「共産主義への道がすでに耐えがたい段階に入った」とアルベンス政権を非難し、グアテマラ包囲網として“ホンジュラス、エルサルヴァドル、ニカラグア等の友邦国”に武器の空輸を開始します。

 6月17日には、アルマス軍がアルベンスの辞職を求めてホンジュラスからサカパに越境進出し、“共産主義に対する解放戦争”を宣言。さらに、6月25日、アルマス派は、サンサルバドルで“反共臨時政府”の樹立を正式に発表し、米国は直ちにこれを承認すしました。

 これに対して、アルベンスは市民の武装を提案し、軍に対して市民に武器を配るよう求めましたが、軍はこれを拒否。軍の支持を得られなかったアルベンスは、6月27日、「米国が、共産主義撲滅を口実に、ユナイテッド・フルーツ社の権益を守るために攻め込んでいる。革命的理念に基づく熟慮の結果、わが国のために大統領を辞任する決意をした。しかし、いつの日か、わが国を隷属状態に陥れている暗黒の勢力は敗北するであろう」と演説して大統領を辞任し、メキシコ大使館に亡命しました。

 ちなみに、若き日のチェ・ゲバラは、“グアテマラの春”の時代に首都グアテマラシティに滞在し、CIAの工作によりアルベンス政権が崩壊するまでを見届けています。現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、そのあたりの事情については詳しく書きましたので、無事に刊行の暁には、なにとぞよろしくお願いします。


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 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

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 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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 スターリングラードでは敗れたが…
2018-06-29 Fri 01:45
 きょう未明(現地時間28日夕)、ロシア・ヴォルゴグラード(旧スターリングラード)で行われたサッカーW杯1次リーグH組の試合で、日本はポーランドに0-1で敗れ、勝ち点4、得失点差±0、総得点4でセネガルと並んだものの、イエローカード数などで決まるフェアプレーポイントで辛うじて上回り、2010年の南ア大会以来、2大会ぶり3回目の決勝トーナメント進出を果たしました。まぁ、決勝トーナメント進出自体はめでたいことなのですが、僕などは、ついつい、“スターリングラードでの敗北”というところに反応してしまいますので、きょうは、スターリングラードを題材にした枢軸側の切手のなかから、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・スターリングラード(1943)

 これは、1943年11月10日にルーマニアが発行した“ルーマニア砲兵100周年”の寄附金つき切手のうち、スターリングラードの戦いを取り上げた1枚です。

 第二次欧州大戦直前の1939年8月23日、ソ連は独ソ不可侵条約の付属秘密議定書において、ベッサラビアの割譲をドイツに認めさせ、翌1940年6月26日、議定書に含まれていなかった北ブコヴィナとともにベッサラビアを併合し、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を樹立します。

 これに対して、1941年6月22日、独ソ戦が勃発すると、ルーマニアはソ連によって奪われた土地を奪還すべく、事実上の最高権力者であったイオン・アントネスク元帥の下、ドイツ軍とともに枢軸側に立って参戦。ルーマニア軍はソ連によって押しつけられた国境であるプルート川を越え、7月16日にキシナウを解放。26日までにベッサラビアを解放しました。

 失地の回復という民族の悲願を果たしたアントネスクの声望は否が応でも高まりましたが、ドイツは、ルーマニアがここで戦線を離脱することを許しませんでした。このため、彼らはドイツの要求に従い、さらにドニエストル川を越えてオデッサ占領作戦に参加。さらに、ドイツ軍とともにクリミア半島やスターリングラードでも戦い、ヴォルガ川にまで到達しています。

 しかし、ソ連軍の反攻により枢軸側は徐々に追い詰められ、1943年2月2日、枢軸軍はスターリングラードでソ連軍に降伏。ルーマニア軍は14万3296人の兵力をスターリングラード攻略戦に投入しましたが、第4軍がほぼ全滅、第3軍も大半を失うなど、戦死・戦傷・捕虜あわせて10万9000人という甚大な損害を被っています。今回ご紹介の切手は、そうしたスターリングラードでの敗北後に発行されたものですが、多大な犠牲を払ってでもベッサラビアの地を守ろうとしたルーマニア軍を称える意図が込められていると考えられます。

 スターリングラードでの敗北以降、攻勢を強めたソ連軍は、1944年にはベッサラビアを再び占領し、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国が復活。さらに、ソ連軍によるルーマニア全土の占領が現実のものとなりつつある中で、劣勢のドイツ軍とともに対ソ戦を続けることに対して、国王以下、ルーマニア国内では不安が高まり、1944年8月22日、クーデターが発生し、アントネスクは逮捕されます。そして、国王は一転してドイツに宣戦を布告し、同年9月には連合諸国との休戦協定も結ばれました。

 この結果、ルーマニアは“敵国”としてソ連に占領されるという最悪の事態は免れ、ハンガリーに占領されていた北トランシルヴァニアを回復したものの、戦勝国としての地位は認められず、1947年の講和条約では、北ブコヴィナおよびベッサラビアのソ連への割譲と賠償金の支払いを認めざるを得ませんでした。

 ちなみに、第二次大戦時の大国に翻弄されたルーマニアの姿については、拙著『トランシルヴァニ/モルダヴィア歴史紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日、アクセスカウンターが193万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  


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 今夜はポーランド戦
2018-06-28 Thu 08:13
 サッカーのW杯は、今夜(日本時間28日23時)、日本代表がポーランド代表と戦います。というわけで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・クラクフ発行(1919)

 これは、1919年2月25日、クラクフを拠点とするポーランド清算委員会が、旧ハプスブルク領地域で使用するために発行した切手です。切手には、ポーランドの国章である“赤色の盾の背景に、王冠をかぶった白い鷲”が描かれていますが、この国章は、今回のポーランド代表チームのユニフォームにもしっかり入っています。

 さて、第一次大戦以前、ポーランドの地は独・墺・露三国によって分割されていましたが、大戦を経て、三帝国はいずれも崩壊し、ポーランドは再独立を果たしました。

 これを受けて、1918年10月28日、クラクフに“ポーランド清算委員会”が発足し、旧ハプスブルク帝国領の行政実務を担当することになりました。郵便に関しては、当面の処置として、各地の郵便局で、在庫として残されていたオーストリア切手を接収して、地域ごとにローカルな加刷を施した暫定的な切手が発行されています。

 1918年11月14日、ポーランドは独立を回復し、ユゼフ・ピウスツキを国家主席とする第二共和国が発足。国家としての再統一が達せられました。

 しかし、その後も郵便に関しては統合が遅れ、旧ハプスブルク帝国地域では、ひとまず、同地域内の切手を統一するため、1919年1月2日、郵便局に残されていた旧オーストリア切手・葉書が回収され、クラクフ市内のA.コハンスキならびにF.ジェリンスキの2ヵ所の印刷所で“ポーランド郵政”を意味する“POCZTA POLSKA”の文字を加刷したうえで、同年1月10日から20種類の額面の切手が発行されました。なお、加刷の文字は、コハンスキ社が凸版印刷、ジェリンスキ社が平版印刷なので、単片切手でも印刷所を識別することは可能です。

 これらクラクフ加刷切手の発行を受けて、1月12日、同月20日以降、無加刷の旧オーストリア切手を無効とする旨が発表されっます。さらに、1919年2月25日、ポーランド清算委員会は、ヤン・ミカルスキーが原画を制作し、ジェリンスキ社で製造した切手を発行し、旧ハプスブルク領地域で使用させました。それが、今回ご紹介の切手です。

 しかし、ポーランド第二共和国としての体制が整ってくると各地域の郵便の統合も進み、全国統一の切手が発行されたこともあって、これらの暫定的な切手は、1919年5月31日限りで使用停止となりました。

 なお、現在のポーランド南部の地域が、ハプスブルク帝国の支配を経て、ポーランド第二共和国に統合されていく過程については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。
 

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 アフガン産アヘン、ほぼ倍増
2018-06-27 Wed 10:47
 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が、きのう(26日)公表した年次報告書によると、2016-17年に世界のコカインとアヘンの生産量が急増し、過去最高を記録しました。なかでも、アヘンの生産量は2017年に前年比65%増の1万500トンで、うちアフガン産が約9割増の約9000トンと大部分を占めたそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・反ドラッグ(2003)

 これは、2003年にアフガニスタンが発行した“反麻薬闘争の日”の切手シートで、切手部分には、(アヘンの原料となる)ケシから滴る樹液とガイコツ、シート地にはアフガニスタン地図とX印をつけたケシならびにケシ畑を潰す風景が描かれています。

 ソ連軍侵攻以前から、アフガニスタンは決して豊かな国ではありませんでしたが、それでも、1970年代半ばに食糧の自給が達成され、綿花栽培も盛んに行われていました。ソ連軍の侵攻後、アフガニスタンの中央政府となった左翼政権も、主要産業としての綿花栽培を重視し、政府としてその栽培と流通を統制しようとします。

 ところが、ソ連を背景にした左翼政権に対してアフガニスタン国民は抵抗し、アフガニスタンは長きにわたる内戦状態に突入。ソ連軍撤退による左翼政権の崩壊後は、それまで反左翼連合を形成していたムジャーヒディーン諸派の内紛が始まります。その後、いったんはタリバンがアフガニスタンの大半を征圧したものの、911同時多発テロ事件に絡んで米国がタリバン政権の攻撃に踏み切り、カルザイ政権がつくられますが、同政権は首都とその周辺しか掌握できず、アフガニスタンは再び軍閥割拠の混迷状態に陥っていることは広く知れられている通りです。

 こういう有様ですから、1980年代以降、アフガニスタンの農業は綿花栽培を含めて完全に荒廃。地方の軍閥が資金源として農民たちにケシを栽培させ、農民の側も現金収入を得るための数少ない手段として、積極的にケシを栽培するという構図ができあがりました。

 これに対して、1990年代に勢力を拡大したタリバンは、彼らが奉じるイスラム原理主義の理念に則って、自らの支配地域ではケシの栽培を禁止。タリバン政権がアフガニスタンのほぼ全土を制圧していた時期は、一時的に、アフガニスタンにおけるアヘンの生産は激減しました。

 しかし、米軍の攻撃により、政権を追われた後のタリバンは、資金調達のため、従来からの方針を転換して、自らの支配地域でのアヘン栽培を”奨励”し、農民から税を徴収するようになります。特に、2014年末、13年間にわたって駐留してきた国際治安支援部隊(ISAF)の戦闘任務が終了し、米軍を中心とする国際部隊の大部分が撤退したため、2015年以降、その隙を突くように、タリバンなど武装勢力が南部を中心に支配地域を拡大。その領域は、2015年からの2年間で、面積比で、アフガニスタン全土の7%から11.1%へと6割近くも増加しました。

 こうした状況の下で、タリバンは、支配地域のケシ栽培農家からの徴税に加え、ヘルマンド州内に自ら工場を運営し、採取したケシの乳液を精製して輸出用のモルヒネやヘロインを生産するようになっています。現在、アフガニスタンでのケシの栽培面積は 東京都のおよそ1.5倍に相当する32万8000ヘクタールにも及んでいますが、これは前年比63%増と急激な伸びを示しています。また、生産されているアヘン9000トンの80%ヘルマンド州産です。このため、ヘルマンド州は“巨大な麻薬工場”とも呼ばれることもあります。

 アヘンの生産量が急増した背景には、タリバンの勢力伸長と併せて、太陽光パネルの普及が大きいとも指摘されています。

 すなわち、農業用水が乏しいアフガニスタンでは、従来、栽培に必要な地下水の汲み上げには燃料を使った発電機でポンプを動かすのが一般的でした。これに対して、中国製の太陽光パネル(一般的な大きさのもので、日本円4500-8500円程度)が普及したことで、ポンプの動力となる電力コストが大幅に削減され、生産性が飛躍的に向上。それに伴い、アヘンの栽培面積も急増するという構図が生まれました。

 現在、タリバンは、生アヘン(ケシの実に傷をつけ、にじみ出てくる乳液を凝固させたもの)1キロを約163米ドルで農家から買い取り、それを精製してヘロインを製造し、地域市場で1キロ2300-3500ドルで販売しています。このヘロインが欧米史上にに持ち込まれると、卸売価格で約4万5000ドルの高値になるそうです。

 現在、タリバンは収入の半分をアヘンの生産によって得ていると見られており、彼らの跋扈を食い止めるためには、その資金源となっているアヘンの密売を取り締まるための国際協力が重要な課題であることは言うまでもありません。同時に、ケシを作らなければ農民たちの生活が成り立たないという構造を抜本的に変えていかなければ、アフガニスタンのケシ問題を解決することは困難だという点を見落としてしまうと、仮にタリバンを打倒したとしても、また別の軍閥の支配下でアヘンの生産が続けられて行くことになりかねなことも留意しておく必要があるでしょう。


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 小笠原諸島復帰50周年
2018-06-26 Tue 00:36
 1968年6月26日に小笠原諸島が日本に復帰してから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      小笠原国立公園・南島

 これは、1973年6月26日に発行された「小笠原国立公園」の切手のうち、南島のカルスト地形を取り上げた20円切手です。

 1593年、松本城主の孫・小笠原貞頼が“発見”したとされる小笠原諸島は、幕末の1861年、江戸幕府が父島の扇ヶ裏村に仮役所を設け、日本領であることを内外に宣言。その後、1876年3月、明治政府は小笠原諸島を正式に日本領土に編入し、内務省の直轄(のちに東京府に移管)としたうえで、同年10月、各国にその旨を通告しています。

 郵便に関しては、1885年7月、父島に小笠原局(普通局)が設けられたのをはじめ、1944年に戦況の悪化で島民が本州に強制疎開させられるまでの間に、同局のほか、扇ヶ裏(父島)、北村(母島)、母島(母島)、硫黄(硫黄島)の無集配特定局が活動しています。

 太平洋戦争末期の1945年、米軍は小笠原諸島を占領し、1946年1月、小笠原諸島の施政権は東京都から分離されます。その後、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効すると、同条約に基づき小笠原諸島は米海軍の軍政下に置かれ、欧米系の住民は帰島を認められたものの、日本人の帰島は、認められませんでした。なお、米軍政下の小笠原諸島発着の郵便物は、月1回の米海軍のLST船(貨物船)もしくは週1回の飛行艇によって、父島からグアム島を経由して運ばれていたほか、硫黄島の野戦局でも郵便の取扱が行われました。

 これに対して、旧島民らは、1947年7月、小笠原島帰郷促進連盟を組織して祖国復帰運動を開始したものの、米側は軍事上の理由からこれを一蹴。しかし、旧島民の中には、早期帰島を信じて本土での定職につくことを拒む者も少なくなく、その結果、彼らの中で生活苦から一家心中するものが後を絶ちませんでした。こうしたことから、米国も旧島民の境遇には同情し、1961年には旧島民に対して600万ドルの見舞金を支払っています。

 その後、復帰運動の中心は、1965年5月に発足した小笠原協会に引き継がれ、1967年11月15日、佐藤=ジョンソンの日米首脳会談の結果、小笠原諸島の日本への早期返還の方針が決められます。そして、翌1968年4月5日の小笠原返還協定の調印を経て、同年6月26日付で小笠原諸島の施政権は日本に返還されました。

 切手の題材となった小笠原国立公園は、房総半島の南南東約1000キロ、北緯27度45分から24度14分の間に点在する小笠原諸島の大部分と周辺の海域で構成されており、復帰後の1972年10月16日に国立公園に指定されました。今回ご紹介の切手は、これを受けて、復帰5周年の意味合いも込めて、1973年6月26日に発行されたものです。

 切手に取り上げられた南島は、父島南西にある面積0.28平方キロ(復帰当時の0.34平方キロから減少しています)の無人島で、わが国における沈水カルスト地形の唯一の例として知られています。かつては常緑低木が生い茂っていましたが、ヤギの食害により所々に地面が露出した現在の姿になりました。復帰後の昭和40年代、植生回復のためヤギの駆除が行われ、2003年からは自然保護の観点により観光客の入島に際して、①東京都認定の自然ガイドの同行、②定められたルート以外は立ち入り禁止、③1日あたりの入島人数は100人まで、④上陸時間は2時間以内、などの制限が設けられました。

 切手の原画になった写真は丹地敏明が撮影したもので、タコノキの陰から眺めた隆起珊瑚の奇観が取り上げられており、周囲にはヒロベソカタマイマイの半化石が数多く残されています。
 

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 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

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 コロンビアと朝鮮戦争
2018-06-25 Mon 02:24
 今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”の日がやってきました。というわけで、毎年恒例、朝鮮戦争ネタのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・朝鮮派遣軍宛カバー

 これは、朝鮮戦争末期の1953年5月21日、コロンビアの首都ボゴタから、朝鮮戦争参加のコロンビア軍大尉宛のカバーです。

 コロンビアでは、1948年4月、次期大統領選挙での当選が有力視されていた左派系政治家、ホルヘ・エリエセル・ガイタンの暗殺事件を機に、ボゴタで大暴動(ボゴタソ)が発生。さらに暴動はオンダ、カルタゴ、バランカベルメハ、トゥルボにも波及し、バランキージャでは知事庁舎が暴徒に占拠されました。

 これに対して、保守党政権は暴動を徹底的に弾圧。その過程で、ボゴタでは136軒の建物が全焼し、市民ら約2000人が死亡。さらに、その後の一週間で叛乱側と見なされた市民約5000人が虐殺され、以後、コロンビアは“ヴィオレンシア(暴力の時代)”に突入します。その後、1950年8月、超保守派のラウレアーノ・ゴメスが大統領に就任。ゴメスは事態を収拾するためと称し、教会の政治的権利を復活させ、反共を掲げ共産党系と自由党系のゲリラを弾圧しました。

 ゴメス政権は、反共政策の一環として、ラテンアメリカ諸国で唯一、朝鮮戦争の国連派遣軍への参加を決定。コロンビアはフリゲート艦1隻(アルミランテ・パディラ)と歩兵1個大隊(通称“コロンビア大隊”)を派遣しています。

 朝鮮半島に最初のコロンビア大隊が上陸したのは1951年6月のことで、彼らは8月1日に米陸軍第24歩兵師団の指揮下に配属されましたが、翌1952年には第31歩兵連隊の指揮下に移っています。なお、最初のコロンビア大隊は1952年7月に後続部隊と交代。その後、1952年11月と休戦直前の1953年6月にも部隊の交代が行われており、計4大隊で累計4314名の将兵が朝鮮の地を踏みました。その数は、当時のコロンビア全軍の2割強にも相当するものでした。

 コロンビア大隊は、ノマド作戦(1951年10月、中部の米第9軍団の担当地域で、新たに臨津江北方に突出する“ミズーリ・ライン”の確保を目指した作戦)などに参加したほか、1953年3月23-26日にかけて行われた“オールド・バルディ(米軍が命名した朝鮮半島中西部の丘の名)の戦い”では3日間で38名の戦死者を出す激戦を戦っています。

 また、戦闘もさることながら、熱帯地域出身の彼らを悩ませたのが朝鮮半島の冬の寒さで、多くの凍傷患者が発生しています。ちなみに、朝鮮戦争におけるコロンビアの戦死者の総数は141名、戦傷者は556名で、休戦協定の成立後、コロンビア大隊は1954年中に祖国への復員を果たしました。

 なお、コロンビアを含む国連派遣軍の朝鮮戦争での活動については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 今夜、セネガル戦
2018-06-24 Sun 09:06
 サッカーのW杯は、今夜(日本時間24日24時)、日本代表がセネガル代表と戦います。というわけで、ストレートにこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      セネガル最初の切手

 これは、1887年に仏領セネガルとして発行された最初の切手です。

 フランスが西アフリカに進出するようになるのは17世紀以降のことで、1659年、セネガル川河口の中洲に城砦を築いたのが最初です。この中洲は、当時のフランス国王ルイ14世にちなみ、“サン・ルイ・デュ・フォール”(後のサン・ルイ)と名付けられこの地域におけるフランスの最初の拠点となりました。

 さらに、フランスは、ポルトガルやオランダが奴隷貿易の拠点としていたダカール沖合のゴレ島を英国との争奪戦の末に1677年に占領。西アフリカを拠点とした奴隷貿易に本格的に乗り出します。

 1815年、皇帝ナポレオン1世が失脚した後のウィーン会議では、セネガル川河口の沿岸部、サン・ルイ・デュ・フォールとゴレ島の周辺をフランスの植民地“仏領セネガル”とすることでヨーロッパ諸国が合意。その後、フランス国内は1830年の7月革命や1848年の2月革命などの混乱が続きましたが、最終的にナポレオン3世が権力を掌握すると、仏領セネガルの本格的な植民地経営がスタートしました。

 1854年、仏領セネガル知事に任命されたルイ・レオン・セザール・フェデルブは、それまで沿岸部にとどまっていたフランスの支配を内陸部にまで拡張することに力を注ぎ、1855年にカイに城砦を建設。1857年にはダカールを占領して、1860年にはニジェール河岸にまでフランスの権益を拡大。1865年に総督を退任するまでの間に、広大な地域をフランスの影響下に置くことに成功し、フランスによる西アフリカ支配の基礎を築きました。

 郵便に関しては、1842年、ゴレ島に仏領西アフリカで最初の郵便局が設置されます。大陸部では、1856年にサン・ルイに最初の郵便局が設けられ、1859年から仏領植民地共通切手の使用が開始されます。その後、1887年、共通切手に現地通貨の額面を加刷して発行されたのが、仏領セネガルとしては最初の切手となりました。

 なお、セネガルを含む仏領西アフリカの歴史については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。      


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 世界の切手:イスラエル
2018-06-23 Sat 03:19
 ご紹介がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年6月13日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はイスラエルの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・聖墳墓教会(2014)

 これは、2014年にイスラエルとヴァティカンが共同発行した切手シートで、エルサレムの聖墳墓教会が取り上げられています。ついでですので、ことし(2018年)5月のエルサレム旅行に際して、切手とほぼ同じ構図で撮影した教会の外観の写真を下に貼っておきます。

      聖墳墓教会(実物・外観)

 ローマ皇帝として初めてキリスト教会に改宗したコンスタンティヌス1世は、325年頃に、イエスの磔刑の場所、ゴルゴタに教会を建てることを命じました。しかし、その時点では、イエスが生きていた時代のエルサレムの街区は、2度のユダヤ戦争によって完全に破壊されていただけでなく、135年頃にはローマ風の都市へと再開発されてしまったため、その後、ゴルゴタの丘やイエスの墓所の位置は分からなくなっていました。

 こうした中で、326年、コンスタンティヌスの母ヘレナがエルサレムを訪れ、当時はヴィーナス神殿となっていたこの地で磔刑に使われた聖十字架と聖釘などの聖遺物を発見したとされたため、その場所がゴルゴタと比定され、既存の神殿を取り壊して建てられたのが聖墳墓教会です。現在はカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理となっており、一日中それぞれ何らかの教派によるミサ・聖体礼儀などの公祈祷が行われています。

 さて、『世界の切手コレクション』6月13日号の「世界の国々」では、エルサレム現代史についてまとめた長文コラムのほか、ルドウィック・ブルームの絵画養鶏業、ヨルダン川、アリエル・シャロン、第二次インティファーダプリムの祝祭ボネリークマタカの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のイスラエルの次は、6月27日に発売予定の7月4日号でのセネガル(と一部日本)の特集です。こちらについては、発行日の7月4日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 ニュージーランド首相が出産
2018-06-22 Fri 01:50
 ニュージーランドのジャシンダ・アーダン首相が、きのう(21日)午後、女の子を出産しました。首相在任期間中の出産は、ニュージーランドでは初めて、現役首相の出産は、パキスタンの故・ベーナズィール・ブットー首相が1990年に女の子を出産して以来、2例目です。というわけで、赤ちゃんを描くニュージーランド切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニュージーランド・健康(1996)

 これは、1996年にニュージーランドが発行した“健康切手”のうち、自動車のチャイルド・シートに乗せられた赤ちゃんを描く40セント切手(5セントの寄附金つき)です。

 ニュージーランドは社会福祉制度の充実(と税負担の重さ)で知られていますが、その起源は、1898年に世界最初の老人年金法が議会を通過し、高齢者への老人年金の支給が開始されたことに求められます。さらに、オーストラリア大陸での疫病の流行をきっかけとして1900年に国民保健法が制定され、以後、国民保健大臣の下で社会福祉政策の充実が進められていきました。

 具体的には、1908年の労働者補償保険法や第一次大戦後の軍人恩給法、1924年の視覚障害者への年金制度創設などの諸政策を経て、1936年には傷病者年金が法律化され、16歳以上の働ける見込みがない者に経済援助が与えられるようになりました。そして、1938年に制定の社会保障法により、世界に先駆けて全国民を対象とした社会福祉制度が導入されています。

 当然のことながら、こうした高福祉政策には巨額の財源が必要であり、そのための国民の税負担も相当なものです。こうした背景から、ニュージーランド郵政は、国民の健康増進についての意識を高め、あわせて、福祉政策に関する費用を捻出するため、寄附金つき切手(健康切手)の発行を計画。その最初の切手は1929年に発行されました。ちなみに、1929年の切手は結核対策のための寄附金をつけ、看護婦のデザインの下に“HELP STAMP OUT TUBERCULOSIS(切手で結核をなくそう)”の標語を入れたデザインで、以後、毎年、さまざまなデザインの健康切手が発行されています。

 今回ご紹介の切手が発行された1996年は、子供を交通事故から守ることを題材とした寄附金つき切手が2種発行されました。寄附金つき切手というと、洋の東西を問わず、寄付金として上乗せされる金額を+で表示するケースが一般的ですが、今回ご紹介の切手では、文字で “plus 5c”となっているのが特徴的です。

      
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 夏至
2018-06-21 Thu 00:11
 きょう(21日)は夏至です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・パレンケ(2008)

 これは、2008年にメキシコが発行したパレンケ遺跡の切手シートのうち、碑文の神殿(左)と宮殿(右)を取り上げた切手2枚です。パレンケ遺跡では、夏至の日には、宮殿の塔から見ると碑文の神殿の位置に太陽が沈む構造になっているので、両者が並ぶ状態でご紹介しました。

 パレンケは、ユカタン半島付根、メキシコ南東部のチアパス州にあるマヤ文明の古代都市遺跡です。都市としてのパレンケには紀元前から人が住み着いていましたが、最盛期は7世紀のことで、現在の遺跡はほぼこの時代のものです。

 右の切手に取り上げられた宮殿は、パレンケ遺跡で最も大きな建造物です。最大の特徴はマヤ建築の中では他に例がない高さ15メートルの4階建ての塔で、天体観測に利用されたと考えられています。

 一方、碑文の神殿は、最上部に600以上の碑文が刻まれた石版があったことが名前の由来です。1952年6月15日、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが神殿の地下室で、翡翠の仮面をまとったパカル王(在位615-83年)の遺体を発見。マヤ遺跡でもピラミッドが墓として建てられていたことが明らかになりました。

 ちなみに、1955年11月、メキシコにいたチェ・ゲバラは、結婚したばかりの最初の妻イルダとともにパレンケ遺跡を訪ね、その時の感動を以下のような詩に残しています。

 何世紀にもわたり君を支えているのはいかなる力か
 まるで青年期のように生き生きと脈打つ
 この仕事の最期にいかなる神が吹き込んだのか
 君の石柱の生きた息吹を

 若き日のゲバラは、インカやマヤの遺跡に触れることで、“ラテンアメリカ”を強く意識するようになり、そのことが、後の彼の世界観にも大きな影響を与えています。現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、そうしたゲバラと遺跡の関係について、さまざまなエピソードをご紹介する予定です。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れている同書ですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。
 
      
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 日本、コロンビアに勝利
2018-06-20 Wed 00:13
 サッカーの第21回ワールドカップ(W杯)ロシア大会は、きのう(19日)、1次リーグH組の日本対コロンビア戦が行われ、日本は2―1で競り勝ち、2大会ぶりの勝ち点3を挙げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・WWII戦勝逆加刷

 これは、1945年にコロンビアが発行した第二次大戦勝利の記念切手の逆加刷です。逆加刷切手は、中国語では“倒蓋票”と言いますから、コロンビアを倒したことにちなんで、コロンビアの“倒蓋票”をご紹介しました。なお、加刷は、右からチャーチルルーズヴェルトスターリンの連合国三首脳の肖像で、加刷に用いられた台切手は、コロンビアの主要産業であるコーヒーの収穫場面を描いた5センタヴォの普通切手です。

 コロンビアに限らず、第二次大戦以前の南米諸国では、航空産業や鉄鋼などの基幹分野において、ドイツ系企業やドイツ系移民が経営する企業が重要な地位を占めていました。しかし、対独関係の悪化に伴い、中南米を自らの“裏庭”と考える米国は、企業買収や政府による接収などを行わせて、ドイツ系企業からドイツ人資本家を追放。大戦勃発後、ドイツの経済的影響が中南米に及ぶことを阻止しました。

 こうした背景の後、1941年12月、日米開戦に伴い米国が対独戦争にも参戦すると、1943年7月26日、コロンビアも連合諸国の一員として参戦することになり、戦後、戦勝国の一員に名を連ねることになりました。今回ご紹介の切手が発行されたのは、そうした文脈によるものです。

 なお、1951年9月のサンフランシスコ対日講和会議に際して、コロンビアも戦勝国として講和条約に調印していますが、批准はしていません。したがって、厳密にいうと、コロンビアは、1952年4月28日の条約発効後も、講和条約には拘束されないということになります。
 

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 大阪北部で震度6弱
2018-06-19 Tue 09:14
 きのう(18日7時58分頃)、大阪府北部で最大震度が震度6弱、京都府南部で最大震度が震度5強という地震が発生。きょう(19日)午前6時半現在で、大阪府内で4人が亡くなり、2府4県で計376人が負傷しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      箕面国定公園

 これは、1973年3月12日に発行された“明治の森・箕面国定公園”の切手で、紅葉の間を流れ落ちる滝とニホンザルが描かれています。今回の地震では、切手の題材となった箕面市のほか、大阪市北区、大阪府高槻市、枚方市、茨木市の5市区で震度6弱を観測しましたが、大阪府で震度6弱を観測したのは、観測体制が整った1923年1月以降、初めてのことです。

 切手に取り上げられた“明治の森・箕面国定公園”は、1967年、“明治百年”を記念して東京都の高尾山とともに指定されました。公園内の箕面大滝は、淀川水系箕面川の落差33mの滝で、紅葉の名所として有名です。年間200万人以上の観光客が訪れますが、周辺にはニホンザルが出没し、人間に危害を加えることもあるため、餌やりは禁じられています。

 さて、きのうの地震の後、京阪神地域では余震とみられる小規模な地震が続発。また、今日から明日(20日)にかけては、西日本を中心に雷を伴った非常に激しい雨が降り、大雨となるおそれがあるとのことですから、十分、ご注意ください。


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 切手に見るソウルと韓国:端午節
2018-06-18 Mon 01:08
 『東洋経済日報』6月15日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、端午節(旧暦5月5日、2018年はきょう=18日です)直前号での掲載でしたので、江陵端午とこの切手について取り上げました。(画像はクリックで拡大されます) 

      韓国・江陵端午(2002)

 これは、2002年8月1日に韓国で発行された“わが故郷”の切手(竹島切手が含まれていたシリーズです)のうち、江原道を代表する芸能として江陵端午祭の官奴仮面劇を取り上げた1枚です。

 朝鮮半島の伝統的な風習では、旧暦5月5日の端午節は、田植えと種まきが終わる時期に山の神と地の神を祭り、秋の豊作を祈願する日で、菖蒲湯で髪を洗い、女性はクネティギ(ブランコ)、男性はシルム(韓国相撲)を行うなど、韓国各地でさまざまな風習が行われています。

 中でも、江陵の端午祭は有名で、その“独創性と芸術性”を理由に、2005年にはユネスコの世界無形文化遺産に指定され、毎年、韓国内外から約100万人の観光客が訪れる一大イベントとなっています。

 江陵端午祭は陰暦4月から5月初めまでひと月あまりにかけて、江陵市を中心に嶺東地域で行われる韓国最大規模の伝統祝祭ですが、中でも、切手に取り上げられた官奴仮面劇は、江陵独特の祭礼として有名です。

 官奴仮面劇は、江陵端午祭の主神である国師女城隍を祀った国師女城隍祠で奉納される演戯で、江陵の歴史を記録した『臨瀛誌』によれば、「毎年陰暦4月15日に戸長と巫女が大関嶺に上がって神木で國師城隍神を迎えて奉安し、陰暦5月5日に(楽器演奏や踊りで神を迎える)グッや仮面劇などで神を喜ばせた」と記されています。ただし、その起源については、定かではありません。

 大韓帝国末期の1909年にはいったん廃止されましたが、解放後、考証を得て復元され、1967年1月16日に重要無形文化財第13号に指定され、現在に至っています。韓国の伝統的な仮面劇の中では、例外的に、無言劇であるのも大きな特色となっています。

 官奴仮面劇は、まず、第1幕で2名のチャンジャマリ(妖精)が出てきて揺籃にほこりを立てながら、膨らんだ腹を突き出しながら歩き回り、観衆をからかったり、性的な踊りを踊ったりしながら、舞台を整えていきます。

 ついで、第2幕では、ヤンバン(切手では右の男性)とソメカクシ(同左の女性)が両側から登場。ヤンバンは突き出た頭巾をかぶり、威厳のある態度で登場し、ソメカクシに求愛。ソメカクシはおとなしい仮面に黄色いチョゴリと赤いチマで恥らいながら踊り、最初はヤンバンを拒むものの、最後はヤンバンと恋に落ちます。

 第3幕では、恐ろしい模様の仮面をかぶったシシタクタギ2名が、舞台両側から豪放な刀踊りをしながら飛び出し、ヤンバンとソメカクシの愛に嫉妬し、二人を引き離します。

 第4幕では、ヤンバンから引き離されたソメカクシが、最初は拒みながらも、シシタクタギと踊らざるを得なくなりますが、これを見たヤンバンは嫉妬に駆られて激怒し、シシタクタギからソメカクシを奪還。その後、ソメカクシは謝罪しますが、不貞を疑うヤンバンの叱責は止まず、ソメカクシは貞節を証明するためにヤンバンの長いひげで首をつります。

 最後の第5幕では、チャンジャマリからソメカクシの首つりを聞いたヤンバンは神に祈り、聖水をソメカクシに捧げます。実は、ソメカクシは死んではおらず、身の潔白が伝わったことでヤンバンと和解。これを受けて、劇中の登場人物全員が喜びの舞を踊り始め、最後は楽師と役者、観衆がいっしょに踊ることで幕が下ります。

 ところで、今年2月の平昌冬季五輪では、アイスホッケー女子に五輪史上初となる韓国・北朝鮮の合同チームが出場し、江陵ホッケーセンターで試合を行いました。その際、北朝鮮の応援団が、下の画像のような仮面をかぶって、無言で応援するという奇妙なパフォーマンスを行い、話題となりました。

      北朝鮮・お面の応援

 当時、このパフォーマンスについては“謎の行動”扱いするメディアも多かったのですが、①江陵という場所、②仮面をかぶっての無言のパフォーマンス、③仮面をかぶっていない女性が黄色のチョゴリに赤いチマというソメカクシを思わせる装束であること、等から、これは、江陵の象徴ともいうべき官奴仮面劇を意識したものとみて間違いないと思われます。なお、男性の仮面がヤンバン風のモノではなく、現在の美男子風にアレンジされているのは、かの国のイデオロギーで、金日成一族以外の者に対する“土俗的な信仰”がタブー視されているため、こうした形態をとらざるを得なかったということなのでしょう。

 なお、このパフォーマンスの背後にある北朝鮮側の意図などについては、3月8日に配信のチャンネルくらら特別番組「平昌五輪後の朝鮮半島」(1時間弱の動画ですが、江陵の官奴仮面劇については、16:00頃からお話ししています)で詳しくご説明しておりますので、よろしかったら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 父の日
2018-06-17 Sun 02:29
 きょう(17日)は“父の日”です。というわけで、“母の日”の時と平仄をあわせて、キューバ切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕150年(父子)

 これは、2004年にキューバで発行された“ホセ・マルティ生誕150周年”の記念切手のうち、生後間もない息子の“ペピート”ことホセ・フランシスコを抱くマルティが描かれています。

 キューバ独立運動の志士、マルティは1869年に反逆罪で投獄された後、1871年にスペインに渡り、以後、フランス、ニューヨーク、メキシコ、グアテマラを転々としていましたが、1878年、第一次独立戦争休戦後のキューバに戻り、カルメン・サヤス・バサンと結婚。同年11月22日、息子のペピートが生まれました。

 1895年、第二次独立戦争の緒戦でマルティは亡くなりますが、1897年、18歳になったペピートは父の遺志を継ぎ、母親の反対を押し切って、独立戦争に志願兵として参加。1902年にキューバ共和国が成立すると、いったんは除隊してハバナ大学への入学を目指しましたが、学資が捻出できなかったこともあり、国軍に参加。最終的に将官にまで昇進し、参謀長、国防大臣などを歴任しましました。1945年没。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、フィデル・カストロと1959年の革命に大きな影響を与えたホセ・マルティについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れている同書ですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 泰国郵便学(54)
2018-06-16 Sat 10:55
 公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第3号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・鉄道80年5バーツ

 これは、1977年3月26日に発行された“官営鉄道開業80周年”の記念切手のうち、ハノマーク(ハノーファーシェ・マシネンバウ)社製の蒸気機関車を描く5バーツ切手です。

 1885年、漢族ホー(太平天国の残党といわれている武装集団)がタイの宗主権下にあったヴィエンチャンに侵入し、盗賊事件を働く襲撃事件が発生。このため、タイは鎮圧のために6700名を派兵します。その際、724トンのコメを含む食糧を輸送するため、象約180頭、牛500頭がバンコクを出発しましたが、そのうち、目的地に輸送できたのはわずか8トンしかありませんでした。

 さらに、時を同じくして、英仏両国がタイ領内を通過して雲南方面へと抜ける鉄道の建設を計画していたことから、それらが実現されればタイの北部が英仏両国の手に落ちる可能性もおありました。

 このため、タイ政府は、領土防衛のためには、安定した国内輸送機関として、鉄道を建設することの重要性を認識。外務省を中心に研究が開始され、1888年には元海峡植民地(マラッカペナンシンガポール等で構成)総督で、英領ヴィクトリア植民地(現オーストラリア・ヴィクトリア州)での鉄道建設にかかわった経験があるアンドリュー・クラークに鉄道建設計画の策定を委嘱。さらに、1888年11月には、タイにとって直接的な脅威とはならないと見られたドイツのクルップ社からカール・ベートゲを招いて実地調査を行いました。

 その結果を踏まえて、バンコクからサラブリーを経て、ナコーンラーチャシーマーに至る鉄道の建設が決定され、翌1890年、公共事業省内にベートゲを局長として王立鉄道局が設立され、1891年3月9日には、ラーマ5世がバンコク=ナコーンラーチャシーマー間の鉄道建設計画の勅命を発しました。

 これと並行して、1886年9月、タイ政府の水路技師であった英国人、アルフレッド・ジョン・ロフトスと海軍副司令官でデンマーク人のリシュリューに対してバンコク=パークナーム間およびバンコク=パーンマイ間の鉄道免許が交付され、さらに翌1887年5月には、彼らにバンコク市内軌道の免許が交付され、1891年7月、パークナーム鉄道が着工。1893年4月11日、タイ最初の鉄道として、パークナーム鉄道が開業していました。

 さて、バンコク=ナコーンラーチャシーマー間の鉄道建設に関しては、1891年、ナコーンラーチャシーマー鉄道会社が設立され、英国企業のマレイ・キャンベル社が工事を受注し、1892年3月9日に着工。1896年9月1日にはナコーンラーチャシーマー鉄道会社が国営化され、1897年3月26日、バンコク市内のクルンテープ駅とアユッタヤー間で官営鉄道が開業します。

 この時開業したのは、クルンテープ、バーンスー、ラックシー、ラックホック、 クローンランシット、チアンラック、バーンパイン、アユッタヤーの8駅で、その後、複数回の延伸により、1900年12月21日、ナコーンラーチャシーマーまでの全線が完成しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた機関車を製造したハノマーク社は、1835年、ゲオルグ・イーゲシュトルフが設立。小型蒸気機関の製造から出発して、すぐに農業機械の製造を開始し、1846年にはハノーファー州鉄道向けに最初の蒸気機関車を製造しました。1870年には500両を製造し、1905年には自動車の製造(当初は蒸気自動車)にも乗り出しましたが、1920年代末には鉄道機関車部門をヘンシェル社に売却しています。

 タイの鉄道は、上述のように、草創期においてドイツ人の果たした役割が大きく、それゆえ、ドイツからの機関車の輸入も多く、1909年までに計49両のドイツ製車両がタイの官営鉄道を走っていました。この切手の題材も、そうした初期のドイツ製蒸気機関車を象徴するものとして、選ばれたものと考えられます。


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 ロシアW杯開幕
2018-06-15 Fri 00:57
 サッカーの第21回ワールドカップ(W杯)ロシア大会が、現地時間14日午後6時(日本時間15日午前0時)、モスクワのルジニキ競技場で開催国ロシアとサウジアラビアの試合で開幕しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・ルジニキ競技場50年

 これは、今回のW杯の開幕戦が行われたルジニキ競技場の50周年を記念して2006年にロシアが発行した切手で、競技場の全景が描かれています。

 ルジキニ競技場は、ソ連時代の1956年に“レーニン・スタジアム”の名でオープンしました。当時の収容人数は7万8360人です。

 オープン翌年の1957年にはアイスホッケー世界選手権決勝の会場となり、当時のアイスホッケー史上最多の5万5000人を動員しました。また、1980年のモスクワ五輪時にはメイン会場として収容人数が10万3000人まで拡大され、開閉会式、陸上競技、サッカー決勝、馬術(大賞典障害飛越)が行われました。

 1982年10月22日には、欧州連盟カップ2回戦でソ連のスパルタク・モスクワがハールレム(オランダ)を相手に、終了直前に追加点を決めた際、先に帰途に就こうとした観客と、スタンドに戻って喜ぼうとした人が交錯して将棋倒しが発生し、66人が死亡、300人以上が負傷する大惨事(ルジニキの惨事)が起きたことでも知られています。

 ソ連およびロシア最大の総合スタジアムとして、サッカーのほか、コンサート会場等としても使用されていましたが、2010年に今回のW杯の開催が決定されると、2013年8月の世界陸上モスクワ大会を最後に閉場となり、2014年から4年間にわたる大規模改修工事を経て、陸上トラックが撤去され、2017年、球技専用のスタジアムとして2017年にリニューアル・オープンしました。

 さて、今回のW杯は、32の代表チームが参加し、7月15日(日本時間16日午前0時)の決勝まで、11都市12会場で、計64試合画行われます。日本代表は、6月19日にコロンビア、24日にセネガル、28日にポーランドと対戦する予定で、このブログでも、何らかのかたちで関連の切手をご紹介する予定です。
 

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 チェ・ゲバラ生誕90年
2018-06-14 Thu 01:42
 1928年6月14日、アルゼンチンのロサリオで、チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラが生まれてから、今日でちょうど90年です。というわけで、ゲバラ関連の切手の中から、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・内務省前シルエット

 これは、2016年、キューバで発行された“内務省55周年”の記念切手で、ハバナの革命広場に面した内務省の壁面と、そこに掲げられたキューバ国旗ならびに、ゲバラの最も有名な肖像である“英雄的ゲリラ”の巨大な鉄製レリーフが取り上げられています。ゲバラ関連の切手は数多く発行されているのですが、今回は、生誕90周年にちなみ、そのなかから“90センターボ”の切手を選んでみました。

 キューバ内務省は、プラヤ・ヒロン事件直後の1961年6月6日、国内の治安維持・思想統制のために創設された組織で、社会主義政権特有の“反革命”摘発組織として、恐れられています。

 さて、1967年10月9日、ゲバラがボリビアで処刑されたとの第一報がキューバにもたらされましたが、CIAが遺体を早々に処理してしまったため、キューバ側は遺体を確認できませんでした。このため、外交ルートや情報機関を通じて、カストロがゲバラ死亡の事実を確認したのは死後約10日後のことで、10月18日になって、ようやく、内務省前の革命広場で追悼集会が行われることになりました。

 追悼集会に際して、内務省の壁面には、建物と同じ高さの木製パネルが組み上げられ、そこに、1960年にアルベルト・コルダが撮影した報道写真“英雄的ゲリラ”を原画とする巨大な肖像画が掲げられました。そして、追悼集会では、その肖像画の下で、カストロが数十万人もの群衆を前に追悼演説を行い、その模様が新聞、テレビを通じて全世界に報じられたことで、“英雄的ゲリラ”のイメージは一躍世界的に知られるようになりました。

 追悼集会後も、内務省の壁面には“英雄的ゲリラ”を元にした肖像画が掲げられていましたが、屋外での展示ゆえに損傷が激しくなったため、後年、別の肖像画に差し替えられた後、1993年には、彫刻家のエンリケ・アビラ・ゴンザレスによって鉄製レリーフが制作されて設置され、現在に至っています。なお、レリーフの右下には、“Hasta la Victoria Siempre(常に勝利に向かって)”との彼の言葉が掲げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の鉄製レリーフを含め、彼の死後、ゲバラが神格化されていく過程で、“英雄的ゲリラ”がどのように扱われてきたのか、という点についても触れる予定です。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

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 バオバブの古木が謎の大量枯死
2018-06-13 Wed 02:13
 アフリカのサバンナの象徴的な樹木として知られるバオバブの古木(樹齢1000-2500年以上)が、約10年間で大量に枯死しており、その原因が不明であるとの研究論文が、11日付の英科学誌 Nature Plants に発表されました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ローデシア・バオバブ

 これは、1953年、英領南ローデシア(現ジンバブエ)で発行された6ペンスで、バオバブの木が描かれています。

 アフリカ等のサバンナ地帯に広く分布しているバオバブはアオイ目の樹木で、巨木を引き抜いて逆さまに突っ込んだようだとも称される形状をしています。大きなものでは高さ30m、直径は10mにも達し、徳利型の幹に水分を蓄え、乾季になると葉を落として休眠します。

 バオバブという名称は“種がたくさんあるもの”を意味するアラビア語の“ブー・フブーブ”に由来するとされていますが、アフリカ南部で広く使われるズールー語名は“ウムコーモ”です。果実、葉は食用に、樹皮は薬用、繊維、家畜の飼料などに利用されています。

 さて、今回発表された論文は、もともと、バオバブがどのようにしてこれほど巨大になるかを解明することを目的に、2005年から2017年にかけて、存在が確認されているアフリカバオバブの古い巨木、計60個体以上を対象に調査と年代測定を実施したもので、その結果、バオバブの主幹は単一でなく複数の幹が芯となって生長することが明らかになりました。

 その過程で、「最古級のバオバブ13個体のうちの9個体(うち最大級のアフリカバオバブ4本を含む)がこの12年で枯死または少なくともその個体の最も古い部分(幹)が枯れた」とことが確認されたのですが、樹齢1000年級のバオバブの古木が、12年の間に、これほどまとまって枯死するのはこれまでに例がなく、それゆえ、ニュースとしてメディアにも取り上げられたというわけです。

 なお、バオバブは、焼いたり、樹皮をはぎ取ったりしても、すぐに新たな樹皮が形成され、生長を続けるため、枯死させるのが非常に困難な植物とされています。枯死の原因は疫病ではないことが確認されているため、研究チームは気候変動が部分的に関連しているのではないかと推測していますが、最終的にその仮説の是非を判断するには、今後のさらなる研究が必要だそうです。


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 きょう、米朝首脳会談
2018-06-12 Tue 03:47
 米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の米朝首脳会談が、きょう(12日)、シンガポールのセントーサ島で行われます。というわけで、きょうは開催地のセントーサ島にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・セントーサ島(1990)

 これは、1990年にシンガポールが発行した観光宣伝の切手のうち、セントーサ島を取り上げた1枚です。

 セントーサ島はシンガポール島の南にある島で、シンガポール本島とは、道路やモノレール、切手に描かれたケーブルカーでつながっているものの、島への出入り口は1ヵ所しかありません。このため警備が容易で、高級リゾート地としての環境と併せて、今回の首脳会談の会場に選ばれたものと考えられます。

 もともとは、この島は、マレー語で“背後に死のある島”を意味する“プラウ・ブラカン・マティ”と呼ばれていました。その由来については、①連続殺人が起きた、②海賊や密輸グループの拠点だった、③19世紀に疫病が広がり、全ての島民が犠牲となった、④島の大地は不妊をもたらした、等の諸説がありますが、定かではありません。また、古くは墓地としても利用されており、第二次世界大戦中の1942年、日本軍によって占領されると、英国とオーストラリア兵の捕虜収容所として利用されました。

 ちなみに、今回の首脳会談の会場となるカペラ・ホテルの場所には、もともと、英王立砲兵連隊の将校らの宿泊所として使われたバンガロー2棟のほか連隊の食堂があり、日英開戦後、英軍は日本軍の進攻に備えて食堂に面した場所に銀塊を埋めて隠しました。戦後、その一部はマレーシアが回収しましたが、現在なお、ホテルの芝生の下には銀塊が残されている可能性があるそうです。

 シンガポール共和国発足後の1972年、観光開発の一環として埋め立てによって島を拡大。これに伴い、島名も“平和と静謐の島”を意味する“セントーサ”に改称され、現在に至っています。


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 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 新潟県知事に花角英世氏
2018-06-11 Mon 01:08
 新潟県の米山隆一前知事の辞職に伴う同県知事選は、きのう(10日)、投開票が行われ、自民、公明両党が支持する前海上保安庁次長、花角英世氏が、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党5党と衆院会派・無所属の会推薦の元県議、池田千賀子氏ら2氏を破り、当選しました。というわけで、新潟県政がらみで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      新潟県政記念館

 これは、1989年7月14日に発行された“89新潟食と緑の博覧会(1989年7月14日から9月3日まで、新潟産業振興センタ-とその周辺で開催)”のふるさと切手(新潟県)で、博覧会のマークと新潟県政記念館が描かれています。原画作者は、新潟県出身の洋画家、堀井健美(1932-2006)です。

 もともと、新潟県会の議場は、当初、新潟県庁舎内にありましたが、1880年夏の新潟大火で県庁舎が類焼し、その後の県会は新潟学校(現新潟大学)で行われていました。このため、1882年、県令の永山盛輝は、県会の賛同を得て議事堂の建設に着手します。

 こうして、翌1883年3月、当時の大阪駅舎などを手掛けた大工の棟梁・星野総四郎の設計により、切手に描かれた建物が県会議事堂として完成します。議事堂は木造2階建の桟瓦葺きで、正面玄関の両翼に大きな切妻屋根の棟を張り出し、屋上中央に八角塔屋を構えており、正面の二階が知事室・議長室、向って右側の棟が議場、左側の棟が議員控室・傍聴人控室などとなっていました。

 1932年、現在は新潟市役所本庁舎のある学校町通一番町地内の県庁の新庁舎が完成すると、議場もそちらに移されたため、切手の建物は議事堂としての役割を終えました。その後は、郷土資料館、県庁分館などとして使われていましたが、1969年3月、府県会開設期における現存唯一の府県会議事堂の遺構として価値が高いと評価され、国の重要文化財に指定。復原・修復工事を経て、1975年4月、新潟県政記念館として開館し、一般公開されています。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 時の記念日
2018-06-10 Sun 15:01
 きょう(10日)は“時の記念日”です。というわけで、時計がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣)  キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣・部分)

 これは、2009年にキューバが発行した“革命勝利50年”の記念切手のうち、ゲバラの工業大臣就任を題材とした1枚で、左腕に腕時計をつけているのが確認できます。(右側には腕時計の部分をトリミングした画像を貼っておきました)

 キューバ革命達成以前のゲバラは、スイスのマーヴィン社のステンレス製自動巻き4針タイプを使っていましたが、革命後は耐久性と機能性に優れたロレックスを愛用するようになりました。

 なかでも、1963年の後半以降(遅くとも1964年4月まで)に入手し、1967年10月にボリビア山中で亡くなるまで身に着けていたGMTマスター1675(下の画像)は、赤青のベゼルが印象的な外観に加え、ベゼル(文字盤の外側)を回転させて世界各国の現地時間がわかる仕様が世界各地を飛び回っていたゲバラのイメージとも合致することから、“ゲバラの腕時計”といえば、このモデルが紹介されることが多いようです。なお、GMTマスター1675は、製造年代によって若干の差異がありますが、ゲバラが着けていたのは、1960-70年代に製造されていた龍頭ガードの付いたタイプです。

      ロレックスGMTマスター1675

 今回ご紹介の切手の腕時計は、文字盤が赤と青の2色になっているように見えますが、あるいは、光の加減などで文字盤にベゼルの色が映っているのか、それとも、GMTマスター1675ではない別の時計なのか、画像が小さすぎて良くわかりません。どなたかお詳しい方がおられましたら、御教示いただけると幸いです。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の時計の話のような、ゲバラに関する小ネタの話もいろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 世界の切手:ミャンマー
2018-06-09 Sat 01:55
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年6月6日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はミャンマー(と一部アンティグア・バーブーダ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ビルマ国・独立の文字

 これは、1943年8月1日、日本軍政下のビルマで発行された“独立記念”の切手のうち、1セント切手の無目打ペアです。

 1941年12月の日英開戦後、1942年5月末までにビルマ全土をほぼ制圧した日本軍は、英国の支配下で投獄されていた独立運動の闘士、バーモ(バモオ)を行政府長官兼内務部長官として、8月1日、ビルマ中央行政府を樹立します。その際、日本軍はビルマ独立は戦勝後の予定とし、即時独立を認めませんでした。また、ビルマ国民には軍政への協力を要求する一方で、批判的な民族主義者や若いタキン党員の政治参加を抑圧したこともあって、ビルマ側の不満が鬱積していきます。

 このため、戦況が悪化する中で、ビルマにより一層の戦争協力を求めるための見返りを用意する必要に迫られた日本政府はビルマ独立の方針を具体化し、1943年3月10日に『緬甸独立指導要綱』を決定。同年8月1日、軍政を廃止し、バーモを首班とするビルマ国としての独立を承認しました。ただし、独立と同時に、日本ビルマ同盟条約が締結され、ビルマは連合国へ宣戦布告することになり、日本軍の駐留はその後も終戦まで続けられることになります。

 今回ご紹介の切手では、ビルマ語で“独立”の文字を彫刻する場面が描かれていますが、ビルマ語を表記するためのビルマ文字は、ビルマのモン族が使っていた文字をベースに11世紀後半、ビルマ語に転用されるようになったもので、子音を表す基本字母の周囲に母音記号と声調を組み合わせた構造となっています。この地域では、かつて、紙の代わりにタラバヤシの葉を用いていたため、直線を使うと葉が避けてしまうため、曲線を中心とした字形で、左から右へと綴ります。また、ビルマ語以外にもサンスクリットやパーリ語などの表記にも用いられます。

 さて、『世界の切手コレクション』6月6日号の「世界の国々」では、第二次大戦の勃発後、日本占領時代を経て1948年の独立にいたるまでのビルマ近代史についてまとめた長文コラムのほか、第二次大戦中の日本軍の捕虜収容所の郵便物ロンジースカート緑の孔雀の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のミャンマー(と一部アンティグア・バーブーダ)の次は、6月6日に発売予定の6月13日号でのイスラエルの特集です。こちらについては、発行日の6月13日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 

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 世界海洋デー
2018-06-08 Fri 14:04
 きょう(8日)は、「海の重要性に気づき、感謝する日」という“世界海洋デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・グランマ国立公園(2003)

 これは、2003年にキューバで発行された“エコ・ツーリズム”の切手のうち、“グランマ号上陸記念国立公園”を取り上げた1枚です。

 1956年11月25日深夜、フィデル・カストロらキューバ革命の志士たちはグランマ号でメキシコのトゥスパンを出航し、1週間後の12月2日明け方、キューバ島オリエンテ州(当時)ラス・コロラダス海岸に上陸しました。

 ラス・コロラダス海岸を含むシエラ・マエストラ西側斜面の石灰岩段丘は、石灰岩の海岸段丘としては世界最大規模の高低差540メートル(海抜標高360メートルから水深180メートル)があり、その景観と地学上の重要性、多様な動植物相で知られています。

 なお、オリエンテ州は、1976年、グランマ号の上陸地点の所在地であることにちなみ“グランマ州”に名称が変更されましたが、その後の1986年、ラス・コロラダス海岸を含む418.63平方キロの範囲が“グランマ号上陸紀念国立公園”に、さらに、1999年、そのうちのクルス岬を含む325.76平方キロの範囲が“クルス岬の海岸段丘地形”として世界遺産にも登録されました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、グランマ号上陸記念国立公園の名前の由来となったグランマ号上陸事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 キルギスで反“誘拐婚”デモ
2018-06-07 Thu 00:12
 きのう(6日)、キルギスの首都ビシュケクで“誘拐婚(アラ・カチュー)”に抗議する大規模なデモが行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・エレチェーク

 これは、2012年にキルギスで発行された既婚女性の被り物、“エレチェーク”の切手です。なお、この切手に描かれている女性が誘拐婚によって結婚したのか否かは定かではありません。

 キルギスは男女を問わず帽子をかぶる文化が生活に深く浸透していますが、特に、女性に関しては、人口の75%を占めるムスリム、20%を占めるキリスト教正教会の信徒の間では、いずれも、日常生活において髪を人目にさらすべきではないとされています。
 
 このうち、既婚女性が被るエレチェークは、タキヤと呼ばれるヘルメット状でつばのない小さな帽子をベースに頭巾とターバンをしっかりと巻き、外からは頭髪を完全に隠す構造になっていますが、地域などによりさまざまなヴァリエーションがあり、2013年からはその保護・継承プロジェクトが行われています。

 さて、キルギス語で“掴んで逃げる”を意味する“アラ・カチュー”は、辞書的には「若い男性が友人たちと共に女性を説得し、あるいは力づくで誘拐し、親族の待つ家まで連れていくこと」で、男性側の親族の家に連れて行かれた女性は結婚を承諾するまで、幽閉・監禁され、説得を受け続けます。そのプロセスについては、双方に相手との結婚の意思があり、形式的な“儀式”の場合もないではないのですが、その一方で、女性の意思を完全に無視し、結婚を拒む女性に対する暴行(性的暴行を含む)が行われることも珍しくありません。

 また、人口の多数派を占めるムスリム社会では、女性の処女性が結婚に際して極端に重視されるため、女性が(自分の意思ではないにせよ)いったん男性の家に入った後に、結婚を拒否してそこから出ることは“恥”とみなされ、彼女自身だけでなく、家族の名誉をも傷つけかねないこと、伝統的な価値観の中で、高齢の女性が説得にあたると断りづらいこと、などの社会的な要因もあり、誘拐婚の被害女性は自分の意思とは無関係に結婚を受け入れざるを得ないのが実情です。

 アラ・カチューは、もともと、キルギスの遊牧民の習慣で、ソ連時代には、伝統文化と同様、“因習”として共産主義政権によってある程度抑えこまれていました。ところが、1991年にソ連が崩壊し、キルギス国家が独立すると、社会的な混乱に乗じて、女性を誘拐・監禁して結婚を強要するケースが増加するようになり、そこに、民族主義の高揚もあって、誘拐婚を伝統的な“アラ・チュー”として正当化しようとする風潮が強まりました。

 当然のことながら、本人の意思を無視して女性を誘拐することは、それじたい、立派な犯罪であり、現在のアラ・カチューは国際的にも深刻な人権問題として非難されています。このため、キルギス政府は独立後の1994年にアラ・カチューを正式に法律で禁止しましたが、現実には警察や裁判官もアラ・カチューを黙認しており、国連によればキルギスでは、24歳未満の女性の13.8%が誘拐犯との結婚を強いられているとされています。

 今回のデモの直接の発端となったのは、今年5月、キルギス北部チュイ州で誘拐され、結婚を強要された女性(20歳の医学生)が、犯人の男を告発し、警察署で男に不利な証言をしようとしたところ、刺殺された事件です。事件はキルギス国民に大きな衝撃を与え、国連や各種の人権団体のみならず、ソオロンバイ・ジェエンベコフ大統領も犯人を激しく非難していました。

 きのう、ビシュケクで行われたデモでは、1000人以上の参加者たちが「私たちはアラ・カチューに反対する」、「少女たちに幸せになるチャンスを与えよ」といったスローガンを記したポスターを掲げ、抗議の意思を表明したそうです。


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 ロバート・ケネディ没後50年
2018-06-06 Wed 01:43
 ジョン・F・ケネディ元米大統領の弟、ロバート・ケネディ上院議員(当時)が、1968年の米大統領選の民主党候補指名選のキャンペーン中の6月5日、ロサンゼルスで狙撃され、翌6日に亡くなってから、きょうでちょうど50周年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フィリピン・ケネディ兄弟(1968・不発行)

 これは、1968年、フィリピン名義の“国際人権年”の切手として企画されたものの、結果的に日の目を見ずに終わった“ケネディ・モスデン切手”の1枚で、ジョンとロバートのケネディ兄弟の肖像が取り上げられています。

 1968年4月、フィリピンの公共事業・運輸・通信長官のアントニオ・ラクィザは、高速道路建設のための資金援助を受けるべく、渡米して米政府と交渉を行っていましたが、その過程で、ニューヨークで切手商のエッゼ・モスデンを紹介されます。モスデンは、ラクィザに対して、外貨獲得のために世界の収集家をターゲットとした“輸出用”の切手を制作・発行することを提案。その費用を彼が負担する代わりに、切手の製造と販売権を独占できないかとラクィザに持ちかけました。

 モスデンは、切手の輸出によりフィリピン政府は年間2‐300万ドルの収入が得られるとの見通しを示したため、ラクィザはこの提案に大いに興味を抱き、個人的にこの提案を受け入れ、モスデンがベン・ダンビーと共同経営していたパルコ・インターナショナル社とフィリピン切手の制作・販売についての契約を結びました。その内容は、フィリピン政府はパルコ・インターナショナルを、今後5年間にわたり、フィリピン切手の印刷、プロモーション、フィリピン国外での切手の販売を独占的に扱う代理店とするというもので、パルコ・インターナショナルがフィリピン切手の販売によって得られる手数料は売り上げの20%とされていました。なお、契約の日時については、資料によって、1968年6月24日、同26日、8月19日と諸説がありますが、いずれにせよ、ラクィザの米国滞在中に署名が行われたとみられています。

 ところが、ラクィザが帰国すると、当時の郵便長官、エンリコ・パロマーがパルコ・インターナショナルとの契約に対して、以下の理由を挙げて強硬に反対します。すなわち、

 1)フィリピン切手の製造・販売に関する契約は、いかなるものであっても、公共事業・運輸・通信長官ではなく、郵便長官が署名しない限り無効である
 2)フィリピン切手の製造・販売業者の選定は、公開入札によらなければならない
 3)フィリピン切手のデザインは、フィリピン郵政の切手・郵趣課が制作するか、または妥当なものであると承認したもののみを、正規の手続きを経て印刷しなければならない

 上記の理由から、フィリピン郵政はラクィザがパルコ・インターナショナルと結んだ契約は無効であるとして、これを拒絶しました。

 一方、そうしたフィリピン側の事情を知らないモスデンは、早々とフィリピン切手の製造・販売を請け負う会社として“フィリピン郵趣代理部( Philippine Philatelic Agency Inc:PPA)を設立し、同年のメキシコ五輪および“世界人権年”の記念切手の制作を開始しました。

 このうち、世界人権年の記念切手は、“公民権と人権のために戦った闘士”として、世界的に人気のあるケネディ元大統領とその家族が題材として選ばれました。これがいわゆる“ケネディ・モスデン切手”で、今回ご紹介のモノを含む5種セットと小型シートで構成されています。

 その後、モスデンのPPAは、最初の切手として、10月12日にメキシコ五輪の記念切手を発売しようとしましたが、フィリピン郵政はあくまでも、①ラクィザが結んだ契約はフィリピン郵政の承認を得た正式のものではない、②フィリピン郵政が件の切手の製造に関与していない、③件の切手の印刷枚数について、フィリピン郵政は何も知らされていない、ことを理由にPAAの切手を頑として認めず、最終的に、“ケネディ・モスデン切手”は正規の切手として発行されることのないまま終わりました。

 その後、モスデンらは、これらの“切手”を“不発行切手”として収集家向けに販売することでコストの一部を回収しましたが、実際には、上記のような経緯から、“切手もどき”というのが実態に近いと思います。

 なお、ロバート・ケネディの生涯については、拙著『大統領になりそこなった男たち』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 スプートニクとガガーリンの闇(8)
2018-06-05 Tue 02:06
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、4月25日、『本のメルマガ』第679号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、前回に続き、スプートニク1号および2号を題材に、国際地球観測年の期間中に東側諸国で発行された切手を紹介していますが、今回はチェコスロヴァキアについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      チェコ・ラジウム記念印はがき

 これは、ヤーヒモフ(ドイツ語名ヨアヒムシュタール)でのウラン抽出100周年の記念標語印が押された葉書です。今回は、チェコのウランとソ連の宇宙開発という話でしたので、その“チェコのウラン”に絡めて使ったマテリアルです。

 チェコスロヴァキアでは、1948年2月の政変で共産党が実権を掌握。同年6月、チェコスロヴァキア共産党の創設メンバーだったクレメント・ゴットワルトが大統領に就任します。

 ゴットワルトは純然たるスターリン主義者で、すべての生産設備を国有化し、農業集団化を強行しただけでなく、議会制度を完全に放棄し、体制に批判的な人物は容赦なく粛清しました。1953年3月14日、スターリンの葬儀から帰国して5日後に亡くなったのは、“小スターリン”として本家のコピーに徹しきった彼の生涯を象徴するような幕引きだったといえましょう。

 ゴットワルトの死後、共産党第一書記に就任したアントニーン・ノヴォトニーはゴットワルトの路線を継承しつつ権力基盤を固め、1957年には大統領職も兼務しました。

 ときあたかも1956年2月のフルシチョフによるスターリン批判を機に東欧諸国ではソ連支配への反発が強まっており、同年10月には隣国ハンガリーで大規模な反ソ暴動(ハンガリー動乱もしくはハンガリー1956年革命)が発生しましたが、ノヴォトニーは国内の反ソ世論を封じ込めることに成功。ソ連の軍事介入を積極的に支持しました。

 こうした状況の下で、1957年10月、ソ連が世界最初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功すると、チェコスロヴァキア国内では、「スプートニク号の仕組みは?」という質問に対して「1.チェコのウラン、2.ドイツの技術、3.ソ連の犬」と応えるという共産圏ジョークが流行します。

 チェコ・ボヘミア地方のヤーヒモフ(ドイツ語名ヨアヒムシュタール)は、神聖ローマ帝国マクシミリアン2世統治下の16世紀以来、銀山の開発が行われていましたが、当初から、銀以外にも、輝く黒い鉱物の存在が知られていた。それらは“ピッチブレンド”と呼ばれており、鉱山労働者に健康被害をもたらす一方で、関節炎などの病気の治療にも使われていました。このピッチブレンドから、1789年、化学者のマルティン・クラプロートが新しい元素を抽出し、天王星(ウラヌス)を発見したヴィルヘルム・ハーシェルに敬意を表して、“ウラン”と命名します。

 1938年、ドイツがチェコスロヴァキアを併合すると、ヤーヒモフ鉱山もドイツ領となり、同年、オットー・ハーンがここから産出されたウランの研究をもとに、ウランの核分裂を発見。ヨアヒムシュタールは、原爆開発の観点から、注目を集めます。

 第二次大戦後、チェコスロヴァキアはソ連の衛星国となり、1946年以降、ヤーヒモフ鉱山で生産されるウランは、すべてソ連に輸出され核開発及び原子力発電所用核燃料として使用されていました。

 さて、実際のスプートニク1号の打ち上げに使われたR7ロケットの燃料は液体酸素とケロシン(石油を分留して作られる液体の炭化水素。ナフサよりも重く軽油よりも軽い)であって、チェコのウランが重要な役割を果たしたわけではありません。しかし、ノヴォトニー政権は事実と異なるジョークが流布していても、あえて訂正しませんでした。それにより、自分たちが東側諸国の“優等生”としてソ連の宇宙開発を支えており、自分たちに敵対する者に対してはソ連によって鉄槌が下されるであろうことを暗示させる効果を狙ったのです。

 ただし、ノヴォトニー体制下での硬直化した国家運営や西側諸国との経済格差の拡大は、次第に、チェコスロヴァキア国民の不満を鬱積させ、1962年5月1日には、プラハ大学の学生が「我々はスプートニクをもっているが、肉をもっていない。我々はスプートニクより肉が欲しい」とのスローガンをかかげてメーデーに参加しています。これに対して、ノヴォトニーは、学生たちの要求を徹底的に弾圧。その後も“プラハの春”が始まる1968年1月まで党第一書記・大統領としてチェコスロヴァキアの“小スターリン”の座を維持し続けました。

 なお、毎月25日に配信の「本のメルマガ」での僕の連載、「スプートニクとガガーリンの闇」ですが、5月は、イスラエル出張中ということで1回お休みをいただきました。次回は、6月25日配信号での掲載になりますので、あしからずご了承ください。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 宿泊希望先は元中央郵便局
2018-06-04 Mon 17:47
 米紙ワシントン・ポストによると、今月12日、シンガポールで予定されている米朝首脳会談で、金正恩朝鮮労働党委員長ら北朝鮮代表団が宿泊先としてフラートン・ホテル(最高級スイートの宿泊料金は1泊6000米ドル)を希望しているものの、外貨不足などを理由に、米国またはシンガポール政府による費用の肩代わりを求めているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シンガポール・中郵(2000)

 これは、2000年にシンガポールが発行した“歴代中央郵便局”の切手のうち、1928-96年の中央郵便局の局舎が取り上げた1枚で、この建物を改装して2001年にオープンしたのが、件のフラートン・ホテルです。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた建物は、上海にあった建築会社キース&ドウズウェルにより設計され、ドーリア式の円柱などを特徴とするパラディアン様式の建物として、1928年6月27日に完成。ほぼ1世紀前の1826年に英領海峡植民地が創設された際の初代総督、ロバート・フラートンにちなんで、“フラートン・ビルディング”と命名され、中央郵便局のみならず、いくつかの政府機関などが入居しました。第二次世界大戦中は、日本軍の攻撃を受け、当時の総督シェントン・トーマスがマレー駐在英軍司令官中将アーサー・パーシバル降伏について話し合った建物でもあります。

 なお、フラートン・ビルディングは1996年まで中央郵便局として使われた後、改装費用約240億円をかけ、2001年、香港企業の信和集団傘下の信和置業によりホテルとして開業しました。旧中央郵便局の局舎だった過去を活かして、ロビーには郵便ポストや以前の写真なども展示されています。なお、ホテル周辺の一帯はフラートンヘリテージの所有地で、かのマーライオンもその中に含まれているのだとか。

 来年(2019年)は、シンガポールでアジア切手展が予定されているので、宿泊は無理にしても、ホテルのロビーでビールくらいは飲んでみたいですな。
 

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 おかげさまで13周年
2018-06-03 Sun 11:10
 外遊中だったのでご挨拶が少し遅れましたが、おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、13年が過ぎました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、毎年恒例、13周年にちなんで額面13の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・プラヤヒロン3周年(鷲)

 これは、1964年4月、キューバが“プラヤ・ヒロン勝利3周年”を記念して発行した13センタボ切手で、撃ち落とされる米国の象徴、鷲が描かれています。

 1959年のキューバ革命後、米国とキューバの関係が日に日に悪化していく中で、1961年11月8日、アイゼンハワーからケネディへの政権交代を間近に控えた米国はキューバと断交し、ラテンアメリカ諸国の大半がこれに追随します。

 1960年の米国大統領選挙を通じて、民主党のケネディ、共和党候補のリチャード・ニクソンの両候補はいずれもキューバに対して“弱腰”ではないことを示すため、(その時期は明言しなかったものの)政権悪徳後は軍事介入する意向を明らかにしていましたが、選挙後まもない1960年11月17日、大統領当選者のケネディに対して、CIA長官のアレン・ダレスは、亡命キューバ人がグアテマラ国内でキューバ上陸作戦のための軍事訓練を受けていることを報告。ケネディも計画をそのまま進めるよう指示を出しています。

 この時までに、革命を逃れてフロリダに渡ったキューバ難民の数は10万に達しており、CIAの計画は、そうした亡命キューバ人の中から有志を募り、革命政権転覆の尖兵として利用というものでしたが、じつは、キューバ側もその中にスパイを潜り込ませ、CIAの動きをかなり正確に把握していました。

 はたして、1961年1月20日、ケネディが正式に米国大統領に就任すると、キューバ政府は警戒態勢に入り、ゲバラはキューバ最西部のピナール・デル・リオに移動し、同軍管区を担当することになりました。侵攻が西側から、すなわち、大陸に最も近い海岸から行われるとすれば、彼の担当地域が最初に敵を迎え撃つことになります。

 ピナール・デル・リオに着任したゲバラは、前年の東欧諸国歴訪の体験を踏まえて、「ソ連をはじめ、全ての社会主義国が我々の主権を守るために戦争に入る必要があることは広く知られている」としたうえで、「我々は皆、我々がこれまで最も憎んできた敵、アイゼンハワーの後継者がわずかでも知的であることを望む」とケネディ宛のメッセージを発しました。

 1961年4月初旬、カストロは在米亡命キューバ人の中に潜入したスパイからの情報で米国の侵攻がいよいよ間近に迫っていることを察知し、潜在的な反政府勢力と見なした人々を一斉摘発。後にカストロはテレビ演説で「すべての容疑者、何らかの理由で事を起こす可能性のある者、反革命運動に与する行動あるいは動きを示す可能性のある者を逮捕するしかなかった。こうした手段を取る場合、いくらかの不当な行為があるのは当然だ」と弁明していますが、非常時を口実に、正規の法的手続きを踏まずに、体制にとって害をなす“可能性のある者”を逮捕した恐怖政治の先例は、その後、常態化していくことになります。ただし、この時点では、その点について米国以外の西側“進歩的文化人”が警鐘を鳴らすことは全くありませんでした。

 また、当時のキューバ島内では、中部エスカンブライ山中を拠点に、反政府勢力(その中には、カストロらとともに反バティスタの革命を戦ったものの、革命政府の“左傾化”に反対して、フィデルと袂を分かった人々も少なからずいました)がゲリラ闘争を展開していたため、カストロは、大規模な掃討作戦を展開し、エルカンブライ山中の反政府勢力を完全に包囲しています。キューバ島に上陸した敵が、山中の反政府勢力と提携する可能性を事前に摘んでおくためです。

 さらに、グアテマラ南西部のレタルレウでは、反カストロ軍の“2506部隊”にキューバの工作員が訓練キャンプに潜入し、隊長のペペ・サン・ロマンに対する叛乱も煽ったため、CIAによる上陸計画には遅延が生じ、その間、カストロはじっくりと対策を練ることができました。

 一方、CIAのプランでは、まず、キューバの空軍基地を爆撃して制空権を確保したうえで、米空母エセックスの掩護を受けた2506部隊2000人がエスカンブライ山麓のサパタ地区に上陸。橋頭保を築いたうえで、フロリダを拠点とする“革命評議会(その首班は、元首相のカルドナです)”が上陸し、臨時政府の樹立を宣言。米国と他のラテンアメリカ諸国が承認するという段取りになっていました。

 こうして、1961年4月10日、CIAに率いられた亡命キューバ人部隊約1500人はグアテマラからソモサ独裁政権下のニカラグアに移動。15日には、「カストロの鬚をお土産に」とのソモサの軽口を聴きながらニカラグアを飛び立ったB26戦闘機8機がキューバを爆撃し、コルンビア、サン・アントニオ・ボラーニョスとサンティアゴ・デ・クーバの空軍基地が爆撃されたほか、首都ハバナでは住宅密集地への爆撃により、病院の入院患者に死者が出ています。ただし、事前に攻撃を予想していたキューバ側は、滑走路にダミーないしは廃棄寸前の飛行機を置き、飛行可能な戦闘機は各地に分散して隠しておいたため、キューバの空軍兵力はほとんど無傷のままでした


 空爆のあった当初、米政府は「爆撃は米国への亡命を希望する元キューバ空軍のパイロットによるものだ」と説明していましたが、真相はすぐに明らかになり、米国の事件への関与も明らかになってしまいます。

 翌16日、カストロは「真珠湾攻撃の時、日本政府は“攻撃していない”という嘘はつかなかった」として米国を非難。そして、米国との対決姿勢を鮮明に示すため、ついに、「キューバ革命は社会主義革命である」と宣言しました。

 これに対して、国際的な非難を恐れたケネディは、2回目以降の空爆を中止するよう、軍とCIAに命令しましたが、キューバ側の防衛力を過小評価し、事態を楽観視していた彼らは、当初の予定通り、4月17日、キューバ島中部南海岸のプラヤ・ヒロン(米側の呼称はピッグス湾)に2506部隊を上陸させます。

 きれが、いわゆる“プラヤ・ヒロン侵攻事件”です。

 しかし、連絡の不備から、エセックスの艦載機が現場に到着したのは2506部隊の上陸から1時間後のことで(CIAが攻撃時間をニカラグアの現地時間で伝えたのに対して、米海軍はそれを1時間の時差があるワシントン時間で伝えるというミスを犯していました)、その間、キューバ側は虎の子のT33ジェット練習機4機で制空権を確保しつつ、民兵を動員して敵の侵攻を食い止めました。上陸部隊とキューバ側民兵の士気の差は歴然としており、19日午後5時半、革命軍はプラヤ・ヒロンを確保し、2506部隊は撤退しました。

 反革命軍の完全撤退を受けて、4月24日、フィデルはテレビに出演して勝利演説を行いましたが、その中には、次のようなフレーズもありました。

 ケネディは「わが国の海岸から160キロのところで社会主義革命が起きるのを許すことはできない」といったが、我々は海岸から160キロのところに資本主義国家があることに耐えている。
 国が大きいからといって小国との紛争を解決するのに実力を用いる権利があるわけではない。

 プラヤ・ヒロン湾侵攻事件は、“アメリカ大陸における帝国主義の初めての敗北”であり、米西戦争以来、百年の恨みを晴らしたカストロの権威は、キューバ国内のみならず、全世界の反米=左派勢力にとって揺るぎないものとなりました。同時にそのことは、キューバ国内において、カストロに対する異論・反論を完全に封じ込める結果ももたらしています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、プラヤ・ヒロン事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 無事、帰国しました。
2018-06-02 Sat 19:07
      イスラエル展・クリティーク

 本日15:00頃、香港経由で、無事、イスラエルから帰国いたしました。世界切手展<WSC Israel 2018>の会期中、現地では、日本から参加された審査員の佐藤浩一さんご夫妻をはじめ、ご出品者の池田健三郎さん、吉田敬さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。冒頭の写真は、会期最終日の31日、出品者と審査員の対話の時間に、僕の作品 Postal History of Auschwitz 1939-1945 の前で、担当審査員の皆さんと一緒に記念撮影してもらったものです。(以下、画像はすべてクリックで拡大されます)

 今回の切手展のメダルは、以下のように立体的なモノで、ユダヤ暦の新年に鳴らされる角笛の上に、エルサレム旧市街をかたどったデザインとなっています。なお、審査員用・コミッショナー用、各賞の受賞者用、すべて同じものでした。

      イスラエル展(2018)メダル

 一方、審査員・コミッショナー等への感謝状、出品者への賞状は下の画像のようなもので、上部にはエルサレム市内のさまざまな名所の写真がデザインされています。

      イスラエル展(2018)記念シート

 また、会期初日にあたる5月27日には、今回の切手展のロゴ入りの切手シートも発行されました。

      イスラエル展(2018)記念シート

 切手シートは、イスラエル第2の国歌ともいわれる「黄金のエルサレム」を題材としたものです。

 「黄金のエルサレム」は、1967年のイスラエル独立記念日の音楽祭の招待曲として、女性作詞・作曲家のナオミ・シェメルが制作したもので、イスラエルの歴史から現代の希望までをカバーした壮大な内容の楽曲です。切手シートには、エルサレムの街並みをバックに、その歌詞が記されています。ちなみに、日本イスラエル親善協会による歌詞の日本語訳は、以下の通りです。

 山々の空気は葡萄酒のごとく澄み
 松の香は 鐘の音とともに黄昏の風にのる
 その内に城壁をいだき ひとりたたずむ その町は
 樹と石がまどろむとき 夢の中に捕らわれる
 黄金のエルサレムよ 銅と光のエルサレムよ
 わたしはあなたの調べを奏でる 竪琴ではないか

 なお、展覧会主催者側の報道資料による歌詞の英訳では、上記の日本語訳の“竪琴”の部分が“violin”となっており、切手のデザインもそれにあわせたものとなっています。

 「黄金のエルサレム」が発表されて間もない1967年6月5日、第3次中東戦争が勃発し、イスラエルはそれまでヨルダンの統治下にあった東エルサレム占領し、東西エルサレム統合の悲願を果たしました。こうしたこともあって、「黄金のエルサレム」はイスラエル国民の間で大いに人気を博し、発表翌年の1968年には、この曲を新国歌とする法案まで出されたほどでした。(結局、同案は否決されましたが)

 今回の切手展は、一義的には、イスラエル建国70周年の記念行事の一環という位置づけですが、現地の関係者挨拶などでは、1967年の“東西エルサレム統合”から50年ということも盛んに強調されていました。切手シートの題材も、彼らのこうした思いを強くにじませたものと理解してよいと思います。ちなみに、この無目打の切手シートは、切手シートの身での販売はなく、切手展のカタログの付録として、3000部のみ発行されたもので、切手上部には3000番までの番号が入っています。

 ちなみに、東西エルサレムの“統合”の問題については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも、関連する切手や郵便物とともに、詳しくご世通名しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、今年は、この後、8月にチェコ・プラハでの世界切手展、9月にマカオでのアジア切手展、11月にタイ・バンコクでの世界切手展が予定されています。このうち、9月のマカオ展には出品を予定しているほか、11月のバンコク展ではコミッショナーを仰せつかっており、関係の皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、引き続き、よろしくお願いいたします。
 

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 <WSC Israel 2018>終了
2018-06-01 Fri 02:45
 早いもので、5月27日からエルサレムの国際コンヴェンション・センターで開催されていた世界切手展<WSC israel 2018>は、現地時間の31日18:00、無事にすべての日程を終了し、先ほど、日本からの出品作品の撤去作業も完了しました。

      イスラエル展・撤去終了

 この写真は撤去作業完了後、作品を収めたスーツケースと特別賞を抱えて会場を後にするところを、撤去作業をお手伝いいただいた池田健三郎さんに撮影してもらったものです。

 イスラエル出国は、現地時間1日午後(日本時間で同夜)の予定で、往路とは逆に、テルアヴィヴから香港経由で羽田に向かいます。というわけで、無事の帰国を願って、テルアヴィヴから東京・羽田に到着したカバーの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・テルアヴィヴ=羽田FFC

 これは、1951年4月26日、テルアヴィヴのロッド空港(現ベングリオン空港)から東京・羽田空港宛のスカンジナビア航空の初飛行カバーです。スカンジナビア航空は、第二次世界大戦後まもない時期に日本への乗り入れを開始した航空会社の一つで、1951年4月、南回りのバンコク線を延長する形で日本への乗り入れを開始しました。今回ご紹介のカバーは、そのうちのテルアヴィヴ=東京間を運ばれたものということになります。

 1948年5月14日に建国されたイスラエルと日本との外交関係は、講和独立後の1952年5月15日、日本がイスラエルと東京に開設されたイスラエルの公使館を承認して始まりました。したがって、今回ご紹介のカバーが日本に届いた時点では、両国間にはまだ正式の国交はなかったわけですが、国交がない国同士でも、その気になれば人やモノの往来が可能なことは、現在の日台関係を考えればイメージしやすいのではないかと思います。

 さて、今回の切手展では、審査員の佐藤浩一さんご夫妻、ご出品者の池田健三郎さん、吉田敬さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。個人的にも、自分の出品作品 Postal History of Auschwitz 1939-1945 がLVを受賞して、今後、8フレームでの出品資格を得たほか、この作品を通じて地元メディアの取材を受けただけでなく、予想をはるかに超えて新たな人間関係が広がるなど、おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、羽田到着は日本時間の明日(2日)午後の予定です。内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

 * 昨日、アクセスカウンターが192万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  


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