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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手歳時記:谷中の紅葉
2018-11-30 Fri 01:30
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2018年11月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、紅葉の時季にあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      まりつき

 これは、1957年11月1日に発行された切手趣味週間の記念切手で、鈴木春信の「まりつき」が取り上げられています。絵の中の少女が着ている着物は川の流れと紅葉の図柄というのが歳時記としてのミソです。

 さて、今回の切手は、おそらく、当時の技術的な制約が原因なのでしょうが、切手と東京国立博物館所蔵のオリジナルの錦絵では色味が少し違っており、オリジナルでは、川の流れともみじ葉(の一部)がより緑色に近い碧になっています。

 紅葉する前の“青もみじ”といえば初夏から夏にかけての景色ですが、少女の着物は明らかに秋冬物の袷ですし、なにより、地色の紅と川、もみじ葉の組み合わせは、小倉百人一首にも収められている在原業平の和歌、「千早ぶる神世もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を連想させますから、やはり、晩秋の図と見るのが自然でしょう。

 ところで、絵の中の少女は、無言で毬をついていたわけではなく、なにか手毬歌を歌っていたはずですが、あるいは、笠森お仙の手毬歌だったのではなかろうかと僕は考えています。

 将軍が徳川家治の時代、明和(1764-71年)の頃、江戸は谷中の笠森稲荷門前に「鍵屋」という茶屋がありました。茶屋の娘、お仙は宝暦元(1751)年の生まれで、当時の江戸三大美人の一人としてその名は天下に轟き、晴信の作品にもしばしば取り上げられました。

 若き日の大田南畝が舳羅山人のペンネームで刊行した『小説売飴土平伝』には、彼女の美貌について「美目の艶、往来を流し目にす。将に去らんとして去り難し」、「十目の見る所、十手の指す所 一たび顧みれば、人の足を駐め、再び顧みれば、人の腰を抜かす」との記述があります。彼女が往来をちらっと見たら、もう他所へは行けず、彼女が振り向けば男たちは歩みを止め、もう一回振り向けば腰を抜かすというわけで、彼女目当てに笠森稲荷にお参りに来る男も多かったようです。

 また、当時の江戸の子供たちの間では、そんなお仙を歌った次のような手毬歌が流行しました。

 向う横町のお稲荷さんへ
 壱銭上げてちゃっと拝んでお仙の茶屋へ
 腰を掛けたら渋茶を出して
 渋茶よこよこ横目で見たらば
 米の団子か土の団子かお団子団子
 この団子を犬にやろうか猫にやろうか
 とうとう鳶にさらわれた

 “米の団子か土の団子か”とあるのは、笠森稲荷では、願をかける時にはまず土の団子を供え、それが成就してお礼参りをするときは米の団子を供える風習があったことを踏まえたものです。もっとも、男たちにしてみれば、参拝はあくまでもお仙を拝みに行くための口実でしたから、団子なんか、本当はどうだっていいのですが…。

 ところが、お仙は、20歳になったある日、何の前触れもなく、御庭番衆の倉地政之助のもとに嫁いでしまい、人々の前から忽然と姿を消してしまいます。彼女を目当てに茶屋に来た男たちからすれば、団子は油揚げよろしく鳶にさらわれた格好ですが、倉地は後に幕府の金庫を管理する払方御金奉行にまで出世しましたから、実際には、鳶というより鷹というべきでしょうか。

 ちなみに、「まりつき」の絵が描かれた当時の笠森稲荷社は、現在の天王寺(当時の名は感応寺)の塔頭・福泉院境内にありましたが、天王寺は紅葉の名所で、寺から日暮里方向に抜ける坂道は紅葉坂と名付けられたほどです。

 お仙の絵を好んで描いた晴信は、天王寺と笠森稲荷を連想させる紅葉の着物を「まりつき」の少女に着せ、頭の中をめぐる手毬歌のメロディとともに、茶屋の店先に立っていた彼女を懐かしむ縁としたかったのかもしれません。

 * 本日未明、アクセスカウンターが199万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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      表紙帯つき 本体2000円+税

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 パレスチナ人民連帯国際デー
2018-11-29 Thu 07:07
 きょう(29日)は、1947年11月29日に国連でパレスチナ分割決議が採択されたことにちなみ、“パレスチナ人民連帯国際デー”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      リビア・ファタハ支援(1971)

 これは、1971年にリビアが発行した“パレスチナ武装闘争支援”の切手で、覆面姿のファタハの兵士が描かれています。

 現在のリビア国家の枠組は、1949年にサヌーシー家のイドリース1世が独立を宣言したキレナイカ(現在のリビア国家のほぼ東半分に相当)と、イタリアの植民地だったトリポリタニア(西北沿岸部)およびフェザーン(西南内陸部)が連合し、1951年にイドリース1世を元首とするリビア連合王国を結成して独立したことによってできあがりました。

 親西側政策を採ったイドリース1世の治世下では、1955年から国際石油資本によって石油開発が進められ、産油国として莫大な石油収入が流入する一方、一部の特権階級に富が集中し、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、生活は貧しいままでした。

 そうした国民の不満を背景に、イドリース1世の外遊中の1969年9月1日にクーデターを起こして実権を掌握したカダフィは、思想的にはエジプト革命に感化されたナセル主義者でした。ちなみに、クーデター当時のカダフィの実際の階級は大尉でしたが、尊敬するナセルが大佐を自称(実際は少佐)していたのを真似て、“大佐”を自称するようになったのが“カダフィ大佐”という呼称のもとになったといわれています。

 そうしたカダフィだけに、1970年にナセルが亡くなると、その衣鉢を継いでアラブ民族主義/汎アラブ主義の後継者を自認し、PLO を支援して反イスラエルの旗印の下でアラブ諸国を糾合しようとしました。イドリース1世時代のリビアが、一般の国民感情としてはともかく、現実の政策としてパレスチナ問題に対してなんら積極的なアクションを起こさなかったのとは対照的です。

 今回ご紹介の切手は、そうしたカダフィ政権の性格を如実に物語っている1枚で、切手には、覆面姿で木陰に潜むゲリラ兵の姿が描かれています。切手には、リビアの公用語であるアラビア語のほか、アル・ファタハ(“アル”はアラビア語の冠詞)の漢字表記である“艾爾法塔”やロシア語のキリル文字表記なども記載されており、東西冷戦という国際環境の下で、反米・反イスラエルの文脈で、東側世界を代表する中ソ両国もリビアと連帯してファタハを支援していることをアピールしようとする意図が示されています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 


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 きょうから<Thailand 2018>
2018-11-28 Wed 06:44
 かねてご案内の通り、きょう(28日)から、タイ・バンコクのサイアムパラゴンで、世界切手展<Thailand 2018>(以下、バンコク展)がスタートします。(下の画像は展覧会のロゴマーク。以下、画像はクリックで拡大されます)

      Thailand 2018 ロゴ Thailand 2018 ロゴ(部分)

 今回のバンコク展のロゴには、自由の女神リオのキリスト像、インドのタージ・マハルなど、世界各地のランドマークがデザインされていますが、その中で、タイの代表として右上にデザインされているのが、ワット・サケートの“黄金の丘”(プーカオ・トーン)です。ちなみに、プーカオ・トーンを取り上げた切手としては、1980年に発行された“国連の日”の切手(下の画像)があります。

       タイ・プーカオ・トーン(1980)

 ワット・サケートはバンコクのバーンランプー・オンアーン運河沿いに位置する古刹で、チャクリー王朝によってバンコクが都となる前から存在していたといわれています。ただし、現在の寺院の直接のルーツはラーマ1世時代に再建されたものです。

 もともと、この場所は、貧者と罪人の火葬場として利用されていたところで、コレラが流行したときには境内に死体が積み上げられたこともあり、かつては、ワット・サケートの地獄絵図に描かれている悪鬼は、実際に屍を食い漁っていると信じる善男善女も少なくなかったと伝えられています。じっさい、プーカオ・トーンへ向かう斜面には現在でも墓石が並んでおり、この場所が死者の土地であった時代がしのばれます。

 ワット・サケートの眼前を流れるバーンランプー・オンアーン運河は、もともと、バンコク防衛のために掘削されたもので、運河沿いに城壁がめぐらされていました。旧アユッタヤーに倣ってバンコクの都市開発を進めてきたラーマ3世は、この運河沿いに、ビルマ軍によって破壊されたアユタヤのワット・ヤイ・チャイモンのコピーを作ることを思い立ち、その土台として人工の山を造成することを思い立ちます。ラーマ3世の時代に始まった工事は、運河沿いという場所柄、地盤が軟弱で作業が難航し、次のラーマ4世の時代にようやく完成。1863年、頂上には沙弥山をイメージした黄金の仏塔が建立されました。仏塔は近くで見るとこんな感じです。

      プーカオ・トーン仏塔実物

 1960年代まではバンコク市内には高層建築はなかったため、プーカオ・トーンはバンコク市街を一望できる場所であると同時に、市内のあらゆるところから見える道しるべの役割も果たしており、運河を航行する船のターミナルにもなっていました。

 また、こうした立地のゆえに、プーカオ・トーンは、しばしば、首都バンコクの防衛上、重要な拠点としてクローズアップされています。

 たとえば、19世紀半ば、インドシナ全土の植民地化を企てるフランスはタイ領への領土拡張を狙い、1893年7月13日、フランスの砲艦2隻がチャオプラヤー川をさかのぼってバンコクのフランス領事館前に停泊し、「ラオスの宗主権は(すでにフランスが植民地化していた)ベトナムが持っていた」と主張してラオスの割譲を要求する砲艦外交を展開しました。いわゆるシャム危機です。

 結局、フランスの砲艦外交に屈したタイはメコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲することになりますが、このシャム危機に際して、タイ側にはプーカオ・トーンの頂上に砲台を設置してフランスの侵略者を攻撃しようというプランもありました。

 その後、タイは東南アジアにおける英仏の緩衝地帯として独立を維持しましたが、1899年、英国のインド植民地政府はカピラヴァストゥから発掘した仏舎利をタイに分与し、仏舎利はプーカオ・トーンに収められました。英国としては、仏舎利を分与することによって、フランスという共通の敵を前にタイとの連携を強めようという意図があった考えられます。

 その後も、第二次大戦中、タイに駐留していた日本軍は、この丘に高射砲を据えて連合軍の空襲に応戦しようとしましたし、1985年の軍事クーデターの際にもプーカオ・トーンの近くから砲弾が発射されるなど、プーカオ・トーンは軍事的な要衝としてしばしば歴史に登場しています。

 さて、タイで世界切手展が開かれるのは、2013年に開催された<Thailand 2013>以来5年ぶりのことで、日本からは、文献を除き、21作品・133フレームが出品されており、審査員兼コミッショナーとして不詳内藤が、セカンド・コミッショナーとして大沼幸雄さんご夫妻、審査員として井上和幸さんが参加しています。なお、日本からの作品の搬入は、昨日、出品者の伊藤純英さんのご協力も得て無事に済ませました。下の写真は、以前、チェンマイで買ったモーホームを着て、作品の展示を行っているところです。

      Thailand 2018・設営作業

 きょうは午前9時から審査員のミーティングがあり、会場そのもののオープンは午前10時ですが、オープニング・セレモニーは午後3時からの予定です。なお、受賞結果につきましては、公表可能な状況になりましたら、このブログでもご報告する予定ですので、しばらくお待ちください。


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 バンコクに到着しました
2018-11-27 Tue 06:43
 おかげさまで、昨晩(26日)、無事にバンコクに到着しました。下の画像は、スワンナプーム国際空港到着時のものです。運んでいるスーツケースは4つ。このうち、3つがまるまる日本からの出品作品で、税関での計量の結果は99 ㎏の大荷物になりました。きょうは現地時間の午前10時から設営作業がスタートの予定です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      バンコク到着(20181126)

 というわけで、まずは、無事の到着を祝して、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・バンコク加刷(1883)

 これは、英領海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷して発行された切手です。

 タイと欧米諸国との本格的な外交関係は、1855年にラーマ4世(モンクット王)が英国との間にボーリング条約を結んだことに始まります。ちなみに、映画やミュージカルで有名な『王様と私』は、ラーマ4世をモデルにした“シャム王”の宮廷を舞台に、国王と英国人女性家庭教師との交流を描いたものですが、作品中の王室の扱いが不敬であるとして、タイでは上映・上演が禁じられています。

 ボーリング条約により英国は首都バンコクに領事館を開設しましたが、当時、タイには近代郵便制度はなく、国内はともかく、バンコクから海外へ郵便を送ることにタイ側が責任を持つ体制にはなっていませんでした。このため、英国領事館は、タイ駐在の外国人商人や宣教師の要請に応えて領事館内に“郵便局”を開設し、1858年からタイと英本国やインド、シンガポールなどとの通信の取り扱いを開始しました。これが、タイにおける近代郵便制度の最初で、当時の郵便物は蒸気船でシンガポールまで運ばれ、そこから宛先へ送られていました。

 英国がバンコクに開設した郵便局では、当初は英領インドの切手が、1867年からは主に海峡植民地(ペナンマラッカシンガポールなど)の切手が無加刷で使われていましたが、1882年になると、ここにご紹介しているように、海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷した切手が使用されています。

 これに対して、ラーマ5世(チュラーロンコーン王、『王様と私』のラストで、国王の崩御に伴い即位する少年皇太子のモデル)による近代化政策の一環として、タイが自前の郵便制度導入を計画するようになったのは、1881年のことでした。ただし、当時のタイには切手を製造するための設備がなかったため、タイ最初の切手の製造はロンドンのウォータールー・アンド・サン社に委託されました。

 その後、ロンドンから切手が到着するのを待って、1883年8月4日、バンコクのプラナコーン地区とチャオプラヤー川を挟んで対岸のトンブリー地区との間で、書状と書籍(印刷物)の配達に限定してタイの近代郵便が創業されます。なお、バンコクという地名は主として外国人による呼称で、タイ語では“クルンテープ”というのが一般的です。

 ちなみに、バンコクに置かれていた英国の郵便局は、1885年7月1日にタイが万国郵便連合に加盟し、タイ政府発行の切手が国際的にも有効とされたため、その前日の6月30日で閉鎖されました。

 このあたりの事情については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 バンコクに行ってきます!
2018-11-26 Mon 01:08
 私事で恐縮ですが、28日からタイ・バンコクで開催される世界切手展<Thailand 2018>にコミッショナー兼審査員として参加するため、きょう(26日)午前中の飛行機で成田を発ち、バンコクに向かいます。というわけで、最近のタイ切手の中から「いざ出陣!」という感じの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・タクシン250年(2017)

 これは、昨年(2017年)11月6日に発行された“タークシン王250年”の記念切手で、馬上のタークシン王と彼とともに進撃する兵士の像が取り上げられています。

 タークシンはアユッタヤー(アユタヤ)王朝時代の1734年、賭博場の徴税人をしていた潮州華人の父とタイ人の母の間に生まれました。社会的には下層の出身でしたが、才知を見込まれてアユッタヤーの大臣の養子となり、シンと名づけられ、宮廷に仕えるようになります。1767年にビルマ軍がアユタヤを攻撃してきた時には、タイ北西部のタークの国主の地位にあったことから、プラヤー・タークとよばれるようになり、これが、タークシンという名の由来になりました。

 アユッタヤー陥落の際、タークシンはビルマの軍の包囲をかいくぐってタイ東南部のラヨーンに脱出。ここから反撃を開始し、同年10月、チャオプラヤー川西岸にあったトンブリーの要塞を奪還してビルマ軍を撃退し、トンブリーを都としたうえで、翌1768年にトンブリー王として即位しました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して250周年になるのを記念して発行されたものです。

 その後、タークシンは、混乱の中で四分五裂に陥っていた国内の統一に乗り出し、約3年で旧アユッタヤー王朝の版図を回復。さらに、みずからマレー諸国カンボジアを服属させたほか、部下のトードワン(後のラーマ1世)ならびにブンマーの兄弟らを遠征させて北方のチェンマイやメコン川岸のラオス諸国を属国としました。また、チャオプラヤー川に面したトンブリーの地の利を生かして清朝との朝貢貿易にも乗り出しています。

 このように、タークシンは救国の英雄にして、一代で王朝を建設した武闘派の傑物だったのですが、社会が安定を回復し、アユッタヤー時代の名門貴族が復権し始めると、彼らからは“成り上がり者”として軽んじられ、疎外感を味わっていたようです。そのストレスからか、自らを僧侶に跪拝を命じて拒否した者には鞭打ちや重労働の刑を課すなどの偏執的な奇行が目立つようになり、1728年、宮廷クーデターで逮捕され、ベルベットの袋に入れられ白檀の杖で首を折って処刑されるという非業の死を遂げました。その後、チャオプラヤー川をはさんでトンブリーの対岸(ラッタナコーシン地区)に建設されたのが、現在のチャクリー王朝の王宮エリアです。

 救国の英雄でありながら悲劇的な死を遂げたタークシンは、いつしか、人々の間でその霊力にあやかってわが身を守ろうとする信仰を生み出すようになり、各地に彼を祀る廟が建てられるようになりました。

 さて、今回の切手展の会期は28日からなのですが、作品の搬入・設営作業がありますので、今日の出発となりました、なお、展覧会の会期は12月3日までで、作品をピックアップした後、5日に帰国の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。 


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 2025年の大阪万博開催決定
2018-11-25 Sun 10:35
 博覧会国際事務局(BIE)は、きのう(24日・日本時間)未明、パリで開いた総会で、2025年国際博覧会(万博)を大阪で開催することを決定しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      大阪万博・寄附金つき(15円)

 これは、前回の大阪万博(1970年)の開催1年前に発行された寄附金つき切手で、地球に万博のマークを配した図案になっています。

 支那事変の影響で、オリンピックとともに日本での開催の返上を余儀なくされた国際博覧会(通称・万国博覧会、以下、万博)を、戦後、再び誘致しようという運動は、1964年2月、参議院で旧商工省の事務次官だった豊田雅孝が提案したことから本格的に始まります。その後、同年6月、大阪府知事、大阪市長、大阪商工会議所会頭の連名で、万博の大阪開催が通産大臣に要望され、同年7月22日、万国博覧会大阪誘致委員会が発足しました。

 これを受けて、同年12月、政府は国際博覧会条約を批准し、翌書1965年2月、同条約に正式に加盟します。そのうえで、同年5月13日、国際博覧会事務局に1970年度万博の日本開催の申請書を提出。その後4ヵ月間、1970年度に関しては立候補を表明した国がなかったため、9月14日、大阪万博の開催が自動的に承認、決定されました。

 万博開催の正式決定を受けて、1965年10月9日、大阪市東区の御堂ビル内に、万博の主催団体として日本国際博覧会協会(会長は経団連会長の石坂泰三)が発足。同月25日には「人類の進歩と調和」(PROGRESS AND HARMONY OF MANKIND)とのテーマも決定され、万博開催へ向けての準備が本格的にスタートします。

 ところで、大阪万博の開催にあたっては、1964年の東京オリンピックの3倍にあたる約1200億円の経費が必要と考えられていました。このため、オリンピックの際の先例に倣い、1966年7月、「日本万国博の準備等のために必要とする特別措置に関する法律」(通称・万国博特別措置法)が施行され、経費捻出のために寄付金つき切手を発行できるよう法的な基盤が整えられました。

 これを受けて、1967年12月に開催された郵政審議会専門委員打合会では、昭和43年度に万博の準備に協力するために寄付金つき切手を発行する方針が了承されましたが、この時点では、具体的な切手発行の時期などについては結論が出ませんでした。

 その後、1968年3月8日の閣議後の記者会見で、郵政大臣の小林武治は“日本万国博覧会協賛寄付金つき切手”の発行について閣議了承を得たと発表。郵政省としては、寄付金つき切手は、がん制圧切手の先例を考慮し、額面7円プラス3円のものと15円プラス5円の2種類で総額2億円の寄付金を集める予定で準備を進めることを明らかにします。

 このとき発表されたプランを元に、寄付金つき切手についての具体的な検討が開始され、1968年6月の郵政審議会では、大阪万博の開催1年前に当たる1969年3月15日に、15円プラス5円(寄付金)のものを1500万枚、50円プラス10円(寄付金)のものを750万枚、それぞれ発行し、総額1億5000万円の寄付金を集めることが正式に決定されました。

 これを受けて、切手原画の制作が開始され、15円切手の原画としては、地球に万博のマークを配した木村勝の作品が、50円切手の原画としては、京都・智積院の障壁画のうちの「桜図」(切手としての原画構成は久野実が担当)が、それぞれ、採用となり、1969年1月8日に報道発表されています。

 ところで、今回の切手に関しては、1月8日の報道発表から3月15日の発行日の期間が短かったこともあって、東京中央郵便局切手普及課による通信販売は行われませんでした。このため、いままでの寄付金つき切手が概して不評であったことを踏まえ、ただでさえ売りにくい高額の50円切手に関しては、1シートを「見返り美人」、「月に雁」以来の5面構成とするなどの、販売上の工夫がなされました。

 しかし、50円切手は出来栄えが見事だったこともあって収集家の前評判もよく、一部の郵趣誌には、発行以前からプレミアム付の完封買入広告が掲載されるほどで、関西では早々に売り切れる局も少なくなかったようです。

 ただし、全国的に見ればそれなりの枚数が売れ残っていた ため、郵政省は法律上の募金期間内にこの切手を売り切るため、全国から回収した売れ残りの切手を、5月22日、東京中央局で再発売して売り切っています。

 なお、1970年の大阪万博の切手と郵便については、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 スプートニクとガガーリンの闇(12)
2018-11-24 Sat 00:41
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、10月25日、『本のメルマガ』第697号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、国際地球観測年の期間中に東側諸国が発行した切手のうち、ポーランドの切手について取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・国際地球観測年

 これは、1958年9月30日にポーランドで発行された国際地球観測年の記念切手で、画面左側にスプートニク1号が描かれています。

 第二次大戦中、ナチス・ドイツによって占領されていたポーランドは、戦後、ソ連の衛星国となりました。当然のことながら、多くの国民はこれに不満をもっていましたが、ボレスワフ・ビェルト率いるポーランド統一労働者党(共産党)政権は、宗主国のスターリンに倣って反対派を弾圧し、体制を維持していました。

 1953年3月にスターリンが亡くなり、1956年2月、ソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン批判を行うと、宗主国の突然の方針転換にショックを受けたビェルトはショックで心臓発作を起こして3月に急死。エドヴァルト・オハプが党第一書記となりました。

 こうした状況の下、同年6月、国際見本市が開かれていた西部の都市ポズナンでは、外国特派員の存在を意識して、未払い分の給料の支払いを求める工場労働者のデモが発生。政府が力づくでこれを抑え込もうとすると、反発したデモ隊は暴徒化し、100名を越える死傷者が発生します。

 いわゆるポズナン暴動です。

 暴動の発生を受けて、統一労働者党の指導部は守旧派からなるナトーリン派と穏健改革派のプワヴァ派に分裂しましたが、前者は“民主化”の要求には反対しながら、大幅な賃上げとユダヤ系指導者の追放、ヴワディスワフ・ゴムウカの復権などのスローガンを掲げて、大衆の心理に訴えようとしました。

 ここで、ナトーリン派がユダヤ系指導者の追放をスローガンとして掲げていたのは、ルブリン政権以来の失政の原因をすべてユダヤ人政治家や党員に押し付けることで、同じく党の指導部にいたはずの自分たちへの非難をかわそうとしたためです。

 ちなみに、ゴムウカは1905年、ハプスブルク帝国支配下のクロッセン(ポーランド語名クロスノ)近郊生まれ。戦前からの古参共産党員で、第二次大戦後はポーランドでの共産主義体制の樹立に尽力しましたが、1948年に“右翼民族主義的”と批判され、翌1949年に党を除名され、1951年には逮捕・投獄されていた人物です。

 暴動後の10月21日、責任を取らされるかたちでオハプは辞任。ゴムウカが党第一書記として復権を果たし、ナトーリン派は(一時的に)指導部から追放されました。

 権力を掌握したゴムウカは、ワルシャワ条約機構の枠組みは維持するものの、その中での可能な限りの自主路線を模索。具体的には、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和、ソ連残留ポーランド人(その中には少なからずユダヤ人も含まれていた)の帰国交渉などの改革が行われ、結果的に、スターリン主義的な風潮はかなり緩和されました。

 これに対して、フルシチョフがスターリン批判を行ったとはいえ、ソ連が衛星国の“ソ連離れ”を歓迎するはずもなく、ソ連とポーランドの間には確執が生じたといわれています。

 1957年10月にスプートニク1号が打ち上げられると、東ドイツチェコスロヴァキアルーマニアが同年中に人工衛星を切手に取り上げてソ連に対する忠誠心を表明したのに対して、ポーランドが今回ご紹介の切手を発行したのは1958年9月30日にまでずれ込んでいます。

 こうしたところに、当時のソ連とポーランドとの微妙な距離感を感じ取るのは、おそらく僕だけではないでしょう。


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 勤労感謝の日
2018-11-23 Fri 01:36
 きょう(23日)は“勤労感謝の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・労働後の崔(絵葉書)

 これは、キューバで発行された絵葉書で、1961年頃、サトウキビ農場での労働後、くつろぐチェ・ゲバラを撮影した写真が取り上げられています。葉書はキューバ郵政が発行したもので、下の画像のように、裏面には、革命戦争勝利後の1959年1月、カミーロ・シエンフエゴスを伴いハバナに入場するカストロを取り上げた印面(無額面永久保証)も印刷されています。

      キューバ・労働後のチェ(裏面・部分)

 キューバ革命後の国家建設において、ゲバラは、個人の利益ではなく、社会の発展のために働く“新しい人間”の創造を強調しました。

一般に、生産性や労働意欲を向上させるためには“物質的刺激(=経済的利益)”が重要とされていますが、ゲバラは、それと同時に“精神的刺激”がなければ、“新しい人間”の形成が阻害され、共産主義社会への移行に際して禍根を残すと考えていました。

 ゲバラによれば、労働時間に生産手段として働き、余暇の時間に“人間らしさ”を回復するため、文化・芸術に没頭するようなあり方は、物質的刺激のみを重視した資本主義的人間の姿であり、“真の人間らしさ”を欠いています。これに対して、“新しい人間”は、大義への献身、自己犠牲の精神、高いモラル等を備え、自らと共同体のために働き、労働そのものが喜びとなった存在であり、物質的刺激と精神的刺激のバランスがとれた、誰もが人間らしい生活を享受できる社会でのみ実現できるとされていました。

 ゲバラは、みずから“新しい人間”の理想に近づこうと、文字通り寝食を忘れてストイックなまでに革命に献身。「何キログラムの肉が食べられるか、あるいは1年に何回休みの日に海岸に遊びに行けるか、あるいは現在の給料でどれほどの美しい輸入品を買えるか、それは問題ではない」との言葉の通り、金銭や物質的な報奨に対しては極端に淡白で、閣僚としての多忙な職務の合間を縫って、週末は早朝から自ら工場で働き、あるいは、サトウキビを刈り取る労働奉仕に汗を流した。今回ご紹介の葉書も、そうした彼の労働に勤しむ姿を取り上げたものです。

 しかし、こうしたゲバラの超人的な献身は、あくまでも、彼にしかできないことであり、彼個人の奮闘にもかかわらず、社会主義キューバの経済建設は結果的に失敗に終わります。

 その原因としては、以下のように要約できます。

 そもそも、革命以前のキューバ経済は米国に完全に依存しており、必要な物資は、製品であれ、工業製品の原材料であれ、対岸の米国に注文すればすぐに届けられていました。革命後の経済制裁によりその途が断たれた後、プラヤ・ヒロン事件を経てカストロは社会主義化を宣言し、反革命軍を撃退。これを受けて、キューバに対するソ連の支援は本格化したものの、質量ともに、米国の穴を埋めるには程遠いものでした。

 また、革命による人材流出で、工場の技術者や運営スタッフは深刻な人材難となり、東側諸国から派遣されてきた技術者たちは革命以前から稼働していた米国製の機械をうまく扱えませんでした。

 さらに、労働者の能力・資質にも問題が多く、仮にまじめに働く労働者であっても、十分な訓練も受けぬまま、不慣れな分野の労働奉仕に動員されたのでは、効率が上がるはずもありませんでした。

 たとえば、キューバの主要産業であるサトウキビの刈取りに関しては、ベテランの作業員が1日8時間の労働で平均3-4トン、人によっては7トンを刈り取ることができるのに対して、都市部の出身者は最大で500キロ、肉体労働の経験がほとんどないインテリ層は250-300キロしか刈り取れないというのが現実でした。

 結局、1961年のキューバ国民の生活水準は、革命の起きた1959年に比べると60パーセント上回ったと発表されましたが、10-15パーセントという成長目標は達成できず(目標の設定自体が無謀ではあったが)、物資の不足は全く解消されませんでした。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバ革命後の経済状況についてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 レバノン独立75年
2018-11-22 Thu 00:13
 1943年11月22日にレバノンが独立を達成してから、きょう(22日)で75周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      レバノン・独立70年

 これは、いまから5年前の2013年にレバノンで発行された“独立70周年”の記念切手で、レバノン国旗がデザインされています。

  第一次大戦中、英仏はサイクス・ピコ秘密協定を結び、戦後、現在のシリア・レバノンならびにイラクの北部にほぼ相当する地域はフランスの勢力圏とすることを規定しました。しかし、大戦が終結した時、フランスはベイルートやアレクサンドレッタラタキア対岸のルアド島などを占領していたものの、その占領地域はごくわずかで、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーの英軍でしたし、内陸部の広大な地域は英国の占領下に置かれていました。さらに、フサイン・マクマホン書簡での密約(アラブが英国と共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家樹立を認めるというもの)もあって、シリア地域では、ダマスカスの陥落とともに、ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていました。

 そこで、大戦の終結によりフランスとアラブの双方から密約の履行を迫られた英国は、ベルサイユ会議で、戦後のシリア・パレスチナ地域を、①英支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration):現在のイスラエル国境とほぼ同じパレスチナ、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETA:ティールからキリキア(シリアとトルコの国境地帯で、現在はトルコ領)にいたるレバノンとシリアの海岸地帯、に分割するという妥協案を通します。

 これに対して、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。このため、フランスとアラブの板ばさみとなった英国は、1919年9月、シリア地方からの撤兵を表明。これを受けて、同年11月以降、西部OETAではフランス軍が、東部OETAではアラブ軍が、それぞれ、イギリスに代わって占領行政を担当することになりました。

 なお、イギリス軍の撤退を受けて、ファイサルのアラブ政府は自らの存在を既成事実化して国際社会の認知を受けるべく、1920年3月、ダマスカスでシリア国民大会を開催し、ファイサルを国王とする立憲君主国アラブ王国の独立を宣言します。

 しかし、英仏両国はアラブ王国の存在を無視し、1920年4月に始まったサンレモ会議(同年1月に発足した国際連盟の最高理事会)では、フランスは、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、英国に対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、これを無視して、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始し、全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。

 フランスはこうして支配下に置いた委任統治地域を、レバノン国・ダマスカス国・アレッポ国・アラウィ自治区に分割。各地域に知事を置き、これを高等弁務官が統括するという古典的な分割統治政策を行います。

 このうち、レバノンに関しては、1920年8月、“大レバノン”が設置され、オスマン帝国時代の1860年に設置された旧レバノン県(キリスト教徒自治区)にトリポリ、ベイルート、シドンなどの海岸地区とベカー高原を加えた区域が、内陸シリアとは別の行政単位となりました。この“大レバノン”は、旧レバノン県に比べて面積は2倍以上になりましたが、キリスト教系住民が人口の過半数を維持することを最優先にして、これ以上は拡大されませんでした。これは、フランスが“大レバノン”を、イスラム教徒が多数を占める内陸シリアから分離して、中東支配の拠点として育成しようとしたためです。

 その後、 1925年7月に選挙が行われて代表評議会が構成され、1926年3月に大レバノン国家を共和国に変える憲法草案が提出され、同年、フランス委任統治下の“レバノン共和国”が誕生します。

 第二次大戦中の1940年6月、フランス本国がドイツに降伏し、親独ヴィシー政権が成立すると、当初、シリア・レバノンはヴィシー政権の支配下に置かれましたが、1941年7月 英・ドゴール派連合軍がレヴァント地域に進攻し、シリア・レバノンを占領しました。両軍は「フランスの委任統治を終結して、シリアとレバノンを独立させる」と宣言。これを受けて、同年11月26日にレバノンの独立が布告されます。

 こうして、レバノンの独立に向けて具体的な動きが本格化しましたが、その際、親仏派のエミール・エッデと、レバノンの完全独立を掲げるビシャーラ・ハリール・フーリーが独立後の大統領の座をめぐって争いました。このうち、9月の選挙で当選したのはフーリーでしたが、フーリーを快く思っていなかったフランスは、11月11日、フランス海兵隊とセネガル軍を派遣してフーリーを逮捕し、エッデを擁立します。しかし、フーリーの逮捕により、主要6宗派は反仏で団結。このため、11日後の11月22日にフーリーは釈放され、大統領として復帰しました。現在のレバノンでは、この日をもって、完全独立が達成されたとして、11月22日が独立記念日とされています。


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 世界の切手:東アフリカ郵便連合
2018-11-21 Wed 02:56
  ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年10月24日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は、ケニア・ウガンダ・タンガニーカの東アフリカ郵便連合(以下、KUT)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      KUT・タンザニア混貼カバー

 これは、第一次東アフリカ崩壊後の1978年3月8日、KUT切手とタンザニア切手を混貼してタンザニアのムワンダからオーストリア宛に差し出された航空便です。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになりました。

 1872年、スコットランド出身のウィリアム・マッキノン率いる英領インド汽船会社(BI)がザンジバルへの航路を開設。これを機に、同社はアフリカ大陸内陸への進出を計画します。

 1884-85年のベルリン会議では、アフリカ分割の原則として、沿岸部を領有した国には後背地の領有権が認められました。これを受けて、すでに1884年にブルンディを植民地化していたドイツは、1886年、東アフリカ南部の領有を企図して、ザンジバルに艦隊を派遣。これに対して、ザンジバルは英国に支援を要請し、英国も派兵したため、フランスを交えた3国の協議の結果、同年、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領とし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領とすることで決着が図られています。

 こうして東アフリカに植民地を得た英国でしたが、当時は国策としてアフリカ大陸南部の権益確保に注力していたため、東アフリカに目を向ける余裕は乏しく、マッキノンのBIがアフリカ東部でのイギリスの勢力圏建設を担当。そこで、マッキノンは1888年、勅許会社の英東アフリカ会社(IBEA)を設立し、ヴィクトリア湖北岸のブガンダ王国の領域(現在のウガンダの領域にほぼ相当)にも勢力を拡大しました。IBEAはモンバサからヴィクトリア湖に至るウガンダ鉄道の建設や農地開発などにも着手し、1894年にはブガンダ王国を保護国化し、英領ウガンダ植民地としました。しかし、ブガンダ王国の有力者や各地の宣教師たちとの対立もあって十分な植民地経営ができず、その収支は悪化。このため、1895年7月1日、英政府は東アフリカの保護領化を宣言し、英国外務省の管轄としました。なお、この間の1890年、ザンジバルは英独間のヘルゴランド=ザンジバル条約により英保護領となっています。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されました。

 一方、英領東アフリカ植民地は、1920年、本国直轄のケニア植民地となり、東アフリカにおける英領植民地は、ザンジバル、タンガニーカ、ケニア、ウガンダの4地域体制となります。

 このうち、ザンジバルを除く3地域では、1921年、共通通貨として、英国東アフリカ通貨局(1919年創設。EACB)の発行する東アフリカ・シリングが導入され、1922年には3地域を包括する関税同盟が結成されました。

 なお、ザンジバルは歴史的にインド世界との経済的な結びつきが強かったため、1908年以来、英領インド・ルピーと等価のザンジバル・ルピーが使用されていましたが、1936年1月1日、1ザンジバル・ルピー=1½東アフリカ・シリングの交換レートで、東アフリカ・シリング圏に組み込まれます。

 第二次大戦後の1961年にはタンガニーカが、1962年にはウガンダが、1963年にはザンジバルとケニアが、それぞれ独立。独立当初、各国は植民地時代からの東アフリカ・シリングをそのまま使っていましたが、1966年、EACBの解体に伴い、ケニア、タンザニア(1964年にタンガニーカとザンジバルが統合して発足)、ウガンダの各国は、それぞれ、東アフリカ・シリングと等価の独自通貨を導入せざるを得なくなりました。ただし、その後もKUT切手は引き続き、発行・使用され続けます。

 その一方で、英領時代以来の東アフリカの政治的・経済的ネットワークの維持・発展を目指して、1967年、ジュリウス・ニエレレ(タンザニア)、ジョモ・ケニヤッタ(ケニア)、ミルトン・オボテ(ウガンダ)の3大統領は東アフリカ協力条約を締結し、タンザニアの首都アルーシャに東アフリカ共同体の本部と事務局が設置します。

 その後、1977年、ケニアとタンザニアの主導権争いや各国の国内事情などにより、共同体は事実上瓦解。1978年にはウガンダがタンザニアに侵攻して完全消滅しました。なお、1976年を最後にKUT切手は発行されなくなっていましたが、その後も、KUT切手そのものは無効とされなかったため、今回ご紹介のような混貼使用例が生まれることになりました。

 なお、2001年、地域の情勢が安定したことを受けて、ケニア、タンザニア、ウガンダの3か国は東アフリカ共同体を再結成。2005年には関税同盟が発足するとともに、2007年以降は加盟国を拡大し、現在は原加盟3国にルワンダ、ブルンジディ、南スーダンを加えた6国体制となっています。

 さて、『世界の切手コレクション』10月24日号の「世界の国々」では、KUTの歴史についての長文コラムのほか、サファリラリー、ウガンダ鉄道、マケレレ大学、タンザニア独立の父ジュリウス・ニエレレ、東京五輪の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のKUTの次は、11月7日発売の同14日号でのメキシコ、同14日発売の同21日号でのブルガリア、同21日発売の同28日号でのスリランカの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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      表紙帯つき 本体2000円+税

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 カルロス・ゴーン容疑者逮捕
2018-11-20 Tue 10:03
 東京地検特捜部は、きのう(19日)、日産自動車の代表取締役会長カルロス・ゴーン容疑者と同社代表取締役グレッグ・ケリー容疑者(以下、呼称など略)を金融商品取引法違反の容疑(有価証券報告書の虚偽記載:会長の報酬を約50億円少なく有価証券報告書に記載した疑い)で逮捕しました。この件については、今後いろいろ詳しいことがわかってくるのでしょうが、きょうのところはとりあえず、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・サンテグジュペリ(1947)

 これは、1947年にフランスが発行した航空切手で、『星の王子さま』で知られるサンテグジュペリの肖像が取り上げられています。今回逮捕されたゴーンについては、Mr.ビーンで知られる俳優のローワン・アトキンソンが“そっくりさん”同士として知られていますが、サンテグジュペリともよく似ています。ご参考までに、下に、ゴーンの顔写真も貼っておきましょう。

      カルロス・ゴーン

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたアントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリは、1900年、フランス・リヨンの伯爵の子として生まれました。イエズス会のノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、スイスのフリブールにある聖ヨハネ学院では文学に熱中。その後、志願して陸軍飛行連隊に入って軍の操縦士となり、陸軍予備役少尉として退役後、民間航空界に入りました。

 1926年から本格的な作家活動を開始し、1929年、恋愛小説として『南方郵便機』を発表。この作品は、専門家の間ではあまり高い評価を得られませんでしたが、1931年に発表した『夜間飛行』がベストセラーとなり、作家としての地位を確立しました。

 1935年、フランス-インドシナ間最短時間飛行記録に挑戦するも機体トラブルでサハラ砂漠に不時着。一時は絶望視されるも3日後に徒歩でカイロに生還するという体験をしました。彼の代表作とされる『星の王子様』はこの時の体験が元になっています。

 1939年9月4日、第二次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官となりますが、前線への転属を希望し、同年11月9日、オルコントに駐屯する偵察隊(II/33 部隊)に配属。翌1940年6月、ヴィシー政権がドイツと講和すると、フランス本土へ戻った後、同年末、リスボン経由で米国に亡命しました。

 亡命後は、1943年4月、代表作の『星の王子さま』をニューヨークのレイナル&ヒッチコック社から英訳版 The Little Prince として刊行(フランス語原文版の Le Petit Prince は、没後の1945年11月、ガリマール社から出版)するとともに、自由フランス軍の航空部隊に志願し、同年6月、北アフリカ戦線で原隊の II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任しました。しかし、着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)となります。

 その後、パイロットとしてII/33部隊に戻ったものの、1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5Bでボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となりました。

 その行方は永らく不明とされていましたが、1998年9月7日、マルセイユ沖のリュウ島近くの海域で、サンテグジュペリの名と、妻コンスエロの名、連絡先ニューヨークのレイナル&ヒッチコックの名と所在地が刻まれた、ブレスレットとみられる銀製品がトロール船によって発見。これを機に広範囲な探索が行われた結果、2000年5月24日、1950年代から地元ダイバーによって存在が報告されていたF-5Bの残骸がサンテグジュペリの搭乗機であることが確認されました。

 ちなみに、『星の王子さま』といえば、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というキツネの言葉が有名ですが、なるほど、ゴーンの場合は、虚偽記載で世間の“目に見えない”ようにした50億円が“いちばんたいせつ”だったということなんでしょうな。


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 切手に見るソウルと韓国:李舜臣将軍と朝鮮水軍
2018-11-19 Mon 11:01
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、10月11日に済州で行われた国際観艦式での旭日旗騒動から間もない時期の号でしたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国海軍10周年

 これは、1955年に発行された“海軍創設10周年”の記念切手で、李舜臣将軍像と彼の率いた朝鮮水軍の想像図が描かれています。

 済州島で行われた国際観艦式の海上パレードは、いわゆる旭日旗問題もあっていろいろと物議を醸しましたが、なかでも、韓国側が艦船に自国と韓国の国旗だけを掲げるよう参加国に要請したにもかかわらず、文在寅大統領の乗艦に“李舜臣将軍を象徴する旗”を掲揚していたことがわかり、日本政府が外交ルートを通じて抗議したという一幕はメディアでも大きく報じられました。ただし、歴史的事実という点からすると、日本の報道にあった“李舜臣将軍を象徴する旗”というのは、正確ではありません。

 大統領の乗艦に掲げられていたのは、“帥”の字を大きくあしらった帥字旗と呼ばれるもので、朝鮮王朝時代に“総大将の本陣”を示すため使われた軍旗でした。この旗は、もともとは文禄・慶長の役の際に、援軍として朝鮮に派遣された明軍を真似て使われるようになったもので、そもそも、李舜臣の時代には朝鮮では使われていませんでした。

 こうしたこともあって、KBSの報道では、李舜臣に始まる“三道水軍統制使(慶尚道・全羅道・忠清道の水軍の総指揮官)の帥字旗”と説明していたのですが、観艦式での「李舜臣将軍の精神を受け継いだ最強の海軍」との大統領の発言を混同して、日本では“李舜臣将軍の旗”と報じられたのかもしれません。

 ただし、韓国内でも、2014年にヒットした映画『バトル・オーシャン 海上決戦』では李舜臣率いる朝鮮水軍が帥字旗を使っている場面があり、そこから、帥字旗を李舜臣の旗と誤解している韓国人も少なくないようです。

 帥字旗が李舜臣と無関係だとすると、李舜臣の水軍が実際にはどんな旗を掲げていたかが問題となるわけですが、1598年11月19日に亡くなった李舜臣の肖像や水軍の戦闘場面をリアルタイムで記録したビジュアル史料は残されていないので、現在の我々がそれらを再現しようとすれば、ある程度の史料を踏まえたとしても、最後は想像力の産物とならざるを得ません。

 たとえば、今回ご紹介の“海軍創設10周年”の記念切手では、“鎮海”の旗を掲げた亀甲船と、その後ろに複数の幟旗を掲げた船が見えますが、帥の字かどうかはともかく、1文字だけの旗は見られません。

 なお、現在、韓国最大の軍港として知られる鎮海は、李舜臣の時代には“熊川”と呼ばれていましたから、ここでいう“鎮海”は地名ではなく、文字通り、「海を鎮める」という水軍としての表現と見るのが妥当でしょう。ちなみに、新羅の時代には“鎮海将軍”という官職もありました。

 また、朴正熙政権下の1962年に発行された“閑山大捷(文禄の役の海戦のひとつ、1592年7月7日の閑山島海戦で日本水軍が撃破されたことを意味する)370周年”の記念切手に描かれた亀甲船は“亀”の字の旗を掲げています。これは、この船が亀甲船であることを示すために描かれたのでしょうが、実際の戦闘で“亀”の旗を掲げていたとは考えにくいですな。

 なお、この切手の右側には、李舜臣の漢詩「陣中吟」の一節「誓海魚龍動 盟山草木知(海に誓って魚龍を動かし、山に約束したことは草木が知る)」が掲げられています。この後には「讐夷如尽滅 雖死不為辞(憎い敵を全滅させるなら、死んだとしても退却しない)」と続くのだが、さすがに過激すぎて、切手に取り上げるのは憚られたのでしょう。

 いずれにせよ、李舜臣将軍の朝鮮水軍が切手に取り上げられる場合には、想像図とはいえ、韓国郵政としてそれなりの時代考証を経ているため、帥字旗が描かれることはありませんでした。この点は、記憶にとどめておいてもよいのではないかと思います、


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 モルディヴで新大統領就任
2018-11-18 Sun 01:46
 インド洋の島国モルディブで、きのう(17日)、イブラヒム・ソリ新大統領の就任式が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モルディヴ・大統領官邸

 これは、1978年にモルディヴで発行された“共和制10周年”の記念切手で、大統領官邸が取り上げられています。1965年の独立当初、モルディヴはスルターンを戴く君主国でしたが、1968年11月11日、国民投票により第2共和政に移行し、君主制下で首相を務めていたイブラヒム・ナシルが初代大統領に就任。今回ご紹介の切手は、ここから起算して発行されたものです、

 2005年、それまで、マウムーン・アブドル・ガユーム大統領(1978年就任)の下、モルディヴ人民党による事実上の一党独裁体制が続いていたモルディヴでは複数政党制が容認され、2008年には憲法改正が行われて、民主化が達せられました。

 これに伴う2008年の大統領選挙では、野党・モルディヴ民主党のモハメド・ナシード候補が決選投票で勝利します。ただし、ナシードは、1回目の投票では現職のガユームに大差を付けられての2位に終わっており、ナシードとモルディヴ民主党が単独で議会内の主導権を握ることは当初から困難視されていました。はたして2009年の国民議会選挙では、野党のモルディヴ人民党が第1党、与党のモルディヴ民主党は第2党となり、政局は不安定化します。

 ナシード政権は、地球温暖化に伴う水没問題に取り組み、2009年10月17日にはギリフシ島の海底6mの地点で世界初の海中閣議を開いて、水没の危機に瀕する島嶼国の救済を求める決議を採択。2010年4月にはソウルで開催の第4回世界経済界環境会議で活躍し、地球環境大賞を受賞するなどして、西側からは高く評価されていましたが、モルディヴ人民党は、こうしたナシードの姿勢を西側寄りにすぎると攻撃。環境問題で譲歩を要求されたことを不快に感じていた中国と結託し、政権に揺さぶりをかけていきます。

 2012年1月 ナシードが職権乱用などを理由に刑事裁判所判事のアブドラ・モハメドの逮捕を命じつり、野党は、これを“司法への不当介入”として大統領辞任を要求し、反政府デモを煽動。デモは暴徒化し、さらに、警察当局もデモに加担したことで騒動が拡大すると、2月7日、ナシードは混乱の責任を取って大統領を辞任しましたが、翌8日、ナシードは「兵士たちから銃を突きつけられ、辞任を迫られた」と主張。これに対して、9日、ナシード退陣後の新政権はナシードに対する逮捕状を出して対抗しました。(ただし、当初は、国際世論に配慮して、逮捕状は執行されませんでしたが…)

 こうした状況の下で行われた2013年大統領選挙では、9月の第1回投票でナシードが1位となるものの、最高裁は選挙結果を無効と判断。10月のやり直しの選挙も警察の介入で延期。11月9日の選挙でも再びナシードが1位となりましたが、当選に必要な過半数は得られず、同16日の決選投票で、ガユームの異母弟でモルディブ進歩党のアブドゥラ・ヤミーンに敗れます。

 ヤミーン政権は、野党有力者を相次いで逮捕するなど、強権的な手法で反対派を抑え込み、2015年2月、ナシードも反テロ法違反の容疑で逮捕され、翌2016年1月、治療の名目で英国への亡命を余儀なくされました。

 こうした強権的な姿勢に対して、モルディヴ国民の不満が拡大すると、ヤミーン政権は、国民の不満を抑え込むため、経済的利益を確保するとして中国への傾斜を急速に強めていきます。その結果、2015年の憲法改正では、それまで土地の賃借しか認められていなかった外国人に土地所有を認める修正案を可決。外国人の土地所有に関しては、投資額は事業計画1件につき最低10億ドルで、土地の70%は、その投資により埋め立てた場所でなければならないという条件がつけられていましたが、モルディヴに大規模な投資を行う国は(少なくとも現状では)中国以外には考えられないため、この修正は、中国による植民地を促進とするものとみられていました。また、ヤミーン政権は、中国の借款による首都マレと空港のある人工島を結ぶ“中国モルディブ友好橋”の建設や、過密改善のため中国企業による住宅建設を進め、その結果、対中債務はGDPの4分の1以上にまで膨れ上がっています。

 こうして、中国による事実上の植民地化が進行し、これに対するモルディヴ国民の不満が鬱積する中、2018年2月1日 最高裁は、ヤミーン政権が摘発した政治犯9人について「政治的動機に基づく逮捕だ」などとして釈放を命じたほか、政界を追放された国会議員12人の復権も合わせて要求。ところが、政府は「国家の安全と公益を侵害するものだ」などとして、判決を無視したため、野党が大統領の辞任を要求し、首都マレなどで抗議活動を展開すると、ヤミーン政権は非常事態宣言で対抗するなど、混乱が続いていました。

 こうした状況の下で、2018年9月、ヤミーンの任期満了に伴う大統領選挙が行われ、即日開票の結果、イブラヒム・ソリ候補が現職のヤミーンを破って当選。これに対して、ヤミーン陣営は「選挙結果が選管に不正操作された」などと主張して、最高裁に選挙結果の無効を訴えていましたが、最高裁はこれを認めず、今回の新大統領就任となりました。

 就任式にはインドのモディ首相も出席し、新政権の外交路線の転換を印象付けたほか、新大統領の就任演説では「国を公正で平等な方向に変革する」ことが表明され、前政権が反体制派を弾圧した反省から、司法制度改革を最優先課題とするほか、組織的汚職の一掃に取り組む考えも強調されています。 


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 泰国郵便学(55)
2018-11-17 Sat 06:40
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第5号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・チュラーロンコーン大学60年

 これは、1977年3月29日に発行されたチュラーロンコーン大学創立60周年の記念切手です。

 1871年、ラーマ5世(チュラーロンコーン)は、近代化政策の一環として、王宮内に近習団学校を開設します。1882年、国王はこの学校を拡充して、スアンクラーブ学校と命名するとともに、陸軍士官学校、測量学校、仏教学院、王族養成学校などを創設しました。これらの学校は、後に一般庶民の子弟にも門戸を開くようになり、行政学の他に法学、国際関係論、商学、農学、工学、医学、教員養成などの分野を包含しつつ、内務省から独立した教育機関として発展します。

 一方、1899年、ラーマ5世の異母弟で、当時、内務大臣だったダムロン・ラーチャーヌパープ親王は、内務省付属の官僚養成機関として“文官研修所”の創設を国王に建議して認められました。研修所の学生は、卒業前の3年次に、1年間、官吏見習いとして勤務することが義務づけられていました。

 1902年、同研修所は内務省から独立し“近習学校”と改称されましたが、1910年に即位したラーマ6世(ワチラーウット)は、自らの英国留学経験を踏まえ、総合的な高等教育機関の設立を推進。1911年1月1日付でスアンクラーブ学校を“チュラーロンコーン官吏養成専門学校”に改組しました。なお、専門学校は、当初は行政官養成コースのみでした。

 専門学校の開設・運営資金は、ラーマ5世騎馬像の建設剰余金(1908年、国王在位40周年の記念事業として騎馬像を作る際、国民からの浄財が集められましたが、その金額は当初の予定を大きく上回り、像の完成後も80万バーツが残り、財務省に預けられていました)とその利息を原資とし、将来的に学校の研究教育内容を拡大することを考慮して、亡くなった異母兄親王の屋敷跡地と王宮に隣接する土地520エーカー(約210万m2)の土地が国王から下賜されました。

 その後、専門学校には、法学、国際関係、商学、農学、工学、薬学、教育学などの課程が加えられていき、1917年3月26日、文部省大学局の管轄下に、医学部、行政学部、工学部、文理学部からなるチュラーロンコーン大学へと昇格します。ちなみに、初代学長はプラヤー・アヌキヴィトゥーンが就任し、ダムロン親王が大学運営委員会の委員長となりました。また、当時の学生数は4学部あわせて、約380人でした。

 今回ご紹介の記念切手は、ここから起算して60周年にあたるのを記念して発行されたもので、同大学の講堂が取り上げられています。

 ラーマ6世は、1886年に英国人のロバート・モラント(20世紀初頭の英国の教育行政で重要な役割を果たした人物です)を家庭教師として教育を受けたほか、英国に留学し、サンドハースト陸軍士官学校およびオックスフォード大学クライスト・チャーチで法学と歴史学を学んだ経験もあり、新大学は制度・教育内容は英国を強く意識したものとなり、教師の多くは英国人で英語による授業が行われました。

 切手に取り上げられた講堂は、1938年、当時のピブーン・ソンクラーム首相の命を受け、卒業式の会場として建設された建物です。25.60m×54.60mの長方形の敷地に建てられており、最大1754人が収容可能な講堂部分と、宴会および会議室で構成される部分に分れています。

 なお、講堂の周辺は、かつては数多くのレイン・ツリーが生えていましたが、1957年までにかなりの本数が伐採されてしまいました。このため、1962年1月15日、国王ラーマ9世はフア・ヒンの離宮から5本のレイン・ツリーを講堂前に移植し、「この5本の木は永遠の記念樹とする」と宣言。その枝の一部が切手の左側に描かれています。

 * 昨日(16日)の<JAPEX>でのトーク・イベントは、無事、盛況のうちに終了しました。ご参加いただいた皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 本日、トークやります。
2018-11-16 Fri 00:35
 かねてご案内の通り、本日(16日)15:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX 2018>会場内で、近日刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。なお、イベントの詳細は主催者HPをご覧ください)

      キューバ・クーブル号事件

 これは、2015年にキューバが発行した“クーブル号事件55周年”の記念切手で、左側に爆発するクーブル号、右側に抗議デモの光景(左端がフィデル・カストロ、中央がチェ・ゲバラです)が取り上げられています。

 1959年のキューバ革命以前、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。このため、革命後の土地改革を経て米国との関係が悪化したキューバがソ連の貿易協定調印を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。直ちに、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、砂糖の割当カットないしは全面禁輸の用意があることを明らかにし、キューバに揺さぶりをかけました。

 こうして事態が緊迫する中、1960年3月4日、ハバナ港で、ベルギーから購入した武器を積んでいたフランスの貨物船クーブル号で、船荷の下に仕掛けられた地雷が爆発。さらに、埠頭も爆破で破壊され、港湾労働者75人が即死し、負傷者も200人に達しました。その後、事件はCIAの“作戦40”によるものであったことが明らかになっています。

 事件当日、国立銀行総裁の地位にあったゲバラは公用車で国立銀行に向かう途中で港の方から立ち上る煙に気づくと、急遽、運転手に命じて現場に駆け付け、居合わせた市民に指示を与えるとともに、自らも先頭に立って被災者の救助活動に当たりました。しかし、彼らの奮闘むなしく、即死を含め、多くの労働者が治療の甲斐なく亡くなりました。

 翌5日、ハバナ市内ベダド地区中心部の交差点に巨大な演壇が組まれ、事件に対する抗議のデモ行進に続き、追悼集会が始まりました。ゲバラは政府要人の一人として式典に参加し、ひな壇二列目の席に座っていましたが、途中、集まった群衆と犠牲者の棺の列を確認するかのように立ち上がった瞬間、『レボルシオン』の専属カメラマンだったアルベルト・コルダが撮影した写真は、後に「英雄的ゲリラ」として全世界に知られることになる一枚となります。

 クーブル号の爆発事件は、米西戦争の発端となった1898年2月のメイン号事件を想起させるものでした。カストロはこのことを踏まえ、追悼式典で「キューバは決してひるまない。キューバは退かない。革命の妨害は許さない。革命派勝利に向かって進むのだ」と獅子吼し、米国を仇敵と名指ししたうえで、「祖国か死か!勝利するのだ」との有名なスローガンを叫びました。また、追悼式典には、偶然、キューバ訪問中だったジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ドゥ・ボーヴォワールも、殉職したフランス人船員を弔うため、急遽フランス代表として参列しています。

 今回のトークでは、クーブル号事件の追悼式典で撮影されたコルダの写真が「英雄的ゲリラ」の名で全世界に拡散していった背景などにも触れつつ、波乱に満ちたゲバラの生涯とキューバ革命についても、お話ししたいと考えています。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 アルゼンチンのワイン
2018-11-15 Thu 01:59
 きょう(15日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、ワイン関連の切手の中から、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』にちなんで、この1枚です。

      アルゼンチン・ワイン

 これは、チェ・ゲバラの出身国、アルゼンチンが、輸出商品としての自国産ワインを宣伝するため、2009年に発行した切手です。

 アルゼンチンはフランス、イタリア、スペイン、米国に次ぐ世界第5位のワイン生産国(消費量としては世界第8位)で、アンデス山麓に東京都のほぼ2倍に相当する22.4万ヘクタールでワイン用のブドウが栽培されています。

 アルゼンチンでは、スペイン人が入植して間もない1542年、ペルーで栽培されていた苗から得られた乾燥種子がサルタ地方に植えられ、1556年にはフアン・セドロン神父が、チリのセントラル・ヴァレーからアルゼンチンにブドウの挿し木を持ち込み、サン・フアン地方やメンドーサ地方にアルゼンチン初のブドウ畑を開いたのが、ワイン産業のルーツとなりました。

 主要なブドウの品種としては、黒ブドウがマルベック種、白ブドウがトロンテス種。このうち、マルベック種はフランス原産で、その来歴については、フランスでフィロキセラが発生する直前の1850年代後半、フランス人農業技師がチリに紹介したものが、その苗木がアルゼンチンへ運ばれたという説と、フランスから大西洋を越え、アルゼンチンの国土を横断してメンドーサにもたらされたという説があります。一方、トロンテス種はスペイン原産のブドウ品種です。

 ちなみに、僕は、昨年、ブエノスアイレスを訪れた際に、老舗のカフェ、トルトーニでステーキのサンドイッチをつまみながら、メンドーサ産のマルベックを飲んだのですが(下の画像はその時の写真です)、風情のある店の雰囲気と併せて、忘れられない1食となりました。

      トルトーニ・ワインとサンドイッチ

 
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 ナチス親衛隊のイメージ
2018-11-14 Wed 02:20
 原爆のキノコ雲独立萬歳を叫ぶ朝鮮人の写真を組み合わせたデザインのTシャツで物議を醸した韓国の音楽グループ“BTS(防弾少年団)”が、過去にもナチス親衛隊(SS)の記章のついた帽子をかぶって雑誌の写真を撮影していたことがわかり、国際的にも問題視されていた件で、きのう(13日)、BTSの所属事務所は被爆者やナチスドイツの行為による被害者の心を傷つけたとして謝罪を表明しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     ポーランド・アウシュヴィッツへの移送開始25年

 これは、1970年6月14日、ポーランド領オシフィエンチム(旧アウシュヴィッツ)で使用された“アウシュヴィッツ強制収容所への移送開始25周年”の記念印で、“アウシュヴィッツ強制収容所”と“大量虐殺”を意味するポーランド語の文字と、鉤十字の上に鷲を配したナチスの紋章(アドラー)が入ったヘルメットをかぶったドクロが描かれています。

 今回ご紹介の記念印とはデザインが異なりますが、トーテンコップと呼ばれるドクロの紋章は親衛隊のシンボルですので、アドラーのついたヘルメットとの組み合わせにより、アウシュヴィッツへの収容者の移送と管理を担った親衛隊をイメージしたモノとみて間違いないでしょう。むしろ、ナチスのデザインをそのまま再現することが憚られたため、このようにデザインに若干の手を加えたということなのかもしれません。

 ちなみに、今回問題となったBTSの帽子は下の画像の通りで、アドラーの下に、そのものズバリのトーテンコップがしっかり確認できますので、軍服の機能美をイメージしたら、たまたま、ナチスのデザインと似てしまったという弁明は無理があります。

      BTSの帽子

 さて、SSは、ミュンヘン一揆後、逮捕・収監されていたヒトラーが、釈放後の1925年、党幹部の護衛部隊として編成したのが始まりで、当初はナチス党の武力組織である突撃隊(SA)の指揮下にありました。しかし、1929年にハインリヒ・ヒムラーが親衛隊全国指導者に就任すると、党内警察組織として急速に勢力を拡大。ナチスが政権を獲得した1933年以降には政府の警察組織との一体化を進め、1934年、SAの指導者エルンスト・レームらの粛清を主導。その後、ゲシュタポを含む保安警察など警察機構や諜報機関を掌握するとともに、強制収容所における囚人の労働力利用や企業経営などの経済活動にも手を広げていきます。

 1939年9月に第二次大戦が勃発すると、ドイツにとって、占領した旧ポーランド地域で捕えた捕虜や政治犯の収容施設を確保することが緊急の課題となりました。そこで、1939年末、ブレスラウの親衛隊と警察本部は、①シレジア地方の収容者がすでにかなりの数に上っていること、②今後さらにシレジアその他の地域でポーランド人政治犯の逮捕・拘禁が見込まれることを理由として、緊急に強制収容所を増設することの必要性を訴えます。

 これを受けて、親衛隊関係者による現地調査が行われ、親衛隊大尉でザクセンハウゼン強制収容所副所長のルドルフ・フェルディナンド・ヘス(ナチ副総統のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスとは別人)の調査報告を受け、オシフィエンチムのポーランド軍兵営をベースに、1940年4月、強制収容所建設の命令が下されます。そして、同年6月14日、アウシュヴィッツ最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯が移送され、アウシュヴィッツは収容所として機能し始めます。今回ご紹介の記念印は、ここから起算して25周年となるのを機に、使用されたものです。
 
 その後、アウシュヴィッツの収容所は拡大され、1942年以降はユダヤ人も移送され、悲惨なホロコーストの舞台となっていきます。そうしたアウシュヴィッツ収容所とその郵便については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 二の酉
2018-11-13 Tue 01:18
 きょう(13日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、鳥が描かれたキューバの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      エドゥアルド・アベラ『農民』

 これは、1967年にキューバが発行した国立博物館収蔵美術品シリーズのうち、エドゥアルド・アベラの『農民たち』を取り上げた1枚で、描かれている6人の農民のうち、2人が鶏を抱えています。

 キューバの現代美術を代表する画家の1人、エドゥアルド・アベラは、1889年、キューバ島西部、アルテミサ州サン・アントニオ・デ・ロス・バーニョスで生まれました。1921年、サン・アレハンドロ美術アカデミーを卒業し、その後、スペインおよびフランスに留学。パリ滞在中、ジュール・パスキン、マルク・シャガールと親交を結び、彼らから強い影響を受けつつも、キューバ独自の題材を取り上げた作品を描いて注目を集めました。

 1930年にキューバに帰国すると、スペイン語で“間抜け”を意味する“ボボ”という名のキャラクターをつくり、当時のマチャド独裁政権を批判する風刺漫画を発表して人気を博しました。マチャド政権退陣後の1930年代後半には、初期ルネサンスとメキシコの壁画運動を意識した自然主義的な画風を生み出し、高い評価を得ました。今回ご紹介の切手に取り上げられた『農民たち』は1938年に発表された作品で、アベラの代表作というだけでなく、キューバの現代美術を作品の一つとされています。


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 世界の切手:テュニジア
2018-11-12 Mon 09:08
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年10月10日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はテュニジア(と一部ザイール)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       テュニジア・パレスチナ人民連帯国際デー(1982)

 これは、PLOのテュニス移転後まもない1982年11月29日に発行された“パレスチナ人民連帯国際デー”の切手です。

 1956年3月20日、テュニジアは伝統的な地方君主であるベイを元首とする立憲君主国“テュニジア王国”として独立。同月25日の選挙ではハビブ・ブルギーバの新憲政党を中心にして結成された民族戦線が圧勝し、ブルギーバが初代首相に就任します。さらに、翌1957年、ブルギーバは王制を廃して自らテュニジア共和国初代大統領に就任しました。

 この時期は、1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)エジプトが英仏のスエズ侵攻作戦を撃退したことで、ナセルと彼の唱道するアラブ民族主義の権威が絶頂期にあったこともあり、表面上は、テュニジアもナセルに接近する姿勢を示し、建前としては“反イスラエル”を掲げていました。しかし、実際には、ブルギーバは秘かに駐仏イスラエル大使のヤアクーブ・ツールと接触しており、そのルートを通じて、テュニジアの財務大臣がイスラエルに対してテュニジア国内の大型農業開発への援助を極秘裏に要請するなど、テュニジアとイスラエルは実質的には良好な関係にありました。

 ただし、一般のテュニジア国民の間では圧倒的に反イスラエル感情が強かったことに加え、イスラエル包囲網の“抜け穴”になっているという公然の秘密が問題視され、周辺アラブ諸国からの孤立することは避けねばならなかったから、テュニジアは1973年の第4次中東戦争にもごく少数の部隊を派遣しています。

 世俗主義的なリアリストのブルギーバの理解では、北アフリカ諸国の中で、反西欧・反イスラエルのイデオロギーを鮮明に掲げていたリビアやアルジェリアは潤沢な石油資源があったため、そうした自己主張が可能であるのに対して、資源に乏しいテュニジアは、主に欧米人を対象とした観光収入に依存し、西側資本主義諸国との協力・援助が不可欠だったがゆえに、イスラエルに対しても現実的な姿勢を取る必要がありました。その結果、国家の近代化(西洋化)と国民の生活水準向上のため、イデオロギーとは無関係に、どの国・組織とでも手を結ぶ全方位外交を志向したわけです。

 1979年、イスラエルと単独和平を結んだエジプトはアラブ連盟を追放されましたが、エジプトを批難したアラブ諸国も現実にはイスラエルの打倒が不可能と認識していました。このため、表面上はイスラエル打倒という“アラブの大義”を掲げ続けるものの、実際にはイスラエルと水面下での接触をはかるというのが、現実的な対応でした。

 1982年9月、パレスチナ解放機構(PLO)が、イスラエルの包囲攻撃を受け、ベイルートからの撤退を余儀なくされると、アラブ連盟本部所在地としてのテュニスが浮上したのも、そうした事情によるものです。なお、PLOの本部移転に伴い、テュニスはパレスチナ解放運動の重要な拠点にもなりましたが、テュニジア政府は、それを積極的に支援していたというよりも、国内の体制を脅かさない限りにおいて、彼らの活動を黙認するというスタンスでした。

 1988年11月、PLOは従来の“イスラエル打倒によるパレスチナ解放”から“イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのパレスチナ国家建設”へと方向を転換し、パレスチナ国民評議会で独立宣言を採択。さらに、1990年の湾岸危機・戦争でイラクを支持して国際的に孤立し、財政的にも苦境に陥りました。こうした背景の下、1993年にはオスロ合意が成立し、パレスチナ自治政府が樹立されます。

 ちなみに、オスロ合意後の1994年、PLO本部はテュニスからパレスチナに再移転しましたが、テュニジア政府は、オスロ合意は、テュニジアが長年にわたりPLOとイスラエルの(秘密)交渉を仲介し続けてきたからこその成果と主張しています。このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめていますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』10月10日号の「世界の国々」では、テュニジアとパレスチナについての長文コラムのほか、シディ・ブ・サイド、初代大統領ブルギーバ、バルドー美術館の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のテュニジア(と一部ザイール)の次は、10月24日発売の同31日号でのKUT、11月7日発売の同14日号でのメキシコの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。

 * 昨日(11日)の昭和12年学会大会での内藤の発表は、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 第一次大戦終結100年
2018-11-11 Sun 01:32
 1918年11月11日に第一次大戦が終結して、ちょうど100周年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・軍事郵便はがき(WWI・国旗)

 これは、第一次大戦終結後の1919年5月6日、フィレンツェ宛に差し出されたイタリアの軍事郵便はがきで、右側に、勝利の女神と主要戦勝国の国旗が描かれています。国旗のうち、前列の最上段からイタリア、英国、米国、ポルトガル、ルーマニア、ロシアとなっており、日本の旭日旗は後列の最上段に描かれています。

 第一次世界大戦前夜、独墺伊の三国同盟に対して、英仏露は露仏同盟・英仏協商・英露協商を相互に結んで三国協商を形成して対抗していました。

 1914年6月28日、いわゆるサライェヴォ事件が起きると、ハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー)がセルビアに最後通牒を発し、七月危機が発生。これを受けて、まず7月24-25日にロシアが一部動員を行うと、28日にハプスブルク帝国がセルビアに宣戦布告します。これに対して、同30日、ロシアが総動員令を発すると、ドイツはロシアに動員を解除するよう要求し、それが断られると8月1日にロシアに宣戦布告しました。これに対して、ロシアは三国協商を通じてフランスに参戦を要請し、フランスもこれを容れて8月1日に総動員を開始すると、3日にはドイツがフランスに宣戦布告。ドイツは中立国ベルギーに侵攻したため、翌4日、英国がドイツに宣戦を布告し、同23日には日英同盟を理由に日本もドイツに宣戦布告しました。

 今回ご紹介の葉書の発行国であるイタリアは、もともとは三国同盟に入っていましたが、旧ヴェネツィア共和国領の“未回収のイタリア”問題でハプスブルク帝国と対立していたため、三国同盟はあくまでも防衛のための条約であると主張し、1902年の仏伊協商を理由に局外中立を宣言。戦況を静観した後、1915年にロンドン秘密条約を結び、未回収のイタリア及びイストリア、ダルマチアの割譲を条件に連合国側として参戦しました。

 また、ルーマニア国王フェルディナンドはホーエンツォレルン家(ドイツ皇室)の血統でしたが、開戦時には「私は善良なルーマニア人として統治する」と宣言。戦局は英仏側に有利と見極めたうえで1916年8月、ドイツに対して宣戦を布告。さらに、米国は、当初、連合国寄りの中立姿勢でしたが、ドイツ海軍の無制限潜水艦作戦によるルシタニア号事件等で対独感情が悪化したことに加え、ドイツ外相ツィンメルマンがメキシコに対して、対米参戦の代償として米墨戦争で失った旧領の回復を約束するツィンメルマン電報事件が発覚したことで、1917年4月、連合国として参戦しました。なお、葉書の後列最下段には中華民国(北京政府)の国旗も見えますが、北京政府は1917年8月にドイツに対して宣戦を布告しています。

 その後、ロシアは1917年の10月革命で政権を握ったボリシェヴィキ政府が単独でドイツと講和し(ブレスト=リトフスク条約)、連合国から離脱しましたが、戦争時には独立国でなかったポーランド、チェコスロヴァキア、ヒジャーズ王国、アルメニア共和国などの独立派も連合国側として戦い、戦後に独立を認められ、講和条約に参加しました。


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 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 ペトラ遺跡で土石流
2018-11-10 Sat 01:49
 ヨルダンのペトラ遺跡で、きのう(9日)、土石流が発生。当時、遺跡を訪れていた日本人は少なくとも45人いましたが、無事全員が救出されたそうです。というわけで、ペトラ遺跡関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・統一記念切手に加刷

 これは、1953年5-6月の切手不足に対応して、 “ヨルダン統一”の記念切手の記念名を抹消して普通切手に転用したもので、右下に、ヨルダン川東岸地区の象徴として、ペトラ遺跡が描かれています。

 第一次中東戦争の結果、トランスヨルダンはエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区を併呑し、1949年にヨルダン・ハシミテ王国が誕生しました。

 しかし、1951年7月20日、国王アブドゥッラーはエルサレムのアクサー・モスクで金曜礼拝の最中に暗殺され、息子のタラールが第2代国王として即位したものの、そのタラールも、翌1952年8月11日、精神疾患を理由に議会によって廃位されてしまいます。タラールの廃位により、王位は息子のフサインが継承しますが、この間の混乱の影響で、ヨルダンでは深刻な切手不足が生じています。

 ところで、英領時代を含むトランスヨルダンの時代、この地域で流通していた通貨は英委任統治下のパレスチナ(英領パレスチナ)と同じくパレスチナ・ポンドでした。ところが、英領パレスチナが消滅したためパレスチナ・ポンドも無効となり、新生ヨルダンの発足にあわせて、新たに新通貨としてヨルダン・ディナール(1ディナール=10ディルハム=100ピアストル(カルシュ)=1000フィルス)が導入されました。

 こうした状況を踏まえ、1952年2月、ベイルートのカトリック・プレス社でトランスヨルダン時代の切手に対して、新通貨に対応した額面が加刷され、同月26日から発売されます。また、これと並行して、とりあえず、初代国王アブドゥッラーの肖像を描く従来の通常切手と同じデザインで、額面表示のみをヨルダン・ディナール表示に変更した切手の製造が、ロンドンのブラッドバリー・ウィルキンソン社に発注されました。

 国王アブドゥッラーの図案でヨルダン・ディナール額面の切手は、当初、新国王タラールの肖像を描く新切手(額面表示は、当然、ヨルダン・ディナールである)が発行され、流通するまでの暫定的なものと考えられていましたが、タラールの廃位によって、その後も使用されることになります。

 しかし、ヨルダン川西岸地区の併呑によって従来よりも大量の切手が必要になっていたことに加え、ブラッドバリー・ウィルキンソン社に発注された切手の数は、あくまでも当座の需要を満たすためのものでしかなかったため(最も大量に製造された5フィルス切手でさえ、わずか8万4100枚しか印刷されていません)、ヨルダン国内ではすぐに切手の在庫が底をついてしまいました。

 このため、1952年4月1日に発行されたものの、比較的在庫が残っていた“ヨルダン統一”の記念切手の記念名を棒線で抹消して、1953年5月18日以降、普通切手として流通させることになりました。今回ご紹介の切手はその1枚です。

 さらに、これでも切手の不足を解消することが抱きなかったため、1953年6月には、強制貼付切手に“郵便”を意味する加刷を施した切手も発行されるなど、1954年2月9日、ブラッドバリー・ウィルキンソン社製の新たな普通切手が発行されるまで、ヨルダンでは切手不足が続きました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧にただけると幸いです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

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 當山久三 生誕150年
2018-11-09 Fri 01:06
 1868年11月9日、“沖縄海外移民の父”とされる當山久三が生まれてから、きょう(9日)でちょど150年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ハワイ移住70年

 これは、1969年12月5日、米施政権下の沖縄で発行された“ハワイ移住70年”の記念切手で、當山久三の銅像とハワイおよび沖縄の地図が描かれています。

 當山は、1868年11月9日、琉球王国時代の金武間切(現沖縄県金武町)並里生まれ。1882年、金武小学校が創立されると一期生として入学し、成績優秀につき2年で卒業。その後、沖縄県尋常師範学校に進学し、1890年に同校を卒業して羽地尋常小学校(現名護市立羽地小学校)に赴任しました。1893年には母校の金武小学校に転任しましたが、本土出身の同僚教員の沖縄人差別に憤慨し、1895年に辞職。その後は、ごく短期間、並里の総代を務めましたが、ほどなくして山中で晴耕雨読の生活に入ります。

 1898年、上京中、たまたま入手した『植民論』に感銘を受け、沖縄の食糧問題・人口問題解決のためには海外移民事業が必要と確信。さらに、田中正造を面識を得て、日本本土からハワイへの移民についての情報を収集したほか、沖縄出身の社会運動家謝花昇と知り合い、謝花とともに同志を募って政治結社・沖縄倶楽部を結成しました。

 1899年3月の帰郷後は、沖縄倶楽部の機関紙『沖縄時論』の発行に携わり、県知事・奈良原繁の県政に批判的な主張を展開していましたが、海外移民事業を実現するためには県知事の許可が必要だったため、県知事を粘り強く説得。1899年12月5日、沖縄初の海外移民30名を那覇港からハワイに送り出しました。

 このときの移民30名は、翌1900年1月8日にホノルルに到着し、そこからオアフ島へ渡りましたが、うち4名が移住のための検疫に合格せず強制送還されたほか、契約移民だったため、移民の条件も劣悪でした。そこで、當山は、1903年の第2回ハワイ移民団を組織して自らも同行し、ハワイ島・オアフ島に6か月滞在して現地視察を行いました。これにより、移民の待遇は改善され、1904年以降、當山はフィリピンへの移民も手がけるようになります。

 しかし、1908年、日米紳士協定が締結され、日本からのハワイ移民が事実上禁止されるようになったたため、當山は移民事業を廃業し、酒造業兼養豚業に転業。 翌1909年には、沖縄県で初めて行われた県議会議員の選挙に国頭郡から立候補し、トップ当選を果たしたものの、翌1910年9月17日、与那原で病死しました。享年43。

 當山の銅像は、1931年、在米移民らの寄付金により、金武村役場裏手の丘(雄飛の森)に建立されたのが最初です。この銅像は、1944年の金属類回収令により撤去されてしまいましたが、1961年、切手に描かれた現在の像が建てられ、現在に至っています。

 なお、今回ご紹介の切手は、当初、第1回移民がハワイに到着した1900年から起算して70年となる1970年に発行される予定でしたが、移民が那覇港を出発した1899年から起算して70周年の1969年に発行されることになったため、すでに刷り上がっていた切手の“1970年”の年号を抹消し、“1969”の年号が加刷されました。
 

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 ブータンで新政権発足
2018-11-08 Thu 01:42
 中印に挟まれたヒマラヤの山国ブータンで、きのう(7日)、先月の下院選で第1党となった協同党のロテ・ツェリン党首が首相に就任しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・チュカ発電所

 これは、1988年にブータンで発行された“チュカ水力発電所”の切手です。

 ブータンは山国の地形と豊富な水資源を利用した水力発電が盛んで、インドへの売電が主要な外貨獲得源になっています。今回ご紹介の切手に取り上げられたチュカ水力発電所は、インドの支援を得て、ライダク川上流に1974年から建設が始まり、1986年に完成。336メガワットの発電能力は、2007年にタラ水力発電所が稼働開始するまでは、国内最大の発電量を誇っていました。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、チベットをめぐって英国清朝が激しく対立する中で、1910年、ブータン国王ウゲン・ワンチュクは、プナカ条約を締結してブータンを英領インド帝国の保護国とし、国土防衛を英国に委ねるとともに、鎖国体制を維持しようとしました。

 1947年に英領インド帝国がインドとパキスタンに分離独立すると、1949年8月、ブータンは独立インドとあらためて友好条約を締結。同条約では「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」とされ、ブータンがインドに依存する関係が構築されます。

 1958年、ブータンを訪問したインド首相のネルーは、インドがブータンの独立を支援することを約束。さらに、帰国後、インド議会で「ブータンに対する攻撃は、いかなるものであっても、インドに対する攻撃と同等とみなす」と演説し、ブータンの事実上の“宗主国”としての責任を果たす意思を明確にしました。さらに、翌1959年、いわゆるチベット民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命すると、中国はチベット域内にあったブータンの飛び地領8ヵ所も占領。これに対して、ネルーは「ブータンの領土保全はインド政府の責任」と明言します。

 ところが、1962年に勃発した中印国境紛争では、ブータンはインド軍に対して自国領通過の自由を認めるなど協力したものの、インド軍は惨敗。このため、中国の脅威を前に、伝統的な鎖国政策を維持できなくなったブータンは、1971年、国連に加盟する一方、1974年、国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの戴冠式に、駐印中国大使を招待し、中国との外交的な接触を開始。1984年以降、国交樹立と国境画定を議題とする定期外相会談もスタートしました。

 この結果、1988年には中国と「国境地域の平和維持に関する協定」が調印され、「中国はブータンの主権と領土的統一を尊重し、両国は平和五原則に基づき、友好関係を築くのが望ましい」とされましたが、その直後、中国はブータンが自国領と主張する地域にブータンの許可なく道路を建設。その後も、冬虫夏草目当てとみられる中国人の越境が相次ぎました。

 このため、ブータンは再びインドとの関係を強化し、2007年、インドとの新友好条約を調印。2008年にはインドのシン首相がブータンを訪問して、水力発電事業などに “強力な支援”を表明したほか、2014年にはモディ首相が最初の外遊先としてブータンを訪問しています。

 こうした中で、2017年6月29日 ブータン領のドクラム高地で中国人民解放軍が40トン戦車が走行可能な道路を無断で建設したため、ブータン政府は即座に抗議。インドもブータン支援のため、ドクラム高地に派兵し、中印両国がにらみ合う緊張状態(ブータン危機)が生じましたが、8月末、両軍はともに撤退し、本格的な軍事衝突は避けられました。

 ことし10月の下院選挙は、こうした状況の下で行われたもので、協同党のツェリン党首は、水力発電関連の借り入れは対外債務の約8割を占めている現状を批判し、水力発電所の増強計画見直しを公約の一つとして掲げていました。今後、新政権は親印政策の軌道修正に乗り出すものと思われますが、中印両国に挟まれた小国という立場ゆえ、インドの勢力が後退すれば、代わりに中国が勢力を拡大する可能性が高く、今後の行末が気がかりです。


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 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
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 ロシア革命記念日
2018-11-07 Wed 01:22
 きょう(7日)は、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)に、ロシア10月革命でボリシェヴィキ政権が樹立されたことにちなむ“ロシア革命記念日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ロシア革命記念日(1960)

 これは、1960年にソ連が発行したロシア10月革命43周年の記念切手です。同年のロシア革命記念日の式典には、キューバ使節団が初めて参加しています。

 1959年の革命後、1960年4月のプラヤヒロン事件を経て米国との対立が決定的となったキューバのカストロ政権は、1960年10月、キューバ経済の生き残りをかけ、ゲバラを代表とする使節団を東側諸国歴訪の旅に派遣しました。

 一行は、マドリード、プラハを経由して、10月29日、モスクワ入りし、2日後の31日、レーニン博物館への訪問の後、ソ連の経済商業部門の幹部らと最初の懇談を行います。

 初日の会談で、フルシチョフは「キューバが望むものは全て与えられる」と口火を切ったものの、肝心のキューバ側は要望を具体的に整理できておらず、ゲバラは「さまざまな社会主義国のうち、どの国に何を要請すべきかわからない」と釈明せざるを得ませんでした。

 この時点で、1週間後に迫った革命記念日の式典に参加するため、すでに東側諸国の代表団がモスクワ入りし始めていたため、ゲバラは急遽“キューバ代表団”を組織。ソヴィエツカヤ・ホテルの1フロアを借り切って、交渉相手国ごとに一室を割り当て、モスクワに到着した各国代表団と順次交渉を行いました。その過程で、ゲバラは11月1日にはチェコスロヴァキアのノヴォトニーからレオン・ブランコ勲章を授与されたほか、3日にはソ連側の案内で強化コンクリートの製造工場も視察しています。

 11月7日、キューバ使節団は、10月革命43周年の記念パレードに招待されましたが、その際、ゲバラの席は最高会議幹部会用の場所に設けられました。これは、国賓級の待遇を意味しており、ソ連としては、米国の喉元に位置するキューバを、なんとしても、自分たちの陣営に引き込んでおきたいという意思表示でした。もちろん、ゲバラが姿を現すと、場内からは万雷の拍手とともに「キューバ萬歳」の大歓声が上がるという、お決まりの演出も行われています。

 さて、ソ連との交渉では、キューバ側は砂糖の輸出先と、既存の工業を維持するための石油と部品、輸入代替のための小規模な工業を求めましたが、交渉には、値段や条件面以外にも、米州と欧州での電圧の違いや度量衡の違い(ソ連がメートル法を採用していたのに対して、キューバでは長年に及ぶ米国の影響もあってポンド・ヤード法だった)など、さまざまな困難がありました。

 また、キューバ側には、ソ連は東側諸国の盟主であり、米国に匹敵する大国というイメージがあったが、実際のソ連製品の技術水準や生活水準は、米国に比べて大きく劣っていました。たとえば、熱帯のキューバでは制汗・消臭剤が必需品で、革命以前、それらは米国からの輸入品がごく当たり前に使われていました。革命後、それらの輸入が途絶したため、ゲバラはそのことをモスクワで話しましたが、これに対して、ソ連側は「デオドラント?君たちはあまりにも快楽に慣れすぎている」と一蹴したと伝えられています。キューバとモスクワでは気象条件が違うのですが、やはり、彼我の生活水準の差も大きかったのです。

 革命記念日の記念式典の後、キューバ使節団は、8日のクレムリンでのレセプション、11日のミコヤン副首相との会談、15日のモスクワ駐在キューバ大使のレセプションでフルシチョフとの会合を終えて、17日、次の訪問先である中国へ向けて、モスクワを出発しました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラが訪れた当時の各国の状況やキューバとの関係についても、詳しく解説しています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、大変心苦しいのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2018-11-06 Tue 02:49
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第41号(2018年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・製菓産業200年

 これは、2006年、エストニアが発行した“製菓産業200年”の記念切手で、各種のチョコレートが取り上げられています。

 バルト三国の最北に位置す現在のエストニア地には、1219年、デンマーク人が進出し、“デーン人の町、要塞”を意味する“ダーニーリーン”を築きました。これが現在の首都、タリンの元になります。その後、1346年にはドイツ騎士団がタリンに進出してここを領有し、タリンはハンザ同盟に加盟し海上交易で繁栄。さらに、1629年にはスウェーデン領、1721年にはロシア帝国領になりました。

 ロシア帝国領時代の1806年、菓子職人のローレンツ・カビエゼルがドイツからタリンに移り住み、現在も営業を続けるタリン最古のカフェ“マイアスモック・カフェ”のある場所でチョコレート店を開業しました。ガビエゼルは自分の店を、エストニアの建国神話に登場する古代の王、カレフにちなんで“カレフ”と命名します。今回ご紹介の切手は、ここから起算して200年になるのを記念して発行されたもので、ケーキやキャンディ、クッキーではなく、山盛りのチョコレートを描いているのは、やはり、カレフへのオマージュなのでしょう。

 1917年にロシア革命が起こり、ロマノフ王朝が崩壊すると、1918年2月24日、エストニア共和国が独立を宣言。この頃には、カレフは新オーナーのゲオルグ・スチュードの下、順調に事業を拡大し、手作りのマジパン人形やチョコレート菓子、ケーキやペストリーを販売して人気を集めました。

 第二次大戦中の1940年、エストニアはソ連に併合され、これに伴い、カレフも国有化されます。ソ連の支配下では、カレフの名の下、いくつかの製菓会社が合併され、大規模な工場も作られるなど、カレフは名実ともにエストニア最大の製菓会社となりました。1991年の再独立後も、その地位は揺るがず、カレフの子会社として、タリン市内の創業の地でケーキやペストリーを販売してきたマイアスモック・カフェは、2015年に大規模な改修工事を行い、観光名所としても人気を集めています。

 なお、2004年5月にEUに加盟したエストニアでは、2007年1月1日のユーロへの通貨統合を目指して、2006年1月以降、従来のエストニア・クローンとユーロを併記した切手を発行していました。当初、クローン・ユーロ併記切手は、2006年1年間のみの発行予定でしたが、実際のユーロ導入が2011年1月までずれ込んだため、2010年までの5年間、発行が続きました。今回ご紹介の切手も、こうした事情を反映して、4.40エストニア・クローンと、0.28ユーロの2種類の額面が併記されています。

 * 昨日、アクセスカウンターが198万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 


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 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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 ニューカレドニアの独立否決
2018-11-05 Mon 02:15
 南太平洋のフランス特別自治体ニューカレドニアで、きのう(4日)、独立の是非を問う住民投票が実施され、即日開票の結果、独立賛成が43.6%、反対が56.4%となり、独立は否決されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニューカレドニア・50周年加刷

 これは、1903年に仏領ニューカレドニアで発行された“フランスによる領有宣言50周年記念”の加刷切手です。

 オーストラリア東方に位置するニューカレドニアは、1774年、キャプテン・クックによって“発見”されました。1853年、フランスは、英国によるオーストラリア・ニュージーランド領有に対抗して、オーギュスト・フェヴリエ=デポワント提督を派遣してニューカレドニア島の領有を宣言。1864年には、近隣のロイヤルティ諸島も組み込み、仏領ニューカレドニアが成立します。

 当初、ニューカレドニアは流刑植民地でしたが、19世紀後半、ニッケルが発見されたことで鉱業の島となり、第二次世界大戦では、自由フランス側の支配下に置かれ、ガダルカナル攻略などでの米軍の拠点として利用されました。

 第二次大戦後の1963年、フランスは核開発の一環としてCEP(太平洋実験センター)を設置し、1966年から核実験を開始します。CEPはムルロア環礁とファンガタウファ環礁(いずれも仏領ポリネシア)の核実験場を管理していましたが、フランスのニューカレドニア駐屯軍(FANC)は、仏領ポリネシア駐屯軍(FAPF)とともに、CEPの防衛、冷戦下での情報収集、先住民による独立運動、経済の鎮圧なども担当していました。

 1996年、フランスが包括的核実験禁止条約(CTBT)を採択し、南太平洋での核実験が終了すると、FANCとFAPFの任務も、豪、ニュージーランド、島嶼国家とともに災害対処、密漁監視、海難救助などに徐々にシフトしていきます。そうした中で、フランスの南太平洋駐留部隊は、各国軍と連携して、主として中国船による密漁の取締りや災害対応など、地域の非軍事・警察活動において重要な役割を果たすようになりました。特に、ニューカレドニアはインマルサット(国際移動通信衛星ネットワーク)やインテルサット(商業衛星通信システム)などを傍受する世界的通信監視網(フレンシュロン)のアジア太平洋地域における拠点であり、FANCは戦車揚陸艦、哨戒艇や巡視艇、固定翼輸送機やヘリコプターなども配備しています。

 ところで、2000年以降、海洋進出を加速させてきた中国は、国交のあるトンガ、バヌアツ、フィジー、パプア・ニューギニアに寄港して現地の人々を無料診察する“病院船外交”を展開。地元の要人・住民を艦内に案内し、軍事力を見せつける一方で、交通や観光関係のインフラを中心に投資を拡大してきました。

 中国はFANCとFAPFの中間に位置する国・地域を南太平洋上の重要な工作拠点と位置付けており、たとえば、2006年12月にフィジーでフランク・バイニマラマ軍司令官による軍事クーデターが発生した際には、西側諸国が軍事政権に援助停止や入国禁止等の圧力を加えたのに対して、中国のみが援助を急増させ、これを機に、フィジーの政財界にしっかり食い込むことになりました。

 このほかにも、中国は借款などを通じて南太平洋の島国への影響力を強めていますが、当然のことながら、中国の急激な進出に対する住民の不満も強く、各国で反中国人暴動が発生すると、豪軍やニュージーランド軍が鎮圧に派兵するという事態が起きています。

 こうした状況の中で、フランスは東シナ海での中国の野心が南太平洋にも及んでくるのではないかと警戒しており、そのため、2014年春の日仏外相戦略対話では、“日本と同じ太平洋の海洋国家”との表現を用い、“法の支配”の原則を堅持して地域の安定に取り組む利益と責任を共有すると表明。さらに、2017年1月7日には、日仏両政府、外務・防衛閣僚協議で、中国を念頭に、“緊張を高める一方的な行動”への強い反対を表明。自制を求めています。

 特に、2017年5月に発足したマクロン政権は、対中強硬路線への本格的な転換を図り、“航行の自由”を確保するため、同年内に5隻の艦船を南シナ海に派遣。さらに、翌2018年3月、マクロンは訪印してモディ首相との会見で「インド洋や太平洋で覇権はあってはならない」と発言し、海軍基地の仏印相互利用を定めた協定に調印しています。

 フランスにとって、ニューカレドニアは、海洋資源、ニッケルが豊富であるだけでなく、欧州の科学技術研究、宇宙開発の拠点でもあるため、ニューカレドニアがフランスから離脱して独立するだけでなく、中国の影響下に置かれることは何としても避けたかったわけで、今回の住民投票を前に、マクロン本人がニューカレドニアを訪問。大統領自ら、植民地支配の“反省”を示すことで、先住民多数派のカナク(独立賛成派が多いとされる)の懐柔に努めていました。

 ちなみに、今回の投票結果について、現地の経営者団体代表は「企業トップの大半は、経済を混乱させないようフランスとの関係維持を望んでいる」と語っていたそうですが、周辺には中国が強い影響力を行使している国も少なくありませんので、今後も油断は禁物です。
 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
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      ゲバラ本・仮書影

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 ホークスが2年連続日本一
2018-11-04 Sun 02:01
 プロ野球の日本シリーズは、福岡ソフトバンクホークス広島東洋カープを4勝1敗1分で下して2年連続9度目の日本一となりました。というわけで、“鷹”の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・フィルス加刷(国章)

 これは、アラブ諸国で広く用いられている“サラディンの鷹”の国章を描くパレスチナ自治政府最初の切手に、通貨単位のフィルス表示を加刷した暫定切手です。

 1993年のオスロ合意を受けて、1994年5月にはカイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。これに伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手・消印は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、パレスチナ自治政府としての独自の切手を発行すべく、PLO駐独代表のアブドゥッラー・フランギーが、ドイツ社会民主党の国会議員でアラブ諸国との関係が深く、かつ切手収集家でもあったハンス・ユルゲン・ヴィシュネウスキーと接触。その結果、ドイツの老舗切手エージェント、ゲオルグ・ロール・ナシュフ社のコーディネートの下、国有ドイツ連邦印刷会社が切手を製造することで話がまとまり、1994年夏、ベルリンで切手が製造されました。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”の第4条によると、自治政府の統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、ヨルダン川西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められることになっていました。ただし、パレスチナ自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はなかったため、イスラエル側は、1994年10月に登場した自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、自治政府側は、パリ議定書で認められた通貨に対応すべく、ミリーム額面の切手に、ヨルダン・ディナールの補助通貨であるフィルス表示の額面を加刷した切手をあらためて発行することにしましたが、正規の加刷切手が到着するまでの間、イェリコ局では既存の切手の額面部分に“フィルス”の訂正印が加刷され、暫定的に使用されていました。今回ご紹介の切手は、その一例です。

 ちなみに、パレスチナ自治政府の切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもその概要をまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。
 

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 明治神宮の切手
2018-11-03 Sat 01:45
 きょう(3日)は旧明治節(明治天皇の誕生日で1947年までの祝日)です。というわけで、明治神宮の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      富山印・明治神宮

 これは、終戦直後、米軍政下の沖縄・宮古地区で発行されたもので、明治神宮を描く戦前の8銭切手に通信部長・富山常仁(とみやま・じょうじん)の印を押した暫定切手です。

 終戦直後の宮古島には、1945年12月8日、米海兵隊が進駐して軍政を開始しましたが、これに伴い発足した宮古群島郵便局では戦前と同様、日本切手を用いての郵便が継続して行われていました。ちなみに、沖縄戦で完全に破壊された沖縄本島では、現実の問題として貨幣経済を行うことが困難で、住民は米軍に労働力を提供して物資を得るという“無貨幣経済”が行われていたため、1945年9月に郵便が再開された際にも、料金は全て無料でした。

 1946年1月29日、GHQが「外郭地域分離覚書」を発し、宮古群島を含む北緯30度以南の南西諸島の行政権を日本から分離すると、1946年2月1日から1948年6月30日まで、宮古地区では切手の収入減を明確にするため(日本時代に売られていた切手と、米軍政下で売られた切手を区別するため)、今回ご紹介したような“富山印”の暫定切手が使われました。

 その後、戦前の状態を基準とする沖縄の経済復興政策を進めていた米軍当局は、1948年6月、B型軍票円(戦前の日本円と等価交換された米軍政府発行のB型軍票を基準とする通貨)を琉球列島全域に共通する法定通貨とします。これに伴い、同年7月1日、新通貨のB円に対応すべく、全琉球統一の“琉球切手”が発行され、富山印切手を含む琉球各地の暫定切手類は使用禁止となりました。


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 インドで世界一の像完成
2018-11-02 Fri 10:36
 インドのグジャラート州で世界最大の立像、“統一の像”が完成し、おととい(31日)、完成記念式典が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・パテール(1965)

 これは、今回の“統一の像”のモデルとなったサルダール・ヴァッラブバーイー・パテールの生誕90年を記念して、インドが1965年に発行した記念切手です。ちなみに、“サルダール”は、頭目、親分、親方、大将、司令官などの意味で、シーク教徒に対する敬称としても使われています。

 サルダール・ヴァッラブバーイー・パテールは、1875年10月31日、グジャラート州生まれ。英国留学を経て、弁護士として開業し、1918年以降、ガンディーの側近として活動するようになりました。1922年2月以降、ガンディーは農村における不服従運動の実験的な試みとして、グジャラート州バールドーリ県で大衆的な地税不払い運動を開始していましたが1924年にアフマーダーバード市(グジャラート州の主要都市の一つで、1915年のガンディーの“塩の行進”の出発地)の市会議長に就任したパテールは、運動の中心メンバーの一人として、1928年には地租引き上げ政策を撤回させて有名になり、以後、“サルダール”の敬称で呼ばれるようになりました。

 その後、サルダールは、1931年の国民会議派カラチ大会では議長を務め、1947年のインド独立後は、ジャワハルラール・ネルー初代首相の下で副首相・内務大臣を務めました。特に、インドパキスタン分離独立に際しては多くの藩王国を巧みな手腕でインドに帰属させ、“インドの鉄の男”、“インドのビスマルク”と称されました。今回、彼の像が“統一の像”と命名されたのは、こうした事績によるものです。

 さて、今回完成した“統一の像”は、台座を含めると高さ240mに達し、ニューヨークの自由の女神像の約2倍、これまで世界一の高さを誇った中国河南省の魯山大仏を上回っています。総工費は約4億2000万ドル、使用した鉄は700トンに及んでいます。

 像は、モディ首相の出身地であるグジャラート州の僻地に建設されました。おそらく、首相の権威を強調するための計画だったのでしょうが、建設費が巨額なため、貧困層の抗議活動が起きたほか、地元住民が像建設のために収用した土地の補償を要求し、混乱が生じる可能性も懸念されており、あるいは、首相にとっては大きな重荷になってしまうかもしれません。


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 一の酉
2018-11-01 Thu 02:32
 きょう(1日)は“一の酉”です。というわけで、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』に関連して、こんな“鳥”の切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ革命50年・フィデルの勝利宣言

 これは、2009年にキューバが発行した革命50周年の記念切手のうち、1959年の革命時、ハバナに到着したフィデル・カストロの肩に鳩が停まる場面が取り上げられています。

 1956年に始まるカストロの革命戦争で、1958年5月、バティスタ政権はゲリラに対する最終攻勢として“FF作戦”を発動。14大隊約1万人の兵力を動員して四方からシエラ・マエストラ山中の革命派の拠点への攻撃を開始し、5月28日、叛乱側の山麓の拠点、ラス・メルデセスを占領。さらに、政府軍は、6月25日、ラ・プラタの総司令部から徒歩4時間のラス・ヴェガスを占領し、同28日には叛乱側の支配領域を最小になるまで追い詰めました。

 しかし、翌29日、フィデルの率いる叛乱軍本隊はサント・ドミンゴ川で600人の政府軍を迎撃し、政府軍に死者50、捕虜30の損害を与え、6万発の弾薬を奪う勝利を収めました。

 これが戦局の転機となり、7月10日の戦いでも叛乱側は政府軍を破り、同29日にはチェ・ゲバラとカミーロ・シエンフエーゴスの指揮する第4部隊がラス・ヴェガスを再占領に成功。そして、8月7日にはラス・メルセデスが再占領され、政府軍はシエラ・マエストラから完全に撤退します。ちなみに、2か月半の戦闘で政府軍の死者、負傷者、捕虜、脱走者は2000人以上。対する叛乱側の損失は50人で、戦闘が終わったときには、新たに約600人が合流していました。さらに、600丁の銃、戦車1両、迫撃砲12門、三脚架機関銃20数丁が叛乱軍の手に渡っています。

 8月7日の政府軍のシエラ・マエストラからの完全撤退後、カストロは叛乱軍を再編成し、ゲバラをシロ・レドンド第8部隊の指揮官に、カミーロを少佐に昇進させてアントニオ・マセオ第2部隊の指揮官に、それぞれ任命し、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州の要衝、サンタ・クララの攻略を命じました。彼らは、政府軍の包囲と攻撃をかいくぐり、10月7日、エスカンブライのゲリラと接触。10月15日、ラス・ビジャス州に到着して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功します。

 一方、カストロは、弟のラウルとともに、キューバ島東部、オリエンテ地方の中心地であるサンティアゴ・デ・クーバを目指し、11月17日、最終攻勢を指示したあとシエラ・マエストラの本部を閉鎖。300の兵で“ホセ・マルティ部隊”を編成してサンティアゴ作戦を開始し、11月20日に始まるグィサの戦闘で政府軍を撃破しました。

 その後、ゲバラの部隊は、12月29日、サンタ・クララへの総攻撃を開始。戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏します。これが決定打となり、1959年1月1日、バティスタはドミニカ共和国に亡命。最後までビダール兵営に籠城して抵抗していた政府軍部隊も、同日、降伏しました。

 一方、同日、カストロ兄弟もサンティアゴ・デ・クーバを完全制圧。翌2日、まず、ゲバラとシエンフエーゴスが首都ハバナに入城し、4日には臨時革命政府が樹立されます。これを受けて、サンティアゴ・デ・クーバにいたカストロは叛乱軍総司令官からキューバ人民軍総司令官になりました。

 その後、カストロは首都へ向けて進軍を開始。1月8日、人々の歓呼の中を鹵獲した戦車に乗ってハバナに入城し、「真の革命は、いまここに始まったばかりなのだ」とする勝利宣言を行いました。その後、カストロのハバナ入城時に放たれた伝書鳩が戻ってきて彼の肩に停まりましたが、そうした事情を知らなかった群衆は、突如舞い降りた鳩を見て、天が革命を祝福しているかのような印象を持ち、その後の権力の帰趨にも大きな影響を与えました。今回ご紹介の切手にも、鳩を肩に載せたカストロの姿がしっかりと取り上げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』ですが、諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、大変申し訳ございません。正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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