fc2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 世界の切手:テュニジア
2018-11-12 Mon 09:08
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年10月10日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はテュニジア(と一部ザイール)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       テュニジア・パレスチナ人民連帯国際デー(1982)

 これは、PLOのテュニス移転後まもない1982年11月29日に発行された“パレスチナ人民連帯国際デー”の切手です。

 1956年3月20日、テュニジアは伝統的な地方君主であるベイを元首とする立憲君主国“テュニジア王国”として独立。同月25日の選挙ではハビブ・ブルギーバの新憲政党を中心にして結成された民族戦線が圧勝し、ブルギーバが初代首相に就任します。さらに、翌1957年、ブルギーバは王制を廃して自らテュニジア共和国初代大統領に就任しました。

 この時期は、1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)エジプトが英仏のスエズ侵攻作戦を撃退したことで、ナセルと彼の唱道するアラブ民族主義の権威が絶頂期にあったこともあり、表面上は、テュニジアもナセルに接近する姿勢を示し、建前としては“反イスラエル”を掲げていました。しかし、実際には、ブルギーバは秘かに駐仏イスラエル大使のヤアクーブ・ツールと接触しており、そのルートを通じて、テュニジアの財務大臣がイスラエルに対してテュニジア国内の大型農業開発への援助を極秘裏に要請するなど、テュニジアとイスラエルは実質的には良好な関係にありました。

 ただし、一般のテュニジア国民の間では圧倒的に反イスラエル感情が強かったことに加え、イスラエル包囲網の“抜け穴”になっているという公然の秘密が問題視され、周辺アラブ諸国からの孤立することは避けねばならなかったから、テュニジアは1973年の第4次中東戦争にもごく少数の部隊を派遣しています。

 世俗主義的なリアリストのブルギーバの理解では、北アフリカ諸国の中で、反西欧・反イスラエルのイデオロギーを鮮明に掲げていたリビアやアルジェリアは潤沢な石油資源があったため、そうした自己主張が可能であるのに対して、資源に乏しいテュニジアは、主に欧米人を対象とした観光収入に依存し、西側資本主義諸国との協力・援助が不可欠だったがゆえに、イスラエルに対しても現実的な姿勢を取る必要がありました。その結果、国家の近代化(西洋化)と国民の生活水準向上のため、イデオロギーとは無関係に、どの国・組織とでも手を結ぶ全方位外交を志向したわけです。

 1979年、イスラエルと単独和平を結んだエジプトはアラブ連盟を追放されましたが、エジプトを批難したアラブ諸国も現実にはイスラエルの打倒が不可能と認識していました。このため、表面上はイスラエル打倒という“アラブの大義”を掲げ続けるものの、実際にはイスラエルと水面下での接触をはかるというのが、現実的な対応でした。

 1982年9月、パレスチナ解放機構(PLO)が、イスラエルの包囲攻撃を受け、ベイルートからの撤退を余儀なくされると、アラブ連盟本部所在地としてのテュニスが浮上したのも、そうした事情によるものです。なお、PLOの本部移転に伴い、テュニスはパレスチナ解放運動の重要な拠点にもなりましたが、テュニジア政府は、それを積極的に支援していたというよりも、国内の体制を脅かさない限りにおいて、彼らの活動を黙認するというスタンスでした。

 1988年11月、PLOは従来の“イスラエル打倒によるパレスチナ解放”から“イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのパレスチナ国家建設”へと方向を転換し、パレスチナ国民評議会で独立宣言を採択。さらに、1990年の湾岸危機・戦争でイラクを支持して国際的に孤立し、財政的にも苦境に陥りました。こうした背景の下、1993年にはオスロ合意が成立し、パレスチナ自治政府が樹立されます。

 ちなみに、オスロ合意後の1994年、PLO本部はテュニスからパレスチナに再移転しましたが、テュニジア政府は、オスロ合意は、テュニジアが長年にわたりPLOとイスラエルの(秘密)交渉を仲介し続けてきたからこその成果と主張しています。このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめていますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』10月10日号の「世界の国々」では、テュニジアとパレスチナについての長文コラムのほか、シディ・ブ・サイド、初代大統領ブルギーバ、バルドー美術館の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のテュニジア(と一部ザイール)の次は、10月24日発売の同31日号でのKUT、11月7日発売の同14日号でのメキシコの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。

 * 昨日(11日)の昭和12年学会大会での内藤の発表は、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
スポンサーサイト



別窓 | テュニジア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/