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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 鉄路節
2019-06-09 Sun 00:41
 きょう(9日)は、1881年6月9日、中国最初の鉄道として河北省に開業した唐胥鉄路の起工式が行われた(あるいは、1887年6月9日、劉銘伝の近代化政策により台湾の基隆=台北間を結ぶ“全台鉄路商務総局鉄道”が起工された)ことにちなむ“鉄路節”です。というわけで、現在滞在中の武漢の鉄道ネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      占領華北・京漢火車

 これは、先の大戦中の1944年1月、日本軍占領下の開封から朝鮮半島北部の日本海に面した宣徳(咸鏡南道南部)宛に差し出された葉書で、京漢鉄路で運ばれたことを示す“京漢火車”の消印が押されています。使われている葉書は、中国大陸の日本占領地域で使用されていた半価加刷のものです。また、宛先の宣徳には日本時代に飛行場が開設され、現在でも、北朝鮮の軍用飛行場が置かれています。

 北京と漢口を結ぶ京漢鉄路は、1897年4月、清朝がベルギーからの借款によって着工し、1906年4月、全線開通しました。その後、1928年の北伐完了を受け、中華民国の首都は南京であるとの建前の下、同年6月15日付で“北の首都”を意味する北京は北平へと改称され、これに伴い、鉄道の名称も平漢鉄路に改称されました。

 ところが、1937年7月7日に勃発した支那事変で北平を制圧した日本軍は、この地を旧称の“北京”と呼んだため、平漢線は再び京漢鉄路と呼ばれるようになりました。今回ご紹介の葉書はこの時期のモノなので、消印の表示も“京漢火車”となっています。

 ちなみに、今回ご紹介の葉書には“北支 開封站(駅)”の表示がありますが、京漢鉄路の鄭州駅からは、1910年、東は開封(汴)、西は洛陽に至る汴洛鉄路が開通していますので、この葉書も開封駅のポストに投函された後、鄭州まで運ばれ、そこから京漢鉄路に積み込まれ、北京へ運ばれる途中で消印が押されたものと考えられます。

 その後、1945年の日本の敗戦により、国民政府は北京を再び北平に改称したものの、1949年に成立した中華人民共和国は北京の名称に戻して現在に至っています。これに伴い、鉄道の名称も平漢と京漢の間でめまぐるしく変化することになりました。

 なお、1957年に武漢長江大橋が竣工すると、京漢鉄路は武昌=廣州間を結ぶ粤漢鉄路と接続し、北京西から廣州にいたる京廣鉄路となって現在に至っています。


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