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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ボブ・マーリー没後40年
2021-05-11 Tue 01:29
 “レゲエの神様”ことボブ・マーリーが1981年5月11日に36歳の若さで亡くなってから、ちょうど40年になりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます) 

      ジャマイカ・ボブ・マーリー追悼(サバイバル)

 これは、1981年10月20日にジャマイカが発行したボブ・マーリーの追悼切手のうち、彼の代表作のひとつ、『サヴァイヴァル』の楽譜を背景に、歌唱中の彼の姿が取り上げられています。

 『サヴァイヴァル』は、1979年10月2日、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズがリリースされた同名のアルバムのA面5曲目に収録された楽曲で、当時、独立闘争の最終段階にあったローデシアの応援歌として作られました。このため、1980年にローデシアがジンバブエとして独立を達成した際には独立記念式典でも演奏され、ジンバブエでは国家に次ぐ重要な楽曲と位置付けられています。

 ボブ・マーリー(本名:ロバート・ネスタ・マーリー)は、1945年2月6日、ジャマイカ島の北岸にあるセント・アン教区のナイン・マイルズで、白人の英海軍大尉でジャマイカ最大の建設会社マーリー・アンド・カンパニーの経営社だったノーヴァル・マーリーと、ジャマイカ人(黒人)のセデラ・ブッカーとの間に生まれました。当時61歳の父親は、ボブが生まれると、18歳の母親を捨て、以後、母子は父親からの養育費の仕送りを受けてナイン・マイルズで過ごしました。

 1955年、父親が亡くなり養育費が途絶えると、セデラは職を求めて首都キングストン郊外のスラム、トレンチタウンに移住。ここで、バニー・ウェイラーらと音楽活動を開始し、1959年、音楽に専念するため14歳で学校を中退しました。

 この時期のトレンチタウンには“Manny Oh”のヒット曲で後にレゲエの父”と呼ばれたジョー・ヒッグスが住んでおり、ボブ・マーリーは彼から音楽のみならず、ラスタファリ運動の教えを受けています。

 プロ・ミュージシャンとしてのレコード・デビューは1962年のことで、翌1963年、ティーネイジャーズ(ウェイラーズの前身)を結成。1972年にはアイランド・レコードと契約し、翌1973年、アルバム“Catch a Fire”でメジャー・デビューを果たし、1974年、エリック・クラプトンのカバーによる“I Shot The Sheriff”が全米ビルボードチャート1位を獲得したことで、マーリーと彼のレゲエ・ミュージックは世界的な知名度を獲得しました。

 ところで、当時のジャマイカは、保守・中道路線のジャマイカ労働党(JLP)と、社会主義インターナショナル加盟の人民国家党(PNP)の2大政党が激しく対立し、しばしば流血事件が発生していました。特に、1976年1月、選挙戦を前に大規模な暴動が発生したため、同年6月、当時のマイケル・マンリー政権(PNP)は非常事態宣言を発令。JLP党員を含む約500名が国家転覆の容疑で起訴され、ジャマイカ駐留英軍の基地であるアップパーク・キャンプ内の特設刑務所に収容されています。

 こうした中で、マイケル・マンリーの支持者でもあったマーリーはプロデューサーのクランシー・エクルズらと共にPNP の選挙キャンペーンに参加。このことがJLP支持者の憤激を買い、同年12月3日、コンサート“スマイル・ジャマイカ”のリハーサル中に狙撃されて重傷を負い、1年ほど、バハマとロンドンで亡命生活を余儀なくされました。なお、選挙は狙撃事件後の12月15日に行われ、PNPが与党となったため、非常事態宣言は翌年まで延長されています。また、マーリーの狙撃事件に関して、組織としてのJLPは共犯として起訴されました。

 みずからの狙撃体験と亡命生活から、祖国の分裂に深く心を痛めたマーリーは、1978年に帰国してコンサート“One Love”を開催。ステージ上でPNP党首のマイケル・マンリー(1972-80年、1989-92年の首相)とJLP党首のエドワード・シアガ(1980-89年の首相)に握手をさせ、両者の和解を演出しようとしました。しかし、その後も暴力の応酬は収まらず、1980年の選挙では、800人のジャマイカ人が殺害されています。

 一方、マーリーはその後、世界各国での演奏活動(1979年には来日もしています)とアルバムの制作を行っていましたが、1977年に明らかになった持病のメラノーマ(悪性の皮膚癌)が悪化。医師からは患部である足の親指の切断を勧められましたが、宗教上の理由から部分切除に留めたため、腫瘍が全身に転移。1981年5月11日、療養先のドイツから帰国途中に容態が悪化し、米フロリダ州の病院で亡くなりました。同月21日には首都キングストンで国葬が営まれ、遺体はセント・アンの生家近くに埋葬されました。

 * 昨日(10日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・17日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


★ 武蔵野大学の生涯学習講座は開講延期となりました ★

 5月15日開講の予定だった下記の講座は、新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言の延長に伴い、開講日(対面授業の初回の日)が延期になりました。現在、開講日を6月5日に延期する方向で調整を行っております。詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。なお、対面授業の時間割は、土曜日の同じ時間帯で変更はありません。

 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」
 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」
 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。(現在は旧日程が掲載されておりますので、ご注意ください)

 ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★
 
 5月17日(月) 05:00~  
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


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