内藤陽介 Yosuke NAITO
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 半世紀前の中国とチベット
2008-03-18 Tue 23:48
 中国の温家宝首相が、今日(18日)の記者会見で、14日以来のチベットでの騒乱に関して「もしもダライが独立の主張を放棄し、チベットが中国領土の分割できない一部分であることを認め、また台湾が中国領土の分割できない一部分であることを認めれば、対話に向けた我々のドアは常に開かれている」と言い放ったそうです。

 というわけで今日はこの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 全国郵政会議

 これは、1950年11月、成立間もない中華人民共和国が発行した「全国郵政会議」の記念切手で、中国地図を背景に、郵便ポストや鉄道・船・飛行機など郵便輸送の手段が描かれています。

 ここでご注目いただきたいのは、背景の中国地図で、“中国”の範囲を示すシルエットの中にはチベットも含まれていますが、中国の郵便網を示す路線図はチベット地域にまで伸びていないことがわかります。東北部(満洲)に関しては、“會議紀念”の文字がかぶさっていますのでデザイン的に路線図を書き込めなかったという説明も成り立ちますが、西南のチベットに関しては“障害物”はなにもありませんので、路線図が書かれていないは、単純に、この地域に中国側の郵便網が達していなかったことを中国側は自ら告白していることになります。

 以前の記事でも説明しましたが、辛亥革命後、1951年に中国人民解放軍がチベットに武力進駐するまでの間、チベットは独立を宣言し、独自の通貨や切手も発行していました。もちろん、中国側は国民党・共産党を問わず、チベットの独立を一貫して否定していましたが、実際には、チベットには中国中央政府の統制は及んでおらず、チベットは実質的に(半)独立国のような存在となっていました。

 チベットを“中国”の一部として描きながら、チベットにまで郵便網が伸びていない路線図を書かざるを得なかった今回の切手には、まさに、そうした建前と現実のズレが現れているといってよいでしょう。

 今回の切手が発行されてからまもない1951年4月、中国大陸の大半を制圧した中国共産党政権とチベット地方政府との関係を規定するための交渉が北京で始まり、5月23日、「中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放に関する協定」(いわゆる17条協定)の署名が行われました。現在、中国側は同協定を根拠にチベット支配の正当性を主張しているわけですが、この協定は、もともと、代表団が個人の資格でサインしたもので、チベット政府やダライラマの承認・批准は受けていません。じっさい、中国側も署名に際しては、同協定には国際法上の効力はないとチベット代表団に説明していながら、チベット側の印璽を偽造するなどして、同協定の既成事実化を図っていきました。そして、同年12月、人民解放軍が“平和解放”の名の下にチベットに軍事進駐し、チベットにとって苦難の現代史が幕を開けることになります。

 ちなみに、17条協定では、中国軍のチベット入りを許可し、チベットの外交権を中国政府に委譲する一方で、チベットの政治制度を変更しないことや、ダライ・ラマやパンチェン・ラマの地位・職務・権限に干渉しないことなどが保障されていたほか、チベットには自治権を与え、宗教と伝統を尊重し、また、内政改革についても、チベット指導者の意見を入れて強制はしないことも規定されていました。

 もっとも、当初からチベット代表団を騙して17条協定を押し付けたことからもわかるように、中国共産政府には、そもそも、17条協定に記されているように、チベットの文化や伝統を尊重しようという意識は希薄でした。同協定の内容からさほど隔たっているとは思えない“高度な自治”を求めるダライラマ14世を中国側が露骨に敵視しているのはその何よりの証拠といえるわけで、チベットの人たちが中国に不信感を持つのも当然のことです。
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