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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シベリア鉄道で運ばれた葉書
2008-06-11 Wed 16:39
 映画評論家の水野晴郎さんが亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 さて、水野さんといえば、やはり「シベリア超特急」ということで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 シベリア鉄道

 これは、1912年5月27日、満洲里から差し出された葉書で、ロシアの中東鉄道(東清鉄道)からシベリア鉄道を経て、イルクーツクを経由して運ばれています。

 日清戦争後の1896年、三国干渉によって日本から遼島半島を還付させたロシアは、その見返りとして、モスクワ=ウラジオストック間を結ぶシベリア鉄道の短絡線として、チタ=満洲里=綏芬河=グロデコヴィというルートを通って満洲の地を横切る東清鉄道(清朝の東という意味で“東清鉄道” と呼ばれた)の敷設権を獲得します。

 東清鉄道の本線は満州里からグロデコヴォ間の1510キロでしたが、シベリア鉄道本線と連結させるために、西側には満州里とキタイスキ・ラズエズトーを結ぶザバイカル鉄道(355キロ)、東側にはグロデコヴォとニコリスク・ウスリスキーを結ぶウスリー鉄道(97キロ)も建設されます。また、ロシアが1898年に旅順・大連を租借すると、東清鉄道の途中駅であった哈爾浜から長春=奉天=大連を経て旅順へといたる772キロの南満洲支線も建設されました。

 1905年、日露戦争で勝利を収めた日本は旅順と大連を中心とした遼島半島先端部を“関東州”として租借し、東清鉄道のうち、寛城子(長春)=大連間の鉄道経営とそれに付随する諸権利、ならびに安東(丹東)=奉天間の鉄道(安奉線)の経営権を獲得。これが、いわゆる南満州鉄道のルーツとなります。

 一方、東清鉄道(1912年に中華民国が成立した後は、“中東鉄道”と呼ばれるようになります)のうち、長春以南はポーツマス条約によって日本に譲渡されたものの、長春以北の1732.8キロの区間に関しては、日露戦争後も、帝政ロシアが営業権のみならず沿線の鉱山権や林業権も含めて保持しており、その経営権はロシア革命後はソビエト政府に維持されています。

 これに対して、中国側は中東鉄道の利権回収を強く主張し、1929年には東北軍閥の張学良が強引に鉄道を回収しようとしましたが、ソ連側の反撃により手痛い打撃を被っています。このため、1931年の満洲事変の際にも、関東軍は長春以北へは容易に進軍できず、1935年9月に満鉄が中東鉄道を買収するまで、満洲域内の鉄道網は、長春を境界として、ソ連と日本が勢力を二分する状況が続くことになりました。

 なお、満鉄と郵便については、拙著『満洲切手』でもその概要についてご説明したことがありますので、よろしかったら、ご覧いただけると幸いです。

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