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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ベルリン封鎖60年
2008-06-24 Tue 14:39
 東西冷戦下のベルリン封鎖から、きょうでちょうど60年だそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 クマと献金皿

 これは、1949年12月1日、西ベルリンで発行された「通貨改革の犠牲者のために」と題する寄付金つき切手で、ベルリンの象徴である熊と献金皿が描かれています。

 第2次大戦後、敗戦国ドイツの首都であったベルリンは、ドイツ全土の縮図として、東地区がソ連、西地区米英仏の3国によって分割占領されましたが、西ベルリンはソ連占領地区の包囲の下、他の西側占領地区からは孤立した存在となっていました。もっとも、初期の段階では、東西の往来は自由で、東側からは電気・ガス・水道が西側に供給されています。

 ところが、東西冷戦が進行していく中で、戦後のドイツ国内では、ハイパー・インフレが進行していたため、1948年5月、米英仏の3国は、西側占領地区での通貨の切り下げを計画。これに対して、西側の占領地域で通貨の切り下げが行われ、新通貨が導入されれば、西側に比べ経済基盤の弱いソ連占領地域の通貨は暴落し、物価が高騰することが予想されました。このため、西側占領地区が、ベルリンを除く占領地域で6月20日から新マルクを発行すると、その報復として、6月24日、ソ連は東西ベルリンの往来を禁止し、橋の破壊や国境の封鎖でベルリン周囲のソビエト占領地区との交通も遮断し、西ベルリンへの送電も停止しました。これがいわゆるベルリン封鎖です。

 当初、さらに、ソ連は自らの占領地区と全ベルリン地区の通貨改革を発表。26日以降、ソ連占領地区と全ベルリンで旧ライヒスマルクと西側の発行したマルクを無効にし、ソ連側が用意した証紙付き紙幣を東西のベルリンに流通させようとしました。

 このため、米英仏は、それまで西ベルリンには適用しないとしていた通貨改革を西ベルリン地区でも実施。ソ連に対して徹底的に抵抗する姿勢を示し、アメリカを中心とする西側占領軍当局は、西ベルリン地区住民を救済するため、ただちに食糧・物資の空輸を開始します。ベルリン空輸は、最盛期には1分に1機の飛行機が離陸したといわるほどの規模で行われましたが、結局、西側の強硬姿勢の前に、最終的にソ連も妥協を余儀なくされ、1949年5月、ベルリン封鎖は解除されました。

 一連のベルリン危機を通じて、ソ連と西側諸国との対立は決定的なものとなりましたが、その結果、ドイツの東西分裂も急速に促進され、1949年5月8日、西ドイツの憲法制定会議がドイツ連邦共和国基本法を可決したのに対して、東ドイツは同年10月7日、ドイツ民主共和国の成立を宣言することになります。

 なお、第2次大戦後のドイツの分割占領と冷戦に関しては、拙著『反米の世界史』でもごくごく簡単にではありますが、まとめてみたことがありますので、機会がありましたら、ご一読いただけると幸いです。

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