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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 いざ突撃!
2008-06-18 Wed 09:10
 私事で恐縮ですが、今日(18日)から2週間ほど、ルーマニアのブカレストで開催される世界切手展<EFIRO 2008>に出品者として参加するため、日本を留守にします。今回は、2004年に香港のアジア展に出品したA History of Hong Kongの全面的なリニューアル作品をオープンクラスに出品するのですが、出発前に「いざ突撃!」という気分を奮い立たせるため、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 小磯良平の絵葉書

 これは、1943年12月8日に発行された「大東亜戦争記念報国葉書」の1枚で、小磯良平の戦争画「香港黄泥涌高射砲陣地奪取」が取り上げられています。

 1941年12月8日の日英開戦とともに香港への攻撃を開始した日本軍は、10日後の18日、香港島北岸に上陸を開始。イギリス側守備隊との激しい戦闘の末、19日未明までに渡海作戦を完了し、香港島北東部を確保しました。その後、日本軍は香港島南部、赤柱(スタンレー)の海軍基地へ向かう部隊と、島の中央部、大平山に立てこもるイギリス軍主力部隊を攻撃する部隊の2手に分かれて進撃を続けることになります。

 このうち、大平山に向かった部隊は、19日から23日にかけて、黄泥涌(ウォンナイチュン)ダム付近の通称“五叉路”で激戦を繰り広げました。

 この場所は、当時、香港島の北岸と赤柱の海軍基地を結ぶ唯一の道であった黄泥涌道が五方向に分岐する交通の要衝で、イギリス軍はここに高射砲の陣地を構えていたこともあって頑強に抵抗し、香港攻略線で最大の死傷者が出ています。この葉書もそうした黄泥涌の激戦を描いたもので、小磯良平の戦争画としては珍しく、直接的な戦闘場面を取り上げたものです。

 結局、12月23日に黄泥涌の高射砲陣地を陥落させた日本軍は、翌24日、この地の貯水池を征圧して香港島内の給水を停止させます。この結果、香港市街は全面断水に陥り、イギリス側の抗戦継続はきわめて困難となり、25日に香港のイギリス軍は降伏することになりました。このあたりの事情につきましては、拙著『香港歴史漫郵記』をご覧いただけると幸いです。

 僕の今回の作品も、この葉書にあやかって、1週間後には勝利の吉報を手にしたいものです。

 なお、展覧会の実質会期は20日から27日までなのですが、作品搬入の都合上、前日までには現地入りしないといけないので、きょう(18日)の便で出発します。また、ルーマニアという滅多に行けない国への旅ということで、昨年の『タイ三都周郵記』に続く切手紀行シリーズの本を作る企画が持ち上がっているため、その取材旅行も兼ね、会期終了後もルーマニア国内を少し回ってくるので、帰国は7月2日のお昼頃(現地発は1日)の予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、諸般の事情で記事の更新が遅れたり、そもそも書けなかったりすることもあるかと思います。その際は、あしからずご容赦ください。
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