内藤陽介 Yosuke NAITO
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 試験問題の解説(2008年7月)-2
2008-08-02 Sat 09:57
 昨日に引き続き、都内の某大学でやっている『タイ三都周郵記』をテキストにした授業の試験問題の解説です。今日は、「この切手(画像はクリックで拡大されます)とについて説明せよ」という問題を取り上げてみましょう。

 アイサワン亭

 これは、1941年に発行された5バーツの通常切手で、アユタヤのバーン・パイン宮殿のアイサワン亭が取り上げられています。

 バーン・パイン宮殿は、もともとは、アユタヤ王朝第24代の王、プラーサート・トーンが1632年にチャオプラヤー川の中洲、バーン・パインに建てた離宮で、当初は舟遊びに用いられていたといわれています。1767年、アユタヤが滅亡すると、バーン・パインの離宮も破壊されましたが、ラーマ4世の時代に再建が始められ、次のラーマ5世の時代に、現在の離宮の主な建物が建てられています。

 バーン・パインのシンボルともいうべき、アイサワン亭(正式名称はプラ・ティナン・アイサワン・ティッパアット)は、ラーマ4世がバンコクの王宮内に建てたアーポーン・ピモーク・プラサートを息子のラーマ5世がコピーして建てたもので、建物の中にはラーマ5世の銅像が立っていますが、この切手では確認できません。

 ところで、タイの通常切手は、1883年以来、原則として国王の肖像を描くものばかりでしたが、1941年シリーズでは、国王の肖像を描くもののにくわえ、水牛による耕作風景を描くモノや、アイサワン亭を描くモノなど、国王の肖像のない切手も登場しています。

 1932年の立憲革命の後、革命を主導した人民党は、かつての“民主化”要求とは裏腹に複数政党制の導入を拒否して独裁色を強め国王と対立を深めていきました。このため、1934年、国王ラーマ7世は眼病治療の名目でイギリスに渡り、1935年3月2日、そのまま退位。幼少の甥、ラーマ8世が即位するものの、新国王は第二次大戦の終結までスイスにとどまり、タイは実質的に国王不在の状態となります。

 こうした状況の下、1938年に首相に就任したピブーン・ソンクラームは、ナショナリズムを宣揚するラッタニヨム政策(国家信条)を発動。従来の国名であった“サヤーム(シャム)”は外国人による蔑称だとして国名を“タイ”に変更したほか、タイ語を国語とする国民形成、国民の服装の西洋化、国産品の愛用、華僑の同化政策、全タイ民族の大同団結などの民族主義政策を展開していきました。その一環として、切手のデザインも、国王の肖像のみならず、広く“タイ“を象徴するものとして、バーンパイン宮殿などが取り上げられることになったというわけです。

 試験の解答としては、この切手に描かれているのがバーンパイン宮殿のアイサワン亭であることを明らかにした上で、バーンパイン宮殿とアイサワン亭についてきちんと説明し、この切手がラッタニヨム政策の時代のものであることを指摘できていれば、十分です。

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