内藤陽介 Yosuke NAITO
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 試験問題の解説(2008年7月)-6
2008-08-06 Wed 10:15
 きのうに引き続き、都内の某大学でやっている「中東郵便学」の試験問題の解説です。今日は、「この切手(画像はクリックで拡大されます)について説明せよ」という問題を取り上げてみましょう。

 イラク国王像(民族服)

 これは、1927年にイラクで発行された通常切手で、国王ファイサルの肖像が取り上げられています。

 オスマン帝国時代の旧バスラ州・バグダード州・モースル州の地域のうち、旧バスラ州と旧バグダード州は、第一次大戦中、英印軍によって占領され、軍政が敷かれていました。一方、モースル州に関しては、休戦時にはオスマン帝国が維持していたのですが、1918年11月、イギリスが休戦時の混乱に乗じて占拠。これら3州は、第一次大戦後の1920年4月、サンレモ会議の決定により、一括してイギリス委任統治領のイラクとされました。

 これに対して、戦後のアラブ国家独立の密約を反故にされたアラブ側は激昂。同年6月から10月にかけて、イラクのほぼ全域で反英暴動(1920年革命)が起こります。

 このため、現地住民を慰撫する必要に迫られたイギリスは、同年11月、暫定アラブ政府(国民評議会)を設置。翌1921年3月、イギリスの植民地相であったウィンストン・チャーチルは、いわゆるカイロ会議を招集し、①イラクの行政権をアラブ政府に委譲する、②アラブの英雄・ファイサルを確実にイラク王とするためにイギリスは影響力を行使する、③委任統治に代わる同盟条約をアラブ政府と締結する、というイラク政策の基本方針を決定しました。これを受けて、同年8月に行われた国民投票の結果、イギリスの目論見どおり、ファイサルがイラク国王(アミール)となり、イラクにおける親英政権の基盤が確立しました。

 その後、1922年10月、1926年1月、1927年12月、1930年6月の4回にわたり、イギリス・イラク間での各種の協定ないしは条約が調印されることでイラク側の自立性が高められ、1932年にイラクが国際連盟に加盟したのを受けて、イギリスの委任統治は完全に終結します。

 今回の切手は、ファイサルを描く切手としては最初のもので、伝統的な民族衣装の姿で描かれています。額面がアラブ式のフィルス・ディナールではなく、インド式のアンナ・ルピー(この切手は1ルピー)となっているのは、大戦中、英印軍がイラクを占領して以来の名残りで、1932年の独立以降は通貨改革により、フィルス・ディナール額面の切手が発行されるようになっています。

 試験の解答としては、この切手がイギリス委任統治下のイラクで発行されたモノであること、肖像の人物が国王ファイサルであること、を示したうえで、現在の“イラク”という枠組みが出来上がるまでの経緯を説明してもらえれば十分です。

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