内藤陽介 Yosuke NAITO
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 次はロンドン
2008-08-25 Mon 20:19
 北京オリンピックはようやく昨日、閉幕となりました。で、次の夏季五輪は2012年のロンドンというわけで、オリンピック便乗企画の最後はこんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国・ロンドン五輪(1948)

 これは、大韓民国発足直前の1948年6月1日、アメリカ軍政下の南朝鮮で発行されたロンドン五輪の記念切手です。

 朝鮮系アスリートが国際大会に本格的に参戦したのは、植民地時代の1932年に行われたロサンゼルス五輪が最初のこととされています。その後、1936年のベルリン五輪ではマラソンの孫基禎が金メダルを獲得したほか、南昇龍も銅メダルを獲得するなどの好成績を収めるなど、朝鮮系の選手はそれなりに実績を残していますが、当時は、朝鮮そのものが日本の統治下にありましたので、朝鮮系の選手は“日本人”という扱いになっていました。

 1945年の解放により、国際スポーツの世界においても“朝鮮”は独立した存在として認知されましたが、南北の分断が固定化されていく中で、全朝鮮の統一的なスポーツ組織の結成は、事実上、不可能となります。

 このため、1948年7月29日に開幕した戦後最初のオリンピック、ロンドン五輪の際には、“朝鮮”の五輪代表をめぐってさまざまな混乱が生じることになりましたが、結局、アメリカ軍政下の南朝鮮が“KOREA”チームを構成し、“朝鮮”代表を派遣しています。

 当時、李承晩は、国連決議に基づいて、南朝鮮での単独選挙を実施するなど、ソ連軍占領下の北朝鮮地域を除く大韓民国の樹立に向けて準備を進めており、ロンドンへの代表チーム派遣も、そうした政治的な文脈の下、南朝鮮から大韓民国につながるラインこそが朝鮮の正統政府であることを内外にアピールするためのものでした。

 一方、1946年2月に北朝鮮臨時人民委員会を発足させて以来、北半部での単独政権樹立を着々と進めていた北朝鮮にとっても、南朝鮮の一連の動きは、南北分断に向けた自分たちの過去の行動をカムフラージュするとともに、「南側が先に分断を仕掛けたために“やむをえず”自分たちも独自の政府を樹立するにいたった」と主張するアリバイ作りとして好都合でした。このため、北朝鮮は、南側のこうした動きに抗議していたものの、ソウル五輪の時のような妨害行動には出ていません。

 1948年に南北両政府が相次いで発足する前後の動きは、切手や郵便物にもいろいろと痕跡を残していますが、それらについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめていますので、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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