内藤陽介 Yosuke NAITO
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 大統領になりそこなった男たち:ジョン・フレモント
2008-08-24 Sun 10:10
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『中央公論』9月号が発売になりました。僕の連載「大統領になりそこなった男たち」では、今回は、共和党として最初の大統領候補になったジョン・フレモントを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 フレモント

 これは、1898年6月に発行されたトランスミシシッピ博の記念切手で、ロッキー山頂で星条旗を掲げるフレモントが描かれています。

 フレモントは、1813年、ジョージア州サバンナの出身。1838年から1839年にかけて、フランス人地理学者、ジョセフ・ニコレットによるミシシッピ川=ミズーリ川間の探検に助手として参加しました。1841年にはフレモント自身もミシシッピ川支流のデモインズ川の地図を作製しています。また、1841年から1846年にかけて、オレゴン・トレイルを通ってシエラネバダ山脈に入る遠征隊を率い、この間、タホ湖を“発見”し有名になったほか、セント・へレンズ火山の地図を作成しました。

 1846年春、フレモントは国務省の命を受けてロッキー山脈からコロンビア川に到着する最短ルートを求めてカリフォルニアに到着します。当時のカリフォルニアはメキシコ領。首都のメキシコシティからは遠く離れ、人口わずか1万人の辺境の地でした。

 探検隊の隊長として、フレモントはメキシコの上カリフォルニア軍事総督のカストロに探検の許可を求め、カストロもいったんはこれを許可するのですが、後にカストロは、フレモントがカリフォルニアの独立運動を扇動しているのではないかと疑い、探検の許可を撤回します。しかし、フレモントはこれを無視して探検を断行。さらに、地元の入植者を扇動してメキシコ当局に対して反乱を起こさせました。

 これが、カリフォルニアにおける米墨戦争の発端となりました。

 ウィリアム・アイダひきいる反乱軍は1846年6月6日、カリフォルニア共和国の独立を宣言しますが、同国は7月5日、ロバート・ストックトン准将ひきいるアメリカ艦隊の上陸とともに合衆国に吸収されています。その後、フレモントはストックトンの指揮下で行動し、サンタバーバラ攻略のために300名の遠征部隊を率いて軍功を挙げました。

 さて、1847年1月、フレモントはメキシコのアンドレ・ピコ将軍にカフエンガ条約を調印させ、カリフォルニアにおける米墨戦争は終結します。この功に対して、ストックトンはフレモントをカリフォルニア州軍事知事に任命しましたが、これを不服とするスティーブン・カーニー(アメリカ軍騎馬隊の父と呼ばれる人物で、やはり、米墨戦争中のカリフォルニア攻略に軍功のあった将軍)は、連邦政府に対して、命令を下す権威は自分にあることの確認書を要求するとともに、自分の許可を得ず知事に就任したフレモントの行為は反乱罪にあたるとして彼を逮捕し、ワシントンDCに送還しました。フレモントは軍法会議にかけられ、有罪判決を受けたが、ポーク大統領の特赦により赦免されています。

 その後、フレモントはカリフォルニア州選出の上院議員となり、1856年の大統領選挙では、探検家にして米墨戦争の英雄というキャリアが買われ、反奴隷主義者として毀誉褒貶の激しいスワードに代わって、奴隷制反対を掲げて誕生した共和党初の大統領候補となりました。

 選挙戦では、共和党が「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」とのスローガンを掲げて、新しい領土への奴隷制拡張に反対。奴隷制は共和制の価値観を破壊していると主張したのに対して、民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論しています。

 投票の結果、民主党のブキャナンが大統領に当選しましたが、フレモントは大いに検討しており、奴隷制の存続をめぐるアメリカ合衆国内の対立はますます先鋭化していくことになります。

 なお、雑誌『中央公論』の連載をまとめて、9月10日、中公新書ラクレの1冊として『大統領になりそこなった男たち』を刊行する予定です。無事刊行の暁には、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

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この記事のコメント
#1217
デス モインズとありますが、Des Moinesであれば、デモインが近い表記かと。瑣末なことではありますが・・・・。
2008-08-24 Sun 23:46 | URL | Polarbear #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 Polarbear様

 ご指摘ありがとうございます。
 手元の地図にはデスモインとあったのですが、現在ではデモインの方が主流みたいですね。訂正しておきます。

 アメリカの人名・地名でフランス語由来のものは、カタカナ表記が頭が痛いですね。今回のフレモントも、英語風に読めばフリーモントですが(JPSのアメリカ図鑑は確か、そうなっていたと思います)、本人はフレモントと名乗っていたようですし…。

 ともあれ、ご指摘ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
2008-08-27 Wed 22:52 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
#1221
お返事を頂き有難うございます。余計なことをしたかな、と思ったのですが、実は自分自信で、この地名を読み違い、恥ずかしい思いをしたものですから・・・。
米国のスペイン語由来の地名は難しいですね。元の読み方の地名とと、英語風の読み方に変わっている地名がありますし。
引続きご活躍をお祈りしております
2008-08-30 Sat 17:19 | URL | Polarbear #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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