内藤陽介 Yosuke NAITO
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 キャンプ・デービッド合意30年
2008-09-17 Wed 11:57
 エジプト・イスラエル和平の画期となった、いわゆるキャンプ・デービッド合意が1978年9月17日に結ばれてから、今日でちょうど30年です。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 平和の人・サダト

 これは、1977年にエジプトが発行した“平和の人・サダト”の切手です。

 1970年、ナセル急死の後を受けてエジプトの大統領となったアンワル・サダトにとって最大の課題は、第3次中東戦争で失ったがシナイ半島の奪還でした。

 サダトは、それぞれの思惑から中東に関与しているだけの米ソ両国に任せていてもシナイ半島の奪還は無理であると喝破し、武力による自力奪還以外に、エジプトの採るべき現実的な選択はないという結論に到達。こうした判断にもとづき、サダトは、シリア大統領ハフィズ・アサドとも連携をとりながら、1973年10月、第4次中東戦争を発動。開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げています。

 第4次中東戦争での、エジプト・シリア連合軍の優位は永くは続きませんでしたが、ともかくも、サダトはイスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、その後のシナイ半島返還交渉の道筋をつけることに成功します。

 ところで、当時のアメリカが目指していた中東和平構想は、端的にいえば、“アラブの盟主”とされるエジプトとイスラエルの単独和平を実現することであり、全当事国間の和平の実現やパレスチナ問題の抜本的解決はその中には含まれていませんでした。アメリカが、テロ組織とは交渉しないとして、国際社会全般では「パレスチナ人の唯一正統な代表」として国連オブザーバーの資格も得ていたPLOを無視しつづけていたのはその象徴的な出来事といってよいでしょう。

 サダトはこうしたアメリカの思惑を利用する形で、1973年12月、米ソ両国の主導により、ジュネーブで開催された中東和平会議に参加。翌1974年1月、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定に調印します。この協定は、キッシンジャーと協議を重ねたサダトが、イスラエルに譲歩し、運河東岸には最低限のエジプト軍兵力しか残さないというイスラエルの要求を受け入れたことを受けて締結されたものです。

 イスラエル軍撤兵の悲願を実現させたサダトは、さらに同年2月、1967年の第3次中東戦争以来途絶していた米国との外交関係を再開し、ニクソンをエジプトに招待。さらに、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1975年9月にはシナイ半島での第二次兵力分離協定の調印にも成功しました。そして、1977年11月、サダトは、ついに、アラブ国家の元首としてはじめてイスラエルを公式訪問。イスラエル国会で演説し、イスラエルとの単独和平を目指す姿勢を明らかにしています。

 しかし、サダトの一連の行動は、関係国との個別交渉を通じて問題の解決を図ろうとするイスラエルの方針に沿ったものであり、“アラブの大義”という点からは絶対に許容されえないものとして、アラブ諸国から激しい非難を浴びることになりました。そして、シリア、アルジェリア、リビア、南イエメン、リビアがエジプトと断交します。

 シナイ半島からのイスラエル軍の撤兵という2国間の問題はともかく、アラブ世界を代表してイスラエルと交渉しているとの建前を掲げていたエジプトは、パレスチナ問題を前進させない限り、アラブ世界から完全に孤立してしまいます。このため、サダトはイスラエルに対して、パレスチナ人国家の樹立と、そのためのヨルダン川西岸とガザ地区からの撤兵を求めますが、これはイスラエルにとってみずからの存立基盤に関わる問題であり、とうてい妥協することのできないものでした。

 こうして、エジプトとイスラエルの交渉が停滞すると、業を煮やしたアメリカのカーター政権は、1978年9月、サダトとベギン(イスラエル首相)をキャンプ・デービットの大統領別荘に呼び、両国に対して、巨額の経済援助と引き換えに成立させたのが、キャンプ・デービット合意だったわけです。

 この合意では、シナイ半島の返還に関してはエジプトの主張が大幅に認められており、両国間の平和条約調印(1979年3月に実現)も定めていましたが、イスラエル占領下のヨルダン側西岸とガザ地区に関してはイスラエル側の主張が認められたかたちとなっていました。

 このため、キャンプ・デービット合意は、自国の利益のためにパレスチナをイスラエルに売り渡したものとして、エジプトを除く全アラブ諸国から激しく非難され、エジプトは周辺諸国から完全に孤立してしまいました。ちなみに、キャンプ・デービット合意の主役であったサダトは、1981年10月6日、第4次中東戦争の戦勝8周年記念式典で軍事パレードを閲兵中、いわゆるイスラム原理主義の信奉者によって暗殺され、現在にいたるホスニ・ムバーラクの時代が幕を開けることになるのです。


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