内藤陽介 Yosuke NAITO
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 パキスタン管理下のドバイ
2005-10-09 Sun 13:46
 パキスタン北東部を震源地とする地震は死者が3000人を越える大災害になりました。

 僕はパキスタンに行ったことはないのですが、中学生の頃、ジュニア向けの切手雑誌『スタンプ・クラブ』の「パケット整理学」というコーナーで、パキスタン切手のパケットをばらして解説記事を書いたことがあります。実は、これが、フィラテリック・ライターとしての僕のデビュー作です。また、昨年(2004年)、香港のアジア国際切手展に出品したコレクションには、パキスタンのハイバル郵趣協会(ペシャワールに拠点がある収集家の団体)から特別賞を頂戴しました。さらに、大使閣下は切手収集がご趣味だそうで、そのご縁で直接お会いして数時間お話したこともあります。

 こうしたことから、いずれは、パキスタンがらみのコレクションなんかも作ってみたいと漠然と考えていたのですが(たとえば、交通の要衝であったペシャワールの郵便史なんか面白いと思うんですが)、なかなか、実際には手をつけるまでにはいたっていません。それでも、パキスタンがらみで話のネタになりそうな切手やカバー(封筒)はいくつか持っていますから、今日はその中から、こんなものをご紹介しましょう。

パキスタン・ドバイ

 ご紹介しているのは、1948年2月、ペルシャ湾岸のドバイ(現在、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつ)から差し出されたカバーの一部で、英領インド時代の切手に“PAKISTAN”と加刷した切手が貼られています。

 1947年8月、インドとパキスタンが分離独立する以前の英領インド帝国は、郵政面では、非常に広範な地域をカバーしており、英領インドの域外でも各地でインド切手が使用されていました。こうした英領インドの在外局は、二つの世界大戦を経て次第に規模が縮小されていきますが、それでも、1947年8月の段階では、ドバイとマスカットの郵便はカラチ中央郵便局の管轄下に置かれていました。

 その後、ドバイとマスカットの郵便は、1948年4月に英本国が接収することになりますが、それまでの以降期間内は、暫定的にパキスタン国家の支配下に入ったカラチ郵便局がこの地の郵便サービスを担当していました。このため、ここにご紹介したような、パキスタン切手のドバイ使用例というのが生まれることになったわけです。ちなみに、1960年以前のドバイからの郵便物の大半は、ボンベイ(ムンバイ)宛で、この地域が広義のインド世界と密接に繋がっていたことをうかがわせます。このことを含めて、当時の郵便物を見ていると、インドとか中東とかの地域概念の境界は我々が日常的にイメージしている以上に混沌としたものであることを痛感させられます。

 なお、ドバイを中心とする“アラブ土侯国(現在のアラブ首長国連邦を構成している首長国)”の郵便については、拙著『中東の誕生 』にまとめて書いたことがありますので、ご興味をお持ちの方はご一読いただけると幸いです。

 いずれにせよ、僕にとっては因縁浅からぬ存在であるパキスタンの惨状は、非常に胸が痛みます。一日も早い復興を心よりお祈りしております。
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